天狗論
著者名(日)
井上 円了
雑誌名
井上円了選集
巻
19
ページ
549-611
発行年
2000-03-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00004715/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja天狗論
蜘命隼書農弊奴
1 サイズ(タテ×ヨコ) 222×150mm 2.ページ 総数:98 参考および引用書目:6 序文・目録:2 本文:90 3刊行年月日 底本:初版 明治36年12月29日
4句読点
あり (巻頭) 5.その他 『妖怪叢書』第3編として発行。6発行所
哲学館天狗論
﹃天狗論﹄参考および引用書目
あずまかがみ 東鑑︵巻二九の五紙および巻四一の三三紙︶ いちわいちげん 話一言︵巻五の三四紙︶ いんがものがたり 因果物語︵巻下の三紙︶ う つ ほものがたり 宇津保物話︵巻一六の五一紙︶ えいがものがたり 栄華物語 ︵巻三九の二六紙︶ おおかがみ 大鏡︵第六七代︶ おふみごじよういちぶ じしゆし 御文五帖︹一部︺示珠指︵巻二の一五紙︶ おんようがいでんいわとびらき 陰陽外伝磐戸開 ︵洋装一七四頁︶ かいだんと しおとこ 怪談登志男 かいだんぺんもうろく 怪談弁妄録︵巻二の三紙︶ がつかいよてき 学海余滴︵巻九の二六紙︶ かんでんこうひつ 閑田耕筆︵巻三の二三紙︶ ぎけいき 義経記︵巻一の七紙︶ きしんうん 鬼神論︵巻下の五紙︶ あんさいすいひつ 安斎随筆︵巻一八︶ いのうもののけろく 稲生物怪録 うたたねのゆめ 仮採夢︵巻三の三二紙︶ うんらくけんもん しよ き 雲楽見聞︹書︺記︵巻下の二七紙︶ え どちりひろい 江戸塵拾︵五紙︶ おがくずぱなし 鋸屑謹 おんこようりやく 温故要略 ︵巻三の二紙︶ かいいべんだん 怪異弁断︵巻二の二〇紙︶ かいだん ぷくろ 怪談とのい袋 ︵巻一の六紙︶ かちようひやくだん 華鳥百談︵巻四の一紙︶ かんさいひつき 閑際筆記︵巻下の一九紙︶ かんれいすうこうりやく 管姦数垢略︵巻上の二二紙︶ ぎさんかいきよう 擬山海経 ︵巻一の二六紙および巻一 きゆうしようらん 嬉遊笑覧︵巻一二の四紙︶ 二の一八紙︶ 549きゆうじんずいひつ 笈埃随筆︵巻 の一七紙︶ ぎゆうばもん 牛馬問︵巻二の八紙︶ きよつこうまんぴつ 曲肱漫筆︵巻二の六紙︶ ぐかんしよう 愚管抄︵巻七の一五紙︶ くんもうてんちべん 訓蒙天地弁︵巻中の二六紙︶ けいりんまんろく 桂林漫録︵巻上の一六紙︶ げんどうほうげん 玄同放言︵巻一上の二二紙︶ こうえきぞくせつべん 広益俗説弁︵巻一二の二紙︶ こくしりやく 国史略 ︵小本巻四の一四紙︶ ここんちよもんじゆう 古今著聞集︵巻一七の一〇紙および一七紙︶ こつきようしゆう 谷響集︵巻二の二六紙︶ こんじやくものがたり 今昔物語︵巻二八の一二紙︶ さいかいそくだん 斎譜俗談︵巻一の三紙︶ さるちよもんじゆう 猿著聞集︵巻一の七紙︶ さんようざつき 三養雑記︵巻二の一八紙︶ じぞうきようこすい 地蔵経鼓吹︵巻八の一六紙︶ しなのきしようろく 信濃奇勝録︵巻四の一六紙︶ きゆうだん 奇遊談︵巻三下の一紙︶ きよこドつ し 居行子︵巻一の五紙︶ きんぶんぐうひつ 近聞寓筆︵巻四の九紙︶ く じ き 旧事記︵巻一六の二五紙︶ げいえんにっしよう 秋苑日渉︵巻一二の三三紙︶ げんこうしやくしよ 元亨釈書︵巻二〇の二五紙︶ げんぺいじようすいき 源平盛衰記︵巻八の八紙および一九紙以下︶ こうせきしゆう 確石集 ︵巻↓の三四紙および巻四の一一紙︶ こ ご 暗語︵巻下の一二紙︶ ここんようみこう 古今妖魅考︵全七巻︶ ごほうしじうん 護法資治論︵巻二の二四紙︶ こんじやくや わ 今昔夜話︵巻一の二二紙および巻三の二九紙︶ ざつせつのうわ 雑説嚢話︵巻中本の二紙︶ さんさいいんねんべんぎ 三才因縁弁疑︵後編巻上の一紙︶ し こぐさ 志古草︵一八紙︶ じぞうきようしよう 地蔵経紗 ︵巻上の一三紙︶ しやせきしゆう 沙石集︵巻八の=二紙︶ 550
天狗論
しゆうゆうきだん 周遊奇談︵巻五の一〇紙︶ しようきゆうさん 聖爾賛︵巻二の三二紙︶ しようざんちよもんしゆう 想山著聞集 ︵巻一の四紙および巻五の九紙︶ じよけんよんしよう 恕軒文紗 ︵巻上の二二紙︶ しよこくべんらん 諸国便覧︵巻三の四紙︶ じよらんしやわ 如蘭社話︵巻二八の二六紙︶ しんちよもんじゆう 新著聞集 ︵巻一〇の=二紙︶ しんどうひようだん 神童葱談︵仙童寅吉物語︶ ずいいろく 随意録︵巻 の二六紙︶ せいばんかいだんじつき 西播怪談実記︵巻二の九紙︶ そうぎしよこくものがたり 宗舐諸国物語 ︵巻二の一九紙︶ ぞくこうしやくしゆう 続磧石集 ︵巻下末の三四紙︶ そらいしゆう 但練集︵巻一六の一二紙︶ たいへいき 太平記︵巻二五の二紙︶ ちゆうこそうしよ 中古叢書 てんぐめいぎこう 天狗名義考 とうかいどうめいしよず え 東海道名所図会︵巻二の九紙︶ しようかんざつき 消閑雑記︵巻上の二一紙︶ しようざいしゆう 聖財集︵巻中の三五紙︶ しようそうかんご 小窓閑話︵巻二の四紙︶ しよこくかいだんしゆう 諸国怪談集 しよこくりじんだん 諸国里人談︵巻二の一七紙および二一紙︶ しんかまんぴつ 慎夏漫筆︵巻三の二八紙︶ じんてんあいのうしょう 塵添塩嚢抄︵巻八の三八紙︶ しんらい き 震雷記︵八紙︶ すんだいざつ わ 駿台雑話︵巻一の四五紙︶ ぜんあんずいひつ 善庵随筆︵巻下の二〇紙︶ そうぼうきげん 草茅危言︵巻四の二八紙︶ ぞくこ じだん 続古事談︵巻五の五紙︶ だいごずいひつ 醍醐随筆︵巻下の九紙︶ ちだん 痴談︵巻二の八紙︶ ちようめいほつしんしゆう 長明発心集︵巻二の一九紙︶ てんちわくもんちん 天地或問珍︵巻六の七紙︶ どうけいさんい 同契纂異︵巻一の四紙︶ 551とうどういひつ 桃洞遺筆︵巻六の三紙︶ とうゆうきだん 東遊奇談︵巻一の八紙および巻四の一五紙︶ とおやまきだん 遠山奇談︵巻四の一七章および一八章︶ にぼんが ふ 日本楽府︵一四紙︶ にまぜ き 烹雑の記︵巻中の二三紙︶ ねんざんきぶん 年山紀聞︵巻六の二六紙︶ はんにちかんわ 半日閑話︵巻三の一四紙︶ ふうらいろくろくぶしゆう てんぐしやれこうべめききえんぎ 風来六六部集︵﹁天狗髄艘鑑定縁起﹂︶ へいしたいしでん 平氏太子伝︵巻下の三六紙︶ へいじものがたり 平治物語︵巻三の一九紙︶ ほうじようくだいき 北条九代記︵巻二の二九紙︶ ほくえつきだん 北越奇談︵巻四の一紙︶ ほんちようかいだんこ じ 本朝怪談故事︵巻二の一四紙︶ ほんちようこ じいんねんしゆう 本朝故事因縁集 ︵巻一の二〇紙︶ ほんちようじんじやこう 本朝神社考︵巻六の七紙︶ ほんちようりげん 本朝僅諺︵巻六の五紙︶ まつのやひつき 松屋筆記︵巻三八の一六︶ とうどくんもうずい 唐土訓蒙図彙︵巻五の九紙︶ とうりしんだん 束里新談︵巻下の五紙︶ にほんがいし 日本外史︵巻四の一七紙︶ にほんしよき 日本書紀︵巻二三の一一紙∀ にんにくずいひつ 忍辱随筆︵巻上の四三紙︶ ぱけものはんとりちよう 化物判取帳 ︵巻一の一一紙︶ ひとよぱなし 一宵話 ︵第二編の一八紙︶ ぷつぞうずい 仏像図彙︵巻四の五紙︶ へいじだいとう 平児代答 ほうげんものがたり 保元物語︵巻三の一六紙︶ ほうじようせいすいき 北条盛衰記︵巻三の二七紙︶ ほくそうさだん 北窓墳談︵巻二の二一紙および巻三の二二紙︶ ほんちようこえん 本朝語園︵巻一の三五紙︶ ほんちようしんいんねんしゆう 本朝新因縁集︵巻四の六紙︶ ほんちようそうじんき かいだんべんじゆつしよう 本朝捜神記︵一名怪談弁述紗︶︵巻二の五紙︶ まつ おちば 松の落葉︵巻一の二四紙︶ まんゆうきだん 漫遊記讃︵巻二の四二紙︶ 552
天狗論
みんせいせつようろく むちゆうもんどう 民生切要録︵巻二の七紙︶ 夢中問答︵巻上の三九紙︶ めいろくざつし ゃおうつれづれにつき 明六雑誌 野翁徒然日記︵巻 ○の二〇紙︶ やこうのたま やそうきだん 夜光珠︵巻中の初紙︶ 夜窓鬼談︵巻下の↓紙︶ やそのくまで やまとかいいき 八十能隈手︵巻四の一二紙︶ 大和怪異記︵巻七の一紙︶ やまとほんぞう やみ あけぼの 大和本草︵巻=ハの二一紙︶ 闇の曙 ︵巻下の二紙︶ よしのしゆうい らざんぶんしゆう 芳野拾遺︵巻二の一八紙︶ 羅山文集︵巻六三の三一紙︶ りげんしゆうらん りんしようめいだん 僅言集覧︵洋装七一五頁︶ 森宵茗談︵巻上の五九紙︶ ろうおうちやわ ろくないけいもう 老姐茶話︵巻二︶ 録内啓蒙︵巻一の三八紙︶ うつきようきぶん わかんざつきゆうわくもん 六橋紀聞 和漢雑笈或問︵二紙︶ わかんさんさいず え わかんちんしよこう わかん ざつきゆうわくもん 和漢三才図会︵巻三の二紙︶ 和漢珍書考︵︹和漢︺雑笈或問に同じ︶ わ これんじゆしゆう わ じ が 和語連珠集︵巻五の五紙︶ 和爾雅︵巻六の四紙︶ 以上百五十二種 その他、左の諸書にも天狗のこと出でたるはずなれども、いまだ検せず。 りゆうさいひつき くじやくろうひつき ゆうとうよろく ゆうひさいさつき じんじやこうしひようろん柳斎筆記
孔雀楼筆記 幽討余録 有斐斎剤記 神社考志評論
じんじやこうべんぎ じぞう ぼさつ りやくしゆう ぜんあく こうほう いんがしゆう お だわらき やほうめいとくイサざん 神社考弁疑 地蔵︹菩薩︺利益集 善悪︹業報︺因果集 小田原記 野峰名徳伝 以上はみな本邦の著作にかかるもののみを掲ぐ。そのほか仏経および漢籍中より引用せるもの数十部あれど 田 も、これを略す。序
文
554 本書は昨年中に﹃妖怪叢書﹄第二編として発行するはずなりしが、にわかに洋行の途に上り、そのいとまを得 じんぜん ず、荏再今日に至れり。今や日露の関係穏やかならず、危機一髪なるがごとく報ずるものあり。余思うに、日本 てんぐ こうぜん は東洋の天狗国なり。なんとなれば、ひとり天狗の怪談のわが国に存するのみならず、日本人の気質は充然高く りようが 構えて、人を凌駕せんとする風あれば、大いに天狗に似たるところあればなり。これに反して、ロシアは西洋 の天狗国なり。その傍若無人のありさま、およびその欲望の深きは、これまた天狗に似たるところあり。ゆえに 余は、日露の衝突は天狗の衝突に比すべしという。ここにおいて、天狗論を世に公にするの時節、今まさに到来 せりと思い、早々筆をとりて一編を完成す。世のこの書を読むもの、これによりて日本天狗の豪気を養い、露国 の天狗を圧倒するに至らば、本書の光栄これに過ぎたるはなかるべし。いささか記してもって序文となす。 明治三十六年十一月二十五日著者 識
第一章 天狗の名称
天狗論
てんぐ こ り わが国の妖怪中、最も多く人にはやしたてらるるものは天狗と狐狸との二者なるも、狐狸の怪談はシナにて行 われ、かつシナより伝わりしものなれば、日本固有といい難し。ひとり天狗の怪談は、わが国に限るもののごと し。ゆえに、これを日本特有の妖怪として論ぜざるべからず。しかりしこうして、天狗の名は広く種々の妖怪に かぜ つぶて 適用せられ、相伝えて妖怪ならざるものまでに当てはめられ、天狗風、天狗礫、天狗倒し、天狗鯛、天狗宴、 さ た はいかい 天狗火、天狗沙汰、天狗無尽、天狗誹譜、天狗将棋、天狗タバコ等の称あるに至る。また通俗に、高慢なる人を かんかいこ じ うたたねのゆめ かつ し 指して天狗という。観海居士の﹃仮條夢﹄︵書名︶の中に、天狗に活天狗と死天狗の二種あることを説き、図画 じよけんぶんしよう にて見るところの天狗を死天狗と称し、世間にありて高慢なる人を活天狗と呼べり。﹃恕軒文紗﹄のいわゆる天 狗は、この活天狗なり。近来、世の進むに従い、死天狗は年を追いて減じ、活天狗が日 日より多きを加うる は、あに奇怪ならずや。妖怪退治の軍を進めて天狗征伐に着手するも、またやむをえざるなり。されど、かくい うところの拙者も、あるいは活天狗の一人ならんか。その評のごときは、世人の判断に一任して可なり。 まず、天狗の名称の由来を考うるに、諸説一定せず。あるいはいう、シナより起こると。あるいはいう、イン ドよりきたると。あるいはいう、日本に限ると。よって余は、左の三段に分かちて逐次に論及せんとす。 一、インド説 55 5 二、シナ説三、日本説 おんこようりやく せい 56 第一のインド説にては、仏経中にその名称の存することを唱うるなり。﹃温故要略﹄の天狗星を解する下に、 5 えんめいじぞうきよう ひとよぱなし ねんざんきぶん ﹃延命地蔵経﹄中にもこの名ありと説けり。また、三宵話﹄の天狗論下に、﹃年山紀聞﹄によりて、天狗は 『〔?ス︺地蔵経﹄に出ずる名目なることを説けり。すなわち、 こだま 天狗木魅。この天狗という名のこと、種々説あれども、やはり天狗がよろしきなり。﹃年山紀聞﹄に、﹃地 てんりゆうやしや てんぐ どこう 蔵経﹄やらんを引きて、天竜夜叉、天狗土后とつづきし語ありといえ︹れ︺ばなり。星の名にも鳥の名にも 天狗というあれど、似つかわしからず。そのはじめは僧家よりいい出だしなるべし。 