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個人商店と地域のかかわり

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個人商店と地域のかかわり

著者 貝瀬 彩華

雑誌名 静岡市・由比 西部を中心に. ‑ (フィールドワーク 実習報告書 ; 平成30年度) 

ページ 73‑81

発行年 2018‑12

出版者 静岡大学人文社会科学部社会学科文化人類学コース

URL http://hdl.handle.net/10297/00026301

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個人商店と地域のかかわり

貝瀬彩華

この口述記録は、2018年(平成30)年5月29日に、由比寺尾在住の河西眞理子さん(女 性、63 歳)にご自宅でインタビューした内容を書き起こしたものである。インタビューの テーマは、「個人商店がどのように地域と関わっているのか」であった。

眞理子さんは、河西新聞店2代目店主の長女として生まれた。静岡市内の中学・高校を卒 業してから 1 年間は静岡市内で会社勤めをしたが、その後は父親の意向もあり家業の新聞 店を継いだ。現在は、夫の河西光さんが3代目の店主をしている。眞理子さんは夫とともに 新聞店を経営しながら、趣味のフラダンスをはじめとして様々な場面で地域の人々とかか わりを持っている。

インタビューの中で眞理子さんは、一人娘として「家業を継ぐ」ということにどう向き合 ってきたか、新聞店の営業形態が時代の変化にどう対応してきたかについて語ってくれた。

河西新聞店では、新聞読者の減少にともなって、2017 年からコーヒースタンドも同時経営 するようになった。口述記録からは、コーヒースタンドを訪れる客との間に新たな関係が生 まれている一方で、以前から新聞配達を通じて地元の人々と築いてきた人間関係や、眞理子 さんの個人的な友人関係などが、コーヒースタンドの経営に影響を与えていることなどを 読み取ることができる。

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実施日時:2018529日(火曜日)

1048分~1148分(インタビュー1時間の うち1048分~1123分までの35分を文字起 こし)

場所:静岡市清水区由比寺尾の河西新聞店 質問者:貝瀬彩華(以下、私)

話者:新聞店従業員・河西眞理子さん(以下、河)

(527日に行われたお見合い会でお会いした小 池さんに眞理子さんを紹介して頂いたことから会 話が始まっている。

<眞理子さんの、地域の人とのかかわり>

私:小池さんから、お友達だよって聞いて

河:全然歳は違うんだけどね、次男のつながりでね。

私:同級生の親っていうつながりは多いんです か?

河:そうね、でもね、私も子どもが 3 人いるけれ ど、ご縁があって次男のグループだけつながって いるの。子どもが12 の時からだから、30年ぐら い?

私:小学校に頃の同級生なんですね。

河:そうそう、6年生の時からだから。今年もう39 になるね。その子たちだから、

私:じゃあもう20年?30年?

河:近いよね。

私:長い付き合いなんですね。

河:そうそう。25周年だの20周年だのね、いろい ろあるの。定期的に集まる。

私:そうなんですね。そういう時にはどこに行かれ たりするんですか。

河:幹事をね、次の幹事は誰ねって決めるの。年1 回のは弘法の湯〔伊豆長岡の温泉旅館〕。あとはバ ス旅行。

私:でも新聞屋やられてると、あまり泊りとかは行 けないですよね。

河:うん。みんな日帰り。この辺だと、同居が多い でしょ、じいちゃんばあちゃんちと家族が。みんな 親を抱えてるうちだったの。今の若い人たちみた いに核家族じゃなかったから、みんな親を抱えて いたから、

私:なるほど、日帰り旅行が多かったんですね。そ うするとやっぱり、温泉ぐらいがちょうどいいで すよね。

河:そうそう。面白いのよ、だからね、例えばもう 長い付き合いになると、お風呂行くともうお父さ んたちはそこで着替え始めるわけ。「ちょーっとち ょっと!お母さん達もいるんだからさ!」って言 うと、「なーに一緒だろ、俺今日いいパンツはいて きた!」って、

私:パンツ見せびらかしてるみたいな感じ!

