1950年代後半のウィルトシァにおけるウォータ・メドウズ改良の一計画
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(2) いるウォータ・メドウズであるが,現在ではほとんどのウォータ・メドウズが遺棄されるままに なっている。 本稿は,ウォータ・メドウズ衰退の最終局面である 1950 年代の末から 1960 年代はじめ にかけての,ウィルトシァの the War Department Land Agent(以下,陸軍省土地管理官と 訳しておく)によるウォータ・メドウズの「改良」にかんする取り組みを検討するものである。 この検討は,第二次世界大戦後のウォータ・メドウズをめぐる時代状況について理解を深 めることに資するものと考える。. 2. ウォータ・メドウズの衰退過程. ウォータ・メドウズの衰退過程については必ずしも十分に解明されているわけではない。 ウォータ・メドウズは 17 世紀前半から羊欄(sheepfold)との組み合わせによって早期農業 革命を実現し,ウェセクス丘陵地帯の河川流域で広く普及した。19 世紀前においてもそ の重要性は広く認知されるところであり,ウォータ・メドウズにかんするさまざまな論稿が執 筆されていた。たとえば,The Royal Agricultural Society of England の有力メンバーであ るピュージ(Philip Pusey)は,世紀半ばにウォータ・メドウズにかんする長文の論文を発表 している 4 。また,バーカ(Thomas Barker)による著作は,1858 年に Journal of the Bath and West Society に掲載されたものが,翌年には書籍として出版されたものである。この事 例などは,いかに 19 世紀半ば過ぎにおいてもウォータ・メドウズにたいする関心が高かっ たかを如実に示している 5 。ウォータ・メドウズの農業生産における重要性については,下 に訳出したリトル(Edward Little)の記述からしても疑問の余地がない。しかしながら一方 で,すでにその存在価値について陰りがみえていることも同時に指摘されていることに注 意を払うべきであろう 6 。 この地域の ウォータ・メドウズ はその農業のもっとも重要な一部分をなしている。 約 20,000 エイカのウォータ・メドウズが存在しており,そのなかにはイングランドで も最良の採草地に数えられるものがある。適用可能なすべての小川(brook and rivulet)で灌水が実施されている。それらの管理は,(この主題について実際的 にかつ巧みに書いている)デイヴィス氏が報告して以来,ほとんど変更が加えら れていないので,現在行われているシステムについての一般的な説明以上のも のをほどこす必要はない。灌水(watering),あるいはこの地で名付けられている ところの drowning は,従来と同じやり方で続けられており,各採草地は定められ た期日に水がかけられていて,その規則は十中八九,ウォータ・メドウズが形成さ れた当初から実施されているものであり,[これからも]続けられていくように思わ れる。……(中略)……それらは通常,この地の主要な家畜である羊の食すとこ ろとなった。3 月の第 3 週の頃,あるいは仔羊が遠くまで歩くことができるようにな るやいなや―夜間にはいつも耕作地にまで戻らなければならないので(その 距離は,時には相当なものである)―,[ウォータ・メドウズの]牧草が通常それ ら親子(the couples)を受け入れる。放牧で食べられたあと,採草地はそのままに され,おおよそ 6 週間でまたすぐれた干し草を産出する。時には 2 回目の刈り取 りがされるが,それはめったにない。秋には通例として(飼育されているならばで ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 31.
(3) はあるが)乳牛ないし労役用の牡牛,それと農場の馬が放牧される。秋は腐蹄 ................. 症の危険があるので羊は放牧されなかった。今日では,ウォータ・メドウズの 実際 ........................... 的な 価値はデイヴィス氏の時代ほどには大きなものではない。当時はウォータ・メ ドウズをもつという幸運に恵まれていない農場では牧羊家が仔羊を育てるのは 不可能だと考えられていた。しかしルタバガ(swedes)7 やターニップ,そのほかの 人工飼料(artificial food)の導入とそれらの広範な作付け以来,採草地をほとん ど持っていない,あるいはまったく持っていない多くのファーマが,最良のウォー タ・メドウズを利用している者たちと比べて,まさるとはいえなくても同等の仔羊を 繁殖させている。ソールズベリ近傍やワイリ・ボーン(Wiley Bourne)では乳用牛 の飼育頭数を増やしている者がいて,ウォータ・メドウズの一部分を乳用牛のた めに取り分けているが,このやり方は決して一般的ではない。(イタリック,原文; 傍点,國方;[ ]内は國方による加筆) 傍点部分のようにウォータ・メドウズの農業生産上の価値は,19 世紀半ばにはすでに低 減しはじめていると認識されている。とはいえ,リトルにしても「ウォータ・メドウズはその農 業のもっとも重要な一部分をなしている」と述べているように,ウェセクスの丘陵地帯の農 場においてウォータ・メドウズが一般的に利用されているのを否定しているわけではない。 また,かれよりも十数年後に丘陵地帯の農業について論文を執筆したスクエアリ (Squarey)は,丘陵地の標準的な農場は耕地や丘陵地,そしてウォータ・メドウズや放牧 地から構成されているとして論を進めている 8 。 さらにいえば,1880 年に出版された Encylopaedia Britannica において“Irrigation”を 執筆したチャーチ(Arthur Herbert Church)は「この種の灌漑の価値を低く見積もる傾向 がある」と指摘しながらも,全体で 8 頁半の紙数のうち 6 頁半までをウォータ・メドウズの説 明についやしている 9 。それどころか,ウィルトシァのソールズベリ近傍では第一次大戦後 においてもウォータ・メドウズの灌漑は継続されていた。ウィルトンでファーマとして農場を 経営していたストリート(A. G. Street)は穀作をあきらめ,雇用していた人たちをほとんど解 雇したときでも,ウォータ・メドウズを管理する‘drowner’を雇いつづけていた 10 。 一方,リトルの引用文の最後の部分でもふれられているように,ウォータ・メドウズの利 用の仕方そのものは時代とともに変化していく。とりわけ 1870 年代にはじまった「農業大 不況」はウォータ・メドウズの利用価値に大きな影響を与えた。羊欄とウォータ・メドウズと の組み合わせによる穀物生産がウェセクス農業の基本であったが,アメリカなどからの大 規模な穀物輸入は穀物価格の下落をもたらしその収益構造に多大のダメージをあたえ た。それだけではなかった。運搬技術の改良の結果,オーストラリアやニュージーランドか ら価格の安い冷凍羊肉が大量に輸入されるようになったのである。これもまた,収益源の 喪失に帰結することになった 11 。しかもこの時代には,各種の肥料が海外から輸入される だけでなく,国内でも大量生産されるようになり,安価な肥料を入手することができるように なる 12 。これはウェセクス地方における羊欄とウォータ・メドウズを基本とする農業生産体 制そのものを解体させるものだったとみなせるであろう。 このようにみてくると,19 世紀末はウェセクス農業そのものを根幹から転換させる時代 だったのであるが,それでもストリートがのべているように,第一次世界大戦前までは,ウィ ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 32.
