実
範
の
阿
弥
陀
観
1
付
・
東
寺
観
智
院
所
蔵
『観
自
在
王
三摩
地
』翻
刻
ー
苫
米
地
誠
一
実範の阿 弥 陀観一
、 はじ
め に 中 川 少 将 上 人 蓮 光 房 実 範(
〜一
一
四 四)
は 、 興 教 大 師 正 覚 房 覚 鑁(
一
〇 九 五 〜一
一
四 三)
と 同 じ 平 安 時 代 院 政 期 に 生 き た 興 福 寺 の 法 相 宗・
真 言 宗・
律 宗 兼 学 の 僧 で あ る 。 早 く 東 大 寺 戒 壇 院 凝 然 大 徳(
一
二 四 〇 〜 = 三 =)
の 『 浄 土 法 門 源 流 章 』(
↓ に 浄 土 門 の 祖 師 の一
人 と し て 上 げ ら れ る こ と で 知 ら れ、
ま た 鎌 倉 期 に 盛 ん と な っ た 南 都 仏 教 の 戒 律 復 興 運 動 の 先 駆 者 と し て も 知 ら れ て い る 。 実 範 の 浄 土 教 に 関 し て は、
覚 鑁 の 『一
期 大 要 秘 密 集』
互 に 引 用 さ れ る『
病 中 修 行 記』
の 長 谷 寺 所 蔵 の 江 戸 期 の 写 本 が 『 真 言 宗 安 心 全 書 快 3)
に 翻 刻 さ れ て か ら 、 そ の 密 教 浄 土 教 思 想 に 関 す る 研 究 も 始 ま っ て き た 。 ま た 佐 藤 哲 英 博 士 は、
竜 谷 大 学 に 所 蔵 さ れ る『
念 仏 式 』 と い う 院 政 期 の 写 本 を 翻 刻 紹 介 さ れ、
法 然 房 源 空(
一
一
三 三 〜一
二一
二 ) の 弟 子 で あ る 覚 明 房 長 西(
一
一
八 四 〜一
二 六 六 ?)
(
↓ の 撰 集 し た 『 浄 土 依 憑 経 論 章 疏 目 録(
長 西 録 ご〔
色 に 記 録 す る 実 範 作 の 「 往 生 論 五 念 門 行 式 」 に 当 た る も の と 推 定 さ れ て い るn
色 。 ま た 同 時 に 、 こ れ ま で 存 在 の 知 ら れ な か っ た 実 範 の 著 作『
観 自 在 王 三 摩 地 』 の 古 写 本 を 発 見、
報 告 さ れ て い る〔
写 本一
29一
智 山学 報 第五十 輯 外 題 に よ っ て 「 阿 弥 陀 私 記 」 と さ れ る
)
。
し か し『
念 仏 式』
の 著 者 に 関 す る 佐 藤 博 士 の 推 論 に は 疑 問 が あ り 、 賛 成 で き な い。
ま た 佐 藤 博 士 の 報 告 さ れ た 『 観 自 在 王 三 摩 地 』 は 翻 刻 さ れ て お ら ず 、 写 真 が 掲 載 さ れ る も の の 極 め て 小 さ く、
網 掛 の 為 に 文 字 が 潰 れ、
本 文 が 判 読 で き な か っ た 。 今 回 、 幸 に も 東 寺 観 智 院 の 聖 教 中 に 江 戸 期 の 写 本 を 見 出 し た の で こ れ を 翻 刻 し、
『
病 中 修 行 記 』 と 合 わ せ て、
実 範 の 阿 弥 陀 観、
密 教 浄 土 教 思 想 の一
端 に つ い て 検 討 し た い 。 二 、実
範
の著
作
に つ い て 実 範 の 撰 述 書 目 に つ い て、
古 目 録 類 に よ っ て 上 げ る と 次 の 如 く で あ る。
(
一
)
『 諸 宗 章 疏 録』
に は「
中 川 実 範 律 師(
厳 覚 付 法 。 釈 書 第 十 七 。 本 朝 第 五 十 七 )」
〔
7v と し て(
1
)
大 日 経 序 分 義一
巻(
序 分 義)
(
『 日 本 大 蔵 経 』 第一
四 巻 「 密 教 部 章 疏 」 上一
・
『 大 日 本 仏 教 全 書 』 第 四 二 巻)
AA
65432
の 六 部 が あ る が、
(
二)
次 に(
7
)
大 経 要 義 鈔 七 巻(
『
日 本 大 蔵 経』
第一
四 巻 「 密 教 部 章 疏 」 上一
)
阿 字 義一
巻(
三 巻『
大 正 新 脩 大 蔵 経 』 第 七 九 巻)
戒 壇 式一
巻(
出 僧 伝)
(
東 大 寺 戒 壇 院 受 戒 式一
巻(
『 大 正 新 脩 大 蔵 経』
第 七 〇 巻)
観 自 在 王 三 摩 地一
巻(
東 寺 観 智 院 聖 教 第一
九 六 函 二 号 本 稿 中 に 翻 刻)
病 申 修 行 記一
帖(
上 二 部 題 下 云 少 将 上 人)
(
『 真 言 宗 安 心 全 書 』)
(
5
)
『
観 自 在 王 三 摩 地』
を 除 い て、
全 て 既 に 公 刊 さ れ て い る 。『
長 西 録』
互 に は 実 範 の 浄 土 教 関 係 の 著 作 と し て(
6)
『 病 中 修 行 記』
の 外 に 観 無 量 寿 経 科 文一
巻一
30一
実 範の阿弥 陀 観
(
8
)
往 生 論 五 念 門 行 式一
巻(
9
)
般 舟 三 昧 経 観 念 阿 弥 陀 仏(
10
)
眉 間 白 毫 集}
巻(
11
)
臨 終 要 文 の 五 部 が 上 げ ら れ る が、
こ れ ら に つ い て は 未 だ 発 見 さ れ て い な い 。(
三)
ま た 目 録 に は な い が、
活 字 化・
公 刊 さ れ て い る 撰 述 と し て(
12
)
阿 字 要 略 觀一
巻(
『 大 正 新 脩 大 蔵 経』
第 七 九 巻)
(
13
)
理 趣 釈 口 決 鈔 七 巻(
『 日 本 大 蔵 経』
第 九 巻 「 理 趣 経 釈 章 疏 」〉
(
14)
六 種 護 摩 鈔一
巻〔
『 真 言 宗 全 書 』 第 三 六 巻)
を 見 る こ と が で き る 。(
四)
他 に 海 恵 撰 『 密 宗 要 義 鈔 』(
『
真 言 宗 全 書 』 第一
七 巻〉
に は(
2)
『 大 経 要 義 鈔 』、
(
3
)
『 阿 字 義 抄』
か ら の 引 用 に 加 え て、
実 範 の 著 作 と し て ( 15)
四 種 法 身 義(
16
)
或 鈔 の 逸 文 が 引 用 さ れ る 。 ま だ 如 何 な る も の か 確 認 で き て い な い が、
共 に 教 主 義 に 拘 わ る 記 述 が 多 い 。 「 或 鈔 」 は一
部 が〔
1
)
『 大 日 経 序 文 義 』 に一
致 す る が、
そ こ に 見 ら れ な い 文 も 多 く、
断 定 で き な い す〕
。 ま た 頼 瑜 の『
秘 鈔 問 答 』 「 阿 弥 陀 」 の 項 に は 、(
5
)
『 観 自 在 王 三 摩 地 』 の 引 用〔
」 と 同 時 に、
( 17)
「 中 川 実 範 次 第 」 又 は 「 中 川 次 第 」 、 「 実 範 秘 决 」 な ど と 称 さ れ る 阿 弥 陀 法 次 第 の]
部 な ど が 引 用 さ れ{
」 、 ま た 佐 藤 哲 英 博 士 に よ れ ば一
31一
智 山学報 第五十輯
(
18)
菩 提 心 論 開 見 鈔 二 巻 ( 19)
理 観一
巻(
理 観 鈔 と も い い、
唐 招 提 寺 と 高 野 山 大 学 に 写 本 が 存 在 す る と さ れ る)
(
20)
安 身 養 神 集(
良 忠 撰『
観 経 玄 義 分 伝 通 記 』 巻 第 五 と 皿)
の 三 部 が 実 範 の 作 と さ れ て い る 。 ま た 今 回、
東 寺 観 智 院 金 剛 蔵 聖 教 の 中 に 「 密 宗 要 義 鈔(
中 川)
」一
巻(
第 二 九 八 箱 二 四 号)
の 写 本 が 見 出 さ れ た。
(
2
)
『 大 経 要 義 鈔 』 の一
