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[資料紹介] 名古屋市蓬左文庫蔵『天文図象玩占』について : 附・全文翻刻

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Academic year: 2021

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(1)

Tenmon Zusho Gansen

in the Collection of the Hosa Bunko Library in Nagoya

対 象 と す る の は、 名 古 屋 市 蓬 左 文 庫 が 所 蔵 す る『 天 文 図 象 玩 (( ( 。 対 象 と す る『 天 文 図 象 玩 占 』( 請 求 番 号 一 一 〇 ― 一 二 ) は、 全 ン チ で あ り、 丁 数 は そ れ ぞ れ 第 一 冊 は 五 十 五 丁、 第 二 冊 は 「天文圖象玩占(共四) 」であり、見返には第一冊の左隅に「此巻前後共 五 十 五 葉 」、 第 三 冊 の 左 隅 に「 三 十 五 頁 」、 第 四 冊 の 左 隅 に「 六 十 一 頁 」 とそれぞれ記されていて、表紙は朱色(丹表紙)で、綴じ目は五つ目綴 じとなっている。成立年代・編者ともに不明であるが、成立年代につい ては蓬左文庫のデータでは「明」としている。 本 文 の 記 載 形 態 で あ る が、 全 体 で は、 朱 で 記 さ れ た 四 周 単 辺 で 界 線 はなく、文字は墨書(黒)である。序・目録・後序は一頁九~十行で記 され、本文は上下二段組みで、上図下文(占文が記される)形式を採っ ている。図は彩色であり、文は墨書(黒)で記され、基本的に一頁に一 項目が記載されているが、時折、例外もある(図 (~ 4参照) 。   本書の基礎情報は以上の通りであるが、本書の最大の特徴は、蓬左文 庫本と同名の書名を持つ本が管見の所未発見であるという点にある。各 種データベースなどを検索してもヒットすることが無く、天下の孤本と 言えるかもしれないのである。この点を視野に入れ、以下、内容の検討 に移ろう。

『天文図象玩占』

附・全文翻刻

(2)

『天文図象玩占』の構成と引用書目 (一)構成   本節では各巻毎の構成と引用書目について紹介していく。 ( 1)第一冊 本冊は、 冒頭部に全体に関わる「御製序」 (一オ)が載せられている。 続いて、 「天文圖象玩占」 (一ウ~二オ)と題される序文(以下、序文と いうときこれを指す)が記されており、本冊には二種類の序が付せられ ていることになる。その後、 「天文圖象玩占目録」 (二ウ~四ウ)と続き、 本文(五オ~五十五ウ)が記載されている。御製序以下の各項目の詳細 などについては、全文翻刻を参照してもらいたいが、ここでは全体像の 把握のために、本文に記載された各項目名を掲げておく。 日之應氣 ・ 瑞異 ・ 祥光 ・ 燭耀 ・ 熒煌 ・ 二彗 ・ 重光 ・ 黄氣 ・ 青雲 ・ 龍 鳳抱日 ・ 黄人守日 ・ 黒氣蔽塞 ・ 過中光暗 ・ 日未入無光 ・ 日已出光暗 ・ 色 赤 如 赭・ 色 赤 如 血・ 無 雲 光 暗・ 雲 尽 赤 無 光・ 中 分 再 出 再 没・ 日 消 小 日 中 鳥 燕 見・ 日 隕 至 地・ 日 闘・ 日 月 晝 見・ 飛 流 犯 日・ 妖 星 宵 出 ・ 衆日並出 ・ 當晝明晦 ・ 日中黒氣 ・ 齒足倶見 ・ 日月並出 ・ 赤色占 ・ 青色占 ・ 黄色占 ・ 黒色占 ・ 青龍守日 ・ 黒氣如人 ・ 赤雲如輪 ・ 雲如虎躅 ・ 氣 如 冬 株・ 如 人 持 牽・ 青 氣 如 馬・ 氣 如 青 鷄・ 氣 如 斧 鉞・ 赤 氣 如 杵・ 赤 氣 如 血・ 氣 如 布 席・ 赤 氣 如 牛・ 青 氣 如 人・ 雲 氣 如 車・ 青 氣 占・ 黒雲貫日 ・ 直氣 ・ 交氣 ・ 氣如人頭 ・ 氣如死蛇 ・ 氣如二鳥 ・ 雲氣如龍 ・ 氣 如 旗・ 雲 氣 如 箒・ 白 氣 扶 日・ 赤 氣 如 三 鳥・ 赤 雲 如 鷄・ 雲 氣 如 箭・ 氣 如 虎・ 曲 雲 向 日・ 氣 青 黄 赤 白・ 雲 似 虹・ 赤 雲 在 上・ 雲 氣 交 貫・ 雲 氣 如 蛇・ 左 右 抱 氣・ 左 右 背 氣・ 一 珥・ 両 珥・ 直 氣・ 三 珥・ 四 珥・ 交氣 ・ 玦氣 ・ 直格氣 ・ 紐氣 ・ 纓氣 ・ 戴氣 ・ 承氣 ・ 冠氣 ・ 負氣 ・ 履氣 ・ 戟氣 ・ 提氣 ・ 半暈両珥 ・ 半暈向上両珥 ・ 上重半暈及両珥 ・ 下重半暈珥 ・ 上下連環四珥 ・ 日暈東西連環四珥 ・ 上重半暈珥 ・ 下重半暈珥 ・ 暈不 合珥 ・ 重半暈珥 ・ 左上角珥 ・ 右上角珥 ・ 下珥 ・ 左下角珥 ・ 右下角珥 ・ 上珥・四珥 ( 2)第二冊 本 冊 は、 「 箱 三 百 二 番   写 本 / 天 文 圖 象 玩 占 四 冊 」( 一 オ・ 遊 紙 )・ 「 六 十 一 頁 」( 一 ウ・ 遊 紙 ) と い う 記 載 が あ り、 本 文( 二 オ ~ 六 十 三 ウ ) が続く。 雲氣入紫薇垣占 ・ 雲氣入北極占 ・ 雲氣入鈎陳占 ・ 雲氣入天皇大帝占 ・ 雲 氣 入 四 輔 占・ 雲 氣 入 五 帝 内 座 星 占・ 雲 氣 入 天 柱 星 占・ 雲 氣 入 六 甲 星 占・ 雲 氣 入 御 女 星 占・ 雲 氣 入 女 史 星 占・ 雲 氣 入 柱 史 星 占・ 雲 氣入大理星占 ・ 雲氣入陰徳星占 ・ 雲氣入天牀星占 ・ 雲氣入華蓋星占 ・ 雲氣入傳舎星占 ・ 雲氣入華蓋占 ・ 雲氣入八穀星占 ・ 雲氣入文昌星占 ・ 雲氣入天牢星占 ・ 雲氣入勢星占 ・ 雲氣入北斗星占 ・ 雲氣入天理星占 ・ 雲 氣 入 相 星 占・ 雲 氣 入 太 陽 守 星 占・ 雲 氣 入 天 乙 星 占・ 雲 氣 入 太 乙 星 占・ 雲 氣 入 天 棓 星 占・ 雲 氣 入 玄 戈 星 占・ 雲 氣 入 太 微 垣 占・ 雲 氣 入 東 西 掖 門 星 占・ 雲 氣 入 五 帝 座 占・ 雲 氣 入 幸 臣 星 占・ 雲 氣 入 太 子 星 占・ 雲 氣 入 後 官 星 占・ 雲 氣 入 郎 位 星 占・ 雲 氣 入 三 台 星 占・ 雲 氣 入 五 諸 侯 星 占・ 雲 氣 入 天 市 垣 占・ 雲 氣 入 貫 索 星 占・ 雲 氣 入 女 牀 星 占・ 雲 氣 入 角 宿 星 占・ 雲 氣 入 庫 樓 星 占・ 雲 氣 入 亢 星 占・ 雲 氣 入 折 威 星 占・ 雲 氣 入 攝 提 星 占・ 雲 氣 入 大 角 星 占・ 雲 氣 入 氐 宿 星 占・ 雲 氣入招揺星占 ・ 雲氣入梗河星占 ・ 雲氣入騎官星占 ・ 雲氣入房宿星占 ・ 雲氣入心宿星占 ・ 雲氣入積卒星占 ・ 雲氣入尾宿星占 ・ 雲氣入龜星占 ・ 雲氣入天江星占 ・ 雲氣入傳説星占 ・ 雲氣入魚星占 ・ 雲氣入箕宿星占 ・ 雲 氣 入 斗 宿 一 名 南 斗 星 占・ 雲 氣 入 牛 宿 星 占・ 雲 氣 入 九 坎 星 占・ 雲 氣入河皷星占 ・ 雲氣入織女星占 ・ 雲氣入女宿女占 ・ 雲氣入瓠瓜星占 ・ 雲氣入天津星占 ・ 雲氣入虚宿星占 ・ 雲氣入天壘城星占 ・ 雲氣入敗臼 星占 ・ 雲氣入危宿星占 ・ 雲氣入室宿一名営室星占 ・ 雲氣入羽林星占 ・ 雲 氣 入 北 落 師 門 星 占・ 雲 氣 入 璧 宿 星 占・ 雲 氣 入 奎 宿 星 占・ 雲 氣 入

(3)

