生命保険経営の企業価値創造
岩 瀬 泰 弘
■アブストラクト
生命保険会社の企業価値を自由化以降の実績値を基に巨視的に捉えた。損 害保険の経営分析に用いたEVAで見た場合,生命保険会社は株主資本の増 強とともにEVAが向上しており健全な経営状態にある。今後の課題として は商品別リスクキャピタルの算定と統合的リスク管理が挙げられる。
現在,保険会社の資本要件についてはRBC規制と最低ソルベンシー基準 の2つが採択されている。しかしながら米国金融危機を契機とし 保険会社 の企業価値は投下資本の収益率のみならず保険負債を含むリスクキャピタル の精査が必要である との認識で収斂することも考えられる。
生命保険は超長期の契約を主体としており,1年契約を主体とする損害保 険と必ずしも同一に論じることはできないが,利益と資本コストを結び付け たEVAによる分析は生命保険会社の経営戦略を探る上で有益な手法の1つ であると思われる。
■キーワード
企業価値,EVA,リスクキャピタル
Ⅰ.はじめに
グローバル化の進展により生命保険業界は株式会社あるいは持株会社に移
*平成21年3月27日の日本保険学会関東部会報告による。
/平成21年4月22日原稿受領。
行した会社が増えている。本稿の主旨は生命保険会社を企業価値 の観点か ら捉えることにより今後の経営戦略を探ることにある。相互会社の株式会社 化の是非や相互主義理念の議論を喚起するものではない。
企業価値の研究は生命保険業界を展望する上で重要であるが,それは緒に 就いたばかりである。理由は2点が挙げられる。
第1は生命保険の特殊性である。一般に企業価値を算定するには期待将来 キャッシュフローと資本コストの計算を必要とする。しかしながら生命保険 はキャッシュフローが超長期に渡るため将来予測が難しく ,また価値循環 の転倒性 により収入と費用を一致させることが困難である。さらに金融業 界に身を置く事業ではあるものの,銀行,証券とは資本要件が異なり ,負 債の殆どを占める責任準備金等の捉え方が資本コストの算定に大きく影響す る。そのため,いくつかの前提条件を付した上でなければ企業価値を正しく 評価することができない。
第2は研究データの不足である。企業価値評価指標は株価との相関が強い が日米の研究データ量には大きな隔たりがある。米国では1920年代からの金 融・資本データが存在するが日本では1970年代以降しかデータが存在しない。
こうした現状を考えれば,生命保険会社の企業価値は,損害保険会社の経 営分析に有効であるEVA を応用し,過去の実績値を基に巨視的に捉える ことが現実的な方法であると考えられる。生命保険の事業形態は損害保険と は異なるものの,両者の差異を見ることにより生命保険会社の企業価値の特 徴を知ることができる。
1) 本稿における企業価値とは投資家の観点に立ったものをいう。
2) 生命保険会社ではEV (Embedded Value:潜在的価値)と呼ばれる収益性 指標があるが,将来予測には様々な前提条件が置かれており,実際の結果が予 測結果から乖離することは避けられない。東京海上日動あんしん生命[2008]
p.6。
3) 水島[2006]p.18。
4) 銀行,証券,保険の資本要件の相違については拙稿[2009]p.9を参照され たい。
5) Economic Value Addedの略で 経済的付加価値 と邦訳されている。
Ⅱ.EVAによる生命保険会社の分析
1.前提条件
EVAを生命保険会社の実態に合わせ適宜修正する。ただし詳細な内部情 報が不足しているため,制約が多く細かい部分には踏み込んでいない。あく まで戦略の方向を見るための大まかな数値によるものであることを予めお断 りしておく。
⑴ 税引後営業利益(NOPAT:Net Operation Profit After Tax)
生命保険の事業活動から生じた本質的な価値を認識するため,財務会計ベ ースの収益・費用を適切に修正する。収益・費用の修正方法については様々 な意見があると思われるが,生命保険会社の真の姿に最も近くなる方法によ り分析を行う。