部 略 抄 の 写 本 の よ う で あ る が、
十 住 心 教 判 に 関 す る 天 台 宗 な ど 他 宗 か ら の 批 判 に 対 し て 反 論 し た も の で、
ま だ 全 文 を 検 討 し た わ け で は な く、
結 論 は 保 留 し て お き た い 。 三 、実
範
の出
家
と
修
学
1、
出 自 に つ い て 実 範 の 伝 記 に つ い て は 、 堀 池 春 峰 博 士〔
」、
佐 藤 哲 英 博 士 、 櫛 田 良 洪 博 士3
、
大 谷 旭 雄 師(
〜 な ど、
皆『
元 亨 釈 書 』 や『
律 苑 僧 宝 伝』
等 の 「 実 範 伝 」 に よ つ て い る よ う で、
実 範 が 初 め は 興 福 寺 に 入 り、
法 相 宗 僧 で あ っ た も の が、
後 に 真 言 宗 に 転 じ、
興 福 寺 で は 真 言 宗 の 修 学 が 出 来 な い の で、
中 川 の 地 に 移 っ た も の と さ れ る 。 実 範 の 伝 記 と し て 最 も 古 い 『 元 亨 釈 書 』 「 実 範 伝 」〔
汐 に は 、 実 範 は 参 議・
中 將 藤 原 顕 実 の 第 四 子 で あ り、
初 め 興 福 寺 に 入 っ て 法 相 宗 を 学 び、
後 に 真 言 宗 に鰭
て 醍 醐 寺 の 厳 覚 よ り 付 法 し た と あ る 。 『 尊 卑 分 脈 』 に よ る と〔
ヨ、
顕 実 は、
藤 原 懐 平 − 資平
ー 資 仲 − 顕 実 と 繋 が る 系 譜 に あ り、
延 久 六 年(
一
〇 七 四)
に 権 少 将 と な り、
そ の 後 、 少 将 と な っ た 時 期 は 不 明 で あ る が、
寛 治 四 年(
一
〇 九 〇∀
に 太 皇 太 后 亮 を 兼 ね、
寛 治 八 年 に 権 中 将 に 転 じ、
康 和 四 年(
一
一
〇 二)
に 蔵 人 頭、
康 和 六 年 に 參 議・
右 中 將 と な っ て い る。
資 信・
実 重・
相 実・
実一
32一
実範の阿 弥 陀 観 範
・
浄 顕・
静 慶 の 六 人 の 子 が あ る が、
第 三 子 相 実〔
一
〇 八 八 〜一
一
六 五)
は 台 密 法 曼 院 流 の 祖 で あ る 叡 山 僧 で あ り、
寛 治 二 年(
一
〇 八 八)
の 生 れ で あ っ て、
そ こ か ら 佐 藤 博 士 は 、 実 範 を 寛 治 三 年 の 生 れ と 推 定 さ れ る 。 ま た 櫛 田 博 士 も 寛 治 二 年 か ら 四 年 頃 の 生 れ で あ ろ う と さ れ る 。 但 し 顕 実 は、
寛 治 八 年 に は 中 將 と な っ て お り 、 実 範 は 寛 治 二 年 の 生 れ と し て 、 こ の 時 六 歳 で あ る 。 櫛 田 博 士 の 指 摘 さ れ る よ う に 、 『 中 右 記 』 に よ れ ば、
相 実 は 承 徳 二 年(
一
〇 九 八)
八 月 二 十 七 日 に 、 十 歳 で 出 家 を し て い る(
」 。 こ の 時、
顕 実 は 既 に 中 將 で あ っ て、
実 範 の 出 生 が 相 実 よ り も 遲 け れ ば、
当 然 そ の 出 家 の 時 点 で 父 顕 実 は 中 将 で あ っ た ろ う 。 勿 論、
顕 実 の 没 し た 時 は 中 将 で あ っ た 。 而 し一
方 で 実 範 は 少 将 上 人 と も 称 さ れ る 。 実 範 が 顕 実 の 子 息 で あ れ ば、
中 将 上 人 と 称 さ れ る と し て も、
少 将 上 人 で は 父 親 の 位 と 相 違 す る。
こ の 点 に 顕 実 の 第 四 子 と す る 伝 承 に 疑 簡 が 生 ず る 。一
方 で『
尊 卑 分 脈 』 に は 藤 原 懐 平 の 流 れ に、
懐 平 ー 経 通 − 経 季 ー 季 実 と 繋 が る 少 将・
木 工 頭 で あ る 季 実 が あ り、
そ の 子 息 に 小 野 阿 閣 梨 と 注 記 さ れ る 実 範 の 名 が 見 ら れ る〔
∂ 。 櫛 田 博 士 は こ れ を 中 川 実 範 と は 同 名 異 人 と さ れ る が、
父 親 は 少 将 で あ る 。 ま た 時 代 的 に 全 く 重 な り、
実 範 の 受 法 し た 勧 修 寺 大 僧 都 厳 覚(
一
〇 五 六 〜一
一
二】
)
、
そ の 師 で あ る 鳥 羽 僧 正 範 俊(
一
〇 三 八 〜一
= 二)
の 住 し た 小 野 の 名 前 を も っ て 呼 ば れ る 。 勿 論、
同 時 代 に 同 名 の 人 物 が 居 た と し て も 同一
人 と は 言 え な い が、
別 入 で あ る 確 実 な 証 拠 も 無 い 。 同一
人 物 を 重 複 し て 上 げ た 可 能 性 も 考 え ら れ、
別 人 の 可 能 性 も あ る 。 顕 実 が 中 将 で あ る に も 拘 わ ら ず、
実 範 が 少 将 上 人 と 称 さ れ る こ と に よ る 疑 問 が 第一
点 で あ る。
若 し 顕 実 の 子 息 で な け れ ば、
そ の 出 生 時 期 を 相 実 の 生 ま れ た 寛 治 二 年 よ り 下 げ る 必 要 は な く、
も っ と 早 い と 考 え る こ と も 出 来 る 。 或 は 第】
子 資 信 か ら 第 三 子 相 実 ま で が 同 じ 母 親 で、
実 範 は 異 母 兄 弟 の 為 に 四 番 目 に 記 録 さ れ た と す れ ば 、 相 実 よ り 早 い 生 れ で 、 出 家 の 時 に ま だ 父 顕 実 が 少 将 で あ っ た が た め に 、 少 将 上 人 と 称 さ れ た 可 能 性 は あ ろ う 。 相 実 が 叡 山 に 出 家 し 、 実 範 が 興 福 寺 に 出 家 を し た こ と を 考 え れ ば、
母 親 が 異 な る 可 能 性 は 高 い よ う に 思 わ れ る 。 ま た 腹 違 い で一
33一
智 山 学 報 第 五 十 輯 あ れ ば
、
相 実 と 同 年、
又 は 年 下 で、
よ り 早 く 幼 く し て 出 家 し た こ と も 考 え ら れ よ う。
た だ 今 は 『 尊 卑 分 脈 』 の 二 人 の 実 範 と 、 『 元 亨 釈 書 』 の 伝 え る 顕 実 の 子 と い う 説 と、
「 少 将 上 人 」 と い う 尊 称 と の 問 題 を 指 摘 す る に 止 め た い。
2
、 実 範 の 出 家 と 真 言 修 学 既 に 諸 氏 に よ っ て 指 摘 さ れ る よ う に 、 実 範 の 名 前 が 記 録 上 に 見 ら れ る 最 も 早 い 例 が、
天 仁 三 年(
=
一
〇)
の 正 月 後 七 日 御 修 法 に 舎 利 守 と し て 出 仕 し た も の で あ る(
,。〕
。
仮 に 実 範 が 寛 治 二 年 の 生 れ と す る と、
天 仁 三 年 は 二 十 三 歳 と な る 。 佐 藤 博 士 に よ れ ば、
そ れ よ り 七 年 前 の 康 和 五 年(
一
一
〇 三)
八 月 四 日 に 実 範 の 書 写 し た 旨 の 奥 書 の あ る 『 高 野 贈 大 僧 正 遺 誠 』 が あ る と さ れ る 。 ま た 天 仁 三 年 の 後 七 日 御 修 法 の 舎 利 守 は、
櫛 田 博 士 は 承 仕 の 役 で 、 年 若 い 僧 が 勤 め て も お か し く は な い と さ れ る が、
