生世界論 I : 生きられた世界の構造に関する試論
その他のタイトル On the Structure of the Life‑world
著者 木村 洋二
雑誌名 関西大学社会学部紀要
巻 8
号 2
ページ 119‑139
発行年 1977‑03‑28
URL http://hdl.handle.net/10112/00023124
生 世 界 論
I―生きられた世界の構造に関する試論—
木 村 洋
人間は,<意識>をもたずにシステムとして自らを維持していくことはできない。そして社会 もまたこの人間の<意識>に支えられることなく存続していくことはできない。ということはす なわち,この<意識>現象こそ,人間=社会システムの反エントロビカルな自己構成過程
1)にと って最もプライマリーな情報現象
2)であることを意味しているといってよい。
当然,人間=社会システムの科学の自己展開にとってもまた,この<意識>なる情報現象のも つトークルな構造と機能を解明することが最もプライマリーな課題でなければならない。いうま でもなく現代の自然科学は,この情報現象が複雑にシナプス結合した百数十億の大脳皮質ニュー ロン系のインパルシヴな回路機能であることを明らかにしつつあるが,しかし,このような要素 . .
分析的な自然科学的アプローチのみによって<意識>機能全体を解明することはニューロン回路 自体のもつ構造的繊細さと機能的相互依存性のためにほとんど不可能であるように思われる。
しかしだからといって<意識>現象を科学的に解明しようとする試み全てを断念してしまう必 要はない。なぜなら,幸いにしてわれわれの脳は,多かれ少かれ<意識>現象それ自体について 意識する能力をもっているからである。すなわち,われわれはみずからの<意識体験>を直接的 に把握し,それを現象学的
3)に記述することによって,いわば<意識>現象に関するプロトコル 命題を構成することが可能なのだ。とすれば,このようにして得られた諸々の現象学的観察命題
1) ある種のオープン• システム, たとえば炎や生命体は,環境との相互作用を通じて自らのエントロビー 量を一定に維持するか,もしくは減少せしめていくことができる。いうまでもなく, 人間個体および人間 社会(人間=社会システムなる用語はこれら二つのシステムの密接な機能的相互依存関係を含意するため に用いられている)はこれらのシステムのうち最も高次のレベルに属している。
(cf. Boulding 1970, Bertalanffy 1968,木 村
1975等 ) 。
2)システムの自己維持は, 個有の制御機能をもつなんらかの情報的現象, すなわち物質・エネルギーのも
つ時間的•空間的・定量的・定性的な一定のパターンの連関によって可能となる。なおシステムと情報の 概念については吉田民人
1967, 1971,沢田允茂
1969および青井和夫
1974の諸論文を参照されたい。
3)
いうまでもなく現象学
(Phenomenology)とは
Husserl1913, 1931, 1936によってその基盤を与えら れたある種の学問的方法である。その目的と方法をめぐってこれまで多くの解釈と独自の展開(たとえば 主なものだけでも
Scheler1923, Heidegger 1927, Jaspers 1913, Bingswanger 1947, Sartre 1943等 々)が行なわれてきたが,本稿ではともかく, . . . . . この現象学的記述の方法は科学的仮説構成の方法と異なる ものではあっても,決して相入れないものではないと理解しておきたい。すなわち,現象学的方法は,<意 識>現象という研究対象に関する限り, 目下のところそれをそのまま捉えうる唯一の方法であるという点 で , 分析•還元的思考に対して手l順上のプライオリティを与えられるに過ぎない。当然,このようにして 捉えられた特定の意識体験が何故に生じうるかという問題に関しては,単なる現象学的記述とは異った,
なんらかの仮説構成作業が必要となる。
関西大学『社会学部紀要』第 8 巻第 2
号を精神病理学的デークによって補いつつ,それらをより体系的な形で演繹的に導出しうるような
<意識系>の構造と機能を仮説することは,原理的にいって決して不可能ではないだろう。本稿 は,まさしく,機能的系理論の旗のもとにこの<意識>すなわち人間=社会システムの<心臓>
に突撃しようとするひとつのドン・キホーテ的試みにほかならない。
以下では,まず,人間システムにおける最もプライマリーな情報現象であるところの<意識>
が,現象学的に主体に対して一定の意味性を滞びて顕現し,しかも直接に体験されるところの場
—情報連関の系を,主体によって直接に生きられる世界,略して生世界4) とよび,その構造的 組成とトポロジカルな性質に関して一連の仮説を提示したい。
I
生 世 界 の 構 造
<生世界とは,差分的な形で実体化された諸々の存在項と,それらが相互におよび主体に対し てもつところの,効理的•生活的・情緒的・理念的な意味連関によって構成される主体収敏的パ ースペクティヴ構造である。>
I‑1
生世界と存在項
I‑1 (1)
実体化と存在性 . . . . . . . .