土 司 空 星 占・ 雲 氣 入 閣 道 星 占・ 雲 氣 入 附 露 星 占・ 雲 氣 入 王 良 星 占・ 雲 氣 入 婁 宿 星 占・ 雲 氣 入 天 倉 星 占・ 雲 氣 入 天 大 将 軍 星 占・ 雲 氣 入 胃 宿 星 占・ 雲 氣 入 天 廩 星 占・ 雲 氣 入 天 囷 星 占・ 雲 氣 入 大 陵 星 占・ 雲 氣 入 天 舡 星 占・ 雲 氣 入 積 尸 星 占・ 雲 氣 入 積 水 星 占・ 雲 氣 入 昴 宿 星 占・ 雲 氣 入 蒭 藁 星 占・ 雲 氣 入 天 苑 星 占・ 雲 氣 入 畢 宿 星 占・ 雲 氣 入 五 車 星 占・ 雲 氣 入 天 潢 星 占・ 雲 氣 入 天 高 星 占・ 雲 氣 入 咸 池 星 占・ 雲氣入天關星占 ・ 雲氣入參旗星占 ・ 雲氣入天園星占 ・ 雲氣入觜宿占 ・ 雲 氣 入 天 厠 星 占・ 雲 氣 入 井 宿 占・ 雲 氣 入 積 水 星 占・ ( 雲 氣 入 積 薪 星 占 (( ( ?) ・ 雲 氣 入 北 河 星 占・ ( 雲 氣 入 南 河 星 占?) ・ 雲 氣 入 水 位 星 占・ 雲 氣 入 狼 星 占・ 雲 氣 入 弧 矢 星 占・ 雲 氣 入 老 人 星 占・ 雲 氣 入 鬼 宿 占・ 雲氣入 爟 星占 ・ 雲氣入柳宿占 ・ 雲氣入酒旗星占 ・ 雲氣入星宿占 ・ 雲 氣 入 天 相 星 占・ 雲 氣 入 張 星 占・ 雲 氣 入 翼 宿 占・ 雲 氣 入 軫 宿 占・ 雲 氣入器府星占・雲氣入參宿占・雲氣入玉井星占 ( 3)第三冊   本冊は、本文(一オ~三十六ウ)以外の記載はない。 木 星 在 春 季 占・ 木 星 在 春 變 色 白 無 光 占・ 木 星 在 春 變 色 赤 占・ 木 星 在 春 變 色 黒 占・ 木 星 在 春 青 色 占・ 木 星 在 春 初 出 小 而 後 大 占・ 木 星 初 出 大 而 後 小 占・ 木 星 去 其 舎 而 所 去 占・ 木 星 未 當 居 而 居 占・ 木 星 未當去而去占 ・ 木星所衝之方占 ・ 木星有暈占 ・ 木星晝見與日争光占 ・ 火 星 在 夏 季 占・ 火 星 在 夏 變 色 青 占・ 火 星 在 夏 變 色 白 占・ 火 星 在 夏 變 色 黒 占・ 火 星 在 夏 旺 色 赤 占・ 火 星 在 夏 赤 如 炬 火 占・ 火 星 在 夏 失 度 吐 舌 占・ 火 星 在 夏 季 逆 行 二 舎 餘 占・ 火 星 留 以 庚 辛 之 日 占・ 火 星 在 夏 季 若 反 明 占・ 火 星 光 芒 如 正 旗 占・ 火 星 晝 見 自 暈 占・ 火 星 勾 已 繞 還 逆 行 占・ 火 星 當 入 不 入 占・ 火 星 當 出 不 出 占・ 土 星 在 夏 季 占・ 土 星 在 夏 季 變 色 白 占・ 土 星 在 夏 季 行 春 令 占・ 土 星 在 夏 季 行 冬 令 占・ 土 星 在 夏 季 色 旺 占・ 土 星 四 季 失 色 占・ 土 星 四 季 旺 占・ 土 星 白 而 潤 芒 占・ 土 星 在 夏 季 色 黄 大 無 光 占・ 土 星 自 生 暈 占・ 土 星 生 芒 角 占・ 土 星 色 白 素 占・ 土 星 色 黄 餌 魚 占・ 金 星 在 秋 季 占・ 金 星 在 秋 季 行 春 令 占・ 金 星 在 秋 季 行 冬 令 占・ 金 星 在 秋 季 行 夏 令 占・ 金 星 在 秋 季 旺 色 占・ 金 星 初 出 大 而 後 小 占・ 金 星 失 行 占・ 金 星 當 入 不 入 當 出 不 出 占・ 金 星 經 巳 午 未 位 占・ 金 星 行 盈 縮 暦 占・ 金 星 出 高 深 占・ 金 星 行 疾 行 遅 占・ 金 星 出 西 方 占・ 金 星 出 東 方 占・ 金 星 自 主 暈 占・ 金 星 晝 見與日争光占 ・ 金星色赤焱然占 ・ 金星光明見影占 ・ 水星在冬季旺占 ・ 水 星 在 冬 季 行 冬 令 占・ 水 星 在 冬 季 行 夏 令 占・ 水 星 在 冬 季 行 秋 令 占・ 水 星 在 冬 季 旺 占・ 水 星 不 以 時 而 出 占・ 水 星 當 入 不 入 占・ 水 星 當 出 不出占 ・ 水星與金星各在一方占 ・ 水星来抵金星占 ・ 金星環遶水星占 ・ 水星出東方色赤占・水星經天晝見占 ( 4)第四冊 本 冊 は、 第 一 冊 同 様 に「 目 録 」( 一 オ ~ 三 オ ) が 収 載 さ れ、 そ の 後、 本文(四オ~五十五ウ)となっている。そして、最後に「天文圖象玩占 後序」 (五十六オ~五十六ウ)が付せられ本書が閉じられている。 重 抱 氣・ 四 珥 両 抱 氣・ 三 抱 両 珥・ 一 抱 一 背・ 背 玦 二 氣・ 冠 珥 一 氣・ 戴 珥 二 氣・ 冠 纓 二 氣・ 冠 紐 兩 珥・ 抱 珥 重 光・ 二 背 一 直・ 一 抱 両 珥・ 戴 冠 二 氣・ 珥 戴 二 氣・ 冠 紐 二 氣・ 珥 纓 二 氣・ 冠 珥 背 玦・ 背 玦 直 交・ 直背二氣 ・ 抱直二氣 ・ 虹抱両氣 ・ 日暈 ・ 半暈 ・ 日上半暈 ・ 半暈相同 ・ 半 暈・ 兩 半 暈 相 合・ 暈 井 垣 如 車 輪・ 方 暈 上 下 二 輩 背・ 方 暈・ 交 暈・ 連環暈 ・ 重暈 ・ 暈内抱珥 ・ 暈外抱珥 ・ 暈珥直虹 ・ 暈抱背 ・ 暈玦二氣 ・ 暈 負 二 氣・ 暈 珥 虹・ 暈 珥 虹・ 暈 背 二 氣・ 暈 抱 珥 虹 玦・ 暈 背 虹 直 珥・ 暈四抱 ・ 暈抱二氣 ・ 重暈背玦 ・ 半暈背玦 ・ 半暈背玦 ・ 暈冠珥紐 ・ 暈 四珥四玦四背 ・ 暈負二氣 ・ 暈珥 ・ 暈白虹 ・ 暈四背 ・ 暈抱二氣 ・ 暈背 二氣 ・ 白虹貫暈 ・ 暈虹 ・ 雲氣如眼 ・ 彗星見日下 ・ 日食妖氣 ・ 日食黒氣 ・ 日 食 氣 如 鳥 夾 日・ 日 食 暈 珥・ 日 食 有 白 兎・ 日 食 有 四 珥・ 日 食 暈 兩 珥 ・ 氣如人隨 ・ 雲如禽獣 ・ 雲氣如杵 ・ 月生齒 ・ 月垂芒 ・ 月自天垂墜 ・ 月 暈 生 珥・ 月 暈 生 虹・ 月 暈 四 珥・ 月 暈 三 珥・ 重 暈 背 玦・ 月 暈 三 重・

(4)

