1
一
明治三十六年十二月二十五日護行
銭
・険
︽粛囎苦
鵬十罵第
翁襲爵嚢奪
晶獲 非}
噸
侶 十全會雑誌第三十號周次
O原 著
擁
○菊日記⁝⁝⁝三:⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝三・⁝⁝⁝・影村三瀬 ○歌反古⁝⁝:・⁝⁝・⁝・⁝⁝⁝⁝⁝:⁝・⁝⁝⁝⁝⁝:⁝・⁝・隅㎝ o會報〜︑B奢貰︒新入悲迎ふ実學式及ひ入量︒卒丁台選8卒業へ 馨授典式︒粟藷選禦︑窺︒高憲士の饗會︒秋羨足蓮讐
伸 O實弾射撃演習O麟事新閲就の雑誌寄購〇十全曾圖書の貸輿○紀念書籍脊贈O石川教授の書籍寄贈0雑誌部記事σ講話部記事○弓術駕認事O解剖曲運体法會○小野貧民救助院へ寄附O叙任及蹴令○會亘動静〇三十五年度央算〇三十山ハ年度豫算 O三時O寄贈及交換書旧○舎費蝋牧
轟 義に學暦の吹まうと共に霜坪部長趣腕な弦影に籟みしよ砂輔馴
O乎亦或に去碗・或に疾む松
柏の存するありと雌も歳愈々
寒く三略に暮れなんとす僅に
雪燭にふりて醤路葎摸索す彼
に迂圓し此に逡巡す白駒眞に
矢の如寺も老欝の総々奄如何
ぜん敢て後れ六うにあらさる
なり謹て薄く 細流子
︵漫 簸︶き
号彪十三三第贅憲楽維會杢一ト
凶呵圏=綱一昌==圏幽禺嵩一一=唱口=畷四=置=呂一昌圏圃幅圃=薦剛画一国属嵩扇■國凶四顧凄口嘱嘱盟日目昌 嚢 緑
○菊日記 讐一野村雨城
ある日︑﹁5つしεりてよしε妹の子が︑菊の花を逡ク
けう︑あのれ︑文面の友になさばやと思ひ︑小なる
九谷焼の水がめにきしけるが︑ありますがπのやき
しきに︑散りはてん日までの日記をものしてみんと︑
戯れよ筆をとり漁︑やがてろの日を一日とくり初め
つ〇 一 日
天はれて心地いごよし︑愛護の詩集とりいでζよみもて
ゆく︒ふと秋風颯として裏畑の鳴子にひ団き︑庭園の梧葉
かさご落つ・あζ我れは一葉散うて天下の秋を知ウぬ〇
九日ぶりに例の風呂屋に出かけ︑休み札みて戻る途中︑
下駄の鼻緒を切うて大に閉口す︑癌にふれて終夜眠られ
ず︒ 二 日
試みに糟筆とり出で︑年玉にもらひつる書箋紙の︑やζ
㎜しはつきたるを打のべ︑水瓶の花うっきんε思ひたつ︒
輪劃竜ろこノ\にれヘカれば︑いで彩色せん竜のこ雷の
具をときろめぬ0
暫しありて︑竹馬の友南水乎はわれを訪ひ︑野遊びに出
でばやと申す︑余竜不風流のヤマ氣出して杖を曳かんと
し︑とりあへず︑御所柿もてなす︑談塩谷ノ\日露の紛
孚にうつり︑ロ角泡を散じて論ず︑彼もまだ樂しげよ討
ち阻︑入相の鐘に驚き︑友は急ぎて去る︑三ついに戒ら
ず︑野遊懐π果力きず〇
三 日
東都の客︑栞舟乎よウ端書にス・へて雑誌﹁董笛﹂を逸り來
る︑披き見るところ︑韻丈欄秀逸の部に余が作もいで尤
り︑護みかへすこと三度︒
三岳子笑ひに來り︑笑ふて去るO
夕榮の雲うるはしう薄れゆきて︑晩鴉塒にい多ぐ頃︑わ
れは弟の奥津城に詣でぬ︑携へし花を手むけて諏かづけ
ば︑尤冥あクし世の事のみ︑思ひ出でられて︑はらノ\
とあっる涙れさへがカし︑慮れにくる夜はのあらしのわ
びしきを︑だへず苔の下に聞く弟の霊やいかに1︑去ら
+… んとして去る能はず︑返へらんとしてかへるあカはず︑ {
熱 力璽涙のみゐもかうき︒
夜に入ウ︑野分ふきいで︑眠られず︒
四 日 會
講︶ いと清らかなる秋の日より︑南窓の障子うちあけてそむ 難
程に・天使とやいふらむ︑朋福かろげa飛び謙れる醐饗
の︑鳳仙花に翅をやすめて︑何やらん少女子にさ\やけ 膳
三
るさ懐なウ○
わが水瓶の薫りょき菊の花を知るや知らずや︒ 十
と見る︑隣家の野良猫︑塀越しに叢れるを︑我が投げカ 罐
〜
る石にみどうかされ︑ニヤンともいはずして去る〇
五 日
瀧東枇月並會の日なり︑されど︑かねてよう山行きの約 あうければ︑あながち出席せずとも︑粂題のみゐくらばやと思ひ︑5の月の題を見れば﹁秋眺望﹂になむ︑ありける︑とりあへず筆をとりあげて︑ ろばの署しろきが中に青み満て 蝶︐のあそべる小春のどけき 丘こせば色づく輔のかつみえて 山村旧里稜の動きこゆとしカ︑め︑下女に竜πせやりつ︑われは腰辮當に杖を携へて︑友の居城をみどうかし︑一目の清遊をなしぬ︒・家にかへれば︑我待ちがほなる菊の花︑事なくてなむ0
一この日︑病院に外科の大手術あムき〇
六 日
きのふの疲れにや︑昨夜影響にたからかなムき︑ε家人
﹂に笑はる︒菊の花なほ慈なし︑去にし日の書に再び筆を
凹染め︑筆のしぶφて学ばざるに閉志す︑終に果さず︒
東なる友に書を復し︑午餐をした\めてまπ床に入うぬ︒
七 爾︑
︵漫 錐︶
1 i.
