• 検索結果がありません。

<論文>日本人に必要な英語力とは 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "<論文>日本人に必要な英語力とは 利用統計を見る"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

<論文>日本人に必要な英語力とは

著者

中鉢 惠一

著者別名

Nakabach Keiichi

雑誌名

経営論集

52

ページ

99-107

発行年

2000-11-30

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00005564/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

日本人に必要な英語力とは

中 鉢 惠 一 はじめに 1. 日本人の英語力とは  1.1 英語ができるという意味  1.2 国際的に見た日本人の英語力  1.3 日本人英語の特徴 2. 日本人に必要な英語力とは  2.1 国際社会で通用する英語力  2.2 日本人が身につける必要のある英語の基礎力とは おわりに はじめに  アメリカの影響を大きく受けてきた戦後の日本において、英語ブームといわれるものは数度あっ たが、21世紀を目前にした現在、再び英語ブームの最中にある。しかし、今回のブームは以前のも のと異なる特徴を示している。第一に、小学校から大学・大学院にまで渡る教育改革の中で、とり わけ英語教育が重視されている点である。小学校から英語を教え始めようというのは、その表れと いってよいだろう。大学においても、教養英語的なものから ESP(English for Specific Purposes)へ シフトする学部・学科が増えてきている。第二に、国際化の波である。日本経済の弱体化と共に外 資系の会社が日本でも目立つようになり、また外国人の重役が日本の会社で活躍するようになるに つれて、英語を使わざるを得ない状況が生まれてきた。好むと好まざるに関わらず、英語はビジネ ス社会で生き残っていくためのツールとなりつつある。このような状況下にあって、日本人が英語 とどう関わっていくのかについて再認識し、どのような英語力をつけるか、あるいはどのような教 育をしていくかについて考えることが重要な課題となってきている。本稿においては、日本人の英 語力、日本人的英語の特徴を分析し、国際社会において活躍するために日本人が21世紀に向けて身 につける必要のある英語力について指摘し、さらには教育場面での改革を提言する。 1. 日本人の英語力とは 1.1  英語ができるという意味  英語を母語としない人物を指して、「あの人は英語ができる」とはいったい何を意味するのであ

(3)

経営論集 第52号(2000年11月) 100 ろうか。英語ができる人物の代表としてよく話題にされるのは、小・中・高校時代に英語文化圏で 数年過した経験をもつ帰国生、仕事で海外赴任をした経験をもつビジネスマン、英語文化圏の大 学・大学院で学んだ経験をもつ学者・研究者などがあげられる。これらの人物は、少なくとも英語 でコミュニケーションをとることができるという点では共通しているが、それで英語ができる人物 とは必ずしもいえない。もちろん個人差があるし、滞在した年数の差もある。しかし、私はあえて 英語ができる人物として以下のよう基準を満たしている人をあげたい。

 読むこと――新聞・雑誌(NY Times, Time Magazine など)の記事を1分間に200語程度読める  話すこと――自分の意見を述べることができ、議論に参加できる  聞く  ――ABC・CNN 等のニュースが聞き取れる  書く  ――大学でノートが取れ、レポートが書ける。200∼300語を20分程度で書ける  この基準はあいまいなところもあるが、アメリカの大学(院)で授業についていける最低限の力 と思ってもらえればよい。TOEFL で言えば、少なくとも550点は超えるはずである。言い換えると、 最低これぐらいはないと国際社会の中で対等に英語を使ってネゴシエーションはできないというこ とである。さて、この基準でいくと、海外赴任のビジネスマン(ただし、英語を日常的に使ってい たということが必要)や海外留学をした研究者等は基準を満たしていると言ってよいが、帰国生の 場合はちょっと怪しくなる。帰国生の多くは、小・中学校の数年を英語文化圏で過ごし、高校1・2 年生になるころまでに帰ってくることが多い。話すこと、聞くことに関しては、ほとんど問題はな い。読むことにおいても、速読という点では、よく訓練されている。しかし、書くということにな ると問題を持った学生が多いのも事実である。高等学校でレポートを書くという経験を積む前に 帰ってきてしまうのが、主とした原因であろう。従って、上記の条件を満たした、バランスの取れ た英語力を持って戻ってくる帰国生は少ないと言えるかも知れない。 1.2  国際的に見た日本人の英語力  日本人の英語力を国際的に測ったものとして TOEFL がよく引き合いに出される。1996年7月か ら1年間に TEOEFL を受験した結果によると、平均点において日本はアジアでは下から3番目の 496点であった(ETS, 1998)。この結果から見ると、日本人の英語力は世界の中でもきわめて低い ことになる。しかし、そのような結論を出すのは、あまりにも短絡的である。第一に、受験者数が あまりにも違いすぎるからである。597点のアジアでトップの点数をはじき出したシンガポールの 受験者数は1,209人であるのに対して、日本人受験者数は154,204人である。小学生から年配の人ま

