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『治承物語』復元考

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Academic year: 2021

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熊本学園大学 機関リポジトリ

『治承物語』復元考

著者

尾崎 勇

雑誌名

熊本学園大学文学・言語学論集

19

2

ページ

204-248

発行年

2012-12-25

URL

http://id.nii.ac.jp/1113/00000079/

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (406) ― 248 ―

尾 

崎 

  慈 円 が 企 画 し た ﹃ 治 承 物 語 ﹄ は 、 異 な っ た 領 域 の 人 材 が 集 ま っ て 創 ら れ た コ ラ ボ レ ー シ ョ ン の 結 晶 で あ る 。﹃ 治 承 物 語 ﹄ 創 出 の 空 間 は 洛 南 の 方 角 に そ び え る 西 山 で あ っ た 。 こ の 西 山 に 源 信 に 師 事 し た 源 算 が 長 元 年 間 ︵ 一 〇 二 八 ∼ 三 七 ︶ に 善 峯 寺 を 建 立 し 、 そ の 北 側 に 隣 接 す る 処 ︵ 北 尾 ︶ に 往 生 院 と 称 す る 庵 室 を 設 け て 隠 遁 し た 。 往 生 院 の 院 主 二 世 に 観 性 が 就 き 、 三 世 院 主 は 慈 円 で あ る 。 西 山 に 承 元 元 年 ︵ 一 二 〇 七 ︶ 頃 よ り 五 ヶ 年 間 に 亘 っ て 慈 円 は 隠 棲 す る 。 甥 の 良 経 が 執 政 の ﹁ 臣 ﹂ 在 任 中 に 頓 死 、 翌 年 の 承 元 元 年 四 月 に は 兄 の 兼 実 も 薨 去 し た 。 我 が 九 条 家 の 今 後 を は か な ん だ か ら で も あ る 。 承 元 三 年 ︵ 一 二 〇 九 ︶ 三 月 に 良 経 の 女 の 立 子 が 入 内 す る と い う 九 条 家 の 慶 事 が あ っ た 。 そ の 三 ヶ 月 後 に ﹁ 此 夢 想 甚 以 為 二 奇 異 一 。 已 以 冥 顕 共 符 合 了 。﹂ と の 言 辞 を 付 し て ﹃ 慈 鎮 和 尚 夢 想 記 ﹄ を 西 山 で 擱 筆 す る 。﹃ 夢 想 記 ﹄ に 於 い て 壇 ノ 浦 の 海 戦 で 神 器 喪 失 に と も な い 、﹁ 武 者 ノ 世 ﹂ の 覇 者 に な っ て い く 武 将 が 台 頭 す る 時 運 と は じ め て 断 じ る 。 そ れ は 隠 棲 中 の 日 々 の な か で 善 峯 寺 楼 門 に 聳 立 し て い る 金 剛 力 士 像 を 拝 し て い た か ら で も あ っ た 。 こ の 像 は 、 鶴 岡 八 幡 宮 大 塔 供 養 の 導 師 を 勤 め た 観 性 へ の 報 謝 と し て 頼 朝 が 寄 進 し た も の で あ っ た 。 安 置 さ れ て い る 像 と 武 威 を 輝 か し た 頼 朝 と が 渾 然 一 体 に な り 、 仏 法 王 法 相 依 の 理 に 則 っ て 神 器 の 宝 剣 と 武 将 と が 代 替 し た と 慈 円 は 悟 入 す る 。 や が て 王 法 と 仏 法 を 陵 辱 す る 平 家 一 門 と 武 力 衡 突 す る 頼 朝 を め ぐ る ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 慈 円 は 企 画 し 創 出 さ せ る 。 煩 雑 な 仕 来 り に 拘 泥 さ れ る 廟 堂 と は 異 な る 西 山 、 天 台 座 主 閲 歴 の 高 僧 に 課 せ ら れ て い る 雑 事 に 束 縛 さ れ な い 西 山 、 そ こ に 慈 円 圏 が 組 織 さ れ る 。 承 元 四 年 ︵ 一 二 一 〇 ︶ 頃 よ り ﹁ 遊 び 心 ﹂ の 横 溢 し た 内 容 に 仕 立 て ら れ て い っ た 。

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (405)― 247 ― 聖 徳 太 子 の 霊 告 ど お り に 建 保 六 年 ︵ 一 二 一 八 ︶ 四 月 に は 立 子 か ら 懐 成 親 王 ︵ 後 の 仲 恭 天 皇 ︶ 生 誕 、 こ の 符 合 を 直 視 し て ﹃ 愚 管 抄 ﹄ を 叙 述 し て い く 際 に 、 こ の ﹃ 治 承 物 語 ﹄ が 取 り 込 ま れ た 。   ﹃ 愚 管 抄 ﹄ と ﹃ 平 家 物 語 ﹄ と の 関 連 が 俎 上 に し ば し ば 載 せ ら れ て き て い る 。 例 え ば 、 歴 史 書 ﹃ 愚 管 抄 ﹄ は ︵ 中 略 ︶ そ の 源 平 史 表 裏 の 要 領 を 得 た 把 握 は 、 複 雑 怪 奇 な 歴 史 事 象 の 整 理 法 と し て ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の 構 成 に 影 響 を 与 え た と 思 わ れ る 。 逆 に ﹃ 愚 管 抄 ﹄ が 原 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ を 資 料 と し て い た と の 異 説 も あ る が 証 明 さ れ 得 な い 。 と 通 行 の 古 典 文 学 辞 典 に は 両 書 の 関 係 が 解 説 さ れ て い る 。 施 線 部 の ﹁ 異 説 ﹂ と は 、 赤 松 俊 秀 の 説 で あ る 。 赤 松 は ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 諸 本 の う ち 延 慶 本 が 原 本 に 最 も 近 い と い い 、﹃ 平 家 物 語 ﹄ の 原 本 で あ る ﹃ 治 承 物 語 ﹄ が ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 依 拠 資 料 で あ る と し た 。﹃ 平 家 物 語 ﹄ 生 成 過 程 か ら 赤 松 説 を 謬 説 と み な し た 武 久 堅 は 、﹃ 愚 管 抄 ﹄ 依 拠 に 二 つ 段 階 を 想 定 し て い る 。   立 子 の 生 ん だ 親 王 が 春 宮 に な る の は 誕 生 の 一 ヶ 月 後 の 建 保 六 年 ︵ 一 二 一 八 ︶ 十 一 月 、 立 子 の 弟 で あ る 道 家 の 子 息 の 三 寅 ︵ 頼 経 ︶ が 将 軍 継 嗣 と な っ た の は 承 久 元 年 ︵ 一 二 一 九 ︶ 六 月 で あ る 。 太 子 の 霊 告 が 符 合 し て く る 時 運 の も と で 慈 円 は ﹃ 愚 管 抄 ﹄ 別 帖 を 企 図 し て 、 そ の 冒 頭 に は 、 八 十 四 代 ニ モ 成 ニ ケ ル ナ カ ニ 、 保 元 ノ 乱 イ デ キ テ ノ チ ノ コ ト モ 、 マ タ 世 継 ガ モ ノ ガ タ リ ト 申 モ ノ モ カ キ ツ ギ タ ル 人 ナ シ 。 少 々 ア リ ト カ ヤ ウ ケ タ マ ハ レ ド モ 、 イ マ ダ エ ミ 侍 ラ ズ 。 ソ レ ハ ミ ナ タ ヾ ヨ キ 事 ヲ ノ ミ シ ル サ ン ト テ 侍 レ バ 、 保 元 以 後 ノ コ ト ハ ミ ナ 乱 世 ニ テ 侍 レ バ 、 ワ ロ キ 事 ニ テ ノ ミ ア ラ ン ズ ル ヲ ハ バ カ リ テ 、 人 モ 申 ヲ カ ヌ ニ ヤ ト ヲ ロ カ ニ 覚 テ 、 ︵ 巻 三 ― ― 一 二 九 ペ ー ジ ︶ と あ る の で 、 史 論 の 序 の 意 義 を 担 っ て い る 。 同 時 代 史 を 対 象 に し た ﹁ 世 継 物 語 ﹂ に ﹃ 続 世 継 ﹄・ ﹃ 弥 世 継 ﹄ が あ る も の の 、﹁ ヨ キ 事 ヲ ノ ミ シ ル ﹂ す だ け で あ る と 慈 円 は 述 懐 し て い る 。 仏 法 と 王 法 と の 動 揺 か ら ﹁ 武 者 ノ 世 ﹂ を 対 象 と し て い る ﹁ ヨ キ 事 ヲ ノ ミ シ ル ﹂ し た ﹁ 世 継 物 語 ﹂ を 反 転 さ せ る 意 図 で 創 ら れ た ﹁ い く さ 物 語 ﹂ の ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 見 据 え 、 意 匠 を こ ら す 。﹃ 新 古 今 集 ﹄ の 歌 人 に よ っ て 深 め ら れ た 技 法 の ﹁ 本 説 ﹂ で は 、 典 拠 を 自 己 薬 籠 中

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『治承物語』復元考 (404) ― 246 ― の 物 と し て い く 。 す な わ ち 歌 の 修 辞 が 史 論 に 援 用 さ れ る 。 同 時 代 の 嘉 応 二 年 ︵ 一 一 六 九 ︶ の 摂 政 の 松 殿 基 房 の 従 者 が 平 資 盛 の 車 を 破 壊 し た 報 復 と し て 同 年 十 月 に 資 盛 の 父 で あ る 重 盛 が 武 士 を 招 集 し て 参 内 す る 基 房 を 陵 辱 し た 事 象 を 叙 述 し て ﹁ コ ノ フ シ ギ コ ノ 後 ノ チ ノ 事 ド モ ノ 始 ニ テ ア リ ケ ル ニ コ ソ 。﹂ ︵ 巻 五 ― ― 二 四 七 ペ ー ジ ︶ と の 寸 言 を 象 嵌 す る 。 嘉 応 二 年 を 語 り の 現 在 時 に し た ﹃ 今 鏡 ﹄ ︵ ﹃ 続 世 継 ﹄ を 以 下 、 通 行 の 名 称 で 使 用 す る 。︶ で は 、 保 元 ・ 平 治 の 両 乱 の 戦 闘 情 況 を 朧 化 す る と と も に 武 将 と し て の 清 盛 を 黙 殺 ・ 忌 避 す る 念 と 高 倉 天 皇 賛 美 の 念 と の 間 で 藤 し て お り 、﹃ 平 家 物 語 ﹄ の ﹁ 殿 下 乗 合 ﹂ 素 材 と な っ た 事 件 も 作 者 の 寂 超 は 知 り な が ら 韜 晦 し つ つ 擱 筆 し た 。 歌 人 寂 超 の そ の よ う な 心 を 同 じ 歌 人 で あ る 慈 円 は 斟 酌 し た と こ ろ か ら の 注 記 が 、 施 線 の 寸 言 で あ っ た 。 換 言 す れ ば 、 執 政 の ﹁ 臣 ﹂ の 基 房 を 陵 辱 し た 事 象 の 実 相 を 物 語 化 し た ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 対 置 し な が ら 同 時 に 重 盛 報 復 の 実 相 を も と に 道 理 を 説 諭 し て い る 。 慈 円 圏 で ﹃ 今 鏡 ﹄ を 止 揚 し て 創 出 さ せ た ﹃ 治 承 物 語 ﹄ が ﹃ 愚 管 抄 ﹄ に は 取 用 さ れ た の で あ る 。   本 稿 の 目 的 は ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 文 章 か ら ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 復 元 す る こ と で あ る 。

︶ 

綿

承 元 元 年 ︵ 一 二 〇 七 ︶ 十 一 月 三 十 日 に 慈 円 は 四 天 王 寺 別 当 に 慈 円 は 就 い て い る 。 翌 年 十 一 月 に 所 労 に よ り 一 旦 、 後 述 す る 以 仁 王 の 子 で 慈 円 の 高 弟 に あ た る 真 性 ︵ 一 一 六 七 ∼ 一 二 三 〇 ︶ に 四 天 王 寺 別 当 を 委 ね た が 、 建 保 元 年 ︵ 一 二 一 三 ︶ 九 月 十 二 日 に ふ た た び 就 任 し 、 そ し て 終 生 に 亘 っ て 四 天 王 寺 別 当 で あ り つ づ け た 。 当 寺 の 縁 起 で あ る ﹃ 荒 陵 寺 御 手 印 縁 起 ﹄ は 聖 徳 太 子 の 遺 言 の 体 裁 を と っ て お り 、 物 部 守 屋 を 討 伐 し た こ と に 関 連 し て 、 逆 臣 悪 禽 屢 現 。 揺 二 動 人 心 一 。 迷 乱 横 挾 二 凶 情 一 。 掠 二 取 田 地 一 。 滅 二 破 寺 塔 一 。 是 只 守 屋 変 現 而 已 。 吾 與 二 守 屋 一 。 如 二 影 與 一 響 。 寺 塔 滅 亡 。 国 家 壊 失 矣 。 と の 訓 戒 を 太 子 は 垂 れ て い る 。 太 子 関 連 の 歌 が 見 え 出 す の は 、 四 天 王 寺 別 当 再 任 前 で あ る 西 山 隠 棲 時 の 承 元 三 年

