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難治性の病気の子どもをかかえる母親の「子ども観」に関する研究 −母親の子ども観と看護士の子ども観を比較して− [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)難治性の病気の子どもをかかえる母親の「子ども観」に関する研究 −母親の子ども観と看護師の子ども観を比較して− キーワード:子ども観,母親,病気の子ども,小児看護,小児看護学教育 発達・社会システム専攻 松木 美奈子 1.はじめに. 子ども観とは子どもに対する認識であり、子どもと関わ. 我が子が、もし、難治性の病気に冒されてしまったら、. るときの行為の枠組みとしても機能するものである。例. 母親はどんな思いで我が子を見つめているのであろうか。. えば、昔からいわれている「子は宝」という考えのもと. 小児看護の実践と教育に携わる私が、この疑問をあらた. では、 子どもを大切に育てるであろうし、 「子どもは無邪. めて抱き始めたのは、自らが母親となり、我が子を愛す. 気である」という考えのもとでは、子どものいたずらを. る母親の気持ちがどれほどのものか、ということを初め. 寛大に受けとめることができるであろう。このように、. て理解できてからである。それと同時に、今までは母親. 子どもをどのような存在として受けとめたり、どのよう. の気持ちを全くと言って良いほど、理解できないままに. な思いを抱いていたりしているかという子ども観が、子. 母親と関わり、看護学生に教育していたことに気づかさ. どもと関わる姿勢の基盤になるといえる。したがって、. れたのである。恐らく、母親という役割が未知のもので. 子どもと直接的に関わる親はもちろんのこと、教師や保. ある看護学生にとっても、病気の子どもをかかえる母親. 育士、児童福祉に携わる者などが有する子ども観は子ど. の理解や関わりに困難を来しているのではないだろうか。. もに少なからずとも影響を与える。. 病気の子どもをかかえる母親の我が子への思いは、同じ. 小児医療に携わる看護師も例外ではない。病気の子ど. 立場を経験しなければ、自らに生じている現象として心. もと関わりをもつ看護師が子どもをどのような存在とし. から理解することはできないかもしれない。しかしなが. て受けとめているかによって、子ども対する看護の内容. ら、この真実に迫らなければ、小児看護の実践も、看護. や方法はいかようにも変化し、看護の質をも左右する可. 学生の教育も現状のままである。. 能性があると考える。それゆえに看護師の有する子ども. そこで、病気の子どもをかかえる母親の子ども観を追 求するために、本研究に取り組んだ。本論の構成は以下 の通りである。 1 章 研究の視点と研究内容. 観は子どもの看護を行う上で、基盤をなすものであり、 これを明らかにすることは意味あるものと考える。 一方で、小児看護における対象は子どものみならず、 家族の存在も無視できない。家族の中でも子どもとより. 1.研究の視点. 近い立場にある母親が病気をもつわが子に対してどのよ. 2.先行研究の分析. うな思いを抱いているのか、という子ども観を知ること. 3.子ども観と小児看護の変遷. は、家族を理解し、子どもや家族のニーズに応じた看護. 2 章 病気の子どもをかかえる母親の子ども観と小児病 棟に勤務する看護師の子ども観. を提供するうえで重要といえる。 しかしながら、子ども観は普遍的なものではなく、文. 1.調査の目的と方法. 化や社会的背景、個人のおかれている状況などによって. 2.対象者の背景. 常に変化するものである。同じ子どもと関わる場合にお. 3.病気の子どもをかかえる母親の子ども観. いても、母親と看護師、立場が違えば子ども観は必ずし. 4.小児病棟に勤務する看護師の子ども観. も一致するものではないと考える。母親と看護師の子ど. 3 章 母親と看護師の語りから見えてきたもの. も観の相違が大きければ、たとえ子どもの利益を守るた. 1.母親の子ども観と看護師の子ども観の相違点. めの看護であっても、子どもや家族の満足できる看護へ. 2.母親の子ども観と看護師の子ども観の共有点. とつながらない可能性がある。. 3.これからの小児看護 4 章 本研究のまとめと今後の研究課題. そこで、本研究の目的を以下の 2 点とした。 1)看護師の子ども観と家族の中でも子どもとより近い 立場にある母親の子ども観を明らかにすること。. 2.各章の要約. 2)両者の子ども観の相違点を明らかにすること。. 1 章 研究の視点と研究内容. これらを明らかにした上で、子どもと母親が満足できる.

