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Kyushu University Institutional Repository
愛と憎しみ : 「ニーチェと古典文献學」の一章
國松, 孝二
https://doi.org/10.15017/2556524
出版情報:文學研究. 35, pp.99-123, 1946-03-30. The Kyushu Literary Society バージョン:
権利関係:
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J發抑したのであらうか︒文献壊群たちは雌猟1広る恥稀として︑恥な写ハ容概的關心や単間的認識愁と以て古典的世界に
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△近づき︑そして冷やかな穿盤眼を働かせたのではない︒彼等は自由な系一フマニストとして︑がむしゃらな只一咽なる〆感激を以て古典的枇界に瀞異し心酔し︑古典作家を抱擁し熱愛したのだ︒︒ヘトラルヵはQoの﹃︒を父と呼びく日慢稚沁
●兄弟ど呼んで彼等に書翰をしたため︑現在に彼等と交通せん兵とを願った︒否︑願ったばかりでなく︑抵際そのあひ
だに指導と偏從とか術は叩︑友帖・と敬愛とが交はされたのだ︒﹁彼等のあひだにひろかつ七ゐた歴史の雲のヴェール.︲
は︑感動の嵐の汰かにちぎれ飛び﹂︑﹁彼は暗漉たる昏迷の何枇紀かを越えて︑己鯏の災族の魂を曽恥自身の魂として
︵3︶︵4︶・
迎へた﹂のである︒ルネサンスを己伽の双胴に推ふ﹁百人の拙の群鯏﹂︵国目号鼻︲冨営冨自︲除盲目︶に脇してゐたフマ一ストたち︑彼等は先づ古典作家のなかに文末近の瓦脈とみとめ︑その描僻の流腿︑文部の商雅に識瑛して︑これを
抄壷己れの晩としたaそればかりではない︒又それだけだったら佃粍のことがあらう︒スコラの斌撰川舳とは似もつか
グ噂拘火のたい自由な雪プールと︑深い磯かた思想との︑近仙的な代表群をみとめた︒仙人の験延を締めあげてゐた
中仙には夢想もされたかった︑際立った佃性と勁忰な一為自尊心とを狩った人川︑ルネサンスを支配してゐた暹しい捕
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熱である野心と名群心・こにためらふことなく牙をゆだ偲た人川︑巨・ョ︒菖昌く伽﹃m湾尽そ肌を彼等は古典作家のなかに命︑
そして占典作家の諸る主人公たちのなかに發兄した︒﹁仙凌人の戦ひに於ける伸大なる瞬川はひとつの辿独を形づく.
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の蚊商鮎は愈私にとって今なほ生きて明るく稚大で諺Eとい々−1チェかフマニスム風の娠仰の根幹と老へた忠・想ば︑たしかにルネサンス古典文献學の什肉に潤み入ってゐた熱附的エーストであった︒︲・
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p夕■︲︵1︶シロ伽巨異国し①皇パグ国口a産︒忌日の巨臥・嵩の吾CPCざ巴の号引己三さざ喝④号の口劃儲祁易昌旨粋の戸園弓里謡沙具旨鴨.︑廻
甸f●
︵2︶唇の何の合の︒望の鳥の︵肉色口①H叩戸口出号の︶.霞︾恩.︶の軍酌
も
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︑h︵3︶z・的葛.弓園旦.︶いい81や.﹁生に及ぼす歴史の羽昨に就竺﹂︲一のうち︑伺古的歴史観を論じてゐ・るところから引用を行つ.︾
