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(1)

<査読付論文>生命及び自律性に関する憲法上の権 利―ドイツ連邦憲法裁判所2020年2月26日判決を契 機に―

著者 西元 加那

著者別名 Kana NISHIMOTO

雑誌名 現代社会研究

巻 19

ページ 99‑107

発行年 2022‑03

URL http://id.nii.ac.jp/1060/00013642/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止

(2)

 ドイツでは、終末期の患者の自殺を支援する活動が社会問題化したことをうけ、刑法217条を新 設し、従来原則として不可罰とされていた自殺関与を一部処罰対象とした。しかし、ドイツ連邦憲 法裁判所は、2020年に217条が違憲である旨の判決を下し、そこで「死ぬ権利」(「自殺する権利」

および「自殺に際し他者の援助を求めることができる権利」)を認めた。本稿の目的は、連邦憲法 裁判所の判決をもとに「死ぬ権利」の内実を考察し、それが自己決定権として憲法上保障される権 利なのかについて明らかにすることである。

 連邦憲法裁判所は、一般的人格権には自殺をする権利も、自殺をするために他人の援助を求め、

またそれを利用する権利も含まれるとしたが、本稿は、そのような権利を憲法上の権利として認め ることは困難であると結論付ける。生命は、その基底性および不可逆性から最大限尊重されるべき である。生命保護を図る立法措置は合憲であるとしたうで、終末期の患者の選択の問題については、

個別の立法レベルでの検討が適切であると考える。

keywords:ドイツ連邦憲法裁判所2020年2月26日判決、死ぬ権利、自殺する権利、

      自己決定権、自殺幇助

1.はじめに

ドイツでは、終末期の患者の自殺を支援する活動が、いわゆる自殺ツーリズムなどとして社会問題化 し1、会員制の自殺幇助団体等による自殺支援によって末期患者が必要以上に自殺へと駆り立てられる という懸念のもと2、2015年に刑法217条が新設された。内容は以下のとおりである。

ドイツ刑法217条(業としての自殺援助罪)3

① 他者の自殺を促進する意図において、その他者に対し、業務的に自殺の機会を付与し、獲得させ、

またはあっせんする者は、三年以下の自由刑または罰金に処する。

② 自ら業務的な行動をとる者ではなく、かつ第一項において規定された他者の親族またはその他者と 密接な関係にある者は、共犯として処罰されない。

これによって、ドイツでは従来原則として不可罰とされていた自殺関与が一部処罰対象とされること となった。この217条に対しては、その制定前からとくに刑法学者によって多くの批判がされてきたが4、 数々の違憲の提訴がなされた結果、連邦憲法裁判所は6件の訴えを審議し5、217条が違憲である旨の判 決を下した。それが、ドイツ連邦憲法裁判所2020年2月26日判決である6

生命及び自律性に関する憲法上の権利

―ドイツ連邦憲法裁判所 2020 年 2 月 26 日判決を契機に―

西 元 加 那

目   次 1.はじめに

2.一般的人格権とドイツ刑法217条に対する連邦 憲法裁判所の見解

 ①判断基準

 ②自己決定権の内容と射程  ③自殺幇助規制の合憲的解釈の余地

3.日本国憲法における自己決定権の解釈と「死 ぬ権利」

 ①自己決定権と規制根拠  ②日本国憲法13条と「死ぬ権利」

4.「死ぬ権利」の類型と立法による規制  ①「死ぬ権利」の類型

 ②欧州人権条約と「死ぬ権利」

 ③自己決定権アプローチと人間の尊厳アプローチ 5.おわりに

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『現代社会研究』19号

本稿は、ドイツ連邦憲法裁判所2020年2月26日判決(以下、「217条違憲判決」と表記する。また、本 文中に亀甲括弧で挿入する番号は217条違憲判決における欄外番号を示すものとする。)を機に、生命に 関する権利について考察するものである。217条違憲判決では、憲法上保障される「一般的人格権(基 本法第1条第1項と併せて適用される場合も含めた第2条第1項)7」には自殺をする権利も含まれ〔208〕、

その権利は、そのために第三者の助力を求める自由、そしてその助力が提供される限りでそれを要求す る自由を包括する〔212〕と判示された。すなわち、いわゆる「死ぬ権利」と呼ばれる権利について、