(4) ルトシァ白亜丘陵地帯のファーマは十分に豊かな生活を送ることができ,夏にはテニスや ゴルフ,冬には狩猟,はたまたウォータ・メドウズでのフィッシングにと打ち興じることができ た。だから , Farmer's Glory に おいて,か れは この 時 代 を 「ゆっ たりとし た 日 々(The Spacious Days)」と思い出すことができたのであり,それにたいして戦後については「かげ りゆく繁栄(The Waning of the Glory)」と感じざるをえなかったのである 13 。 そのような時代背景のなかで,ウォータ・メドウズも本格的な衰退過程にはいるのである。 ストリートにしても,穀作をあきらめて生乳生産に特化していかざるをえなくなるが,そうし たなかでもウォータ・メドウズを維持しつづけた。リトルはさきに訳出した最後の箇所で, 「ソールズベリ近 傍 やワイリ・ボーンでは乳用牛の飼 育頭 数を増 やしている者がいて, ウォータ・メドウズの一部分を乳用牛のために取り分けているが,このやり方は決して一般 的ではない。」と記しているけれども,まさにこの乳用牛への傾斜こそが 19 世紀後半に多 くの地域で進行した現象であった。とりわけ鉄道網の拡充はその傾向を促進した。ロンド ンへの鉄道輸送の利便性が,ウィルトシァにおいてもチーズ生産地帯であった北部地域 でチーズ製造から生乳への転換を促したといわれている 14 。 白亜丘陵地帯でもストリートが,かれの父親の時代に,生乳が一日当たりの最小限と 最大限の出荷量を取り決めた請負契約にもとづいて毎日ロンドンの業者に積み出されて いた,と語っている 15 。1870 年代以降の大きな流れとしてウォータ・メドウズは,羊の放牧 から牛の放牧のために維持されるように変化していったといっていいようである 16 。なぜな ら生乳生産にウォータ・メドウズが顕著に貢献したからである。牧草地への灌水は牧草の 生育期間をのばし,それだけ新鮮な牧草をはむ期間がのびることで,より品質のよい生乳 をより多く産出するという利点をもっていたのである 17 。 しかしながら一方で,この牛の放牧がウォータ・メドウズの維持に問題を引きおこしたこ とが指摘されている。牛は羊とは比べものにならないぐらいに体重があるので,その放牧 はウォータ・メドウズの繊細な構造に甚大な被害を及ぼした。つまり,その破壊の大きさだ けウォータ・メドウズの維持管理費がかさばることになる。ストリートの著書では,この点に ついて指摘している。牛を放牧する前にウォータ・メドウズの水を排水して乾燥させなけれ ばならない。「さもなければ,放牧させた雌牛が―1 つは草を食む口,そして 4 つの踏 みつける足という―5 つの口を持つことになるであろう」,と 18 。 もっとも,最終的な衰退についてはさまざまな要因が絡みあっていて,単純に特定の要 因に帰することはできない。労働価格の高騰の一方での生乳価格の下落,ウォータ・メド ウズ維持における機械導入の困難,ウォータ・メドウズ以外の放牧地における牧草生産の 上昇,そしてウォータ・メドウズに対する見方の変化などがあげられている。労働価格が上 昇しても機械が使用できれば問題は解決するであろうが,それが難しいのがウォータ・メド ウズであった。また,ウォータ・メドウズの維持管理には経験と技術を要するが,その利用 価値が急速に低下するなかではその技術の継承もままならないのが実情であった 19 。 その衰退過程の詳細についてはいまだ不明な点が多々残されている。その精細な経 過についての検討は別稿に譲ることにし,ウォータ・メドウズがその農業生産上の意義を 喪失し,つぎつぎと灌水が中止になってきている 1950 年代における,ひとりの役人の活 動を検討することで,その衰退末期における状況を理解することにしよう。. ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 33.
(5) 3. 資料と背景. 最初に資料について若干の説明をほどこしておこう。本稿において検討をほどこそうと する資料は,Wiltshire and Swindon History Centre に収蔵されている,L7/120/12 と分類 されている行政上の書簡類である。この書簡・覚書類は,ウィルトシァにおいて陸軍省の 土地を管理する陸軍省土地管理官たるスピーク(K. R. Speak)氏による手紙をきっかけに, かれと関係部局とのやりとりにかかわる手紙などが保管された資料である。 陸軍省土地管理官の名前がウォータ・メドウズとかかわって出てくるのが,われわれに は奇異に思われるかもしれない。しかしながら,ウィルトシァは,実は多くの土地が陸軍の 演習場として活用されている州の 1 つだという歴史的経緯があるのである。ブリストル大学 の歴史学科のウェブサイトによると 21 ,1897 年にソールズベリ・プレイン(Salisbury Plain) で土地を取得して以来,現在ではウィルトシァの面積の 9 分の 1 にあたる 38,000 ヘクター ルが陸軍の土地となっているという。この土地のすべてが演習場になっているというわけ ではなく,演習場などとして立ち入り禁止区域となっているのはおおよそ 12,150 ヘクター ルのようである。とすれば,26,000 ヘクタール近くが別の用途にあてられていることになる であろう。 この陸軍による土地の取得については,より詳細な経緯が Victoria County History で のべられている。教区ごとに陸軍などによる土地取得がどのように進行していったのか, あるいはどのように利用されているのか,それらの詳細が記載されている。が,ここでその 詳細を逐一のべる必要はなかろうが,デュリントン(Durrington)については若干の補足説 明をほどこしておきたい。この教区に陸軍省土地管理官のオフィスがあり,資料 No.2 によ ると,つぎのような宛先表記となっている。 The War Department Land Agent, Salisbury Plain District, War Department Estate Office, Durrington, Salisbury, Wilts. この the Estate Office は 1920 年代から High Street の the Red House に所在し,1960 年前後には,そこを拠点に約 92,000 エイカの土地を管理していた。そのうちの 89,000 エ イカほどがソールズベリ・プレインに集中していたけれども,先ほどものべたように,その多 くが軍事目的ではなく,膨大な土地が耕地や農場としてファーマに貸し出されていた。そ れだけではない。おおよそ 650 ほどの賃貸住居をも管理していたようである。ただし,この オフィスは 2000 年ごろに閉鎖され,所管業務の一部は ウォミンスタ(Warminster) に移 されたと報告されている 21 。. 4. Improvement to Water Meadows とはなにを意味するのか それでは資料の解読作業に入っていくことにしたい。資料全体の概要を把握するため. ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 34.
