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語られない「朝鮮」 ―明治期の日本文学と「朝鮮」― 論文の要旨

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Academic year: 2021

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語られない「朝鮮」

―明治期の日本文学と「朝鮮」―

論文の要旨

序論の「一」ではまず現在、明治日本の「朝鮮」を語る意味として「韓国」と「朝鮮」の表 象的差異としての「呼称の問題」が扱われている。明治期の日本で「朝鮮」がどのように認識 されていたかを検証する過程で、「朝鮮」と「韓国」という呼称の混在があり、そのような事 態が問題を複雑化していることが明らかになったからである。

韓国で生まれ、韓国人として生きている現在の私たちにとって、韓国を母国と言うことはほ ぼ自明のことである。だが、自分の国を「韓国」と言いながらも、その「韓国」という呼称の 来歴を考えたことがない人が多い。本論執筆の最初の第一歩は当然視されているこの「韓国」

という単語の意味を探ることからはじまった。革命や王朝の変動などによって「朝鮮」から

「韓国」へ移行したのであれば、「国号」は明確であり、当然、「呼称の混在」は存在しない はずである。この問題のルーツは、近代の日本が大きく関与している明治期にあり、そこに遡 らなければ理解できないと言える。

序論の「二」では、以上のような問題意識から日本の近現代作家たちを例に考察し、東アジ ア諸国を植民地化し加害者の立場にあった日本は、敗戦によって被害者の立場に変わることに よって過去の歴史を顧みる努力を失い、作家たちも加害者としての歴史に対して口を閉ざして 語ろうとはしなかったことを糸口に、明治期の日本が「朝鮮」と「韓国」という呼称を混在し ていた時期であることに注目した。序論の「三」では上記の研究を行なう上での本研究の意義 を述べた。

第一部「明治前期―情報としての「朝鮮」」では日朝関係の変化と朝鮮表象との関係を、日 朝修好条規が結ばれた一八七六年前後を中心にして明らかにしている。第一章では、新聞や書 籍など朝鮮に関する情報を得ることのできない明治前期においてより印象的に多くの人々に朝 鮮で起きた事件を伝えるために「錦絵」が効果的に機能したこと、たとえそれが正確な朝鮮人 の様子や風習を描いたものでなくても、近代化する日本が強調されればそれでよかったことを 明確にした。「錦絵」で表象された朝鮮は、中国人のように描かれていてもそれが日本人でな ければ通用され、印象的に描かれていたのである。

第二章では、情報として「朝鮮案内書」のような書籍である『朝鮮事情』類を扱った。代表 的なものが、染崎延房の『朝鮮事情』(三書房、一八七四年)、榎本武揚の『朝鮮事情』(集 成館、一八七六年)で、両者とも朝鮮の歴史や地理、政治、風習などを知識として記した書物 であった。しかし、実際の朝鮮を経験したことのない人によって書かれた書物は、書き手の偏 見や意図がストレートに入り、見てもいない国を自分の思うままに書いてしまう傾向があった。

また、それを読む側の人も同じく書かれているものを信じてしまい、本に書かれたものが本物 の朝鮮だと認識してしまう。これらの書物に記されている朝鮮の歴史や政治、地理、風習など は、知識や情報としての朝鮮であり、自分らと同じような人間が生きている空間として認識す ることは困難であった。これらの書物に書かれた朝鮮は表面的なもので、人々が動いている生 きた空間としての立体感は感じられない。さらに情報としての朝鮮をより深く認識しようとす る前に日清戦争が起きてしまうのである。

第二部「明治中期の具体化する「朝鮮」」では、日清戦争により朝鮮表象が変わっていく様 相を検証した。第一章では桃水の経験から一八八二年『大阪朝日新聞』に連載された朝鮮の古 典小説『春香伝』の翻訳である『鶏林情話 春香伝』について考察した。知識ではなく物語の 対象として、朝鮮がはじめて日本のメディアに登場するのがこの『鶏林情話 春香伝』を通し てである。たとえば、朝鮮女性の節操について語る時、朝鮮では女性の節操が重要視されてい たことを文書で説明するより、物語の女主人公である成春香が男主人公である李道聆と婚約し た後、彼から何年も連絡がないのに命をかけて節操を守ろうとした物語を読むと、そのような

