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条件法意味論1
小 松 寿
(ドイツ語学)
Abstract
This thesis con$ists of three chaptαs: 1)Indicative Conditional Sen−
tences(ICSs)・ 2)Indicative Resthctive Sentences(IRSs), 3)Counter−
factual C()nd輌tional Sentences(CCSs).
In the following, let W be a set of possible worlds, T a set of time points,∫aset of individuals,Ωaset of W, T,∫or the direct product of some of them・Let R be也e background of speech, and R⊆Ω. Conditional Sen−
tences are exμessed in the scheme・f lfぴピ, whe・・ρ,ゐa。e s雛ぬce variables. Letんκbe the denotations ofρ,んrespectively, and、4,κ⊆Ω.
In Chapter 1, we discuss the conditionai sentences in which o,九are in.
dicative・鋤d imerp玄磁them as R∩∠4⊆κ(Ωis泥TorW×T). The deon−
tic conditional sentences are also treated using a variant of this interpretation.
In Chapter 2,∫ is introduced into Ω, and the interpretation of ICSs
ゆ
reache・the level・ぶndiv輌duals. Furtherm・re, fr。m the fact that sentences l輌ke Evロy m孤m簸s. can beτewr輌tten as {lfエ輌s a man, ac runs. ,輌之fdlows that the Logic for Genぱalized Quantifiers is a special case of Conditional Semantics.
Chaμer 3 d輌scusses the e◇ndlti◎nal se滋ences in wh輌ch〃,んtake the sub−
lunctive from The chamcterlstics of CCSs consist in the fact that R∩、4=φ,
which is the meaning of counter−factual , supposing that R is a collectior[of facts・ But then R∩∠4=φ⊆κ,so that CCSs are always trivia避y tme. To
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avoid it, we extend R minimally to R , so that R ∩A≠φ,and interpret CCSs asR ∩A⊆κ.
The last part of Chapter 3 discusses the conditional sentences in which there is a causal relation betweenρandん,and proposes that their meaning can be captured by another kind of restriction of semantics which is de−
veloped in Chapter 1.
0.
条件法意味論とは,条件法,即ち,「もし〜ならば〜だ。」という思考法に関 する意味論である。我々は,条件法の仮定部を前件,結論部を後件と呼ぶこと にする。これらは各れも意味論的な概念である。
条件法的思考法は,人間の思考の最も根本的な型の一つであり,学問に於け る推論,因果律等の重要概念も条件法的な構造を示している。Peirce(21960:
voL V・517)によると,人間の行動や自然法則は常に「条件法的慣習」
(ωη4仇oηα1輪6川の形をとって現われる。
これに対応して,自然言語には,条件法的思考を表現するための手段が与え られている。その最も代表的な形は条件文,即ち『もし〜ならば〜だ。』(独:
Wenn〜, so〜・英:If〜, then〜.)の形の文である』 我々は条件文の仮定 部を前文,結論部を後文と呼ぶ3
しかし,条件法的思考法は条件文だけには限られない。それは遍在する思考 法であり,
(1)Jeder Mann lauft.
(すべての男が走る。)
のような量化文にも見られる。我々は(1)のような規定詞を伴う文を規定詞文と 呼ぶ。(ここで規定詞とは,『jeder』(各々の),『aller』(すべての),『keiner』
(何も〜でない。)等の冠詞,『wenig』(殆んど〜でない。)『manch』(幾つか の),『vie』(多くの)等の量化形容詞などを意味する。)これらについては第2
条件法意味論 83 章で考察する。
一般に,条件法を表現する文を限定文と呼ぶ。
1.直説法条件文
直説法条件文とは,その前文と後文が直説法で現われる条件文を言う。(以 下では我々はそれを,誤解の恐れのない限り,単に条件文と呼ぶ。)
論理学に於いては,質料含意や厳密含意が自然言語の条件文に対応するとさ れている。しかし,この種類の含意は,自然言語に於ては寧ろ稀である。
(2)Wenn er kommt, komme ich auch mit,
(彼が行けば私も行く。)
のような文が質料含意を表わすと解釈するのは難しい。と言うのも,質料含意 に於てそうであるように,前文が偽であるとの理由だけで(2)が真であるとは必 ずしも言えないからである。或いは,
(3)Wmn der Schnee weiB ist, ist der Schnee weiB.
(雪が白いならば雪は白い。)
のような厳密含意を伴なう条件文は,先ず論理学の教科書にしか現われない。
自然言語に於ける殆んどの条件文の意味は,論理的な含意によっては捉えら れない。例えば,厳密含意に於ける必然性は,論理的な意味にではなく,他の もっと特定の意味に解されなければならない。次の例,
〈4)Wenn das Tier einen Winterschlaf half, ist es kein Vogel. ((Kratzer 1978:224)より。)
(その動物が冬眠をするなら,それは鳥ではない。)
に於ける含意の必然性は,論理的な意味にではなく,動物学的な法則相関的に 理解されなければならない。即ち(4)は,動物学的法則が成り立ち,かつ前文が 真であるようなすべての可能世界に於て後文が真である事を意味する。
これらの必然性は,各れも可能世界相関的に解釈されているのであるが,条 件文の表わす必然性には,時間相関的に解釈されるものもある。例えば,
84 小 松 寿 (5)Wenn es morgens acht schlagt, wacht er auf.
(朝8時になると彼は起きる。)
が真であるための必要十分条件は,彼が生きていて前文が真であるすべての時 間に於て後文が真である事である。
更には,条件文の表わす必然性が,可能世界と時間相関的に解釈されるもの もある。例えば,
(6)Taglich, wenn die Nacht hereinbricht, muB ich sterben, aber jeden Morgen erwache ich wieder.
(毎日,夜が訪れると私は死ななければならない。しかし,翌朝私は再び 甦る。)
(6)の背景は,Bastianによって再生されたPhant白sienの法則であり,それによ ると次の事柄が成り立つ:夜になると,Perelinと言う夜の森が繁茂し,その 間ライオンのGra6gram白nは彼の岩屋で石と化す。しかし夜が明けるとPere−
linは色とりどりの砂粒に帰して砂漠が出来, Gra6gram白nは再び生き返る。
(Ende,1979:XV章参照。)(6)に於ける条件文は,この背景相関的に次のよう に解釈される:Phantasienの法則が成り立ち, Gra6gramanが存在し,夜が訪 れているすべての可能世界と時間に於てGra6gram白nは死ぬ。
更に我々は,条件文の表わす必然性を,事態相関的に解釈する事もできる。
例えば,
(7)Wenn der FrUhling kommt, treiben die Baume die Sprossen.