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●たことは︽何もフマ一スふスの古代愛が︑ニーチ・︽の副ふところの何古的罐史楠紳と合致するといふ意味ではな噌﹁生産
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保存することのみを知って創造することを知らない﹂歴史態匪が︑少くともダンテ︑︒ヘトラルカ︑ボッカチオなどの胸底に酌きかへ2Lゐた古代への熱楠と同じものでないことは明かだ︒フマ言︿ムスの古代愛のなかには︑むしろ尚古的歴史鯉と鼬
f念碑的朧史細とが融合してゐると兄るぺきだらうぃ6
皇︑
︵46︶z・の尋.弓国鼻望の賂︑.︑
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▲■い︒︑例へぱ︑屯︒贋芦︒胃創︒g島昌賦英抑澗遊遊歴して︑国震虐曾蜘︼︵u胃壗︒︾p昌昌冒巨・#闇や旨いなど多数の維伽作家の
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そ師にしても︑伊太利フマニストたちの︑ルネサンス古肌︿文献新たちの︑かうした脇側もふらぬ一筋の古代愛の根
底にば︑理茄抜きのひと︑つの酔があったやうだ︒それは︑口分たちが︑伊太利人が︑古代雑賜人の直系の後筒であり︑
古代維賜文化の疋岬型ばる相練荷であると川俶こんだ彼等のいちづたる夢だ︒古典雑馬の煤燗たる偉業ば自分たちの歴
史の雌も光輝ある頁であり︑古典雑馬の作家たちの卓越した作呵叩はn分たちの文畢の名騨ある部分であると︑ひたぶ
ろに傭じた彼等の群︾だ︒それば愛岡的夢だ︒と県紫か正しいのかどうかは知ら永い︒しかし︑正しく厳かったとした
ところで︑どうだ当云ふのだらう︒學川の雁史は︑一般に歴史贋正しい夢にょつ工の︾一︾Kとは喋らぬ︒それとも︑
正し無︾一のみか朧.史を動かすべきであると要求するのであらうか︒歴史のひねくれた天邪鬼と識想逓あざわらふ奇策
とに︑人は戦峡し蹄催したことがないわけではあるまい・雁史賦松もない架塞の戦によっても發股して見せることが
あるのだ︒難一が怖醤と孕んでゐるかどうかが問題だ︒..雌族がみづからに擁しうる怖熟の大なるほど︑文化の商座
︒︵14︶︑
ぱ蛾す﹂o夢に奔槻的測從的根搾かあるかどう︑かほ︑朧史にとつて何ほどの力でもない︒古典的古代人ば己れと園を同
じうする偉大たる人兵毎﹄あるとのベトラルカの夢諭古代維賜人を自分たちの正系の父測と兄倣し︑古代維賜人の勝利
と鴻業とを自分.︾にちの雌族の柴光と老へた伊太利プマニストたちの夢︑この夢は愛幽的怖熱にはち切れんばかりでお
︵ 2
︶
つ・た︒ルネサンス・両典文献蕊の古代愛は︑斑にこの釧附的た夢に菱づけられ嬬ばれてゐたoその歴史鍵革的なすさ主
︵ 2
︶
︵3︶
を解す憩考す︸埆蓼をたる右様であったことを.むしろ数へるのだ︒P・国︽︺の︒壷︼︾○℃○房︾つい○W二戸厨g二○℃n群︾の.可.
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みがたいことだ︒
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︵1︶︑z尋.託ぐ門.圃竺.︾いい制.◆ 一〆
︑︑▲︵2︶ご哩・河口号需ぐ○回詞呂日日︺の①の︒寓目3号別鳴門ロ曽凰の号①回両冨巨◎巴①︶mmrlQラウメルは更に穆凋逸のフマニストたち?
Vが伊太利フマニストたちのかうし・た愛函的思慕と胸只と莚持ちえなかったところに︑澗逸ルネサンスの愈婆なる特質がある.
