ベルリン・ディスカッション
──ベルリン(フムボルト)大学における ヨーロッパ・エスノロジーの十年と今後の課題──
ヴォルフガング・カシューバ/ペーター・ニーダーミュラー/
ベルント=ユルゲン・ヴァルネッケン/ギーゼラ・ヴェルツの座談会 司会:シュテファン・ベック/レオノーレ・ショルツェ=イールリッツ
(2001)
Berliner Diskussion: Perspektiven Europäischer Ethnologie — Versuch einer Zwischenbilanz. Gespräch zwischen Wolfgang Kaschuba, Peter Niedermüller, Bernd
Jürgen Warneken und Gisela Welz. Programmdirektoren: Stefan Beck und Leonore Scholze-Irrlitz. (2001)
河 野 眞(訳)
Japanese translation by Shin Kono
愛知大学国際コミュニケーション学部 Faculty of International Communication, Aichi University
E-mail: [email protected]
目 次
はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 90
I.ヨーロッパ・エスノロジーのフィールドと問題性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 91
Ⅱ.専門分野の伝統と境界 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・101
Ⅲ.東西ヨーロッパ間の専門分野のパースペクティヴ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・105
Ⅳ.複合社会におけるヨーロッパ・エスノロジー:理論的・方法論的取り組み ・・・・・・113
おわりに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・122
訳注 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・123
解説(河野眞) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・130
Summary
On the occasion of Wolfgang Jacobeit’s 80th birthday and the approaching tenth anniversary of the Institute for European Ethnology’s founding, panellists participating in the “Berlin Discussion” asked
about the further development of European Ethnology—both in Germany and specifically at the institute in Berlin.
The panellists first discussed to what extent and how European Ethnology can further develop via theoretical and methodological perspectives instead of thematic or spatial foci. In this sense, “European”
would not signify a focus on the spatial field of the European continent, but rather a critical review of European ideologies, knowledge, and culture and a “post-colonial” perspective on these paradigms. In line with this purpose, many ethnological research projects at the Institute currently focus on the connection between the actions of social groups and the cultural mechanisms behind these actions.
These projects employ a mode of “socio-scientific cultural research” which is related to social anthropology in the UK and to cultural anthropology in the USA.
Secondly, it was noted that there are still many differences between the theories, concepts and methods employed at various institutes for European Ethnology, and that we must address the disciplinary folklore traditions even more closely than we have thus far.
Thirdly, panellists asked themselves to what extent the field of ethnology should develop an interdisciplinary perspective, especially with respect to other social sciences. In this sense, interdisciplinary work not only involves crossing boundaries between the social and cultural sciences, but also developing actual “interdisciplinary” and “transdisciplinary” methodologies in order to further understand the connections between culture and society.
Fourth, panellists discussed how to develop an ethnological research agenda whose topics are not primarily about continuity and tradition but rather about social chance and cultural innovation. Within the cultural sphere, this dimension of change has been manifested more and more explicitly as motive force of late modernity and has been reinforced by varied phenomena of globalisation, all of which further accelerate exchanges between cultural patterns and practices.