①事業収益は保険料等収入,資産運用等収益およびその他経常収益の合計と する。ただし有価証券売却益は営業利益から控除する。理由は2つある。
第1は,有価証券売却益は厳密に言うと継続して見込める運用収益であれ ば問題はないが,古くから所有している株式の売却益が殆どの場合,金融 商品の評価が時価になっている現状では確実に期待できるものではなく収 益水準が大きくぶれる。第2は,生命保険会社は超長期に渡るリスク管理 を必要とするため,毎期の税引後営業利益を有価証券売却益でコントロー ルしている実態がある。したがって,有価証券売却益を営業利益に含むと 生命保険会社のリスク管理実態(含み益がリスクバッファーになってい る)と乖離する。
②事業費用は保険金等支払金,資産運用費用,事業費およびその他経常費用 の合計とする。有価証券売却損は上記①と同じ理由で控除する。
③責任準備金等の繰入・戻入については,事業損益から控除した場合と控除 しない場合の2通りの分析を行う。責任準備金等の繰入・戻入を事業損益 から控除した場合は,直近で言えば銀行窓販による個人年金の拡販は収入 保険料を増大させるとともに責任準備金を押し上げる。そのため契約コス
トを無視することになる。他方,責任準備金等の繰入・戻入を事業損益か ら控除しない場合は,リスクキャピタルと企業価値との関係が希薄になる。
④税効果会計適用後の法人税率等の負担率は36%とする。
⑵ 有利子負債コスト
有利子負債コストは実際の負債額に対するコスト率を用いて計算する。
①退職給付引当金は社員への有利子負債とし3%をコストとする。
②退職給付に関する年金数理計算上の差違(未認識債務)は考慮しない。
③支払利息は債権者に対する有利子負債コストとする。
④責任準備金残高の3%を株主資本に算入する 。
⑤責任準備金残高から危険準備金を除いた額の40%を保険契約に係わる有利 子負債とし,その2%を有利子負債コストとする 。
⑥年金特約取扱受入金は契約者に対する有利子負債とし,その2%を有利子 負債コストとする。
⑦税効果会計適用後の法人税率等の負担率は36%とする。
⑶ 株主資本コスト
①株主資本の計算についてはEV の考え方を取り入れ,株主に帰属すると
6) 損害保険の分析においては,バーゼルⅡの考え方を取り入れ,普通責任準備 金は 期待損失(Expected Loss:平均的な損失をカバーするコスト) とし,
異常危険準備金は 非期待損失(Unexpected Loss:平均的な損失からの乖 離であるリスクをカバーする資本) とした。一方,生命保険の責任準備金は 一定の安全率(死亡率,事業費率)および予定利率を基に保険料収入と保険金 支払の現価を毎年単純に計算したものである。つまり,生命保険会社では予定 利率の設定を保守的に行えば,死亡率の安全割増等がバーゼルⅡでいう非期待 損失に該当する。したがって責任準備金の3%を非期待損失とみなし株主資本 に算入する。
7) 生命保険の責任準備金は言うなれば超長期の債券である。負債は債券・貸付 でALMマッチングがなされているものと仮定し,また損害保険の積立保険料 等運用益の考え方を取り入れ,2%(予定利子相当額)を有利子負債コスト率 とする。
8) Embedded Valueの略で 潜在価値 と邦訳されている。EVのコンセプ トは既契約の将来キャッシュフローの現在価値(保有契約価値)に簿価ベース
考えられる純資産価値であると仮定し,基金,責任準備金残高の3%,価 格変動準備金,および危険準備金の合計とする 。
②株主資本コストは一般に普及しているCAPM ではなく,生命保険会社 の経営者が株主に対して主体的に設定する 目標ROE(%) を用いて計 算する。
{株主資本コスト=株主資本×目標ROE(%)}
③目標ROEは5%とする。
2.EVAの計算
⑴ 税引後営業利益の計算
【収益】
保険料等収入 1 資産運用等収益 2 その他経常収益 3 合計A 1〜3
【費用】
保険金等支払金 4 責任準備金等繰入額 5 資産運用費用 6 事業費 7
その他経常費用 8 合計B 4〜8
【税引前営業利益 C】
の株主資本(純資産価値)を加えたものである。McKinsey[2005]p.708.
