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『琵琶記』テキストの明代における變遷――弋陽腔系テキストを中心に――

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『琵琶記』テキストの明代における變遷――

弋陽腔系テキストを中心に――

土屋育子

Transition of the Texts of Pipaji Published in Ming Dynasty : Particularly on Yiyang-qiang Texts

Ikuko TSUCHIYA

要旨 元末明初の人高明が書いたとされる『琵琶記』は、明代を代表す

品の一つ

である。明代中期に至り、ちょうど演劇の流行と出版業の 勃興とが重なったこ

もあり

『琵琶記

各種のテキストが出版され、

いまもその

くが 現存して

いるが、それらの繼

については

未だ 不明な點が

い。

本稿で り上げ 弋陽 腔と呼ばれ

地方劇は

、明代中期以降

特に中 國南方において

行し、その後、さらに各地で

發展・變容を經て新た な地方劇を生み出した。

のため、

後世へ影響の大きさという點からも、

その存在意義

は看過できないものがある。ま

た、演劇の脚本

出版 され るという演

のテキスト化はすで

明代以前

から始まって

いたとは

え、量 に見 れば明代中期以

は、

それ まで とは 比べものにならな

い數 の出版が

れて いた

。それは

つまり、實演

上の變化だけではなく、出 とし ての變化も伴っ

と推 測出来る

であ ろう。それでは、中國 傳統演劇が、そのターニングポイントの一つも言える明代にどのような 變遷をたどったのか。その

を、現存

するテ ストを手がかりにしつ

つ、演劇の發展とともに、當時急激に擴大した出版業の動きの一端を明 らかにして

たい。

はじめに 明代には、様々な通俗文學が

様な發展を遂げたが、それは演劇のジ ャンル も例外 はなかっ

た。その中

、本 稿で取り上

る『琵琶記』

は、

この時 ける最 代表的 戲曲 作品 の一つ ある。

が流行 た要因の一つとし

ては、明の太

祖朱元 が愛好した

よく 知られて

いる

*1 もちろ

力者のお

墨付き もら ったこ

『琵 琶記』が

行した 因では いで あろ

その ストーリ

を引き 何かが った から に違いな

い。

『琵琶記』

元末の

?~

一三五

によっ 書かれたとされる

が、物語の原型

、宋代ごろに

すでに出來上 がっ てい たとい れている。元

の陶宗

村輟耕

』「院本名目(院 本(

金代に行

われた笑劇)の

スト)」に

、「蔡伯喈」という外題

『研究論文集 ―教育系・文系の九州地区国立大学間連携論文集―』第3巻第1号(2009.10)

(2)

