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光吉夏弥の絵本翻訳 ―絵本翻訳における“右開きタテ組み”をめぐって―

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(1)

寄 稿

光吉夏弥の絵本翻訳

―絵本翻訳における“右開きタテ組み”をめぐって―

生 駒   幸子

はじめに―研究の背景

【光吉夏弥の業績調査から】

光吉夏弥(みつよし・なつや 1904-1989)は、戦後の絵本出版の嚆矢となった

〈岩波の子どもの本〉絵本シリーズ1の編集において、石井桃子(1907-2008)と ともに中心的役割を果たしたことでよく知られている。光吉は戦前から新聞記者、

また写真・舞踊の評論家としても一家を成す人物であり、業績は児童書ばかりにと どまらない。筆者は白百合女子大学児童文化研究センター光吉文庫2を研究の拠点 として、光吉の児童書関係の業績調査を行い、日本絵本史という視座から光吉の果 たした役割について検討してきた。研究成果3からは、光吉が戦後の児童書出版の 萌芽期に立ち会ったパイオニアの

1

人であることが明らかになった。日本の絵本史 において光吉が果たした役割を、筆者の考察として以下に述べておく。

光吉文庫に遺された資料が示すように、光吉は戦前から国内外の児童書を蒐集し ており、海外の書籍が手に入りにくい戦時下においてさえも児童書及び研究書を入 手していた。戦時期の文化統制下にもかかわらず、光吉は筑摩書房の〈世界傑作 絵本シリーズ〉として

2

冊のアメリカ絵本『花と牛』、『フタゴノ象ノ子』(筑摩書

1942)を奇蹟的に翻訳出版している。これらは光吉の集めた海外絵本から、選

書し翻訳したものだと推測される。しかしアメリカとの交戦の真っただ中という時 代背景4、また『花と牛』の内容が反戦的だとの批判を受けて5、出版は中断され た。光吉はこの時期、評論として児童書の翻訳論(「翻訳者の反省」『少国民文化』

1943.1)を発表し、雑誌『生活美術』の絵本特集号においては、自身の海外絵本コ

レクションを紹介しつつ独自の絵本論を展開している6

終戦、占領期を経て、今まで蒐集した海外絵本コレクションをいかし、戦後の絵 本翻訳に先鞭をつけることになる。光吉のコレクションと絵本翻訳の業績が大いに 脚光を浴びることになったのは、

1953

年刊行の〈岩波の子どもの本〉出版である。

岩波書店の社外ブレーンとしておもに海外絵本の選書、原書提供、さらに翻訳を手 掛け、絵本シリーズの出版に尽力した。

光吉は、〈岩波の子どもの本〉以降も児童書翻訳をはじめ旺盛な執筆活動を続け、

1970

年代には児童文学・絵本の作家作品論、評論を数多く発表した。この時期の

(2)

代表的な評論としては、「子どもの本の世界から―その文献と資料―」(『子どもの 館』福音館書店

1974.7

1980.7)、「絵本の世界」(『月刊絵本』すばる書房盛光社

1974.9

1977.5)

2

つの連載が挙げられる。これら光吉の評論は国内外のありと

あらゆる文献に当たり、綿密な書誌的調査に基づいて執筆されているという点にお いて、評論というよりも研究に近いと評価できる。光吉文庫には、緻密な調査と分 析の根拠となるものがいくつも遺されている。光吉が評論を多く発表した時期は、

わが国において絵本が多くの人々に共有され、児童書出版が量的、質的に隆盛期を 迎えていたときに重なる。絵本が一般的に認知される時代に、光吉が作家・作品を 歴史的視点から「絵本を研究、評価する」役割も担っていたことがわかる。絵本を 研究対象とする学問「絵本学」の出現(絵本学会の設立は、

1997

5

月)以前に、

光吉が研究的な業績を生み出していたことは特筆に値する。

以上のような光吉の業績調査、及び日本絵本史という視座からの検討の結果、戦 後絵本史の出発期において、光吉は極めて重要な存在であったことが明らかとなっ た。戦中における光吉の絵本翻訳・絵本評論は、戦後の絵本文化に先行して「絵本 表現とは何か」という斬新な視点を有していることも興味深い。

【〈岩波の子どもの本〉の評価】

光吉の児童書関係の業績のうち、最も著名なものは〈岩波の子どもの本〉での編 集・翻訳である。〈岩波の子どもの本〉は現在も刊行中であるが、本研究では光吉 が編集にかかわった

