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奈良教育大学と考古学

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Academic year: 2021

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

奈良教育大学と考古学

著者 伊達 宗泰

雑誌名 高円史学

巻 4

ページ 56‑60

発行年 1988‑10‑01

その他のタイトル A Historical Sketch of Archaeological Study at Nara (奈良) University of Education

URL http://hdl.handle.net/10105/8652

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奈良教育大学と考古学

泉谷先生から﹃高円史学﹄の﹁余録﹂に論文ではなく気

楽に何か書いて欲しいと依頼を受けて︑何を書こうかと迷っ

ているときに︑丁度皇学館大学の岡田登氏より抜刷りの恵

贈を受けたので目を通していると︑皇学館大学史料編纂所

報﹃史料﹄第九十三号に同氏が﹁神宮皇学館と考古学−

鈴木敏雄氏遺稿資料を中心として−﹂という一文を載せて

おられるのに気がついた︒それに触発されて奈良教育大学

と考古学の関係で何か〝もの〟が言えないものかと考えて

思い出すままに筆を取った次第で︑恩い違いの面もあるか

も知れないので間違いの部分があれば御指摘下されば幸甚

奈良師範学校時代に郷土資料室?というのがあってそこ

伊     達     宗     泰

に収集された資料が沢山展示されていた記憶がある︒我々

はその資料を利用して学習する機会もなく学徒動員・学徒

出陣と戦争にかりだされてしまったが︑敗戦後奈良学芸大

学となり校地移転等の変動はあったが資料等は木造兵舎の

一部に移されていたように思う︒

この郷土資料室?は何時頃設置されたのか﹃奈良県師範

学校五〇年史﹄を紐解くと︑﹁本校沿革概要﹂ の十五代伊

東武校長・昭和七年三月三十一日の条に﹁郷土研究室及び

購買部竣工す︒﹂とある︒昭和十年施設の項に﹁郷土研究

室−郷土研究の指導︑郷土関係品蒐集調査並びに展観﹂

とあり︑昭和七年自由学習機関の項に ﹁各学科研究室−

生徒各自がその個性に応じて自発的なる研究に従事し︑又

ー56−

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は指導を受けると共に︑増課科目の時間には特別学習をも

なさしむる目的を以て各科に研究室を設置す︒﹂とある︒

これらの記録等より類推してみると︑昭和初期に自由教

育が盛んとなり正課の授業以外に研究活動の啓発が行われ︑

昭和七年には﹁沿革﹂に記載されている位だから︑郷土研

究室は全学的に重点事項として取り組みがあったものと受

昭和四年に故堀井甚一郎先生が着任されており︑その企

画・実践を担当されたのではなかろうかと思う︒昭和十年

には郷土研究室の存在が明記されているので︑活動が始まっ

ていたことは確かなことである︒

考古学にたいしては大正三年の教育方針の項で歴史科を

みると﹁前略︑一︑史実ハ史実トシテ存スベク一基モ曲グ

ベカラズ然レドモ之ヲ善トシ之ヲ恵トスル批判ハ之ヲ今日

ノ標準二於テス︑例エバ其当時ハ敢テ蛮風トセザリシコト

モ今日卑シクモ之ヲ批判スレバ必ズ今日ノ標準ニヨリテ之

ヲ悪トシ斥クベシトナスガ如シ 国風ヲ異ニスル外国若ク ハ蛮族ノ風俗ノ如キ亦然り 前項批判ノ結果ガ此程度ノ生徒ニシテ果シテ如何ノ心情ヲ与フベキカニ就テハ最モ慎密ナル注意ヲ要ス 特二花遜ナル太古上古ノ史伝二就テ卑モ異ナル言議ヲ挟ムコトハ殆ド絶対二之無力ルベク其ノ人類学考古学トノ関係詳密ハ尚ホ長ク学者ノ高究二保留セラルベシ﹂とあり︑歴史教育において皇国史観にのっとる歴史の領域から出ることを強く戒めている︒