られている。ま

、明・徐渭『南詞

』「宋元舊篇」には、「趙 貞女蔡二郎」という外題が見え

、さらに「

伯喈が妻を捨てたために、

雷に 打たれて

」という内容であっ

が記 されて

*2。蔡伯喈 とは

漢のこ 者で 蔡邕のこ

とであるが、ここ

に「蔡二郎」とあ るように、本來は

蔡邕とは

がなかった

のが、物語が傳えられ

るう ちに の話 はない とい われ てい

*3 あらすじは次の通りである。

主人公は、蔡伯喈と趙五娘という、結婚して

まだ二ヶ月の若夫婦で ある。夫蔡伯喈は兩親に科擧の受驗を勸められ、妻と兩親

を故郷に殘 して上京、首尾良く合格

る。と ろが、伯喈は、彼を見込ん

だ牛丞 相から、娘を娶るよう強要される。伯喈は初めは

斷って たが、天子 の勅命がくだ

り、結婚を承知してしまう。

一方、故郷に殘された妻五娘に

、苦難がふ

かかる。夫はなかな か戻っ こない上に、折から饑饉が發生し、五娘

養うため、

自分 は糠を食べて堪え忍ぶ。舅姑

五娘が自分一人

け美味いものを 食べていると勘違い

るが、事實を

知ると、嫁を疑ったこ

とを後悔す るあまり亡くなってしまう。五娘は

自分の髪を

って葬式を濟ませ、

その後夫を搜しに都へ向かう。

蔡伯喈は、中秋の夜、名月を愛

でて 故郷を想う。妻の牛氏は夫の様 子を不審に思い、問いただす

、蔡伯喈はすべてを打ち明ける。牛氏 は父

、蔡 ための 使 送る

上京した五娘は、牛氏の計らいで夫蔡伯喈と再會を果たす

。皇帝の 使者が 着し、蔡伯喈

には 中郎 將が 授けられ、五娘は

陳留郡夫

人、牛 氏は 河南郡夫

人にそれぞれ

封ぜられた

さて、明代は

特に、嘉靖年

間(一五二二~六六)以降の出版事業の勃 興によっ

て、小説

曲などの娯樂書を含む

様々な出版物が生み出され た。

演劇のテ

キス は、完本(丸本)

はも ちろん

當時 流行 した劇種 の散

集なども多く出版

されている

「當 時流行 た劇種

主に「弋陽腔

」という劇種

を指 す。中國大陸における傳統演劇

は、各地 域にその地方の音樂・方言など

で行 われる地方戲

が存在 ており、弋陽 腔は そのうち

つで

。「

散齣集」の「

散齣」とは

一幕からな

のこ とを 指す

。「

齣」

とは

、「

幕」

の中國 は、

「折子

」と れるも がそ れに當 る。

淨瑠璃などで

いえば

「見取狂言」に相

當す る上演形式

おけ る、それ ぞれの演目のこ

である。明代には

、演劇は

多く長編化し、すべてを

演するのに、數日を

したという記

も殘されているほどである

*4。そ の一方で、こ

の散齣集の存在が示す

ように、簡便にハイ

イトの一段を する ことも行

われ てい たよ ある

。散 集め た散 はか なり があったと思われ、

在確認されて

いるだけで

十數種類にのぼる。

『琵琶記』は、當時非常に流行した作

だけあって、現存す

完本の 數も非常に多い上、散齣集に收

される數も他のものと比べて

び抜け て多

明代を代表する戲曲

ある『琵琶記』の版本に關する先行研究は、次 の通り ある。ま

ず、田 一成博士

が、一連の戲曲版本研究におい

て、

非常に れた成果を上げてお

れる

*5。特 に、博士の掲げられる

演劇の 發展モデル

、戲曲テ

スト研究を行

う上 で、必ず參照しなければなら ないもの

である。

次に黄

『琵琶記

*6は、

「作者

「人物篇」などのほかに「版本篇」を設け、代表的な完本の版本につい て考 てお

、韓

(3)

版本流變研究』

*7は、『琵琶記

』の版本につい

完本 から散齣集(金

とす る)

まで 象として

おられ

。ただ

、筆 者と 見解を異に

る部分もある。

本稿では、『琵琶記』を收

する散 集を中 て、

明代に ける 戲曲テ ストの變遷を探る

ことを目的としたい。

一、各テキストの書誌

『琵琶記』のテ

ストの書誌

確認してお

たい。完本と散

集の主 だった キストを以下に擧げる。完本につい

ては、すで

指摘のあるよ うに、

系統に分

けられる

*8。完本につい

ては、代表的なものを擧げ

に留める。

~⑧までが

本、

⑨~⑳までが

弋陽腔系

テキ ストで

*9 なお、書名の後に括弧で本稿における略稱を記した。

完本 陸貽典本系

(古本系

統)

(①~③、⑧については、『古本琵琶記匯 編』(中華書局

二〇〇

)所収本を參照した

①『新刊元本蔡伯喈琵琶記』(陸貽

典本・〔

陸〕)二巻、清・陸貽典 抄本、北京・國家圖

館善本特藏部藏。

②『新刊巾箱蔡伯喈琵琶記』(巾箱本・〔巾〕)二巻、明刊、民國・

武進董氏誦芬堂影印本、臺北・國家圖書館藏(?)。

③『凌刻臞仙本琵琶記』(

凌刻本・〔

〕)四巻、明末

凌濛初刻朱 墨本、北京師範大學など藏。

汲古閣本系

(通行本

系統)

