『琵琶記』テキストの明代における變遷――
弋陽腔系テキストを中心に――
土屋育子
Transition of the Texts of Pipaji Published in Ming Dynasty : Particularly on Yiyang-qiang Texts
Ikuko TSUCHIYA
要旨 元末明初の人高明が書いたとされる『琵琶記』は、明代を代表す
る 戲 曲 作 品の一つ
である。明代中期に至り、ちょうど演劇の流行と出版業の 勃興とが重なったこ
と もあり
、『琵琶記
』は 各種のテキストが出版され、
いまもその
多 くが 現存して
いるが、それらの繼
承 關 係 については
、 未だ 不明な點が
多 い。
本稿で 取 り上げ る 弋陽 腔と呼ばれ
る 地方劇は
、明代中期以降
、 特に中 國南方において
流 行し、その後、さらに各地で
の 發展・變容を經て新た な地方劇を生み出した。
そ のため、
後世へ影響の大きさという點からも、
その存在意義
は看過できないものがある。ま
た、演劇の脚本
が 出版 され るという演
劇 のテキスト化はすで
に 明代以前
から始まって
いたとは
い え、量 的 に見 れば明代中期以
降 は、
それ まで とは 比べものにならな
い數 の出版が
行 わ れて いた
。それは
つまり、實演
上の變化だけではなく、出 版 物 とし ての變化も伴っ
て い た と推 測出来る
であ ろう。それでは、中國 傳統演劇が、そのターニングポイントの一つも言える明代にどのような 變遷をたどったのか。その
こ と を、現存
するテ キ ストを手がかりにしつ
つ、演劇の發展とともに、當時急激に擴大した出版業の動きの一端を明 らかにして
み たい。
はじめに 明代には、様々な通俗文學が
多 様な發展を遂げたが、それは演劇のジ ャンル で も例外 で はなかっ
た。その中
で
、本 稿で取り上
げ る『琵琶記』
は、
この時 期 に お ける最 も 代表的 な 戲曲 作品 の一つ で ある。
『 琵 琶 記
』 が流行 し た要因の一つとし
ては、明の太
祖朱元 璋 が愛好した
こ と が よく 知られて
いる
*1。 もちろ ん
、 權 力者のお
墨付き を もら ったこ と だ け が
、
『琵 琶記』が
流 行した 原 因では な いで あろ う
。 その ストーリ
ー に
、 人 び と を引き つ け る 何かが あ った から に違いな
い。
『琵琶記』
は 元末の 高 明(
?~
一三五 九
) によっ て 書かれたとされる
が、物語の原型
は
、宋代ごろに
すでに出來上 がっ てい たとい わ れている。元
の陶宗 儀
『 南 村輟耕
錄
』「院本名目(院 本(
金代に行
われた笑劇)の
リ スト)」に
は
、「蔡伯喈」という外題
が
『研究論文集 ―教育系・文系の九州地区国立大学間連携論文集―』第3巻第1号(2009.10)
擧 げ られている。ま
た
、明・徐渭『南詞
叙
錄
』「宋元舊篇」には、「趙 貞女蔡二郎」という外題が見え
、さらに「
蔡 伯喈が妻を捨てたために、
雷に 打たれて
死 ぬ
」という内容であっ
た こ と が記 されて い る
*2。蔡伯喈 とは
、 後 漢のこ ろ の 學 者で 蔡邕のこ
とであるが、ここ
に「蔡二郎」とあ るように、本來は
蔡邕とは
關 係 がなかった
も のが、物語が傳えられ
るう ちに 蔡 邕 の話 に な っ た の で はない か とい われ てい る
*3。 あらすじは次の通りである。
主人公は、蔡伯喈と趙五娘という、結婚して
