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憲法第9条の平和主義とその正当性 : 沖縄の歴史と 経験から

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憲法第9条の平和主義とその正当性 : 沖縄の歴史と 経験から

著者 高作 正博

雑誌名 PRIME = プライム

号 26

ページ 25‑31

発行年 2007‑11

URL http://hdl.handle.net/10723/660

(2)

はじめに

(1) 本報告の目的

本稿は、 以下の2点を扱うものである。 第1に、

「現実主義」 の問題点を沖縄の 「現実」 から告発 しようという点である。 ここでいう 「現実主義」

とは、 自衛隊や日米安保の存在を前提とする現実 に立った上で行動準則を立てようとする立場を意 味する。 本稿は、 「現実主義」 の思想をまさに

「現実」 の視点から批判的に検討しようとするも のである。 即ち、 日米安保体制は、 沖縄の不安・

危険・被害の上に成り立っている。 そうした沖縄 の 「現実」 から見て、 政治の実体はどのように見 えるのかを検討する。

第2に、 憲法第9条の正当化を 「帰結主義」 の 立場から試みるという点である。 「帰結主義」 と は、 物事のそれ自体の価値によってではなく、 そ れがいかなる結果をもたらすかという点に着目し て価値判断や選好 (選択) を行おうとする立場で ある。 憲法第9条の絶対平和主義は、 軍事の論理 をつきつめていくとうまくいかないということに より、 正当化することができるのではないか、 と いう議論を検討する。

(2) 沖縄の歴史と経験

本稿は、 以上の課題を沖縄の歴史と経験を踏ま えて検討するところに特徴を有する。 沖縄の歴史 と経験を踏まえるということには、 次のような意 義が存する。

第1に、 「もし、 憲法がなかったら……」 とい

う視点を経験として提供しうるという点である。

米軍統治下の沖縄では日本国憲法が 「適用除外」

となっていたのであり、 それ故、 沖縄は、 憲法の 価値を最も適正に評価しうる位置にあるといえ る(1)。 というのは、 憲法第9条が法制度として存 在していなかったが故に何が起こっていたのか。

その歴史を見ることで、 憲法第9条の意義をより よく理解することができるからである。

第2に、 憲法第9条は、 人権保障や民主主義と いった他の憲法原理との連関を有することを示し うる点である。 この連関は、 第1の米軍統治の歴 史から指摘できるのであるが(2)、 人権保障や民主 主義を支える憲法第9条の価値に着目することに より、 現代政治の問題点も見えてくるという点が 現代的意義をもってくる。 即ち、 後述するような 改憲論や米軍再編など、 憲法第9条を危機にさら す政治の実態があるが故に、 様々な問題が人権保 障や民主主義をめぐって生じているということで ある(3)。 それらの諸問題の根源を平和主義の危機 に求めることにより、 事柄の本質を明らかにする ことができるのではないかと思われる。

第3に、 沖縄の復帰運動のあり方が、 アイデン ティティのあり方に新たな光を与えうるという点 である。 即ち、 沖縄の復帰運動は、 「日本国への 復帰」 ではなく、 「日本国憲法への復帰」、 より正 確に言えば 「憲法第9条への復帰」 をめざしたも のであったことが重要であろう。 これは、 憲法が 依拠する価値への愛着を契機として自ら憲法を選

憲法第9条の平和主義とその正当性──沖縄の歴史と経験から──

高 作 正 博

(琉球大学)

(3)

び取ろうとする態度を示すものであったのであり、

ドイツで提唱された 「憲法愛国主義」 というアイ デンティティのタイプを実践したものと評価しう るであろう(4)

第4に、 沖縄の平和運動は、 「被害者」 となる ことへの拒否だけではなく、 「加害者」 となるこ とへの拒否という意味をも有しているという点で ある。 ベトナムやアフガニスタン、 イラクなどへ、