(6) に発信者と受信者とを表にとりまとめたのが表 1 である。表では 1 から 24 までの番号を付 しているが,資料紙片に番号が実際に振られているのは 22 までである。. 番号. 日付. 発信者役職名. 受信者役職名. 1. 57/07/11*. Land Agent**. Land Drainage Officer. 2. 57/07/18. Land Drainage Officer**. Land Agent. 3. 57/10/04. Land Drainage Officer. Land Agent. VAH/LD/696/5. 4. 57/11/07. Land Agent. County Agricultural Officer. DLA/942. 5. 57/11/07. Land Agent. 6. 57/11/12. Land Drainage Officer. Land Agent. VAH//696. 7. 58/02/27. Land Agent. Land Drainage Officer. DLA/942. 8. missing. 9. 58/03/14. Land Drainage Officer. Land Agent. VAH/LD/D.8611. 10. 58/09/23. Pearce for Command Land Agent. Land Agents. 19091/PRGP. 11. 58/10/02. Land Agent. Land Drainage Officer. DLA/942. 12. 58/10/07. Land Agent. Land Drainage Officer. DLA/942. 13. 58/10/10. Chief Engineer**. Land Agent. 14. 58/10/14. Land Agent. Command Land Agent. 15. missing. 16. 59/03/25. Land Agent. Land Drainage Officer. DLA/942. 17. missing. 18. 59/12/31. Land Agent. Land Drainage Officer. DLA/942. 19. 60/02/17. Land Drainage Officer. Land Agent. D.8611. 20. 60/02/22. Land Agent. Land Drainage Officer. DLA/942 D.8611. 21. 60/02/23. Land Agent. D8611. 22. 60/08/04. 手書き 追記あり. 23. 62/03/02. DLA/942. 24. 参照コード DLA/942. 手書き 表 1:手紙類の発信日と発信者・受信者の役職名. 注 1) 日付については,年・月・日の順に記している,なお,年号については 19 を省略しているので,この 資料は,1957 年 7 月 11 日から 1962 年 3 月 2 日までのものである。. 注 2) Land Agent は War Department Land Agent を略記したものであり,同様に,Land Drainage Officer は Land Drainage and Water Supplies Officer を略記したものである。また,Chief Engineer についても Chief Engineer, Avon & Dorset River Board を略記したものである。 注 3) 手書きと記しているもの以外は,基本的にタイプライターが使用されているが,しばしば手 書きで情報が書き加えられている。. 番号 23 の紙片には,FILE NOTE との標題がつけられ,1962 年 3 月 2 日という日付が 銘記され,この時点での事業の進捗状況が記されている。1962 年の時点では本稿で検 討している事業は完了していないので,依然として経過報告的な内容にすぎない。とは いえ,詳細については後段にて検討することとなるが,その内容は本稿で紹介する事業 ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 35.
(7) のいわば小括的な意味合いを帯びている。それにもかかわらず,この紙片には資料分類 上の番号は記されていない。なぜ資料番号が付されなかったのか,この間の事情につい ては不明である。 No.24 の紙片は手書きのメモである。この番号も資料分類上の番号ではない。この紙 片の下部には L7/120/12 と記されていることから,この資料を分類調査したさいに作成さ れたメモであると推測する。内容については後述する。 もう 1 点,この段階で書きとめておきたいのは,資料番号 8,15,17 についてである。当 該資料をわたしが調べた 2016 年 4 月の段階では,これらの番号が付された紙片は見当 たらなかった。これらの番号を振られた資料がどのような経緯から欠損することになったの かは不明である。 以下,資料を紹介していくが,あらかじめ紹介する様式について説明をほどこしておき たい。最 初に,資料番号,そして括 弧内に作成日付と書類に付されている参照コード ............ (Reference)とを記載し,つぎの行にそれぞれの手紙類に付されている表題 を記す。この 表題によって,それぞれの手紙類が何を問題にしているかをあらかじめ理解できるのでは ないかと考える。 L7/120/12:1 (1957 年 7 月 11 日:War Department Land Agent から The Drainage Officer 宛の手紙) Water Meadows-Avon Valley 残っている最初の手紙は,Salisbury Plain District を管轄する陸軍省土地管理官から, Trowbridge にある Wiltshire A.E.C.の The Drainage Officer に宛てたものである。陸軍省 土地管理官の氏名については,この手紙ではサインのみなので不明であるが,No.6 の手 紙のなかで E. R. Speak とタイプされている。ただし,No.9 のなかでは Speake とタイプされ ている。さらに指摘しておくならば,No.19 のなかでは,Mr. Speake と呼びかけている一方 で,宛先表示では Speak とタイプされているので,どちらが正しいのかは判断しがたい。そ れどころか,No.21 では手書きで R. M. Speak とさえ書かれていることを付け加えておきた い。 内容はつぎのようなものである。 1) アプエイヴン(Upavon)からデュリントンまでのエイヴン川沿いの採草地は,かつて は幹線流水路のシステム(a system of carriers)によって灌水されていたが,水門(hatches) の撤去と,それに続いて生じた川の水位の低下の結果,この現状にもとづいて採草地を 管理することはもはやできない。 2) 新しい管理システムが必要だが,新たな排水システムが備えられるまで何にもでき ない。採草地のほとんどが農業借地権で貸し出されているが,借地農たちは財政的な補 助なしで再生事業の実行を要求されるのは不当だ,とおおむね感じている。 3) わたしの考えでは,これは,地 主 と借 地 農,そして農 漁 食 料 省 (the Ministry of Agriculture, Fisheries and Food)が一緒になって何ができるかを調べるべき事例であって, あなたがお出でになって問題の程度を調べ,当局がどの程度まで手助けできるかを話し 合うべき案件だと思っている。ご一報をお待ちしている。 以上のように,発端は,大地主である陸軍の土地管理を所管する陸軍省土地管理官 スピーク氏による,ウォータ・メドウズの荒廃についての,農漁食料省の Land Drainage. ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 36.