(春になると木々が芽を吹く。)
は,春になる,という事態が生ずると必ず木が芽を吹く事を意味する。そうす ると(5)も,事態相関的に解釈する事が可能である。しかし,すべての事態はあ る特定の時空領域に生ずるから,我々は事態を,その容れ物である時空領域に よって扱う事が出来る。我々は,本論文では更に,空間的要素を捨象する事に しよう。と言うのは,空間的概念を伴なう条件文も条件法的思考を示しはする ものの,それはドイツ語では寧ろ wo−da L文(「〜の所では〜だ。」)によっ て表現されるからである。それ故我々は本章では,条件法を可能世界と時間の
条件法意味論 85
内でのみ考察する事にする。
我々がここ迄に考察した条件文はすべて,必然性を伴った条件法を意味して いる。そして,様相論理に於てそうであるように,必然性とは,可能世界の集 合(略記:W),もしくは時間の集合(略記:T)の上でのメタ言語的全称量 化を表わす。上記の例文に対する直観的な真理条件もそれを表わしている。即 ち,必然性を伴う条件文は,前件が真である(そして更に幾つかの前提の成り 立っている)すべての可能世界及び時間に於て後件が真である事を意味する。
しかし又,可能性を伴なう条件文も存在する。ここで,可能性とはメタ言語的 な存在量化を意味する。よって,可能性を伴なう条件文は,前件が真である
(そして幾つかの前提の成り立っている)或る可能世界及び時間に於て後件が 真である事を意味する。例えば,
(8>Wennαzu mlr k証,砿erhielt e苦s輌ch manchmal§t雛denl頭g mlt miL (彼は,私の所へやって来ると,しばしば何時間も私と話をしたものだ。)
(g)Wenn alles gut geht, kann er heute noch bei uns eintreffen.
(すべてがうまく行けば,彼は今日にも我々の所に到着するかも知れな
い。)
に於て,(8>は凡そ,彼が私の所へやって来たある時間に於て,彼は私と何時間も 話をしていた事を意味する。同様に(9)は,すべてがうまく行っている可能世界
があって,その世界に於ける,我々の世界での今鼠と同じ日に彼が到着する事 を意味する。これらの例でメタ言語的な存在量化が行なわれている事を,我々 は,(8)に於ける『manchmal』(「しばしば」)のような副詞や,(9)に於ける
『kann』(「〜し得る」〉のような助動詞から見て取る事が出来る。しかし,メ タ言語的な量化は,自然言語に於ては,全称量化と存在量化に限られるのでは なく,ゼロ量化と全称量化の間に連続的なニュアンス付けが存在する。それは,
様々な表現によって示されるが,その多くは副詞である。Lewis(1975:3)か ら,ドイッ語に直して幾つかあげると,『6fters』(しばしば),『niemals』(決 して〜ぬ),『gew6hnlich』(不断は),『meistens』(大抵),『selten』(殆んど〜
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ぬ),等がある。我々は,メタ言語的量化のこうした定量的なニュアンス付け を,「量化の力」と呼ぶ。メタ言語的な全称量化は,(6)を除く上記の例がそう であるように,多くの場合,言語的な指標を伴っていない。こうした場合には,
我々は量化の力を『immer』(常に),『jedesmal』(その度毎に),『notwendiger−
weise』(必然的に),『mUssen』(〜しなければならない)等の言語的手段に よってはっきりさせる事ができる。しかし,全称量化以外の量化に於ては,そ れを示す言語表現は不可欠である。
さて我々は,量化とその表現の間の関係をもう少し詳しく見てみよう。先ず 我々は,様相表現と時間表現を区別する事にする。前者には『mUssen』,
『sollen』(〜すべきである),『k6nnen』(〜し得る),『m6gen』(〜かも知れ ない),『dUrfen』(〜してよい),等の話法の助動詞,『notwedigerweise』,
『m6glicherweise』(もしかすると)のような副詞が含まれ,後者には『immer』,
『jedesmal』,『6fters』,『manchma1』,『selten』,『niemals』等の副詞が含まれ る。(時制等も時間表現に含まれるが,ここでは省略する事にする。)我々は,
様相表現と時間表現を合わせて「量化表現」と呼び,「Q一表現」と略記する。
一見した所,様相表現はW(可能世界の集合)の上の量化を,時間表現はT(時 間の集合)の上の量化を表わすように見えるが,必ずしもそうではない。我々 は,Lewis(1975)が指摘しているように,その中に寧ろ,量化に関する非選 択的な性格を見出す事が出来る。
(M) 一つの様相表現を伴なう条件文
先ず,Heim(1982:171)から,次の例文を考察してみよう。
00 1f a cat has been exposed to 2,4.D, it must be taken to the vet im.
mediately.
(ネコに2,4−Dがかかった場合は,直ちに獣医に連れて行かなければな らない。)
(1のIf・w・m・n s c・at i・missi・g f・・m the c・・t・a・k,・h・m・y hav。g。n,
out.
条件法意味論 87 (女性のコートがハンガーに掛かっていない場合は,彼女は外出している のかも知れない。)
これらの例に於て,『must』や『may』が,様相量化(即ち,可能世界の集合 の上での量化)に対してのみならず,時間的量化(即ち,時間の集合の上での 量化)に対しても役割を担っているのは明らかである。即ち㈹は,前件が(そ して何らかの前提が〉成り立っているすべての可能世界と時間に於て後件が成 り立つ事を意味し,⑪は,幾つかの可能世界と時間で後件が成り立つ事を意味 する。ここで注目すべきは,様相表現が,可能世界と時間の上に同一の量化の
力を及ぼす点である。即ち,全称量化や存在量化が両者の上に及ぼされ,分離 しては行なわれない。
しかし,様相表現だけの場合は,様相量化に重点が置かれているのは否定で きない。例えば,
(唖n−ndi・S・e ang・輌{嘉}・・j印・Ang・1・…
mitgenommen haben.