Fifth, it was particularly emphasised that discussions about ethnological methodology and self- reflection must be put at the forefront of ethnographic analysis. This especially refers to the specific methods of ethnological fieldwork, to the researcher’s role in the field and also to the implications of the debate about “writing culture” for ethnological writing and publishing in the future.
All of the panellists agreed that the Institute in Berlin should further promote the internationalisation of European Ethnology—especially against the background of the many separations still to be overcome between Western and Eastern Europe.
はじめに
レオノーレ・ショルツェ=イールリッツ(ベルリン大学 ヨーロッパ・エスノロジー研究所地域 ミュージアム主任研究員)*:先ずは、この座談会のために時間をとっていただいたことにお 礼を申し上げます。始めるにあたりまして、この座談会の企画はヨーロッパ・エスノロ ジー協会の設立10周年の節目1)に因むことを特に挙げたいと思います。フムボルト大学
(ベルリン大学)ヨーロッパ・エスノロジーのパースペクティヴをめぐってかかる座談をひ らくことができたこと自体、当研究所のよき伝統によるものです。と共に、自己省察、す なわちヨーロッパ・エスノロジーあるいは工業社会における専門的な文化研究の内容・方
* 座談参加者の最初の発言に当時の職名を付記する。今日の職名の他、年齢や経歴については解説を参照。
法・パースペクティヴの如何は、本来取り上げるべき課題でもあります。そもそも学問 は、自己自身について絶えず、間断なく自省することによってのみ実現するものであると 言ってもよいでしょう。学問の諸分野にも物質的所産にも、またそれらの分肢においても 見られるのは、問題設定の意味が大きくなる一方という現実です。社会的諸条件とパース ペクティヴ(視座)への絶えざる反省を欠いては、学術的作業はあり得ません。つまると ころ、そうした考察が学知の活用と応用へつながってゆくわけです。それは、近年では医 学や遺伝学において特に顕著にみとめられます。しかし文化研究(人文科学)2)の場合でも、
そうした反省や議論の重要性はたかまる一方です。またその観点からは、私たちの専門分 野ではどういう課題が立てられるべきでしょうか。ヨーロッパ・エスノロジーが、現今の 諸世代の自己理解に影響をあたえるだけでなく、おそらくその変化をもうながすとすれ ば、それはどの程度なのでしょうか。またここに着目するなら、ここで最初の問題点、す なわち私たちがこれから取り上げようとする問題点が浮上します。すなわち、ヨーロッ パ・エスノロジーのフィールドと対象、それにパースペクティヴとは何かという問題点で す。それは、総括的な研究プロジェクトとは何かと言い換えてもよいでしょう。
Ⅰ .ヨーロッパ・エスノロジーのフィールドと問題性
ヴォルフガング・カシューバ(ベルリン大学 ヨーロッパ・エスノロジー研究所 教授):我々は、
以前、自分たちなりの問題直視3)に沿って多数のテーマを取り上げ、フィールドとして設 定したものです。つまり対象設定なのだが、昨今、理論的にも方法論的にも、さらに展開 を考えなければならない状況であることに気づかされている。今すぐ頭に浮かぶ問題複合 としては、さしあたって5点を挙げてみたい。第一は、社会を視野において文化を問うこ と、言い換えると、文化が社会的な統合観念あるいは逆に不統合観念として大きな意味を もってきている様相に、より強く関心と緊張をもって取り組むこと4)。文化は反統合の側 面でも強まっているはずなのだが、我々の専門分野の推移を見ると、常に注意が向けられ たのは統合観念の側面だった。さしずめ民(フォルク)の概念5)がそれにあたるだろう。第 二に、我々の物の見方がより社会に足の着いたものとなっているか、またどうすればそう なり得るかについて、もっと議論を重ねる必要がある。少し前には、それは政治へのアプ ローチという言い方をしており、またフォルクスクンデ(民俗学)の自己解放などとも言っ ていた。第三は、この専門学のいわばストラテジーにかかわることがらなのだが、我々が 立っているのは、文化研究と呼ばれる河流のどの辺りなのか。観察者なのか、自分も泳ぐ のか、それも流れに沿うのか、それとも逆らうのか。コンセプトにかかわる考察を概観す るなら、これまでもそうであったように中心的な機能を自分が果たすのかどうかという問 題も出てくるだろう。パースペクティヴの取り方でも重点にしぼるのではなく、幅に力点
ヴォルフガング・カシューバ
をおく観点もあり得るが、その場合、自分を見失うリス クも高まることになる。第四に、どの種類の学知の生産 にかかわるかという課題も起きる。1960年代以来、批 判的なフォルクスクンデ(民俗学)や自省的な文化研究 をめぐって思いわずらい勝ちな者4 4 4 4 4 4 4 4 4 4と評論家に呼ばれるよ うなものが頭をもたげたものだったが6)、それでもなお 発言ができるのだろうか。他者に強いてもよいだろう か、つまり、予測や仮説を提示できるだけのものがある だろうか。第五に、ここから必然的に生じることだが、
我々が生産する学知とはいかなるものであるべきか、
マーケットを念頭に置くべきだろうか。またいかに振る 舞うべきだろうか。今仮にだが、作業を分割してみよう。つまり、フォルクスクンデ、経 験型文化研究7)、ヨーロッパ・エスノロジー、これらの看板はそれ自体がアカデミックな 形態に引きこもっているところがある。実際には修了者はマーケットへ積極的に出てゆか ねばならないわけだ。以上、数点を挙げてみた。
ギーゼラ・ヴェルツ(フランクフルト大学 ヨーロッパ・エスノロジー研究所 教授):問題点に対 するお二人の問いかけについて、私なりにちょっと考えてみました。この専門分野の問題 点を全体としてはどう見るべきか、ということです。この専門分野が永く問題にしてきた のは、個別事象や固有の意味合いが見過ごされ、正当な権利をみとめられず、上から枠を はめられたり押しのけられたりして、多様な社会的状況や社会的集団のなかでだいなしに されることでした。人々の伝統に沿った姿勢への関心から始まり、今、私たちが前にして いるような研究分野となるまで、ずっとそうだったのです。つまり低位のマージナルな集 団、たとえば移民の若者たちのような社会的に排斥あるいは邪魔者扱いされている集団の 実態についてもそうなのです。その実態を正当にあつかい、文化的な実情をあきらかにす ることが重要だったのです。