1953

12

月から

1954

12

月までの

4

回の配本、これを第

1

期出版として扱う。〈岩波の子どもの本〉の最も大きな特徴は、24冊のうちほとん どが海外絵本の翻訳であったことである。「明るくたのしい外国絵本の紹介によっ て、子どもの本に必要なものは教訓や知識ではなく、わかりやすい表現と明るい内 容や魅力的な絵であることを、作品を通して教示した7」と評される。従来の絵本 観をくつがえすほどの画期的な試みは、戦後絵本史上のエポックであるとされてい る。〈岩波の子どもの本〉の出版は、戦後に隆盛期を迎える絵本文化の原点だとみ てよいだろう。

ただし、〈岩波の子どもの本〉は功罪の両面から評価されている。現代から振り 返ると〈岩波の子どもの本〉が出版された当時は、まだ絵本という概念が確立され ていない時期であった。そのため、編集過程に多少の問題も含んでいた。絵本翻訳 の方法が未成熟であったことは、その時代の限界性を示している。

多数の先行研究のうち、近藤(2002)と永田(2004)の論考をふまえ、〈岩波の 子どもの本〉に関する評価を以下のようにまとめた。

(3)

2.

廉価で絵本を普及させた。

3.

左開きヨコ組みを右開きタテ組みに組み直すことによって、原書のレイアウト を改変する翻訳方法を採った。

4.

大小さまざまな原書の判型を、菊判変形という一定の判型に画一化した。

5.

教訓や教育性を脱した絵本の物語のおもしろさを示した。

6.

絵本には、絵と言葉が一体となって展開する表現力が必要だということを示し た。

7.

絵本の絵における画面構成の新しさを示した。(余白・色彩など)

8.

子どもが耳から聞いてわかる言葉、リズムの重要性を示した。(訳文)

9.

戦後まもない時期に、子どもたちに異文化理解をうながした。

10.

後続の出版社や作家・画家の絵本づくりに刺激と希望とを与えた。

【絵本翻訳における“右開きタテ組み”への組み直し】

上記のような〈岩波の子どもの本〉の功罪両面からの評価のうち、

3、 4(下線部)

が、〈岩波の子どもの本〉の罪の評価につながる点である。もちろん、戦中・戦後 の長い期間、文化的に閉ざされ、読み物を渇望していた子どもたちに、とにかく安 くすぐれた絵本をとの思いで出版されたことを考えると、やむを得ない編集方法で あったことは想像に難くない。しかし、絵本は「本の型、重さ、紙質、色彩、表 紙、見返し、扉、ジャケット、活字、絵、すべてのレイアウトにデザイン性が配慮 され8」た造形芸術の一形式であるという観点からみると、〈岩波の子どもの本〉で の編集方法には問題があるということになる。具体的には、“左開きヨコ組み”で ある海外絵本の原書を、“右開きタテ組み”に組み直したことによって起こるレイ アウト改変の問題である。

“右開きタテ組み”への組み直しについて、光吉は〈岩波の子どもの本〉の編集 時代を

1973

年に述懐した文章のなかで、以下のように述べている9

その後、原本どおり、左開き、ヨコ組のほうが、原本に忠実であるかのよう に思う傾向が翻訳絵本の出版にみられたが、オールひらがな、わかち書きのヨ コ組はなんとしても読みづらいし、欧文文字とひらがな活字とでは、いくら同 じヨコ組でも、タイポグラフィーはまるきり別のものになってしまうのだか ら、私はやはり、右開き、タテ組に再編集して、子どもたちに読みやすいかた ちで提供するほうが親切だと思っている。

また光吉とともに〈岩波の子どもの本〉編集に携わったいぬいとみこも、このこ

(4)

とに関して以下のように述べている10

岩波少年文庫の創刊は

1950

年(昭和

25

年)だったが、それ以前に有名な少 年少女雑誌『銀河』が姿を消していた。『銀河』が子どもたちに親しまれなかっ た一因が、斬新な左びらき『横組み』にあったので、1953年に幼い子どもの 本を作るとき、翻訳ものでも右びらき縦組みにすることに、たいした抵抗はな かった。

竹内美紀は「絵本翻訳における縦と横―石井桃子の絵本翻訳を題材に」(竹内

2011)という論考のなかで、絵本翻訳の方法について石井の絵本翻訳から論じてい

る。ここでは〈岩波の子どもの本〉の時点でさえも日本語表記は縦書きが通常で あったことが、当時の編集者の証言によって明らかにされている。

屋名池誠による論考(屋名池

2003)では、戦後、日本語の書字方向は左横書き

へ統一されていくプロセスが説明されている。戦後の左横書きへの変革は、戦中お こなわれたトップダウン式の日本語表記改革ではなく、草の根運動的な流れであっ たために、定着するまでには時間がかかったという。1953年は、ちょうど書字方 向の意識が変わる移行期であり、これまで出会ってきた書物のほとんどが縦書きで あり、縦に読む習慣を持つ年代の人々にとっては、左横書きは違和感を覚えるもの であったのだろう。