(彼が海釣りに行ったとすると(行く時は),あの釣り竿を持って行った
{麗漂ないい
の前文は,習慣的な意味よりは寧ろ,仮定的な意味に理解すべきである。即ち
⑫は通常,暗黙の内に或る特定の釣りをテーマ化している。
原則M:各々の様相表現は,それに固有の量化の力を伴った様相量化を表示す る。解釈に際して時間の集合が仮定されており,かつ時間表現が現われない場 合は,様相表現は,様相量化に於けると同じ量化の力を時間的量化の上にも及
ぼす。
(Z)一つの時間表現を伴なう条件文
一つの時間表現を伴なった条件文に於ては時間的量化のみが行なわれている ように見える。前出の(8>や,
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(1⇒We皿er nach Munchen kommt, steigt er immer im Vier Jahreszeiten ab.
(彼はミュンヒェンに来ると,いつもホテル四季に泊る。)
がその例となる。これらの例に於ては,可能世界は現実世界のみに固定されて
いる。
しかし,
ωW・nn di・S・nn・・ch・int,…igt imm・・di。 T。mp。,atur (日捌照ると,いつも気温が上がる。)
⑮ Wenn man allzu jung heiratet, fUhrt die Ehe manchmal zur Scheidung.
(余り若く結婚すると,結婚生活はしばしば離婚に終わる。)
といった例に於ては,様相量化の存在を感じ取る事ができる。即ち,00に於て は自然法的な必然性が,そして⑮に於ては性向的な可能性が問題となっている。
よって,我々は原則Mと類似の次の原則を立てる事にする。
原則Z:各々の時間表現は,それに固有の量化の力を伴った時間的量化を表示 する。解釈に際して可能世界の集合が仮定されており,かつ様相表現が現われ ない場合は,時間表現は,時間的量化に於けると同じ量化の力を様相量化の上 にも及ぼす。
(MZ) 一つの様相表現と一つの時間表現を伴なう条件文 例としては,
(12 )W・nn・・andi・Seeang・lngin島{:ll}・・{=。1}
jene Angelrute mitgenommen haben.
(彼㈱りに行く時は・{㌫も}あの釣竿を持つて行つた
{農漂ない}・)
が考えられる。⑫と異なり,(12 )の前文は一意的に習慣的な意味に解釈され
条件法意味論 8g
る。
原則MZ:一つの様相表現と一つの時間表現がいっしょに現われると,前者は 様相量化を,後者は時間的量化を表示する。これらは各々に固有の量化の力を
示す。
(0)Q一表現なしの条件文
この型の条件文を,我々は既に(4),(5),⑦で考察した。これらの例に於て注 意すべきは,それらが必然性の量化の力を持っている事,及びこの必然性が可 能世界,もしくは時間相間的に解釈される事である。更に,
(1⑤Wenn man keinen Freund hat, fUhlt man sich einsam (友達がいないと寂しいものだ。)
のような例も,それに対する傍証となる。即ち⑭は,可能世界と時聞の上の,
人聞の性向に制約された必然性を表わす。
原則O:Q一表現を伴なわない条件文は,様相的,及び時間的な必然性を伴 なった条件法を示す。
余論1:上記の条件文に於て我々は,その解釈にとってWもしくはTが重要で ない幾つかの例を見出した。しかし,重要度の基準は,絶対的根拠から,と言 うよりは寧ろ,WとTのうちのどちらを念頭に置いているか,という関心の相 違から来ている。と言うのも,殆んど全ての陳述がWとTを含んでいる1からで ある。にも拘らずそのうちの一つを重要でないと考えて省略する場合とは即ち,
何らかの理由でWやTの退化した場合である、以下に,上記の例から幾つかの ケースを拾って考察してみよう:
(W1)㈲は勿論時聞概念を含んではいるものの,通常の時間概念ではない。
(4)の前文は,その動物が,冬眠をする,という性向を持っている事を示す。
((4)は,冬眠をしている時だけその動物は鳥ではなく,それ以外の時には鳥 だ,と言っているのではない。)即ち,もし前文が真なら,それは常に真で ある。即ち,前文は汎時間的な性格を持っている。後文も又同様であり,そ
gO 小 松 寿
れ故文全体も汎時間的陳述を表わす。それ故,(4)の解釈に於てTは重要でな いo
(W2) ここ迄の例はすべて,時間的観念を含んでいる。しかし,数学的命題 は時間的観念から解放されている。即ちそれは無時間的である。条件文の形 の例としては,
(1カW・nn麺rch y di・idi・・t wi・d,・・wi・d・n・h・・2durch y di。idi。,t.
(コσがyで割り切れるなら,エ2もyで割り切れる。)
が挙げられる。この場合もTは重要でない。
(T1)我々は,(5),(8),(13を丁相関的にのみ考察したが,それは,それらが 或る一つの可能世界(ここでは現実世界)相関的にのみ解釈されるからであ る。(7)は様相的ニュアンスを伴って理解され得るかも知れない。しかし,
Spohn(1983:172)が述べているように,出来事というものが生来事実的 なものであるとするならば,我々は(7)も,(5),(8),(13と同じ方法で理解しな ければならない。
可能世界なしに時間を仮定する事は論理的に不可能であるから,(W2)の対 応物である(T2)は存在しない。
以上の直観的議論を我々は次のように形式化する事ができる:
(18:KF)4条件文の標準形への変換
『WennAsoB.』(AならばB。)(及びその統語的変種)の表層形を した条件は,『Qω,ん)』という形の標準形に変換される。
ここで,〃は条件文の前文,んは後文から(場合によっては存在している)
様相表現や時間表現を取り去った形である。Qは,量化子の統語変項を示す。
量化子とは,表層のQ一表現の,標準形のレベルに於ける対応物である。詳し く言うとM一量化子は様相表現に,Z一量化子は時間表現に対応する。『Q』は それ故又,『M』,『Z』,『MZ』等の統語変項でも表記される。 Q(ヵ,ん)中の Qは後文,もしくは『wenn』の前の副詞(例えば(6)を参照)から由来する。
『Q』は,副詞の場合は表層形で,話法の助動詞の場合は三人称単数の形で表
条件法意昧論 鋼 記される。Qの表層的対応物が存在しない場合は, Qは原則0に従って必然演 算子『口』となる。よって,標準形は,『口(ぴ九)』,『m鋤chnlal(ぴ胡』,
『muB immer(〃,ん)』等の形になる。三つ以上の量化子から成るQは現われ ないように思われる。
更に我々は以下に於て,必要な場合には,条件文をその量化の力,もしくは その標準形に於ける量化子に応じて,全称条件文,存在条件文,kan古条件文 等と呼ぶ。これとの類推で,我々は単文を単純muB−S鍍z,条件法を, so忙条 件法等と呼ぶ。
標準形は,基本的にはLewis(1975:11)に於ける標準形『副詞+if一条件 節+修飾文』に等しい。
(19:田)磐=〈Ω,C,γ〉を直説法条件文の解釈(文脈内包モデル)とする。
ここで,
Ω=W,T,もしくはW×T。 Wは可能世界の集合,アは時間の集合であ り,これらは空でないとする。
C:文脈の集合。
cεC。
⇔を量化子の集合とする。この時,
c:◎×Ω→2Ω Vl{多×C×Ω→{◎,1},
審二式の集合,