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (403)― 245 ― ︵ 一 二 〇 九 ︶ 十 月 詠 の ﹁ 厭 離 欣 求 百 首 ﹂ か ら で あ っ て 、           法 の あ た を 跡 ま て は ら ふ 寺 に き て 雨 に も り や を み ぬ よ し も か な ︵ 二 九 六 五 ︶ 逆 臣 が 現 れ て 堂 塔 が 荒 廃 す る の は 守 屋 の 変 化 の 仕 業 で あ る と い い 、 仏 敵 の 守 屋 に 雨 漏 る 屋 を か け て 、 堂 塔 整 備 拡 充 の 抱 負 を 詠 じ た 。 そ の 理 由 は ﹃ 縁 起 ﹄ に 、 若 二 有 興 隆 輩 一 。 官 位 福 栄 。 自 以 相 続 。 子 孫 世 々 常 安 常 楽 。 悉 殖 二 勝 因 一 。 吾 入 滅 之 後 。 或 生 二 國 王 后 妃 一 。 造 二 建 数 大 寺 塔 於 國 々 所 々 一 。 造 二 置 数 大 佛 菩 薩 像 一 。 書 二 写 数 多 経 論 疏 義 一 。 施 二 入 数 多 資 財 寶 物 田 園 等 一 。 堂 塔 な ど を ﹁ 若 シ モ 興 隆 ス ル 輩 デ 有 ル ナ ラ バ ﹂、 官 位 栄 達 ・ 子 孫 繁 栄 が も た ら さ れ る と の 教 え に よ っ て い る 。 執 政 の ﹁ 臣 ﹂ 在 任 の ま ま 甥 の 良 経 が 頓 死 し 、 そ の 翌 年 に は 兄 の 兼 実 も 薨 去 し て し ま い 、 九 条 家 の 最 長 老 に な っ た 慈 円 は 家 運 の 再 興 を 請 願 し た 。﹃ 縁 起 ﹄ で は 寺 塔 が 傷 ん で も 修 理 し な い な ら ば ﹁ 若 修 理 物 尽 無 其 料 。 ︵ 中 略 ︶ 百 姓 擾 乱 。 兵 殺 綿 々 。﹂ と 太 子 は 警 告 し て い る 。 す な わ ち ﹃ 縁 起 ﹄ の こ の 言 説 は 特 に 留 意 す る 必 要 が あ る よ う に 思 わ れ る 。 ﹃ 愚 管 抄 ﹄ 別 帖 の 推 古 天 皇 の 条 に ﹁ 守 屋 ガ ク ビ ヲ キ リ 、 多 ノ 合 戦 ヲ シ テ 人 ヲ コ ロ シ テ ﹂ ︵ 巻 三 ― ― 一 三 九 ∼ 四 〇 ペ ー ジ ︶ と し 、 別 帖 の 冒 頭 で ﹁ 保 元 ノ 乱 イ デ キ テ ノ チ ノ コ ト モ 、 ︵ 中 略 ︶ 保 元 以 後 ノ コ ト ハ ミ ナ 乱 世 ニ テ 侍 レ バ 、 ワ ロ キ 事 ニ テ ﹂ ︵ 巻 三 ― ― 一 二 九 ペ ー ジ ︶ と 批 評 す る と と も に 、 同 時 代 の ﹁ 武 者 ノ 世 ﹂ の 及 ば せ て ﹁ マ ノ ア タ リ 内 乱 合 戦 ﹂ ( 四 ― ― 二 一 七 ペ ー ジ ︶ と 呼 応 し て い る か ら で あ る 。﹃ 縁 起 ﹄ の 教 え が 慈 円 の 念 頭 に 置 か れ て い る で あ ろ う 。   慈 円 が 隠 棲 中 の 承 元 三 年 ︵ 一 二 〇 九 ︶ 三 月 に 故 良 経 の 女 の 立 子 が 東 宮 の 守 成 親 王 ︵ 後 の 順 徳 天 皇 ︶ に 入 内 し た 。 こ の 事 象 を 後 年 、﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 別 帖 で 、 サ テ 故 摂 政 ノ ム ス メ ハ イ ヨ 〳 〵 ミ ナ シ 子 ニ 成 テ 、 ヨ ロ ヅ コ ト タ ガ イ テ 、 イ カ ニ ト 人 モ 思 ヒ タ リ ケ レ ド モ 、 サ ヤ ウ ニ ヲ ボ シ メ シ キ ザ シ テ ア リ ケ ル 上 ニ 、 春 日 大 明 神 モ 八 幡 大 菩 薩 モ カ ク 、 皇 子 誕 生 シ テ 世 モ 治 マ リ 、 又 祖 父 ノ 社 稷 ノ ミ チ 心 ニ イ レ タ ル サ マ ハ 、 一 定 仏 神 モ ア ハ レ ニ テ ラ サ セ 給 ヒ ケ ン ト 、 人 皆 思 ヒ タ ル 方 ノ ス エ ト ヲ ル 事 モ ア ル ベ ケ レ バ ニ ヤ 、 承 元 三 年 三 月 十 日 、 十 八 ニ テ 東 宮 ノ 御 息 所 ニ マ イ ラ レ ニ ケ リ 。 ︵ 巻 六 ― ― 二 九 六 ペ ー ジ ︶

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『治承物語』復元考 (402) ― 244 ― と 叙 述 し た の で あ っ た 。 施 線 部 に あ る と お り 九 条 家 の 家 運 が 不 如 意 で あ っ た と し 、 二 重 施 線 部 に 及 ぶ と 皇 祖 神 と 社 稷 神 の 約 諾 に よ っ て 立 子 に は 懐 成 親 王 が 生 誕 し て 世 は ふ た た び 興 隆 し て い く 道 が 敷 設 さ れ た と 揚 言 す る こ と に な る 。 前 論 で ふ れ た よ う に 立 子 入 内 を 後 鳥 羽 院 に 要 請 す る 底 意 の も と に ﹁ 夢 記 ﹂ を 草 し た 七 年 後 に あ た り 、 入 内 し た こ と で ﹁ 夢 記 ﹂ の 効 用 は あ っ た の で あ る 。 立 子 入 内 を 直 視 し て 三 ヶ 月 経 過 し た と き 、﹁ 此 夢 想 甚 以 為 二 奇 異 一 。 已 以 冥 顕 共 符 合 了 。﹂ と の 言 辞 を 象 嵌 し た ﹃ 慈 鎮 和 尚 夢 想 記 ﹄ を 起 草 す る 。 ち な み に 、 そ の 識 語 に ﹁ 承 元 三 年 巳 己 六 月 。 於 二 西 山 草 庵 一 。 書 レ 之 了 。﹂ と あ る か ら 起 草 は 西 山 で あ っ た 。 建 保 元 年 ︵ 一 二 一 三 ︶ 九 月 に 四 天 王 寺 別 当 に ふ た た び 就 き 、﹃ 縁 起 ﹄ の 教 え に 則 っ て 堂 塔 整 備 等 に 精 励 す る な か で 建 保 四 年 ︵ 一 二 一 五 ︶ 正 月 に 太 子 か ら 霊 告 が く だ っ た 。 建 保 六 年 ︵ 一 二 一 八 ︶ 十 月 に は 立 子 と 順 徳 天 皇 と の あ い だ に 懐 成 親 王 ︵ 後 の 仲 恭 天 皇 ︶ が 生 誕 す る 。 霊 告 符 合 の 気 配 の も と で ﹃ 愚 管 抄 ﹄ を 叙 述 し て い く 。 壇 ノ 浦 海 戦 の 事 象 を め ぐ っ て ﹁ コ ノ 宝 剣 ウ セ ハ テ ヌ ル 事 コ ソ ︵ 中 略 ︶ 武 ノ 方 ヲ バ コ ノ 御 マ モ リ ニ 、 宗 廟 ノ 神 モ ノ リ テ マ モ リ マ イ ラ セ ラ ル ヽ ナ リ 。 ソ レ ニ 今 ハ 武 士 将 軍 世 ヲ ヒ シ ト 取 テ ﹂ ︵ 巻 五 ― ― 二 六 五 ペ ー ジ ︶ と 批 評 し て い る の は 、﹃ 夢 想 記 ﹄ に ﹁ 宝 剣 没 二 海 底 一 之 後 。 任 二 其 徳 於 人 將 一 歟 。 聖 人 在 レ 世 者 。 定 開 二 ― 悟 由 来 一 。 思 慮 二 ― 興 廃 一 歟 。﹂ と 合 致 す る の で 、﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 雛 型 が ﹃ 夢 想 記 ﹄ で あ っ た と 判 断 で き る 。 夢 と そ の ﹁ 符 合 ﹂ は 慈 円 の 行 動 原 理 に な っ た 。 現 存 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 諸 本 の い ず れ に も そ の 後 の 展 開 を 先 取 り す る 夢 が 配 さ れ て い る の は 、 中 古 よ り の 物 語 の 定 型 を 踏 襲 し て は い よ う が 、 雅 頼 に 仕 え る 青 侍 が 清 盛 か ら 頼 朝 へ 政 権 が 移 る と し た 屋 代 本 の 語 る 夢 は 、﹃ 夢 想 記 ﹄ の 方 法 に 近 似 す る 。   ﹃ 縁 起 ﹄ の ﹁ 兵 殺 綿 々 ﹂ と の 言 辞 に 則 っ て 、 絶 え 間 な く 続 く 戦 い の 末 に ﹁ 人 将 ﹂ 頼 朝 の 率 い る 源 氏 の 軍 勢 が 平 家 一 門 に 勝 利 す る ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 企 画 し た 慈 円 は 、 青 侍 の 夢 を 物 語 展 開 の 本 筋 に 仕 組 ん だ と 思 わ れ る 。   書 名 の ﹁ 治 承 ﹂ に 着 目 し て み よ う 。 頼 朝 は 以 仁 王 の 令 旨 を も と に 挙 兵 し て よ り 、 年 号 が 治 承 五 年 ︵ 一 一 八 一 ︶ 七 十 四 日 に 養 和 と 改 元 さ れ 、 養 和 二 年 ︵ 一 一 八 二 ︶ 五 月 二 十 七 日 に 寿 永 に 改 元 さ れ た に も か か わ ら ず 、 寿 永 二 年 ︵ 一 一 八 三 ︶ 五 月 頃 ま で ﹁ 治 承 ﹂ を 使 用 し た の で あ る 10 。 同 年 十 月 十 四 日 の 宣 旨 で 朝 廷 は 荘 園 問 題 に 関 す る 決 定 を 頼 朝 に 委 ね た こ と で 、 謀 叛 の 賊 と の 汚 名 を す す ぐ 。 頼 朝 は ﹁ 一 個 の 独 立 し た 権 力 で あ る こ と を 明 示 す る 象 徴 ﹂ と し