少し私自身の研究にもどってみますと、ストリート・ライフは、たしかにその方向をた どった研究でした。つまり、善意の社会改良のプログラムにまで批判を向けたのです。そ うしたプログラムは、個別事象あるいは自己心情8)を救いだし、あるいはそれを鼓舞する ことを前面に据える、すなわち、言うなれば多文化的なポリシーであったわけです。と言 うことは、私たち自身も多少とも貢献したはずの文化付与を今度は解体しているのです。
それは、反省的姿勢がもってしまうもう一つ側面で、社会的なコンテクストのなかに私た ちの学問知識を浸透させるとそうならざるを得ないのです。これから私がもっと問題にし たいのは、以前なら文化批判的に語るだけであったと思われる場所で、社会的な振る舞い とその連関における個別事象あるいは特殊心情を問うていることです。社会的なまとまり
ベルント=ユルゲン・ヴァルネッケン を探るあらゆる実作業は、そうならざるを得ないでしょう。そうした実作業、つまりマス メディアは消費やツーリズムの受容など、これらは私たちが覗いてみようとする領域で す。行動における遊び幅があるかどうか、あるいはそれどころか抵抗の余地もあるかどう か? ──問題は、そうしたプロジェクトの要点として、モラル的な側面が高度に重なっ てくることです。社会的にある程度目立ったこれらの集団や実態を私たちの観点でもって 臨むわけですから、当然にも、先ずはそうした集団に何らかの救いを差しのべることにも なります。同時に、彼らに対する私たち自身の見方を訂正したり、強化したりすることも 起きてきます。のみならず、そうしたし批判的視点はまた、私たちの対象を別の仕方で組 み変え、構成し直すことができればという願望ともむすびつきます。言い換えれば、日常 を学問的に把握することにはじまり、後期モダン社会のなかで起きている変化の意味につ いて問題分析をおこない、さらにグローバリゼーション時代に社会的摩擦がどのような組 成をもっているかを問うことになります。その際、明らかに意識しておくべきなのは、私 たちが文化を分析する社会科学4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4にたずさわっていることです。でなければ、たちまち ヒューマン・サイエンス、すなわち精神科学(人文科学)の分野へと押しもどされかねま せん。それは好ましくない展開であると私自身は感じています。工業社会はネオ工業社会 やポスト工業社会の方向へ変化していると言ってよいでしょうけれど、それは知的生産物 や知的転移が中心となる社会です。
ベルント=ユルゲン・ヴァルネッケン(テュービンゲン大学 験型文化研究ルートヴィヒ・ウーラン ト研究所 教授):文化研究以上のものと言うのは、私もそう思う。〈文化をめぐる社会科学〉
にはぐっと
4 4 4きました。と同時に、専門分野を指す言い方として一番よいのは〈ソーシャ ル・アンソロポロジー〉でしょうね。もっとも、イギリスではこの分野名はすでに非常に 特殊な定義をもつものではなくなっていることも分かってはいるのだが ── いずれにせ よ、エスノロジーとソシオロジーの結合に自分たちの可能性を見ようと思う。それは、エ スノロジーには誤った他者区分9)の仕組み、つまり根本
的に誤ったヒエラルヒーが含まれていると見ているから でもある。それに対して、社会学には支配を分析する、
また支配を批判する契機があり、それがためにエスノロ ジーの文化相対主義を無駄話や暇つぶしに陥らせず、多 種多様な集団機会や国民文化などにあって潜在的に不均 等なものである個々人の行動の幅を気づかせてくれる度 合いが高いことになる。
しかし一つ付け加えておきたいのだが、社会学的な思 考とエスノロジー的な思考の結合と言っても、この二つ の学問分野の対象野をそっくり自分のものにしようして
いるわけではないことだ。我々の能力がおよぶ範囲はずっと狭いんだな。非常に問題の大 きい領域であることをも改めて指摘しておくべきだろうけれど、たとえば〈フォルクスク ンデ〉(民俗学)という専門分野をいわば〈プリミテゥヴに〉継承しているといったことも そうなのだ。こういう言い方自体がきわどい感じに響くかも知れないのだが、〈伝統的〉
と〈モダン〉の対比、また〈プリミティヴ〉(primitiv)と〈文明化された〉(zivilisiert)と いう(専門分野のなかではすでに脱対比的となっている)関係への取り組みという以上で はないわけだ。これには、モダンな文化型と不(あるいは非)モダンな文化型というリア ルな非同時性ないしはリアルな混合を調査すること、さらに〈非モダン=非文明化〉と
〈モダン=文明化〉のような統合の解体も入ってくる。こうした対比では、たとえばナチ ズムはモダンの自己倒錯というより、主要にモダンの退行10)とみなすことができることに なる。これらの問にたいしては、我々の専門分野は、多彩な材料によってだけでなく、永 い経験によって寄与することができる。モダン批判をめぐる退行的あるいは前進的なヴァ リエーションを含む経験、同じく〈プリミティヴ・カルチャー〉を単純・低次・野蛮・非 合理と重ね合わせて見下したり、逆に持ち上げるのもそうであり、いずれも問題をはらん でいるわけだ。
ペーター・ニーダーミュラー(ベルリン大学 ヨーロッパ・エスノロジー研究所 教授):何よりも 問うべきは、目下の専門分野である〈ヨーロッパ・エスノロジー〉が一般的なものとして 存在するのかどうかという点です。それは、ヨーロッパ・エスノロジーがヨーロッパ大陸 の大半では一向に知られてはいないから、だけではないのです。事実としてヨーロッパ・
エスノロジーは、重層的かつ混合的な専門分野で、しかもその重層性はそれ自体がテーマ として取り上げるべきもの以上なのです。ヨーロッパ・エスノロジーはヨーロッパ各国そ れぞれで意味論的にもニュアンスの面でも異なったものを含んでおり、またそれぞれに
〈ナショナル〉な発達史をもち、理論的にも異なった展開を遂げたと解されています。
ヨーロッパ・エスノロジーのなかに、大きく異なったナショナルなモデルとナショナルな 方向の分岐が見られること自体、パラドックスでアムヴィバレントな状況です。これにつ いて議論することは必要で、さもなければ自分たちはこの専門分野を理論的に確立できな いことになります。さらに、〈ヨーロッパ・エスノロジー〉の名称の下に、それらしい性 格のあらゆる見解や理論、なかにはきわめて保守的でナショナリズムのものも少なくない のですが、それらが含まれることをも許容するかどうか、これは専門分野のポリシーにか かわる課題になるでしょう。それにまた、一つの専門分野に対して複数の名称があること も、この分野の長所なのかどうかを批判的に考察することがもとめられます。異なった名 称が並行しておこなわれていることに、自分自身は懐疑的なのです。それにテュービンゲ ン大学の大会では、専門分野のアイデンティティを見出すには〈フォルクスクンデ〉の名 称に立ち戻るべきとの声が挙がったこと11)を耳にしたりしますと、懐疑はさらに強まりま
す。
この〈多様性〉は、研究プロジェクトならびに研究対象をめぐるパースペクティヴから も大きくなるばかりです。自分のかかわるこの専門分野がまるで〈よろず屋〉のように思 えることもあります。何をしてもよく、任意の偶然的なテーマも選択可能だからです。よ く言われるように、それが長所であるかどうかには、非常に疑問をいだいています。ヨー ロッパ・エスノロジーのなかでは理論面でのテーマの選び方でも何でもあり