(2) 看護について考察する。 小児看護学領域における子ども観について先行研究 の分析を行った結果、以下の研究課題が明らかになった。. を目的とした。 2 章 病気の子どもをかかえる母親の子ども観と看護師 の子ども観. 病気の子どもをかかえる家族の子ども観が明らかにさ. 本研究における子ども観を以下のように定義した。. れていない点、医療者や病弱児教育に携わる教師など病. 母親の子ども観:病気の我が子に対する思いや見方・. 気の子どもをとりまく人々の子ども観が明らかにされ ていない点、いろいろな立場におかれている人の子ども. 考え方 看護師の子ども観:病気の子どもに対する思いや見. 観の比較において質的な分析がなされていない点であ る。これらの点をふまえて、本研究では病気の子どもを かかえる母親の子ども観と小児病棟に勤務する看護師. 方・考え方 研究デザインは、母親と看護師の子ども観を両者の語 りを通して帰納的に探索する質的帰納的研究である。. の子ども観を質的に分析し、比較することとした。ここ. 調査対象は、研究の参加に了承を得られた入院してい. で、質的研究を用いる理由について述べる。先行研究に. る乳児から学童の子どもをかかえる母親 6 名と小児病棟. おける子ども観の調査は、質問紙調査を行い、統計的な. に勤務している看護師 6 名である。. 方法を用いて分析する傾向にある。この方法では研究者. 調査方法は半構成面接調査であり、面接は病棟の個室. が構造化した調査項目の中での子ども観を抽出するこ. にて研究者と対象者、1 対 1 で行った。1 回の面接時間. とにとどまる。我が子が病気である母親の子ども観とい. は約 20∼30 分、回数は 1∼3 回を目安とした。主な質問. うものは「子どもがかわいい」「子どもは純粋である」. 内容は、 (母親) ①子どもと入院生活をどのように過ごし. など一般的・通俗的な子ども観とかけ離れたものであり、. ているか、②子どもに期待すること、③子どもの存在、. 一言で表現できるものではないように思われる。そこで、. (看護師)①勤務中、子どもとどのように関わっている. 自らも体験したことのない病気の子どもをかかえる母. か、②子どもに期待すること、③子どもの存在である。. 親の子ども観という、未知の現象にアプローチするため. 質問に対する対象者の自由な語りが、子どもに対するど. には、母親の語りを直接聞き、母親の観点、あるいは枠. のような思いや考え方に基づいているのか、というさら. 組みから子ども観を解釈しなければいけないと考えた。. なる質問を重ねて、対象者の子ども観を追求した。対象. また、この方法でより真実を追求できると思われる。. 者より語られた内容を研究者がメモにとり、対象者より. 日本における子ども観の変遷と小児看護の変遷を振 り返り、比較をすると、日本社会で子どもを一人の人間. 了承を得た場合は、面接内容を録音した。 分析の方法は、対象者より語られた内容について逐語. として尊重する以前は、医療が未発達であったためか、. 録を作成し、子どもに対する思いや考え方が記述されて. 小児専門の医療や看護は存在せず、「子どもの命」とい. いる文章を文脈上の意味を損なわない範囲で抽出した。. うものに重みを感じていなかった。しかしながら、1947. 対象者の背景は以下の通りである。. 捉えるだけで子どもの最善の利益を守るための看護が. 表 1.