その内容に「自殺する権利」が含まれるとしたうえで、それを消極的なもの(たとえば「自殺を妨げら れない権利」など)に限定して把握するのではなく、積極的なもの(自殺に際して「他者の援助を求め ることができる権利」)として認めたのである。本判決の本質はまさにそこにあり、これは自殺関与罪 を定める日本に対しても影響を及ぼすものである。

本稿の目的は、「死ぬ権利」の内実を明らかにし、それは「自殺する権利」をも含む生命や自律に関 する自己決定権として憲法上保障される権利なのかについて検討することである。

2. 一般的人格権とドイツ刑法217条に対する連邦憲法裁判所の見解

①判断基準

ドイツにおいて、一般的人格権を制限することが許容されるためには、憲法に基づく法律上の根拠が 必要とされる〔220〕8。したがって、業として行う自殺援助の禁止も厳格な比例性の基準により判断さ れなければならない。基本的権利を制限する法律は、目的が正当で、その目的を達成するために適切か つ必要であり、かつ、基本権に対する制限と相当な比例性(angemessenem Verhältnis)を有する場合 にのみ、この原則を満たすとされる〔223〕。

刑法217条は、この基準に照らし比例性の原則を充足しないと判断されたのである。その理論構成は、

以下のとおりである。すなわち、刑法217条は、たしかに適法な公共の福祉という目的に寄与するもの であり、その目的を達成することに適しているが、必要性については決定的な評価ができず、少なくと も相・ ・ ・ ・ ・ ・

当ではない、と(傍点筆者)〔226〕。連邦憲法裁判所は、217条による規制は生命に対する自己決定 や生命そのものの保護に役立つが、個人が被る負担の度合いと公共に生じる利益が合理的な比例性

(vernünftigen Verhältnis)を保っていないため、その制限は正当化されないとしたのである。

刑法217条は、業として行う自殺援助の絶対的な禁止にアプローチすることで、その規制の対象とな る範囲における個人の自己決定権を完全に停止するものである〔279〕。217条は、たしかに、――業と してという――自殺援助の形態に限定されてはいるが、これによって生じる自律性の喪失は、自己決定 に関して残された選択肢が理論上のものだけで現実的な見通しを示さない限り、いずれにせよ比例性を 有しないのである〔280〕。

以上の理由により、連邦憲法裁判所は刑法217条を違憲な規定であると判断した。

②自己決定権の内容と射程

217条違憲判決によると、基本法第1条第1項と併せて適用される場合も含めた第2条第1項に規定され る一般的人格権(Persönlichkeitsrecht)には、人格的な自律の表れとして自己決定に基づいて死ぬこ とも含まれ、そこには自殺をする権利も含まれる。そして、自己決定に基づいて自殺をするために他人 の援助を求め、またそれを利用する権利も含まれるとされた〔208〕。

基本法は、自由に行動する第三者との相互的やり取りの中での人格の発展を保障するのであり、した がって、基本権上保護されている自由には、第三者に働きかけ、第三者からの援助を求め、第三者の自 由の枠組みの中で彼らから提供された支援を受け入れる可能性も含まれるという〔213〕。

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そのうえで、連邦憲法裁判所は、人格的な自律の表れとしての「自殺をする権利」と「自己決定に基 づいて自殺をするために他人の援助を求める権利」の関係について、以下のように述べる。すなわち、

第三者が自殺援助をしようとするときそれを合法的に実行できなければならず、そうでなければ、自殺 するという個人の権利は事実上空洞化するのである。自殺者と関与者の行為態様は機能的に関連を有し ており、その両方が保護されることではじめて、自己決定に基づいた死に対する憲法上の保護が効力を 有するのである、と〔331〕。

また、217条違憲判決は、自らの生命を終結させたいと考える重病や末期の患者やその患者の医師ら、

そしてそのような自殺者を援助する団体などが、ドイツ刑法217条に対して異議を申し立てたことによ る裁判である。連邦憲法裁判所は、その訴えに応じて「自己決定に基づく死を求める権利は憲法上の権 利である」ことを認めたが、それは重篤や不治の病状、あるいは特定の人生の段階および病気の段階に よる制限をうけないとした。なぜなら、保護範囲を特定の原因や動機に限定すると、自殺を決意した人々 の動機が評価され、内容の事前判断へと至り、これは基本法の自由思想とは異なることになってしまう からである〔210〕。

