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56 本稿では 三者に共通する特徴として 無常 の意識を抱いていることに注目する 無常 の意識とは あらゆるものは変化する 不変のものは存在しない という認識のことを指すが ここでは 人間関係 特に男女の間で 自分も相手も変化し続け 永久不変のものはないという意味を強く付与させて用いている 結婚を拒

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Academic year: 2021

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はじめに

  『 源 氏 物 語 』 に は、 男 君 の 懸 想・ 求 婚 を 拒 む「 結 婚 拒 否 」 の 女 君 が 繰 り 返 し 描 か れ て い る。 何 故、 『 源 氏 物 語 』 は 繰 り 返 し、 結 婚拒否の女君を描くのか。結婚拒否の物語の底流を為すものは何 か。 本 稿 は、 『 源 氏 物 語 』 に お け る 結 婚 拒 否 の 意 味 を 追 求 し た も のである。   本稿における「結婚」の定義は、社会学的・民俗学的な観点か ら捉えるのではなく、あくまで『源氏物語』という「物語」の中 で 展 開 さ れ る、 人 間 同 士 の 関 係 性 の 内 実 を 考 え る 手 が か り と し て、 「 結 婚 」 と い う 関 係 形 態 の 諸 相 を 見 て い く こ と に 置 き た い。 大まかな筋道として、 「結婚」とは、 「一対の男女が共生関係をと ること」と定義付ける。共生関係にあるとは、精神的な深い繋が りを有した関係にあるということに併せて、社会的に婚姻関係が 認められ、その婚姻関係が人物の社会的立場に影響を与えること を言うものである。いかに精神的連関を求めて共に生きる道を選 ぼうとしても、社会秩序の中に生きる以上、その婚姻関係は社会 制度の中に組み込まれ、その中で捉えられることとなり、二者の 中だけで完結する関係はあり得ようがないためである 。   この定義に従って、結婚拒否の女君として、朝顔の姫君・紫の 上・大君の三者を対象に取り上げる。結婚拒否は、未婚の状態に あって男の求婚を拒否するものと認知されると思うが、拒否の本 質を考慮して、結婚拒否の意味をより広く捉え、紫の上を結婚拒 否の女君と考える。一般的には、拒否の態度を示すことは、関係 の進展を絶つことであるが、対象に取り上げた三者は、拒否が関 係の途絶に繋がらず、むしろ関わり合いを深めるという特徴を有 している。三者はいわば、拒むことを基盤に男君と繋がっている 関係にあるといえる。

源氏物語研究

結婚拒否の女君たち

 

 

 

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  本 稿 で は、 三 者 に 共 通 す る 特 徴 と し て、 「 無 常 」 の 意 識 を 抱 い ていることに注目する。 「無常」の意識とは、 「あらゆるものは変 化 す る、 不 変 の も の は 存 在 し な い 」 と い う 認 識 の こ と を 指 す が、 こ こ で は、 人 間 関 係、 特 に 男 女 の 間 で、 自 分 も 相 手 も 変 化 し 続 け、永久不変のものはないという意味を強く付与させて用いてい る。結婚を拒否することと、人の世の無常を感じることには、如 何なる関連があるのか。この点を読み解くことを、論の主眼にし た い。 さ ら に、 注 目 し た い の は、 女 君 た ち の 深 い 内 省 性 で あ る。 女君たちは結婚拒否を選ぶまでに、自己について深く内省してい る。その内省は、一たび結婚拒否の意を示してしまえば止むわけ ではなく、女君たちは男君と関係を保ち続けながら、更なる内省 を深めていっている。

一、朝顔の姫君

反無常の姫君

  「 藤 壺 鎮 魂 注1 」 の 一 巻 で あ る 朝 顔 巻 は、 懐 古、 回 想 が 主 軸 に 据 え ら れ て い る。 そ の 底 流 に は「 世 の 無 常 」 の 思 想 が 流 れ て お り、 「昔」 、「古」という語の頻出からもそれが窺える。過去を回想し、 過ぎ去った歳月を思い、無常を噛みしめる。そうした源氏の姿が 描かれた巻である。   藤 壺 が 亡 く な っ た 時、 源 氏 は「 今 年 ば か り は 」( 薄 雲 四 四 八 ) と願った。藤壺の前で春鶯囀の舞を舞った桜の宴の記憶から、咲 き誇る桜は藤壷の面影を引き寄せる。自然を見て、ありし日を思 う。その自然は人間の生の運行に関与しないところで、循環し続 ける。巡りくる自然を見るとき、人は人間の生の不可逆を思い知 る。人の世の「変易無常」が「季節の帰還とのあざやかな対象に おいて人の心に刻みつけられ る 注2 」ということである。朝顔巻の舞 台 は 秋 で あ る。 荒 廃 し て い く 桃 園 邸 の 景 色 は、 死 の 影 を 漂 わ せ、 世の無常を語る。   朝顔の姫君はその人柄の深さから、喪失に痛めた心を慰撫する 精神の共感者として源氏から求められる存在となり得てい た 注 注 。ま た、式部卿宮の姫君という出自から、桐壺聖代への回想を共に果 たせる貴重な存在でもある。こうした要素が源氏と朝顔の姫君の 特殊な関係を維持させていく源となったのであるが、源氏と姫君 を 繋 ぐ 根 底 に あ っ た も の は、 「 朝 顔 」 に 象 徴 さ れ る「 過 去 」 で あ る。 共 有 す る 過 去 の 記 憶 を「 繰 り 返 し 再 生 す る 注 注 」 こ と に よ っ て、 二人は特別な連帯感を結ぶことを可能にした。朝顔の姫君が斎院 を退くと、源氏は藤壺の影を求めて、朝顔の姫君に接近する。桃 園邸を訪れた源氏に対して、朝顔の姫君は次のように語る。 「 あ り し 世 は み な 夢 に 見 な し て、 今 な む さ め て は か な き に や と思ひたまへ定めがたくはべるに、労などは静かにや定めき

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こえさすべうはべらむ」と聞こえ出だしたまへり。  (朝顔四七三)   「 あ り し 世 」 と は、 具 体 的 に は 斎 院 時 代 の こ と で あ り、 式 部 卿 宮在世時代のことであろう。ニュアンスとしては、現在より以前 のこと全てを指している言葉のようにも思われる。過去のいっさ いが夢のように思われるとは一体どういうことか。さらに、夢か ら 覚 め た 現 実 は、 夢 よ り も は か な い も の で あ る と い う。 父 宮 の 死 に よ っ て、 神 の 齋 垣 に 隔 て ら れ た 聖 域 か ら 俗 世 へ と 舞 い 戻 さ れ、十数年ぶりに戻ってきた世での住み処は荒廃していく邸だっ た。姫君は言葉を重ねて世の無常を述べながら、結局それも、所 詮仏の境地に遥か遠い凡夫の身には「定めがた」きことであると いう。朝顔の姫君の言葉は、一人の人生観を超えて、無常の渦に 流されるしかない人間存在の悲哀を表した言葉と成り得ていよう か。   再三の求婚を拒まれ、心満たされず帰邸した源氏は、かつての ように朝顔の花を付した歌を姫君に贈る。 源氏   見しをりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎや しぬらん 朝顔   秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつ る朝顔 似つかはしき御よそへにつけても、露けく  (朝顔四七六)   「 朝 顔 の 花 の 盛 り は 過 ぎ て し ま っ た の だ ろ う か 」 と 問 う 源 氏 の 贈歌は、源氏らしからぬ無礼な歌と解されることが多い。 「朝顔」 は、 か つ て 目 に し た 姫 君 の 容 貌 を 指 し た 言 葉 で あ る た め、 「 花 の 盛り」は姫君の女性としての盛りと受け止められる。女性にその 容色の衰えを詠みかけることは、懸想の歌として異例という他な く、語り手も弁解ともとれる評を付けざるを得ない。源氏の真意 は測りがたく、朝顔の姫君のつれない態度に対する「戯れの切り 返 し 注 注 」 と 解 さ れ て き た。 「 見 し を り の つ ゆ わ す ら れ ぬ 朝 顔 」 は 非 常に直接的な表現であり、情交の雰囲気まで漂わせる一首といえ よう。目の前には「あるかなきか」に咲いている朝顔がありなが ら、艶やかに咲き誇る朝顔の視覚的なイメージが浮かびあがる。   し か し な が ら、 こ の「 朝 顔 」 は、 精 神 的 な 花 を 寓 意 し て い る と も 考 え ら れ な い だ ろ う か。 「 朝 顔 」 は 二 人 を 繋 ぐ 原 点 で あ り、 コ ー ド で あ る。 朝 顔 の 姫 君 は、 求 愛 を 拒 み つ つ も、 「 を り を り の あ は れ 」( 葵 五 八 ) を 共 有 で き る 人 と し て 存 在 し て き た。 私 達 が 紡いできた心の繋がりはもうなくなってしまったのだろうか、源 氏はそう問いたかったのではないか。贈答歌の作法として、女は 男の歌を切り返して返歌する。ましてや自分の盛りの衰えを言っ