ある,名辞的に指示された項
II)が,それ自体で存在する同一的な実体として意識にリアルに現
. . .
前するようになった時,この項は実体化されている
6)という。この実体とはあくまでも意識体験 のレヴェルにおける存在であり,それが物質・エネルギー的対応物をもっているか否かは直接的 には問題ではない。たとえば<神>ゃ<家>といったものが確呼とした明証的存在として体験さ れる場合,それは実体化されているのであり,逆にそのようなものは単なるフィクションにすぎ ないと思われるような場合にはそれは実体化されていないのである。ただし,経験的には,実体 化されるのは機能連関系における機能体・被機能体であることが多い
1)。神などの観念が実体化
4)
このように主体によって直接に体験
(expirience:Laing 1. . . . . .
9.
67)
され,生きられる
(v釦
u:Minkowski 1933)ところの生世界
(Lebenswelt,life‑world)を学的関心の対象として設定したのは,やはり
Husserl 1936(訳書
pp.143ff)である。なお本稿では「生活」を衣食住に限って独得の意味で用いる故, 敢えて
「生世界」の訳語を選んだ。
5)
この「項」とは, いわゆる「対象」とよばれるものであるといってよいが, それが意識に外在するもの ではなく,大脳のニューロン回路に内在する情報的貯蔵体であることを明示するために敢えて「項」とよぶ。
6)項の客体性もしくはニューロン回路に対する外在性を起点に考えれば,
この<実体化>は逆に<内在化
introjection>と呼ばれうる。そしてその場合<実体化された項>とは
"introjects"(Schafer 1968.
p.
..
1.
6)
であるといってよい。しかし,このようにして
internalizeされるものが, 意識の外に必ずしも存在して いるとは限らない故,本稿ではより一般的な概念としてく実体化>を用いる。
7)機能連関とは, ある事象(被機能体)が一定のパターンに制御されるに際して, 他の諸要因(機能体)
が因果的にもってくるプラスーマイナスの機能的な連関を意味している。なお, この機能連関の構造は,
被機能体の制御目的値(許容値)のとり方と,被機能体をとりまく因果連関の構造という二つの要因によ って決まってくる(詳しくは木村
1975a)。
ちなみに機能体・被機能体以外に,機能連関そのもの(もしくは意味連関それ自体)およびその「結節」
も実体化されうる。なおこの<実体化>の概念は廣松渉
1972, 1975の「物象化」概念に近い。
されるのもおそらくその観念自体潜在的もしくは顕在的になんらかの機能を果しているが故であ
る 。 . . . .
ところで,このようにある対象がリアルに存在しているとして体験される場合のそのリアリテ
. . . . . . .
ィの度合—それを存在性とよぽう一ーは,可変的であることに注意する必要がある s) 。すなわ ちいろいろな対象は,弱い影のような微弱で不安定なものから,確固として充実したものまでそ れぞれ異ったリアリティ=存在性の度合をもちうるのである。たとえば<自己>の存在は,充全 な存在性を滞びた実体として体験されることが多いが,見知らぬ人や単なる知己はそのような充 実した存在性を滞びて体験されるとはいいがたい。また,さらに,同一の対象についても通時的 にその存在性が変化して体験されうる。たとえば「友情を深める」といわれるように,あるヒト が以前より充実した存在性を滞びて現前してくるようになることがあるし,また,個人を越えた 強固な実体として体験されていた制度たとえば<家>などが,時代の流れとともにその実体性を 失い,単なる虚構の構成体としてしか体験されなくなるような場合もあるのである
9¥I‑1 (2)
物体項と主体項
実体化された項のなかには,それ自身でなんらかのメッセージ
10)を発しうるものとして主体 によって捉えられているものと,それ自身ではメッセージを発しえないと考えられているものが ある。前者を主体項,後者を物体項,両者を合わせて存在項とよぶ。あるいはコミュニケーショ
8)精神病理学者島崎敏樹は,分裂病の患者においては,「存在性に触れる」ことができず,
「実在感それ自 体が喪失する」ことを指摘し,それを人格解体を含む離人症
Depersonalizationから区別して
Derealiza‑ tionと呼んでいる
(1976p. 103)。この
Derealization現象の存在は,逆に,正常時には本稿でいう心的 実体化の機能一ーそれを
Realizationとよんでよいだろう一ーが働いていることを証拠立てているといっ てよい。
なお, このような, 内的に体験される<リアリティ>に関する研究はそう多くはないが全くなかったわ けではない。たとえば現象学者
Spiegelberg1975は,主体に外在する Realityと,主体において
realに
presentするところの
Reality‑Phenomenonについて精力的に考察しているし,また
Schutz1945は
James1890の
subuniverses論
(pp.283ff.)を敷術して,
life‑worldを構成する多元的
realitiesについて論じている。さらに近くでは
Berger1967ゃLaing1960, 1967,市川浩
1975などがより実質的 な理論展開を導きつつある。
ところで,このような
reality‑phenomenonすなわち
realizationを可能とするメカニズムに関するほ とんど唯一の仮説として精神医学者
Federn(1961)のカセクシス理論がある。すなわち, 彼によれば自 我カセクシスのリビドー的要素の減弱によって離人感が体験されるという。 とすれば当然, 逆にその増強 は自己存在感の充実をもたらすことになるだろう。 目下のところそれを検証すべき実証的方法は何もない が,このカセクシスによる
realization仮説は,それを敷術することによって存在性体験,不安体験, 非 存在体験を統一的に説明しうるという点で無視できないものをもっているように思われる。 もっとも, . . . こ のカセクシス理論を発展させるためには, リビドーを物質・エネルギー的閉鎖系として実体化した . . . .
