取引に際してなされた不法行為における損益相殺に
ついて
著者名(日)
深川 裕佳
雑誌名
東洋法学
巻
53
号
1
ページ
1-40
発行年
2009-07-01
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00000693/
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取引に際してなされた不法行為における損益相殺について
東洋法学 第53巻第1号(2009年7月)深
川
裕 佳
一 問題の所在 民法には、損益相殺に関する規定が存在しない。しかし、判例は、従来から、不法行為に基づく損害賠償請求に おいて、不法行為を契機として被害者に利益が生じている場合に、損益相殺または損益相殺的処理を行っている。 また、通説も、損益相殺を理論上、認めている。 損益相殺は、後述のように、近年の学説において、﹁損害﹂ではなく、﹁損害賠償の範囲﹂または﹁損害額の減額 事由﹂として位置づけられている。そして、損益相殺の基準について、判例および学説では、被害者に生じた利益 が損害の填補の意味を有しているか否か︵利益と損害との法的同質性︶、ということに重点が置かれるようになって ︵1︶ いるQ ︵2︶ ところが、不法行為における損害概念について、わが国の通説・判例によって支持されている差額説によるなら1
ば、損益相殺は、理論的には、この差額説の中で解消されるものであるようにも思われる。すなわち、差額説に 立って、﹁損害とは、もし加害原因がなかったとしたならばあるべき利益状態と、加害がなされた現在の利益状態 ︵3V との差である﹂とするならば、不法行為を契機として被害者が得た利益は、この差引計算に取り込むことも可能に なるはずだからである。 実際に、わが国の学説も、一九七〇年代ころまでの学説は、後に述べるように、﹁損害﹂を把握する手段として 損益相殺を位置づけていたし︵近年の学説の一部もそのように位置づけている︶、最近、わが国に紹介されたドイツ不 法行為法の教科書でもそのように位置づけられている。同書によると、損害の意味は、次のように説明されてい る。 損害賠償としては、賠償を義務づけた状態が発生しなかったと仮定したならば、あったであろう状態を復元するものと される。そのため、侵害があった前後の利益の状況が比較される。その比較がマイナスの差額を示すときに、その差額 が損害賠償として負担される。︵E.ドイチュ”H.−﹂.アーレンス、浦川道太郎訳﹃ドイツ不法行為法﹄︵日本評論 社、二〇〇八年︶二五七頁︶ そして、このような差額説に立つと、﹁損益相殺は差額説︵田瀞お冒ξ8跨8①︶と不当利得の禁止の原則︵田琶− ︵4︶ 魯R琶鴨話号&から生じる﹂ものとされる。すなわち、﹁第一の原則[差額説]によれば、侵害の前後の総財産状 態が比較されねばならない。その際には、侵害を受けた後に良くなった部分は損害を減少するものとして考慮され る。さらに、損害賠償は、被侵害者の不利益を被った法益状態のみが填補されるべきであるということを意味して いる。法益の被侵害者が不利益とともに利益も得たならば、その利益は損害賠償に算入されるべきである。これは 不当利得の禁止︹第二の原則︺のあらわれである﹂と説明されている。そして、損益相殺の基準としては、判例
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東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) 上、﹁清算が期待されたものであり、損害賠償請求権の目的に合致しており、かつ、加害者の負担を不公平に免除 するものでないことが、損益相殺のための要件とされている﹂と述べられている。 このように損益相殺を差額説において位置づけることが可能になれば、被害者に生じた利益が損害を減少するも ︵5︶ のとして考慮されるのはどのような場合かという基準を探求することは重要となるものの、損益相殺を損害とは独 ︵6︶ 自の概念として位置づけることの必要性は少なくなるものと思われる。それにもかかわらず、今日、わが国の学説 では、次のように、損益相殺が必ずしも差額説とは結び付けられていない。 損益相殺は、損害額から利益を控除することだから、差額説的思考から当然に導かれる帰結であるように見える。しか し、単なる差額的思考だけでは、いやしくも事故によって、損害賠償請求権者に生じた利益であれば、すべて、損益相 殺することになってしまい、不当である。︵四宮和夫﹃不法行為︵事務管理・不当利得・不法行為︶中巻・下巻︵現代 法律学全集一〇︶﹄︵青林書院、一九八五年︶六〇〇頁︶ なぜわが国では、差額説が通説・判例の立場であるとされながら、損益相殺は、損害賠償額の調整問題として捉 えられているのだろうか。差額説に立って損害を把握する際に、損益相殺の理論を差額説に解消または吸収するこ とはできないのだろうか。これが本稿における問題の所在である。この問題を検討するために、本稿では、損益相 殺が行われた判例について、差額説と損益相殺との関係を明らかにするという観点から検討を行う。 ︵7︶ なお、わが国では、差額説は、財産的損害に関しては通説といわれている。そこで、本稿では、学説における損 益相殺の理論的位置づけを整理した後、取引に際して不法行為がなされた場合に行われる損益相殺を対象として、 ︵8︶ ︵9︶ 判例を検討し︵人身損害に関わる損益相殺および労働契約に関わる損益相殺は、本稿の検討の対象とはしない︶、この局 面において、損益相殺の果たす役割を検討する。
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二 損益相殺の理論的位置づけ ︵1︶学説における位置づけ 判例を検討する前提として、まず、学説において損益相殺がどのように位置づけられているのかということを確 認した上で、本稿における基本的な考え方を述べる。 ︵10︶ 学説では、損益相殺は、﹁損害賠償の公平︵公正︶な配分﹂や、﹁不法行為の結果、利得してはならないこと︵利 ︵n︶ 得の防止︶﹂を根拠にして認められている。そして、代表的な教科書では、損益相殺は、損害賠償額の算定におい ︵12︶ て、説明されている。その中でも、学説には、次のような違いが見られる。 一九七〇年代までの学説では、不法行為の成立要件︵損害賠償債権の発生要件︶として﹁損害﹂を位置づけた (13 ) 上で、損害賠償の範囲の問題として損益相殺を次のように説明してきた。 鳩山秀夫﹃日本債権法総論﹄︵一九一六年︶は、﹁賠償権利者が損害を受くると同時に利益をも受けたるときは其 利益と損害とを差引きて損害賠償の範囲を定むる制度﹂であり、﹁理論上寧ろ当然の事に属する所にして、⋮貢任 原因より損害と利益とを生じたるときは損害より利益を差引きたるものを以て真の損害と為すべきこと当然なれば ︵14︶ なり﹂としている。 我妻栄﹃事務管理・不当利得・不法行為﹄︵一九四〇年︶も、﹁損害賠償は真実の損害のみの賠償を目的とするこ ︵15︶ とから見て当然の理である﹂としている。 松坂佐一”加藤一郎﹃事務管理・不当利得・不法行為﹄︵一九五七年︶でも、同様に、損益相殺は、﹁損害賠償額 の範囲と金額﹂において言及され、これは﹁損害額の算定に当たって当然予定されていることであり、民法七〇九
