論 説
プーチン連邦改革下の新たな権限区分構想 ⑴
Two Conceptions on Sharing of Powers between Russian Federation and Its Subjects under Putinʼs Federative Reforms: Part 1
小 杉 末 吉 *
目 次
₁.は じ め に
₂.条約的連邦関係の見直し
⑴ プーチン政権初期の連邦改革
⑵ 権限区分条約の破棄過程
⑶ 条約手続き法の制定(以上,本号)
₃.新たな権限区分構想 ⑴─シャイミエフ構想─
₄.新たな権限区分構想 ⑵─コザーク構想─
₅.お わ り に
1
.は じ め に本稿は,2000年 ₅ 月に発足したプーチン政権が自らの連邦改革の中で,
1990年代のエリツィン政権下で連邦中央と地方(連邦主体)との間に形成 された条約に基づく連邦関係の結果もたらされた行き過ぎた遠心化(地方 優位)とロシア連邦の一体性の弱体化という問題を如何に解決したのかに ついて検討することを主題とする。
1991年ソ連邦崩壊後のロシア連邦において醸成されたロシア連邦内構成 主体,とりわけ共和国の遠心化傾向は,新生ロシア連邦に対して連邦制の
* 所員・中央大学法学部教授
維持及びロシア連邦の領土的一体性の確保という問題を焦眉の課題として 提起することになった。すでに他の論文で指摘したように,当時のエリツ ィン政権は,新たな連邦関係を連邦─連邦主体間で締結された権限区分条 約に基づいて構築することで,この課題を解決しようとした 1) 。しかしな がら,この解決策は,その後の権限区分条約過程が示したように,いわば 行き過ぎた遠心化(地方優位)とロシア連邦の弱体化を内在化したアンバ ランスな連邦関係をもたらした。エリツィン政権の晩期において,この関 係を連邦憲法及び連邦法の規制のもとに置くという方針のもとに,問題解 決が図られることになった。そして,この方針を仕上げ,後述する新たな 連邦構想,とりわけ権限区分構想のもとに解決したのが,2000年代初めの プーチン連邦改革であった 2) 。その結果,エリツィン政権時代の地方優位 の連邦関係は連邦中央優位の連邦関係へと転換されることとなった。すな わち,条約から連邦憲法・連邦法へと重点移動した連邦関係の形成であ る。それは,従来の個別権限区分条約に代わって構想された新たな連邦関 係,換言すれば新たな権限区分関係に関する考え(=構想)に基づくもの であった。
それでは,強力な一体的なロシア連邦を志向するプーチン政権の連邦改 革の一端を担ったこの新たな連邦関係もしくは権限区分関係は,如何なる 考え(=構想)のもとに構築されたのであろうか。本稿は,この権限区分構 想について,個別権限区分条約が破棄される過程を伴いながら,如何なる 内容のものとして作成されるに至ったのかについて概観することを主題と する。
以下では,初期プーチン政権における1990年代の連邦関係の見直し・転 換に向けた政策及びそれに呼応する連邦主体側の反応としての個別権限区 分条約の破棄,ならびに新たな連邦関係の構築に向けて作成された権限区 1) 拙稿「ロシア連邦─ロシア連邦主体間の条約関係の法規制について」(『比較
法雑誌』,第47巻第 ₂ 号,2013年), ₃ ─ ₇ 頁参照。
2) プーチン政権の連邦改革全般について,см. В. А. Чертков, Федеративная ре-
форма в России. Издательство《Социально-политическая мысль》 . М. 2007.
分構想,といった問題について,前者については第 ₂ 章で,また後者につ いては当時作成された ₂ つの構想案(シャイミエフ案及びコザーク案)に ついて第 ₃ 章及び第 ₄ 章でそれぞれ検討することにより,2000年代初めの プーチン政権下で新たに形成された連邦中央─地方(連邦主体)関係に内 在する問題の一端を指摘することにしたい。
2
.条約的連邦関係の見直し⑴ プーチン政権初期の連邦改革
すでに別稿(注(1)の拙稿参照)で述べたように,1998年に大統領附 置権限区分条約準備委員会の長が С. シャフラーイ(С. М. Шахрай)から プーチンに交代した。これを機に,1990年代半ば以降の連邦中央と連邦主 体との間の権限区分条約締結の流れに変化が生じた。すなわち,1999年 ₆ 月及び10月の ₂ つの連邦法制定に見られるように,連邦中央─連邦主体間 の権限区分の原則,その実現形式として連邦憲法第 ₅ 条 ₃ 項が認める条約 の締結要件及びその手続き,さらには,連邦憲法第72条 ₁ 項に定める連邦 と連邦主体との間の共同管轄事項が連邦法により定められることになり,
それに伴って,既存の権限区分条約はその見直しを ₃ 年以内に行わなけれ
ばならないとされ,またこの問題解決における連邦主体の怠慢について
は,検事による申立てや連邦大統領の改善提案といった制度化が図られる
ことになったのである 3) 。言い換えれば,新たな条約を締結する場合には
3) 1999年の ₂ つの連邦法とは,①1999年 ₆ 月24日連邦法律「ロシア連邦国家権
力機関とロシア連邦主体国家権力機関との間の管轄対象及び権能の区分の原則
及び手続きについて О принципах и порядке разграничения предметов ведения и
полномочий между органами государственной власти Российской Федерации и
органами государственной власти субъектов Российской Федерации」(《Собра-
ние законодательства Российской Федерации》 . 1999. No. 26. Ст. 3176),及び②
1999年10月 ₆ 日連邦法律「ロシア連邦主体の立法(代表)及び執行国家権力機
関の組織化の一般原則について Об общих принципах организации законодатель-
ных (представительных) и исполнительных органов государственной власти