Freud 1917の立場を廃棄し,それを心的機能として,すなわちなんらかの要因ーーおそらく自己一他者のコミュニケーション一ーによって減弱ー増強しうる開放的な機能のシステムとしてとらえなおす必要があろう。
9)
もちろん生世界に顕現する実体化された項は, その存在性のみならず同一性そのものも変化する, すな . .
わち生成・転変・消滅しうる。 しかし, 本稿の関心は生世界の構造にしぼられているのでこれらの過程に ついては立ち入らない。
10)
このメッセージは, 通常なんらかの物質・エネルギー的媒体たとえば表情•感触• まなざし・ふるまい
・言葉•象徴等を介して主体に到達する(木村 1976
p. 26)のであるが, その媒体の意味すなわちメッセ
ージの内容は第
1義的に受信者の解読コードに依存していると考えられる。
関西大学『社会学部紀要」第 8 巻第 2 号
ンの可能な,すなわちコミュニカプルな存在項を主体項,コミュニカプルでない存在項を物体項 とよぶといってもよい。なお,ここでいうコミュニケーションとは,ある存在項から発せられたと して主体によって受けとめられたメッセージが,その主体の生世界に対してなんらかの影響すな わち存在性や意味連関の変動をもたらすときにはじめて成立するものとして考えられている
11)。 逆にいえば,情報の授受が行われても主体の生世界がなんの影響もうけないような場合には,コ
ミュニケーションは行われていないと考えるのである。
いうまでもなくヒトにとってコミュニカプルであるのは何よりもまずヒトであるから,主体項 とはだいたい自己,他者,集団であると考えてよい。ただし,たとえば都市ですれ違うヒトがそ うであるように,すべてのヒトがコミュニカプルであるわけではない。コミュニカプルなヒトの みが他者とよばれうるのである。さらに,ヒト以外のものがすべて物体項として現われるわけで もない
18)。アニミズムにおいては自然物が何事かを語りかけうる主体項としてとらえられてい るし,われわれ現代人も潜在的には自然物や動植物の形や表情からなんらかのコミュニケーショ ナルな影響を受けていることが少くない。
おそらく,存在項として何々を措定し,さらにそれらをどのようにして主体項と物体項に区別 するかは,基本的に,文化体系によって設定される一定のカテゴリー枠組によって決定されると いうことができるだろう。近代の自然科学的世界観は,ヒトのみを唯一の主体項として措定し,
他をすべて主体の<対象>でしかないところの物体項とみなす傾向があるが,それはあくまで単 . . . .
なるひとつの枠組であるに過ぎないのである
u)oI‑1 (3)
生世界の中心と辺境
諸々の存在項は,直接にはその存在項が付与された存在性の度合に応じて,主体の周囲に配置 される。すなわち,より大きな存在性を滞びた項は生世界のより中心部に,より小さな存在性を 滞びた項はより周辺部に定位される。いうまでもなく,持続的に最も強い存在性を滞びて現前す
11)
より詳しく言えば, 一定のメッセージを受信したために, その解読者の生世界においてなんらかの存在 項の概念規定もしくは存在性の変動(維持•強化も含む)か, あるいはそれらの意味連関の変動(維持・
強化も含む)が引き起される場合に,コミュニケーションが成立したと考えるのである。ちなみに,主観 ー他者(市川浩1
968p. 247)のまなざしのもとで体験される<羞恥>は,コミュニケーションにおける最も根源的な体験のひとつである
(cf.作田啓ー1972,pp. 295ff.)。
12)
これらが主体項として現われやすいのは, まさしくそれが,一定の主体性のもとに要件充足を行いつつ
(木村1
975),エンピリカルな実在として自らを維持していくところのパーソナリティ系と集団系に記号的 に対応しているからである。 . . . . . .