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東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) ︵16︶ 条の﹃損害﹄とは、損益相殺をしたあとの真の損害を指している﹂と指摘されている。 幾代通﹃不法行為﹄︵一九七七年︶も、損益相殺を﹁損害賠償の範囲と額﹂において言及し、﹁不法行為の被害者 は、一面では、同じ不法行為によって利益を受ける場合もあるが、そうした利益の分を控除して損害の額を算定す ︵17︶ ること、あるいはそのようにして控除した残りが真の損害であると考えること、を損益相殺とよぶ﹂としている。 このように、一九七〇年代までの学説では、損益相殺は、理論上、差額説から導かれるものであり、﹁真の損 ︵18︶ 害﹂を把握するのに必要なものとして理解されてきたといえる。すなわち、これらの学説においては、損益相殺 は、損害賠償の範囲の問題として説明されているが、損害賠償請求権の要件である損害の問題として位置づけられ ︵19︶ ていたということができる。 一九八○年代以降の教科書や体系書には、以下のように、二つの立場が見られる。 一方で、今日でも、ここまで述べた学説と同様に、損害を縮減するものとして損益相殺を説明するものが存在す る。 加藤雅信﹃新民法大系V事務管理・不当利得・不法行為﹄︵二〇〇二年︶は、﹁損益相殺は差額説から理論的に導 かれる帰結であ﹂り、﹁差額説では、損害とは加害行為がなかりせばかくあるはずの財産状況と原状との差額、と ︵20︶ 定式化されているので、不法行為による財産の減少分のみならず、増加分も損害算定にさいして考慮される﹂と述 べる。 また、近江幸治﹃民法要義W事務管理・不当利得・不法行為﹄︵二〇〇七年︶も、﹁損害を差額的に捉える考え方 ︵21︶ からは、当然のこととして理解されよう﹂と指摘する。 さらに、平野裕之﹃不法行為法﹄︵二〇〇七年︶も、﹁利益を差し引いたものが七〇九条の﹃損害﹄として残され
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︵22︶ ること、換言すれば七〇九条の﹃損害﹄は損益相殺した後の真の損害をさしていることは異論がない﹂と指摘す る。 他方で、以下のように、差額説と損益相殺とを直接には結び付けない学説が存在する。 ︵23︶ 四宮和夫﹃不法行為﹄︵一九八五年︶は、損害を損害賠償請求権の発生要件として位置づけた上で、﹁損害賠償額 ︵24︶ の決定に際し、損害額から控除するもの﹂として損益相殺を説明することまでは、ここまで紹介した教科書と同様 である。しかし、同書において特徴的な記述は、これまでの教科書とは異なって、﹁損益相殺が必ずしも差額説か ︵25︶ ら当然に導かれるものではない﹂と指摘されていることである。 吉村良一﹃不法行為法﹄︵一九九五年︶は、﹁損害﹂を要件に位置づけた上で、損益相殺を﹁差額説によれば、賠 償さるべき損害とは加害行為により被害者が受けた利益を差し引いた不利益であることから、損益相殺は当然のこ ととされる。しかし、⋮不法行為により被害者に生じた損害であっても控除されないものもあるので、損益相殺の 意義は、被害者の原状回復の裏返しとしての被害者は原状より利得してはならないという理念、あるいは、加害者 ︵26︶ と被害者の公平の確保にあると見るべきであろう﹂としている。 内田貴﹃民法E債権各論﹄︵一九九七年︶は、﹁賠償額の減額調整﹂として損益相殺を説明し、﹁公平の見地から、 ︵27︶ その利益額を賠償額から控除する法理である﹂と説明している。 ︵28︶ また、﹁損害﹂を要件ではなく、効果において説明した上で、損害額の減額事由として損益相殺を次のように説 明するものも存在する。潮見佳男﹃不法行為法﹄︵一九九九年︶は、損害と損害額︵金額算定︶の問題を切り離した 上で、損益相殺は、﹁損害事実の金銭化という評価を超える作業である。被害者側の事情、行為態度等を考慮に入 ︵29︶ れて、損害額減額という法的価値判断がなされている﹂と説明している。
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東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) ︵2︶本稿の位置づけ このように、損益相殺は、その理論的位置づけが必ずしも学説において一致していない。損益相殺を理論的にど のように位置づけるかという問題は、﹁損害﹂をどのように理解するのかという問題︵損害論︶と密接に関わる。 筆者は、以下に述べるように、財産的損害に関しては、差額説に立つことを前提として、従来、損益相殺として議 論されてきた問題のうち、不法行為の発生時以降に被害者の利益状態が変化した場合を除いて、すべてこの差額説 の中で解消することが可能であると考える。 わが国の学説では、ここまで述べたように、当初は、損益相殺は差額説に立脚していたものの、差額説から離れ て位置づけられるようになってきている。このように損益相殺が差額説と切り離された理由は、判例において、被 害者に生じた利益が常に差引計算の材料とされているわけではないということに基づいているもののように思われ る。すなわち、損益相殺を差額説において位置づける場合には、構成要件としての損害が縮減され、その範囲にお いて損害賠償請求権が成立することになるのに対して、損害賠償額の範囲の問題とするならば、成立した損害賠償 請求権の金額を縮減するものとして働くことになるために、損益相殺が公平の見地から事案ごとの適切な解決を導 くための手段となりうる。 しかし、このように被害者の利益が常に差引計算の材料とされるとは限らないということは、次に述べるよう に、差額説と矛盾するものではない。差額説では、﹁もし加害原因がなかったとしたならばあるべき利益状態﹂と して、回復されるべき仮定的な状態が現在の状態と比較される。この﹁あるべき利益状態﹂は、実際には、どこま で回復させるのが公平かという判断なくしては、仮定することができないものである。特に、取引きに際して不法 行為がなされた場合には、事案によって、巻き戻して取引きがなかった利益状態に回復すること︵信頼利益の賠償︶
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も、また、取引きを有効として履行利益をも含めて利益状態を回復すること︵履行利益の賠償︶も考えられる。そ うすると、差額説においても、事案ごとに柔軟な解決方法を示しうるのであって、被害者に利益が生じた場合に、 それを差引計算において考慮するかどうかということも、公平の観点から一定の基準に基づいて行いうるものとい うことができる。 ただし、このように、原則としては、損益相殺を差額説に解消できるとしても、次のような場合には、差額説に おいて被害者の利益を考慮することは困難になり、損益相殺に独自の存在意義があるものと思われる。すなわち、 ﹁加害がなされた現在﹂から時間が経過したことによって、その後、被害者の利益状態に生じた変化を考慮するこ ヤ ヤ ヤ ヤ とは、損益相殺の問題となる。不法行為の後にさらに損害が拡大する場合には、相当因果関係の問題として処理す ヤ ヤ ヤ ヤ ることができるであろうが、そうではなく、不法行為後に損害状態が回復する場合には、相当因果関係の問題とし て処理することは妥当ではなく︵かつて、損益相殺の基準は相当因果関係に求められていたが、今日では、相当因果関係 ︵30︶ は損益相殺の基準とはなっていないことが学説において指摘されている︶、﹁損益相殺﹂の問題として処理されることに なる。ここにおける損益相殺は、不法行為の行われた現在の状態において生じた損害を把握するために行われるも のではなく︵これは、﹁損益相殺﹂という独自の概念を立てなくても、差額説において導き出せる︶、その後に、損害賠償 に際して、すでに賠償されるべき損害額がどこまで填補されているかという観点から、法律上の原因なしに被害者 に利得を生じさせないように損害賠償額を決定するために行われるものである。これが、本稿の問題意識に対する 一応の解答となる。