9) EVでは,負債に計上されているもののうち純資産とみることが妥当な価格 変動準備金と危険準備金は資本の部(純資産)に加算される。江澤[2005]
pp.334‑337。
10) Capital Asset Pricing Modelの略で資本資産評価モデルと邦訳されている。
株主の期待収益率を過去の株価の統計値から算出する。
C=A−B
【税引後営業利益 D】
D=C×(1−36%)
⑵ 資本コストの計算
【有利子負債コスト】
支払利息 9
退職給付引当金×3% 10
保険契約に係わる有利子負債コスト 11 保険金特約取扱受入金×2% 12
税引前有利子負債コストの合計 E 9〜12
税引後有利子負債コストの合計 F=E×(1−36%)
【株主資本コスト】
G=株主資本×目標ROE(%)
【総資本コスト】
H=F+G
⑶ EVAの計算
EVA=税引後営業利益−(税引後有利子負債コスト+株主資本コスト)
=D−(F+G)
=税引後営業利益−資本コスト
=D−H
3.データ分析
⑴ 株主資本とEVA
EVAは株価の先行指標であり絶対値そのものよりも変化の方向が重視さ
れる。そのためマイナスで表示される場合もあるが,その度合いによって企 業価値を評価する指標である。絶対値がプラスかマイナスかで判断するには MVA も同時に見る必要がある。しかしながら,現状生命保険会社は相互 11) Market Value Addedの頭文字をとったもので 市場付加価値 と邦訳さ
会社や非上場の株式会社が多く業界全体の株価が不明である。したがって EVAのみで判断せざるを得ない。
図2−1は生命保険業界全体(内国社合計)の株主資本とEVAの推移を 表したものである。責任準備金等の繰入・戻入は事業損益から控除した。ま た検証期間は自由化以降の傾向値を見るため1996年度〜2006年度とした。
2007年度を除外したのは,かんぽ生命の営業開始に伴う大幅な資本増加があ り例年の動きに比べ特殊値を示しているからである。
株主資本とEVAは正の相関が強く(ピアソン相関係数:0.80),株主資 本の増加とともにEVAが向上しており健全な経営状態にある。これは自由 化以降,格付公表の影響等による解約が続いたため意識的に価格変動準備金 や危険準備金の増強を行ったからである。つまり健全性の観点からソルベン シーマージン比率を高くする必要があり,株式市場の回復とともに基金への 取り入れや危険準備金の積み増しが行われた(オフバランス資本のオンバラ ンス化)。通常業績が大きく後退している時はこうした行動は取り難いが,
株式市場が大きく下落した2002年度を除けば業績は緩やかに回復し,各年度 の業績変動とは別枠で内部留保の積み増しが行われている。これは生命保険
れている。
図2−1 株主資本と EVA
〔責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除した場合〕
(単位:10億円) (出所)インシュアランス生命保険統計号を基に筆者が作成
会社のキャッシュフローが潤沢であることによる。2001年度に株価先行指標 であるEVAが急激に低下しているのは,2002年度の株式市場下落の兆候に 加え,販売不振に伴う収入保険料の減少と保険金および解約その他返戻金の 増加により,収入・収益100に対し支出114という収支逆転の出超になってい るからである。
一方,図2−2は責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除しない場 合である(検証期間:1996年度〜2006年度)。株主資本とEVAは負の相関 にある(ピアソン相関係数:−0.79)。
一般論で言えば,保険会社は成長すると株主資本を増やす必要がある。な ぜならば成長とともにD/Eレシオ(有利子負債╱株主資本)の上昇ならび に株主資本比率(株主資本╱総資本)の低下を招くため当局や顧客がソルベ ンシーに不安を抱くからである。生命保険会社は保険契約者から保険料を預 かり,それを他者に貸し付ける,あるいは投資を行う事業であり当然レバレ ッジが高くなる。そのため経営者は長期的展望に立ち,レバレッジが高くな り過ぎないよう資金の一定部分を株主資本で調達する必要がある。
しかしながら,現状生命保険会社は大きな資産運用リスクを有しており,
図2−2 株主資本と EVA
〔責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除しない場合〕