まだ二ヶ月の若夫婦で ある。夫蔡伯喈は兩親に科擧の受驗を勸められ、妻と兩親
を故郷に殘 して上京、首尾良く合格
す る。と こ ろが、伯喈は、彼を見込ん
だ牛丞 相から、娘を娶るよう強要される。伯喈は初めは
斷って い たが、天子 の勅命がくだ
り、結婚を承知してしまう。
一方、故郷に殘された妻五娘に
は
、苦難がふ
り かかる。夫はなかな か戻っ て こない上に、折から饑饉が發生し、五娘
は 舅 姑 を 養うため、
自分 は糠を食べて堪え忍ぶ。舅姑
は 五娘が自分一人
だ け美味いものを 食べていると勘違い
す るが、事實を
知ると、嫁を疑ったこ
とを後悔す るあまり亡くなってしまう。五娘は
自分の髪を
賣 って葬式を濟ませ、
その後夫を搜しに都へ向かう。
蔡伯喈は、中秋の夜、名月を愛
でて 故郷を想う。妻の牛氏は夫の様 子を不審に思い、問いただす
と
、蔡伯喈はすべてを打ち明ける。牛氏 は父 丞 相 を 説 得 し
、蔡 伯 喈 の 家 族 を 搜 す ための 使 者 を 送る
。 上京した五娘は、牛氏の計らいで夫蔡伯喈と再會を果たす
。皇帝の 使者が 到 着し、蔡伯喈
には 中郎 將が 授けられ、五娘は
陳留郡夫
人、牛 氏は 河南郡夫
人にそれぞれ
封ぜられた
。
さて、明代は
特に、嘉靖年
間(一五二二~六六)以降の出版事業の勃 興によっ
て、小説
や 戲 曲などの娯樂書を含む
様々な出版物が生み出され た。
演劇のテ
キス ト で は、完本(丸本)
はも ちろん
、 當時 流行 した劇種 の散 齣
さ ん せ
集なども多く出版 き
されている
。「當 時流行 し た劇種
」と い う の は
、 主に「弋陽腔
よ く よ う こ
」という劇種 う
を指 す。中國大陸における傳統演劇
は、各地 域にその地方の音樂・方言など
で行 われる地方戲
が存在 し ており、弋陽 腔は そのうち
の 一 つで あ る
。「
散齣集」の「
散齣」とは
、 一幕からな
る 芝 居 のこ とを 指す
。「
齣」
とは
、「
幕」
と ほ ぼ 同 じ 意 味 の 言 葉 で あ る
。 現 代 の中國 で は、
「折子 戲
」と 呼 ば れるも の がそ れに當 た る。
歌 舞 伎 や 淨瑠璃などで
いえば
、
「見取狂言」に相
當す る上演形式
に おけ る、それ ぞれの演目のこ
と である。明代には
、演劇は
多く長編化し、すべてを
上 演するのに、數日を
要 したという記
錄
も殘されているほどである
*4。そ の一方で、こ
の散齣集の存在が示す
ように、簡便にハイ
ラ イトの一段を 上 演 する ことも行
われ てい たよ う で ある
。散 齣 を 集め た散 齣 集 はか なり 需 要 があったと思われ、
現 在確認されて
いるだけで
も 十數種類にのぼる。
『琵琶記』は、當時非常に流行した作
品 だけあって、現存す
る 完本の 數も非常に多い上、散齣集に收
錄
される數も他のものと比べて
飛 び抜け て多 い
。 明代を代表する戲曲
で ある『琵琶記』の版本に關する先行研究は、次 の通り で ある。ま
ず、田 仲 一成博士
が、一連の戲曲版本研究におい
て、
非常に 優 れた成果を上げてお
ら れる
*5。特 に、博士の掲げられる
演劇の 發展モデル
は
、戲曲テ
キ スト研究を行
う上 で、必ず參照しなければなら ないもの
である。
次に黄 仕 忠 氏 の
『
『琵琶記
』 研 究
』
*6は、
「作者 篇
」
、
「人物篇」などのほかに「版本篇」を設け、代表的な完本の版本につい て考 察 を 加 え てお ら れ る