たいにん てんぐめいぎこう につたつ がつかいよてき しようばうねんじよきよう また、諦忍の﹃天狗名義考﹄および日達の﹃学海余滴﹄には、﹃正法念処経﹄に天狗の名あることを示せり。 すなわち、 ニク うるか ルト ニク 正法念処経第十八日皆言憂流迦︵魏日二天狗︶下、又第四十日空中有・大光明’猶如二天狗べ又日見二大天狗づ ぎ ︵﹁正法念処経﹄第十八に曰く、﹁みな言う﹃憂流迦︵魏、天狗という︶下る﹄﹂と。また第四十に曰く、﹁空 中に大光明あり、なお天狗のごとし﹂と。また曰く、﹁大天狗を見る﹂と︶ あつたね ここんようみこう 以上の二経は、天狗の名目の仏経中に存する証拠なれども、平田篤胤の﹃古今妖魅考﹄︵巻二にはこれを否 定して、﹁﹃延命地蔵経﹄というものに、天狗土公大歳神ということあり。これはまさしく俗にいう天狗をいえる なれど、この経はこちらにて偽作せるなれば、証とはならず﹂と説き、また、﹁﹃正法念処経﹄の天狗は、世にい う天狗の本文なりといえども、これは天上の光り物のことを釈せる文にて、妖魔をいえるにあらざれば、これま ばきん た︹いわゆる︺天狗の証とならず﹂と論ぜり。また︹滝沢︺馬琴は、﹁﹃地蔵経﹄に夜叉天狗とあるを、先達見出だし
天狗論
て物にしるせしかば、人みな、天狗はかの経文より出でたりという。そはまた偏見にあらずや。五百年来、世に しや いう天狗は、果たして﹃地蔵経﹄より出でたるやいなや、証拠なくば定かにはいいがたし﹂といえり。もし﹃沙 せきしゆう 石集﹄によらば、﹁天狗のことは、聖教のたしかなる文見えず﹂と説けり。これによりてこれをみるに、天狗の 名目は、インド伝来にあらざること明らかなり。ただし、これに比すべき怪物のインドに存せしは、仏家の書に 見るところにして、インドの魔鬼はすなわち天狗なりという。このことは後に至りて説明すべし。 つぎにシナ説を考うるに、﹃史記﹄﹁天官書﹂にその名目あり。曰く、 だいほんせい いぬ 天狗の状は、大奔星のごとく声あり、下りて地にとどまれば狗に類す。おつるところを望めば、火光のご とく、炎々として天をつく。︵和訳︶ かんじよ また﹃漢書﹄に、﹁西北に三大星あり、日の状のごとし。名づけて天狗という﹂とあり。﹁あるいは大鏡星のこ しんじよ か と とく、あるいは大流星のごとし﹂ともいえり。﹃晋書﹄にもこの説あり。﹃河図﹄に、﹁太白散じて天狗となる﹂ せいけい せんがいきよう といい、﹁星経﹄に、﹁竜尾九星の一に天狗あり﹂といい、﹃山海経﹄には、﹁その光、天に飛び流れて星となる。といなずまござつそ
長さ数十丈、その疾きこと風のごとく、その声雷のごとく、その光電のごとし﹂と説き、﹃五雑姐﹄に﹃周書﹄ うんぬん おうじやくかい を引きて、﹁天狗のとどまる所の地はことごとく傾きて、余光天にかがやき流星となる、云云﹂とあり。注若海 りんしよ じゆつい の﹃麟書﹄に、﹁天狗、電より落つ﹂と。その注に、﹁天狗のくだるところ、その光電のごとし﹂とあり。﹃述異 き そロつもく し 記﹄および﹃草木子﹄に出ずるところも、以上の所説に同じ。これによりて、古来シナの天狗は星の 種なりと にまぜ き 解し、わが国の天狗と同名異体なりとなす。ゆえに馬琴は﹃烹雑の記﹄に、﹁天狗は元来、星の名なり﹂と釈せ 田 り。たぬき 以上の諸説に関連して、天狗を獣名となす説あり。﹃山海経﹄に曰く、﹁陰山に獣あり。その状、狸のごとく と ほ さんげい えんよう にして白首なり。名づけて天狗という﹂と。杜甫の﹁天狗賦﹂に、﹁色は狡貌に似て、小なることは猿敬のごと おうてい ふんしようろく はいぶんいんぶ さんしんき し﹂とあり。王鼎の﹃焚椒録﹄に、﹁たちまち天狗のために食わる﹂とあり。﹃個文韻府﹄に﹃三秦記﹄を引き しんのじようこう ほじよう しよくもつほん て、﹁秦裏公の時に天狗ありて、きたりて墜上に下る。賊あれば天狗ほえてこれを護す﹂とあり。﹃食物本 ぞう さんくかん しよく はくぶんろく 草﹄に、﹁山狗獲、その形、家狗のごとし。︵中略︶蜀中に出ずるものを天狗と名つく﹂とあり。﹃博聞録﹄に、 かたち げいえんにつしよう ﹁山陰に獣あり。状狸のごとし。首白くして蛇をくらう。これを天狗と名つく﹂とあり。以上は﹃秋苑日渉﹄ てんちわくもんちん ほんぞうこうもく および﹁烹雑の記﹄に引用せるところなり。また﹃天地或問珍﹄に、﹁﹃本草綱目﹄に天狗と異名するものあれど けいりんまんろく ふうむりよう ここんだんがい も、今いう天狗にあらず、狸のことなり﹂と説けり。﹃桂林漫録﹄に、葱夢竜が﹃古今談概﹄を引きて曰く、 こく ﹁術者あり、嬰していう、﹃われ今、天狗のために殺さる﹄﹂と。これみな、天狗をもって獣名となすものなり。 きよこうし そうしんき えつ す また﹃居行子﹄には、﹃捜神記﹄によりて、﹁南方越の地に鳥あり。陰山に棲んで、樹をうがって巣を作る。口の ち ちよヌつ 大きさ数寸、木をきるもの過って︹も︺これを犯せば、家を焼く。形鳥のごとく、その名を治鳥という﹂と説き、 じ が そにどり とり てん ﹃秋苑日渉﹄には、﹁﹃爾稚﹄に、 鳩は天狗、注に小鳥なり。これ禽にして天狗と名つくるなり﹂という。﹃天 ちゆうき にんじん ぶっりしようしき くしゆ 中記﹄に、﹁天狗は人参なり﹂とあり。これ草名なり。﹃物理小識﹄に、﹁落星、石となる。狗首にかたどる﹂ ろうけんき ほうおうれい たいせん とあり。これ石に名つくるなり。﹃郵嬢記﹄に、﹁君子国に鳳皇嶺あり。天狗を出だす。一名、胎膚女仙という﹂ ゆうようざつそ うるか と。これ仙人ならん。また﹃酉陽雑姐﹄に、﹁竜王、身に光あり。憂流迦という。ここに天狗という﹂と。これ 竜名なり。 以上の諸書に説くところによるに、シナにありて、古代より天狗の名称ありしは疑うべくもあらず。ただその 558
天狗論