河:平気でさ、どこのお父さんもうちのお父さん、

うちのお父さんもみんなのお父さんみたいな感じ でさ

私:いいですね!なんか、みんな家族みたいな感じ で。

河:そうそう、だから、じぶんちの子どもも、よそ の子どもも、みんな我が子ね。

私:いいですね。じゃあ、隣のうちに遊びに行って も家族みたいな感じ

河:そうそう、だもんで、おんなじ様に叱るし、お んなじ様にほめるし。そうだもんでね、子ども同士 も仲が良くて、だから親も仲がいいのか、親が仲い いから子どもも安心して仲いいのか、わかんない けど、そういういい循環があるのかな。

私:わあ。なんか、あったかい。

河:うん、すごくありがたいなーって思う。

私:そうですよね、もし、ちょっと出かけなきゃい けない用事とかがあった時も何々さんちで待って てねとかできますね。

河:そうそう、今は孫の時代だけど、いいよ家で、

どうせ一緒だから置いていけばいいじゃんなんて

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言ったりね。いろいろできる。

私:お孫さんのお友達も預かってるんですね。

河:そうそう。いろいろ、一緒に送って行っちゃう からいいよーとか、連れていくよーとか。

私:車の移動とか、結構多いですもんね。

河:そうそう。お互い助け合ってね。

<趣味の集まり(フラダンス)でできたつながり>

私:なるほど。あの、小池さんから伺ったんですけ ど、フラダンスやってるって。

河:そうそうそう、

私:それは地域の人たちと?

河:そうそう、ちょうどね、平成10年かな、当時 は地域に婦人会っていうのがあったの。各地区に、

町屋原も去年〔静大で2017年度にフィールドワー クに〕行かれた入山地区も、みんなどこにも婦人会 っていうのがあったの。でも、やっぱりいろんな事 情というかこの時代の流れで、何年かぐらい前に 無くなったかなあ、それで、その婦人会の時の役員 さんが、同窓会に行ったら、お友達が先生やってた んだって、インストラクターを。それで、「由比で もフラダンスやりたい人がいたら言って!私教え るから!」っていわれたんだって。それで、「ねえ、

あんたっちフラダンスやらない?」って私たちに 振ってきたの。そうしたら、私も含めて何人か、「い い!いい!丁度やりたいと思ってた!」って言っ て。とは言っても、デイサービスに行ったりなんだ りしているそれなりの親を私たちのグループは大 部分の人が抱えていたわけ。だもんで夜はとても 練習には行けなくて。もともと交流館でフラダン スの教室はあったんだけどね。

私:由比学習交流館で?

河:そうそう、行ける人はそういうところに行って るけど、夜は親もいて自分たちのこともしなきゃ いけないから、昼間やってくれるならそれほどあ りがたいことはない、親がデイサービスに行って

る時間にやってくれたら、

私:ちょうど手が空いてる時間に

河:そうそうそう、私たちもうれしいってことで、

それじゃあ何人か集めてってことで10人ぐらい集 まったの。それで、デイサービスに行ってるのは統 計取ったら月曜日が多いってことになったから、

じゃあ月曜日ってことで始まった。それがもうち ょうど10年、平成20年から始まったんだ。それ で先生が、「寺尾だから寺尾レフアっていう名前を 付けましょう」って言って。

私:発表会とかもあるんですか?

河:あるよ。ドレスも持ってるんだよ。最初はみん な、「いや、この年でドレスなんか」って、

私:ちょっと恥ずかしいみたいな。

河:そうそう、「ここでみんなと練習しているだけ でいい、そんな発表会に出られるような器じゃな いから、いい」って言ってたんだけどね、「今にや ってるうちに出たくなるのよ、それでドレスも欲 しくなるのよ」って〔先生が〕言って。そうして、

発表会に出てって私たちに何回か言うわけ。もう これだけやってるといつもお断りするじゃ申し訳 ないから、じゃあ出ようかってドレスを作ったの ね、

私:みんなおそろいみたいな感じですか?

河:そうそう、それ今3着ぐらいあるかな。10 の間には3着。

私:3回出てるってことですか?

河:毎年一応ね、1年おきとか。交流館では由比の 芸術祭があって、市のいろんな教室があるみたい に、あそこの交流館でもいろんな活動があるじゃ ない、文化振興会のね。それが20何チームあるか な、ちぎり絵だとかさ、

私:置いてありますよね、常設展示みたいな感じで 河:絵画とかね、書道とかね、あとなんか今は他の ダンスもあって。

私:なんか一回、変形折り鶴みたいなのを置いてあ

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るのを見たことがあって、すごいって思って、

河:ね!手先が器用な方がいらっしゃる。そうそう。

私:そういう文化団体が由比にはいくつかあるん ですか?