こ れ は 請 僧 交 名 に 名 を 連 ね る れ つ き と し た 伴 僧 の→
人 で あ る 。 と は い っ て も、
そ の 前 の 嘉 承 二 年(
一
一
〇 七)
の 仁 和 寺 大 教 院 内 供 覚 意(
一
〇 五 二 〜一
一
Q
七〉
大 阿 の 時 と、
天 永 二 年(
一
一
一
こ の 寛 助(
一
〇 五 七 〜一
一
二 五)
大 阿 の 時 に 舎 利 守 を 勤 め た 式 部 阿 閣 梨 覚 任(
一
〇 八 四 〜一
一
五 二)
〔
9 は、
永 久 六 年(
=一
八)
二 月 に 三 十 三 歳 で 寛 助 よ り 潅 頂 受 法 し て お り 篳、
嘉 承 二 年 は 二 十 三 歳、
天 永 二 年 は 二 十 七 歳 で あ っ た。
ま た 永 久 八 年(
}
一
一
八)
の 後 七 日 御 修 法 の 舎 利 守 俊 助 は こ の と き や は り 二 十 七 歳 で あ っ た。
こ れ か ら す れ ば、
確 実 で は な い が 、 実 範 も 天 仁 三 年 に 二 十 代 の 年 齢 で あ っ た と 考 え て 良 い で あ ろ う。
ま た 実 範 が 建 立 し た こ と で 知 ら れ る 中 川 寺 成 身 院 で あ る が、
堀 池 春 峰 博 士(
お}
に よ れ ば、
東 大 寺 宗 性 上 人 の 『 春 華 秋 月 抄 草 』 第 二 十 亠 ハ に、
成 身 院 の 建 立 を 天 永 三 年(
=
一
二)
と す る も の と 見 做 し う る 記 事 の 有 る こ と を 指 摘 さ れ、
ま た 「 永 久 二 年 甲 午 二 月 日 成 身 院 」 と い う 銘 文 の 西 大 寺 風 鐸 銘 の 記 録 が 残 さ れ て い る と い い、
こ れ に よ っ て 天一
34一
実範の 阿 弥 陀観 永 三 年 に 創 建 を 始 め
、
永 久 二 年 に 完 成 し た も の と 推 定 さ れ て い る が、
そ の 構 成 は 全 く の 密 教 寺 院 で あ っ た 。 伝 記 に よ れ ば 実 範 は 、 初 め 忍 辱 山 に 居 り 、 あ る 日 花 を 摘 ん で 中 川 の 地 に 至 り、
勝 景 で あ る の を 見 て 成 身 院 を 建 立 し た と さ れ る 。 中 川 寺 成 身 院 の 造 営 が 天 永 三 年(
一
一
一
二)
か ら 始 ま っ た と す る と、
こ れ 以 前 に 忍 辱 山 に 移 住 し て い た こ と に な る 。 忍 辱 山 寺 は、
も と 興 福 寺一
乗 院 末 で、
後 に 仁 和 寺 末 と な っ た と さ れ る(
忽 。 実 範 を 寛 治 二 年 の 生 れ と す る と、
天 永 三 年 は 二 十 五 歳 と い う こ と に な る。
『 真 俗 雑 記 問 答 鈔 』(
3 に は、
実 範 が 遁 世 し た 初 め に、
興 福 寺 衆 徒 か ら 帰 住 す る よ う 申 し 入 れ ら れ た と い う 伝 承 も あ る が、
中 川 寺 の 建 立 時 期 か ら 考 え て 、 実 範 の 忍 辱 山 寺 へ の 移 住 は 二 十 代 前 半 以 前 で あ っ た ろ う 。 既 に 天 永 三 年 の 後 七 日 御 修 法 舎 利 守 勤 仕 や 康 和 五 年 八 月 四 日 書 写 の 『 高 野 贈 大 僧 正 遺 誠』
の 事 な ど も あ り、
こ れ ら か ら す れ ば、
実 範 は ま だ 年 若 い 出 家 の 当 初 か ら 真 言 密 教 の 修 学 を 始 め て い た と 言 わ な け れ ば な ら な い 。 『 元 亨 釈 書 』 以 下 の 諸 伝 記 に お い て、
初 め 法 相 宗 で、
後 に 真 言 宗 に 転 向 し た と す る 理 解 は、
し か し 既 に 大 伝 法 院 学 頭 中 性 院 俊 立 旦 房 頼 瑜(
一
二 二 六 〜 = 二 〇 四)
に も 見 ら れ、
頼 瑜 撰 『 秘 鈔 問 答 』 第一
巻〔
蓼 に は、
実 範 が 法 相 宗 よ り 真 言 宗 に 帰 し て 厳 覚 の 下 を 訪 れ、
受 法 し た 奇 瑞 の 記 事 を 載 せ る 。 こ れ に よ り 厳 覚 に 受 法 し て 真 言 宗 に 帰 し た と す る 説 も あ る が、
但 し こ れ は 真 言 宗 に 帰 し た 後 に 厳 覚 よ り 潅 頂 受 法 し た 事 を 述 べ る も の で あ る 。 実 範 が 厳 覚 か ら 潅 頂 を 受 法 し た の は 永 久 四 年〔
一
一
一
六〉
四 月 十 九 日 で あ る 。 し か し 実 範 が 厳 覚 と 出 会 っ た の は 此 れ よ り 早 い 。 範 俊 大 阿 の 天 仁 三 年(
一
一
一
〇)
の 正 月 後 七 日 御 修 法 で は、
範 俊 が 歩 行 不 快 の た め に 加 持 香 水 を 厳 覚 が 代 官 と し て 勤 め て い る 多。
こ の 時、
実 範 は 舎 利 守 と し て 同 じ 道 場 に 勤 仕 し て い た 。 こ の 時 の 実 範 の 公 請 が、
範 俊 と の 関 係 に よ る も の か、
厳 覚 と の 関 係 に よ る も の か は 断 言 で き な い が、
此 の 当 時 の 御 修 法 全 般 で は、
伴 僧 は 大 阿 の 寺 家 か ら 選 ば れ る な ど、
大 阿 と の 関 係 が 緊 密 な よ う で あ る。
後 七 日 御 修 法 の 場 合 は 他 寺 か ら の 請 僧 も あ る が、
実 範 に 関 し て は 他 寺 と は 記 録 さ れ て い な い 。 範 俊 は 此 の 当 時 興 福 寺 権 別 当 で あ っ た か ら、
範 俊 と の 関 係 で 公 請 さ れ た一
35一
智山学報 第五十輯 と 考 え て よ い の で は な い か 。 そ の 場 合
、
実 範 の 出 家 入 室 の 師 は 誰 で あ っ た の か 。 大 谷 師 は こ れ を 範 俊 と し、
範 俊 が 権 別 当 と な っ て 興 福 寺 に 乗 り 込 ん で き た 康 和 二 年(
一
一
〇 〇〉
十 月 七 日 以 降 の 出 家 で あ ろ う と さ れ る 。 こ こ で 範 俊 の 立 場 が 問 題 と な る。
範 俊 は 興 福 寺 大 威 儀 師 仁 勢(
仁 静)
の 実 子 で あ り 、 『 血 脈 類 聚 記 』(
理 に は、
小 野 僧 都 成 尊(
一
〇 =丁
一
〇 七 四)
の 出 家 入 室・
瀉 瓶 の 弟 子 と す る と 同 時 に、
仁 勢 の 真 弟 子 と も す る 。 真 弟 子 と は 実 子 で あ り 弟 子 で も あ る こ と だ が、
若 し 仁 勢 の 真 弟 子 と す る 記 録 が 正 し け れ ば、
当 然 興 福 寺 僧 で あ る 。 若 し 成 尊 の 入 室 の 弟 子 と す る と、
永 井 義 憲 博 士 に よ れ ば 成 尊 は 仁 和 寺 僧 で あ っ た と 思 わ れ(
挈、
そ う で あ れ ば 範 俊 も 仁 和 寺 僧 で あ っ た 可 能 性 が あ る 。 確 か に 仁 和 寺 と 興 福 寺 と は、
仁 和 寺 の 末 寺 で あ っ た 大 覚 寺 門 跡 を 興 福 寺一