琵琶記』

(汲古閣本

〔汲〕

二巻、

毛晋汲古閣刻本、

『汲

古閣六十

種曲』所收本。

⑤『李卓

吾先生評琵琶記』

(李卓 吾本・〔李〕)二巻、萬暦年

間容與 堂刻本、『古本戲曲叢

刊』初集

所收本。

⑥『陳眉公

評琵琶記』二巻、明・陳繼

儒評、暖紅室刊。

節略本

(簡略化した

テキ ストだが

、ここでは

に完本に含む

。)

⑦『)一

徐文昭編輯、

嘉靖三十二年

( 一五五三

) 詹氏進賢堂重刊、

スペイン・

エス コリ アル王立圖

館藏。『善本戲曲叢刊

』(臺湾學生書局

一九 八四)所収本。

⑧『蔡伯皆』殘本二冊、抄本、一九五八年廣東潮州出土、廣東省博物 館藏。

散齣集

1群

(⑨、

⑳は

本戲 曲叢 刊』、

海外孤 明散 三種

』(

古籍出版

一九九三)による。)

⑨『新鍥梨園摘錦樂府菁華』

『樂府菁華』・〔菁〕)四巻、豫

君錫 輯、

書林 三槐堂王會雲

梓、萬暦

庚子(

十八 年、一六

〇〇)刊。

英國・オックスフォード大學ボドリ

ン圖 書館藏。

豫章 は江西省にあ る地名で、地方戲が多く生まれた土地柄である。出版元

王氏の三槐 堂とある

が、傳田章

によれば、明代に三槐堂という名稱を使用

いるの

重校北 西 廂記

巻の王敬喬

『新刻名

公神斷 案』

七巻の王崑

があるという

*10

のうち王敬喬は、

當時の出版の中心

福建建陽の書

坊である

がわかって

とから、

『樂府菁華』

の出版元も、建陽と關

わりのある

坊と考 られる。

新鍥 精選古今樂府滾調新

玉樹英』

玉樹英』

英〕

巻、

殘本 ( 目

と巻一第二八葉ま

でおよび巻二第一葉のみ現存

) 。汝川黄文 華選輯、書

余紹崖選輯、「皇明萬暦己亥歳季秋」(萬暦二十

一五九九)序。黄文華の本貫と思われ

汝川は 西臨汝のこ

(4)

*11。な⑯『⑰『 余紹崖の余氏は

建陽の代表的な書坊

ある。デンマ

ーク・

ペン ハー ゲン王立

圖書館藏。

⑪『梨園會選古今傳奇滾調新詞樂府萬象新』

『萬象新』・〔萬〕)

