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肩関節研究の臨床応用とリハビリテーション によるスポーツ復帰
昭和大学藤が丘リハビリテーション病院スポーツ整形外科教授
筒 井 廣 明
○座長 それでは,次の講演に移りたいと思いま す.筒井廣明先生ですが,筒井先生,今年の 3 月 31 日に昭和大学をご定年なさるということなので,
簡単にご紹介させていただきたいと思います.
筒井廣明先生,神奈川県立湘南高校ご出身でござ います.昭和大学医学部を 1976 年にご卒業されて,
黒木先生の主催されている藤が丘病院に 1 期生とし て入局されました.その後,1981 年に助手,1986 年 に は 英 国, イ ギ リ ス の Royal National Ortho- paedic Hospital に 1 年 間 ご 留 学 さ れ て い ま す.
1995 年に昭和大学藤が丘リハビリテーション病院 の助教授,1997 年には中華人民共和国の北京医院 の客員教授にもなっておられます.1999 年には藤 が丘リハビリテーション病院の病院長.その後,
2009 年に外科系診療科の責任者,2010 年には昭和 大学の教授となり,現在まで,われわれを牽引して いただきました.旗の台でも月に何回かスポーツの 肩診をやっていただいております.
学会長としては,2004 年 10 月に第 31 回日本肩 関節学会の会長をされております.2007 年には第 15 回横浜スポーツ整形外科フォーラム,それから 2011 年には国際学会である第 7 回アジア肩関節学 会の会長.2012 年には第 38 回日本整形外科スポー ツ医学会の会長.2013 年には第 12 回 ICSES 国際 肩肘関節学会の事務局長.2014 年には神奈川上肢 研究会の会長をされております.さらに雑誌『関節 外科』の編集主幹もお務めでございます.
今日は今までの先生のライフワークであります肩 関節に関して,特にリハビリテーションを中心に,
たくさんのいろいろなお話,歴史的なことも含めて ご講演願えると思っております.先生,どうかよろ しくお願いいたします.
◯筒井 稲垣先生,過分なご紹介いただきまして,
ありがとうございます.同門会総会での講演という このような機会を与えていただいて,感謝いたして おります.稲垣先生と打ち合わせをさせていただい て,今日のお話を「肩関節研究の臨床応用とリハビ リテーションによるスポーツ復帰」というタイトル にさせていただきました.
ポイントは,40 年ぐらい,どうやって肩に関わっ てきたのかということと,どういう人と知り合っ て,信用できる人と長く付き合うことが,結局良い ことだなというお話をしたいと思います.
今日のお話は,入局したてのこの時期からテレビ に数多く出させていただいている最近までです.入 局したての写真の,向かって左が,藤が丘の支部長 をやっている森下益多朗先生と,真ん中は俺です.
そして,右を歩いているのが黒木良克先生です.ま あ,こんな時代.こんな時代に何をしていたんだろ うというところからのお話をさせていただきます.
さて,肩関節の歴史,世界の歴史をまとめてみた のがこの表です(図 1).黄色の字が日本開催.で,
最終講義
図 1
星印がその会が初めて行われた年数を示していま す.一番上が日本肩関節学会です.日本肩関節学 会,1974 年に研究会として最初に開催されました.
ですから,アメリカとかヨーロッパよりもずっと早 く,実は世界で最も歴史の古い時代に肩関節の研究 会を立ち上げております.アジア肩関節学会は,そ れより約 20 年後の 1994 年に,信原克哉先生の御尽 力で発足し発起人に入れていただきました.
スポーツはといいますと,日本整形外科スポーツ 医学会も 1975 年.日本肩関節学会の 1 年後に第 1 回が開催されました.この時期に,昭和大学は,藤 が丘病院を開院させています.そして,1990 年に はリハビリ病院が開院されました.私が藤が丘病院 の整形外科に入局したのが 1976 年になります.で すから,本当に日本肩関節学会ができて,それから 日本整形外科スポーツ医学会ができて,世界がそう やって動き始めた時代に,医者として活動をさせて いただくようになりました.
これまでのこれらの学会の学会長ですが,山本龍 二先生,藤巻悦夫先生,小生とで,これらの日本肩 関節学会,日本スカンジナビア肩関節学会,日本整 形外科スポーツ医学会の会長をさせていただいてお ります.意外と昭和,がんばっているなというとこ ろがこの年表で分かっていただけると思います.
さて,昭和大学としての肩関節の歴史を見てみま すと,1974 年の第 1 回日本肩関節研究会の発足前に,
1939 年に松丸寛先生の発表,1961 年に永田和弘先 生の発表が見られます.昭和大学では 1964 年に肩 関節診を上村正吉先生が助教授時代に村田恒雄先
生・片桐知雄先生と一緒に開始されているという記 述がありました.その後,学会の発表はそれほど多 くなくて,五十肩に対するもの等が見られました.
昭和大学の肩関節の歴史にとって一番大事なの は,1958 年に石打丸山スキー場の診療所が開設さ れたことです.かなり古い時代でありますが,この 診療所で得られたデータをまとめて,稲垣先生が先 ほどお話されたように,栗山節郎先生がアメリカの
『Journal of Sports Medicine』に投稿されています.