母親の背景 年代 母親 A 40 歳代 母親 B 20 歳代 母親 C 30 歳代 母親 D 20 歳代 母親 E 40 歳代 母親 F 40 歳代. 提供できるであろうか。看護の対象は社会という包括さ. 表 2.看護師の背景. 年の「児童福祉法」制定後、子どもを一人の人間として 尊重するという考え方が社会に及んでからは、子どもを 専門とした医療や看護の取り組みが積極的になされて おり、社会が子どもをどのように考えているかにより、 小児看護も同様の変化をたどっていることが明らかに なった。しかしながら、社会における子ども観の変容を. れたものではなく、一人の子どもであり、その母親や家 族、 「個」としての存在しているものである。それ故に、 社会における子ども観だけでなく、病気の子どもをかか える母親や家族が抱く子ども観を捉えなければ、子ども の最善の利益を守ることはできないであろうし、母親や 家族の満足できる看護も提供できないと考えている。こ. 看護師 A 看護師 B 看護師 C 看護師 D 看護師 E 看護師 F. 子どもの年齢 5歳 10 か月 4 歳 2 か月 1 歳 6 か月 4 歳 9 か月 1995 年 8 歳で永眠. 子どもの病名 脳腫瘍・肺炎 百日咳 川崎病 喘息性気管支炎 ネフローゼ症候群 先天性食道閉鎖症. 看護師経験年数. 小児病棟経験年数. 10 年 20 年 10 年 14 年 9年 27 年. 5年 14 年 9 か月 6年 3年 21 年. 既婚・未婚 未婚 既婚・2 児母 既婚・2 児母 未婚 未婚 既婚・1 児母. のような観点から、本研究では「個」として存在してい. 母親の語りを分析した結果、母親の子ども観として以. る母親と看護師、それぞれの子ども観を明らかすること. 下のものが抽出された。子ども観として語られている部.

(3) 分は下線を挿入している。. いう母親それぞれの思いが語られていた。子どもが健. ①入院中、母親は子どもと直接的に関わりながら、共に. 康であれば考えもしない「人並みであって欲しい」. 遊び、過ごしていた。このような関わり方をする背景. 「健康であって欲しい」という思いは、病気の子ども. には、母親が 24 時間子どもに付き添い、入院生活を. をかかえる母親の特徴的な子ども観と考える。. 過ごしている環境的要因もあると思われるが、母親は、. ⑥母親にとっての子どもの存在は、 「いないと考えられな. 以下のような子どもに対する思いのもとで関わって. いですね」「頑張って働いている、生きていることの. いた。「子どもがしたいようにさせている。脳腫瘍で. 力」であると語っていた。. いつ死んでもおかしくない状態だったから今やって. 看護師の語りを分析した結果、看護師の子ども観とし. おかないと後悔すると思った」「自分の子ども見ると. て以下のものが抽出された。子ども観として語られてい. 不憫に思う」「普段甘えさせていないので、甘えさせ. る部分は下線を挿入している。. てもいいかな」「この子が退屈しているんだろう、入. ①子どもの泣く姿を見て、 「恐怖におののいているんだろ. 院生活を強いられているんだろうという思いがある」. う」、親元を離れて入院している学童に対しては「元. ②治療や検査を受けている我が子を目の当たりにして、. 気に遊んでいても、子どもは母親が好きなのでいない. 母親は「点滴や酸素吸入がほとんどでかわいそう 」. と寂しいかな」、行動や食事の制限など生活規制を受. 