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (401)― 243 ― て 、 法 的 に は 無 効 の 以 仁 王 の 令 旨 に よ っ て 東 国 支 配 を 合 理 化 す る 必 要 が 無 く な っ た 11 。﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ で は 令 旨 が ﹁ 東 海 ・ 東 山 ・ 北 陸 三 道 諸 国 ﹂ の 多 く の 源 氏 勢 等 の 人 々 の 宛 て て 複 数 部 配 布 さ れ た 。 と こ ろ が 、 延 慶 本 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ で は 、     ⋮ ⋮ 昔 上 宮 太 子 、 如 ク 三 破 二 滅 セ シ ガ 於 守 屋 ノ 逆 臣 ヲ 一 、 誅 テ 二 叛 逆 役 之 一 類 ヲ 一 、 治 二 無 何 之 四 海 一 也 。 ︵ 中 略 ︶ 者 バ レ 依 レ 宣 ニ 行 レ 之 ヲ 。     治 承 四 年 四 月  日 伊 豆 守 正 五 位 下 源 朝 臣 謹 上  前 右 兵 衛 佐 殿                         ︵ 中 略 ︶ 同 五 月 八 日 、 伊 豆 ノ 北 条 ヘ 下 着 テ 、 兵 衛 佐 ニ 宮 ノ 令 旨 ヲ 献 ル 。 兵 衛 佐 、 此 令 旨 ヲ 給 テ 、 国 々 ノ 源 氏 等 ニ 被 二 施 行 セ 一 。 令 旨 に ﹃ 縁 起 ﹄ と 同 趣 の 言 辞 が 載 り 、 頼 朝 に 宛 て て 差 し 出 さ れ た の で あ り 、 そ の 令 旨 を も と に 頼 朝 は ﹁ 近 国 之 源 氏 等 、 定 奉 二 参 加 一 歟 。 北 陸 道 之 勇 士 等 ハ 、 ﹂ に ⋮ ⋮ 相 二 待 テ 上 洛 ヲ 一 、 可 レ 被 三 供 二 奉 セ 洛 中 ニ 一 也 。 依 二 親 王 御 気 色 ニ 一 、 執 達 如 レ 件 。     治 承 四 年 五 月  日                                  前 右 兵 衛 権 佐 源 朝 臣 に ﹁ 執 達 ﹂ し て 、 源 氏 勢 を 糾 合 し て い く 。 延 慶 本 で は 頼 朝 は 檄 を 飛 ば す 展 開 と な っ て い る 。 こ の よ う に み て く る と 慈 円 の 思 念 が ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 根 源 に 据 え ら れ て い た 証 憑 に な る だ ろ う 。 そ れ は 頼 朝 が 征 夷 大 将 軍 に な る 藤 九 郎 盛 長 の 夢 を 布 置 し て 、 そ の 三 年 後 の 寿 永 二 年 ︵ 一 一 八 三 ︶ 十 月 に 征 夷 大 将 軍 の 官 宣 旨 が 下 っ た と 延 慶 本 で は 語 る か ら で も あ る 。 こ の 物 語 の 展 開 に 対 し て 、 事 実 で は 周 知 の よ う に 将 軍 官 宣 旨 は 建 久 三 年 ︵ 一 一 九 二 ︶ 七 月 で あ る 。 ﹃ 夢 想 記 ﹄ で 宝 剣 喪 失 に 代 替 し て 王 法 に 参 入 す る 頼 朝 は ﹁ 武 者 ノ 世 ﹂ の 覇 者 に な っ て い く と 断 じ た 。 こ れ を 道 理 で あ る と ﹃ 愚 管 抄 ﹄ で 揚 言 す る 慈 円 は 、 す で に ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 構 想 の 時 点 で 将 軍 官 宣 旨 を 虚 構 し た の で あ る 12 。 さ ら に 特 記 し た い こ と が あ る 。﹃ 愚 管 抄 ﹄ で は 建 久 六 年 ︵ 一 一 九 五 ︶ 五 月 に 上 洛 し た 頼 朝 の 史 実 を も と に 、﹁ カ ヤ ウ ニ 在 京 ノ 間 人 ニ ホ メ ラ レ テ 、 ︵ 中 略 ︶ 天 王 寺 ナ ド ヘ 参 メ グ リ ⋮ ⋮ ﹂ ︵ 巻 六 ― ― 二 七 七 ペ ー ジ ︶ と 五 年 は や く 四 天 王 寺 参 詣

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『治承物語』復元考 (400) ― 242 ― を 摘 記 し て い る 。 す な わ ち 最 初 の 上 洛 時 の 建 久 元 年 十 一 月 に は 四 天 王 寺 に 参 詣 し て い る 資 料 が な い か ら で あ る 。 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ 建 久 六 年 五 月 二 十 日 条 に は 、 頼 朝 は 剣 を 太 子 の 聖 霊 に 奉 納 し た と み え る 。 四 天 王 寺 に は 将 軍 家 代 々 の 霊 牌 を 安 置 す る 御 霊 屋 と も 称 さ れ る 五 智 光 院 が 造 営 さ れ る ︵ ﹃ 古 今 著 聞 集 ﹄ 二 一 四 ︶ 。 別 当 の 慈 円 が 、 こ の 事 柄 を 弁 え て 史 論 に 組 み 込 ん だ の で あ っ た 。 物 語 の 将 軍 官 宣 旨 の 時 間 操 作 と 同 一 で あ る 。 と す れ ば 平 家 と 争 い 勝 利 す る ま で 頼 朝 が 使 用 し つ づ け た 私 年 号 の ﹁ 治 承 ﹂ が ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 書 名 の 由 来 に な っ て い よ う 。

︶ 

  改 元 の 本 来 的 な 理 由 は 皇 位 継 承 に 伴 う 新 帝 の ﹁ 代 始 改 元 ﹂ で あ る も の の 、 末 代 で は 天 人 相 関 の 理 に よ る 改 元 が 多 く な る 。 す な わ ち ﹁ 災 異 改 元 ﹂ か ら も ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 書 名 の 由 来 を 窺 わ ね ば な ら な い 。﹃ 愚 管 抄 ﹄ で は 、 多 田 蔵 人 行 綱 の 密 告 に よ る 平 家 討 伐 の 陰 謀 の 発 覚 か ら 、 西 光 斬 首 ・ 成 親 の 流 刑 か ら 刑 死 ・ 俊 寛 流 罪 を 叙 述 し た 直 後 に は 、 安 元 三 年 七 月 廿 九 日 ニ 讃 岐 院 ニ 崇 徳 院 ト 云 名 ヲ バ 宣 下 セ ラ レ ケ リ 。 カ ヤ ウ ノ 事 ド モ 怨 霊 ヲ オ ソ レ タ リ ケ リ 。 ヤ ガ テ 成 勝 寺 御 八 講 、 頼 長 左 府 ニ 贈 正 一 位 太 政 大 臣 ノ ヨ シ 宣 下 ナ ド ア リ ケ リ 。 サ テ 又 コ ノ 年 京 中 大 焼 亡 ニ テ 、 ソ ノ 火 大 極 殿 ニ 飛 付 テ ヤ ケ 焼 ニ ケ リ 。 コ レ ニ ヨ リ テ 改 元 、 治 承 ト ア リ ケ リ 。 入 道 カ ヤ ウ ノ 事 ド モ 行 ヒ チ ラ シ テ 、 西 光 ガ 白 状 ヲ 持 テ 院 ヘ ︵ 中 略 ︶ コ レ ヨ リ 院 ニ モ 光 能 マ デ モ 、﹁ コ ハ イ カ ニ ト 世 ハ ナ リ ヌ ル ゾ ﹂ ト 思 ヒ ケ ル 程 ニ 、 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮

︵ 巻 五 ― ― 二 四 六 ペ ー ジ ︶ と の 文 章 が あ っ て 、 安 元 が ﹁ 治 承 ﹂ へ と 改 元 さ れ た 理 由 に ふ れ て い る 。 慈 円 が 二 十 二 歳 の 安 元 二 年 ︵ 一 一 七 六 ︶ 四 月 よ り 無 動 寺 で 千 日 入 堂 の 最 中 で あ っ た か ら 、 当 時 の 政 治 動 向 を 直 接 に 目 撃 し て は い な い 。 が 、 兄 の 兼 実 は 日 録 に 改 元 の 事 情 を 克 明 に 記 す 。﹃ 玉 葉 ﹄ 安 元 三 年 七 月 二 十 七 日 条 に 、 一  讃 岐 院 の 院 号 、 並 び に 宇 治 左 府 の 贈 官 贈 位 の 事 、 来 月 三 日 行 は る べ し 。 ︵ 中 略 ︶

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (399)― 241 ― 偏 に 叡 慮 に あ る べ し 。 他 人 是 非 を 申 す べ か ら ざ る 事 な り 。             ︵ 中 略 ︶ 一  改 元 、 来 月 四 日 行 は る べ し と 云 々 。 と あ り 、 崇 徳 院 ・ 頼 長 の 怨 霊 が 猖 獗 し た こ と も あ っ て 同 年 の 八 月 四 日 に 改 元 さ れ た の で あ っ た 。 改 元 の 経 緯 と そ の 時 の 詔 書 の こ と が ﹃ 玉 葉 ﹄ 同 月 五 日 の 条 に み え る 。 す な わ ち 、 仁 字 、 仁 平 、 仁 安 、 共 に 快 か ら ず 近 き に 在 り 。 治 承 、 水 作 り 多 々 如 何 の 由 こ れ を 申 し 上 げ ら る 。 而 る に 重 ね て 仰 せ て 云 は く 、 今 度 大 極 殿 の 火 災 に 依 り 、 こ の 改 元 あ り 、 者 れ ば 水 作 り を 以 て 用 ひ ら る る 、 そ の 謂 は れ 無 き に あ ら ざ る か 。 ︵ 中 略 ︶ 大 極 殿 の 火 災 、 天 変 等 に 依 り 、 改 元 の 由 、 詔 書 を 作 ら し む べ し 。  と あ る の で 、﹁ 治 承 ﹂ と 改 元 さ れ た の も や は り ﹁ 災 異 改 元 ﹂ で あ っ た こ と が 判 然 と し よ う 。   す で に ふ れ た よ う に 宇 都 宮 入 道 蓮 生 の 孫 で あ る 源 承 が 著 わ し た ﹃ 源 承 和 歌 口 伝 ﹄ に 、             下 巻 目 六 奥 云 、 治 承 四 年 卯 月 五 日 、 於 二 西 山 草 堂 一 書 畢 。 同 朱 十 八 日 、 相 二 具 寂 超 上 人 一 見 二 合 集 一 付 二 假 名 一 了 。 と 記 載 さ れ て い る 。﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 創 る た め に 慈 円 圏 が 組 織 さ れ た 西 山 の 空 間 で 、 治 承 四 年 当 時 に 崇 徳 院 の 遺 児 で あ る 元 性 が 寂 超 と ﹃ 古 今 集 ﹄ を 校 合 し て い た 。 そ の 本 文 に は 、 前 参 議 教 長 点 本 に ひ ぢ と か け る か た は ら に 朱 に て ゐ ︵ 上 ︶ と つ け た り 、 件 本 花 崇 徳 院 御 子 蔵 院 法 印 元 性 御 坊 に さ づ け た て ま つ る 、 法 印 御 房 北 院 御 室 に ま い ら せ ら れ た り 、 奥 書 云 、 宮 法 印 御 房 北 山 院 御 所 参 上 、 古 今 下 十 巻 読 之 、 即 聞 食 之 、 如 上 巻 、 所 承 伝 事 等 、 具 以 令 申 畢 安 元 二 年 四 月 十 二 日 観 蓮 と あ っ て 、 崇 徳 院 の 近 臣 の 藤 原 教 長 ︵ 一 一 〇 九 ∼ ? ︶ は 出 家 し て 観 蓮 と 号 し 、 配 流 さ れ た 後 、 召 還 さ れ 、 安 元 ・ 治 承 に は 元 性 に ﹃ 古 今 集 ﹄ を 進 講 し た り す る な ど 歌 人 と し て 活 躍 し 、 年 齢 的 に も 同 じ で あ っ た の で 後 述 す る 源 頼 政 と 親 交 を 深 め て い っ た 念 仏 聖 で あ っ た 13 。 安 元 大 火 が 崇 徳 院 の 怨 霊 の 仕 業 と 吹 聴 し た 教 長 は 、 院 の 鎮 魂 へ の 気 運 を