。 ま た
、韓 国 人 研 究 者 の 金 英 淑 氏
『
『 琵 琶 記
』
版本流變研究』
*7は、『琵琶記
』の版本につい
て 完本 から散齣集(金
氏 は
「 選 曲 集
」 とす る)
まで を 考 察 對 象として
おられ る
。ただ し
、筆 者と 見解を異に
す る部分もある。
本稿では、『琵琶記』を收
錄
する散 齣 集を中 心 と し て、
明代に お ける 戲曲テ キ ストの變遷を探る
ことを目的としたい。
一、各テキストの書誌
『琵琶記』のテ
キ ストの書誌
を 確認してお
き たい。完本と散
齣 集の主 だった テ キストを以下に擧げる。完本につい
ては、すで
に 指摘のあるよ うに、
3 系統に分
けられる
*8。完本につい
ては、代表的なものを擧げ
る に留める。
①
~⑧までが
完 本、
⑨~⑳までが
弋陽腔系
テキ ストで あ る
*9。 なお、書名の後に括弧で本稿における略稱を記した。
完本 陸貽典本系
統
(古本系
統)
(①~③、⑧については、『古本琵琶記匯 編』(中華書局
二〇〇 七
)所収本を參照した
。
)
①『新刊元本蔡伯喈琵琶記』(陸貽
典本・〔
陸〕)二巻、清・陸貽典 抄本、北京・國家圖
書 館善本特藏部藏。
②『新刊巾箱蔡伯喈琵琶記』(巾箱本・〔巾〕)二巻、明刊、民國・
武進董氏誦芬堂影印本、臺北・國家圖書館藏(?)。
③『凌刻臞仙本琵琶記』(
凌刻本・〔
凌
〕)四巻、明末
・ 凌濛初刻朱 墨本、北京師範大學など藏。
汲古閣本系
統
(通行本
系統)
④『 琵琶記』
(汲古閣本
・〔汲〕
)二巻、
明 末
・毛晋汲古閣刻本、
『汲
古閣六十
種曲』所收本。
⑤『李卓
吾先生評琵琶記』
(李卓 吾本・〔李〕)二巻、萬暦年
間容與 堂刻本、『古本戲曲叢
刊』初集
所收本。
⑥『陳眉公
批 評琵琶記』二巻、明・陳繼
儒評、暖紅室刊。
節略本
(簡略化した
テキ ストだが
、ここでは
假 に完本に含む
。)
⑦『新刊摘匯奇妙戲式全家錦嚢伯喈』(『風月錦嚢』・〔風〕)一巻、
明・ 徐文昭編輯、
嘉靖三十二年
( 一五五三
) 詹氏進賢堂重刊、
スペイン・
エス コリ アル王立圖
書 館藏。『善本戲曲叢刊
』(臺湾學生書局
一九 八四)所収本。
⑧『蔡伯皆』殘本二冊、抄本、一九五八年廣東潮州出土、廣東省博物 館藏。
散齣集
1群
(⑨、
⑬
~
⑳は
『 善 本戲 曲叢 刊』、
⑩
~
⑫ は
『 海外孤 本 晩 明散 齣 集 三種
』(
上 海 古籍出版
社 一九九三)による。)
⑨『新鍥梨園摘錦樂府菁華』
(
『樂府菁華』・〔菁〕)四巻、豫
章 劉 君錫 輯、
書林 三槐堂王會雲
梓、萬暦
庚子(
二 十八 年、一六
〇〇)刊。
英國・オックスフォード大學ボドリ
ア ン圖 書館藏。
豫章 は江西省にあ る地名で、地方戲が多く生まれた土地柄である。出版元
は 王氏の三槐 堂とある
が、傳田章
氏 によれば、明代に三槐堂という名稱を使用
し て いるの は
、『 重校北 西 廂記
』二 巻の王敬喬
、『新刻名
公神斷 明 鏡 公 案』
七巻の王崑
源 があるという
*10
。 こ のうち王敬喬は、
當時の出版の中心 地
、福建建陽の書
坊である
こ と がわかって
い る こ とから、
『樂府菁華』
の出版元も、建陽と關
わりのある
書 坊と考 え られる。
⑩
『 新鍥 精選古今樂府滾調新
詞 玉樹英』
(
『 玉樹英』
・
〔 英〕
) 五 巻、
殘本 ( 目
錄
と巻一第二八葉ま
でおよび巻二第一葉のみ現存
) 。汝川黄文 華選輯、書
林 余紹崖選輯、「皇明萬暦己亥歳季秋」(萬暦二十