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た と も と れ る 歌 で あ る。 源 氏 は 姫 君 か ら の「 朝 顔 は 枯 れ て い な い」との返答を予想していたと考えられよう。表面上にはぶしつ けな歌に捉えられてしまう歌を贈った背景には、一向に靡かない 姫君への抗議、あるいは挑発の意が存在していただろう。源氏は さ ら に、 そ の 抗 議 や 挑 発 を 呼 び 水 に し て、 「 朝 顔 の 花 の さ か り は 過ぎやしぬらん」が否定されることを期待したのではないか。源 氏 の 歌 を「 反 語 的 に 訴 嘆 し た 注 注 」 歌 と 捉 え た い。 源 氏 の 贈 歌 に は、 戯れや挑発、甘えの態度を装いながら、心の底では昔に変わるこ となく精神的な繋がりが切れないことを願う思いが込められてい るのではないか。   対して、朝顔の姫君の返歌に詠出されたのは、源氏が朝霧の中 に見た情景をそのまま写しとったかのような一首である。この歌 は、源氏の贈歌の発想をそのまま受け入れるかたちで詠じられて おり、贈歌の発想の一部をとらえて、発想を転換させて切り返す といった典型的な男女の贈答歌の作法には当てはまらない。色移 ろった朝顔を「似つかはしき御よそへ」と受け入れることに込め ら れ た 意 味 は 何 か。 こ の 朝 顔 の 姫 君 の 一 首 に 関 し て は、 「 彼 女 は 清らかに貴い身分の人ながら、内に秘めた源氏への深いかけがえ のない思いを自らあえなく枯死させ た 注 注 」、 「そこには源氏に心惹か れながらも結婚をせず、盛りの時を空しく過ごした悔恨や悲嘆が 込められてい る 注 注 」などの解釈が提示されている。しかし私として は、この歌を詠じる様に、衰え萎れた姿ではなく、無常を見つめ ながら静かに凛とたたずむ朝顔の姫君の姿を見るべきではないか と思う。   朝 顔 の 姫 君 の 歌 は、 男 の 歌 を な よ や か に 受 け 入 れ て、 自 分 を 「あるかなきかにうつる朝顔」と詠じつつ、 「色移ろってしまった 私であるから、会うことはしない」と、男の申し出を拒否してい る。源氏の贈歌を、互いの精神的な繋がりの永遠を求める歌だと の読み方を重く見れば、姫君の歌は、源氏に「永遠であるものは ない」と言っている歌なのではないか。花の盛りは永遠には続か ない、咲いた花は必ず末枯れるときがくる、この世は万物流転で あり、不変なものはないのであると、源氏に無常をつきつけるの である。   否定を期待する男の甘さを退け、己の精神のあり様を鋭く見つ めた自己内省として返歌したところに、朝顔の姫君の深い魅力が あ る。 朝 顔 の 姫 君 は 自 分 で 自 分 の 生 き 方 を 選 び 取 っ て い る の だ。 姫君は自分が結婚を拒否することによって、得るものと失うもの を透徹した目で見据えていたのであろう。朝顔の姫君は結婚を拒 否することによって、妻として源氏の身近で日々を分かちあうこ とはなかったが、憧れを伴って慕われ続ける存在として終世源氏

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の心の片隅に住み続け得た。 朝顔   あらためて何かは見えむ人のうへにかかりと聞きし心 がはりを    昔に変ることはならはずなん  (朝顔四八六)   物語に記されているうちでは、最後の源氏への返歌として、朝 顔の姫君は右の一首を送る。先の贈答歌において源氏に無常をつ きつけていた人は、 「自分は変わらない」という。   婚姻関係を結ぶということは、自己の立脚するところが社会的 にも内面的にも変わることを余儀なくされることである。朝顔の 姫君が源氏との結婚を拒否したのは、自分が、そして自分と源氏 の関係が変わることを望まなかったからである。朝顔の姫君は源 氏の求婚を拒み続けながらも、源氏への思慕ゆえ、全く関係を断 絶してしまうことはせずに一定の距離を持って源氏と接する道を 選んだ。宮家の姫としての矜持から、源氏の幻滅を恐れる姫君に とっては、たまさかに文を交わす程度に終始してこそ、穏やかに 源氏への憧れを守っていけるのである。また、深い接触を持たな い地点に踏みとどまっていることによって、神秘性を保持し得る ことにもなった。   「 古 り が た く 同 じ さ ま な る 御 心 ば へ を、 世 の 人 に 変 り、 め づ ら し く も ね た く も 思 ひ き こ え た ま ふ 」( 朝 顔 四 七 八 ) と 源 氏 に 述 懐 されるごとく、朝顔の姫君は、源氏との関係において、自己の生 き 方 に お い て 不 変 4 4 の 人 で あ る。 朝 顔 の 姫 君 は、 無 常 を 表 す「 朝 顔 」 を そ の 名 に 冠 し な が ら も、 「 反 無 常 」 の 存 在 な の で あ る。 朝 顔の姫君が「反無常」たり得たのは、彼女が無常を知っているか らに他ならない。 お ほ か た の 空 も を か し き ほ ど に、 木 の 葉 の 音 な ひ に つ け て も、過ぎにしもののあはれとり返しつつ、そのをりをりをか しくもあはれにも深く見えたまひし御心ばへなども、思ひ出 できこえさす。  (朝顔四七五)   右の心中思惟は、感情の主体を、女房とするものと姫君とする ものに見解が分かれてい る 注 注 。「これらは、すべて侍女の心である。 が、作者は侍女の心をかりて、朝顔の胸中にもふれているのであ ろ う 注注 注 」との読み方に与したい。姫君の心中が直接にはほとんど叙 されないことは、心のままに感情を表すことを自らに許さない姫 君の様を語るものなのではないか。右に挙げた一節も、そうした 姫君の複雑な心情を表すものの一つとして考えたい。朝顔の姫君 は、 「 反 無 常 」 を 求 め る が た め に、 源 氏 へ の 思 慕 を 心 の 奥 に し ま い通さねばならなかった。   秋 の 空 の 色、 木 の 葉 の さ や ぐ 音、 視 覚 と 聴 覚 と が 訴 え か け て、 「 そ の か み の 秋 」( 賢 木・ 一 一 九 ) が 脳 裏 に よ み が え る。 記 憶 の 中

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に 源 氏 を 見 出 し、 「 あ は れ 」 を よ み が え ら せ る こ と。 そ れ が 無 常 の 渦 の 外 側 に 身 を 置 く 朝 顔 の 姫 君 の 源 氏 へ の 思 慕 の 向 け 方 で あ り、生き方だった。源氏に無常を知らしめる人として描かれてい るが、その人自身の心はむしろ、永遠を求めたのではないだろう か。 朝 顔 の 姫 君 は、 無 常 を 骨 の 髄 ま で 知 り な が ら、 「 反 無 常 」 を 求め続けた人であった。