(単位:10億円) (出所)インシュアランス生命保険統計号を基に筆者が作成
そのリスク調整の方が株主資本の調達よりも経営に与えるインパクトが大き い。そのため株主資本は負債よりも資産運用リスクの大小と連動していると 思われる。また2003年度以降,EVAの急激な低下が見られる。これは責任 準備金の戻入額減少と繰入額増加によるものである。これらはリスクキャピ タルと深く係わるため Ⅲ.今後の課題 で詳しく述べる。
⑵ EVAとB/S・P/Lの各項目
表2−1はEVAおよびB/S・P/Lの各項目の推移を,また表2−2は EVAとB/S・P/Lの各項目との相関を表したものである。相関係数につい ては責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除した場合と控除しない場 合の2通りを表示した(検証期間はいずれも1996年度〜2006年度)。
a.責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除した場合
正の相関について言えば,EVAと最も強い関係が見られるのは株主資本 である。次に関係が強いのは責任準備金残高と資産運用等収益である。一方,
負の相関について言えば,EVAと最も強い関係が見られるのは保険金等支 払金である。次に関係が強いのは事業費と資産運用費用である。ちなみに保 険料等収入と総資産についてはEVAとの相関は見られない。
b.責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除しない場合
正の相関について言えば,EVAと最も強い関係が見られるのは保険金等 支払金と事業費である。次に関係が強いのは保険料等収入と資産運用費用で ある。一方,負の相関について言えば,EVAと最も強い関係が見られるの は株主資本である。ちなみに資産運用等収益,責任準備金残高,および総資 産についてはEVAとの相関は見られない。
表2−1 EVAならびに B/S・P/L の各項目の推移
事業年度 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 EVA ※1> ‑1,676 ‑2,289 ‑2,035 ‑2,209 ‑1,153 ‑5,119 ‑2,252 ‑1,325 325 3,139 3,087 EVA ※2> ‑881 ‑959 ‑1,360 ‑1,002 ‑1,155 ‑1,170 ‑920 ‑1,475 ‑1,847 ‑1,943 ‑1,575 保険料等収入 28,612 29,562 27,781 26,305 25,178 24,997 24,392 24,077 24,352 25,920 25,922 資産運用等収益 6,349 6,502 5,882 5,722 4,187 4,184 4,124 5,122 4,363 6,743 5,261 保険金等支払金 28,901 30,946 27,900 27,128 22,706 27,887 22,976 23,166 20,381 19,621 17,927 資産運用費用 1,263 1,318 1,475 885 1,225 1,794 1,837 925 780 808 785 事業費 4,014 3,811 3,608 3,462 3,370 3,451 3,252 3,163 3,113 3,193 3,226 責任準備金残高 170,575 168,465 164,691 162,820 154,926 156,691 154,592 154,728 158,113 166,239 173,476 株主資本 9,962 9,877 11,184 11,896 11,561 11,876 11,315 12,330 13,509 15,103 16,726 総資産 185,832 186,997 185,701 184,472 184,220 179,050 173,912 177,204 182,626 199,385 208,192
(単位:10億円) (注)資産運用収益・費用は有価証券売却益・売却損等は除く
※1> 責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除した場合
※2> 責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除しない場合
