1950-60年代における農業改良普及事業と農家家族 : 埼玉県を例に (2)
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(2) ౖ㧦ޡᤘੑචᐕၯ₹⋵⛔⸘ᦠޢ㧘ޡၯ₹⋵⛔⸘ᐕ㐓ޢ㧔╙1㧙 ޓޓޓ12࿁㧕ࠃࠅᚑ㧚 ޓᵈ㧦1952ᐕߪ4㧘53㧙55ᐕߪ3㧘ઁߪ41ᣣߩᢙ ޓޓޓ୯㧚 48. 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 4 号(2010 年 12 月). (422). 7,000. ࠢࡉຬ✚ᢙ. 1ࠢࡉᒰࠅੱᢙ. 35.0. 6,000. 30.0. 5,000. 25.0. 4,000. 20.0. 3,000. 15.0. 2,000. 10.0. 1,000. 5.0. 0. 0.0. 出典:図 2 に同じ. 注:1)1952─53 年は 4 月現在,54─55 年は 3 月現在,他は 4 月 1 日現在の数値. 2)1954─55 年の数値は,『農業改良普及事業十ヵ年の歩み』埼玉県,1958 年,69─70 頁の表 ౖ㧦╙2࿑ߦหߓ㧚 により補正した. ޓᵈ㧦1)1952㧙53ᐕߪ4㧘54㧙55ᐕߪ3㧘ઁߪ41ᣣ. ޓޓޓߩᢙ୯㧚 図 3 4H クラブ員数(1952―64 年) ޓޓޓ2)1954㧙55ᐕߩᢙ୯ߪ㧘ޡㄘᬺᡷ⦟᥉ᬺචࡨᐕߩᱠߺޢ ޓޓޓၯ₹⋵㧘1958ᐕ㧘69㧙70㗁ߩߦࠃࠅᱜߒߚ㧚 素を備えなければならないとした85).これは,. クトを,女子も農事プロジェクトをそれぞれ. 「従来の教師の一方的な押しつけ教授でなく」 ,. 内容の簡単なものはお互いに実施して置くこ. 「『為すことによって学ぶ』という考え方」に基. とが望ましい」 ,というものであった87).ただ. づいて,クラブ員の自主性,自発性を尊重する. し,星野は「男子の場合は主として将来の農. 教育方法であり, 「問題意識のある農民,計画. 業経営者 と し て,女子 の 場合主 と し て 農業 の. 性ある農民,実践力ある農民,批判力ある農民,. 家庭管理者としての技能が磨かれる」と述べ. 即ちプロジェクトする農民」の育成を狙ったも. て お り88),性別役割 の 解消 を 構想 し て い た 訳. 86). のであった .青少年クラブは政治性を排除し. で は な い.食生活改善 プ ロ ジェク ト が 女性向. た年齢別の機能集団とされ,計画的に課題解決. きのものとして設定されていたこと──「今. を進めるプロジェクト活動により,自ら考え,. 後 の 農村 の 一主婦 と な り,農村生活 に 明 る. 行動する農民を育成することが目指された.. い希望を与えて行く女子 4H クラブ員に食生. 農林省生活改善課長 の 山本松代 が,4H ク ラ. 活の重要性を強調し,その為 めに必要な栄養. ブの目標として男女による農業と生活改善の分. の 知識 を 充分 に 教 え,完全 な 栄養 の 献立 を. 担・協力を提示したことは, 「Ⅰ」で述べた通. 89) 作製出来るように指導する事が望ましい」 , . りである.同様のことは,新潟県農業改良課の. も合わせると,プロジェクト活動の意図には,. 藤井正弘によるプロジェクト活動の説明にも含. 男性が農業生産,女性が家事を管理するという. まれており,藤井の説は,埼玉県の青少年専門. 性別役割を前提とした上で,男女が農業生産,. 技術員星野武四郎 に よって 紹介 さ れ た.そ れ. 生活改善を分担・協力するよう教育することが. は, 「新農村の建設は男女の共働によらなけれ. 含まれていたといえる.農林省生活改善課長が. ば な ら な い.従って 男子 も 生活改善 プ ロ ジェ. 提唱した理念は,埼玉県の青少年クラブ活動の. (ママ).