七 年
、 一五九九)序。黄文華の本貫と思われ
る 汝川は 江 西臨汝のこ
と で あ る
*11。なお、黄文華の名は⑯『詞林一枝』・⑰『八能奏錦』にも見える。 余紹崖の余氏は
福 建 建陽の代表的な書坊
で ある。デンマ
ーク・
コ ペン ハー ゲン王立
圖書館藏。
⑪『梨園會選古今傳奇滾調新詞樂府萬象新』
(
『萬象新』・〔萬〕)
前集四巻、後集四巻
( 目
錄
( 第一 葉原 缺 ) と前集四巻の一部のみ現存
) 、 安成阮祥宇編、書
林劉齡甫刊行。阮祥宇の本貫安成は
江西の古い地名 である
*12
。デン マ ー ク
・コ ペンハー
ゲン王立
圖書館藏。
⑫『 精 刻 彙 編 新聲雅 襍 樂府 大 明 天下春
』(
『 天下春
』・
〔 天
〕
) 八 巻
、 巻四から巻八までのみ現存。『琵琶記』を收
錄
して いた と 推 定され る 巻が 失われて
いる。編纂者、
刊 刻書 坊は 不明
。オー ス トリ ア・ウィー ン國立圖
書館藏。
⑬『鼎鍥徽池雅調南北官腔樂府點板
曲響大明
春』
(『大明
春』または
『萬曲明
春』・〔大〕)六巻、扶
搖 程萬里選、冲懷朱鼎臣集、閩建書 林金 魁
*13繡。朱鼎臣は、『鼎鍥全像唐三藏西遊傳』十巻(萬暦刊)、
『新刻音
釋旁訓評林演義三國志
史傳』に、編纂者として
そ の名が見え る。尊經閣文庫藏。
散齣集
2群
⑭『鼎刻時興滾調歌
令 玉谷新簧』
(『玉谷新簧』・〔玉〕)目
錄
では 全五巻とあるが、實際は首巻・上巻・中巻・下巻・壱巻・弐巻という 變則的な
六巻構成。各巻で異なる人物が編纂者と刊刻者として
掲げら れており、複數の編纂過程を經て
い る こ とがうかがわれる。首巻巻頭 では、「八景□□□選輯」、「書
林□□□繡梓」(□
は 空格を示す)
と削り取
られ、編纂者・刊刻者ともに不
明である。上巻に
は吉州景
居 士彙 選・書 林 劉次 泉繡梓
( 劉次 泉の3字は
埋 め木によ
るものか)、壱
巻に は 吉 州景居士選輯・書林廷禮繡梓とある。また書名も各巻
で異な って いる。首巻は
先に掲げたとおり。上巻・中巻・下巻・弐巻は「鼎 鐫精選增補滾調時興歌令玉谷調
簧」、壱巻は「鼎鐫精選增補滾調時興 歌 令 玉谷新 簧」となって
いる。上巻・中巻・
下 巻の“谷調簧”の3字 は 他 の字 と 比 べ る と埋め 木 がなされて
い るよう に 見え
、 も ともとは
別 の書名 で あっ た可能性
がある。中巻の巻末に
は「玉 振 金聲 中巻終」
と あ り
、 この ため傅芸
子 氏 は、元 來 の 書 名 は
「玉 振金聲
」 であっ た と 推定されて
い る
*14
。一方表紙に
は、「玉
谷調簧」
「書 林廷禮梓行
」 と ある。更に各巻の字體を見ると、首巻
で は中層の字體
が、他の巻の中 層と比べて明らかに異なって
い る。以上の
こ とを総合
す る と、『玉谷 新簧
』の成書過程
は次のようなものが考
えられる。
書 林廷禮以外の書 坊で 出版された首巻と上中下巻に、書
林 廷禮が壱巻・弐巻を付けて
一 册としたのが
現在の『玉谷新簧』ではな
い だろ うか。實際の成立は
刊 記の「萬暦庚戌(三十八)年(一六一〇)」よりもさかのぼるのかも しれな い
。な お上巻巻頭に見え
る書 林劉次 泉(?一五九〇~一六四四)
は、
刻工の出身地として
知 られ る徽州歙縣
( 安徽省新安)
の人。
⑯『 摘 錦奇音』の編纂者襲正我も同じ出身地
である。内閣文庫藏。
⑮『新刊徽板合像滾調樂府官腔摘錦奇音』(『摘錦奇音』・〔摘〕)
六巻、
徽 歙襲
(龔か?)