名を、あるいは星に用い、あるいは獣に用い、あるいは鳥に用い、あるいは石に用い、あるいは仙名、あるいは 竜名、あるいは草名等に用うるをもって、人みな、天狗の本名なににあるやを解するに苦しむ。ひとり平田篤胤 は、﹁﹃史記﹄﹁天官書﹂等に出ずる天狗は星にあらずして、 種の怪獣なり﹂と断定せり。その説によるに、コ 種の怪物がわざと形を星のごとくに見せ、光を発して飛びしゆえに、人々これを星と思い誤りて、かく唱えしな り﹂といえり。余案ずるに、この説明もいまだ信ずべからず。馬琴は天狗の名称の一定せざるを見て、﹁星なり、 夜叉なり、山神なり、獣なり等とあるも、和俗の天狗に同じからざるゆえに、これなにものと、しばらくおいて たと 論ずるなかれ﹂といえり。しかして、天狗をもって獣名となせし条下に至り、﹁壁口えば雷と雷獣とのごとし﹂と 説けり。されど馬琴もなおいまだ、天狗の名義を解せざるがごとし。しかるに余は別に一説あれば、左にこれを 述べん。 愚考にては、シナの諸書に天狗をもって、あるいは星名、あるいは獣名、あるいは鳥名、石名等となせるは、 決して天狗にかく異類あるにあらず、これみな同一の状態に与えたる名目なり。まず、﹃史記﹄の﹁天官書﹂等 に出ずる天狗をもって星名となすは後人の誤解にして、その実、星名なるにあらず。なんとなれば、﹃史記﹄の 本文は、天狗の状は大奔星のごとしとありて、天狗はすなわち星なりというにあらず。その他の書にもみな、大 鏡星のごとし、大流星のごとしとありて、光気の飛び下りしありさまを見て、流星に似たりと説きたるまでな り。ゆえに余は、これ電光の地に下りたることを、かく記せるなりとす。すなわち落雷なり。しかるに、後世こ の文を誤解して、天狗は一種の星なりといい、また流星の状を見て、ただちに天狗なりといい伝うるに至れり。 59 さて、なにゆえに落雷を天狗と名づけしやを考うるに、落雷のときには往々、山獣のその地に落つることあり、 5古来これを雷獣という。 60 ﹃しんらいき震雷記﹄の序文に、﹁雷の起こるときに、獣が雷火とともに雲中遊行し、たまたま人家に落つるあり。俗おも 5 せいきよ えらく、雷はこの獣のなすところなり﹂と。けだし、雷獣は山間幽谷に棲居し、大雷のときに出でてくるものな り。﹃震雷記﹄にはその形を示し、かつ由来を記して曰く、 きのとひのえ いたち 猫よりは大きく︹かたち︺ほぼ馳に似て、 今年明和乙酉七月二十二日、相州大山に落ちたるは、その形、 色は馳より黒し。爪五本ありて、はなはだたくましし。先年、岩付に落ちたる雷獣は、大体今年のに似たり てきじんけつ といえども、胴短く色灰白色なり。唐の書にも往々見えたれども、いずれもたがい多し。唐に秋仁傑が、 りちよう こくし ほ ﹁形、人に似て、ことに人語をなせし﹂といえり。また、李肇が﹃国史補﹄に曰く、﹁雷州に雷獣多し。そ びこう の形、人に似て、人これをとって食らう﹂といえり。﹃捜神記﹄には、﹁雷のかたち彌猴︹さる︺に似て色赤 ほしざめ し﹂といえり。わが国にも、土佐の国には春夏のころ、山中にて雷獣をうちとり食らう。その味星鮫のごと く、はなはだ美なりといえり。また、信濃深山にもこのものをとり食らう。房州二山という所には、正、二 月、この村民言い合いて、雷猟りとて山中を猟り出だし取るといえり。 かくのごとく、大雷のときに電光とともに雷獣の落ちきたれるを、古代にありては真に天より降下せるものと いぬ 信じ、これに与うるに天狗の名をもってせり。けだし、雷獣の形一定せざるがゆえに、最初落ちたるものやや狗 に似たるより、天狗と名づけしならん。この雷獣と電光とを混同して、電光は獣より発せしものと考え、これを 望めば火光のごとく、炎々天をつくと記するに至りしなり。ゆえに余は、天狗は星の名なりとの説をとらずし あつたね て、獣名なりとの説をとる。されど︹平田︺篤胤のごとくに、妖獣の化して星のごとく見えたりというにあらずし
天狗論
たぬき て、今日一般に唱うるところの雷獣なりとなすなり。ただし、篤胤も別に]説を設けて、﹁雷獣は狸に似て、空 かけ 中を翔るものなれば、﹃山海経﹄﹃博聞録﹄などの説にかないてきこゆ。星のごとく光を見する天狗は、このもの の年経たるが化けたるならんも知るべからず﹂といいたるも、いまだ説き得たるものにあらず。 す 天狗を解して雷獣となすときは、これを鳥名となす説も同時に解し得べし。﹃震雷記﹄には、加州白山に棲め おがくずぱなし る雷鳥なりとて、その図を出だせり。﹃鋸屑諌﹄にその鳥の考証あり。また、天狗を石となせるがごときは、天 狗を流星と誤解せるより起こる。すなわち、流星の落ちて石となりしものに与えたるなり。その他、草名、仙 名、竜名等に用うるは、種々の連想より名づけたるものにして、わが国にて将棋やタバコに用うるに同じく、深 き意味あるにあらざるなり。 以上解するがごとくなるときは、シナの天狗とわが国の天狗とは全く異なること、問わずして明らかなり。ゆ ぜんあんずいひつ えに﹃善庵随筆﹄には、﹁こちらに天狗といえるもの、西土の天狗と同名異物なり。混称すべからず﹂といい、 きよこうし てんじく ﹃居行子﹄にも、﹁もとより漢土、天竺等には、今いう天狗というものはなし﹂といえり。しからばここに、天 たいにん 狗は日本に特殊なるものにして、その名も日本にて起こりしといえる日本説を考うるに、その・王唱者は僧諦忍な てんぐめいぎこう せん り。諦忍の﹃天狗名義考﹄には、﹁天狗は、わが国にて神代より用いきたれる称号なり﹂となす。すなわち﹃︹先 だい く じほんぎ そさのおのみこと たけ あまのざこがみ うんぬん 代︺旧事本紀﹄を引き、﹁服狭雄尊の猛き気が胸腹に満ち余りて吐物と化し、天狗神となる、云云﹂とあるをも って証となし、かつ自ら評して曰く、﹁これ、日本天狗の元祖なり﹂と。また、﹃学海余滴﹄にも同様の説あり。 けいりんまんろく く じ き しかるに﹃桂林漫録﹄には、﹁世に天狗というものの説は古書に見えず﹂とし、﹁﹃旧事紀﹄は偽書なり﹂と注せ ぞくこ じだん しやせきしゆう たいへいき り。ただ、﹁後の書にて﹃続古事談﹄﹃沙石集﹄﹃太平記﹄などに見えたり﹂といい、﹁諦忍の﹃天狗名義考﹄は 561俗にして見るにたえず﹂と評せり。されば、﹃旧事紀﹄に天狗の語あるも、天狗の由来を証するに足らざるなり。 じよめい 62 つぎに天狗の名称の見えたるは﹃日本書紀﹄なり。すなわち、録明天皇九年に、 5 大星、東より西に流る。すなわち音ありて雷に似たり。時の人は流星の音といい、また地雷ともいえり。 びん ここにおいて、僧曼曰く、﹁流星にあらずして、これ天狗なり。その吠ゆる声、雷に似たるのみなり﹂︵漢文 和訳︶ とあり。これ、もとより流星なり。僧晃がこれを名づけて天狗となしたるは、﹃史記﹄の天狗を流星と誤解せる へいしたいしでん による。しかるに﹃︹日本︺書紀﹄には、天狗の字に邦訓を施してアマツキツネとなせり。ゆえに﹃平氏太子伝﹄ あまつきつね あいのうしよう には、辞明天皇の下に天狐と出でたり。また﹃塩嚢紗﹄には、﹁天狗とも天狐とも通用す﹂といえり。余案ず るに、和訓にて狗をキツネと訓ずることありしならんか。決して流星を狐の所為となせるにあらず。しかるに、 朝川善庵はこの邦訓を引きて、﹁天狗は狐なり﹂との一証となせしは怪しむべし。けだし、﹃太子伝﹄の天狐はこ こうい き の邦訓にもとづきしもののみ。もとより、シナのいわゆる天狐をいうにあらず。シナにては﹃広異記﹄等に天狐 ぎさんかいきよう の名目あれども、三日本︺書紀﹄の天狗と大いにその意を異にす。すなわち、﹃擬山海経﹄に引用せる天狐の談 げんこうしやくしよ を見て知るべし。また、﹃元亨釈書﹄にも天狗星の現ぜしことを載せたるも、これみな通俗の天狗にあらざるこ ほうげんものがたり と明らかなり。しかして﹃保元物語﹄﹃太平記﹄等に出ずる天狗は、今日一般に唱うるところの天狗に同じ。余 がみるところによるに、わが国の古書には天狗の怪談なしといえども、その名称は、﹃日本︹書︺紀﹄もしくはシ ナの書に出でたる名目を慣用したるならん。そのゆえは、わが国の妖怪の名目は、大抵みなシナの名称を用いお ればなり。しかしてその実、わが国の天狗はシナの天狗と同じからず。すなわち同名異体なり。ただ、シナにあ