しかし、その書字方向の事情を差し引いても、〈岩波の子どもの本〉出版は否定 的評価を免れないとする論もある。鳥越信は、自身が〈岩波の子どもの本〉の編集 者の

1

人であった反省も含めて、この問題について以下のように述べている11

『ちいさいおうち』は最初、右開き・たて組み・逆版の小型本で出版され、

その後、それを版型は同じのまま、左開き・横組み・正版のものにかえ、さら に原書のサイズと同じ大型の左開き・横組み・正版の絵本となった。『ひとま ねこざる』も同様で、最初の右開き・たて組み・逆版の小型本から、現在では 左開き・横組み・正版の大型本(原書と同サイズ)へとかわっている。という ことは、原書のレイアウトをこわさずに翻訳するのが当然の理で、それに反し たものは否定的評価の対象になっている、という意味になる。

以上の文献から、“右開きタテ組み”への組み直しの背景には、日本語の書字方 向の問題がかかわっていることが確認できた。しかし〈岩波の子どもの本〉出版

(5)

リーズ〉によって克服されることになった。それを可能にしたのは日本語の書字方 向が横書きに定着したことと、戦後の日本において絵本観が成熟したことであろ う。造形、芸術としての絵本の価値が見出されたことによって、海外絵本は原書ど おりの大きさ・レイアウトで翻訳されるようになったと考えられる。

ここで、1つの疑問が浮かんでくる。〈岩波の子どもの本〉で採用された翻訳に 際してのタテ組みへの組み直しには、前例があったのだろうか。〈岩波の子どもの 本〉以前の翻訳絵本は、いったいどのように翻訳されていたのだろうか。海外絵本 の翻訳における方法とその変遷を探ってみたい。

1.〈岩波の子どもの本〉以前の絵本翻訳―研究の目的と方法―

本研究の目的は〈岩波の子どもの本〉以前の海外絵本の翻訳方法12を調査し、

そのうち “左開きヨコ組み”の原書を“右開きタテ組み”へ組み直す翻訳方法が具 体的にどのようなものかを検討することである。本稿では〈岩波の子どもの本〉以 前の絵本翻訳の方法を検証することにより、戦後絵本の出発点において絵本表現が どのようにとらえられてきたのかを明らかにする。

翻訳絵本に関する先行研究(三宅

1998、石川 2002-a、2002-b、鳥越 2005)をも

とにし、翻訳絵本出版を調査した。そのうち、本研究では原書と推測されるものと 翻訳絵本の両方の資料が見つかった以下

8

作品に限り調査を行った。これらの原書 と翻訳絵本を比較し、翻訳方法の形態を調査する。なお、本調査の対象は海外オリ ジナル絵本13とし、雑誌は含まないこととした。

①『揚子江ノアヒル』M・フラツク作、K・ウヰーゼ絵、鐵村大二訳 生活社 

1939.2

②『花と牛』ムンロー・リーフ作、ロバート・ロウソン画、光吉夏弥訳 筑摩書 房 1942.2

③『フタゴノ象ノ子』イネズ・ホーガン作、光吉夏彌訳 筑摩書房 1942.2

④『象ちゃんババアルのおはなし』ジャン・ド・ブリュノフ作、いしむらみきこ 訳 世界文学社 1949.7

⑤『たくさんのお月さま』ジェイムズ・サーバー作、ルイス・スロボドキン画、

光吉夏弥訳 日米出版社 1949.12

⑥『エブラハム・リンカーン』イングリ・ドオレーア、エドガー・パーリン・ド オレーア作、光吉夏弥・進士益太訳 羽田書店 1950.4

⑦『ねむたいライオンの子』イーラ写真、マーガレット・ワイズ・ブラウン文、

小峰廣恵訳 小峰書店 1950.4

(6)

⑧『カモさんおとおり』ロバート・マックロスキイ作、磯貝瑤子訳 日米出版社

1950.11

1 ①『揚子江ノアヒル』原書と翻訳版の表紙

2 ②『花と牛』原書と翻訳版の表紙

3 ③『フタゴノ象ノ子』原書と翻訳版の表紙

(7)

4 ④『象ちゃんババアルのおはなし』原書と翻訳版の表紙

5 ⑤ 『たくさんのお月さま』原書と翻訳版の表紙

6 ⑥ 『エブラハム・リンカーン』原書と翻訳版の表紙

(8)

7 ⑦『ねむたいライオンの子』原書と翻訳版の表紙

8 ⑧『カモさんおとおり』原書と翻訳版の表紙

(図

1

8

の原書表紙については、カバーが取れてなくなっているものもあると 思われる)