日中戦争を契機に軍国主義の傾向が強まり︑学校行事・

教育内容等に軍国色が濃くなっていくが︑奈良県の教育界

においてガリ版刷などではあるが各地域の﹃郷土誌﹄が多

くみられている現象がおこる︒その時期は昭和九〜十四年

ぐらいの問のことであり︑師範学校においても郷土に関す

る﹃自由研究誌﹄などが発行されている︒これらの現象は

郷土研究室の設置及びそこでの研究活動と密接な関係のあっ

たことは否めない事実と考える︒

昭和十五年以降は太平洋戦争に突入し︑学園は暗黒時代

に入る︒郷土研究室もその後そこを拠点とした歴史研究も

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ないままに敗戦︑学制の改革を経て現在の奈良教育大学と

私は昭和十五年入学・二十二年卒業という︑全く戦争中

の学生生活ということで︑残念ながら郷土研究室を使って

の授業も研究も無いままに卒業してしまったし︑当時は自

由に出入りも出来なかった為︑郷土研究室にはなにが展示

され収納されていたのかは知らないままであった︒ところ

が戦後になって付属教官時代に学芸大学にも考古資料があ

るということを池田源太先生にお聞きして見せてもらいに

いった記憶があって︑その後かな記憶が本稿での﹁教育大

学の考古資料﹂ということになる︒

膨大な量の日本各地の特産物等は移転時すでに無くなっ

ていたと思う︑私の印象に残るものは現在高い古本価格で

時々みる岩井孝次著﹃古瓦集英﹄︵昭和十二年刊︶ や保井

芳太郎著﹃大和上代寺院志﹄︵昭和七年刊︶ に集録されて

いるような︑奈良県各地の寺院跡出土の古瓦類が相当数あっ

たように記憶するし︑奈良県各地の遺跡より出土した土器・ 石器類︑牽牛子塚古墳出土の乾漆棺破片から︑大和高田市三倉堂出土の木棺の復元模型にいたる重要な資料︑資料価値の高い希少な資料が多かったように思う︒例えば平凡社刊﹃世界考古学大系3日本Ⅲ﹄︵昭和三十四年︶ の五ページ挿図七に﹁舟の絵 埴輪 奈良 田原本町唐古付近 五〜六世紀 奈良学芸大学﹂とあり最近舟の埴輪が出土復元されて古墳時代梼造船研究が活発になっているが︑この埴輪に描かれた舟等は構造船であり当時から舟研究では重要な資料であった︒また私が報告した﹁古市方形墳出土の専仏﹂﹃古代学研究﹄76︵昭和五十年︶や︑赤塚次郎﹁古市方形墳整理ノートより﹂﹁円筒埴輪製作覚書﹂﹃古代学研究﹄89・91︵昭和五十四年︶ の資料は昭和三十九年四月古市方形墳調査で当時の学芸大学歴史学研究会︵代表中村徹也君︶に協力をしてもらって行った調査であったが︑墳丘上出土の埴輪は学芸大学に持ってかえって整理をした︒その埴輪を再整理・調査をして埴輪研究を行ったのが赤塚君である︒

先年キャンパス内の吉備塚から画文帯神獣鏡が採集された

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という話も側聞した︑これらの貴重な資料は今はどうなっ

ているのであろうか?

遺物等考古資料類の保存は学校が一番確かなようで不確

かであると言うことは昔から言い伝えられている︒熱心な

先生のおられる問は大丈夫だがあとは駄目ということであ

る︒本家の家風をうけついでいるというわけではないだろ

うが︑学校における史資料の扱いなども先生になるものの

必須知見として教養化しておく必要があるように思う︒

全国的に教育大学には考古学の専任教員がおられるケ7

スは少ない︒一昔前では埼玉大の三友国五郎先生︑群馬大

の尾崎喜左雄先生︑愛媛大の西田栄先生等御専門ではなかっ

たが考古学を御担当︑考古学の業績をあげておられたが現

在は教育系大学でも専任は大分増えつつあるようである︒

奈良教育大の場合︑佐藤虎雄先生が最初担当されておられ

次いで私が引き継いだ︒佐藤先生は皇学館大学に籍をおい

ておられたが︑佐藤小吉先生の御子息であり奈良御在住で

もあったのでまさに適任の先生であったわけであるが︑老 齢になられ伊勢の方にお住まいになる等で私と交替した次

教員は共に非常勤であるが︑学生諸君の中には考古学を

専門に研究したいという者も現れ︑年長者では現在九州大

学教授の西谷正氏は韓国考古学の権威として活躍しておら

れるし︑中村徹也君は山口県教育委員会で文化財行政の中

心的存在として︑また瀬戸谷暗君は兵庫県豊岡市教委に在

職し但馬考古学会の重鎮として頑張っている︑弓場紀知君

も出光美術館で学芸員として活躍されている︒

また︑若手では愛知県埋蔵文化財センター勤務の赤塚次

郎君︑静岡県浜松市博物館勤務の鈴木敏則君等が新進気鋭

の研究者として学界で活躍し︑考古学以外の自然科学の分

野でも奥田尚君は小学校勤務のかたわら石材の材質鑑定や

研究に︑天理参考館の金原正明君は分析面で考古学と協同

して着々と実績をあげている状況である︒

次々と続いて考古学をやろうとする人が輩出している状

態ではないが︑人脈は途切れずに周期的に出てきている︒

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これが奈良教育大学の特色かもしれない︑教員の需要が減っ

てきている状況下で研究一途に打ち込もうとする学生諸君

が現れてもよいのではないだろうか︒これらの卒業生の在

学時代を思いだすとき非常勤の私には余り印象が無い資料

室と彼等とのかかわりを思い起こす︒埴輪の破片と西谷氏・

初めて博物館学芸員資格の講座ができて資料整理の実習を

した瀬戸谷君・資料室にあった埴輪片を整理した赤塚君・

日野さん︑同じクラブで活躍した鈴木君と︑何かすべての

人が資料室に繋がっていく︒

矢張り〝もの″を扱う考古学は資料を収集し展示し︑そ

こから問題をみつけ︑探究していくという拠点があって根

づくものではなかろうかと言うことに気がついた︒現在奈

良教育大学の資料室や史資料はどういうように管理され利

用されているのか興味のもたれる問題である︒

付属中学には円筒棺が出土地に展示されている︒どれほ

ど教材として活用されているのだろうか︒大学の講堂が建

設されその事前調査も行われた︑奈良女子大学では校地詞 査委員会組織で対応している︒このような動きは全国的に珍しくない現象である︒大学と考古学のかかわりにおいて単なるカリキュラム上の問題ではなく教育環境・地盤の問題として考えていかなければ成らない問題と思う︒資料室などもその中の一つの問題であろう︒文化財に対する対応の問題も︑奈良にある大学としてその社会的意義の大きいことも意識する必要があることを痛感する︒

︵花園大学教授︶

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