︵漫鐡︶毫
號十三二第1講難曾塗十きりとて破るべく竜あらねバ︑いなみて妹に滲らす︑.妹 して吊れ完るスノれをうつしたる果敢なさよO のにじウて︑美はしく色香もみねざりしを︑いまは淡に せよや妹子よ︑ま㌧なら搬藝術かな︑さきよはあまウ紅 今日・やうやう・しほれカる姿の花をうつしれへう︑許 入 日 やどに秋だつ村さめの露 ︐あはれに竜咲きあくれ尤る夕顔の ド聴端さびしく村雨のふる 桐の葉は疋や二2二つちう5めて う諏︑ が心をい轟く動かせり・ロよりいつるま㌦之れを友に斎 朝命︑︑ふらみふらずみ︑のきばにつπふ村雨のつゆ︑わ
の子大に欣ぶ︒
や︑色あせたる花びら二つ三つ︑心ありげに散うぬ0
ギ後︑風流の心にひかれ︑秋の暮景いかならむと久しぶ
もに野遽にいつ︒ 雨露すでに刈ムとられていと寂しき小山田のほとム︑破れ無い穴画ける骨十文字の案山子︑今及係れむとして鋸束なげま立てる様参あさましき︑殊に雀の二朋一﹁朋︑あなどるが如く麟れる面自さよ〇 九白露西亜の形勢いかならむと︑新聞うかがうに︑懐づ事なきがごとし︒いつしか水瓶の序しほれゆき職︑前栽に老びπる梅の木の下︑手水鉢に金魚のむ仁ろを見出だしつ0﹁金魚を葬る辞﹂︑新体詩こしてなる〇 十 日記なる友よう書をよせて︑某郵便局長が父なる三水翁入十︑母なる○○子七十の賀に︑玉啄をわかてと︑叉ろの文の絡みに日は風︑ 心なく耽もひを秘めて君訊やらで わが歌さき澱きみは知らじなεo
われはπ璽ちに答へ︑灘一文字を並べてつかはすc
號十藷.蘂,.難曾 全一__
百年を去年とほぐまでさかねませ
あ尽す二十年あます三十年
だまくしげ二見のいはのビこしゑに
い裟せみしめのくちはてん懐で
十一日
山田の伯母を訪はんざ欲し︑柴戸を出でしが道にして友
に遇ひ・家にかへる︒菊すへに老いπゆ︑日ならずして
峯しからん︒
軒端の夕やみを︑濫費ひくう飛んで︑薄紫なるみ空にか
讐やし星の光︑愁しげにみゑ︑秋風古簾を揺かして聲あ6b
ヒの夕︑窓に急りて暮れゆく秋の夕風を仰ぎつミ幸なき
友の運命を悲しみ︑露骨に︑ふけるこε久しかうき〇
+二日
水瓶の菊︑−ひろく花ちりて︑杭の上ほとくく蛮なし︑
年わかき下女のつぶやきつζはらふ︑葉枯れカる二つの
枝︑花はとくに失せカれども︑詳しき妹が愛の手の︑か たき契のかはらずば︑しかすがにすつる語れしや︑きクεて︑さクとて⁝・・⁝・・⁝⁝・・︑無しく桑畑のすみに捨てかれんとす︒盧無信二人門aいたり︑下女とロ論ず︒高橋乎來り︑群咲子來る︑一哉子來らず︑菊日記こ㌦に筆を投ぐO ︵完︶ O歌反古 肇野村雨城みしみつる乳母に竜らひし菊の花われにはあらず分つべき友夢aみし君εふたりの紅葉狩りけふのうつ\のうつ︑と竜なきこの冬のやすみのひまに黒きませ湿れもひつ\歌がる尤せむ瀧壼にきかまく水の二千益しぶきにまふよ散るよもみち葉あはれこの足のつかれも何ならずこの丘越せば我か友の
︵漫録︶量
︵會︑報︶三鴎
號十三第齢贈曾盃十き 村人が狩りえし熊をほふるべく松の火みねて聲かし懐し らん わが宿のかきねaさける自萩を一枝ありゆく誰が子なる 新墾のくは畑三里しもしろく兎にげ懐どふ朝ぼらけかな ぱや かぜに散る銀杏のれち葉かきょせて姻となして歌aなを 朋みゆ 舟もゆかず雲もうこかぬふのあさけ鏡なす湖にかもめ二 弘法の袈裟かけしごふ松老ひ臓松にちなめる信ま疫老ひ むら
われとかが胸の煩悶をなぐさめて病院をカつあきの夕暮
黒波のあらろのいにに名を呼ぶ子母は泣くらんとまやの
次影あばしまによれる京の子琴抱きて何あ竜ふら顧夕月のか
げ
旨一画画嘱暫一旧一剛駅囎輯聞咽一一鳳閣嘱堀一層魑一嘱順口唱凹一一画闘一一圏圏一唱嘔口環風属隔醒回階階四幽嘱■一﹈一一置願嘱騨國ゆ断一圃置一闘 會 蘇
︵︶本禽日役昌筑 ︵明浩三十ム捷年九月︶
本年度本會役員は左の入やよ囑託せられたり
會 長副會長
理 事代議員 計見 雄藏
小黒仁太郎
吉田 豊馬
書記高柳鎌次郎
増野與三九
難誌部長兼編輯部長委員松田菊治
有壁:一雄
建部鈴次郎 高安右 櫻井小卒 佐々木中村 徳藏 柴原臼井順太郎 高永山 一昌 石黒 小 川 勝野崎芳孝 宇野小原芳雄 渡邊
吉田 誠一 吉野
盆陳 重 保外蓬太人 要彊之 義 二男
號十三二第重三志離…會=杢十
永井 群雄 藤井
川勝寛三 木村
講話部長
委 回貝 金原 三郎
林 篤
杉部多米吉
深澤治三郎
久田 徳
遊技部長委員意見常太郎
久我 題
劒道部長委員 小原徳太郎
長田入三郎
吉野 新入
委柔 道 員部 長
股
熊藤谷小 木藤 野井澤西 村井 手量一俊{出 一t
旭 一一 和一
郎 三上 義 雄 湯
壷地藤太郎
志田 主税
高
水上 俊三
大櫛秀松
梅吉 小町 柳澤 秀吉田 計 二伊藤顯徳佐々木純一郎栗原治三郎溝ロ 龍三目 隆 鴨脚 湯淺山基
●石橋
辻
實三重啓光績治也 一榮
寄留 雷常 四雄郎
︵會 職︶ 高弁 魯一奥野 源治
門衛部長
委 員 山本
宇野
幹
正雄
手塚甚之助 山碕内帯三 金子 精一 下笹田順二輻田 静
海原:
津 用 郎雄四久彩
O新入生を迎ふ
嚢に本校新入生を募るの時︑來り節する竜の普く全
國に渉b二百数十名を数ふ︑弦ま於てか陶沃競箏の
厄に遇ひ色な此の關門を排して撰はれ抜かる︑吾人