(3) 1950 ─ 60 年代における農業改良普及事業と農家家族(菊池). (423). 49. 目的に溶け込んでいた.. 女 3 名),「次 三 男・ 長 次 女」50 名(男 5 名・. 図 3 よ り,1950 年代前半 か ら 50 年代後半 に. 女 45 名),「本人・経営主」8 名(す べ て 男),. かけて 4H クラブ員総数が漸増傾向にあること. 「弟」・「妹」5 名(男 3 名・ 女 2 名) で あ り,. が分かる.農業改良普及員(以下,農改普及員). 男性 の「相続人」(長男)が 6 割 を 占 め る.ク. の総勤務時間に占める 4H クラブ育成の時間が. ラブ加入者の多数が男性,なかでも農業経営の. 少なく(52 年 4 月- 53 年 3 月の期間において. 比重の大きい農家の長男であったため,クラブ. 6.8%90)) ,生活改良普及員(以下,生改普及員). 員の数が極端に多くならなかったといえる.. 91). が少数の状況. でクラブ員総数が増加した理由. 図 3 のクラブ員総数を年齢別にみると,1952. として,普及員に協力してクラブの指導を行う. 年 は 20 歳 以 下 3,156 名,21 歳 以 上 2,707 名,. 「篤志指導者」 (地域の農民,学校の教職員,公. 同様 に 53 年 は 3,338 名 と 2,782 名 で あった98).. 92). 共団体職員など)の存在が大きいと思われる .. 4H クラブは 20 歳以下の青少年を中心にする. 図 3 の 52,53 年の 1 クラブ当たりの人数は後. とされていたが , 実際は 21 歳以上の者も相当. の時期より多いものの,26─32 名程度であり,. 数含まれていたことが分かる.これは,21─25. また,100 名以上のクラブも僅かであった(52. 歳の年齢層を中心とする青年農業研究クラブに. 年 4 月現在,181 クラブのうち 6〈3.3%〉 .53 年. 相当する組織が埼玉県に存在しなかったため. 93). 4 月現在,234 ク ラ ブ の う ち 4〈1.7%〉 ) .53. である99).また ,20 歳以下のクラブ員の年齢を. 年 7 月現在までに結成された 227 クラブが記さ. 詳しくみてみると ,52 年の 15─20 歳のクラブ員. れた資料より,クラブ員数が判明する 209 ク. は 2,439 名,15 歳以下の「学校在学中」のクラ. ラブをみても,11─20 名,21─30 名が多い(11─. ブ員は 717 名であり,53 年は 15─20 歳が 3,203. 20 名 62,21─30 名 55,10 名 以 下 25,31─40 名. 名,「小中学」が 135 名 で あった100).小中学生. 24,41─50 名 18,61─70 名 11,51─100 名 10,. を組織したクラブとして,教員の指導のもと職. 94) 101─125 名 3,215 名 1) .同時期 の 生活改善. 業家庭科教育と並行した家畜飼育などを行った. クラブと異なり,比較的規模の小さなクラブが. 101) 大岡村 4H クラブ(比企郡.50 年 4 月設立) ,. 設立されたといえる.. 51 年頃,普及員や年長のクラブ員の指導のも. この理由として,クラブ加入者が階層,及び. と,中学校 に 4H ク ラ ブ を 設置 し,「産業教育. 農家家族における立場により限定されていたこ. 指導」の一環として初生ヒナの共同育雛や杉の. とを指摘できる.図 3 のクラブ員総数を性別で. 植林などを行った吉田 4H クラブ(秩父郡吉田. みると,1952 年は男性 4,663 名,女性 1,200 名,. 町.49 年 9 月設立)を確認できる102).ただし,. 同様に 53 年は 4,872 名と 1,248 名であり,男性. 全県的にみれば,10 代のクラブ員の大半は中. 95). が圧倒的に多い .54 年初頭に行われた 4H ク. 学卒業後の者で占められていた.これは,農村. ラ ブ 員 170 名(男性 120 名,女性 50 名)の 調. 青少年クラブの育成が農林省と文部省の系統に. 96). 査. よりクラブ員の家の経営規模をみると,5. 二元化──学校教育を受けていない青少年を主. 反未満 17 名,5 反─1 町未満 54 名,1 町─1.5 町. とするクラブ活動の育成は普及事業が,学校教. 未満 55 名,1.5 町─2 町未満 35 名,2 町─3 町未. 育を受けている青少年を主とするクラブ活動の. 満 9 名 で あ り,1 町以上 が 99 名 と 全体 の 6 割. 育成は国・県の教育組織が行う,としたこと103). 近 く を 占 め る.54 年 9 月 1 日現在,県内農家. が影響していると思われる104).. 1 戸当りの平均耕地面積は 8 反 8 畝であること. 表 3,4 より,1953,54 年のプロジェクト活. 97). から ,経営規模が県平均以上である農家の子. 動をみると,生産関係は男性,生活関係は女性. 弟が多数クラブ員になっていた.経営主に対す. が担う性別役割を前提として課題が選ばれてい. る続柄をみると, 「相続人」107 名(男 104 名・. る.男性の生活関係のプロジェクトは,すべて.
(4) 50. 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 4 号(2010 年 12 月). (424). 表 3 プロジェクト活動実施人数(1953―62 年) (単位:人,%) 1953. 1954. 1955. 1957. 1958. 1959. 4,683(98.3). 4,157(99.3). 188(15.9). 120 (12.2). 19(1.7). 176(16.4). 145(23.8). 52(7.9). 生活関係 男 女. 22(0.5). 0 (0.0). 0 (0.0). 0 (0.0). 0 (0.0). 2(0.1). 0 (0.0). 956(80.7). 847(86.3). 1,067(96.7). 894(83.6). 463(76.2). 605(92.1). 462(100.0). 57(1.2). 30 (0.7). 67(1.4). 41(3.5). 15(1.5). 17(1.5). その他 男 女. 4,740 (98.6) 3,758(100.0) 3,482(100.0). 1962. 生産関係 男 女. 2,568(99.9) 2,363(100.0) 0 (0.0). 男女合計(a). 5,947. 5,169. 5,910. 4,828. 4,090. 3,227. 2,825. ク ラ ブ 員総数 (b). 6,120. 6,254. 6,072. 5,747. 5,689. 6,020. 3,916. 97.2. 82.7. 97.3. (a) (b) /. 84.0. 72.0. 54.0. 72.1. 出典: 『農業改良普及事業十ヵ年の歩み』埼玉県,1958 年,68─71,78─81 頁,「4H クラブの現況」『広報埼玉』第 104 号,埼玉 県,1958 年 4 月,3 頁,「4H ク ラ ブ の 話」『広報埼玉』第 119 号,埼玉県,1959 年 6 月,6─7 頁,『農村青少年 ク ラ ブ 年 報 1960』埼玉県業改良課,1960 年,1─2 頁,『農業研究団体年報 1963』埼玉県,1963 年,6─7,59─70 頁,及 び 図 3 で 使 用した資料. 