上記の①②③は戦中に、④⑤⑥⑦⑧は終戦後まもなくに翻訳されたものである。

終戦の前後では、社会的背景が全く異なっている点にも留意が必要である。戦中は 国内において児童文化にも統制が及んでおり、殊に敵国の絵本を翻訳することは困 難だったという。しかし終戦後の占領期には、GHQの斡旋もありアメリカの絵本 が多く移植された。このような時代背景を鑑み、戦中に翻訳された

3

冊、戦後に翻 訳された

5

冊に分けて分析を試みる。

(9)

2.原書と翻訳本の比較検討

 ⑴戦中の翻訳絵本

  ①『揚子江ノアヒル』生活社 1939.2

原書と翻訳版を比較した結果、『揚子江ノアヒル』では原書を“右開きタテ組み”

に組み直していることがわかる。しかし、絵を逆版にはしていない。図

9

の見開き ページの比較からもわかるように、絵の向きは原書のままで翻訳版にも使用してい る。そのため、翻訳版における物語の進行方向とアヒルの進む方向、また船の進む 方向は逆になっている。さらに原書の見開きページで

1

つの絵としているものを、

翻訳版では絵を分割して左右を入れ替えて配置している。

②『花と牛』筑摩書房 1942.2

10 『花と牛』原書と翻訳版の比較

原書と翻訳版を比較した結果、『花と牛』では“左開きヨコ組み”から“右開き タテ組み”に組み直している事が明らかとなった。さらに、原書のデザインを翻訳 絵本へと再構築するために、絵を逆版印刷している。原書では、絵本の文章による 物語の展開に合わせて、絵も物語を語る機能を果たしている。この作品では、仔牛 の頭が向いている右方向に物語が進んでいく。これを“右開きタテ組み”に組み直

図 9 『揚子江ノアヒル』原書と翻訳版の比較

(10)

す際に、絵本の進行方向に合わせて読者の目線も移っていくことを配慮し、仔牛の 向きを絵本の進行方向に合わせるために、逆版にしていると考えられる。

③『フタゴノ象ノ子』筑摩書房 1942.2

11 『フタゴノ象ノ子』原書と翻訳版の比較

『フタゴノ象ノ子』は、『花と牛』と同じタイミングで筑摩書房から光吉の翻訳で 出版された。原書と翻訳版を比較した結果、翻訳方法は『花と牛』と同様、“右開 きタテ組み”に組み直しており、また逆版印刷をおこなっている。図

11

は、サル が子ゾウの背に乗って進む場面であるが、ページをめくり物語が展開する進行方向 に歩いている様子が描かれている。ここでも絵を見ている読者の目線に合わせるよ うに、“右開きタテ組み”に組み直す際に、逆版が採用されている。

⑵戦後の翻訳絵本

 ④『象ちゃんババアルのおはなし』世界文学社 1949.7

(11)

原書(英語版)と翻訳版を調査した結果、『象ちゃんババアルのおはなし』では 図

12

のように書字方向は原書と同じ左横書きを採用し、絵は原書と同じ正版にし ていることがわかった。

 ⑤『たくさんのお月さま』日米出版社 1949.12

13 『たくさんのお月さま』原書と翻訳版の比較(1)

14 『たくさんのお月さま』原書と翻訳版の比較(2)

(12)

原書と翻訳版を比較した結果、『たくさんのお月さま』では“左開きヨコ組み”

から“右開きタテ組み”に組み直している事が明らかとなった。さらに絵は逆版印 刷されている。図

13

の比較(1)では、王女が月に指輪をかざす様子が描かれてい るが、絵を原書と同じ向きで採用した場合、物語の内容と絵に矛盾が生じる。その 矛盾を避けるため、月の絵を正版に、王女の絵(A)を(A´)のように逆版にし ていると考えられる。

また図

14

は、道化師が月に向かって語りかける場面が描かれているが、図

13

ど同様に左右の絵を向かい合わせるために、道化師(B)を(B´)に、また月

(C)を(C´)のように逆版にして、絵が物語の内容と矛盾しないような操作が 施されている。

 ⑥『エブラハム・リンカーン』羽田書店 1950.4

15 『エブラハム・リンカーン』原書と翻訳版の比較

(13)

16 『エブラハム・リンカーン』原書と翻訳版の比較

原書と翻訳版を比較した結果、『エブラハム・リンカーン』では“左開きヨコ組 み”から“右開きタテ組み”に組み直している事が明らかとなった。さらに絵は逆 版印刷されている。図

18、図 19

にみられるように、原書で人馬が書字方向と同じ 方向を向いているのに合わせて、翻訳版で絵を逆版にして、人や馬の向きを変えて 配置していることがわかる。

 ⑦『ねむたいライオンの子』小峰書店、1950.4

17 『ねむたいライオンの子』原書と翻訳版の比較

(14)