「熱が高かったから多分苦しかったでしょう」「採血. けている子どもに対しては「つらい」「動けないスト. も泣かないで我慢しているんだろうな」という思いで. レスがある 」「遊ぶことができなくて かわいそう 」. 子どもを見ていた。また、急性期を脱して回復に向か. 「制限をされてすごい退屈ですよね」「うちの子は外. う子どもに対しては「遊べなくてストレスがたまると. で遊んでいるけど、入院している子は我慢しているん. 思う」「行こう、行こうって言うから退屈しているん. だろうな」、思春期の子どもに対しては「病気を宣告. だろう」 「帰りたいという気持ちがすごくあるみたい」. されて悩んでいる」、学童期以降の長期入院の子ども. という思いを抱いていた。. に対しては「生活のリズムが崩れている子は多いです. ③発病当初は子どもを「かわいそう」という思いで見て いた母親も、発病から数年経過すると「薬を飲むとか. よ」など、入院生活の様々な場面における子どもの姿 を語っていた。. したくないこともするんですよ。しなければいけない. ②看護師としての関わりの中では、子どもに対して以下. ことはわかっているみたい」「我慢している子どもを. のような見方をしていた。「繰り返し入院する子ども. 見ると偉いなと思う」「自分で吸入とかできるように. は成長を感じる」「遊びの中で怪我をしないように考. なって病気と闘ってくれていると思う」「病気を理解. えます。子どもは何をするかわからない」「子どもに. できるようになった」「うちの子より重症な子どもを. は正直に言わないといけない」「かわいいだけではだ. みるとうちの子は幸せだと思う」という我が子を肯定. め」「かわいそうと言ってもしょうがない」「順序だ. 的に評価する思いへと変化していた。. てて言ってあげることで子どもは理解できるのかな」. ④この子の母親であるという強い思いのもとで、母親は. 「一人の人間として考えてあげないといけない」. 「うちの子に限ってなんで…」という自己中心的な思. ③子どもに期待する思いとしては「元気になってもとの. 「代わ い、 「弱い体に生んでごめんね」という自責感、. 生活に戻って欲しい」「今までの生活に近い生活を送. れるものなら代わってあげたいけど何もできない」と. って欲しい」など退院に向けた期待や入院生活の中で. いう無力感、 「子どもと死を重ねる、良くなっている. の期待を語っていた。. と言われたことないし」という心配、「体が強くなる. ④看護師にとって病気の子どもの存在は「自分がこれで. なら何でもしてあげようかなと親として思う」という. いいんだと思える」「ちょっと子どもとお話しできる. 何でもしてあげたいという思いを子どもに対して抱. と頑張ろうと思える」「赤ちゃんを見ると癒される」. いていた。. 「NI CUでは我が子のような思いになっちゃいます」と. ⑤子どもに期待する思いとしては、 「元気に遊んで欲しい. 語っており、子どもの存在を肯定的に捉えていた。. と思う、幼稚園でも一人だけお昼寝するし」 「人並み. 「お母さ ⑤ 「子どもにとって母親は絶対的な存在と思う」. にできればいいな」「優しい子になってほしい」「健. んではないとだめという子が多いので、お母さんとの. 康であって欲しい、家にいるときは健康なんて考えた. つながりは強いのかな」「お母さんの不安やイライラ. ことなかったけど」「基本的生活習慣を備えて欲しい. は子どもに伝わっている傾向にあると思う」という、. 」「早く良くなって欲しい、家に連れて帰りたい」と. 子どもは母親とつながっているという見方を看護師.