注:1)1953 年は 4 月現在,その他は 3 月現在. 2)生産関係は,各種作物・農機具・農産加工・畜産(養畜)・畜産加工・農業経営(経営)・土壌肥料・蚕業・林業の合計. 生活関係は,衣・食・住・衛生(保健衛生)・家庭管理の合計. 3)男の生活関係はすべて「住」のプロジェクト. 4)その他について,1957・59 年は資料に項目がない.1958・62 年は生産関係・生活関係の区分が判明するので各項目に 含めた. 5)クラブ員総数について,1953・54・55 年は図 3 と一致する.それ以外は各出典の数値をあげているため,図 3 と一致し ない. 6)括弧内の数値は男女別の合計人数に対する割合 . 7)資料の数値をそのまま採用し,合計の誤りは訂正した.. 表 4 実施者の多いプロジェクト活動(1953―62 年) (単位:人,%) 1953. 1954. 1955. 1957. 1958. 1959. 1962. 男 普通作物 2,187(46.0)普通作物 2,025(48.0)普通作物 2,336(49.0)普通作物 1,597(42.0)普通作物 1,353(39.0)普通作物 1,171(46.0)普通作物 そさい 畜産 女 食 衣 住. 900(19.0)そさい . 904(22.0)そさい. 1,077(22.0)そさい. 1,076(29.0)そ菜. 1,062(30.0)そさい. 794(34.0). 927(36.0)そさい. 729(31.0). 876(18.0)畜産. 587(14.0)養畜. 585(12.0)養畜. 542(14.0)畜産. 669(19.0)養畜. 269(10.0)畜産. 398(17.0). 431(36.0)衣. 369(38.0)食. 575(52.0)食. 483(45.0)食生活. 284(47.0)食. 398(61.0)衣. 188(41.0). 337(28.0)食. 359(37.0)衣. 326(30.0)衣. 331(31.0)衣生活. 123(20.0)衣. 168(26.0)食. 147(32.0). 61 (6.0)住. 120(11.0)住. 66 (6.0)そ菜. 56 (9.0)住. 39 (6.0)住. 35 (8.0). 110 (9.0)蚕業. 出典:表 3 に同じ. 注 :1)各年のプロジェクトのうち,実施者の多い上位 3 位を表出. 2)各年の月は表 3,注 1),参照. 3)括弧内の数値はプロジェクト活動を行う男女別クラブ員数に対する割合.. 「住」に関するもので(表 3・注 3) ,参照) ,詳. 来から女性労働に依存してきた「蚕業」のプロ. 細は不明だが工作技術を用いるものと推測され. ジェクトを選択したことが分かる105).クラブ. る.また,表 4 の 54 年の女性をみると,女性. の 目的 と さ れ た 男女 に よ る 農業生産,生活改. が生産関係のプロジェクトを実施する場合,従. 善の分担が不徹底であることに加えて,男性が.
(5) 1950 ─ 60 年代における農業改良普及事業と農家家族(菊池). (425). 51. 生活,女性が生産のプロジェクトを選択する場. 同じ時期の生活改善クラブ活動と共通してい. 合も,従来からの役割分担の範囲内での選択で. る.このことは,表 4 の 58 年の女性が多く実. あったといってよい.. 施したプロジェクトに「そ菜」が入っているこ とにも現われている.. 2 1950 年代後半:4H プロジェクト活動の模索. 生活改善クラブと異なるのは,販売を目的と. 図 3 より,1950 年代後半のクラブ員総数は 50. した家畜・作物をプロジェクトとして実施する. 年代前半と同水準(6 千名前後)を推移した後,. 女性クラブ員が存在したことである.具体的に. 59 年にそれまでの水準を下回ることとなった.. は,生産性が低く,「労働のヤマのはげしい」. 1 クラブ当たり人数は減少し,58 年時点で 50. 農業経営(水陸稲,養蚕,サツマイモを中心). 年代前半にみられた 100 名以上のクラブは存在. の改善を目的としてクラブ内に組織された養豚. しなかった106).50 年代を通じて,クラブ員総. グループに所属して実施した例111),生花用の花. 数が同水準で推移するもとで 1 クラブ当たりの. の購入費用の節約,及び容易に現金収入の得ら. 人数が減少したことは,クラブの小規模化が進. れる農業技術を習得するため,クラブ内に花栽. 展したことを示している.55 年の人数につい. 培グループを組織して実施した例112),父と二人. て,年齢別 に み る と 20 歳以下 3,049 名,21 歳. で自家農業に従事している女性クラブ員が,労. 以上 3,023 名であり,20 歳以下の者のうち「中. 力をあまり要しない換金作物を農業経営に取り. 学校在学中」は 6 名だけであった(全員が児玉. 入れようとコンニャク栽培のプロジェクトを実. 郡の男子) .性別では男子 4,862 名,女子 1,210. 施した例113),周囲では収入のあがるキュウリ. 名であった. 107). .60 年 3 月時点の 257 クラブの. の抑制栽培が盛んであるものの,自分が居住す. 状況を示した資料では,クラブ員総数 4,562 名. る部落で栽培されていないことに疑問を持ち,. のうち男性 3,510 名 , 女性 1,052 名であり,1 ク. キュウリ栽培のプロジェクトを実施した例114). ラ ブ の 人数 は 11─20 名 が 多 かった(11─20 名. などがあった.また,農家の嫁のあり方を問う. 106,21─30 名 70,10 名 以 下 61,41─50 名 3,. 観点から生産プロジェクトに取り組んだ次の例. 70 名 1,84 名 1)108).50 年代後半には,小規模. が注目される.日野沢 4H クラブの女性クラブ. 化と義務教育終了後の男性を中心とする状態が. 員(秩父郡皆野町.1959 年 3 月現在,ク ラ ブ. 定着した.. 員 32 名のうち女性は 18 名)についての報告に. 表 3 よりプロジェクト活動の内容をみると,. よれば,女性クラブ員の「共通した信条」は,. 50 年代前半 と 同様,男性 は 生産関係,女性 は. 「農家のヨメはただ単に労力の提供者であるば. 生活関係のプロジェクトを実施した. 表 4 より,. かりではごめんだ.また子供を産み,メシをた. 男性では「普通作物」が多く,女性では「食」 ,. き,洗たくをするだけでもいけない.農業のお. 「衣」で大多数を占めることが分かる.同表の. もしろ味を知らなければ農家へ嫁ぐ意味がない.. 59 年における男性の「普通作物」プロジェク. それには生産と経営の,知識と技術を身につけ. トは水稲に関するものが大部分で,早期栽培,. ることだ」というものであった.このため,女. 施肥改善が多いとされている. 109). .また,女性. 性クラブ員の「プロジェクトの中には,農業に. クラブ員の場合,食生活の調査結果をもとに,. 直接関係あるテーマがいくつもあり」 ,ウサギ・. 不足する栄養素を含む野菜やタンパク質性食品. 羊の各グループは女性が主体となっていた115). . を自給するため,野菜の作付・家畜の飼育(鶏・. 県の青少年育成の担当者は,「娘の意志や創. 110). 山羊)を行った例が多く確認される. .栄養. 意が認められないまゝ労働へ参加している」状. の観点から自家消費分の作物栽培,家畜飼育が. 態を指摘するとともに,女性クラブ員の活動が. 女性の管理する領域として設定されたことは,. 不活発であることを解決するため,衣食住だけ.