乗 院 門 跡 が 兼 帯 す る こ と を 通 じ て 関 係 が 深 か っ た が、
而 し 仁 和 寺 が 興 福 寺 諸 職 の 補 任 権 を 握 っ て い た 訳 で は な く、
範 俊 が 興 福 寺 権 別 当 に な っ た 理 由(
又 は 縁 故)
に つ い て 疑 問 が 残 る。
範 俊 が 上 皇 の 護 持 僧 と し て 鳥 羽 殿 に 居 住 し て い た(
し た が っ て 興 福 寺 に は い な か っ た)
と し て も、
だ か ら 興 福 寺 僧 で は な か っ た と は い え な い 。 範 俊 は 、 大 覚 寺 門 跡 を 兼 帯 す る一
乗 院 々 主 覚 信 大 僧 都 が 興 福 寺 別 当 と な っ た 時(
康 和 二 年(
一
】
OOV 補 任)
に、
合 わ せ て 権 別 当 と な っ た も の で、
覚 信 と の 関 係 が 予 想 さ れ る。
興 福 寺 本 『 僧 綱 補 任 』 に は、
こ の 権 別 当 補 任 に つ い て 「 宣 旨 に 依 り、
本 寺 に 挙 せ 被 る る 。 云 云 」 と あ る〔
習。
こ の 「 本 寺 」 は 興 福 寺 を 指 す が、
同 時 に 範 俊 の 本 寺 を 示 す も の と 見 て 良 い で あ ろ う 。 若 し 範 俊 の 本 寺 が 興 福 寺 で な く、
而 も 興 福 寺 の 推 挙 で あ れ ば 「 彼 寺 」 と あ る 筈 で あ る し、
興 福 寺 が 異 な る 寺 家 の 僧 を 推 挙 す る こ と も 考 え ら れ な い 。 そ の 前 後 の 権 別 当 か ら し て も 、 範 俊 は 元 か ら 興 福 寺 僧 で あ り、
、
決 し て 権 別 当 に 成 っ た こ と で 新 た に 興 福 寺 に 入 っ た も の で は な い、
と 考 え る 。 興 福 寺 に 入 っ た 実 範 が、
興 福 寺 僧 で あ り 真 言 宗 専 修 僧 で あ っ た 範 俊 の 弟 子 に な っ た と す れ ば、
そ の 当 初 か ら 真 言 密 教 を 修 学 す る こ と は 当 然 で あ る と も い え る 。 実 範 は 範 俊 か ら 潅 頂 受 法 し て い な い が 、 そ の 範 俊 は 後 七 日 御 修 法 の 大 阿 を 勤 め た 天 仁 三 年 の 二 年 後 の 天 永 三 年(
一
一
一
二)
に 没 し て い一
36一
実範の 阿弥 陀観 る
。
厳 覚 か ら の 受 法 は、
範 俊 が 没 し て か ら 四 年 後 の こ と で あ っ た。
そ し て 厳 覚 は 範 俊 の 瀉 瓶 で あ る。
即 ち、
実 範 が 範 俊 の 弟 子 で あ る と し て、
師 範 俊 よ り 潅 頂 受 法 す る 以 前 に 範 俊 が 没 し て し ま い、
受 法 で き な か っ た た め に、
範 俊 の 瀉 瓶 で あ る 厳 覚 か ら 受 法 し た も の と 考 え る こ と が で き よ う 。 櫛 田 博 士 は 『 血 脈 類 聚 記』
に お け る 実 範 の 厳 覚 か ら の 受 法 の 記 録 に、
実 範 が 高 野 山 の 教 真 の 潅 頂 の 弟 子 で あ る と 見 ら れ る こ と 蓴 と、
範 俊 か ら の 潅 頂 受 法 の 記 録 の な い こ と か ら 、 範 俊 の 弟 子 で は な く、
教 真 の 弟 子 で あ り、
厳 覚 か ら は 重 受 で あ る と す る 。 し か し 当 時 の 覚 鑁 や 持 明 院 真 誉 な ど は、
寛 助 か ら 受 法 す る 以 前 に 高 野 山 北 室 聖 良 禅(
一
〇 四 八 〜一
= 二 九)
や 醍 醐 理 性 院 賢 覚〔
一
〇 八 Q 〜一
一
五 六)
な ど か ら 潅 頂 受 法 し て お り、
寛 助 か ら の 受 法 は 重 受 で あ る。
従 っ て 実 範 の 教 真 か ら の 受 法 も、
決 し て 教 真 の 入 室 の 弟 子 で あ る こ と を 示 す も の で は な い 。 『 真 俗 雑 記 問 答 鈔』
に は、
厳 覚 か ら の 受 法 に 関 す る 奇 瑞 と 同 時 に、
教 真 か ら の 受 法 に 関 す る 奇 瑞 に つ い て の 伝 承 を 載 せ る^
3 が、
こ れ は 既 に 密 教 を 修 学 し て い る 実 範 が、
教 真 か ら 潅 頂 受 法 し た と さ れ、
教 真 の 入 室 の 弟 子 で な い こ と を 伝 え る も の で あ る。
既 に 堀 池 博 士 が 「 験 者 的 性 格 」 と 評 さ れ る よ う に、
実 範 は 生 涯 に わ た っ て 多 く の 密 教 修 法 に 勤 仕 し て お り、
そ の 活 躍 は 專 ら 真 言 宗 僧 と し て の も の で あ っ た と い え る 。 以 上 の よ う な 状 況 か ら す れ ば、
現 在 確 実 な 証 拠 は 見 出 せ な い が、
実 範 は 興 福 寺 に 入 り、
真 言 宗 専 修 の 範 俊 に 出 家 入 室 し て、
そ の 下 に 興 福 寺 に お い て 初 め か ら 真 言 宗 の 修 学 を 始 め た も の と 考 え た い 。3、
そ の 他 の 修 学 所 で、
実 範 は 興 福 寺 僧 と し て 法 相 宗 を 兼 学 し た と 思 わ れ る。
既 に 見 て き た よ う に、
諸 伝 記 と も に 実 範 の 法 相 宗 の 修 学 を 伝 え て い る。
し か し 実 際 は 若 年 時 か ら の 真 言 宗 の 修 学 が 認 め ら れ る だ け で、
法 相 宗 に 関 し て は 明 確 な 資 料 を一
37一
智 山 学報第 五 十 輯 見 出 せ な い
。
ま た 法 相 宗 に 関 す る 著 作 も 知 ら れ て い な い 。 先 に 見 た ご と く 実 範 は 中 川 寺 成 身 院 の 造 営 が 始 ま っ た 天 永 三 年 以 前 に 忍 辱 山 に 移 住 し て お り、
天 仁 三 年 正 月 後 七 日 御 修 法 の 出 仕 が 二 十 歳 代 だ と し て、
や は り 二 十 歳 代 の 早 く か ら 既 に 興 福 寺 を 隠 遁 し て い た と 考 え ら れ る 。 従 っ て 興 福 寺 僧 と は い っ て も 興 福 寺 に は お ら ず 、 ま た 早 く か ら 密 教 寺 院 ( 中 川 寺)
を 建 立 し て お り、
そ れ 以 前 に 興 福 寺 に お い て も 真 言 宗 の 修 学 を 中 心 と し て い た と す れ ば 、 法 相 宗 の 修 学 は 当 時 の 僧 侶一
般 に お け る 基 礎 学 程 度 の も の で は な か っ た か。
そ れ 以 上 の 専 門 的 な 修 学 は し て い な か っ た の で は な い だ ろ う か 。 ま た 伝 記 に よ れ ば、
実 範 は 叡 山 の 明 賢 阿 闍 梨 に 天 台 宗 を 習 っ た と さ れ る 。 佐 藤 博 士 は、
こ の 天 台 宗 の 修 学 が 天 台 宗 の 信 仰 的 立 場 に 立 っ て 学 ば れ た と 理 解 さ れ て い る よ う で、
そ の こ と が 全 く 天 台 顕 教 阿 弥 陀 浄 土 教 的 内 容 の『
念 仏 式』
