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源氏物語「会合の歌」の意義 : いわゆる「唱和歌 」の再検討

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(1)

源氏物語「会合の歌」の意義 : いわゆる「唱和歌

」の再検討

著者名(日) 倉田 実 

雑誌名 大妻女子大学紀要. 文系

巻 44

ページ 13‑23

発行年 2012‑03

URL http://id.nii.ac.jp/1114/00000134/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止

(2)

大 妻 女 子 大 学 紀 要

︱ 文 系

︱ 第 四 十 四 号

︑ 平 成 二 十 四( 二

〇 一 二) 年 三 月

源 氏

物 語

会 合 の 歌 」

の 意 義

い わ ゆ る

唱 和 歌

の 再 検 討

倉 田

は じ め に

源氏 物 語 に お け る和 歌 を︑ 独 詠 歌

・贈 答 歌・ 唱 和 歌の 三 つに 分 類 する こと が定 説と なっ てい る︒ この 三分 類は 同一 の場 にい る詠 者の 数 で規 定さ れ︑ 唱和 歌は 三人 以上 によ る和 歌が 置か れて いる 場合 を指 し て おり

︑ 一八 組 が 認定 さ れて い る︒ し か し︑「

唱 和」 と い う 語は

︑ 二者 間の 贈 答を 言う のが 本 来の 用法 であ り

︑用 語と して 適当 では な い︒ ま た︑ 唱和 歌と され た和 歌は

︑す べて 人々 が集 まる

会 合」 で詠 まれ た もの と認 定で きる ので

︑「 会合 の歌」

と 規定 する のが 妥当 であ る︒ 以上 のこ とに つい ては

︑二

〇一 一年 五月 二八 日に 行な われ た中 古文 学会 春季 大 会( 於日 本女 子 大学)

で のシ ンポ ジウ ム「 源氏 物 語と 和 歌」 の 基 調報 告「「

唱 和 歌」 規 定 の再 検 討」 で 述 べ︑ そ の 概略 は「 源氏 物 語「 唱 和 歌」 規定 の 再検 討

会合 の歌」

の提 言

」(

中古 文学 89︑ 二〇 一 一年 一 二 月) に ま とめ た

︒し か し

︑ 源 氏 物語

の 個別 的 な「 会 合の 歌」 につ いて は︑ 枚数 の制 約が あり

︑十 分に 言及 はで きな か っ た︒ そ こで

︑ 本 稿で は

︑「 会合 の 歌」 の う ち︑ 公 的 な場 で なさ れ た と考 えら れる 最初 の五 組を 再説 した い︒ 本稿 の前 提と なる 事柄 につ い て は︑ 右 の 前稿 を 参照 さ れた い

︒ 源氏 物 語 の 本 文は

︑ 新 編日 本

古典 文学 全集 本を 使用 する が︑ 表記 は一 部私 に換 えた

︒な お︑ 以下 で 使用 する

○で 囲っ た数 字は

︑一 八組 とさ れる

唱 和歌」

に 付し た通 し 番号 であ る︒

会 合 の 歌

の 再 検 討

以 下 は︑「

会 合」 と な っ た場 と「 会合 の 歌」 で あ る所 以 を 確認 し な がら

︑物 語展 開と のか かわ りな どを 整理 して いく こと にな る︒ 最 初の

会 合の 歌」 は︑ 瘧病 の治 療に 北山 を訪 れた 光源 氏が 帰京 す る段 にあ る︒

① 御 迎へ の人 々参 りて

︑お こた りた まへ るよ ろこ び聞 こえ

︑内 裏 より も御 とぶ らひ あり

︒僧 都︑ 世に 見え ぬさ まの 御く だも の︑ 何 くれ と

︑ 谷の 底 ま で掘 り 出で

︑ い と なみ き こえ た ま ふ︒「

今 年 ば かり の誓 ひ深 うは べり て︑ 御送 りに もえ 参り はべ るま じき こと

︒ なか なか にも 思ひ たま へら るべ きか な」 など 聞こ えた まひ て︑ 大 御酒 ま ゐ りた ま ふ︒「

山 水 に 心と ま りは べ り ぬれ ど

︑ 内裏 よ り お ぼつ かな がら せた まへ るも かし こけ れば なむ

︒い まこ の花 のを り 過ぐ さず 参り 来む

︒ 宮人 に行 きて 語ら む山 桜風 より 先に 来て も見 るべ く」 源 氏 物 語「 会 合 の 歌」 の 意 義

(3)

と のた まふ 御も てな し︑ 声づ かひ さへ 目も あや なる に︑ 優 曇華 の花 待ち 得た る心 地し て深 山桜 に目 こそ 移ら ね と 聞 こえ た まへ ば

︑ ほ ほ笑 み て︑「

時 あ りて 一 た び開 く なる は

︑ か たか なる もの を」 との たま ふ︒ 聖︑ 御土 器賜 はり て︑ 奥 山の 松の とぼ そを まれ にあ けて まだ 見ぬ 花の 顔を 見る かな と うち 泣き て見 たて まつ る︒ 聖︑ 御ま もり に︑ 独鈷 奉る

︒見 たま ひ て︑ 僧都

︑聖 徳太 子の 百済 より 得た まへ りけ る金 剛子 の数 珠の 玉 の装 束し たる

︑や がて その 国よ り入 れた る箱 の唐 めい たる を︑ 透 きた る袋 に入 れて

︑五 葉の 枝に つけ て︑ 紺瑠 璃の 壼ど もに

︑御 薬 ども 入れ て︑ 藤桜 など につ けて

︑所 につ けた る御 贈物 ども 捧げ た てま つり たま ふ︒ 君︑ 聖よ りは じめ

︑読 経し つる 法師 の布 施ど も

︑ま うけ の物 ども

︑さ まざ まに 取り に遣 はし たり けれ ば︑ その わ たり の山 がつ まで

︑さ るべ き物 ども 賜ひ

︑御 誦経 など して 出で た まふ

︒( 若紫 巻・ 二二

〇〜 一頁) 光源 氏は 暁方 には 瘧病 から 回復 して いた

︒そ の朝 には

︑迎 えの 人々 が 到着 し︑ その 誰か が持 参し たの であ ろう 帝か らの お見 舞が ある

︒徴 候 で北 山に 来た 光源 氏で あっ たが

︑す でに 桐壷 帝の 知る とこ ろと なっ て いる

︒惟 光以 外の 供人 たち を京 に帰 して いた ので

︑そ の者 たち が帝 に 報告 して いた ので あろ う︒ 北山 僧都 は︑ 帝か ら直 々の お見 舞も ある 光源 氏を 丁重 にも てな そう と 送別 の宴 を準 備し てい る︒ 珍し い果 物な どが あれ これ と整 えら れ︑

大 神 酒」 も 用 意さ れ てい る

︒ 一介 の 賜 姓源 氏 に対 す る もて な しを 越 え て︑ 王者 の風 格を 持つ 当代 第二 御子 とし て待 遇す るの であ る︒ 一方 の 光源 氏は

︑引 用後 半部 にあ るよ うに

︑僧 たち への お布 施や 贈物

(

ま う け の物)