10年間のデータで,1万約5千例.そんな膨大なデー タの肩関節脱臼の結果をまとめていらっしゃいま す.これが昭和大学が肩に関わった古い歴史であり ます(図 2).
藤が丘病院が 1975 年 7 月に開院されました.開 院時は黒木先生,新井先生,海老原先生とともに阪 本先生が兼任講師で参加されています.翌年,山本 先生が入られて,福島先生,金先生が入って,そこ に前期助手として森下先生,渥美先生,小生とのメ ンバーで藤が丘の整形が始まりました.こんな歴史 があります.
私が藤が丘の整形外科に行ったきっかけは,この V サインの福島直先生であります(図 3).福島先 生が熱烈に勧誘をしてくれました.もう亡くなられ ましたが,ものすごくお世話になりました.
そのような時期に始まった肩関節研究会に,昭和 大学としては片桐先生と関先生が,翌年には関先 生,山本先生が発表をしていくようになりました.
関先生が,やはりスキー外傷によるものを発表され ており,やっぱり石打が非常に大きな資料の基に
図 2 図 3
267 なっております.
日本肩関節研究会は 1991 年から日本肩関節学会 に名前が変わりましたが,今は 1,600 名を超える会 員数になっています.
その中で,日本肩関節研究会が出来て 20 年,長 崎でアジア肩関節学会が発足しました.信原克哉先 生を中心にして,山本先生と小生がコミッティーと して入らせていただいています(図 4).その後,7 回開催され,第 7 回は 2011 年に沖縄で学会長とし て会を開かせていただきました.役員会と会長招宴 の写真になります(図 5).このようにして,アジ アの中で肩関節外科が組織としても学問的レベルで も充実してきています.
アジア肩関節学会とほぼ同じ時期に,韓国が肩肘 学会を立ち上げました.1993 年です.これは韓国整
形外科学会の 50 周年に招待講演で呼ばれた際に,韓 国肩肘学会の中心人物たちが一席持ってくれた写真 です.この時に,私の左側にいられる先生が,ハー 先生という第一回の韓国肩肘学会の会長さんであり ます.その後,この食事会に参加された皆さんが会 長をやられてます(図 6).
昭和大学の同門会が藤が丘と旗の台で別れていて も肩の世界では,皆さん仲良しで,これは第三回の スカンジナビア日本肩関節学会がコペンハーゲンで 開催された時の写真です.みなさんの知っている顔 があると思います(図 7).その次の会は 1995 年に 奈良で第 4 回日本スカンジナビア肩関節学会を開催 し,その時の会長を山本先生と奈良の尾崎先生が務 められました.この会には,藤巻先生がご夫婦で参 加してくださいました(図 8).
図 4 図 6
図 7 図 5
このような肩関節の歴史の流れの中で,どのよう に自分が考えてきたかというお話をさせていただき ます.
藤が丘が開院して,入局をした時に,黒木先生か ら,博士論文のテーマは「肩の血行」をやれという,
とんでもない話をいただきました.まとまった論文 は世界中にないテーマで,骨髄に骨髄穿刺用の針を 刺して,造影剤を高圧で流して静脈還流が起こる状 態を撮影したり,胎児屍体に造影剤を入れた標本か ら胎生期の動脈分布を調べたり,成人屍体の血管標 本と主要疾患の選択的動脈造影像などから臨床的に どういう変化があるかというところまでで,論文を まとめさせていただきました.この頃,3 年下の安 楽が肩班に入ってくれて,一緒になって,骨髄静脈 造影と動脈造影もやって,関節鏡を臨床応用にこぎ つけることができました(図 9).
関節鏡は 1978 年頃から独学で始め,1981 年,入 局して 5 年目で発表させていただきました.これが 第一報です.これは実は,肩関節内ではなくて,肩 峰下滑液包の鏡視をやったので,たぶん世界で初め てだと思います.肩峰下滑液包の二重造影等もその 後やって,やはり,肩峰下滑液包が肩の痛みのとこ ろではやっぱり見ていくべきだなということで始め た仕事がこれです.
その頃です.この Ian Bayley という真ん中にい る男が,第 10 回日本肩関節研究会に招待講演のた めに長崎に来られました.成田から帰国させるとい うことで東京での案内を任されました.向かって左 端の関英正先生には,肩の勉強をする際にすごく僕
はお世話になりました.この東京を案内したのが きっかけで,イギリスに留学することになりまし た.それが Royal National Orthopaedic Hospital で London の北部の Stanmore という所にあります.
ここに 1985 年から 1986 年まで留学していました が,その時に Bayley の上司だったのがこの Lippmann Kessel という男です.Kessel と一緒に学会へも参 加したりしたのですが,僕が留学して,その数か月 後に彼が亡くなりました.このセレモニーは,新聞 にも載りました.この人はすごい人で,後で知った ことですが実は,今の国際肩肘学会の第 1 回の会長 です.Bayley はその時の General Secretary をして いて,その時作った『Shoulder Surgery』という本 をくださいました.