(6) 52. (426). 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 4 号(2010 年 12 月). でな く「或 る 程度の生産的プロジェクト」に. 地域や自分の家の課題を青少年自らが計画的に. 取り組むべきであるとの考えを示していた 116).. 解決することにより,自ら考え,行動する農民. また,吉田町 4H クラブ(秩父郡)の「女子だ. を育成しようとしたプロジェクト活動の教育的. けの農業研究班」である「生産」グループを取. 効果は,限定的なものであったと思われる.. 材した県農業改良課職員は,同グループでプロ ジェクトを実施した女性クラブ員が「 『もうか る』 」 ,あるいは創意工夫の結果が反映されるた. 3 1960 年代前半:4H クラブ員の減少とクラ ブの低迷. め「 『農業は大好き』 」と語っていることをとら. 1960 年代前半,図 3 に示されているように. えて,農業において女性が創意工夫を発揮でき. 4H クラブ員は減少し,50 年代後半の水準を大. るようにすれば,農村を嫌う若い女性がすすん. きく下回ることとなった.1 クラブ当たりの人. で農家に嫁に行くようになるという展望を述べ. 数も減少している.60 年代前半のクラブの小. ていた. 117). .生産プロジェクトによって女性の. 規模化は,50 年代後半と異なりクラブ員総数. 農業生産への意欲を捉えることにより,女性に. の大幅な減少により引き起こされた.10 代─20. よるクラブ活動の活発化や農家の嫁の確保を目. 代の農業就業者の減少(図 1 ─(b)・(c))が,ク. 指す方向が存在したのである.ただし,生産プ. ラブ員総数減少の背景にあった.. ロジェクトに取り組んだ事例は,少数の女性ク. また,農閑期に青少年が賃労働に従事するよ. ラブ員が生活関係のプロジェクトを実施すると. うになったため,クラブのまとまりが失われる. いう全県的傾向のなかで, レアケースといえる.. 事例が存在した.宗岡 4H クラブ(北足立郡足. このことに留意した上で,農業経営を見直すた. 立町)の武田和子は,以下のように述べる.従. めに生産プロジェクトに取り組んだ女性クラブ. 来は冬の農閑期に研究活動を行ってきたが,現. 員が存在したこと,そのなかに将来の自分の立. 金収入を得るための出稼ぎが頻繁化した.「農. 場(農家の嫁)を見据えた上で,農業を主体的. 業人でありながら町のサラリーマンやその他の. に担うために生産・経営の知識・技術を身に付. 職業と同じ経験」を積んだことによって「4H. けようとした事例が存在したこと,行政側にも. クラブという土の匂いのするクラブを少々軽. 女性クラブ員による生産プロジェクトを育成・. 蔑」することになり,「クラブに入会こそして. 助長する意図が存在したことに注目しておきた. いるが,クラブ活動への関心は薄い」119).川本. い.. 4H クラブ(大里郡川本村)の内田勇も,クラ. 表 3 より,クラブ員の多くがプロジェクト活. ブ活動に無関心なクラブ員がいる状況につい. 動を実施していたことからは,農業技術や生活. て,村内に新設された工場などで農閑期に勤め. 改善に対する青少年の意欲の高さを読みとるこ. る人が多く,「クラブ員のまとまりが劣ってき. とができる.ただし,県の普及事業担当者は,. ている」ことを原因にあげていた120).. 意図したプロジェクト活動が実施されていな. 以上の状況に対し,1960 年代後半の 4H クラ. いことを問題にしていた . すなわち,4H クラ. ブは,プロジェクト活動の実施単位の広域化(市. ブ共進会に出品されたプロジェクトについて,. 121) 町村単位から普及地区単位へ) ,クラブ員を. 「地域性,又は自家の農業経営と関連なしに忽. 確保するためのレクリエーションの導入122)な. 然と現はれて来ていると云う感じのものが多」. ど,新しい組織のあり方を模索していくことと. く,綿密な観察や記録も欠けていること,4H. なる.. クラブ幹部講習会に出席したクラブ員が,段階 的に課題解決を図る 「プロジェクト活動の本質」 を「よ く 解って い な い」こ と な ど で あ る. 118). .. 青少年男女を対象とした 4H クラブでは,男 女がそれぞれ農事プロジェクト,生活改善プロ.