河:そうそう。その芸術祭が年にいっぺんね、文化 の日の近くにやるわけ。それには出るの。

私:結構地域の人が見に来るんですか。

河:そうそう、

私:いいですね、そんなつながり方があるんですね。

河:そうなのよ。

<眞理子さんが由比を見てきて、変わったと思う ところ・感じたこと>

私:ずっとここで生まれて、ここで育って、その中 で昔と変わったなあと思うところってありますか。

河:いっぱいあるよ。私が記憶にあるっていうのは 大体もう4つや5つぐらいのころかしらね。あと は、古い、もうセピア色になったアルバムに残って る自分の姿を見てね。海がまず、海だったの。

私:海がまず海だった?

河:そう、あの東名高速道路はないし、バイパスも ないし、よく祖父に連れられて浮き輪をもって海 へ行ってたのね。祖父は、当時新聞ってね、私が覚 えている限りでは昔は朝刊だけだったの。

私:そうなんですね。夕刊はなかった。

河:その祖父がやっていたころはね。だから朝刊や っちゃったら後は暇で、海へ行ってたらしいの、お 魚の関係した仕事をしてたから海は好きだったん でしょうね。だから新聞屋やりながらもまだ船に 乗ってたみたいなの。

私:漁師さんだったわけでないんですか?

河:漁師さんだったのよ。定地網の仕事してたから、

私の祖母と一緒になってね。その祖母はね、33 で若死にしちゃったらしいの、私の母がまだ高校 生か中学生だったころにね。だから祖父は、私の母 や新聞屋を一緒に育ててきたんだよね。私も海へ

一緒に連れて行ってもらった写真が残ってる。そ してね、何年生の時だったかな、幼稚園かなあ、そ のころそこに地すべりがあったのね、寺尾の地す べりっていうのがね。

私:結構大きいやつ?

河:そうそう、そうして私たちも避難するように言 われたらしいんだ。それで、少し遠くに住んでいる 身内に、うちも親戚っていうのは少ない方なんだ けど、親戚の親戚が紹介してくれて、お向かいのう ちと一緒に避難したらしいんだよね。その土砂崩 れの土をどうしようって言って、ちょうど東京オ リンピックが近かったのかな?その時に、それじ ゃあ東名高速道路を作るにあったって、ここは山 も通れないから、海にその土を運んで道路を作ろ うって話になって、その土が

私:ここの道になった。

河:そうみたい。そうでなければ、海はそのままあ ったと思うのね、地すべりがなかったらわかんな い。トンネルだったかもしれないね

私:そうですね、それか、もっと山の向こう側に道 が出来ていたのかもしれないし、なんか、海が遠く なった感じがしますね。

河:うんうん。ほんと、JRの向こうは海だったか ら。

私:JR はもともと通っていたんですもんね。でも 今あの道が出来ちゃって、向こうに渡るにもちょ っと遠回りしないといけなかったりとか。

河:渡れないよ。港まで行かないと。

私:今はもう砂浜みたいな感じでもないですもん

河:ないない、テトラポット。見に行くこともでき ないもん。

私:昔は砂浜だったんですか?

河:昔は砂浜というよりは、岩。

私:岩だったんだ!

河:御前崎ご存知?御前崎海岸のような、岩だった

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の。イソギンチャクがいたり、

私:そういう場所だったんですね。

河:岩と岩の間に干潟みたいなのが出来てね、その 中にちっちゃい魚が干潮になると消えちゃうみた いなね。

私:そこから船も出たりとか?

河:船はね、

私:港から?

