要約
一般的に財務保守主義は低・ゼロレバレッジの状態に現れるととらえられて いるが,先行研究の多くは,レバレッジ比率の閾値によって,財務保守主義企 業と積極企業と2グループに分け,比較する分析手法をとる。しかし,この手 法には問題が残る。企業属性によって有利子負債残高は変わりうるし,財務保 守主義を資金調達を行うか否かの企業の意思決定行動と関連付けてとらえたほ うがより現実に即していると考える。そこで,本論文は過去の資金調達行動が 資金需要に対する感度と将来の資金調達行動にいかに影響を及ぼしているかを 調べる。得られた結論は,過去の資金調達手段のうち長期借入実行のみが,次 期の投資機会に敏感に反応し,さらなる長期借入を引き起こすというものであ る。日本企業は先行研究が想定した財務保守主義行動とは異なり,銀行との取 引関係を深めることで経常的な資金需要に敏感になる素地があると考えられる。
キーワード
①財務保守主義,②ゼロレバレッジ,③長期借入実行,④有利子負債残高
⑤過去の長期借入実績,⑥資金需要に対する感度
長期借入を引き起こす要因
― 財務保守主義からの脱却 1
高 見 茂 雄
1 本研究はJSPS科研費15K03620の助成を受けたものです。ご支援に感謝します。
1.はじめに
財務保守主義という用語は,
Minton and Wruck (2001)
がはじめて使用した と思われるが,企業は財務柔軟性を保持することを目的とし,財務保守主 義にもとづく行動の結果は低レバレッジと超過現預金準備に現れるとする。DeAngelo and DeAngelo (2007)
は,将来の突発的投資需要に対する備えに対し財務柔軟性を保持することは合理的な行動であるとする。ただし,Minton and
Wruck (2001)
は財務保守主義現象としての低レバレッジを総資産の20%以下
と定めたが,果たしてその閾値水準は適当かという議論を残す。これに対し,
Byoun and Xu (2013)
が述べるように,ゼロは明確な閾値なるので,ゼロレバレッジは財務保守主義現象の明確な定義とされてきた。そして,
Bessler et al.
(2012)
が主張するように,ゼロレバレッジは世界的な現象であるとする研究は多い。代表的な研究2のうち,Strebulaev and Yang (2013)は米国企業の
47
年間 の大容量データをもとに,時系列的にゼロレバレッジ企業が増えてきたことを 述べ,エイジェンシーコスト要因よりも財務制約要因がゼロレバレッジ選択を 促進しているとする。日本におけるゼロレバレッジ研究は,上場企業約1,000
社13
年間を対象にした新実(2011)
をはじめとすると思われるが,無借金企業 は財務安定性を重視し,成長投資にはやや消極的であるとの主張をしている。日本では,日本経済新聞
(2018)
が「実質無借金,6割に迫る」と報道し,手元 資金から有利子負債を引いたネットキャッシュがプラスの企業が上場企業の6 割にも達し,成長投資や株主還元などを進めるべきという論調につながってい る。ただし,実質無借金は資金提供者との関係を保持しているという点でゼロ レバレッジと異なる。言い換えれば,自明と思われる閾値ゼロも議論を残して いる。Takami (2016)は3
月決算企業822
社11
年間のデータを用い,日本では2 ゼロレバレッジに関する研究レビューは,高見(2013)とTakami(2016)を参照にしていただ きたい。なお,財務保守主義のもう一つの側面である超過現預金準備については,Bates et
al. (2009)以降多くの研究はあるが,本論文の中心テーマではないためそのレビューは割愛する。
実質無借金企業は見られるものの,むしろゼロレバレッジは例外的な現象で,
銀行との取引関係がゼロレバレッジに至る傾向を抑制していると主張した。つ まり,一般的には
DeAngelo and DeAngelo (2007)
がいうように保守主義を貫く ことが財務柔軟性を達成につながるが,日本では銀行との良好な関係を保つこ とで財務柔軟性を達成していると示唆している。とはいえ,一般的に銀行は企 業がリスクの高い案件に投資することには抑制的なので,企業は積極投資に控 えめになる,あるいは有望な投資機会を逃すことは,ゼロレバレッジ,実質無 借金を問わず同じになる。また,銀行は企業がレバレッジを増加させるとこと も警戒するであろうことから,企業属性に応じたレバレッジ水準で財務保守主 義を保つことは歓迎する。企業側では財務保守主義を貫徹すれば,平常時の投 資抑制が惰性になり,財務保守主義が目的とする突発的な資金需要にも効果的 に対応できないという弊害が生じる恐れがある。これまでの議論では,企業と銀行との取引関係における日本の特殊性が強調 されてきた。ただし,企業が財務保守主義を貫くことの目的は,将来の突発的 な資金需要に対応できる状態を日頃から作っておくことで共通しており,特段 日本の特殊性とみるべきではない。すると,いままで想定していた財務保守主 義現象の定義に問題があるのではないか。ゼロレバレッジ企業とレバレッジ企 業と二分して議論するのは適切ではなく,例えば,緊急時の資金調達に際しゼ ロレバレッジ企業だけが資金提供者にアピールすることはないだろう。このこ