︑ 誦 経料 な どを 京 か ら取 り 寄せ て い た︒ 北 山 での 接 待が あ る こと を見 込ん でい たの であ ろう

︒私 的な 送別 の宴 では なく

︑す でに 公 的な 趣と なっ てい る︒ 光源 氏を もて なす

︑こ うし た送 別の 宴が

会 合」 の 場で あっ た︒ ここ には

︑光 源氏

・北 山僧 都・ 聖以 外に

︑光 源氏 の 供人 や接 待に あた る僧 侶な ども いる こと にな る︒

宴 は「 会合」

な ので

︑そ こで 詠ま れた 歌は

会 合の 歌」 とな る︒ 歌 の契 機は

︑僧 都が

大 神酒」

を 差し 上げ よう とし たか らで あり

︑盃 を ささ れて 詠歌 に及 ぶの は︑ 当時 の宴 席の 風景 であ った

︒光 源氏 は辞 去 の挨 拶を 述べ てか ら︑ 詠歌 に及 んで いる

︒京 に帰 った ら︑ 宮人 に語 り まし ょう

︑山 桜の 美し さと

︑風 が散 らす 前に 見に 来る よう にと

︑と 詠 んで いる

︒北 山の

山 桜」 を讃 美す る土 地誉 めを し︑ 再来 を約 す内 容 を詠 み込 んで

︑お 礼と する ので ある

︒ 光 源氏 の歌 に続 いて 北山 僧都 が詠 歌し てい るの は︑ 盃が 返さ れた か らに な る︒ 僧 都 は︑「

山 桜」 に 対 して

優 曇華 の 花」 で 応 じて い る︒ あた かも 優曇 華の 花を 待ち に待 って 見る こと がで きた よう な光 源氏 に お目 にか かり

︑「 深山 桜」 など には 目も 移り ませ んと して いる

優 曇 華の 花」 は︑ 千 年 に一 度 開花 し

︑ そ の折 に は金 輪 王 また は 如 来が 出 現す る と され て いる

︒ 金 輪王 は 転 輪聖 王 の一 で

︑ 三宝 絵 下

石塔」

に「 造 塔 延命 功 徳経 に 云」 と し て「(

塔 の 高さ が) 四

ナ ルハ

︑ 金 輪王 ト ナリ テ

︑ 四天 下 ニ 王ト ア ラム」(

新 大系 一 六三 頁) と ある よう に︑ 四天 下を 統治 する 理想 的な 王者 であ る︒ 光源 氏を

優 曇 華の 花」 に例 えた とい う こと は

︑金 輪王 に例 えた とい う こと にも なる

︒ 光源 氏に 王者 の風 格を 見出 した から に他 なら ない

︒北 山の

山 桜」 を

深山 桜」 と謙 退 し︑ 光 源 氏の 来 訪 を称 え たの で ある

︒ 主 側 とし て の 答礼 のあ り方 にな るが

︑光 源氏 を金 輪王 に例 えた こと は︑ 字義 通り の 思い とな ろう

︒ 光 源 氏は

︑ 法 華経

方 便品 の「 優曇 鉢 華 ノ時 ニ 一タ ビ 現 ズル ガ 如 キノ ミト」

な どに より

︑一 度だ け咲 くの はめ った にな いこ とな ので

︑ 優曇 華の よそ えは 相応 しく ない と謙 し

︑さ らに 自ら 聖に 土器 を差 し 出し てい る︒ 盃が 回っ てき たの で︑ 聖も 詠歌 する こと にな る︒ こ の聖 は︑「 老 いか がま りて 室の 外に もま かで ず」「

峰高 く︑ 深き 岩 の中 にぞ

︑聖 入り ゐた りけ る」 とさ れ︑ 山深 くの 庵室 から 出る こと も な く修 行 専 一 で あ っ た と さ れ て い た

︒ し か し

︑ わ ざ わ ざ 送 別 の 宴 に

会 合」 し た こ と な る

︒ そ れ は

︑ 北 山 僧 都 と 同 じ よ う に

︑ 光 源 氏 に

(4)

「 優 曇 華の 花」 の如 く の麗 質 を 見出 し たか ら に 他な ら ない

︒ 出 るこ と も なか った 奥山 の松 の戸 を開 けて

︑ま だ見 たこ とも ない 優曇 華の 花の よ うな 光源 氏の 尊顔 を拝 した こと です と歌 にし てい る︒ 僧都 と聖 は共 に「 優曇 華の 花」 によ そえ て光 源氏 を讃 美し た︒ 光源 氏 が土 地誉 めの 歌を 詠ん だの で︑ 二人 は賓 客讃 美で 答礼 した こと にな る

︒こ れは 形式 的な 社交 辞令 では なく

︑「 優曇 華の 花」 への よそ えは

︑ 当 代 第二 御 子が 持 つ 王者 の 風格 を 認 めた か らに 他 な らな い

︒「 会合 の 歌」 と して

︑僧 都と 聖は おの ずと 協和 して

︑賓 客と なる 光源 氏の 麗質 を 見出 して 讃美 した ので ある

︒ こう し た表 向 き の意 味 があ る 一方 で

︑ 源氏 物 語 の「 会 合 の歌」 は

︑歌 に詠 歌す る人 物の 心情 が託 され るこ とで 物語 展開 を図 って いく 働 きが 認め られ る︒ ここ では

︑光 源氏 が「 山桜」

に 垣間 見た 紫の 君を 密 か に よ そ え る こ と で

(

)

︑ 求 婚 譚 的 な 展開 を 持 続 さ せ る こ と に な る

山 桜 風よ り 先に 来 ても 見 る べく」

︑ 山桜 が 風に 散 ら され る 前に 見 に 来る よう にと いう こと に︑ 紫の 君が どこ かに 行っ てし まう 前に 会い に 来た い意 が潜 めら れて いる

︒「 若紫」

巻 は︑「

紫の 上求 婚譚

(

)

と して の ま とま り を持 っ てお り

︑ この

会 合の 歌」 の前 後 には

︑「 山 桜」 に 紫 の 君を よ そえ る 歌が 囲 繞 して い る︒ し た がっ て

︑「 会合 の 歌」 と し て 詠ま れた 光源 氏の 歌に も︑ 紫の 君に 対す る恋 着が 潜め られ てい ると し ても おか しく ない

︒辞 去に あた って

︑光 源氏 に改 めて 紫の 君に 対す る 恋着 を確 認さ せ︑ 今後 の展 開を 図っ てい るこ とに なる

︒ 盃も 回っ て宴 が一 段落 して から

︑僧 都と 聖は 光源 氏に 贈物 をし てい る

︒し かし

︑北 山に 光源 氏が 来訪 した のは

︑瘧 病治 療の ため であ った の で︑ 本来 的に は贈 物は 不要 では なか ろう か︒ それ なの に贈 物を した の は︑ 王者 光源 氏の 来臨 を感 謝し たか らに なろ う︒ 聖が

御 まも り」 とし て独 鈷を 贈っ たよ うに

︑贈 物は 病を 得た 王者 を 守護 する ため であ った

︒僧 都が 贈っ た「 聖徳 太子 の百 済よ り得 たま へ りけ る金 剛子 の数 珠」 も同 じ事 情で ある

︒ 枕草 子「

すさ まじ きも の」 段に

︑「 験 者の

︑ 物 の怪 調 ずと て

︑ いみ じ うし た り顔 に

︑ 独鈷 や

数珠 な どを 持 た せ」(

新 全 集二 三 段・ 六

〇頁)

と ある よ う に︑ こ の 二 つの 仏具 は︑ 仏法 によ って 守護 する ため の呪 具で あっ た︒ 僧都 は数 珠 とは 別に

︑病 を癒 す薬 の入 った

紺 瑠璃 の壼」

も「 捧 げた てま つり た まふ」

と され てい た︒ これ らが 王者 に献 呈さ れた ので ある

︒ こ うし た贈 与に 対し て︑ 光源 氏も 返礼 した こと は先 にみ たご とく で ある

︒「 会 合」 の 場 なの で

︑ 贈与 交 換が さ れた こ と にな る が︑ こ の 贈 物に は︑ 物語 とし て別 の意 味が 込め られ たよ うで ある

︒か つて

︑僧 都 の贈 与し た「 金剛 子の 数珠」

に「 三 種の 神器 に相 当す るよ うな 機能」 を見 出だ し︑「 来 たる べき 王権 の予 祝」 が読 み取 られ てい た

(

)

︒ ここ は︑ 独鈷 と数 珠と によ って

︑来 たる べき 流離 の苦 難か ら︑ 優曇 華の 花や 金 輪王 によ そえ られ る王 者光 源氏 を守 護さ せる 機能 を持 たせ たこ とに な ろう

︒物 語は

︑光 源氏 流離 の苦 難を すで に予 測し てい た︒ 北山 で国 見 をし た折 に︑ 光源 氏は 供 人良 清か ら明 石 の浦 のこ とを 聞 かさ れて いた