りて古代、雷獣のなんたるを解せざりしゆえに、これを真に天よりくだれるものと思い、これに与うるに天狗の 名をもってしたりしに、その名漸々に相移りて、わが国のいわゆる天狗に慣用しきたれるは、あえて怪しむに足 らず。もし人、深山に入りて火光を見、震響を聞くときは、これを 般に天狗の所業となす。されば、﹃史記﹄ の天狗とわが国の天狗とは、全く関係なきにもあらざるなり。
天狗論
563第二章 天狗の起源
564 つぎに、天狗の名称はシナにあれども、その怪談はわが国に限るものとして、ここにその起源を考うるに、天 ほうげんものがたり げんぺいじようすいき ぎけいき しやせきしゆう 狗談は﹃保元物語﹄﹃源平盛衰記﹄﹃義経記﹄﹃太平記﹄﹃続古事談﹄﹃沙石集﹄等の諸書に出でたれば、左にそ の要をつまみて二、三を掲ぐべし。 くらまやま き ふ ね そうじようがたに みなもとのうしわか しやなおうまる はじめは舎那王丸と 鞍馬山と貴布禰との間に岩谷あり。名づけて僧正谷という。世に伝う源 牛弱、 あ 名つく。平治の乱をのがれて鞍馬寺に入る。一日、僧正谷に至りて異人︵あるいはいう山伏︶に︹逢︺う。異 人、牛弱に教うるに剣術をもってす。かつ、ちかいて曰く、﹁われ舎那王の護神とならん﹂と。その後、と あ けいしよう きどき異人と僧正谷に遇う。よくその刺撃の法を習う。牛弱もとより軽捷を好む。ここに至りてますます げんりやく あいだ くわし。十五歳に及んで奥州にゆく。寿永、元暦の際、平氏と合戦す。その功多きにおる。文治のはじ みなもとのていいよしっね め、再び鞍馬山に遊ぶ。また異人を見ることを得ず。牛弱はすなわち源廷尉義経これなり。︵﹃︹本朝︺神 社考﹄の文による︶ すとく おんねん うんぬん ﹃保元物語﹄に、﹁崇徳天皇怨念によりて、生きながら天狗の姿にならせたまいける、云云﹂と。﹃太平記﹄ ぐ ふ じようオ に、貞和のころ、往来の禅僧、夕立の雨を仁和寺の六本杉の下に避けて怪異を見たる段に、﹁夜いたく深け あたご ひえい しほうこし て、月清明たるを見れば、愛宕の山、比叡の岳の方より、四方輿に乗りけるもの虚空に集まりて、この六本 まく 杉を指して並びいたる。座定まりて後、虚空に引きたる慢を風のさっと吹き上げたるに、座中の人々これを天狗論
け さ くらばし とび 見れば、香染めの衣に袈裟かけて、目は日月のごとく光りわたり、 拷長くして鳶のごとくなるが、水晶の じゆずつまぐ 珠数爪繰りて座したまえり。︵中略︶往来の僧これを見て、﹃怪しや、われ天狗道に落ちたるか、はた天狗の うんぬん わが目に遮るか﹄と、云云﹂と。 三源平︺盛衰記﹄に載す。﹁保元帝は鳥羽第四の子なり。久寿二年をもって即位す。治世わずかに三歳、落 飾して法皇となる。︵中略︶三月三日夜半、法皇独座するに、清涼殿にあたりて詩を吟ずるものあり。法皇 び わ これを怪しむ。しばらくありて笛を鳴らす。また、琵琶を取りて赤白桃李花を弾ず。法皇﹃だれぞ﹄とのた もんたい まう。こたえて曰く、﹃宿直の者なり﹄と。その名を問えば﹃住吉﹄とこたう。問対、時を移す。神曰く、しかんじよう
﹃昨日、山王伝教わが祠に来儀し、天下のことを議す﹄と。山王曰く、﹁このごろ三千の僧侶、法皇の灌頂 をとどむ。その罪はなはだ重し。しかりといえども、その本心にあらず。天狗の所為なり﹄と。法皇曰く、 ﹃かつて天狗の名を聞き、いまだその形を見ず。形なにものに似たるや﹄と。神曰く、﹃形、人に類す。し いぬ たか かして、もと畜類なり。面は狗に似て、身に両翼を備う。ゆえに空中を飛行すること、あたかも鷹のごと うたたねのゆめ し。通力ありて、たいてい前後百歳のことを知る。いわゆる魔魅なり、云云﹄﹂二仮麻夢﹄の文によりて抄 録す︶ たんぽのかみさだつぐ もう そうにん ﹃続古事談﹄に曰く、﹁丹波守貞嗣、北山の寺に詣でけるに、洞照という相人がいうようは、﹃君の顔色あ たが しし。おそらくは鬼神のために犯されたるか﹄と。貞嗣が曰く、﹃心地違うことなく常のごとし﹄と。洞照 の疾の帰るべき由をいうときに、貞嗣にわかに絶え入りて、よみがえりて家に帰るに、物の気あらわれてい 品 わく、﹃別のことなし、群れ遊びつる前を通りつれば、胸を踏みたるなり﹄といいける。天狗の所業なり。うらない さて三日ありて死にけり。洞照が相神のごとし﹂と。
しやせきしゆう によほうき考ほけき考 ち﹂﹂いずち 66
5 ﹃沙石集﹄に曰く、﹁伊勢の国、ある山寺に如法経︹法華経︺行いける僧の弟子の児、何地と︹も︺なくう だ ら に せて見えざりけるが、一両日を過ぎて堂の上にて見つけたるに、正念もなく見えければ、陀羅尼満ちなんど やまぶし して本心になりぬ。さて語りけるは、﹃山臥どもに誘われて、時のほどに筑紫の安楽寺という所の山の中へ とうとげ ︹具せられて︺行きぬ。老僧の八十余りなるが世に貴気にて、その中の尊者と見えしが、あの児ここへこよ やつばら とてそばに置きて、﹃あ、奴原はしょせんなきものぞ、ここにいて物見よ﹄という。頼もしく覚えて︹いて︺ 見るほどに、山臥ども舞いおどりけるに、網のようなる物︹の︺、空より下りて引き回すように見ゆるとき、 山臥ども興ざめて逃げんとするに、かなわず。網の目より火︹の︺燃え出でて、次第に燃え上がりて、山臥ど もみな焼けて炭灰になりて、しばらくありて、またもとのごとく山臥になりて︹また︺遊びける。老僧﹃あの 山臥ここへ参れ﹄と呼びて、﹁いかに、わ山臥は、この児を︹ば︺旦ハしてきたりしそ。とくとくもとの山寺へ 具して行け﹄といわれて、恐れたる気色にて、具して帰ると覚えつる﹄といいけり﹂と。 これらの諸書に出ずるところの天狗は、シナの天狗と同名異体なるも、これに類したる怪談はシナの書中に見 げいえんにっしょう るところなり。今、﹃桂林漫録﹄および﹃秋苑日渉﹄に引用せるところによるに、 ここんだんがい こく ﹃古今談概﹄︵書名、前に出ず︶に曰く、﹁術者あり、実していう、﹃われ今、天狗のために殺されたり﹄ れいせい り と。たちまち空中に血数点ありておち下る。しばらくありて頭足、零星のごとくにしておつ﹂と。唐の李 しやく しようしよこじつ しようきゆうけんけい 紳が﹃尚書故実﹄に曰く、﹁章仇兼壇なるもの、蜀を鎮ずるの日、仏寺大会を設く。百戯、庭にあり。 かんぴよう くまたか 十歳の童児ありて竿秒に舞う。たちまち物あり鵬顎のごとし。これをかすめて去る。群衆大いにおどろく。天狗論