とは
Minton and Wruck (2001)
の定めた20%以下水準の低レバレッジでもなお
さらである。つまり,レバレッジ比率という静態比率を閾値にして,
2
群に分 け比較する方法は適切ではない。この問題には2つの対処の方法があると考えられる。一つは財務保守主義現 象を表すより適切な代理変数を選択し,その変数の値に応じてどれだけ資金調 達行動と投資行動が変化するかを調べること,もう一つは財務保守主義を企業 の一時点の状態ととらえるのではなく,企業行動で考えることである。
他の財務保守主義の代理変数候補として,デット・エクイティレシオが,財 務柔軟性の文献では多く用いられている
(Arslan-Ayaydin et al.(2014), Gamba and Trantis (2008), Graham and Leary (2011))
。企業はターゲットとするデット・エクイティレシオを定め,ターゲットと現状に乖離があれば,負債を増やす(減 らす)か自己資本を減らす(増やす)かして調整するとモデル化する研究が多 い。しかし,デット・エクイティレシオを減らす効果をもつ新株発行も投資機 会をとらえた資金調達行動と見なせば,新株発行を頻繁に行う企業が財務保守 主義を貫徹しているとはいえない。そのため,デット・エクイティレシオも指 標として適当ではない。そこで,本論文ではデット・エクイティレシオはとら ず,従来通りレバレッジ比率(有利子負債残高)を対象にするが,閾値に焦点 をおくより,一つの変数として扱う3。
もう一つは,資金調達をしないことあるいは返済を行うことを財務保守主義 が反映された企業の意思決定行動と考える方法である。負債拡張は将来の返済 義務,新株発行は資本コストの上昇という負担をともなう,その負担にもかか わらず投資機会をとらえ,現預金準備では不足すると判断したとき,企業は財 務保守主義から脱却し,資金調達を行うとモデル化するのは自然である。ここ では,前期のレバレッジ比率は企業属性によってすでに決まっていると考え,
今期の企業行動で財務保守主義を貫徹したか,脱却したかをとらえる。本論文 ではこの見方を採用する。そして,本論文の目的は財務保守主義を企業行動の 面からとらえ,財務保守主義から脱却した企業は,将来の資金需要に敏感にな るか,さらに将来の資金調達行動を引き起こすかを明らかにすることである。
資金調達行動の手段は無差別であることを述べたが,本論文では日本企業でい ちばん身近な銀行借入のうち,資金需要への対応という点で,より経営者の意 思決定を反映していると考えられる長期借入に焦点を当てて検討する。
3 本論文のデータでも,表2でレビューするように,デット・エクイティレシオは現預金準 備と同様,長期借入増加とはほとんど無相関である。
本論文の構成は以下の通りである。第
2
節では本論文で用いるデータと加工 後の諸変数の特徴を説明する。第3
節では財務保守主義の静態指標をテンタ ティブに有利子負債残高と定め,それが長期借入増加といかなる関係にあるか を調べる。第4
節では過去の資金調達行動が将来の資金需要に対する感度と将 来の資金調達行動にいかに影響を及ぼしているかを調べる。そして,第5
節で は結論を述べる。2.データ
本論文で用いるデータは日本の上場企業を対象とし,下記の条件をもとに抽 出し作成した。①銀行,証券,保険など金融業を除く東証中分類
29
業種に所属,②
2004
年1
月期から2017
年12
月期までを対象期間,③対象期間中決算月が 変わらないこと,④事業規模・内容を大きく変えるM&A
などを行っていない こと,⑤決算期末に証券取引所に上場しており株価情報が得られること,⑥マ イナス値の純資産や売上高のデータがないものなどの異常値を示していないこ と。その結果,2,098社,収録年数最大13
年,データ数31,803
件のアンバラ ンストパネルデータが得られた。論文で採用するデータとしては,先行研究水 準の十分なサンプル数といえる。日経NEEDS
とeol
(プロネクサス社)を主 要なデータ源とし,時価総額を作成する際の株価データは,株価CD-ROM(東
洋経済新報社),相場データ集(パンローリング社)とYahoo!