y(Qb,ん),c,ω)=1であるための必要十分条件は, c(Q,ω)
∩{副Vb,C.㎡)−1}∩{ω IV(ん,C,ω )−1}がc(Q,ω)∩{ω l V(∂,c,ωヌ)=1}に対して, Qによって定められた関係にある事である。
(2◎:靱)頒=〈Ω,C, V, c、,ω。〉を直説法条件文のモデルとする。
Ω,C, Vは(鵬に於けると同様である。
c。εC,ω。εΩ。
式φが頒に於て真であるための必要十分条件はV(Φ,C。,ω。)=1である。
式としては,ここでは『Qb,ん)』,脇』,『ん』を考えるだけで十分である。
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Ωとしては,W×Tの代りに,時間,もしくは可能世界の上の量化が重要で ない時はそれぞれ,WもしくはTを用いる。(余論1参照。)
我々は以下に於て,(磐)に於けるc(Q,ω)をR(発話の前提)で,{ω IV b,c,ω )=1}をA(前件)で,{ω lyぽ,c,ω )=1}をκ(後件)で,それ ぞれ略記する。この表記を用いると,(磐)に於ける『Qによって定められた関 係』とは,例えば次の事柄を意味する。
⑳Qが o劇ならば{㌶:1}・
さて我々は,(4)を例にとり,以上の定式化を適用して解釈してみよう。(4)は,
(KF)によって標準形 (4K) 口b,ん)
に変換される。ここで,oは『Das Tier halt einen Winterschlaf』を,んは
『Es ist kein Vogel・』を表わしている。(鋤,(頒)によると,別に於て(4K)が 真であるための必要十分条件は,
(41)・・(□・ω川ω lyぴ,・。,ω )−1}⊆{ω〃1γ(ん,c。,ω〃)−1}
である。
(41)を図で示すと次のようになる。
(41 ) Ω
条件法意味論 93
(4めは,条件法の意味論的構造を明瞭に表わしている。(4K>で主張されてい るのは,搬に於て口んが真である事であるが,唯,必然演算子『口』が R∩A相関的に解釈される,という事である。即ち,R∩Aは鋤から接近可 能なωεΩの集合を表わす。
一般的に言ってc(Q,.)5は,Ω=Wとして考えた場合,Kratzer(1978)に 於ける発話の前提と(Rε4硫η酩9Wηのと同じ物であり,様相論理に於ける接
近性の概念に対応する。(同書157−164頁参照。〉即ち,様相論理学に於いては,
R∩Aではなく,R(即ちc(Q,ω))を,ωから接近可能な可能世界の集合 と言っている。しかし,ここでは我々は,R∩Aを前提, Rを発話の前提と呼 ぴR∩Aの関数形(即ち、Ω→29,ωPc(Q,ω)∩Vb, c,∂)を接近 性,Rの関数形(即ちc(Q,.))を発話の前提の接近性と呼ぶ事にする。
発話の前提の接近性は,Qの表層的な対応物の発話情況§によって決定され る。それ故,それはQの意味の一部ではない。Qが決定するのは量化の力であ る。もし④の発話情況に於て㈲の代りに
(4 )Wenn das Tier einen Winterschlaf halt, kann es ein Bar sein.
(その動物が冬眠するなら,それは熊かも知れない。)
が発話されたとすれば,メタ言語的な「存在」量化が現われる事になる。しか し,(4>と(4 )の標準形に於ける『口』と『ka船』の間でc。(口,ω。〉=c。(kann,
ω。)が成り立つ。c(Q,.)はそれ故, KMtzer(1978), Stalnak荏(197◎)等が主 張しているように,生来文脈的な性格を持っている。(41)に於てc、(□,ω。)
は,ω。に於いて成り立つ動物学的法則,詳しくは,ω。に於ける全ての動物学 的法則の連言を意味する。各々の法則は命題,即ちΩの部分集合である。よっ て,c(Q,ω)は一般に, c,ωに於て発話の前提として機能している命題の集 合から成っている。(K蹴zer(1978:1◎8)参照。)
c(Q,ω)は,日常言語に於ては通常,cが固定されてもまだ,ω相関的に変 化する。例えば(4)に於ては,動物学的法則の内容は,ωεWに応じて変化す
る。しかしc(Q,.)は,日常言語に於てはそう頻繁に現われないと思われるが,
定項関数であり得る。例えば,
g4 小 松 寿
⑳Wenn der Gott Maui nur einmal einen Fisch aus sem Meer geangelt hat, muB er ein Hai gewesen sein.
(神,マウイがたった一度だけ海から魚を釣り上げた事があるとすれば,
それは鮫だったに違いない。) (Kratzer(1978:225)より。)
を考えて見よう。②の発話の前提はニュージーランドの神話であり,それによ るとニュージーランド北島は,神,マウイが,この世の初めの時に海から釣り 上げた鮫である,という事になっている。この発話の前提をすべてのωεΩで 保持する事にすると,⑳はすべてのωで真である。即ち,⑳は上記の前提の許 では永久文である。Kratzer(1978)は, c(Q,.)の値がωに応じて変る第一の 型を付随的(αμプゴδμ彦iη)な発話の前提,c(Q,.)がωに対して不変な第二の型を 指示的(τφτε励ε11)な発話の前提と呼んでいる(108−112)。
尚,y(0, C,ω)及びV(ん, C,ω)はCから独立である。と言うのも我々 は,文脈の様々な機能のうちの一つだけ,即ち発話の前提の接近性のみを仮定
しており,〃,んの中に或いは存在する直示的要素を,本論文では全く無視し ているからである。
Rが発話「情況」によって決定されるのに対して,Aは前文の「発話」に よって決定される。(同一発話情況に於てc(Q,ω)=c(Q ,ω)が成り立つが,
必ずしもy(〃,c,ω)=γ(〃 , c,ω)とは言えない事を参照。)テキスト言語 学の用語では,Rは文脈的(々0η彦εLτ彦μθZ1)に決定され, Aはテキスト内文脈的
(々0一彦ε」τ彦με11)に決定される,と言う事になる。それ故,κの前文,即ち接近可 能なωの集合は,自然言語に於ては,RとAによって二段構えに決定される。
これが自然言語の柔軟性を生み出す。
珊に於ける(4 )の真理条件はR∩A∩κ≠φに帰着する。即ちそれは,R∩A 相関的に可能演算子『◇』を解釈した場合の◇んの真理条件を意味する。我々 は(4)を,発話の前文R相関的な厳密含意『口(u一ん)』として解釈する事も出 来ただろう。しかし(4 )は,表層でwenn−so(炉疏εη)の構造を示すにも拘ら ず,『◇(〃一ん)』として解釈する事は出来ない。これが,前提R∩、4相関的 な上記の簡単な解釈を選んだ理由である。『口』,『kann』以外の量化子の解釈
条件法意味論 95 も同様の方法で行なわれる。例えば量化子『meistens』を伴なう標準形が真で あるとは,R∩Aの要素の大部分に於てXが真である事,と解釈される。
ρをW×Tとすると,いつもの問題一量化子の順序一が現われる。
我々は,
㈲ Wenn er in MUnchen gewesen ist, muB er einmal Hellabrunn besucht haben,
(彼がミュンヒェンにいたとすると,彼は一度はHellabrunn(ミュンヒェ ンの動物園の名)を訪れたに違いない。)
に対して,次のような標準形を考える事ができる。
(23K) a)muB einmal b,ん),
b)einmal muBぴ,ん).