13)一般的に,主体項の物体項化を物象化 (reification),逆に物体項の主体項化を物神化 (deification)と
規定することができるだろう, 現代では, よく言われるように,主体項としてのヒトの物体項化すなわち 物象化と, 物体項としての貨幣や役割の主体項化すなわち物神化が相補的な形で進行している。なお,こ の物象化と物神化は, それが行われている当人の生世界においては何らの問題性をも意識させないという 点で,より深刻な問題となりうる。ちなみに,
Lukacs1923(訳書
pp.159ff)の物象化論は,主要にはこの主体項の物体項化という文脈で捉えることができるように思われる。
14) Castaneda 1968はこの文脈で興味深く読むことができる。なお Levi‑Strauss1962も参考になる。
るのは普通<自己
>15)である。 . . . . . . . .
さて,このような生世界における存在性の斜面構造においては,中心部に位置する存在項には より大きな関心と配慮がそそがれ,周辺部に位置する存在項にはより少い関心がそそがれる傾向 がある。たとえば,同じ人間であっても,親友のような中心部の他者には,単なる知り合い程度 の周辺部の他者に対するよりも圧倒的に大きな配慮関心が示されるのが普通である。つまり,生 . . . . .
世界においては,中心から辺境に向う関心,特に個別主義的な関心の流れ
16)が存在するという ことができる。
さらに,これと対応して,生世界においては,より中心部に存在する項が辺境に位置する項よ . .
りもより大きな影響を及す傾向がある。たとえば,同じ事を言うにしても周辺部の他者が言うの と中心に近い他者が言うのでは,その影響力すなわちコミュニケーション効果に大きな違いがあ ることが多いし
17),あるいはまた, 周辺部の他者の死よりも, 中心部のペットの死とか器の破 損とかの方が,より大きな影響たとえば悲しみをもたらすといったこともありうるだろう。
このように,諸々の存在項は,それが中心から辺境へと傾斜する存在性の斜面構造において占 める位置に応じて関心を注がれ,また影響をおよぽしつつ,それぞれ生世界の構造基体を形成・
支持していると考えられる。なかでも最も中心部に位置する他者は
18),それへの配慮関心の強 さとそれからの影響力の大きさという点で際立っていることが多く,自己とともに生世界を支え る要石として,まさに
significantな役割を果しているといってよい。
1‑2
生世界と意味連関
意味連関とは,主体に向って収敏するような形で構成された意識レベルの情報連関をいう。従 って,定義上,意識に直接顕現しないような情報,たとえば「抑圧されたもの」
19)は生世界にお いて意味連関をもつことはできない。また, 意識に顕現する情報であっても, たとえば「丸暗 記」のように主体にとってもつ連関が明らかでないようなものは,`やはり生世界における意味連
15)
この<自己>とは, 意識主体によって自らの存立基盤として直接に体験されるところの存在項を意味し ている。 これに対し意識主体とは, 意識機能がそれによって統御されると同時にそこへ収敗していくとこ ろのひとつの機能的な特異点を意味している。あるいは<自己>とは意識によって実体化された意識主体 であるといってもよい。要するにこの<自己>は体験される限りにおけるものであって, それ自体が主体 として意識をもっているわけではない。原理的には,主体は<自己>について意識できると同様に<他者>
についても意識することができる。なお, 通常の状態では意識主体と自己体験は後者によって前者が支え られるという形で密接に連関しているが, 病理的なケースにおいてはこの両者が分離して体験されうる。
分裂病患者がしばしば行うところの,「<私>=(意識主体)は<私>=(体験される自己)でない」という 苦渋に満ちた現象学的記述はおそらくこの分離を言い表わそうとするものにほかならない。
16)いうまでもなく,
コネやエコヒイキという現象は生世界におけるこのパティキュラリスティックな関心 の流れのトポロジカルな構造に由来している。
17)オヒ°ニオン・リーダー
. . .
(Katz& Lazarsfeld 1955)とは,まさしく,一定の人々の生世界に共通してこ のように影響力ある位置を占めている他者のことをいうのである。
18)いうまでもな<,G. H. Mead 1934のsignificantotherがこれにあたる。
19) Freud 1917
。いうまでもなく, 「抑圧されたもの」はそれ自体意味連関はもたなくても, 意味連関に対
して強い「影響」を与えることはできる。
関西大学「社会学部紀要」第 8巻第 2号 関を構成することができない。
さて,存在性の度合に従って生世界の中心から辺境へと配置された諸々の存在項は,相互に, . . . .