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『治承物語』復元考 (398) ― 240 ― 煽 っ た 中 心 人 物 で も あ る 14 。 崇 徳 院 の 遺 児 で あ る 元 性 と ﹃ 今 鏡 ﹄ 作 者 の 寂 超 と 院 の 近 臣 で あ っ た 観 蓮 の 文 事 か ら 、 清 盛 に 崇 徳 院 の 怨 霊 が 憑 依 し て 後 白 河 院 の 幽 閉 を 結 果 す る と の 意 図 を 根 底 に 潜 め て 王 法 そ し て 仏 法 を 陵 辱 す る 清 盛 の 造 形 化 が ﹃ 治 承 物 語 ﹄ で は か ら れ る の で は あ る ま い か 。   ﹃ 千 載 集 ﹄ に は 、 慈 円 は 建 礼 門 院 右 京 大 夫 の 兄 の 尊 円 に 、 比 叡 の 山 に 堂 衆 学 徒 不 和 の 事 出 で 来 り て 、 学 徒 皆 散 り け る 時 、 法 印 慈 円 、 千 日 の 山 籠 り 満 ち な ん こ と も 近 く 、 聖 の 跡 を 絶 た む こ と を 歎 き て 、 か す か に 山 洞 に 止 ま り て 侍 り け る ほ ど に 、 冬 に も な り に け れ ば 、 雪 降 り た り け る 朝 、 尊 円 法 師 の 許 に 遣 し 侍 け る 法 印 慈 円        い と ゞ し く 昔 の 跡 や 絶 え な ん と 思 ふ も 悲 し 今 朝 の 白 雪 ︵ 一 二 二 二 ︶ と の 所 懐 を 披 瀝 し た 歌 が 載 っ て お り 、 後 年 に は 長 門 本 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 巻 五 ﹁ 学 生 堂 衆 合 戦 ﹂ に 当 該 歌 は 摂 取 さ れ る 。 こ の 歌 は 仏 法 の 牙 城 で あ る 延 暦 寺 が 目 に 余 る よ う に な っ て し ま っ た と の 慈 円 の 慨 嘆 で あ っ た 。 荒 廃 を 実 感 し た の で 、 施 線 の ﹁ 聖 の 跡 ﹂ に は 、 貴 族 の 子 弟 を 優 遇 し た り 山 門 寺 門 の 分 裂 ・ 僧 兵 横 行 の 因 を 作 っ た 師 の 良 源 の 許 を 離 れ 、 多 武 峰 に 隠 遁 し た 増 賀 が 意 識 さ れ て い よ う 。﹃ 愚 管 抄 ﹄ の な か に ﹁ 増 賀 上 人 ﹂ ︵ 巻 六 ― ― 二 九 五 ペ ー ジ ︶ と み え る 。 増 賀 の 事 蹟 を ﹁ 本 説 ﹂︵ 典 拠 ︶ と し て ﹁ い と ゞ し く 昔 の 跡 ⋮ ⋮ ﹂ と 詠 じ た と 思 わ れ る 。 慈 円 は し ば し ば 兼 実 に 隠 遁 を 訴 え て い た の で あ っ た 。﹃ 玉 葉 ﹄ 治 承 三 年 ︵ 一 一 七 九 ︶ 四 月 二 日 条 に 、 法 性 寺 座 主 道 慈 円 快 来 ら る 。 千 日 堂 に 入 り 了 り 、 去 る 二 十 四 日 下 京 、 今 日 始 め て 来 ら る る な り 。 条 々 示 し 合 は せ ら る る 事 等 あ り 。 大 略 世 間 の 事 益 無 し 。 隠 居 の 思 ひ あ る 由 な り 。 余 制 止 を 加 へ 了 ん ぬ 。 と あ り 、 翌 年 の ﹃ 玉 葉 ﹄ 治 承 四 年 六 月 十 日 条 に ﹁ 法 性 寺 座 円 主 来 ら る 。 数 刻 談 話 し 、 祈 り の 事 等 示 し 付 き 了 ん ぬ 。﹂ と あ り 、 折 か ら の 以 仁 王 の 乱 や 福 原 遷 都 の 惨 状 を 語 り 合 っ た で あ ろ う し 、 同 年 十 一 月 七 日 条 に は ﹁ 法 性 寺 座 主 来 る 。 十 一 日 よ り 善 峯 寺 辺 に 籠 居 す べ し と 云 々 。﹂ と あ る の で 王 法 の 動 揺 に も 失 望 し て 、 二 十 六 歳 の 道 心 の 定 ま っ て い る 慈 円 は 西 山 で の 聖 の 境 涯 を 志 向 し て い た 。

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (397)― 239 ― 安 元 の 大 火 ・ 治 承 の 辻 風 ・ 治 承 四 年 の 福 原 遷 都 な ど を ﹁ 世 の 不 思 議 ﹂ と し て 建 暦 二 年 ︵ 一 二 一 二 ︶ 三 月 下 旬 頃 、 鴨 長 明 は ﹃ 方 丈 記 ﹄ を 綴 っ た 。 三 十 余 年 の 歳 月 が 経 過 し て も 、﹁ 治 承 四 年 卯 月 の こ ろ ﹂・ ﹁ 治 承 四 年 水 無 月 の こ ろ ﹂ と 繰 り 返 し て い る 。 長 明 は ﹁ 治 承 ﹂ の 日 々 を 厭 わ し い 思 い で 回 顧 し た 。 現 実 の 世 に 背 を 向 け 、 日 野 の 外 山 に 方 丈 の 庵 を む す ん で 沈 潜 し た の で あ っ た 。﹁ 治 承 ﹂ 年 間 の 凶 悪 な 世 を も 自 己 の 内 面 に 取 り 込 み ﹁ 心 ﹂ を 問 題 に し た の が ﹃ 方 丈 記 ﹄ で あ る 。﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 企 画 ・ 創 出 さ せ た の は 承 元 四 年 ︵ 一 二 一 〇 ︶ か ら 建 保 元 年 ︵ 一 二 一 三 ︶ の 頃 で あ る か ら ﹃ 方 丈 記 ﹄ の 成 立 時 期 と 合 致 す る 。 天 台 座 主 の 要 職 を 閲 歴 し た 慈 円 は 、 仏 法 ・ 王 法 の 諸 相 を 鳥 瞰 し な が ら 豊 富 な 素 材 を 収 集 し て 、 ほ ど な く ﹃ 愚 管 抄 ﹄ で 詳 述 す る こ と に な る ﹁ マ ノ ア タ リ 内 乱 合 戦 ﹂ ( 四 ― ― 二 一 七 ペ ー ジ ︶ の 模 様 と 世 の 趨 勢 と 、 そ の 渦 中 に い た 各 階 層 の 人 々 の 運 命 を 西 山 で 物 語 化 し て い っ た の で あ っ た 。 廟 堂 に い た 人 々 も 歳 月 の 波 を の り こ え て ﹁ 治 承 ﹂ の 日 々 を 思 い 返 し て い た 。 治 承 三 年 ︵ 一 一 七 九 ︶ 十 月 よ り ま る 三 年 間 に 亘 っ て 蔵 人 頭 を 勤 め た 経 房 ︵ 一 一 四 三 ∼ 一 二 〇 〇 ︶ も そ の 一 人 で あ っ て 、 壇 ノ 浦 海 戦 の 前 年 に は ﹁ 左 代 弁 経 房 来 た り 、 世 上 の 事 等 を 語 る 。 そ の 性 頗 る 貞 潔 を 立 つ る か 。﹂ ︵ ﹃ 玉 葉 ﹄ 寿 永 三 年 二 月 二 十 二 日 ︶ と あ っ て 兼 実 と 会 談 し て い る 。﹃ 元 暦 改 元 定 記 ﹄ に よ れ ば ﹁ 経 房 云 ⋮ ⋮ 就 レ 中 治 承 為 二 凶 一 、 寿 永 之 乱 茂 依 二 治 承 之 天 下 大 事 一 出 来 事 也 。﹂ と 回 顧 し た 。 最 凶 悪 な ﹁ 治 承 之 天 下 大 事 ﹂ が 寿 永 の 乱 を 勃 発 の 誘 因 と 直 結 し て い る と の 治 世 把 握 は ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 骨 子 と 相 即 す る 。 そ の う え 本 物 語 の 重 要 な 局 面 に 登 場 す る と と も に ﹁ ウ ル ハ シ キ 人 ト 聞 給 テ 、 源 二 位 被 二 相 聞 一 ケ ル ﹂ ︵ 延 慶 本 ・ 六 末 ・ 一 五 ﹁ 吉 田 大 納 言 経 房 事 ﹂ ︶ と あ る の で 源 頼 朝 が 信 任 し て い た 人 物 で も あ っ た 。 経 房 は 有 職 故 実 に 通 暁 し て い る の で 後 白 河 院 の 寵 臣 に し て 九 条 家 の 家 司 で あ っ た 。 経 房 の 孫 で あ る 資 経 ︵ 一 一 八 〇 ∼ 一 二 五 一 ︶ は 、 ﹃ 醍 醐 雑 抄 ﹄ の 説 に よ れ ば 十 二 巻 本 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の 形 態 へ 整 え た と さ れ て い る 。 慈 円 圏 が 組 織 さ れ 始 め る 頃 の 承 元 三 年 ︵ 一 二 〇 九 ︶ に 資 経 は 左 衛 門 権 佐 で あ り 、 文 暦 元 年 ︵ 一 二 三 四 ︶ で は 正 三 位 前 参 議 に 栄 進 し た 。 六 巻 本 ﹃ 治 承 物 語 ﹄ へ 再 編 さ れ た 治 世 か ら み て お こ う 。 仁 治 ︵ 一 二 四 〇 ︶ 改 元 直 前 に 九 条 家 の 家 司 の 二 条 忠 高 が 当 主 の 道 家 ま た は 教 実 に 宛 て て 書 状 が 差 し 出 さ れ た 。 六 巻 本 ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 書 写 し た の で お み せ し て も よ い と の 尚 々 書 に 記 さ れ て い る の で 、﹃ 治 承 物 語 ﹄ は 道 家 の 主 導 で 再 編 さ れ た 15 。 こ の 二 条 忠 高 の 書 状 に は 、

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『治承物語』復元考 (396) ― 238 ― ﹃ 治 承 物 語 ﹄ 六 号 平 家 、 此 間 書 写 候 、 此 書 出 来 候 ハ ヽ 、 可 入 見 参 之 由 存 候 炎 旱 於 レ 今 者 、 不 レ 及 二 子 細 一 候 歟 、 内 外 御 祈 似 レ 無 二 効 験 一 、 理 運 之 哭 、 無 二 申 限 一 候 、 暑 気 迫 レ 身 □ 難 二 安 堵 一 候 歟 、 依 二 此 事 一 、 来 十 六 日 、 可 レ 有 二 改 元 一 候 云 々 と あ る 。 炎 暑 が つ づ き 、 祈 雨 の 修 法 を 行 っ た に も か か わ ら ず 効 験 な か っ た 。﹃ 平 戸 記 ﹄ 延 応 二 年 ︵ 一 二 四 〇 ︶ 七 月 一 日 条 に ﹁ 炎 暑 気 殊 ニ 如 レ 蒸 、 日 数 已 ニ 渉 一 旬 月 二 、 随 又 属 秋 天 了 、 世 間 皆 損 了 、 ﹂ と あ っ て 、 同 月 六 日 条 に ﹁ 晩 頭 、 勅 問 教 書 到 来 、 依 二 炎 旱 一 可 レ 有 二 改 元 一 哉 否 事 、 外 記 例 如 レ 此 ﹂ と み え て い る の で 、﹁ 延 応 ﹂ か ら ﹁ 仁 治 ﹂ へ 改 元 さ れ た の も ﹁ 災 異 改 元 ﹂ で あ っ た 。 同 日 の 条 に は ﹁ 左 代 弁 、 忠 高 喞 、 天 隆 、 寶 冶 ﹂ と あ る の で 九 条 家 の 当 主 の 道 家 に 六 巻 本 ﹃ 治 承 物 語 ﹄ 書 写 を 伝 え た 二 条 忠 高 は ﹁ 天 隆 ﹂・ ﹁ 寶 冶 ﹂ 案 を 提 出 し た 。 複 数 の 年 号 案 を 公 が 慎 重 に 審 議 し て 最 良 原 案 を 承 認 す る ま で の 経 緯 に つ い て 、 勘 申       年 號 事 、 元 康 、 此 文 俄 於 陣 見 、 不 覚 、 遂 可 勘 入 、 仁 治   新 唐 書 曰 、 太 宗 以 寛 仁 冶 天 下 、 右 依  宣 旨 、 勘 申 如 件   従 二 位 大 蔵 喞 兼 式 部 大 輔 越 前 権 守 菅 原 朝 臣 為 長               ︵ 中 略 ︶ 喜 慶 、   毛 詩 曰 、 有 喜 慶 、 禎 詳 先 来 見 也 康 萬 、