連邦法の定める締結手続きに則って行わなければならず,それとともに既 存条約については,とくに共同管轄に係る部分の見直しが不可避とされ た。そのことにより,連邦中央─連邦主体関係における条約の意義・役割 は以前に比して低下した。そして条約を自らの対連邦中央との対立軸とし ていた連邦主体側の地位も低下し,ひいては,連邦─連邦主体関係は連邦 中央の優位する連邦関係へと変容したということができる。
連邦関係におけるこうした変容は,2000年 ₅ 月のプーチン大統領就任と ともにより明確になった。彼は就任直後の ₅ 月13日付大統領令「連邦管区 におけるロシア連邦大統領全権大統領について」により,連邦地域を ₇ つ の連邦管区(中央・北西・北カフカース・沿ボルガ・ウラル・シベリア・
極東)に分け,それと既存の大統領全権代表制を合体させる体制を導入し た 4) 。これに続けて, ₅ 月19日,彼は連邦権力構造の垂直化を徹底する目
субъектов Российской Федерации」(《Собрание законодательства Российской Фе- дерации》 . 1999. No. 42. Ст. 5005)である。①によれば,条約は本法律発効後 ₃ 年以内,すなわち,第31条で公表後 ₁ か月経過後発効するとされていることか ら,遅くとも2002年 ₇ 月23日まで本法律に則って見直しをしなければならない とされた(第32条第 ₃ 項)。また,②により,連邦主体による自らの法令の連 邦憲法及び連邦法との合致義務に対して,当該連邦主体の検事(副検事)の異 議申立て,大統領による連邦主体立法機関への連邦主体法令の連邦憲法・連邦 法との合致提案が制度化された(第27条)。なお,この点は,プーチン連邦改 革の一環としての統一法圏の戧出という観点からも議論されるべき論点である が,本稿では特別に論じることはしない。筆者は,かつて,この問題について タタルスターン共和国憲法の改正問題と絡めて論じたことがある(「2002年 ₄ 月19日付タタルスターン共和国憲法改正について㈠」『法学新報』第109巻第 ₄ 号,2002年)。
4) 2000年 ₅ 月 の 大 統 領 令 に つ い て,《Собрание законодательства Российской
Федерации》 . 2000. No. 20. Ст. 2112. 大統領全権代表制は,ソ連邦崩壊前の1991
年 ₈ 月に当時のエリツィン大統領指令(распоряжение)により導入された「地
方,州,自治州,自治管区,モスクワ市及びレニングラード市におけるロシア
ソビエト連邦社会主義共和国大統領代表」制度がある。その後,1992年及び
1993年の大統令により「地方,州,自治州,自治管区,モスクワ市及びサンク
ト─ペテルブルグ市におけるロシア連邦大統領代表」制度となった(О пред-
的で,連邦議会に ₃ つの連邦改革案(①「連邦会議編成手続きに関する」
新たな法案,②ロシア連邦主体国家権力機関の組織化の原則に関する法律 への修正・補足の導入法案を提出した 5) 。その要諦は,エリツイン時代に
ставителе Президента Российской Федерации в крае, области, автономной обла- сти, автономном округе, городах Москве и Санкт─ Петербурге, 《Собрание актов Президента и Правительства Российской Федерации》 . 1993. N 6. Ст. 481)。その 後,個別連邦主体における大統領全権代表制度は,連邦関係の遠心化(地方優 位)の趨勢の中で,一つまたは複数の連邦主体を統括する全権代表制度へと再 編された(1997年大統領令(7月 ₉ 日付大統領令「ロシア連邦諸地域における ロシア連邦大統領全権代表について」(《Собрание законодательства РФ》 , 1997.
No. 28. Ст. 3421.)。今回は,既存制度の改善と併せて,連邦主体を実効的に監 督する方向での見直しとなった。なお,連邦管区について,см. В. В. Киста- нов, Федеральные округа России: важный шаг в укреплении государства. Эконо- мика: М. 2000; Федеральная реформа 2000─2003. Т. 1 Федеральные округа. М.
2003。また経済的観点から連邦管区を捉えたものとして,см. М. Я. Гохберг, Федеральные округа Российской Федерации: анализ и перспективы развития. М. :
“Финанс и статистика”, 2002.
5) См. 《Независимая газета》 , 20 мая 2000 г. なお,①の「連邦会議編成手続きに 関する」新たな法案は,連邦会議員を従来の連邦主体執行・立法(代表)機関 の長自身ではなく,代表とした(執行機関の代表は長が任命,立法(代表)機 関の代表は議会で選出,任期は選出機関の任期と同一)を内容とし, ₇ 月19日 に国家会議で採択され, ₈ 月 ₅ 日に公布された。同期日に採択・公布された② の「ロシア連邦主体国家権力機関の組織化の原則に関する法律への修正・補足 の導入」は,連邦憲法・連邦法に作為的・無作為的に違反する連邦主体執行機 関の長および立法(代表)機関に対して,裁判所の判決に基づき大統領が警告 を発し,是正されない場合には長の解任・議会の解散を行うことを可能にする こと(→連邦干渉制度の導入)を内容とするものである。③の「地方自治一般 原則に関する法律への修正・補足の導入」は,裁判所によって違憲,違法と見 なされた法令,行為を一定期間内に是正しなかった地方自治体の議会の解散,
長の解任を内容とし, ₇ 月 ₇ 日に国家会議で採択され, ₈ 月 ₄ 日に公布され
た。なお,2000年 ₅ 月のプーチン連邦改革構想は,1997─1998年に作成されか
つ実施されたもの(それは前例のない知事の反対,財政危機,継承者をめぐる
混乱,権力上層部の腐敗嫌疑などの原因のため,直ちに頓挫した)と大差はな
いとする評価について,см. указ. Федеральная реформа 2000─2003, стр. 25.