および主体との間において,なんらかの意味連関を与えられる,すなわち意味づけられることに よってはじめて,主体をめぐるパースペクティヴ構造
20)のうちに明確な定位をえることができ る。もちろんこの意味連関および意味づけのし方は,パーソナリティ糸を構成する
4つの機能的 次 元
21)に応じてそれぞれ異った形態をとりうる
22)。
まず,
A次元適応目標達成機能においては,諸々の存在項は,それが主体に対してもつ適応上 . . . . .
の効用に従って,有用ー無用・目的一手段といった観点からいわば効理主義的に意味づけられう る。すなわち,この次元の意味連関パースペクティヴは,存在項がもつ効利的・用具的価値の大 小とそれを用いて実際に利をうるための目的一手段的な<合理的>配列
28)によって構成される
と考えることができる。
これに対し, G 次元の生体維持機能においては,存在項は,それが生体との間でもちうるであ ろう生理的機能連関,たとえばそれらが飢え・渇き・痛み・眠け等の感覚動因を引き起したり解 消したりする上において持ち,また持つであろうところの機能に従って意味づけられる。あるい . . .
はそこでは快適さと苦痛の感覚体験に基礎をおく衣食住の<生活的>パースペクティヴ構造が形
20)体験世界がパースペクテイヴ構造として捉えうることについてはすでに哲学者たちによって指摘されて
きた。たとえば,
Husserl1913 (訳書下 p.339), Merleau‑Ponti 1942 (訳書 pp.142ff), Sartre 1943(訳書
Ipp. 148ff)特に
Ortega1957(訳書
pp.95ff)など。ちなみに, Satreの
centrede referenceの概念は,本稿でいう意味連関の収敗点すなわち生世界パースペクテイヴの中心に対応している。(なお,
校正時に目を通す機会をえた沢田允茂1
975の「風景」の概念,市川浩1
975の「パースペクテイヴ」
(p.103)の概念は本稿のそれに極めて近い。)
21)システムとしての人間すなわちパーソナリティ系が一定の環境内で存続していくためには, 第
. . . . . . . . . . .1 (A. . . 次 元)に,環境に働きかけて財を調達し(適応目標達成機能),第
2 (G次元)に,主として生理的欲求の充 . . . . .
足を通じて生体を維持・保全し(生体維持機能),第 3
(I次元)に社会的文化的容体へのカセクシスを通 . . . . . .
じて情緒的エネルギー表出・統合し(情緒統合機能),第 . . . . .
4 (L次元)に,統合価値=公理的価値命題の内 面化と適用を通じてシステムを一貫的に制御し(価値統合機能)ていかなければならない。これら 4つは 機能要件とよばれ, パーソナリティ系はそのいずれを欠いてもシステムとして存続していくことはできな い。(詳細は木村
1977)。なおこれらの機能要件は種々の水準,形態でもって充足されうる。従って,機能 要件を変数, その充足パターンを値と考えれば, パーソナリティ系のある時点において許容できる値の範 囲すなわち充足の水準と形態を決めることができる。 このようにして決められた一定の機能要件の充足許 容値の達成に対して, 環境的諸要因がもってくるところのプラスーマイナスの機能連関のトータルな状況 を如油矢点とよぶ。主体がそれに対して働きかけるべきところのものは, 単なる因果連関の系それ自体で はなく, このように機能連関の相において現われる限りの因果連関であるから, この要件状況こそが,真 に有意味な<現実>であるといってよい。
22)行為理論に関心をよせる精神分析学者Edelson1976は,パーソナリティ系の構成要素として Ego,Id, Super‑Ego, Ego‑Ideal
の
4つをあげ,それぞれ独自のシンボル過程, 独自のシンボル化の様式,シンボ ル過程の独自の規制様式をもつとし,
Freudと
Parsonsを対照しつつ興味深いシンボル論と展開してい る 。 このような問題関心はいうまでもなく, 本稿のそれに極めて類似している。 なお, 彼の
Ego, Id, Super‑Ego, Ego‑Idealは,それぞれ本稿の
A, I, Lおよび<自己性の意識>にほぽ対応している。
23)
この意味連関は,いうまでもなく
Weber1922によって「目的合理的」とよばれたものに相当する。こ
れに対し,
L次元のそれは「価値合理的」,
I次元のそれは「感情連関」(訳書
p.8)とよばれているものに関連していると考えることができる。
成されるといってもよい。
さらに
I次元の情緒統合機能においては,存在項は,それが主体にもたらすところの情緒的快 ー不快体験
24)に応じて,直接,情緒的に意味づけられる。すなわち,ある存在項が親和的で快 いプラスの情緒を換起すれば,その存在項は,それを<好む><愛する>といった形でその情緒 によって直接指向的に意味づけられ,逆に異和的で不快なマイナスの情緒を換起する場合にはそ れを<嫌う><憎む
>25)といった形で,やはりその情緒の無媒介的指向対象として直接に意味 づけられるのである。もちろん,この情緒には種々のヴァリエーションがありうるが,一般的に はそこでは,存在項が換起しまた換起するであろうところの情緒的体験の強弱正負に関連した,
いわゆる<非合理的>意味連関のパースペクティヴが構成されると考えることができる。なお,
以下では主体項に対する情緒的意味連関を<結合的>意味連関,その他の情緒的意味連関を<表 出的>意味連関とよぶ。
次に,
L次元の価値統合機能においては,諸々の存在項は,それが価値命題からみて高等であ . . . .