米軍が沖縄から出撃していくことを止めたいとい う真意がそこにはあった。 この思想は、 憲法第9 条を 「一国平和主義」 として批判する議論に対す る有力な対抗言論となりうる。 憲法第9条の実現 という視点は、 自国の平和だけでなく、 他国の平 和をも保障しうる意義を有しているのである。

以上の目的と視点から、 憲法第9条の正当性を

「米軍再編」 と 「国民保護法」 を素材として検討 する。

「米軍再編」 における軍事の論理 (1) 「米軍再編」 とは

まずは、 「米軍再編」 の論理が依拠している

「現実主義」 の問題点を指摘したい(5)。 そもそも

「米軍再編」 は、 日米の役割・任務・能力の検討 を行うと同時に、 在日米軍の兵力態勢の再編をめ ざすものである(6)。 その到達点として設定されて いるのは、 日米両軍の一体化、 即ち 「集団的自衛 権」 の行使にまで及ぶ軍事活動の一体化である。

ここで集団的自衛権とは、 自国と密接な関係に ある外国に対する武力攻撃を、 自国が直接攻撃さ れていないにもかかわらず実力をもって阻止する 権利をいう。 これは、 国連憲章に根拠を有するも のであり、 そこでは、 「武力による威嚇又は武力 の行使」 の原則的禁止 (第2条第4項) を謳うと 同時に、 例外的に 「個別的又は集団的自衛の固有 の権利」 の行使を容認している (第51条)。 現在 までの政府見解では、 集団的自衛権の行使は現行 憲法上認められておらず、 それを容認するために

は憲法改正が必要とされてきた(7)。 (2) 集団的自衛権の何が問題か

それでは、 集団的自衛権には問題はないのか。

この点につき、 既に日米安保条約が存在し一定の 役割を果たしてきたため、 米国と一緒にやってい くことが日本の安全保障にとって最も現実的な選 択なのだ、 とする議論がある。 しかし、 「非現実 的」 とされる憲法第9条を改正して行き着くであ ろう 「現実」 への想像力を働かせることなしに、

安易にこの議論に乗ってしまうことは妥当ではな い。 むしろ、 集団的自衛権を容認した後にどのよ うな現実が待ちかまえているのかを検討すること により、 本質的な問題が明らかになるものと思わ れる。

第1に、 米国のために集団的自衛権を行使する として、 米国政府のとる自衛権概念が、 わが国の 前提とする概念と異なりうるという問題である。

例えば、 テロ集団がケニアとタンザニアの米大使 館を襲った (1998年8月) 後、 米国は、 テロ集団 の拠点があるとしてスーダンとアフガニスタンに ミサイル攻撃を行ったが、 これは、 日本の政府見 解が採用する自衛権概念では正当化できない攻撃 であろう。 米国は、 国連憲章上の武力行使禁止原 則の制約を回避するために、 「慣習法上の自衛権」

に訴える可能性がある。 また、 イラク攻撃に対し ては、 国際社会では認められていない 「先制的自 衛」 の概念によってしか正当化できない状況を作 り出した。 日本が想定していない場合にまで集団 的自衛権の行使が要請された場合、 どのように行 動するというのか。

第2に、 米国以外の国家のための集団的自衛権 行使の可能性がある。 もともと、 集団的自衛権は、

同盟関係にあるかどうかにかかわらず、 援助要請 を受けた国家が武力行使を行う根拠とされる概念 である。 米国に対する援助協力だけを想定すれば よいのではない。 しかし、 政府見解では、 同盟関 係にある国家との関係でのみ成立するとの認識が

憲法第9条の平和主義とその正当性──沖縄の歴史と経験から──

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あるようで、 集団的自衛権を容認した後でもその ような立場を維持できるのかどうか疑問であろう。