を 実 範 の 著 作 と 推 断 す る 根 拠 と な っ て お ら れ る よ う で あ る が、
他 宗 を、
そ の 他 宗 の 阿 闍 梨 か ら 学 ぶ と い っ て も、
そ の 他 宗 の 信 仰 的 立 場 を 受 け 入 れ る も の で な い こ と は 、 他 の 例 か ら も 知 ら れ る 。 例 え ば、
天 台 宗 の 慈 慧 大 師 良 源 ( 九一
二 〜 九 八 五〉
は 延 命 院 元 果(
九一
四 〜 九 九 五)
に 潅 頂 受 法 し て い る し、
谷 阿 闍 梨 皇 慶(
九 七 七 〜「
〇 四 九)
は 筑 前 国 の 背 振 山 に 登 り、
長 保 三 年(
一
〇 〇一
V に 景 雲 陬 閣 梨 よ り 東 密 の 法 流 を 受 法 し た と い う 轂 。 ま た 真 言 宗 で は、
覚 鑁 は 園 城 寺 の 鳥 羽 僧 正 覚 猷(
一
〇 五 三 〜=
四 〇)
か ら や は り 台 密 の 潅 頂 を 受 法 し て い る 。 ま た 東 福 寺 聖一
国 師 円 爾 弁 円 (一
二 〇 二 〜一
二 八 〇)
よ り 禅 法 を 修 学 し た 東 大 寺 戒 壇 院 実 相 房 円 照(
一
二 二 〇 〜一
二 七 七)
は、
円 爾 禅 師 の 門 室 に 入 り、
禅 学 修 証 し て 血 脈 を 受 け な が ら 、 真 言 宗 を 第→
と し、
華 厳・
天 台 の一
乗 教 を 次 と し、
禅 宗 を そ の 下 に 位 置 付 け て い た(
3。
円 照 以 外 に も 、 木 幡 山 観 音 院 真 空〔
一
二 〇 四 〜一
二 六 八V
や そ の 他 多 く の 真 言 宗 系 の 僧 侶 が 弁 円 の 下 で 禅 法 を 修 学 し て い る が、
彼 等 の よ う に、
批 判 的 立 場 か ら 他 宗 を 学 ぶ と い う こ と も あ っ た と い え る。
一
38一
実 範の阿 弥 陀観 実 際 に 実 範 の 著 作 に し て も
、
『 大 経 要 義 鈔 』 の よ う に 天 台 宗 な ど 他 宗 か ら の 十 住 心 批 判・
真 言 宗 学 批 判 に 対 す る 反 論 や、
『 大 日 経 序 分 義 』 に お け る 安 然 の 教 主 義 に 対 す る 批 判 萎 な ど を 見 れ ば、
明 賢 阿 闍 梨 か ら の 受 学 も、
実 範 教 学 の 内 容 そ の も の や 信 仰 に ま で 影 響 し た と は 考 え 難 い 。 ま た 律 宗 に 関 し て は、
実 範 が 律 宗 の 復 興 に 重 要 な 役 割 を 果 た し た こ と が 指 摘 さ れ、
事 実 『 東 大 寺 戒 壇 院 受 戒 式』
一
巻 の 撰 述 が 在 る な ど、
そ の 修 学 の 内 容 が 知 ら れ て い る 多 。 ま た そ の 後 の 南 都 の 戒 律 復 興 運 動 の 初 頭 に 位 置 す る も の と し て 評 価 さ れ て い る 。 実 範 が 真 言 宗 僧 で あ る こ と は 既 に 述 べ た 如 く で あ る が、
ま た 実 範 を 継 承 し た と さ れ る 笠 置 上 人 解 脱 房 貞 慶(
一
一
五 五 〜一
二 = 二)
も、
興 福 寺 法 相 宗 僧 で あ り な が ら、
そ の 信 仰 的 な 根 底 が 真 言 宗 に 在 っ た こ と は 以 前 に 述 べ た 所 で あ る §。
ま た そ の 後 の 西 大 寺 思 円 房 叡 尊(
一
二 〇一
〜 =】
九 〇)
や 大 悲 菩 薩 唐 招 提 寺 覚 盛(
一
一
九 四 ー一
二 四 九)
、
覚 盛 の 弟 子 の 東 大 寺 戒 壇 院 円 照 な ど、
鎌 倉 期 に お け る 戒 律 復 興 運 動 の 推 進 者 は、
皆 真 言 宗 僧 で あ る 。 勿 論、
こ こ で い う 戒 律 復 興 は 出 家 の 沙 弥 戒・
具 足 戒 の 授 戒・
受 持 の 復 興 で あ り、
菩 薩 戒 の そ れ で は な い 。 叡 山 に 大 乗 戒 壇 が 允 許 さ れ、
大 乗 菩 薩 戒 を も つ て 比 丘 戒 と す る こ と が 認 め ら れ た 天 台 宗 に は、
祖 師 最 澄 の 小 戒 棄 捨 の 伝 説(
酬 か ら も、
出 家 戒 の 復 興 運 動 の 起 こ る 余 地 は な か っ た と い え よ う。
こ れ に 対 し 真 言 宗 で は、
貞 観 七 年 の 安 祥 寺 僧 都 恵 運(
七 九 八 〜 八 六 九)
の 奏 上 や 寛 平 七 年 の 本 覚 大 師 円 城 寺 僧 正 益 信(
八 二 七 〜 九 〇 六)
の 奏 上 に よ る 太 政 官 符 の 真 言 宗 僧 に 対 す る 律 宗 修 学 の 規 定(
ヨ や、
或 は 祖 師 空 海 に 化 託 さ れ た 弘 仁・
承 和 の 両 『 遺 誡』
に 見 ら れ る 顕 密 二 戒 の 受 持 の 誠〔
∫ な ど も あ り、
律 宗 の 修 学 が 重 要 性 を 持 っ た こ と が 考 え ら れ る。
勿 論、
法 相・
三 論・
華 厳 宗 な ど に と っ て も 、 出 家 僧 に と っ て の 律 宗 は 重 要 な 宗 で あ っ た が、
既 に 東 大 寺 や 興 福 寺 な ど 南 都 諸 大 寺 の 真 言 宗 化 の 進 ん で い た 時 代 に、
律 宗 の 復 興 運 動 が 真 言 宗 僧 に よ っ て 展 開 し た こ と は、
混 乱 の 時 代 に お け る 祖 師(
空 海V
回 帰 志 向 の 現 れ の一
種 だ っ た の で は な い か と 想 像 す る。
一
39一
智 山学 報 第五十 輯 但 し 解 脱 房 貞 慶 に は は っ き り し た 戒 律 復 興 の 意 図 が 認 め ら れ る が
、
そ れ よ り 早 い 時 代 の 実 範 に、
伝 記 に 見 ら れ る 唐 招 提 寺 に 於 け る 戒 脈 相 承 の 伝 説 の 問 題 も 含 め て、
果 た し て 律 宗 復 興 の 意 識 的 な 意 図 を 持 っ て い た か は 不 明 と い え る 。 た だ 実 範 が 律 宗 の 修 学 を し て い た 事 実 を 確 認 で き る と い え る の み で あ ろ う。
三 、 『念
仏
式
』 の作
者
を
実
範
と
す
る こと
に つ い て と こ ろ で 佐 藤 博 士 が 『 念 仏 式 』 を 実 範 の 著 作 と さ れ た 推 論 の 根 拠 は、
ユ、
多 く の 引 用 文 が 見 ら れ、
仏 教 知 識 の 該 博 な 人 物 の 作 で あ る。
2、
天 台 止 観 に 関 す る 相 当 な 知 識 を 持 っ て い る 。3、
天 親(
世 親)
の 『 浄 土 論 』 に 関 す る 文 献 で あ り、
浄 土 教 家 に 対 し て は 道 綽 禪 師・
善 導 和 尚 な ど の 敬 称 を 用 い 、 浄 影 な ど の 呼 称 と 区 別 し て い る か ら、
西 方 願 生 信 仰 の 持 ち 主 で あ っ た 。 4、
阿 弥 陀 仏 の 身 相 を 説 く 処 で 、 「 当 心 成 印 」 に つ い て 「 印 は 密 教 に よ り 、 或 は 瑞 像 を 想 へ」
と あ る か ら、
密 教 に 関 し て も 少 な か ら ぬ 素 養 を 持 っ て い た。
5、
源 信(