(8) Officer への調査要請である。3)の内容からすると,最終的には財政的なてこ入れによる 「改良」事業を企図するものであったと判断できよう。なお,Wiltshire A.E.C.とは,No.2 の 印 刷 さ れ た レ タ ー ヘ ッ ド に GLOCESTERSHIRE AGRICULTURAL EXECTIVE COMMITTEE(ただしこの部分はタイプライターで抹消されている)と表記されているので, 農業執行委員会とでも訳すことができる組織を意味しているものと思われる。 ここで注意しておきたいのは,エイヴン川といっても,ウィルトシァにはまったく別個の 2 つのエイヴン川が流れている点である。1 つは,グロスタシァの Acton Turville 村を源に, 先述の Wiltshire and Swindon History Centre がある Chippenham や Bradford on Avon を流れて,ローマ風呂で有名なバースからブリストルを通ってブリストル海峡に流れ込む Bristol Avon である。それにたいして,Salisbury Avon とか Hampshire Avon とかと呼ばれ ている,ウィルトシァの 2 つの地点に源をもつエイヴン川こそが,本稿でとりあげているエイ ヴン川である。このエイヴン川は,先述の 2 つの源から流れ出た川がアプエイヴンで合流 し,それがさらにソールズベリ近傍で Nadder, Wylye, Bourne,Ebble といった支流と合流 して,クライストチャーチでさらに Stour 川と合流してそのままクライストチャーチ湾に流れ 込む河川である。 L7/120/12:2 (1957 年 7 月 18 日:ホプキンズ氏からスピーク氏宛の手紙)) Water Meadows - Avon Valley この手紙は No.1 にたいする 7 月 18 日付の返信であり,農漁食料省の Gloucester Divisional Office の V. A. Hopkins 氏によって認められたものである。No.1 では,単に Land Drainage Officer となっているが,ホプキンズ氏の正式の肩書きは,Land Drainage and Water Supplies Officer であって,土地排水・給水管理官とでも訳すべき役職であろ うが,本稿では単に排水・給水管理官と記すことにする。ちなみに農魚食料省側の参照 コードとして VAH/(W)/696(3)と記されている。 それからもう 1 点,先ほどもふれたレターヘッドについて附言しておくと,MINISTRY OF AGRICULTURE FISHERIES AND FOOD の下に,先ほども説明した削除部分にかえて, Gloucester Divisional Office とタイプライターで書き加えられている。 書簡の内容は, 1) 問題の場所を視察するように,当省(農漁食料省)Salisbury Office の Cox 氏に, あなたと連絡をとるように手配をしている,というものであった。 なお,この手紙には,手書きで,Cox 氏から電話があったこと,また 7 月 24 日の 9 時半 から 11 時のあいだに再度電話があるであろう,と記されている。が,さらに追記で,26 日 に電話をしたことが記されている。 L7/120/12:3 (1957 年 10 月 4 日:ホプキンズ氏からスピーク氏宛の手紙) Water Meadows - Avon Valley 7 月 18 日の手紙からやや時間が経ってからの,ホプキンズ氏からの手紙である。内容 は, 1) 今日の午後の電話で,10 月 15 日の火曜日にあなたの事務所で面会の約束をし たが,その日は先約を入れていることに気づいたので,面会は 17 日の木曜日 11 時に変 更してもらいたい,という依頼。 ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 37.
(9) 手書きで 22 日火曜日ないし 23 日水曜日の 11 時,と記したうえで,約束ができたとし て 23 日水曜日を丸で囲んでいる。なお,Any reply should be addressed to the COUNTY AGRICULTURAL OFFICER という印刷の後半部分が抹消され,Divisional Executive Officer と上書きされている。 L7/120/12:4 (1957 年 11 月 7 日:スピーク氏からホプキンズ氏宛の手紙) Avon Valley ―Improvement to Water Meadows これまでの手紙では実質的な進展がみられないが,話がようやく動き始めたようである。 1) エイヴン川沿いのウォータ・メドウズ改修の実現性を討議した当事務所での面談に 関連して,つぎのことを確認するために書いている。下記の借地人たちに 22 ,あなたか, あなたの代理人がかれらの農場を視察すべく訪れ,必要なら話し合いの場を設けるであ ろう,と伝えておきました。 C. F. Wookey & Son, The Manor House, Upavon, Wilts. K.V. Sargent, Esq., Compton Farm, Enford, Wilts.. G.A. Young, Esq., Weest Chisenbury, Nr. Marlborough, Wilts. D. Gay, Esq., Lower Farm, Enford, Wilts.. H. D. Cole & Son, 85 Castle Street, Salisbury, Wilts. 2) あなたの段取りについて返信を待っている。 L7/120/12:5 (1957 年 11 月 7 日:No.4 で言及されている借地人宛の手紙) Improvement of Meadows adjoining River Avon この手紙は,No.4 で言及されている人たちに宛てられたものと考えられる。この手紙は スピーク氏の意図を明瞭に示すものであるから長文ではあるが,全訳を試みておきたい。 わたしは,エイヴン川沿いの古いウォータ・メドウズにしばらく前から関心を持ってきまし た。もちろん,川の水位低下のため,これらの大部分はウォータ・メドウズとしてはもはや維 持できるものではありません。しかしながら,これらの採草地は農業生産上,潜在的にきわ めて高い価値があり,採草地が通常の輪作のコースに組み入れられるように排水システ ムを復 元するなり改修するなりの可能性について,ウィルトシァ農業執行委員会と話し 合ってきました。 わたしの理解では,ウィルトシァ農業執行委員会の委員長はこの種の仕事に非常に関 心を抱いており,予備的な作業として農業執行委員会を代表する者が採草地を視察し, あなた方とさまざまな問題について話し合いを望むだろう,と思っています。それゆえ,あ ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 38.