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (395)― 237 ―   東 觀 漢 記 曰 、 黎 元 寧 康 、 萬 國 協 和 、               ︵ 中 略 ︶ 諸 喞 皆 止 二 仁 治 之 挙 一 云 々 、 案 レ 之 ︵ 中 略 ︶ 其 後 治 承 大 乱 出 来 、 世 々 衰 幣 損 亡 起 自 二 此 時 一 、 文 治 天 下 之 乱 逆 未 定 、 宗 盛 公 已 下 首 入 京 、 梟 獄 門 、 又 義 経 、 行 家 、 々 光 等 謀 叛 赴 二 西 海 一 、 於 二 攝 州 合 戦 一 、 遂 義 経 不 レ 知 二 行 方 一 、 数 年 頼 朝 喞 費 レ 心 、 文 治 之 訓 、 世 俗 之 説 、 可 分 王 地 歟 云 々 、 ︵ ﹃ 平 戸 記 ﹄ 延 応 二 年 七 月 十 六 日 ︶ 新 年 号 ﹁ 仁 治 ﹂ に 議 決 す る に 際 し て 、 施 線 部 で の 議 事 内 容 は 前 掲 し た ﹁ 治 承 之 天 下 大 事 ﹂ が 発 端 に な っ て 源 平 の 争 乱 へ 陥 っ た と す る 経 房 の 見 解 と 合 致 す る 。 二 重 施 線 部 で 平 家 一 門 の 滅 ぼ し た 源 頼 朝 が 弟 の 義 経 を 追 撃 に 腐 心 し て い く 顚 末 を ﹁ 文 治 之 訓 ﹂ と し て い る こ と や 元 暦 二 年 ︵ 一 一 八 五 ︶ 六 月 の 平 宗 盛 父 子 の 斬 首 や 同 年 十 一 月 に 叔 父 行 家 と と も に 都 を 落 ち て い く 悲 劇 を 上 喞 た ち が 話 頭 に の せ て い る 。 年 号 の 出 典 は あ く ま で 中 国 の 古 典 で あ る の は 周 知 の こ と だ が 、 右 文 の 施 線 で ﹁ 治 承 大 乱 出 来 、 世 々 衰 幣 損 亡 ﹂ と あ る の で 、 年 号 を 書 名 に し た ﹃ 治 承 物 語 ﹄ が 改 元 定 の 審 議 と 関 連 す る 。 改 元 定 の 儀 式 の 年 号 勘 文 に 資 す る ﹃ 治 承 物 語 ﹄ な ら ば 、 源 頼 朝 を 中 心 に 壇 ノ 浦 海 戦 を も 対 象 に し た 物 語 で あ っ た と の 推 定 も で き よ う 。   ﹁ 治 承 ﹂ の 日 々 を 澆 季 末 代 に 及 ん で い く 始 発 の 災 禍 に み ま わ れ た 時 期 と し て 、 人 々 の 脳 裏 に 刻 ま れ 、 機 会 あ る ご と に 回 顧 し て い た 。 そ れ が ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 書 名 の 今 一 つ の 由 来 で あ ろ う 。

︶ 

鹿

  物 語 で は 平 家 一 門 へ の 反 撃 の 最 初 と な る 鹿 ヶ 谷 事 件 を み て い こ う 。 平 家 討 伐 の 密 議 を 延 慶 本 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ に 、 其 比 静 憲 法 印 ト 申 ケ ル 人 ハ 、 故 少 納 言 入 道 信 西 ガ 子 息 也 。 万 事 思 知 テ 振 舞 人 ニ テ 有 ケ レ バ 、 平 相 国 モ 殊 ニ 用 テ 、 世 中 ノ 事 共 時 々 云 合 セ ラ レ ケ リ 。 法 皇 ノ 御 気 色 モ ヨ ク テ 、 蓮 華 王 院 執 行 ニ モ ナ サ レ ナ ド シ テ 、 天 下 ノ 御

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『治承物語』復元考 (394) ― 236 ― 政 常 ニ 被 二 仰 合 一 ケ ル ニ 、﹁ サ テ モ 此 事 ハ 、 イ カ ヾ 有 ベ キ ﹂ ト 法 皇 仰 ノ 有 ケ レ バ 、﹁ 此 事 努 々 々 不 レ 可 レ 有 ト 覚 候 。 今 ハ 人 多 承 候 ヌ 。 何 ガ シ 候 ベ キ 。 只 今 天 下 ノ 大 事 出 来 候 ナ ン ズ 。 我 君 ハ 天 照 大 神 七 十 二 代 、 太 上 法 皇 ノ 尊 号 ニ テ 御 坐 候 ト イ ヘ ド モ 、 王 法 ノ 代 、 末 ニ 成 リ 、 清 盛 又 朝 家 ニ 盛 也 。 其 ト 申 ハ 、 君 ノ 御 恩 ナ ラ ズ ト 云 事 ナ シ 。 然 而 朝 敵 ヲ 平 ル 事 度 々 也 。 サ レ バ 何 ヲ 以 清 盛 ヲ バ 失 ハ セ 給 候 ベ キ ﹂ ト 、 無 レ 所 レ 憚 被 レ 申 ケ レ バ 、 成 親 喞 気 色 替 テ 立 レ ケ ル ガ 、 ︵ 中 略 ︶ 静 憲 バ カ リ ゾ 浅 猿 ト 思 テ 、 物 モ 宣 ハ ズ 、 声 ヲ モ 被 レ 出 ザ リ ケ ル 。   ︵ 一 本 ・ 二 二 ﹁ 成 親 喞 人 々 語 テ 鹿 谷 ニ 落 合 事 ﹂ ︶ と し て い る 。 院 の 近 臣 達 の な か に ひ と り 静 賢 ︵ 論 述 の 都 合 か ら 物 語 の ﹁ 静 憲 ﹂ を 、 以 下 で は ﹁ 静 賢 ﹂ と す る 。︶ だ け は 、 今 後 の 治 承 元 年 ︵ 一 一 七 七 ︶ 五 月 二 十 九 日 の 事 件 発 覚 か ら 治 承 四 年 ︵ 一 一 八 〇 ︶ 八 月 十 七 日 の 頼 朝 挙 兵 等 の ﹁ 内 乱 合 戦 ﹂ 等 を 暗 に 知 ら せ る か の よ う に ﹁ 天 下 の 一 大 事 に な り ま し ょ う ﹂ と 予 告 し た 。 施 線 部 は 前 掲 の 経 房 が 回 顧 し た ﹁ 天 下 大 事 ﹂ と ほ ぼ 同 一 の 静 賢 の 慨 嘆 で あ る 。﹃ 愚 管 抄 ﹄ に も 平 家 討 伐 の 密 議 を 次 の よ う に 叙 述 さ れ て い る 。 す な わ ち 、 ア マ リ ニ 平 家 ノ 世 ノ マ ヽ ナ ル ヲ ウ ラ ヤ ム カ ニ ク ム カ 、 叡 慮 ヲ イ カ ニ 見 ケ ル ニ カ シ テ 、 東 山 邉 ニ 鹿 谷 ト 云 所 ニ 静 賢 法 印 ト テ 、 法 勝 寺 ノ 前 執 行 、 信 西 ガ 子 ノ 法 師 ア リ ケ ル ハ 、 蓮 花 王 院 ノ 執 行 ニ テ 深 ク メ シ ツ カ ヒ ケ ル 。 萬 ノ 事 思 ヒ 知 テ 引 イ リ ツ ヽ 、 マ コ ト ノ 人 ニ テ ア リ ケ レ バ 、 コ レ ヲ 又 院 モ 平 相 國 モ 用 テ 、 物 ナ ド 云 ア ハ セ ケ ル ガ 、 イ サ ヽ カ 山 荘 ヲ 造 リ タ リ ケ ル 所 ヘ 、 御 幸 ノ ナ リ 〳 〵 シ ケ ル 。 コ ノ 閑 所 ニ テ 御 幸 ノ 次 ニ 、 成 親 ・ 西 光 ・ 俊 寛 ナ ド 聚 リ テ 、 ヤ ウ 〳 〵 ノ 議 ヲ シ ケ ル ト 云 事 ノ 聞 ヱ ケ ル 。 ︵ 巻 五 ― ― 二 四 四 ペ ー ジ ︶ と あ り 、 施 線 部 に は 万 事 に 通 暁 し た 人 材 で あ り な が ら 身 分 不 相 応 な と こ ろ が な か っ た の で 後 白 河 院 ・ 清 盛 の 両 者 か ら 意 見 を 求 め ら れ る ﹁ マ コ ト ノ 人 ﹂ で あ っ た と 静 賢 を 慈 円 は 礼 讃 し て い る 。 ち な み に ﹁ マ コ ト ﹂ の 語 彙 は ﹃ 愚 管 抄 ﹄ で は 、 第 三 十 三 代 崇 峻 天 皇 弑 逆 の 事 象 を も と に 仏 法 受 容 は 時 運 で あ る と 批 評 し て ﹁ モ ノ ヽ 道 理 ヲ タ ツ ル ヤ ウ ハ コ レ ガ マ コ ト ノ 道 理 ニ テ ハ 侍 也 。﹂ ︵ 巻 三 ― ― 一 三 八 ペ ー ジ ︶ と 用 い ら れ て い る 。 王 法 が 動 揺 せ ず に 機 能 し た 初 代 神 武 天 皇 か ら 十 三 代 成 務 天 皇 が 在 位 し て い た ﹁ 正 法 ﹂ の 世 を 経 て 、 徐 々 に 世 は き し み は じ め ﹁ サ ダ メ ナ キ 道 理 ﹂ ︵ 巻 三 ― ― 一 三 一 ペ ー ジ ︶ が 顕 現 し て く る 。 史 論 を 展 開 し て い た 当 時 は 四 天 王 寺 別 当 で あ っ た 慈 円 は 、 聖 徳 太 子 讃 仰

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (393)― 235 ― に 身 を 入 れ て い る 。 逆 臣 の 守 屋 の 征 伐 を 果 た し て 第 三 十 四 代 推 古 天 皇 を さ さ え る ﹁ 権 者 ﹂ こ と 仏 ・ 菩 薩 が 衆 生 救 済 の た め に 仮 の 姿 を と っ た ﹁ 太 子 オ ハ シ マ ス ラ ン 世 ﹂ ︵ 巻 三 ― ― 一 四 〇 ペ ー ジ ︶ で あ る か ら 仏 法 受 容 は 道 理 な の で あ る と 力 説 す る 。﹃ 縁 起 ﹄ を 真 読 し て い る 慈 円 が 彷 彿 し て い る の は 明 白 で あ る 。﹁ 世 ノ 道 理 ノ ウ ツ リ ユ ク 事 ﹂ ︵ 巻 七 ― ― 三 二 四 ペ ー ジ ︶ の 枢 要 で 用 い ら れ て い る ﹁ マ コ ト ﹂ の 語 彙 か ら 推 定 し て 、 静 賢 へ の 慈 円 の 思 い 入 れ は 尋 常 で は な い 。 静 賢 を ﹁ 萬 ノ 事 思 ヒ シ リ テ 引 イ リ ツ ヽ 、 マ コ ト ノ 人 ﹂ と こ と さ ら 叙 述 し た こ と に よ っ て ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 鹿 ヶ 谷 で の 平 家 討 伐 の 密 議 場 面 で は 静 賢 が 浮 き 上 が っ て し ま い 、 晦 渋 な 文 章 に な っ て い る 16 。 こ れ を 如 何 に 理 解 す べ き な の か 。   ﹃ 続 古 事 談 ﹄ ︵ 第 一  王 道 后 宮 ・ 第 三 六 話 ︶ に は 静 賢 の 予 見 を 主 題 に し た 説 話 が 収 載 さ れ て い る 。 そ れ は 兼 実 の 女 で あ る 任 子 ︵ 一 一 七 三 ∼ 一 二 三 八 ︶ が 後 鳥 羽 院 と の あ い だ に 皇 子 が 誕 生 せ ず 、 九 条 家 は 外 戚 を 築 け ず 、 任 子 も 建 久 七 年 の 政 変 で 内 裏 を 退 出 す る 事 態 を 説 話 の 主 題 と し て い る 。 す な わ ち 、 宜 秋 門 院 ノ 御 名 ノ サ ダ メ ア リ ケ ル 時 、 兼 光 中 納 言 、 任 子 ト 云 御 名 ヲ タ テ マ ツ ラ レ タ リ ケ ル ヲ 、 静 賢 法 印 、 申 テ イ ハ ク 、﹁ 白 氏 ノ 遺 文 ニ 任 子 行 ト イ フ 文 ア リ 。 シ カ モ 、 カ レ ハ 、 コ ト ア ル 文 也 。 コ ノ 御 名 イ カ ヾ ア ル ベ カ ラ ム ﹂ ト 申 タ リ ケ レ バ 、 九 条 殿 、 モ チ ヰ サ セ 給 テ 、 ア マ ネ ク 御 尋 ア リ ケ レ ド モ 、 サ ル 事 ア リ ト 申 人 モ ナ カ リ ケ ル ニ 、 敦 綱 バ カ リ コ ソ オ ボ エ テ 、﹁ サ ル 事 侍 リ 。 モ ト モ サ ラ ル ベ キ 事 ナ リ ﹂ ト 申 タ リ ケ レ 。 大 才 ノ 人 モ ヲ ノ ヅ カ ラ 、 ミ ヲ ヨ バ ヌ 事 ア リ 。 チ カ ラ ヲ ヨ バ ザ ル 事 也 。 で あ っ て 、 本 説 話 の 発 現 す る 背 景 と し て は ﹃ 玉 葉 ﹄ 文 治 五 年 ︵ 一 一 八 九 ︶ 十 一 月 十 五 日 条 に ﹁ 一 同 任 子 を 用 ひ ら る べ き 由 を 申 す ︵ 右 大 弁 定 長 発 語 、 こ の 中 定 能 、 経 房 等 、 位 字 又 宜 し き 由 を 加 へ 申 す 。 賀 長 立 字 を 加 へ 申 す ︶︵ 中 略 ︶ 長 保 元 年 、 上 東 門 院 、 三 位 に 叙 し 、 給 ひ し 日 、 御 堂 参 内 拝 賀 す 。 退 出 の 次 東 三 条 院 に 参 り 給 ふ 。 か の 例 を 追 は し む る な り 。﹂ と み え て お り 、 翌 年 正 月 に 入 内 す る に 先 だ っ て 、 女 の 彰 子 か ら 後 一 条 天 皇 ・ 後 朱 雀 天 皇 が 誕 生 し て 権 勢 を 誇 る 道 長 の 吉 例 に 倣 っ て ﹁ 任 子 ﹂ と 命 名 し た の で あ っ た 。 道 長 の 子 の 頼 通 よ り 以 来 途 絶 え て い る 外 戚 関 係 を 築 こ う と す る 大 い な る 宿 意 で あ っ て 、 そ れ は ﹃ 玉 葉 ﹄ の 同 日 の 条 に は ﹁ 早 旦 姫 君 、 大 原 野 社 に 参 内 す 、 入 内 の 事 を 祈 ら ん た め な り 。 密 々 の 事 な り 。 世 の 網 代 車 ⋮ ⋮ ﹂ と あ り 、 西 山 の 麓 に あ る 藤 原 氏 の 氏 神 を 祀 る 大 原 野 社 に 兼 実 は 参 っ た