暈 虹 霓・ 暈 白 氣・ 交 暈・ 月 暈 兩 珥・ 白 暈 貫 月・ 重 暈 珥・ 十 字 度 暈・ 月 暈 背 珥・ 重 半 暈 珥・ 月 暈 玦 珥・ 月 暈 珥 抱・ 暈 抱 二 氣・ 月 暈 戴 珥・ 白 虹 貫 暈 月・ 月 生 背 暈・ 連 環 及 斗・ 重 暈 于 魁・ 雜 氣 全 見・ 暈 日 月・ 抱背二氣・戴珥・月生背玦・四玦・月生背玦・四提・重半暈珥 ❷ 引用書目・諸氏説   本書は、上図下文形式であり、下文の部分は本書独自の論点を提示し て い る の で は な く、 様 々 な 書 物 や 諸 氏 説 か ら の 引 用 で 成 り 立 っ て い る。 以下各冊ごとに引用書目を全て掲げよう。なお、書名・諸氏説は本文の 表記に従っている。   ま ず 第 一 冊 で は、 洪 範 傳・ 乾 坤 寶 典・ 宋 志・ 京 房・ 武 密 占・ 開 元 占・ 古今占 ・ 乙巳占 ・ 尚書金櫃 ・ 淮南子 ・ 太公 ・ 春秋感精符 ・ 甘徳(甘氏) ・ 乾象新書・晋志・天文録・王朔が引用され、回数では宋志が多い。   第二冊は、荊州占 ・ 天文録 ・ 楽緯執圓微 ・ 晋書の四書に限られており、 特に天文録・晋書が多い。   第三冊は、朱文公 ・ 宋志 ・ 石申 ・ 左傳 ・ 梓慎 ・ 甘徳 ・ 開元占 ・ 天官書 ・ 天文廣要・荊州占・天文志・晋書・晋灼・元命包・司馬彪の各書が引用 され、中でも朱文公・宋志・開元占が多い。   第四冊は、開元占・宋志・乾坤寶典・古今占・京房と、第二冊に続き 引用書目は少なく、その中でも開元占・宋志が多い。   全冊を通じて利用されている書物や諸氏説はないが、 宋志 ・ 開元占(開 元占経)が比較的多く利用されているように感じる。また、 後述するが、 第三冊に「朱文公」が数多く参照されていることには注意を払っておき たい。 ❸ 三種の序文   前 節 で 触 れ た よ う に 、 本 書 に は「 御 製 序 」・「 天 文 圖 象 玩 占 」( 序 文 )・「 天 文 圖 象 玩 占 後 序 」の 三 種 の 序 が 付 さ れ て い る 。 こ れ ら は 、 全 文 翻 刻 で も 本 文 を 示 し て い る が 、 本 節 で 改 め て 紹 介 し 、 出 典 な ど も 提 示 し て お き た い 。 (一)御製序   本書冒頭部に示される「御製序」は、本書独自の文章ではなく、後に も触れる『天元玉暦祥異賦』に付される「御製天元玉暦祥異賦序」とほ ぼ同文である。 ここでは、 国立公文書館所蔵の十冊本 (昌平坂学問所旧蔵。 請 求 番 号 三 〇 五 ― 二 五 七 ) に よ る 校 勘 を 付 し、 そ の 後、 読 み 下 し・ 出 典 の 提 示 を し て お く。 御 製 序 の 出 典 に 関 し て は、 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 の 検 討を行った馮錦榮氏にあるが (( ( 、煩を厭わず以下に挙げておく。傍線部が 御製序と重なる部分である。 【本文・校勘】 御製序 (一) 在天之五行、 在人為五事。五事脩則休徴應、 失則咎徴應。天人感應 之機神矣。惟天心仁愛人君、 常示變以警之。惟君明 (二) 必敬天、 子 (三) 所示警、 皆有愓厲修省之誠、 未嘗忽也。此編明于 (四) 天人之際審矣。 朕嗣承天序、 祇若天道。動静云為、 恒慎諸此。股肱大臣與國同休 (五) 戚相均。 今各以戒 (六) 、非惟使達夫吉凶之機、 亦庶幾 爕 (七) 理之助云。 (八) 序終 ( 一 ) 御 製 序 … 御 製 天 元 玉 曆 祥 異 賦 序、 ( 二 ) 君 明 … 明 君、 ( 三 ) 子…於、 (四)于…於、 (五)休…體欣、 (六)各以戒…各以賜之、 ( 七 ) 爕 … 其 爕 、( 八 ) 序 文 の 後 に、 「 洪 熙 元 年 五 月 十 五 日 」 の 日 付有り 【読み下し】     御製序 天 に 在 り て 五 行 と 為( 之 ) り、 人 に 在 り て 五 事 と 為 す。 五 事 脩 ま れ ば 則 ち 休 徴 應 じ、 失 す れ ば 則 ち 咎 徴 應 ず。 天 人 感 應 の 機 は 神 た

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り。 惟 れ 天 心 は 人 君 を 仁 愛 し、 常 に 變 を 示 し て 以 て 之 を 警 む。 惟 れ 明 君( 君 明 ) は 必 ず 天 を 敬 い、 示 警 す る 所 に 於( 子 ) い て、 皆 な 愓 てきれい 厲 修 しゅうせい 省 の 誠 有 り、 未 だ 嘗 て 忽 ゆるが せ に せ ざ る な り。 此 の 編 は 天 人 の 際 を 明 ら か に す る こ と、 審 ら か な り。 朕 天 序 を 嗣 承 し、 祇 つつし ん で 天道に若 したが う。 動静云 う ん い 為、 恒に諸 これ を此に慎む。 股肱の大臣は國と體 (休) を同じくし欣戚(戚)相い均し。今各おの以て戒め、 惟 た だに夫の吉 凶の機に達せしむるのみに非ず、亦た 爕 しょうり 理の助けを庶 こいねが 幾うと云う。 【出典】    『書集伝』 (南宋の蔡沈撰。蔡沈は朱熹の弟子)巻四・洪範の注 在天為五行、 在人為五事。五事修則休徴各以類應之。五事失則咎 徴各以類応之。自然之理也。然必曰某事得、 則某休徴応、 某事失、 則某咎徴応、 則亦膠固不通、 而不足與語造化之妙矣。天人之際未 易言也。失得之幾、応感之微、非知道者、孰能識之哉。    『周易』乾卦 乾。元。享。利。貞。…九三。君子終日乾乾。夕惕若。厲无咎。    『周易』震卦 震。亨。…象曰。洊雷震。君子以恐懼脩省。    『周易』繋辞下伝 夫坤、 天下之至順也。徳行恆簡以知阻。能說諸心、 能研諸侯之慮。 定天下之吉凶、成天下之亹亹者。是故、變化云為。    『尚書』周官 惟周王撫萬邦。…立太師 ・ 太傅 ・ 太保。茲惟三公。論道経邦、燮 理陰陽。官不必備、惟其人。 (二)天文圖象玩占(序文)   御製序は、 すでに述べたように元来は 『天元玉暦祥異賦』 の序文であり、 本序こそが本書の序文に当たると思われる。 本序では 「日為太陽之精」 「日 者天之象」と、日が太陽の精・天の象であり、日を見ることによりその 吉凶を知ることが出来ることを述べ、 日に関わる十の用語 「侵 ・ 象 ・ 觹 ・ 監 ・ 闇・ 瞢 ・弥・序・ 隮 ・想」について解説をしている。すなわち、本書が まず「日」に関わる内容を扱っていることを表明しているのである。こ のことは、本書の構成を考える上で重要な点であるが、その点は後述す る。 ま た、 序 文 中 に『 周 礼 』 の 名 が 出 て い る が、 実 際 は『 晋 書 』( も し くは『隋書』 )を参照した可能性が高い。例えば、 『周礼』巻二十五・春 官の経文は「 眡 祲 掌十煇之 灋 、以観妖祥、辨吉凶。一曰 祲 、二曰象、三 曰 鑴 、四曰監、五曰闇、六曰 瞢 、七曰彌、八曰敘、九曰 隮 、十曰想」で あ り、 確 か に 序 文 の 文 章 と 近 い が、 序 文「 想 」 の「 青 飢、 赤 兵、 白 喪、 黒憂、 黄熟」 という記述は、 『晋書』 (『隋書』 ) には存在しているものの、 『周 礼』経文や鄭司農注には「想、雑気有似可形想」とだけしかなく、ここ からは作成することは不可能である。やはり、 『晋書』 (『隋書』 )を直接 参照していたとするのが妥当であろう。 【本文】 天文圖象玩占 日為太陽之精、 光明盛實而當盈、 布照四方君之象也。洪範傳曰、 日 者 天 之 象 也。 君 父 夫 兄 之 類、 中 國 之 應。 有 周 礼 十 輝 之 象。 皆 見 太 陽之旁。侵・象・ 觹 ・監・闇・ 瞢 ・弥・序・ 隮 ・想。 祲 氣、 侵 淫 相 侵。 祲 者 陰 陽 五 色 之 氣。 浸 淫 相 侵、 抱 珥 皆 玦 之、 属 虹西短、皆為侵。 象氣、成其形象。象者雲成形象、如赤鳥夾日以飛之類。 觹 、如童子所佩之 觹 。 觹 者日旁氣刺日、形如童子所佩之 觹 。 監、乃雲氣臨日上。監者雲氣在于日上。 闇者、日月食之而日或脱光。闇者日月食之、或脱光。 瞢 、則日無光而 瞢 。 瞢 昏暗、 瞢 者 瞢瞢 不光明也。 弥、謂白虹貫日而弥天。弥者白虹弥天而貫日。

(6)

