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草双紙の洒落言葉(二) ― どらやき・さつまいも・鯛のみそず・四方のあか ―

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安永七年(一七七八)刊『 辞 ことばたたかいあたらしいのね 闘戦新根 』(恋川春町画作、 鱗形屋板)には、言葉を擬人化した十人の化け物が登場す る。擬人化されたキャラクターは、 「大木の切口太いの根」 「 一 ぱ い の み か け 山 の か ん が ら す 」「 な ら ず の 森 の 尾 長 鳥 」 「 放 下 師 の 小 刀 の み こ み 印 」 と い っ た 掛 詞 的 な 要 素 を 取 り 入れた言語遊戯の語句が目立つが、 その一方で、 「どらやき」 「 さ つ ま い も 」「 鯛 の み そ ず 」「 四 方 の あ か 」 と い う 飲 食 物 も登場す る ( 1 ) 。これら四つは作中で「どらやき」と「さつま いも」 、「鯛のみそず」と「四方のあか」とがそれぞれ二語 一対となって行動する。 作品の冒頭、作者春町は「大木切口太いの根」に、自分 たちが 「草双紙の氏神、 中興の開山」 である根拠として、 「寝 惚 先 生 の 詩 集 に も 出 」 た と 語 ら せ て い る。 明 和 四 年 ( 一 七 六 七 ) 刊 行 の 大 田 南 畝 の『 寝 惚 先 生 文 集 』 ( 2 ) に は、 草 双紙をテーマとする以下のような狂詩が示されている。 読 ヨム 二 ヱ 草 サウ シ ヲ 紙 一二首 悪 ア ク ニ ン フ ト 人 太 印 ジル シ 太 之 ノ ネ 根   石 セ シ メウル シ ハイツ 漆 毎 為 二 跡 式 論 一   不 二 是   レ 鑼 ド ラ ヤ キ 焼 甘 サツマイモノ 蕷 事 コトニ 一   山 ヤマブキイロデ 吹 色 可 ベ シ レ ダマス 二中元 一 見 ミソメノワカトノ シ ノビ 初 若 殿 忍 二  ニ 一   礫 打 忠 臣 働 二 命 涯 一   鯛 タイノ 味   ミ 噌 ソ 津 ヅデ 四 ヨ 方 モノ 酒 アカラ   一   ツパイノミカケ 杯呑掛 山 寒 カンガラス 鴉 詩 中 に「 太 印 」「 太 い の 根 」「 せ し め う る し 」「 一 杯 の み か け山のかんがらす」など、初期の草双紙に散見される言語 遊戯の語句が使用されていることから、 「銅鑼焼」 「甘藷」 「鯛

草双紙の洒落言葉(二)

どらやき・さつまいも・鯛のみそず・四方のあか

 

 

 

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味 噌 津 」「 四 方 酒 」 も 草 双 紙 と 結 び つ く 言 葉 と し て 盛 り 込 まれたものと推定される。また、それぞれが列挙され、二 語一対のものとして扱われている。 よ っ て、 『 辞 闘 戦 新 根 』 の 中 で こ れ ら 四 つ の 飲 食 物 を 他 の言語遊戯の仲間として登場させていること、 また、 「アヽ せつない   どらやきさつまいもは   死ぬにも一緒と見へた   因 果 な 腐 れ 縁 だ ぞ 」( 九 丁 表 ) と 発 言 さ せ る な ど、 そ れ ぞれを二語一対のものとして位置づけているのは、春町の 発想によるものではなく、南畝の見解を踏襲したものであ るといえる。 今回は、これら四つについて、現存する草双紙における 使用例を編年的に追い、その性質を探ってみたい。 どらやき・さつまいも 草双紙に登場する「どらやき」および「さつまいも」の 用 例 を 挙 げ る と 以 下 の 通 り で あ る( ● 印 を 付 し た も の は、 「どらやき」 「さつまいも」が列挙されている例である。刊 年不明の作品については、題簽の様式などからおおよそ年 代順になるように配置した) 。 ●刊年不明『駒軍象戯始』 (鳥居清満画、鱗形屋) やつはり   どらやきさつまいも をたくさんに下され ませふ(七丁表) ●宝暦十二年(一七六二) 『いろは文字/寺子短歌』 (鱗形 屋) ふ   ぶせひなくせに 薩摩芋どらやき などはきついす き(七丁裏) ・刊年不明『三官/和唐内雅立』 (鳥居清経画、鱗形屋) 今いけへふちめし印   とらやき でも きす でも   のぞ みはないか(七丁表) ※ 「きす」 は 「すき」 の倒語で酒のこと。 「どらやき (甘 い物)でも酒でも」の 意 ( 3 ) 。 ●明和七年(一七七〇) 『おなつ清十郎/契約石宝殿』 (鳥 居清経画、鱗形屋) どらやきさつまいも のうまみより   ひいやりとはら させたところは   さそいたからう(十三丁表) ・刊年不明『源太夫』 (鱗形屋) こちのがきは   ませたやつだ   なか