は深く諸氏の前途を祀して喜び迎ふρ爾來此の幸榮
に溶するの諸氏︑吾人ε共に十全の美を致さん乙と
を期せられよ︑
0入學式及入學生 九月十一日午前九時本校濟々堂に於
て塞式︑定刻學生及職員の整列位置定まるや︑校長高安
函嶺博士は式場に現はれ︑やがて聖旨なる態度の下に先
勢認
︵倉報︶
號一ト三第翻一党壷十
つ畢式を宣告し︑次て生徒心得の五ケ條を朗讃せられ︑
5れより在學に噂する注意を懇よ演説せられ式を回る︑
式后各級長は別室に生徒を集め山亭中遵守すへき條項を
注意せられたウ今入學許可せられカる學生の族籍氏名及
ひ出身中學盛名を墨くれは左の如し
讐學
新潟縣立長岡中富
富山自立魚津中啓
四散自立小濱中學
新潟縣立高田中學
岐阜縣立山昼中並
幅井縣立幅井中學
新潟縣霊長山中學
富山縣立魚津中學
全 上
輻井縣立武生中業
新潟茎立新登田中學
科
須加曲玉猪長山遠藤高小 貝藤秀猛禽村村山井野黒
猪健 法善吉鑓正一一 宗仁 之 太
次助雄露助太古輝雄重郎新潟︵卒︶私立東京中學 幅弁︵卒︶新潟縣立長岡中學 石川縣立第一中學富山︵士︶ 幅井縣立幅井中學富山︵卒︶ 新潟︵雫︶私立京北中學 三井︵卒︶山口縣立山ロ中學 岐阜︵卒︶岐阜縣立斐太中學 新潟︵士︶愛知縣立第一中學 編井︵雫︶編井縣立編井中學 富山︵孚︶薦吉丁虫武生申墨・ 新潟︵干︶新潟縣立新潟中學 愛知縣立第一中學 石川縣立第一中學 富山懸立高岡中倉 石川懸立第一中學 私立京華中學 新潟縣立佐渡中落 美
坪大高永田武佐吉深長西池不谷塚高若 井野木井中波口岡澤研村部破道井井枝 叢叢二人基峰 鑛左入元正才 魯篤 五 三三太 三
郎雄磨雄保吉榮:作郎郎郎難癖清茂一之新潟︵士︶ 石川︵士︶ 編井︵士︶ 石川︵卒︶ 山口︵卒︶ 岐阜︵李︶ 愛知︵雫︶ 三井︵卒︶ 幅井︵李︶ 岡山︵士︶ 愛知︵士︶ 石川︵士︶ 富山︵李︶ 石川︵李︶ 頑井︵李︶ 新潟︵平︶
號十・三第:i坐骨會八一ト 岐阜縣立大垣中瀬
私立東京中學・
岐阜縣立東山中學
石川縣立第一中學
私立東京中出
福井筆立旙井中學
長野脚立長野中學
︐長野縣立飯田中盤
.私立猫遊協會中盤
大坂府立岸和田中型
島根野立第一中學
和歌山鏡立和歌山中學
﹄二重縣立第一些些
.私立大成中學
長野懸立松本中學
静岡縣立濱松中學
・私立東京評論
︿會・報︶
朝稻太西箆藤壷杉若小感伊欝吉内意義
鰯雲連霧撃螺瑠
昊助市太橋懸郎次1郎郎編春野一春一三滋賀︵李︶ 静岡︵士︶ 長野︵李︶ 岡山︵李︶ 三重︵李︶ 島根︵卒︶ 大坂︵孕︶ 岐阜︵平︶ 長野︵卒︶ 長野︵手︶ 三井︵年︶ 富山︵雫︶ 石川︵季︶ 京都︵士︶ 三六︵干︶ 岐阜︵竿︶
愛知懸立第一中學
長野縣立松本中學
私立攻玉肚中學
新潟縣立長岡中學
高知懸立中學海南校
山形縣立蕉内中學
静岡縣立濱松中學
編井縣立武生中學
編井縣立武生中學
静岡縣立韮山中學
山形縣立荘内中學
新潟縣立長岡中學
奈良縣立郡山中雪
平山縣立富山中學
富山野立富山野壷
私立關西中學
滋賀甲立第二中學
市原永布吉諸千秋稻橋頭相濱画調佐塚 川田山村田橋台rk州本林馬田三田藤本 久悦清 学林 正 甲霊界秀 常
五 多郎次群郎郎皮實直次茂郎鋸三造武彦二太 五 高知︵士︶ 新潟︵季︶ 石川︵4︑↓召︶ 新潟︵李︶ 愛知︵士︶
山形︵士︶
静岡︵李︶
編井︵李︶
編井︵挙︶
静岡︵李︶
山形︵士︶
新潟︵李︶
奈良︵李︶
富山︵士︶
富山︵年︶
編岡︵李︶
石川︵李︶
量
︵會報︶
號十三錦翻辮會盃十石川縣立第二中藍 岐阜縣縣大垣中盤 輻井顧立颪井中學 廣島縣立三次中學 愛知縣立第四申學 新潟縣立高田申學 富山縣立高岡中學 私立濁逸協會中學 富山縣立魚津中學 石川縣立第二中學 石川縣立第一中學 編井縣立礪井中學 岐阜騒立肢阜中學
新潟縣立高田中古
岐阜騒立岐阜中事
京都府立山砂中學
私立順天申學
淺増古謡額臼池水鈴松田加川申赤栗山
田井藤見 ウ井田口器村邊醐村尾陣
立楽堂義太丈 更無界鍬棄墜肇塗茂 造郎一郎郎吉茂郎郎照之作郎郎三郎樹静周︵李︶岐阜縣立岐阜中學 京都︵李︶私立東京中學 岐阜縣立大垣中學岐阜︵李︶ 新潟門鑑長岡中學新潟︵士︶ 石川︵︽︑一斉︶爾井縣立編井中學 和歌山懸立和歌山中學岐阜︵李︶ 輻井︵季︶富山縣立富山申學 廣島︵李︶滋賀縣立第一中學 愛知︵李︶編井懸立武生中學 新潟︵羅︶私立京北中學 富山︵士︶石川縣立第二中學 滋賀縣立第一申學静岡︵季︶ 私立關西中學富山︵李︶ 三重孫立第一中學石川︵士︶ 石川縣立第二中學石川︵士︶ 石川縣立第二中學福井︵季︶ 私立正則中學岐阜︵季︶
八
水盛4s俘黒佐桑漣佐林野林原李自池
口井澤 歯軋原点藤 村田 澤井谷 康玉璽翻弄売繋賄可義新 粂 運 順青葱也純吉方重藏一雄平季齊濟qs
垣ケ原長治郎 山梨︵李︶石川︵士︶石調︵李︶三重︵李︶幅岡︵李︶滋賀︵否︶富由︵李︶山形︵季︶特等︵李︶破阜︵孚︶富出︵季︶編井︵士︶新潟︵李︶岐阜︵6︑論蕎︶京都︵士︶
岐阜牢︶
._賊鳳蔑〜鯉黙し一_榊宮城縣立第一中耳 島根縣立第一申出 私立下野中學 石川願立第二中學 私立大成中學 私立紳田中學 大坂府立天王寺中型 石川下立第一中畑 大坂府立堺中興 私立東京中學 全 上 調薬構立幅井中學 山形押立荘内中潜・ 搾油縣立貸馬筆癖