4 4 4 4 4のような現実 の赴くところ、人文科学と社会科学のなかでヨーロッパ・エスノロジーは分析的にも理論 的にも鋭さをもたなくなっています。テーマに何らかの〈統一性〉がなければいけないと か、そうした求刑論告をしているわけではないのですが、エスノロジーの観点から分析し 解釈し、またこの専門分野らしい重点をおくには、社会生活においてどのようなテーマや パースペクティヴ、またどの領域がそれにあたるのかを、もっと厳密に考察する必要があ るように思えるのです。だからと言って、改めてテーマ設定において規範(カノン)12)を 措定すべきであるというわけではありません。しかし、自分たちの強みがどこにあり、ど んな理論的・方法論的なパースペクティヴからテーマあるいは対象分野について実際に調 査をおこなうべきかを明言できる必要があるでしょう。それは先ほどベルント=ユルゲン が詳しく述べたこととも重なります。彼の提案はたいそう興味深いものですが、しかしそ れが唯一のパースペクティヴであるとも言えません。
そこで私は、これらすべてを批判的にまとめてみました。と言うのは、問題直視
4 4 4 4と課題
4 4
設定4 4も、それぞれの専門分野の実際の研究ないしは理論形成のなかでのみ表現できるから です。この辺りに、自分たちの専門分野にとって緊要のことがらがあると思います。しか しヨーロッパ・エスノロジーの問題関心ないしは課題設定を専門分野の歴史から導き出そ うとするなら、特定しなければならないことがあります。つまり、ヨーロッパ・エスノロ ジーとは、伝統的なフォルクスクンデ(民俗学)の 現モデルニジーレン代 化 ということになるでしょう。
しかし何がこの現代化を特徴づけるのか、となると、ヨーロッパの研究風土のなかで、さ まざまな理解や解釈がなされ、今もそれがつづいています。もう一度言っておきたいので すが、ヨーロッパ・エスノロジーとは、伝統的な研究のあり方につけた新しい〈ラベル〉
にすぎないことも少なくないのです。しかしそれとは別に、従来のフォルクスクンデのラ ディカルな転換を図っていることもあります。ヴォルフガングがその近著13)で表明したの が、さしずめそれにあたるでしょう。しかしそうした差異にもかかわらず、先ほど述べた 現代化の試みを概観するなら、三つの中心概念にしぼることができるでしょう。つまり、
フォルクスクンデの現代化のさまざまなあり方が意味するものです。それは、比較4 4(研 究)、歴史化
4 4 4(歴史学への志向)、人類学
4 4 4化
4
14)です。現今の研究におけるパースペクティヴは 畢竟この〈発展線〉に沿っている、と思われます。これ以外の問題点の見方、たとえば社 会人類学の行き方もないではないのですが、稀であり、またマージナルと見られ、しかし
それだけに自分たちの専門分野に欠けているのがそれなのかも知れません。
シュテファン・ベック(ベルリン大学 ヨーロッパ・エスノロジー研究所 研究員):先ずキイワー ドの〈問題直視〉について、異論をさしはさまずにはおれないのです。研究発表大会や研 究論文を読んでいるとき、僕もまた、自分たちの専門分野では、そうした理論的に導き出 された問題直視において貧困であるとの感情におそわれることが多かったのです。これ自 体が論題になるでしょうけれど、それはさておき、それをどう整理するかを考える必要が あります。一つの可能性として、多くのエスノグラーフの眼には、研究の 戦ストラテジー術 と研究の フィールドが重点の記述化を提供していることになるでしょう。〈厚い記述〉15)を、ここで は字義通りに受けとっておきましょう。もうひとつの説明をあたえるなら、研究者の フィールドへの関与には内在的なものがみとめられるはするが、理論的な関与とそれへの 準備は省察において外材的にとどまっています。いずれにせよ、理論的に導き出されたも のとしての問題直視の代わりに、この専門分野は、むしろ部分エートスによってつなぎあ わせられているように思えるのです。特にマージナルな存在への感情移入などに、それが よくあらわれています。エスノグラフィーの研究の実際におけるこのエートスは、それに よって重要な方向付けならびにアイデンティティの機能を果たしてはいます。しかし多く の研究においては、理論面では脆弱なパースペクティヴが目につくのですが、その赴くと ころ、フィールドとの取り組みが、どうしても分析よりも、ただの記録になってしまいま す。つまり、収集に際して、記録して救い出すというモチベーションがいかに強いかとい う問題があらためて見えてくるのです。
ベルント=ユルゲン・ヴァルネッケン:その方向では、ディートリヒ・ミュールベルク16)
から学ぶところがあった。ミュールベルクは、左派のフォルクスクンデ(民俗学)の観点 から下層ないしはマージナルな民衆の自己心情に共感を寄せつつも冷静な問いかけを重ね ている。つまり、我々の社会づくりと社会が全体として前進するのに役立つのはいかなる 種類の心情であろうか、という問いかけだが、同時に、やれ地方だと言って太鼓を叩くの であれ、やれ下層民衆を信奉するのだと笛を吹くのであれ17)、音楽のような遊戯とともに 袋小路に入り込んでしまうだろう。言いかえれば、将校のパースペクティヴを兵卒のパー スペクティヴで置き換えるのではなく、両者を結合するということだ。
ヴォルフガング・カシューバ:我々の専門分野は、記述すればそれでよいというものでも ないと思う。その点で、我々が発展させてきた諸々のテーマや地平やパースペクティヴ は、我々がかかわっている機関組織とは部分的にしか対応していない。特に亀裂が大きく なるのは、我々がクリスマスとか人種論とかについて発言できることに通俗メディアが突 然気づいたときだろう。すると、学問の分野では、またもやこう言われることになる。
〈そもそも君たちがかかわってきたのは、やはりあれこれのニッチだったわけだ〉。しかし それで収まり切らないことも多いだろう。あるいは、こう問われるかもかも知れない。こ
れは何なの、ポストモダンかそれに類したもの?実際、我々は、事態や関係の変化につい てゆこうと試みてきたわけだろう。メソッドのミックス18)、これは過去30年のあいだに 非常なテンポで起きた自己像や自己理解の変遷を背景にしている。この辺りは、他の学問 分野はついてゆけないと思う。だからと言って我々が前人未到の地へ分け入ることになっ たかどうかは別問題なのだが。──しかし1960年代以来今日までの我々の専門分野を ちょっとみれば、たしかにまったく新しいものが成立したのだった。と同時に、堅固な建 物はもはや存在しないとも言える。我々は、いわば木造家屋の建材をかついで歩いている ようなものだ。これを見て世間はいら立ってこうたずねる。〈君たちは、最終的には一体 どこに小屋をたてるのかね〉。我々はこう言い返す。〈そうね、我々はむしろキャンプ生活 者なんだろうね〉。いずれにせよ、フィールドにせよ、テーマにせよ、あるいは自己像に せよ、平面に立っている者としてこの分野を議論したくない。つまり、我々が日頃見てい るような、どの組織的機関もそれに対応する状況に義務的にかかわり、そこからそれぞれ の局面ごとに権威が生成するといったものではありたくないわけだ。