どらやき で はいくまい

(一丁表) 御れいにはいつもの とらやき   ひきのやのあんころ   たくさんにしん上申さん(三丁表) ・刊年不明『おなら』 (鳥居清経画、鱗形屋) ひきのやのあんころ   藤つかやの どらやき は御とり

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つけなり(二丁裏) ・ 安 永 四 年 ( 一 七 七 五 )『 外 漬 / 善 知 鳥 物 語 』( 鳥 居 清 経 画 、 鱗形屋) おひもじかろう   ひさしいものだが どらやき でもし んせませう(四丁裏) ●安永五年『風流/上下の番附』 (鳥居清経画、鱗形屋) ※ 擬 人 化 さ れ、 菓 子 仲 間 の「 ど ら や き ま る 介 」「 さ つ ま いも のあま吉」として登場。 ●安永六年『花見帰嗚呼怪哉』 (深川錦鱗作、恋川春町画、 鱗形屋) 山海のちん味はいうにおよばす   鯛のみそずに四方 のあか   どらやきさつま芋 はふるしとて   しほ瀬が まんぢう   金沢やがやうかん   ありとあらゆるむま いものづくめに(二丁裏) ● 安 永 六 年『 南 陀 羅 法 師 柿 種 』( 朋 誠 堂 喜 三 二 作、 恋 川 春 町画、鱗形屋) お礼に どらやきさつまいも のたくひはよしにいたし て   日ほんで名たかい ひきのやのどらやき をさしあ げましやう(四丁表) ●安永六年『三舛増鱗祖』 (恋川春町画作、鱗形屋) これにつけてもなつかしいは   ひきのやの どらやき じや   さつまいも はなきか   いくよもちはをらぬか   でめへ

(十丁表) ●安永七年『辞闘戦新根』 (恋川春町画作、鱗形屋) ※既出。 ・ 天 明 二 年 ( 一 七 八 二 )『 御 存 商 売 物 』( 北 尾 政 演 画 作 、 鶴 屋 ) くだりゑほんはあるとき赤ほんくろぼんをまねき   たひのみそつに四方のあかをふるまひ   あかほんは ちつとのむと   あかくなるゆへ   ひきのやの どら印 いだし(二丁表)   ※どら印 = どらやき ・ 天 明 八 年『 悦 贔 屓 蝦 夷 押 領 』( 恋 川 春 町 作、 北 尾 政 美 画、 蔦屋) 車を 引のやの とらやき はなしか(十三丁表) ●寛政四年『桃太郎発端話説』 (山東京伝作、勝川春朗画、 蔦屋) ひきのやの どらやき   さつまいも   よものたきすい といふばしよも   なしのきりくちといふせんさくさ (三丁表) たからをせしめうるしとでゝ   どらやきさつまいも のくいあきをしませう(十丁裏)   以 上 の よ う に、 「 ど ら や き 」 お よ び「 さ つ ま い も 」 は お いしい食べ物を例示する際に用いられているが、初期草双 紙においては鱗形屋板に限って使用されている。また、 「ど

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らやき」 「さつまいも」 それぞれの使用例を比較してみると、 「 ど ら や き 」 は 単 独 で も お い し い 食 べ 物 を 例 示 す る 言 葉 と し て 使 用 さ れ て い る が、 「 さ つ ま い も 」 は「 ど ら や き 」 と 一対で扱われることによりその意味を成す。 大田南畝は初期草双紙にみえる言語遊戯の語句に注目し て い た ら し く、 『 寝 惚 先 生 文 集 』 の 後 に も い く つ か の 言 及 がなされている。 天明元年(一七八一)の黄表紙評判記『菊寿草』の序文 で は、 「 た い の み そ ず に よ も の 赤   の み か け 山 の か ん が ら す   大木のはへぎはふといの根   がてんか