前集四巻、後集四巻

( 目

( 第一 葉原 ) と前集四巻の一部のみ現存

) 、 安成阮祥宇編、書

林劉齡甫刊行。阮祥宇の本貫安成は

江西の古い地名 である

*12

。デン

・コ ペンハー

ゲン王立

圖書館藏。

新聲雅 樂府 天下春

天下春

巻四から巻八までのみ現存。『琵琶記』を收

して いた 定され 巻が 失われて

いる。編纂者、

刻書 坊は 不明

。オー トリ ア・ウィー ン國立圖

書館藏。

⑬『鼎鍥徽池雅調南北官腔樂府點板

曲響大明

春』

(『大明

春』または

『萬曲明

春』・〔大〕)六巻、扶

程萬里選、冲懷朱鼎臣集、閩建書 林金

*13繡。朱鼎臣は、『鼎鍥全像唐三藏西遊傳』十巻(萬暦刊)、

『新刻音

釋旁訓評林演義三國志

史傳』に、編纂者として

の名が見え る。尊經閣文庫藏。

散齣集

2群

⑭『鼎刻時興滾調歌

玉谷新簧』

(『玉谷新簧』・〔玉〕)目

では 全五巻とあるが、實際は首巻・上巻・中巻・下巻・壱巻・弐巻という 變則的な

六巻構成。各巻で異なる人物が編纂者と刊刻者として

掲げら れており、複數の編纂過程を經て

とがうかがわれる。首巻巻頭 では、「八景□□□選輯」、「書

林□□□繡梓」(□

空格を示す)

と削り取

られ、編纂者・刊刻者ともに不

明である。上巻に

は吉州景

士彙 選・書 劉次 泉繡梓

劉次 泉の3字は

め木によ

るものか)、壱

巻に 州景居士選輯・書林廷禮繡梓とある。また書名も各巻

で異な って いる。首巻は

先に掲げたとおり。上巻・中巻・下巻・弐巻は「鼎 鐫精選增補滾調時興歌令玉谷調

簧」、壱巻は「鼎鐫精選增補滾調時興 玉谷新 簧」となって

いる。上巻・中巻・

巻の“谷調簧”の3字 の字 と埋め がなされて

るよう 見え

ともとは

の書名 あっ た可能性

がある。中巻の巻末に

は「玉 金聲 中巻終」

この ため傅芸

は、元

「玉 振金聲

であっ 推定されて

*14

。一方表紙に

は、「玉

谷調簧」

「書 林廷禮梓行

ある。更に各巻の字體を見ると、首巻

は中層の字體

が、他の巻の中 層と比べて明らかに異なって

る。以上の

とを総合

と、『玉谷 新簧

』の成書過程

は次のようなものが考

えられる。

林廷禮以外の書 坊で 出版された首巻と上中下巻に、書

廷禮が壱巻・弐巻を付けて

册としたのが

現在の『玉谷新簧』ではな

だろ うか。實際の成立は

記の「萬暦庚戌(三十八)年(一六一〇)」よりもさかのぼるのかも しれな

お上巻巻頭に見え

る書 林劉次 (?一五九〇~一六四四)

は、

刻工の出身地として

られ る徽州歙縣

安徽省新安)

の人。

錦奇音』の編纂者襲正我も同じ出身地

である。内閣文庫藏。

⑮『新刊徽板合像滾調樂府官腔摘錦奇音』(『摘錦奇音』・〔摘〕)

六巻、

歙襲

(龔か?)

我選輯、

敦睦堂張三懷繡梓、

暦三十九

六一一)年刊。巻五・巻六

巻頭に

、襲正我

・張 三懷のほかに莒潭 張德郷校正とある。莒潭

の地名であるの

、敦睦堂

は福 建と關 係のある書

と思わ る。内閣

文庫藏

⑯『新刻京板

青陽時調詞林一枝』(『詞林一枝』・〔詞〕)四巻、玄 明黄文華選輯、瀛賓郄綉

同纂、閩建書

林葉志 繡梓。刊記に「萬暦 新歳孟冬月葉志元

綉梓」とあるものの、具體的な年は不

。内閣文庫 藏。

(5)