︒ これ は須 磨・ 明石 への 流離 の伏 線と しか 考え よう がな い︒ そし て︑ 流 離の 苦難 に耐 える べく

︑光 源氏 を守 護す る呪 具が ここ で贈 与さ れた と 見ら れよ う︒ 北山 僧都 は光 源氏 流離 の折

︑紫 の上 の少 納言 の乳 母か ら

御 祈祷 のこ と」(

須磨 巻・ 一九

〇頁)

を 依頼 され てい る︒ 僧都 は︑ 須 磨流 離 とも 関 わ るの で あり

︑ 守 護す る 呪 具と し ての 数 珠は

︑「 須 磨」 巻の

会 合の 歌」 の場 で暗 示さ れる こと にな る( 後述)

︒ 送 別の 宴は

︑贈 与交 換を 終え てお 開き とな り︑ 光源 氏が 車に 乗り 込 もう とし た時 に︑ 左大 臣の 子息

︑頭 中将 や左 中弁 も迎 えに 参上 して い る︒ そ こ で︑「

岩 隠 れの 苔 の上 に 並み ゐ て

︑土 器 ま ゐる」

と いう こ と にな り︑ さら に別 の「 会合」

の 宴が され

︑興 に乗 って 管絃 の遊 びも 行 なわ れて いる

︒「 会合」

を 二つ に分 けて 語る こと にな った のは

︑「 紫 の 上求 婚譚」

に 位置 づけ られ る前 者と は別 にし て︑ 葵の 上と の物 語に 連 接さ せる ため であ ろう

︒帰 京後 に光 源氏 は父 桐壷 帝に 挨拶 して から

︑ 左大 臣 邸に 赴 く こと に なっ て いる

︒ こ う した 次 第の た めに

︑「 会 合」 は二 つに 分け られ たの だと 思わ れる

︒ 以 上︑「 若 紫」 巻の 送別 の宴 での

会 合の 歌」 は︑「

優曇 華の 花」 や 源 氏 物 語「 会 合 の 歌」 の 意 義

(5)

金 輪王 によ そえ られ る光 源氏 の王 者性 を確 認し

︑来 るべ き流 離の 苦難 か ら守 護す べき 贈物 がさ れた こと を語 ると とも に︑ 紫の 君求 婚譚 を継 続 させ る働 きを 保持 して いた と言 えよ う︒

* 次の

会 合の 歌」 は︑「

賢 木」 巻

︑ 桐 壺院 崩 御 に伴 う 藤壷 中 宮の 三 条 宮 遷御 に 際し て 詠 まれ て いる

︒「 若 紫」 巻 で 予見 さ れ た流 離 の苦 難 は

︑桐 壺院 崩御 によ る右 大臣

・弘 殿 一派 の専 横の 時代 にな った こと と 関係 して いた

︒桐 壺院 崩御 は︑ 須磨 流離 へと 続く 苦難 の時 代を 象徴 す るこ とな る︒ それ を暗 示す るの が︑ この 巻の

会 合の 歌」 とな る︒

② 宮は

︑三 条宮 に渡 りた まふ

︒御 迎へ に兵 部 宮参 りた まへ り︒ 雪 うち 散り 風は げし うて

︑院 の内 やう やう 人目 離れ ゆき てし めや か なる に︑ 大将 殿こ なた に参 りた まひ て︑ 古き 御物 語聞 こえ たま ふ

︒御 前の 五葉 の雪 にし をれ て︑ 下葉 枯れ たる を見 たま ひて

︑親 王 影 ︑ 広み 頼み し松 や枯 れに けん 下葉 散り ゆく 年の 暮か な 何 ばか りの こと にも あら ぬに

︑折 から もの あは れに て︑ 大将 の御 袖 いた う濡 れぬ

︒池 の隙 なう 凍れ るに

︑ 冴 えわ たる 池の 鏡の さや けき に見 なれ し影 を見 ぬぞ 悲し き と 思す まま に︑ あま り若 々し うぞ ある や︒ 王命 婦︑ 年 暮れ て岩 井の 水も 凍り 閉ぢ 見し 人影 のあ せも ゆく かな そ のつ いで にい と多 かれ ど︑ さの み書 き続 くべ きこ とか は︒ 渡 らせ たま ふ儀 式変 らね ど︑ 思ひ なし にあ はれ にて

︑旧 き宮 は︑ か へり て旅 心地 した まふ にも

︑御 里住 み絶 えた る年 月の ほど

︑思 し めぐ らさ るべ し︒( 賢 木巻

・九 九〜 一〇

〇頁) 天皇 や上 皇の 后妃 たち は︑ 崩御 後の 四十 九日 の法 事が 済む まで は御 所 に留 まり

︑そ の後 は私 邸に 遷御 する のが 決ま りで あっ た︒ 藤壷 中宮 も

︑こ うし た掟 によ って

︑十 二月 二十 日の ほど に三 条宮 に遷 御す るこ と にな る︒ 遷御 に際 して は︑ 身内 や臣 従す る者 たち が迎 えに 御所 に参

上す るが

︑右 大臣

・弘 殿 女御 専 横の 時代 なの で︑ 藤壷 に同 調す る 人々 だ け が供 奉 す る た め に 参 上 し て い る

︒ 藤 壷 の 場 合 は 兄 弟 の 兵 部 宮

(

紫の 上 の父)

で あり

︑ 光 源氏 で あっ た

︒ その 人 々が

会 合」 す る の であ り︑ これ は︑ 遷御 とい う公 的な 儀礼 の場 とな る︒ そ して

︑遷 御の 儀礼 に供 奉す るた めに

会 合」 した 人た ちに よっ て

会合 の 歌」 が 詠 まれ て いる

︒ こ れは

︑ 出 発を 待 つ まで の 間に

︑ 控 え の間 にい た人 たち が詠 歌し たと いう こと にな る︒ 歌は 三首 しか 置か れ てい ない が︑ 草子 地に

そ のつ いで にい と多 かれ ど︑ さの み書 き続 く べき こ とか は」 と ある よ うに

︑他 の人 々 にも 詠歌 があ っ たこ とに なる

︒ まさ に「 会合 の歌」

な ので ある

︒ 歌 は︑ 遷御 その こと より も︑ その 所以 とな った 桐壺 院崩 御の 悲し み と そ の影 響 が 詠 ま れ て い る

︒ 三 首 と も 桐 壺 院 や そ の 恩 顧 を 暗 示 す る

影」 を 共 通さ せ てい る

︒ 兵部 宮 は「 影 広み」

に 桐壺 院 の 恩顧

・ 恩 光の 無 辺さ を 言 いつ つ

︑ 枯れ た 五葉 の 松 に崩 御

︑「 下 葉 散 りゆ く」 に 御所 を去 る后 妃や 中宮 近臣 のあ りよ うを よそ えて いる

︒光 源氏 は︑ 一 面に 凍り つい た南 池を 鏡に 見立 て︑ そこ に「 見馴 れし 影」 であ る父 の 面影 が 映ら ない 崩御 の 絶望 を 詠ん でい る︒ 王命 婦は

︑岩 井の 水( 遣水) が結 氷 して 流れ なく な った こと に︑ 后妃 や近 臣 たち な どの

見し 人影」 が御 所に まば らに なっ てい くこ とを よそ えて いる

︒王 命婦 の歌 は︑ 藤 壷の 代弁 でも あろ う︒ 藤壷 の歌 が置 かれ ない こと で︑ 逆に 悲し みの 深 さが 暗示 され てい よう

︒い ずれ も庭 前の 光景 に触 発さ れる かの よう に して 詠ま れて お り︑ 兵部 宮 は植 栽さ れ てい た枯 れた 五 葉の 松と 下葉

︑ 光源 氏は 南池

︑王 命婦 は岩 井の 水を それ ぞれ 詠み 込ん でい た︒ 庭が 悲 しみ を映 し出 すの であ る︒ こ のよ うに

︑こ の巻 の「 会合 の歌」

︑桐 壺院 崩御 を悼 み︑ 遷御 す る事 態に 応じ た内 容に なっ てい て︑ 右大 臣・ 弘 殿女 御と 対立 する

︑ 反主 流派 の藤 壷や 光源 氏な どの 不遇 も暗 示し てい る︒ そし て︑ この 不 遇は

︑須 磨流 離の それ へと 展開 して いく こと にな る︒

(6)