」という詞 章 が、 安 永 四 年 ( 一 七 七 五 )『 金 々 先 生 栄 花 夢 』 刊 行 以 前 の鱗形屋板草双紙の特徴を端的に表すものとして挙げられ ている。 ま た、 『 一 話 一 言 』 ( 4 ) 巻 八 に は 言 語 遊 戯 の 語 句 を 作 中 に 多 用した鱗形屋板草双紙の作者に関する情報を記している。 鱗〈形〉屋孫兵衛方絵双紙作者は、津軽侯内に居候吉 右衛門と申候軽き者之作之よし。あだ名をおぢいと申 候。鯛の味噌づでよもの赤のみかけ山のかん烏などい ふことば、此男のいひ出せし也と右藩中之人の話也。 南 畝 自 筆 本『 一 話 一 言 』 の 巻 七 の 裏 表 紙 見 返 し に「 天 明 四 五 年 の 頃 集 む 」、 巻 九 の 巻 末 に「 天 明 七 年 丁 未 八 月 よ り 八年戌申六月望にいたる」とあることから、この記事も天 明期に記されたものと推定される。 『 寝 惚 先 生 文 集 』 以 来、 南 畝 が 草 双 紙 に 使 用 さ れ る 言 語 遊 戯 を 挙 げ る 場 合、 例 示 さ れ る の は「 鯛 の み そ ず 」「 四 方 のあか」 「(一ぱい) のみかけ山のかんがらす」 が定型であっ たようだが、このような草双紙の言語遊戯について、少な く と も 二 十 年 に 亘 っ て 関 心 を 寄 せ て い た こ と が 確 認 で き る。 南畝は寛延二年(一七四九)生まれで、現存資料のうち 最初の黒本青本とされる『丹波爺打栗』が刊行された延享 元年(一七四四)にはまだ生まれていなかったが、鱗形屋 板の草双紙で言語遊戯の語句が一作品中に複数使用される 作 品 が 見 ら れ る よ う に な っ た こ ろ は 少 年 期 で あ っ た。 『 寝 惚先生文集』刊行時には十八歳であったが、当時も鱗形屋 では同じ傾向の草双紙の刊行がなされていたことが確認で き る ( 5 ) 。 「 ど ら や き さ つ ま い も 」 は『 寝 惚 先 生 文 集 』 に 取 り 上 げ られている。しかし、言語遊戯の語句と鱗形屋板の草双紙 と を 結 び つ け る 見 解 を 作 中 に 明 示 し て い る『 菊 寿 草 』『 一 話一言』 には 「どらやきさつまいも」 の語は見えない。 『寝 惚先生文集』では「読絵草紙」と題しているだけで、鱗形

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屋 の 名 は 挙 げ ら れ て い な い。 し か し な が ら、 管 見 の 限 り、 おいしい食べ物を例示するために「どらやき」や「どらや き さ つ ま い も 」 の 名 を 挙 げ る の は、 『 寝 惚 先 生 文 集 』 刊 行 当時、鱗形屋板初期草双紙においてのみ確認されるもので あった。よって、 青少年期の南畝の関心を引きつけたのも、 鱗形屋板草双紙であったものと考えられる。 ま た、 「 ど ら や き 」 と「 さ つ ま い も 」 を 二 語 一 対 の も の として列挙する際に、 「どらやきさつまいも」のように、 「ど らやき」を先に示すという形は、宝暦期末には刊行されて いたと想定される『駒軍象戯始』に用例がみえ、以降、安 永五年『風流/上下の番附』の時点でも存在していること から、 明和初年には既に定着した形であったと想定される。 よ っ て、 『 寝 惚 先 生 文 集 』 に 示 さ れ た 草 双 紙 の 姿 に は、 あ る程度リアリティがあると評価できる。 一方、用例後半の、新規参入の草双紙作者によって成さ れた、いわゆる黄表紙の中で散見される「ひきのやのどら やき」という語は、本来は存在しなかったものと推定され る。鳥居清経画の鱗形屋板『おなら』に「ひきのやのあん こ ろ   藤 つ か や の ど ら や き 」 と あ る よ う に、 「 ひ き の や 」 の名物はあんころ餅であって、 どらやきではない。これは、 一部の作者が「ひきのやのあんころ」と「どらやきさつま いも」を混同して誤った形を生み出し、それが踏襲された ものと考えられ る ( 6 ) 。 鯛のみそず・四方のあか 「 鯛 の み そ ず 」 と「 四 方 の あ か 」 は、 酒 肴 と 酒 の 取 り 合 わせである。草双紙にみえる酒および酒肴について通観す るために、各用例をいくつかのパターンに分類し、私に記 号を付し、整理した。分類内容は以下の通りである。 ●「四方のあか」に「鯛のみそず」が取り合わされた 例 ◎「四方のあか」に「鯛のみそず」以外の酒肴が取り 合わされた例 〇「四方のあか」以外の酒に酒肴が取り合わされた例 ▲「四方のあか」が単独で登場する例 △「 四 方 の た き す い 」 な ど、 「 四 方 の あ か 」 以 外 の 酒 が単独で登場する例 □ 酒 と 列 挙 は さ れ な い が、 明 ら か に 酒 肴 と し て 料 理・ 食べ物が挙がる例 △刊年不明『狐の娵いり』 (伊賀屋か) このさけは しんもろはく そうな   きつくにほひかよ い   いつはいのみたい(一丁裏)