イギリスで Bayley に会って,Kessel に会って,
その後,Bayley が機会あるごとにいろいろな人た ちを紹介してくれました.CopelandやWallaceなど,
当時イギリスで肩をやっているトップは 5,6 人し かいませんでした.そんな世界でした(図 10).
その結果,それが福岡の第 3 回国際肩関節学会で も多くの知己を得ることができましたが,2013 年 に日本で国際肩肘学会をやるための,さまざまな後 押しをしてくれたのが,実は,留学していた時の Wallace であったり,Copeland でした.古き良き 友達である彼らの支えなくしては,実は日本での国 際肩肘学会は実現しなかったのではないかというふ うに考えております.
私が留学をしに行った 1985 年,イギリスでは関 節鏡が始まったばかりでした.アメリカではその数
図 8 図 9
269 年前から始まっているのですが,イギリスはその数 人の男が関節鏡というものを始めたばっかりでし た.これは,Bayley が関節鏡をやっている写真で あります.ですから,イギリスに行って何をしてい たかというと,関節鏡に関しては,そのテクニック を教えたり,読み方を教えたり,留学生を対象にし た Lecture course で講演もしていました.
Bayley から習ったものの中で一番大きいのは,
「信用できる人には自分の知っていることはすべて 見せ,自分の友人にはすべからく紹介してあげる」
という考え方で,さらに Kessel が行っていた Trans- acromial approach という,前外側からのアプロー チで腱板や人工関節などの肩の手術ができるんだぞ というのを習いました.もう 1 つは,そこの理学療 法士に,バイオフィードバックのエクササイズを 習ったことです.これでボランタリズムがある患者 の治療ができるんだぞということを習いました.
さらに,当時,これは Stanmore の外の景色が見 える手術場ですが,世界的にリウマチであったり,
腱板の大断裂であったりという患者さんに対して は,人工骨頭や人工関節ではことごとく失敗してい ました.それで,Stanmore は何を考えたかという と,こういうタイプのトータルショルダーによる治 療で,そこそこの成績を出していました.これの欠 点は,レバーアームが長いことです.ですから,
Glenoid 側のルースニングが非常に多くて,結局ダ メにはなったのですが.今もリバースに繋がる考え 方をしているこの Stanmore で開発された人工関節 を習いました.
そんなことをして日本に戻って来てから何をした かというと,一匹狼でやっている肩のメンバーで肩 症例検討会とういうのを立ち上げました.小川先生 が慶応で,高岸先生が北里,玉井先生が東大で,中 川先生が医科歯科大学にいた時代です.この 5 人 が,困った症例を相談する相手がいないということ で発足させたのが,肩症例検討会.ずっと繋がって 84 回やっているのですが,2000 年頃に,今まで勉 強してきた事を肩症例検討会のメンバーだけでなく 皆さんにも勉強して欲しいということで,本を 3 冊,肩症例検討会の皆で作りました.それが,『症 例から学ぶ肩疾患』ということで,1 例 1 例大事に 診ようねというというコンセプトであります.
この研究会を母体にして,関東肩を語る会という 症例検討の勉強会を 1993 年に立ち上げました.代 表幹事を山本先生にお願いをして,24 回開催しま した.この写真は昨年,この会の幹事会に山本先生 に参加していただき撮った写真です.山本先生の公 式な学会とか研究会とかいう所での最後の写真にな ります(図 11).
その後,1990 年,リハビリ病院ができました.
誰が飛んで行くかなと思ったら,当然のごとく,
やっぱり私です.藤が丘からはじかれての配置転換 になりました.配置転換と言われたらまず考えるこ とは,医局を辞めるか,そこでドボッと浸かるかど ちらかです.ドボッと浸かることにしました.リハ ビリ病院へ行くのですから,それに関わるような研 究をしようかなというふうに思って,準備をして,
この時期にはリハビリに関するデータ取りと研究を
図 11 図 10
山ほどやり,91 年から 94 年までに多くの学会発表 をしました.
この頃に基礎研究と臨床研究を行い,腱板の機能 訓練という運動療法を作りあげたのが,その後のい ろんな治療,あるいはスポーツの関わり等に入って いくきっかけになります.
リハビリ病院がオープンして翌年の 1991 年です.
牛島和彦氏が日本のどこでも治せないといって,も う諦めて,リタイアする直前に鹿児島のチームドク ターからの紹介で来ました.それから本人もびっく りするくらいのペースで治しました.治したこと で,マスコミが飛びつきました.牛島氏も論理的に ケガからの復帰をマスコミに正直にしゃべってくれ たので,その後,プロ野球 12 球団の多くの選手や バレーボールの選手たちが,栗山英樹氏曰く「駆け 込み寺のごとく」ウチに集まりました(図 12).