原書と翻訳版を調査した結果、『ねむたいライオンの子』では図

17

のように書字方 向は原書と同じ左横書きを採用し、絵は原書と同じ正版にしていることがわかった。

 ⑧『カモさんおとおり』日米出版社、1950.11

18 『カモさんおとおり』原書と翻訳版の比較

19 『カモさんおとおり』原書と翻訳版の比較

原書と翻訳版を比較した結果、『カモさんおとおり』では原書を“右開きタテ組 み”に組み直していた。しかし絵の逆版は用いていない。図

18

にみられるよう に、原書ではカモの飛んでゆく方向が、ページをめくる先を示す絵本の進行方向と 一致しているが、翻訳版では原書そのままの絵を埋め込んでいるために、カモは絵 本の進行方向と真逆に飛んで行く。図

19

では、カモが道を歩いていくために交通 整理の警官が車を止める場面が描かれている。原書では、警官の立ち位置が読者の 視線を遮るところに置かれている。これは視線を留め、注意喚起する効果をねらっ た絵本表現の工夫だと考えられる。それに対して、翻訳版では絵を正版のまま使用 しているために、絵の効果がまったく発揮されていない。

(15)

としてではなく、物語を構成する重要な一要素として存在している。この翻訳版が 原書の「物語る絵」を生かし切れていないということになった。

3.“右開きタテ組み”への組み直しと絵の逆版の意味―結果と考察―

8

事例の原書と翻訳本の比較調査の結果、以下の通りAとBの

2

種の翻訳方法が 見出された。

A.原書どおりの“左開きヨコ組み”で翻訳(2事例)

B.“左開きヨコ組み”の原書を“右開きタテ組み”に組み直して翻訳(6事例)

[

戦中の翻訳絵本

]

①『揚子江ノアヒル』生活社 1939.2…B

②『花と牛』筑摩書房 1942.2…B

③『フタゴノ象ノ子』筑摩書房 1942.2…B

[

戦後の翻訳絵本

]

④『象ちゃんババアルのおはなし』世界文学社 1949.7…A

⑤『たくさんのお月さま』日米出版社 1949.12…B

⑥『エブラハム・リンカーン』羽田書店 1950.4…B

⑦『ねむたいライオンの子』小峰書店 1950.4…A

⑧『カモさんおとおり』日米出版社 1950.11…B

上記のうちのB「“左開きヨコ組み”の原書を“右開きタテ組み”に組み直して 翻訳」する方法を採用した

6

事例を調べたところ、さらに同じ“右開きタテ組み”

でも絵は異なる手法で編集されていることが明らかになった。

①⑧の

2

事例については、絵は正版のまま印刷されており、②③⑤⑥の

4

事例

(下線部)については、絵を一部逆版にして編集している。これらは、すべて光吉 による翻訳である。つまり〈岩波の子どもの本〉以前に、光吉は戦中に

2

作品、戦 後に

2

作品を “右開きタテ組み”に組み直し、逆版印刷という手法を採用して翻訳 をおこなっている。

絵の一部逆版を採用した翻訳絵本の逆版箇所は、以下の通りであった。

②『花と牛』 40のうち

8

箇所

③『フタゴノ象ノ子』 32のうち

9

箇所

⑤『たくさんのお月さま』 38のうち

5

箇所

⑥『エブラハム・リンカーン』 57のうち

17

箇所

(16)

さらに、逆版箇所を詳細に検討してみたところ、光吉が絵本の絵の向きを意識し ていたのではないかと考えられる。

【“右開きタテ組み”への組み直しに、なぜ逆版を採用したのか】

光吉はなぜ“左開きヨコ組み”から“右開きタテ組み”に組み直す際に、逆版が 必要だと考えたのだろうか。

    左開きヨコ組み       右開きタテ組み

20 “右開きタテ組み”への組み直しにおける逆版

20

は、“左開きヨコ組み”の海外絵本を“右開きタテ組み”に組み直す場合の 絵の逆版を図にしたものである。絵本においては物語がページをめくることによっ て展開されることが、大きな特徴である。ページとページの連続性があるため、絵 本には視覚的に生じる方向性がもたらされる。仮に、この方向を絵本の進行方向と 呼ぶことにする。絵本の読者である子どもは、絵本を読む時に絵を見ながら、ペー ジをめくった先に向かう方向、絵本の進行方向に注意を向けている。

書字方向が左から右へ横向きに流れる欧文の絵本では、ページをめくる方向、読 者の視線の向かう方向、進行方向は左から右(→)ということになる。これに対し て、日本語の書字方向は上から下の縦向きに流れ、改行は右から左(←)である。

