立 法 原 理 と し て の 一 般 意 志 説
白石正
樹
立法 原理 と しての0般 意志 説
六 五 四 三 ニ ー ・
目次
観念の形成
ルソーとディドロ
﹁一般意志﹂の概念
﹁一般意志﹂の発見
討論と部分社会
立法の体系
一観念の形成
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十七世紀末に盛んであった神義論(弁神論け叡︒象鼠Φ)論争において︑次のことが問題になった︒すなわち︑神は
偶然的であるような事物を︑指定された目的に導くために︑たえず特殊的意志によって介入するのか︑それとも︑神
は宇宙の驚を形成する展的意志によってしか働きかけないのか.そして後者の揚冶ビ)宇宙の法則または自然法則
として観察されるものは︑その源泉において考察される限り︑神の一般的意志と呼ばれた︒このような用例は︑マル
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ブ一フンシュ(密6︒一︒ω寓餌一①げ・餌コ・げ︒ヒω・︒⊥謬の著作に見られる︒デカルト哲学と宗教との密接な関係を一不そうと試
み︑﹁キリスト教のこフトン﹂とりつ異名をとった彼は︑人問の意志は知性と同様︑それ自体では何もできず・神こそわれわれの意志行為の原理である︑と主張した︒
罷ゼフンシュの主著﹃真理の探求﹄沁Q・蝕・喝べ潮・§憲︑︑︑駄(H①刈躰)の第五編笙章には︑次のような議論が展開さ
れている︒疑いなく今日︑人間性質は腐敗している︒肉体は精神に大きな影響を及ぼし︑抗し難いカでそれを神から引き離護︑精神は原罪の後︑物質的に︑また世俗的になり︑それが神と有していた親密な関係や結合は失われた︒換
言すれば︑神籍神を見象つ.﹂とも︑消滅させることもなく︑できるだけそれから身を引いたのである・幾千もの無
秩序と人間的悲惨がここに由来する︒
しかし︑こうした堕落は神の創造物たることを破壊したのではなく︑人間の中にはつねに︑その痕跡が認められ
る︒各々の事物の性質を作る神の不変の意志は︑アダムの意志の無節操や軽率さによって少しも変更されなかった︒
むしろ人間の原罪は︑神の意志が恩寵(αQ︻鋤O①)の秩序を作る機会であった︒けれども恩寵は︑自然(昌碧霞①)に少しも
反するものではない︒神が自己に対して戦うことはないのであるから︑それらが互いに破壊し合うことはないのであ
る︒
恩寵の秩序を作る神の意志は︑それゆえ︑自然の秩序を作る意志に︑それを変更するためでなく︑それを償うため
に︑加えられるのである︒﹁神の中には︑この一一つの一般意志しか存在せず﹂目コ.図ゆ量富u一2ρ器8ω号員く︒δ暮雰
σQ似昌α.9一.︑︑地上にあるすべての規則立ったものは︑これらの意志のどちらかに従属している︒
以上のようなマルブランシュの議論から︑ルソーが影響を受けていたこと︑あるいは︑神の一般意志という用語を
知っていたレ﹂とは︑明らかである︒というのは︑ル¥は若い頃︑シャルメット(9§①量にて・ポール遵ワイ
ヤルの﹃論理学﹄︑ロックの﹃人間悟性論﹄︑ライプニッツ︑デカルト︑およびマルブランシュの哲学書を読みふけっ
立法 原理 と しての一般 意志 説 135
たと回想しているからで犠・しかし神義論における用例は︑思考の何らかの発条とはなっても︑いまだそのままで
政治学的︑法学的概念にまで高まることはないであろう︒
この点に関して︑ルソーが﹃人間不平等起源論﹄執筆のとき以来︑しばしば批判的に論及している︑法学者プーフ
ェンドルフ(ω︒勺口hO︼P幽O円h℃一①G◎bΩ‑O恥)の著作が顧みられるべきであろう︒彼の主著﹃自然法と万民法﹄b鳴養ミ﹀§ミ盛馬
ミOQミミ§(一①詰)は︑ジャン・バルベイラックの名訳を得て︑十入世紀前半のフランス思想界に少なからぬ影響を及
ぼしている︒この書物は︑特徴的な卑話ω蜜︒轟⊆×の定義に始まって︑﹁道徳的人格﹂り..︒︒︒弓.︑竃︒鴨9︒一︒︑の唯一の意
(4)志を次のように説明している︒
まず︑卑話ω冒︒鎚舞とは︑人間の意志的行為の自由を指導し︑かつ制限するために︑そして人間生活の中に︑何
らかの秩序︑便宜︑および美をもたらすために︑知的存在によって自然的事物または物理的運動に付与される一定の
様式(0①H什⇔圃昌ωり潟O山①ω)である︒この卑おω言︒轟⊆×は︑実体として考えられるときには︑﹁道徳的人格﹂と呼ばれる︒
﹁道徳的人格﹂が形成されるのは︑幾人かの人々が︑かれらの欲すること︑またはかれらのなすことは︑ただ一つの
意志︑ただ一つの行動であるとしか見なされないような仕方で︑一緒に結びつくときである︒
また意志の性質は︑つねに善一般(冨匹8⑦ロσq曾驚巴︒)を追求すること︑そしてつねに︑その反対に︑悪一般(一︒ζ鋤一
窪αQ曾鋒鉱・)を避けることに存する︒これこそ︑すべての人は自然的に︑また何物にもまして︑幸福になる(像巴︒ゴ.⊆‑
(5)屋ロ×)ことを欲する︑という共通の格率によって示されるものである︒﹁道徳的人格﹂としての政治社会の意志も︑そ
れゆえ︑人々の一般的幸福を追求するものと考えられる︒しかし︑プーフェンドルフは︑社会成立の際に︑人々の意