その中で,何人かの選手がリハ病院で治しても らったお礼に,当時の小児訓練室に来ていた子ども たち 80 人ぐらいを,家族と一緒にバスで,球場へ 招待してくれました.その後,複数の選手が引き継 いで数年間にわたり,子供たちを球場に招待してく れました.とても彼らには感謝しています.今で も,みんなでいろんな事を考えながら,野球に関し てどうやって行ったらいいかというお話をする仲間 ができました.
リハ病院に行って 10 年経って,今まで多くのス ポーツ選手が来て,治していったり,あるいは失敗 したり,選手と一緒にデータ取りをしたりした結果 を,できるだけ多くの人に伝えようということで,
「スポーツフォーラム 21」を始めました.21 世紀に なった 2001 年に第 1 回を開催し,今までリハビリ 病院にかかわってくれた全国の肩をやっている人た ちに声をかけ,職種に関係なく,1 つの土俵でしゃ べる場を作りました.
さらに,同級生の鬼丸先生と今給黎先生との計ら いで今給黎病院で約 10 年間,25 回のフォーラムを させていただきました.また,亀川先生に口利きを していただいて,岡山のほうで,こちらも約 10 年 間,フォーラムをさせていただいて,その地域で肩 に悩む患者さんの治療ができるようにと思って啓蒙 活動をさせていただいています(図 13).
この間,もうみなさんご存じのように,ワール ド・ベースボール・クラシックではここに出ている 2 人の先生がチームドクターとして帯同されて,活 躍されています(図 14).2012 年に第 38 回の日本 整形外科スポーツ医学会の学会長をさせていただい たのは,実は,10 数年にわたる多くの人たちの支 えがあっての結果と思っております.この学会の特 別講演に真ん中のラグビーワールドカップの実行委 員長である森先生を呼んでくれたのが,ウチの鈴木 一秀先生で,彼が早稲田のラグビー部のチームドク ターをやっている関係から,依頼をしてもらって,
講演をしていただくことになりました(図 15).
さて,リハビリ病院に配置転換になって,とにか くやった仕事,もう夜中までいろんなデータ取りを してやりました.なぜこんなことができたか,何を 考えたかっていうと,最初に考えたのは,肩関節の 安定化機構というテーマです.そして Cuff-Y エク
図 12 図 13
271 ササイズの開発と Scapula-45 撮影法の開発.これ らが 1990 年以降,受診した選手の約 8 割 5 分ぐら いだと思いますが,有効な治療結果を出すことので きた組み合わせです.
肩関節の安定化機構,なんでこんなもん,この時 期に? と思われるかもしれません.実は,山本龍 二先生は,肩関節脱臼は大好きでした.その治療を 山本先生は,Oudard という方法に,慶応の岩原先 生が変法を加えた変法を,さらに変法をした山本変 法というのを使われて,肩関節脱臼の手術をされま した.この烏口突起を延長する関節外制動法を日本 でやっていたのは,ほぼ山本先生 1 人です.
当然,なぜこんな手術方法で肩関節の制動ができ るんだろうという疑問は,誰もが抱く訳で.多くの 肩関節をやっている先生方から,「お前,これ,ど ういうことだよ?」,「ちゃんとわかるように説明し ろ」という問い合わせがいくつも来ました.それ で,これを証明するために,つまり,Oudard‑ 岩 原 ‑ 山本変法というのが,肩関節脱臼に対して有効 な治療法であるということを証明するために,肩の 安定化機構の研究をしました.それがこれです.2 つの物体がある時に,どうやったら,動きとして安 定した方向に動くんだろうということ.肩に特有の ものは何なんだろうということ.そういうものを発 表しました.その結果を,肩関節を形成する上腕骨 頭と関節窩の骨と軟骨の形状という体表から動かせ ないもの,関節包と腱板という動く物,さらにアウ ターマッスルと肩甲骨などの機能に分類しました
(図 16).
ですから,脱臼では骨・軟骨の損傷に関節包の損 傷が生じ,腱板断裂では関節包と腱板の損傷が生じ ます.そうなると,構造的に壊れたもの以外である,
このアウターマッスルや肩甲胸郭関節が非常に重要 な因子を持つんだなということが,分かります.
当時はなかなかこういうことを研究できる方法が 無かったものですから,レントゲン透視を使って,
シネラジオグラフィーで検証をしました.そうしま すと,上肢と肩関節の角度変化を見ると,こういう ふうにスムーズに動くのですが,痛みがある症例は 骨頭が小さなスリップを繰り返していることが分か りました.つまり,こういうメカニカルなストレス が,きっと病態を作っているんだろう.つまり,関 節を刺激して,痛みを出すということを起こしてい るんだろうということが,このシネラジオグラ
図 16 図 14
図 15
フィーの研究で分かりました.
そうすると,もし,これが運動軸のブレで起こる のであれば,そういう運動軸がぶれないようにする 治療が必要になります.でも,先ほどの肩甲胸郭関 節,あるいはアウターマッスルが関係して起こるの であれば,肩関節に生理的範囲を超える動きを強い ていることになるので,運動機能が低下した部分の 機能を向上することが必要だろうという,治療の対 象を 2 つに分けることができました.