ファイナンスの 株価日足データを補完的に用いた。分析対象データは各企業の決算期における財務データと株主シェアや設立年 月日などの属性データからなる。財務データのほとんどはその期の総資産で基 準化した数値を各変数で用いる。一般的な経済状態を表す変数として,10年 国債の利回りと
TOPIX
株価指数も加えている。主な分析対象変数は,考察対 象変数(variables of interest)
として,ltloan (長期借入増加),capex (資本的支 出の増加),intbeardebt (有利子負債残高),コントロール変数のうち資金調達変数として,
bond
(社債の増加),shareissue
(新株発行),stloan
(短期借入増加),cf
(営業キャッシュフロー),企業属性変数として,age
(社齢),size
(企業規模;
百万円単位の総資産の対数値),q (トービンのq;
(時価総額+
有利子負債残高)/
(純資産簿価
+
有利子負債残高)),bankshare (金融機関持株比率)である。そ れぞれの代表値は表1
で示している。このうちゼロと正値のみをとる変数やゼロ値が多い変数が散見され,全域を 対象とする通常の線形回帰が適切ではない場合も考えられる。特に,ゼロ値が
多い
bond
とshareissue
は目的変数として用いることもあり,回帰モデルの選定には注意を要する。簡単に主要変数をレビューする。ltloanは増加も減少も 含み,中央値でちょうどゼロ,平均値でもゼロ近辺であるが,同一企業年度間 では増加あるいは減少方向の偏りがみられる。ゼロ値の標本数は高々
6,611
個 である。これに対しbond
とshareissue
は75%タイルまでゼロ値が見られるよ
うにさらにゼロ値が多く,それぞれ23,277
個と29,316
個である。このことか ら,日本企業の主要なファイナンス手段としては銀行からの長期借入といえ る。capexは最も代表的な企業の資金需要を表しゼロと正値のみをとるが,ゼ表 1 主要変数代表値
変数名 平均値 標準偏差 標本数 最小値
25%タイル値
中央値75%タイル値
最大値ltloan
-0.0010.037 31,803
-0.664 -0.4980 0.003 0.562
capex 0.038 0.036 31,793 0 0.014 0.029 0.052 0.420
intbeardebt 0.193 0.174 31,803 0 0.037 0.156 0.309 0.867 bond
-0.0010.020 31,803
-0.3110 0 0 0.527
shareissue 0.003 0.023 31,803 0 0 0 0 0.812
stloan
-0.0050.040 31,803
-1.881 -0.0100 0.002 0.594 cf 0.059 0.059 31,801
-0.8200.029 0.057 0.088 1.726
age 56.6 22.5 31,800 0.08 42.9 57.8 68.9 136.0
size 10.870 1.590 31,803 5.875 9.789 10.696 11.762 17.702
q 1.109 1.041 31,739 0.003 0.707 0.924 1.221 79.577
bankshare 0.213 0.130 30,616 0 0.111 0.193 0.303 0.709
ロ値は
34
個にすぎない。intbeardebtはltloan
と関係させて後述する。stloanはltloan
と同じく正負ゼロ値をとるが,ltloan
よりも変動幅は大きい。これは,短期借入金の方がポジション調整をしやすいことを示している。ageは
1
年未満 から136
年(太平洋セメント)まで広く分布するが,1年未満は持株会社設立 を期に上場した会社などの事例による(例:川田テクノロジーズ)。同一企業 で決算期が1
年たてば,社齢は1
年増える。sizeは対数値で表しており,最小 値356
百万円(システムインテグレータ)から48.7
兆円(トヨタ自動車)まで,線形に近い形で分布している。qは債務超過をデータから除いているので,正 値のみをとるが,ゼロ値近くから最大値
79.5
まで広く分布する。bankshare
では,上場会社において持合い解消が進んできたことを示唆しているものの,
75
%タ イルでは30
%,
最大値は70
%の企業もある。銀行との関係がないことを示す ゼロ値は103
個にすぎない。第1節で述べたように,従来から財務保守主義を示す指標として,
deratio
(デット・エクイティレシオ)と
cash
(現預金残高)が用いられてきた。そこ では指標の意味からも両者は適切ではないことを指摘したが,データ面でもい える。それは長期借入増加を財務保守主義からの脱却を表すとみなせば,それら指標と
ltloan
は逆相関の関係にあるはずである。ところが,表2
が示すように,それら指標と
ltloan
との相関係数はゼロに近く,相関係数がゼロの帰無仮 説は棄却される。そこで,本論文ではintbeardebt
(有利子負債残高)を財務保 守主義指標として考察する。表 2 財務保守主義指標と長期借入増減との相関関係
deratio cash intbeardebt intbeardebt intbeardebt