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東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) 三 判例の検討 以下では、判例を検討して、損益相殺を差額説において解消することが可能となるかどうかについて検討を行 う。便宜のため、まず、損益相殺が認められた判例を検討し、次に、損益相殺が否定された判例について検討す る。 ︵1︶損益相殺が認められた判例 ︻1︼大判昭和九・七・一一五裁判例八巻民一八二頁 ︵事実の概要︶ 本件における事実の概要は、以下の通りである。 判決文のみからは事実関係が必ずしも明確ではないが、抵当権設定者Aの相続人Xが、Yに対して、Yが実際に はAに対する債権を有していないにもかかわらず、後順位抵当権者として競売を行ったことによってその土地上の 所有権を喪失したとして損害賠償請求をした事案において、原審が損益相殺を行わなかったことに対して、Yが上 告し、Xの前主Aが本訴競売不動産に対する所有権の喪失によって被った損害は、同人が競売によって少なくとも 先順位の抵当権者に支払われた金額を不動産の価額より控除することによって算出されるべきものであるとして損 益相殺を主張した。 ︵判旨︶ 大審院は次のように判示して、損益相殺を認めた。 一部破棄差戻、一部棄却。不法行為に因り被害者に損害を生ずると共に利益の生ずるあらば夫は損害の数額を算定する に付斜酌すべきものなること即講学上に所謂損劃を為すべきものなること勿論なるが故にY主張の如くX前主Aが
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本件不動産の競落代金の配当に因り其負担する前示債務を免れたらんには夫は亦競売に因り右Aの得たる利益に該当し 同人の被りたる損害の数額を算定するに当り斜酌すべき筋合なるに拘らず原審が何等特別の理由を示すことなく斯る事 実は競売の結果右Aが前示不動産の所有権を喪失したるに因り被りたる損害の額を算定するに付考慮すべきものに非ざ る主旨の下に前記抵当権の負担を斜酌せざる不動産の当時の価額金四万千三百三十五円余なることを認定し得る以上其 の範囲内に於て金四万円の賠償を求むるXの請求は之を認容するに足る旨を判示したるは損益相殺の法理を無視したる に職由するか然らずんば理由不備の違法あるを免れず。 ︵検討︶ 本件では、事実認定が十分に明らかではないため、理論的には、競売時期が早められたことを損害とする 考え方も成り立ちうる。すなわち、Aの財産状態を考えると、通常は、真の抵当権者によって競売がなされたであ ろうという場合には、損害は競売時期が早められたことにあるとも考えられる。しかし、債務は弁済されるべきも のであることが通常であると考えれば、本件不動産が競売されることはなく、X︵A︶がこの不動産の所有権を失 うことはなかったはずであるから、本件のように、担保付不動産上の所有権の喪失を損害とすることもできる。 このように考えた場合に、まず、本判決では、Yによる不当な競売がなされたことによって、X︵AVにどのよ うな損害が生じているかということを考える必要がある。 本件では、﹁競売の結果右Aが前示不動産の所有権を喪失したるに因り被りたる損害﹂が生じたとされている。 このような損害をどのように考えるかについては、﹁もし加害原因がなかったとしたならばあるべき利益状態﹂を どのように考えるかによって決まる。そうすると、X︵A︶は、不当な競売がなされていなければ、抵当権付不動 産を保有していたのであるから、この原状への回復が﹁あるべき利益状態﹂として基準に置かれることになる。そ して、加害がなされた現在の利益状態は、不動産上の所有権を喪失しているという状態である。差額説に立って、 10
東洋法学第53巻第1号(2009年7月) この二つの利益状態の差を考えると、X︵A︶の利益状態は、﹁抵当権付不動産﹂価値分だけ減少している。それ
にもかかわらず、原審では、不動産上の所有権の喪失という損害が生じていると考えて、これを時価
四万千三百三十五円余で算定している。﹁あるべき利益状態﹂は、担保付不動産を保有していたという状態であっ たにすぎないのに、X︵A︶の財産を原状に回復させる以上に損害賠償を認めていることになる。これは、原審が ﹁あるべき利益状態﹂の評価を誤ったものである。そこで、大審院が原審の認定した損害賠償額を減額しているの は、結論としては正当である。 しかし、この大審院判決における理論的問題は、この減額を﹁損益相殺﹂として行うことが妥当か否かというこ とにある。確かに、大審院の指摘するとおり、競売がなされたことによってAは、﹁其負担する前示債務を免れ た﹂ということができる。しかし、自己の不動産が競売されたことによって、先順位抵当権者に配当が行われ、債 務が消滅したということだけでは、Aにとっては、自己の財産による債務の弁済に過ぎず、利益と評価すべきもの ではない。このように、債務の消滅を利益として考えるのは、﹁あるべき利益状態﹂において、Aが担保付不動産 を保有していたと考えるにもかかわらず、損害賠償額の算定において担保付であることを考慮し忘れていたために 利益が生じたと判断されたからに過ぎない。 このように考えるならば、本件は、被害者に利益が生じたから損益相殺が認められたという場面ではなく、単 に、原審における損害の確定において誤りがあったことを大審院が指摘し、これを是正するために損益相殺を用い たものにすぎないと考えるべきだろう。なお、後に述べるように、不法行為において被害者を救済するために履行 利益が認められるという観点からすると、本件では、結果として、有効な競売がなされて担保不動産の競売代金か ら抵当権者に債権額が優先弁済され、担保設定者である被害者に残額が支払われたのと等しい結論が導かれている 11ことが興味深い。 ︻2︼大判昭和一七・一・二九民集一六巻四二八頁 ︵事実の概要︶ Y︵上告人、控訴人、被告︶は、その未成年の子Aの親権者として本件土地を、その所有者Bより 賃借し、その地上にある本件建物を当時の所有者Cより買い受け所有権移転登記を経由した。AB問の土地賃貸借 契約には該建物を地主に無断にて売却することができないこと、又、賃借権を他人に譲渡することができないこと の特約があった。そのため、Yは、Aより更に右建物を売却するに際しては、その買受人と地主との間に敷地の賃 貸借を締結することが困難であることを知悉していた。その後、YはAの親権者として右建物をX︵被上告人、被 控訴人、原告︶に代金四千五百円にて売却し、代金を受領し、これと同時に、その所有権移転登記をなした。ま た、その売買と同時に、建物敷地の賃借権をもXに譲渡した。しかし、Yは、予め地主Bの承諾を求めず、かつ、 同人とAとの問の前記の事情を告知せず、Xに対して、敷地の賃借権の譲渡につき、容易に地主の同意を受けるこ とができるもののようによそおって、Xに賃借権の譲受の同意を受けることができるものと誤信させて、本件建物 の売買契約を締結させたものであった。Yは建物買受後、Bに対して、敷地の賃借を申し出たが、Bはこれを拒絶 し、賃借権譲渡の同意を得ることができなかった。そこで、Xは、Yに対して、本件建物の売却をなすにあたっ て、故意にXの利害に重大なる影響を及す事情を黙秘し、詐言によってYに不利益なる売買契約を締結させ、 四千五百円を交付させたとして詐欺に基づく損害賠償を請求した。 なお、本件提訴前にAX間の売買契約は解除されており、所有権はAに復帰したが、家屋引渡・登記抹消につい てその協力が得られなかったために、家屋税はXに賦課され、その不払いのために本件家屋は公売処分に付され 五六〇円でDに競落され、その公売代金から不動産取得税や家屋税を差し引いた三四〇円五二銭がXに交付されて 12