(7) 1950 ─ 60 年代における農業改良普及事業と農家家族(菊池). (427). 53. 表 5 埼玉県における農業改良普及事業と農家家族 農. 業. 指. 導. 生. 活. 改. 善. ク. ラ. ブ. 4. H. ク. ラ. ブ. 第1期 ・ 「食糧作物」に関する個別技術の指 ・ 「同志的 な 結合」,男性 の 加入 が 目 ・青少年 ク ラ ブ の 指導方針― プ ロ ( 1950 年 導 指される ジェク ト 活動 を 行 う 機能集団.男 代前半) ・慣行栽培,篤農技術 が も つ 論理 と ⇔生活改善事業 が 対象 と し た 団体 は 性 は 農業生産,女性 は 生活 を 管理 のズレ 多様.地域網羅的なクラブの存在 す る 性別役割 を 前提 と し た 上 で, ・普及対象 の 階層性―零細農家 を 対 ・生活改善事業 の 強化 の た め,女性 男女 に よ る 生産,生活 の 分担・協 象にできない を主とする機能集団としてクラブ 力が目指される を組織する方針が明確化 ・ク ラ ブ 加入者 の 限定性―義務教育 を 修了 し た,経営規模 の 大 き い 農 家の長男が主 第2期 ・農業経営の計画化をもとにした指 ・20 名弱の女性によるクラブの設立 ( 1950 年 導が目標 →行政の要請(「科学的考察の出来る 代後半) ・農業労働 と 家事労働 に 従事 す る 女 主婦」の 育成,生活改善事業 の 効 性 の 立場 が 焦点化→女性 の 農業労 率的推進)+家事,教育・育児 の 働の軽減という方向性 主宰,家族関係 の 円滑化 を 望 む 女 性たちの意欲,が背景 ・男性 が 生活 を 分担・協力 す る 方向 性が失われる. ・義務教育修了後 の 男性 を 中心 と す る状態が定着 ・プ ロジェクト活動における性別役 割 の 定着(男性―農業生産,女性 ―生活) ・生産プロジェクトを実施する女性 に行政が注目 →女性クラブ員の確保と活動の活発 化,農家の嫁の確保という意図 ・プ ロ ジェク ト 活動 の 教育的効果 は 限定的と推測. 第3期 ・農改普及員の活動方式の変更→「農 ・第 2 期に設立されたクラブで継続 ・クラブ員の大幅な減少 ( 1960 年 業の近代化」が目標.効率性の重視, 的な活動を行う女性と第 3 期に新 ・青少年 の 賃労働者化→ ク ラ ブ の ま 代前半) 個別技術の指導に力点 設されたクラブで活動を開始する とまりが失われる ・零細農家は対象外 女性→ と も に 衣食住 の 合理化 に 関 ・1960 年代後半以降,新 た な ク ラ ブ ・地域,農家 の 性格 に 応 じ た 技術指 する活動 運営を模索 導(米麦,野菜 ) ・農業労働力 の 女性化 の も と で 農業 生産を課題とするクラブが出現す るものの,少数. ジェクトを選択して実施する方向性が示された ものの,男性は生産関係,女性は生活関係のプ. は,忘れ去られてしまった.. ロジェクトを実施する状態が定着した. ただし,. Ⅴ おわりに. 1950 年代後半,女性 4H クラブ員が,自家の農. 表 5 はこれまでの分析結果をまとめたもので. 業経営の改善や「農家の嫁」という将来の自分. ある.重要なのは第 2 期であり,第 1 期の反省. の立場を見据えて,農業を主体的に担おうと生. の上に,普及事業が進められた.農業指導では,. 産プロジェクトに取り組んだこと,行政側も普. 食糧増産という課題を反映した個別技術の指導. 及指導のテキストとして利用された雑誌を通じ. から女性労働の軽減を内容に含む農業経営の計. て,女性が生産プロジェクトを実施する事例を. 画化をもとにした指導,生活改善では町村・部. 盛んに紹介したことの意味は大きい.それは,. 落を網羅的に組織した団体を対象とする方法か. 女性の農業経営への参画を促すものであったか. ら女性を主とした少人数の機能集団を対象とす. らである.しかし,60 年代前半のクラブ員の. る方法,4H クラブでは経営規模の大きな農家. 大幅な減少によって,クラブは組織のあり方そ. の長男が多数であり,従来からの性別役割の延. のものを模索することになる.この過程で,50. 長上にあるプロジェクト活動の見直しが,それ. 年代の青少年育成事業が有していた重要な意義. ぞれ目指された.第 2 期の普及事業は,従来の.
(8) 54. (428). 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 4 号(2010 年 12 月). 農家家族の再生産のあり方を見直そうとするも. の農家については,農民層分解論や「主婦農業」. のであり,その実現化が追求された時期であっ. の進行など経済成長に伴う従属的な変化を強調. た.. してきたように思う.本稿の分析は,高度経済. ただし,第 2 期は,①男性が農業生産,女性. 成長の影響が農家家族に及び始めた時期に,市. が家事労働を管理するという性別役割を前提と. 場の外部領域における行政と農家家族との呼応. し た 上 で,②男女 が 農業生産,生活改善 を 分. や模索の過程が存在したことを示している.戦. 担・協力するという普及事業の理念のうち,①. 後農家と農政については,1950 年代の普及事. が達成される反面,②が欠落していくことに. 業の帰趨をふまえた評価が必要であり,普及事. なった.①が達成された背景として,生活改善. 業の実態分析のさらなる進展が望まれる.. 123). クラブが女性の組織として定着したこと. が. 最後に,本稿の分析で取り上げた生活改善ク. 大きいが,農業指導でも女性を農業の担い手と. ラブ員,4H クラブ員の言説について述べておき. する視点が欠落していたことを見逃すことはで. たい.これらは行政が誘導しようという方向に. きない.4H クラブでも,男性は農業生産,女. 合致するものであり,行政雑誌に掲載され,公. 