ltloan ltloan ltloan ltloan>0 ltloan<0
相関係数
0.003 0.000 0.062 0.285
-0.302標本数
31,803 31,803 31,803 9,166 16,026
p値 0.36 0.40 0 0 0
しかし,すべての
intbeardebt
標本とltloan
標本との相関係数は有意ではあるものの
0.062
と正の相関であり,単純な逆相関の関係にはない。そこで,ltloan
標本を正負にわけて有利子負債残高標本との相関をみれば,正値を表す長期借入実行では
0.285
の正の相関,負値を表す長期借入返済では-0.302
の逆 相関を示している。第3
節以降の分析にあたっては,このような正負で対称的 な関係も加味して進める。3.有利子負債残高が長期借入増減に及ぼす影響
第
2
節では,単にintbeardebt
とltloan との相関係数を調べたが,ここでは他
の変数をコントロールしたうえで,intbeardebt
がltloan
に及ぼす影響を確認す る。まず,3.1
節ではltloan
が正負ゼロ値全域を対象にしたモデルで,3.2
節で は長期借入実行と返済に分けたモデルで検討する。3.1 長期借入全域モデル
目的変数
ltloan,考察対象変数 intbeardebt
とする回帰モデルを考察する前に注意しなくてはならないことは,
cash
,bond
,shareissue , stloan , ltloan
などキャッ シュフロー計算書にもとづく変数は相互に同時決定の関係にあることである。現実の企業の意思決定では,企業ごと変数相互間に決定の順序があり,その順 序は異なるが,年に
1
度の財務諸表データとして得られるこれら変数を一律に 扱わなければ,分析を進めることはできない。そこで,できるだけ現実に近い モデル化が必要になる。まず,目的変数ltloan
は他の資金調達手段のbond
とshareissue
が決まった後に決定されると仮定する。日本企業にとって取引銀行からの資金調達はいちばん身近な手段であり,他の調達手段が決まった後,そ の帳尻をローン金額で合わせると考えるのは自然である。また,第
2
節で述べ たように,bondとshareissue
ではゼロ値が多く,企業が逆の順序で帳尻を合わ せるとは考えにくい。そこで,bond
とshareissue
はそれぞれ外生的に先決され,それらが決定された上で目的変数
ltloan
が決まるという2
段階最小二乗法の枠 組みでモデル化する。先決変数の
bond
とshareissue
はできるだけ適合度が高い説明変数の組合せ を試行錯誤で決める。このうちbond
は正負ゼロ値を広域にとるので,線形固 定効果モデルで,shareissue
は正ゼロ値のみなので,いったん対数変換した変数
ln_shareissue
を線形固定効果モデルで回帰した4。試行錯誤の結果,bondに用いた説明変数は,dividend (配当),secinv (有価証券投資),capex,jgbyieldt-1
(
1
期前の国債利回り),intbeardebtt-1, cf, stloan, bankshare
t-1, size
t-1, age
t-1, q
t-1で あ る。ln_shareissueに は,dividend,secinv,capex,cf, banksharet-1, size
t-1, age
t- 1, q
t-1に 加 え,besttenshare
t-1(1
期 前 の 上 位10
株 主 シ ェ ア ),corporateshare
t-1(
1
期前の事業法人株主シェア),foreignsharet-1(1
期前の外国人株主シェア),topix
t-1(1期前のTOPIX
株価指数)である5。これら2
つの回帰式を用い,予測値
bond
とshareissue
が得られ,目的変数ltloan
とする回帰式には,同時決定される説明変数bondとshareissue 6にはそれら予測値
bond
とshareissueを用いる。
目的変数
ltloan
は正負ゼロ値全域をとるので,固定効果線形回帰モデルを用いるが,説明変数は,第
2
節で述べたように,考察対象変数,コントロール変 数(資金調達変数),コントロール変数(企業属性変数)に分かれる。このう ち前二者で採択する変数はモデルを想定し決定するが,後者は有意か否かを主 な採択基準とする。考察対象変数では,財務保守主義指標がどのように長期借4 それぞれハウスマン検定で変動効果モデルは棄却されたので,以降も一貫して固定効果モ デルを用いる。ゼロ値の
shareissue
に該当する対数変換値は最小の正値対数値の一段低い オーダーを採用している。5
bond
とln_shareissueの回帰結果は本論文の本筋からそれるので省略するが,R2はそれぞれ,0.0063と0.025と水準としては低い。ただし,限られた変数のなかから有意で符号に違和感
のない変数の組合せを選択した結果である。説明変数のうちt-1の添え字を付したものは,1 期前のストックないし,静態データを表し,1期前の数字に経営者が反応して,それぞれの 目的変数が決まるとモデル化している。添え字のない変数はフローデータで,目的変数と連 動するとみなしている。6