形成された連邦中央と地方(連邦主体)の水平的な連邦関係により弱体化 したロシア連邦を強国としてのロシア連邦へと再編することにあった。と はいえ,こうした就任当初の改革は,いわば点(制度)に着目した見直し であり,そのかぎりでの改革に止まっていたということができる。ロシア 連邦を連邦憲法及び連邦法体系に則した垂直的な連邦関係に基づく強い連 邦国家へと転換させるためには,点(制度)の改革を線(関係)の改革へ と連動させること,すなわち,エリツィン時代の非対称な連邦関係・弱体 な連邦構造を基礎づけている連邦─連邦主体間の権限区分関係及びその基 盤たる個別連邦主体との間の権限区分条約の見直しが必要とされたのであ る。
この転換は,プーチン大統領が2002年 ₄ 月18日に発した年次教書におい て明確にされた 6) 。その際,後述するシャイミエフ案からコザーク案への 権限区分構想の転換,言い換えればシャイミエフ案の否定とそれに代わっ て構想されたコザーク案との関連を念頭に置いて,この教書の内容は理解 されなければならない。
プーチン大統領は教書の中で,今日においても権限区分条約締結の実践 可能性が合法的であることを認める一方,それが過去の歴史の一定の段階 において要請されかつ必要であったという認識にたち,結果として,その 実践が連邦主体間の事実上の不平等(ひいては,様々な連邦主体に居住す るロシア国民の間の不平等)を招いたこと,さらに,締結された多くの条 約は「紙のうえ」のものに過ぎず,そのことはすでに28の条約が破棄され ていることから明らかであると指摘した。そのうえで,ロシアのような連 邦国家においては地域的特性を考慮しなければならず,それ故,個々の地 域との個別的条約を締結する必要性も生ずるとしても,事前に検討するこ ともなく,また社会的合意も得ることなしにこうした条約を他の主体の
「目を盗んで」締結することは正しくない,と彼は述べる。従って,すべ 6) 年次教書テキストについて,Послание Федеральному Собранию Российской
Федерации: http://president.kremlin.ru/text/appears/2002/04/28876.shtml
[2014年 ₉ 月 ₁ 日閲覧] .
ての条約は,連邦法による義務的な承認手続きにかけなければならないと された。つまり彼の主張は,①今日における権限区分条約締結の合法性の 承認,②一定の歴史的実践としての権限区分条約の締結の意義の承認,③ 結果としての歴史的実践の非承認(連邦主体間の不平等を惹起したこと,
かつて有していた役割が現在では失われたこと),④条約締結の必要条件 としてのロシア連邦における地域的特性を重視する必要性の強調,⑤連邦 法の手続きに則した条約締結の必要性の強調,といった論点として整理す ることができる。
連邦と個別連邦主体との間の権限区分条約の存在については現行ロシア 連邦憲法(第11条第 ₃ 項,第 ₂ 編「最終及び経過規定」第 ₁ 項)の認める ところであり,その締結の合法性を否定することはできない 7) 。従って,
憲法上,上記①は当然の指摘である。それでは政治的観点ではどうか。最 初の権限区分条約は1994年にタタルスターン共和国との間に締結された。
当時の連邦中央がソ連邦崩壊の轍を踏むことなく新生ロシア連邦を構築す るにあたり採用した方式が,連邦内のすべての構成主体との間での統一的 な権限区分条約の締結であった。しかし,独自路線を指向するチェチェン 共和国とタタルスターン共和国はこれに参加しなかった。そのため,エリ ツィン政権は,個別の権限区分条約の締結でもってこれら共和国を連邦に つなぎ止めようとした。この策はチェチェン共和国については成功しなか ったが,タタルスターン共和国については奏功した。その意味で,個別権 限区分条約は当時において相応の役割・意義を果たしたことは指摘される ところである。それ故,②も当然の指摘である。問題はこうした役割・意 義の今日性である。タタルスターン共和国との条約締結後,他の一部連邦 主体もこれに追随した結果,非対称な連邦構造,換言すれば連邦主体間の 不平等がもたらされた。換言すれば,権限区分条約締結のプロセスは,連 邦主体の憲法上の地位の非対称,ひいては連邦憲法が謳う同権性の侵害を 7) См. С. М. Шахрай , А. А. Клишас, Конституции Российской Федерации. 2-е из-
дание, доп. М. : ОЛМА Медиа Групп. 2010, стр. 343.
もたらすこととなった 8) 。このことから,そして②に関連して,タタルス ターン共和国もチェチェン共和国も現在では連邦主体として連邦を構成し ていることから,条約締結の意義は今日では1990年代ほどには見られない とする③もおおよそ妥当な認識であるといえる。しかし,そうした認識で もって条約破棄の妥当性・不可避性を主張するとするならば,問題なしと は言えない(何故なら,条約改定の場合も考慮しなければならないからで ある)。
以上のように,権限区分条約締結の合法性,その歴史的役割・意義の承 認,それが実践上惹起した問題の存在を前提にしたうえで,この条約を如 何に扱うべきかという問題認識のもとに提起されたのが,条約の法規制と いう観点である。このことは,④及び⑤と関連する。プーチン大統領は,
④として「地域的特性」重視の必要性を強調して,多民族連邦国家におけ る地域重視・尊重の姿勢を窺わせているが,実はこの言葉に条約締結の要 件としての,換言すればそれを制約する条件としての意味を込めているの である(後述のコザーク委員会による新たな権限区分構想案の策定作業の 進捗状況が念頭に置かれている)。それでは,こうした要件のもとで認め られる条約締結を規制する法は如何なるものでなければならないのか。プ ーチン大統領は⑤として連邦法による規制の必要性を強調し,そしてその 8) См. Е. А. Соловьева, Договоры о разграничении предметов ведения полномо- чий между Российской Федерацией и ее субъектами как черта асимметрии кон- ституционно─ правового статуса субъектов Российской Федерации. 《Современ- ное право》 , № 7, 2006, стр. 29. 連邦憲法第 ₅ 条の謳う連邦主体の同権性原則と 連邦主体間の非対称をめぐる議論として,см. Конституция Российской Федера- ции. Научно─практический комментарий. Издание 3-е, переравотанное и допол- ненное. М. : Юристъ. 2003, стр. 112; Конституционное право России. Курс лек- ций. М. : Проспект. 2007, стр. 213─214; Конституционное право России. Учебник.