はしご よって楽をやむ。のち数日、その父母、童児の高塔の上にあることを見、梯してこれを取れば、神痴のご とし。久しくして語りて曰く、﹃壁画の飛天夜叉のごときものを見たり。己をひきさいて塔中に入らしめ、 日に果実を食せしむ。旬日にして精心はじめのごとし﹂と。 こうせいつうし ﹃広西通志﹄にいう、﹁池明近山の地に、牧童十余人あつまりて戯る。あるいは歌い、あるいは舞う。たち たけ ひはつちようかい まち山半ばに一人を見る。およそ長二丈、面のひろさ三尺余にして、長さこれに倍す。披髪鳥曝にして背 きぜん に二翼あり。伏して群童の楽をなすをみ、嬉然として笑う﹂と。 ぎぐん ちようしようきつ げんけい 魏郡の張承吉が子息元慶、年十二にして元嘉中に 鬼を見る。長三尺あり。一足にして鳥爪なり。背に こうこつ 麟甲あり。きたりて元慶を招く。悦惚として狂するがごとく、道にあらざる所を遊走す。父母これをうて ば、にわかに空中に声あるを聞く。曰く、﹁これ、わが教うるところ、幸いに罰を与うるなかれ﹂と。︵この いえん 話は﹃異苑﹄に出ず︶ こ ぶしようしよいきよしん 戸部尚書章虚心は三子を有す。みな成長せずして死す。その子の死せんとする前には、つねに大面あり しようか おおとび て林下に出ず。目をいからし口をきき、貌は神鬼のごとし。子おそれて走れば、大面、化して大鴎となり、 つばさ 翅をもって遮擁し、自ら井に投ぜしむ。家人さとりてにわかにこれを出だせば、すでに愚になり、なおよ くその見るところを言う、数日にして死す。かくのごときこと、三子みなしかり。ついに、そのなんの鬼怪 なるを知らざりき。 はいきようぴ は河撃フ斐鏡微は、かつて一武人とその居相近じ武人夜その荘にかえ誤這を操りて、まさに馬を品
馳せて行く。後ろに物の近づくあるを聞き、顧みてこれを見れば、状大いに方相に類するあり。口ただ渇とあ 称す。まさに武人に及ばんとす。武人、弓を引きて射てこれに中つ。怪すなわちやむ。しばらくありて、ま しゆゆ たきたり近づく。これを射れば、怪またやむ。須輿にしてまた至る。武人家に至れば、門すでに閉ず。武 人、垣をこえて入り、後に戸よりこれをうかがえば、怪なおあり。武人あえて馬を取らず。明朝門をひらけ ば、馬鞍すてて門にあれども、馬はすなわちなかりしとそ。︵以上二話は﹃紀聞﹄に出ずという︶ てんちわくもんちん きよこうし そうしんき ちちよう また﹃天地惑問珍﹄には、前述の﹃居行子﹄のごとく、﹃捜神記﹄に﹁治鳥というものあり。越の地に多し。 陰山にすみて樹をうがち巣を作り、口の大きさ数寸、木をきるものを見るときは避けて見えず。過りてこれを犯 せば家を焼く﹂とあるを引きて、わが国の天狗に似たりとなす。これらの怪談は、わが国の天狗談にひとしきも のなれども、わが国の天狗はこの説より起こりしにはあらず、ただ偶然に、和漢両国の事実あるいは想像の符合 わかんざつきゆうわくもん したるもののみ。﹃和漢珍書考﹄には別に一説を掲ぐ。︵本書は﹃和漢雑笈或問﹄と内容相同じ︶ わくもん 或問、﹁日本に古来より天狗というものありて、いろいろ怪異をなす。その形定かならず、異説まちまち さ た なり。唐土などにその沙汰なし。真偽いかん﹂ 答えて曰く、﹁世俗に、日本にばかりありと思えり。唐土などにいかんとも、古今儒家においても正説を さびゆう わきまえず、いろいろ妄説差謬して衆人の迷いを生ず。今、つまびらかに教うべし。﹃百鬼大弁録﹄巻八十 びん えつ てんく 二に、﹁間、越の間に障りをなすものありて、ひとたびこの怪に触るるものは、たちまち顛衡す。たまたま たけ その形を見たるもの口く、﹃身の長高く、髪を乱し、羅衣をまとい、両脇に羽翼ありて、鼻長く飛行自在を うんぬん 得ると見えたり﹄と。この説をもって考うるに、日本の天狗にひとし。天狗本字は顛衡なり﹂と、云云。 この﹃︹百鬼︺大弁録﹄の怪談は、わが国の天狗談と同じきも、天狗の文字は顛衛より出でたりとなすは、付会 568
天狗論
かんれいすうこうりゃく ばく もまたはなはだしといわざるを得ず。﹃管議数垢略﹄にこの説を駁せり。ただし、その書には﹃︹百鬼︺大弁録﹄ ひ ゆ の怪談を全く比喩となせるは、その当を得ず。かくのごとき怪談は、愚民の妄想より自然に起こるべきは、東西 の怪談を対照すれば、たやすく知ることを得るなり。あたかも人魚のごとき人身魚尾の怪物は、西洋にも東洋に も、いにしえより伝えきたれるがごとく、全く想像の暗合と知るべし。 これを要するに、天狗の怪物およびこれに関する怪談は、シナの雑書中に散見せるにもかかわらず、日本にお ふえん いて自然に起こりたるに相違なかるべし。ただし、わが国古来の小説家、歴史家などは、シナの書によりて敷街 し、または構造せる事柄すくなからざれば、天狗の怪談中にシナ説の混同せるもの多かるべきは、また疑いを入 れざるなり。されど、シナにありては鬼談、狐談、比較的多きも、天狗談はわが国のごとく一般に行わるるにあ らず。また、仏者がインドの怪談をこれに混入したることは事実なるべきも、仏書中に見るものとまた大いに異 にんにくずいひつ てんじく なるところあり。ゆえに余は、天狗は日本特殊の妖怪なりとす。﹃忍辱随筆﹄には、﹁天竺の獅子、シナの仙人、 日本の天狗、これを三国の怪物となす﹂という。余は、天竺の魔鬼、シナの仙人、日本の天狗を、三国特有の怪 物と定めんと欲す。しかして、天狗の怪談のわが国に起こりたるは、その年代をつまびらかにし難しといえど も、八、九百年以前より起こりしならん。しかして、その怪談の一般に行われしは鎌倉時代なるべし。されど、 く じ き ﹃旧事紀﹄に天狗神の形を記し、また﹃大鏡﹄には山の天狗の名目あるを見れば、﹃源氏︹物語︺﹄以前にすでに かものまぶち 天狗の話ありしと見ゆ。﹃旧事紀﹄は後人の偽作なるも、加茂真淵はこれを、﹁七、八百年以前のものなるべし﹂ といえり。 569第三章 天狗の本体