九 四 二 〜一
〇一
七)
の 『 往 生 要 集 』 の 強 い 影 響 下 に あ っ た も の で、
そ の 交 渉 が 在 っ た 。 6、
長 承 四 年(
一
= 二 五)
の 写 本 で あ る か ら、
『 往 生 要 集 』 成 立 の 九 八 五 年 以 降、
一
= 二 五 年 以 前 の 成 立 で あ る 。 7、
文 中 に 慈 恩 大 師 窺 基 の 著 作 を、
単 に 大 師、
ま た は 大 師 疏 と 呼 ん で 引 く 所 が 二 箇 所 見 ら れ る か ら、
窺 基 を 単 に 大 師 と 称 す る 法 相 宗 僧 の 作 で あ る 。 と い う 七 項 目 で あ り、
こ れ に 該 当 す る の は 実 範 だ け で あ る と し て、
『
念 仏 式 』 を 『 長 西 録』
に 載 せ る 「 往 生 論 五 念 門 行 式 」 の 古 写 本 と さ れ た。
し か し 佐 藤 博 士 御 自 身 が 言 わ れ る よ う に、
条 件 の ー 〜6
は、
著 者 を 天 台 宗 僧 と す る に 相一
40一
実 範の 阿 弥 陀観 応 し い 条 件 で あ る 。 そ れ を 条 件 の
7
に よ っ て 、 法 相 宗 憎 と 結 論 さ れ、
天 台 教 学 を 修 学 し た 者 と し て 実 範 を 上 げ ら れ た も の で あ る 。 し か し 本 書 中 に は、
窺 基 の 撰 述 を 「 大 師 」 と し て 引 用 す る 外 に、
単 に 「 慈 恩 云 」 と し て 引 用 す る 箇 所 も 数 ヶ 所 に 亙 っ て 見 ら れ 、3
の 条 件 に 見 る 博 士 の 論 理 か ら す れ ば 、 法 相 宗 僧 の 作 と は 言 い 難 く な る の で は な い か 。 若 し 7 の 条 件 を 重 視 す る な ら ば 、 全 て の 引 用 箇 所 に つ い て 「 大 師 」 ま た は 「 慈 恩 大 師 」 と あ る べ き で あ ろ う。 ま た 唯 識 関 係 の 引 用 が 多 い と 言 っ て も、
「
浄 土 論 』(
♂ そ の も の が 唯 識 の 祖 世 親 の 作 で あ り、
そ れ に 関 連 し て 多 い の は 当 然 と も 言 え る。
ま た『
念 仏 式 』 は 単一
の 写 本 の み で 対 校 本 も 無 く、
そ の 表 記 を 余 り 信 用 し す ぎ て も い け な い の で は な い か。
逆 に、
窺 基 を 単 に 「 大 師 」 と の み 表 記 す る 箇 所 の 問 題 を 、 別 に 考 え る べ き で は な い か。
ま た 若 し 仮 り に 『 念 仏 式 』 が 法 相 宗 僧 の 作 と し て も、
出 家 の 当 初、
若 い 頃 か ら 真 言 宗 僧 と し て の 修 学 を 始 め て い た と 考 え ら れ る 実 範 が、
設 え 天 台 の 明 賢 に 学 ん だ と し て も、
真 言 宗 の 立 場 を 離 れ た 著 作 を 成 す こ と は 考 え 難 い 。 ま た 仁 和 寺 僧 で は あ る が、
高 野 山 大 伝 法 院 学 頭 と も な っ た 宝 生 房 教 尋(
〜一
一
四一
〉
や 常 喜 院 心 覚(
一
=
七 〜一
一
八 〇)
な ど の よ う に 三 井 園 城 寺 僧 か ら 真 言 宗 へ 転 向 し た 人 物 な ど も あ り、
仁 和 寺 の 南 岳 房 済 暹(
一
〇 二 五 〜】
一
一
五)
の よ う に、
直 接 に 天 台 宗 僧 か ら の 受 法 の 記 録 が な く と も 天 台 教 学 に 詳 し く 、 数 多 く の 文 献 を 引 用 し て い る 例 も あ る 。 伝 記 と し て 知 ら れ て い な い か ら と い っ て、
そ の 他 の 天 台 宗 僧 と 真 言 宗・
法 相 宗・
三 論 宗 僧 な ど と の 学 的 交 流 が 全 く 無 か っ た と す る こ と は で き な い 。 即 ち、
天 台 教 学 に 詳 し い こ と を も っ て 、 直 ち に 実 範一
入 に 決 め 付 け る こ と は で き な い 。 ま た 実 範 が 浄 土 教 に 心 を 寄 せ る よ う に な っ た の は 、 阿 弥 陀 の 口 決 を 受 法 し た 時 の 感 激 に よ る と い う 説 が 頼 瑜 撰『
真 俗 雑 記 問 答 鈔 』 § や 成 賢 口・
道 教 記 『 遍 口 鈔 』 § に 伝 え ら れ る 。 本 当 に こ れ ら の 伝 承 が、
実 範 が 浄 土 教 へ 傾 倒 す る 切 っ 掛 け で あ っ た と す れ ば、
そ の 始 ま り は 密 教 で あ っ た 事 に な る 。 若 し そ う で あ れ ば 、 実 範 が 顕 教 浄 土 教 へ 傾 倒一
41一
智 山学 報 第五 十 輯 す る 可 能 性 は 低 い で あ ろ う
。
ま た『
長 西 録 』 そ の も の が 、 真 言 宗 関 係 の 人 師 の 記 録 に つ い て は 余 り 信 用 で き な い よ う に 思 わ れ る 。 例 え ば、
恐 ら く は 覚 鑁 の も の と 思 わ れ る 『 附 弥 陀 秘 釈 』 が 禅 定 院 阿 闍 梨 定 尊 の 作 と さ れ【
3、
覚 鑁 の『
一
期 大 要 秘 密 集 』 に 関 し、
こ れ を 収 載 し た 仏 厳 房 聖 心 の『
十 念 極 楽 易 往 集 』 第 六 巻 に つ い て、
こ れ の み を コ 期 大 要 集 第 六 霊 心 作 」 と す る3
。
そ の 上、
多 く の 密 教 浄 土 教 関 係 の 著 作 を 残 し た 覚 鑁 の 撰 述 は 何一
つ 記 録 し な い 。『
長 西 録 』 に 実 範 の 作 と さ れ る も の も、
果 た し て 本 当 に 実 範 の 著 作 か ど う か 確 実 と は 思 わ れ な い 。 或 は 佐 藤 博 士 が 推 論 さ れ る よ う に、
『 念 仏 式 』 の 書 写 者 が 中 川 寺 の 僧 で あ っ た と し て、
実 範 が 明 賢 に 受 学 し た と す る と、
明 賢 の 「 往 生 論 五 念 門 私 行 義 」 の 転 写 で あ る と す れ ば 、 考 え ら れ な い こ と で は な い か も 知 れ な い。
ど ち ら に し ろ 佐 藤 博 士 の 議 論 は 『 念 仏 式 』 の 著 者 を 実 範 と す る だ け の 必 要 条 件 に 足 ら ず、
逆 に 伝 記 資 料 や そ の 他 の 著 作 の 内 容 は 否 定 的 な 状 況 証 拠 が 多 く、
佐 藤 博 士 の 推 断 に は 全 く 賛 成 で き な い 。一
42一
四
、 『観
自
在
王
三摩
地
』 に つ い て 次 に 確 実 な 実 範 の 撰 述 に よ っ て、
そ の 阿 弥 陀 如 来 観 を 見 て い き た い 。 先 づ 『 観 自 在 王 三 摩 地 』 で あ る が 、 こ れ は 『 無 量 寿 如 来 観 行 供 養 儀 軌(
無 量 寿 儀 軌)
』 の 「 自 身 觀 」(
5 と 呼 ば れ る 八 葉 蓮 華 の 中 央 に 觀 自 在 菩 薩、
周 囲 の 八 葉 に 八 体 の 阿 弥 陀 如 来 の 坐 す 曼 荼 羅 を 観 想 し、
中 央 の 観 音 と 自 身 を一