東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) いる。また、Xは、売買契約解除に伴って代金返還請求および損害賠償を請求する訴えを提起して勝訴している。 第一審は四千五百円の損害賠償請求を認めたのに対して、原審では、Xが四千五百円から保管している公売代金 三四〇円五二銭を差し引いた四千百五十九円四十八銭に請求額を減額したことから、﹁Yの前記不法行為に依りX が被りたる損害は売買代金として出掲したる金四千五百円に相当する金員にしてYは⋮損害金を⋮支払ふべき義務 あるものと云ふべきところ右公売の結果公売代金五百六十円のうち滞納税金を控除したる残金三百四十円五十二銭 をXに於て交付を受け保管せるに依り之を控除したる金四千百五十九円四十八銭⋮に依る損害金の請求を為すXの 本件請求は正当にして之を認容すべきものとす﹂としている。これに対して、Yが損害額を四千五百円とすること に異議を述べ、売買契約によって、Xは建物の所有権を取得しているのであるから、損害賠償額はその価格を控除 した残額となるべきはずであり、また、売買契約が解除され売主が無資力であるとしても、解除による原状回復義 務は同時履行の関係にあるからXが建物を留保しており、建物上に先取特権も取得していることから建物の価格に おいては、Xには損害は生じていないはずである旨を主張して、上告した。 ︵判旨︶ 大審院は次のように判示して、損益相殺を認めた。 破棄差戻し。伍て按ずるに⋮Yの右所為は不法行為を構成し該不法行為に因りXの被りたる損害は売買代金として出指 したる金四千五百円に相当する金員なる旨判定したるものなること原判文上明瞭なりとす。然れども叙上原審の確定し たる事実に依れば特段の事情なき限り叙上Yの詐欺に因る売買契約に因りXは代金四千五百円をYに交付して損害を受 くると同時に他面右建物の所有権を取得して利益を受けたるものと言ふべく、従てXがYの叙上詐欺行為に因り受けた る真の損害は特別の事情の存せざる限り金四千五百円より右建物の相当価額を差引きたる残額なりと解するを相当と す。然るに原審は此の点に関し何等首肯するに足る説明を為すことなく轍く上告人の叙上詐欺行為に因り被上告人の被 13
りたる損害は右売買代金として出掲したる金四千五百円に相当する金員なる旨判定したるは条理に背きて損害の範囲を 判定したるか又は理由不備の違法あるものと言ふべし。 ︵学説︶ 本件に対しては、学説から、以下のような批判がなされている。 ︵31︶ 末川博﹁判批﹂は、﹁他人の詐欺によって建物を買受けた者が他人の詐欺に因る不法行為を理由として損害賠償 を請求する場合に、その者が建物の所有権−若しくはこれに代替するものーを保有してゐるならば、嘗て支 払った代金から現に保有する建物の相当価額を控除した残額だけを実損害として損害の請求を為し得るにとどま り、代金全額をそのまま賠償額として請求しうる道理はない﹂として、大審院の結論に賛成する。しかし、原審が 売買代金としてXの支払った全額を損害と認定しているのは﹁この点だけを抽き出してみればいかにも損害の範囲 を誤って判定したものといはざるを得ない﹂が、﹁売買代金から建物の価格に相当する額−公売によって被上告 人︹X︺が手許に得ている利益ーを差引いた残額が賠償額とせられているのであるから、結果においては、本判 旨の説示するところに一致するのであって、必ずしも不当だとはいえぬかと思う。そして斯ういふ場合に原判決全 部が破棄せらるべきであるか否かについては、訴訟法上なほ攻究の余地が残ってゐるやうにも思はれる﹂と述べて いる。 ︵3 2︶ 四宮和夫﹁判批﹂も、一般論としては、﹁損益相殺の要件を具備する限り、判旨のいふように真実の損害額に限 定するを原則と解すべきであろう。ただ、相殺せらるべき利益が評価困難なる物なるときは、この原則に従はず代 位の手段に頼ることが公平の理念に合するであろう﹂と述べた上で、本件については、具体的妥当性から、次のよ うな疑問があるとする。すなわち、﹁判旨は建物相当額を代金相当額から控除せよといふが、Xも原審判決も代金 相当額から公売代金の残額を控除した額をもって損害額とするものである。⋮たとへ︹これを︺控除すべきだとし 14
東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) ても、すでに控除してある事実に対して判旨は眼を閉していいのであらうか﹂、また、AX間の契約が解除されて いるために、﹁いかなる損害がYの不法行為と﹃相当因果関係﹄にあるか﹂ということが問題となり、﹁Xはもはや 家屋を所有せぬのであるから損益相殺せらるべき利益を鉄くといはねばならぬのではないか﹂としている。 高梨公之﹁判批﹂も、﹁大審院が原審の認定として引用したところは、原審の態度を如実に捕へているとはいひ ︵33︶ 難く、したがってこの認定に立脚する大審院の理論も正鵠を失していると非難せざるを得ないであらう﹂としてい る。 ︵検討︶ 上記学説において批判されているように、大審院の判決には不明な点が多い。すなわち、金四千五百円よ り差し引かれるべき﹁右建物の相当価額﹂として、最高裁はどのような価格を想定しているのかということが不明 であるために、もしもこれが公売価格であるとすれば原審と同じ結果となって破棄差戻しした理由が不明になって しまうし、また、もしもこれが時価であるとすれば解除によって所有権がYに回復していることを考慮しなくても よいのかという問題が生じてしまう。このように、本判決には不明な点が残されているものの、学説では、前掲・ 末川﹁判批﹂に見られるように、判旨の言及する﹁右建物の相当価額﹂を﹁これに代替するもの﹂と読むことに よって、公売によってXが手許に得ている利益を差し引くものと考えているようであるから、以下では、このよう に解して、本判決の損益相殺について、差額説の観点からその意味を検討する︵なお、すでに競売がなされて換価さ れているのであるから、時価として理解するのは困難であり、もしも大審院が時価と考えているならば、前記に引用した評 釈が述べるように大審院の誤りであると評価せざるを得ない︶。 本件において、Yの詐欺による売買契約の締結がなかったとしたならば、Xの﹁あるべき利益状態﹂は、後に解 除がなされていることを考えると、契約がなかったという状態である。すなわち、Xは、売買代金を支払っていな 15