と述ぺてゐる︒凋逸フマニストたちは︑古典的古代にいかほど心酔し︑いかほどこれを敬慕しても︑所娃自分たちが希脳人
︑でなく羅脇人でないといふ率笈に眼を蔽ひえな・かつだ︒神聖羅馬帝図の幻影も︑明確なる現武の前には無力であった︒しか
︑し唾この悲しい事変は却って凋逸のフご一ストたち建して︑古典的古代に詞し自守的凋立的態度をど・ら斗↑た︒自分たちが︑
︑古代羅崎の賎も危欧なる敵として︑古き文化全織を没落させた民族の未満であるといふ︑白墨と衿特とを持たせた︒古代羅
︑馬の作家たちの記録や特にグキトゥスの著作を通じて︑・茱触に充ちた凋逸民族の古代︑風俗と制皮︑英雄と鞭蹟とを知った
とき︑フマニストたちの幾人かは古代ゲルマンの研究へと趨つた︒と坐に古典文献學がゲルマン丈献畢を生むといふ奇賦が
●行はれたのだ︒ゲルマン丈献畢の生溌をめぐる奇しき岡稗の綾に.叉しても歴史の姦智を徳ふのは︑わたくしだけの一人よ
〆︒〃〃がりであらうか︒
Q8獄︒と9ぃ肖︑窟の晶惇と国︒汽昌巨吻の時代は諺国c伺関と曽嘗︒固のい︑国騨︒口と胃営︒且のいの卿代の文化を既
に吸収した土竣の上に咲きほこる百華維飢の時代であり︑卿分たちの肌先の文學的行蹟は︑ヘラスの人盈の天才的創迩
︐睦も炎鮒してわる︒さう伊太利のう言一ストたちば執鋤に賑じてゐた・だから彼等は高獄彊やQ偏胃︒や貯口の8琶刷︑
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塁○昌肖や噂冒︒昏曾⑬叩や悲劇作家の上位に措いて怪しまなかった︒国鷲o昼を特別もてはやしはしたが︑それも少早
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︑めど且のいに蛇坐拝悦する中世スコラ主義への對抗的示威と當てつけ以上のものであったとは思へぬuなるほど布脳直
︐典の維刎繩か彼盈と腿を接してあらはれ︑その穰かさ逓誇りはした︒しかし︑だからと云って︑彼等フマニズトたち
が希脳古典の俊秀性や澗創性に對して︑十八世紀末に至るまでの仰悶山古典文献學者の程度以上のふかい理解淀持つ
︑てゐたことにはならぬ︒希臘古典は雑刈諜をもって足る︒さう老へたのが眞相なのだ︒.︒﹄しかし又かうしたことは︑それほど彼等の夢がふつふつと熱怖に沸きたち︑偏執と思はれるほどひたむきで一鬮酒
あったといふこと︑そして︑この夢に媛められて酸された︑古典維賜への彼等の古代愛がいかに似借なく熾烈であつ
もエ人γlナイヅシユたかといふことを蒜るものであるcルネサンス古典文献學が美的であると総せられる所以のものもここに存して
.︵1L︶ゐる︒このやうな古代愛を持った古典文献學が︑どうして理智の客観的冷静と學間の論理的繊密とを持つことができ
も一
一︒□よう︒それは飽くまでも怖怠的圭槻的であり︑藝術的祁來的であった︒術熱のづぶとい創造力と藝術の繊細なる感受性︵り一︶とを典術してゐた︒この性格筵一言で云へぱ美的であった︒J
︵1︶局一.シ⑦目①昌自ゞ8.・罫︾ぬ︑5陣但しグーデマンは︑﹁十閥枇紀十五世紅の伊大利フマニストたちは︑羅甸・又學の形
式上の美じさに陶酔したのであ室L︑何よりもこの感激が内詐の客槻的評似や畢脚的研究を阻止した︒小くとも︑差術りの
ところはこれを躍逐した﹂と垂ひ︑︸﹂れと理由にして︑ルネサンス古典丈献學を古典丈献學史上頚美的時代とじて特徴づけ
・てゐるのである︒しかし︑フマニストたちが陶酔したのは︑何も作砧の形式美だけではあるまい︒作仙の内容にも作者にも︑
︑そして鏥一にこの作者に軽即ち人間に陶酔したのだ︒それから︑學問的研究が微弱であったことは形式に就いても云へるこ
とであって諺敢て内容にのみ限る必坐はない︒古典作家の原典でゞ原典の雛形や詩形式に脱して︑フマニュトたちかどれほど︲