(4) はしていた。. を取り入れる必要があると考える。そして、母親と看護. 「子どもが好き」 「 ⑥看護師の語りによって「かわいい」. 師の子ども観の相違点をふまえ、具体的な看護のスキル. 愛情をもっている」という子どもに対する感情や、 「回. を提示することである。例えば、子どもの病気の原因が. 復力が速くてタフかなと思う」反面「一人では生きて. 自分にあると自責感を抱く母親に対しては、原因は母親. 、 「かわいい」反面「何をする いけなくて弱いと思う」. ではないという事実をきちんと伝えて、自らを責めてい. かわからないので少し怖い」という子どもに対するイ. る母親の気持ちを少しでも楽にするなど、看護学生が看. メージをもっていることが明らかになった。. 護場面をイメージしやすいよう、母親の具体的な思いと. 3 章 母親と看護師の語りから見えてきたもの. それに対する具体的な看護を提示することである。. 両者の子ども観の共有点の一つは、入院している子ど. 次に、臨床の小児看護における課題は、ありのままに. 「きつそう」 「ストレスを抱えて もの姿を見て「つらい」. 子どもを見ることである。看護師は「役割使命」のもと. いるだろう」 「退屈しているだろう」 「我慢している」と. で子どもを見ていたが、これは小児看護の役割という枠. いう子どもの見方であった。看護師は母親と同じように. に当てはめた子どもの見方となってしまう。母親は我が. 子どもの苦痛を感じ取ることができていた。 二つめは 「子. 子をありのままに見て、子ども観を語ったように、看護. どもなりに病気のことを理解している、理解できる」と. 師もありのままに子どもを見て欲しい。 そうすることで、. いう見方であり、母親と看護師は子どもだからわからな. 母親の抱く子ども観に近づけると考える。そして、母親. いだろうという先入観を抱くことなく子どもを見ていた。. と語り合うことである。本研究の調査においても、短い. 「頑張ろうと思える」と 三つめは「生きていることの力」. 時間ではあったが母親と語ることによって、文献にも書. いう子どもの存在あった。母親は人生において、看護師. かれていない母親の子どもに対する思いを知ることがで. は職業人として生活する中で、それぞれ子どもの存在を. きた。看護は病気を対象にしているわけではなく、病気. 意味するスケールの大きさに違いはあるが、病院という. をもつ一人の人間を対象にしている。マニュアル化され. 同じ空間では両者にとっての子どもの存在は同じと考え. た看護では、子どもや母親の満足できる看護は提供でき. る。母親と看護師という立場の違いがあっても、共有で. ない。子どもや母親と語り合う時間を設けることで、今. きる子ども観が存在することが明らかになった。. 以上に個人を理解することができ、子どもと母親が満足. その他の子ども観は異なるものであった。その異なり が生じた要因としては二つのことが考えられた。 一つは、. できる看護を提供できると考える。 4 章 本研究のまとめと今後の研究課題. 母親は病気である我が子、一個人に対する子ども観、看. 本研究によって抽出された子ども観は飽和化されたも. 護師は今まで関わってきた不特定、複数の病気の子ども. のでなかった。その原因として、対象数が少なかったこ. たちに対する子ども観であり、子ども観を語る対象その. と、対象の背景にばらつきがあったことが考えられる。. ものに違いがあったことである。二つめは、母親は我が. しかしながら、子ども観という個人の抱く思いを一般化. 子を慈しみ守るという「母性」を根底にした子ども観、. することにどれだけの意味を持つのかという疑問も抱く。. 看護師は子どもの命を守り、健康を回復・増進するとい. 一般化をして母親の子ども観に先入観を抱いては、個別. う小児看護師としての「役割使命」を根底とした子ども. 的な看護は提供できない。故に、様々な背景にある母親. 観であり、両者のおかれている立場に違いがあったこと. の子ども観を今後も明らかにし続けていき、必要とされ. である。. る看護を見いだしていきたい。また、健康な子どもの母. これらの見解から、今後の小児看護の課題について考. 親の子ども観と比較することで、病気の子どもをかかえ. 察する。まず、小児看護の教育においては母性を想起で. る母親の特徴的な子ども観を明らかにし、母親の心の奥. きる教育を行うことである。子ども観とは個人が有する. 底に潜んでいる思いのさらなる追求に努めたい。. 思いであるため、看護師、あるいは看護学生に母親と同 じ子ども観を抱かせるよう教育することは不可能であろ. 3.主要引用文献・参考文献. う。しかしながら、母親の子ども観を理解して、子ども. 1)戈木クレイグヒル滋子.闘いの軌跡.川島書店.東. や母親と関わることは可能である。 母親の子ども観は 「母 性」を根底にしたものであるため、母親が病気の我が子 をどのような思いで見ているのか、その気持ちに寄り添 うには、 「母性」を理解することが必要である。故に、小 児看護学教育の中にも意識的に「母性」に触れた教授法. 京.34−55.1999 2)新道幸恵.後藤桂子(訳) .ルヴァ・ルービン母性論. 医学書院.東京.74−78.1997 3)河原和枝.子ども観の近代.中央公論社.東京.3− 13.1998.

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