(出所)インシュアランス生命保険統計号を基に筆者が作成
表2−2 EVAと B/S・P/L の各項目との相関 項目
ピアソン相関係数
(出所)インシュアランス生命保険統計号を基に筆者が作成 責任準備金等の繰入・戻入を事 業損益から控除しない場合
0.40
−0.05 0.73 0.26 0.68
−0.04
−0.79
−0.02 責任準備金等の繰入・戻入を事
業損益から控除した場合
−0.15 0.27
−0.81
−0.24
−0.47 0.41 0.80 0.04 保険料等収入
資産運用等収益 保険金等支払金 資産運用費用 事業費 責任準備金残高 株主資本 総資産
4.考察
⑴ 制約条件
生命保険会社は相互会社や非上場の株式会社が多く業界全体の株価が不明 である。そのためMVAによる分析ができない。株価先行指標EVAだけで 見る限り,責任準備金等の繰入・戻入は事業損益から控除した方が企業価値 の実態を捉えやすい。例えば,図2−3と図2−4は配当金 を内部留保し た場合と利益処分した場合のEVAの変化を表したものである(内国社合 計)。図2−3は責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除した場合で,
図2−4は責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除しない場合である。
一般に配当金を利益処分すれば株主資本コストが下がるためEVAは向上 する。図2−3はそれを示している。また2001年度以降,内部留保した場合 と利益処分した場合の乖離が小さくなっている。これは生命保険業界全体に 占める株式会社の割合が増えているからである 。
図2−3 配当金処分による EVAの変化
〔責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除した場合〕
(単位:10億円) (出所)インシュアランス生命保険統計号を基に筆者が作成
12) 相互会社は社員配当準備金,株式会社は契約者配当準備金繰入額とする。
13) 株式会社が業界全体に占める割合は,1996年度は40.8%であったが2006年度 は79.3%に増えている(生命保険インシュアランス統計号を基に筆者が計算)。
一方,責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除しない場合(図2−
4)は殆ど整合性が見られない。
これらにより,本稿では責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除し,
その上で保険料等収入および総資産がそれぞれEVAとの相関が見られない 要因を究明する。
⑵ 保険引受による価値創造
保険金等支払金がEVAと強い負の相関にあることは容易に理解できる。
問題は保険料等収入である。保険料等収入は保険事業の成長性を見る上で重 要な項目であるがEVAのバリュードライバー としての役割を果たしてい ない。これはEVAの計算において責任準備金等の繰入・戻入を事業損益か ら控除したことと深く係わっている。
責任準備金等の繰入・戻入をコストとみなせば,保険料等収入が増加すれ ば責任準備金の繰入が優先され契約コストは増加する。今回の検証では,責 任準備金等の繰入を事業損益から控除しているため,保険料等収入の増加は
図2−4 配当金処分による EVAの変化
〔責任準備金等の繰入・戻入を事業損益から控除しない場合〕
(単位:10億円) (出所)インシュアランス生命保険統計号を基に筆者が作成
14) 価値の源泉や利益の源を意味する説明変数。事業の本質を見極め効果のある 取組を行う時に用いられる業績の先行指標をいう。
税引後営業利益の向上に繫がり,保険料等収入とEVAは強い正の相関を示 すはずである。しかしながらEVAは税引後営業利益から資本コスト(株主 資本コスト+有利子負債コスト)を差し引いたものであり,資本コストの大 きさがEVAの計算に大きな影響を与える。
結論的に言えば,保険料等収入がEVAのバリュードライバーとしての役 割を果たしていないのは,税引後営業利益よりも資本コストの方が大きいか らである。そのため資本コストの動きが保険料等収入とEVAとの相関を抑 えている。