⑰『鼎雕崑池新調樂府八能奏

』(『八能奏

錦』・〔八〕)六巻(巻 二~巻四原缺)、汝川黄文華精選、書

蔡正河繡梓。刊記に「皇明萬 暦新歳愛日堂蔡正河梓行」とある。「新歳」が具體的に何

年を指 かは

。愛日堂につい

は、『全漢

傳』「東漢」の巻頭に「愛日 堂繼 葵劉世忠」と見え

、本來 氏の書 日堂もあったこ

れている。

の『全漢

志傳』巻二に

は「克勤齋文臺余世騰」とある

とから、『全漢志傳』ははじめ余氏の書

坊で 刊刻された後、劉氏がそ の版木 用い て後印 たものと推

されている

*15

。以 ら、『八能奏錦』の愛日堂も蔡正河の書坊

はなく、劉氏によっ

刻された

版木を、

蔡正河が

再版した

可能性も考

られる。

内閣文庫藏。

⑱『新鋟

天下時尚南北徽池雅調』(『徽池雅調』・〔徽〕)二巻、閩 建書 林熊稔 彙輯、

水燕石居

主人刊梓。熊稔

については

明・王 穉登撰、屠隆評釋『屠先生評釋謀野集』四巻に「萬暦四十四年建陽書 林熊稔

*16

とある とから、

『徽池 調』

では 同一人物の 本名と號(あるいは書

名)を べて 記して ると思われ

時尚南 調 堯天 樂』

(『

堯天 樂』

堯〕)

巻、豫 章饒安殷啓聖彙輯、閩建書

林熊稔寰繡梓。體裁は

『徽池雅調』とほぼ 同じ

*17

⑳『新選南北樂府時調青

』(『時調青

崑』・〔時〕)四巻、江湖黄

、書 林四 知館

、清

*18。刊刻

の四 知館は

嘉靖年 間の人楊金(字麗泉)の福

建の書坊として有名。版面

下二層に分 かれ、上層に崑山腔の散齣、下層に弋陽腔系である青陽腔の散齣をそ れぞれ收

⑨~⑳ま

での散

、一 部刊 刻者不 のものも存在

する が、ほとん どが 福建 の書 坊で 刊刻さ る點は 目に値す

るで あろ

また

版面につい

も、上下二層、あるい

中下三層に分けられて

いる點 が共通して

る。三層の場合、中層は

唄の類を收めるものが

多い。

この ように

する だけ でなく

・體裁 ども 共通 るとい こと は、

これら散

齣集が弋

陽腔 系の演目

を収録 るテ キス 群として、一つのグルー

を構成して

ると言うこ

ができ

。さら に言えば、ある傾

向を同じく

るテ キストが、限

られた地域で集中的 に出版 れているという

、出版 として互いに影響關係にある こと が推 れる であ ろう。

二、完本『琵琶記』テキスト系統の諸問題

『琵琶記』の場合、完本が比較的早い時期に成立して

いる から、

弋陽腔系

テキ ストは 本を 母胎として

發展してきて

いる。

こで

はじめに完本『琵琶記』の書誌につい

、もう少し詳しく見

おく こと にした

先に紹介したように、完本『琵琶記』

キストは、3

つの系統に分け とができ

る。一つ

は清代の藏書家陸貽典の鈔本①『元本蔡伯喈琵琶 記』

下、陸

*19を代表

する陸貽典本系統と

明末に刊行

れた④『汲古閣六十

種曲』に收める『琵琶記』(以下、汲古閣本)を代 表とす 汲古閣本系統、そして

、⑦『風月錦嚢』及び廣東出土の⑧『蔡 伯喈 琵琶記』の節略本系統で

る。

陸貽典本系統と汲古閣本系統を分ける相違點と

。最も大

きな點 は、汲 閣本に

第八齣「文

選士

」の場面

が插 入されている

こと であ る。

これにより、第八齣以降、陸貽典本系統と汲古閣本系統と

では一齣

(6)

ずつ ずれが生

じている。そのほかに

は、陸貽典本系統

第二 十八齣、汲古 閣本系統第二十九齣の臺詞の位

置が 兩者 で異なっ

ている(陸貽典本系統 では

【意多嬌】

前、

汲古閣本系統では

【闘黒麻

前腔】

後)

陸貽典本系統第四十一齣(

凌刻本 第四十二齣)が、汲古閣本系統に

無い と、などの違いが存在

る。

(1)陸貽典

本系統(古本系)