shareissue
については,ln_shareissueの予測値を指数変換し求めている。入金増加に結び付くかを基本的な問題意識に位置付けているので,第
2
節で考 察したように,intbeardebt
t-1は欠かせない。次に,財務保守主義から脱却する 契機となるのは資金需要があることである。そこで,本論文では第2
節で既述 のcapex
(資本的支出)を核としつつも,dividend
(配当),secinv
(有価証券投資),rd (
研究開発費)も選択し,それらの変数がどの程度の感度で長期借入増加を 引き起こすかも検討する。コントロール変数(資金調達変数)のうち,同時決 定にある予測値bond
とshareissue
を取り入れることはすでに述べた。キャッ シュフロー計算書から生成される変数として代表的なものは,cfとstloan
に加 え,casht-1(1期前の現預金残高)があるが,現預金残高は毎日変動する。資 金調達手段のなかで,1
期前の現預金残高を念頭に入れて帳尻を合わせ,調 達額を決定するのは,長期借入ではなく短期借入と考えるが自然である。ま た,casht-1とstloan
との相関係数が0.027
であるのに対し,ltloanは-0.003と ほとんど無相関である。そこで,ltloan
を目的変数とする回帰の説明変数から はcash
t-1を除外する。コントロール変数(企業属性変数)は試行錯誤の結果,bankshare
t-1, size
t-1, age
t-1, q
t-1を採用する。表
3
は資金需要関数による3
種の回帰モデルで,ltloan
を回帰した結果を示 している。まず,「
3
変数モデル」は資金需要関数として,capex,dividend,secinv を用 いたモデルである。財務保守主義を表すintbeardebt
t-1係数は有意で符号は負で あり,有利子負債残高が増加するほど長期借入を減らす方向にあると解釈でき るので自然である。第2
節の表2
の相関係数で考察したときは0.062
と正の相 関であったが,負の符号になったのは他の説明変数でコントロールした結果で ある。ただし,係数の絶対値は小さい点ではさらなる考察が必要である。資金 需要関数3
種はすべて有意であるが,capexとdividend
では正符号であり,資 金需要増加に対し長期借入増加の方向と解されるので自然である。絶対値でみると
capex
の方が感度は大きい。一方,secinv は5
%水準では有意でなく,負符号で絶対値は小さいところから,有価証券投資は本件モデルでは検証できな 表 3 長期借入全域モデル回帰結果
説明変数
3変数モデル capexのみモデル rdのみモデル
係数
p値
係数p値
係数p値
capex
it0.347 0 0.356 0
secinv
it -0.0330.08
dividend
it0.150 0
rd
it -0.1570
intbeardebt
it-1 -0.0410.04
-0.0560 0.067 0
stloan
it -0.2000
-0.2210 0.066 0
cf
it -0.1490
-0.1610 0.032 0
bankshare
it -0.0050.35
-0.0050.28 0.018 0
age
it-1 -0.00010.67
-0.00010.19
-0.00040 size
it-1 -0.0030.16
-0.0020.05 0.008 0 q
it-1 -0.0050
-0.0040
-0.0100
shareissue
it -0.0130
-0.0130
-0.0160
bond
it1.752 0.01 1.370 0 5.873 0
constant 0.041 0.03 0.040 0
-0.0690.01
n 28,688 28,692 19,638
R
20.0864 0.0901 0.0337
いとみるべきである。次の「capexのみモデル」では
intbeardebt
t-1係数もcapex
係数もほとんど3変数モデルと変わらず,他のコントロール変数の係数も同様 である。反面,資金需要関数をrd
に替えた「rdのみモデル」では,説明変数 はすべて有意になるが,intbeardebtt-1とrd
の符号が想定した関係とは正反対で ある。その原因の一つは標本数が他のモデルに比べ少ないことにあると思われ る。これらから,本論文では以降「capexのみモデル」の枠組みで検討する。3.2 長期借入実行と返済のモデル
長期借入全域モデルでは,intbeardebtt-1係数が負符号であることは確認でき たが,係数絶対値が小さく,
intbeardebt
t-1値が特定の閾値を超えれば,資金調 達から返済に転じるという先行研究が想定した関係は全くうかがわれない。し かし,表2
の相関係数の考察からは,調達の標本だけをとれば正相関,返済の 標本だけでは負の相関という対称的な関係が潜んでいる。実際の経営者の行動 を想定しても,短期借入は機械的に帳尻を合わせる傾向にあるのに対し,長期 借入の実行と返済は,投資計画や財務計画の中長期のコミットメントが背景に あり,長期借入を実行するしない,あるいは返済するしないという経営者の意 思決定の結果を反映していると考えられる。そこで,変数
ltloan