.の批到や分析や読明をしたと云ふのであらうか︒だから︑グーデマンの云参やうな意味で︑ルネサンス古典文献學逓頓美的
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I ところが︑奇怪にも︑ルネサンスの美的古典文献學ば︑いつの間にか學間的な古典文献學に鍵質して︑あの奔漉のごとき古代への愛肺とどこかに喪失し一﹂しまひ︑十︑ハ枇紀末から十九世紀にかけて興ったノイフマニスムスが︑製もれた古代愛の發掘に︑ふたたび努力しなければならない仕儀に立ち至った︒
ァ︸れが︑十五枇紀中葉に於ける印刷術の渡明の生んだ.商典文献嬢の悲劇であると云ったら︑グー|プンペルクは︑自
分はそんなつもりはなかったと︑眠硬に抗謹を川立てるかも知れぬ︒しかし歴史は却って︑だからさうしたのだと︑
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にやりと意地悪い快心の微笑を口逢に涯くること必定だ︒古典文献學異上︑印刷伽發明の功繊を抹殺しようといふの と呼夢︽一と・には賛成しがたい︒
︵2︶〃・ヘンヅは窄不サンスと中世とを對比させて︑中世の駁塞であることを説いてゐる︒︵局一・爵︒冒巳需目︾爵口碑爵騨p8巨目騨
争一鼻︶︒中世に於ては宗教と蕊術℃信ずることと見ることとが揮然と忠合して・宗教は形象と象言葉と響きとに化して
ゐた︾そして﹇導岬窮極の人生間鼬をただ比嶮や形象や制作としてのみ表現し捉へることのできる世界狸が生れた︒それは
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いは・吟頚美的枇界観であった︒ところが︑ルネサンス嵯垂って宗歌2蕊術︑思想と謹術とが分離し︑頚美的脱心が弱化して︑
侭測が︑王唆なる欲求となった︒つ哀り︑概念的悟佳的枇界槻が支配的になった︒ただ香桑のみがこの一般的愛革に便されも︸
.ところがなかった︒啓蒙主義を以てルネサンスの完成者と兄倣すベンツが︑このやうなルネサンス観を抱くのは不思議はな︑
いし︑又ここに彼が︑中世的ゴシック的韮皿楽陶緬紳を以て獅逸至化の基底と老へる彼が︑ルネサンスを濁逸丈化の鯛患と翻
る那由もあるのだ︒しかし︑啓罐するところ多い彼の見解も︑少くとも古典.丈献學の領域に溶けはあまり一池用しないやう b
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は芯い︒むしっ︑印刺州か古典文献學の波注に攻砿する︑ごこる多大であったことを刀読しょうといふのだ︒學間的
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に渡雄したればこそ悲劇は芽生えたのである︒古典文献學の悲劇は︑學川として生長することが即ち本来の地椛を処
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夫ふこと惇答︒悲削なのだ︒ここに︑この悲劇の避けやうのない燃熟性と︑なにか薄氣味の悪い宿業の根づょさが満・
ノ..収さ伽乃︒印刷術の發明なくしても︑所詮は免れえなかった描命であった︒とはいへ︑この技術の創始によって︑古
典文献曜かその恥的厳密化の歩みを擁め︑以て悲劇の進打に拍車をかけたことも議論の餘地がない︒從來入手困難であ
り︑縦獅のわづらはしさに附き蛍とはれてゐた古典作家の脱典並びに乙肌に開する文献は︑印行の手段によって︑鰻
か腰煎哲にしかも安恢に雌入できるやうになった︒巨以に郷小川的なる研究の門注ひらぐ合鍵は︑こんなところにころが
つ一﹂ゐた︒と・室へぱ︑駆川の鋲厳を班つけることになるのであらうか︒印刷術の發明によって︑己れの研究が汎く江.