570 つぎに、天狗のなにものたるを考うるに、俗間に伝うるところの図によりて見るも、実に奇々怪々の状態を具 やしや し、飛鳥のごとく、走獣のごとく、人類のごとく、夜叉のごとく、異様奇形の大怪物なり。あるいは深山無人の 境に光あり声あり震動ありて、その原因を知らざるときは、すべて天狗の所為なりとなす。ゆえに古来、天狗の なにものたるにつきては異説紛々、一として信拠すべきものなし。︹滝沢︺馬琴は、古来の異説を分類して五種と なす。すなわち、第一は天狗を星となす説、第二は天狗を夜叉飛天となす説、第三は天狗を獣類となす説、第四 こだま えんき は天狗を山魅となす説、第五は天狗を冤鬼となす説なり。今、余はさらに古来の諸説を列挙して、左の五種とな す。 第一は仙人となす説。 きんじゆう 第二は禽獣となす説。 第三は山神または山中の一怪物となす説。 第四は霊魂または鬼神となす説。 第五は魔類となす説。 その他、星となす説は前に評論したれば、これを除く。 てらかどせいけん ちだん 第一の仙人説は、寺門静軒の﹃痴談﹄に出ず。静軒曰く、﹁余思うに、唐の仙人は日本の天狗と同じようなる天狗論
ものなるべし。ただし、こちらの人は天狗になることを欲せず、唐人は仙を欲する多し。これまた、皇国の人の うんぬん しんかまんぴつ にしじまげんれい 漢人に勝るところなるべし、云云﹂と。また、﹃慎夏漫筆﹄に西島元齢の説くところも仙人説なり。すなわち左 のごとし。 かんとう 案ずるに、﹃尚書撰異﹄にいう、﹁﹁博物志﹄の罐兜国は、その民ことごとくこれ仙人なり﹂と。﹃山海経﹄ に伝えてまた曰く、﹁罐兜は尭臣なり。罪ありて自ら南海に投じて死す。帝これを憐れみ、その子をして南 しん いけい 海におりてこれをまつらしむ。画もまた仙人に似たり﹂と。また案ずるに、﹃神異経﹄に、﹁南方に人あり。 ちようかい 人面鳥啄にして翼あり。手足扶翼して行き、海中の魚を食す。翼あるも、もって飛ぶに足らず﹂と。また おうじゆう ろんこう 王充﹃論衡﹄にいう、﹁仙人の形をえがきて、これがために翼を作る﹂と。しからば、邦人のいわゆる天狗 は、これを仙人といいて可なり。 ここんようみこう ほうぼくし ﹃古今妖魅考﹄に、﹃抱朴子﹄を引きて、﹁いにしえの仙を得るもの、あるいは身に羽翼を生じ、変化飛行し、 人のもとを失して、さらに異形を受く﹂とあるを見れば、仙人説の起こるも道理なり。 きっね ぜんあんずいひつ 第二の禽獣説に種々あり。その一は狐となす説なり。﹃善庵随筆﹄に出ずるところこれなり。 ち み 世に天狗の所為というを見るに、変幻自在、不可思議なることのみにして、なにものと名状し難く、魑魅 もうりよう こわくぐろう ほうふつ 魍魎に比すれば巧みなること多くして、その人を盤惑愚弄する模様、大いに狐に髪髪たり。よって思うに、 たいへいこうき こよう ﹃太平広記﹄そのほか歴代の小説類に、多く狐妖のことを載す。狐にも天狐、白狐、玄狐とて、おのおの年 数をもって差別あり。天狐はその最も古き狐にて、精神のみ存在して形はなし。ゆえに、物に託して種々の 訊 奇幻をなし、一瞬千里、風のごとく往来す。こちらの天狗も、あるいは僧、あるいは山伏など種々に形を現こわく じ、奇変の巧みをもって人を皇惑する、一に天狐に同じ。もしや、天狗は天狐にてはなきや。世に天狗とい いつな い伝うる小田原の道了権現、信濃の飯綱権現、下総の阿波大杉殿などの真影を見るに、少しずつの不同はあ れども、小天狗の狐にまたがる像なれば、天狗は狐に縁故なきにあらずと思いしに、﹃日本書紀﹄に天狗の 字をアマツキツネと邦訓を施す。さすれば、天狗を天狐というは必ずしも余が創説にあらずして、古人早く けいじつ みながわきえん ゆうひさいさつき この説ありてキツネとは訓ぜしならん。頃日、皆川洪園の﹃有斐斎剤記﹄を閲するに、﹁野狐最も鈍、その うんぬん つぎは気狐、そのつぎは空狐、そのつぎは天狐、云云﹂とあり。今ここにいう気狐は、野狐の人を皇惑して たたり よ 崇をなし、人身に葱りて食を求め、および道士の駆役するオサキ狐なるものにして、空狐はすなわち天狗 ひ し なり。彼此あわせ考うれば、天狗の狐たること疑うべきなし。 この天狐の名義につきては、﹃古今妖魅考﹄に﹃広異記﹄を引きて詳説せり。また、同書にいえるあり。 たにかわことすが ち み ろうしゆう 谷川士清の言に、﹁﹃源氏︹物語︺﹄にテングコダマといえるは魑魅の類にて、あるいは老鷲︹の︺化するも あまつ のといい、﹁日本︹書︺紀﹄の訓によりて天狐とも物にかき、天狐に天狐、地狐、人狐の別ありて、今いう天 きつね 狗はもとより天狐なり﹂と︹も︺いえり。﹃四八目類函﹄に、﹁狐、千歳天と通じ天狐となる﹂と︹見ゆれば︺ たぬき さもあるべし。獣にてはマミ狸というものを天狗といえりとあり、云云。 ぐかんしよう これ、狐説の部類なり。また﹁愚管抄﹄に、天狗、地狗と並べて説きたるあり。馬琴は地狗を解して狐とし たるよりこれをみるに、天狗は狐に対する]種の怪獣ならんかといい、﹃居行子﹄に天狗のなんたるを論じて、 ひつきよう やみ ﹁畢寛、海中に海小僧、人魚等のあるごとく、深山の魑魅の人に似たる獣なるべし﹂と断定せり。また﹃闇の あけぼの 曙 ﹄には、怪獣の一種となせり。 572
天狗論
ひとよぱなし つぎに、天狗を鳥の一種となす説あり。三宵話﹄に、﹁天狗の人を引き裂き、大木の枝に懸け置くなどいえ わし しかい こそう にくし るは、鷲の所業なりとなす。また、天狗の図に象鼻、鴎啄、虎爪、肉翅を見るは、鷲を見まかえたるなり﹂とい きようまん しようがい う。また﹃和漢珍書考﹄に、﹁深山幽谷に住して、高鼻にして翼あるものを天狗と名づけ、驕慢の者に障擬を なすといい伝う。星に天狗星ありといえども、なんぞ高慢邪知をにくんで人にわざわいせんや。笑うべきの一条 たり。大鷲の年経たるもの、人の言語をなすあり。これを混じていうなるべし﹂とあり。この二説は、天狗をも まんゆうきだん ちらよう とび とうゆうき って鷲なりとなせるなり。﹃漫遊記謹﹄には、 天狗は治鳥または鳶のごときもののように記せり。また﹃東遊奇 だん 談﹄には、猟師が天狗を鷲と見あやまりたる一話あり。もし、世間に見るところの天狗の画につきて考うるとき は、必ず奇鳥異獣の一種と想像するに至るは当然のことなり。すなわち﹃︹古今︺妖魅考﹄に記するところによる ち み に、﹁山人の説を伝え聞︹きたる︺に、魑魅といい天狗と世にいうもののもとは、鷲、鳶、狐はさらにもいわず、 余の鳥獣も数百千歳を経ては、鳥は両翼より手を生じ、もとよりの両足に肉を生じて立ち、獣は前足に翼を生 じゆこう じ、異形ながらやや人に似たる形となりて竪行し、ともに飛行するがうちに、翼なくて飛行するもありと聞こえ きんじゆう たり﹂とあり。この説によるも、天狗は禽獣の怪となさざるを得ず。もしまた、日本の天狗はシナより伝来せ せんがいきよう りといえる説に従わば、天狗は一種の獣類なりといいて可なり。なんとなれば、﹃山海経﹄﹃博聞録﹄等のいわ ゆる天狗は獣類なればなり。 つぎに、第三の山神説を考うるに、これ天狗をもって、深山幽谷に住する禽獣以上の怪物となす説なり。新井 あつたね 白石、平田篤胤をはじめとし、この説を唱うるものはなはだ多し。まず﹃鬼神論﹄によりて白石の天狗説を述ぶ 73ること、左のごとし。 5