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◎刊年不明『狼に衣』 (奥村利信画、奥村) それはたこではのめまいから   としまやのでんがく でもかいにやろうか(六丁裏) おふかみのすいもの て よものあか をのもふではない か(七丁表) ▲宝暦・明和ごろ(赤本) 『猿蟹合戦』 (画者・板元不明) に し の み や の は ん へ ん で よ も の あ か を あ げ ま せ ふ (七丁表) ▲宝暦六年『山椒太夫/老花 』(鱗形屋) これはよものあかだ(七丁表) ▲宝暦八年『鐘銘/道成寺根元記』 (鱗形屋) と て も の 事 に よ も の あ か で 一 は い た べ た い も の だ (七丁表) △□宝暦十年『知仁勇/三鼎金王桜』 (鱗形屋) 何かなしにあすのばん みそず でたらふくのませて三 人ともぶつちめて   国とら様からごほうびにあづか り たいのはまやき をしてこまそ(八丁裏)※「あづ かりたい」と「鯛の浜焼き」を掛ける。 わつさりと たきすい をのみかけめりやすとでかけま せう(十五丁表) ▲宝暦十二年『童子廓雛形』 (鱗形屋) い や も ふ こ ゆ る さ れ   四 方 の あ か で も も ふ な ら ぬ (五丁表) ◎〇□刊年不明『駒軍象戯始』 (鳥居清満画、鱗形屋) い つ で も よ も の あ か   た き す い は 大 あ た り   の め

(三丁裏) ふぐの太良もどき を申つけました   じいわりとのみ なさいよ(三丁裏) そのあとは あんかうのみそづ でいつみ町とでるもお しきせ

(六丁表) ▲刊年不明『三官/和唐内雅立』 (鳥居清経画、鱗形屋) 御礼には よものあか を上ませふ(四丁表) ▲刊年不明『煙草恋中立』 (鳥居清倍画、鱗形屋) まぐばやまのたにそこに よものあか をたのしみ(九 丁表) ▲刊年不明『柳にまり』 (鳥居清満画、鱗形屋) けさからいぬを引てくたびれじるし   ちと よものあ か をしかけたい(六丁表) △刊年不明『江州/手孕邑昔語』 (鱗形屋) 上諸白(十一丁表) △刊年不明『錦木物語』 (鱗形屋) は や く か へ つ て い せ や を い つ は い し て こ ま せ る は (六丁表) △刊年不明『男珠取』 (鱗形屋)

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まつ   いわいに よものたきすい

(二丁表) □明和三年『雪こん

御寺の茶木』 (富川房信画、奥村) 是からしめておいた にわとりにねぎをいれてすいも の にして   四五はいのみかけ山とたのしもふ(一丁 裏) △明和五年『富士箱根/曽我旧跡』 (鱗形屋) 上諸白 有(一丁表) 名物ふじの白酒 (十五丁表) □明和六年 『本草綱目/春霞清玄凧』 (鳥居清経画、 鱗形屋) もく印も大かたまいよ