このブレないために必要なのは何だろうと考えた ら,みなさんの知っている腱板です.腱板というの は,運動軸がブレないようにする組織だよというふ うに教わっていました.じゃあ,腱板ってどのよう にして働いているのかという疑問を持ちました.そ れで,筋電図で腱板ってどうやって動いているんだ ろうというところの研究を始めていきました.
そうしますと,分かってきたのは,腱板は動作時 の,確かに支点を作るものなので,腱板機能が低下 すると,上手く支点が作れないということが証明で きました.だから,関節組織のメカニカルストレス が生じるのであろうと.
実は,留学が終わって翌年に,ベルギーの整形外 科学会に招待されました.僕はこの時,関節鏡のレ クチャーをしました.一緒に講演したのがフラン ク・ジョブです.学会が終わった後の食事会でジョ ブと同じテーブルで食べていたら,関節鏡の講演を 聞いていたジョブが,なぜ,日本のプロ野球選手は わざわざオレの所に来るんだろうという話をしまし た.いやいや,日本は有名なあなたの所で治療した
ということが,選手に必要だからねという返事をし ておきました.
日本に帰って来てから,野球選手の治療を行って いると,手術自体がアメリカに劣っている訳じゃな いのに,ジョブの手術成績,つまり術後成績がいい ということは,リハビリが違うんだろうというふう なことを考えました.当時行われていたのは,この ジョブが考えたCuffエクササイズです.これがペー パーになったのが 1987 年ですから,ちょうどベル ギーで講演した年です.この年に,ジョブはペー パーにしています(図 17).
そこで,最初にやったのは,当時行われていた ジョブの腱板の訓練を検証することで始まりまし た.ほんとにこれが腱板の訓練になっているのだろ うかと.ジョブのエクササイズをいろいろ調べた ら,腱板自体の機能向上にならない場合もあるとい うことが分かりました.それで試行錯誤して検証で きた腱板の訓練方法がこれです.腱板自体の筋収縮 を起こすには,極めて低負荷の運動が有効であると いうデータが得られました.
その結果,作ったのが,Cuff-Y エクササイズと いうエクササイズで,1992 年に報告をさせていた だきました.腱板の機能と,肩甲骨の機能と両方が 非常に大事なんだよという運動療法の概念を報告さ せていただいて,その後,Cuff-Y エクササイズと いうのが肩の運動療法の非常に有名な療法になった 訳であります.
このスライドのようなものです.蓋を開けてみれ ば,ごく単純な話で,腱板の線維方向への軽いリズ ミカルな動きが,最もよく腱板の筋収縮を促します よというだけの話であります.突き詰めるとこうい うことになりました(図 18).
たとえば外転運動で,調子が悪い時は棘上筋ほと んど動いていません.三角筋とか僧帽筋が一所懸命 活動しながら,外転運動をさせています.これを訓 練した後は,腱板が活動するパターンに変えること ができました.つまり,同一の運動をやっても,参 加する筋の活動パターンを変えるということができ る,これがわかりました.他の方向に関しても同じ 事です.
また,こういう症例がありました.下垂位で重錘 負荷を加えていっても,棘上筋が収縮せずサイレン トです.三角筋もサイレント,僧帽筋もほとんど動 図 17
273 きません.当然レントゲンは上腕骨頭が下方に逸脱 してしまっています.手を上げたら関節の適合性が 得られません.この人は,他の複数の病院で手術を 何回も受けているのですが,全部失敗しています.
先ほどの Cuff-Y エクササイズの運動療法を行った ら,負荷に応じて棘上筋の筋活動ができるようにな りました.僧帽筋も動いて,肩甲骨も動くようにな りました.当然のごとく,レントゲンは正常にな り,症状もなくなりました.このような症例を積み 重ねることで,多くのデータを取ることができまし た.そうすると,腱板機能というのは大事大事って 言われているけど,結構いい加減に行われている.
実は,訓練環境を上手に提供できれば,再教育をし て,機能の向上ができるユニットであるということ を証明することができました.
もう 1 つの,この生理的な範囲を超える動き,こ れに関しても,先ほどの肩甲胸郭関節,あるいはそ れ以外の体幹もそうですし,下肢も影響を及ぼすこ とがわかりました.例えば,この被験者の前胸部に テープを張りました.そこの動きが少し固くなりま す.そうしますと,横から見ると姿勢が変わりま す.挙上をしてもらいました.同じ被験者が同じ時 にやって,こんなに動きが違います.つまり,この 差,この差を残っている肩で補正をしないと思った 所に手が動きません.あるいは,腰を反らさないと できません.ですから,たったこれだけで,肩や腰 に無理を掛けることになります.こんなデータを取 ることも PT と一緒にやって,さまざまな部位が肩 に影響を及ぼすことが分かりました.
