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造山古墳
の時代
岡山市埋蔵文化財センター
開催にあたって
造山古墳を抜きにして、吉備の歴史を語ることはできません。け
れども、その存在感とは裏腹に、これまで墳丘部分は発掘調査され
ておらず、謎が多い古墳です。
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埴輪の出現には、吉備と大和の両地域の関係の深さが反映されています。古墳の発生期、奈 良盆地の古墳において、岡山県の弥生時代を代表する特殊器台から派生する形で、特と く し ゅ き だ い殊器台形 埴 輪 や 円えんとう筒埴輪などの埴輪が樹立されました。また、これに少し遅れ、様々なモノの形を模し てつくられた形けいしょう象埴輪の中で、最初に家形埴輪が登場します。
当初、埴輪は形状や大きさの面で多様性をもっており、次第に定型化が図られました。例えば、 円筒埴輪の突帯間に開けられた穴 ( 透かし孔 ) をみても、巴形・三角形・方形・円形と様々だっ たものが、古墳時代の中期に入る頃には円形が主体となります。岡山市では前期末の時期に築 造されたとされる、金かなくらやま蔵山古墳の円筒埴輪や形象埴輪の資料群は、質と量をともに兼ねそろえ ており、当時の古墳社会を考える上で重要な意味をもっています。
造山古墳築造への道
金蔵山古墳の埴輪列 陣
じ ん ば や ま
馬山遺跡出土の円筒埴輪
古墳時代前期には、墳長が 200 mを越える巨大な前方後円墳が奈良県の東南部だけにしか築かれてい
ませんでした。ところが、古墳時代前期後半から末になると、奈良県北部の佐さ き紀古墳群、奈良県西部の
馬ま み見古墳群、大阪府の古ふるいち市古墳群でも築かれるようになり、その他の地域でもそれに準ずる古墳が築かれ
るようになります。岡山県では岡山市中区沢田の金蔵山古墳が相当します。その延長として墳長が 300m を越える造山古墳が築かれるとも考えられます。同様に、各地でも地域の最大規模となる前方後円墳が築 かれており、造山古墳の時代とは、まさに列島全体が巨大古墳の時代に突入したといえます。
ただし、この時代に墳長が 300 mを越える巨大古墳を築いたのは、大阪府と岡山県だけであり、キビ と呼称された岡山県が、列島の中心の1つであったことがうかがえます
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造山古墳の時代へ
(1/2000)
0 200m
造山古墳測量図
造山古墳出土 円筒埴輪
古墳時代中期の埴輪づくり
造山古墳が作られた古墳時代中期に、埴輪造りは量・質ともに最盛期を迎えます。畿内の大王墓はじめ、 各地域を代表する大型古墳には、家や船などを写実的に模した形象埴輪が数並べられました。当時、古墳 を埴輪で飾ることが非常に重要だったといえます。
製造方法にもあらたな技術が導入されました。中期の中頃になると、須恵器づくりに使用される窖あながま窯を
使用して硬質な埴輪が大量に生産されます。この背景には、多量の埴輪で墳丘を飾る、この時期の流行が ありました。中期の終わり頃には、埴輪の簡略化・小型化が徐々に進みます。さらなる大量生産を満たす ために工程を省略する必要があったのでしょう。
このように、古墳造りの流行が埴輪造りに大きく影響していたことがわかります。
造山第2号古墳の埴輪列
造山第2号古墳出土 円筒埴輪 造山第4号古墳出土 家形埴輪
造山古墳とその周辺の埴輪群
意外に思われるかもしれませんが、埴輪をイメージする際、挙げられることが多い人物を模した埴輪は、 古墳時代も中期中頃になって登場したものです。大阪府百舌鳥古墳群の大仙古墳では、人物埴輪で女子形 のものがみられます。また、動物を題材にした埴輪をみても、古墳時代前期は鳥を形どったものから始まっ
ており、中期に入ってから、同じく大阪府古市古墳群の誉こんだごびょうやま田御廟山古墳において馬形埴輪が出土していま
す。
これらの新出の埴輪に、古墳時代前期から続けてつくられている家形埴輪、蓋きぬがさ・甲かっちゅう冑・弓矢を入れる容
器の靫ゆきなどの器財埴輪を加えた形象埴輪群は、古墳の造り出しといった場所にも置かれるようになり、古
墳における葬送儀礼の内容をよりいっそう豊かなものにしたと考えられます。
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造山古墳を作った人々
造山古墳の周囲では、集落遺跡の発掘調査例も蓄積されてきています。とくに、造山古墳の築かれた 5 世紀の集落遺跡の数も多く、墓だけではなく、有数の人口集中地であったことがうかがわれます。
集落内部では、数多くの竪穴住居が検出されており、同じ場所で何度も建て替えられていることから、
安定した集落であったといえます。また、竪穴住居にはカマドが付属しており、陶とうしつ質土器や鉄ていなどの
朝鮮半島から持たらされた遺物も出土しています。周囲の丘陵部には、陶質土器を出土した小型古墳も築 かれており、渡来系の人々が居住していたと考えられます。現在は田園風景が広がっていますが、当時は 極めてエキゾチックで都会的な空間が広がっていたと考えられます。
須す え き恵 器とは、1200℃を越える高温で、窯を用いて焼成された焼き物です。古墳時代中期に、朝鮮半島 から日本列島に伝わった技術の1つです。5 世紀前半頃の須恵器を、とくに初期須恵器と呼称します。朝 鮮半島の陶質土器ともよく似ており、出土する遺跡も限られていますが、畿内以西の各所で窯跡が見つ かっており、須恵器の導入は各地域が主体となったと考えられます。キビでは総社市の奥ヶ谷窯跡があり ます。また須恵器生産の技術は、埴輪生産にも影響を与えたようで、埴輪も窯で焼成されるようになります。
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平成 25 年度岡山市埋蔵文化財センター特別展「造山古墳の時代」 平成 25 年 12 月 1 日
編 集 岡山市埋蔵文化財センター 〒 703-8284 岡山市中区網浜 834-1 発 行 岡山市教育委員会 〒 700-8544 岡山市北区大供 1 丁目 1 -1 印 刷
表紙:千足古墳出土靫形埴輪