を次の(1), (2)
式により加工し,
2つの変数を生成する。ltloaninc = max( ltloan, 0)
・・・(1) ltloandec = max(
-ltloan, 0)
・・・(2)(1)
式は長期借入を実行するか否かを表しており,ltloan
値がゼロの場合と 負値の場合とを一律にゼロに変換する。(2)
式は対称的に長期借入を返済する か否かを表している。ただし,返済額がある場合は正値で表す。(1)は経営者 が長期借入を実行するか否か,(2)
は返済するか否かの意思決定を表してい る。ここで,(1), (2)
式による変換で標本よりも多くのゼロ値が生成されたの で,モデル化にあたっては通常の線形回帰モデルを適用するのは適切ではない。対処方法として一つにはトービットモデルを適用することが考えられるが,
「
capex
のみモデル」での説明変数の組合せでは収束せず推定値が求まらなかった7。そこで,目的変数
ltloaninc
とltloandec
を対数変換し,正負ゼロ値全域に 広げ,同じく固定効果線形回帰モデルを適用することにした8。表4
は目的変 数ln_ltloaninc
とln_ltloandec
の回帰結果を示している。表 4 長期借入実行と返済の回帰結果 説明変数
ln_ltloanincモデル ln_ltloandecモデル
係数
p値
係数p値
capex
it35.272 0
-29.8600
intbeardebt
it-1 -1.0960.28 8.659 0
stloan
it -18.0630 19.308 0
cf
it -14.6600 14.761 0 bankshare
it -0.6310.28
-0.0510.94
age
it-10.003 0.62
-0.0190.01
size
it-10.006 0.97 0.195 0.19
q
it-1 -0.3030 0.377 0
shareissue
it -1.1950 1.395 0
bond
it49.520 0.14
-76.0380.01
constant
-10.5600
-12.1910
n 28,692 28,692
R
20.0688 0.1037
7 また,トービットパネルモデルは変動効果モデルを想定しており,本論文で多く用いた固 定効果モデルに対応できないことも見送った理由である。
8 ゼロ値を対数変換すれば無限小になり扱い不能になる。そこで,それぞれの最小値を対数 変換したオーダーより1段階下の値,-13と-14に置き換えている。また,いくつかほかの値 でも置き換えたが,以降の回帰結果は大きく変わらないことを確認している。表5の感度の オーダーは表3の係数より小さくなっているが,対数変換するときの最小値とゼロとのキン ク度合いによるためと思われる。実測値そのものより比較するための尺度ととらえたい。
それぞれの目的変数は対数変換後の変数を用いているため,説明変数係数絶 対値は表
3
と水準は異なる。そこで,符号とln_ltloaninc
とln_ltloandec
間の係 数比較に限定して議論する。財務保守主義の指標intbeardebt
t-1の係数は有意で,符号は
ln_ltloaninc
の回帰が正とln_ltloandec
が負と表3
の結果を保っている。ただし,絶対値は後者の方が大きい。有利子負債残高の増加は実行を抑制させ る度合いよりも返済を促進させる方により感度が大きいことを示唆している。
対照的に,資金需要を表す
capex
では,前者を促進させる方が後者を抑制させ るより大きい。表5
はintbeardebt
t-1の代表的なポイントで両者の感度を表して いる。ここでも,長期借入実行と返済での対称的な状況がみてとれる。抑制方向の 実行の方では,むしろ有利子負債残高の低い方が絶対値が大きく,常識から離 れている。ただし,比例的とみなす積極的理由は考えられないので,抑制の効 果はどのポイントでも小さいと解釈できる。これに対し,返済では実行より感 度の絶対値は大きく,有利子負債残高が高い方が大きくなり,経営者がよりリ スクを感じ財務健全化のために返済を促進させると自然に解釈できる。すなわ ち,有利子負債残高は財務保守主義を示す指標として有効なのは返済側のみと いうことになる。一方,実行側に振り返ると,確かに表
4
では資金需要を表すcapex
は返済側より絶対値は大きい,しかし,財務保守主義を積極的に脱却す表 5 有利子負債残高特定水準での感度
intbeardebt
it-10.01
-0.0000380.000149 0.05
-0.0000370.000210 0.1
-0.0000350.000324 0.2
-0.0000310.000771 0.3
-0.0000280.001833 0.5
-0.0000220.010358
∂
ltloaninc
∂
intbeardebt
∂ltloandec
∂
intbeardebt
る要因はこの枠組み以外にないだろうか。財務保守主義は企業の
1
時点におけ る状態を表すだけでなく,時系列的にどのような行動を過去とったかという側 面もあるのではないか。過去,資金調達を行ったということは,その時点で財 務保守主義から脱却したことを意味する。それは次期の企業行動にも影響する のではないか。そこで,本論文では第4