3-е издание, переравотанное и дополненное. М. : Норма. 2008, стр. 110; А. В. Зи- новьев, Конституционное право России. Учебник. Санкт ─Петербург: Издатель- ство Р. Асланова “Юридический центр Пресс”. 2010, стр. 187, и т. д. また拙稿「ロ シア連邦の『非対称性』について」(『法学新報』第107巻第 ₃ ・ ₄ 号,2000年)
も参照。
限りにおいて条約(その存在)を承認するのである(このことを理解する ならば,彼が翌年 ₅ 月16日の年次教書において共和国生活の正常化に果た す条約作成・締結の意義を強調している場合の条約とは,あくまで連邦法 の手続きに則った条約についてであることが理解される 9) )。
しかしながら,如何なる内容の法であるかについては,彼はこの教書で 明言していない。それが条約的連邦関係を見直して連邦中央が優位する強 い連邦国家の再建というプーチン大統領の連邦改革の方針を規範化したも のとなるであろうと推測しうるだけである。このことを明確にするには,
「地域的特性」の重視とか連邦法の義務的手続きに則した条約締結とかを 強調する年次教書それ自体の根拠にあたらなければならない。それが次章 以下で検討する新たな権限区分の考え方(構想)である。その前に,この 作業過程と強い相関を有する問題,すなわち,プーチン大統領が教書にお いて条約締結の今日的意義が失われたことの根拠として指摘している権限 区分条約破棄の問題について,またそれとの関連で連邦主体が連邦中央と の間の条約手続きに関して独自に立法化した条約手続き法について,第 ₂ 節及び第 ₃ 節で検討することにする。
⑵ 権限区分条約の破棄過程
(2─1) 連邦主体による権限区分条約の破棄は,「表 権限区分条約締 結・破棄・独自条約手続き法制定日」に見られるように,2001年12月31日 から2003年 ₅ 月21日まで約 ₂ 年半にわたって行われた。注目すべきは,こ 9) プーチン大統領は,この教書において,共和国の生活を最終的に正常化する ためには多くのことをなさなければならないとして,「民主主義的原理に基づ く─換言すれば,レフェレンダムで採択された連邦憲法に従った─共和国の大 統領や議会の選出,地方自治機関の戧設,連邦中央と共和国との間の権能区分条 約の作成・締結,そしてもちろん,チェチェン経済の復興」を列挙して,条約の意 義について肯定的に評価している(少なくとも消極的・否定的でない)ことを窺 わせている。 См. Послание Федеральному Собранию Российской Федерации:http:
//president.kremlin.ru/text/appears/ 2003/05/44623.shtml[2014年 ₉ 月 ₁ 日閲
覧] .
の期間が,すでに指摘したように,エリツィン政権晩期の1999年に制定さ れた ₂ つの連邦法の後に本格化した連邦レベルにおける新たな連邦関係の 構想作業,すなわち連邦中央─連邦主体間の新たな権限区分関係の構想作 業が進められていた時期と重なっていることである。その意味で,これら の破棄は,前述した1999年 ₆ 月の権限区分法により ₃ 年以内の連邦法との 調整が求められていること(第32条第 ₂ 項参照),そしてそれを過ぎると 条約は失効する可能性もあるという法手続き的観点で始められたこととの 関連性を強く窺わせるのである 10) 。他方で,上述の連邦中央による連邦 改革の展開,それへの連邦主体側の政治的対応といったことも,条約破棄 行為が何故行われたのかという問題を考えるうえで考慮すべき点である。
この点に関連して,エリツィン政権のもとで権限区分問題の実務責任者で あった C. シャフラーイ(С. М. Шахрай)が2013年の著作において,条約 破棄の実践は当時の単一的傾向の高まりの反映であるばかりでなく,連邦 主義の思想や価値の普及が不十分であったことの証左でもある,と述べて いることが注目される 11) 。
かくして,条約締結を行った連邦主体にとって,不可避となった期限内 の条約見直しへの具体的対応として,如何なる施策をとるべきなのか,が 喫緊の課題となったのである。選択肢としては,第一は,法律の要請に従 って現行条約の見直しを行い,連邦法に則して連邦中央と新たな条約を締 結し直す,第二は,法律の要請に従って現行条約の見直しを行い,それを 破棄する目的で連邦中央との間に新たな条約(「管轄対象及び権能区分条 約の効力停止について」という名称の条約─以下「効力停止条約」と略 称する─)を締結する(連邦との権限関係は,連邦憲法及び連邦法に委 ねる),そして第三は,法律の要請に従って現行条約の見直しを行うが,
10) 1999年 ₆ 月権限区分法は,本文のように,連邦法との調整期限は定めたが,
その後の効力については明文規定を持たなかった。1999年10月の一般組織化原 則法の2003年 ₇ 月改正は第 ₅ 条において, ₂ 年以内の連邦法との調整及び承 認,及び承認されない場合の失効を明確にした。
11) См. С. М. Шахрай, О Конституции. Наука: М. 2013, стр. 353.