二、紫の上

無常を生きた人

  紫の上は、朝顔の姫君とは対照的に、無常を生き抜いた人であ る。 「 結 婚 」 と い う 関 係 を 結 ぶ こ と で 紫 の 上 は、 源 氏 と の 関 わ り の中、源氏の他の妻たちとの関わりの中で、時に応じて変化して いった。とりわけ、紫の上が自発的に変化することを望んだ結果 と し て の 出 家 願 望 の 発 現 は、 「 紫 の 上 の 変 化 」 と し て は、 そ の 生 涯最たるものといえよう。無常の世から不変の仏教の世界へ移り 住むことを願う紫の上の出家願望は、即ち源氏と共に生きること を拒否する、結婚拒否の意の表明である。     紫の上はもともと、その反秩序性によって源氏を惹きつけてい た 注注 注 。「 何 心 な し 」 の 語 に 象 徴 さ れ る 鉄 壁 の 無 垢 さ と、 何 も の に も 制約されずに生きる反秩序のエネルギーが、藤壺への禁じられた 恋情に悩む源氏の心を癒し得たのである。しかしながら、源氏の 将来の妻として目された以上、紫の上はただ反秩序のままにはい られない。紫の上は、二条院に迎え取られて以降、次第に変化し ていく。成熟した女性の振るまいとして相応しい、秩序に即した 行 動 を と る よ う に な る 紫 の 上 の 変 化 は、 年 齢 的 な 成 長 と い う よ り、 「 心 の ま ま に 教 へ 生 ほ し 立 て て み ば や 」( 若 紫 二 一 三 ) と の 思 い を 基 底 に 持 つ 源 氏 の 教 育 に よ る も の と 解 す べ き で あ ろ う。 「 少 女」と「女君」の両方の性質を混在させながら成長していった紫 の上は、新枕を迎えることにより、否応なく少女の世界から抜け 出ることを余儀なくされる。   新 枕 を 経 て 源 氏 の 妻 と な っ た 紫 の 上 は、 そ の 後 急 速 に「 女 君 」 の 枠 の 中 に お さ ま り、 そ れ ま で の 溌 剌 と し た 様 を 見 せ な く な る。 成長した紫の上は没個性的でさえあり、他の女君達の魅力に拮抗 するような際立った個性は有さない。少女の反秩序性によって源 氏の心を繋ぎ止めていた紫の上であれば、成長を果たした紫の上 の存在意義は、どこにあるのか。   葵の上の死と六条御息所の妄執、桐壷帝の死、藤壷の死といっ た近しい者との別れに際し、源氏は喪失感を慰撫するものとして 朝顔の姫君との交誼を求める。この源氏を襲う深い喪失感は、現 世からの出離の衝動を源氏に抱かせるものでもあった。こうした 現世離脱、即ち出家の衝動から、源氏を現世にひきとどめる役割

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を果たしたのが紫の上であ る 注注 注 。源氏は現世からの出離を思いつつ も、紫の上への愛着にひきとどめられ、成長した紫の上との将来 を考える。紫の上は、源氏にとって他の女君とは一線を画す存在 である。恋歌を取り交わすことから関係が始められる大方の男女 の関係を踏み越え、そもそもの出会いから、膝に抱き、髪を撫で る こ と の で き た 少 女、 紫 の 上。 雛 遊 び に 夢 中 に な っ て い る 姿 や、 自分の外出に拗ねる姿、新枕を交わしたときの深い動揺の様、こ うした紫の上との記憶を掌握していることが、源氏に特別な愛着 を生むのである。   藤 壺 の 死 に よ っ て、 取 り 戻 し 得 な い 時 の 流 れ

無 常 を 思 い 知 らされた源氏は、藤壺の影を求めて、朝顔の姫君に恋情を寄せて いった。朝顔の姫君という人は身体の存在がひどく希薄な人であ る。決して源氏に顔を見せず、対面も全て取次の女房を介して行 わ れ る た め、 そ の 存 在 の 手 触 り は 確 か め が た い も の で あ る。 ま た、源氏は朝顔の姫君に亡き藤壺の影を見ている。藤壺こそ、こ の世にはもはや存在しないものであり、源氏は実態なき影を追い 続けているといえる。   世の噂にもなった朝顔の姫君への求婚は、紫の上を不安の渦に 落 と し 入 れ た が、 結 果 的 に 源 氏 と 朝 顔 の 姫 君 と の 結 婚 は 成 就 せ ず、源氏は紫の上との生活に戻ってくる。身体性が希薄な朝顔の 姫 君 に 対 し、 紫 の 上 は、 身 近 に 触 れ 得 る「 紫 の ゆ か り 」 で あ っ た。無常の世をすぐ隣で共に生きてくれる存在、それが紫の上な のである。 「常なき世にかくまで心おかるるもあぢきなのわざや」 (朝顔四八九)という源氏の感慨が、紫の上の存在を甦らせる。   源氏の正妻格に据えられることは、紫の上に自己同一性を与え ているといえる。紫の上は源氏の妻となるために、反秩序の少女 で い ら れ な く な っ た が、 源 氏 と 繋 が る こ と で、 「 紫 の 上 」 と い う アイデンティティを得て、貴族社会の中における居場所を得るこ とができた。紫の上は源氏に見出され、世の理を度外視した態度 によって正妻格に迎えられなければ、式部卿宮家で継子として冷 遇されるだけで、何者にもなることができなかったはずである。   自己は他者との相対から作られる。人は誰かと関わりあうこと で、自己を見出だしていく。結婚は、他者と深く繋がり、他者か らの侵入を受けることである。自分とは異なるものとの出会いに よって、既存の自己が揺るがされ、変容し、また新たな自己が形 成される。紫の上という人の人生は、まさにそのことを体現して い る と い え よ う。 紫 の 上 は 源 氏 と い う 他 者 と 出 会 う こ と に よ っ て、その天真爛漫な性質を、類型的な女性の生き方に収めた。こ れは、紫の上が既存の自己を変容させ、新たな自己を得たことを 示している。

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  また、他者とは源氏だけを言うのではない。他の女君たちも紫 の上を刺激する存在である。紫の上に子がないことを突きつける 明 石 の 君、 身 分 の 不 安 定 さ を 露 わ に さ せ る 朝 顔 の 姫 君 の 存 在 が、 紫の上の立場の危うさを顕現させる。そして若菜巻において、女 三 の 宮 と い う 絶 対 的 身 分 を 誇 る 者 が 六 条 院 世 界 に 投 入 さ れ た と き、六条院の「絶対的」存在たる地位を失って、妻妾関係の中に 組み込まれるしかない紫の上の姿がついにあぶり出される。   女三の宮降嫁以降、源氏は一貫して己の愛情の不変を紫の上に 誓 う。 女 三 の 宮 降 嫁 以 前、 源 氏 と 紫 の 上 は、 「 隔 て き こ え た ま ふ こ と な 」( 若 菜 上 五 一 ) い 関 係 を 築 い て い た。 「 隔 て な し 」 は 源 氏 と紫の上の関係を象徴する言葉として繰り返し用いられ、相手が 「 う ら な き 」 少 女 で あ っ た か ら こ そ 作 り 得 た 信 頼 関 係 を 基 盤 に、 長 い 時 を か け て 積 み 重 ね ら れ た 二 人 の 絆 を 表 し て き た も の で あ る。源氏は「いみじきことありとも、御ため、 あるより変ること 4 4 4 4 4 4 4 4 は さ ら に あ る ま じ き 4 4 4 4 4 4 4 4 4 を、 心 な お き た ま ひ そ よ 」( 若 菜 上 五 二 ) と、 自己の愛情の不変を約束し、紫の上との「隔てなき」関係を維持 しようとする。しかし、いかに源氏が紫の上を心情的には第一の 人 と は 思 っ て い て も、 実 際 に 取 る べ き 行 動、 表 す 態 度 と し て は、 内親王たる女三の宮への配慮をあからさまに欠くことなどできよ うはずがない。紫の上への対応に関して、源氏が不変でいられる はずはなく、実際、紫の上は世の理に絡めとられていく源氏の変 化を感じとり、ついには全ての基盤である愛情もいつか衰えると の認識を持つに至る。女三の宮降嫁という現実を前にしては、た だ粛々と世の理に従って生きていく以外ない。どんなに源氏が愛 情 の 不 変 を 誓 お う と も、 「 夜 離 れ 」 と い う 変 化 を 取 り 払 う 術 は な く、紫の上が女三の宮にへりくだった態度を取らざるを得ないと いう、覆せぬ現実があるところに問題の本質があるのである。   紫の上   目に近く移ればかはる世の中を行く末とほくたのみ けるかな 源氏    命こそ絶ゆとも絶えめさだめなき世のつねならぬな かの契りを  (若菜上六五)    異例の、女からの贈歌である紫の上の一首は、源氏の隣で書き つけられたものであり、歌を受け止める源氏があって詠まれた歌 だということを念頭において解釈すべき歌である。源氏の心変わ りを詠んだ紫の上の贈歌は、類型的な恋の恨みの歌を書きつけて 見せることで、源氏の弁解の言葉を引き寄せ、心の交流を果たそ うとするものであったと考えられる。しかしながら、源氏との心 の交流をはかるために詠まれた紫の上の歌は、実は紫の上の心の 深層に迫るものとなっていよう。一首に詠まれた「移ればかはる 世 」 へ の 嘆 き は、 こ の 時 の 紫 の 上 の 心 の 深 奥 が お の ず と 言 葉 に