これらの真理条件は次の通りである:
(23D 搬に於て(23Ka>,及び(23Kb>が真であるための必要十分条件は
鴎㌶蕊≡篇蕊対して}
〈ω,Dεc・(口,ω・)∩{ω IVb,c。,ω )=1}ならば 〈ω,Z>ε{ω ly(ん,c。,ω )=1},
が成り立つ事である。
(23Dは,系列(この場合は〈閲,8>)による解釈を暗示している。しかし,解 釈の基本的な考え方は同じである。即ち,前提と当該量化子の量化の力の制約
を満たすωに対して後件が真である事である。
条件文の前文が幾つかの文から成り立っている場合もある。例えば,
(2φWenn Hans zum Restaurant Taiman kommt, und auch Louise zu dem ReStaUrant kOmmちk6nnen S三e S輌Ch dOrはeff銀,
(ハンスがレストラン鯛萬に行き,ルイーゼもそこに行ったとすると,彼 らはそこで出会ったかも知れない。)
のような条件文である。⑭の標準形は
(24K) kann(z㌧〈u2,,九)
96 小 松 寿
となる。b1,(〃、)は,⑭の前文中の最初の(第二の)文を示す。)(24K)は,前 提R∩小∩んの許に解釈される事になる。
逆に条件文が前文を伴なわないとそれは,(場合によってはQ一表現を伴な う)単文になる。Kratzer(1978:101)から二つ程例を上げる:
⑳ Alle Hauser in Monaco mUssen bis zur Gebartstagsfeier der nationalen Unabhangigkeit blau gestrichen sein.
(モナコのすべての家屋は,国家独立記念日迄に,青く塗られなければな らない。)
¢θAramanta muB die Mottenkugeln aus der Schublade entfernt haben.
(アラマンタは,防虫ビーズを引出しから取り除けたに違いない。)
㈱,㈱は,muBんとして解釈される。ここでんは話法の助動詞『mUssen』なし の㈲,㈱を表わす。『muB』を解釈するための発話の前提Rは, Kratzer(1978:
103)によると,(29に対しては
(2カ das, was der Landrichter befohlen hat (代官が命じた事)
であり,㈱に対しては
(2g das, was wir wissen (我々の知識)
である。
話法の助動詞なしの
(2g Die Sonne scheint
のような単文はそうすると,暗黙の必然性を伴って解釈される事になる。これ は奇妙に聞こえるかも知れないが,必ずしもそうではない。¢9は
(29 ) Im Hinblick auf das, was ich weiB, scheint die Sonne notwen.
digerweise.
(私の知識相関的に,太陽は必然的に照る。)
と書き替えられる。即ちこれは,発話に際して私が,私の知識の蓄えから命題 を一つ取り出してそれを発話する事を意味する。⑳の標準形を『口ん』とし,更
条件法意味論 97 に,私の知識の蓄えは,事実である事すべてから成り立っているとする。する と,c。(口,ω。)={ω,}であり,口んは九と等しくなる。即ちこれは,発話の 前提の退化した場合である。
自然言語に於て,R, A,κは,Ωに於てそれらが成り立つ領域に関して,
以下で「偶発性条件」と呼ぶ条件下にある。これらの条件はトリヴィアルな発 話を阻止するためのものである。具体的には次のような条件である。
(30:KR)R≠φ◎
もしR=φならば,全称条件文は常に真になる。これはトリヴィアルである。
(31:KA)R∩ノ1≠φ。
もしR∩A『φならば,全称条件文の真理値は同様にトリヴィアルである。
Kratzer(1978:263)から(KA)の例をあげよう。
(32a)Kap泊n R6磁ch:Wenn Kapi垣n Ge脇ch he磁e das Kom孤nd◎auf der Malaria hat, da醗hat s量e d輌e C◇ve雄y−lnseln je斑sicher noch nicht erreicht.
(赤玉船長:もし今日黄玉船長がマラリア号の指揮をとっているなら,船 は未だカヴェントリー島に着いていない筈だ。)
(32b> Kapitan Blaulich:Aber Kapitan Gelblich hat heute doch nicht das Kommand◎auωer Malaria .
(青玉船長:でも黄玉船長は,今日はマラリア号の指揮をとっていない
よ。)
この対話は更に次のように続く:
(32c) Kapitan R6tlich:Aber ich habe doch gar nicht behauptet, daB Kapi伽Gelb§ch heute das Kommand◎auf der Malarla hat. Ich habe
ぼ ごメ
戊an但w孤n gesagt
(赤玉船長:いや,黄玉船長が今日実際にマラリア号の指揮をとっている,
とは言ってないよ。唯,『もしそうだったら』と言ったんだ。)
(32d) Kapitan Bl5ulich:Ach so, la.