資本コストの内訳を見た場合,株主資本コストに関して言えば目標設定値 が高い(ROE=5%)ことが考えられる。一方,有利子負債コストの大半 を占める責任準備金に関して言えば,現状生保のP/Lに影響を与える収支 の中で,保険収支の基本は ①保険料等収入−②責任準備金等繰入−③保険 金・給付金・その他支払+④責任準備金等戻入 であるが,新契約が好調な 場合は ①保険料等収入<②責任準備金等繰入 になる場合や, ③保険 金・給付金・その他支払<④責任準備金等戻入 になることがある。大手生 保は保有契約が大きいため,そこまでには至らないがこうした傾向はよく見 られる。逆に営業成績が悪い場合はキャッシュフローが楽になることが多い。
つまり新契約が低迷し解約が増えるという状態は長期的には重大な問題であ るが短期的な収支はプラスに働く。むしろ収支で厳しいのは資産運用収支で ある。これは予定利率が下がらない中で運用利回りが低下するため,もろに 収支に影響を与える。
こうした現状を考えれば,保険引受による真の価値創造を見るには,
EVAと 新規保険料+新規保険料による責任準備金等の増加分−新規保険 料による投融資の増加額 との相関を調べれば実態がより正確に反映される と思われる。これは今後の課題である。
⑶ 投資による価値創造
総資産が増加しているにもかかわらずEVAとの相関が見られない。また 今回の検証期間において予定利率が穏やかに低下していることを考えると,
資産運用収益は強い正の相関を示すはずである。しかしながら資産運用収益 とEVAとの相関は希薄である。これはEVAの計算において有価証券売却 益および売却損等を事業損益から控除したことと深く係わっている。
生命保険会社の資産の多くは有価証券である。リスクキャピタルの観点か ら言えば,投資による真の価値創造は 有価証券が総資産に占める割合 と 株式時価総額÷最低必要資本 との相関を見なければ正確な判断ができ ない。生命保険会社の場合,最低必要資本の算定は技術的に可能であるが,
株式時価総額については相互会社ならびに非上場の株式会社が多いため算定 することができない。したがって同じ保険事業である損害保険会社から類推 せざるを得ない。
損害保険会社では,ここ数年有価証券が総資産に占める割合が増加してい るが, 有価証券が総資産に占める割合 と 株式時価総額÷最低必要資本 とはマイナスの相関にある 。これは損害保険会社が高い金融市場リスクを 取ることにより発生したリターンは,株主から見た場合必ずしも価値を創造 するものにはならないことを意味している。もちろん投資リスクを取ること が株価評価にとって必ずしもマイナスになるとは限らない。リスクの高い投 資戦略により,高い投資収益率やROEの向上を期待することができる。し かしながら損害保険会社の場合はソルベンシーや格付機関の要請等様々な制 約があるため,投資リスクを保険引受収益でカバーすることができない。
生命保険は超長期の契約を主体としており,1年契約を主体とする損害保 険と必ずしも同一に論じることはできないが,このことは保険事業共通の現 象であると考えられる。つまり,リスクキャピタルの観点に立てば,保険事 業の企業価値は資産や負債の量で測るものではなく,資産の質すなわち資産 が抱えるリスクに備える最低必要資本をどれだけ準備しているかで決まる。
15) 拙著[2007]pp.79‑88。
16) 拙著[2007]pp.114‑115。
Ⅲ.今後の課題
現状,生命保険会社は責任準備金と株主資本を多く積むことによりリスク 対応を手厚くしている。これらの増強はEVAを向上させる原動力になって いる。しかしながら第Ⅱ章で見てきたとおり,保険料等収入と総資産が EVAのバリュードライバーとしての役割を果たしておらず,また資産運用 等収益とEVAとの相関が希薄である。以下,今後の課題を述べる。
1.保険引受による価値創造
⑴ 商品別リスクキャピタル の算定
保険金等支払金はEVAと強い負の相関にあるが,生命保険会社の成長性 を示す保険料等収入がEVAのバリュードライバーとしての役割を果たして いない。これは商品管理に課題があると思われる。
米国ではリスクキャピタルに対する考え方が一般的で,資本コストに関し て言えばリスクを負担することによるコストが実際にはかかっているとされ る。つまり事業全体のポートフォリオが変われば,求められるリスクキャピ タルも大きく変化する 。ところが日本では責任準備金等の繰入・戻入で調 整するのが一般的である。例えばリスクが非常に高い(当然保険料も高い)