正 我選輯、
敦睦堂張三懷繡梓、
萬 暦三十九
( 一 六一一)年刊。巻五・巻六
の 巻頭に は
、襲正我
・張 三懷のほかに莒潭 張德郷校正とある。莒潭
は 福 建 の地名であるの
で
、敦睦堂
は福 建と關 係のある書
坊 と思わ れ る。内閣
文庫藏
。
⑯『新刻京板
青陽時調詞林一枝』(『詞林一枝』・〔詞〕)四巻、玄 明黄文華選輯、瀛賓郄綉
甫 同纂、閩建書
林葉志 元 繡梓。刊記に「萬暦 新歳孟冬月葉志元
綉梓」とあるものの、具體的な年は不
明
。内閣文庫 藏。
⑰『鼎雕崑池新調樂府八能奏
錦
』(『八能奏
錦』・〔八〕)六巻(巻 二~巻四原缺)、汝川黄文華精選、書
林 蔡正河繡梓。刊記に「皇明萬 暦新歳愛日堂蔡正河梓行」とある。「新歳」が具體的に何
年を指 す の かは 不 明
。愛日堂につい
て は、『全漢
志 傳』「東漢」の巻頭に「愛日 堂繼 葵劉世忠」と見え
、本來 劉 氏の書 坊 の 愛 日堂もあったこ
と が 知 ら れている。
こ の『全漢
志傳』巻二に
は「克勤齋文臺余世騰」とある
こ とから、『全漢志傳』ははじめ余氏の書
坊で 刊刻された後、劉氏がそ の版木 を 用い て後印 し たものと推
定 されている
*15
。以 上 の よ う な 例 か ら、『八能奏錦』の愛日堂も蔡正河の書坊
で はなく、劉氏によっ
て 刊 刻された
版木を、
蔡正河が
再版した
可能性も考
え られる。
内閣文庫藏。
⑱『新鋟
天下時尚南北徽池雅調』(『徽池雅調』・〔徽〕)二巻、閩 建書 林熊稔 寰 彙輯、
潭 水燕石居
主人刊梓。熊稔
寰 については
、 明・王 穉登撰、屠隆評釋『屠先生評釋謀野集』四巻に「萬暦四十四年建陽書 林熊稔 寰 燕 石 居 刊
」
*16
とある こ とから、
『徽池 雅 調』
では 同一人物の 本名と號(あるいは書
坊 名)を 並 べて 記して い ると思われ
る
。
⑲
『 新 鋟 天 下 時尚南 北 新 調 堯天 樂』
(『
堯天 樂』
・
〔 堯〕)
二 巻、豫 章饒安殷啓聖彙輯、閩建書
林熊稔寰繡梓。體裁は
『徽池雅調』とほぼ 同じ
。
*17
⑳『新選南北樂府時調青
崑
』(『時調青
崑』・〔時〕)四巻、江湖黄 儒 卿 彙 選
、書 林四 知館 繡 梓
、清 初 刻 本
*18。刊刻
元 の四 知館は
、 嘉靖年 間の人楊金(字麗泉)の福
建の書坊として有名。版面
は 上 下二層に分 かれ、上層に崑山腔の散齣、下層に弋陽腔系である青陽腔の散齣をそ れぞれ收
錄。
⑨~⑳ま
での散 齣 集 は
、一 部刊 刻者不 明 のものも存在
する が、ほとん どが 福建 の書 坊で 刊刻さ れ て い る點は 注 目に値す
るで あろ う
。 また
、 版面につい
て も、上下二層、あるい
は 上 中下三層に分けられて
いる點 が共通して
い る。三層の場合、中層は
小 唄の類を收めるものが
多い。
この ように
、 収
錄
する 内 容 だけ でなく
、 刊 行 地 域
・體裁 な ども 共通 す るとい う こと は、
これら散
齣集が弋
陽腔 系の演目
を収録 す るテ キス ト 群として、一つのグルー
プ を構成して
い ると言うこ
と ができ る
。さら に言えば、ある傾
向を同じく