第3に、 在日米軍再編と日米安保体制における 自衛隊の役割との関連である。 効率的な米軍の配 置を行うという戦略からすれば、 ①在日米軍を縮 小し、 ②そこに自衛隊に今まで以上の役割を担っ てもらい、 さらに、 ③自衛隊を米軍の指揮下に置 く形で一体化させていくというのが米軍再編の流 れであろう。 その中で集団的自衛権を容認すれば、

自衛隊は、 米軍の指揮下に完全に置かれ、 正に米 軍と一体となって世界中で軍事活動を行うように なる。 これが改憲後の現実なのである。

(3) 米軍再編から生じる問題点

以上の集団的自衛権を明文改憲により実現しよ うとするのが改憲論であり、 また、 明文改憲を待 たずして既成事実の積み上げを図ろうとするのが

「米軍再編」 であるということができる。 平和主 義の危機を意味するこうした動きは、 様々な矛盾 をもたらしている。 とりわけ、 政治への民意の反 映という民主主義の側面から見た場合、 沖縄県側 の合意が存在しないままで米軍再編が進められて いること、 また、 沖縄県側を欺いてまで米軍再編 を進めようとしていることに、 その矛盾が表れて いるように思われる。 ここでは、 特に後者につい て指摘しておきたい。

中間報告では、 「これらの措置は、 新たな脅威 や多様な事態に対応するための同盟の能力を向上 させるためのものであり、 全体として地元に与え る負担を軽減するものである」、 また、 「双方は、

沖縄を含む地元の負担を軽減しつつ抑止力を維持 するとの共通のコミットメントにかんがみて、 在 日米軍及び関連する自衛隊の態勢について検討し た」 と述べられている。 この趣旨は、 米軍再編の 目的の1つが、 在日米軍を抱える地域・自治体の 負担軽減にあるとするもののように見える。 しか し、 以下の事情を合わせて考えれば、 少なくとも 沖縄における米軍再編の実現は、 決して沖縄のた

めではなく、 むしろ在沖米軍基地の機能強化、 沖 縄の基地負担増大にしかならないものと考えざる をえない。

即ち、 現実の在沖米軍基地の使用実態の問題で ある。 以下の3つの事例は、 実際には、 基地機能 は強化の方向へ向かっているということを示して いるように思われる。 第1に、

PAC3の配備であ

る。 これは、 敵機の撃墜のために1960年代に開発 が開始された地対空ミサイルであり、 県民の強い 反対にもかかわらず、 嘉手納基地、 嘉手納弾薬庫 に配備された。

第2に、 パラシュート降下訓練の強行である。

1996年の

SACO

最終報告では、 パラシュート訓 練は伊江島補助飛行場に移転することが合意され ている。 にもかかわらず、 ①嘉手納基地所属の部 隊が、 嘉手納基地で2007年1月26日にパラシュー ト降下訓練を実施した、 ②同日に、 嘉手納基地所 属の部隊が、 うるま市の津堅島訓練水域でパラ シュート降下訓練を実施した、 ③在沖米海兵隊は 2007年2月13日、 名護市キャンプ・シュワブ訓練 水域の大浦湾で、 パラシュート降下訓練を実施し た、 という現実がある。

第3に、 F22戦闘機の配備である。 これは、 米 空軍の最新鋭ステルス戦闘機であり、 数ヶ月間に 渡り、 嘉手納基地に配備されることとなった。 沖 縄配備の理由としては、 ①北朝鮮や中国に対する 抑止力としての意味があるのではないか、 また、

②航空自衛隊がF22の購入計画を有していること から、 自衛隊と米軍との共同運用に向けた訓練を 実施するねらいがあるのではないか等が指摘され ている(8)

「国民保護法」 における軍事の論理 (1) 国民保護法の構造

次に、 「国民保護法」 の運用と実施がいかなる

「帰結」 を生じさせるのか、 そこにはどのような 問題があるのかを検討する。

(5)