* 次の

会 合の 歌」 は︑「

須 磨」 巻 の も のに な るが

︑ こ こは 先 の北 山 の 段と 照応 して いる よう であ る︒ 須磨 で迎 えた 十五 夜の 段で ある

③ 前栽 の花 いろ いろ 咲き 乱れ

︑お もし ろき 夕暮 に︑ 海見 やら るる 廊 に出 でた まひ て︑ たた ずみ たま ふさ まの

︑ゆ ゆし うき よら なる こ と︑ 所が らは まし てこ の世 のも のと 見え たま はず

︒白 き綾 のな よ よか なる

︑紫 苑色 など たて まつ りて

︑こ まや かな る御 直衣

︑帯 し ど けな く うち 乱 れ たま へ る 御さ ま にて

︑「 釈 牟尼 仏 弟子」

と 名 のり て︑ ゆる るか に誦 みた まへ る︑ また 世に 知ら ず聞 こゆ

︒沖 より 舟ど もの うた ひ のの しり て漕 ぎ 行く など も聞 こゆ

︒ほ のか に︑ た だ小 さき 鳥の 浮べ ると 見や らる るも

︑心 細げ なる に︑ 雁の 連ね て 鳴く 声楫 の音 にま がへ るを

︑う ちな がめ たま ひて

︑涙 のこ ぼる る をか き払 ひた まへ る御 手つ き黒 き御 数珠 に映 えた まへ る︑ 古里 の 女恋 しき 人々

︑心 みな 慰み にけ り︒ 初 雁は 恋し き人 のつ らな れや 旅の 空飛 ぶ声 の悲 しき と のた まへ ば︑ 良清

︑ か きつ らね 昔の こと ぞ思 ほゆ る雁 はそ の世 の友 なら ねど も 民 部大 輔︑ 心 から 常世 を捨 てて 鳴く 雁を 雲の よそ にも 思ひ ける かな 前 右近 将監

常世 出で て旅 の空 なる 雁が ねも つら に遅 れぬ ほど ぞ慰 む 友 まど はし ては

︑い かに はべ らま し」 と言 ふ︒ 親の 常陸 にな りて 下 りし にも 誘は れで

︑参 れる なり けり

︒下 には 思ひ くだ くべ かめ れ ど︑ 誇り かに もて なし て︑ つれ なき さま にし あり く︒ 月の いと はな やか にさ し出 でた るに

︑今 宵は 十五 夜な りけ り︑ と 思し 出で て︑ 殿上 の御 遊び 恋し く︑ 所ど ころ なが めた まふ らむ かし と︑ 思ひ やり たま ふに つ けて も︑ 月 の顔 の みま もら れた ま ふ︒

二 千 里外 故 人心」

と 誦じ た ま へる

︑ 例 の涙 も と どめ ら れず

︒ 入

道の 宮 の

︑「 霧 や へ だつ る」 との た ま はせ し ほ どい は む方 な く 恋 し く

︑ を り を り の 事 思 ひ 出で た ま ふ に

︑ よ よ と泣 か れ た ま ふ

夜 更け はべ りぬ」

と 聞こ ゆれ ど︑ なほ 入り たま はず

︒ 見る ほど ぞし ばし なぐ さむ めぐ りあ はん 月の 都は 遥か なれ ど も( 須磨 巻・ 二〇

〇〜 三頁) 十 五夜 の日 に︑ 光源 氏と 須磨 に同 行し てき た供 人た ちが

会 合」 し てい るの が︑ この 場と なる

︒供 人た ちは 各人 の持 ち場 から 離れ

︑今 は 光源 氏を 囲む よう にし て控 えて いる ので あろ う︒ こ の 場で

︑ 供 人た ち から 光 源 氏は

︑「 ゆ ゆし う きよ ら な るこ と

︑ 所 がら はま して この 世の もの と見 えた まは ず」 と見 られ てい る︒ 不吉 な ほど 美し く︑ 須磨 の地 にお いて はな おさ らこ の世 の人 とも 思わ れな い とい うの であ る︒ これ は「 若紫」

巻 で「 優曇 華の 花」 によ そえ られ た こと と見 合っ てい よう

︒ ま た

︑「 釈 牟 尼仏 弟 子」 と 名 の って 経 をゆ っ く りと 読 む光 源 氏 の 声は

︑こ の世 の声 とも 思わ れな いと 供人 たち に聞 かれ てい る︒ それ は さし ずめ 陵 頻の 声と なろ うか

︒光 源氏 は仏 法の 加護 や守 護を 念じ て いる の であ り︑ 涙を 払う 白き 手 は「 黒き 御数 珠」 に映 え てい ると いう

︒ こ の数 珠 は

︑「 黒 檀 の 数 珠」(

集 成

・ 新 全 集) と も「 紫 檀 の 数珠 か」

(

新大 系) とも さ れて い る が︑ こ れ は北 山 僧都 か ら贈 与 さ れた

金 剛 子の 数珠」

で はな かろ うか

︒金 剛子 の数 珠も

︑黒 色で あっ た︒ この よ うに 解 すれ ば

︑「 若紫」

巻 で の贈 与 の意 味 を ここ に きて 明 ら かに し て いる こ とに な る

︒「 黒 き 御 数珠」

を 手に し て経 を 読む 光 源 氏は

︑ や は り仏 法の 守護 にす がっ てい るこ とに なる

︒ こ う した 折 しも

︑「 雁 の連 ね て 鳴く 声」 が聞 こ えて き て

︑光 源 氏 は 詠歌 に及 び︑ 供人 たち はそ れに 応じ て「 会合 の歌」

と なっ てい る︒ こ こは

︑こ の世 の者 とも 思わ れな い王 者光 源氏 の歌 に︑ 供人 たち が応 え た「 応 制 の歌

(

制 は天 子 の命 令 の 意)」

と 見る こ と も可 能 であ ろ う︒ ある いは

︑「 応和 の歌」

と 新た に規 定す るこ とも でき よう

︒「 唱 和」 は 二者 間の 贈答 の意 なの で︑ この 場に はふ さわ しく ない

︒中 心と なる 人 源 氏 物 語「 会 合 の 歌」 の 意 義

(7)

物 の 歌に 続 いて

︑ 他 の人 々 が同 調 し て詠 歌 する 場 合 は︑「

応 和 の歌」 と する のが いい のか もし れな い︒

会合 の 歌」 の 後 で︑ 光 源 氏 は︑ 月 の 出か ら 今宵 が 十 五夜 で あっ た こ とに 気付 いて いる

︒供 人た ちは

︑光 源氏 を慰 藉す るた めに

︑ひ そか に 月の 宴を 用意 して いた のだ ろう か︒ 光源 氏が

殿 上の 御遊 び」 を想 起 した よう に︑ 帝が 主催 する 殿上 の月 の宴 にな ぞら えた のか もし れな い

︒し かし

︑ま だ月 の出 のな い夕 暮れ であ った ため

︑そ れと は気 付か な い光 源氏 は︑ 雁を 歌に 詠ん でい た︒ そこ で供 人た ちは

︑そ の歌 にひ と ま ず 応 答

・ 応 和 す るこ と に し た の で あ ろ う

︒ し た が っ て

︑ こ こ は

応 制の 歌」 ある い は「 応 和 の 歌」 の あ りよ う と言 え よう

︒ 黒 い数 珠 を 持つ 王者 光源 氏の 歌に

︑供 人た ちが 応和 して いる ので ある

︒ 歌は

︑「 応 制の 歌」 の様 相 も持 つ「 会合 の 歌」 と な って い る ので

︑ 供人 たち は 光源 氏の 詠歌 を受 けて

雁」 を共 通し て詠 み 込む こと にな っ て い る︒「

雁」 はま た

︑ 題詠 の 題の よ うで も ある

︒ 物 語で は

︑ 都合 四 首 並立 する 場合 は︑ 二首 同士 が対 応す るよ うで あり

(

)