体 と す る 観 想 の 註 釈 で あ る。
(
今 は 東 寺 観 智 院 所 蔵 の 江 戸 期 の 写 本 に よ る が、
本 文 は 後 に 翻 刻 を す る 。 ) 本 書 で は、
初 め に(
出 体)
が 上 げ ら れ る 。 こ こ で 本 尊 と は、
無 量 寿 仏 と さ れ、
毘 盧 遮 那 の 円 満 覚 道 の 中 に 万 善 を 慈 栄 し て 塵 垢 に 染 ま ら ず、
又 毘 盧 遮 那 の 法 界 体 性 の 上 に 五 眼 高 く 臨 み て 邪 正 謬 ま ら ざ る 徳 を 無 量 寿 仏 と 名 づ け る と実範の阿 弥 陀観 さ れ る 。 即 ち 無 量 寿 仏
(
阿 弥 陀)
と は 毘 盧 舎 那 如 来 の 功 徳 と さ れ る、
阿 弥 陀・
大 日一
体 説 で あ る 。 但 し、
覚 鑁 や 覚 鑁 の 最 初 の 真 言 密 教 修 学 の 師 で あ る 仁 和 寺 禅 定 院 定 尊(
ヨ な ど は、
こ れ を 金 剛 界 五 仏 の 五 智 に 当 て、
大 日 如 來 の 妙 観 察 智 の 功 徳 と し て い る の で あ る が、
こ の 理 解 は 実 範 に は 見 ら れ な い よ う で あ る。
次 に 〈 釈 名〉
で あ る が、
こ こ に 上 げ ら れ る 得 自 性 清 浄 法 性・
観 自 在 王・
仁 勝 者 な ど の 名 前 は、
覚 鑁 の 解 釈 に は 見 ら れ な い も の で あ る。
覚 鑁 は 無 量 寿・
無 量 光 な ど の 十 二 光 仏 名 を 中 心 に、
そ の 漢 訳 語 の 意 味 か ら 連 想 さ れ る 解 釈 を 見 せ て お り、
禅 定 院 定 尊 に も 同 様 な 解 釈 が 見 ら れ る 璽 。 実 範 の 場 合 は、
無 量 寿 に 関 し て「
方 便 無 尽 な る が 故 に、
ま た 無 量 寿 と 名 つ く 。 謂 く、
衆 生 界 無 尽 な る が 故 に、
諸 仏 の 大 悲・
方 便 も ま た 終 尽 す る こ と 無 し 。 即 ち 是 れ 法 身 常 恒 不 壊 の 徳 な り 。 」 と す る 。 即 ち 法 身(
大 日 如 來)
の 常 恒・
永 遠 性 を 示 す も の で あ り、
ま た 大 日 如 來 の 慈 悲・
方 便 の 徳 性 を 象 徴 す る も の と し て 阿 弥 陀 如 来 を 捉 え て い る 上 い え よ う。
こ れ は 覚 鑁 の 『 阿 弥 陀 秘 釈』
に お け る 無 量 寿・
無 量 光 の 解 釈 を 合 せ た も の に 近 い と い え よ う か 。 そ し て〈
化 相 V と し て 、 「 大 日 如 来 の一
徳、
浄 妙 国 土 に 仏 身 を 現 じ て 無 量 寿 如 来 と 為 る。
雑 染 世 界 に、
因 形 に 住 し て 観 自 在 菩 薩 と 為 る 。 」 と し て 『 理 趣 釈 』 璽 に よ る 阿 弥 陀・
観 音一
体 説 の 上 に、
そ の 本 体 を 大 日 如 來 と し て、
阿 弥 陀・
観 音 を 大 日 の一
徳(
別 徳)
と し て い る 。 こ の 後 に も 『 理 趣 釈』
か ら の 引 用 が 見 ら れ る が、
こ れ ら は、
弘 法 大 師 空 海(
七 七 四 〜 八 三 五)
の『
法 華 経 開 題 』(
犂 に 見 ら れ る も の で、
実 範 の 他 の 著 作 に 見 ら れ る 空 海 の 著 作 か ら の 引 用 な ど と 合 わ せ て、
空 海 教 学 研 究 の 成 果 の 側 面 を 考 え る こ と が 出 来 よ う。
ま た 続 い て、
観 自 在 菩 薩 を 中 心 に 観 想 す る こ と に つ い て、
觀 自 在 菩 薩 は 穢 界 に 住 し て、
我 等 が 為 め に 近 善 知 識 と 作 る が 故 に、
穢 よ り 浄 に 向 い、
因 よ り 果 に 至 る た め で あ る と す る 。 真 言 密 教 の 阿 弥 陀 法 次 第 で は 、 阿 弥 陀 如 来 と そ の 浄 土 で あ る 極 楽 を 観 想 す る 道 場 観(
曼 荼 羅 観)
と、
こ の 觀 自 在 菩 薩 を 中 央 に、
周 囲 の 八 葉 に 八 仏 を 観 想 す る 八 葉 観 ( 自 身 観 〉 と が 共 に 修 さ れ る が、
定 尊 の 『 阿 弥 陀 略 道 場 観 私 釈 脚 は 道 場 観 に 関 す る 口 決・
註 釈 で あ る の に 対 し、
実一
43一
智 山学 報 第五十 輯 範 の
『
観 自 在 王 三 摩 地 』 は、
自 身 観 に 関 す る 解 釈 で あ る 。 そ の 他 に も、
道 場 観 に 関 し て は、
諸 師 の 口 決 な ど が 知 ら れ る が、
自 身 観 に 関 す る 解 釈 は 稀 で あ る。
こ の こ と は、
実 範 の 観 想 の 中 心 が、
因 位 の 観 音 か ら 果 に 向 っ て い こ う と す る、
修 禅 的 傾 向 が あ っ た こ と を 示 す も の で あ ろ う か 。『
秘 鈔 問 答 』 に 引 用 さ れ る 「 弥 陀 次 第 」 や 「 中 川 次 第 」 と 称 さ れ る 阿 弥 陀 法 次 第 が 発 見 さ れ れ ば、
自 身 観 だ け で は な く、
道 場 観 の 内 容 に よ っ て、
実 範 の 阿 弥 陀 如 来 に 対 す る 観 想 の 全 体 像 が 判 明 し て く る と 思 わ れ る が、
現 在 は ま だ 確 認 さ れ な い よ う で あ る 。 或 は 次 に 検 討 す る 『 病 中 修 行 記』
引 用 の 道 場 観 が 「 弥 陀 次 第 」 や 「 中 川 次 第 」 の 道 場 観 と 同 じ も の な の で あ ろ う か 。 ま た「
理 趣 釈 』 の 引 用 の 多 い こ と も、
実 範 の 阿 弥 陀 理 解 の 特 徴 の一
つ と い え よ う 。 五 、 『病
中
修
行
記
』 の阿
弥
陀
観
1、
『 往 生 要 集 』 の 依 用 次 に 『 病 中 修 行 記』
は、
巻 末 に 是 の 如 く の 行 儀 は、
人 の 意 に 依 る 可 し 。 右 に 著 す 所 は、
自 ら の 為 な り。
尊 像 を 示 し て 、 瞻 敬(
+ 禮)
せ 令 む 。 綵 幡 等 を 執 ら 令 む る 事 は、
是 れ 大 乗 経 の 説、
祇 園 寺 の 伝 な り と 雖 ど も、
行 用 は 時 に 随 ふ。
必 ず し も 勧 む る こ と を 得 ず。
(
÷ 縁 V 殊 に 所 存 有 る 智 識 、 怪 し む こ と 莫 れ ま く の み 。(
尚、
こ こ で(
ー1)
で 示 し て い る の は、
註〔
3
) に 示 し た 高 山 寺 所 蔵 古 写 本 と の 校 異 で あ る 。 以 下、
同 様)
と あ る よ う に、
実 範 が 撰 し た 臨 終 行 義 で あ り、
入 滅 す る 十 年 前 の 長 承 三 年〔
}
= 二 四)
の 作 で あ る。
ま た 「 已 発 の 惑 業 を 除 く 可 き 事 」 の 本 文 が 覚 鑁 の 『一
期 大 要 秘 密 集 』 「 五、
懴 悔 業 障 用 心 門 」 に 引 用 さ れ る 外、
其 の 項 目 の 上 に 影 響 を 与 え て い る こ と が 指 摘 さ れ て い る 。 と は 言 え、