河:そうそう、倉沢とか、

私:漁港がありましたもんね。

河:うちの主人は相良なんだよ。あっちに、私も高 校生のころかな?その時は全くの赤の他人でね、

知らない人だったんだけど、静波海岸〔静岡県牧之 原市の海岸〕に仲間と泳ぎに行ったの。バス乗って。

そうしたらすごいのね、あの砂浜ね、どーっと広く て、こんな海もあるわけ?!って思った。自分ちの 前、岩ばっかだったから

私:そうですよね!海って言ったら、ここから見え る景色っていう風に思っていたけど。

河:そう。すごくローカルな中で生きてきたから、

「え!こんな海もあるわけ?!いつまでたっても 砂浜なんじゃない?」なんて言ってね、「そんな方 まで行ったら危ないよ~」なんて私が言ったら、な ーにまだこんなところっていうほどの浅さなのね。

私:そうなんですね。ここだと結構すぐ深いですも んね。

河:そう、三保の海水浴場と一緒ね。急にぽっくん なんてね。

私:急に深くなると、危ないですもんね。

<新聞店の経緯と眞理子さんの生い立ち>

私:その高校っていうのは、由比の中にある?

河:無いの無いの、

私:どこの高校だったんですか

河:私はね、中学から静岡に出たの。私はほら、一 人っ子だったでしょ、そしてさ、父はお婿さんだっ

たでしょう。興津の方で先生していたらしいのね。

私:もともとは先生をやられていたんですか 河:そうそう、それで、ここに父がお婿さんで来て、

私の父母はお見合いだったらしいの。うちの父は 戦争に行っててね、フィリピンのミンダナオ島に 出てたらしいの。衛生兵でね。そうしてさ、ほら、

当時生きて帰ってくるってことがすごく罪だった みたい。父もそんなに戦争のことは言わなかった んだけど、生き延びて帰ってくるだけで二度目の 生きなおしみたいなところを感じたらしいの。そ うして何か大変でも役に立つ仕事をしたいって思 っていた時に母との見合いの話があったらしくて、

新聞屋さんだってことで、毎日で休みのない仕事 だから、じゃあ行こうってことで、ろくに母の顔も 見ないまま来たらしい。

私:お見合いってでも、そんな感じですよね 河:当時のお見合いはね~、昭和の何年頃?戦争が 20年に終わってね、23、24年かな?私やっと8 目に生まれたって聞いたから。そんな20年代も頭 のころだと思うのね。当時の人ってさ、しっかりし てるというか、そういう責任感っていうのが、すご い一本筋が通っているじゃない。で、婿養子で、や っと 8 年待って生まれてきた私が女の子だったじ ゃない。それで、後継ぎの問題があるでしょ、母も もう高齢だったし。だからこの子にはこの店を、新 聞屋を継がせなければって、重圧みたいなものが あったんじゃないかな。男の子なら文句なしで長 男が継ぐんでしょうけど、女の子だから私がどこ かに出て行っちゃったら困るとかいろいろ。だか ら私は父の敷いたレールの上をたどって、学校は ここ行きなさい、お稽古事はこれをやりなさいっ て。私が小学校6年生の時に書いた作文てね、夢で しかない夢って題の作文を書いたの。卒業したら 何になりたいとか、学校の先生になりたいとか、絵 描きさんになりたいとか、夢はいっぱいあるけど、

私は、やっぱり新聞屋を継ぐだろうっていう、夢で

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しかない夢っていうね。よく覚えてる。

私:深いですね。

河:私もね、それが当たり前だと思っていたの。だ けど塾に行っていたら5年生の時、6年生だった先 輩がね、「いや~、先生、かわいそうだね、まりち ゃんて。自分の道って自分で探せないじゃん。かわ いそうだね」って言ったのがすごく私印象に残っ てるんだよ。自分そんなこと考えたこともなかっ たから

私:周りから言われて、あ!そうなのか~っていう 風に思った?

河:そうそう、だから6年生で書いた時の作文にそ れが強く残っていて、つながったんだと思うんだ けど。だから中学もここ行きなさい、って言われて 商業へ行ったわけ。中学 3 年生から簿記やったわ け。商業をやりなさいって言われて。父が自分で調 べてきて、学校の受け持ちの先生と相談をして、こ こならいいでしょうって話で受験をして、そのま ま中学高校って上がっていったというわけ。で、も う卒業になって、先生が進路をいうじゃんね、「ど うする?お前大学行きたい?」って聞かれて、「も ちろん、行きたい。」って言ったら、それじゃあそ うしようってなったんだけど、父が、「大学行った ら婿がもらえなくなる。余分な教育はつける必要 がない」って言って。で、先生と話をして、でもね、