国民保護法は、 2004年3月9日に国会に提出さ れ、 6月14日に成立した国民保護法等7法律・3 条約の中の1つであり、 さらには有事法制の重要 な部分である。 既に、 「武力攻撃事態対処法」 が 制定されていたが、 その中で 「武力攻撃事態等へ の対処に関する法制の整備」 について、 基本方針 や内容等が定められており、 国民保護法は、 それ を受けてさらに具体化するためのものということ ができる。

その内容については、 武力攻撃事態対処法にお いて、 対処措置として2つの 「国民の保護のため の措置」 が規定されている (第2条第7号)。 第 1が、 国民の生命、 身体及び財産を守るための措 置であり、 具体的には、 警報の発令、 住民の避難、

被災者の救助、 応急復旧を指す。 第2に、 国民の 生活の安定を図るための措置であり、 具体的には、

物価の安定、 生活関連物資の確保等を意味する。

国民保護法は、 これを受けてさらに具体的かつ詳 細な規定を置いている。

(2) 国民保護法の問題点①

──「有事」 の前倒し

しかし、 国民保護法制には重大な問題がある。

ここでは、 この法律が動きだす場合について検討 する。 第1に、 武力攻撃事態対処法の規定からす れば、 有事法は、 武力攻撃を受けてから作用する ものではない。 「武力攻撃事態」 (第2条第2号) より以前の 「武力攻撃予測事態」 (第2条第3号) からの対応を規定しているのである。

第2に、 「緊急対処事態」 (第25条第1項) も国 民保護法発動の端緒とされていることにも注意が 必要であろう。 この概念は、 政府が定めた 「国民 の保護に関する基本指針」 によれば、 「緊急対処 事態としては、 武力攻撃事態におけるゲリラや特 殊部隊による攻撃等における対処と類似の事態が 想定される」 とされている(9)。 しかし、 「緊急対 処事態」 は、 明らかに 「武力攻撃事態」 とは異な る。 武力攻撃事態対処法第25条第1項でも、 「後

日対処基本方針において武力攻撃事態であること の認定が行われることとなる事態を含む」 とされ、

将来において武力攻撃事態との認定があるかどう か分からない事態までも、 有事と認定する法のあ り方には疑問が生じるといえる。 「有事」 の拡大 ないし前倒しによって、 常時戦争状態に置かれて しまうという問題がある。

また、 「緊急対処事態」 概念のあまりの広範さ も問題であろう。 「基本指針」 では、 この事態例 が 「攻撃対象施設等による分類」 と 「攻撃手段に よる分類」 とに整理されている(10)。 しかし、 「攻 撃手段による分類」 で挙げられている例は、 事態 の発生当初には、 原因の特定が難しいものも存し、

そのためには時間的経過を要するものと思われる。

また、 「攻撃対象施設等による分類」 で挙げられ ている例は、 「事故」 や 「災害」 を原因としても 起こりうる事態であり、 やはり、 原因の特定まで は 「有事」 に該当するかどうかは不明である。 そ うだとすれば、 「緊急対処事態」 の概念は、 結局 は、 「有事」 と 「事故」 や 「災害」 との境界まで もあいまいにしてしまうものといえるであろう。

第3に、 「武力攻撃予測事態」 を招く原因を考 えれば、 「周辺事態法」 にいう 「周辺事態」 やア メリカによる先制攻撃があり得る。 もともとは、

日本の安全とは無関係の状態に米軍が出撃をする。

それに引っ張られる形で自衛隊が後方支援として 出動する。 その結果、 敵国と見なされた自衛隊や 日本自体が攻撃の対象とされ、 武力攻撃事態等を 引き起こすことになるのである。 それを裏付ける 国会の答弁がある。 「ペルシャ湾に派遣された自 衛隊の艦船、 これに対して例えば武力攻撃があっ た場合、 その場合にも武力攻撃事態の認定はされ 得る、 あり得る、 こういう今度の法制度になって おりますね」 とする質問(11)に対し、 石破茂防衛庁 長官 (当時) は、 「我が国に対する攻撃ではある わけです」 と述べている。 こうして 「有事の前倒 し」 という操作が為されていることに注意しなけ