(青玉船長:ああそう。)
98 小 松 寿
(32b),(32c)に於て,青玉船長と赤玉船長は,(32a)の条件文に対してそれぞ れ別のモデルを持っている。青玉船長の発話の前提R。は,前件Aの否定領域の みを含んでおり,それ故R。∩A=φとなる。これに基づいて青玉船長は,
(32b)の反論で,赤玉船長の条件文の奇妙さを指摘しているのである。しかし,
(32c)で赤玉船長は,彼自身の発話の前提R,をはっきりと示している。この R,は,AかAのどちらか一方をのみを含むという事はない。この発話の前提相 関的に,青玉船長も,赤玉船長の発話に同意しているのである。
前件が幾つかの命題A1,,_. A.から成り立っている場合,(KA)は次の一 般形
(31 :KAη)R∩、4、∩_∩∠4η≠φ (η≧1)
になる。
(33:KK)R∩K≠R。
もしR∩κ=R(即ちR⊆κ)ならば,条件法は前件とは独立に真となり,前 件は言語的に冗長となる。例としては,
βφWenn ich ein Haus besitze, muB die Lichtgeschwindigkeit eine Kon.
stante sein.
(Kratzer,1978:261)
(私が家を持っていれば,光速度は一定である。)
が考えられる。㈱の発話の前提を自然法則の集合とするとR⊆κとなり,
(KK)が破られる事になる。
これらの偶発性条件の共通点は,それらが破れると,全称条件文が,その前 文もしくは後文の種類とは無関係に真となる事である。例えばR=φになる と,全称条件文は,前文及び後文が何を意味するかに拘らず真となる。これと 類似の事柄は,全称量化以外の量化の力を持った条件文についても言える。こ
うしたケースは情報的に意味がなく,言語的に冗長である。即ち,意味論的並 びに言語的にトリヴィアルである。こうしたつまらなさを阻止するために偶発 性条件を仮定する限りに於ては,それらは寧ろ実用論的な条件である。しかし それらは,論理的,並びに言語的に基礎付けられている。
条件法意味論 gg 余論亙:上記の偶発性条件以外にも,R≠Ω, R∩A≠R, R∩κ≠φ,更に単文 に対してφ≠K≠Ωなどがその候補として考えられる。実際Kratzer(1978)は R∩A≠Rも偶発性条件に加えている(261f.)。これらの候補に於ても,意味論 的,言語的基礎に立った実用論的な判断が行なわれている。しかし,これらの 偶発性条件は,上記のそれに比べて妥当性に乏しいように思われる。
R∩A≠R:
㈹ Wenn輌eh euαBe{ehl§haber b桓,職ぴ輌hぞmelnem Kom茎nand◎
folgerL
(もし私がお前たちの指揮官であれば,お前たちは私の命令に従わなけ ればならない。)
は,発話者が指揮官である事を皆知っているような情況では奇妙に響く。そ の場合は,㈲は寧ろ,前文なしに発話されるか,『wen司の代りに『we司 (〜であるから)を用いなければならない。
しかし,
⑯ Wenn der Mensch zwei Ohren und nur einen Mund hat, so heiBt es,
da∬er viel h6ren, aber wenig reden solL (関口,121973:84)
(人間に耳が二つあって口が一つしかないのは,多くを聞いて少なく しゃべれ,という事である。)
のような文は,我々の常識相関的に解釈しても有意味である。即ち,⑯の前 文は,㈹の含蓄を理解するのに必要な事実を指示しているのである。
κ≠φ:はっきりと矛盾した文 ⑰ 1+1=3
は,通常の発話としては極めて奇妙に響く。
しかし,国の弱化した形
(鋤 Eins plus eins ist nicht immer zwei
(1たす1がいつも2になるとは限らないよ。)
を我々は,論理的矛盾と見倣す事は出来るけれども,思った通りに事が運ぶ とは限らないという意味に理解する事ができる。
100 小 松 寿
偶発性条件の他の候補に対しても,類似の弁護と反論が可能である。ここで 採用した偶発性条件と上記の候補を類別する絶対的な基準はないように見える。
唯,ここでは,選択を厳しくして,最低の偶発性条件を採用したのである。
発話の前提の性格は,発話の情況に応じて様々に変化する。(4)の発話の前提 は動物学的法則であった。(5)及び(8)のそれは,後文の主語の習慣的性向である。
⑩及び㈲の発話の前提は規範的な意味に,そして⑪のそれは認識論的な意味に 理解される。他の場合には発話の前提は,現実的,論理的,神話的,自然法則 的,意欲的等の前提であり得る。
発話の前提の性格は,表層のQ一表現から大まかに見て取る事ができる。発 話の前提が事実の一部 これは,現実的な発話の前提から始まって,習慣 的,性向的,自然法則的,更には論理的な発話の前提迄を含むのであるが から成り立っており,条件文が必然性を伴っている場合は,条件文にはQ一表 現が現われないか,或いは『immer』のような副詞が付加される。このような 発話の前提は事実的,即ちω∈c(Q,ω)である。発話の前提が規範的,認識 論的,推測的等の特殊なニュアンスを持っている場合,発話の前提はもはや事 実的ではなく,Q一表現としては『mUssen』,『sollen』(〜すべきである),
『notwendigerweise』(必然的に)等が現われる。
1.1規範的条件文
von Wright(1977:19−39)は,規範的陳述のための論理学を,我々と同様 の構想の許に展開している。彼の理論は,規範的条件文,即ち,直説法soll一
もしくはdarf一条件文にも適用可能である。我々は,彼の理論を,我々の理論 中にその対応物がある限り,我々の表記法で表わす。すると,彼の理論は,
我々の理論の一つの拡張形である事が分かる。
規範的単純文から考察を始めよう。次の単純soll一文
(3g Du sollst nicht t6ten (汝,殺すなかれ。)
条件法意味論 妻Ol
は
(39K)0ん
のように定式化される。ここでんは『sollen』なしの㈲を表わす。0は義務演 算子である。(39K)は次のように定義される:
(39KD) 0ん:=Nc(ん,∫):=□(∫→ん)〈◇〜ん〈◇1.