夕0︑湖に流布し︑逃く後陛に偲へら畷勺椴びと不妾とだ糟昨の畢群の畢的良心を刺戦し名騨心をかき立てて︑學的精密
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︑庇の商い研究ぐややもすれば・ヘダン|プィッシュな蒋證へ駆りたてた︑といふととまで雄一・ろ理山として老へてゐるの
〃だ︒かうした心理の底流汁一・餅呈することは︑學者を梅・峠することに燕おのであらうか︒むしろそれは︑文化を推進す〃
・ろものが附然の岻力であるといふ︑雁史の秘韮遊語ろもの以外のものではない︒かくて︑次第に狐美的から學問的へ
と竣貌し米だった古典文献學の法熾は︑伊太利から仰附凹へ︑佛蘭閥から阿剛陀へ︑そして更に英吉利へと受け繼が
!れた︒この辿統の窪︑辿ひ路は︑旨ぃ︒﹄︺画﹈|曇思い︑農晦禺の峻撤︑から糧o冨己爵ご婿︺.P剛呵罪へと通す偽︒
そ伽にしても︑グーテン︾ヘルクの︑生図猫逸跨一無脱して︑牌昌噌嵐の十六祉紀佛薗西に先づ法耀が惇へられたのは︑
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どうしたこみであらうか︒・宗敦改革にl文化の雌商尺度と古くはヘラスに︑通くはルネサンスに求めたフマ・一気︵1︶
・〃︒︐ト・−1チェがへ﹁満洲の百姓一投﹂eの同冒屋昌騨負い笛己烏ぃP量oい︶と仙陥し姉脇した宗教改革に︑大きな支任の口
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︲の教燐を聖書から導・︾邑川さうとした糸教改革が︑祓接聖評︽と正しく解群ずつに足る圭養の排︑王を養成しようとして︑
4.︵ワー︶.〃︑古典研究の普及に力を注いだ覗庇に︑耳を含己がうとす方のではない︒︽だが︑プルジアーンの云ふやうに︑教禽革新︑
の︑先づ雅術とし七︑次に道共として蟹まれた古典研究の熱意だ〆紙辿に猛威を脅ハびだ︐した米教剛縦の熱瓶に對し
LL七︑ど肌ぼどの抗抵力を祷ってゐたか・カルヴ4ン派とルテル派との抗争︑峻厳なろルテル派と潔奔なメランヒトン
ー波との對立︑かうした祁解的宗教的蒋藤の胤の前に︑古典文献票は一枚の枯莱以上の戒みを排ちえたであらうか︒そゞ
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奴に加狩力側でも︑仇敵の弧力な﹄︒武然となった古典研究に猜疑と嫌懲とを抱きこそすれ︑むざむざたれに好迩を寄
0︵句︑星︶け
ぜっほどお人好しでばなかった︒米教改革か麦繩を川避しえない理川だ︒.w典文献鯉か猫逸に永く杖をとどめずに︑グー佛伽西へ︑阿側陀へ︑英吉利へと族をつづけて行った廻剛巡澱の歴史は︑米敷紛争の熱氣と駁・汗とに光ちた地逓避け〃
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︵っノ︶この略からルテルと.フマニストでありフィロロークであったニーチェとの敵對關係は︑おのづから幾分の定荒性を排びて
くる︒しかし︑雨者の接鯛面はもうひとつある︒獅迦柿祁がそれだ︒この而に於ては彼等は親和閥係にある?ルテルに對す
−るニーチェの評価が浮動するのは︑接鯛耐かこのヤヮに二つあるからだ︒このことに聴いては︑後に立入室L論じたい︒な