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女性の振舞いは朝鮮の風習だったことが鮮明に理解できるのである。物語のなかで語られる朝 鮮は、日本人と同じように考えて暮らす朝鮮人たちが住んでいる立体的な空間として認識され るのである。

第二章では、桃水が翻訳に留まらず朝鮮を背景にした創作小説『胡砂吹く風』(『東京朝日 新聞』一八九一年十月二日~一八九二年四月八日)を、「続き物」から出発した新聞小説の特 性を色濃くもつテクストとしての観点から分析した。日本人と朝鮮人の混血児である主人公林 正元を通して、両国の関係を模索しようという桃水の志さえも窺える本作は、朝鮮を舞台に、

朝鮮の風習や言葉などの文化について朝鮮人を登場させて小説化した明治期唯一の本格的な

「朝鮮小説」とも言える。本作は新聞小説として毎日挿絵とともに連載され、読者の目に入っ たということも特筆すべき部分である。その新聞を手にし、毎日その小説を文字で読み、挿絵 を見て、読者は朝鮮で繰り広げられる『胡砂吹く風』があたかも日常と地続きのように感じら れ、朝鮮がより身近になったと推察されるからである。その意味で新聞小説は、日々の慣習的 な読書行為によって単行本よりも読者の日常性と隣接させ「朝鮮」という国を理解させる契機 になったとも言えるだろう。

しかし、『胡砂吹く風』連載から四年後に起きた日清戦争によって、桃水は朝鮮を積極的に 語ろうとしはしなくなる。『胡砂吹く風』から窺われる桃水の朝鮮は一面ではその小説中にも あるように確かに「汚くにおう国」ではあったが、決して日本より劣等な国ではなかった。だ が、日清戦争で清国に日本が勝ったことは清国を含め、清国に束縛されていたと日本側からは 思われていた朝鮮までも、日本より劣等な国のように見る視線を多くの日本人に与えてしまう。

朝鮮は日本の保護を受けなければならない弱い国であり、他方、日本は朝鮮のために清国に勝 ち、朝鮮を開放させる優越的な国であるという認識を生む。

第三章では日清戦争後の朝鮮の変化として、桃水の『続胡砂吹く風』を中心に取り上げた。

日清戦争において日本では朝鮮について同格の国として語ろうとする動きは見えなくなってし まい、日清戦争直前に書かれた服部徹『小説東學黨』(岡島宝文館、一八九四年)では日本人 による朝鮮での革命が描かれ、西洋とは違う新しい朝鮮を夢見ていた「東学党」を利用し日本 人が新しい朝鮮を作るという内容から、日本に干渉される朝鮮がイメージ化されていたことが 分かる。一方、桃水は『続胡砂吹く風』(一八九五年一月十七日~四月二十五日)で日清戦争 後の中国大陸での日本の立場を語ろうとしたが、途中で小説は中断してしまい、その後は朝鮮 について語らなくなる。もはや実質的に日本の保護国になった朝鮮について、自分が経験した 過去の朝鮮を重ねることができなかったのである。

第三部では「明治後期―朝鮮体験と文学の具現化」として、日露戦争後の日本の文学者の目 に映った「朝鮮」を対象にした。日清戦争の戦勝によって日本人が朝鮮に対して優越感をもつ ようになったからといって、すべての日本人が同じ考え方をしたわけではない。日清戦争 時ま では文学者たちは朝鮮について語ることはほとんどなかったが、朝鮮を直接的に経験し始め、

朝鮮について語りはじめるのが日露戦争時からである。日露戦争には前の戦争より幅広い分野 の日本人が戦争に参戦する。

第一章では、直接朝鮮に渡って言葉と画像の二つによって語った画家の小杉未醒を扱った。

従軍画家として日露戦争に参戦した小杉の目に映った朝鮮は、普通の人々が生活している場所 であった。小杉は所属している雑誌社には画像を送ってそれを『戦時画報』に載せていたが、