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な っ た 自 己 詠 唱 の 趣 を 有 し て い る。 「 世 」 は、 「 夫 婦 仲 」 ま た は 「 世 間 」 の 意 で あ る が、 源 氏 と の 関 係 が そ の 人 生 を か た ち づ く る 紫の上にとって、源氏との夫婦関係の揺らぎは、そのまま己が生 きる世の崩壊を意味する。源氏との仲の変化への嘆きは、世の無 常、喪失への嘆きに繋がっていく。   紫 の 上 と 源 氏 は、 女 三 の 宮 降 嫁 以 降、 関 係 の 不 変 と い う こ と に 固 執 し 続 け る。 「 不 変 」 へ の 固 執 の 所 以 は、 こ こ で 女 三 の 宮 に よってもたらされた変化が、二人の関係を決定的に崩壊させる変 化だからに他ならない。恋歌において、関係の不変を願うことは 普遍的なことである。人は生きている以上、変わらざるを得ない ということをどこかで感じているからこそ、愛する者との関係の 不変を願い、恋歌に詠じてきた。源氏と紫の上も、二人の関係の 不変を願って、恋歌を詠みあっている。しかし、明らかなように 二人の恋歌は空に虚しく響くだけであった。変わらないものなど ないのだ、ということを二人の贈答歌は示している。人々がどこ かですがるようにして信じてきた「関係の不変」という夢を、こ の源氏と紫の上の物語は消し去ろうとしているのかもしれない。      かくして、日を追うごとに積み重なっていく憂愁が、次第に紫 の上に出家願望を抱かせていくわけだが、紫の上にとって出家と は、源氏と共に生きることを拒否するものであり、これが紫の上 の結婚拒否である。   紫の上の出家願望を語る時には、必ず先に女三の宮の威勢が強 め ら れ る 様 が 語 ら れ る と い う 特 徴 が あ る。 今 上 帝 の 即 位 に よ り、 女三の宮の後見がより強固なものとなることが示され、また、朱 雀院の立場を度外視した庇護から、女三の宮の格式がいよいよ高 まることが述べられる。また一方では、明石の女御腹の一の宮の 立坊が、明石一族の繁栄が盤石のものとなったことを表す。さら に、太政大臣の辞職に伴い、夕霧、鬚黒がそれぞれ昇進し、要職 に就く。六条院の栄華の担い手が次の世代の者たちへと移行して いっているのである。こうした中、後見となる親族や子供を持た な い 紫 の 上 は、 そ の 身 に 新 た な 繁 栄 が も た ら さ れ る こ と は な く、 公に六条院の栄華に寄与することはない。紫の上は歳月によって 新たに得るものはなく、失っていくだけである。   紫 の 上 は 出 家 を 願 う 理 由 に、 「 こ の 世 は か ば か り と、 見 は て つ る 心 地 す る 齢 に も な り に け り 」( 若 菜 下 一 六 七 ) と い う 理 由 を 述 べる。 「この世」は「わが人生」のことである。 『新編日本古典文 学全集』の年立てによると、紫の上はこの時三八歳、当時の感覚 では晩年といえる年齢である。加齢を出家の理由にすることは一 般 的 で あ る が、 紫 の 上 の 場 合 は「 齢 」 に 重 点 が あ る の で は な い。 「 こ の 世 は か ば か り と、 見 は て つ る 心 地 」 を 抱 い て い る こ と が 重

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要 な の で あ る。 「 こ の 世 は か ば か り と、 見 は て つ る 心 地 」 は、 紫 の上の将来に対する失望を語るものといえよう。紫の上は女三の 宮の登場によって、己が「身」への認識を深めることを余儀なく さ れ、 わ が 人 生 の 限 界 を 知 っ て し ま っ た。 「 見 は て つ る 」 に は、 そのような紫の上の絶望が込められているように思われる。   女三の宮の声望が盛んになるのを背景に、紫の上は自己内省を 深め、出家を願う。女三の宮がその身分に相応しい隆昌を得るの を見て、紫の上は自分の身の上がただ源氏の愛情一つによって作 り上げられていることを、さらに深く認識せざるを得ない。女三 の宮という他者との相対により、紫の上は自己を見つめるのであ る。 今 や 紫 の 上 は、 「 わ が 身 は た だ 一 と こ ろ の 御 も て な し に 」( 若 菜下一七七)と、あやまたずに自己を捉えている。さらに、現在 の自分を成り立たせる全てである源氏の愛情も、このまま年を重 ねていけば、いつか衰えるかもしれないという危惧が紫の上の意 識 に 生 ま れ て い る。 「 隔 て 心 」 な く 源 氏 と 接 し、 ま た 長 い 時 を 共 に 過 ご す こ と に 意 味 が あ る 関 係 を 源 氏 と の 間 に 築 い て き た 紫 の 上 に と っ て、 「 あ ま り 年 つ も り な ば、 そ の 御 心 ば へ も つ ひ に お と ろ へ な ん 」( 若 菜 下 一 七 七 ) と い う 思 い を 抱 く こ と は、 来 し 方 を 根 底 か ら 覆 す も の で あ る。 「 さ ら む 世 を 見 は て ぬ さ き に 心 と 背 き に し が な 」( 若 菜 下 一 七 七 ) と、 「 さ ら む 世 」 を 現 実 と し て「 見 は つ」前に、自己が崩壊してしまう前に、紫の上は出家によって六 条院の生活から逃れることを望む。源氏の変化を予期し、変化が 現実になる前に、無常の世から不変の仏教の世界へ逃れることを 痛切に願うのである。   時 と 共 に 二 人 の 間 の「 隔 て 」 は 広 が り を 増 し 続 け る。 「 隔 て 」 を何とか解消しようと、源氏はこの時も変わらぬ愛を誓う言葉や 歌の贈答を重ねている。だがそれは、ただ言葉が繰り返される以 上の意味を持たない。繰り返しでしかない日々、行き詰まった関 係は紫の上に閉塞感を生んでいく。また、紫の上が出家の願いを 口に出した時には、女三の宮が降嫁した年から既に六年が経過し ている。女三の宮降嫁後の紫の上の六年間は、周囲に我が身の憂 いを悟られまいとするために、本心を押し殺して偽りの自分を演 じながら、他者と接しなければならないものであった。自分の心 さえ偽る中では、他者との共感など得られようはずがない。閉塞 した世界の中で、紫の上は孤独に耐える日々を過ごしてきた。   いよいよ身を締め付けていく閉塞感と、失われていく自己。常 に指の先から何かが流れ出ていくような感覚、喪失への根源的な 恐怖が紫の上を蝕んでいく。この「流れ」を止めるには、出家を 選ぶ以外に、紫の上に方途はなかったといえよう。根底に無常へ の絶対的な認識を抱えながら、喪失の感覚に苛まれる中で、紫の

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上の出家の願いは発せられた。変化していく人生、無常の世界を 生きてきた紫の上は、ここにおいて無常の世界から脱することを 希求するのである。源氏を無常の世に引きとどめてきた、いわば 無 常 を 象 徴 す る 女 君 で あ っ た 紫 の 上 は、 そ の 存 在 を 覆 そ う と す る。   紫の上発病後は、出家による現世離脱を切望する紫の上と、あ くまで紫の上と現世を共に生きることに執着する源氏の、絶望的 ともいえる相克が展開される。しかし、六条御息所の物の怪によ る 絶 息 と 蘇 生 が 転 機 と な り、 紫 の 上 の 内 面 に 大 き な 変 化 が 起 き る。紫の上が五戒を受けている最中、ひたと寄り添う源氏は「人 悪 し 」 と 語 り 手 か ら 評 さ れ る。 「 人 悪 し 」 と は、 即 ち 世 間 の 目 を 無視した行動をとる源氏を表す言葉である。世の理に絡め取られ ていく源氏の姿に絶望していた紫の上は、世の理を度外視した源 氏の振る舞いに心打たれる。また、紫の上の心境の変化には、紫 の 上 が 臨 死 に よ っ て、 死 を 垣 間 見 た こ と が 大 き く 関 与 し て い る と 考 え る。 紫 の 上 は、 「 人 の 世 」 に お い て 人 の 心 や 境 遇 が 移 り 変 わ っ て い く こ と を 無 常 と 捉 え て い た が、 「 死 」 と い う 特 別 な 世 界 に触れ得たことにより、その「人の世」そのものが無常なのだと いう認識に達する。紫の上は我が身の死を必然のものと受け止め ることによって、新たな「無常」の意識を抱いたのである。この ことは、絶息と蘇生を境に、紫の上にまつわる「身」の語の用い 方が、己を死すべき者として見つめる紫の上の意識を反映したも のに変わることからも窺える。   紫の上の蘇生後、夏の清新な景を背景に、紫の上と源氏の間に 歌の贈答が取り交わされる。季節がら夏草が生い茂る二条院。見 慣れた六条院の庭に比べ、青々とした草がむせかえる二条院の庭 は、手狭に感じられるものの、整然と手入れされた庭よりかえっ て活き活きと目に映る。紫の上の目に夏の景色が冴え冴えと映る の は、 新 た に 得 た「 無 常 」 の 認 識 の た め で あ る。 咲 き わ た る 蓮、 青々とした葉の上に光る露は、生命の輝きを思わせ、また一方で は、ほんのひと時しか存在しえない露の儚さが、命の儚さに通じ て、このときの紫の上の意識と絶妙に響きあう。命あるものは全 ていつか命を失うことを知るが故に、紫の上は今まで命永らえて きたことを感慨深く受け止めるのである。超然と涼しげに、しか し生命力豊かに咲きわたる蓮を見て、源氏は「かれ見たまへ。お の れ 独 り も 涼 し げ な る か な 」( 若 菜 下 二 四 五 ) と、 紫 の 上 に 語 り か け る。 『 岷 江 入 楚 』 所 引 の 三 光 院 実 枝 の 説 に「 お の れ 独 と は、 源の心も、紫の煩ゆゑに、すゞしくもなきといふ所が妙なり」と あるように、紫の上の喪失が自己の生の基盤の喪失に繋がる源氏 は、紫の上の命の「限り」を我が身の「限り」と思ってきた。そ