したがって、連邦憲法裁判所の見解によると、基本法により保障される一般的人格権には、自己決定 に基づいて死ぬ権利、自殺をする権利、そして、そのために他人の援助を求め、またそれを利用する権 利が含まれ、それらは病気の状況や段階等により制限を受けないものということになる。

③自殺幇助規制の合憲的解釈の余地

以上を受けて、なお、連邦憲法裁判所が、本判決において次のように述べているのは重要である。す なわち、自己決定と生命を保護する国家の義務は、個人が自己の生命に関する自己決定に危険を及ぼす ような影響にさらされる場合に限って、個人の自由権よりも優先される、と〔275〕。保護されるべき法 益の重要性に目を向け、それらは、刑法に定められるか、またはその違反に対して少なくとも刑法上の 制裁によって保護することは可能であるという〔339〕。刑法217条が保護しようとしている自律性およ び生命という高い憲法的地位は、原則として、刑法の導入を正当化しうるのである〔268〕。

連邦憲法裁判所は、刑法217条は憲法に反するため無効と宣告されねばならない〔337〕としつつも、

立法者は自殺幇助に関する規制を完全に断念する必要はないという。自分の人生を終わらせることを決 定する際の自律性を保護するという立法者の義務からは、立法者に対して、憲法上異論のないやり方で 行為するという課題が導かれるのである〔338〕。もっとも、自殺幇助に関する規定を設けることで制限 を行う場合は、自由な決定に基づき第三者の支援によってこの世を去るという憲法上保護された個人の 権利は保障されなければならない〔341〕。

本判決によって刑法217条は無効となるが、立法府に対しては、医薬品法及び麻薬法の根底にある消 費者保護および濫用防止という要素を自殺幇助の領域における保護構想に結び付けたりしながら〔342〕、

生命保護を図る立法が求められるだろう。

また、本判決は、自殺を援助することに関して何らかの義務付けが生じるようなことになってはなら ないということを変えるものではない〔342〕。自殺を希望する患者がいる場合に、医療従事者がその支 援を義務付けられるべきではないと考えられているのである9。これは、医療倫理にも大きくかかわる 問題であり、支持されるべき態度と思われる。

3.日本国憲法における自己決定権の解釈と「死ぬ権利」

①自己決定権と規制根拠

上述のドイツ刑法217条違憲判決は、「死ぬ権利」について、とくにそれが憲法上の権利に基づくもの

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『現代社会研究』19号

であるとして検討したものである。ドイツ基本法で規定される一般的人格権は、基本法第1条第1項「人 間の尊厳」と結びついた第2条第2項「人格の自由な発展の権利」により基礎付けられる権利である。日 本においても、人格権は日本国憲法13条の権利のひとつとして保障される10。人格権のうち、人格価値 そのものにまつわる権利、適正な手続的処を受ける権利などを除いた最狭義の「人格的自律権」を「自 己決定権」と呼んだりもするが11、この自己決定権については、その人が生きている国家において憲法 上どのように規定されているかが重要であり、その意味では、日本でのこの問題は憲法13条の解釈12を めぐって争われることになるのである。

本人の意思に従うものであっても、すなわち、本人の自己決定があっても、個人の生命・身体の処分 に関して国家が制約を加えることができるということ自体は、広く認められている。たとえば、同意殺 人を処罰対象とする国は多く存在するが、それに関する合憲性に異論は少ない13。身体の処分に関して も、医師法17条が「医師でなければ、医業をなしてはならない。」としているのは、侵襲者が医師でな いことを被侵襲者が承知のうえで同意したとしても、個人は医師でない者から(業として)医行為を受 けることはできないとするものであり、一種個人の自由を制約するものとみることもできる14

ここで、そもそもなぜ個人の自己決定に反してまで国家が規制を行うことができるのかについて、規 制根拠を考える必要がある。これについて、佐藤幸治は「限定的なパターナリスティックな制約」とい う説明を行う15。生と死にかかわる自律権を徹底すれば自殺の権利にまで行きつくとしつつ、それは不 可逆的な行為であるがゆえに「限定的なパターナリスティックな制約」が妥当するという。自己決定権 は、“生きるとは尊いことである”という考え方を大前提とするものであり、自殺を「権利の行使」と することはその大前提に反するものであるというのである16。本人の長期的な自律性の確保のために、