す るテ キストが、限
られた地域で集中的 に出版 さ れているという
こ と は
、出版 物 として互いに影響關係にある こと が推 測 さ れる であ ろう。
二、完本『琵琶記』テキスト系統の諸問題
『琵琶記』の場合、完本が比較的早い時期に成立して
いる こ と から、
弋陽腔系
テキ ストは 完 本を 母胎として
成 立・ 發展してきて
いる。
そ こで
、 はじめに完本『琵琶記』の書誌につい
て
、もう少し詳しく見
て おく こと にした い
。 先に紹介したように、完本『琵琶記』
テ キストは、3
つの系統に分け る こ とができ
る。一つ
は清代の藏書家陸貽典の鈔本①『元本蔡伯喈琵琶 記』
( 以 下、陸 貽 典 本
)
*19を代表
と する陸貽典本系統と
、 明末に刊行
さ れた④『汲古閣六十
種曲』に收める『琵琶記』(以下、汲古閣本)を代 表とす る 汲古閣本系統、そして
、⑦『風月錦嚢』及び廣東出土の⑧『蔡 伯喈 琵琶記』の節略本系統で
あ る。
陸貽典本系統と汲古閣本系統を分ける相違點と
は 何 か
。最も大
きな點 は、汲 古 閣本に
、 第八齣「文
場 選士
」の場面
が插 入されている
こと であ る。
これにより、第八齣以降、陸貽典本系統と汲古閣本系統と
では一齣
ずつ ずれが生
じている。そのほかに
は、陸貽典本系統
第二 十八齣、汲古 閣本系統第二十九齣の臺詞の位
置が 兩者 で異なっ
ている(陸貽典本系統 では
【意多嬌】
の 前、
汲古閣本系統では
【闘黒麻
】【 前腔】
の 後)
こ と
、 陸貽典本系統第四十一齣(
凌刻本 は 第四十二齣)が、汲古閣本系統に
は 無い こ と、などの違いが存在
す る。
(1)陸貽典
本系統(古本系)
陸貽典本の正名に見
え る「元本」が、元刻本
ではなく原本を意味する こと は、
諸氏 の指 摘 す る と おり であ ろう
*20
。 陸 貽典 による康煕十三(一 六七四)年の跋に
は、順治十五(一六五八)年に錢曾より借り受けたと 記され、あわ
せて 錢氏藏の『琵琶記』の書
誌 が詳しく述べられて
い る。
陸貽典の跋
は
、戊戌(順治十五年)三月五日付の「舊題校本琵琶記後」
と甲寅
( 康煕十三年
)仲 冬 廿 七 日付の
「 手
錄
元本琵琶記題後」
とがあり、
この二文を総合
す ると次のような事情が明らかとなる。以下におおよそ の内容を記して
み よう。
錢曾 はもともと元本と郡刻本の二種類の刊本を所藏して
い た( のち、
この二本
は太興の鹽業
で財をなした季
寓 庸の子 で 順治四年
( 一六四七
) の進士 で ある季 振 宜
、 字は洗兮、號
は滄 葦の手に渡り、そのまま行
方 が分からなくなったという)。元本は、嘉靖戊申
( 一五四八
) の刊行
と あり、初めの一葉と後
ろの二葉が脱落
、 毎葉二十八行
三十字、上下二 巻、折數・篇目
は 設けない。更に陸氏はこれと郡刻本とを校勘したと ころ、脱落部分
は 郡刻本 で はきち ん と埋まっ
ており、あとはすべて異 同はない。ただ、元本では
末尾から三葉目に半分が「横裂」し、ここ ではじめ
て兩者に異同
が生じると
こ ろから、郡刻本
は 紛れもなく元本 の翻 刻本 である。