節で過去の資金調達実績そのものを導 入し検討する。4.過去の資金調達実績が長期借入実行に及ぼす影響
第
4
節では第3.2
節のコントロール変数の枠組みを残しつつ,目的変数はln_ltloaninc
(長期借入実行の対数)のみを扱い,考察対象説明変数として,過去の資金調達実績を導入する。
4.1 資金調達実績と資金需要との交互作用
ここでは,過去の資金調達実績をダミー変数として用い,capexit
×資金調達
実績it-1のクロス項を設定して,交互作用の効果を調べる。1期前の資金調達 実績としては,長期借入実行,社債発行,新株発行,長期借入返済の4
種を取 り上げる。1
期前の資金調達の実績によって資金需要に対する感度はどのよう に変わってくるかを明らかにすることを意図している。表6
はそれら4
種の回 帰結果を示している。クロス項
capex
it× decision
it-1のdecision
it-1は1
期前の資金調達実績を表す。今期の長期借入実行に対して,前期の
4
種の長期借入実行,社債発行,新株発 行,長期借入返済は経営者の意思決定にもとづくと想定しているからである。その欄の
0
は4
種の資金調達意思決定を見送った場合,1
は行った場合を示す。intbeardebt
以下の説明変数はこれまで表3
から用いてきた組合せであり,表4
と
4
種相互間で有意性と係数絶対値はほとんど変わらいので,クロス項を注視 することで4
種の違いを考察できる。そこで,クロス項係数に注目し,
4
種の資金調達実績を比較すると,意思決 定実行の1
の場合が0
より大きいのは,長期借入実行のみである。まず,4つ 目の長期借入返済の場合,返済した方が次期の資金需要をとらえる感度が低く なる。これは,1
期前に財務保守主義を続けたことで,ビジネスチャンスをと らえにくくなることを示唆している。一方,社債発行と新株発行では,本来は表 6 資金調達実績と資金需要との交互作用回帰結果
説明変数 長期借入実行 社債発行 新株発行 長期借入返済 係数
p値
係数p値
係数p値
係数p値 capex
it×decision
it-10 32.372 0 35.597 0 36.055 0 35.888 0
1 39.910 0 32.187 0 29.859 0 34.464 0
intbeardebt
it-1 -1.3900.17
-1.0520.30
-1.0970.28
-1.1370.26
stloan
it -18.1130
-18.0500
-18.0060
-18.0600
cf
it -14.5290
-14.6780
-14.6500
-14.6300 bankshare
it -0.6240.29
-0.6310.28
-0.6020.30
-0.6240.29
age
it-10.001 0.85 0.003 0.64 0.002 0.73 0.003 0.68
size
it-1 -0.0230.86 0.005 0.97
-0.0050.97 0.001 1.00 q
it-1 -0.2970
-0.3030
-0.2850
-0.3010
shareissue
it -1.1760
-1.1850
-1.1930
-1.1900
bond
it52.272 0.12 49.310 0.14 49.218 0.14 50.090 0.14
constant
-10.0790
-10.5520
-10.4280
-10.4710
n 28,692 28,692 28,692 28,692
R
20.0704 0.0684 0.0682 0.0674
資金調達を選択したことで,保守主義から脱却したともいえるが,回帰結果で は選択しない場合に比べ感度は低くなっている。この点,解釈の難しいところ があるが,社債や新株発行は銀行借入に比べ,より一層の開示が求められ,将 来の成果に対するコミットメント要求も強いものと思われるので,次期の資 金需要に対してより慎重に臨むのではないかと考えられる。ここはペッキング オーダー仮説と通じるところがある。
4.2 過去の資金調達行動が長期借入実行に及ぼす影響
第
4.1
節では経営者の意思決定を想定したため,資金調達実績をダミー変数 で表していた。ここでは,逆に今期の長期借入実行確率は,1
期前の資金調達 額の大小 (またはゼロ値)と他の説明変数からどのような影響を受けているか
を調べる。そこで,ここでは表6
の説明変数の枠組みをもとにしつつ,クロス 項を資金調達額に変え,目的変数を今期の長期借入実行の確率とした固定効果 ロジットモデルを用いて分析する。表7
は表6
と同様に4
種の資金調達行動別 に回帰結果を示している。表 7 過去の資金調達行動を考察対象とした回帰結果
過去の資金調達行動 長期借入実行 社債発行 新株発行 長期借入返済 説明変数 係数
p値
係数p値
係数p値
係数p値
資金調達行動it-10.129 0
-0.1690.002
-0.2020
-0.0840.01
capex
it21.327 0 21.607 0 21.612 0 21.414 0
intbeardebt
it-10.302 0.74 0.491 0.59 0.441 0.63 0.360 0.69
stloan
it -10.0300
-10.0450
-10.0160
-10.0690