右の広背筋にテープを張りました.姿勢がちょっ と変わります.最大挙上をしてもらっても,これし か上がりません.そうしますと,もし,これが右投 げのピッチャーだったら,当然右の肘は下がりま す.体幹を左に向けて補正をしようとしますし,肘 がイメージよりも前にあるので,後ろに引こうとし ますし,肩は伸展方向に動くから,体の開きが早い というフォームになってしまいます.これが,この テープ 1 本のデータで推察することができるように なります.そうすると,肘が下がったり体の開きが 早い選手を診察する際に広背筋の運動性をみるよう になります.ということは,こんなフォームで投げ ているピッチャーがいたら,広背筋をちょっと緩め てみたら,変えれるかもしれません.その可能性が あるということです.このような繰り返しです.
このように,たった 1 か所,動きの制限があるだ けで,フォームも変わるし,肩肘に無理が掛かりま すよということが分かりました.
挙上という複合動作では,いろんなものが係わる 訳です.この人たちは無症状です.自分の手はちゃ んとまっすぐ天井に向かって上がっているという認 識です.上肢の角度も違うし,鎖骨の角度も違う し,肩甲骨の向きも違います.バラバラです.この ように,五十肩でも投球障害でも,実はこの動きの イメージと実際の動きの違い自体が,運動器である 肩を壊す.そういうことが往々にしてあるのですよ という写真です.
さらに,肩の場合は,実は見掛けは同じように腕 を動かしても,肩甲骨の対応はバラバラです.肩甲 骨自体が上手に上肢の動きに対応できない場合も多 いので,そういう意味からすると,上肢の動きと肩 甲骨の動き,そういうものをどうやって診ていくか ということが,実は,上手に治療をするポイントに なるということも分かりました.
つまり,運動軸のブレの場合は,とにかく腱板機 能をどうやって向上させるかということを考える.
もし,生理的範囲を超える動きを強いられるのであ れば,それを強いているような,他の部位の運動機 能を向上させる.要するに窮屈な洋服を着て手を挙 げているようなことだったら,窮屈な洋服を脱いだ らどうですかということが治療になります.
この Cuff-Y エクササイズを報告したのが 1992 年 です.データ取りはその 3 年前からやっています.
図 18
この時期と 1998 年に実業団 11 チームのトレーナー にアンケート調査をしました.インナーとアウター という言葉もこの訓練から一般化しましたが,この バランスを考慮した腱板訓練は,いつ頃からやって いますか? と聞きました.一番多いのは 1995 年 です.ですから,これがいいぞという学会発表をし て,みんながそれを認識するようになって,やるよ うになるのに,だいたい5年かかるということです.
その頃のデータで,腱板の機能不全と診断したの が,約 96%ありました.肩甲骨とか体幹下肢とか の機能不全は非常に少ないのが 1990 年の初頭でし た.1998 年には腱板訓練がやっとみんなに普及し たので,腱板機能不全は減って 60%になりました.
その代り,肩甲骨,体幹が動かなくなった人が増え ました.
なぜ増えたのだろうと考えたら,実は,この当 時,メジャーリーグでウエイトトレーニングが盛ん に行われるようになりました.ですから,メジャー で行われたことは良いことだと思って,日本のプロ もそうですけど,実業団も取り入れました.その結 果,トレーニング自体もこの 8 年でオープンカイネ ティックの部分が増えています.
このような結果からすると,そういうトレーニン グ効果というのが,実は,肩の障害に影響があるん ですよという結果でした.
この頃は,ちょうど鏡視下手術がだいぶポピュ ラーになってきた時期で,この本を出させていただ きました.また,メディカルチェックも始まり,こ れは高知県のデータですが,中学生,高校生のメ ディカルチェックで,陽性所見が徐々に減っていま す.つまり,メディカルチェックが,結構有効だと いうデータをこの森澤豊先生が出してくれました.
ウチは 1999 年にプロ野球のメディカルチェック を始めました.こんな,いろんな部位を全部見るの ですけども.そうしますと,1999 年,22 名のメディ カルチェックをして,問題点が,選手によってこれ だけバラつきます.結果をまとめてみますと,やっ ぱり肩肘が多くて,次が腰,その次が足でした.こ の球団の肩肘痛を認めた選手の割合は,2000 年に はまだ 50%位ありました.翌年も変わらなかった で す が,3 年 目 か ら 30 % 位 に な り,2005 年 に は 10%を切るまでに減少しました.つまり,5 年間続 けることで,ほとんどの選手が肩肘痛が無くなった
ということです.その年にこの球団はアジアチャン ピオンになりました.それぐらい,メディカル チェックというのは,上手にチェックの結果を還元 できると,選手たちを良い状態に持って行くことが できるということがわかりました.
たとえば,このプロ野球選手.この選手,2006 年は特に問題なく,2007 年には右肩がどうも変だっ たとの訴えがありました.2006 年は投球側ではな くリードする側の肩の機能が低下していました.メ ディカルチェックの結果が左で,選手に渡すのはそ れと右側のコメント,こういう運動をしてください ねというのを渡します.2007 年で,右肩が気になっ ていた時は,右肩の投球側のほうの機能低下が目立 ちました.その結果をもとに選手に行わせた運動が これです.