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うした紫の上や源氏の懊悩と関わりなく、蓮は独り静かに咲いて いる。自然は常に、人間の営みと関わりなく存在し、終わりなく 循環し続けている。そうした自然の様は、人の目には時に残酷に も映る。涼しげに咲く蓮は、源氏と紫の上に与えられた運命の不 条理さや悲哀を際立たせていよう。   紫の上と源氏の最後の歌の贈答は、風に吹かれる秋の草花を前 に 取 り 交 わ さ れ る が、 そ の 場 面 展 開 は、 「 蓮 の 露 」 の 贈 答 歌 の 場 面と酷似している。しかし、若菜下巻の叙述に比べ、自然描写が 少ないという点では相違がある。夏の生命力豊かな庭の様を書き こ ん だ 若 菜 下 巻 と は 異 な り、 贈 答 歌 の 前 に 叙 さ れ る 自 然 描 写 は、 「 風 す ご く 吹 き 出 で た る 夕 暮 」( 御 法 五 〇 四 ) と い う 一 文 の み で あ る。 「 お く と 見 る ほ ど ぞ は か な き と も す れ ば 風 に み だ る る 萩 の う は 露 」( 御 法 五 〇 五 ) と の、 紫 の 上 の 辞 世 の 一 首 は、 詳 細 な 自 然 描写に頼らずとも、萩の露が風に散り消える様を場に詠出する力 を有している。命の輝きを思わせた蓮葉の露とは異なり、ここで の露は、一瞬のうちに風に吹き飛んでしまう露の儚さのみがひと えに強調される。人の世の儚さを知る紫の上の歌は、叙景にとど ま ら ぬ 深 い 精 神 性 を 湛 え、 「 風 す ご く 吹 き 出 で た る 」 の み の 自 然 描写が重く響く。   紫の上は、最後の時まで無常から脱することを願い、出家を望 みながらも、結局果たされないままで亡くなっていく。紫の上は 出家を望みつつも、残される源氏を振り切って無理に出家を断行 することはしなかった。一方の源氏も、紫の上の出家の切願に無 理解であったわけではない。実際、紫の上が亡くなったとき、源 氏の心に真っ先に浮かんだのは、紫の上を出家させてやらなけれ ばならないという思いだった。しかしいかにしても源氏は紫の上 を自分のもとから手放す道に進むことはできなかった。時を経る うちに発生してしまった「隔て」に慄きつつ、関係の不変は存在 しないという認識に深く傷つきながらも、二人は最後まで関わら ざるを得なかった。紫の上と源氏の物語の終着点が出家の達成に は置かれず、あくまでも無常の世界の中で紫の上が生を全うした ことを重く見たい。

三、大君

無常を背負う生と、死への希求

  無 常 の 認 識 に 辿 り つ い た 紫 の 上 の 物 語 の 後 に 紡 ぎ 出 さ れ た の は、特別な生い立ちから、その身に無常の認識を内在させている 薫と大君である。大君の人物造型を考察するにあたっては、世に 恨みを抱き、出家を願いながらも、出家に踏み切ることができな い、屈折した感情を持つ八の宮という親のあり方を忘れてはなら ない。大君は薫に出会う以前から、生きることは何かを失ってい

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くことだという認識を内在させ、世の無常を感じ取っていた。世 に 傷 つ け ら れ る こ と を 恐 れ る 大 君 は、 人 と 立 ち 交 じ る こ と を 厭 う。誰かと共に生きること考えない大君は、必然的に薫との結婚 を拒否する。   大 君 の 父、 八 の 宮 は「 世 に 数 ま へ ら れ た ま は ぬ 古 宮 お は し け り 」( 橋 姫 一 一 七 ) と、 一 人 の 人 間 と し て 存 在 し て い る こ と す ら 忘れ去られた人として紹介される。自らの意志の介在しないとこ ろで政争に巻き込まれ、凋落の憂き目を見た八の宮は、世の無常 と非情を味わい尽くす。その後の八の宮は「世」から放擲された 身を妻や子への愛情を育む小世界に落ち着かせることで慰めを得 ていたが、北の方の早世により、絶対的に孤独な存在となってし まう。世の無常と、人の命の無常の痛みを受けた八の宮は、もは や仏道に安らぎを求めるしかない身となるが、残される娘たちへ の 懸 念 か ら 出 家 に も 踏 み 切 る こ と が で き ず、 「 心 ば か り は 聖 」( 橋 姫一二一)という特殊な立場を貫くことによって、自己保障を図 る。   無常に傷つけられ、屈折した精神を持つ八の宮の養育のもと成 長した宇治姉妹は、八の宮家においてそれぞれに異なる役割を生 き る。 姉 妹 は 登 場 の 始 発 か ら、 そ の 性 格 の 対 照 性 が 強 調 さ れ る。 「らうたげ」 「にほひやか」 「愛敬づく」と、見るからに愛らしく、 華 や か な 美 し さ を 湛 え る 中 の 君 に 対 し て、 大 君 は、 「 よ し あ り 」 「 気 高 し 」「 心 に く し 」「 重 り か 」 と、 精 神 性 か ら に じ み 出 る 様 相 が捉えられる。姉妹の性格の相違は、八の宮と姉妹、親子三人の 唱和にも窺える。 八の宮  う ち 棄 て て つ が ひ さ り に し 水 鳥 の か り の こ の 世 に た ちおくれけん 大君  い か で か く 巣 立 ち け る ぞ と 思 ふ に も う き 水 鳥 の ち ぎ りをぞ知る 中の君  泣 く 泣 く も は ね う ち 着 す る 君 な く は わ れ ぞ 巣 守 り に なるべかりける  (橋姫一二二~一二三)   八の宮の歌には、妻を失った自らの運命への悲しみが露わにさ れ、 そ の 半 生 に 裏 打 ち さ れ た 世 の 無 常 へ の 嘆 き が 込 め ら れ て い る。中の君の歌は、ひとえに父の慈愛に身を任せ、父の庇護に素 直に感謝する詠みぶりである。対して、大君の歌は、ここまで成 長した己が身を省みれば、その身に宿る「憂き契り」が思い知ら れ る と い う、 父 の「 憂 し 」 を 共 に 背 負 お う と す る も の で あ っ た。 大君は、父の現世への諦念を幼いながらに理解し、己が身の「憂 し 」 を も 自 覚 的 に 解 す る 娘 な の で あ る。 「 憂 し 」 の 自 覚 は、 大 君 の生を否定する方向に働く。大君の心中思惟や発言には「ながら ふ 」 と い う 言 葉 が 散 見 さ れ る。 そ れ ら は し ば し ば、 「 心 よ り ほ か