商品を大量に販売した場合はEVAが大きく上昇し,一方リスクが低い(当 然保険料も安い)商品はたとえ大量に販売したとしてもEVAはさほど上昇 しない。これは現在の指標では正確な判断ができないため商品別リスクキャ ピタルを算定する必要がある。
損害保険会社ではVaR(Value at Risk) から保険種類ごとの必要資本
17) リスクに備える資本(リスクキャピタル)を保険種類ごとに算出したものを いう。
18) 拙著[2007]p.88。
19) 現在保有している資産の損失可能性を,過去の価格推移を基に統計的に測定 する指標として用いられる手法。
を追求することを試みている 。しかしながら生命保険会社は1年契約を主 体とする損害保険会社とは異なり,リスクの保有期間が超長期であるため VaRをそのまま応用することができない。現実的な方法としては損害保険 会社のリスクキャピタルの考え方に近い修正危険保険金(定期保険のリスク キャピタルは養老保険の10分の1等,商品間の軽重を問う指標)を応用する ことが考えられる。
⑵ 販売コストが企業価値に与える影響
商品別リスクキャピタルの算定と同時に,販売コストが企業価値に与える 影響を検証する必要がある。生命保険は販売チャネルと一体となって初めて 商品になるという側面があり販売コストは無視できない。これはインターネ ット販売による割安な保険料を武器に生命保険に参入したSBIアクサ生命
(2008年4月開業)やライフネット生命(2008年5月開業)が苦戦している ことからも分かる。
一般に日本の保険マーケットは欧米と比較すると競争力が働かないとされ ている。損害保険で言えば,日本上陸以来相当の年数を経過している外国社 であっても収入保険料はその間に使われたSolicitation Cost(販売コスト)
に比べると僅かである。つまり商品価格よりもDistribution(流通)そのも のにコストが掛かっているのが日本の保険マーケットの特徴である。これは 逆に言えば販売網を有している日本の保険会社は強いということである。仮 に経営状態が苦しくなったとしても販売網さえグリップしておけば直ちにマ ーケットが激動することはない。米国の損害保険では UPR(Unearned Premium Reserve:未 経 過 保 険 料 準 備 金)+IBNR(Incurred But Not Reported:既発生未報告損害)+Claim Reserve (支払備金) のみを実績
基準で積んでいるが,日本では保険金支払の原資として過去の経験値に基づ く責任準備金を積んでいる。これを過大と見るか過小と見るかは商品別のリ スクキャピタルだけで判断できるものではなく,販売コストが企業価値に与
20) 火災保険を物件別に分ける,自動車保険を対人・対物に分ける等,損害率に 大きな変動を与える要素・要因の変動分布を関数化しリスク量を算出する。
える影響も同時に見る必要がある。
2.投資による価値創造
⑴ 統合的リスク管理
総資産が増加しているにもかかわらずEVAとの相関が見られない。また 資産運用等収益とEVAとの相関が希薄である。これはリスク管理に課題が あると思われる。
銀行ではバーゼルⅡによるリスク管理の強化に向けて,資産と負債に係わ る複数のリスクを同一のモデルで計測する統合的リスク管理を行っている。
これは様々なリスクを整合的な基準で計測し,管理会計を用いてリスクに見 合う資本を各部門に配賦し,全体のリスク量が株主資本の範囲内に収まるよ うにリスクテイクをコントロールし,リスクテイクごとの資本収益性を評価 するものである。保険会社の統合的リスク管理は銀行よりも複雑で,資産運 用リスクのみならず保険負債とのアンマッチも統合的に管理しなければなら ない。
⑵ 統合的リスク管理の営業戦略への応用
生命保険会社の保険収支は極めて高い予定利率の設定や大規模な解約が発 生しない限り利益が出ることが多い。そのため有価証券の売却益がたとえ 0(ゼロ) であっても売却損や評価損がない限り利益が出る会社が見られ る。つまり業績的には有価証券売却益が少ない時は保険収支や他の運用収支 が堅調であり良い決算であるとも言える。したがって本来の運用収益を算定 するには時価評価額の増減をP/Lに加える必要がある。現状,有価証券の 時価評価額はP/Lの利益額に比べはるかに大きなものになっているため保 険収支が決算に与える影響は小さい。しかしながら負債の時価評価を見据え た場合,よりきめ細かい管理を行う必要がある。