自己決定に対し国家が介入することが許されるという見解であり、これによると憲法13条から「自殺す る権利」の保障は導かれないということになろう。

②日本国憲法13条と「死ぬ権利」

生命及び身体に関する権利は、日本国憲法13条が明文で幸福追求権に含まれる権利のひとつとして保 障している。ただ、憲法上の生命に対する権利は、従来、国家により生命を奪われない権利、すなわち

「殺されない権利」をその本質としているものと考えられており、かつ、それが含まれることについて 異論はないだろう17。これに対し、自らその生命を絶つ権利、すなわち自殺の権利があるのかどうかに ついては、はっきりと議論されてこなかったように思われる18

そうすると、いわゆる「死ぬ権利」が憲法13条との関連で議論されるのはどのような文脈によるのだ ろうか。これについて、竹中勲は「生命・身体のあり方に関する自己決定権」と「生命に対する権利」

に区別し、「殺されない権利」は「生命に対する権利」に含まれるとする19。そして、「生命・身体のあ り方に関する自己決定権」は、(ⅰ)生命の発生過程における自己決定の自由、(ⅱ)生命の消滅過程に おける自己決定の自由、(ⅲ)生命持続過程における自己決定の自由という類型化ができるとし、(ⅱ)

の類型に含まれるのは(自殺する権利ではなく)生命維持治療拒否権であるという20。竹中は、生命維 持治療拒否の決定は“医療を拒否しつつも残された時間をなおも生きるという自己決定”であるのに対 し、自殺や積極的安楽死行為を求める決定には“なおも生きるとの自己決定”の要素を見いだせないと し、「自殺の自由」を憲法上の自己決定権の一内容として構成することは適切でないとする21

このように、「死ぬ権利」は直接憲法上の権利としては認められないように思われる22。もっとも、

土井真一は、人間として耐え難い激痛が現実にありうることに鑑みて、個人の尊重原理に十分配慮した うえで積極的安楽死について立法措置を講じるべきとするが23、積極的安楽死を憲法上の権利として位 置付けることはできないとする24。「①生命は自己の不可欠の構成要素であって、自己の処分に服すべ き独立の客体ではないこと、②各人の自律が尊重されるのは、人格としてその存在意義が承認されるか

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らであり、その自律に基づき自らの存在意義を否定するのは背理であること」などを理由として、自ら の存在意義に対する否定的評価に基づき、自己の生命および身体を重大かつ不可逆的ないし永続的に侵 害する行為を、それ自体として憲法上の権利と位置付けるべきでないとするのである25

以上をみると、生命維持治療の中止や拒否を求める権利までは、「生きる」という観点から導かれ、

生き方やどう生きるかという問題であるととらえることで権利として認められても、それを超えた「死 ぬ権利」までは、――少なくとも憲法上の権利としては――認められないとせざるを得ないように思わ れる。当該主張される人権が「人間として生きていくうえにおいて重要なもの」でなければならないこ とから、「自殺の自由」は憲法13条を根拠とする「自己決定権」に含まれないのである26

4.「死ぬ権利」の類型と立法による規制

①「死ぬ権利」の類型

以上から分かるように、一言に「死ぬ権利」といっても、生命維持治療の中止や拒否を求める権利は 認められる一方で、それが「自殺の権利」や「積極的安楽死行為を求める権利」にまで至ると、それを 認めることには消極的な態度となることが確認される。「死ぬ権利」は、一致したひとつの行為を内容 としておらず、終末期に限定しても、「生命を終わらせる」行為には実に様々な態様が論じられる。そ こで、217条違憲判決と同様「死ぬ権利」について争われた事件を確認したい。

「死ぬ権利」についてアメリカ合衆国最高裁が判断を示した著名な事件として、1997年のGlucksberg 判決27がある。そこでは、①治療拒否・治療中止を要求する権利、②生命を短縮しうる苦痛緩和治療を 要求する権利、③医師による自殺幇助を要求する権利について、それぞれ憲法上の権利として認められ るかが争われた28。Glucksberg判決は、「自殺幇助を(医師による場合も含み)全面的に禁止する」と いう規定が憲法上の権利を侵害するものかどうかについて、アメリカ合衆国連邦最高裁判所によってそ のような規定は違憲ではないという結論が下されたものであり、注目を集めた。

「死ぬ権利」や「自殺する権利」のカテゴライズを(論者によって多少の違いはあっても)上記のよ うな形で行うとすると、それを憲法上の権利として類型化して検討するものだとする場合、類型ごとに それが権・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