その継続を期待して,再締結も破棄も行わない(再締結または破棄のいず れも連邦中央との交渉により帰結しなかった場合も含める),ということ が考えられる。法制度上,第一の選択肢は妥当であるが,一方の当事者で ある連邦中央次第であり,権限区分関係を憲法・連邦法の枠内にとどめよ うとするのであれば,現実性は乏しいことが考えられる。その意味で第二 の選択肢が最も現実的な対応である。第三の選択肢は政治的には条約の自 然消滅に帰結することになる。連邦中央との条約関係を維持するためには 連邦法に則って新たな条約を締結する必要があるが,その実現性は連邦中 央次第であり,その実現はバシコルトスターン共和国の例が示すように,
きわめて困難である(2014年現在,条約の再締結を実現させたのは,タタ ルスターン共和国のみである。) 12) 。
それでは,実際にはどのような選択がなされたのであろうか。これを上 記「表」で見ていくことにする。権限区分条約締結過程についてはすでに 別稿で論じたので詳細は省くが,その結果,1993年連邦憲法時点での98連 邦主体のうち,1994年の連邦中央とタタルスターン共和国との間の権限区 分条約締結以降1998年に至るまでの間において46連邦主体が締結し,そし 12) Двадцать лет Договору о разграничении полномочий (между РБ и РФ)...?
(http://ufa-news.net/politics/2014/08/03/27270.html[2014年 ₉ 月 ₁ 日 閲 覧 ]) . バシコルトスターン共和国では,2006年12月 ₁ 日,民族運動組織のイニシアテ ィヴにより高まりを見せた新たな権限区分条約締結の機運は,1999年連邦法
[2003年 ₇ 月改正]に則した条約手続きを定める大統領令を公布させることに 成功したが,この運動自体を嫌う政権により解散させられた。上記大統領令は 机上の紙に過ぎなかったといえる。2010年に入り,第 ₃ 回全世界バシキール・
クルルターイ(大会)は,連邦中央との連邦関係をより新たな立場で見直す決
議を行ったが,連邦中央はこの決議を非難するとともに,連邦政府批判を禁じ
た。そして,時の М. ラヒーモフ(М. Г. Рахимов)大統領はこうした事態を招
いた責任をとらされ,時のメドヴェージェフ連邦大統領により事実上更迭され
た。代わって大統領に就任した Р. ハミートフ(Р. З. Хамитов)大統領は,バ
シキール民族センターなどの組織が相互的な権限区分条約の締結の必要性とそ
のための措置をとるよう繰り返し訴えるにもかかわらず,バシコルトスターン
と連邦中央との連邦関係の問題を一度も提起せず,今日に至っている。
表 権限区分条約締結・破棄・独自条約手続き法制定日
連邦主体 条約締結日 条約破棄日 条約手続き法 制定の有無 タタルスターン共和国(タタルスタ
ーン) 1994. 02. 15 ─ 2008. 09. 05 バシコルトスタン共和国 1994. 08. 03 ─ 2006. 12. 01 サハ(ヤクーチヤ)共和国 1995. 06. 29 ─
*─
ウドムルチヤ共和国 1995. 10. 17 ─ ─
スヴェルドロフスク州 1996. 01. 12 ─ 1998. 07. 16;
2005. 10. 28 イルクーツク州 1996. 05. 27 ─ 2000. 04. 06;
2009. 12. 09 ウスチ─オルディンスキー ・ ブリャー
ト自治管区 1996. 05. 27 ─ ─
チュヴァシ共和国─チュヴァーシヤ 1996. 05. 27 ─ ─
クラスノヤルスク地方 1997. 11. 01 ─ 2014. 01. 31 タイムィル(ドルガノ─ネネツ)自治
管区 1997. 11. 01 ─ ─
エヴェンキ自治管区 1997. 11. 01 ─ ─
モスクワ市 1998. 06. 16 ─ 2001. 03. 28 アストラハン州 1997. 10. 30 2001. 12. 21 2006. 04. 24 オムスク州 1996. 05. 19 2001. 12. 21 1996 . 12. 31;
2002; 02. 04 ペルミ州 1996. 05. 31 2001. 12. 21 ─
コミ─ペルミャーク自治管区 1996. 05. 31 2001. 12. 21 ─ ウリャノフスク州 1997. 10. 30 2001. 12. 31 ─ マリー・エル共和国 1998. 05. 20 2001. 12. 31 ─ キーロフ州 1997. 10. 30 2002. 01. 24 ─ マガダン州 1997. 07. 04 2002. 01. 30 ─ チェリャビンスク州 1997. 07. 04 2002. 02. 02 ─ サラトフ州 1997. 07. 04 2002. 02. 09 ─
ブリャーチヤ共和国 1995. 08. 25 2002. 02. 15 2010. 05. 11
トヴェリ州 1996. 06. 13 2002. 02. 19 ─
コストロマ州 1998. 05. 20 2002. 02. 19 ─
サマーラ州 1997. 08. 01 2002. 02. 22 2007. 10. 09 ヴォロネジ州 1998. 05. 20 2002. 02. 22 2008. 06. 04 イヴァノヴォ州 1998. 05. 20 2002. 02. 26 ─
サハリン州 1996. 05. 29 2002. 03. 04 ─ ロストフ州 1996. 06. 11 2002. 03. 15 ─ アルタイ地方 1996. 11. 29 2002. 03. 15 ─ ヴォログダ州 1997. 07. 04 2002. 03. 15 ─ ヤロスラヴリ州 1997. 10. 30 2002. 03. 15 ─ アムール州 1998. 05. 20 2002. 03. 18 ─
*オレンブルグ州 1996. 01. 30 2002. 04. 04 ─