い状態に回復されるべきことになる。これに対して、不法行為がなされた﹁現在の利益状態﹂は、支払う必要のな い売買代金を支払ったという状態である︵判旨では、﹁Xは代金四千五百円をYに交付して損害を受くると同時に他面右 建物の所有権を取得して利益を受けたるもの﹂とされているが、解除により、所有権はすでにAに復帰している︶。そこ で、この二つの利益状況を比較するとXには、四千五百円の損失が生じている。 しかし、その後、本件の訴えを提起するまでに、Yに公売代金から滞納税額を控除した残金四三〇円五二銭が支 払われている。Xは、これについて、Yに返還を請求することができる。このことを考えると、XはYに対して 四千五百円の損害を賠償請求できるとしても、同時に、XはYに四三〇円五二銭の返還債務を負っており、この対 当額において相殺適状が生じている。そこで、Xが原審で四千五百円から四三〇円五二銭を差し引いた額に請求額 を減額したことは、相殺の意思表示を含んだものとして評価することができる。または、XはYの債権者であるか ら債権者代位権に基、づいて四三〇円五二銭を受け取って、自己の債権に充てることができるとも考えられる。この ように考えると、本件では損益相殺を持ち出さなくても同様の結論を導くことが可能な事案であったということが できる。 このように、本件では、損益相殺を持ち出す必要はない事案であったと考えられるが、大審院が﹁真の損害﹂を 導き出すのに受けた利益を差し引くべきであるとしていることの意味を検討しておく。大審院は、この損害の減額 の理由を明確には述べていないが、これは、損益相殺に基づくものであるか、単純に差額説によるものかのいずれ かである。ここで、損益相殺を認めた前掲・判例︻1︼と比較すると、本件の特徴は、差額説において損害を算定 するために利益状態を比較すべき時点︵不法行為がなされた現在︶よりも後の時点において、被害者の利益状態がプ ラスに変化していることである。すなわち、前掲・判例︻1︼では、不法行為の行われた時点において被害者の 16
東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) ﹁あるべき利益状態﹂を基準にして利益状態の変化を検討すれば、損益相殺の概念を利用しなくても、損害賠償額 が導かれる事案であった。これに対して、本件では、不法行為がなされた時点の利益状況︵現在の利益状態︶が、 本件の訴えを提起するまでに、公売代金の受領によって変化している。その額は、公売代金から滞納税額を控除し た残金四三〇円五二銭の増額である。このように、不法行為における損害を差額説によって捉えたとしても、その 後の時間の経過によって、その損害に代わる利益が発生することがありうる。先に述べたように、﹁損益相殺﹂が 損害賠償請求時において、差額説において認定される損害を賠償すべき額を調整するための手段として働くもので あると考えることが可能であれば、本件は、そのように時間の経過によってその損害に代わる利益が生じたために 損益相殺が必要であるとされた場面であるということができる。 ︵2︶損益相殺が否定された判例 ︻3︼大判昭和一二・四二〇民集一六巻七号四二八頁 ︵事実の概要︶ 本件における事実の概要は、以下の通りである。 X︵被上告人、被控訴人、原告︶は、大正一三年四月一一日に、Aに賃貸中の本件家屋をY︵上告人、控訴人、被 告︶より一ヶ月の買戻期間を定めて二千円で買受け、その賃借人Aとの間の賃貸借を承継した。しかし、買戻期間 内にYが買い戻さなかったため、Xは所有権保存登記を行った。Aが賃料をXに支払わなかったので、Xは、催告 の上、解除した。その後、このことを知ったYは、BCらと共謀して、大正一四年六月一五日に、本件家屋の建坪 を変更して、Y名義で所有権保存登記をし、本件家屋を一ヶ月金百八十円の賃料にてBに賃貸し、BがCに転貸し ていた。このような事情において、Xは、Cの占拠から昭和三年四月五日に本件家屋の明渡しを受けるまでの間、 17
賃料相当の損害を受けたとして、Yに対して損害賠償を主張した。これに対して、Yは、本件家屋が、YのXから 借り受けた金二千円のための売渡担保であって、自己がその使用収益権を有するものと信じて、これを他に賃貸し たものであると主張した。そして、本件家屋の公租公課は、Yが負担し、かつ、敷地の地代も払ってきたのでXに 対する損害賠償の責任がない旨を抗弁した。 一審では、Xが大正二二年四月一一日から昭和三年四月五日までの賃料に相当する八六一〇円の損害賠償を認め た。原審は、大正一四年六月一五日から昭和三年四月五日までの賃料に相当する六〇六〇円に請求額を減額したX の主張を認めた。これに対して、Yが本件家屋の公租公課並敷地の地代を払ってきたことから、本件家屋の賃料相 当額全額を損害としてYに支払を命じたのは過当に損害賠償額を認定したものであるとして上告した。 ︵判旨︶ 大審院は次のように判示して、原審同様に、損益相殺を否定した。 棄却。Yが本件家屋をXに売渡したる以後に於てもYに於て引続き該家屋の公租公課並其の敷地の地代を支払いたるこ とは原審の認定する所なりと錐Yが右家屋の売渡後に於て其の所有権を主張して之を第三者に使用収益せしめXの該家 屋に対する所有権を不法に侵害しXに賃料相当の損害を蒙らしめたること原審の認定する所なるを以てYの右公租公課 並地代の支払がXの利得に帰しYがXに対し之が返還債権を有する結果となりたりとするもYは此の債権を以て前示不 法行為上の損害の賠償債務と相殺することを許容せられざるは勿論原審が右損害賠償額を定むるに付、Yの支払いたる 右公租公課並地代の額を損得相殺として斜酌せざりしは当然にして原審に所論の如き違法あるものと謂うを得ず。 ︵34︶ ︵学説︶ 本件は、有泉亨﹁判批﹂により、次のような批判がなされている。 すなわち、第一に、﹁︹本件の賃貸借契約の解除について、︺本件に於て引渡までの賃料はYが収取し得又収取す べきであり、したがって本件のB︵実際には於てはAだが︶はYに賃料を支払ふべきであり、又支払へば足り、そ 18
東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) の支払は債権の準占有者に対する弁済ではなく本来の債権者に対する弁済なのである。一方自己の損失の填補を得 んとするXはYに対して売主の債務不履行の貢任を問ふことを得る﹂。第二に、このために、Yの責任は﹁決して 不法行為上のそれではない﹂から民法五〇九条が適用される余地もなく、また、たとえ、不法行為の問題であると 考えても、本件で問題となっている損益相殺は、﹁本来の相殺とは全然関係なく、裁判所は当事者の抗弁を待つこ となく職権を以て之を釈明斜酌すべきである。⋮而して勘酌すべき利益の範囲は損失と同一の事実から直接に発生 したものたるを要せず、損失と同一の原因から相当の因果関係に立てば足ると解されるから本件のYが負担した公 租公課地代の如きは、まさに斜酌せらるべき利益である。大審院が右の初歩的理論を忘却し、Yの行為は不当であ るとの一片の感情に動かされてYの正当の主張を敗訴し、Xに不当利得を許容したのは私の最も遺憾とするところ である﹂と述べている。 ︵検討︶ 結論として、前掲・有泉﹁判批﹂が述べるように、最高裁がYの負担した公租公課および地代を損害賠償 額から減額しなかったのは不当であると考える。そして、これは、損益相殺ではなく、相殺︵民法五〇五条︶によっ て実現されるべきものと考えられる。 本件において、不法行為に基づく損害賠償請求が成り立ちうるとして、Yが本件家屋の所有者のように振舞って B︵実質的にはA︶から賃料を受け取るという不法な行為がなかったとすれば﹁あるべき利益状態﹂は、YからX に所有権が移転することに伴って公租公課および地代をXが負担し、使用・収益することもできたという状態であ る。そして、加害がなされた現在の利益状態は、YがXに代わって公租公課および地代を支払ったことによって、 これと同額の求償債務をXはYに対して負っており、かつ、使用・収益することができなかったという状態であ る。差額説に立って、この二つの利益状態の差を考えると、Xの利益状態は、得ることができたはずの﹁賃料﹂分 19