本朝のむかし、人変じて天狗というものになりぬといいも伝う。これらは鬼仙といいしものにはあらずや という人もあれど、いかがあるべき。世の伝うることのごとくんば、かの天狗というものは、おおくは修験 の高僧のなりたるなり。経に、﹁仏教は上は鬼宿に属す﹂とみえたり。﹁鬼星くらければ仏教おとろう。仏は すなわち一霊鬼なり﹂ということもはべれば、身すでに鬼教を行わん人の、鬼のために摂せらるることもあ しよく るべしや。されど、もろこしの書にそれに似たることも多からず。ただ唐のとき、蜀の国にて仏寺に大会 さお を設けし日、いろいろの見物ありしが、その中に十歳になる童児の、竿の上にてよく舞うありけり。人多く くまたか うんぬん 集まりてこれを見るうちに、たちまちに鵬のごときもの飛びきたりてとりてゆきけり、云云。これはいわ ゆる天狗のふるまいによく似たり。これらは、多くは山林霊気の生ずるところ、かの木石の怪なるべし。 じゆついき さんと ゆうめいろく ぼくかく ﹃述異記﹄にみえし山都、﹃幽明録﹄に見えし木客などいうもの、その形も︹もの︺いいもまったく人のごと くにして、手足の爪、鳥のごとく、つねに山ふかく岩けわしきところにすみて、よく変化して、その形を見 ることまれなりという。これら、世にいう天狗に似たり。 いわがき まつなえ これ、天狗を深山幽谷に住める木石の怪となせるなり。︹巌垣︺松苗も﹃国史略﹄中に、天狗は山怪の名と解せ り。また篤胤は、天狗の本来はシナの天狗よりきたるものにして、一種の怪物が流星のごとく光り、かつ飛びと どまる所にては人家の子を取り食らうなどする、樹神山鬼の類となす。﹃中古叢書﹄に、松下西峰いうの下に、 ちみもうりよう てんちわくもんちん ひつきよう ﹁山海陰虚の気、草木土石の精、薫染融化して魑魅魍魎となる、云云﹂とあり。﹃天地或問珍﹄には、﹁畢寛、 天狗は深山の魑魅の類にして、状定まるべからず。陰気の積集する所より生じたるものなり。ゆえに、人の多く くんもうてんちべん 集まりたる陽気盛んの所に、かつて天狗というものなし﹂と説けり。﹃訓蒙天地弁﹄に述ぶるところ、これに同 574
天狗論
じ。その言に曰く、﹁すべて深山幽谷は陰湿ふかき所なるがゆえに、おのずからその形も枯怪なる異物産すべし。 鬼魅魍魎の類、ことごとく幽陰の産物なり。しかもその怪をなすこと、和漢少なからず﹂と。﹃かんでんこうひつ閑田耕筆﹄には おぎゆう そらい 山鬼の一種となす。また、︹荻生︺但裸の天狗説は左のごとし。 ようめい 窃冥の中、けだし物あり。たちまちにして人となり、たちまちにして物となる。衆人よくうかがい知るな し。世俗の図して伝うると・うによれば、象の鼻、管、墜虎の爪・雷の目にして・雷神に似たるもの・ もけい これを称して天狗という。茂卿、これを典籍に考うるに﹃易﹄にあり。う民らを山となし狗となし、蹴蹴の属 となす。これ、そのよるところの象か。世の学者、あるいは客星を引き、あるいは外国の獣を引くは、名を 執してその実に惑う妄なりというべし。おおよそ三代以上、ただこれを山の神という。後世の誤るところは うんぬん 俗言に起こる、云云。︵義訳︶ これ、山神のごときものをもって天狗となす説なり。 つぎに、第四の霊魂または鬼神とする説を考うるに、蹄違審.︹らざん羅山︺はその天なり・﹃︹本朝︺神社考﹄に曰 く、 わが国、いにしえより天狗と称するもの多し。みな霊魂の著きものにして、これ星の義にあらざるなり。 ぶつぼさつ あるいは仏菩薩の相となり、あるいは鬼神の貌となりて、ときどき出現す。あるいは狐となり、あるいは鳩 となりて飛行す。あるいは童となり、あるいは僧となり、山伏となりて、人間に出ず。その説に曰く、﹁人 さいわい わざわい の福を見れば、すなわち転じて禍となし、世の治まるに遇えば、すなわちまた乱をなす。あるいは火災を発し・あ・いは竃を起・し織の憲および難あるもの・多く天狗の中に入乏いわゆる曇田
弘法、慈覚、智証等これなり﹂ 76 また﹃ねんざんきぶん年山紀聞﹄に、﹁鵜鮭.謝︹蹴じ墜︺いう、﹃世伝えて天狗なるものあり。災禍をつかさどる。これ、天狗星 5 やしや どこう えい の類にあらず﹄と。﹃地蔵経﹄に曰く、﹃天竜夜叉、天狗土后﹄と。これ一種の鬼神なり。﹃易﹄に曰く、﹃鬼神盈 えいまん を害して謙に福す﹄と。もしそれ盈満に誇るものは、鬼神これをにくみて災禍を加う。かの天狗の災い、必ず理 ごほうしじうん にんにくずいひつ ﹃忍辱随筆﹄に﹃吉水実 ありてしかるなり﹂とあり︵この説は﹃護法資治論﹄に出ず︶。これみな鬼神説なり。 録﹄を引きて曰く、 えいし きようまん 本朝、いにしえより天狗と称するもの多し。けだし、鬼神の類なり。あるいは高僧英維、自分僑慢を起 まじよう しんしん えんし 怨死するものの精神 志を失い、 こし、または臨終に魔娩に遇い、誤りて鬼趣に堕す。あるいは措紳勇士、 鬼となる・名づけて天狗という・馨の太郎台山︹ひえい比叡山︺の次郎、鷲の僧正等・れなり。多く異類と化 し、山谷に飛行し人間に来往し、火災、闘乱を起こして、みて遊戯をなすという。 えんき これまた鬼神説なり。馬琴は、﹁﹃保元物語﹄および﹃太平記﹄にいうところの天狗は冤鬼にして、人の死後、 竃によりて天狗となりたるもの﹂といえり・また、琉蕪の﹃やそうきだん夜窓鬼談﹄に、﹁物の霊なるもの、あに特に 狐のみならんや。織織、膨敲口購鋲︹蜘鹿の類、老いて数百歳を経るもの、また必ず霊あり。その死するや、 はくりよくこうまい 精魂いまだ消化せずして、まま怪をなすものあり。魂力豪遇にしてよく将来のことを知り、善に福し悪に禍す るもの、これを天狗という﹂と説けり。これみな霊魂説なり、篤胤の説くところも、霊魂説の一種なり。すなわ ち、 な 世に天狗というは、種々のものの化れるはさらなり。多くは僧、山伏などの化れる鬼をいえり。なにゆえ