せめて短大だけでも行かせてあげたらって先生が 言ってくれたわけ。「短大?そんなの花嫁修業の一 つにしかならないから、それも無駄だから、すぐに 実務につかせて実際を学ばせるから、いらない」っ て父が断ったの

私:あー、決めちゃったんですね。

河:そうそう。でも、「先生せめてね、就職したい。

18で私家に入っちゃうなんて寂しい」って言った ら先生が、「それじゃあ、せめて 20 歳まででも働 かせてやってください」って。先生もいい先生だっ たもんでね、交渉してくれて、20歳の成人式まで、

静岡で務めたの。そうしたらぴったし成人式の1 に、辞めた。昭和50年の1月で退職して、今度は、

地域に青年団っていうのがあったの。そうしてさ、

「お前青年団に入れ」って父が言うわけ。そうする と、いろんな横のつながりができるからって。

私:そうですね

河:そう。中学から静岡行っちゃったから、横のつ ながりがないから。この青年団に入れ、って言って、

それもまた父が根回しして近所のお兄さんお姉さ んが来て、それで青年団に入ったの。

私:青年団って、地域のお祭りとかそういうのを運 営しながら、でも横のつながり、地域のお店やって いる人とかとつながったりとかっていうやつです よね?

河:そうそう、そうしたらちょうど20歳入って間 もなくかな?相良の方の青年団の方との交流があ ってね。当時の教育委員会の先生の勧めで県のい ろんなところに出ていったわけね。出ていく人が いないから行ってって言われて、そうしたらたま たま相良から〔眞理子さんの夫の光さんが〕来てて、

それで知り合って

私:じゃあ、旦那様も青年団に入っていて、それで 知り合ってっていう感じ、

河:そうそう、要するにそういうサークルだよね、

サークル同士で。

私:そこで知り合って、

河:うちの父はそこでもまだお見合いの話を用意 していたの。今頃あの世で何しゃべってるなんて 言うかもしれないけど、ここまで父の敷いたレー ルできたから、せめて結婚相手ぐらいは〔自分で決 めたい〕私の最後のあがきだと思って。母は、いい んじゃない?って言って。それで、主人と一緒にな った。

私:そういう経緯があったんですね

河:だから子どもたち 3 人には自分の好きなよう に、自分ですべて選んでもらいたいって、それだけ

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はすごく強いね。

私:なるほど

河:でもね、友達に言われたの。「あなたそうして すぐに、決められてただの宿命だのっていうけど、

最終的に決めたのはあなただよって。その時に父 の言ったことを受け入れないことだってできたん だけど、最終的な決断をしたのはあなただから、人 の責任にはできない」って。まあ確かにそうだよな。

父のおかげで今こうして孫にも恵まれて落ち着い た生活できてるし。でも、もし別の選択肢取ったら さ、どうだったんだろうななんて思ったり。当時は、

結構この地域いるんだよね、お婿さんていうのが。

娘さんが多くて、でもそんなときでも珍しく好き にやらせてくれたご両親もいたんだよね。今はお 母さんがお一人で、集金に行くとお話しをしてく れるんだけど、「寂しいよ」って言うの。「でもうち の両親に比べたらずっと立派だと思うな、自分の ことを考えないで子どもたちのすきなようにやら してやってね、偉いな~と思うよ」って、「でも最 後はこうじゃん?」って、「だから子どもも子ども なりにすごく心配してると思う」って、自分たちの こと貫いたけど、ずーっと気にかけてくれて、「う んそれはわかるよ、だからね、どうしてる?とか、

おいでとかって言ってくれるけどね、やっぱここ は離れられない」って

私:この由比地域にもやっぱり愛着があって 河:そうそう、この年になって今更そんな都市の方 にはね。この辺のお友達もいっぱいいるじゃんね。

だんだん減ってはいるけどね。だから心配してく れる気持ちも分かるけど、とても離れられないっ て。やっぱね、それぞれ後になって、自分の道を行 った人はそれなりに自由もあったけどずーっと親 にすまないって気持ちはあったんだと思うんだよ ね。難しいね。

私:選択って難しいですよね、私も今大学3年生で 就職どうしようみたいな感じの時期なので、親は

静岡にいてほしいって言うんですけどね、

河:ご兄弟はいらっしゃる?