序、 謂 冠 珥 重 叠 而 相 向。 序 者 氣 如 山 而 在 日 上。 又 云、 冠 珥 皆 璚 重 叠 次序于日旁。 隮 、暈虹而朝 隮 于西。 隮 者雲氣也。或曰、虹詩所謂朝 隮 于西是也。 想、 思想而似如何状。想謂氣五色有形象。青飢、 赤兵、 白喪、 黒憂、 黄熟。或曰、想者思也。赤氣為人狩之形、可想而知其吉凶。 會輯書目及各家占在于下巻之終 【出典】   『晋書』巻十二・志第二・天文志中( 『隋書』巻二十一・天文志下にも ほぼ同文) 日 為 太 陽 之 精、 主 生 養 恩 徳、 人 君 之 象 也。 人 君 有 瑕、 必 露 其 慝 以 告示焉。故日月行有道之国則光明、 人君吉昌、 百姓安寧。 (七曜条) 『 周 礼 』 眡 昆 氏 掌 十 煇 之 法、 以 観 妖 祥、 弁 吉 凶。 一 曰 祲 、 謂 陰 陽 五 色 之 気、 浸 淫 相 侵。 或 曰、 抱 珥 背 璚 之 属、 如 虹 而 短 是 也。 二 曰 象、 謂雲気成形、 象如赤烏、 夾日以飛之類是也。三曰 觿 、 日傍気、 刺日、 形如童子所佩之 觿 。四曰監、 謂雲気臨在日上也。五曰闇、 謂日月蝕、 或曰脱光也。 六曰 瞢 、謂 瞢瞢 不光明也。 七曰彌、 謂白虹彌天而貫日也。 八曰序、 謂気若山而在日上。或曰、 冠珥背 璚 、重疊次序、 在于日旁也。 九 曰 隮 、 謂 暈 気 也。 或 曰、 虹 也、 『 詩 』 所 謂「 朝 隮 于 西 」 者 也。 十 曰想、 謂気五色有形想也、 青饑、 赤兵、 白喪、 黒憂、 黄熟。或曰、 想、 思也、赤気為人狩之形、可思而知其吉凶也。 (十煇条) 『周礼』 眡 祲 氏掌十煇之法、 以観妖祥、 弁吉凶、 有 祲 ・ 象 ・ 鐫 ・ 監 ・ 闇 ・ 瞢 ・ 彌 ・ 序 ・ 隮 ・ 想凡十。後代名変、説者莫同。今録其著応以次之云。 (日蝕条)   『太白陰経』 (唐末に編纂された総合的な兵書・李筌著) 巻八・雑占総序 経日月者、 実也。 光明盛実、 布照四方、 神霊禦之、 葵 藿 向之。 太陽之精、 積 而 成 象、 光 明 外 発、 體 魄 内 含。 故 人 君 法 之、 吉 凶 禍 変、 則 必 照 臨下土。   『太平御覧』巻三・天部三 劉向『洪範伝』曰、 日者、 昭明之大表、 光景之大紀、 群陽之精、 衆 貴 之 象 也。 故 曰、 「 日 出 而 天 下 光 明、 日 入 而 天 下 冥 晦、 此 其 効 也。 」 故日者天之象、 君父夫兄之類、 中国之応也。明王之踐位、 群賢履職、 天下和平、 黎民康寧、 則日麗其精、 明揚其景耀、 抱珥重光、 以見吉祥、 君獲慶賀。 (三)後序   後 序 は、 第 四 冊 の 最 後 に 付 さ れ た、 本 書 の 締 め く く り 部 分 に 当 た る。 この序は大きく二つの段落に分けることが出来る。前半部は、本書編纂 の理由や本書が典拠とした書物 (『観象玩占』 『詳異賦』 など十余家の書) 、 書名の由来などが記されている。そのため、以下では本文の他に、前半 部の読み下しと訳を付した。出典は、後半部について一部だけ確認(完 全に一致するわけではない)できた。しかし、それでも見逃せない点が ある。それは、後半部の「日陽人君之象也。月陰后妃之象也」という出 典が確認できる部分である。なぜならば、この部分は、本書の内容に深 く関わる点があるからである。その後も 「故図日月変異之形状」 と述べ、 あくまでも「日月」にのみ言及している。これはつまり、本書が「日月 変異」を対象としていることを語っていることになるのである。この点 は、本書の成立を考える上で見逃せない点であり、詳しくは後述する。 【本文】 天文圖象玩占後序   夫天象者氣也。 乃陰陽五形之精、 生於太陽之旁。 样 變無窮占書雜涇。 然 載 其 名 而 未 載 其 形。 雖 占 無 拠、 以 是 為 非。 因 此、 今 将 觀 象 玩 占 詳 異 賦 等 十 餘 家 書、 都 類 集 在 一 處、 起 自 日 瑞 應 之 占。 析 成 二 百 四 占、 依 經 考 究、 採 為 慶 雲 瑞 氣 之 圖。 謹 按 諸 書、 註 其 样 異 休 咎 之 占、 名 曰 圖 象 玩 占。 俾 觀 者 一 覧 于 斯 常 變 之 道、 瞭 然 在 目、 則 崇 天 之 術、

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不亦神乎。謹識於後。   日陽人君之象也。 月陰后妃之象也。 君后動興天合。 故事機将發於下、 則天象、 光見於上、 吉也凶也。告報無 忒 欲君后脩省彌之。此天心仁 愛之深意也。故圖日月變異之形状、 旁考諸家經驗之占、 極其精密伎。 後世君 淂 之、 以為脩徳之戒。臣得之、 以為調變之助。夫豈小補哉吁。 天人感應之際、淵乎微矣。 【前半部読み下し】 夫 れ 天 象 は 氣 な り。 乃 ち 陰 陽 五 形 の 精、 太 陽 の 旁 に 生 ず。 样 ( 祥 ) 変 は 占 書 雜 涇( 注 ) を 窮 め る 無 し。 然 る に 其 の 名 を 載 せ て 未 だ 其 の 形 を 載 せ ず。 占 う と 雖 も 拠 る も の 無 け れ ば、 是 を 以 て 非 と 為 す。 此 れ に 因 り て、 今 『 觀 象 玩 占 』『 詳 異 賦 』 等 十 餘 家 の 書 を 将 て、 都 な 一 處 に 類 集 し て、 「 日 瑞 應 之 占 」 自 り 起 し て、 析 し て 二 百 四 占 と 成 し、 經 に 依 り て 考 究 し、 採 り て 慶 雲 瑞 氣 之 圖 を 為 す。 謹 し ん で 諸 書 を 按 じ て、 其 の 样 ( 祥 ) 異 休 咎 の 占 を 註 す。 名 づ け て 圖 象 玩 占と曰う。 【前半部訳】 天 象 は 気 で あ る。 そ の た め、 陰 陽 五 形 の 精 は 太 陽 の 傍 に 生 ず る の で あ る。 祥 瑞 変 異 に つ い て は、 占 書 雑 注 が 数 え 切 れ な い ほ ど あ る。 しかしながら、 その名称(説明もこれに含まれる)を載せて、 その 形状は載せてはいない。 占断を行おうとしても、 根拠とするもの (つ まり形状の図) が無いため、 例え是であっても非と見なしてしまう。 そのため、 今、 『観象玩占』 『詳異賦』など十余家の書をみな一所に 集成して、 そこから「日瑞応之占」から始めて、 二百四占(の占条) を 選 り す ぐ り、 経 典 に 依 拠 し て よ く 検 討 し、 ( そ の 中 か ら ) 採 録 し て( 各 条 の ) 慶 雲 瑞 気 の 図 を 作 っ た。 謹 ん で 諸 書( 占 書 雑 注 ) を 勘案して祥異休咎の占文を各占条に注記した。 名付けて 『図象玩占』 と言う。 【出典】 『晋書』巻十二・志第二・天文志中(七曜条) 日 為 太 陽 之 精 、 主 生 養 恩 徳 、 人 君 之 象 也 。 人 君 有 瑕 、 必 露 其 慝 以 告 示 焉 。 … 月 為 太 陰 之 精 、 以 之 配 日 、 女 主 之 象 。 以 之 比 徳 、 刑 罰 之 義 。 … ❹ 『天元玉暦祥異賦』について   前節において「御製序」が『天元玉暦祥異賦』の序を引き写している ことを指摘した。このことからも、本書が『天元玉暦祥異賦』と何らか の関係があることは明白であり、本書を理解するためにも、本節で『天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 に つ い て 簡 単 に 紹 介 し て お き た い。 な お、 『 天 元 玉 暦 祥 異賦』について言及する論考はさほど多くはないが、 先行研究としては、 早くは馮錦榮氏の研究 (4 ( があり、近年その不足を補った佐々木聡氏による 詳 細 な 研 究 (( ( が 発 表 さ れ た。 こ の 両 氏 の 研 究 に よ り、 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 を理解する手掛かりは格段に増えることとなった。本稿でも、両氏(特 に数多くの原本調査を行った佐々木氏の論考)に依るところが大きいこ と、あらかじめ了解して頂きたい (( ( 。 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 は、 明 代 に 編 纂 さ れ た 天 文 五 行 占 を 集 成 し た 術 数 類書である。 『仁宗実録』巻六・洪煕元年正月丙戌(十五日)条には、 賜三公及六部尚書 『天元玉暦 (祥) 異賦』 。上初得此書以示侍臣曰、 天 道 人 事 未 嘗 判 為 二 途、 有 動 於 此、 必 応 於 彼。 朕 少 侍 太 祖 毎 徴 以 慎修敬天。 朕未嘗敢怠。 此書言簡理当。 左右輔臣亦宜知之。 遂命印刊、 上親製序曰、… とあり、 『天元玉暦祥異賦』が仁宗の施策として行われたこと、それが、 秘蔵されることなく、臣下らに示され「印刊」が命じられたことがわか

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る (( ( 。このことから、佐々木氏は、実際には高位の臣下のみならず、比較 的広く頒布したのではないかと推測している。現在、日本 ・ 中国 ・ 台湾 ・ 韓国・アメリカに四十部以上の伝本があること、また、確認されていな い伝本があることも想定できることから (( ( 、佐々木氏の推測は妥当であろ う。   しかし、実は『天元玉暦祥異賦』は形式や内容は一様ではなく、形式 から大きく分けると以下の三つに分けることが出来る。 ( A)有図有注本…( a)彩色抄本、 ( b)刊本 ( B)無図有注本 ( C)無図無注本 佐々木氏が 「代表的形式」 と評するように、 (A) が 『天元玉暦祥異賦』 において最も伝本も多く、本書『天文図象玩占』を考える上で重要な役 割を果たしている。特に( a)は、本書同様に上下二段に分かれ、上段 に彩色で図が描かれ、下段に様々な書物から引用された占文が配されて お り、 本 書 と 同 形 式 で あ る。 こ の 形 式 で は、 基 本 的 に 主 文 に「 朱 文 公 曰」と記された文章が示され、その後占文が記されていく。また、 ( b) は( a)を簡略化したもので、 彩色はない。 (B) (C)はその名の通り、 共に図が無く、当然上下二段形式ではなく、本書とは形式を異にする。 こ れ ら の 成 立 の 先 後 関 係 に つ い て は 佐 々 木 氏 が 詳 細 に 検 討 し て い る。 佐 々 木 氏 に よ る と、 「 最 も 古 い 無 図 有 注 本 か ら 無 図 無 注 本 が 作 ら れ、 そ れを底本として明・仁宗のとき内府刊本が作られた。その後、改めて無 図無注本と無図有注本及び北宋 ・ 仁宗御撰の 『宝元天人祥異書』 を参考に、 新たに注釈を諸書から集めて、彩色抄本(有図有注本)が作られた」の であり、彩色抄本の成立時期は「仁宗崩御の前後」と想定している。つ まり、上記の記号で示すと(B)→(C)→(A)の順で成立したこと になる。   こ こ で、 佐 々 木 氏 の 文 中 で 触 れ ら れ て い る『 宝 元 天 人 祥 異 書 』 に つ い て 述 べ て お き た い。 『 宝 元 天 人 祥 異 書 』 は、 『 続 資 治 通 鑑 長 編 』 巻 一百二十五・宝元二年(一〇三九)十一月癸巳条に、 癸 巳、 以 皇 子 生、 燕 宗 室 於 太 清 楼、 読『 三 朝 宝 訓 』、 賜 御 詩。 又 出 『宝元天人祥異書』示輔臣。其書蓋上所集天地 ・ 辰緯 ・ 雲気 ・ 雑占、 凡七百五十六、釐三十門、為十巻。 と あ る よ う に、 北 宋 の 仁 宗 代 に 作 成 さ れ た 大 部 の 天 文 五 行 占 書 で あ り、 「 輔 臣 に 示 す 」 と い う 点 も『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 と 類 似 し て お り、 明 の 仁 宗は北宋の仁宗の事跡を意識していたとも考えられている。現在は、日 本 で は 宮 内 庁 書 陵 部 に 蔵 さ れ て お り( 函 架 番 号 四 〇 四 函 一 五 号 )、 佐 々 木氏の調査により台湾国家図書館に一部、上海図書館に三部存在してい る こ と が 明 ら か と な っ た。 こ れ ら は 全 て 本 書 や『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』( A ― a) 同様に、 上下二段の上図下文形式であり、 図も彩色が施されており、 やはり本書を考える上で見逃すことの出来ない書物である。 ❺ 『天文図象玩占』の原形   さて、先程来述べてきているように、本書の「御製序」が、多少の相 違点があるものの『天元玉暦祥異賦』の序とほぼ同じであることや上下 二段の上図下文形式であること、図には彩色が施されていることなどか ら、本書と『天元玉暦祥異賦』との関係は密接なものであったことがう かがえる。このことは、 後序に「此れに因りて、 今 『観象玩占』 『詳 ママ 異賦』 等十余家の書を将て、 都な一処に類集して」とあることから、 編者は『観 象玩占 (( ( 』『 (天元玉暦)祥異賦』を見ていることが明らかである。そのほ か、 序 文 の 出 典 か ら『 晋 書 』 天 文 志( 『 隋 書 』 天 文 志 ) な ど も 参 照 し て いたであろうことが推定できる ((1 ( 。そこで、今一度引用書目に目を向けて みると、第三冊に「朱文公」が数多く引用されていることに気が付くで