ペーター・ニーダーミュラー:早くもそこへ進んでしまいましたが、シュテファンとヴォ ルフガングが言ったこと、つまり自分たちの専門分野がどこにまとまるのかという問いで す。ヴォルフガングの言う、この専門分野はフィールドでもテーマでも平面にあるものと して議論したり定義したりするわけにはゆかない、というのは正に大事なことだと思いま す。またシュテファンがマージナルな存在への感情移入をもって指摘したことがらは、非 常に複雑な問題です。この問いは、歴史的、またコンテクストに即して議論する必要があ るでしょう。この専門分野を統一的なものにするべきではないということには私も賛成で す。しかしそれは同質的であっていけないということであって、理論的な絡み合いやまと まりは大切でしょう。またギーゼラが指摘したように、文化研究(人文科学)というスタ ンプを持ち歩くのではなく、社会科学の一角にあるべきというのも重要です。ヨーロッ パ・エスノロジーは、歴史的な作業の学問であるだけでなく、つまりテキスト・図像・イ メージをあつかう学問であるだけでなく、社会的な実践形態と行動戦略を分析・解明・解 釈する学問でなければならないでしょう。しかし根本的な問題として、自分たちが他なら ぬこのベルリンという場所において、出発点となる共通の理論をもっているのかどうかを 検討すべきでしょう。それは共通の理論を必要としているという意味ではありません。そ うではなく、また統一的ないしは同質の理論を必要とするということでもないのです。そ れは具体的な論点ではなく、理論的な出発点なのです。実際、この専門分野にはかなりつ よい緊張が走っています。ちょっと挙げてみますと、方法論にかんしてです。フィールド ワークの方法について議論を重ねる必要があるかどうか、そもそもフィールドワークをど う理解すべきか、といったことです。フィールドワークをめぐる文化人類学のコンセプト あるいは社会人類学のコンセプトをそのままヨーロッパ・エスノロジーに持ち込んでもよ
いのかどうか、むしろディスクール分析19)の方法とかかわるべきではないか、といったこ とです。
もう一つの点を挙げますと、自分たちの自己社会のなかの問題複合としての異質性と異 質性の経験があります。これはベルント=ユルゲンが指摘したところですが、ちょっと逆 転させてみることもできます。つまり、そもそも自己社会というものがあるかどうか、あ るいは(皆さまが予めペーパーで準備していただいたことでもありますが)本来あるのは 複合社会ではないか、ということにもなります。ちなみにこれは、イギリスの社会人類学 でも常に議論されてきた点であることを指摘しておきたいと思います。理論的地平という ものがあって、この研究風土のなかに自分を位置づけるためには、どの時点かで、また何 らかのかたちで立ち位置をさだめる必要があります。しかもそれが、これまでこの分野で はほとんど議論されてこなかったのです。
ギーゼラ・ヴェルツ:はじめに言ったことがらに続けて 申しあげたいのです。それは、私たちが生産するのはい かなる学問的見地であり、どんな種類の学知であるかと いうこと、またそれが機関組織的な位置づけにどう作用 するか、という点です。ヴォルフガングがキイワードと して予見4 4をあげましたが、私もこれはきわめて重要だと 思います。それは、私たちが回顧的な視点と予見的な視 点の境界を行き来する作業にたずさわっているからなの です。この境界往来には大きな問題がともないます。回 顧的なパースペクティヴと予見的なパースペクティヴと が分岐するラインがあり、それはとりもなおさず、文化
研究つまり人文科学と、他方、社会科学との境界ラインをかたちづくっています。まった く予見の側にあるのは困難でしょう。私たちの専門分野は、ものごとがいかにして成りい たったか、そしてそれらが今日何であるのかを説明してきた分野なのです。しかし私たち は、社会的行為をめぐっては、節度20)と非予測性、予期せぬ結果を深刻すぎるほど深刻に 受けとめ、予見はおそろしく困難だ、と言うことによって、とても慎重にふるまってきま した。しかしそれにもかかわらず、何か道を探りださなければいけないでしょう。歴史的 な推移や自制や結果の予測不能をめぐる知識をかかわらせる道です。文化比較をより強め ることをもとめられています。またそれによって、デモクラシーを通じてもたらし得る未 来の青写真の提示をももとめられています。
ベルント=ユルゲン・ヴァルネッケン:この専門分野が予見をなし得るかどうかは、日常 生活、アグネス・ヘラー21)の言葉を借りれば社会生活4 4 4 4の変化を促進するイースト菌がどれ だけあって、また、他の諸々の騒音のなかでこのイースト菌の発酵を聞きとれるソフトな
ギーゼラ・ヴェルツ
エスノグラフィーの方法がどれほどはたらくかによることになるだろう。しかし好ましい のは、断定的な空疎な予見よりも、むしろ相対的で仮説と推量を手立てとする予見だろう ね。一例を挙げれば、自国の映画のなかで暴力の場面を禁じればストリート・ヴァイオレ ンスは減少するであろう、といったもの。──そうした罰則の機能に、この専門分野もこ れまで以上に注意をはらわないといけない。フィールドワークやテキスト解読において自 己省察的な変化が起きたことが、近年、研究者に特に自己分析に向かう傾向をうながして いる。自己を分解するのであり、それが、やみくもに先へ歩むことを押し止めてくれるこ とになる。自己省察的な検証装置を手立てとしてフィールド自体について発言すること が、フィールドにおいて行為者に役立つかも知れないわけだ。
しかしまた時宜を得た助言を提供しようとするなら、先ずは、自分がどのフィールドに ついて十分な資格があるか、どのフィールドに対して資格を持ち得るかどうかを検討しな ければならないだろう。で、ここで急カーブを切って、提案へと進みたい。我々は数々の 弱点をかかえていますが、それでいながらやはり研究作業において競争力をもとうとする なら、教育・研究について重点項目を強調し、特定のフィールドについて継続的に競争力 をつよめることに、これまで以上に意をもちいるべきだろう。たとえば長期間にわたるプ ロジェクト、また複数の機関の所属者がかかわり、またかかわる過程で修士論文や博士論 文が作成されることをも念頭においたプロジェクト。そうした大掛かりな企画は、そうで あるだけに、それにかかわる個々人の関心や性向や能力をも射程において幅をもつことが もとめられる。その点で思い出されるのは、ここベルリン地域でおこなわれた規模の大き なプロジェクト22)や、私自身が属するテュービンゲンにおけるキービンゲン・プロジェク ト23)で、いずれも多くの学生と教師がエスノグラーフとして自己を育成するとともに、さ まざまな部分テーマや関連分肢に取り組めるものだった。同時にまた協調効果が出たり、
専門知識の面でも長期による適応の向上がみられたりもした。作業にかかわった諸機関も 一般の注目をあつめたものだった。これら一連のプロジェクトを隣接分野の専門家と協同 しつつ、同じ水準に立ってこなすことができ、しかもそれは決してバックラウンドミュー ジック程度のものではなかったという評価を得もした。感想を言えば、そうした長期のプ ロジェクトでの共同作業は、特定の理論と方法にしばられた企画よりも、むしろ容易かも しれない。もちろん個々の機関の枠組みでは不可能で、望ましくもないのだが、その代わ り、共同プロジェクトでは、それ自体も、関連した部分プロジェクトもそれでよいかどう かについて検討を加え、たがいに交流をかさねることが必要になると思う。
ペーター・ニーダーミュラー:大変重要な御意見であり、議論すべきでしょう。しかしそ の前にヴォルフガングとギーゼラが指摘し、ベルント = ユルゲンも触れた機関組織につ いて検討してみたいと思います。誰にも明らかなことですが、自分たちの領分、すなわち 分野の範囲を確定するとすれば、それは学問がシンボリックには戦場の意味をもつことに
ペーター・ニーダーミュラー
なります。そうしたさまざまな分野はそれぞれに伝 統的な境界をもっていますが、そこで突然、新しい 学問が現れたような様相になっているわけです。そ の新しい学問が、否