︑こ こも その よう に なっ てい る︒ 光源 氏と 良清 は︑「 恋 しき 人」「

昔の こと」

と いう よう に

︑望 郷・ 懐旧 の思 いを 雁に 託し てい る︒ 民部 大輔 惟光 と前 右近 将監 は

︑「 常世 を 捨て て」「

常世 出 でて」

と いう よ うに

︑「 旅の 空」 にあ る 雁 と同 様の 流離 の旅 の途 上に ある こと を詠 んで いる

︒ま た︑ 新全 集頭 注 が 指摘 す るよ う に

︑「 四 首 は

︑各 直 前 の歌 の 歌詞 を 受 けて 連 続す る が

︑ 最後 は 最 初の 源 氏の 歌 の「 つ ら」「

旅の 空」 にも 対 応す る 緊密 な 構 成」 にな って いる

︒し かし

︑こ うし た二 首ず つの 対応 や構 成は

︑物 語 の 工夫 と いう 問 題で あ り

︑「 応 制 の歌」

あ るい は「 応和 の 歌」 の よ う にな って いる

会 合の 歌」 のあ りよ うが 一次 的な こと にな る︒ 供人 たち は︑ 主の 光源 氏に 同調 し︑ 連帯 共同 する こと は︑ 須磨 の地 に お いて 暗 黙の 了 解事 項 で ある

︒ だ から

︑「 会 合の 歌」 とな っ た詠 歌 も それ が反 映し てい るこ とに なる

︒従 来の

唱 和歌」

規 定で は︑ こと さ ら に連 帯 共同 が 読 み取 ら れて き た が︑「

会 合 の歌」

と すれ ば 前提 の 問 題と なる

夕 暮れ の「 会合 の歌」

が 示さ れて から

︑や っと 十五 夜月 の月 の出 と なる が

︑ 月見 の 宴 は果 た して 行 な われ た ので あ ろう か

︒「 殿上 の 御 遊 び恋 しく

︑所 どこ ろな がめ たま ふら むか しと

︑思 ひや りた まふ につ け ても

︑ 月 の顔 の みま も ら れた ま ふ」 と さ れる だ け であ り

︑「 殿上 の 御 遊び」

が 想起 され

︑月 は見 られ てい ても

︑宴 のこ とは 示唆 され てい な い︒ 供人 が「 夜更 けは べり ぬ」 と注 進し てい るの は︑ 望郷

・流 離の 悲 しみ の深 さの ため に宴 は催 され ず︑ その 心情

・心 境が 持続 され て夜 が 更け てし まっ た から で ある と思 われ る

︒流 離の 苦 難の う ちに ある 間は

︑ 月見 の宴 は遠 慮さ れた ので あろ う︒ 光源 氏が 月見 の宴 を催 すの は︑ 流 離か ら復 権し てか らに なる

(

後 述)

︒ 夜 が更 けて も悲 しみ に沈 む光 源氏 は︑ さら に詠 歌に 及ん でい る︒ 歌 は二 首示 され てい るが

︑右 の引 用部 では 一首 目だ けに した

︒こ の二 首 は独 詠歌 とさ れて いる が︑ 果た して 供人 たち に聞 かれ てい るの であ ろ うか

︒「 夜 更け は べり ぬ」 と注 進 さ れて 歌 が置 か れて い る ので

︑ 聞 か れて いる 蓋然 性は 高い

︒も し︑ 聞か れて いる とし たら

︑そ の悲 しみ の 深 さに 供 人 た ち は 黙 さ ざ る を 得 な か っ たの か も し れ な い

︒ そ し て

見る ほ どぞ し ば しな ぐ さむ め ぐ りあ は ん 月の 都 は遥 か な れど も」 の 歌は

︑「 松 風」 巻 の「 会 合 の歌」

に 照応 し てい く こ とに な るが

︑ そ の 前に

絵 合」 巻の

会 合の 歌」 を見 なけ れば なら ない

絵 合」 巻 の「 会合 の 歌」 は

︑ 藤 壷中 宮 の 御前 で 行な わ れ た初 度 の 物語 絵合 にお ける 歌合 の歌 がそ れに なる

︒歌 合の 歌ま で「 唱和 歌」 と 規定 する 不合 理さ は︑ すで に触 れて いる

︒こ こは

︑歌 合を 伴う 物語 絵 合と いう

会 合」 の場 であ るこ とを まず 確認 して おき たい

④ 次 に伊 勢物 語に

︑正 三位 を合 はせ て︑ また 定め やら ず︒ これ も 右は おも しろ くに ぎは はし く︑ 内裏 わた りよ りう ちは じめ

︑近 き 世の あり さま を描 きた るは

︑を かし う見 どこ ろま さる

︒平 内侍

伊 勢の 海の 深き 心を たど らず て古 りに し跡 と波 や消 つべ き

(8)

世 の常 のあ だご との ひき つく ろひ 飾れ るに おさ れて

︑業 平か 名を や 朽す べき」

︑争 ひか ねた り︒ 右の 典侍

︑ 雲 の上 に思 ひの ぼれ る心 には 千尋 の底 もは るか にぞ 見る

兵 衛 の大 君 の心 高 さ は︑ げ に 棄て が た けれ ど

︑ 在 五中 将 の名 を ば

︑え 朽さ じ」 との たま はせ て︑ 宮︑ み るめ こそ うら ふり ぬら め年 へに し伊 勢を の海 人の 名を や沈 め む か やう の女 言に て︑ 乱り がは しく 争ふ に︑ 一巻 に言 の葉 を尽 くし て

︑え も言 ひや らず

︒( 絵合 巻・ 三八 一〜 三頁) 絵合 は︑ 光源 氏の 須磨 の 絵日 記に よっ て勝 負の 決 着が つい たよ う に︑ 須 磨流 離の 苦難 を対 象化 し︑ 復権 して 冷泉 王朝 を出 発さ せる 藤壷 と光 源 氏の 連帯 する あり よう を語 って いる

︒そ れを 象徴 する のが

︑こ の引 用 部に なる

︒ 左方 とな る梅 壷女 御・ 光源 氏は

︑二 番目 の勝 負で

伊 勢物 語 の絵 を 提 出 し

︑ 平 内 侍 が 詠 歌 し て い る

︒ 右 方 の 弘 殿 女御

・ 権 中 納 言 は 正三 位(

散逸 物語)

︑詠 歌は 典侍 とな る︒ 勝負 は「 また 定め やら ず」 と 引き 分け にな って いる が︑ 実際 は︑ 左方 が「 争ひ かね たり」

と さ れて いる よう に︑ 論点 が明 確で なく

︑劣 勢で あっ た︒ これ を救 った の が判 詞と なる 藤壷 の「 在五 中将 の名 をば

︑え 朽さ じ」 であ り︑ 判歌 で あっ た︒ 藤壷 には

伊 勢物 語 への 思い 入れ があ るの であ り︑ その 理由 が判 歌 に潜 め ら れて い る︒「

み るめ」

は「 海松 布」 と「 見 る目」

︑「 うら ふ り」 は「 心

ふり」

と「 浦 古り」

の 掛詞 であ り︑「 海 松布」「

浦」「

沈め」 は「 伊 勢を の海 人」 の縁 語と なっ てい る︒ 見た 目に はう らぶ れて 古び て いよ うと も︑ 年月 を経 た伊 勢の 海人 の名 声を 沈め てよ いも ので しょ う か

︑と 言 う ので あ る︒

伊 勢 物語

へ の肩 入 れは

︑ 新 全集 が 説く よ う に「 海人 の住 むわ びし い海 辺に

︑流 離の 業平 像を 形象

︒さ らに その 業 平像 のう えに 流離 のこ ろの 源氏 像を 重ね る」 とす る通 りで ある

︒藤 壷 の 伊勢 物語

へ の思 い入 れは

︑光 源氏 の流 離と 重ね られ るこ とに

よっ てい るの であ り︑ こう した 発言 が再 度の 絵合 で須 磨の 絵日 記を 呼 び出 すこ とと なっ てい る︒ 絵 合と なっ た「 会合 の歌」