憲法第9条の平和主義とその正当性──沖縄の歴史と経験から──

(6)

ればならない(12)

(3) 国民保護法の問題点②

──国民を 「保護」 しない仕組み 次に、 この法律は国民を保護しないという点を 指摘したい。 第1に、 国民保護法に内在する問題 である。 国民保護と軍事行動とが両立しない場合、

軍事行動が優先されるおそれが極めて高い。 しか も、 住民避難には多くの時間を要する(13)。 法律の 中の、 国民の保護の部分は機能せず、 国民の軍事 利用についてのみ機能するということも考えられ る。 このままでは、 国民保護とは名ばかりの、 軍 事的合理性を最優先する発想となってしまう。

また、 第2に、 特に沖縄で考えられる米軍の活 動との関係である。 次の国会での審議からも明ら かなように、 「米軍支援法」 の枠組みでは、 米軍 の活動を優先させるおそれがある。 自衛隊と米軍 の指揮権の関係について質問を受けた石破防衛庁 長官は、 そのことを認めている(14)。 「どちらが指 揮権をとるということはございません。 共同対処 行動ということになっておりますわけで、 まさし くそこにおいて調整メカニズムがワークするとい うことになっておるわけでございます」。 「どちら が優先するというのは、 その場においてのニーズ によると考えております」。 米軍が優先される可 能性については、 「それは、 可能性としては否定 をいたしません」。 沖縄の住民の利益保護という 要請は、 自衛隊と米軍の活動の必要性によって吹 き飛んでしまうこととなろう。

このように国民を保護することにならない法の 実態は、 そのまま各自治体が作成する 「国民保護 計画」 にも引き継がれていくこととなる。 特に、

「沖縄県国民保護計画」 には、 次の問題点が表れ ている(15)。 第1に、 沖縄県が島嶼県であるという 事情への配慮が不十分であり、 あるいは意図的に 過小評価されているという点である。 確かに、 県 の国民保護計画では、 沖縄県が島嶼県であること、

米軍基地が集中していること、 飛行場や港湾の規

模からして制約があること等が指摘されている。

しかし、 ここでは、 沖縄県民を県内で、 あるいは 県外へ避難させるとして、 そもそもそれが物理的 に可能なのかどうかの議論が欠けている。 その議 論がないままにいくら計画を策定しても、 国民保 護には結びつかないといわざるを得ない。

とりわけ離島県沖縄では、 住民の避難には陸路 だけでなく、 海路・空路も必要であり、 県民136 万人の避難をどのようにして実現しうるのかが課 題となる。 沖縄タイムス社のシミュレーション(16) は、 その実現可能性に対する疑問が生じる結果と なっている。 即ち、 ①ボーイング747型機 (569人 乗り) を使用した場合、 空路での県民の避難には 2390回の飛行が必要となる。 また、 ②船舶 (8,872 人/1日) と飛行機 (23,867人/1日) を使用し た場合、 空路と海路での県民の避難には、 41.5日 かかると試算されている。 沖縄戦の経験から、 避 難民を乗せた飛行機や船舶が攻撃を受けない保障 はないため、 期間の長さと相まって、 極めて非現 実的な避難計画となってしまう。

第2に、 米軍を意識しなければならないという 点である。 保護計画の実施に際しては、 他の機関 との連携が必要となるが、 この点につき、 「県は、

国、 市町村並びに指定公共機関及び指定地方公共 機関と平素から相互の連携体制の整備に努める」

(第1編第2章(4)) と述べられている。 しかし、

ここには米軍は予定されていない。 このあり方か らすれば、 県と米軍との意思の疎通はできている のか、 沖縄県の保護計画を策定しても、 米軍との 連携がなければ意味がないのではないか、 また、