ふぐ汁 とでかけるあらう がや(十丁裏) 此あとは はたじろのみそづいもの のみかけ山のおな が鳥(十丁裏) ▲ 明 和 七 年『 お な つ 清 十 郎 / 契 約 石 宝 殿 』( 鳥 居 清 経 画、 鱗形屋) ちとこゝらて よものあか とでたいがさかやはないか (九丁表) ほねをりに よものあか でもあがれ(十三丁表) △明和七年『近江国犬神物語』 (鳥居清経画、鱗形屋) 此はこをひき上じるしとでかけ山   それで たきすい を一斗のめかけた(二丁表) ◎安永元年 『柿本人麿/明石松蘇利』 (鳥居清経画、 鱗形屋) おらならば   かるわざより此 うさぎにねぶかを入て す い も の を こ し ら へ て   よ も の あ か と で か け た い (十一丁表) ◎安永元年『竹斎筍斎/忰褒医』 (鳥居清経画、鱗形屋) まづ御ぢさんの たいをうしほにして 四方のあか をい だし(十丁表) △安永元年『悪源太忿怒霹靂』 (鳥居清経画、鱗形屋) 此せかいでほんの たきすい とでかけやまだ(十三丁 裏) □安永二年『梅漬/膏惚薬』 (鳥居清経画、鱗形屋) ちとまたのみかけしるし   わつさりとした みそつけ を申つけました(十丁表) □安永二年『魁 太平記』 (鳥居清満画、鱗形屋) このおちやのあとは はたじろのみそづ を申つけまし た(七丁表) ▲〇刊年不明『源太夫』 (鱗形屋) とうかい道は よものあか はよし(二丁表) あたつたら たいのやきみ そで たきすい をだしませふ (五丁表) □刊年不明『八わたしらず』 (鳥居清経画、鱗形屋) この はとをぞうすいにして さぞうまかろふ   しかし   のみかけ山もよかろかへ(十五丁裏) △刊年不明『おなら』 (鳥居清経画、鱗形屋)

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大極上血池 諸白 (三丁表) ◎安永四年『六道/水車智恵篁』 (鳥居清経画、鱗形屋) なんぞ みそづ で あか を申つけやう   中の町ときて一 はいのみかけやまとてやう(十五丁表) ●安永四年『大福/富突始』 (鳥居清経画、鱗形屋) このあとでは御きちれいの たいのみそづ で よものあ か をきこしめしませう(十丁表) ◎安永五年『風流/上下の番附』 (鳥居清経画、鱗形屋) それ   みのどのへ あか をしんぜろ   あゝ何もさかな が   おゝそれ

  ますのすし があつた   ざつと み そづ を申ました(三丁表) ● 安 永 五 年『 う ど ん そ ば / 化 物 大 江 山 』( 恋 川 春 町 画 作、 鱗形屋) 五人うちよつて   たいのみそづ で よものあか   ちよ んのおごりと出かけける(八丁裏) ◎安永六年『花粧対兄弟』 (柳川桂子作、 鳥居清経画、 鶴屋) サアいわゐに 四方のあか で たいのうしほ にのみかけ 山のみそさゝいとでかけ山(八丁裏) ●安永六年『花見帰嗚呼怪哉』 (深川錦鱗作、恋川春町画、 鱗形屋) ※既出。 ●安永六年『親敵討腹鞁』 (朋誠堂喜三二作・恋川春町画、 鱗形屋) 此おみきは よものあか とのめます   たいのみそづ よ りあぶらねづのことだ(二丁表) ▲安永六年『三舛増鱗祖』 (恋川春町画作、鱗形屋) すみなれし都のふじをあとに見てゆきのむらきへ四 方 白 く 夕 日 て り そ ふ 四 方 の 赤 こ れ を 合 て 八 け い や (二丁表)※道行の景色として掲出。 ◎安永七年『藤沢入道/熊坂伝記』 (鳥居清経画、鱗形屋) こよひはよい とり がかゝつた、 よものあか にいたそ う(十丁表) 〇安永七年 『玉屋新兵衛/夢中海原』 (鳥居清経画、 鱗形屋) なんぞ みそず て たきすい がいたゞきたひ(四丁表) ▲ 〇 安 永 七 年『 大 内 義 隆 / 柳 之 夫 婦 侖 』( 鳥 居 清 経 画、 鱗 形屋) されは

とうぞ よものあか をたべたい(一丁表) それ   さけ のかんせよ   あては ますのすし ときたは (四丁裏) ▲△安永七年『酒呑宝易占』 (鳥居清経画、鱗形屋) これでは四方のあかものまれぬ(十丁裏) 酒 吞 宝うらないがあたり   三人のものともより金銀 四方のあか はもちろん   おとこ山 に けんびし   山の ことく(十五丁裏)