私:兄弟は妹がいて、姉妹なので、男はいなくて。

近くにいてくれたらうれしいっていう親の気持ち もあれば、生まれてからずっと静岡市にいたので、

出てみたいなって気持ちもありながら、

河:わかる。

私:迷いですね。

河:娘はやっぱりそれで出ていったじゃんね、名古 屋に。卒業して就職したらそのまま向こうの一宮 市の人と一緒になって帰ってこないからね。まあ それはそれでね、うちのお父さんは反対したけど ね。

私:そうだったんですね。でもそれでも好きなよう にやりなっていう感じだったんですね。

河:とにかく自分で選べればさ、自分で責任が持て るじゃない。あの時あの人にこういわれたからこ うしたんだ、こうなったんだって言えない。

私:人のせいにできないってことですね。

河:そうそう、だからすぐ言われる。「すぐそうい う~」って。向こうの愚痴を私のところに言うじゃ ない。でもこのごろは一切言わなくなった。それ言 われると返す言葉がないって。

私:反論できないから。

河:そうそう、自由の裏には責任があるんだからっ てね、

私:どっちを取るかって感じですね。でもお母さん の経験から子どもには自由に生きてほしいってい う思いがあったんですね。

河:私の人生と子どもの人生は別だから。いろんな 人生があるから。

私:私もちょっと、自分の今後を考えなきゃなぁっ て思いました。

河:いいじゃん、真っ白で!次男はね、真っ白だか ら余計困るの、って言ってさ。

私:ちょっと道を作っといてくれたらいいのにっ

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て、でも次男さんが、このお店を継がれるんでした っけ?

河:そうそう、次男もね、幼稚園か小学校のころか ら新聞屋になるって夢に書いてたらしいの。そう したらね、先生が、先生も後から、申し訳ないこと しちゃったなんて言ってたけど「お兄ちゃんがい るからあんたは自分で道を切り開くんだよ、兄ち ゃんが継ぐんだよ」なんて言ったらしいの。そうし たらね、よく訳の分からないような顔をしてたら しいの。でも結局は、新聞の読者がどんどん減って きたじゃないですか、その時に長男はまずそれを 考えたらしいの。父さん母さんの時代はいい、だけ ど、僕がこれから子ども育てていくという時に、果 たして賄えるのか、従業員さんたちの生活も守っ てやれるのかなんて考えて、何か副業をやらなき ゃできないって考えて、幸い弟もいるからって気 持ちで模索したみたい。コーヒースタンドを始め たのが初めてじゃないのよ、他にもいろいろ、仏壇 のお掃除とか勉強に行ったりいろいろ新聞と一緒 にできることをって探してきたわけ。でもなかな かうまくいかなくて、いろいろ考えて、好きな珈琲 に行きついたのね、いい先生に巡り合って、商工会 さんの助成もあって。兄ちゃんがコーヒースタン ドをスタートさせて、そうしたら弟の方が新聞を 一生懸命にやってくれてね。

私:ちょうど両立しながらという感じで。

河:そうそう、おそらく、この辺の地域は空き家が 多いし、空き家になりそうな家も多いし、だからた ぶん増えることはない、減る一方。今の中学生も新 聞を読まないご家庭が多いらしくて、学校の教材 に新聞使いたいから持ってきなさいって言ったら 持ってこれない子がすごく多いんですって。それ で、週一回新聞を先生が取りにいらして。そういう 時代だからね。

私:そういう経緯があって、今の形があるんですね。

<NEWSby 河西新聞店(コーヒースタンド)と地域 のつながり>

私:カフェを通じて地域の方も買いに来てくれる こともあるんですか?

河:あるよ。定期的に配達しているお宅もあるし、

朝〔ポストを〕開けたらパンが来てるとか。

私:パンも配達しているんですか?