このように,チェックするだけでは,選手は絶対 やってくれないので,必ずわかりやすい,具体的な 方法を選手とチーム・トレーナーに渡すことが効果 を出したと思われます.この肩の機能診断に有効 だったのが,Scapula-45 撮影です.今はこの 4 つの 撮影条件で 6 枚の写真を撮影しています(図 19).
例えば,この選手は最大挙上をすると,鎖骨がうま く上がりません.肩甲骨が本来は 60 度上方回旋す るのに,うまく動いてくれません.Thumb up で 下垂位から 45 度外転位動かすと,正常では肩甲骨 は 15 度上方回旋するのですが,リードする側は,
むしろ下方回旋をしています.また,同時に,外旋 を生じています.もし,肩甲骨の上方回旋機能が正 常である,つまり,イメージ通りに動かせれば,今
図 19
275 の動きとの間に,これぐらい角度差ができてしまい ます.また,投球側も下垂位の段階で下方回旋して いるので,15 度上方回旋しても,選手がイメージ した位置よりも,肘が下がっている状態になってい ます.また,リード側と同じように外転に外旋運動 が生じた複合運動になっています.
この選手の肩の運動機能をまとめると,肩の最大 挙上で両側共に肩甲骨の上方回旋が少なく,肩の外 転に伴う肩甲骨の上方回旋が不良で,さらに,外転 運動に外旋運動を必要としているという結果です.
この Scapula-45 撮影像から推察できる動作は,リー ド側はイメージよりグラブの位置が低く,投球側も イメージよりも肘の位置が低くなります.さらに,
スライドのようなさまざまなフォーム上の問題点が 推察されます.このような,機能上の問題があるか どうかを推察できる撮影法なので,これを確認する ために理学所見をとる行為が大切になります.
さらに,投球というのは,ボールにエネルギーを 伝えて,意図した所に動かす全身運動ですが,加速 してからリリースまで 0.14 秒という非常に速い動 きと言われています.この速い動きをする選手の投 球動作から僕のように野球素人でも,どうやったら 治せるのだろうかと考え,1 つずつの動作を分けて,
それぞれに必要な身体機能をリストアップしてみま した.各関節ごとにまとめてみると,全身運動であ る投球動作遂行に際して必要な各部位の運動機能 は,最低限,これくらいは必要だということが分か りました.
この中で,肩の動きを単純化してみると,内旋,
外旋,外転,内転に集約されます.つまり,外来で 診察する時は,この単純な関節運動の正確性を診る ことが大切だということが解りました.このような 方法で,さまざまなメカニカルストレスで生じるで あろう関節障害を,単純な動きが正確にできるかど うかを診ることで,もし患者さんが単純な動きがで きずに異なる動きをしたならば,どうしてこの人は こんなことをしちゃうんだろうということを考え,
関節を壊してきたストーリーを考えるようになりま した.そうしながら,そのストーリーを変える,つ まり治療するにはどうしたらいいかを考えること が,病態を有する患者さんを診察して,その結果か ら治療方法を考えるポイントだろうということを,
この 30 何年間で学びました.
肩の障害としては,病態はメカニカルストレスに よる組織損傷で,全身運動に不都合が生じてますと いうことを頭に入れておいて,基礎的な研究からは,
病態発生因子としては,1 つは肩関節運動での運動 軸のブレ.もう 1 つは生理的な範囲を超える運動が 肩関節に無理を強いている.そうなると,相対的な 腱板機能の向上が必要だろうし,生理的な運動機能 に無理をかけている他部位の運動機能向上が必要と なります.ここを診察に際しては,見分ける.
臨床では,上肢と肩甲骨の連動による意図した動 きが正確にできるかどうかを診るのですが,それ以 外に立位バランスであったり,股関節の可動性,胸 郭,前腕等々を診ることが大事だろうということが 分かりました.この基礎と臨床を,結びつけるのが 理学所見です(図 20).
だから昨今,画像診断だけで判断して,治療方針 を決める人が多いんですけども,それよりもむし ろ,患者さんをしっかり診て欲しいな.これが,今 日の講演の皆さんへのメッセージです.当然,基礎 的な知識も臨床の知識も,手術を含めた医療技術も 必要ですが,患者さんをしっかり診てあげて,治す ことが,臨床の最も基本で大切なことだというふう に考えます.
特に,患者さんの心と体とのコミュニケーション が取れれば,どんな患者さんでも,僕は治療できる んだろうと思いますし,それを証明するのが,今 日,タイトルに入ってきた,リハビリテーションと いう考え方です.穴の開くほど,とにかく患者さん を見れば,治療方法は必ずみつかります.僕はそう
図 20
いうふうに信じております.
これを教えてくれたのが,藤が丘の理学療法士た ちです.技師長だった山嵜勉先生がすばらしい理学 療法士達を育てました.育ててもらったこのトップ 3 を中心に山嵜先生の退職に合わせ 1997 年にこの 本を出版させることができました.その後もこの 3 人が多くの理学療法士を育て,2009 年にこの『結 果の出せる整形外科理学療法』という本を出版させ ました(図 21).