(10) なた方は近いうちに農業執行委員会を代表する者の訪問を受けることになるのは疑問の 余地がありませんが,あなた方にもっとはっきりしたことをお伝えする前にかれらの報告を 待っているところです。とはいえ,一般的にいって,この事業は地主・借地農・農魚食料 省の一致した活動として企画されるべきものである,とわたしは感じています。これはわた しの個人的な見解であり,なされるべきと地元で判断した何であれ,それは陸軍省( the War Office) の承認を得るために具申しなければなりません。 もしすべてのことが順調に進んだならば,このやり方でエイヴン川の流域全体を手がけ ることを提案するつもりですが,第一段階としてその北部が対象となっているのです。 L7/120/12:6 (1957 年 11 月 12 日:ホプキンズ氏からスピーク氏宛の手紙) Avon Valley- Improvement to Water Meadows 11 月 7 日付けの手紙(No.4)に対する返信。 1) われわれが当該地域で排水調査に着手しようとしていることを借地人たちに通知し たことを了解したうえで,この調査が早期に実現するように手配している。 2) わたしの検討作業が完了すると,できるだけ早くふたたびあなたに連絡をとるつもり である。 L7/120/12:7 (1958 年 2 月 27 日: スピーク氏からホプキンズ氏宛の手紙) Avon Valley- Improvement to Water Meadows 内容はつぎの通り。 1) No.6 の手紙にかかわって,われわれが同意している,事業の第一段階のエイヴン 川の当該地域で何がなされるべきか,あなたの提案内容の詳細を知らせてほしい。 2) この時期,来る財政年度に向けて仕事の計画と支出額を算定しなければならない ので,この公共事業に関してのわたしの関与の程度を知りたい。 L7/120/12:8(見当たらない) L7/120/12:9 (1958 年 3 月 14 日:ホプキンズ氏からスピーク氏宛の手紙) Avon Valley- Improvement to Water Meadows 1) No.7 の手紙と今日の電話での会話にかかわって以下の点を伝える。 2) この事業の最初の局面に関する調査がまもなく終了すること,また費用の見積もり を 4 月末前にあなた(スピーク氏)に提供できることを保証する。 3) あなたが提案を師団司令部(your Headquarters)に具申するまえにあなたと一緒に 現地を訪れたいと思っている。 L7/120/12:10 (1958 年 9 月 23 日:P.R.G. Pearce for Command Land Agent,Salisbury) The Election of Members of Drainage Boards この文書はスピーク氏の上役である Command Land Agent の代わりに Pearce 氏が各 地の陸軍省土地管理官に送付した Memorandum である。送り届けられたのは,オールダ ショト(Aldershot), デュリントン, デヴンポート(Devonport),それからウェイマスの土地管 ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 39.
(11) 理官たちである。 オールダショトはハムプシァの北部に位置する町である。デヴンポートはプリマス(デ ヴォンシァ)の一 地区 であり,そこには the military Governor と naval Commander-inChief とが執務していたようである。ウェイマス(ドーセットシァ)が重要な軍事拠点であるこ と は よ く 知 ら れ て い る こ と で あ ろ う 。 ち な み に , レ タ ー ヘ ッ ド が , Lands Branch, H.Q. Southern Command, Salisbury となっていることから,Command Land Agent はソールズ ベリにオフィスを構えていたと考えられる。 内容はつぎの通り。 1) 1930 年の Land Drainage Act をうけて選任される Drainage Boards(排水管理委員 会と訳しておく)は,1938 年の Land Drainage Regulations (Election of Drainage Boards) にしたがって 3 年ごとに選出される委員で構成される。 2)土地所有者ないし借地人のばあい,投票は自身によってか,あるいは一般指名代 理人によってか,あるいは一度限りの指名代理人によって行使される。 3)「陸軍省」(War Department については「陸軍省」と訳しておく)のばあいには,陸軍 省土地管理官が国務大臣の代理として,かれの代わりに投票する権限が与えられている。 1958 年 9 月 15 日の War Office Instructions (119/Gen/1281/LB(H))にしたがえば,排 水管理委員会の記録を保管することが提案されているし,しかるべき陸軍省土地管理官 が大臣の代わりに投票する権限が与えられている。 4)それゆえ,その権限区域があなたの管轄区域内に全面的に包含されている,あるい は部分的に包含され,かつ,そこに「陸軍省」が土地所有者であるか,借地人であるところ の排水管理委員会の一覧表を 10 月 3 日までに提出されたい。それと一緒に国務大臣 の代わりに行為する陸軍省土地管理官の名前および住所を提出すること。 L7/120/12:11 (1958 年 10 月 2 日:スピーク氏からホプキンズ氏宛の手紙) Avon Valley- Improvement to Water Meadows 1) 数日前に電話で話あったさい,あなた(ホプキンズ氏)はエイヴン川の該当地域の 水位が十分にさがっていないから the Avon & Dorset River Board と協議しているとのこと なので,あなたのさらなる所見をまっている。 2) わたし自身は, ソールズベリ・プレインの下流域でここ数年のあいだに水門が撤去 される以前に比べて,かなり水位が低下したので,そこから事業を始めた方がよいのでは ないか,と考えている。 L7/120/12:12 (1958 年 10 月 7 日:スピーク氏からホプキンズ氏宛の手紙) Election of Members of Drainage Boards この手紙は,No.10 の連絡通信状をきっかけに排水管理委員会の問題についてホプ キンズ氏に問い合わせたものである。 1) 陸軍省から陸軍省土地管理官たちに,Land Drainage ACT 1930 および the Land Drainage (Election of Drainage Boards) Regulations 1938 とにかかわって排水管理委 員会の代表権について連絡通信状が届いた。 2) わたしの管轄区域内でどのような排水管理委員会が存在するのか報告しなければ ならないので,ウィルトシァとオクスフォドシァの排水管理委員会について教えてほしい。 ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 40.
(12) オクスフォドシァについては,あなたの管轄外であるが,情報はお持ちだと思うのでよろし くお願いしたい。 L7/120/12:13 (1958 年 10 月 10 日:Chief Engineer, Avon & Dorset River Board からス ピーク氏宛の手紙) Election of Members of Drainage Boards この手紙は,No.12 に対する返信。内容は, 1) 排水管理委員会および河川管理委員会にかんする問題は Field Drainage & Water Supplies Officer は取り扱わないので,わたしのところに回されてきた。 2) 該当地域の the Statutory Authorities は以下の通りである。 Oxford Chief Engineer, Thames Conservancy, De Bohun Road, Reading, Berks. Wiltshire. Chief Engineer, Bristol Avon River Board, 18, Bennett Street, Bath.. これまでホプキンズ氏の肩書きは Land Drainage & Water Supplies Officer と表記され てきた。しかしながら,この手紙では Land Drainage ではなく,Field Drainage と書き表さ れている。この文面から所管する事項・権限がなかなか複雑であることがよくわかる。それ ぞれの省庁間で,管掌する役職関係などがかならずしも理解されていないことがこの事 例から垣間みることができよう。. L7/120/12:14 (1958 年 10 月 14 日:ホプキンズ氏から Command Land Agent 宛の回答 書) Election of Members of Drainage Boards 1) オクスフォドシァとウィルトシァにはそれぞれの州を管轄する排水管理委員会は存 在していないとしてつぎのように報告している。 Oxford Thames Conservancy Wiltshire (i) Bristol Avon River Board (ii) The Avon and Dorset River Board L7/120/12:15. (見当たらない) L7/120/12:16 (1959 年 3 月 25 日:スピーク氏からホプキンズ氏宛の手紙) Avon Valley- Improvement to Water Meadows 内容についてであるが, ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 41.