“左開きヨコ組み”の海外絵本を日本語の書字方向に合わせた“右開きタテ組み”

に組み直す際には、進行方向が逆になる。読み物の形態の一般書籍は文章のみの翻 訳となるので、上記のような問題は起こらない。絵と言葉の双方がそれぞれに物語 を語る役割を担っている、絵本というメディアだからこそ起こる問題である。

光吉は読者の読みに着目し、“右開きタテ組み”に組み直す場合には、進行方向 が逆になるので、絵も逆に向けなければ、物語の展開に矛盾が生じることに気が付 いたのではないか。つまり、読者の読みに配慮した結果、物語展開と進行方向とが 合致する「絵の逆版」を翻訳方法として採用したと考えられる。光吉は絵本におけ る文章のみならず、絵が物語の構成を担うことに着眼していたといえる。

(17)

【絵本表現における「コンティニュイテイ」】

戦中の児童文化統制期に、光吉は雑誌『生活美術』「絵本特輯」に「絵本の世界」

という評論を執筆している。そのなかで「コンティニュイテイ」という言葉を用 い、絵本の絵の連続性に触れている。

店頭に立つてみれば、すぐに直感されることであるが、B5版・縦の絵本が たいてい見開き単位の頁構成をとり、十面前後の見開き頁に、船の絵本なら 色々なかたちの船の一枚絵を十枚、海の絵本なら海に関して考へられる極く常 識的な場面の絵を十枚、ぽん、ぽんと放りこんで、それに簡単な文がついてゐ る、それだけで終つてゐるあの手の編集に、一つの安易な型を感じるのは、私 の見誤りであらうか。

この手の絵本には、見るものに欠きえない編集要件であるコンティニュイテ イひとつもないものが多いし、ただ絵が刷り合されてゐるだけで、本になつて ゐないものさへある。

この評論では、自らの絵本コレクションから絵本を提供し、鮮明なカラーとモノ クロ図版(図

21)を多数用い、諸外国の美しくすぐれた絵本を具体的に紹介して

いる。児童文化も統制された厳しい時代であり、この特集のほとんどの記事が国策 に迎合する論調を免れないなか14、光吉は「絵のコンティニュイテイ」、「絵と文章 の関係」という独自の視点から、絵本表現の本質に言及している。新しい時代を先 取りする画期的な絵本観である。光吉が舞踊や写真などの視覚表現に造詣が深かっ たこともあり、芸術としての絵本概念の確立に力を注いでいたのであろう。

21 「絵本の世界」『生活美術』絵本特集号 Vol.3 No.9 アトリエ社 1943.9

残念ながら、この評論では絵本表現における「コンティニュイテイ」の定義は明

(18)

確に説明されてはいない。しかし、光吉が戦中・戦後に手掛けた“逆版を用いた右 開きタテ組み”への組み直しの絵本翻訳

4

事例に、「コンティニュイテイ」という 言葉の意味するところを見出すことができる。

おわりに―光吉の絵本翻訳が語ること―

今日の日本では、海外絵本は原書どおりの“左開きヨコ組み”という形式で翻訳 されている。“右開きタテ組み”や“逆版”という絵本翻訳は批判をくぐり、克服 されてきた。本研究では、戦中戦後における絵本翻訳を詳細に検討することによ り、“右開きタテ組み”や“逆版”を歴史の通過点にとどめるところから脱し、現 代的な意味を見出そうと試みた。

本研究の結論を以下に述べる。光吉は、戦中

1942

年の『花と牛』『フタゴノ象ノ 子』翻訳の時点で、“左開きヨコ組み”の海外絵本を日本語の書字方向にふさわし い“右開きタテ組み”の造本に組み直したうえで、さらに絵本の絵を一部“逆版”

にする編集方法を採用していた。同時代の翻訳絵本群の調査からは、その絵本翻訳 は光吉が考案した独自の手法であったと推測できる。この絵本翻訳の方法は、彼の 絵本観に拠るところが大きい。その絵本観とは、絵本における絵が挿絵的なものに とどまらず、文章と同等に、物語の一部を構成する重要な機能を担っており、その 絵には視覚的な進行方向があることに着眼している。光吉は絵本の視覚表現性の特 質にいち早く気付き、読者の読みに配慮した絵本翻訳をおこなった。

また、彼の絵本観は明確に論じられてこそないが、絵本における「コンティニュ イテイ」という意識は、絵本翻訳という場で具現化されている。“右開きタテ組み”