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●安永七年『辞闘戦新根』 (恋川春町画作、鱗形屋) ※既出。 〇 安 永 八 年『 其 数 々 酒 の 癖 』( 市 場 通 笑 作、 鳥 居 清 長 画、 奥村) ちと あか はおもかろう   すましのうどめといふとこ ろだ   おいらは たい より ぼたん か もみじ でのみたい (十二丁表) □安永九年『いろは歌』 (勝川春泉画、板元不明) な か な を り て 一 し ほ め て た い の す い も の ( 五 丁 表 ) ※「めでたい」と「鯛の吸い物」を掛ける。 □ 天 明 元 年『 突 渡 早 恵 栄 』( 市 場 通 笑 作、 鳥 居 清 長 画、 奥村) めで たいのはまやき をあけませう (十五丁表) ※ 「め でたい」と「鯛の浜焼き」を掛ける。 ●天明二年『御存商売物』 (北尾政演画作、鶴屋) ※既出。 □〇天明三年『悪抜正直曾我』 (恋川春町画作、鱗形屋) ほとけだなの かばやき で一はいのみかけ山のふるい ことたかみそさゞい(六丁裏) なんでもばんに 吸もの にして   よものたきすい だぞ (十四丁表) ▲ 天 明 三 年『 草 双 紙 年 代 記 』( 岸 田 杜 芳 作、 北 尾 政 演 画、 泉市) しゆびよくまいれば   ほうひは 四方のあか ゝひきの やのあんころじや   がてんか

(二丁裏) ●天明三年 『江戸錦/楊柳桜草』 (宿屋飯盛作、 勝川春林画、 板元不明) 錦の袋入の底の心をくみ給へと   鯛の味噌ず で 四方 の赤良   のみ懸山の麓に記す(十五丁裏) ●天明四年『吉原大通会』 (恋川春町画作、岩戸屋) とり入たる所がなか

もつてこんみりとして   た いのみそづ に よものあか と言うとこなれば (十丁裏) ●天明八年『悦贔屓蝦夷押領』 (恋川春町作、北尾政美画、 蔦屋) むかしならば   たいのみそづ に 四方のあか 一ツはい のみかけ山といふばだ(十三丁表) ●天明八年『鎌倉太平序』 (恋川春町画作、鱗形屋) きやう言を二さつ目のきりまでつとめければ   御ほ うびとして   鯛のみそづ に よものあか をくだされけ る(十丁裏) 以上のように草双紙では、休憩を欲する場面や労をねぎら う場面などで、おいしい酒やそれに合う酒肴を挙げる台詞 が 散 見 さ れ る。 「 鯛 の み そ ず 」 は 鯛 を 味 噌 仕 立 て に し た 吸

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い物だが、 他に鯛の浜焼きや潮汁、 河豚や鮟鱇の汁物、 鶏 ・ 兎・鳩など鳥獣の料理も挙げられている。 全体的な変遷としては、初め酒の銘のみを挙げるのが一 般的であったのが、次第に酒肴を取り合わせるようになっ ていったことが看取できる。また、 初期草双紙においては、 やはり鱗形屋板の用例が多くを占めている。 「 四 方 の あ か 」 に つ い て は、 由 来 が 明 確 で な く、 赤 味 噌 を指すとの説もある が ( 7 ) 、草双紙にみえる用例は全て酒を指 すものと解せる。 例えば、宝暦期後半に刊行されたと推定される『三官/ 和唐内雅立』 では 「どらやきでもきすでも   望みはないか」 (七丁表)と、褒美として「どらやき」と酒の意の「きす」 を挙げている。この作品には「御礼には四方のあかを上ま せ ふ 」( 四 丁 表 ) と い う 書 き 入 れ も あ る こ と か ら、 「 き す 」 の実体は「四方のあか」であることが分かる。よって、同 様に他作品中で挙げられている「四方のあか」もまた酒を 指すものと推定される。 安 永 七 年『 大 内 義 隆 / 柳 之 夫 婦 侖 』「 さ れ は

と う ぞ よ も の あ か を た べ た い 」 の「 た べ る 」 は、 「 飲 む 」「 食 う 」 の両義を持つが、この場合、他に酒や飲酒を意味する言葉 がないため、酒肴としての赤味噌とは解し難く、飲酒を意 味するものと推定される。 ま た、 「 四 方 の あ か 」 が 四 方 屋 の 酒 銘「 滝 水 」 を 指 す か 否かという問題についても、現時点で答えを出し難い。 鱗 形 屋 板 の 初 期 草 双 紙 を 中 心 に、 「 四 方 の あ か 」 と は 別 に「滝水」という用例が散見されるが、安永元年刊行の鱗 形屋板で、鳥居清経画という同じ条件の二作品に、それぞ れ以下のような用例が確認される。 まづ御ぢさんのたいをうしほにして四方のあかをいだ し(十丁表) (『竹斎筍斎/忰褒医』 ) 此せかいでほんのたきすいとでかけやまだ (十三丁裏) (『悪源太忿怒霹靂』 ) 同 じ 趣 旨 で「 四 方 の あ か 」 と「 滝 水 」 が 挙 げ ら れ て い る。 この場合、両者が同じものを指していると解することに支 障はないが、 同じでなければならないということでもない。 宝暦期後半に刊行されたと推定される 『駒軍象戯始』 (鳥 居清満画、鱗形屋板)では「いつでも四方のあか   滝水は 大当たり   飲め