(13) 1) 前年 10 月 2 日(No.11)付の手紙とかかわってであるが,ほとんど進捗がみられな いように思われる。 2)あなたは the Avon and Dorset River Board と水位に関してやりとりしていたと思うが, 「わたしは貴殿が実際にそうできるのかなと思い始めています。」 この手紙では,交渉の進捗状況に対して不満をもっていることをかなりあからさまにして いることがうかがえる。 L7/120/12:17 (見当たらない) L7/120/12:18 (1959 年 12 月 31 日:スピーク氏からホプキンズ氏宛手紙) Avon Valley- Improvement to Water Meadows 手紙を全訳しておくと, 「去る 3 月 25 日のわたしの手紙<No.16.>にかんして,今ではウォータ・メドウズの問題 でさらなる進展をみることができるかしらと思っています。」 No.16 とこの No.18 とでは,あまりにも時間があいていてこの事業がかならずしも順調に 進捗しているようにはみえない。ところが一転,つぎのホプキンズ氏の手紙によって相当 に話が進んでいることが判明する。 L7/120/12:19 (1960 年 2 月 17 日:ホプキンズ氏からスピーク氏宛手紙) Avon Valley- Improvement to Water Meadows この手紙はかなり長文なので要点を掻い摘まんで紹介しておこう。 1) 表題とかかわって the Avon and Dorset River Board の the Engineer と連絡をとった 結果,当該委員会がアプエイヴンからエイムズベリ(Amesbury)までの河川改良の実施を 考量していることをあなたにお伝えすることができる。 2) あなたが述べているように,この河川の下流については最近一定の工事がほどこさ れた。しかしながら,川の両側の低地を改良する事業計画に着手する前にさらなる改良 が望ましいと考えられている。 3) 先述の the Engineer の Crocker 氏との会話のなかで,必要な改良事業の程度を決 めるために近日中になされるべき調査の手配をかれが進めているという印象を得た。 4) あなたの部局がとりわけ関心を持っているのは本流のどの地域かという情報をかれ は欲している。その情報はかれの計画を組み立てるのに役立つように思われる。 5) 経済的な観点から正当化できる最大限の土地を「陸軍省」が究極的には改良しよう というのならば話は別だが,上記の点についてあなたはなにかコメントしたいだろう,とわ たしは思っているのだが。 最初にウォータ・メドウズの改良について着手しようという手紙が発出されたときから,2 年半ほどたったこの時点で,おぼろげながら事業の全体像がみえてきたといえよう。アプ .. エイヴンからエイムズベリまでが検討の俎上に載せられている一方で,この時点でもエイ ............................ ムズベリ より下流域ではいくらかなりとも改修がすすんでいた ことが確認できる。. ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 42.
(14) L7/120/12:20 (1960 年 2 月 22 日:スピーク氏からホプキンズ氏宛の手紙) Avon Valley- Improvement to Water Meadows 1) 河川管理委員会の事業が水位にどのような影響を与えるのかが正確にわかるまで, Avon Valley の灌漑改良計画に全面的に着手するのは賢明ではないと思います。 2) 最初のステップとして,自由な流れを邪魔している古い水門?(hatchway)を取り除 かなければならない。陸軍省は現在,これらの地点での水利権(water rights)の放棄に 関連して河川管理委員会と協議をしているところである。 3) これらの交渉がすぐにでも完了して,河川管理委員会が自由にさらなる改良を遂 行できる状態にしておくことをのぞむ。 4) 「これらのメドウズの水浸し状態をみればみるほど,潜在的に価値のあるこの土地の 荒廃に嫌気がさしています。来年なり再来年のうちにいくらかなりとも明確に進展をみるこ とができることを希望しています。」 5) 「あなたが示唆していますように,問題を孤立の地区ごとに扱うよりも大規模に対処 したい。問題を個別に取り組むことでは多くを得ることはできないと考えています。」 L7/120/12:21. (1960 年 2 月 23 日:ホプキンズ氏からスピーク氏宛の受取状) これはほとんど儀礼的なものである。書面はつぎのようなものとなっている MINISTRY OF AGRICULTURE, FISHERIES AND FOOD D & W.S. DEPT., ELMBRIDGE COURT CHELTENHAM ROAD GLOUCESTER. [この住所は,住所印によるものである] Our reference D8611 Your reference DLA/942 Your letter of 22nd Feb about Improvement to. 23/2 1960. Water meadows - Avon Valley is receiving attention. Any further communication on this matter should be sent to the address and should quote the above reference number. 上の書面のうち,斜体部分だけが手書きで書かれ,残りの部分は予め印刷されたもので ある。これは明らかに単なる受取状と判断できよう。スピーク氏とホプキンズ氏とのやりとり はここで完結する。 L7/120/12:22 (1960 年 8 月 4 日:手書きの覚書) この覚書と思われる紙片は,比較できる筆跡が手元にない状況で,完全には判読でき ていない。それでも,おおよその内容として,ウォータ・メドウズの改良に先立つ条件とし ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 43.
(15) て,川の水位を下げる必要があること,それには河川管理委員会に水利権が渡されてい なければならないが,その状況にはない,といったことがのべられている。 この紙片の完全な判読については,後日に期することにするが,No.(23)の内容からし て,1960 年の時点では,まだ水利権が問題となっているが,62 年 3 月までにその問題が いくらかなりとも解消したと考えられる。 L7/120/12:(23) (1962 年 3 月 2 日) FILE NOTE この紙片には,資料番号が付されていないが,その作成年月日と DLA/942 との参照 コードから,一連の資料群の 1 つであることは間違いないであろう。その内容は, 1a) 河川管理委員会の技官 Crocker 氏とつい最近,Enford において話し合いの場 がもたれた。その折,かれは,委員会が Enford Bridge から上流に向けて浚渫事業を実 施したいと思っていること, 1b) そして委員会が「陸軍省」の土地にのこされた浚渫残土を平らにして牧草をはや すために種を播くことに同意したことを,伝えてきた。 2) これからの事業にかかわりを持つことになる借地農,Sargent & Waight 氏と Young 氏も,クロカ氏との面談は終了している。 3) この浚渫は,浚渫をほどこした河川に隣接するウォータ・メドウズの排水を可能にす る効果をもつ。 4) Richards 氏が,河川管理委員会がそうした事業のための計画と詳細とを練ることが できるように手配を進めている。 上記の内容から,スピーク氏が行動を起こした 1957 年 7 月 11 日から 4 年半ほども経 過して,かれの企図していた事業がようやく本格的に進行する見込みがたつようになった ことが確認できる。これまで紹介してきた手紙類のやりとりは,省庁間をまたぐ事業にはさ まざまな交渉が必要とされることを如実に示している。また,河川管理にかかわる法律や その法律とかかわって設立された管理機関との交渉にも相当の日数を要することが読み とれよう。 L7/120/12:(24) この紙片の下部に L7/120/12 と記されている。その筆跡がこの資料群の分類番号を記 したものと同一であることから,資料内容を調査したさいに作成されたメモだと思われる。 内容は, 1) Land Drainage Act 1930 ― Supplanted by River Board Act 1948 2)河川管理委員会には Fishery, Drainage, Pollution という 3 つの利害関係があって, 農漁食料省と住宅・地方自治省によって一人ずつ選任される。 3) カウンティとバラとによって推薦された者たち(これらの地方自治団体の財政的な利 害のために活動する者たち)は,農魚食料省によって選任されなければならない。 なお,Land Drainage Act についてひと言説明しておくと 23 ,水資源の管理は 19 世紀 以来,しだいに複雑で,特定の性格を帯びた法律が整備されてきたといわれている。そ ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 44.