︑光 源氏 の流 離を 対象 化し てい るの で あり

︑そ のこ とに おい て「 須磨」

巻 の「 会合 の歌」

と 連関 して いる こ とに なる

︒ま た︑「 須 磨」「

絵合」

両 巻は

︑次 の「 松風」

巻 とも 連関 す るこ とに なる

松風」

巻 には 二組 の「 会合 の歌」

が ある が︑「

須磨」

巻 と照 応し て いく のは

︑桂 の院 での 大御 遊び の宴 を語 る段 であ る︒ 明石 一族 の大 堰 邸に 泊ま った 光源 氏は

︑そ のま ま帰 京す るつ もり であ った が︑ 人々 が 多く 参集 して 来た ので 予定 を変 更し

︑一 行は 桂の 院に 赴き

︑ 応す る こと にな る︒

⑤ 今 日は

︑な ほ桂 殿に とて

︑そ なた ざま にお はし まし ぬ︒ には か なる 御 応と 騒ぎ て︑ 鵜飼 ども 召し たる に︑ 海人 のさ へづ り思 し 出で らる

︒野 にと まり ぬる 君達

︑小 鳥し るし ばか りひ きつ けさ せ たる 荻の 枝な ど苞 にし て参 れり

︒大 御酒 あま たた び順 流れ て︑ 川 のわ たり あや ふげ なれ ば︑ 酔ひ に紛 れて おは しま し暮 らし つ︒ お のお の絶 句な ど作 りわ たし て︑ 月は なや かに さし 出づ るほ どに

︑ 大御 遊び はじ まり て︑ いと 今め かし

︒弾 き物

︑琵 琶和 琴ば かり

︑ 笛ど も︑ 上手 のか ぎり し て︑ をり に あひ た る調 子吹 きた つ るほ ど︑ 川風 吹き あは せて おも しろ きに

︑月 高く さし 上が り︑ よろ づの こ と澄 める 夜の

︑や や更 くる ほど に︑ 殿上 人四 五人 ばか り連 れて 参 れり

︒ 上 にさ ぶ ら ひけ る を︑ 御 遊 び あり け るつ い で に︑「

今 日 は 六日 の御 物忌 あく 日に て︑ 必ず 参り たま ふべ きを

︑い かな れば」 と仰 せら れけ れば

︑こ こに かう とま らせ たま ひに ける よし 聞こ し めし て︑ 御消 息あ るな りけ り︒ 御使 は蔵 人弁 なり けり

月 のす む川 の遠

なる 里な れば 桂の 影は のど けか るら む うら やま しう」

と あり

︒か しこ まり きこ えさ せた まふ

︒上 の御 遊 源 氏 物 語「 会 合 の 歌」 の 意 義

(9)

び より も︑ なほ 所が らの すご さ添 へた る物 の音 をめ でて

︑ま た酔 ひ 加は りぬ

︒こ こに は設 けの 物も さぶ らは ざり けれ ば︑ 大堰 に︑

わ ざ とな ら ぬ設 け の 物や」

︑ 言ひ 遣 はし た り

︒ とり あ へた る に 従ひ て参 らせ たり

︒衣 櫃二 荷に てあ るを

︑御 使の 弁は とく 帰り 参 れば

︑女 の装 束か づけ たま ふ︒ 久方 の光 に近 き名 のみ して 朝夕 霧も 晴れ ぬ山 里 行 幸 待ち き こえ た ま ふ心 ば へ なる べ し︒「

中 に 生 ひた る」 とう ち 誦 じ たま ふ つい で に

︑ かの 淡 路島 を 思 し出 で て︑ 躬 恒 が︑「

所 か ら か」 とお ぼめ きけ むこ とな どの たま ひ出 でた るに

︑も のあ はれ な る酔 泣き ども ある べし

︒ め ぐり 来て 手に とる ばか りさ やけ きや 淡路 の島 のあ はと 見し 月 頭 中将

︑ う き雲 にし ばし まが ひし 月影 のす みは つる よぞ のど けか るべ き 左 大弁

︑す こし 大人 びて

︑故 院の 御時 にも 睦ま しう 仕う まつ り馴 れ し人 なり けり

︑ 雲 の上 のす みか を捨 てて 夜半 の月 いづ れの 谷に 影隠 しけ む 心々 にあ また あめ れど

︑う るさ くて なむ

︒け 近う うち 静ま りた る 御物 語す こし うち 乱れ て︑ 千年 も見 聞か まほ しき 御あ りさ まな れ ば︑ 斧の 柄も 朽ち ぬべ けれ ど︑ 今日 さへ は︑ とて 急ぎ 帰り たま ふ

︒物 ども 品々 にか づけ て︑ 霧の 絶え 間に 立ち まじ りた るも

︑前 栽 の花 に見 えま がひ たる 色あ ひな ど︑ こと にめ でた し︒ 近衛 府の 名 高 き 舎 人

︑ 物 の 節 ど も な ど さ ぶ ら ふ に

︑ さ う ざ う し け れ ば

そ の 駒」 な ど 乱れ 遊 びて

︑ 脱 ぎ かけ た まふ 色 々

︑ 秋の 錦 を風 の 吹 きお ほふ かと 見ゆ

︒の のし りて 帰ら せた まふ 響き

︑大 堰に は物 隔て て聞 き て︑ なご り さび し うな がめ たま ふ

︒御 消息 を だに せ で︑ と 大臣 も御 心に かか れり

︒ 桂の 院に おい て︑ 光源 氏を 慕っ てき た人 々が

会 合」 して 応 の宴

とな っ たこ と を 語る 段 であ る

︒「 会合 の 歌」 は引 用 後半 部 の三 首 に な るが

︑前 半部 に置 かれ た冷 泉帝 と光 源氏 との 贈答 歌の 延長 上に ある よ うな ので

︑そ の次 第か ら確 認し てい きた い︒ 桂 の院 では

︑に わか な宴 とな った ため

︑鵜 飼を 召し てそ の用 意を さ せて いる

︒ま た︑ たま たま 小鷹 狩を して いた

野 にと まり ぬる 君達」 は︑ 獲物 の小 鳥な どを 苞に して 参上 して 来た ので

︑こ れら を酒 菜に し て宴 が始 まっ てい る︒ 桂の 院に は︑ 鵜飼 と鷹 飼が いた こと にも なる

︒ 清 遊先 での 宴と なっ たの で︑ 盃は 順々 に何 度も 巡っ てい ると いう

︒ 人々 がた また ま「 会合」

し ての 宴は

︑興 に乗 り︑ 作文 や大 御遊 びも 行 なわ れて いる

︒当 時の 貴族 社会 に見 られ る宴 のあ り方 であ る︒ 秋 の月 が高 くさ し上 がる 頃︑ さら に宮 中か ら殿 上人 が四 五人 ほど 連 れ だっ て や っ て 来 た

︒ 冷 泉 帝 の 消 息 を 持 参 し た の で ある

︒ 清 涼 殿 で

御遊 び」 があ っ た折

︑ 冷 泉 帝が 光 源氏 の 不 参を 気 にし て 殿 上人 に 尋 ねた とこ ろ︑ 桂に 逍遥 して いる こと を知 り︑ わざ わざ 異例 の消 息を 届 けさ せた ので あっ た︒ そし て︑ その 消息 中の 歌に 光源 氏が 返歌 する 次 第と なっ てい く︒ なお

︑こ この 月が 十五 夜か どう かは 分か らな い︒ し かし

︑殿 上で あっ たと され る「 御遊 び」 は︑ 十五 夜で あっ ても なく て も

︑ 月 見 の 宴 で行 な わ れ た も の と な ろ う

︒ 月 の 美 し い 夜

︑ 内 裏 で は

殿 上の 遊び」

が あり

︑桂 では

大 御遊 び」 がさ れる こと にな る︒ 冷 泉 帝 の 贈 歌 は

︑ 桂 で の 逍 遥 を 羨 む 内 容 と な っ てい る の で

︑ こ の

会 合」 の場 で披 露さ れた こと にな ろう

︒後 に触 れる よう に︑「

会合 の 歌」 とな る頭 中将 歌は

︑冷 泉帝 の歌 句を 踏ま えて いる こと から も窺 え よう

︒ 冷 泉帝 の 贈 歌は

︑「 月の す む川

(

桂 川)」

の「 遠( 向 こ う)」

の 桂 の 里に いる のな らば

︑「 桂の 影( 月光)」

︑の どか に澄 んで いる こと で しょ う と し て い る

︒「 月」 に よ っ て「 桂 川」 を 言 い

︑「 桂」 に よ っ て

月」 を言 うと いう 当 意即 妙 の歌 にな って い るが

︑こ うし た措 辞で も っ て清 涼殿 に光 源氏 が不 参な のを 残念 に思 いつ つ︑ 羨ん でい るこ とに な る︒

(10)