輻井縣立武生中學
岐阜縣立大垣群議
和歌山縣立田町中學
︵倉報︶
玉説法岡天荻柿古瀧河關乾竹志山仙橋
井田野 野原澤屋澤野郷 中田田堵爪 七順 長卯雅榮武遣敬佐 圭外松元 次 太 來
郎一・一・・ 正怨重郎一治藏等等李撤蝉騒齊吉撤和歌山︵導︶ 税 幅井︵李︶ 編井︵李︶ 山形︵士︶ 富山へ李︶
大坂︵季︶
石川︵李︶
大坂︵李︶
廣島︵李︶
山梨︵李︶
石川︵士︶
千葉︵李︶
愛知︵李︶
宮城︵士︶
福井︵李︶
岐阜︵李︶ 新潟縣立高田中學︑石川縣立野壷中學新潟縣立高田中學 以上新入生百拾六人
(((馨(((馨馨
全全戸:掃墨全全 學 學
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))) N)))年年 級 級級
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看「佐櫨
素馨木 信 望陰欝
田阿庄武村山岡笹服 島原司森尾ロ 岡部 耕信醇秀左辰一芳 五
李次吉一内紫雄藩環
以上は頭書の級へ再入學入員九人
藥 學 科
富山縣立富山申學
大坂麻立北野中學 新潟︵.︾︶石川︵李︶薪潟︵李︶岐阜︵李︶旙井︵牢︶三重︵士︶兵庫︵士︶麗島︵士︶三重︵尋︶石川︵李︶滋賀︵李︶岐阜︵季︶
金 岡 清 彦 富山︵李︶津垣直吉野島︵士︶
髭
︵欝︑報サ胸O
號十諾第誌難會発十愛知縣立第一中瀬 東京府第一中學 鵜島脚立盤面中塗 石川縣立第一中言 私立順天中學 全 上 私立感風中學 私立日比谷中學 岐阜無偏大垣新藷 富爵縣立高岡中野 面立麻布中歯 私立東京中下 私立成城學校中學
石川縣立第二中學
三重縣立第一中篇
木河大稻高乎久山吉小川吉奥新井
河村崎内田野塚田脇田林勝野野谷上
和正忠 道塗 熊豊吉良新源 康 之 五
義雄三二衛助徳人馬郎吉入治蓋治三重︵李︶ 石川︵士︶ 愛知︵士︶ 長野︵士︶ 稿島︵士︶ 石川︵季︶ 千葉︵李︶ 鳥取︵士︶ 長崎︵李︶ 埼玉︵李︶ 岐阜︵季︶ 富山︵李︶ 大坂︵季︶ 編井︵士︶ 大坂︵李︶
以上新入生拾七人
O撰抜試験の結果 轡學科条抜愛欲は去る七月二Hよク 本校に於て施行せられカリ入學志願者二百二十四名な♪しが試験成績特に良好なウしによウ百十六名に入學を許可せられ允b藥商科は募集豫定人員に充たざるによう燈格槍査のみ施行の上+七名に入學を許可せられπウ0清國人の入門 中國江蘇省松江府上海縣人王建善三十二年は本下面學科傍聴生として十月+九日元応を許可せられたう因に記す清國人の入學は今回を以て蟷首なうしと O卒業生諸君を逡る 夫れ愈々乎として究綾りなきは我が馨學か 老朽の去る竜の新分子の代はるもの斯界の面目は盆 々新なりと錐も而かも肚會の需用を告ぐるこε街ほ 甚だ急なウ︑此の時諸氏が切磋の學理を以て修養せ る敏腕を振はん嘘す︑快なる哉︒ 願くは新警精籔︑盆々其の落馬を究め薄地の運用に 於て亦遺憾なからんことを期せよ︒ 余輩今や諸氏と分る︑言はんと欲すること轄虎切な
號十三 第講難會蛮十及保謹人入瘍着席あるや︑高安校長は醤學科卒業生四十 ぎたち︑職員蘇生及卒業生は御幣影を優し︑次て來賓 回藥學科第十四回の卒業謹書授論式を基行せう定刻に急 十一n月あハ日午前十.蒔よ6・本綾ハ語々堂にみ於て殿爾學科第一十ムハ ○卒業式 諾氏が職掌を全ふせられんことを希ふ せざるべし︒唯だ鼓に諸氏の健康ならんことを所ク︑ うε錐為︑多くは諸彦の晒せらるζ所︑叉駄辮を贅
一名島島科卒業生四名に卒・業謹書を授序し︑了ウて左の
告論を朗讃せられ︑醤學科卒業生出代小林孝一藥學科卒
業生百代清水末吉氏の饗応にて式全く了り︑別室に出て
一同に茶菓の饗鷹ありたウ
校長の告諭及卒業生の答僻は左の如し
告識
卒幽禾生︷譜エ∂本一役ハ鼓二議論子ノ爲メニ此式血ハヲ輿囎ゲ愚母ハ
︑ノ臨瘍ヲ請ヒ以ク諸子ノ正二本校所定ノ課程ヲ了シ本
稜卒業生トシグ必要ナル品格ヲ具備スルコトヲ讃詞ス
︵會報︶ 是レ實二諸子ノ榮恐ニシテ邸チ万年一目ノ如ク刻苦羅勉シタル効果タリ然レ匿此確実冨アレ一実チ責任モη︽之
︐二件フ自今以往諸子ハ肚會ノ機器二滲リ讐學二藥學二
從來養成シタル實カヲ根底トシ克ク獺立自重ノ氣象ヲ
保持シ學理ヲ研キ實用ム櫛ミ終始怠ラザ〃コト猫ホ本
油杖
一仕ルカ知クシ以テ國家憲畜けノ恩特報セザルベカラ
ズ是ソ諸子將來 ン虫貝任ニシテ即チAコ爲ノ虚無自ヲ一全フス
ル所以ナリ諸子勝ヲ賜メヨ
明治三+六年+一月六日醗蘇臆薫製艶麗騨離帳高安・右人
答詞r
画顧スレハ生善本稜二遊ビテヨリ鼓二四星霜コノ間諸
敷官ノ懇切二指導訓誠ヲ賜フコト恰モ母父ノ慈蓼於
ケルデ如シ今や辛フシテ讐學ノ一般ヲ學ビ得テ稜門ヲ
贈セントス生等ノ光榮何モノカ之二加ヘン︑今叉稜長
閣下ノ懇篤ナル旗口論ヲ辱フス然−−・世ノ辛酸.昌堪へ樹肛會
ノ波瀾ヲ難解身ヲ立テ業ヲ施ス訓解ク學窓ノ苦學二比
スベカラズ昼鳶脚質生ノ任二尉ルト或ハ進デ學術ノ魎
掴
號十三(第議難會蛮十 、へ
w剛//≠1ハ{一!!/v 4一轟Vr /〆.nv−n t んv¢の厚論
︵會報︶
奥ヲ研鍛スルトニ論ナク不省ナレド自ラ識ル世ノ須ッ
所二足ラザルヲ然匿生等ノ胸申一ノ奇ナシト二叉以テ
徒二井麿薦ζ満室敏慧ノ才ナシト錐一意ノ専念