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■︑Lも亦︑伊太利人たちのごとく︑自分たちが古代雑賜人の苗滞であって︑祁先の文駆的遮財猛綾承す﹄︒全權を持ってゐ ると信じてゐたのでを弓この同じ信念と自負とが︑ルネサンスのあの同国庁冒爵のョこいの焔と炎え︑貝93日冒匡のの
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■〃たの嘩佛関西人の持って生れたエス︒ブリのせゐでもあらう︒爽鋪に経験的従誰的紬向逓難くしてきた昨代性析の然
一fらしむろところでもあったら一つ︺ともあれ︑それば印刷術發明以後の︑學としての古典文献學か樹然辿るべき節一の
發展段階であった︒ただ︑これが同時に古典文献蕊の悲劇の第一幕であり︑既に歴史の候智がひそかに爪牙を礎いて
旬夕ゐたこやどには︑胃嘗骨尻障呂冨昌いも降昌瞬胃も再め息o9m昌一︶︒目いもQ騨冒呂二の曾冒儲旨いも氣がつかなかった︒彼
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も︑等ほ巾祉の宗教的椛威の抑雌から解放李含れきった非弾しい現汪的感受と旺盛なる躍的好奇心とを以て︑古典的知識o
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精祁に直而しては︑殆んど意氣沮喪の感なきをえなと︒大罐のごときあの碩儒べ噸クが出o員四角に封しては︑さぅ
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・ってばいかに過大であるかと見れば︑ふたたび意を安んするのである﹂︒Q貝︒国︒さい旨の刺飴薪としての彼の非凡の見
〃識︑恥的向己一胃四℃三天の鼻肌としての彼の俊瓢の才逓︑忘噌心ほど忘恩であるつもりはない︒だが︑﹁雲中莚期ける
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八通礎鰯したと脚惚れる︑無知紘大なる古代侮茂の揮鉱が︑次鋪に継ぐ立ちこめはじめてゐたのだ︒しかし︑爵岳・
ヘ霞掛目のとし一﹂の佛間内古典文献蝋は阿附陀に移杣されて︑フマュスムスの背に遼つたのではない︒悲刺には二燕Hfごがお﹄︒のだ︒役粁に事厭きもしな︑かつた︒近枇に於ける雄も天才的次原典批判家の一人である旨の房ぃ巨湧篇の蕊
場で幕が剛垳た︒これが阿閥陀古典文献學粁たちの方向を決定し︑胃昌母への路を拓いた︒際涯もなく雑然とひろ
︲がつた佛悶・脚古典文献學の胃且旨︒昌侭︑批判的粘祁を以て多少の秩序と奥行きと縦蒋さと淀與へようとすることは︑
古典丈献躍の誰歴史の上から槻鯏ぱ︑︑僻然のことでもあった一わう︒彼等の仕魏は︑﹁古典研究の形式的側伽へ︑次鋪
に職人胡に紅は煎るや弓になった古代作家の批判と註解へ︑常に狭小江る税野を以て替まれ屡壁永桁化する言語的考
︒︵11︶察へ︑一方的に限定され.一﹂ゐた﹂︒しかも︑それらの仕事の大部分の成果は︑その後の腺典出版の29口︒貢いく鱒﹃5昌日
のなかに︑ひとからげEこれ一﹂埋没してしま参迩命を搾ってゐたC自画唖冒匡のであったら︑生身花ゑぐりと一ハやうな例
︑の老辣無双の嫌舌と護許とを.雑伽諦で叩きつけたかも知れぬ︒が︑その匂い︑目嗣は既に地下にあった︒彼等は安
んじて胃一屋昌壷難跨の地均らし作誰をつづけた︒﹁全ルネサンスは︑ふたたび雲に箔え去らんとする早奔のごとく
︵句仏︶︒