利として認められるかどうかを区別することはできでも、その権利がど・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

のような人に認められ る・ ・かについて区別することはできないはずである。すなわち、たとえば「治療拒否・治療中止を要求す る権利」があるかどうかについての検討はできても、「死ぬ権利(自殺する権利・積極的安楽死行為を 要求する権利を含む)」を、不治で末期の病者には認め、健康で若いが死を望む人には認めない、とい うことはできない。その意味で、問題の権利を「死ぬ権利」として設定する以上、結論は、217条違憲 判決におけるドイツ連邦憲法裁判所のように「重篤や不治の病状、あるいは特定の人生の段階および病 気の段階による制限をうけない権利として承認する」か、もしくは、“生きることは尊いことである”

という考えを前提とする見解や Glucksberg 判決における合衆国連邦最高裁のように「死ぬ権利そのも のを憲法上の権利として保障することはできない」かのどちらかになるのである。

②欧州人権条約と「死ぬ権利」

ところで、ドイツ連邦憲法裁判所は、217条違憲判決において、「自殺する権利および自殺に際し手助 けを要求する権利を認め、その権利を制約することに限界を設けることは、欧州人権条約に合致する」

と述べる〔213〕。ここで、欧州人権条約における「死ぬ権利」にかかわる欧州人権裁判所の解釈を確認 したい29

欧州人権条約の解釈権限を有する欧州人権裁判所が安楽死に関して判断を下したものとして2002年の Pretty判決30がある。そこで、欧州人権裁判所は、欧州人権条約第2条31は、死ぬ権利を与えると解釈す

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『現代社会研究』19号

ることはできず、また、個人に生より死を選択する権利を与えるという意味での自己決定権を生み出す こともできないとする32

さらに、自殺することができる人とできない人を法律で区別しないことには客観的かつ合理的な正当 性があると述べ、自殺できないと判断された人々に対する自殺援助のみ免責することを法律に組み込む と、生命保護という目的が著しく損なわれ、虐待のリスクを大幅に高めることになるとし33、「死ぬ権利」

について、対象を区別することなく一律に否定した。

重要なのは、たとえば自殺関与を処罰するような内容の現行法は――日本にも刑法202条が存在する が――、必ずしも「死ぬ権利」によってすべからく排除されるものではないということである。保護さ れるべき法益の重要性に鑑みると、生命を保護するという国家の義務は肯定されるのであり、死ぬ権利 を認めないとする場合はもちろん、死ぬ権利を憲法上の権利として認めた場合であっても、その権利侵 害に当たらないかたちで生命保護を図る立法措置を講じることは何ら否定されえないのである。

③自己決定権アプローチと人間の尊厳アプローチ

「死ぬ権利」を生命維持治療拒否権を超えるもの、すなわち、自殺する権利・自殺に際して他者に援 助を求める権利とすると、それを憲法上の権利として認めることは困難であろう。とくに、憲法13条か ら導かれる自己決定権を根拠とすることは、生命尊重思想を根底から切り崩す危険性があることからも、

否定されると考えられる。憲法13条には「公共の福祉に反しない限り……最大の尊重を必要とする」と の限定が明記されており、自己決定に対する権利は例外を全く認めないものではなく制限されうる性質 であることがわかる。

欧州人権裁判所も、第8条第2項34の下で、国家には一般的な刑法を通じて他人の生命と安全に有害で ある活動を規制する権利があるとし、その危害が深刻であるほど、公共の福利・安全の考慮と、それに 対抗する個人の自律性原則とのバランスという点で、よく考慮されなければならないとする35

自分が望む最期のときを選ぶ、あるいは自分が思うような死に方を選ぶときに、その行為は――自己 決定の貫徹は許されず――制限されることがありうるのである。その一方で、「人間の尊厳」原理は、

例外なくその侵害が許されないものとされる。とくに末期患者による「死ぬ権利」は、しばしばこの「人 間の尊厳」というワードを伴って主張される36。日本国憲法には「人間の尊厳」を明文で保障した条文 はないが、憲法13条の「個人の尊重」原理をドイツ基本法第1条と同じ趣旨だと捉えることで37、日本 でも人間の尊厳は保障されていると解されている。本稿では、自己決定権を根拠に憲法上「死ぬ権利」

が認められるのかについての検討を行ったが、人間の尊厳原理から「死ぬ権利」が導かれる余地がある のかについては、「人間の尊厳」が「個人」を超える概念である可能性も含め、批判的検討も視野に入 れたうえで、今後の課題としたい。