サンクト─ペテルブルグ市 1996. 06. 13 2002. 04. 04 1997. 07. 17 ニジニ・ノヴゴロド州 1996. 06. 08 2002. 04. 06 ─
クラスノダール地方 1996. 01. 30 2002. 04. 12 2010. 04. 05 レニングラード州 1996. 06. 13 2002. 04. 18 ─
コミ共和国 1996. 03. 20 2002. 05. 20 ─
カリーニングラード州 1996. 01. 12 2002. 05. 31 1996. 08. 01 カバルジノ─バルカリヤ共和国 1994. 07. 01 2002. 08. 08 2000. 01. 15 ブリャンスク州 1997. 07. 04 2002. 08. 09 ─
ハバロフスク地方 1996. 04. 24 2002. 08. 12 2000. 04. 26 北オセチヤ─アラニヤ共和国 1995. 03. 23 2002. 09. 02 ─
ムルマンスク州 1997. 10. 30 2003. 05. 20 2003. 06. 24
【凡例】⑴表は破棄日を規準に列べてある。
⑵ 条約を締結した連邦主体は46であるが,①ペルミ州及びペルミ州とコミ─ペルミ ャーク自治管区,②クラスノヤルスク地方,タイムィル自治管区及びエヴェンキ 自治管区,並びに③イルクーツク州及びウスチ─オルディンスキー・ブリャート自 治管区は,各々共同で連邦と条約締結を行ったことにより,締結された条約数は 42となる。
⑶ サハ共和国(Республика Саха (Якутия)):「条約破棄日」欄のアステリスクは,
2002年 ₄ 月29日決定で,連邦憲法に抵触する一連の条項を破棄したかたちでの条 約再締結を示す。
⑷ アムール州:「条約手続き法欄制定の有無」のアステリスクは,法案が審議されて いたことを示す。
てこれらにより締結された条約数は42であった 13) 。そのうち2001年12月 から2003年 ₅ 月の間に,34連邦主体により34の条約がその効力を停止し た,すなわち失効した(後述するように,サハ共和国の改正条約は一部失 効を内容とする現行条約の改正である) 14) 。
多くの連邦主体が連邦中央との関係で抱いた権限区分条約へのいわば期 待といった点に基づいて予想するならば,第一の選択肢が何よりもまず選 択される(すなわちもっと多く選択される)はずである。しかし,この選 択肢を選んだ連邦主体は,サハ共和国のみであった。サハ共和国は,形式 上は当時の法制度に則した方針のもとに条約見直しを行い,条約改正を行
13) 拙稿「ロシア連邦─ロシア連邦主体間の条約関係の法規制について」(『比較 法雑誌』,第47巻第 ₂ 号」,2013年),第 ₂ 章参照。なお,表中,条約締結主体 数(46)と条約締結数(42)が相違しているが,それは,①クラスノヤルスク 地方,タイムィル自治管区及びエヴェンキ自治管区,②イルクーツク州及びウ スチ ─ オルディンスキー─ブリャート自治管区が,それぞれ共同して連邦中央 と条約を締結したことによる。
なお,これら連邦主体は,その後,以下のように合併した。
① 2005年12月 ₁ 日,ペルミ州とコミ─ペルミャーク自治管区との合併により,
新連邦主体としてペルミ地方の戧設
② 2005年10月14日,クラスノヤルスク地方,タイムィル自治管区及びエベンキ 自治管区との合併により,新連邦主体としてクラスノヤルスク地方の戧設
③ 2006年12月30日,イルクーツク州とウスチ ─ オルディンスキー・ブリャート 自治管区との合併により,新連邦主体としてイルクーツク州の戧設 14) 権限区分条約の破棄数を34としたことについては,次の事情による。本文で
示したように,プーチン大統領の教書において2002年 ₄ 月18日のレニングラー
ド州との効力停止条約締結までの27が確定されている。それ以降,幾つかのデ
ータベースにより追跡調査をした結果,2003年 ₅ 月までに新たに ₇ つの連邦主
体による条約破棄が判明し,破棄主体総数は34となった(サハ共和国の条約の
一部破棄による改正条約も発見されたが,これについては効力停止条約とは見
なさなかったことについては,本文参照)。しかし,これ以降,残りの連邦主
体について連邦全体および連邦主体の各種の法データベースの検索調査を改め
て行ったが,効力停止条約締結の確認はできなかったため,33を破棄主体数と
して確定した。
ったのであった。すなわち,現行条約のうち連邦憲法に抵触する一連の条 項を破棄する条約(2002年 ₉ 月26日条約「ロシア連邦国家権力機関とサハ
(ヤクーチヤ)共和国国家権力機関との間の管轄対象及び権能の区分に関 する条約への修正及び導入について」)を連邦中央との間で改めて締結す ることで,1995年 ₆ 月29日に締結された条約を維持したのである(条約と いう形式をとっているが,現行条約の改正という点で,上述したタタルス ターン共和国の2007年条約と相違する) 15) 。
また,タタルスターン共和国を含む11連邦主体(条約締結主体全体の 23.9%)は第三の選択肢を選んだ。これらの連邦主体は結果として条約破 棄のための条約を締結しなかったグループであるが,すべてが明確な意思 のもとに効力停止条約に反対したわけではない 16) 。しかし,タタルスタ
15) 2002年 ₉ 月26日条約(「ロシア連邦国家権力機関とサハ(ヤクーチヤ)共和 国国家権力機関との間の管轄対象及び権能の区分条約への修正に係る条約 До- говор о внесении изменений в Договор о разграничении предметов ведения и полномочий между органами государственной власти Российской Федерации и органами государственной власти Республики Саха (Якутия)」)のテキストにつ いて,see, http://zakon.scli.ru/ru/legal_texts/legis lation_RF/extended/index.