見えた﹂︒死次のごとく冷やかな非人術の空無のなかに︑悲刺は地味なぱっとしない場面をくりひろげ工従った︒だがルネサンス・フマェスムスの術熱のへ古代愛の忘失と︑筐︒瀦騨国骨目日言いの復活を︑惟念に慨り嘆くのはよさう︒三
︵ 2
︶
幕悲劇の︑未だ一幕同だ︒二幕口か艫ってゐろ︒そ肌に︑﹁われわれが反動によって進歩したことが.ある﹂といふこ
〃と淀︑杢然知らぬほど幸ひ幼稚ではない︒徒にルネサンスを何葱するの感傷を持ち合はせてゐなかった彼等の學的糖
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d錐に︑むしろ拍手淀逢ってやらう︒ともかく︑古典文献學の禦的發展にとって︑彼等の通した足跡が無意味であった
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とは云へないからだ︒近仙古典文献蕊の系譜のひとつの大き流れが︑mn昌的のHから胃昌亀に至るものでほあつ種
も︑雁史の加疾はさうした安易なる飛朧をゆるさ江い︒やはりそのあひだに︑阿蘭陀古典女献壌の扮調が必要だった
︵2︶z・田君.国・国口.↑の.全.︒
︾■十八仙紀の英吉利はこの括打の上に︑蕊的古血麦献皐の商腫逓竣成し︑そ伽によって悲刺の絡邪を沓きあげた︒そ
の︑王人公が園︑冨己胃貝一喝である︒尤も︑︐阿附陀の罠ウの旨い閏のョぃ冒旨﹈いや9ぃB︵禄斥胃亘曾︑︑英圭両利の間︲︲
胃a︑c易︒一︺やも⑥冨呵罰冒吻亙も前後して零場する︒だが胃昌の︶︑は︑﹁行践の恢仙から云つ手も︑影騨の淵く持絞的﹄
であった鮎から凡ても︑ちや一りど︑平陳に謙えゑ阿峯がとぼく凶方と城雌するやうに︑同時代の人共や瞳後の人糞を
︵11︶︒凸
涯かに抜いてゐた﹂︒それに︑彼は食慾で献沌で唯吐きで傲岸だった︒と恥は悲劇の︑主人公にうてつけの性格だ︒こんなこと逓云卦と︑〃一岬聖な笏嬢間の分野に人身攻蝦を持ちこむの卑しさを間女されるかも知れない︒だが︑それを承知
で持ちこむのだ︒さういふ辿徳的潔癖に似た︑近脱的な辿徳的感傷僻にプロ|プストしたいのだ︒離間と人Ⅲとが無臘﹈
係だ︽ぱどとは誰が云ふのだらう︒文は人なりであるが︑単は人でないと老へるのであらうか︒かうした倫理的鈴兇に
もとづいた轆卒と淺応とが︑ひとつの畢説の中核を洲楽する眼をどれほど鈍赫させたことだらう︒肌へに菜立つほど
冷徹脈利な心理家であったニーチェは︑さすがにご飢花兄迩がさなかった︒彼は﹁希臘の悲側時代の祈躍﹂に於ても︑.
.︿Iゼル太恥の希服丈馳史誰韮に於ても︑一Ⅱシ割1ペンハワェル︲一に於手も︑﹁ワーグネル﹂に於ても︑否すべ莚の薪炸
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に於て︑打堪満や作家の︑先づ人川症ゑがいて兄せ︑意味ふかい示唆を︑といふより搾告と典へてく師た︒胃二号く
の人物を云巽することはゑなにも卑劣な足掬ひとやって︑彼の學間まで陥れようとするさもしい悪意からではない︒
︑︑彼の文献學の眞髄症衝くことが︑それによってできるからだ︒つまり︑かういふ性格の人物の胸奥には︑フマ|更
一再ノシュな熱精など︑古代への愛怖や職びなど︑湧き川る筈がないといふことが云ひたいのだ︒彼の砿んじたのは︑
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︵2︶
何よりも理性であった︒そして︑理性を辿して見た事資であった︒これが同時に彼の古典文献蕊の渥蕊付を柱へてゐ?