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に」 「今日まで」 「今まで」という言葉と結び付き、 「ながらへば」 と仮定の形をとることが最も多い。それは、大君がこの世に永ら えることを既定のこととして受け止めていないことを示していよ う。この世に「ながらふ」ことは、常に無常の世に自己を傷つけ られる可能性に身をさらすことであるという認識を大君は有して いるのである。八の宮は「ながらふ」ことで、親王としての誇り を 失 い、 妻 を 失 っ た。 「 な が ら ふ 」 こ と は、 何 か を 失 っ て い く こ とであるという抜きがたい認識が大君に受け継がれている。大君 は、無意識のうちに現世からの離脱、即ち死に傾く心情を内在さ せているのではないか。薫の懸想の歌に対して、拒否の意を詠ん だ 歌 に、 「 ぬ き も あ へ ず も ろ き 涙 の 玉 の 緒 に 長 き 契 り を い か が む す ば ん 」( 総 角 二 二 四 ) と、 自 分 の 命 の 短 さ を 予 兆 さ せ る 言 葉 を 含めているのにも、こうした大君の心理が影を差しているためと 考えられる。   大君は薫の求婚を頑なに拒む。そもそも大君は、自分の結婚に ついては、その可能性すら念頭に置いていないようなところがあ る。大君が自分の結婚の可能性を考えないのは、まず第一に後見 の不在のためである。後見なく、自分で結婚を決めるということ は、高貴な身分の者にとっては不名誉なことであり、その誇りを 決定的に傷つけるものである。大君が忌避するのは、後見なき結 婚がもたらす「人笑へ」である。後見によって裁可された結婚で あ れ ば、 何 ら か の 不 遇 が 起 き て も、 そ れ が そ の 者 の「 宿 世 」 で あったという認識に終わることができる。しかし、後見なき結婚 による不遇は、社会的な認知を受けていないことを際立たせ、そ の家の名に傷を付けてしまうのである。現実的に、大君は薫と結 婚しても、その関係は召人に近いものとして扱われかねない可能 性すらあった。大君の認識の中では、薫との結婚は親王家の名の 零落と切っても切り離せないものであったのである。   また第二に、大君の結婚拒否の意の形成には、薫自身のあり方 が大きく関与している。薫が世間並みの人であったら受け入れた かもしれないという大君の意識は重要である。大君は、薫が父の 八の宮も認める、世に稀な男君であったからこそ、薫に好意を抱 き 得 た が、 反 面 で、 薫 の 盤 石 な 身 分、 気 後 れ す る ほ ど の 立 派 さ が、零落した親王家の娘である大君の劣等意識を浮かび上がらせ る。 大 君 に と っ て 薫 と の 恋 愛 に は、 常 に「 薫 の 正 妻 に な れ な い 」 という現実への認識がつきまとう。求婚者としての薫は、大君に 没落した親王家の娘という自己意識を表面化させる存在なのであ る。   薫との接触が、大君に自己内省をもたらすことは、大君が薫と 仮初の添い伏しの一夜を過ごした後、大君の心中が長く叙される

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と こ ろ に よ く 表 れ て い る。 こ こ で 大 君 の 心 中 思 惟 を 語 る 言 葉 に 「身」の語が用いられているが、 「身」という語は、八の宮の死を 境にして大君の心中思惟や発言に増加しはじめる。それは父の死 によって現実的に困窮していく姉妹の意識を反映しているといえ よ う。 さ ら に、 「 身 」 の 語 は、 薫 と 仮 初 の 添 い 臥 し の 一 夜 を 経 た 後、急激にその数を増す。薫の接近が、大君の自己内省を深める ことに大きく作用していることが看取できよう。   仮 初 の 添 い 伏 し の 一 夜 が 明 け た 朝、 大 君 が 薫 へ の 答 歌 に 詠 ん だ 歌 の 下 の 句 は、 「 世 の う き こ と は 尋 ね 来 に け り 」( 総 角 二 三 九 ) と い う も の で あ る。 「 尋 ね 来 に け り 」 は、 侵 入 の イ メ ー ジ の 色 濃 い 一 語 で あ る。 大 君 の 言 う「 世 の う き こ と 」 と は 何 か。 『 岷 江 入 楚』所引の三光院実枝の説には「世のうき事は今夜の薫の事を言 へり」とある。いかにも「うきこと」は、薫であり、薫がもたら したものであるに違いない。しかし、大君とって薫はただ厭わし い存在であるのではない。薫が去った後、大君は薫という人物に つ い て、 「 こ の 人 の 御 け は ひ あ り さ ま の 疎 ま し く は あ る ま じ く 」 ( 総 角 二 四 〇 ) と い う 印 象 を 持 っ て い る。 御 簾 の う ち に 侵 入 す る という暴挙を働き、顔を見られるという屈辱を味わわせた相手に 対する思いとしては、肯定的な見方といえるのではないか。また 大君は八の宮の薫に対する態度について回想する。大君は幾度も 八の宮の遺戒を取り出して、薫との結婚を拒絶するのだが、ここ に限っては、八の宮も薫のことは婿に迎えたがっていたところが あったと思い返している。この時大君の心は、薫に対してかなり 傾 い て い る と 判 断 す べ き で あ ろ う。 し か し 湧 き 始 め た 薫 へ の 思 慕 に 反 し て、 大 君 は「 み づ か ら は な ほ か く て 過 ぐ し て む 」( 総 角 二四〇)と、結婚拒否を貫くことを思い定める。一つの心中思惟 の 中 で、 「 み づ か ら は な ほ か く て 過 ぐ し て む 」、 「 わ が 世 は か く て 過 ぐ し は て て む 」( 総 角 二 四 〇 ) と 二 度 に 渡 っ て、 し か も 忍 び 泣 きながら、結婚拒否を思い定めているのは、薫と結ばれることの 可能性を思わずにはいられないからに他ならない。揺らぐ気持ち があるからこそ、独身を貫くことが正しい選択であることの理由 を一つ一つ確かめるようにして、結婚拒否の決意を我が身に言い 聞かせているのである。薫に好意を持たないのであれば、執拗に 悩む必要はない。打ち消せない思いがあるからこそ、繰り返し考 えずにはいられないのである。当初、自分の結婚の可能性を念頭 に置こうとしなかった大君の心は、薫との接近を経て、大きく揺 ら い で い る。 「 愛 し さ 」 と「 厭 わ し さ 」 が ま ざ り あ っ た、 そ れ ま で知ることのなかった複雑な感情が大君には芽生えているのだと いえよう。   薫と大君の対話には、二人の間で同じ言葉が繰り返し遣り取り

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され、対話が進められていくという特徴を指摘することができる の だ が、 中 で も「 隔 て 」 の 語 の 応 酬 が 注 目 さ れ る。 「 隔 て 」 は 大 君と薫の関係を考えるときの鍵語である。何故、薫と大君は「隔 て」を越えられないのか。これには、薫という人物のあり方を確 認しておかねばならない。薫は、出自、後見ともに盤石な存在で あ り な が ら、 自 己 の 存 在 不 安 を 抱 え て い る。 い か に も 頼 り な く、 思慮深げには見えない女三の宮が、若い身を墨染の衣に窶してい る こ と が、 薫 は 不 審 で あ る の だ が、 そ の 不 審 さ は、 薫 に と っ て、 自分の出生に思いがけない事情が関わっていることを疑わせるも のとなる。道心から程遠いところにいるような女三の宮を出家に 赴かせざるを得ないような、激しい「憂し」が自分の出生には確 実に関わっているとの認識を薫は抱く。その認識は薫の生を根底 から否定する。薫は、無常の世を生きることを否定した女三の宮 を最も身近な肉親に持つことにより、生まれながらにして自己に 欠損を抱え、無常の世を生きることのつらさを身に負った人物と して生きる運命を与えられた。   不義の子という運命を背負う薫は、他者からの侵入を受け、自 己の欠損がさらけ出されることをひどく恐れている。この恐れの た め に、 薫 は 他 者 に 対 し て 必 然 的 に「 隔 て 」 を 置 か ざ る を 得 な い。外面と内面の不調和を感じさせる現世に疲弊した薫は、現世 の価値観が及ばない仏道に居場所を求めるが、薫の道心はひとえ に仏の救いを求めるだけのものではない。世の覚え高く、若い身 空で熱心に仏道に励む姿は、有り難き存在として世間から捉えら れ、 「聖人」としての薫像を構築していく。 「聖人」というアイデ ンティティは、現世における薫の身の不安定さをガードしてくれ る、 い わ ば 隠 れ 蓑 の 役 割 を 果 た す。 こ の 隠 れ 蓑 が、 「 隔 て 」 を よ り強固なものにしていく。   「 隔 て 」 を 張 り 巡 ら せ る 薫 は、 一 人 孤 独 に 耐 え る ほ か な い。 だ か ら こ そ、 心 の 底 で は「 隔 て 」 を 要 し な い 相 手 を 希 求 し て い る。 その対象として、薫は大君を欲した。宇治を訪れた際、薫は弁に 大 君 を 求 め る 理 由 を 切 々 と 訴 え る。 「 た だ か や う に 物 隔 て て、 言 残いたるさまならず、さしむかひて、とにかくに定めなき世の物 語を隔てなく聞こえて、つつみたまふ御心の隈残らずもてなした ま は む な ん 」( 総 角 二 三 〇 ) と い う の が、 薫 が 大 君 に 求 め る 関 係 として主張するものである。孤心を癒す、精神的慰撫者として大 君 を 求 め る 心 情 か ら、 大 君 と 打 ち 解 け て 話 す た め に、 「 隔 て 」 を 取り払いたいと願うのである。しかしながら、薫が大君に対して 求めているのは、精神的な繋がりだけではない。大君には性を捨 象 し た 人 間 対 人 間 の 関 係 と し て、 精 神 的 交 流 を こ そ 求 め る の だ と、折に触れて繰り返し力説している薫であるが、その力説の裏