cf
it -10.1000
-10.1860
-10.1430
-10.1380
bankshare
it0.095 0.82 0.101 0.81 0.112 0.79 0.100 0.81
age
it-10.004 0.47 0.004 0.39 0.004 0.42 0.004 0.40
size
it-10.097 0.34 0.113 0.27 0.109 0.28 0.102 0.32
q
it-1 -0.3360
-0.3360
-0.3260
-0.3340 shareissue
it -5.1770.17
-5.3910.15
-5.2350.17
-5.2910.16
bond
it70.975 0.02 69.246 0.03 69.777 0.02 69.732 0.02
n 24,432 24,432 24,432 24,432
LL
-10237.3 -10239.9 -10240.8 -10241.52表
6
と同様に,capex以下の説明変数はこれまで表3
から用いてきた組合せを 用いている。表7
の回帰モデルはロジット回帰であるから,表6
と単純な係数 絶対値の比較はできない。しかし,4
種相互間で有意性と係数絶対値はほとんど 変わらないことは確認できる。そこで,1期前の変数「資金調達行動it-1」に注 目して,表7
内で4
種相互間を比較する。ここでも,4
種の資金調達行動すべ ては有意であり,表6
と同様に正符号は長期借入実行だけで,あとは負符号で ある。1
期前の長期借入実行増加額は次期の長期借入実行確率のオッズ比を0.129
上げるが,1
期前の社債発行と新株発行の増加額は下げる効果があることを示し ている。過去の長期借入実績は取引銀行との間の情報の非対称性を減らし,次 期の長期借入確率を高めるが,同じ資金調達でも,資金提供者のことなる社債 発行や新株発行では,限られた公開情報の開示に限定される。そのため,実績 額が増えることは,長期借入の資金提供者の銀行にとって,次期の資金提供に は慎重になると示唆される。次に,1
期前の長期借入返済実績の符号が表6
と 同様マイナスであることは自然であるが,絶対値は0.084
と長期借入実行の0.129
より小さい。返済が進むことは銀行にとって融資余地が広がることにつながる。反対に,企業にとっては返済することで次期は財務保守主義に徹する行動を誘 発する。この2つの相乗効果から絶対値は小さくなっているものと考えられる。
日本企業にとって銀行からの長期借入はいちばん身近な資金調達手段であ る。資金需要を感知したとき日本企業がとる対応は,現預金残高を取り崩すと いうより,銀行からの長期借入実行が大勢的ではないかと考えられる。借入実 行にあたって,企業は案件や自社の財務内容を公開情報の範囲を超えて銀行に 情報開示する。こうして,表
6
と7が示唆しているように,長期借入実績がで きることで,財務保守主義から脱却し,資金需要に敏感になり,次期の長期借 入確率も高まる。このようなストーリーを想定すると,先行研究が一般論とし て主張するような,将来の突発的な資金需要に備え,財務柔軟性を高めるため に,低・ゼロレバレッジと超過現預金準備を志向するというより,日本企業では情報の非対称性を下げることで,銀行との取引関係を深め,経常的な資金需 要に敏感になるといえるのではないか。そのため,実質無借金という両建てポ ジションの企業が大勢を占める現象が生じていると考えられる。
5.結論
本論文の目的は財務保守主義を資金調達行動の有無ととらえ,財務保守主義 から脱却した行動により,企業は将来の資金需要に敏感になるか,さらに将来 の資金調達行動を引き起こすかを明らかにすることである。第
2
節ではデータ と加工後の諸変数の特徴を説明し,長期借入実行と返済とでは有利子負債残高 との相関関係が異なることを確認した。第3
節では1
期前の有利子負債残高を 財務保守主義指標と定め,次期の借入を実行側と返済側の2つに分け,それぞ れの感度を調べた。返済側では有利子負債残高水準が高いほど返済額が大きく なる常識的な結果であったが,実行額は有利子負債残高水準にあまり依存しな いことが分かった。第4
節では過去の資金調達行動のうち,長期借入実行のみ が次期の長期借入確率を高めることを確認した。全体を通じた結論は,先行研究が主張するような財務保守主義傾向とは異な り,長期借入実績は財務保守主義脱却の契機になり,銀行との取引関係が深ま ることで,より敏感に資金需要を深めることを示唆しているというものである。
本論文ではいくつかの課題を残している。集めたデータや加工した変数は十分 な吟味を重ねたが,検討していない変数は潜在的に多く残されていること,他 にも分析方法がありうること,回帰分析結果は結論を示唆するものではあるも のの,直接結論を導くものではないこと,などである。これらの未解決の課題 は今後の検討課題と認識するが,本論文の意義は,先行研究が財務保守主義志 向の企業とそうでない企業と二分して考察するのに対し,財務保守主義を企業 行動としてとらえる異なる角度の見方を提供し,長期借入実績が資金需要や次 期の長期借入に及ぼす影響を考察したことである。
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・高見茂雄