元本上巻の巻末に
は、四人の刻工名(元本、王充・仇壽・以忠・以才 刊(元本は王充、
仇壽、以忠、以才が
刊 刻した))と、「嘉靖戊申(嘉 靖二十七
年、一五四八)七月四日重装
三橋彭記」、その後に
は
、「翻 本、李澤・李潮・高成・黄金賢刊(翻刻本
は
、李澤、李潮、高成、黄金 賢が 刊刻した)」「蘇州府閶門内中街
路 書
/ 舗依舊本命工重刊印行(蘇 州府閶門内中街路書舗が、舊本に基づき
刻工に命じて
重刊として
印 刷し た)
」と 記している
。「三 橋彭」
と は、
文彭、
明
・ 嘉 靖年間
( 一五二二~
六六 ) の長 洲の人で、
字 は 壽 承、
號は 三橋 または漁陽子といい
、當時の著 名な文人、文徴明(一四七〇~一五
五九、名
は璧。
徴明は字)の長子
で ある。
こ のほか陸貽典は、元本の紙面の様子
や、ま た 抄寫に 際 してどの ような方針
で 行ったかについ
て も詳しく書き記している
た め、陸貽典鈔 本と他のテキストとを校勘す
る 際に は、
この點を考慮に
入 れる必要
があ る。
陸貽典本を詳細に見
て みると、形式面
で は、折數・篇目
を 設けず、曲 牌名は 陽 刻で あるが、本來は
陸 氏の叙によれば「
元本曲名
倶白文(原本 の曲牌名
は陰刻)」
で あっ た。
このような點
は、元刊
の雜劇(
「元刊 雜 劇三十種
」)などと共通しており、元
代から明代前期に刊行
さ れたテ キ ストに特徴的に見られるものである。陸貽典が見た
元 本も、こうした原 始的 な戲曲テ
キス トの形態を持っ
て い た ものと言
えよう。
陸貽典本の系統に分類されるのは、
巾箱本
(『新刊
巾 箱蔡伯喈琵琶記』
)、 凌刻本など
で ある。
た だし、
こ れらはすべて折數を設けている上、巾箱 本 は 全四十三齣、凌刻本
は 全四十四齣と
するなど、同系統と
は い え
、陸 貽典本と全く同じというわけではない。齣數の違い
は
、凌刻本では、巾 箱本 でい えば第三十八齣と第三十九
齣の間に、別の一齣が插入されて
い るこ と に よ る
。 巾箱本の特
徴 を見て み よう。全體として、本文
は 陸貽典本とほぼ一致
する が、第十四齣の最後の五言四句の詩
は、陸貽典本に
は 無く、汲古閣 本と一致
す る こ と は、部分的には陸貽典本と汲古閣本の中間的な性格を 持つテ キ ス トとい う こ とも できる。版面
の特 徴とし て は、
すべ ての版 心 には、「
忠孝傳」と刻されて
い る。また、部分的に缺葉があり、巻上四 十九、五十葉と巻下
二 十三、二
十四
、五十裏、五十一葉は、版木を彫り 直して補
われたもの
で ある。
し かも、
こ れらの補缺部分を詳細にみると、
巻下二十三葉のみ他の補缺葉と異なって
いる こ と が分かる。それは、字 體が異なって
いるだけではなく、
他 の補缺葉ではすべて陽刻であるのに、
巻下二十三葉のみ曲牌と脚色名が陰刻
で あるという違い
で ある。ま
た、
巻下二 十 三葉 では、臺詞
を 示す箇所
で「旦白(
旦 ( 趙五娘
) の臺詞
)
」と いうように「白」を使って
いるが、その他の補缺葉では「旦云」のよう
に「
云
」を
使 っ て い る
。巾