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あ ろ う。 前 節 で 述 べ た よ う に、 「 朱 文 公 」 は『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 の 特 徴 であり ((( ( 、少なくとも第三冊が『天元玉暦祥異賦』の影響下に成立したこ とがうかがえるのである。   そこで、 本書全体と 『天元玉暦祥異賦』 (内閣文庫の彩色十冊本を参照) と を 詳 細 に 比 較 検 討 し て み る と、 本 書 第 二 冊 と 第 三 冊 は、 図 案・ 内 容・ 項目ともに 『天元玉暦祥異賦』 とほぼ同じであることが明らかとなった。 そして、内閣本を例に取ると、本書第二冊は十冊の内の第八冊に、本書 第 三 冊 は 第 五 冊 に そ れ ぞ れ 相 当 し て い る。 ち な み に、 東 洋 文 庫 本 で は、 本書第二冊は、 一つは第九冊(明本) 、一つは第七冊(朝鮮本)に相当し、 本書第三冊については、共に第五冊に相当していることが判明した。す ると、本書第三冊の最後に記されている「第五冊終記三十六葉」は、明 本の『天元玉暦祥異賦』十冊本の第五冊のことを指すと思われ、 第二冊 ・ 第三冊は『天元玉暦祥異賦』中の一冊をそれぞれ写したものだというこ とは明らかである。伝存する『天元玉暦祥異賦』の全てが同一構成を取 るわけではないため、 本書は内閣本十冊本と同系統の『天元玉暦祥異賦』 を写した可能性が考えられると、 ひとまずは言うことができるであろう。   し か し、 問 題 な の は 本 書 第 一 冊 と 第 四 冊 で あ る。 両 冊 に は「 朱 文 公 」 からの引用はなく、なによりも『天元玉暦祥異賦』とは合致しないので ある。一例を挙げて説明しよう。 燭耀(図 4) 宋 志 曰、 聖 人 在 上、 群 賢 履 職、 乗 土 徳 旺、 其 政 太 平、 則 五 色。 其 五行之色備具、燭耀不主于一也。 京房曰、聖人在上、寅亮天工、則日之光明五色備具。   本項目は、本書第一冊に含まれており、項目名は「燭耀」である。上 段では、 太陽が中心にあり、 上下に雲が描かれている。背景は浅葱色で、 図 4 『天文図象玩占』第一冊・燭耀 太陽は赤で色付けされ、太陽から赤・青・黄の線が放射線状に延びてい る。太陽上の雲は、左上は黄色で、右上は上部が青、下部が赤で塗られ ている。また、太陽下の雲は最内部が赤で、外部は青色である。その間 は、 背景と同色となっている。下段では、 「宋志」と「京房」が引用され、 その内容が示されている。共に、聖人が治世を行っていると、日の光が 五色で耀くと説明されている。すなわち、図と文が対応していることが わかるであろう。 続いて、 『天元玉暦祥異賦』 (内閣十冊本。但し、 図は岩瀬文庫本[分 類 番 号 一 一 四 ― 二 二 ] を 掲 示 ) の 相 当 部 分 を 見 て み よ う( 傍 線 部 が 異 な る部分。以下、同様) 。 聖人在上占(図 () 朱文公曰、聖人在上、五色燭耀 。 宋 志 曰、 聖 人 在 上、 群 臣 履 職、 乗 土 徳 王、 其 太 平、 則 五 色。 倶 燭 耀至於一也。 京房曰、聖人在上、寅亮天工、則日之光明五色備矣。

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  注 目 す べ き は、 項 目 名 が「 聖 人 在 上 占 」( 岩 瀬 文 庫 本 は「 聖 人 在 上 吉 占」 )と、本書と異なっていることであり、かつ、 「朱文公」を引用して いることである。さらに、上段の図案も異なっている。本書では、単に 太陽と雲だけの表現であったものが、官服らしきものを纏った人物(恐 らく聖人であろう)が中心に描かれ、背後に山が描かれ、太陽はその山 の上にあり、また太陽の回りに五色の雲が描かれている。また、本書で は描かれていなかった建物や樹木も描き込まれている。内閣本以外の諸 本も多少の相異があっても基本的には図案は内閣本と同じであり、本書 よりも複雑な図案となっている。   続いて、 『天元玉暦祥異賦』に影響を与えた『宝元天人祥異書』 (宮内 庁本を参照)とも比較してみよう。 聖人在上則五色燭耀占(図 () 宋 志 曰、 聖 人 在 上、 群 臣 履 職、 来 土 徳 王、 其 太 平、 則 五 色。 備 具、 倶燭耀至于一也。 京房曰、聖人在上、寅亮天工、則五色備矣。   ここでは、 図案は本書に近く、 人物や建物は描かれていない。また、 「朱 文 公 」 が 引 用 さ れ て お ら ず、 本 項 目 に 関 し て は、 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 よ りも『宝元天人祥異書』に近いことがわかる。但し、本書にはない山が 描かれており、本書と必ずしも一致するわけではない。また、何よりも 項目名が異なっており、この点は見逃すことの出来ない相異であると考 える。   このように、第一冊と第四冊の内容は、関連する項目があったとして も『天元玉暦祥異賦』や『宝元天人祥異書』とは合致せず、また、上記 のように関連する項目すらないものも見られる。また、後序で言及され ている『観象玩占』とも本書は合致しない。 『観象玩占』 (蓬左文庫本を 参照した)は、一部(巻一~十)に天文図・星宿図が載るが、それ以外 では図は記されず、また上下二段組でもないため、本書をここから作成 することは不可能である。すなわち、第一冊と第四冊については出典が 図 5 西尾市岩瀬文庫蔵『御製天元玉歴祥賦』・ 聖人在上吉占 図 6 宮内庁書陵部蔵『宝元天人祥異書』第二冊・ 聖人在上五色燭耀占