冷泉 帝の 真意 を理 解し た光 源氏 は︑ 月の 光に 近い とい う桂 の里 は名 ば かり で︑ 朝夕 霧の 晴れ 間も ない 山里 です と詠 んで いる

︒実 際は

︑月 が 澄み 昇っ てい るわ けだ が︑ 冷泉 帝の 心情 をは ばか った ので ある

︒だ か ら︑ 冷 泉 帝が 桂 の「 里」 を︑「

澄 む」「

遠」 と した の に対 し て︑「

晴 れ ぬ」「

近 き」 とし て 返し た こ とに な る︒ 真 意 は︑ 冷 泉 帝の ご 威光

・ ご 光臨 がな いか ぎり

︑月 は澄 みよ うも あり ませ んと いう ので あり

︑そ の 意を 草子 地が

行 幸待 ちき こえ たま ふ心 ばへ なる べし」

と 掬い 取っ て いる

︒ 冷泉 帝の 歌の 構文 は︑ 次の 伊勢 の歌 に拠 って おり

︑さ らに 光源 氏の 返 歌も 引歌 にし てい た︒ 三歌 を併 記す る︒

・月 のす む川 のを ちな る里 なれ ば桂 の影 はの どけ かる らむ

(

冷 泉帝 歌) 桂 に侍 りけ る時 に︑ 七条 の中 宮( 温子)

の 訪 は せた まへ りけ る 御返 事に 奉れ りけ る

・久 方の 中に 生ひ たる 里な れば 光を のみ ぞ頼 むべ らな る( 古今

・雑 下

・九 六八

・伊 勢)

・久 方の 光に 近き 名の みし て朝 夕霧 も晴 れぬ 山里

(

光 源氏 歌) 前二 者は

︑第 三句 がい ずれ も「 里な れば」

で 共通 して いる

︒上 の句 が似 た内 容 の条 件句 とな っ てお り

︑下 の句 はそ れを 受け て「 のど け し」 や「 頼 む」 が導 かれ てい る︒ ここ は︑ 伊勢 歌の

頼 む」 を冷 泉帝 歌で は「 の どけ し」 に変 換し たこ とに なる

︒ 一方

︑光 源氏 の歌 の「 久か たの 光」 もこ の伊 勢歌 に拠 って いた

︒作 者 が伊 勢を 引歌 にし たの か︑ 冷泉 帝が そう した のか 微妙 なと ころ であ る が︑ 伊勢 歌が 軸に なっ てい るこ とは 確か であ り︑ 光源 氏は 明確 に引 歌 であ ると 認識 して いる

︒だ から

︑伊 勢歌 の一 句「 中に 生ひ たる」

を 口 ずさ んで いる

︒ 伊勢 歌を 背景 に 置く こと で︑ 月の 名所 とし ての 桂 を際 立た せて い る︒ ま た︑ その 桂を 冷泉 帝は 羨ま しが って いた

︒と いう こと は︑ 月に おい て 光 源氏 の いる 桂 の 院が 優 って い た とい う こと に な る︒ そ し て︑「

遊び」

に おい ても 桂の 院 が優 位 であ った

︒冷 泉帝 の歌 に 続く 地の 文は

上の 御 遊び よ り も︑ な ほ 所が ら のす ご さ 添へ た る物 の 音 をめ で て︑ また 酔 ひ加 は りぬ」

と なっ て い た︒ こ この

す ごさ」

︑「 冷え 冷 え と心 にし みる 感じ」(

新全 集)

︑「 さ びし さ」(

新大 系) など とす るよ り も︑「 ひ とし お心 にし み入 る」(

集成)

と 解し たほ うが いい であ ろう

︒ 殿上 の遊 びよ りも

︑桂 の院 のそ れの ほう が︑ すば らし いの であ る︒ こ のよ うに

︑「 月」 と「 御遊 び」 にお いて

︑清 涼殿 と桂 の院 が対 比さ れ︑ 後者 の優 位が 暗示 され てい るの であ る︒ そし て︑ この

月」 は

︑さ ら に須 磨・ 明石 を想 起さ せて いる

︒ 伊 勢 歌を 口 ずさ ん だ光 源 氏 は︑「

淡 路 島」 と「 躬恒 が 所 から か」 と 詠ん だ歌 を想 起し てい る︒ かつ て光 源氏 は明 石の 地で

︑淡 路島 を見 な がら 躬恒 歌「 淡路 にて あは と遥 かに 見し 月の 近き 今宵 は所 から かも」 の一 句を 口ず さん で︑ 次の よう に詠 んで いた

︒ ただ 目 の前 に 見 やら る る は︑ 淡 路 島な り けり

︒「 あ は と遥 か に」 など のた まひ て︑ あは と見 る淡 路の 島の あは れさ へ残 るく まな く澄 める 夜の 月

(

明 石巻

・二 三九 頁) 光 源氏 が「 淡路 島」 と「 躬恒」

の 歌を 想起 した のは

︑こ の「 明石」 巻の こ とに なる

︒明 石で は躬 恒 歌の

あ はと 遥 かに」

を 口ず さん だが

︑ 桂で は同 一歌 の他 の一 句「 所か らか」

に なっ てお り︑ これ はわ ざと 変 えた ので あろ う︒ 桂の 月を 詠み 込ん だ冷 泉帝 と光 源氏 の歌 は︑ そう な るの が必 然で あ るか の よう に︑ 須 磨・ 明 石で 見た 月を 想 起さ せて いる

︒ これ は︑ 一方 で冷 泉帝 の「 殿上 の御 遊び」

が あっ たか らで あり

︑こ の こと は先 に見 た「 須磨」

巻 の十 五夜 で懐 古さ れて いた

︒月 は主 題性 を 持っ て 須磨

・明 石の 流 離と 連関 して い る︒ そし て︑ さら にそ の連 関は

会 合の 歌」 でも 継続 され てい く︒ 流離 の時 代 を想 起し た光 源 氏は

︑さ らに 詠歌 に及 ん でい く︒ そ して

︑ それ に扈 従し た人 々が 応答

・応 和し て︑ ここ も「 応制 の歌」

に なる か の よう に「 会 合 の 歌」 と な っ て い る

︒ す で に

︑ こ の「 会 合 の歌」

の 源 氏 物 語「 会 合 の 歌」 の 意 義

(11)

「 後 二 者の 歌 は応 製 詩 に近 い 表情 を も たせ ら れて い る

(

)