だけ減少している。公租公課および地代については、求償債務として存在するのであるから、Xに利益は生じてい ない。したがって、大審院が﹁所有権を不法に侵害しXに賃料相当の損害を蒙らしめた﹂ことを損害としているの は妥当である。 しかし、本件では、Yは、自らが本件家屋の公租公課および地代を払ってきたことから、本件家屋の賃料相当額 全額を損害としてYに支払を命じたのは過当に損害賠償額を認定したものであると主張している。これは、YがX に代わって公租公課および地代を支払ったことによって取得した求償債権による相殺の抗弁を主張しているものと 理解することができる。ここで民法五〇九条の適用が問題となるが、前掲・有泉﹁判批﹂が述べるように、本件で は民法五〇九条は適用されるべきではない。この理由は、前掲・有泉﹁判批﹂のように、本件における損害賠償請 求の性質が実質的には債務不履行責任を問うものであると考えることも可能であるが、深川﹃相殺の担保的機能﹄ ︵二〇〇八年︶において検討したように、故意による不法行為および人身損害を生じた不法行為以外には、民法 ︵35︶ 五〇九条は適用されないと説明することもできる。また、本件では、不法行為に基づく損害賠償請求が争われてい るが、XのYに対する賃料相当額の侵害不当利得に基づく返還請求権も成り立ちうる事案であり、この場合には、 YのXに対する求償請求権と相殺することは否定されないということとも整合性を保つ必要がある。 ︵36︶ ︻4︼最一二判平成二〇・六・一〇民集六二巻六号一四八八頁 ︵事実の概要︶ Y︵被上告人、被控訴人、被告︶は、著しく高利の貸付けにより多大の利益を得ることを企図して、 Aの名称でヤミ金融の組織を構築し、その統括者として下部組織から毎月一定額の上納金を得て、自らの支配下に ある各店舗︵以下﹁本件各店舗﹂という︶の店長又は店員をして、ヤミ金融業に従事させていた。Xら︵上告人、控 訴人、原告︶は、平成一二年一一月から平成一五年五月までの間、本件各店舗から借入れとして金銭︵以下﹁本件受 20
東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) 領金﹂という︶を受領した上で、貸付日から返済日までの期間が数日からせいぜい数十日という短期問に、本件各 店舗に対し弁済として金銭︵以下﹁本件交付金﹂という︶を交付した。この利率は、年利数百%∼数千%であった。 このような事情において、Xらは、Yに対して、本件各店舗がXらに貸付けとして金員を交付したのは、Xらか ら元利金等の弁済の名目で違法に金員の交付を受けるための手段にすぎず、Xらは、本件交付金に相当する財産的 損害を被ったと主張してYの不法行為責任を追及し、財産的損害の賠償およびそれと同額の慰謝料などを請求し た。 第一審、原審ともに、元利金として弁済した金員全額の損害賠償請求を認めた上で、Xらが各店舗から元本名目 で受け取った金銭について、民法七〇八条によって各店舗に返還しなくても良いために、その分について利益を得 ているとして損益相殺をすべきであるとした。これに対して、Xらが上告した。 ︵判旨︶ 最高裁は、次の理由によって原審を破棄し差し戻した。すなわち、﹁社会の倫理、道徳に反する醜悪な行 為に該当する不法行為の被害者が、これによって損害を被るとともに、当該醜悪な行為に係る給付を受けて利益を 得た場合には、同利益については、加害者からの不当利得返還請求が許されないだけでなく、被害者からの不法行 為に基づく損害賠償請求において損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として被害者の損害額から控除すること も、民法七〇八条の趣旨に反するものとして許されない﹂︵要旨一︶とした上で、﹁いわゆるヤミ金融の組織に属す る業者が、借主から元利金等の名目で違法に金員を取得して多大の利益を得る手段として、年利数百%∼数千%の 著しく高利の貸付けという形をとって借主に金員を交付し、これにより、当該借主が、弁済として交付した金員に 相当する損害を被るとともに、上記貸付けとしての金員の交付によって利益を得たという事情の下では、当該借主 から上記組織の統括者に対する不法行為に基づく損害賠償請求において同利益を損益相殺ないし損益相殺的な調整 21
の対象として当該借主の損害額から控除することは、民法七〇八条の趣旨に反するものとして許されない﹂︵要旨 二︶Q なお、本件には、裁判官田原睦夫の意見が付されている。同裁判官は、前記要旨一に対して﹁不法原因給付とし てその返還を要しない場合であっても、被害の性質や内容、程度、被害者の対応、加害行為の態様等から、その給 付をもって損益相殺的処理をなすことが衡平に適う場面があり得る﹂とし、ただ、本件では、Xらには、﹁その支 払の都度その支払った金額相当額の損害が発生していると評価される﹂ことになり、本件受領金の給付とは別途に 本件交付金総額について損害の発生が認められるところから、損益相殺は許されないとしている。 ︵37︶ ︵学説︶ 本件に対して、以下に挙げる学説では肯定的な評釈がなされている。 たとえば、藤原正則﹁判批﹂は、﹁不法行為の損害を被害者の財産状態の差額と考えるなら、確かに、借主の受 領した元本は損益相殺の対象となる。しかし、ここでの損害賠償請求は、ヤミ金融の禁圧の手段という目的を有し ている。損益相殺も単純な差額計算ではなく、規範的評価に依存することは間違いないから、民法七〇八条本文の ︵38︶ 趣旨により損益相殺または損益相殺的な調整を禁じた本判決は支持されるべき﹂としている。長谷川隆﹁判批﹂も ︵39︶ 本件の結論に賛成しつつ、同様に、﹁ヤミ金融の根絶を志向する最高裁の政策的判断があるのではないか﹂と指摘 している。 また、久須本かおり﹁不法原因給付と損益相殺﹂は、本件における損益相殺の否定を民法七〇八条からではな く、当事者間の衡平の観点から判断すべきとして、次のように述べている。すなわち、﹁七〇八条による返還請求 の否定が当然に損益相殺の否定をももたらすことにはならない﹂として、﹁行為者に対する強い人格的非難が与え られるべき行為⋮すなわち公序良俗に反する行為﹂については、﹁不法な原因として評価される行為を禁止する規 22
東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) 範の目的に照らし、返還請求を排除するという手段によってまでその行為を禁止する必要性が極めて高い場合に﹂、 ︵40︶ ﹁損益相殺の制度目的である当事者間の衡平の要請は後退せざるを得ない﹂とする。 ︵41︶ ︵検討︶ ① 問題の所在 深川﹁判批﹂において述べたように、筆者も結論として、本件に賛成するものである。 しかし、本稿の問題意識からすると、本件には、理論的観点から、さらに検討すべき点が残されているように思わ (42 ︶ ︵43︶ れる。すなわち、本件給付金額が損害額とされたことの理論的説明方法である。 本件において、﹁もし加害原因がなかったとしたならばあるべき利益状態﹂としては、次の二つの状態が考えら れる。一つは、消費貸借としては一応有効であるために本件受領金を返還する必要はあるが、暴利の利息契約が無 効となるために、利息を支払わなくてもよいという状態である。もう一つは、消費貸借と利息契約の全体が無効で あって、Aグループに属する各店舗への金銭支払いを一切しなくてもよいという状態である。本件では、後者、す なわち、消費貸借と利息契約の全体が無効であるために、Xらは、支払いを一切しなくてもよいという状態が﹁あ るべき利益状態﹂とされている。これは、本件における暴利の貸付行為が公序良俗に反するものと考えられるた め、契約全体の効力を否定して不法行為を抑止する必要があるからである。 では、不法行為がなされた﹁現在の利益状態﹂は、どのような状態だろうか。Xらは、高利の貸付行為によつ て、各店舗に本件給付金を支払っている。そうすると、損害額としては、この支払総額になりそうである。しか し、Xらは、本件給付金の支払以前に、各店舗から本件受領金を受け取っていることから、損害賠償額を算定する 前に、これを差額説において把握される﹁損害﹂の中で考慮する必要があるかどうかということが問題となる。 ②本件受領金の損害における評価不法行為がなされた﹁現在の利益状態﹂を客観的に捉えると、本件給付金 と本件受領金とが考慮されるはずである。しかし、判例が本件給付金額を損害額としていることを考えると、﹁現 23