先に述べたように,保険引受戦略においては商品別リスクキャピタルの算
21) 資産と負債のリスクを統一した基準で評価し,全体のリスク量が株主資本の 範囲内に収まるよう管理する手法。
定と販売コストが企業価値に与える影響を見ることが必要であるが,これら は投資戦略と一体となってもたらされる。統合的リスク管理は営業戦略への 応用も可能である。例えば過去の投資戦略のうち数字を悪くした営業施策を つぶさにトレースすることができる。具体的には政策投融資や政策保有株式 が投資戦略に与えた影響を見ることができる。また販売制度の再構築を検討 する際の経営判断データとしての利用も可能である。
Ⅳ.おわりに
保険会社は投資リスクだけでなく保険引受リスクを抱えている。そのため 株主資本と保険負債(責任準備金など)を備えている。これらは 保険会社 が保有する資産のリスクに備える資本 という意味では何ら変わりはない。
しかしながら保険会社が保有すべき資本水準については契約者保護を図る当 局と株主とは異なる立場にある。保険負債の調達コストは社債や借入れより も低く,保険引受の拡大(保険負債の拡大)により資本コスト(有利子負債 コスト+株主資本コスト)を抑えることができる。資本コストの低下は企業 価値の向上に繫がる。また契約者保護を図る当局は,保険契約者が支払った 保険料が間違いなく保険金として支払われるかどうかが重要であり保険負債 の水準は基本的に高い方が望ましい。一方,株主にとっては保険負債の水準 は最低限が望ましい。保険負債が株主資本に比べ過剰であればリスクプレミ アムの上昇や信用力の低下により資本コストが大きくなるからである。
現状,保険会社の資本規制については,リスクの種類に応じたウェィト付 けをして必要資本を算出するRBC規制 と,リスクの種類に応じたウェィ ト付けの適用がない最低ソルベンシー基準 の2つに分かれる。しかしなが ら米国金融危機を契機とし, 保険会社の企業価値の最大化には投下資本の
22) Risk Based Capital規制の略で米国やカナダで採択されている。リスクの 種類に応じたウェィト付け行い,その何%の資本があるかを見る。
23) RBC規制に対しEU諸国の多くで採択されている。リスクの種類に応じた ウェイト付けや資産の種類ごとのリスク評価は適用されない。
収益率のみならず保険負債を含むリスクキャピタルの精査が重要である と の認識で収斂することも考えられる。
また国際会計基準が論議されているが,同基準はP/Lを基本とする考え 方からB/Sの資産と資本の内容に視点を移すものであり,その意味すると ころは期間利益 と包括利益 である。これは企業価値の考え方と同じであ る。つまりP/Lのボトムラインに書かれた純利益(Net Profit)の増加で はなく経済的利益(Economic Profit) の創造に重きが置かれている。
本稿では生命保険会社の企業価値を過去の実績値を基に巨視的に捉えた。
分析にあたり利益と資本コストを結び付けた経営評価指標EVAを利用した。
生命保険は超長期の契約を主体としており,1年契約を主体とする損害保険 と必ずしも同一に論じることはできないが,両者の事業形態の差異を見るこ とにより,生命保険会社の企業価値の特徴を知ることができる。
分析の結果,生命保険会社は資本の増加とともにEVAが向上しており健 全な経営状態にある。しかしながらリスクキャピタルの観点に立てば,商品 別リスクキャピタルの算定と統合的リスク管理に課題があると考えられる。
現状,生命保険会社における企業価値の研究は喫緊の課題ではないものの,
EVAによる分析は今後の経営戦略を探る上で有益な手法の1つであると思 われる。
(筆者は福井県立大学准教授)
24) 1年間の企業活動の結果として創造された価値額で純資産の増加額を意味す る。増減資がない限り,B/S上の純資産増加額はP/L上の純利益額に一致す るという考え方である。
25) 先期末と今期末の純資産の増減を意味する。現有資産を処分すれば本当に負 債と株主資本に一致するキャッシュが得られるのか,もし一致しなければ不足 額は損失として計上する必要があるという考え方である。
26) 純利益(Net Profit)から株主資本コストを差し引いたもの。
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