(4)

でさまざまな人が受験している国と比較的限られた層が受験する国とを単純に比較することは、統 計的にあまり意味があるとは言えない。さらに、英語が公用語となっているマレーシアやシンガ ポールと比べること自体に問題があり、日本のように翻訳が高度に発達している国においては、そ もそも英語が学問をするための手段となっていないということを差し引いて考えなければいけない。 アジアの他国と比べて意味があるとすれば、日本の英語教育事情と似た環境にある韓国(平均518 点)と台湾(平均507点)であろう。韓国は数年前から英語教育に力を入れ始め、小学校から英語 教育を始めているという効果が出始めているようである。韓国や台湾に見習うところは多くあるよ うに思われる。  さて、日本人は一体英語ができるのか、できないのかということに関しては、どう答えたらよい のだろうか。その答えは簡単である。国連で働いている日本人はたくさんいるし、海外の会社で働 いている日本人もたくさんいることからして、日本人が特に英語ができないとは言えないというこ とである。しかし、だからと言って安心してはいられない現実もある。先にあげた基準を日本で英 語教育を受けた大学生に当てはめてみれば、この基準を満たす学生はおそらく1割にも満たないで あろう。日本の英語教育で行われていることは主として読むことであるが、その読むことにしても、 実際高等学校で行われている授業では、50分の授業で教科書を2ページ程度読んでいるに過ぎない。 読むことにおいてすらそのような現状であるから、聞く・話すにいたっては絶望的な状況である。 たとえば、高等学校3年間で一体何分英語を話しているであろうか。仮に1週間に英語が5時間 あったとして、そこで10分話したとしても、年間350分程度である。実際は、もっと少ない。話せ なくて、あたりまえである。抜本的な英語教育改革をしていかなければ、日本人全体の英語レベル は上がっていかないであろう。 1.3  日本人英語の特徴  一口に英語といっても、さまざまな変種がある。アメリカ英語、イギリス英語、オーストラリア 英語などはよく知られた変種であるが、その他世界中で地域に根ざしたさまざまな変種がある。英 語を第二言語として使っている人々にも地域や民族の特徴が現れる。フランス系、ドイツ系、中国 系、韓国系、日系など実にさまざまな特徴をもった英語が世界中に存在する。  変種を特徴づける要素として考えられるものは、大きく分けて4つある。発音的要素、語彙的要 素、社会言語・語用論的要素、そして書き言葉におけるレトリック的要素である。中でも発音的要 素は、変種を特徴づける最大のものといってよいだろう。たとえば、多くのアメリカ人は、話し手 の姿形を見ずに録音したテープだけを聞くことで、それが中国系か日本系かを聞き分けることがで きる。発音に関して日英語におけるもっとも顕著な違いは、日本語が音節拍リズム(syllabic-timed

(5)

経営論集 第52号(2000年11月) 102 rhythm)なのに対して、英語が強勢拍リズム(stress-timed rhythm)であるということである。すな わち、日本語の場合、各音節がほぼ等しい間隔で発音されリズムを作るのに対し、英語の場合はほ ぼ等しい間隔によって現れる強勢(stress)によってリズムが作られるというものである。日本人 英語話者の英語が平坦に聞こえると言われるのは、まさにこのことに起因する。日本人の発音に関 してもう1つ指摘しておかなければいけないのは、語尾に母音が入る傾向が見られるということで ある。たとえば、but を「バット」のように発音してしまうことである。しかし、この傾向は英語 を使って仕事をしたり、生活をしたりしている中・上級者にはそれほど多く見られない。おそらく、 語尾に母音を入れてしまうとネイティブ・スピーカーに通用しないというのを経験的に知っている からであろう。  次に語彙的要素であるが、これは日本語からの翻訳を通して英語を学ぶことから問題がおきる いわば、教育からの転移(干渉)とも言える(Littlewood, 1984)。たとえば、次のような対話が日 本人とアメリカ人の間であったとする(Aはアメリカ人、Jは日本人とする)。

A:My graduation thesis was finally accepted. I made it! J:Oh, really!

A:I’m telling the truth. It was really hard for me to write in Japanese, but I came through it.