るか下等であるか,善であるか悪であるかといった形で文字通り価値づけられる。その結果,こ の次元のパースペクティヴは高度にハイアラーキアルな形で構成されることになる。なお,この 価値統合機能は,諸々のレベルの命題すなわち意味連関を公理的価値命題との関連で相互に連関 させ,生世界の多元的パースペクティヴ構造それ自体を<統合的>に構成するという機能も果し ている。
このほか,これら
4つの機能要件を機能的に統合していくフ゜ロセスで派生する<自己性>の意 識
26)も,独自の<意味づけ><意味連関>の様式をもっている。すなわち<誇一恥>の意識に よる意味づけである。この誇一恥意識は
I次元情緒統合機能と密接に関連しているが,しかし, . . . . . . .
それは<意味づけ>に際して<自己性>の意識を媒介とするという点で,ひたすらに直接的な
I次元個有の意味づけと異っている。おそら<'この自己性意味連関は,強力な動機づけの力をも
24)この<快ー不快>は, G
次元の感覚信号レベルの
specificな<快適一苦痛>体験とは区別された,シン ボル・レベルの
diffuseな体験,すなわち対象が全体としてもつ性質に関連して体験されるところの情緒・情態を意味している。 . .
25) <憎しみ>はどちらかといえばマイナスの体験であるにもかかわらず, その対象を回避させるよりはそ
. .
れに接近させるという特異な機能をもっているように思われる。 これに対し,<嫌悪>の場合は対象は回 避されるのが普通である。もしかしたら,<愛>と<憎しみ>は好一悪のような接近一回避の軸ではなく, . . . .
<自己>と<他者>の同化一異化の軸で対応しているのかもしれない。すなわち, <愛する>とは<自 己>と<他者>を存在項として同化する試みで, 逆に<憎む>とはそれから<他者>を異化する試みであ るのかもしれない。おそらく,だから, 愛すなわち同化が強ければ強いほど,異化すなわち憎しみもまた 激しくなるのである。
26)
<自己性>の意識とは
A,G, I, L 4つの機能要件の適合的・両立的な充足をある程度持続的に行うため
に , 派生的に構成された意識過程である。 この<意識>によって他者と区別された自己イメージ・自己観
念が, 多元的機能を媒介的に充足していくに際してのレファレンスとなるのである (詳細は木村 . .