ろ大黒柱である︒﹁百の鞠本よりも事澄と理性とが物と云ふ一といふ彼の布名な言葉はその證左だつだから︑彼の古
典文献學は罵漣号旨云の傾城にその帆野を集中す﹄角そして︸﹂の傾城に於て︑論理的に研ぎすました批判の利刃を
今ふるった︒語句の詩的美しさや文船上の流腿さなどを石ころのごとく無脱した彼の批判の倣力は︑それだけに飢師を
︵ 3
︶
断つ斬伽味駐持ってゐた︒﹁批判の才能の偉大なる軸︑古來彼に比屑ずつものがない﹂とは︑︒ヘックの絶讃である︒
胃国胃︶︑自身も︑︑師走の月のやうに冴えきった糯證力と疾風のごとき把握力とには︑よほどの自儒を持つてゐたらし︐
凸〃々〃く︑国︒層冒の原典批判のときは古為本を七百箇所も訂正したといふ︒﹁理性が不都合ばかり働くやうな仙域︑従つ
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て理性しか持ち合せてゐない文献學肴が手も足も川争ばく滋り︑全鞍以理を見ることのできない領域がある﹂といふや
うなことには︑原典批判の鬼は一顧もしなかった︒佛附西︑阿蘭陀︑英吉利と三たび舞壷を換へた近祉古典文献製の.
悲刺の立役薪たるに︑胃昌e︑がふさはしいと云ふのはこの意味だp
︵1︶炉.の匡号日四PCP︑詩︾ゆぢ余
︵2︶閃2号望の蝿性掌載に就いては︑ニーチェは﹁我等古典文献學者﹂のなかで画こんな皮肉をとぱ︑レー﹂ゐる︒丈献準耕はさまざ
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まの無意栽的活耐や本能的行偏をするものだが.それ嵯沁と匡せぱ意椣的先入兄だったのだ︒ただそれに鈍建になっただ汀
ごある︒呼口号望や閏の9国ゴロの理性専一準がその一例だ︼︵zめ室.・〆圃・・・.艀巴.〃
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︵3︶P・国︒①鼻亘o己.︒詩︾の〆︑牌︑い︐.︑︲
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︵午︶z・の弓.槻.国ロ.ごm塑褐..︑ノ
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彼はその八十年の生渉と以て︑槻衆が遮歎の眩きと脈舞たる拍手とのうちに︑錐凌と維捗と減じとはった︒一千九陵︑︑阜同で厨巨創昌冒巨冨昌﹄﹄をひっさげて術めて芥蕩したときから︑既にこのアルビオンの峨麟兇はその名人蕊盈識
鈩はれてゐた︒燃犀の眼識︑凶熟した判断︑該博1煙知識は枇と骸かし︑胃.m冨昌の旨や○.○国①畠一叩のごとき人変
・は﹁英畢界の新た燕ろ郷かし噸い星﹂︵二・昌冒の庁冒Caニョ律胃︑冒箇の国﹃冒昌毎のぃ昼厚い︶二英凹の蚊も光輝ある光一・
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.︵いつ戸の且目碗冒匡旨呼冒目冨の冒冒目︶と云つ一﹂迎へたといを彼ば一瞬の光とを放つ一﹂峨夜に消え去喝流狼となるこ少
グとなく︑.士一分にこの期待に報いた︒︽ヘシ冒器寓言昼︒戸︷言言胃員︺尉晨︑︵︾﹇国邑昌睡こに於ては︑所洲﹁高等批判︐一の
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秀抜なる手腕を↑僻分に誉︒ひ藍くり︑.今日なぼ麺献鯉肴が必趣の批川と云はれる不滅の行賊花通した︑次いで国︒﹃凹冒ぃ
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﹄・これを俟ってばじめ一﹂可能になったのである︒更に︑あらゆろ闘斗蒐錐の血稚と兇倣さ靭心詞騨旨昌縛gom断章の細
職︑彼の天才の燦鯏たる粘韮と稲せられる国︒首の﹃に於ける目穆ゴョ脚の發兄︒かうして彼は豪宕啓2ハ方を踊んで
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はなぱなしく花逆から退場した︒舞姦では未だ弓︒境︒ご好一縦弧に何人かの投潜が姦刺症しゃべってゐる︒だが︑悲劇
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