 日本人である J は「わあ、ほんとう」(よかったね)と言うつもりで発話したが、アメリカ人は 自分の言ったことが疑われたと思ってしまったため、会話がギクシャクしてしまった。日本語と英 語の意味がほぼ1対1で対応している場合には問題がないが、時と場合によって意味が異なったり、 意味の幅がずれるような場合は問題が起きる。受験を目的として機械的に日本語の意味をはてはめ て英単語を覚えてきた学習者は、特にこのような問題に直面する。日本人は英語が下手であるとい われる一つの原因ともいえる。  社会言語・語用論的要素は、1980年代より第二言語習得に関わる研究者たちによって盛んに研究 されているものである。いかなる言語においても、地位、性別、地域、場面などによってさまざま な表現が使い分けられるが、そのような要素が母語と目標言語において異なる場合、母語の基準が 適用されることが多い。たとえば、日本人は直接的にものを頼むのをよしとしないため、間接的に 頼みごとを表現することがある。次の例は、学校に行くのに車でピックアップしてくれないかとい うことを頼む際に、日本人が実際に使った表現である。

Do you come to school by car tomorrow?

(6)

解できない。これは「ほのめかし」(hinting)というものであるが、日本人はこのほのめかしを英 語でアメリカ人より多く使う傾向がある(Beebe, 1989)。とくに英語が流暢になってきた中・ 上 級 者にこの傾向が強い。反対に、英語の社会言語・語用論的基準に近づこうとし過ぎるために (over-accomodation)、かえって英語の母語話者には失礼になるということも指摘されている (Nakabachi, 1996)。  書き言葉におけるレトリックは、日本人的英語を特徴付ける重要な要素である。Kaplan(1966) は英語のレトリックが直線的であるのに対し、日本語の特徴を渦巻型であると指摘した。英語は、 序論、本論、結論というように直線的であるのに対し、日本語は起承転結のように途中で話題が転 換するなどして、渦を巻いているようで言いたいことが英語文化圏の人には伝わってこないという ことなのであろう。そのような日本語の発想で英語を書くと「わけのわからない雲をつかむような 文」(加藤・バネッサ,1992)になってしまう可能性がある。日本的な文章構成で書いた英文が全 く理解されないと言うことはないであろうが、誤解を招きやすいということは否定できない。 2 日本人に必要な英語力とは  「日本人に必要な英語力は」と問われても、答えるのは非常に難しい。というのは、国民全体が 同程度の英語力をつけることができるというのは、母語である日本語においてすら、読んだり、書 いたりする力にかなりの差があることから考えても、全く非現実的な話だからである。従って、こ こでは、国際社会で通用するための英語力とその基礎となるべき英語力(主として学校を通して身 につける)とを分けて論じることにする。 2.1  国際社会で通用する英語力  国際社会で通用するというのは、政治・経済・教育などを主とする場面で、自分の意見をのべ (口頭、記述の両方を含む)、議論できるということを意味する。その際に、発音が上手である必 要は必ずしもない。通じるということが前提であるが、アメリカ英語やイギリス英語のアクセント を話すのではなく、フランス人がフランス語のアクセントで話すように、日本的アクセントの英語 であってもいっこうに構わない。しかし、発音以外の面では身につけなくてはならないいくつかの ルールがある。  第一に、コミュニケーション能力である。Canale(1983)は、コミュニケーション能力を以下の 4つに分けている。  文法能力—語彙項目や形態論の知識、統語論、意味論、音韻論の規則

(7)