5. おわりに

生命に対する権利には、「生命を享受する(奪われない)権利」のみならず「生命のあり方について 決める権利」や「生命を処分する権利」まで含まれるかという問題は、憲法はもちろん刑法や民法にとっ ても重要で興味深い問題である。その結論次第では、自殺関与罪の評価も変わってくるかもしれないし、

「生命のやり取りに関する契約」などが有効とされるようになるかもしれない。その意味では、やはり 最高裁判所が「生命は高貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。」と述べた38とおりであり、「死ぬ」

ことを一度「権利」として承認すると、従来学説によって入念に構築されてきた事案の区別だとか衡量 方法等が捨象され、「死なせる権利」・「殺す権利」へと通ずる危険が生ずる39という懸念が生じるのは 疑いようもないことである。

(8)

もっとも、本稿は、「死ぬ権利」に「自殺する権利」のみならず「自殺に際して他者に援助を求める 権利」まで含まれるとした場合に、そのような権利は憲法上の権利としては認められないと結論付ける ものだが、そもそも自殺援助に関する何らかの義務を認めることと自殺援助を容認することは別であり、

「死なせる権利」・「殺す権利」を認めるまでには至らずに、一定の限界付けを行うことは可能かもしれ ない。「(国家に対して)死・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

ぬための援助を要求する」権利と、「自らが死を求めるときに同意し援助し てくれる医師がいて、その医師が刑事罰から免れるよう求める」権利は、区別されてしかるべきである。

その意味で、本稿で検討した対象は前者の権利であり、後者の権利について否定するものではないこと を明記したい。

本稿では、自殺する権利・自殺に際し他人に助力を求める権利という意味での「死ぬ権利」について、

憲法上の権利ではないという結論に至った。その限りで、刑法202条自殺関与罪は幸福追求権を侵害す るものではなく、その合憲性に問題はないと考える。不治の末期患者、とくに自力で自殺することがで きないような人の終末期における選択の問題については、個別の立法規定レベルでの検討が適切であり、

さらなる研究を重ねていきたい。その際、「自らの死を望む者に他人(主に医師)がそれを援助するこ とが許容されるか」ということと、「自らの死を望む者が援助を求めた場合に、援助することが義務づ けられるか」ということ、さらには、「死なせる権利」・「殺す権利」が同一なのか、どの点が異なるのか、

ということについては、今後の検討課題とする。

【注】

1. 佐藤琢磨「ドイツにおける自殺関与の一部可罰化をめぐる議論の動向」慶應法学31号(2015)349頁以下。また、そ のような動向に関して、とりわけDignitas等の自殺幇助団体による影響を詳細なデータを示して検討したものとして、

クリスティアン・シュワルツェネッガー(只木誠監訳)「臨死介助団体と刑法的観点から見た自殺幇助――スイスに おける現状――」比較法雑誌53巻3号(2019)147頁以下を参照。

2. Bundestagsdrucksache 18/5373, S.9.

3. 条文の名称や翻訳については、以下を参照。神馬幸一「ドイツ刑法における『自殺の業務的促進罪』に関して」獨協 法学100号(2016)117頁以下、渡辺富久子「立法情報【ドイツ】業としての自殺幇助の禁止」外国の立法266-1号(2016)

16頁以下。

4. 甲斐克則「終末期の意思決定と自殺幇助」『浅田和茂先生古稀祝賀論文集(上巻)』成文堂(2016)565頁以下、アルビ ン・エーザー(嘉門優訳)「自殺関与の不処罰性――ドイツにおける新たな制限――」同567頁以下、山中敬一「ドイ ツにおける臨死介助と自殺関与罪の立法の経緯について」同611頁以下、只木誠「臨死介助協会と自殺援助処罰法―

―ドイツおよびスイスの現状」同647頁以下、飯島暢「自殺関与行為の不法構造における生命保持義務とその例外的 解除――ドイツ刑法217条の新設を契機とした一考察――」『山中敬一先生古稀祝賀論文集(下巻)』成文堂(2017)

59頁以下、フランク・ザリガー(只木誠・大杉一之訳)「業として行われた自殺幇助に対する刑罰規定をめぐる諸問 題(ドイツ刑法217条)」比較法雑誌54巻1号(2020)1頁以下等。