php?do4=document&id4=87d74e81-c192-47d7-83d1-44974f392740[2014年 ₈ 月20 日閲覧] . また,改正後の権限区分条約(О разграничении предметов ведения и полномочий между органами государственной власти Российской Федерации и органами государственной власти Республики Саха (Якутия))のテキストにつ い て,see, http://zakon.scli.ru/ru/legal_texts/legislation_RF/index.php?do4=
document&id4=ddd7340f-7ed3-43ff-a118-a5315db7e930[2014年 ₈ 月20日閲覧] . 条 約継続と関連して,1995年に締結された政府間協定については,すでに2000年 12月25日に1999年 ₆ 月25日連邦法に則して新たに「議定書(Протокол)」を取 り交わし, ₅ 年間の延長を定めていた(http://zakon.scli.ru/ru/legal_texts/
legislation_RF/extended/index.php?do4=document&id4=65824699-d981-4a4e- 8e65-3d0d22654e39[2014年 ₉ 月 ₁ 日閲覧])。
16) たとえば,クラスノヤルスク地方は,結果として効力停止条約を締結しなか ったものの,2002年 ₇ 月 ₉ 日の地方立法議会決定「1997年11月 ₁ 日調印のロシ ア連邦国家権力機関とクラスノヤルスク地方,タイムィル(ドルガノ─ネネツ)
自治管区及びエベンキ自治管区の国家権力機関との間の管轄対象及び権能の区
ーン共和国を始めとして,条約再締結を指向して効力停止条約を締結しな かった連邦主体が確かに含まれていた 17) 。
「表」が示しているように,多くの連邦が選んだのは,第二の選択肢で あった。条約を破棄した連邦主体は36で全体比78.3%である。そのうち沿 ボルガ連邦管区が最も多く, ₉ 連邦主体が効力停止条約を締結した。破棄 率は破棄主体全体の25%であるが,連邦管区では69.2%である。この比率 は, ₂ 締結主体中 ₁ 連邦主体が破棄したウラル連邦管区を除けば,最も低 い率である。沿ボルガ連邦管区はもともと,管区内の全15連邦主体中13連 邦主体が条約締結主体であった。権限区分締結主体数(13)及び比率
(28.3%)並びに管区内での締結率(86.7%)において,いずれも連邦管区 中一位である。ちなみに,締結主体数で第二位がシベリア連邦管区で8 連 邦主体(17.4%)である(連邦管区内での締結主体率で第二位は北西連邦 管区で54.5%(6主体)である)。これらの数字は,タタルスターン共和国 を含むこの地域が,まさに条約締結パレードの出発点であったことを示し ている。そして,数年後には,同じこの地域は条約破棄主体数において最 も多い地域となるのである。こうした状況をもたらした要因は,やはりイ ニシアティヴであり,すなわち,ペルミ州など条約破棄のイニシアティヴ 分条約について О Договоре о разграничении предметов ведения и полномочий между органами государственной власти Российской Федерации и органами госу- дарственной власти Красноярского края, Таймырского (Долгано-Ненецкого) и эвенкийского автономных округов, подписанном 01.11.97」により,効力停止条 約の締結を行政府に要請した(決定について,see, http://krasnoyarsk.news- city.info/docs/sistemsl/dok_pegfzi.htm[2014年 ₉ 月10日 閲 覧 ])。 ま た 中 馬・
前掲論文では,スヴェルドロフスク州,ウドムルチヤ共和国,及びイルクーツ ク州は,条約破棄に消極的であったと理由が述べられている(115─117頁,参 照)。
17) М. ガレーエフ(М.Галеев)によれば,最大で ₅ つの連邦主体がこのような 主張を行ったとされる。См. Марат Галеев, Договорное разграничение порномо- чий между органами государственной власти РФ и РТ как одна форм развития федерализма в России, в кн. Политико─правовые ресурсы федерализма в России.
Казань,2006, стр.261.
を担った一連の連邦主体がこの地域に存在していたことであった。
そして,沿ヴォルガ連邦管区を含む多くの連邦主体が第二の選択肢をと ったのは,これらの連邦主体指導者がもっぱら政治的観点から従来の条約 への対応を見直したことに拠っていたと指摘することができる。つまり,
2001年以降,サラトフ州,オムスク州,ペルミ州,ウリャノフスク州,マ リー・エル共和国などの一連の連邦主体指導者の中から,条約破棄により 生じる不利益を認識しつつも,既存の条約は連邦法に抵触するようになっ たとかその現実的意義を果たし終えたとかを理由にして,条約破棄を認め る発言がなされるとともに,そうした趣旨のもとに大統領宛に条約破棄を 要請する書簡が送られたりしたのである 18) 。それとともに,こうした指 導者の対応に,後述する連邦レベルでの権限区分構想をめぐる作業の展開 を意識した,政治的日和見主義的立場を指摘することも可能である。シャ イミエフタタルスターン共和国大統領は,一部の連邦主体のこうした条約 破棄の傾向を評して,タタルスターン共和国が条約を締結したのであれば 我々がそうしない理由があろうかといったように,条約締結が多分にムー
18) たとえば,2001年 ₁ 月のオムスク州知事の発言(Омская область. Договор о разграничении полномочий с Москвой будет отменен как не соответствующий федеральному законодательству.:www.regions.ru/news/402140/[2014年 ₈ 月15 日閲覧]),同 ₇ 月の沿ボルガ連邦管区所属の ₄ 連邦主体指導者(Д. アヤーツ コフ(Д.Аяцков)サラトフ州知事, Л. マルケーロフ(Л.И.Маркелов)マリー・
エル共和国大統領,В. シャマーノフ(В.Шаманов)ウリャノフスク州知事,
И. スクリャーロフ(И.Скляров)ニジニ・ノヴゴロド州知事)の発言(Беспо- лезная инициатива приволжских губернаторов :http://www.ng.ru/ politics/2001─
07─10/1_initiative.html[2014年 ₈ 月15日閲覧])参照。また,Ю. トルートネフ
(Ю.П.Трутнев)ペルミ州知事が条約破棄過程のイニシアティヴをとったことに ついて, см. Договоры между Российской Федерацией и ее субъектами. М.:Издательство МГУ. 2001,стр.54. もっとも ₈ 月10日にペルミで開催された沿ボルガ連邦管区 指導者協議会では,権限区分条約の破棄を連邦管区の統一意見とする彼のイニ シアティヴは,必ずしもすべての指導者に支持されたわけではなかったといわ れる。См. ГУБЕРНАТОРЫ СКАЗАЛИ: “АХ!” (http://www. newsko.ru/articles/
nk-217838.html[2014年 ₈ 月16日閲覧]) .