ここでNc伍,1)は,九は1の必要条件である,と読まれる。先ず最初に部分 式『口(1→ん)』一一必要条件の通常の定式化 を考察してみよう。『1』は von Wrightによると暗黙裏に前提された規範を表わし,文脈依存的である。
倒に対しては,例えば十戒のようなものを考えればよい。『∫』はそれ故,
我々の用語で言うと,規範文脈に於ける発話の前提Rに当る。von Wrightは,
彼の論理体系に対して公理論的基底としてM(Tと同値〉を仮定しているのみ で,それに対するモデルを与えていない。しかし,『口』をユニヴァーサルな
▽意味,即ち,V([コ(1→ん),c,ω)=1であるための必要十分条件は,すべて のω εΩに対してV((∬→ん),c,ω )=1である事,と理解すると,□
(1→ん)は,∬相関的なんの必然性を意味する。即ち,規範的単純soll一文に対 する我々の解釈と同じである。『◇〜ん』と『◇∫』は,んと∫に対する規範的な 偶発性条件を表わす。この二つは,それらが破られた時に生ずる不合理な,な いしは直観的に明確でない帰結を避けるためのものである。即ち,もし〜◇1,
つまり∫が恒偽である時は,全ての事柄について,それを成す事が義務となる。
又,〜◇〜九,即ちんが恒真ならば,んは常に成されねばならない事になる。
◇∫は我々の(KR)に,◇〜九は,偶発性条件の候補K≠Ωに対応する。それ故,
von Wrightの偶発性条件は我々のそれと似通っている。しかしそれは規範的 に動機づけられており,我々のものと全く同一という訳ではないここの事は更 に,(42KbD),(48KD)に於いて見る事になる。
単純soll一文は,表面的に定言命令の形をしている。.しかし,上記の解釈に 従うとそれは,∫相関的な仮言命令である。それ故,
㈹ Wir sollen die RUstung f6rdern.
(我々は軍備を拡張すべきである。〉
102 小 松 寿
と
(41)Wir sollen die AbrUstung f6rdern.
(我々は軍備を縮小すべきである。)
は,異なる∫相関的に共に真であり得る。しかし,政治的,倫理的意味に於て は必ずしもそうではない。
von Wrightによると・許可文は二通りに定式化する事が可能である。例えば,
(4ヵ Du darfst rauchen.
(君はタバコを吸ってよい。)
は,
(42Ka) 〜0〜ん,
もしくは (42Kb) pん
として定式化される。(42Ka, b)に於けるんは『dUrfen』(〜して宜しい)なし の幽を表わす。Pんは,んが∫に対する十分条件である事を表わす。即ち,
(KbD) Pん:=Sc(ん,∫):=□(ん→1)〈◇んく◇〜∫。
『口(ん→∫)』は,(39KD)に於ける『□(∬→ん)』と同様に理解される。『◇
ん』と『◇〜∫』は偶発性条件である。即ち,もし〜◇〜∫,つまり∫が恒真で あるならば,すべてが許される。又,もし〜◇ん,即ちんが恒偽ならば,んは 常に許される。偶発性条件は,こうしたケースを排除するためのものである。
0ん,〜0〜ん及びPんの真理条件は,本章の理論的枠組に於ては,次のよ うに図示される。
(43・・0ん)Ω (43b・〜0一ん)Ω (43。、Pん)Ω
条件法意味論 103 これより我々は直観的に
(43 )
〇九
〉一・一九・
Pん
のような導出関係を見て取る事ができる。この推論は形式的にも妥当である。
通常の規範論理学に於ては,Pが〜0〜として定義されるから〇九⇒P九が成 り立つ。しかしここでは,0んと新しく定義されたPによるP九との間には,
導出関係はない。更に注目すべき点は,Pんから〜0〜んが導き出されるが,
その逆は成立しない事である。即ち,Pんは強い許可であり,〜0〜んは弱い 許可である。von Wrightによると『P』は積極的な「〜してよい」を表わし,
『〜0〜』は消極的な「〜する必要はない」を表わす。
単純soll一文がw銀含文によって制約されるとsolL条件文が生ずる。例えば,
⑭Wenn die Verkehr$ampel rot ist, muB 8 man halten.
(信号が赤の時は止まらなければならない。)
がその例である。
solL条件文の標準形,即ち『soUぴ,九〉』は,上記の議論によると, von Wr輌ghtの表記法では『0(穀→川』で表わされる事になる。というのも次の 等値が成り立つからである。
㈲ 0ω→九)仁⇒」Vcb→ん,∫)
⊂⇒口(∬→(o→1L))〈◇∬〈◇〜(u→ん)
⊂⇒口((∬〈∋→ん)〈◇∬〈◇〜(o→ん)。
ここで偶発性条件を無視すると,㈲は本章での理論的枠組に於けるsoUぴ,
ん)を表わす。
そうすると,⑭が(姐に於ける)c奪,⑭で真であるための必要十分条件は,
全ての交通法規が守られていて信号が赤の時,人が止まる事である。(㈲の∫
は交通法規を表わしている。)
このようなsoll一条件法をvon Wrightは,義務への拘留(ω〃2琉擁θ⇒と呼 んでいる。そして彼もそれを最初は㈲で定式化している。しかし,彼は直ちに
104 小松
寿㈲の欠陥を指摘している。即ち,
㈲ 0〜ρ〈◇〜ん⇒0(の→ん)
は様相体系丁で妥当である。㈲は,人がある禁則を侵すと,必然的に真でない 全ての事柄を行なわなければならない事を意味する。これに対する意味論的説 明は簡単である。
0〜oは・偶発性条件を無視すると□(∫→〜〃)に等しい。それ故,soll b,ん)
に於てR∩A=φである。よって0ぴ→ん)はトリヴァルに真である。我々は,
R∩A=:φが(KA)に違反していると反論する事も出来よう。しかし,
(4カWenn du t6test, sollst du selber sterben.