河:パンも配達してる。珈琲も配達してる。未明に 焼いたパンを配達して、

私:じゃあ焼き立てのパンが朝ごはんみたいな感 じ。

河:そうそう、それでおばあちゃん達なんかはアン パンをね、買いに来てくれてるし。この坂が少し大 変でさ、なんて言うから、いいよおばさん、店にあ げとくからねって言ったり。

私:新聞屋さんの方からとれるように

河:そうそう、そんなお客さんもいらっしゃるし、

私:お友達の家に眞理子さんが遊びに行く時に手 土産みたいな感じで持って行ったりされるんです か?

河:そうそう、フラの差しい入れなんかもさ、つい この間の土曜日も、発表会があったの。それで、私、

初めて出られなかったの。土曜日ってことで、土曜 日はお客さんいっぱいみえるから、私も袋詰めと かお手伝いするの。チラシも結構来るしね。両方や んなきゃいけなくて、で小学生の子どもも休みで いるじゃないですか。下の子は託児に預けちゃう もんでいいんだけどね。あと、ご飯の支度も、お父 さんとお母さんが下にこもりっきりで全然してや れないから、無認可の保育所みたいになるわけ。そ れで土曜日のは出られなかったの。その時にやっ ぱりここのパンを差し入れに持ってって、どうせ お弁当だけじゃ足りないでしょって言ってさ。そ ういうのには使えるね。

私:結構喜ばれたりしますか?

河:うんうん、おまけに宣伝になるしね。

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私:それで、おいしかったって言ってまた来てくれ る人もいるんですか

河:そう。先日ね、面白いの。この辺の小学生がね、

探検みたいに先生に連れられてきてね。

私:学区探検みたいな?

河:そうそう、それが来るって話を聞いてたの。そ うしたら、なんか声がするな~と思っていたら、先 週かな?店の前に来ていて、「ごめんね先生、まだ 開いてなくて、開けますか?」って聞いたら、「い いえ、お仕事前だからね、いいですよ~」って言っ て、子どもも「あ、ここ来たことある~」なんて言 いながら帰っていったっけ。そうしたらその次も またぞろぞろいらしたわけよ。でね、その先生はさ、

「じゃあせっかく来たから、開けてもらえます か?」って言って、「あ!いいにおいがする~」っ ていう子どもたちの元気な声も聞こえてきたの。

匂いはただだから、いいよいっぱい吸ってって~

って言ってさ、中でがやがややってたっけ。そうし て私も織り込みが来るからって上がって来たんだ けど、そうしたら先生が、「すみません、申し訳な いんですが、少しでいいので、子どもたちが一口ず つちぎって食べられるパンがあれば分けていただ けますか?」っていうから、ちょっと待ってね、聞 いてみるねって言ったら、息子は「今ね、手いっぱ いでね、とてもじゃないけど大変だ!!」とか言っ てるわけ。そうしたら、お嫁さんは偉い。息子はそ ういったけど、お嫁さんはさ、「何言ってるの?子 どもたちだって大事なお客様じゃん。これから土 曜日にお母さんと一緒に来てくれるかもしれない。

あんこやさんが、子どもは大事にしなさいってい 言ったでしょう!」なんて叱ってて、「私がやるか らいい。健君はコーヒーの方やってて!」なんて言 ってさ、お嫁さんがクリーム挟んでくれたりした わけ、そうしたらさ、先生が食べた後に「ご馳走様 でした。おいくらでしょう?」って言ったから、「い やいや先生、いただくつもりはもともとないから」

「いやそれじゃ困ります。時間外にきて、こんな風 によくしていただいてそういうわけにはいかない から」って言うからさ、「じゃあ500円で」って言 ったら「いや、しっかりとってください」っていう から、「じゃあ先生、領収書をお書きしますね」っ て言ったら、「これは私の気持ちだからいい」って、

それでお代をしっかりさ、お支払いしてくれて、最 後にそこ整列させてさ、子どもに、「じゃあお礼を 申し上げて」って。それで私が、「お礼を言うなら 先生に言って。おばさんはいいって言ったんだけ ど、みんなに一口ずつでもって言って、先生がおご ってくれたんだよ。」って伝えて、それで帰ってい ったの。それが水曜日か木曜日だったんだけど、土 曜日にお母さんと子どもが何人かいらして、「クリ ームのパンがおいしかったって子どもが言うから」

って言ってさ、4つや5つクリームのパンだけ買っ ていったよ。

私:もう来てくれたんですね。すごい!すごいつな がりですね。

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