ド的に行われたこと,このことが多くの連邦主体において条約破棄が簡単 に行われた理由であると批判した 19) 。
それでは,第二の選択肢においてとられた権限区分条約の破棄は如何な る手続きで行われたのであろうか。それは,権限区分条約を締結した当事 者によりこの条約を破棄する条約を新たに締結するという手続きによって である。すなわち,既存の権限区分条約は,すでに述べたように,「管轄 対象及び権能区分条約の効力停止について」という名の条約によって破棄 されたのである 20) 。条約名称は当事者名を除けば36すべて同一である。
19) シャイミエフ大統領による条約破棄過程に関する評価について,2003年 ₈ 月 29日~ ₉ 月 ₄ 日に行われた「東方特急」紙とのインタビューを参照。См. М.
Ш. Шаймиев, Татарстан-прогрессчерез стабильность. Казань: 《Идел-Пресс》 . 2005, стр. 252.
20) 以下に,マリー・エル共和国及びオムスク州の失効条約を例示する。
① ロシア連邦国家権力機関とマリー・エル共和国国家権力機関との間の管轄対 象及び権能の区分条約の効力停止に関する条約
1998年 ₅ 月20日にモスクワ市で調印されたロシア連邦国家権力機関とマリ ー・エル共和国国家権力機関との間の管轄対象及び権能の区分条約の目的が 達成されたことに鑑み,本条約が以下のとおり締結された。
第 ₁ 条 1998年 ₅ 月20日にモスクワ市で調印されたロシア連邦国家権力機 関とマリー・エル共和国国家権力機関との間の管轄対象及び権能の区分条約 は,本条約の発効の日から効力を停止する。
第 ₂ 条 本条約は,ロシア連邦及びマリー・エル共和国の公式出版物によ り公表され,かつ公表の日から発効する。
2001年12月31日,モスクワ市においてロシア語及びマリー語(草原マリー 語及び山岳マリー語)で ₃ 部作成され,それぞれ同一効力を有するものとす る。
ロシア連邦大統領 マリー・エル共和国大統領 ヴェ・プーチン エリ・マルケーロフ
(См. 《Российская газета》 , 21 февраля 2002 г.)
② ロシア連邦国家権力機関とオムスク州国家権力機関との間の管轄対象及び権 能の区分条約の効力停止に関する条約
1996年 ₅ 月19日にモスクワ市で調印されたロシア連邦国家権力機関とオム
スク州国家権力機関との間の管轄対象及び権能の区分条約の目的が達成され
またその体系もすべて同一で,前文及び ₂ か条からなる。前文は失効条約 締結の趣旨について述べ,かつて締結された「権限区分条約の目的が達成 されたこと」を理由に,権限区分条約それ自体(全体)を失効させるもの とされた。第 ₁ 条はこの条約発効日から権限区分条約が効力を停止するこ とを定め,そして第 ₂ 条は効力停止条約の締結日及び発効日について定め る。これらのことから,この条約を締結するという行為それ自体が重要で あったことが窺われる。そして,条約によって条約を破棄するという行為 が,権限区分条約の破棄が決して上からの一方的な行為(連邦法による)
ではなく,あくまでも当事者間の合意でなされたことの体裁を取り繕うも のであること,その意味での政治的行為であったということもまた窺え る。
このようにして,1994年にタタルスターン共和国との権限区分条約に端 を発して形成された連邦関係,とりわけ連邦中央─連邦主体間の権限区分 関係の問題を処理するうえで重要な役割を担ってきた権限区分条約は,同 じ沿ヴォルガ連邦管区の一部の連邦主体のイニシアティヴによってその存 在意義を見直され,多くの連邦主体において条約という同一形式による破 棄に帰結したのである。これは,連邦中央主導のもとにこの間進められて きた連邦法による条約規制に対する連邦主体の側の一つの対応であった が,他面では連邦中央の連邦法による条約規制路線に棹さす意味を持って
たことに鑑み,本条約が以下のとおり締結された。
第 ₁ 条 1996年 ₅ 月19日にオムスク市で調印されたロシア連邦国家権力機 関とオムスク州国家権力機関との間の管轄対象及び権能の区分条約は,本条 約の発効の日から効力を停止する。
第 ₂ 条 本条約は,ロシア連邦の公式出版物により公表され,かつ公表の 日から発効する。
2001年12月21日,モスクワ市において ₂ 部作成され,それぞれ同一効力を 有するものとする。
ロシア連邦大統領 オムスク州知事 ヴェ・プーチン エリ・ポレジャーエフ
(См. 《Российская газета》 , 2 февраля 2002 г.)
いたのである。
⑶ 条約手続き法の制定