1977)。
な お , . . この意識された<自己性>は, それが文字通り極めて尖鋭な意識であるという点で,即自的・直接
的に体験されるところの<自己>とは異っている。
関西大学『社会学部紀要』第
8
巻第2 号
つ非合理的意味連関を<自己意識>を媒介として合理的・概念的な意味連関へと接合する機能を 果していると思われる。
さて,以上意味連関の特性を機能的次元別にみてみた。仮にもし,
. . . . . . A次元の用具的・効利的な 意味連関を概念的, L次元の価値的な意味連関を理念的とよぶならば, G次元の生活的意味連関 は誠食的, I次元の結合ー表出的な意味連関は泊藷的,自己性の意味連関は怠愉的パースペクテ ィヴであるといってよいかもしれない。
1‑2(2)意味連関の自己展関性
これらの意味連関は,単なる情報連関と異なって,意味上の「不協和」を低減し,協和性を増 大しようとする基本的傾向をもっていると仮定することができる27)。あるいは,意味連関は,
因果連関や機能連関そのものから独立に,それ自体の「適合性」28)を増加させ,自らの情報的整 合性を高めようとして自己展開する傾向をもっているといってもよい。いうまでもなく, この
「協和化」への傾向には,意味連関内部における協和化と意味連関相互における協和化の二つを 区別することができる。前者を整合化,後者を適合化とよぼう。
さて,前者の意味連関内部における整合化は,各機能的次元に個有の形態をもっていると考え
ることができる。まず, G 次元の生理的•生活的意味連関においては,苦痛的な緊張を避け,快
適さを求めるという,いわば<快適化>とでもよべるような整合化の傾向が現われる。これに対 し, 1次元の結合ー表出的な情緒的意味連関においては,和合的で快い情態を求め,異和的で不 快な情態を避けるという傾向,すなわち<快楽化>の傾向が現われる。この快楽化は,いうまで もなく,いわゆる<圧縮>とか<置換>とかを含む非合理的な形態をとって行なわれることが多ぃ
29)。なお,この次元には単なる快楽化への傾向以外に,<憎悪>や<コンプレックス>のよ うな強力な情緒に対して他の情緒的要素が整合化していくという傾向,すなわち<強迫化>への 傾向も含まれている。以上のような感覚的・情緒的な整合化に対し, A次元とL次元の適応的・価値的意味連関にお ける整合化は,概念および命題間の包摂関係の論理的整合化すなわち<合理化>として現象す る。特に前者の適応的意味連関における合理化は,上位命題が下位命題に対して整合化するとい
27)いうまでもなく,この問題に関しては Festingerの著名な研究1957がある。。
28)吉田民人1967。彼は極めて一般的なレベルで「情報」の経験的一理論的, 個人的一社会的「適合化」に ついて論じている (pp.127ff)。
29)いうまでもなく,このような形での意味連関の整合化過程は Freud1900によって「第1次過程思考」
とよばれたものに対応している。これに対し, A•L 次元の整合化は,「第 2 次過程思考」によって阿餌と
なるといえるだろう。ちなみに,人類学者藤岡喜愛
. . .
19.
74.
は人間のイメージに「限られた範囲をもつ閉じた. . . .
輪郭の知覚」イメージと「特異点だけが明瞭で輪郭は閉じていないものの知覚」 (p.54)イメージを区別 しているが,この後者こそまさに Freudの第1次過程を構成する単位情報の特異的な形態ではないかと 思われる。 というのは,<圧縮>や<置換え>は, まさしく<特異点イメージ>の合成や分解によっては じめて可能となるからである。 これに対し前者の「同時にひとつの空間をしめることのできない」閉じた イメージは,いうまでもなく第2次過程の論理整合的な連関,すなわち discursive(Langer 1951)なシ
ンポルの形態に対応していると思われる。
. . . . . .
ういわば下への合理化として現象する。いわゆる科学的検証とは,上位命題すなわち理論的立言 を,下位命題すなわちプロトロル命題に対して整合化するひとつの合理化のプロセスにほかなら ない。もちろん,この適応次元の合理化は単なる論理的整合化に終始するわけではなく,最終的 には適応達成上の効用という観点から取捨選択されると考えなければならない。従って,この次 元の合理化は,<効理化>とでもよぶ方がより適切であろう。これに対し, L次元の価値的意味 連関における合理化は,理念的に保持された公理的価値命題に対して種々のレベルの下位命題が
. . . . . .
整合化していくところの上への合理化であるということができる。というのも,価値統合機能の 眼目が,実践的な当為命題,すなわち事実命題に矛盾するような命題を公理的価値命題から論理 整合的に演繹するところにあるからである。すなわち,この次元の整合化は,価値<理念化>,
もしくは<理想化>として現象するといってよい。
. . . . . .
このような特定の意味連関の内部的協和化に対し,意味連関相互の協和化すなわち適合化は,
たとえばプロテスクンティズムにおける場合のようにso),<効理化>と<理念化>が一致する という形でいわば幸福に行われることもありうるが,しかし場合によっては,なんらかの<軽視・
無視>,もしくは<あきらめ・妥協>を伴ったいわば不幸な適合化として現象することも少くな い。いわゆる<偏見>もまたこの種の不幸な適合化のひとつであるということができるだろう。
なお,どの意味連関がどの意味連関に適合化するかは,その時そのパーソナリティ系が直面し ている要件状況の偏極性81)や,次にみる生世界のサプ・リアリティの層位構造によって決まっ てくるものと思われる。
さて,以上みてきたような意味連関の整合化・適合化への傾向,すなわち意味連関の自己展開 性は,ちなみに,意味連関の機能連関に対するサイバネティックな優位性をももたらす本質的要 因であるように思われる。つまり,意味連関の自己展開によって蓄積されていくネガ・エントロ ビー一ーそれを定量することは今のところできないが一ーを用いることによってはじめて,因果 連関をエントロビー増大の法則に逆ってシステムの存続に正機能的な形で制御していくことが可 能となるように思われるのである。
I‑2(3)意味連関の機能的分節
さて,これらの意味連関は,その整合化の過程でそれぞれの機能的次元にそって凝集し,他の
30)そこでは<職業労働>における合理的営利追求=<効利化>が, <神の栄えを顕わす>ものとして価値 的<理念化>に<理想化>されている。すなわち<効理化>と<理想化>が類まれな形で重層化・一本化 されているのである (Weber1904)。
31)要件状況の偏極性とは, A, G, I, Lの機能要件のうち特定の要件のみが相対的に偏った形で重要視 され, 緊急視されている状態すなわち要件性もしくは緊要性がA, G, I, Lの4つの極のいずれかに偏 って付加されている状態をいう。なおいうまでもなく要件の充足は充足心要度の低減をもたらすので, こ の要件状況の偏梱性は長短様々のタイム・スパンのもとに通時的に移動する(→Pars
.