志ヲ斯薗學二篤ヅ以プ遍羅師恩ヲ・報ジム冨日ノ榮二二二心ヘ
ントス川モノナリ乞フ閣下幸二安セヨ
明治三十六年十月六日
讐學科卒業生惚代 小 林 孝 一
答 斜
生高潔ヲ本校二負ピテヨリ既二三年始メテ戯會ノ一重
任誕當ルヲ許ずル之ヲ以プ吾が金澤清掃專門學捜一回
本日ヲ期シ卒輩㎝誰畿日授與ノ式血ハヲ︷墨㌔ゲ加フ川二四塁顯紳
士ノ臨蕩ヲ辱フス生噛ノ光帯下ナント云フ可シ生等今
回ノ榮岩アルハ固ヨリ聖明ノ御壷徳二篠ル・︐錐モ亦校
長閣下並二諸先生ノ懇篤ナル董⁝陶轟依ラズンバ有〃可
ラ蓋一二威謝ノ融ナクシテ︐可ナランや今叉学長閣下ヨ
リ懇到ナル高識ヲ賜ハ︑ル生等身不肯ナヲト難陪孜々碓
や高潔二瀬シ下々藥學ノ隆盛ヲ計り以テ聖意ノ万分遅 鰯二
一二奉ジーハ諸先生ノ洪恩日報ズ川所有ラγコヲ期ス
聯力蕪嚇ヲ陳シテ答僻トナス
明・治三十ふハ年十一月ム留日
藥學科卒業生塗代 清 水 末 吉
讐學科卒業生 四†一入
長野縣李民
鳥取縣李民
富山縣.李民
奈良油鼠民
京都府難民
新潟即詰民
長崎縣李民
心山縣李民
新潟縣膨面
山梨縣季民
紳奈川面影
富山藩士族 小林 孝一政山 龍雄春田久太郎
前中富谷三太小高山 田村水 宅田幡播田 豊辰齊民始島陰孚信 作入雄次一市雄也置
石川出藍民
富山縣李民
新潟縣準民
静岡縣李民
富山二季民
富山縣士族
滋賀懸李民
岐阜縣難民
石川雨季民
漸潟縣李民
長野縣李民
・山梨縣血道 河崎 有作花岡佐太郎諸橋嘉久次井上 隼雄舘 昇榮齊藤賢徳堤 泰造朋根田信次松田研吉和氣 二郎細田 榮
桑島 貫一
號十三1第講楽亀會壷・十
石川縣士族 吉井康次郎
輻再掲李民 笠 速答郎
石川縣孕民 永江 蔵之
長野縣選民 鳥山 正彰
秋田縣李民小山田繁三郎
東京圏李族松波 操
北海避騰李民根守政記
長野縣李民 須田嘉三郎
輻井懸李民 橘 三 丸
藥學科卒業生 四
石川縣李民 清水 末吉
石川縣年歴 林 京次郎
人 滋賀盛徳民 石川縣︑季民 長野縣濃墨 三重縣年民 宿井縣測串 新潟縣︑李民 寓山縣季民 石川縣︒李民
堀小月高風小林石 田島原崎藤野 田 圭顯秀二 謙良伍三治範郎寛三甲佐
富山縣︑尋民 中田徳次郎
石川害悪民 高森万次郎
O卒業生諸氏逡別會概呪
購書は静の飛ぶよム竜早く︑一度粒を離れては再び還ら
ぬ梓弓の途に引き止むべく竜あらで我等は去参給ふ諸氏
を認るの今日とはなり孤︒喜ぶべきか︑將π踏むべきか︑
ひそかに想ふ諸氏俊秀の才を抱き撞天の望みを持し数年 の螢雪に磁器を磨き今や業を卒へて此地を去らる︑諸馬の心胸果して如何なるらん︑我等継りなく諸氏の境遇を思ひ回らせば欽羨の念あきふる能はず︑喜ぶべきは諸氏の身上なるかな︑後進我等只題目みし入のれも影を見るよし竜なく︑我等の先輩εして啓叢誘導にカめ給ひし諸氏を雲量のあなたに迭るとし思へば吾尺が惜別の情は措く能はざる竜のありと錐も亦諸氏將家の辞め讐手を學げて漱似せざる可からぎるなう即明治三十⊥ハ年十一月六日卒業讃書授與式絡了後莚を本校濟々堂に布きて卒業生諸氏を駈る︑來會者高安校長始め其他一百有雷名︑席定まるや駿前駆惚代池田恒太郎氏起ちて同誌の趣旨を述べられ次で卒業生総代小林孝一氏の謝僻終りて楡快なる講談を耳にして書餐を供す︑固よう佳肴磁壁の幡なしと錐竜馬か竜會員諸氏の焔々πる熟情は声々として宴に充ち各肖胸襟を開きて且食且談じ満蕩爲めに胎蕩たり︑時己に午后四時乃ち卒業生諸氏の萬歳を三畏し談笑語々臨路に就きぬ
︵曾 報︶ 豊
︵會報﹀
號十三第認難聴壷十
腿
0高安藩士の祝賀會
明治廿一年大島を出で量地に來りて激鞭を執られ主とし
て眼科部に就事せらる︑爾ほ第四高野稜面謝部主事ビし
て大に敏腕を振ひ綾務の興りて見るべき竜の多かりき︒
明治三十二年文郵省の命によう濁國に留益すると二年︑
眼科を專攻して言々其の驚喜を研め講究愈ル深く︑精解
卓抜︑新警探微︑悉く騰裡に脩めて蹄着せらるO時恰も
本浦の機影後にして山崎敷聖心長心得の任に當らる︑更
に叉同署授の留學を命ぜらる≧や︑其の後を導けられ稜
長として敷授として再び本校に臨まる㌦こと\なれφO
其の詳論交を提出して博士の銀位を請求せらる≧や審査
の結果今冠の榮岩を博せられたることは前傾に報ぜしと
ころなウ先生が此の榮懇山を負はせられたる時︑熱情ある子弟何参
逸すべき︑必ずや祝賀す轟き微衷を露はさぎる可らずご
其の議己に熟せう︒此の時に下りて馨員及麟師諸氏の間
a着て懲夙に先生の遅めに祝賀會を催さんとの計書あ り︑學生の登起あるを聞き同種の會合を二途になすの繁は宜く避くべし︑若かず雨團合併して大に盛況を添へては如何と︑協約直に成る豊漁ふして論意昂然︑回轡欝欝を点綴して堂下清雅︑東籠の菊花燭り艶姿を檀にして麗容佳︑誠にこれ秋天の美景︑快晴金澤稀に見る所︑・十月三十一蟹之れ則ち密陀の期日なるQ來賓の跨り學生の集まる竜の近晴稀有の盛會となす︑置くば焦々堂挾隙にして各人蓋然相接し爾膝相交はり蕩に立錐の鯨音なく︑來賓の諸賢嚥蓼や窮屈を戚ぜられしならん時は來り臓詳論の刻午后二時︑第一鐘學生の入瘍︑第二鐘會員の入蕩︑次に一同起立して正賓高安博士を迎ふ︒着席せられてよウ登起者惚代淺野川病院長米村吉太郎氏立ちて開戦の僻を述ぶ 先生の赴任以來︑讐學皆々長として眼科部長εして將