経営論集 第52号(2000年11月) 104  社会言語能力—言語使用と非言語的なコンテクスト(性差、地域差、階級差など)との関係  方略能力—運用の変異やコミュニケーションの失敗を補うための言語的、非言語的ストラテジー  談話能力—結束性や一貫性を作り出す発話と伝達機能の結合に関すること  これらの能力のうち、特に気をつけなければならないのは、社会言語能力と談話能力であろう。 上下関係を重んじる日本人が、その社会的基準を英語に持ち込めば、時としてミスコミュニケー ションにつながる。また、逆に一方的に相手の基準に合わせてしまうと、相手に有利な形で会話が 進みかねない。ビジネスの社会では、相手の思惑通りに交渉が進んでしまう危険もある。自国と相 手国の社会言語的な側面を十分理解した上でコミュニケーションをする必要があるであろう。また、 書くことにおいては、談話能力で指摘されている、結束性や一貫性に関わる能力を十分に身につけ る必要があるし、先に触れた英語のレトリックも理解しておく必要がある。日本語の発想で日本語 で書いた文を英訳するという大学受験的なライティングは、ほとんど通用しないということを理解 しておかなければならない。  第二に、日本人が英語でコミュニケーションするということは、異文化コミュニケーションをし ていることであると認識することである。異国人同士が英語で語りあうというのは、結局は互いの 文化をぶつけ合うことであり、ある意味ではネゴシエーションをしていることになる。ある面では、 相手の基準に合わせ、また別の面では自国の基準を押し出していくというギブ・アンド・テイクが 必要であろう。最後のところでは妥協があるにしても、そこへいたるプロセスでの議論が大事であ る。  第三に、実は、これが最も重要であるが、語るべき内容を持っているということである。自分の 意見をもち、自分のことばで語る、この単純なことが英語でできるということが必要である。上で あげたコミュニケーション能力を鍛えるのは確かに大事なことではあるが、自己表現能力を磨くと いうことこそ最も大事なことであり、これはまず母語でしっかり訓練される必要があろう。 2.2  日本人が身につける必要のある英語の基礎力とは  英語があまりよくできない人(特に学生)の口癖は、「基礎力の欠如」である。しかし、この基 礎力は何を意味するのがよく理解されていないようである。実際に聞いてみると、多くの学生が基 礎力=文法力と答える。しかし、これは、英語を話したり、聞いたりする力が、TOEFL の文法で 満点を取っている人に必ずしも備わっているわけではないという事実が示すように、必ずしもそう とは限らない。また、この文法力欠如神話が、実は英語嫌いを助長し、英語をあきらめさせてしま う原因となっていることも多い。私の主張したい基礎力とは、自分の家族や地域社会のこと、言い

(8)

換えれば自分に関係のある事柄について読んだり、聞いたり、話したり、書いたりすることができ ることを指す。聞いたり、話したりということでは、中3∼高1の教科書程度でよい。読むことで は、高2の教科書を辞書なしで読めれば十分である。この程度のことが備わっていれば、あとは自 分の努力次第で力がついていくであろう。しかし、大学生の学力低下が声高に叫ばれている現在に おいて、必ずしもこのような基礎力をもっている日本人が少ないのも事実である。では、学校では どうするべきであるのか、以下にいくつか提言する。  小学校高学年からはじめるにせよ、中学1年からはじめるにせよ、英語を始めてからの最初の2 年間は聞くことと、話すこと意外に教えないということがまず肝要である。徹底的に耳と口を鍛え たい。そのためにも、何を話し、何を聞くかが問題となる。一番重要なことは、鈴木孝夫(1999) が主張しているように、自分のこと(家族、学校、地域社会、広く日本)について話したり、聞い たりすることである。少しでも、興味のあることについてコミュニケーションをしようとする態度 を育てることである。2年ほどこのような英語に慣れたら、3年目から文字を入れていく。その際、 文法を説明してもよいだろう。文字を導入する際には、英語で書くということを忘れてはならない。 現状で行われているような、日本語を英語に訳すということは、決してしてはいけない。英語はあ くまでも英語で書くということを覚えさせなければならない。もちろん、知らない単語や熟語を与 えるときに多少の日本語は必要であることは言うまでもないが。このようなことを繰り返しながら、 高等学校に入ってから徐々に内容を広げていき、コミュニケーションとしての英語を身につけさせ ていくことが肝心である。  上で述べた教育は単純なことであるが、実は実施するにはいくつかの条件が必要になる。まず第 一に、教員の英語力が問われる。自分のことについて自由に語れるほどの英語力がまずなければな らない。現行の大学で行われている教員養成の方法では、自己表現力を持った学生を育てる体制に なっていないため、まず、そこを正す必要がある。また、英語力をつけるためにもネイティブの同 僚が必要である。第二に、ネイティブの教員が英語そのものではなく、英語で教科を教える必要が ある。いわゆる内容を重視した英語教育(Content-based English Teaching)が必要になってくる。た とえば、体育や家庭科を英語で教えると、自分の生活に関わる英語が自然と身につくはずである。 大学においても、専門科目の一部を英語だけで講義するということも必要であろう。発展途上国の 大学生の英語力が高いのは、まさに英語で授業を受けているからである。日本のように母語で訳さ れた本がすぐに手に入るような状況にないところでは、英語の文献に頼らざるをえないわけで、お のずと英語が身についていくのである。将来的には、日本の大学においても、半分ぐらいは英語で 行われる講義があってもよいと思われる。そのほうが、英語そのものを教えるよりはるかに効果が あるはずである。

(9)