それとは別に『陣中詩篇』(嵩山房、一九〇六年)という単行本を残した。そのなかに収録さ れている「朝鮮日記」は、京城から平壌まで軍隊について苦難の行路を進まなければならない 状況のなかで出会う朝鮮の人たちや彼らの暮らしなどが、あたかも写生するような目で描かれ ている。日清戦争より日露戦争の戦地はより悲惨であり、多くの文学者たちがそれを経験した が、小杉は戦争の非人間的な部分と朝鮮の悲惨な状況を、画像と文字という二つの手段によっ て批判的に捉えることができた。

第二章では、満州・韓国旅行の体験から書かれた夏目漱石の未完の紀行文「満韓ところどこ ろ」(『朝日新聞』一九〇九年十月二十一日~十二月三十日)を考察した。前章で述べたよう

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に同時代の画家としてはかなり戦争に対する批判的な眼差しをもっていた小杉も、残念ながら 日露戦争前後の二、三年の間しか朝鮮について語っていない。日露戦争後の朝鮮は徐々に日本 に植民地化されていき、独立国としての利権などが日本に移され、大韓帝国王はいても有名無 実な存在になっていたのである。一九一〇年には朝鮮王朝による「大韓帝国」という国は日本 の植民地になり、もはや「朝鮮」は国としてはどこにも存在しなくなってしまう。その一年前 に韓国を訪れたのが夏目漱石である。友人で満鉄総裁に任していた中村是公の誘いで満洲と韓 国を旅した漱石はその経験を「満韓ところどころ」という紀行文に残す。だが、紀行文の一部 として書かれるはずであった「韓」の部分は書かずに途中で終わらせてしまう。漱石が満韓旅 行をしたちょうど一ヵ月後に伊藤博文が朝鮮の青年安重根に暗殺され、着々と進行していた朝 鮮の植民地化に対しての朝鮮側の不満が明らかになる。漱石が足を踏み入れたそのハルビンで 漱石を歓迎してくれた人々が同席したその場で、朝鮮の独立を叫ぶ青年に伊藤博文が暗殺され る。

漱石はこの歴史的事件に対して、大きな声を上げることはできなかった。さらに満洲につい て語ったようには、朝鮮について語ることはできなかった。だがこの紀行文やこの事件後に発 表され、この事件について語り合う場面が登場する小説『門』(『東京朝日新聞』一九一〇年 三月一日~六月十二日)などを通して、漱石がこのあまりにも強烈な歴史的事態に対して「語 ることができない」くらい強い衝撃を受けたということを本章では考察した。

第三章では、漱石が韓国を旅した一年後に日本に植民地化された韓国が語られる。いわゆる

「日韓併合」の一年後を描いたのが、『朝鮮』と名づけられた高浜虚子の小説『朝鮮』(『東 京日日新聞』一九〇一一年六月~十一月二十五日)である。絵画の手法である写生を、文章に おいても活用しようとしたのが虚子であった。一年前までは外国であった地域が日本の一部の

「外地」になり、そこに渡った日本人の一人として虚子は写生的な視線で一歩後ろからその朝 鮮や朝鮮人を眺める。そのため朝鮮人の暮らしや日本と朝鮮との歴史的な事件などについて深 く語ろうとしない。この一歩後ろからの距離が結局そこに生きている朝鮮人たちを見ることの 邪魔になったのである。虚子が朝鮮人の目で朝鮮を語ることはそもそも不可能なことであるが、

虚子の朝鮮に対する態度は距離を置きすぎていた。

だが、植民地になった朝鮮について虚子はマイナス・イメージを語ったが、同時に日本人の 姿についても批判的な視線で眺めている。一歩離れて距離を置いて見ることにより日本の悪い 面も見ることができたのである。だがその結果、虚子は『朝鮮』で「朝鮮」は語らず、そのな かにいる「日本」について語ることになったのである。

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