(16) のなかで,1930 年の法律は重要な分岐点をなしていると評価されているようである。という のは,大きな流域にかんして新たな排水管理の組織として 47 の the Catchment Board が 設立され,流域全体から必要な財源を確保し事業を進める包括的な権限が与えられるよ うになったから,と説明されている。また,1948 年の the River Board Acts は,汚染規制に かかわって従来の Catchment Boards と Fisheries Boards そして地方自治体の権限という 3 者に分かれていた権限を新に設立する河川管理委員会に統一しようとするものであっ たという。. 5. おわりに. ウェセクス丘陵地帯に早期農業革命をもたらしたウォータ・メドウズは 19 世紀中葉まで にその地域で驚くほどの普及をみた。イングランド南部だけで約 100,000 エイカものウォー タ・メドウズが構築されたといわれている。しかしながら,そののちは衰退に転じる。とりわけ 1870 年代からの「農業大不況」はその地域の農業制度に多大なる影響を与えた。穀物 生産に大きく依存してきた地域には穀物価格の下落は打撃であったはずである。 穀物生産を支えてきた牧羊・穀作式農法は解体に向かうことになる。この解体に伴っ て牧羊・穀作式農法の基盤となる羊欄は急速に廃れていく。それとともに,羊の飼養頭数 も激 減する。ドーセットシァでは 1850 年の 500,000 を超える頭数が,1900 年までに 300,000 頭に,それが 1939 年までに 50,000 頭にまで減少したという。また,本稿で検討 しているウィルトシァでも,1870 年の時点で 774,000 頭もの羊が飼育されていたのが, 1914 年には 448,000 頭,それが 1924 年に 217,000 頭,さらに 1939 年にはわずか 162,000 頭を数えるに過ぎなかった,と指摘されている 24。ここに,牧羊・穀作式農法と結びついて 普及したウォータ・メドウズが衰退せざるをえない農業生産体制の大変革が確認できる。 この大変革の中にあって,イギリスの鉄道網の拡張・拡充は各地の農業に大きな影響 を及ぼす。さきに触れたように,19 世紀後半,鉄道によるロンドンとの直結がウィルトシァ のチーズ生産地帯を生乳生産地に変貌させた。それがさらに,牧羊・穀作式農業の中心 地,白亜丘陵地帯が穀物生産からの撤退と表裏一体となって生乳生産地へと転換して いった 25 。この生乳生産地帯への変貌が,ウォータ・メドウズの用途を羊の飼育から雌牛 の放牧地へと転換させたのである。この用途変換によってウォータ・メドウズはいましばらく その活用が継続することになる。 戦間期は,しかしながら機械化が激しく進行した時期でもあった。そうした潮流のなか で,ウォータ・メドウズはその精緻な構造ゆえに機械の導入に対応できなかった。重量の ある機械はウォータ・メドウズの構造を破壊してしまうのである。しかも人件費が高騰する なかで,機械を使用できないのは非常に不利な条件にたたされたといえよう。しかも,ウィ ルトシァでは第一次世界大戦中に新たな軍の駐留地設営とかかわって賃銀の上昇が激 しく,農場の労働力はほとんどその建設現場に奪い去られてしまった,とストリートはのべ ている 26 。 こうしたウォータ・メドウズにとって不利な条件が積み重なっていくなかで,第二次世界 大戦後,本稿で検討してきたように,ウォータ・メドウズの「改良」が推し進められたのであ る。「改良」といっても,それはウォータ・メドウズの修繕でもなければ,改修工事でもなかっ た。むしろウォータ・メドウズの機能維持にとって致命的な水門の撤去と河川水位の低下 ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 45.
(17) を招来する浚渫工事を大規模に実施することを企図したものであった。要するに,ウォー タ・メドウズを通常の採草地なり放牧地にすることを「改良」と称したのである。 その推進者がウィルトシァにおいて大規模に土地を所有していた陸軍省の土地を管理 するスピーク氏であったとすれば,その「改良」の影響は計り知れないものであっただろう。 ス ピー ク 氏 は 農 漁 食 料 省 と一 体 となっ て,陸 軍 省 か ら 大 規 模 な 土 地 を 借 地 し ていた ファーマ Sargent 氏や Young 氏などを巻き込みながらウォータ・メドウズの「改良」に邁進 したのである。 しかも,スピーク氏は,かれが企画していたアプエイヴンからデュリントンまでのエイヴン 川の「改良」が成功したら下流域でも「改良」を推進していきたい旨を表明している。1957 年 11 月 7 日付けの手紙(No.5)で,「もしすべてのことが順調に進んだならば,このやり方 でエイヴン川の流域全体を手がけることを提案するつもりですが,第一段階としてその北 部が対象地となっているのです。」,と。 実際には,1960 年代はじめにはソールズベリ・エイヴン川については河川改修がある 程度進み,その流域全体として改修される方向が決定されたといってよい。1960 年 2 月 17 日の手紙(No.19)で,ホプキンズ氏は,「この河川の下流については最近一定の工事 がほどこされた」こと,また「アプエイヴンからエイムズベリまでの河川改良の実施」 27 が考 量されていることを書きのべている。とすれば,1960 年代に,ウォータ・メドウズの「改良」が 促進されるであろうことに疑問の余地がない。実際,No.23 のファイル・ノートでは,スピー ク氏が推進しようとした事業に目鼻立ちがつきはじめたことが読みとれる。とすれば,今回 のウォータ・メドウズ「改良」企画は,かつては広く普及していながら衰退が進行していたエ イヴン川の灌水採草地にほぼ不可逆的な一撃を加えることになった,と論断して誤りなか ろう。 *本稿は,科学研究費基盤研究(C)「イギリス農業革命から景観・環境の保全 へ」(研究代表者:國方敬司,課題番号: 26380417,事業期間:平成 26 年度~ 29 年度)による研究成果の一部である。謝意を表したい。 *The War Department や The River Board などについては定訳があるのか確 認しえなかった。ご教示を賜りたい。. 参考文献 [1] A. H. C., “Irrigation,” Encyclopaedia Britannica, 9th ed., Vol.13, Edinburgh, 1880. [2] Barker, Thomas, On Water Meadows as Suitable for Wales and Other Mountain Districts, London, 1859. [3] Bettey, J. H., Wessex from AD 1000, Longman, 1986. [4] Brown, Jonathan, Agriculture in England: A Survey of Farming 1870-1947, Manchester University Press, 1987. [5] Cook, Hadrian and Tom Williamson (eds.), Water Management in the English Landscape, Field, Marsh and Meadow, Edinburgh University Press, 1999. [6] Cook, Hadrian and Tom Williamson (eds.), Water Meadows: History, Ecology and ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 46.