力學校長として本校に鑑さる3こと洪大︑歎寓の患者
を治するに好く學理を蓮黒し︑施療其の宜しきを得今
號、ナ.乳.鑛,.毅一麺、、.蟹.鍵_徴
や先生の恩惑にあっかる竜の北國に普し湘叢に博士の
學位を得られたるは誠に其のところ︑例へば暴食して
腹満つるの類︑狸照して之を祝輻するを要せん︑然う
この合理の榮嬰ご錐も余輩深く先生の恩義に浴するも
の︑洪大なる師恩に戚ずる竜の︑柳か以て祝意を表さ
ヒる可らずざ意を博士に通ず︑然るに博士︑固僻する
よ麟己の貢献の暴らざる薫煙現下の形勢に鑑み其の當
を得ざるとの故を以てす︑先生の浩徳常に宇内の形勢
に見︑魅惑の現時を嘆ずる︑や深し︑今此の僻ある固よ
り故ある深しと出塁︑吾人の熱誠は之によりて制止せ
らる響き乎︒夫れ苦あれば之を別ち樂あれば共にカの
しむ︑正に渇れ師弗の情よあらずや︑斯界元より薄茶粗
果の類のみ︾亦先生の意に逆ふなからん乙ごを期す︑願
くは余輩嚢起業酬同の微衷を顕せられよご︑・辛く先生
の許諾を得鼓に本丁を成立せしむるこビを於たるなり
ビの旨を署し併せて︐祝電を述べられだり
次に來會者総代加藤慶三氏の祝僻朗讃あり
︵會 虚し 祝 悪天高ク地ハ錦ヲ飾ルノ時弦・本日ノ佳辰ヲトシテ吾奪敬セル高安博士ノ爲メニ等位祝賀會ヲ開キ聯力祝意ヲ表スル了得タルハ會員一同ノ光榮トスル所ナリ博士ハ・明治二十舶年以雲高等中島校高等學校ノ讐財部金澤螢學直門學校二敷鞭ヲ取ラル・︑ト共二主事トシテ校長トシテ後進ヲ薫陶示導セラレ叉金澤病院長眼科長トシテ療病治術ノ効果ヲ暴ゲラ〃其ノ聞學ヲ研キ術ヲ究ノ術濁國二遊學セラレテ斯學ノ穂奥ヲ探ラル今回名器ノ學位ヲ得ラレシ正一一其ノ斯ナリ今後博士肺野讐界ノ重
鎧閉
gシテ︷何川沿贋ノ〃敏腕ヲ奮田ハレ肚會一二黒黒ヲ煎ハヘラル
︑ノ責任ヲ担ル︑事ト信ス埜二於テカ吾人ハ吾讐界
昌光﹂輝アル一.星ヲ加λシヲ細肌スルト北四隣博士ノ二死ヲ
﹁賀セサアヲ得サルナリ 謹テ祝詞ヲ述フ
明治三十ふ人払十・月三十一日
高安博士勢位祝賀會會員惣代
加 藤慶 三
四五
︵會 報︶
…_、牌1、斗㌧琴㌶第、葺璋期\.曾孝寒.r+:.、..
購品目録︵書柵萱個︶を呈上す
次ま馨學專門門校學生惣代林篤氏の祀詞朗讃あう
祝詞
謹而我金澤讐學專門學稜長恩師高安閣下二告ク夫レ熟
々惟ルニ閣下ヨク公務多端ノ身ヲ以タ生等二懇篤ナル
敷幅ヲ軌ラ川・事多年一日ノ如シ而シテ傍ラ燈務ノ絵
ヲ以テ釜々斯道ノ蒲奥ヲ究メ嚢ユ有盆ノ論文ヲ提出セ
ラ川・ヤ遽二面ル七月二+九日ヲ以姦箪博士ノ學位
ヲ授與セラル是レ恩師閣下ゾ光榮論シテ併わニプ我黒磯
學ノ啓鰻ヲ推朝セラレタ〃功績モ亦活動トセス延テハ
本綾ノ名饗タリ搾油二藍テヵ日々敏訓ヲ受ク〃ノ生埋胸
裡欣悦ズ情二堪ヘス爲メニー同相計り本日ヲトシ窯出
祝賀式ヲ塞行シ底力紀念トシテ粗瓶ヲ賠呈セントスル
所以ナリ希クハ閣下生命微意ノ存スル所ヲ了セラ膨︑
ル生等ノ幸魚倉ソ之レニ若カソ 弦・二一言以テ祝詞ユ
代フ
㎜明治ご一十←ハ年十︐憎月一ご山﹂一目口 癸金澤善柔専門學校畢生百代
林 篤
學生一同の紀念品︵琵瓶萱個︶目録を賠呈す
次に祝電披露あり
謹而祝シ御健康ヲ赫〃 東 良 李
恩師ノ加薬受領ヲ祝ス 本 田 三 部面會ヲ祝ス 黒川由己
是に観てか高安博士壇よ登らる︑壇の右側には花瓶を設
け翠松黄菊の捕花よく清列の色彩を添へ︑恰も先生を撲
くが如し︑先生壇a立つ拍手湧くが如くに起る︑先生口
を開く急がず迫らず襟度甚だ鄭重︑知らず其の演ずる朋
は如何Q乞ふ概要を記せん
余が當稜に來・9てよう職を奉ずるこご十有数年其の功
績些の見る可き竜のなし︑然るに文部省はニケ年の閑
を賜ひて燭國に遊學を命ぜらる≧や︑諸賢は不省.の爲
めに盛大なる途別會を催し︑縣下よあは慰勢こして過
大の金を贈られ︑學生よりは丹心以て鋳たる紀念品を︑
_膿十…嘉鐙鋸難..欝.純忠_
今樹ほ胸問に飾る竜のは之なウ︒而して駅馬に蹄るの
とき竜等しく翼翼の高遇に接す︑ア・諸君の情に濃き︑
余は一念以て其の恩惑に報答せんことを期するのみ︑
然るに今博士の學位を受け勝るを以て叉々祝賀會を開
かれんご聞き︑實に身にあ嚢る過賞なるを信じて固馴
せう︒愚ふに學稜の事業︑院内の事︑今雪意に満つる
ものなく︑且つや内︑行牧整理に忙はしく︑外︑日露
の形勢Bに非にして國家は誠に多事なるのεき︑一個
入の辱めに祝賀會を開かるζ冠は余の首肯し能はざる
ところなう︑然るに桔⁝に厚き諸腎︑余を遇するに至ら
ぎるなき諸武が曲げて慮ぜよと強ゆる︑余は深く是に
答ふる所を知らず唯だ這め厚意を室ふせざらんことを
期して出席することζせう−一蹄朝後も病蒲の爲めに
勉學の暇を得ず強て叉博士禿らんの慾望竜なかウき︑
主位元より解する格のaあらざれ費も望めば誰人も得
らるヒ竜の最上蓑亀ある特産物とは思潤せざうき︑然
れども偶・世上の風評a動かされ又時勢の之を要とせ
︵會 報︶ しむる所よう實に國家に蜀する報恩の爲め之を請求せ しご難竜初めよ参期するところに非ぎれども︑擁倖に して今日あるを得控ら︑選れ全ぐ諸氏ま結する從來φ 鴻恩の萬勢の一に報答せんが爲めのみ云々更に先生は訂己の無業談に及び︑赤貧よう身を起して今日に至る大要の講話あうπり︑夫れ今日の光榮を負ふ騰の其の萌すところの聡警だ偶然にあらざることを見る︒ 卿は佐賀縣肥前國一寒村︑誠に並在の地にあり︑世々碑