(汝,人を殺したる時は,自ら死なねばならない。)
のようなR∩A=φ(Rは道徳)を伴うso11一条件法は,⑭のようなR∩A≠φを 伴なう条件法と並んで全く正常である。(KA)は,非規範的な直説法条件法に 於ては妥当と考えられるが,規範的条件法に於ては,0〜u(即ちR∩A=φ)
である場合を無視できない。即ちこれは,Ob→ん)が, soll一条件文の定式化 としては妥当でない事を示している。
我々は,R ∩A≠φとなるように, Rの制約を最小限緩めてR とする事によ り,この困難を逃れる事も出来よう。R は㈲に於ては,従来の道徳から「誰 も殺人を犯さない。」という命題のみを取り去った道徳である。そうすると㈲
は,R と「汝は人を殺す。」という命題が真である全てのωに於て,「汝自らが 死ぬ。」という命題が真である事を意味する。
しかし・この困難を除くためにvon Wrightは, soll一条件文の別の定式化を 提示している:
(48KD) Q(ん/o):=Scω,0ん)〈〜口(〃→ん)
Q(ん/o)は,oであるならば九をしなければならない,と読まれる。定義項の Sc(o,0ん)は, oは,んが∫に対する必要条件であるための十分条件である 事を意味する。〜口(o→ん)は偶発性条件であって,□(o→ん)の成り立つ場 合を排除するためのものである。口ぴ→ん)が成り立つと,後文は前文から必 然的に出て来る事になり,当為の実質的な意味が奪われる。ここで,Q(ん/め
条件法意味論 105
言0(宕→ん)が成り立つ。よって,Q伍/のは0(ガ→川よりも強い主張で ある。又,0〜ヵ〈◇〜九⇒Q伍/め9が言える。これは,新しい定式化によっ て上記の困難を排除し得る事を示す。(48KD)から偶発性条件を削除すると,
Q(ん/u)は
(48KD ) 口b→口(∬→ん))
になる。ここで口に対して接近性のユニヴァーサルな読みを仮定すると,
(A≠φの時)(48KD )は口ぱ→川に等しくなる。このユニヴァーサルな読 みは,前記の箇所では,説明を簡単にするために仮定したのであって,必ずし も妥当ではない。と言うのも,この読みはS5の接近性,即ち,Ωの上の反射的,
対称的,推移的な接近性である。T一モデルの接近性としては反射性だけが仮 定されている。口に対するT一必然性を伴なった(48KD 〉の妥当な解釈は凡そ 次のようになる:(48KD )が(T一モデル頒に於て)c。,ω。で真であるための 必要十分条件は,A相関的に定められるRの部分集合R、があって, R。⊆Kと なる事である。
次に,この二つの方法のうちのどちらを採るかが問題となる。両者は,Aを 考慮しつつ何らかの方法でR∩Aを空でなくする,という点に於ては等しい。
両者の相違は,それ相関的にKが解釈される背景が,第一の方法に於てはRと 非両立であり,第二の方法に於ては両立する,即ちRの一部である点である。
この相違は,次のような相違となって現われる:
(4g Wenn du einmal get6tet hast, soll3t du immer t6ten・
(君が一旦人を殺したなら,君は常に人を殺さなければならない。)
㈹Wenn du auch get6tet hast, es ist doch noch richtlg, daB du nicht t6ten sollst,
(君が人を殺したとしても,君が人を殺してはならないのは依然として正 しい。)
㈲,陶に於て時間的要素を無視すると,第一の方法では,㈲は真で⑩は偽とな るが,第二の方法では逆に⑲は偽で⑩は真となる。そして我々の直観は明らか に,第二の方法による真理条件を支持している。そうすると我々は,第一の方
106 小 松 寿
法ではなく,von Wrightの定式化を採らなければならない事になる。しかし 上記の論証だけではvon Wrightの方法を確定するには十分でないように見え るし,(48KD )の意味する所も必ずしも明らかではない。この問題は今後に残 しておく事にする;°
余論皿:von Wrightの主張で注目すべきは,命令文が真理値を持たないのに 反して・soll一もしくはdarf−(条件)文は陳述文であって真理値を持つ,とし ている点である。実際,これらの文が真理値を持つ事は,上記の考察に照らし て明らかである。にも拘らずそれらが命令文のように機能するのは,von Wrightによるとそれらが容易に,命令の発話内的力を持ち得るからである,
という。
2.直説法限定文
前章に於て我々は,考察の対称を命題論理のレベルに限定した。しかし,分 析を述語論理のレベルに迄深めると,Q一表現による量化が個体領域のレベル に迄達しているのが分る。その例は,既に前章の例文の中にも見出される。例 えば
⑰ Wennエdurch y dividiert wird, so wird auchエ2 durch y dividiert。
では,自由変項鵡 yの値域の上の全称量化が行なわれている。ここで,その 全称量化の力は原則0に対応している。更に,エ,yの値域は,ここでは暗黙 のうちに自然数の集合Nの上に限定されている。Ωを簡単のために個体領域σ の上に限定しよう。すると⑰は,この場合は個体のレベルでの,R, A,κに よる条件文の我々の解釈を正確に表わしている。即ち⑰は,発話の前提1V2と,
前件{〈品y>1エはyで割り切れる。}に属するすべての〈エ,y>が後件{〈エ, y>
1げはyで割り切れる。1に属する事を意味する。
数学の自由変項は,日常言語に於ては殆んど現われない。日常言語に於ては どのような表現が自由変項の役割を演じているのであろうか。Lewis(1975)や
条件法意味論 m7 Heim(1982)は,不定名詞句がこうした自由変項を含んでいると仮定している。
というのも,
151>Always, if a man owns a donkey, he beats it (ロバを持っている男は,常にそれを殴るものだ。)
に於ける名詞句(NP)は,直観的には特定の男やロバではなく,「不定の」男や ロバを指す。それ故,ユニヴァーサルな読みを許す事になる。Lewis(1975)
によると,(51)は
(5ゴ) Always, if 3c is a man,輌fぼ§ad◎nkey, and ifコc ownsμ・3c beats紗・
(エが男で,yがロバで,エがyを所有していれば,エはいつもyを殴る。)
に書き換えられる。そして全称量化の力は,全称量化子(この場合は
『always』)によってOC,〃が縛られる事によって生ずる。第1章の例⑩,⑪も 同様にして理解される。これらの例に於ては,『must』,『may』という量化表 現が,当該の量化の力を不定名詞句『acat』,『a w◎man』の上に及ぼしてい
る。
しかしこれは,『a(n)』を一律存在量化子『ヨ』に訳していた論理学的伝統 からの明らさまな離脱である。⑪のような『a(n)』から『ヨ』への翻訳が常には 成り立たない文は「ロバ文」(40〃々一ぶ繊θη6のと呼ばれ,そこから,Lew輌s (1975>,Heim(1982)に於けるような新しい解釈が発展して来た。
ドイツ語に於ては『ma司,『e輌n廿』のような不定代名詞も同様の方法で解 釈し得る。即ち,『man』,『einer』を『ein Mensch』(或る人間)に書き替え ればよい。⑮,(1θがこの事を示している。しかし,『man』については表層的 な制約がある。即ち『man』は『er』では受けられず,その都度繰り返されな ければならない。それ故,『man』が前出の『man』と同一物を指示する場合 は,照応代名詞の『er』として理解されなければならない。この事は下記の
(A9)で考慮されている。
条件法的な思考法は条件文だけには限られず,(1)のような規定詞文も同様に 解釈される。と言うのも(1)はLewi3の方法によると
(1 )Wennエein Mann ist, lauftコc.