との 指 摘が な さ れて いる

︒ま た︑「 賢 木」 巻と 同じ よう に「 心々 にあ また あめ れど

︑ う るさ くて なむ」

と の草 子地 があ り︑ 他に も扈 従し た人 の歌 が多 く詠 ま れた

会 合の 歌」 であ るこ とも 提示 して いる

︒ 光源 氏 の歌 は

︑ 月 日が

め ぐり 来 て」

︑ 今 は 手に 取 る ばか り はっ き り 見え る月 と︑ かつ て明 石の 浦で 淡路 島の

あ は」 と霞 んで 見え た月 と は 同じ で あろ う かと 詠 ん でい る

︒「 さや け き」 と 見 える の は

︑京 に 復 権し

︑栄 華の 階梯 を昇 って いる から であ る︒ 流離 の時 代と 今を 対比 させ るの で あり

︑「 めぐ り来 て」 との 措 辞は

︑「 須磨」

巻の

会合 の 歌」 に 続い て詠 まれ た「 見る ほど ぞし ばし 慰む めぐ りあ はん 月の 都は 遥か な れど も」 と使 用 され て い た︒「

須 磨」 巻 と「 松風」

巻の 二 組 の「 会 合 の歌」

︑呼 応関 係が 認め られ るの であ る︒ 光源 氏の 歌に 応じ て︑ この 巻だ けの 登場 とな る頭 中将 の歌

う き雲 に しば しま がひ し月 影の すみ はつ るよ ぞの どけ かる べき」

︑そ の対 比 を詠 んで いる

︒「 うき」

は 掛詞 とな り︑「

憂き 雲に しば しま がひ し月 影」 に 苦 難 の 流 離 の 時 代 を 過 ご し た 光源 氏 に よ そ え

︑ 復 権 し て 京 に

住む」

今 は︑ 澄み きっ てお り︑ 世の 中も 泰平 であ りま すと して いる

憂 き 雲に し ばし ま がひ し 月 影」 に は

︑ 右大 臣

・弘 殿 一派 専 横の 時 代 を暗 示さ せる 働き もあ ろう

︒そ れは 光源 氏流 離を もた らし た元 凶で あ った

︒ま た一 方で

︑冷 泉帝 歌の 結句

の どけ かる らむ」

も 受け てお り︑ あた かも

︑冷 泉帝 歌に 応 制し て いる かの よう で ある

︒冷 泉帝 歌 は︑ 光 源 氏の 返 歌と 対 応 する だ けで な く︑「

会 合 の 歌」 に も かか わ って い る

︒特 異な 歌の 配置 と言 えよ う︒ 頭中 将に 続い て︑ 同じ くこ の巻 だけ に登 場す る左 大弁 は「 雲の 上の す みか を捨 てて 夜半 の月 いづ れの 谷に 影隠 しけ む」 と詠 んで いた

︒こ こ の「 夜 半 の 月」 は 桐 壺院 を 指し

︑「 影 隠し」

に その 崩 御を よ そえ つ つ︑ 頭中 将の

憂き 雲に しば しま がひ し月 影」 と同 じよ うに

︑右 大臣

・ 弘 殿 一派 専横 の時 代を ひそ めて いよ う︒ 今の 時代 を直 接詠 み込 んで は いな いが

︑桐 壺院 崩御 を言 うこ とで

︑前 二者 と同 じよ うな 対比 を暗

に示 して いる

︒ま た︑ 冷泉 帝と 光源 氏の 共通 の祖 とし て桐 壺院 を回 顧 する こと にな る︒ 桂 の院 での 贈答 歌と

会 合の 歌」 は︑ その 地名 と時 節に 触発 され る かの よ うに

月」「

月 影」 への 志 向が 顕 著 であ る

︒こ の「 月」 と は 何 であ った か︒ これ はす でに 指摘 され てい るよ うに

皇 統」 や「 皇統 の 威光」

を 暗示 して いる

(

)

︒こ の皇 統は 桐壺 院を 祖と する 一統 であ る︒ 光 源氏 がそ の皇 統に 連な るも のと して 定位 され てい る︒ 以上 のよ う な点 を踏 まえ て

︑改 めて 桂 の院 の 宴を 確認 して お きた い︒ あた かも 天皇 の行 幸で ある かの よう に︑ 鵜飼 と鷹 飼が 奉仕 して いる

︒ また

︑ 宴 は「 大 御遊 び」 とさ れ てい た

︒ この 語 は

︑「 少 女」 巻の 六 条 院行 幸 に際 し て 用例 が 認め ら れる だ け であ る

︒「 大御」

は「 神ま た は 天皇 の事 物に 冠 する 尊敬 の接 頭 語ミ の上 に美 称 の接 頭語 オホ を 加え た︑ 最大 級の 尊敬 の意 を表 す」(

岩 波古 語辞 典) と 説か れ︑「

天皇 に関 す る最 高の 敬意 を表 すも の」 と敷 衍す る見 解

(

)

も 出さ れて いる

︒こ れら を 受け れば

︑「 大御 遊び」

は 天皇 のそ れと いう こと にな る︒ さら に︑「

会 合の 歌」 では

︑頭 中将 と左 大弁 が詠 歌し てい た︒ 折し も清 涼殿 で「 御 遊び」

が 行な われ てい たの であ る︒ 本来 なら ば︑ この 二人 は清 涼殿 に いる べき では なか ろう か︒ 天皇 直属 の近 臣が 頭中 将ま たは 頭弁 とな ろ う︒ また

︑左 大弁 は弁 官の 第一 とな り︑ 政務 の中 心と なる 有識 者で あ る︒ それ なの に今 は桂 の院 で光 源氏 に奉 仕し てい る︒ 頭中 将は 皇統 の 威光 の意 とも なる

月 影」 に光 源氏 をよ そえ ても いた

︒ こ の一 方︑ 清涼 殿の

御 遊び」

よ りも

︑桂 の院 での それ のほ うが

︑ 優っ てい ると もさ れて いた

︒冷 泉帝 はま だ光 源氏 が実 父と は知 らな い が︑ あた かも 父院 であ るか のよ うに 待遇 して いる こと にも なる

︒た と えて 言 うな ら ば

︑「 松 風」 巻 は二 所 朝廷 が 現 出し て いる か の よう で あ る︒ これ は︑ 冷泉 王朝 を全 面的 に支 えて 維持 する 光源 氏の 上皇 とし て のあ りよ う︑ ある いは

︑王 者性 とい うこ とに もな ろう

︒須 磨流 離の 苦 難を 乗り 越え て︑ 光源 氏は 冷泉 帝に 優る 巨大 な王 者と なっ てい るこ と を語 って いる ので ある

︒そ れを 語る のが

︑桂 の院 の宴 であ り︑ そこ で

(12)

の「 会 合の 歌」 なの であ った

お わ り に

以上

︑一 八組 ある

源 氏物 語 の「 唱和 歌」 を「 会合 の歌」

と して 把 握し

︑最 初の 五組 を検 討し てみ た︒ これ らは

若 紫」 巻の 北山 で詠 ま れた

会 合の 歌」 が起 点と なり

︑須 磨流 離を 軸に して 互い に連 関し てい たこ と も指 摘 して み た︒ これ らの

会 合」 は︑ 公 的な も ので あ り︑ そ うし た場 で歌 が詠 まれ る場 合は

︑物 語の 大き な流 れに 沿う 内容 が詠 ま れる のか もし れな い︒ 須磨 流離 は物 語第 一部 前半 を形 成す る最 も大 き な主 題で あっ た︒ 五組 の「 会合 の歌」

の 検討 から

︑こ うし たこ とも 思 われ るが

︑残 され た用 例を みる こと でさ らに 考え る必 要が あろ う︒ 従 来の

唱 和歌」

規 定か ら︑ どれ だけ 離反 でき たか は分 から ない が︑ 残 され た「 会合 の歌」

の 検討 を期 した い︒ 注

(

1

)

小 町 谷 照 彦「 唱 和 歌 の 表 現 性」(

源 氏 物 語 の 歌 こ と ば 表 現 東 大 出 版 会

︑ 一 九 八 四 年 八 月)

(

2

)

拙 稿「 紫 の 上 求 婚 譚」(

紫 の 上 造 型 論 新 典 社

︑ 一 九 八 八 年 六 月)

(

3

)

河 添 房 江「 北 山 の 光 源 氏」(

源 氏 物 語 表 現 史 林 書 房

︑ 一 九 九 八 年 三 月)

(

4

)

注( 1

)

に 同 じ

(

5

)

高 田 祐 彦「 光 源 氏 の 復 活

松 風 巻 か ら の 視 点

」(

源 氏 物 語 の 文 学 史 東 大 出 版 会

︑ 二

〇 三 年 九 月)

︒ こ の 論 か ら は 多 大 な 示 唆 を 受 け

︑ 結 論 的 な と こ ろ で 重 な る 点 が あ る こ と を 了 解 さ れ た い

(

6

)

注( 5

)

に 同 じ

(

7

)

竹 田 誠 子「 松 風 巻 行 幸 要 請 に つ い て の 一 考 察」(

物 語 文 学 論 究

︑8 一 九 八 三 年 一 二 月) 源

氏 物 語「 会 合 の 歌」 の 意 義

参照

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