在の利益状態﹂は客観的な利益状態ではなく、不法行為によって回復される﹁あるべき利益状態﹂と同様に、一定 の評価を含んだ利益状態として把握されていると説明せざるを得ない。このように評価を含んだ﹁現在の利益状 態﹂の把握が認められるのか、または、どのような場合に認められるのかということは、更に検討する必要がある と考えられるものの、少なくとも、﹁現在の利益状態﹂をどの時点において考えるのかということに密接に関わっ ているということは確かであるように思われる。 そこで、第一の方法として、不法行為がなされた﹁現在﹂の時点を次のように考えることによって、差額説から 本件給付金額を損害額とする方法がある。本件における田原裁判官の意見のように、Xらが消費貸借契約にもとづ く元本を受領した時点ではなく、﹁その支払の都度その支払った金額相当額の損害が発生していると評価される﹂ のであれば、それぞれの時点において利益状態が比較されることになる。そうすると、すでに本件受領金を保有し ている状態を基準に差引計算が行われる結果、本件給付金の支払いのすべてが損害であり、その後に、Xらには何 の利益も生じていないと考えることも可能になる︵したがって、損益相殺は問題とならないことになる︶。 第二の方法として、﹁現在﹂の時点を移動させるのではなく、利益の発生時期を次のように考えることにより差 額説から本件給付金額を損害額とした上で、本件受領金を損益相殺の問題へと移行させる方法がある。第一審およ び原審のように、民法七〇八条の反射的効果として本件受領金がXらに帰属するために利益が生じることになると 考える場合には、判決によって民法七〇八条が適用されるということが確定した時点においてXらに利益が生じる ことになる。そうすると、不法行為がなされた時点以降に利益が発生していることから、本件受領金は﹁現在の利 益状態﹂において考慮されるのではなく、損益相殺の問題となると考えることも可能になる。そして、今日、一般 ︵必︶ 的に認められている損益相殺の基準としての﹁損害と利得の問の同質性﹂からして、損害と同質性がない︵また 24
東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) は、損害を埋め合わせるものではない︶ために、損益相殺は認められないと考えることができる。 しかし、前記二つの時間的操作は、やや技巧的であるように思われる。暴利の消費貸借契約を締結させたこと自 体を不法行為であるとするならば、その不法行為がなされた﹁現在の利益状態﹂としては、本件受領金も考慮する 必要があるように思われる。 ③贈与契約への組み換え理論的には、消費貸借が無効となるために、Xらは、本来は、不当利得として本件 受領金を返還しなくてはならない。しかし、AグルLフの各店舗からの返還請求は民法七〇八条によって排除され る。すなわち、不当利得法においては、Xらは、消費貸借が公序良俗に反して無効であるために本件給付金額を取 ︵45︶ ︵46︶ り戻すことができ、かつ、本件受領金を返還する必要がないということになる。このような帰結は、先に述べたよ うに、本件のような暴利の消費貸借契約︵いわゆるヤミ金融︶が公序良俗に反するものであり、利息部分のみなら ず、元本についても契約を実現することが是認されないという政策的・社会的要請から正当化されている。 そうすると、Xらが不法行為の問題として争った場合にも、このような政策的・社会的要請は実現される必要が あるだろう。このような政策的・社会的要請が、本件において、不法行為と不当利得との競合問題を解決する際の ︵4 7︶ 指針として働くものと思われる。筆者は、先に述べたように、不法行為法では、本件におけるXの損害としては、 本件給付金から本件受領金を差し引いたものになると考える。これに対して、前述のように、不当利得法では、民 法七〇八条が存在するために、Yは無効な消費貸借のために交付した元本相当額を不当利得として取り戻すことは できない。このように、本件では、不法行為法における帰結と不当利得法における帰結とが異なってくるという点 に問題がある。これは、不法行為が、元来、契約のない状態において問題になるはずであるにもかかわらず、本件 では、公序良俗に反して違法無効なものであるが、契約関係が存在したという要素も含んでいることから生じる問 25
題である。そこで、この齪齪を解決するための理論構成を考える必要がある。 これについて、廣峰正子﹁民事貢任における不法の抑止と制裁﹂は、フランスにおいて﹁民事罰﹂概念が予防機 能や抑止機能を果すものとして広範な役割を担っていることを分析した上で、﹁民事罰概念を法の解釈・運用にお ︵48︶ ︵49V ける基本理念として認めること﹂の重要性を主張する。そして、同﹁信義則による不法の抑止と制裁﹂において、 コ般条項たる信義則が民事罰概念の受け皿たる役割を果すことができれば、実損害を超える賠償額の上乗せとい う、損害賠償法の領域を超えて、民法全体で不法の抑止や制裁を志向﹂し、﹁わが国の私法にあっても何らかの罰 概念が存在し、そのことから不法の抑止や制裁が追求されるべきであることを、真正面から認めることが重要であ ると思われる﹂と指摘する。 ︵50︶ また、金山直樹﹁不法原因給付法理の柔軟化に向けて﹂は、①﹁元々の不法性の刻印が価値としての金銭︵元本︶ に随伴する結果、借主が返済をした後も貸主にはなお七〇八条但書のいう﹃不法の原因が﹄存在するとして、借主 は既払い元本についても返還請求権がある﹂としたり、②民法七〇八条が適用されることによって元本未返済の場 合には反射的に借主に元本を保持する権限が発生し、﹁現実に借主が返済を受けてもそれは﹃法律上の原因のな い﹄者と評価されて、返済分は元利問わずに借主による不当利得返還請求権の対象になる﹂とする。そして、この ことは、賠償の填補の観点が抜けて賠償額に客観性も上限もないことから否定される﹁懲罰的賠償の観点から評価 したとしても、実際に借主が給付した額に限られるので、その額には客観性も上限もある。したがって、懲罰的賠 償の禁止の原則との間で、原理的な矛盾は生じない﹂し、﹁民法も積極的に協力して高利に対する一般予防的の役 割を担っても構わない﹂と位置づけている。 これらの見解に見られるように不法行為の抑止手段として、本件受領金額をXらが取得することが認められると 26