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不明なのであり、第二冊・第三冊のように『天元玉暦祥異賦』を直接写 したとは、言うことができないのである。一体このことはどのように考 えればいいのだろうか。   そこで、今一度、第一冊と第四冊を見てみると、第二冊・第三冊には 見られない共通する特徴があることがわかる。それは、目録の存在であ る。通常目録は、全体の冒頭部分にのみ付されるものであるが、本書で は何故か第一冊と第四冊の両冊冒頭に付されている。第一冊の目録は第 一冊に収載された各項目が、第四冊も同様に第四冊に収載された各項目 が目録化されているのであり、対応関係は明確である(但し、多少の誤 脱はある) 。となると、 第二冊 ・ 第三冊にも目録が付されるべきであるが、 それがないのである。   そして、さらに重要なのが、第一冊と第四冊に収載された項目の特徴 である。両冊に収載され、占文が付されているのは全て日・月の雲気占 で あ る の に 対 し、 第 二 冊・ 第 三 冊 は 五 星 や 星 宿 の 雲 気 占 と な っ て い る。 ここで今一度序文と後序の記載を思い出して頂きたい。序文では、本書 を説明する際に日に関することだけが記されており、後序でも問題とし て い た の は、 日 と 月 の こ と の み で あ る。 本 書 全 体 に 関 わ る は ず の 序 文・ 後序が言及しているのは、 実は第一冊と第四冊に関することだけであり、 第二冊・第三冊の内容には全く触れられていないのである。   さ ら に、 後 序 の「 析 し て 二 百 四 占 と 成 し 」 と あ る 数 も 問 題 で あ る。 試 み に、 第 一 冊 と 第 四 冊 の 項 目 数 を 数 え て み る と、 第 一 冊 が 一 〇 七 項 目、第四冊が一〇六項目の合計二一三項目となる。但し、本文の記され た 丁 数( 一 丁 二 項 目 ) で 計 算 す る と、 第 一 冊 が 一 〇 四 項 目、 第 四 冊 が 一 〇 二 項 目 の 合 計 二 〇 六 項 目 と な る。 多 少 の 誤 差 は あ る も の の、 「 析 し て二百四占と成し」は、 第一冊と第四冊を合計した数であったのである。 やはり、後序は両冊のことにしか言及していないことがわかる。   以上の点を総合して考えられることはただ一つ。それは、第一冊と第 四冊のみが元来の『天文図象玩占』であり、第二冊・第三冊はそれに後 か ら 付 さ れ た も の で あ る と い う こ と で あ る。 序 文 に は、 「 会 輯 書 目 及 び 各 家 の 占 は 下 巻 之 終 に 在 り 」 と い う 言 葉 が あ り、 「 下 巻 」 と い う 表 記 か ら上下二巻であった可能性が考えられることもこのことを傍証する。す なわち、本書『天文図象玩占』は本来は上下二冊(もしくは二巻)で作 成された日月の雲気占が記された書物であったと考えられるのである。   そのように考えると、成立に関して三つの可能性が考えられる。一つ は、編者が独自に図・文章を付したこと、二つは、藍本が存在し、編者 はただそれを写しただけであること、三つは、藍本は存在するが、編者 がそれを独自に編纂し直したことである。藍本の有無であるが、 本書は、 後序に「 样 (祥)変は占書雜涇(注)を窮める無し。然るに其の名を載 せて未だ其の形を載せず。占うと雖も拠るもの無ければ、是を以て非と 為す」とあることから、図の存在は占う際に必須であるという考えがう かがえる。すなわち、図なしでは本書は成立しえないのであり、本書作 成 の 目 的 も こ こ に あ る の で あ ろ う。 こ の こ と は、 「 此 の 書 は 言 簡 に し て 理当なり。左右の輔臣、 亦た宜しく之を知るべし」 (明 『仁宗実録』 巻六 ・ 洪 煕 元 年 正 月 丙 戌 条 ) と あ る、 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 の 編 纂 目 的( 学 習 に 便がよい)ともリンクするだろう。但し、本書の図は彩色もあり、また 数も多く図を独自に描くことは難しいと考えられ、何らかの手本があっ たとみるのが妥当だと考える ((1 ( 。   そして、第一冊・第四冊の配列が実は『天元玉暦祥異賦』の配列・項 目に近いものがあるのも事実である。第一冊の四十九オ「提気」 (『天元 玉 暦 祥 異 賦 』「 日 旁 提 気 占 」) →『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』「 雜 気 刺 日 占 」 → 第 四冊の四オ「重抱気」 (『天元玉暦祥異賦』 「日旁重抱両珥占」 )と、冊を 跨 い で 一 応 配 列 が つ な が る ((1 ( 。 ま た、 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 と 文 章 が 完 全 に 異なるわけではなく、さらには、本書には『天元玉暦祥異賦』の序とほ ぼ 同 文 の「 御 製 序 」 が 付 せ ら れ て お り、 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 の 影 響 を 排

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除することはできない。これらの点から、第一冊と第四冊は、現存する 『天元玉暦祥異賦』の別系統の可能性も考えられることになる。   しかしながら、両書の決定的な相異は、本書第一冊・第四冊では『天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 の 特 徴 で あ る「 朱 文 公 」 を 引 用 し て い な い こ と で あ る。 また、先ほど確認したように図も『天元玉暦祥異賦』よりシンプルであ る。そう考えると、 『天元玉暦祥異賦』より以前の成立で、 「朱文公」を 引 用 し て い な い『 宝 元 天 人 祥 異 書 』 の 別 系 統 の 可 能 性 が 考 え ら れ よ う。 但 し、 こ れ に も 問 題 が あ る。 一 つ は、 「 御 製 序 」 の 存 在 で あ る が、 こ の 点は、第二冊・第三冊を付した際に付け加えられたと考えれば、解決で きる ((1 ( 。しかし、配列・項目は『天元玉暦祥異賦』のほうがより重なると い う 点 は 注 意 し な く て は な ら な い。 『 宝 元 天 人 祥 異 書 』 で は、 本 書 は 作 成できないのである。   以 上 の 点 を 踏 ま え て 考 え る と 決 定 的 な こ と は 不 明 と す る ほ か な い が、 可能性の一つとして、 本書の存在によって、 現存する『宝元天人祥異書』 とは配列・項目が、より『天元玉暦祥異賦』に近いものが存在していた のかもしれないということは言えるであろう。もし、そうならば、本書 はそれを窺い知ることのできる天下に残された大変貴重な孤本というこ とになるのである。 ❻ 『天文図象玩占』の日本への伝来と成立の問題   蓬 左 文 庫 は、 「 は じ め に 」 で 述 べ た よ う に、 尾 張 徳 川 家 が 収 集 し た 書 籍を中心に構成されている。この文庫 (書庫) は 「御文庫」 と総称され、 多くの蔵書目録が作成された。蔵書目録は古いものは廃棄されるのが普 通であったが、尾張徳川家の場合は、比較的多くの蔵書目録が幸いなこ とに現在に伝えられている。蔵書目録は「御書籍目録」 (寛永目録) ・「御 文庫御書目録」 (寛政目録) ・「尾張御文庫御書目」 (文化十三年目録)な ど様々な名称が付けられているが、本稿では括弧内で示した「年号+目 録」で呼称することとする ((1 ( 。   さ て、 本 書 が 蔵 書 目 録 に 初 め て 登 場 す る の は、 「 天 明 二 年 目 録 ((1 ( 」 に お いてである。そこでは単に「天文図象玩占   写本   四冊」と記されてい る だ け で、 そ の 来 歴 は 不 明 で あ る が、 「 寛 政 目 録 ((1 ( 」 に そ の 詳 細 が 記 さ れ ている。 一、天文図象玩占   二百六十九   写本   四冊 此 御 本 享 保 六 年   御 本 丸 ヨ リ 出 候 御 本 之 内 ニ 有 之。 享 保 御 目 録 ニ ハ 雲 氣 書 六 冊 と 有 之 候 得 共、 右 六 冊 之 内 二 冊 ハ、 源 敬 様 御 書 物 之 内、 史異編之内 ニ 而御座候付、今般相訂申候。   本 書 は「 御 時 代 不 詳 御 書 籍 」 の 一 つ と し て 収 載 さ れ て い る の で あ る が、ここに記された経緯によると、本書は享保六年(一七二一)に「御 本丸」から出した御本の内にあった。享保の目録には「雲気書六冊」と あるが、 そのうち二冊は源敬様(初代当主徳川義直)の書物のうち、 『史 異編』の内にあたるため、今回訂正したとのことである。 「御本丸」は、 享保六年以前は書物奉行の管轄外であった書物を、書物奉行に引き継い だものであって、来歴不明のものもあるが、義直・光友の蔵書と判明す る書籍も少なくないとされているものであり ((1 ( 、本書もまた義直・光友の 蔵書であった可能性が高い ((1 ( 。この記述で注目すべきは、享保の目録では 「 雲 気 書 」 の 書 名 で 記 載 さ れ て い た こ と、 そ れ が 六 冊 で あ っ た が そ の う ち二冊は『史異編』のものであり本来は四冊であったことである。後者 に関して、同じく「寛政目録」には、以下のようにある( 「敬公(義直) 書籍」として収載) 。 一、史異編   百四十五   唐本   六冊 此 御 本 寛 永 五 年 辰 御 買 上、 寛 永 慶 安 御 目 録 ニ 史 異 六 冊 と 記 し 有 之。