性は生活改善に関するプロジェクト活動を実施. にされた言説であった.行政の意図を知ること. することが一般的であったが,行政は女性が農. ができるという利点をもつ反面,取捨選択され. 業生産プロジェクトを実施することを奨励し. たものであることに注意する必要がある.戦後. た.このことは,男性の長子単独相続という直. の生活記録を分析した辻智子,大門正克は,農. 系家族規範と男性が農業経営を管理するという. 村の女性たちが自らの思いを自由に書いたり言. 埼玉県の農家家族のあり方に一定の修正を迫る. い合ったりする際の秘密性に注目している125).. ものであり,男女がともに農業生産,生活改善. 行政,家,地域社会から自由な位置で発せられ. を分担・協力するという普及事業の理念が,矮. た(あるいは発することさえできなかった)女. 小化された形で具現化したことを意味する.し. 性の声や心性を組み込んだ農家家族論を,今後. かし,女性の農業経営への参画を進めるという. の課題としたい.. 微弱だが重要な 4H クラブの方向性は,第 3 期 におけるクラブ員の大幅な減少と,基本法農政 に応じた効率的な農業指導という方針のもとで 大きな潮流となることはなく,忘れ去られてし まった.農業労働の女性化が進展した 1960 代 後半に至っても,普及事業は女性を農業の担い 手と見なさず,家事担当者としての役割を強調 することになる124). 第 2 期,農家女性の「主婦」化が進展する一 方,男女による農業生産・生活改善の分担・協 力が模索されながら実現しなかったことは,今 日まで続く農家女性のあり方,特に農業労働へ の女性の参画が阻害されている状況の歴史的前 提として重要と思われる.戦後農家を農家家族 の視点から分析してみると,第 2 期の普及事業 の結果が,その後の農家家族に与えた影響は大 きいのではないだろうか.従来,1950─60 年代. 注. 83)1949 年 7 月 12 日,関東民事部民間教育課 の エ レ ノ ア D. リーは 埼玉県 を 訪 れ,県農業 改良課長,普及事業の専門家 2 名,農業改良 普及員 3 名,青年クラブの代表 5 名と会議を もった.そこでは,4H クラブが子供のクラ ブであり,男子・女子の両方をメンバーとす ること,簡単な農事,家事の技術習得,健康 の増進,公民資質の育成,余暇善用のための 趣味の習得を行うことが説明され,4H クラ ブ活動を開始するよう奨励された.Eleanor. D. Lee, “Report of Field Trip to Saitama CAT Education Sectio(n) ”, 15 July 1949. 国立国会図書館憲政資料室所蔵,CAS(C) 01133. 1949 年 11 月,GHQ/SCAP の地方組織(関 東民事部,埼玉民事部)の援助のもと,県農 業改良課は指導者・父兄向けに 4H クラブ育 成の手引を発行し,翌 50 年 2 月には改訂版.
(9) 1950 ─ 60 年代における農業改良普及事業と農家家族(菊池). を 出 し て い る.『普及資料第 19 号 四 H ク ラブ育成の手引』埼玉県,1950 年,「序」,「改 訂のことば」. 84)『普及資料 No. 43 4─H ク ラ ブ 育成 の 手引』 埼玉県農業改良課,1951 年,「は し が き」, 『農業改良普及事業十ヵ年 の 歩 み』埼玉県, 1958 年,64 頁,参照. 85)以上,前掲『 4─H ク ラ ブ 育成 の 手引』,65─ 66,77─81 頁,農林省大臣官房総務課編『農 林行史』第 10 巻,農林協会,1973 年,923─ 924 頁,参照. 86)星野武四郎(青少年専門技術員)「農村青少 年指導 の 根本問題」『農業改良普及資料』第 23 号,埼玉県農業改良課,1953 年 7 月,8─9 頁.以下,『農業改良普及資料』は同課発行. 87)星野武四郎「クラブ活動の問題点─3─」『農 業改良普及資料』第 32 号,1954 年 4 月,13 頁. なお,藤井正弘は,戦前から戦後にかけて 小学校,青年学校,師範学校,農業高校の教 師 を 務 め た 後,新潟県庁 に 入った.判明 す る 役職 は,「新潟県庁青少年係長」(1953 年 7 月),「新潟県農林部農業改良課勤務」(55 年 7 月)で あ る が,54 年時点 も 新潟県農業 改良課に所属していると判断した.藤井正弘 「新潟県における農村青少年クラブ活動の実 際」・藤井正弘ほか「クラブ構造の調査と指 導」『農業教育と農民教育』第 1・4 号,1953 年 7 月・55 年 7 月. 88)星野武四郎「プロジェクトに関する根本的な 考え方」『農業改良普及資料』第 28 号,1953 年 12 月,14 頁.適宜,読点を補った. 89)梶田・小松崎(青少年生活改善係)「 4H ク ラブにおける生活改善プロジェクト指導」 『農 業改良普及資料』第 25 号,1953 年 9 月,6 頁. 適宜,読点を補った. 90)星野武四郎「時間的に見た普及員の 4H クラ ブ育成の現状と今後の指導方向」『農業改良 普 及 資 料』第 24 号,1953 年 8 月,5 頁,同 「クラブ活動の評価について」『農業改良普及 資料』第 27 号,1953 年 11 月,14 頁. 91)生改普及員 は 1952 年 21 名,53 年 18 名,54 年 26 名(各年 3 月末現在)で あ り,農改普 及員に比べてはるかに少なかった(51 年 12 月末現在,農改普及員 242 名).前掲『農業 改良普及事業十ヵ年 の 歩 み』,118 頁 の 表, 『昭和 26 年度 協同農業普及事業年次報告 書』農林省農業改良局,1952 年(ヵ),10 頁 の「別表 2 」,参照. 92)篤志指導者については,星野武四郎「 4H ク ラブの指導者とその必要性について」前掲『農 業改良普及資料』第 25 号,4─6 頁などを参照. 93)埼玉県総務部統計課編『昭和二十六年 埼玉. (429). 