o.
n.
s.
1. .
953のphase‑ movement)のが普通である。 この偏極性の移動すなわち局面運動が阻害されると不幸な道合化が生じる わけである。
関西大学『社会学部紀要」第 8 巻第 2 号
. . . . . . . . . . . . .
次元から相対的に独立した独自の体験領域すなわちサプ・リアリティもしくはサプ・ワールドを 構成する傾向をもっている82)。あるいは,生世界は,パーソナリティ・システムの過程を導く
うちに,その機能要件の次元に対応して,効利的•生活的・情緒的・結合もしくは表出的•およ
び価値的といったいくつかの下位世界に分節化する傾向があるといってもよい。現代人を例にとっていえば,その生世界はA次元の効利的職業活動をめぐって展開・構成され る社会的もしくは会社的小世界, G次元の衣食住をめぐって構成される生活的小世界,さらに I 次元の結合的もしくは表出的関心をめぐって展開される社交的もしくは趣味的小世界,そしてL 次元の価値やイデオロギーをめぐる理念的・思想的世界といった4つのリアリティもしくは意味 連関の領域に,多少オーヴァー・ラップしながらもある程度分節化していることが多いだろう。
もちろん,このように分節された意味連関の領域・下位世界は,前に述べた公理的価値命題の 意味統合機能や,自己性の意識によって,ある程度<価値意識的>もしくは<自己意識的>に統 合されているから,すべての生世界がこの4つに明確な形で分節しているとは限らない。その統 合のし方いかんによってはより少い場合も,またより多い場合もありうるだろう。
ところで,同一の存在項が次元を異にする複数の意味連関をもつ場合や,特定の意味連関の領 域に強い「リアリティのアクセント」がおかれるような場合には,このような分節と統合が要件 状況に正機能的すなわち要件充足的な形で行われがたいことがある。たとえば,前者の場合には,
. . . . . . . . . . . . . . . .
存在項を共有した異次元の意味連関が相互干渉をおこして,その次元の機能要件の充足を低減さ せてしまうことが少くないしas), また後者においては,特に強いアクセントをおかれたリアリ ティの領域に対して他の領域の意味連関が<適合化>してしまい,やはり要件充足の低下がもた
らされてしまうことがありうるのである84)0
もちろん意識主体は,このような事態に立ちいたらないよう,その意志作用によってこれら異 次元の意味領域を区別しようとする,すなわち<遊びと仕事>,<夢と現実>,<公と私>とい
. . . . . . .
った形で割り切り,けじめをつけようとするのであるが,しかし,この意志作用による意味連関 の隔離はそう簡単に行われるわけではない。それというのも, リアリティの現象もしくはリアラ
32) Schutz 1945によれば, life‑worldは(a)特定のcognitivestyleをもち,
( b )
そこでの諸体験がconsistent でかっ compatibleで, (c)また specificaccent of realityをおかれうるような「限定された意味領域 finite provinces of meaning」すなわち multiplerealitiesによって構成される。本稿のサブ・リアリ ティヘの分節化は,この Schutzの議論をAGILモデルに引きつけて再構成したものと考えていただい てよい。33)たとえば, 個有の存在として結合的意味連関すなわち<友人関係>にある他者が, よくあるように金銭 の貸借等によって効利的意味連関すなわちく利害関係>をもつようになった場合, 両者の意味連関が相互 に干渉して金銭的損失をこうむったり (A次元の充足低下),友情に破綻をきたしたり(I次元の充足低下)
してしまうのである。
34)現代では, A次元の効利的・用具的意味連関に最も強いリアリティのアクセントがおかれているため,
愛情や好意のような結合的意味連関や理想や思想といった価値的意味連関が, この効利的意味連関に適合 化してしまう, すなわちすべてが効用に還元されてしまいやすい。その結果,