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享 保 御 目 録 ニ ハ 史 異 編 四 冊 と 記 し 有 之。 寛 保 改 之 節、 史 異 六 冊 之 御 本 不 相 見 候 付、 当 時 無 御 座 由 之 御 目 録 ニ 書 載 申 候 得 共、 其 後 史 異 編 四 冊 之 御 本 見 出、 此 御 本 之 事 相 知 候 と 相 見、 寛 永 御 目 録 へ 二 冊 不 見 之 書 込、 寛 保 御 目 録 ニ 史 異 編 四 冊 辰 年 御 買 上 と 書 載 申 候。 今 般 吟 味 仕 候 処、 享 保 六 年 御 本 丸 ヨ リ 出 候 御 本 丸 之 内 ニ 雲 気 書 六 冊 有 之。 右之内四冊ハ赤表紙、 二冊ハ玉子表紙之由、 享保御目録ニ書付有之。 寛 保 安 永 之 御 目 録 相 准 し 来 候。 天 明 二 年 改 之 節 如 何 い た し 候 事 ニ 哉。 右 六 冊 之 内 玉 子 表 紙 二 冊 ハ 瑞 竜 院 様 御 隠 居 ノ 後 御 書 目 之 内 江 祥 異 図 説 二 冊 と 書 加、 雲 気 書 六 冊 を 四 冊 と 張 訂 申 候 付、 享 保 寛 保 之 御 目 録 吟 味 仕 候 処、 瑞 竜 院 様 御 隠 居 ノ 後 御 書 籍 之 内 ニ 祥 異 図 説 ハ 無 御 座 候、 段 々 吟 味 仕 候 得 共、 此 二 冊 ハ 史 異 編 四 冊 之 御 本 と 大 小 綴 糸 紙 等 迄 全 同 物 尓 而 全 部 無 紛 相 見 申 候。 元 合 刻 六 冊 ニ 而 寛 永 慶 安 御 目 録 ニ 六 冊 と 記 し、 其 後 二 冊 被 召 上 御 本 丸 ニ 納 申 候 付、 享 保 御 目録以来四冊 ニ 相成候事と相見申候、仍而相訂申候。   こ れ に よ る と、 『 史 異 編 』 は、 寛 永 五 年( 一 六 二 八 ) に 買 い 上 げ、 寛 永・慶安の目録には「史異六冊」と記載されていた。しかしながら、享 保の目録には「史異編四冊」とあり、冊数に齟齬が生じていた。寛保の 点検時に「史異六冊」を見付けられなかったので、その旨を目録に書い たのだが、その後、四冊だけを見付けたので、当該書だと思い、寛永の 目録に「二冊は見当たらない」との書き込みをして、寛保の目録に「史 異編四冊辰年御買上」と書き記した。そして、寛政の調査において、享 保六年に本丸から出た書物である「雲気書六冊」に対して、天明二年の 調査で、これら六冊のうち二冊を光友(瑞竜院様)の目録中に「祥異図 説 」 と 書 き 加 え、 「 雲 気 書 」 六 冊 を 四 冊 と 訂 正 を し た こ と が 判 明 し た が (このとき、 書名を「天文図象玩占」としたとの記述はなく、 上記の「天 文 図 象 玩 占 」 の 項 目 と の 書 名 の 齟 齬 が 見 ら れ る )、 享 保・ 寛 保 の 点 検 で は光友の蔵書には「祥異図説」が無かったので、両者の相異の原因を調 べたところ、その二冊が実は『史異編』の一部であると判明した。つま り、元々六冊だったもののうち、二冊が本丸に召し上げられたため、享 保目録以来四冊となっていたことがわかったのであり、そのため訂正し たのだという。そうなると、ここに記された「御本丸」に召し上げられ た二冊が、上述した『天文図象玩占』の項目に記された「雲気書」に紛 れ込んでいた二冊ということになる。この二冊が「雲気書」 、すなわち、 『天文図象玩占』 に含まれて一書とみなされていた理由であるが、 それは、 『史異編』全六冊の内、第五冊・第六冊は『天元玉暦祥異図説』 (上記し たA ― bに相当する) だからだと思われる (11 ( 。実際、 蓬左文庫蔵の 『史異編』 第五冊・第六冊は、外題が「祥異圖説」と記され、細字で「史異編六冊 之内」と記されている(上記から天明二年の調査で書き加えられた可能 性 が 考 え ら れ よ う )。 そ し て、 こ れ は 彩 色 で は な く、 本 書 に 含 む に は 躊 躇するものではあるが、上図下文形式で、かつ、雲気占などが含まれて いることから同一のものと判断したのかもしれない。それを寛政の調査 で改めて確認し、分類したのであろう (1( ( 。   となると、本書や『史異編』は共に、初代藩主徳川義直、もしくは二 代光友の時に入手したものであったということになる。蓬左文庫の形成 母体の一つは、徳川家康が駿府において収集した書籍が家康の死後、御 三家に分配されたいわゆる「駿河御譲本」である。駿河御譲本は、全体 の七割が中国・朝鮮から将来した書籍であり、その中でも朝鮮本が漢籍 の半数以上を占めるという特徴を持っている。この駿河御譲本を相続し た義直と続く光友は、自らも多くの書籍を買い求めるなどして、文庫の 充実に努めた。特に漢籍の割合が高いのだが、駿河御譲本とは異なり中 国版本が激増しており、中国からの輸入本(唐本)を積極的に求めてい たことがわかる。こうした収集過程で、本書や『史異編』が尾張藩に持 ち込まれた(購入・献上・召上など)のであろう。

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  しかし、一つ気になることがある。 『史異編』には、 「唐本」 「御買上」 と明確に中国からの輸入本を購入したことがわかるのであるが、本書に 関してはそうした類の記載が見られない (11 ( 。それは、本書が朝鮮本に多い 「 五 つ 目 綴 」 と い う 綴 じ 方 を し て い る こ と も 相 ま っ て、 本 書 が 作 成 さ れ た場所(これは尾張徳川家に持ち込まれた経路にも関わる)が問題とな ってくるのである (11 ( 。上記したように、本書は元来二冊本であったものを 四冊に組み替えている。果たして、そうした作業がいつ・どこで行われ たのかが問題となるのである。   まずは、朝鮮本である可能性を考えてみたい。ここでは二つの可能性 が考えられる。一つは、中国大陸(明以降)で編纂され朝鮮半島に伝来 したものを装丁し直した可能性であり、二つは朝鮮半島で編纂された可 能 性 で あ る。 こ の 場 合 は、 朝 鮮 半 島 で 独 自 に 編 集・ 作 図 さ れ た 場 合 と、 朝鮮半島で藍本を元に編集した場合との二通りが考えられる。後者の可 能性を疑わせるのは、 「御製序」のあり方である。 「御製序」は『天元玉 暦 祥 異 賦 』( A― a) と ほ ぼ 同 文 で あ る が、 管 見 の も の は、 全 て「 御 製 天 元 玉 暦 祥 異 賦 序 」 と 正 式 名 称 を 記 し て お り、 「 御 製 序 」 と 省 略 し て 記 す の は 本 書 の み で あ る。 ま た、 「 洪 熙 元 年 正 月 十 五 日 」( 内 閣 本 は 五 月 ) と い う 年 代 も 本 書 の み 書 か れ て お ら ず、 「 御 製 序 」 が や や 適 当 に 作 成 さ れた感じを受ける。果たして、明代に皇帝御製の序を軽く扱うこのよう な行動が許されるのかと疑問になる。もし、朝鮮半島で真似て付された の な ら ば、 合 点 が い く。 ま た、 『 古 鮮 冊 府 』 に「 天 元 玉 暦 祥 異 賦 」 が あ り (11 ( 、こうした占書が朝鮮半島に伝来していたことが確認できる上に、ハ ングルで書かれた絵入り占書である『唐四柱』は、中国の書物『演禽斗 数 三 世 相 』『 大 易 断 例 卜 筮 元 亀 』 な ど と の 共 通 性 が 確 認 で き る と い う (11 ( 。 朝鮮半島で、中国から伝来した占書を独自に編纂し直すことがあること がわかるであろう。   このように、 朝鮮半島で作成、 もしくは改装された書が日本に伝来し、 尾張徳川家へと入った可能性はあるのだろうか。江戸時代を通して、朝 鮮半島と深い関わりがあったのは、対馬藩宗家である。宗家が幕府官学 の林家へも朝鮮本を貸し出していることはすでに指摘されており (11 ( 、内閣 本の『天元玉暦祥異賦』が昌平坂学問所旧蔵本(但し、明本)であるこ とから、こういったルートも考えられる。但し、藤本幸夫氏によると宗 家蔵本はほとんど全て渋引き褐色表紙に改装されているというが (11 ( 、本書 は丹表紙であり、これに合致しない。果たして、本書を朝鮮本として考 えても良いのだろうか。   それを考える上で重要なのが、第二冊・第三冊がいつ付け加えられた のかという問題である。この問題を解く鍵が用紙形態にある。具体的に は、どこに項目名が記されているのかという点にある。各冊の項目名記 載箇所を見てみると、第一冊は、上段には図のみが記されており、下段 右 端 に 項 目 名、 続 い て、 占 文 が 記 さ れ る 構 成 と な っ て い る( 図 (・ (・ 4参 照 )。 第 二 冊 は 途 中 ま で 第 一 冊 と 同 じ 構 成 を 取 っ て い る が、 五 十 三 オ「雲気入天厠星占」から、項目名が上段図の右端に記されるようにな り( 図 (参 照 )、 第 三 冊 も 全 て 上 段 図 右 端 に 項 目 名 が 記 さ れ る 形 態 と な っている。しかし、第四冊になると、再び第一冊と同様に下段右端に項 目名を記す形態に戻っているのである。   すなわち、第一冊と第四冊が同一書である以上、まず、第一冊・第四 冊 を 書 い た。 そ の た め、 両 冊 の 用 紙 の 形 態 は 同 じ な の で あ る。 恐 ら く、 ある程度余分に用紙を作成していたのであろう。その余った紙で第二冊 を写していたが、途中で紙が切れ、改めて作成した際に、用紙の形態が 少し変化してしまったのではないだろうか。まとめると、第一冊→第四 冊→第二冊(途中で用紙変更)→第三冊の順で書き継いでいったのであ る。   こ の こ と を 傍 証 す る の が、 第 二 冊 に 発 生 し た 項 目 配 列 の 錯 簡 で あ る。 内閣本『天元玉暦祥異賦』によると、 五十三オの項目「雲気入天厠星占」