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には、決して表には出せない思いとして、男として大君を領じた いという心情が潜んでもいる。   しかし、薫が心のままに大君を手に入れようとしないのは、極 め て 複 雑 な 薫 の 欲 望 の あ り 方 に あ る。 「 好 き 心 」 は、 「 恥 づ か し 」 という世評に象徴される己の聖性を保つために、薫が他者から最 も悟られたくない感情であるため、薫は大君を求める熱情に流さ れることを自らに許さない。薫は大君の隣に添い伏したとき、几 帳 を「 仏 の 御 方 に さ し 隔 て 」( 総 角 二 三 六 ) た。 し か し、 几 帳 に よって仏の存在を視覚的にシャットアウトしても、逃れようもな く 香 り 漂 っ て く る 名 香 と 樒 の 香 が 薫 の 行 動 に 制 限 を か け て い く。 そ れ は 薫 が「 人 よ り は け に 仏 を も 思 ひ き こ え た ま へ る 御 心 」( 総 角二三六)を持つからこそであるが、制限の理由はそれだけでは なかろう。言葉で明示されることはないが、薫が常に強く気にし て い る の は 世 間 の 目 で あ る。 「 仏 を も 」 と い う 言 い 方 に は、 仏 道 を重んじる心の他に、世間に対する強い配慮が前提にあることが 示されているようにも捉えられ る 注注 注 。道心を身上とする薫のあり方 が全くのポーズであるとは決して思わないが、ここでの薫は、仏 道に反することそれ自体より、仏道に反した者として世間から見 ら れ、 「 聖 人 」 と い う 隠 れ 蓑 を 失 う こ と の 方 を よ り 恐 れ て い る よ うに思われる。ここで薫がさし立てた「隔て」とは、仏への隔て ではなく、世間への隔てだったのであろう。   薫が泣き沈む大君の姿を見てそれ以上の進展を思いとどまった のも、自分が泣き暮れる服喪中の女性を無理矢理に襲う「すきず き し き 心 」( 橋 姫 一 三 八 ) の 人 間 に な っ て し ま う こ と を 忌 避 す る 心理が働いているからである。薫という人は、どんなに強い熱情 や執着を抱こうとも、それ以上に強烈な自己意識、世間への意識 が優先されてしまう人なのである。時に欲求が溢れ出し、平素に な い 衝 動 的 な 行 動 に 出 る の だ が、 彼 は い つ も ギ リ ギ リ の と こ ろ で 踏 み と ど ま ら ざ る を 得 な い。 こ の 時 も 薫 は、 「 こ の 御 心 に も、 さ り と も す こ し た わ み た ま ひ な む 」 と「 せ め て の ど か に 思 ひ な 」 (総角二三六)す以外になかった。問題の解決を「この御心」 、即 ち大君の心情に求める薫のあり方は、見ようによってはエゴイス ティックなものである。自分が世間への「隔て」を越えることが できないために、大君の方から彼女の「隔て」を取り払うことを 期待するというのは、自己中心的と言わざるを得ない。      一方、大君は、薫と男女の関係を持つことが自己の崩壊に繋が るため、決して薫を男として近づけるわけにはいかなかった。男 女 の 関 係 に な ら ず に、 「 姫 宮 」 と「 客 人 」 の 関 係 に 踏 み と ど ま っ て こ そ、 自 分 は 薫 と 繋 が り 続 け る こ と が で き る と 大 君 は 考 え る。 大君の差し立てる厳重な「隔て」には、大君の宮家の長女として

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の誇りや女の切ない思いなどの、様々な思いが込められた決意が 託 さ れ て い る の で あ る。 大 君 が 薫 に 言 っ た「 物 隔 て て な ど 聞 こ え ば、 ま こ と に 心 の 隔 て は さ ら に あ る ま じ く な む 」( 総 角 二 三 八 ) という言葉は、このような大君の心理を根底に置いて、発せられ ている。   従 っ て、 宮 家 の 姫 と し て の 自 己 を 守 る た め に 物 理 的 な「 隔 て 」 を 決 し て 取 り 払 え な い 大 君 と、 自 己 存 在 の 安 定 の た め に 精 神 的 「 隔 て 」 を 排 し た 関 係 を 求 め つ つ、 一 方 で「 聖 人 」 た る 自 己 を 守 るために己が心に「隔て」を持ち続け、相手側に「隔て」を捨て ることを求める薫という二人の関係は、混ざり合わぬ個我をあぶ り 出 す 以 外 に な い。 「 隔 て 」 に 固 執 す る 二 人 は、 鏡 像 関 係 と い え るような立場にあるが、共に自己を侵されることへの恐怖を抱え ているために、交り合うことはできないのである。   生 身 の 自 己 と 自 己 を つ き あ わ せ る こ と が で き な い 薫 と 大 君 は、 それぞれ「匂宮」 、「中の君」という奇妙な媒介を通して、相手と 繋 が り を 有 し て い こ う と す る。 自 分 が 薫 と 結 婚 で き な い な ら ば、 せ め て、 薫 の 義 理 の 姉 と し て 薫 と 関 係 を 保 ち た い と 大 君 は 考 え る。 「 身 を 分 け た る、 心 の 中 は み な 譲 り て、 見 た て ま つ ら む 心 地 な む す べ き 」( 総 角 二 四 八 ) と い う、 中 の 君 を 通 し て 薫 と の 繋 が りを持とうとする、大君独特の発想が生まれるのである。      その後、薫の手引きにより、匂宮と中の君が夫婦となるが、大 君は妹の結婚生活を通して、男女の関係の無常を感じとり、薫と 自分の関係にもあてはめていく。思うに任せぬ中の君の結婚生活 は、大君に男女関係を厭うべきものとして把握させるに至る。こ の 時、 大 君 は「 か な ら ず つ ら し と 思 ひ ぬ べ き 」( 総 角 二 八 八 ) と、 薫 の 変 化 を 確 信 的 に 予 感 す る。 「 つ ら し 」 は「 他 者 の 仕 打 ち に よ る堪えがたさ、恨めしい気 持 注注 注 」を表すものである。大君は薫が自 分を傷つける他者に変化することを予期しているといえよう。さ らに、中の君の結婚は、大君に容色の衰えを危惧する心を生み出 し て も い る。 大 君 は「 い ま 一 二 年 あ ら ば 衰 へ ま さ り な む 」( 総 角 二八一)と、時が確実に自分の若さ、美しさを奪っていくことを 意識する。時の移りゆく無常が、大君に容色の衰えを危惧させる のは、薫という、大君の容貌を見、評価する相手がいるからに他 ならない。   匂 宮 の 心 変 わ り を 見 て 取 っ た 大 君 は、 匂 宮 を 中 の 君 の 夫 に 迎 え た こ と を 激 し く 後 悔 し、 「 月 草 の 色 な る 御 心 な り け り 」( 総 角 二九八)と、匂宮の不実さをなじる。大君は暗い面持ちの中の君 の姿に心を深く痛め、中の君の境遇を嘆き、男女の愛情の非永続 への思念をさらに確定化させる。この時の大君の心内で執拗に繰 り返される「人笑へ」の語は、誇りを傷つけられた大君の悲痛な