仮に、 連携があるとしても、 米軍は米軍の論理で 活動するのであって、 そこに国民保護という要請 は初めから含まれていないのではないのか等の点 が疑問として挙げられよう。

それでも、 保護計画には、 米軍との連携が言及 されている。 例えば、 在沖米軍と意思疎通を図る こと、 在沖米軍との連携体制の整備に努めること、

(7)

米軍基地内で勤務する駐留軍日本人従業員や民間 事業者に対する警報等の情報伝達等に関する必要 な体制の整備を図ること、 米軍基地周辺の住民や 駐留軍日本人従業員の避難等に関する必要な措置 を講ずること、 武力攻撃災害時における救援を円 滑に実施するための連携を講ずること等である。

しかし、 これらには次の註釈がついている。

「米軍基地所在都道府県における米軍と調整する 必要がある事項や米軍との連携のあり方について は、 関係省庁においてその対応を協議しており、

一定の整理がついた段階において、 今後、 情報提 供を行うこととしている」。 即ち、 米軍との連携 が可能かどうかは、 分からないのである。 そうで あるとすれば、 米軍は、 米軍内の被害の把握や救 援に必死となり、 県民保護に対する協力を期待す ることはできないのではないか、 という先の疑問 を払拭することはできないであろう。 そのことは、

米軍ヘリ墜落事故の際にも明らかになったことで ある(17)。 それにもかかわらず、 米軍との連携が機 能しうることを前提に、 県の保護計画を策定して いるとすれば、 その前提が誤りであるといえるの ではないか。

おわりに──平和主義の対抗力

以上、 米軍再編と国民保護法の実施は、 地域や 日本全体に様々な歪みをもたらすという問題 (現 実)、 また、 所期の目的を達成できないという問 題 (帰結) を含むものであることを述べてきた。

このことは、 軍事の論理自体が成り立たないこと を意味しているのであり、 憲法第9条の絶対平和 主義の思想が正当性を持ちうる根拠となるものと 思われる。 その上で、 この平和主義の思想が以下 の対抗力を持ちうることを示して本稿を終えるこ ととしよう。

第1に、 「有事に対する備えは必要である」 と する言説との対抗である。 憲法第9条の含意は、

有事になってしまったら終わりではないか、 有事

を引き起こさないことこそが重要ではないか、 と いう点にこそ存する。 戦後補償の問題をなお引き ずっているという点で、 適切な戦後処理を行うこ とのできなかった日本が、 ここで 「備え」 をすれ ば、 隣国は、 日本が 「備え」 を必要とする国家に 変質したと理解する。 有事法の整備、 加えて改憲 というのは、 平和国家日本の変質、 という誤った メッセージを送ることになってしまうということ を考慮すべきであろう。

第2に、 「政府」 による 「解釈改憲」・「明文改 憲」 との対抗である。 日本では、 中央政府自らが、

「解釈改憲」 によって憲法第9条から離れ、 また、

「明文改憲」 によって憲法第9条と決別しようと している。 そうした状況の中で軍事の論理に替わ りうる力、 それを自治体から作り上げていく工夫 が不可欠である。 各自治体は、 自らに付与されて いる外交権・法令解釈権・条例制定権などを駆使 して、 中央政府による軍事の論理に対抗すること が求められるであろう。 その意味で、 石垣市の

「非核港湾条例案」 や竹富町の 「無防備平和条例 案」 の試みは、 全国的にも注目されるべきもので はないかと思われる。

第3に、 「非現実的な憲法第9条」 という理解 との対抗である。 本文で取り上げた 「米軍再編」

や 「国民保護法」 は、 軍事による平和を 「現実」

と捉え、 それに依拠しようとする立場に基づいて いる。 このような立場によれば、 絶対平和主義を 規定する憲法第9条は、 「非現実的」 な規定とさ れることとなる。 しかし、 本当にそうだろうか。