経営論集 第52号(2000年11月) 106  最後に、小学校での英語導入に関していくつか指摘しておきたい。日本人の英語力の低さという ことに関する内外の批判を受けて、小学校から英語に触れさせようという動きが2002年の本格導入 の前にしてすでに始まっている。しかし、週に45分程度の授業を2回ほど行っても、一般に考えら れているような英語ができる子供が育つとは到底考えられない。まず教える側の問題がある。全国 押しなべてネイティブ・スピーカーを派遣することは不可能であるし、仮に可能であるとしても ESL や EFL の専門家がそれだけ日本にいるわけではない。また、海外赴任の経験があるボラン ティアの教師を使うという話もあるが、素人は素人であって、満足な教育は中々できない。次に、 英語に限らず外国語を身につけるには膨大な時間がかかる。日本の小学生がアメリカに行って授業 についていけるようになるには、2∼3年かかるといわれている。毎日英語のシャワーの中で生活 していても、それだけかかるわけであるから、小学校でちょっと英語をかじったぐらいでは、国際 社会で通用するほどの英語力が身につくということにはならない。語学センスが優れている子供も いるのは事実であるから、そのような子には刺激にはなるであろうが、その程度でしかない。そし て最後に、それほどまで英語という言語に固執しなければいけないのかという問題もある。英語帝 国主義ということばがあるが、日本がアジアの中にあるという現実を踏まえても、アジアの諸言語 を学校教育の中に取り入れていくことも、国際的な人間を育てるためには必要不可欠であろう。 おわりに  英語を母語として話しているものは、世界で約3億人いると言われ、第二言語、貿易・会議等で 使われているのを含めると約10億人が英語を使っていると言われる。まさにリンガ・フランカとい う様相を呈してきている。そのような中で、貿易が国の生存に大きな位置をしめている日本として は、英語という言語を無視するわけにはいかない。国民全員が英語を話すと言ういわゆる公用語化 するという強い意見もあるが、それは翻訳文化が高度に発達し、地理的な位置が英語文化圏から離 れていることからして、無理があろう。しかしながら、従来のような受け身型の英語から積極的に 情報を収集し発信していくという発信型の英語に転換していかなければならないことは明白である。 問題は、英語を使う日本人が自ら発信していくための自分なりの意見、考えを持っているかという ことである。従って、教育で求められるのは、コミュニケーションの個々のスキルばかりではなく、 自分の意見を構築し、外に向かって発言していくことや、相手の意見を聞きネゴシエーションして いくという双方向的なコミュニケーション能力を身につけさせることである。日本人は決して英語 が下手なわけではない。自分の意見を発信する、ネゴシエーションすると言う能力が十分に磨かれ ていないだけである。英語に限らず、さまざまな場面でそのような能力を開発する必要が問われて いるのである。

(10)

 参考文献

Beebe, L.M. and T. Takahashi. 1987. Do you have a bag?: Social status and patterned variation in second language acquisition. In S. Gass, C. Madden, D. Preston, and L. Selinker (eds), Variation in Second Language Acquisition:

Discourse and Pragmatics, pp.103-25. Multicultural Matters.

Canale, M. 1983. From Communicative competence to communicative language pedagogy. In J. C. Richards and R. W. Schmidt (eds), Language and Communication, pp2-27. Longman

Educational Testing Service. 1998. TOEFL Test and Section Score Data Summary.

Kaplan, R.B. 1966. Cultural thought Patterns in Inter-Cultural Education. Language Learning 16, pp.1-20. 加藤恭子, ヴァネッサ・ハーディー. 1992.『英語小論文の書き方』 講談社

Littlewood, W. 1984. Foreign and Second Language Learning. Cambridge University Press.

Nakabachi, K. 1996. Pragmatic Transfer in Complaints: Strategies of Complaining in English and Japanese by Japanese EFL Speakers. JACET BULLETIN NO.27, pp127-142.

鈴木孝夫. 1999. 『日本人はなぜ英語ができないか』. 岩波新書

参照

関連したドキュメント

 さて,日本語として定着しつつある「ポスト真実」の原語は,英語の 'post- truth' である。この語が英語で市民権を得ることになったのは,2016年

人は何者なので︑これをみ心にとめられるのですか︒

日中の経済・貿易関係の今後については、日本人では今後も「増加する」との楽観的な見

理系の人の発想はなかなかするどいです。「建築

しい昨今ではある。オコゼの美味には 心ひかれるところであるが,その猛毒には要 注意である。仄聞 そくぶん

日本の生活習慣・伝統文化に触れ,日本語の理解を深める

今回の授業ではグループワークを個々人が内面化

第四。政治上の民本主義。自己が自己を統治することは、すべての人の権利である