陸貽典本の正名に見

る「元本」が、元刻本

ではなく原本を意味する こと は、

諸氏 の指 おり であ ろう

*20

貽典 による康煕十三(一 六七四)年の跋に

は、順治十五(一六五八)年に錢曾より借り受けたと 記され、あわ

せて 錢氏藏の『琵琶記』の書

が詳しく述べられて

る。

陸貽典の跋

、戊戌(順治十五年)三月五日付の「舊題校本琵琶記後」

と甲寅

康煕十三年

廿 日付の

元本琵琶記題後」

とがあり、

この二文を総合

ると次のような事情が明らかとなる。以下におおよそ の内容を記して

よう。

錢曾 はもともと元本と郡刻本の二種類の刊本を所藏して

のち、

この二本

は太興の鹽業

で財をなした季

庸の子 順治四年

( 一六四七

) の進士 ある季

字は洗兮、號

は滄 葦の手に渡り、そのまま行

が分からなくなったという)。元本は、嘉靖戊申

( 一五四八

) の刊行

あり、初めの一葉と後

ろの二葉が脱落

毎葉二十八行

三十字、上下二 巻、折數・篇目

設けない。更に陸氏はこれと郡刻本とを校勘したと ころ、脱落部分

郡刻本 はきち と埋まっ

ており、あとはすべて異 同はない。ただ、元本では

末尾から三葉目に半分が「横裂」し、ここ ではじめ

て兩者に異同

が生じると

ろから、郡刻本

紛れもなく元本 の翻 刻本 である。

元本上巻の巻末に

は、四人の刻工名(元本、王充・仇壽・以忠・以才 刊(元本は王充、

仇壽、以忠、以才が

刻した))と、「嘉靖戊申(嘉 靖二十七

年、一五四八)七月四日重装

三橋彭記」、その後に

、「翻 本、李澤・李潮・高成・黄金賢刊(翻刻本

、李澤、李潮、高成、黄金 賢が 刊刻した)」「蘇州府閶門内中街

舗依舊本命工重刊印行(蘇 州府閶門内中街路書舗が、舊本に基づき

刻工に命じて

重刊として

刷し た)

記している

「三 橋彭」

は、

文彭、

靖年間

( 一五二二~

六六 ) の長 洲の人で、

承、

號は 三橋 または漁陽子といい

當時の著 名な文人、文徴明(一四七〇~一五

五九、名

は璧。

徴明は字)の長子

ある。

のほか陸貽典は、元本の紙面の様子

や、ま 抄寫に してどの ような方針

行ったかについ

も詳しく書き記している

め、陸貽典鈔 本と他のテキストとを校勘す

際に は、

この點を考慮に

れる必要

があ る。

陸貽典本を詳細に見

みると、形式面

は、折數・篇目

設けず、曲 牌名は 刻で あるが、本來は

氏の叙によれば「

元本曲名

倶白文(原本 の曲牌名

は陰刻)」

あっ た。

このような點

は、元刊

の雜劇(

「元刊 劇三十種

」)などと共通しており、元

代から明代前期に刊行

れたテ ストに特徴的に見られるものである。陸貽典が見た

本も、こうした原 始的 な戲曲テ

キス トの形態を持っ

ものと言

えよう。

陸貽典本の系統に分類されるのは、

巾箱本

『新刊

箱蔡伯喈琵琶記』

凌刻本など

ある。

だし、

れらはすべて折數を設けている上、巾箱 全四十三齣、凌刻本

全四十四齣と

するなど、同系統と

、陸 貽典本と全く同じというわけではない。齣數の違い

、凌刻本では、巾 箱本 でい えば第三十八齣と第三十九

齣の間に、別の一齣が插入されて

るこ

巾箱本の特

を見て よう。全體として、本文

陸貽典本とほぼ一致

(7)