小生の恩師である山本龍二先生には,もうほんと にお世話になりました.在職中のすべての症例は山 本先生を紹介されて藤が丘へ来られ,この数多くの 症例を診させていただき,治療に携わらせていただ いたことが 1990 年以降の活動に生きています.山 本先生の退任に際しては,この『肩関節クリニッ ク』という本を監修していただくことで記念になっ たと思います.僕の仲間は,学会長をした日本肩関 節学会に合わせて,三原研一先生を中心に『肩の診 かた治しかた』を作ってくれ,理学療法士の山口光 國が俺と一緒に『投球障害肩 こう診てこう治せ』
を作り,さらに,リハビリテーション病院の看護部 が総動員をして,『整形外科ナーシングのポイント』
を作ってくれ,これらはいずれもロングセラーと なっています(図 22).
この 3 人の先生方,上村正吉先生,藤巻悦夫先 生,山本龍二先生には,私が肩をこれだけ続けるに 際して,ものすごくお世話になりました.この笑顔 がもう見られないというのが,非常に寂しい限りで あります(図 23).
是非,皆さんは,患者さんを良く診てあげるとい う臨床の基本とともに,本当に信頼できる人との繋 がりを大事にして,これから頑張っていただきたい なというふうに思います.オール昭和でカダバート レーニングをハワイで 2014 年から始めましたので,
是非,参加していただいて,オール昭和での活動を していただきたいなというふうに思います(図 24).
これから昭和の整形外科を担っていただく先生方 には,いい人との繋がりという「人の輪」を拡げて いっていただきたいということを願いまして,講演 を終わらせていただきます.どうもご清聴ありがと うございました.
◯稲垣 筒井先生,どうもありがとうございまし た.せっかくの機会ですので,ご質問がありました ら,どうぞ.
筒井先生は,診察する時に絶対座らないんですけ れども,これはロイヤル・ナショナル・ホスピタル の恩師の先生の影響なんでしょうか.
◯筒井 座らないのは,患者さんの立ち姿を診た い.つまり,歩いて入ってきている姿を診て,どう やって荷物を置くのか,あるいはどうやって扉を開 けるのか.で,どうやって立っているのかを知りた い.つまり,座っちゃうと,骨盤から下の状態が診 えないので.ですから,診察して肩に力を入れる時 も,立った状態で.だって,座ってやる行動って,
非常に少ないんですよね,実は.人間の移動行動の 中では,やっぱり立ち歩きというのが多いですか ら.その状態,自然のままを診させてもらうのに,
やっぱり立ってかなと.これは,イギリスは違いま
図 21 図 22
277 すよ.イギリスはちゃんと座っていますから.
◯稲垣 そうですか.
◯筒井 アメリカもそうですけど,みんな座りま す.僕だけかもしれません.
◯稲垣 ありがとうございます.あと,インナー マッスル・エクササイズですか,あれは先生オリジ ナルだと思うんですけど,なんかこう,ヒントとな るものっていうのはあったんでしょうか.非常にあ れ役に立っていて,患者さんが非常によくなりまし たよね.
◯筒井 先ほど話したみたいに,1990 年当時の野 球界は,アメリカのジョブの所へ行けば何でも治る と思っていました.その頃,ジョブと話をして,い や違うなと思っていたので,なぜ違うかというの を,日本で肩をやっている仲間と話をして,その治 療技術,つまり手術に関して,日本が遅れている話 ではない.同じ手術をしたとして,治りが悪いん だったら,どこか他にポイントがあるだろうと.そ れはリハじゃないかって.ということは,ジョブの 所でやっているリハビリが,実は俺たちに伝わって いないものがきっとあるんじゃないか.なんか隠し ているぞっていう話になって,それを検証するとこ ろで,あ,これは効くんだ,これは効かないんだと いうのが分かったと.
だから,僕,みなさんに申し訳ないんですけど,
文献という人の書いたものは信用しない性質なんで す.昔,先ほどの福島先生にはもう,滅茶苦茶怒ら れて,「おめえな,3 冊ぐらいの月刊誌は最低でも ちゃんと読め」って言われて,読みっこしたことも あるんですけども.本を読むのは大嫌いです.
ですから,人がいいよということも,ダメだとい うことも,自分で納得してから判断します.納得し なかったら,疑って,それを証明します.証明する ことで,自分で納得できたら次をやるということ を,繰り返している男なので.ペーパーを非常に大 事される先生方には申し訳ないんですけども,鵜呑 みにしないで,自分でほんとに信じられたものはや るべきだし,疑いを持ったら,やっぱり,疑って別 の側面からその論文を見てみるということは,次に 繋がると思います.
◯稲垣 分かりました.若い先生方には特に,運動 連鎖とか,肩のリハビリテーションに関して,もう ほんとに,日本の草分け的存在の先生ですので,是 非,懇親会の時でも,いろいろと先生に質問してい ただければというふうに思います.それでは時間で すので,先生,ほんとにどうもありがとうございま した.
◯筒井 ありがとうございました.
図 24 図 23