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『治承物語』復元考 (392) ― 234 ― こ と か ら 明 ら か で あ る 。 当 時 は 慈 円 は 西 山 で 報 恩 講 を 行 っ た り 、 百 首 歌 を 詠 作 し 17 、 西 山 の 阿 智 坂 を 下 り 洛 中 の 兼 実 邸 へ 出 向 い て い た 。 こ の ﹁ 入 内 定 ﹂ の 十 日 後 の ﹃ 玉 葉 ﹄ 二 十 五 日 条 に は ﹁ 今 日 法 慈 円 性 寺 座 主 来 ら る 。﹂ と あ る の で 、 こ の こ と を 慈 円 は 弁 え て い た 。 後 鳥 羽 天 皇 の 元 服 と と も に 中 宮 と な る が 、 天 皇 と の あ い だ に 皇 子 が 生 ま れ ず 、 政 変 で 宮 中 を 追 わ れ て 出 家 し た 任 子 の 悲 運 を も と に ﹃ 白 氏 文 集 ﹄ の ﹁ 任 子 行 ﹂ に 通 じ る の で 凶 と 判 じ る 静 賢 を 造 型 し て い る 。 九 条 家 の 内 情 に 通 じ る 人 が 語 り 出 し た 説 話 で あ っ た と 思 わ れ る 。 九 条 家 に 相 応 の 位 置 を 確 保 し て い た 静 賢 が 浮 上 す る の で 、 慈 円 と 静 賢 と の 交 わ り の 有 無 か ら 、 慈 円 圏 を 窺 っ て い こ う 。   執 政 の ﹁ 臣 ﹂ に 就 い た 兼 実 の 女 の 任 子 が 後 鳥 羽 天 皇 の 中 宮 に な り 、 慈 円 は 建 久 三 年 ︵ 一 一 九 二 ︶ 十 一 月 二 十 九 日 に は 天 台 座 主 に 補 さ れ る 。 そ の 四 ヶ 月 前 に 西 山 で は 、 建 久 三 年 八 月 観 性 法 橋 舊 迹 の 西 山 往 生 院 に ま か り て 如 法 経 か く と て 歌 あ ま た よ み て 人 々 の 許 へ 遣 な か に 殿 下 へ 申 山 て ら の 秋 は む か し に か は ら ね と 主 な き 色 は こ ゝ ろ に そ そ む ︵ 五 六 六 四 ︶ 御 返 事 山 て ら の 主 な き 色 は き く ひ と の よ そ の む ね た に に く る し き 物 を ︵ 五 六 六 五 ︶ ︵ 中 略 ︶ 静 賢 法 印 之 許 へ つ か は す 法 の 花 の こ る に ほ ひ に を く 露 は 昔 は こ ふ る 涙 な り け り ︵ 五 六 七 〇 ︶ か へ し 法 の 露 ふ か き 契 を む す は す は 涙 の 露 も か ゝ ら さ ら ま し ︵ 五 六 七 一 ︶ 五 六 六 四 番 歌 で 兼 実 に 院 主 の 観 性 逝 去 に よ る 寂 寞 と し た 悲 哀 を 詠 じ 、 五 六 七 〇 番 歌 で は 仏 法 が 華 や か に 残 る 現 今 に な が れ る 涙 は 我 が 師 の 観 性 を 思 慕 す る 涙 で あ っ た 慈 円 は 静 賢 に 対 し て 詠 ん で い る 。 慈 円 は 静 賢 と 親 交 を 深 め て い た 。 建 仁 元 年 ︵ 一 二 〇 一 ︶ 八 月 三 日 の 和 歌 所 で 後 鳥 羽 院 が 主 催 し た ﹁ 影 供 歌 合 ﹂ で は 、 静 賢 は 任 子 に 仕 え た 丹 後 に 、

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (391)― 233 ―     左 持                                       丹 後 百 夜 と も し ち の ま ろ ね は 頼 め け り い つ 我 恋 の 限 り な る ら ん     右                                       静 賢 お も ひ き や わ か の 浦 に て み し 人 に 老 の 波 ま て 袖 ぬ れ ん と は と 老 境 の 感 慨 を 詠 じ た 。 同 年 十 二 月 二 十 八 日 に 石 清 水 社 の 本 殿 の 前 で 被 講 さ れ た 歌 合 に も 慈 円 は 、 野 辺 さ む し 荻 の 枯 葉 を 片 敷 て 過 る あ ら し を ま く ら に ぞ き く と 宮 内 と 番 い 、﹁ 左 哥 、 末 句 す ぐ る あ ら し を 枕 に ぞ 聞 と い へ る 心 、 尤 よ ろ し く 侍 る べ し 。 よ て 為 レ 勝 。﹂ と さ れ 、 六 条 藤 家 の 中 心 人 物 と し て 活 躍 し た 経 家 と 番 い 、 静 賢 は 、 ね が ふ 事 み つ の 深 山 の た び ね と や 嶺 の あ ら し や お ど ろ か す ら ん と 詠 じ て い る の で 、 歌 を 通 じ て 昵 懇 の 間 柄 で あ っ た 。 説 話 に 語 ら れ た 静 賢 が 任 子 の 境 涯 の 結 末 を 予 見 す る 内 容 と 物 語 の 密 議 で ﹁ 内 乱 合 戦 ﹂ を 予 告 す る 趣 向 と は 類 同 し よ う 。 前 掲 し た 建 久 三 年 八 月 の 西 山 で の 兼 実 と 静 賢 と の 贈 答 歌 を も と に 石 川 一 は ﹁ 観 性 法 橋 亡 き 跡 の 西 山 往 生 院 は 主 の い な い 寂 し さ に 満 ち 、 あ は れ は 例 え よ う も な い 程 で あ り 、 荒 れ 果 て た 寺 と 聞 く の も 限 り な く 悲 し い と 詠 む 。 寿 永 元 年 九 月 一 四 日 、 如 法 経 が 初 め て 行 わ れ た の も 、 西 山 の 観 性 の 草 庵 で あ っ た 。 い わ ば 、 九 条 家 に よ る 仏 法 興 隆 は こ の 土 地 か ら 始 ま っ た の で あ る 。﹂ と 論 じ て い る 18 。 建 仁 元 年 ︵ 一 二 〇 一 ︶ の 歌 合 以 降 に 在 世 し て い た 静 賢 の 証 憑 が な い う え 、 丹 後 へ の 歌 に ﹁ 老 の 波 ま て ⋮ ⋮ ﹂ と 詠 じ て い る の で 程 な く 静 賢 は 没 し た の で あ ろ う 。 そ の 時 よ り 十 年 近 く 経 過 し て 組 織 さ れ る 西 山 で 、 先 見 の 明 が あ る 静 賢 が 物 語 化 さ れ た と し て も 決 し て 不 自 然 で は あ る ま い 。 延 慶 本 に 、 東 山 ニ 鹿 谷 ト 云 所 ハ 、 法 勝 寺 ノ 執 行 俊 寛 ガ 領 也 。 件 ノ 処 ハ 、 後 ハ 三 井 寺 ニ ツ ヾ キ テ 吉 城 也 ト テ 、 彼 コ ニ 城 ヲ 構 ヘ テ 、 平 家 ヲ 討 テ 引 籠 ラ ム ト ゾ 支 度 シ ケ ル 。   ︵ 一 本 ・ 二 二 ﹁ 成 親 喞 人 々 語 テ 鹿 谷 ニ 落 合 事 ﹂ ︶ 鹿 ヶ 谷 の 密 議 で 成 親 の 狩 衣 で 倒 れ た ﹁ 瓶 子 ﹂ に ﹁ 平 氏 ﹂ を 掛 け て ﹁ 康 頼 、﹁ ソ レ ヲ バ 頸 ヲ 取 ニ ハ 不 レ 如 カ ﹂ ト テ 、