4を言い放つのです。つまり、新 たな境界に取り組んでいるのです。すると当然に も、シンボル的な陣取りないしは権力闘争とも言え るものが勃発します。〈諸君、これはやはり自分た ちのテリトリーではないか、君たちが望むものは何 なのか〉、ということになります。しかしまた、そ の境界が本当にまったく新しいものなのかどうか、という問いが残っています。もしそう なら、つまり自分たちが社会科学のディシプリンと文化研究のディシプリンのあいだの伝 統的な境界線をまたいで両者をいくらか混ぜ合わせようとするなら、それはそれで当然な がらそれに相応しい理論的な検討を要するでしょう。しかし検討は欠けています。もう一 度言いますが、ヨーロッパ・エスノロジーはなお共通の理論的な出発点をもっていないと 思うのです。自分たちが、この専門分野をテーマや自己像について定義しようとしないな ら、すでに申し上げたように、正に理論的な検討をしなければならないのです。そうした ものを持たず、かかわりもしないとすれば、専門分野を機関化することなどできないで しょう。
シュテファン・ベック:僕自身も、幾つかのディシプリンを冒険的なまでに跨いだコンテ クストをもつ研究作業にたずさわった経験があり、そのためこの専門分野が正統性をもつ かどうかについて重圧を感じてきました。しかしそうした正統性の重圧下では、また別の 状況になります。たとえば、先に言われた二つの問い、すなわちインクルージョン(包括)
とエクスクルージョン(排除)24)、あるいはイノヴェーション(刷新)25)とトラディツィオー ン(伝統)と取り組むなら、それは理論作業の分野で仕事をしていることになります。そ れはもちろん、社会学の側から集中的に取り組まれる研究領域でもあります。それにあ たってエスノロジーのパースペクティヴから発言しようとするなら、これまでのディス カッションや前提やパースペクティヴにも取り組まなければならないのは当然です。のみ ならず、1980年代に生み出された経験型研究にもかかわることになります。僕自身の得 た成果や解釈が、社会学のなかで確立された見方と食いちがうなら、それはそれで批判的 に問題にされなければなりません。アフター・モダンの諸条件の下、インクルージョン
(包括)とエクスクルージョン(排除)へと作業を進め、またそれが、必ずしも他の社会科 学の諸分野から無視されるような特殊すぎる研究フィールドでもないとすれば、社会学か らの求めや批判にも応える責任を負うことになるでしょう。もちろん責任は、その作業が ディスクール分析である以上、人文科学に対しても同じように負うことになります。伝統
的な諸々の専門分野のあいだの境界が透け々ゝになり、学際的な取り組みへの能力がます ます問われているとき、この専門分野で学んでいる人たちがそうした学際的なディスカッ ションに臨んで遜色なくやってゆくには、彼らにどんな理論装置を準備してやれるのか、
これは僕にとって退っ引きならない課題なのです。
Ⅱ .専門分野の伝統と境界
レオノーレ・ショルツェ=イールリッツ:問題は、伝統 的なものとしての大学の構造ともかかわっています。
諸々の専門分野にもそれが関係します。しかし検討にあ たっては、つまり社会的な状況の分析のためには、共同 作業としておこなわれる研究プロジェクトへと進むこと も大事なことでしょう。それは特定の時代区分において は、社会学と文化研究(人文科学)とヨーロッパ・エス ノロジーの重なりにもなってゆきます。また他の場合に は、生化学、また特殊な分野である発生学と組んだ研究 プロジェクトになるでしょう。私たちの専門分野はとて も小さいのですが、そこでの困難として、専門分野とし
てのアイデンティティをどのようにして確立するのかという問題があります。あるいはそ もそもアイデンティティは問題にならないかもしれません。何であれ実態をとらえるはず のもの、むしろ理論がそれにあたるのではないでしょうか。私には、これこそが本質的な 問題であるように思えるのです。ベルント=ユルゲンは、これからも、かなり長期にわた る研究プロジェクト、また多様な専門分野が協同することを特徴とするプロジェクトを組 むかどうについて言及してくれました。実際、すでに言語研究者や社会学者や世論調査関 係の方々との共同作業もおこなわれてきました。ドイツでは伝統的に大学をベースにした 専門分野の境界があり、またそれゆえさまざまなテーマについて協同研究を発展させる必 要があるのですが、それはかなり難しい課題なのです。それからなお少し言いたいのは文 化研究(人文科学)についてですが、私たちはそもそも、文化研究(人文科学)ではないの です。重要なのは、特定の知覚世界が調査されることなのです。つまり異なった種々の知 覚世界が並列していること、それらがどう重なりあっているか、また解釈にまで進むのは どの地点においてであり、またどこで改変の可能性を提示し得るのか、さらに場合によっ ては予測をも立てるとすればどこで踏み出すのか、といったことです。私見を言えば、こ れには、そうした認識を歴史的な推移のなかに位置づけることや、またそこから現代を見 直し、さらにパースペクティヴについて青写真を提示し得ることも含まれます。
レオノーレ・ショルツェ=イールリッツ
ヴォルフガング・カシューバ:端折って言えば、普遍的なものと特殊専門的なものを対比 させて記述すべきということなのだろうが、実に難問だと思う。我々は多くの事象にかか わって記述するけれど、そこで我々がとるのは必然的に普遍的なパースペクティヴにな る。その視点に立って他の見方とも協力してゆくのだが、その場合も、社会学者あるいは 経済学者として出し抜こうというのではなく、他の分野の資源を自分にとりこむことを心 がけることになる。
メソッドのミックスというキイワードは、後追い的な言い方だと思う。それは戦術的な コンセプトではなく、対象に引きずられたコンセプトだっただろう。ところでこの普遍性 は常に、特殊専門性をもとめる外観を呈することとバランスをとっていなければならな い。つまり内的な省察が異質的であるのに対して、外観は同質的かつ静的にとどまるわけ だ。この要請の下にあることを、皆さん方が作業をする場合、どの研究所であっても他の 研究所の仕事もそうであることを分かりあっている。しかし私はこれを、専門分野の連続 性26)の角度から押さえておきたい。つまりイノヴェーションを問う場合も、あるいは統合 を問題にする場合も、たとえば儀礼と行事27)のキイワードの下であつかう限り、そう言え るわけだ。と同時に、当然にも支配と社会をめぐる問いでもあるである。またそうである 限り、歴史家も社会学者も、我々を叱責はしなかった。たとえ我々が手がけるのが、精々、
脚注にしかならないような微々たる局面であるとしても。ちなみに我々が社会科学に参画 するようになったのは1970年代と80年代からだが、町村体研究が中心点となり、またそ れが諸力の結集核になったことによって、はじめて事情は違ってきたのだった。忘れては いけないが、我々の専門分野の四分の一は村落調査だった。つまり、突然、畑のなかに キャンプを張ったわけだ。そこを他の専門分野の調査隊が通りかかって、〈君たちのやっ ていることも悪くはない〉とコメントをするという関係だった。
そうした問題性のなかに我々はいつもはまりこんでいたが、その原因は簡単だ。理論を めぐって本格的なディスカッションが組織されることがなかったからだ。思うに、昔も今 も、我々のディスカッションはテリトリーのなかでしか企画されてこなかった。つまり巣 に逃げ帰っていたわけだ。歴史学や社会学や経済学の研究者の場合、その境界は常に動い ていて、それと共に核の部分もしっかりしている。専門分野が、たとえばベルリン(で推 移したヨーロッパ・エスノロジー)の評価をめぐる現下の状況でその構造を改めて根拠づけな ればいけないとすれば、現時点でも十分それをたしかめることができる。二種類か三種類 のモデルによってそれは可能だろう。歴史家は時代区分のモデルをこころみ、政治学者は 政治学という分野で、やはりモデルを立てるだろう。社会学者は、これまたある種のシス テム、それもマックス・ウェーバー28)からそう離れてもいないようなシステムに従うだろ う。しかし我々は、19世紀のフォルクスクンデ(民俗学)の諸概念では、つまりそのころ 範例であったような諸観念ではやってゆけないのだ。そうしたものが揃っていたとして