  なお、ドイツ刑法217条について立法根拠を示す法律案理由書を翻訳したものとして、神馬幸一「ドイツ新刑法217条 の法律案理由書〔Bundestagsdrucksache 18/5373〕」獨協法学100号(2016)223頁以下がある。

5. 原告らの立場は、大きく以下の4つに分けられる。第一にDignitasのような自殺援助団体の関係者、第二に自殺援助を 行ってきた医師、第三に自殺の援助に際しアドバイスを与えてきた弁護士、第四にそのような団体による自殺の援助 を希望していた患者である。なお、原告については、九州大学ドイツ刑法判例研究会(冨川雅満ほか)「ドイツ刑法 判例研究:ドイツ刑法典第217条の合憲性について:ドイツ連邦憲法裁判所2020年2月26日判決の翻訳」法政研究87巻 4号(2021)168頁以下が「申立人一覧」として詳細にまとめている。

6 . BverG, Urteil des Zweiten Senats vom 26. Februar 2020 - 2 BvR 2347/15, 2 BvR 651/16, 2 BvR 1261/12, 2 BvR 1593/16, 2 BvR 2354/16, 2 BvR 2527/16, NJW 2020, 905. 本判決については、以下の翻訳がある。神馬幸一「《翻訳》

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『現代社会研究』19号

ドイツ連邦憲法裁判所第2法廷2020年2月26日判決:ドイツ刑法第217条の違憲性(1)(2)(3・完)」獨協法学第112号(2020)

471頁以下、113号(2020)423頁以下、114号(2021)188頁以下、九州大学ドイツ刑法判例研究会・前掲注(5)170 頁以下、秋山紘範「ドイツ刑事判例研究(100)業としての自殺援助禁止の違憲性」比較法雑誌54巻4号(2021)249 頁以下等。

7. 判決文原文には Art. 2ⅠiVm Art.1ⅠGG と表記されており、本文中の訳は、神馬幸一「『業としての自殺援助罪(ド イツ刑法第217条)』の違憲性」判例時報2456号140頁以下に倣うものである。

8. 刑事立法と憲法の関係性について分析するものとして、仲道祐樹「法益論・危害原理・憲法判断――刑事立法の分析 枠組に関する比較法的考察――」比較法学53巻1号(2019)25頁以下、一般的人格権についてその発展と展開をまと め内容に関し概念的検討を行ったものとして、上村都「ドイツにおける人格権の基本構造」岩手大学文化論叢第7・8 輯(2009)93頁以下を参照。

9. 神馬・前掲注(7)143頁。

10. 佐藤幸治『現代法律講座5 憲法(第三版)』青林書院(1995)448頁は、「幸福追求権」を「人格的自律の存在として 自己を主張し、そのような存在であり続ける上で必要不可欠な権利・自由を包摂する包括的な主観的権利である」とし、

「基幹的な人格的自律権」と称する。

11. 佐藤・前掲注(10)459頁以下。なお、憲法上の自己決定権そのものについては、周知のとおり、大きく人格的利益 説と一般的自由権説が対立し議論されているが、その詳細については本稿では検討の対象としない。

12. 憲法13条は、「生命」、「自由」および「幸福追求」からなるが、通説は三者を積極的に区別せず統一的に把握する(佐 藤・前掲注(10)448頁)。それに対して、比較憲法史的検討をしたうえで(生命権が自殺の自由を含むかどうか疑問 であるとしつつも)憲法13条において「生命権」は自由及び幸福追求権から分離し独立に保障されているとするものに、

嶋崎健太郎「憲法における生命権の再検討――統合的生命権に向けて――」法學新報108巻3号(2001)31頁以下。

13. 同意殺人を不可罰とすべきとする論者として、たとえば、Rudolf Schmid, Strafrechtlicher Schutz des Opfers vor sich selbst? Gleichzeitig ein Beitrag zur Reform des Opiumgesetzes, Festschrift für Reinhart Maurach zum 70.

Geburtstag, 1972, S. 117f.