55. 県統計書』埼玉県統計協会,1953 年,337 頁, 県総務部統計課編 『第一回 埼玉県統計年鑑』 県総務部統計課,1954 年,305 頁. 94) 『 1953 4H クラブ年報』埼玉県農業改良課, 1953 年,11─14 頁( 『 [農業改良,病害虫防除 外 関 係 資 料 綴] ( ~ 昭 和 30 年) 』 ,1953 年, 埼玉県立文書館所蔵,増島成郎氏収集 35) . なお,215 名の北川辺領クラブは,北埼玉 郡利島村,川辺村の 14 クラブの上部組織で あり,町村・部落単位に結成された他のクラ ブと編成原理が異なる. 95)前掲『農業改良普及事業十ヵ年の歩み』 ,67─ 68 頁の表を参照. 96)星野武四郎「クラブ活動の問題点─1 ─」 ・ 「 同─2 ─」 『農業改良普及資料』第 30・31 号, 1954 年 2 月・3 月,12─14・8─10 頁. 97)農林省統計調査部編『臨時農業基本調査市 町村別統計表』農林統計協会,1959 年,94─ 105 頁,参照.農家総数,経営耕地面積 の 合 計の誤りを訂正して算出した. 98)前掲『農業改良普及事業十ヵ年の歩み』 ,67─ 68 頁の表を参照. 99)1952 年 3 月 31 日現在,全都道府県の中で埼 玉・千葉の両県のみ,青年農業改良クラブに 相当する組織が存在しなかった.前掲『昭和 26 年度 協同農業普及事業年次報告書』 ,14 ─15 頁の「別表 5 」 ,参照. 100)前掲『農業改良普及事業十ヵ年の歩み』 ,67 ─68 頁の表を参照. 101) 「あかるい村づくりにはげむ青年たち」埼玉 県報道文化課編『くらしの友』第 8 号,1952 年 4 月,3 頁. 102) 「村を興した 4H クラブ」 『日本 4H 新聞』第 559 号,1969 年 1 月,5 面(国立国会図書館 新聞資料室所蔵.以下, 『日本 4H 新聞』は 同室所蔵) . 103) 「農山漁村青少年クラブ活動育成に関する基 本方針」農林省・文部省,1949 年 8 月, 「埼 玉県 4H クラブ活動育成に関する基本方針」 埼 玉 県 知 事・県 教 育 長.以 上,前 掲『 4─H クラブ育成の手引』 ,2─4 頁. 104)農村青少年クラブの育成・指導が農林省と 文部省に二元化されたことについては,次の ような指摘がある.すなわち,アメリカの 4H クラブが学校生徒の校外活動として行わ れているのに対して, 「日本の 4H クラブは, 文部省と農林省の妥協によって誕生したため に,農林省は,例えそれが校外活動としても, 学童生徒の育成には手を触れることを控える ことになり,いきおい義務教育終了者を対象 として組織する結果となった」 . 「 4H クラブ の本質をさぐる」 『日本 4H 新聞』第 459 号, 1966 年 2 月 24 日,2 面..
(10) 56. (430). 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 4 号(2010 年 12 月). 105)明治期の農家における養蚕など副業の導入 過程と女性労働の活用については,大門正克 「農村問題 と 社会認識」『日本史講座 8 近代 の 成立』東京大学出版会,2005 年,310─323 頁などを参照. 106)前掲『農業改良普及事業十ヵ年の歩み』,65 頁. 107)以上の 1955 年のクラブ員についての数値は, 前掲『農業改良普及事業十ヵ年 の 歩 み』,70 頁の表を参照.数値の誤りは訂正した. 108)『農村青少年 ク ラ ブ 年報 1960 』埼玉県農業 改良課,1960 年,10─13 頁,参照. 109)同上,2 頁. 110)「椎茸栽培 と そ の 利用法」『農林埼玉』1957 年 11 月 号, 埼 玉 県 農 林 部,1957 年 11 月, 25─27 頁 に 掲載 さ れ た 入間郡坂戸町大家 4H ク ラ ブ 食生活改善 グ ループ の 活動.以下, 『農林埼玉』は同部発行.齋藤芳子(狭山市・ 柏原 4H クラブ)「蛋白源の生産と活用で栄 養改善」『農業 の 改良』第 3 巻第 6 号,1956 年 6 月,45─47 頁,樋口まさ美(本庄市・本 庄 4H クラブ)「プロジェクト巡り わが家 の食生活調査」『農業の改良』第 5 巻第 5 号, 1958 年 5 月,56─57 頁,栗原善枝(狭山市・ 入間 4H クラブ)「プロジェクト巡り 私た ち の 栄養改善三ヵ年 の 歩 み」『農業 の 改良』 第 6 巻第 5 号,1959 年 5 月,54─55 頁,小川 昌代(大里郡江南村・小原 4H ク ラ ブ)「プ ロジェクト巡り 母と共同の家庭菜園」『農 業 の 改良』第 6 巻第 9 号,1959 年 9 月,84─ 85 頁.『農業 の 改良』は,埼玉県農業改良普 及協会(のち,農業の改良協会)の発行.以 下も同様. 111)武藤淑江(入間郡坂戸町・大家 4H ク ラ ブ) 「プロジェクト巡り 若い力で村づくり」『農 業 の 改良』第 5 巻第 3 号,1958 年 3 月,62─ 63 頁. 112)椎名光子(東松山市・野本 4H ク ラ ブ)「プ ロジェクト巡り 村つくり六人娘の記録」 『農 業 の 改良』第 5 巻第 4 号,1958 年 4 月,56─ 57 頁. 113)福島茂代(児玉郡上里村・賀美 4H ク ラ ブ) 「プ ロ ジェク ト 巡 り 平坦地 に お け る コ ン ニャクの栽培」『農業の改良』第 7 巻第 1 号, 1960 年 1 月,82─83 頁. 114)室久保俊子(秩父郡・吉田 4H ク ラ ブ)「プ ロジェクト巡り 山間地で成功した私のキウ リ 栽培」『農業 の 改良』第 7 巻第 5 号,1960 年 5 月,86─87 頁. 115)内野光久(県特産課)「青年のひろば 皆野 町日野沢 4H クラブ女子グループの活動」 『農 林埼玉』1959 年 5 