も、今日の我々の立脚点はそれでは描けない。もっともっと考えを深めなければいかな い。
ギーゼラ・ヴェルツ:種々のディシプリン間の分担に際して私たちに割り当てられた立場 から、私たちはたしかにはみ出しています。それは明らかです。まさにそれゆえ問わなけ ればいけないのは、境界の線引き、あるいは境界の定義なのではなく、私たちがおこなっ ているいわば領域侵犯的な作業をどのようにして正しいものとして説明するか、だと思い ます。なぜなら、私たちは、他の諸々のディシプリンと手をたずさえて管轄範囲を形づく り、またその諸分野のなかに私たちの管轄範囲を確認しようとしているのですから。また そこで他の諸分野との共同作業を行おうともしているからです。私が問題だと思うのは、
ヴォルフガング、貴方を誤解しているのかもしれませんが、理論すなわち共通の認識論 的・理論的前提と共通の研究対象が諸分野間のコミュニケーションにおいてはきわめて重 要だということです。シュテファンが語ったように、その点、社会学はある種の部分では ほとんど80年も先行しています。とは言え、何かを言えるためにはその80年を一挙に挽 回しなければならないと考えているわけではありません。しかし、そこに接続できるよう に率直に見直さなければなりません。ということは、諸分野のヒエラルヒーにおいて私た ちが先頭を走っているのではないのです。社会学の研究者たちに私たちのエスノロジーの 理論、フォルクスクンデの理論を押し付けるような立場にはなく、むしろ逆なのです。社 会学の研究者にも理解されるようなターミノロジーで語るとは、どう語ることなのかとい うことなのです。
ヴォルフガング・カシューバ:ちょっと言わせてもらうなら、我々が日常史や日常文化や 日常経験といったキイワードをたずさえて学際的な野を切り開いたからといっても、1980 年代や90年代に我々が非常に特殊な局面にあったとかどうか、それが誰にも肯定されな いようなものであったかどうかということになるだろうか。誰それは歴史家になってし まったとか、社会学者であったとか、また別の何かであったか、といったことは問われな かったし、もはや問われもしない。
ペーター・ニーダーミュラー:今ギーゼラが言ったのは、すごく大事なことだと思う。自 分たちには、理解されるだけの言葉が必要だということです。その点でもう一度考えてみ なければいけないのは、ヨーロッパ・エスノロジーを主要にフォルクスクンデの伝統から 導き出すのがストラテジーとして正当なのかどうか、ということです。だからこそ、はじ めに申し上げたのですが、ヨーロッパ・エスノロジーは、事実として現代化されたフォル クスクンデ(民俗学)と解するほかないのかどうか、これをもう一度検討する必要がある と思うのです。もう少し開けた議論に踏み出すなら、別の扉が開くでしょうし、発言をす るときにも、これまでとは違った可能性が出てくるでしょう。
たとえば、1970年代から80年代の文化人類学において起きたことを思い返してもよい
でしょう。その頃、理論によって学問が変わってしまうことが実際に起きたのです。研究 分野が新たに定義されたのではなく、クリフォード・ギアツ29)の解釈学的な人類学、ある いはその後のライティング・カルチャーをめぐるディベイト30)、どちらもまったく理論的 ディベイトだったのですが、それが伝統的な素材に取り組んだのです。そして当時、これ について発言が相次いだのを思い出します。たとえば社会学、またその他の社会科学の研 究者にも部分的にとりあげられ、発展させられたのでした。もちろん、必要なのは理論だ けと言っているのではないのですが、この理論という領域でもっと活発になることが大事 だと思うのです。実際、新たな理論的な萌芽になるものが重要なのです。この専門分野に おいてこれまであまり活用されていなかったオプションや可能性、事実として集中的に取 り組まれてはいなかったオプションや可能性です。
ヴォルフガング・カシューバ:誤解を生まないために、というだけですが、ここで区分を しておきたい。学問をめぐるディスクールにおいて理論が論じられるということ、これ自 体は問題ではありません。しかし、文化人類学、たとえばアメリカの文化人類学は、ただ ただ一直線でもなかった。クリフォード・ギアツを見れば分かるが、本質にかかわる理論 をめぐって議論が始まる前にも、さまざまなポジションが埋まっていた。その点では、
〈厚い記述〉をキイワードとして取り上げたいのです。誰も、そこでは新たな理論が古典 的な意味で繰り広げられた、などと言うことはできないだろう。むしろ理論をめぐって ディスクール・システムが作動したのであり、それが非常な影響力をもったのだった。こ うしたすべても、それらが学問風土を今はじめて特徴づけるものとなったわけではない。
一面では、常に理論的な新たなコンセプト作りの議論が提起され、しかし他面では(かな り大きなスパンで学問の諸空間を見るなら)諸々の専門分野を戦術的に別の方面へつくり 変え、別のものに組織化するということだ。これを跡づけるのは、そう難しくない、と思 う。これは、理論に対抗する議論ではなく、むしろ、学問が実際作業としてより厳密に反 省されることでないか、と指摘しておきたい。どのようにして誰がどんな資格をもつこと になるのか。そこでは理論をめぐる論議は、しばしばストラテジーにかかわる論議なのだ から。
シュテファン・ベック:しかし実作業には、それはそれで(しばしば自覚的ではないよう な)理論があるのは当然です。僕たちがめざしてきた課題の一つもそれなのです。中心に なる新しい研究課題とは何であり、そこにどんな理論が内在しているのか、という課題。
その点で、ベルント=ユルゲンの指摘は重要だと思います。具体的な研究課題、つまり学 問的な実作業に着手すること、資格は研究を行なうなかで確立されるのでなければならな いこと。実はいつだってそうなのですが……
ベルント=ユルゲン・ヴァルネッケン:定義することだけに重点をおかず、むしろ新しい 定義が、実作業すなわち研究のなかで現れるのでなければ……
シュテファン・ベック シュテファン・ベック:そう思います。よく議論されてき
た専門分野のアイデンティティという課題、もっとも、ア イデンティティは当然ながら常に後追い的な構成物です、
またアイデンティテイが状況に依存すること、これ自体は 外国人の(アイデンティティを含む)日常にかんする研究の場 合でも強調しておきたいのですが、そこから出発するな ら、専門分野のアイデンティティも、実作業、すなわち共 同作業と具体的な知識生産の諸形態から生まれるのです。
専門分野のアイデンティティをめぐる多くの議論では、独 自の学問的実作業を前に独自の理論が適用されているので はなく、実際はアイデンティティが主張されているので
す。それも定かでないままに、でしょうね。実際、研究フィールドとしてすぐ頭に浮かぶ 領域でも、そこでの内在的な理論とは何か、が本来問われるべきでしょう。そうした実り が期待できる幅のある研究プロジェクトとしては、何がそれに当たるでしょうか。ドイツ と近隣諸国の別々の研究所がもっていたさまざまな傾向が何であったか、果たしてピンと 来るのでしょうか。労働者文化の研究31)、キービンゲン・プロジェクト、あるいは(マグ デブルク)沃ベ ル デ野32)、といった長期的に設定されたプロジェクトが出てきたときの諸々の フィールドとは何だったのでしょうか。