官たう︑明治六年初あて寺院に於て子弟の敷訓話關の
開かるヒや則ち入うて讃書算を學び諏︑時に三十四︑居
るε一年駕して稜補として下級生徒の示導者ぜなる︒
近隣に於て當時父の知巳にして漢蘭両馨を乗ねだる人
あり︑先生に鋤むるに讐學を以てし志初めて立つ︑是
ポり佐賀市に出でヒ︑究學す︑時に東京には大學起り學
生の脩養稽全に近しεき︑笈を負ふて遊撃するもの多
く︑知人は皆購うて出京し先生濁ゲ其地a獲さる︑然
・れども鮫龍室く息を呑んで潜在すると能はず︑先生毛
四七
︵會 報︶
號.十置第講軸曹&.三
脚八
亦同僚の後を追はんと勃然抑へ難く父に迫綾りて之を
促すε急なり︑然れども家貧aして資に乏しく︑加ふ
る訊海陸の蓮路開けず多額の金を投じて我が希望を容
るべく竜なしと煩悶するξ三度︑時に先生聞くらく大
學は数年ならずして官費生だるとを許可すべとして︑
父に説くにこの事を以てし衛く著せらるζことを得た
り︑ア・此の時先生の満足や如何︑かくて月の悪難宛
の學資金を輿へらる惹ことζなり︑瓢然として孤客今
や家庭の慈父母と分かれ天涯遠く族路に上る︑聴に朋
治九年なり︒之より外國語學校に入り普逓科を修め止
綾る乙と一年︑途に大昔豫備科a入り︑望んで本科を
修め全科を卒へられたるは實に明治廿一年一月なう︒
斯の如きは僅かに其の一端なり未だ全豹を窮ふに充らざ
る可し︑先生の激闘之を回顧し來りて説かるヒ所は實我
青年の摸範だるべきも多からん︑余は他日先生の下冷を
傳ふるの期あらんとを希ふ︒︐
かくて先生は其の梅醤a於ける修業卒業開業免欺二等を 示され︑終りに今回受領せられ泥る學位記を展覧せしむ︒先生壇を降らるO拍手喝釆の下に式を終へ︑直に茶話會に移る︑時に午后三時牢なう茶菓元より珍とすべきものなしと錐も︑會員の諸氏は概ね現代の紳士︑而か竜笹生と席を等して澁茶粗菓に甘んじ赤誠以て賀僻を表するの風情は現今流行の宴會と比して誠に紳聖而か竜十二分の快を得られしざ共に︑先生に於ても叉大に満足せられし所なる饗し︒臆て此の霜々の裡︑和氣限々として將に春の如く︑講談あり︑狂言あう︑抱腹絶倒︑快は盆々快なウ︒既にして日は暮れ燈点せらる≧の暗鼓に閉會を告げ 両陛下店蔵︑金澤馨學雑器學校萬歳︑高安博士萬歳を各三唱して散會す︑午后六時本目の會員としては本校に縁故ある馨員及馨師百五+鯨名︑學生全体︑其の他︑看川︑湯目両敷授︑北國︑政激︑加能新聞砒身員等無慮五百飴名 行講中演説記事は総て記臆に存ぜる竜のレみ若し眞意
雛i十『鷲:第三難 嘱望・十
を誤まるものあらば其の責一切余にあ与島乞ふ諒せよ
︵つとむ︶ 0秋季遠足運動量
我が遊技部の肚學︑那谷の巖窟に入りしは一昨の秋︑片
山津温泉に遊んで湖絆の景を探りしは咋の秋︑術ほ當年
の佛は彷彿εして脳裡に出没するものあり︒今秋亦山代
堪方に於て此の事あらん蓬す︑先年初めて秋色の佳を違
うてよう一度此の報に接するあれば︑煙塵勤如として動
き︑胱惚として紳先づ製すρ況んや人あb其の地紅葉の
盛を報ずるをや︒加ふるに健脚強歩の長途競箏も例の如
や︑健免の肥肉を慰するものあらん︒︑時は優れ一年の好
期十一月十四日︑筆は是れ禿拙劣の懸字︑是の候︑是の
筆︑其の及ばざるや遠し︒
夢a聲あり胱どして眼を醒せバ宿圭の我を起すにあうけ
︑・9ーー時習に五時に垂んとす断雲清きしと稀に號報鳴り
・て己に噌時直a起きーー累愚直に起きて行︑装を一瓢へ︑山円
述宝歩を停車⁝場謄憲げば轟残んの丹は術ほ夫塞にか≧転二 三未だ星に繁く路傍を照して明かなり︑昨日譲で降う績ける秋天の今日宅ろ購れて我が思へ︑時なる哉ゆ既なして停車蕩に到れば學生の集まるもの蕩に満つ︑一同列をなして乗車す︑五時四十五分︑難聴一難︑煙拡北になびき︑軽車は南に走る︑東︑卯辰山を望めば朝曇の光う赤く︑田野は遠く霧に園まれ︑れく霜熱くて窓外の流醗一轄︑叉一際の眺めあウ︑或は新聞を開く竜の︑地圖を繧く竜の喫煙するもの︑論談.口角泡を飛ばすもの︑吟ずるもの︑謡ふもの︸笑ふものありρ湯ノ目先生が例のサックより濁逸唱歌集を取り出して唱ひ会しむるなど︑津々たる興味盤くるところなく︑漁車は松任騨に着し臓︑東雲盆︑紅よ目輪は將に出でんどして未だ現はれず︑連峰輕姻浮舟として面を掠む︒出でヒ進めば手取川あウ︑西︑日本海に注ぐビ乙ろ︑森漫たる蒼海に一二自帆の灘るを見る︑離然注して窓外亦無限の快に打だれぬ︒美川騨に到らんとする時太陽山の端を離れて輝誉︑自雲と相映ず︑
憾くば白山の高峰臼霧に覆はれて見る可らざるを︑小松
︵會 報︶翌
︵會 報︶五〇
號十三第四難曾一十駈け騰るあり︑前途術ほ遠ければ勇を鼓舞して意氣を加 蓮置注の野を縫ふて⁝進み七日市村に至る︑時に競箏者0 せしむる竜のあらん︒然う遠く俗界を去ウたる余は︑膿 めんごは心得かに期する所︑本Bの行や甚だ我意を満足 ぷ︒干飯幽寂の地︑塵俗の汚氣を洗ふて英氣再び蘇せし 嘉して漫散檀に此紅熱の秋氣に浴せんざ︑前登山代に向 余脚弱くして列に入ること能はず︑若かず意の向く所に 士別す︑鉄脚の健二二う投ずるもの多し︒ 縄凡ろ一里九町︑是に於てか各略体を組織して三寸者を 停車溝前に集まるQ長途競箏は垂れより山代に至る間里 騒に到る先年の佛を止む︒動橋騨に着すれば一同下車し