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(20) 注 1 Kerridge, “The Sheepfold in Wiltshire and the Floating of the Water Meadows,” ; do., “The Floating of the Wiltshire Watermeadows,”; 拙稿「ウォータ・メドウズについて」。 1790 年代にウィルトシァだけで 15,000 から 20,000 エイカのウォータ・メドウズが存在 していたといわれている。さらに 1850 年代にはその面積は,イングランド南部だけで約 100,000 エイカにものぼるという。Davis, General View of the Agriculture of Wiltshire, p.122; Harvey, The Industrial Archaeology of Farming in England and Wales, p.63. 2 拙稿「ウォータ・メドウズとウェセクス農業革命」を参看せられたい。 3 Stearne, “The Management of Water Meadows,” pp.117-118. つぎのウェブサイトもみ ら れ た い 。 https://www.countrylife.co.uk/country-life/englands-best-views-salisburycathedral- wiltshire-5542 4 Pusey, “On the Theory and Practice of Water-meadows.” ピ ュ ー ジ に つ い て は , Watson, The History of Royal Agricultural Society of England 1839-1939, pp. 17, 36 et al.を参照。 5 Barker, On Water Meadows as Suitable for Wales and Other Mountain Districts. 6 Little, “Farming of Wiltshire,” p.167. 7 ‘swede’については,「スウェーデンカブ」とか「ルタバガ」とかといった異なる訳語が使 用されているが,本稿ではルタバガを用いることにする。 8 Squarey, “The Hill Farming of Wiltshire and Hampshire,” p.70. 9 A. H. C., “Irrigation,” pp.362-370. 10 Street, Farmer's Glory, p.200. 11 椎名重明「「農業大不況」 : その実態分析」16 頁以下;Stearne, “The Management of Water Meadows,” p.113.; Brown, Agriculture in England, Chap.3. 12 Brown, op.cit., pp.41-42.; Hall, Fertilisers and Manures, passim.; Dixon, “Chemical Fertilizer,” pp.770, et al. 13 ‘The Spacious Days,’ ‘The Waning of the Glory’は見出しに使用されている語句であ る。 14 Thompson, “Agriculture since 1870,” p.100; Everitt, “The Railway and Rural Tradition,” pp.186 (n.20), 190. 15 Street, Farmer's Glory, p.39. 16 Everard, “Water Meadow Function, Operation and Management,” pp.27-28. もちろん, ウォータ・メドウズの利用法は単純ではない。たとえばハムプシァの Somerley Estate で は,羊が放牧されているウォータ・メドウズと雌牛が放牧されているウォータ・メドウズとが 存在していると報告されている。Everard, “Somerley Water Meadows,” pp.167, et. al. 17 Stearne, “The Management of Water Meadows,” pp.113-115. 18 Street, Country Calendar, p.93. ‘five feet’と表現される場合もあった。Stearne, “The Management of Water Meadows,” p.115. 19 Everard, “The Decline of Water Meadows”; Stearne, “The Management of Water Meadows,” p.116. 20 ブ リ ス ト ル 大 学 http://www.bristol.ac.uk/history/militarylandscapes/sites/britain/©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 49.
(21) salisbury/からの情報である。 21 Sedgwick, “Durrington - Durrington Estate Office”. 22 1976 年に,エイヴン川の東側では H. Young が 142 ha. (351 a.)の Baden farm を陸軍 省から借地していた。一方,C. B. Wookey は Littlecott と East Chisenbury の大部分の 土 地 を保 有 していたこと,また,エイヴン川 の 西 側 では ,Enford や Fifield,そして Compton の 625 ha. (1,545 a.) の土地を E. V. Sargent と J. Waight が借地していたこ とが 確 認 さ れている。 Stevenson, “Enford,” p.128. 別 の 資 料 では ,Eric Sargent が 1,100 エイカの土地を借地していると述べられている。Smith, “An Ox Feast for Enford”. 23 Cook, The Protection and Conservation of Water Resources, p.66; Sheail, “Water Management Systems: Drainage and Conservation,” pp.232ff. 24 Bettey, Wessex from AD 1000, p.288. 羊欄については,拙稿「羊欄とはなにか」を参 照されたい。 25 ストリートは,この穀物生産地の生乳生産への転換は古くからの酪農地帯の生産者を 脅かすことになった,指摘する。というのは,この丘陵地の生乳は,かつての酪農地帯 で生産される生乳よりも 1 ガロン当たり数ペンス安く生産できるからだという。これには, ‘open-air system’とか‘open-air dairying’とかと呼ばれる放牧地での搾乳システムの使 用だとか,トラクターや‘power grass-mower’といった機械の多用,そして土地価格の差 などが影響していたと説明されている。 Street, Farmer's Glory, pp.205-207. 野外搾乳 については,その発明者が解説している。Hosier, “Open-Air Dairying.”を参照された い。 26 Street, Farmer's Glory, pp.186-187. 27 エイムズベリのウォータ・メドウズについては,拙稿「ウォータ・メドウズとウェセクス農業 革命」27-28;D. A. Crowley (ed.), A History of the County of Wiltshire, Vol.15, p.40.. ©関東学園大学, 2021. 関東学園大学経済学紀要 第 47 集. 50.
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