Ⅲ .東西ヨーロッパ間の専門分野のパースペクティヴ
ヴォルフガング・カシューバ:シュテファン、君の二つ目の問いに対しては中間回答くら いしかできないのだが、これをそんな風に議論してゆけば、旧・東西ドイツのエスノロ ジーそれぞれへの問いかけも、西欧・東欧問題というより、何よりも専門分野の変化なら びに社会の変化を問題にすることになってゆくね。だって我々は、(文化と生活様式を問 うた1970年代の言い方をもちいるなら)日常と支配
4 4 4 4 4を問題にしているわけだから。今日 では表立ってこういう言い方はしなくなったが、その時代には重要な座標軸だった。経験 史・日常文化・個体の発見という学際的なフィールドにおいて、多くの人々の表情に何か 新たなものが浮かんだ時代 ── たしかに今日では、日常と支配は意味もたなくなっては いるけれど。それに相当するテーマをこれからもう一度取り上げるなら、エスニシティや ナショナリズムを問うことになるだろうね。これはストラテジーとしては、1970年代後 半に村落と生活世界を問題にしていたのとはまったく別の視点ではあるだろう。同じくシ ンボルの生産とシンボルの実態を調べても、これまた1980年代に宗教性や巡礼が問われ たのとは違った状況になっている。したがって、こうした思考、もう一度、東西それぞれ
の伝統に目を向けるなら、対象とパースペクティヴの変遷が否応なく入ってくる。となる と、明確な輪郭は消えてしまうことにもなってしまうのだが。
ギーゼラ・ヴェルツ:以前もそうだったのです。他でもない村落の生活世界です。フラン クフルトの場合、町村体研究でも、まったくインパクトの種類が違っていたのです。おそ らく文明の危機と言ってもよいようなもの。しかしまた、モダニゼーションの進行に対し て防塁を築くようなある種の道徳的なインパクもあったのです。村落の文物で使えるもの なら何でも持ってくるということでした。もちろん、だからこそ潜在的には多彩なので しょうけれど。
ヴォルフガング、貴方のもう一つの問いかけですが、私は、イーナ = マリーア・グレ ヴェルス33)の〈文化と日常世界〉、いわば私たちにとっての規カ ノ ン範でもありますが、これを 読み返してみました。偏に文化と生活世界を見つけることを期待してのことでした。しか しそのとき、まったく忘れていたあることに気づいたのです。私が大学生の頃には、フラ ンクフルトではソ連のエスノロジーもたいそう強く受け入れられていました。特にエトノ スという面においてでした。そもそもエトノスをどう定義するのか、特定の社会のなかで の文化的な多元性がどのように可能かになるのか、こうした項目や合言葉だったのです が、アメリカの文化人類学と並べて、あるいは部分的にはそれに対抗するものとしても取 り入れられたのでした。もっとも今日では、それはフランフルトでも議論されなくなって しまいました。それまた一連の新しい要素を受容したことの現れです。つまり、ライティ ング・カルチャー、内省性、グローバリゼーション、トランスナショナルな推移、等々 で、これらによってフランクフルト大学における私たちの専門分野は新たに基礎づけを得 たのですが、またそれらと共に専門分野が背景に後退することにもなってしまいました。
目下、私たちは、これ自体についても議論をしています。なぜなら、たとえば文化エコロ ジーの要素でも今日では通俗化して方法論の積み木箱のようになってしまっているからで す。そのため、これからは、また新しい要素や新しい前提の下で再建を図ることが必要と なっているほどです。
ヴォルフガング・カシューバ:それが、我々が行なってきた脱規カ ノ ン範の帰結だと言っている のかな。新しい世代の学生が次々に現れるなかで何が起きているかに注意を向けるなら
……
ギーゼラ・ヴェルツ:私も規カ ノ ン範の語は、今、もちろんカッコ付きで使ったのですが、同時 に真剣に受けとめてもいます。なぜなら、知識社会学が学知の公理化と名づけているもの には、私たちは本当に不得手なのですから。
ヴォルフガング・カシューバ:たしかに、キービンゲンあるいは(マグデブルク)沃ベ ル デ野のな どのキイワードは、学生たちにはまったく通用しなくなっている。それにはもちろん我々 にも責任がある。
ベルント=ユルゲン・ヴァルネッケン:ずいぶん時間が経ったからね。もちろん、これら のプロジェクトを受け継がなければならないわけではない。先に挙げられた長期のプロ ジェクトでも、地域研究や町村体研究の伝統を継続させなければならないわけでもない。
むしろ、各地のインスティテゥートはそれぞれ独自の考え方をもってよいと思う。一つの 可能性をスケッチ的に挙げみるなら、たとえば近年のいわゆるライフサイエンス(生命科 学)の影響の実情を長期的なエスノグラフィーとしてとりあげるといったこともそうだろ うね。つまり、自然や人間や社会をめぐって広くおこなわれている議論の推移、実際、素 人でもこのライフサイエンスをディスカッションや物質面、さらに実際的に活用できるの だが、それらの推移を長期的に追跡するエスノグラフィーといったものも考えられる。事 実、社会的に受け入れられた形態についての情報がエキスパートにフィードバックされる ことも観察されている。あるいはちょっと青写真を描くなら、ある種の状況におかれてい る子供や若者に何年も付き添うような独自の長期プロジェクトを始めてもよいと思う。つ まり彼らを、家庭や学校や実習や余暇において追跡し、また彼らの社会関係と行動範囲と メディア消費と言語生活のなかでの多文化性とインターエスニシティの度合いを問い、そ れを結びつけてゆくわけだ。その際、私自身が手がけるなら、多文化性の調査には、社会 関係の階層・階級の幅をも必ず組み込むことになるだろう。さらに、昔から村に住んでい る〈古くからのドイツ人〉にもアクセントをおいてみたい。それがマジョリティの文化だ からで、またその発展あるいは未発展が特に意味をもつからで、さらにそうした側面には 我々の専門分野の伝統が見事な先行研究を残してくれているからだ。しかしもちろん、こ れとまったく違った種類の事象をもとりあげても構わない。
ペーター・ニーダーミュラー:今の議論は、連続性がどこまで中心的な役割をはたしてい るか、この専門分野の現状は何か、つまりバランスシートですね。また、ドイツでの、さ らにヨーロッパ規模においてこの専門分野ではミックスチャー、あるいは細分化までが存 することをも確かめました。それは自分たちが願っていたものとは、やや違っています。
ベルント = ユルゲンの提案が当たっていると受けたのも、この意味においてです。つま り彼は、少なくとも部分的にせよ結束の高まりが見込めるようなプロジェクトを推進しな ければならない、と言ったのでした。たしかに、この専門分野の将来的なパースペクティ ヴを議論しようとするなら、当然ながら、連続性についても論じなければなりません。し かし、どこまでフォルクスクンデ(民俗学)の伝統から導き出さなければならないのでしょ うか。むしろ別の支点をさぐるべきではないでしょう。そして、とりわけ新しい研究上の パースペクティヴ、たぶんフォルクスクンデの伝統とはほとんど関係しないような新しい パースペクティヴを切り開かなくてはならいないではないでしょうか。
この点で、具体的な提案はたいへん興味深いのです。またそれをめぐってきわめて具体 的な議論がされることになるでしょう。しかし銘記すべきは、自分たちが多くの場合、専