する が、第十四齣の最後の五言四句の詩

は、陸貽典本に

無く、汲古閣 本と一致

は、部分的には陸貽典本と汲古閣本の中間的な性格を 持つテ トとい とも できる。版面

の特 徴とし は、

すべ ての版 には、「

忠孝傳」と刻されて

る。また、部分的に缺葉があり、巻上四 十九、五十葉と巻下

十三、二

十四

、五十裏、五十一葉は、版木を彫り 直して補

われたもの

ある。

かも、

れらの補缺部分を詳細にみると、

巻下二十三葉のみ他の補缺葉と異なって

いる が分かる。それは、字 體が異なって

いるだけではなく、

の補缺葉ではすべて陽刻であるのに、

巻下二十三葉のみ曲牌と脚色名が陰刻

あるという違い

ある。ま

た、

巻下二 三葉 では、臺詞

示す箇所

で「旦白(

( 趙五娘

) の臺詞

」と いうように「白」を使って

いるが、その他の補缺葉では「旦云」のよう

使

を使っ いるの

、結論として、巻下二十三葉

古く、他の補缺部分

より は新しいとい

とに なる だろう。補

部分 はおお ね巻の末

、最後に字數の調整を自由に行

とが可能

であるので、本來の巾 箱本の本文と、現在の補缺部分が果たして一致

ているのかは疑問

であ る。巻の途中にある巻下二十四葉の場合、裏の左から4

目から5

行目 にかけて7文字分を小文字で

行にして

いるのは、字餘りを調整す

るた めでは いかとも疑われ

*21 凌刻本

、明代末期の書坊として有名な凌濛初が刊行

したテ ストで ある。凌氏の書坊

は、套印本をはじめと

する多色刷の高級な書籍

、ま た白話 編小説集『拍

案驚奇』

を刊行 たこと 知られている

*22。こ 凌刻本『琵琶記』は「臞仙本」と

するが、

この「臞仙」と

明の太祖 朱元璋の第十

七子 で、

芝居に詳しかった寧獻王朱權の號である。

まり、

その彼がか

して いた 由緒正し

い本という宣傳文句で

凌刻本に

は、版面

の上部に、批評

所謂眉批

が附されている。

凌刻本 の眉 批では

「俗本」「

本」などという呼び方を

用いて

他の テキ トの異同を誤

りとして

退けて る。こ

「古本琵琶記」原本の『琵 琶記』に近づけ、さらにその復元をしようとし、自らの編纂した『琵琶 記』こ 善の テキ ストで るこ とを 強調しようとす

意圖を 的に 示していると言えよう。

(2)通行本系 一方、元本と一線

を畫 するのが、④汲

閣六 十種曲『琵琶記

刊)

を代表とす

グルー である。

陸貽典本と大きく異なるのは、

折數・

篇目を設けて

いる點、「文場選士」(汲古閣本では第八齣)という陸貽 典本系統に

ない部分

が增補 れている點、ま

、汲古閣本

九齣「乞丐尋夫」、陸貽典本

は【鴣搗練】から始まる段におい

、は じめの【鴣搗練】から【清江引】、その直後の【鷓

天】のあとに陸貽 典本では

末(張大公)の白が入るが、汲古閣本ではこ

の白がそっくりそ のまま【闘黑麻】【前腔】の後

に移動して

る點などである。

この系 統に は⑤容與堂刊『李卓吾先生評琵琶記』、⑥『陳眉公批評琵琶記』等 が含まれる。

容與堂本は、巻末の最後の二葉は

書きで われて る。また他本で は【前腔】と表記す

ところ

テキ ストには

全く【前腔】の表記が なく改行

で区別して

る。

ちなみに同じ容與堂刊行の『李評幽 閨記』(ま

は「拜月亭」)に

は【前腔】の表記

が使 われている。

本稿では、弋陽腔系散齣集より刊行

年代のおくれる汲古閣本を校勘の 對象としたのは、陸貽典本の對極の關

にある系統の終着點の一つで

ると考え

るからである。

汲古閣本系統に關して

、凌刻本の第五齣【

犯序】の眉

に、次のよ うな興味深

記述が見られる。

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