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『治承物語』復元考 (390) ― 232 ― 瓶 子 ノ 頸 ヲ 取 テ 入 リ ケ リ 。 法 皇 モ 興 ニ 入 セ 給 テ 、 ⋮ ⋮ ﹂ と 猿 楽 ま が い の 場 面 を 創 り 出 し て 、﹁ 静 憲 バ カ リ ゾ 浅 猿 ト 思 テ 、 物 モ 宣 ハ ズ 、 声 ヲ モ 被 レ 出 ザ リ ケ ル ﹂ と 唖 然 と し て い る 静 賢 を 造 型 し た の で あ っ た 。 こ こ に も 歌 の 常 套 で あ る ﹁ 掛 詞 ﹂ を も と に 愉 楽 の 筆 致 が 看 取 さ れ る で あ ろ う 。 物 語 の 施 線 部 に は 俊 寛 の 領 有 す る 所 と あ る の に 対 し て 、 こ の 施 線 部 に 該 当 す る ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 文 章 で は ﹁ 東 山 邊 ニ 鹿 谷 ト 云 所 ニ 静 賢 法 印 ト テ ︵ 中 略 ︶ イ サ ヽ カ 山 庄 ヲ ツ ク リ タ リ ケ ル 所 ﹂ と あ っ て 、 相 違 す る か の よ う で あ る 。 こ の こ と か ら 、 こ れ ま で の 研 究 で は ﹃ 愚 管 抄 ﹄ を 史 実 と 見 な し 、 物 語 で は 孤 島 に 流 罪 さ れ て 憤 死 す る 俊 寛 の 悲 劇 と の 因 縁 を も た せ る た め の 虚 構 と さ れ て き て い る 19 。 が 、 施 線 部 の ﹁ 執 行 俊 寛 ガ 領 也 ﹂ と は 、﹁ 法 勝 寺 執 行 に は 、 保 元 頃 に 静 憲 が 補 さ れ 、 平 治 の 乱 に よ っ て 寛 雅 に 代 わ り 、 そ の 後 、 俊 寛 が 補 さ れ た が 、 鹿 谷 事 件 に よ っ て 再 び 静 憲 に 代 わ っ た ︵ 中 略 ︶ 俊 寛 個 人 の 所 有 で は な く 、 法 勝 寺 の 寺 務 職 と し て 鹿 谷 周 辺 を 管 理 し て い た こ と を 意 味 す る ︵ 中 略 ︶ ﹁ 俊 寛 カ 領 ﹂ と い う 伝 と 静 憲 の 山 荘 と い う 伝 と は 、 全 く 相 反 す る 所 伝 で も な い ﹂ と の 見 解 が 出 さ れ る に 至 っ た 20 。 と す れ ば 、 俊 寛 の 山 荘 に 変 更 し た と は か な ら ず し も い え な い 。 実 際 に ﹁ 法 勝 寺 ノ 執 行 ﹂ で あ っ た 俊 寛 が ﹁ 城 也 ト テ 、 彼 コ ニ 城 ヲ 構 ヘ テ ﹂・ ﹁ 俊 寛 ガ 坊 ニ 寄 合 テ ﹂ と 虚 実 融 合 さ せ て い る 物 語 に 依 拠 し て 、﹃ 愚 管 抄 ﹄ で は 物 語 の 平 家 討 伐 の 密 猿 楽 ま が い の 密 議 を ﹁ ヤ ウ 〳 〵 ノ 議 ヲ シ ケ ル ト ﹂ ︵ 巻 五 ― ― 二 四 四 ペ ー ジ ︶ と 簡 約 に し た こ と に な ろ う 。 こ の 密 議 の 言 辞 に 直 結 さ せ て 、 コ レ ハ 一 定 ノ 説 ハ 知 ネ ド モ 、 満 仲 ガ 末 孫 ニ 多 田 蔵 人 行 綱 ト 云 シ 者 ヲ 召 テ 、 ︵ 中 略 ︶ 安 元 三 年 六 月 二 日 カ ト ヨ 、 西 光 法 師 ヲ 呼 ト リ テ 八 條 ノ 堂 ニ テ ヤ 竹 ニ カ ケ テ ヒ シ 〳 〵 ト 問 ケ レ バ 皆 、 オ チ ニ ケ リ 。 ︵ 中 略 ︶ 俊 寛 ト 検 非 違 使 康 頼 ト ヲ バ 硫 黄 島 ト 云 所 へ ヤ リ テ 、 カ シ コ ニ テ 又 俊 寛 ハ 死 ニ ケ リ 。 ︵ 巻 五 ― ― 二 四 四 ∼ 四 六 ペ ー ジ ︶ と あ っ て 、 二 重 施 線 部 で は 慈 円 の 釈 明 の 言 辞 が 付 さ れ て も い る か ら で あ る 。 当 該 箇 所 の ﹁ 満 仲 ガ 末 孫 ニ 多 田 蔵 人 行 綱 ト 云 シ 者 ﹂ の 言 辞 に は 安 和 二 年 ︵ 九 六 九 ︶ 三 月 の 政 変 で 源 高 明 を 裏 切 っ て 密 告 し た 満 仲 が イ メ ー ジ さ れ て お り 、 歌 人 慈 円 の 姿 勢 が 看 取 で き る の で あ る 21 。 そ の こ と は ﹁ 多 田 満 仲 此 由 ヲ 奏 聞 シ タ リ ケ レ バ 、 西 宮 殿 ハ 被 レ 流 給 ニ ケ リ 。﹂ ︵ 延 慶 本 ・ 二 中 ・ 二 六 ﹁ 後 三 条 院 ノ 事 ﹂ ︶ と の 一 文 に よ っ て も 傍 証 さ れ る で あ ろ う 。 換 言 す れ ば 、 二 重 施 線 部 は ﹃ 治 承 物 語 ﹄ に 依 拠 し つ つ 鹿 ヶ 谷 事 件 を 叙 述 し た こ と を こ と わ る 慈 円 の 注 記 で あ っ た と 思 わ れ る 。

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (389)― 231 ― 時 空 を 横 断 さ せ て 道 理 を 説 く 歌 人 慈 円 に は ﹁ 掛 詞 ﹂ の 修 辞 が 無 意 識 に 作 用 し て 俊 寛 ・ 静 賢 が と も に ﹁ 法 勝 寺 ノ 執 行 ﹂ を 勤 め た 史 実 が 合 わ さ っ た 。 ま た 清 盛 か ら も 信 頼 さ れ る 同 時 に 静 賢 は 後 白 河 院 の 懐 刀 で あ り 22 、 院 の 近 臣 で あ り な が ら 平 家 一 門 の あ い だ を 巧 妙 に 生 き た 思 慮 深 い 人 で あ っ た こ と 等 が 論 じ ら れ て お り 23 、 こ の 実 相 を も と に ﹁ マ コ ト ノ 人 ﹂ と 慈 円 は 簡 約 し た こ と に な り 、﹃ 愚 管 抄 ﹄ で の 静 賢 と の 人 物 評 に も 歌 の ﹁ 本 説 ﹂ の 修 辞 が は た ら い て い た と も 推 測 で き る で あ ろ う 。

︶ 

  治 承 四 年 ︵ 一 一 八 〇 ︶ 四 月 に 平 清 盛 の 外 孫 の 安 徳 天 皇 が 即 位 す る 。 鬱 屈 し て い る 以 仁 王 に 源 頼 政 が 平 家 打 倒 を 勧 説 し た 物 語 は ﹃ 治 承 物 語 ﹄ に あ っ た 24 。 と こ ろ が ﹃ 愚 管 抄 ﹄ で は 以 仁 王 が ﹁ 王 位 ニ 御 心 カ ケ タ リ ﹂ ︵ 巻 五 ― ― 二 四 八 ペ ー ジ ︶ で あ っ た 。 上 横 手 雅 敬 は ﹁ 頼 政 が 首 謀 者 だ と い う 観 測 は ま っ た く な か っ た の で あ る 。 物 語 に 見 え る 頼 政 の 激 辞 は た し か に 名 文 だ が 、 こ れ は 時 勢 を 慨 す る 一 般 論 で あ り 、 要 す る に 物 語 作 者 の 思 想 が 語 れ て い る に す ぎ ず 、 こ れ は 頼 政 の 言 葉 だ と 見 る こ と は で き な い 。﹂ と 論 じ て い る 25 。 こ こ で 上 横 手 が 言 っ て い る ﹁ 物 語 作 者 の 思 想 ﹂ に は 、 本 稿 で こ れ ま で に も 屢 述 し て き て い る 王 法 が 動 揺 し て ﹁ 人 将 ﹂ の 頼 朝 が 時 運 に か な う こ と が 挙 げ ら れ よ う 。 そ の た め 既 存 の ﹁ 世 継 物 語 ﹂ を 引 き 継 ぎ つ つ も 、 同 時 に 東 国 の 武 士 の 動 向 を 見 据 え た ﹁ い く さ 物 語 ﹂ と な っ て い る の で 、 そ の 前 哨 戦 に あ た る 以 仁 王 の 乱 に は 慈 円 圏 で の 虚 構 が 多 分 に 含 ま っ て い た は ず で あ ろ う 。 嫡 子 の 仲 綱 に 飼 わ れ て い た 駿 馬 へ の 宗 盛 に よ る 理 不 尽 な 行 為 に 立 腹 し た 頼 政 が 、 以 仁 王 に 勧 説 し た と 実 相 を 変 更 し た の で あ っ た 。 頼 政 の 私 情 が 昂 じ て 平 家 打 倒 を 企 て た と 物 語 化 す る と こ ろ に 愉 楽 の 色 彩 も 帯 び て く る 。 す な わ ち 慈 円 圏 で ﹁ 遊 び 心 ﹂ に 傾 斜 し た 結 果 に よ る も の で あ っ た と 思 わ れ る 。   物 語 の な か で 潤 色 さ れ た 頼 政 を 窺 っ て い く と 、 頼 政 は 四 天 王 寺 に 参 詣 し て 、

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『治承物語』復元考 (388) ― 230 ―         九 月 廿 日 余 の 程 に 天 王 寺 に ま ゐ り て 侍 り し に 、 伊 賀 入 道 為 業 が 許 よ         り 、 籠 り て 侍 り け る が か く 聞 き て 遣 は し た り し 君 来 ず は 誰 に 見 せ ま し 津 の 国 の 難 波 わ た り の 秋 の 気 色 を ︵ 六 四 三 ︶         返 し 心 あ る 君 ま し け れ ば 共 に こ そ 難 波 わ た り に 気 色 を も 見 め     ︵ 六 四 四 ︶         又 女 房 大 輔 参 り た り け る に 、 か く と 聞 き て 遣 し た り し 底 清 み 掬 ぶ 亀 井 の 水 澄 み て 心 の 垢 を 濯 ぎ 果 て つ る ︵ 六 四 五 ︶         返 し 手 に 掬 ぶ 亀 井 の 水 は 西 の 海 を 渡 す 心 を 濯 が ざ ら め や ︵ 六 四 六 ︶         こ の 事 を 伊 賀 の 入 道 聞 き て 、 言 ひ 遣 し け る 西 の 海 に 渡 す 心 の 月 の 舟 亀 井 よ り こ そ 澄 み 上 る ら め ︵ 六 四 七 ︶         返 歌 我 が 心 亀 井 に 澄 め ど 西 へ 行 く 月 の 舟 に ぞ 乗 り 移 り ぬ る ︵ 六 四 八 ︶         又 こ れ よ り 入 道 の 許 へ 遣 し け る も ろ と も に い ざ さ は 行 か ん 極 楽 の 門 迎 ひ す る 所 な り け り  ︵ 六 四 九 ︶         返 し 奥 津 波 君 先 立 て て 清 き 海 の 舟 で 急 が ん 西 の 門 よ り ︵ 六 五 〇 ︶ と あ っ て 、 六 四 六 番 歌 で 清 浄 な 亀 井 の 水 で 心 の 垢 を 濯 げ ば 極 楽 浄 土 へ 渡 れ る と 頼 政 は 大 輔 に 贈 っ た 。﹃ 荒 陵 寺 御 手 印 縁 起 ﹄ の 四 天 王 寺 金 堂 が 極 楽 土 の 東 門 に あ た る と の 教 え に 則 っ て い る 。 大 輔 と 頼 政 の 歌 の 贈 答 を 知 っ た ﹁ 伊 賀 入 道 ﹂ す な わ ち 大 原 三 寂 の ひ と り で あ る 寂 念 か ら 送 ら れ た 歌 に 対 し て 六 四 八 番 歌 で 亀 井 の 水 で 心 を 濯 い で い ま す の で 、 西 方 浄 土 へ い く 舟 に 乗 り 移 っ て い け ま す と 応 じ た 。 寺 の 景 観 を 眺 望 し な が ら 、 寺 の 門 前 の 彼 方 に ひ ろ