」と、両者が列挙されている。この用 例が「四方のあかおよび滝水の二種」を意味すれば、四方 屋には「滝水」とは別の「あか」という酒銘が存在してい たことになるが、 「あか」が酒を意味する場合、 「四方屋の

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酒であるところの滝水」となり、 「四方のあか」は「滝水」 を指すことになる。 以上のように、この問題に結論は出し難いが、両者は共 に鱗形屋板の初期草双紙に言語遊戯の語句が多用されたの とおおむね同じ時期に、鱗形屋板の草双紙を中心に散見さ れるものであることが確認される。 「 四 方 の あ か 」 と「 鯛 の 味 噌 ず 」 を 取 り 合 わ せ た 早 い 例 は安永四年『大福/富突始』である。明和四年『寝惚先生 文集』に「鯛味噌津四方酒」の語がみえるが、宝暦期末か ら明和初年にかけての草双紙に、この組み合わせは確認で きない。ただし、安永元年の時点で「四方のあか」と酒肴 とを取り合わせた例があること (『竹斎筍斎/忰褒医』 ) や、 先掲の通り『寝惚先生文集』にこの組み合わせが取り上げ られ、南畝の言語遊戯に関する言及にある程度の信憑性が 期待され る ( 8 ) ことからいって、 明和初年ごろの草双紙中に 「四 方のあか」に取り合わせる酒肴のひとつとして「鯛のみそ ず」が既に存在していた可能性が考えられる。 た だ し、 「 四 方 の あ か 」 と「 鯛 の み そ ず 」 を 一 対 と す る 形は、鱗形屋板初期草双紙にみえる複数の組み合わせのひ とつであったものと考えられる。様々なバリエーションの ひとつに過ぎない「四方のあか」と「鯛のみそず」の組み 合 わ せ が、 後 の 作 品 に お い て 定 着 し た の は、 「 四 方 赤 良 」 という狂号を使用していた大田南畝の影響が大きいものと 考えられる。   言 語 遊 戯 の 洒 落 言 葉 を 草 双 紙 の 変 遷 の 中 で 辿 っ て い く と、黄表紙特有の取り入れ方がみられる。初期草双紙での 素朴な用法と、いわゆる黄表紙における趣向としての利用 の分岐点を探ると、それらは恋川春町や朋誠堂喜三二の作 品にあるようにもみえる。しかし、その黄表紙の草創期を 支えた作者たちは、少なからず大田南畝の影響を受けたも のと推測される。大田南畝は自身が手掛けた草双紙の作品 数こそ少ないものの、草双紙の新しいかたちの形成に大き な影響を与えたものと考えられる。 ( 1 ) 他 に 「 て ん 上 み た か 」 と 「 と ん だ 茶 釜 」 が あ る 。「 て ん 上 み た か 」 は 「 参 っ た か ( 思 い 知 っ た か )」 の 意 。「 と ん だ 茶 釜 」 は 笠森 お 仙 評 判 と 明 和 七 年 の お 仙 の 出 奔 騒 動 に 起 因 し た 流 行 語 。 拙 稿 「 草 双 紙 に お け る 流 行 語 の 位 置 」 (『 近 世 文 芸 』 第 六 十 八 号 、日 本 近 世 文 学 会 、平 成 十 年 六 月 ) 参 照 。 ( 2 ) 『 大 田 南 畝 全 集 』 第 一 巻 ( 昭 和 六 十 年 、 岩 波 書 店 ) 所 収 。 ( 3 ) 正 徳 三 年 刊 『 西 海 太 平 記 』( 中 嶋 又 兵 衛 板 ) 五 之 巻 の 二 「 幽