14. 中山茂樹「人体の一部を採取する要件としての本人の自己決定――憲法上の生命・身体に対する権利の視点から――」

産大法学40巻3・4号(2007)77頁。

15. 佐藤・前掲注(10)406頁。

16. 佐藤・前掲注(10)460頁。

17. 佐藤幸治『日本国憲法論』成文堂(2011)179頁、齊藤正彰「生命についての権利」高見勝利ほか編『日本国憲法解 釈の再検討』有斐閣(2004)75頁以下。

18. 松井茂樹「尊厳死及び安楽死を求める権利――従来の憲法学説の再検討――」同志社法学72巻4号(2020)567頁。

19. 竹中勲『憲法上の自己決定権』成文堂(2010)14頁。

20. 竹中・前掲注(19)142頁。

21. 竹中・前掲注(19)149頁。

22. これに対する批判として、「生きることは、憲法の保障する権利であって、義務ではないはずである。とすれば、やは り個人にはいつどのように死ぬのかを選択する自由が認められるべき」とするもの(松井茂記「安らかに死なせてほ しい― 尊厳死の権利および安楽死の権利」同編著『スターバックスでラテを飲みながら憲法を考える』有斐閣(2016)

10 頁)等。

23. 土井真一「注釈日本国憲法(2)」有斐閣(2017)110頁。

24. 土井・前掲注(23)109頁。

25. 土井・前掲注(23)108頁。

26. 竹中勲「自己決定権と自己統合希求的利益説」産大法学32巻1号(1998)24頁。

27. Washington v. Glucksberg, 117 S. Ct. 2256 (1997). なお、Glucksberg判決に関しては、拙稿「医師による自殺幇助合

(10)

法化の理論的根拠に関する一考察――Glucksberg判決・Carter判決を素材に――」現代社会研究15巻(2017)149頁 以下。

28. 自殺幇助を超えた積極的安楽死については、Glucksberg判決では直接問題とはなっていない。

29. 欧州人権条約の加盟国はヨーロッパが想定されているが、そこにはユダヤ・キリスト教の伝統を共有しない国も含ま れており、必然的に文化や地域を超えて応用可能なものとなっているはずである。また、そこでの人権保障は、各国 に立法の余地を認め、それによっても侵してはならない人権の中核となる部分を保障するものである。それゆえ、欧 州人権条約の規定や解釈を検討することは、日本の人権論にとっても有益なものであると考えられる。稲葉実香「生 命の不可侵と自己決定権の狭間(1)――安楽死行為の憲法上の位置づけに関する一考察――」法學論叢158巻1号(2005)

50頁。

30. retty v. the United Kingdom 29 April 2002, Reports 2002―Ⅲ. Pretty判決(人権裁判所判決)については、甲斐克則

「自殺幇助と患者の『死ぬ権利』――プリティ判決――」戸波江二ほか編『ヨーロッパ人権裁判所の判例』信山社(1991)

199頁以下等を参照。Pretty判決(貴族院判決)は、2001年に末期患者の自殺幇助についてイギリスの貴族院で初めて 争われたものとして広く知られており、貴族院からさらに欧州人権裁判所へと提訴された。R(Pretty v. Director of Public Prosecutions)[2001]UKHL 61;[2002]1 AC 800.

31. 欧州人権条約第2条は次の通り規定する。

  ①すべての者の生命に対する権利は、法律によって保護される。何人も、故意にその生命を奪われない。ただし、法 律で死刑を定める犯罪について有罪とされ裁判所による刑の宣告を執行する場合は、この限りでない。

  ②生命の剥奪は、それが次の目的のために絶対に必要な、力の行使の結果であるときは、本条に違反して行われたも のとみなされない。〈以下略〉

32. Reports 2002―Ⅲ, §39.

33. Reports 2002―Ⅲ, §88.

34. 欧州人権条約第8条は次の通り規定する。

  ①すべての者は、その私的および家族生活、住居ならびに通信の尊重を受ける権利を有する。

  ②この権利の行使に対しては、法律に基づき、かつ、国の安全、公共の安全もしくは国の経済的福利のため、また、

無秩序もしくは犯罪の防止のため、健康もしくは道徳の保護のため、または他の者の権利および自由の保護のため、

民主的社会において必要なもの以外のいかなる公の機関による介入もあってはならない。

35. Reports 2002―Ⅲ, §74.

36. Reports 2002―Ⅲ, §8.

37. 宮澤俊義『憲法Ⅱ(新版)』有斐閣(1971)213頁以下、土井・前掲注(23)64頁。

38. 最大判昭和23・3・12刑集2巻3号191頁。 

39. 甲斐克則「安楽死問題における病者の意思――嘱託・同意殺の可罰根拠に関連して――」九大法学41号(1980)105頁。

参照

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