への組み直しに“逆版”を用いる翻訳方法には、光吉の「子どもにとって絵本とは 何か」「絵本表現とは何か」を模索する問題意識が垣間見られる。絵本は文章主導 のものという枠組みを越え、視覚表現としての絵本の価値を見出そうとしていたの ではないか。ここには、「絵本とは何か」という命題に向き合う

1

人の絵本翻訳家 の姿勢がうかがえる。

本研究では光吉という戦中・戦後の絵本史に立ち会ったパイオニアに焦点を当て てみたが、日本絵本史においても戦中と戦後は断絶されてはおらず、脈々とつづく

「絵本とは何か」という古くて新しい命題が問い続けられていることが明らかに なった。戦中の筑摩書房〈世界傑作絵本〉と戦後の〈岩波の子どもの本〉という

2

つのシリーズには、光吉の存在という明確な関連がある。〈岩波の子どもの本〉で の絵本翻訳において、光吉の絵本観や方法論がどのように受け継がれ、または受け 継がれなかったのかという視点から、今後も研究を深めていきたい。

(19)

【謝辞】

本研究を進めるにあたり資料閲覧にご協力くださった白百合女子大学児童文化研 究センター、大阪府立中央図書館国際児童文学館の皆様に心から感謝申し上げま す。

[主要参考文献

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藤本朝巳『ぞうくんはどっちを向いている?―楽しい絵本学』フェリス女学院大 学、2001.

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――「「岩波の子どもの本」こぼればなし」『月刊絵本』「特集 岩波の子どもの本」

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――「海外の絵本に魅せられて」『別冊太陽

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石川晴子「第

15

章 翻訳絵本の十五年間―西から東から」鳥越信編『はじめて学

(20)

ぶ 日本の絵本史Ⅱ』ミネルヴァ書房、2002、pp.272-288.

――「第

2

章 占領下の翻訳絵本―アメリカからの新しい絵本の波」鳥越信編『は じめて学ぶ 日本の絵本史Ⅲ』ミネルヴァ書房、2002、pp.36-57.

川勝泰介「Ⅹ絵本研究試論 二、絵本研究史考:三、「絵本の世界」における光吉 夏弥の絵本観」『児童文化学研究序説』千手閣、1999、pp.209-216.

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光吉夏弥「繪本の世界」『生活美術』Vol3. No.9 アトリエ社、1943.9、pp.46-61.

――「岩波の子どもの本(二)その発行のころのことども」『月刊絵本』すばる書 房盛光社、1973.6、pp.112-115.

三宅興子「多文化理解と子どもの本―The “Nursery”

Series

と「世界の子供叢書」

の場合―」『梅花女子大学文学部紀要』32(児童文学編

15)、1998、pp.83- 102.

――「「絵本」の「翻訳」史・試論」『図説 児童文学翻訳大事典 第

4

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永田桂子『変貌する現代絵本の世界』高文堂出版社、2004.

定松正「光吉夏弥」大阪国際児童文学館編『日本児童文学大事典 第二巻』大日本 図書、1993、pp.184-185.

竹内美紀「絵本翻訳における縦と横―石井桃子の絵本翻訳を題材に」『Ferris

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フェリス女学院大学院、2011、pp.46-61. 

鳥越信「絵本随想」『学燈』丸善、1968、pp.35-38.

――「序―絵本を考える」『絵本の歴史をつくった

20

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――『カラー版 小さな絵本美術館』ミネルヴァ書房、2005.

屋名池誠『横書き登場―日本語表記の近代』岩波書店、2003.

[註]

1

本稿では、〈岩波の子どもの本〉の第

1

回配本(1953年

12

月)から第

4

回配 本(1954年

12

月)までの第1期出版

24

冊を指す。

2

光吉の蒐集した児童書関係の書籍と文献“光吉コレクション”は、光吉の没

(21)

され、調査及び整備を経て

2006

年には「光吉文庫」として公開された。

3

生駒幸子「光吉夏弥研究(第

1

期)―〈岩波の子どもの本〉編集までの子ども の本に関わる仕事―」『絵本学』第

11

号 2009(pp.41-53)、「〈岩波の子どもの 本〉出版の歴史的検証資料と光吉夏弥の業績(第

2

期)資料の研究〈研究ノー ト〉」『絵本学』第

12

号 2010 (pp.41-47)、「光吉夏弥研究第

3

(1969

〜没後 出版

)

調査―戦後絵本史における絵本研究の萌芽〈研究ノート〉」『絵本学』第

13

号 2011 (pp.37-48)において、光吉の業績調査をおこなった。

4

瀬田貞二「英米児童文学を日本はどうとりいれたか 4.昭和前期」瀬田貞二・

猪熊葉子・神宮輝夫『英米児童文学史』研究社出版 1971(p.44)