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霊 の 当 惑 は妄 執 の 雲 助 」 に 「 む か し は 酒 の 糟 を 両 徳 と い ひ し が 、酒 を き す と と な ふ る よ り 。 酒 の か す を も 酒 粕 ( き す がら) と申 。」 と あ る (『 八 文 字 屋 本 全 集 』 第 四 巻 、 平 成 五 年 、 汲 古 書 院 )。 ( 4 ) 『 大 田 南 畝 全 集 』 第 十 二 巻 ( 昭 和 六 十 一 年 、 岩 波 書 店 ) 所 収 。 ( 5 ) 拙 稿 「 草 双 紙 に お け る 流 行 語 の 位 置 」 参 照 。 ( 6 ) 拙 稿 「『 草双 紙 年 代 記 』 考   ― 上 巻 部 分を 中 心 と し て ― 」 (『 實 踐 国 文 学 』 第 六 十 九 号 、 平 成 十 八 年 三 月 ) 参 照 。 ( 7 ) 水 野 稔 校 注『 日 本 古 典 文 学 大 系 五 九   黄 表 紙   洒 落 本 集 』 ( 昭 和 三 十 三 年 、岩 波 書 店 ) 所 収 『 御 存 商 売 物 』 注 で は 「 神 田和 泉 町 の 酒 店 四方 久 兵 衛 で 売 っ た 赤 味 噌 。 銘 酒 滝 水 と と も に 有 名 。」 と す る 。『 江 戸 語 大 辞 典 』( 前 田 勇 編 、 昭 和 四 十 九 年 、 講 談 社 ) で は 「 赤 味 噌 」 は 誤 り で 「 滝 水 」 が 正し い と す る 。『 日 本 国 語 大 辞 典 』( 昭 和 五 十 一 年 、 小 学 館 ) で は 「 四 方 の 滝 水 」 を 指 す と し 、 中 山 右 尚 『 江 戸 の 戯 作 絵 本   続 巻 一 』( 昭 和 五 十 九 年 、 現 代 教 養 文 庫 、 社 会 思 想 社 ) 所 収 『 親 敵 討 腹 鞁 』 注 で は 、「 四 方 の あ か 」 は 四 方 屋 久 兵 衛 で 売 る 赤 味 噌 の こ と だ が 、 誤 っ て 「 滝 水 」 を も 「 赤 」 と い う こ と が あ る こ と か ら か ら 、「 滝 水 」 を 指 す 、ま た 、一 説 に は は じ め 酒 銘 を 「 赤 」 と い っ た と い う 、 と する 。『 近 世 子 ど も の 絵 本 集   江戸 篇 』( 鈴 木 重 三 ・ 木 村 八 重 子 編 、 昭 和 六 十 一 年 、 岩 波 書 店 ) で は 、「 滝 水 」 を 指 す と し た 上 で 、「 こ の 店 ( 四 方 屋 を 指 す ) で 扱 っ た 赤 味 噌 を 四方 赤 味 噌 と 呼 ん だ の に 由 来 す る ら し い 」 と 付 記 し て い る 。『 江 戸 の 絵 本 』( Ⅰ ~ Ⅳ 、小 池 正 胤 ・ 叢 の 会 編 、 昭 和 六 十 二 年 ~ 平 成 元 年 、 国 書 刊 行 会 ) の 注 で は 場 合 に よ り 指 す も の が 異 な っ て い る 。 以 上 の 諸 注 は 酒 と 味 噌 に は 分 か れ る も の の 、 み な 元 吉 原 跡 新 和 泉 町 の 酒 屋 四 方 屋 久 兵 衛 の 店 の 商 品 を 指 す と い う 点 で 共 通 し て い る 。 対 し 、 宇 田 敏 彦 校 注 『 新 日 本 古 典 文 学 大 系 八 三   草 双 紙 集 』( 平 成 九 年 、 岩 波 書 店 ) 所 収 『 草 双 紙 年 代 記 』 注 で は 、「 和 泉 町 ( 中 央 区 日 本 橋 三 丁 目 ) の 豊 島 屋 で 販 売 し た 赤 味 噌 」 を 指 す と し 、「 銘 酒 の名 と す る説 も あ る 。」と 、 異 な る 見 解 を 示 し て い る 。 ( 8 ) 例 え ば 、 い わ ゆ る 黄 表 紙 の 中 で 初 期 草 双 紙 を想 起 さ せ る 時 代 遅 れ な 言 語 遊 戯 と し て 「 大 木 の 切 口太 い の 根 」 が あ る が 、こ れ は 「 大 木 の 生 え 際 太 い の 根 」 の 誤 っ た 形 で あ る 。 し か し 、 こ の 形 は 様 々 な 黄 表 紙 の 中 で 使 用 さ れ て い る 。 対 し 、 南 畝は 『 菊 寿 草 』 序 文 の 中 で 「 大 木 の 生 え 際 で 太 い の 根 」 と 、 正し い 形 を 示 し て い る 。 拙 稿 「 草 双 紙 にお け る 流 行 語 の 位 置 」 参 照 。 (まつばら   のりこ・ 実践女子大学非常勤講師  

(13)

実践女子大学大学院博士課程

平成十四年度単位取得満期退学

博士(文学)

参照

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