東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) 位置づける可能性も存在する。これに対して、筆者は、違法無効ではあるが、一応は契約関係が存在していたとい ︵5 1︶ うことに着目すると、以下のように、この無効な契約を被害者救済の観点から有効な契約へと組み換えてこの組み 換えられた契約の履行がなされたのと同等の方法によって、不法行為による損害の賠償を実現するという考え方も 存在しうるものと考える。 ︵52︶ ここで、梅謙次郎﹃民法要義﹄︵一九一〇年︶が民法一三〇条を説明して、故意に条件を成就させた当事者に対し て相手方は不法行為に基づく損害賠償を請求することができるが、相手方の保護にはこれだけでは不十分であるか ら、同条は、条件が成就したものとみなすことができるとしたものと説明していることが参考になる。このような 考え方によると、契約の履行に条件がつけられている場合に、債務者が自己の債務を免れる目的で条件の実現を妨 げると、債務者の行為は、不法行為となって、債権者は債務者に対して損害賠償を請求することができ、この損害 賠償を実現する手段として、債権者は、条件が成就したものとみなして債務の履行までも債務者に対して請求する ことができる。 また、本件では、前述のように不当利得に基づく返還請求をXらが主張することも考えられる。そこで、不当利 得の場合についても、民法七〇五条に関して、梅謙次郎﹃民法要義﹄︵一九一〇年︶が次のように述べていることが 参考となる。 いわゆる弁済は純然たる弁済には非ずと錐も而も一つの新なる契約として効力を生ずべし。即ち無償なるが故に一つの 贈与を構成すべし︵梅謙次郎﹃民法要義巻ノ三﹄︵有斐閣、訂正増補三〇版、一九一〇年︶八七二頁︶ 梅謙次郎は、法律上の原因がないことを知りながら給付した者が、その給付を取り戻せないとされることを贈与契 約として組み換えている。本件でも、このような学説によれば、違法無効な消費貸借契約を締結させるためのもの 27
であることを知りながら元本として給付された金銭については取り戻せないということを、贈与契約として組み換 え、損益相殺を否定しつつも、これと同等の結果を実現するものとして理解することができる。このように考える ならば、たとえXらが元本相当額を弁済していたとしても、それは、非債弁済であって、任意になしたものではな いから、取り戻すことができるとの結論を導くことができる。 このように不法行為に基づく請求であっても、契約が有効に履行されたのと同等の結論を導くことができる場合 があるものと考えられる。 なお、本件の射程に関わる問題であるが、以下の理由から、民法七〇八条の適用は抑制的になされるべきもので あり、民法七〇八条は、政策的・社会的要請が特に強い場合に、その目的を達成する範囲で妥当する法理であると 考えられる。 わが国では、民法七〇八条の妥当性について、立法当初から疑いが提起され、梅謙次郎﹃民法要義﹄には、﹁仮 に余が主義を採用するも第七百五条の規定あるを以て不法の原因を主張して一旦為したる給付の返還を求むる場合 は蓋し甚だ多からざるべし。何となれば給付の当時弁済者が債務なきことを知りたるときは其返還を請求すること ︵53︶ を得ざるものとすればなり﹂としている。また、わが国民法七〇八条本文と同様の条文を有するドイツ民法八一七 ︵5 4︶ 条二文︹良俗に反する給付者の返還請求権の制限︺についても、次のような問題が指摘されている。 八一七条二文をめぐる混乱は、この規定自体を削除しようという要請をしばしば呼び起こしている。かつ、法規や良俗 に違反した契約を抑止しようという目的にとって、八一七条二文の法政策的な妥当性は疑問でもある。しかし、返還請 求を排除しなければならない場合もやはりあるのであって、その場合には、信義誠実の原則︵民法典二四二条︶を持ち 出す必要が生じよう。いくつかの判例も、そのことを示している。例えば、暴利で信用を供与した者は、消費貸借の期 28
東洋法学 第53巻第1号(2009年7月) 間中は貸金の返還を請求することはできず、期間終了後にはじめて、元本の返還請求をすることが可能であるとした判 例もある。⋮原則として法規や良俗に反する契約に基づいて給付されたものは回復できるが、禁止規範の保護目的が給 付不当利得の排除を要請する場合に、実務が返還請求を排除する余地を認めて、︹ケーニッヒ法律案︺一条の一・二 ︵d︶︹無効な契約の履行に対する無効規範の保護目的からの返還請求権の排除︺の規定がおかれた。この規定は、実務 に、一方で給付者への抑止効果、他方で受領者の不当な利得を睨んで無効規範の目的を考慮する余地を与えている。 ︵藤原正則﹁西ドイツ不当利得法の諸問題ーデトレフ・ケーニッヒの法律案と鑑定意見の紹介を通じてー﹂法政大 学現代法研究所﹃西ドイツ債務法改正鑑定意見の研究﹄︵日本評論社、一九八八年︶四〇四頁︶ このように民法七〇八条の妥当性については疑問があり、本判決の法理は、政策的・社会的要請が公序良俗の観 点から実現されるべきものとされる場合にのみ、抑制的に適用されるべきものと考えられる。 ︻5︼最三判平成二〇・六・二四判時二〇一四号六八頁 ︵事実の概要︶ Y︵被上告人、控訴人、被告︶は、Yを介して米国債を購入すれば高額の配当金を得ることができ る、元本保証で配当金も国内の銀行より高額になることが保証できるなどと架空の事実を繰り返し申し向け、その 旨をX︵上告人、被控訴人、原告︶に誤信させ、その購入資金を支払わせて、これらを騙取した︵以下、この騙取行 為を﹁本件詐欺﹂といい、これにより被上告人が取得した金員を﹁本件各騙取金﹂という︶。そして、その間、Yは、真 実は騙取金で米国債を購入していないにもかかわらず、あたかもこれを購入して配当金を得たかのように装い、配 当金名下に、Xらに仮装配当金を交付していた︵以下、これらの金員を﹁本件各仮装配当金﹂という︶。Yは、その 後、詐欺の容疑で逮捕され、本件詐欺等に関して詐欺罪で懲役六年の判決を受け、同判決は確定した。そこで、X らが、Yより米国債の購入資金名下に金員を騙取されたと主張して、Yに対し、不法行為に基づく損害賠償とし 29
て、騙取された金員及び弁護士費用相当額並びに遅延損害金の支払を求めた。 原審は、﹁被害者が不法行為によって損害を被ると同時に、同一の原因によって利益を受ける場合には、損害と 利益との間に同質性がある限り、公平の見地から、その利益の額を被害者が加害者に対して賠償を求める損害額か ら控除することによって損益相殺的な調整を図る必要があ⋮り得る﹂とした最大判平成五・三・二四民集二七巻四 号三〇三九頁を引用して、﹁Xらは、Yが配当金名目で支払った金員は、あくまでXらを欺岡して、次の出資金を 支出させるための手段であり、損害賠償義務の一部返済があったということはできないし、また、不法原因給付で あって、それらは損害額に充当されるものではないなどと主張するが、Xらが、上記の配当金名下の金員の支払を 受けるのは、騙取行為と同一の原因によって利益を受けることになり、公平の見地から、それらの金額をXらの騙 取額から控除して損益相殺的な調整を図る必要があるというべきである﹂とした。 これに対して、Xらが上告した。 ︵判旨︶ 最高裁は、次の理由によって、原審を破棄し、差し戻した。すなわち、前掲・判決︻4︼を引用した上 で、﹁本件詐欺が反倫理的行為に該当することは明らかであるところ、Yは、真実は本件各騙取金で米国債を購入 していないにもかかわらず、あたかもこれを購入して配当金を得たかのように装い、Xらに対し、本件各仮装配当 金を交付したというのであるから、本件各仮装配当金の交付は、専ら、XらをしてYが米国債を購入しているもの と誤信させることにより、本件詐欺を実行し、その発覚を防ぐための手段にほかならないというべきである﹂か ら、﹁本件各仮装配当金の交付によってXらが得た利益は、不法原因給付によって生じたものというべきであり、 本件損害賠償請求において損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として本件各騙取金の額から本件各仮装配当金 の額を控除することは許されないものというべきである﹂。 30