こ れ ら は 当 時 の 臨 終 行 義 全 般 に 共 通 し て い た 可 能 性 が 考 え ら れ 、一
44一
実範の阿弥陀観 遡 れ ば
、
恵 心 院 僧 都 源 信(
九 四 二 〜一
〇}
七)
の 『 往 生 要 集 』〔
δ に 収 集・
類 聚 さ れ た 聖 教 の 説 に 依 る も の と も い え る 。 尊 像 か ら 綵 幡 等 を 臨 終 者 の 手 に 執 ら せ る 祇 園 寺 の 伝 な ど も、
『 往 生 要 集 』 に 拠 っ た も の で あ ろ う し、
ま た 「 阿 弥 陀 の 四 種 曼 茶 羅 の 相 を 念 ず 可 き 事 」 な ど に『
往 生 要 集 』 「 雑 略 観 」∩
8 に 拠 っ た 引 用 が 指 摘 さ れ て い る。
而 し こ こ で 注 意 し な け れ ば な ら な い の は、
佐 藤 哲 英 博 士・
大 谷 旭 雅 師 な ど 、 『 往 生 要 集 』 か ら の 引 用 を 源 信 の 浄 土 教 学 の 影 響 と 考 え、
天 台 浄 土 教(
顕 教 阿 弥 陀 浄 土 教 と し て の、
そ れ も『
摩 訶 止 観 』 的 浄 土 教 と し て 理 解 さ れ る 傾 向 が あ る〉
の 要 素 と す る こ と で あ る。
而 し 已 に 叡 山 の 阿 弥 陀 浄 土 教 自 体 が、
慈 眼 房 光 宗(
〜;
= 七↓
撰 『 渓 嵐 拾 葉 集』
3
に よ れ ば ( 1V 密 教 の 浄 土 教、
(
2)
諸 大 乗 経 の 浄 土 教(
源 信 門 流 の 『 往 生 要 集 』 の 浄 土 教)
、
(
3)
『 摩 訶 止 観』
の 浄 土 教、
(
4
)
善 導 流 の 浄 土 教(
法 然 房 源 空(
一
= 二 三 〜一
二一
二〉
門 流 の 浄 土 教)
と 区 別 さ れ て 認 識 さ れ て お り、
決 し て 顕 教 阿 弥 陀 浄 土 教 の み で は な か っ た 。 ま た 法 然 房 源 空 の 専 修 念 仏 以 前 の 顕 教 阿 弥 陀 浄 土 教 で あ っ て も、
源 信(
諸 大 乗 経)
流 と『
摩 訶 止 観 』 流 と は 異 な る も の と し て 区 別 さ れ、
混 同 さ れ て は い な か っ た 。 そ の 中 で、
『 往 生 要 集 』 は あ く ま で 要 文 集 で あ り、
聖 教 の 要 文 が テ ー マ に 添 っ て 集 め ら れ た も の と し て 利 用 さ れ て い た こ と が 考 え ら れ る。
覚 鑁 の『
一
期 大 要 秘 密 集 』 だ け で は な く、
覚 鑁 の 瀉 瓶 の 弟 子 で あ る 浄 法 房 兼 海(
= 〇 七 〜一
一
五 五)
の『
阿 弥 陀 并 極 楽 証 文(
『
久 安 六 年 高 野 御 室 御 逆 修 法 要 唱 導 文 』 ご 蓼 に お い て も、
源 信 を 「 先 徳 」 と 称 し て 『 往 生 要 集 』 に お け る『
潅 頂 経』
の 引 用 を 指 摘 し て い る が、
決 し て 顕 教 浄 土 教 の 影 響 を 受 け た も の で は な い。
実 範 に お い て も、
同 様 に「
往 生 要 集 』 の 利 用 は 見 ら れ る と し て も、
そ れ を 単 純 に 天 台 浄 土 教 の 影 響 と す る こ と に は 慎 重 で な け れ ば な ら な い。
余 り に も 天 台 僧 明 賢 か ら の 受 法 を 強 調 し た、
『
往 生 要 集 』 に 引 き つ け す ぎ た 解 釈 は、
実 範 教 学 の 正 し い 理 解 に は 遠 い よ う に 思 わ れ る 。 あ く ま で 院 政 期 の 真 言 宗 僧 の 教 学 と し て 理 解 す べ き も の で あ ろ う。
一
45一
智 山 学 報 第五十輯
2、
町 弥 陀 法 道 場 観 と 四 種 法 身 互 具『
病 中 修 行 記 』 を 見 る と、
先 づ 「 阿 弥 陀 の 四 種 法 身 の 依 正 を 念 ず 可 き 事 」 で は、
阿 弥 陀 法 の 道 場 観 の 観 想 を 前 提 と し た 記 述 が 認 め ら れ る 。 そ れ は 西 方 に 刹 土 有 り、
名 づ け て 極 楽 と 日 ふ 。 五 大 の 所 造 に し て 七 宝 を 地 と 為 す 。 融 字 の 加 持 に 由 っ て、
水 烏 樹 林、
皆 法 音 を 演 ぶ 。 如 来 の 信 解 願 力 の 所 生 に し て、
荘 厳 無 量 な り 。 其 の 土 の 中 央 に 渡 融 字 有 り 。 此 の 二(
脯 三)
の 種 子、
孔 雀 座 と 成 る。
是 れ 能 坐 の 転 法 輪 王 の 大 法 輪 を 転 ず る こ と、
善 く 時 宜 に 応 ず る こ と を 表 す 。 座 の 上 に 月 輪 有 り。
輪 の 中 に 蓮 花 有 り 。 花 の 上 に 種 子 有 り、
三 昧 耶 形 と 成 る。
則 ち 本 尊 阿 弥 陀 仏 と 成 る 。 身 の 高 さ 六 十 万 億 那 由 他 恒 河 沙 由 旬 な り 。 八 万 四 千 の 相 有 り 。一
一
の 相〔
11 二 字 虫 殞)
に 各 々 八 万 四 千 の 随 好 有 り 。一
一
の 好 に ま た 八 万 四 千 の 光 明 有 り 。 と い う も の で あ る 。 こ れ は 前 に も 触 れ た よ う に 阿 弥 陀 法 次 第 の 道 場 観 と 共 通 す る も の と 考 え ら れ る。
こ こ で は 初 め に『
無 量 寿 儀 軌 』〔
∬)
に よ る 極 楽 の 情 景 を 示 す 「 水 鳥 樹 林、
皆 法 音 を 演 ぶ。
」 と い う 句 が 引 か れ る 。 こ の 文 は 『 観 無 量 寿 経 』 に ま で 遡 る も の で は あ る が、
文 章 的 に は『
無 量 寿 儀 軌 』 に一
致 す る 。 そ の 他 の 阿 弥 陀 法 に お い て も、
皆 刷 無 量 寿 軌 』 を 依 用 し て い る し、
こ こ で も認
字 の 加 持 に 由 っ て」
と あ っ て、
種 子 に よ っ て 観 想 す る こ と が 示 さ れ て い る 。 そ も そ も 『 無 量 寿 軌 』 自 体 が 「 無 量 の 荘 厳 は 経 の 所 説 の 如 し」
と い う よ う に『
観 無 量 寿 経 』 の 記 述 を 依 用 し て お り、
顕 教 経 典 を 含 め た 仏 説 の一
字・
一
音 に 無 量 の 義 を 読 み 取 る 密 意 の 立 場 に お い て、
真 言 密 教 に お け る 阿 弥 陀 や 極 楽 の 様 相 の 表 現 に 『 観 無 量 寿 経 』 を 依 用 す る こ と は 当 然 で あ り、
こ れ を 短 絡 的 に 顕 教 化 し た も の と は い え な い。
次 い で 阿 弥 陀 如 来 の 座 と し て 孔 雀 座 が 示 さ れ る 。 孔 雀 座 を 説 く 点 で は、
金 剛 界 系 の 阿 弥 陀 如 来 と 言 え る〔
西。
日 本 密 教 の 阿 弥 陀 法 次 第 の 道 場 観 に つ い て は 以 前 に 整 理 を し た が(
”〕
、
孔 雀 座 を 観 想 す る 道 場 観 で は、
台 密 の 『 阿 娑 縛 抄 』一
46一
実範の阿 弥 陀観 以 外 に 極 楽