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の前に、 「雲気入參宿占」 「雲気入玉井星占」がある。ところが、この両 項目が本書第二冊では、六十三オ・ウの第二冊末尾に置かれている。も ち ろ ん、 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 の 項 目 配 列 は、 伝 本 に よ っ て 確 か に 異 な り この点を根拠とするのは問題があると考える向きもあろうが、その点に 注目して管見・比較をした諸本(内閣本・東洋文庫本[二種。明抄本と 朝 鮮 本 ]・ ソ ウ ル 大 本 ) で は、 こ の 配 列 ― 雲 気 入 參 宿 占 → 雲 気 入 玉 井 星 占→雲気入天厠星占―は全て同じであった。 そのため、 『天元玉暦祥異賦』 は基本的に全ての伝本でこの配列を持っていると考えられ、本書での錯 簡は、用紙変更の際に発生したと考えるべきであろう。   いずれにせよ、本書の書写順序が上記の通りだとすると、本書全四冊 は全て同一箇所にて作成された可能性が高い。果たして、それが中国大 陸であったのか、それとも、朝鮮半島であったのか。筆者は前者の可能 性が高いと考えている。 理由の一つは上述した表紙の色の相異であるが、 も う 一 つ は 本 書 が「 五 つ 目 綴 」 で あ る こ と あ り、 さ ら に は「 寛 政 目 録 」 の記述である。 「寛政目録」から享保の目録では本書の名称が「雲気書」 とされていることがわかるのであるが、この点は極めて重要である。な ぜならば、現存している『天文図象玩占』には、明確に表紙上に「天文 圖 象 玩 占( 共 四 )」 と 外 題 が 墨 書 で 記 さ れ て い る か ら で あ る。 も し、 享 保 目 録 の 筆 録 者 が 現 存 本 書 の 外 題 を 見 て い た ら、 「 雲 気 書 」 と い う 名 称 を目録に付すことはないであろう。すなわち、享保目録作成時には、本 書 に は 外 題 が 記 さ れ て い な か っ た か、 「 雲 気 書 」 と い う 外 題 の 記 さ れ た 表 紙 を 有 し て い た と 考 え る べ き で あ ろ う。 そ う な る と、 「 享 保 目 録 」 作 成後から「天明二年目録」が作成された時期までの間に、本書に『天文 図象玩占』という名称が外題に加えられて、表紙に記されていたという ことになる。この時に、恐らくすでに古くなっていた表紙が付け替えら れ、 「五つ目綴」に改装されたのではないだろうか (11 ( 。   蓬左文庫に所蔵される明本をランダムに取り上げて調査した結果、全 てが明本に最も多い形態である「四つ目綴」であった (11 ( 。上記で取り上げ た『史異編』や『祥異図説』も同様である。これに対し、義直編纂書で あ る『 神 祇 宝 典 』( 請 求 番 号 一 三 〇 ― 一 五 ) や 藩 の 命 令 に よ り 編 纂 さ れ た 尾 張 国 の 地 誌 で あ る『 尾 張 志 』( 請 求 番 号 一 三 七 ― 一 )、 ま た 蔵 書 目 録 類の中にも「五つ目綴」のものがある (11 ( 。尾張藩で作成された書物の中に は、 「五つ目綴」で作成されたものが確実に存在するのである。   以上の諸点を総合的に考えてみると、本書は中国で作成され日本に輸 入された明本であり、購入・献上・召上など方法は不明であるが、初代 義直、もしくは二代光友の時代に尾張徳川家に持ち込まれ、しばらくの 間は藩主の元に置かれていた。この時は、多くの明本と同様に「四つ目 綴」であり、外題は記されていないか、もしくは「雲気書」と記されて いた。その後、享保六年に本丸から書庫に写され、この時六冊本ではな く四冊本であることの確認がなされ (1( ( 、天明二年の目録作成の頃までには 表紙が付け替えられ、外題に「天文圖象玩占」との表記が付け加えられ たものであったということになろう (11 ( 。 おわりに   以上までで、本書の紹介と成立・伝来の問題を検討した。これまで本 書は彩色本であり、なおかつ保存状態もよいため (11 ( 、蓬左文庫の展覧会な どで展示されることはあったが、詳細に検討されることはなかった。本 稿の検討で全てが明らかになったわけではないが、本書(特に第一冊と 第 四 冊 の 原『 天 文 図 象 玩 占 』) が「 天 下 の 孤 本 」 と 称 す る こ と も で き る ような内容を持つ、貴重な書物であることは指摘できたのではないかと 思う。   最後に一つ付言しておきたい。本書は所蔵されるだけで、利用された 形跡はない。しかし、利用されなかったからとはいえ、それが必要なか ったということではない。本書の検討から、東アジア地域における本書

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( ()  蓬 左 文 庫 に つ い て は『 蓬 左 文 庫 ― 歴 史 と 蔵 書 ―』 ( 名 古 屋 市 蓬 左 文 庫、 二〇一四年)による。 ( ()   カッコ付きは上段に図が描かれてはいるが、項目名・占文が載せられていない ものである。項目名は、 『天元玉暦祥異賦』 (内閣本)から類推した。 ( ()   馮 錦 榮「 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 小 考 ― 占 星 術 の 対 象 と な っ た 天 体・ 気 象 現 象 を 中 心 に 」( 山 田 慶 兒・ 田 中 淡 編『 中 國 古 代 科 學 史 論 續 編( 天 文 學 數 學 )』 、 京 都 大 学人文科学研究所、一九九一年) 。 ( 4)   前掲 (馮論文。 註 関 連 書『 宝 元 天 人 祥 異 書 』『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 の 受 容・ 展 開 の 様 相 が 見 て 取 れ、 東 ア ジ ア 地 域 に お け る 書 物 の 流 通・ 流 布 の 多 様 性 を 確 認 す る ことができた。このことは、日本国内における「漢籍」 (唐本・朝鮮本) の位置を考えるとともに、東アジア全体における本書・本書関連本、ひ いては「漢籍」全体の位置づけに注目すべきことを志向させる可能性を 持っている。そしてさらに言うなれば、本書を輸入し所蔵・伝存してい くことは、本書を東アジア文化として受容していることを意味している のであって、 「占い」 「占書」に対する東アジアの認識の問題を考える契 機ともなると思われるのである。しかし、それは今後の課題として、こ こでひとまずこの拙い論を擱筆したい。 【 付 記 】 本 稿 執 筆 に 際 し て、 全 文 翻 刻・ 図 版 掲 載 を 許 可 し て 下 さ っ た 名 古屋市蓬左文庫、図版掲載を許可して下さった西尾市岩瀬文庫・宮内庁 書陵部の他、国立公文書館・公益財団法人東洋文庫・上海図書館・ソウ ル大学奎章閣など資料の閲覧を快く許可して下さった諸機関に改めて謝 意を表します。また、 『天元玉暦祥異賦』の情報を提供して下さった佐々 木聡氏や様々な研究会 ・ シンポジウムなどの場でご教示下さった皆様に、 この場を借りて感謝申し上げます。 ( ()   佐 々 木 聡「 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 の 成 立 過 程 と そ の 意 義 に つ い て 」( 『 東 方 宗 教 』 一二二、 二〇一三年) 。 ( ()   筆 者 も 佐 々 木 氏 と は 別 に 諸 本 調 査 を 行 っ た。 本 稿 に は、 筆 者 の 実 見 し た 知 見 も含まれている。なお、 念のため、 調査した諸本を挙げておくと、 名古屋市蓬左 文 庫( A― b二 種 )、 国 立 公 文 書 館( A a、 A b、 C各 一 種 )、 公 益 財 団 法 人 東 洋 文 庫( A― a二 種、 う ち 一 種 朝 鮮 本。 A― b一 種。 C一 種 朝 鮮 本 )、 西 尾 市 岩 瀬 文 庫( A― a一 種、 朝 鮮 本 )、 中 国 上 海 図 書 館( A― a二 種 )、 韓 国 ソ ウ ル大学奎章閣 ( A― a一種、 C二種、 全て朝鮮本) となる。記号は本文参照のこと。 ( ()   なお、現在の残る諸本には、多く「洪煕元年正月十五日」の日付が記載されて いる。 ( ()   時折、日本や中国で『天元玉暦祥異賦』と思われる書物がオークションに掛け られていることからそのことは裏付けられよう。 ( ()   唐の李淳風撰と言われるが、後世の仮託である。 ( (0)   「十余家」が具体的に何を指すのかは、残念ながら不明とする他はない。 ( (()   この「朱文公」は朱子とは直接関係がないことがすでに馮氏によって指摘され て い る が、 佐 々 木 氏 は 更 に 一 歩 進 め て、 金 末 元 初 の 岳 熙 載 の 作 で あ る こ と を 指 摘している。 ( (()   上下二段(上図下文)構成をとる形式は、天文書・占書を例に取ると、古くは 馬王堆漢墓出土帛書 (馬王堆帛書) の 「天文気象雑占」 や敦煌文書 P二五一二 「星 占 残 巻 」 に も 図 が 残 さ れ て お り、 日 本 に 伝 存 し て い る「 三 家 簿 讃 」( 京 都 府 総 合 資料館蔵 ・ 若杉家文書)などが挙げられる。また、蓬左文庫も所蔵している『大 易 断 例 卜 筮 元 亀 』( 請 求 番 号 一 〇 一 ― 一 九 ) は、 図 に は 彩 色 が 施 さ れ て お り、 中 国 に お い て 伝 統 的 な 書 式 の 一 つ で あ っ た。 天 文 書・ 占 書 以 外 で も、 敦 煌 文 書 P 二 〇 一 〇「 観 音 経 図 巻 」、 P二 六 八 三「 瑞 応 図 画 巻 」 な ど は、 上 図( 彩 色 ) 下 文 形式を取っており、広く行われていたことが確認できる。 ( (()   但 し、 第 一 冊 で は 四 十 九 ウ 以 降、 出 典 が 不 明 と な る た め、 『 天 元 玉 暦 祥 異 賦 』 を直接参照していないことは明らかでもある。 ( (4)   但し、 「御製序」と序文冒頭が一紙で表裏の関係であることは気になる。 ( (()   尾張徳川家の蔵書目録に関する基本的な知識は、杉浦豊治「諸『御文庫御書物 目 録 』 ― 自 寛 永 至 天 保 約 二 百 年 間 の 蔵 書 目 録 ―」 ( 同『 蓬 左 文 庫 典 籍 樷 録   駿 河 御譲本』 、人文科学研究会、 一九七五年) 、山本祐子 「尾張藩 『御文庫』 について (一) ― 義 直・ 光 友 の 蔵 書 を 中 心 に ―」 (『 名 古 屋 市 博 物 館 研 究 紀 要 』 八、 一 九 八 五 年 )、 同「 尾 張 藩『 御 文 庫 』 に つ い て( 二 ) ― 蔵 書 目 録 か ら み た『 御 文 庫 』 の 展 開 ―」 (『名古屋市博物館研究紀要』 九、 一九八六年) 、「尾張徳川家の文庫と蔵書目録」 (名 古屋市蓬左文庫監修『尾張徳川家蔵書目録』第一巻、 ゆまに書房、 一九九九年) 、 桐 原 千 文「 蓬 左 文 庫 」( 稲 葉 伸 道 編『 今、 開 か れ る 文 庫 の 魅 力 』、 名 古 屋 大 学 大

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