箱 本 全 體 と し て は
、巻
下 二 十 三 葉 と 同 じ
く「
白
」 を使っ て いるの で
、結論として、巻下二十三葉
は 古く、他の補缺部分
は そ れ より は新しいとい
う こ とに なる だろう。補
缺 部分 はおお む ね巻の末 尾 で
、最後に字數の調整を自由に行
う こ とが可能
であるので、本來の巾 箱本の本文と、現在の補缺部分が果たして一致
し ているのかは疑問
であ る。巻の途中にある巻下二十四葉の場合、裏の左から4
行 目から5
行目 にかけて7文字分を小文字で
2 行にして
いるのは、字餘りを調整す
るた めでは な いかとも疑われ
る
*21。 凌刻本 は
、明代末期の書坊として有名な凌濛初が刊行
したテ キ ストで ある。凌氏の書坊
は、套印本をはじめと
する多色刷の高級な書籍
や
、ま た白話 短 編小説集『拍
案驚奇』
を刊行 し たこと で 知られている
*22。こ の 凌刻本『琵琶記』は「臞仙本」と
冠 するが、
この「臞仙」と
は 明の太祖 朱元璋の第十
七子 で、
芝居に詳しかった寧獻王朱權の號である。
つ まり、
その彼がか
つ て 藏 して いた 由緒正し
い本という宣傳文句で
あ ろ う
。
凌刻本に
は、版面
の上部に、批評
、 所謂眉批
が附されている。
凌刻本 の眉 批では
、
「俗本」「
時 本」などという呼び方を
用いて
、 他の テキ ス トの異同を誤
りとして
退けて い る。こ れ は
、
「古本琵琶記」原本の『琵 琶記』に近づけ、さらにその復元をしようとし、自らの編纂した『琵琶 記』こ そ が 最 善の テキ ストで あ るこ とを 強調しようとす
る 意圖を 端 的に 示していると言えよう。
(2)通行本系 一方、元本と一線
を畫 するのが、④汲
古 閣六 十種曲『琵琶記
』
( 明 末 刊)
を代表とす
る グルー プ である。
陸貽典本と大きく異なるのは、
折數・
篇目を設けて
いる點、「文場選士」(汲古閣本では第八齣)という陸貽 典本系統に
は 見 え ない部分
が增補 さ れている點、ま
た
、汲古閣本
第 二 十 九齣「乞丐尋夫」、陸貽典本
で は【鴣搗練】から始まる段におい
て
、は じめの【鴣搗練】から【清江引】、その直後の【鷓
鴣 天】のあとに陸貽 典本では
末(張大公)の白が入るが、汲古閣本ではこ
の白がそっくりそ のまま【闘黑麻】【前腔】の後
ろ に移動して
い る點などである。
この系 統に は⑤容與堂刊『李卓吾先生評琵琶記』、⑥『陳眉公批評琵琶記』等 が含まれる。
容與堂本は、巻末の最後の二葉は
手 書きで 補 われて い る。また他本で は【前腔】と表記す
る ところ
、 こ の テキ ストには
全く【前腔】の表記が なく改行
す る こ と で区別して
い る。
ちなみに同じ容與堂刊行の『李評幽 閨記』(ま
た は「拜月亭」)に
は【前腔】の表記
が使 われている。
本稿では、弋陽腔系散齣集より刊行
年代のおくれる汲古閣本を校勘の 對象としたのは、陸貽典本の對極の關
係 にある系統の終着點の一つで
あ ると考え
るからである。
汲古閣本系統に關して
、凌刻本の第五齣【
尾 犯序】の眉
批 に、次のよ うな興味深
い 記述が見られる。