志をただ一人の人間か一会議体の意志に服従させ︑かかる一人の人問または一会議体が公事に関してなす意志決定を
(6)もって︑一般的にすべての人の意志とみなすことを当然のことと考えている︒このような代表理論(さらに支配¶服
従契約)が︑主要な役割を演じている限り︑意志の真の一般性(ルソーにおける二重の}般性)は成立する余地がな
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いであろう︒
モンテスキューの﹃法の精神﹄b馬N.ぜミ魯防卜駐(一設︒︒)の有名な﹁イギリスの国家構造について﹂の章には︑一
般的意志と特殊的意志との区別を用いた説明が・二箇所見いξ翫・;は・イタリァ諸土ハ和国における市民の境
遇が︑立法権と裁判権をあわせもつ執政官の団体(8壱ωα①8Qσq一ω9εお)によって害されていることを述べた箇所で
あり︑その団体は︑その一般意志により(冨税ωΦω<98叡ω職駄鎚一︒ω)国家を荒廃させうるし︑さらに裁判権をもってい
るので︑各市民をその特殊意志によって(冨﹃ω①ω<oδ導似ω冨三︒二濠おω)滅ぼしうるとされる︒もう↓つは︑立法権と
執行権について述べたもので︑二方は国家の一般意志︑他方はその一般意志の行使﹂一.二pρ器冨く︒δ口菰σq曾驚ρ8血︒一.卑餌眞〇ニゴロ梓弓ρρ⊆①一.︒×似︒二鉱︒昌α︒8叶8<98叡ひq曾仏茜ぼに他ならないとされる︒しかし︑モンテスキューにおい
て︑一般意志の語はあまり重要性を与えられておらず︑一つの理論にまで発展することはなかった︒
ルソーが一七五三年のディジョン・アカデミーの出題に答えた論文﹃人間不平等起源論﹄(五四年完成︑翌年出版)
には︑次のような一般意志説の繭芽ともいえる表現が見られる︒﹁人民は︑社会関係については︑そのすべての意志
をただ一つの意志に統合したので︑この意志を説明するすべての条項が︑同じ数の基本法となり︑それらは国家の全
構成員を例外なく義務づけ︑そしてその中の一つは︑他の法律の執行を監視することを委任される行政官の選出と権
(8)力とを規定する︒﹂しかしこの論文には︑一般意志という言葉は︑まだ現われていない︒
﹃不平等論﹄は︑ジュネーヴ共和国への﹁献辞﹂を付して一七五五年に公刊されたが︑同年十一月に出版された﹃百
科全書﹄第五巻にも︑ルソー執筆の論文﹁経済﹂国88邑Φ(冨o﹁巴⑦俸ぎ=9器)が載っており︑一般意志説が展開さ
れるのはこの論文においてである︒
項目﹁経済﹂(または﹃政治経済論﹄)において︑ルソーは政治体を人体との類推で説明したのち︑政治体は一つの意
志をもつ蝉.①日︒.︒一であると述べ︑その意志を﹁一般意志﹂<︒δロ叡αq曾驚巴①と言い換えている︒類推や讐喩︑比較
立 法原理 と して の一般意志 説 137
の方法は︑抽象的理論を︑卑近な具体的なものと対照することにより︑その理論に生き生きとしたイメージを与え︑
理解しやすくするという利点をもっている︒こうした方法はプラトン以来︑多くの思想家によって用いられ︑しぼし
(9)ば成功してきた︒近代においては︑ホッブズの人工的人間(㌧r﹁け一助O一餌一ζ蝉口)としての国家論が有名である︒ルソ:が
この論文で用いている類推は︑いわゆる国家有機体説でなく︑便宜的説明のためのものであり︑彼自身︑この比較は
(10)多くの点で正確さを欠くが︑理解を助けるものであると断わっている︒
政治体の有する一つの意志﹁一般意志﹂に関して︑ルソーは次のように三つの契機︑ないし機能を挙げる︒す
なわち﹁この一般意志は︑つねに全体および各部分の保存と幸福を目指し︑かつ︑法律の源泉となるのであるが︑国
(11)家の全構成員にとって︑自分達および国家に関しての︑正・不正の規準となるものである﹂︒先に引用した﹃不平等
論﹄の文が︑法源としての政治体の意志のみを表現していたのに対し︑この項目﹁経済﹂の説明は︑政治体の意志に
①目的志向性︑②法律の源泉︑③正義の規準という三つの契機︑ないし機能を付与し︑これに﹁一般意志﹂の名を冠
している︒それゆえ︑われわれはルソーが︑政治体の意志の︑より限定的な︑すなわち︑より理念的なそれに﹁一般
意志﹂という言葉を用いたことに気付くのである︒ルソーにおける一般意志説の主要任務は︑人民主権の︑また立法
の︑理論化に他ならず︑これはのちに﹃社会契約論﹄で展開されることになる︒
しかし︑二般意志﹂の観念が︑三つの契機を内包していること︑それはすべての人の生存と幸福を志向し︑法源
として機能し︑相互的正義の規準として作用するということは︑﹃政治経済論﹄において始めて定式化されたのであ
る︒そして﹃社会契約論﹄が︑立法原理としての一般意志説を展開する際にも︑こうした三契機は前提とされており︑
立法機能の説明に︑しばしば︑目的志向と正義の契機が合わせて主張されることになる︒それは︑次のような説明に
現われて馳・二般意志は・つねになも・つねに公雰称益を目指すL(ピ三汀げ白)︒荷故︑一般意志はつ
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへねに正しく︑何故すべての人は︑かれらの各々の幸福をたえず欲するのであろうか﹂(じく]押畠﹂<)︒﹁‑:‑公共の