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心境を物語るものである。大君が八の宮の遺戒の意味するところ を理解した時とは、父宮の懸念を現実のものとしてしまった時な のであった。   生きながらえる以上、ついには薫との結婚は避けられないと大 君は認識している。しかしそうなれば、己の誇りは失われ、薫に 失 望 す る こ と は 必 定 で あ る。 「 な が ら ふ 」 こ と は、 喪 失 し て い く ことなのだという認識が明確な輪郭を持ってしまったとき、大君 の 思 念 は 一 つ の 方 向 に 定 め ら れ て い く。 「 い か に も て な す べ き 身 に か は 」( 総 角 二 四 六 )、 と、 常 に 自 分 の 生 き る 方 途 を 探 し て き た 大 君 は、 「 い か で 亡 く な り な む 」( 総 角 三 〇 〇 ) と、 そ の 方 途 に 死 を 選 び、 希 求 し て い く。 「 こ の 世 に は い さ さ か 思 ひ 慰 む 方 な く て 過 ぎ ぬ べ き 身 ど も 」( 総 角 三 〇 一 ) に は、 大 君 の 現 世 を 生 き る こ とへの絶望が表されていよう。大君は食を断ち、床に臥すように なる。   死に赴く大君は一度、自分が生き残る可能性を考えるときを持 つ が、 「 見 劣 り し て 我 も 人 も 見 え む が、 心 や す か ら ず う か る べ き こ と 」( 総 角 三 二 三 ) と、 や は り 薫 と の 結 婚 に よ っ て 自 分 と 薫 の 心変りを見ることを厭う。変化による痛みを負いたくないという 大 君 の 心 情 が 感 ぜ ら れ よ う。 大 君 は 現 世 を 生 き る 以 上、 こ こ に 至っては薫との結婚はもはや免れ得ないと考えている。大君が現 世にありながら「反無常」を獲得し得る方法は、唯一出家のみで ある。父のいない大君が、出家を成し遂げるには薫の協力が不可 欠となる。しかし大君の出家の願いは薫の耳に届けられることす らない。大君は中の君に出家の意を伝えるものの、周囲の女房た ちが大君の出家を言下に否定する。出家の可能性を否定された大 君は、死へとひた走る。臨終に際し、大君は薫に幻滅されたくな いと願い、薫は大君に幻滅するところを見出して、大君への執着 を絶ちたいと願う。願いの内容は正反対であるが、心理の根底を 見れば、見ているものは自分自身という意味で、やはり二人は鏡 のように似ているのであった。   大 君 の 死 は「 見 る ま ま に も の の 枯 れ ゆ く や う に て、 消 え は て た ま ひ ぬ 」( 総 角 三 二 八 ) と 叙 さ れ る。 死 は 全 て の 終 り を 意 味 し、 動 く こ と を 止 め る こ と で あ る。 大 君 は「 反 無 常 」 を 得 る た め に、 死を選んだ。大君は全ての終わりを安寧と受け止めるほど、無常 の世を生きて変化し喪失することに心を痛めていた。喪失するこ との恐怖は、朝顔の姫君、紫の上の物語にも哀切な響きを持って 語られていた。結婚拒否の女君の系譜を通して、何かを失ってい くことに対するやみがたい悲懐が描き出されたのではないか。

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おわりに

  三者の結婚拒否の根底にあるもの、それは、無常からの離脱を 求める心情である。人は誰しも、現世に生きる以上、他者と関わ ら ざ る を 得 な い。 と り わ け、 「 結 婚 」 と は 即 ち、 他 者 と 深 く 関 わ りあうことに他ならない。他者との関わりあいは必ず自己に変化 をもたらす。また、他者との関係自体も不変であり続けることは ない。不変を願いつつも、不変が叶わぬことに気付いたとき、女 君たちは「結婚拒否」という生き方を選んだ。   無常の認識は、しばしば喪失の意識と結び付く。何かが己の手 か ら こ ぼ れ 去 っ て い く の を 感 じ た 時、 女 君 た ち は 無 常 を 痛 感 す る。 無 常 の 認 識 を 持 ち、 そ の 痛 み を 感 ず る 三 者 は、 「 反 無 常 」 の 世界を求めて、男君と共に生きる、変化せざるを得ない生を辿る ことを拒んだ。変化することを退けるために、無常からの離脱を 求 め て、 一 人 は 己 の 個 的 な 世 界 に 閉 じ こ も り、 一 人 は 出 家 を 願 い、一人は死を希求した。   世は無常である。それは、限りない悲しみを呼び起こす認識で ある。不変にこだわる源氏に対し、朝顔の姫君と紫の上は、不変 は夢想に過ぎないことを見据えていく。そして、薫と大君は、無 常を背負った者として出会った。大君の物語は、紫の上の物語を 経たからこそ生まれ出でたものであろう。紫の上が辿りついた無 常の認識を受け継いだ大君は、他者と関わりあうことを恐れ続け た。大君は薫との間に「隔て」を置き続け、最後まで他者を受け 入れることを拒否した。しかし、紫の上から大君へ、無常の認識 は継承されているが、各々が辿った生は同じではない。死によっ て他者との関係を断ち切った大君に対して、無常の痛みを抱えな が ら も、 紫 の 上 が 最 後 ま で 無 常 に 身 を 置 い た こ と の 意 味 は 大 き い。反無常を求めつつも、獲得し得ず、従来の自己を根底から喪 失する恐怖を抱きながらも、移り変わる関係性を最後まで生き続 け た 紫 の 上 が 辿 っ た 生 の あ り 方 を 重 視 し た い。 『 源 氏 物 語 』 は、 ただ人間同士の結びつきの絶望を語っているのではなく、他者と 関わり続けることの困難さに苦しみつつも、関わりあわずにはい られない、人間の生の本質を描いているのであろう。   注1   清 水 好 子 「 藤 壺 鎮 魂 歌 」(『 源 氏 の 女 君   増 補 版 』 塙 書 房 、 昭 和 四 二 年 )  注 2   佐 藤 勢 紀 子「 源 氏 物 語 の 無 常 観 」(『 宿 世 の 思 想 ─ 源 氏 物 語 の 女 性 た ち』ぺりかん社、平成七年) 注 3   松 井 健 児「 朝 顔 の 姫 君 と 歌 こ と ば 」(『 源 氏 物 語 の 生 活 世 界 』 翰 林 書 房、平成一二年)

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注 注 前掲(注 注)松井論文 注 注   『新編日本古典文学全集』 (小学館)第二巻、四七六頁頭注 注 注   秋山虔「朝顔の花」 (『源氏物語の女性たち』小学館、昭和六二年) 注 注   前掲(注 注)秋山論文 注 注   藤 河 家 利 昭「 朝 顔 の 姫 君 と 朝 顔 の 花 ─ 「 似 つ か は し き 御 よ そ へ 」 の 検 討 か ら ─ 」(『 研 究 講 座   源 氏 物 語 の 視 界 三 ─ 光 源 氏 と 女 君 た ち ─ 』新典社、平成八年) 注 注   原 岡 文 子 氏 は「 朝 顔 の 巻 の 読 み と「 視 点 」」( 『 源 氏 物 語 の 人 物 と 表 現 ─ そ の 両 義 的 展 開 』 翰 林 書 房、 平 成 一 五 年 ) に お い て「 侍 女 の 思 惑 と 考 え る べ き 」 と し、 『 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 』( 小 学 館 ) は 姫 君 の 心 中としている。 注 10 玉上琢弥『源氏物語評釈   第四巻』 (角川書店、昭和四〇年) 注 11 原 岡 文 子「 紫 の 上 の 登 場 ─ 少 女 の 体 を 担 っ て ─ 」(『 源 氏 物 語 の 人 物と表現 ─ その両義的展開』翰林書房、平成一五年) 注 12 今 井 久 代「 『 源 氏 物 語 』 に お け る 紫 の 上 の 位 相 」(『 源 氏 物 語 構 造 論 ─ 作中人物の動態をめぐって』風間書房、平成一三年) 注 1注 今 井 久 代「 御 髪 の こ ぼ れ か か り た る を 掻 き や り つ つ 見 た ま へ ば ― 男 と 女 の は ざ ま に は・ 大 君 と 薫 の 恋 物 語 」( 「 國 文 学 七 月 臨 時 増 刊 号   テ ク ス ト ツ ア ー 源 氏 物 語 フ ァ イ ル 」 第 四 五 巻 九 号、 学 燈 社、 平 成 一二年七月) 注 1注 鈴 木 日 出 男「 心 情 語「 う し 」「 つ ら し 」」( 『 源 氏 物 語 の 文 章 表 現 』 至 文 堂、平成九年) ※『 源 氏 物 語 』 本 文 の 引 用 は、 『 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 』( 小 学 館 ) の 表 記、 頁数に拠る。  (かみやま   みを   二〇一一年修士課程修了)

参照

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