月号,1959 年 5 月,18─19 頁.. 116)星野武四郎「 4H ク ラ ブ 活動上当面 す る 問 題点とこれの指導について(その一) 」 ・ 「同 (その二) 」 『農業改良普及資料』第 44・45 号, 1955 年 12 月・56 年 1 月,15・9 頁. 117)梶田利治(農業改良課) 「プロジェクト巡り 山峡にいどむ乙女たち」 『農業の改良』第 5 巻第 6 号,1958 年 6 月,56─57 頁. 118)長谷部「第五回 4H クラブ共進会の反省」 ・ 星野武四郎「4H クラブ活動上当面する問題 点とこれの指導について(その三) 」 ,ともに 『農業改良普及資料』第 46 号,1956 年 2 月, 13─16 頁. 119) 『農業研究団体年報 1963 』埼玉県,1963 年, 51─52 頁. 120)内田勇(大里郡川本村・川本 4H クラブ) 「私 たちのクラブ活動」 『日本 4H 新聞』第 503 号, 1967 年 5 月,4 面. 121)あるクラブ員は,当初, クラブ内にプロジェ クトの「部門別の研究グループがあり,自主 的に活動を行っていた」が,現在は「単位ク ラブでは少人数になってしま」い「マンネリ 化してしまうので,普及所単位からなってい る地区」で研究グループを組織していると報 告している.茂木佑子「単位クラブ活動の強 化について」 (農業普及課 『農村青少年育成綴』 1966 年,埼玉県立文書館所蔵,A876) . 122)1966 年 8 月に開催された川口・越谷・白岡 地区の 4H クラブ員の交歓会における討議で は,4H クラブでレクリエーションを行うこ とについて,意見が 2 つに割れた.ひとつは, 農村青年が少ない状況では,クラブ員を確保 するためレクリエーションを積極的に取り入 れる必要があるというものであり,もうひと つは,農業が「非常にむずかしい事態に直面 して」いる状況においてレクリエーションは 必要なく,農業改良,生活改善の実践活動を 主体とするべきであり, 「ついてこないクラ ブ員は脱落しても仕方ない.少数精鋭でいく べきである」というものであった.江原邦雄 (南埼玉郡白岡町・白岡 4H クラブ副会長) 「わ がクラブわが同志 白岡地区 4H クラブ(埼 玉) 『日本 4H 新聞』第 481 号,1966 年 10 月, 」 4 面. また,1966 年 10 月に開催された単位クラ ブ会長研修会の開会式において,県農業研究 団体連合会 4H 部長 は, 「現在 の ク ラ ブ の 中 にはレクリエーション中心に走っているのが 多いが,これが 4H 活動の全部ではない」と 述べている.大鹿良夫「県連と事業 埼玉県」 『日 本 4H 新 聞』 第 485 号,1966 年 11 月,3 面. 123)この底流には,家事・育児を主宰したいと いう戦前からの女性たちの意欲があったと思.
(11) 1950 ─ 60 年代における農業改良普及事業と農家家族(菊池). われる.戦前・戦後の『家の光』を分析した 板垣邦子 は,昭和 10 年代,生活面 を 管理 す るのは男性家長であり,生活改善の担い手も 男性であったのに対し,消費生活の拡大,新 たな家事知識・技術が必要となったこと,家 事・育児を任せて欲しいという女性たちの要 求,生活改善事業 な ど の 政策的 な 後押 し に よって,1960 年前後,女性 が 家事・育児 を 主宰するようになったとしている.板垣邦 子「性別役割分担 の 形成」『米沢史学』第 15 号,1999 年 6 月,同「農村主婦層 に お け る 家庭雑誌の受容」 『メディア史研究』第 19 号, 2005 年 12 月. 124)県農業改良課が示した 1965 年度の「農村主 婦教育」の 方針 で は,「主婦農業」の 進展 に ともない「家事労働と,農業労働を,どのよ うに調整するかは重要問題であり,且つ急務 といわねばならない」とされ,生活改善クラ ブ活動を通じて「生活の合理化と併せて農業 技術の基礎的研修を実施する」とした. 1964 年 12 月─65 年 1 月,県農業改良課 は 「主婦農業対策」の会議を開催しており,そ こでは「主婦農業」における女性の境遇とと もに(労働報酬や休養・睡眠時間が不十分な ど) ,家事や育児・教育がおろそかになって いることが問題とされた(家事に向ける時間 が少ない.食事,育児・教育がおろそかになっ. (431). 57. ている. 「農作業が合理化されているのをあ まり知らないので,無だな働力をかけ,生活 面にくいこんでいる」など) .本来,家事を 行うべき女性が農業労働に多く携わることを 問題としたのであり,以上の議論を下敷きに して 65 年度の方針が出されたといえる.方 針がいう家事労働と農業労働の調整とは,農 業労働の合理化により,女性の家事時間の確 保を意図したものであったと思われる.以上, 1964 年 12 月 7 日,65 年 1 月 8 日に開催され た 会議 の 記録(埼玉県農業普及課『生活改 善一般文書』1965 年,埼玉県立文書館所蔵, A3841) , 『昭和 40 年度教育係 の 事業推進 に つ い て の 基本構想』 ,1 頁(農業普及課,前 掲『農村青少年育成綴』 ,所収) . 125)辻智子「農村で女が『生活を書く』という こと」 『国立婦人教育会館研究紀要』第 2 号, 1998 年 12 月,大門正克「農村 に お け る 主 体形成」田代洋一編『 21 世紀 の 農業・農村 第 4 巻日本農村の主体形成』筑波書房,2004 年,45─46 頁,大門正克『全集 日本 の 歴史 第 15 巻 戦争と戦後を生きる』小学館,2009 年,334─336 頁. ( ママ). ( マ マ ). [き く ち よ し て る 横浜国立大学大学院国際社 会科学研究科博士課程後期].
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