軍事の論理の結果生じるのは、 決して容認しては ならない 「破滅」 である。 この破滅をもう二度と 招いてはならないとする 「崇高な理想」 (憲法前 文) こそ、 憲法第9条によって目指そうとしたの ではなかったか。 そうだとすれば、 現在の問題は、

憲法第9条から遠ざかってしまったところにある のであり、 「未完の憲法第9条」 を実現させるこ と、 これこそが日本が抱える課題である。

憲法第9条の平和主義とその正当性──沖縄の歴史と経験から──

(8)

(1) アメリカは、 沖縄に上陸した1945年4月1 日から、 沖縄の軍事的支配を始めていた。

ニミッツ元帥 (米太平洋艦隊司令官兼太平 洋区域司令官) は、 沖縄上陸とともに布告 を出し、 日本の行政権・司法権の停止を宣 言した。 こうして始まった沖縄に対する排 他的支配権は、 1952年4月28日に発効した 対日平和条約により正式に認められた。 米 軍統治下の沖縄の法制度や諸問題に関する 検討については、 吉田善明他 憲法と沖縄 (敬文堂、 1971年)、 萩野芳夫 沖縄におけ る人権の抑圧と発展 (成文堂、 1973年) 等参照。

(2) この点を指摘したものとして、 高良鉄美

「米軍統治下の沖縄における平和憲法史」

琉大法学 67号 (2002年) 3頁以下参照。

(3) 「沖縄の視点」 から日本社会の現状を批判 的に検討したものとして、 拙稿 「 沖縄 の視点から 憲法問題 を考える」 現代 の理論 8号 (2006年) 164頁以下。

(4) ユルゲン・ハーバマス、 三島憲一他訳 遅 ればせの革命 (岩波書店、 1992年) 72頁。

また、 愛敬浩二 憲法問題 (ちくま書房、

2006年) 236頁参照。

(5) ここでの議論は、 既に公表されている拙稿 と一部重複するものであることをお断りし ておきたい。 「個別的および集団的自衛権

──日米両政府の思惑と現実」 全国憲法研 究会編 法律時報増刊・憲法改正問題 (日本評論社、 2005年) 126頁以下、 「米軍再 編と平和主義」 法律時報 78巻6号 (2006 年) 35頁以下参照。

(6) 「米軍再編」 は、 日米両政府間の2つの文 書により合意された。 1つが、 「日米同盟:

未来のための変革と再編」 (2005年10月29 日。 いわゆる 「中間報告」) であり、 もう 1つが、 「再編実施のための日米のロード マップ」 (2006年5月1日。 いわゆる 「最 終報告」) である。

(7) 1983年2月22日の衆議院予算委員会におけ る角田礼次郎内閣法制局長官答弁。

(8) 沖縄タイムス 2007年1月11日朝刊。

(9) 「国民の保護に関する基本指針」 72頁。 全 文は、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hogohousei/

hourei/050325shishin.pdf

に掲載されている。

(10) 「国民の保護に関する基本指針」 前掲(9) 72頁以下。

(11) 2003年5月9日の第156回衆議院・武力攻 撃事態への対処に関する特別委員会におけ る筒井信隆議員発言。

(12) 浅井基文 戦争をする国しない国──戦後 保守政治と平和憲法の危機 (青木書店、

2004年) 189頁参照。

(13) 鳥取県の住民避難シミュレーションでは、

鳥取県東部の全住民2万6千人がバスを使 い陸路で兵庫県に避難する訓練を実施した。

そこでは11日かかったとされる。

(14) 2004年4月14日の衆議院・武力攻撃事態等 への対処に関する特別委員会における審議 を参照。

(15) 「沖縄県国民保護計画」 については、

http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/

cateview.jsp?cateid=66参照。

(16) 沖縄タイムス 2005年5月6日朝刊参照。

(17) 拙稿 「日米地位協定と自治体──普天間飛 行場返還問題に関連して──」 琉大法学 73号 (2005年) 7頁以下参照。

参照

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