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (387)― 229 ― が っ て い る 難 波 の 海 は 浄 土 へ 通 じ る と の 信 仰 に 基 づ い て 詠 じ 、 六 四 九 番 歌 で は 極 楽 土 の 東 門 ま で 出 迎 え 、 寂 念 と 一 緒 に 往 生 し よ う と 誘 っ て い る 。 他 方 、 既 述 し た よ う に 大 原 三 寂 の 今 ひ と り で あ る 寂 超 が 作 者 で あ る ﹃ 今 鏡 ﹄ が ﹃ 治 承 物 語 ﹄ 創 出 に 重 要 視 さ れ て い る の で 、 大 原 三 寂 を 介 し て 慈 円 は 頼 政 に 関 心 を む け た と 思 わ れ て く る 。   後 一 条 天 皇 の 菩 提 所 と し て 建 立 さ れ た 菩 提 寿 院 の 池 の 蓮 で 、 生 ん だ ほ と と ぎ す の 子 を 鶯 が 育 て て い る と の 評 判 を 伝 え 聞 い た 頼 政 が 歌 を 詠 む 。 す な わ ち 、﹃ 今 鏡 ﹄ ︵ 内 聞 巻 十 ﹁ 敷 島 の 打 聞 ﹂ ︶ に 、 右 京 権 大 夫 頼 政 と い ひ て 歌 詠 め る 人 の 、 さ る 事 あ り と 聞 い て 、 わ ざ と た づ ね 来 て 、 そ の 鳥 の 籠 に 結 び 付 け ら れ 侍 り け る 歌 、           鶯 の 子 に な り に け る 郭 公 い づ れ の 音 に か 鳴 か む と す ら む と あ る の は 留 意 し な け れ ば な ら な い 。 建 久 八 年 ︵ 一 一 九 七 ︶ 、﹁ 廿 題 百 首 ﹂ に 詠 み 換 え て ﹁ 花 ﹂ の 題 を あ い だ に は さ ん で ﹁ 鶯 ﹂ を ﹁ 郭 公 ﹂ の そ れ ぞ れ 五 首 を 詠 じ 、 伝 統 的 和 歌 の 世 界 を 踏 ま え た 建 仁 元 年 ︵ 一 二 〇 二 ︶ 二 月 の ﹃ 老 若 五 十 首 歌 合 ﹄ の ﹁ 夏 十 首 ﹂ に 、 へ た つ な る う の は な か き の こ な た に て 鶯 し の ふ 郭 公 か な ︵ 六 〇 五 八 ︶ と 、 や は り 卯 の 花 の 中 垣 を 配 し な が ら 、 ほ と と ぎ す が 鶯 を し の ん だ と 慈 円 は 詠 じ て い る 。 頼 政 の 歌 を 意 識 し て い た よ う な 歌 で あ る 。 印 象 深 く 頼 政 の こ と が 慈 円 の 記 憶 に 残 る 余 地 が 十 分 に あ る と 判 断 さ れ よ う 。   ﹃ 今 鏡 ﹄ で は 頼 政 の 歌 に 対 し て 語 り 手 の 嫗 が ﹁ い と や さ し く 申 す め り し か 。﹂ と 吐 露 す る 。 こ れ は ﹃ 今 鏡 ﹄ 作 者 の 寂 超 が 、 頼 政 と 近 し い 関 係 に あ っ た か ら で あ る 26 。 こ の ﹁ 鶯 郭 公 の 子 を 育 て る 事 ﹂ の 話 柄 は 、 語 り 手 の 嫗 が ほ ぼ 語 り 尽 く し た 時 点 で あ る し 、 つ づ く ﹁ 紫 式 部 堕 獄 説 ﹂ で は 、﹃ 源 氏 物 語 ﹄ の な か で 仏 道 帰 依 し た 人 物 を 列 挙 し 、 物 語 を 書 い た た め に 地 獄 に 堕 ち た 紫 式 部 を 弁 護 し た 。 要 す る に 、 こ の 狂 言 綺 語 を め ぐ る 言 説 は 、 慈 円 を し て ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 企 画 す る 動 機 に な っ た こ と は 前 論 で ふ れ た と お り で あ り 、 あ ら た め て 強 調 し て お き た い 。 慈 円 は 頼 政 の 歌 や ﹃ 今 鏡 ﹄ を 介 し て で も 頼 政 を 弁 え て い る 。 語 り 手 の 嫗 は ﹃ 源 氏 物 語 ﹄﹁ 若 菜  上 ﹂ 巻 で 朱 雀 院 が 帝 位 を 捨 て た 一 節 を 引 き 、

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『治承物語』復元考 (386) ― 228 ― 西 山 の 麓 に 住 み 給 ふ な ど も 、 仏 の 道 に 入 り 給 ひ 、 深 き 御 法 に も か よ ふ 御 あ り さ ま な り 。 と の 体 験 談 へ 及 ば せ た 。 こ の ﹁ 西 山 ﹂ は 愛 宕 山 か ら 天 王 山 に 至 る 京 都 盆 地 の 西 を く ぎ る 山 な み で あ る も の の 27 、﹁ 掛 詞 ﹂ の 修 辞 が は た ら け ば 、 洛 南 と 同 じ ﹁ 西 山 ﹂ を 呼 び 起 こ し て 頼 政 へ の 関 心 が 慈 円 圏 で 増 幅 す る に ち が い な い 。 ま た 安 元 元 年 ︵ 一 一 七 五 ︶ 七 月 二 十 三 日 か ら 治 承 三 年 ︵ 一 一 七 九 ︶ 十 月 八 日 の 間 に 十 回 程 あ っ た ﹁ 兼 実 邸 歌 合 ﹂ に も ひ ん ぱ ん に 頼 政 は 参 加 し て い た 。﹃ 玉 葉 ﹄ に は ﹁ 晩 景 密 々 和 歌 あ り 。 清 輔 、 頼 政 已 下 会 す る 者 十 余 人 、 題 五 首 、 当 座 に 於 て 作 者 を 隠 し 、 こ れ を 合 わ せ て 評 定 す 。﹂ ︵ 安 元 元 年 七 月 二 十 三 日 ︶ ・﹁ 密 々 和 歌 の 会 あ り 。 季 経 朝 臣 、 頼 輔 朝 臣 、 頼 政 朝 臣 已 下 、 十 余 人 会 合 す 。﹂ ︵ 安 元 二 年 五 月 二 十 八 日 ︶ 等 と あ り 、 他 方 で は ﹁ 法 眼 道 慈 円 快 来 る 。﹂ ︵ 安 元 元 年 十 一 月 二 十 六 日 ︶ と 慈 円 は 兼 実 邸 に 来 訪 し て い る の は 、 大 原 の 江 文 寺 で 百 ヶ 日 の 念 仏 修 行 を し た 年 で あ っ た 。 翌 年 に は 比 叡 山 無 動 寺 で 千 日 入 道 を は じ め る 颯 爽 と し た 二 十 歳 の 行 者 の 慈 円 は 、 二 日 後 に 出 家 す る 七 十 二 歳 の 頼 政 の 様 々 な 事 柄 を 兼 実 か ら 聞 い て い た と 推 測 さ れ て く る 。   す で に 四 天 王 寺 別 当 を 閲 歴 し て い る 歌 人 慈 円 は 、 四 天 王 寺 参 詣 の 歌 を 詠 じ た 頼 政 に 共 鳴 し た な ら ば 、 頼 政 が 以 仁 王 に 勧 説 す る 物 語 を 企 画 す る で あ ろ う 。

︶ 

  源 頼 政 の 孫 の 慈 賢 ︵ 一 一 七 五 ∼ 一 二 四 一 ︶ は 、 慈 円 に 師 事 し た 天 台 僧 で あ る 。 し か も 父 の 頼 兼 は 従 五 位 下 と な っ て 鎌 倉 に 下 り 、 石 見 守 を 歴 任 し た 武 将 で あ っ た 。 以 仁 王 の 令 旨 を 受 け 取 っ て 挙 兵 し た 頼 朝 が 幕 府 を 開 く ま で の 経 緯 は 一 族 の 語 り 草 と な っ て い た で あ ろ う か ら 、 東 国 の 源 氏 の 動 向 を も 含 め て ﹁ 治 承 ﹂ の 争 乱 の 全 容 を 慈 賢 は 詳 し く 把 握 し て い る 。 台 密 事 相 に 関 す る 慈 円 の 口 伝 を 慈 賢 が 記 し た ﹃ 四 帖 秘 決 ﹄ ︵ 全 五 巻 ︶ 第 四 巻 に は 、 承 元 四 年 三 月 二 日 。 於 二 西 山 往 生 院 一 被 レ 授 二 快 雅 阿 闍 利 於 別 行 経 一 。 同 聴 祐 眞 ゝ ゝ ゝ 。 慈 賢 等 也 。 重 受 也

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熊本学園大学 文学・言語学論集 第19巻第2号(2012年12月25日) (385)― 227 ― と あ る の で 、﹃ 慈 鎮 和 尚 夢 想 記 ﹄ を 起 草 し た 一 年 近 く 後 に 慈 円 は 往 生 院 で 慈 賢 に も 別 行 経 を 講 説 し た の で あ る 。   慈 賢 は 寛 喜 二 年 ︵ 一 二 三 〇 ︶ 九 月 に 法 性 寺 座 主 に な り 、 仁 治 元 年 ︵ 一 二 四 〇 ︶ 八 月 に は 第 七 十 八 代 天 台 座 主 に な る 。 そ の 頃 に 九 条 道 家 の 主 導 し た 慈 円 周 辺 圏 が 組 織 さ れ て い た の で あ る 。 そ の た め 定 家 は ﹁ 殿 下 ︵ 束 帯 。 簾 中 ︶ ・ 右 内 府 ・ 大 納 言 定 通 ・ 雅 親 ・ 家 良 ・ 大 将 ・ 通 方 ・ 中 納 言 隆 親 ・ 実 有 ・ 家 光 ︵ 笏 ︶ ・ 参 議 経 高 ︵ 笏 ︶ ・ 実 世 ・ 有 親 ︵ 中 略 ︶ 慈 賢 曼 荼 羅 供 。﹂ ︵ ﹃ 明 月 記 ﹄ 文 暦 元 年 ︵ 一 二 三 四 ︶ 九 月 二 十 五 日 条 ︶ と あ っ て 道 家 主 催 の 法 会 に 招 か れ て い る 慈 賢 を 捉 え て い た 。   父 の 頼 兼 は 文 治 元 年 ︵ 一 一 八 五 ︶ 六 月 九 日 に は 一 ノ 谷 合 戦 の と き 捕 虜 と な っ た 平 重 衡 の 身 柄 を 受 け 取 っ て 上 洛 し て 、 南 都 に 護 送 し て い る 。 北 の 方 と 重 衡 が 今 生 の 別 れ を す る 情 況 を ﹃ 愚 管 抄 ﹄ に は 、 大 津 ヨ リ 醍 醐 ト ヲ リ 、 ヒ ツ 川 ヘ イ デ ヽ 、 宇 治 橋 ワ タ リ テ 奈 良 ヘ ユ キ ケ ル ニ 、 重 衡 ハ 、 邦 綱 ガ ヲ ト ム ス メ ニ 大 納 言 ス ケ ト テ 、 ︵ 中 略 ︶ コ ノ モ ト ノ 妻 ノ モ ト ニ 便 路 ヲ ヨ ロ コ ビ テ ヲ リ テ 、 只 今 死 ナ ン ズ ル 身 ニ テ 、 ナ ク 〳 〵 小 袖 キ カ ヘ ナ ド シ テ ス ギ ケ ル ヲ バ 、 頼 兼 モ ユ ル シ テ キ セ サ セ ケ リ 。 大 方 積 悪 ノ サ カ リ ハ コ レ ヲ ニ ク メ ド モ 、 又 カ ヽ ル 時 ニ ノ ゾ ミ テ ハ キ ク 人 カ ナ シ ミ ノ 涙 ニ ヲ ボ ホ ユ ル 事 ナ リ 。 ︵ 巻 五 ― ― 二 六 七 ペ ー ジ ︶ と あ る 。 父 の 直 話 を も と に ﹃ 治 承 物 語 ﹄ で 潤 色 さ れ 、 そ れ が 史 論 に 取 り 込 ま れ た 。 そ の こ と は 現 存 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 諸 本 と も に 南 都 の 大 衆 へ 引 き 渡 さ れ る 途 中 で 日 野 に 隠 れ て い る 北 の 方 と 面 会 が 許 さ れ た 重 衡 を め ぐ っ て ﹁ 源 三 位 入 道 子 息 、 蔵 人 大 夫 頼 兼 ガ 奉 ニ テ 具 テ 上 ラ ル 。 ︵ 中 略 ︶ 武 士 共 モ サ ス ガ 石 木 ナ ラ ネ バ 各 涙 ヲ 流 テ 、﹁ ナ ニ カ 、 苦 ク 候 ベ キ ﹂ ト テ 免 シ 奉 テ ケ リ ︵ 中 略 ︶ ﹁ 是 ニ 召 替 ヨ ﹂ ト テ 、 合 ノ 小 袖 、 白 帷 取 出 テ 奉 給 ケ レ バ 、 中 将 ﹁ ウ レ シ ク モ ト テ ﹂ ⋮ ⋮ ﹂ ︵ 延 慶 本 ・ 六 本 ・ 三 五 ﹁ 重 衡 卿 日 野 ノ 北 方 ノ 許 ノ 行 事 ﹂ ︶ と 語 っ て い る か ら で あ る 。﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 施 線 部 は ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 内 容 を 簡 約 に し た と 思 わ れ る 。 そ の た め 仏 法 王 法 相 依 の 道 理 に 則 り な が ら 、 憐 憫 の 情 に 打 た れ て い る 人 々 を 添 え て 、 右 文 末 尾 で 重 衡 の 人 物 評 を し た 。 ま た 神 器 の 都 入 り の ﹁ 御 共 ノ 武 士 ニ ︵ 中 略 ︶ 伊 豆 蔵 人 大 夫 頼 兼 ﹂ ︵ 延 慶 本 ・ 六 本 ・ 一 八 ﹁ 内 侍 所 神 璽 官 庁 入 御 事 ﹂ ︶ と 語 っ て も い る 。 こ の よ う に 頼 兼 が 物 語 に 登 場 す る の は 、 物 語 の 素 材 を 提 供 し た り 物 語 化 に 参 画 し た の は 慈 賢 で あ っ た か ら で あ ろ う 。

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