へ遣り漁︒遠く眼界の及ぶところ皆な紅葉一帯の光景︑
實に二月の花よウ紅なり︒︑西鳥村を過ぎて進めば遙に熟
々カる國旗の交叉せるを見る拝し︑㌧歪なん徒歩競孚の決
勝点なる︑セツ︑セの聾後にき乙ゆ顧みれば第二回の競箏
者なり︑決勝点の見ゆる凌ζにヘビー掛けて飛び出すこ
εの肚なる︑流汗淋三種を拭ふに暇なく互に凌ぐ勝敗の 決︑名轡の勝負︑ア・何ケ盛なる︑己に進んで決勝点に到れば︑松田先生机を擁して時計を見︑時間算して勝敗の決を定む︒之より直に山代村に入る村の中央方形をなせる所︑一大浴傷を設く︑土人之を総湯︵或は外湯︶と云ふ︒其の建築を見るに︑堅牢宏大二層の縷Yなす︒湯槽は石を以て造り︑男女を両劃して各槽百人を掌る面しQ此の周園は悉く︑宿舎︑蔚を並べて建ち︑戸々又内湯を設く︑學生休息は総湯に面じて西方山下家に在ウ︑則ち入る︒先入の諸氏は入浴を終へ︑欄訊よるもの︑横臥するもの︑起きる竜の︑早や釜飯を開くもの︑茶を飲むものあり︒新滞るに來るあり︑出つるものあり︑必勝を期するものあウ︑敗北を嘆ずるものあり︑中途a落ちたるを惜む竜のあり︑何れも罵れ分秒の孚︑確報至るに非ざれば五里霧中︑彼我の勝敗は全く知るに由なし︑省ほ出著せざる者あク︑出でζ途中にある竜のあうゆ全部完結︑打算の上ならざれば知ること能はず︑
只だ浮れ賞牌授與式を待つのみゅ既にして一浴を試みる
號斗・竃錨譲 一三三十
a泉質亜爾加里泉に艦し︑少しく掴濁︑微及硫化水素の
臭を帯びヤ昧梢厚冠し︒耀きに本校a於て分析せる成蹟
を得πり︑墾考の済め鼓に掲ぐ
反鷹︑徴亜爾加里性
掴一度︑常温⁝裾氏十五山皮Φ†﹂に於て同山一十←ハ度
一〇〇〇立方﹁センチメト川﹂中に一︑七〇四〇〇〇琵
の固形成分を含有す︑其の各成分は
硫酸加子望謹 ○︑七一入○入○
格三児加溜誤 ○︑山ハ〇五二〇〇
硫酸加働旧護 ○︑一ご三山ハ︼一〇
格魯晶兄君篤働脚謹肺 G︑Q一〇五ムハ一
格魯兇麻屈混夏謹 ○︑○○入三一.○
鉄及馨土 ○︑Q一九QOO 硅酸 ○︑〇五七九=ご
顧 酸 少 量
淡 酸 少 量燐 酸 痕 跡 硫化水素 ○︑○〇五四四五
外浴の外また内浴して効あう
今其の來歴を繹戯るに千二百年前︑信行基︑北陸巡銑に
際して之を登見し︑其後長徳年聞に謡う︑花山法皇の北
國を遊幸せらるヒや︑悪弊煙の墨るを望ませられ︑一浴
甚だ爽快を畳ねさせた按ふQ依りて樂王寺を再興し︑從
−ふ所の比丘妙畳を留めて護國安民を所らしむ︒是より其
の名近隣に響き逼り洛する毛の絶へずQ然るに天文年間︑
越前の國守朝倉義影の侵す所ざなウ︑思しく兵褻の儘と
なる︒其の後前田利長卿︑由緒の尊に戚じ︑再び飴儘を
収め︑山林田畑を賜ひ賦税を免じ穰災を所願し︑奇駿を
賞揚し傳へて以て今日に至る︒
出で≧東すれば︑縣肚服部紳批あり其の境内は即ち公園
疫う〜風光未だ甚だ備はらざれども老樹勢欝として枝を
交ね︑微風梢を渡り紅葉片々として飛散す︑颯々として鳴
り銀々として聲をなし林間の土上錦を敷く︑東方︑小丘
の蓮なるところ之を春日山と云ふ︒霜野だる一帯満山翠
︵會︐報︶
五
︵會.報︶豊
號十三第1講難曾幽門を迎ふる竜の\如く叢るもの\如く︑足痛だ潔くして時 々πる大道︑輩膓としで邊写すと錐も︑山事水媚みな我 襟締として山骨の現はる︑所︑繧松其の上に讐πム︒坦 々清楚を畳ゆ盆進めば盆々佳︑河を隔でこ封崖を望めば︑ 橋を渡ウて左折︑河流を湖れば左右回轡︑満目の光景愈 か︑あらぬか︑塗抹せられだる天然一覧の砂書に似たウ︒ ものあり︑布置の妙着色の奇︑立田の姫の織りなせる衣 得ざる毛のなく紅なるもの赤なるもの緑なるもの黄なる 甚だ激せず︑前面硯線の告ぐ所︑淡粧濃彩凡て宜しきと う.︑河は大ならざれども水清くして解く涯援として水聲 何せん︒路を嬉して山中温泉に耐ふ︑進めば大聖寺川あ 前を洗ふに足るものある可しと錐も︑閑遊の隙なきを奈 松の林をなす︑若し偏れ登ウて山頂に至らバ眺望自ら言
の移るを知らず︒行くこと一里牢則ち達す︒
人家稠密而かも清楚を極む︑β数六百有責實に山間の小
都會なうり宿會縷屋の華麗室内庭園の装飾風趣を極め︑.
懇遇欺待して浴客を待つd赫の中央に至れば二大面識あ ウv.↓は一般土民浴客の爲め一㍉は貴顯紳士の鈍めに特翫造螢善美を嫁し弾む等級を畷劃すσ今其の泉質を聞くに壇類泉にして味に豪飲あり︑風炉内服共に良効を見ると漸其の來歴を探ぐるに行基菩薩︑嘗て北國行脚に際して之を磯見し狩野遠久をして浴槽を設けしめだるに創るQ其の中絶して煙滅に訂せる竜今よう七百年前長谷部兵衛尉信連︵當時申江沼郡塚谷保を神領せる︶此の附近a鷹狩せる時︑偶を白鷺の來ウて患脚を浸すを目撃してより此薦に鑛泉の湧出することを認め︑臣下をして之を開拓せしむるに及んで再び世に現はる・に至りぬ︑其の後交明五年蓮如上入︑越前の藤島に留錫せる時︑當地に湯治せられてより其の名潔く世に喧傳せらる︒此の地三面山簸を回ム大塞寺川の上流其の間を生る︑埜に閑潔清列の風景三光水色の見る書きものあウ︑所謂山中+景を数ふべしQ幸に+分の鯨暇を得ば悉も之を探ウて未聞の諸氏に碩泥んと欲すれど竜︑一日の行軍而かも
漸くにしで此庭よ到るもの\豊面々の閑あらんや︑只だ