5

光吉夏弥「こどものベストセラー」『日本児童文学』第

5

号 日本児童文学者 協会 1947.11(p.26)

6

光吉夏弥「絵本の世界」『生活美術(絵本特輯)』アトリエ社 1943.9

7

西田良子「絵本」『日本児童文学大事典』大阪国際児童文学館編 大日本図書

1993(p.328)

8

島多代「1920-

1930

年代アメリカの子どもの本」『子どもの本・1920年代』

日本国際児童図書評議会編 1991

9

光吉夏弥「岩波の子どもの本(二)―その発行のころのことども―」『月刊絵本』

すばる書房盛光社 1973.6(p.115)

10

いぬいとみこ「「岩波の子どもの本」こぼればなし」『月刊絵本』すばる書房盛 光社 1974.2(pp.21-26)

11

鳥越信「序章 仙花紙絵本の時代―一九四五年〜五〇年」『はじめて学ぶ 日 本の絵本史Ⅲ』鳥越信編 ミネルヴァ書房 2002(pp.12-13)

12

「絵本の翻訳」は、選書と編集をも作業を含むものとする。戦前から戦後間も ない時期は、絵本を翻訳する際、本を作り上げていく細かな作業は未分化であ り、翻訳者にすべて委ねられていることが多かった。

 翻訳絵本における選書とは、重要な前置きとなる作業である。つまり選書と は、「何を翻訳するのか」ということである。そして翻訳とは「どのように翻 訳するのか」ということである。翻訳には純粋に文章のみを翻訳することの上 に、さらに造本、デザインやページのレイアウトを整えたりする作業も含まれ ていた。海外絵本の翻訳をおこなうとき、翻訳とは純粋に絵本の文章を翻訳す る作業のうえに、選書から編集までが含まれていたことになる。翻訳のなかの 編集とは、“左開き横組み”である海外絵本の原書を、“右開き縦組み”に組み 直すことであり、物語の進行方向が逆方向になるために絵を逆版にしたり、絵 を分解して再構成したり、絵を描き加えてレタッチする等の作業も含まれてい

(22)

た。

13

「海外オリジナル絵本」とは、海外で出版された創作絵本のことである。鳥越 が『小さな絵本美術館』(ミネルヴァ書房

2005)において用いているが、初出

は不明である。

14

戦中の翻訳絵本として

3

事例の翻訳方法を調査したが、これらの翻訳絵本出版 の背景には戦中の児童文化統制があったことを忘れてはならない。戦火が激し くなるなか、1938年

10

25

日に、内務省による「児童読物改善ニ関スル内 務省指示要綱」(『出版警察資料第三三号』)(以下、「指示要綱」と略記)が公 表された。「指示要綱」は日本における最初の児童読物統制となったばかりで なく、戦中児童文化政策の第一歩として終戦までの児童文化を規制した根本的 な理念である。「指示要綱」は民間有識者の意見を尊重するポーズを取ってお り、結果的に子ども向け悪書の追放を望む知識層に支持された。戦時期の児童 文化は「悪書追放、良書追求」の名のもとに、子どもや親を戦争に駆り立てる ためのひとつの道具としての役割を担っていたのである。1941年

12

23

日 には児童文化の統制団体である「日本少国民文化協会」が設立したが、光吉は その一員として協会に所属していた。

図 3 ③『フタゴノ象ノ子』原書と翻訳版の表紙
図 5 ⑤ 『たくさんのお月さま』原書と翻訳版の表紙
図 7 ⑦『ねむたいライオンの子』原書と翻訳版の表紙 図 8 ⑧『カモさんおとおり』原書と翻訳版の表紙 (図 1 〜 8 の原書表紙については、カバーが取れてなくなっているものもあると 思われる) 上記の①②③は戦中に、④⑤⑥⑦⑧は終戦後まもなくに翻訳されたものである。 終戦の前後では、社会的背景が全く異なっている点にも留意が必要である。戦中は 国内において児童文化にも統制が及んでおり、殊に敵国の絵本を翻訳することは困 難だったという。しかし終戦後の占領期には、GHQ の斡旋もありアメリカの絵本 が多く移植
図 16 『エブラハム・リンカーン』原書と翻訳版の比較 原書と翻訳版を比較した結果、『エブラハム・リンカーン』では“左開きヨコ組 み”から“右開きタテ組み”に組み直している事が明らかとなった。さらに絵は逆 版印刷されている。図 18、図 19 にみられるように、原書で人馬が書字方向と同じ 方向を向いているのに合わせて、翻訳版で絵を逆版にして、人や馬の向きを変えて 配置していることがわかる。  ⑦『ねむたいライオンの子』小峰書店、1950.4 図 17 『ねむたいライオンの子』原書と翻訳版の比較

参照

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