子どもに語る 「お話」 の方法論に関する研究 : 岸辺福雄の口演理論
著者 是澤 優子
雑誌名 東京家政大学研究紀要 1 人文社会科学
巻 48
ページ 67‑74
発行年 2008
出版者 東京家政大学
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009239/
子どもに語る「お話」の方法論に関する研究 岸辺福雄の口演理論一
是澤優子
(平成19年10月41ヨ受理)
Study of the Methodology of Storytelling for Children 一Fukuo Kishibe s Theory of Storytelling一
KoREsAwA, Yuko
(Received on October 4,2007)
キーワード:口演童話,岸辺福男,口演技術,子供化
Key words:storytelling, Fukuo Kishibe, technique of storytelling, become a child
はじめに
近年のブックスタートに象徴されるように,子どもと 共に物語を楽しむ活動がますます重要なこととして意味 づけられてきている.なぜ大人たちは子どもに物語を語 るのだろう.本研究の目的は,近代化の過程で幼児に
「お話」(本稿では子どもに物語を語ることを意味する.
以下,お話)を語った大人たちの意識を明らかにするこ
とである.幼児がお話を聞く場は主に家庭であった.明治期に近 代化を推し進める国の政策が,人々の生活環境や価値観 に大きな影響を与えたことは,改めて言うまでもない.
明治20年代以降,昔話に内在する徳育的な価値が教育 効果の点から評価され,幼稚園や小学校教育に導入され た.小学校の教科書に桃太郎や猿蟹合戦などの昔話が教 材として取り入れられ,明治30年代には幼稚園教育の 保育項目「談話」の中に,子どもにお話を語って聴かせ る事が位置づけられる.共同体や家で営まれた語りの場 は,教育実践の中にも組み込まれていった.
同じ頃,大勢の子どもたちに物語を語って聞かせる
「口演童話」が誕生した.筆者はこれまで,明治大正期 の幼稚園教育と家庭教育における「お話」の方法論と展 開を検討することを通して,幼児教育に関わる大人たち の教育観の一端を明らかにしたD.「大人と子どもが物 語を共有する営み」がどのように近代化されたのか,且
っ,「子どもに語る大人たちの意識」を明らかにしよう とするならば,口演童話家たちの活動やその意識を視野 に入れて探究する必要があろう.
そこで本稿では,巌谷小波,久留島武彦と並び口演童 話の三大家と称された岸辺福雄に注目する.岸辺は幼稚 園の園長として,幼児教育に携わりながら子どもたちに 童話の口演を行っていた.幼稚園開設後に出版した著書
「お伽噺仕方の理論と実際」(1909)は,童話の口演に関 する日本における最初の理論書といわれている2).子 どもと生活し,日々語っている者が,その実践からどの ような理論を導き出したのか.そこに表れた岸辺の意識 を明らかにする.
児童文化研究室
1.岸辺福雄の経歴
岸辺福雄(旧姓佐藤)は,明治6(1873)年2月14日,
鳥取県岩美郡大岩村に藩医佐藤秀林の次男として生まれ た.1896年兵庫県尋常師範学校(御影師範学校の前身)
卒業後,兵庫県豊岡小学校で訓導を務める.訓導時代に 子どもの遊戯と教育との関連に関心を持った岸辺は,
『実験新遊戯」(1899),『遊戯的教授法』(1902)など,遊 戯研究分野で先駆的な著書を出版している.明治33
(1900)年,京都府久美浜町の岸部かよと結婚,婿入り して岸辺福雄となる.
明治35(1902)年に上京して東京府青山師範学校講師 となる.幼児教育を自分の天職と信じた福雄は,翌36
(1903)年に東洋幼稚園を創立,牛込区納戸町の自宅を
是澤 優子
園舎にする.開園後数年間の園児数は僅かであったが園 児数が増えたため,同43(1910)年神田北神保町に園舎 を新築し,併せて東洋家政女学校を開設した.同42
(1909)年『お伽噺仕方の理論と実際』をまとあ,大正 13(1924)年には『童話の実際と其批評」(翻訳書)を出 版した.東京保娚母養成所の講師として「童話」を担当.
童話の研究においては「楠々会」に属していた.
また,大正9(1920)年には「日本児童自由画協会」
(のちに「日本自由教育協会」と改称)設立時に同人に 加わり,同協会機関誌『芸術自由教育』誌を山本鼎,北 原白秋,片上伸と共編で出版した.観察絵本『キンダー ブック」(1927)創刊にあたり,編集顧問として倉橋惣三 と編集指導にあたった,昭和3(1928)年から4年間,
東京市議会議員を務め,東京市立光明学校(肢体不自由 児学校)の設立に尽力した.昭和33(1958)年9月9日 没,享年85歳であった.
2.『お伽噺仕方の理論と実際』の内容
①概要
明治36(1903)年に東洋幼稚園を開園した岸辺福雄は,
明治42(1909)年に口演童話の話術を主体とする理論書
『お伽噺仕方の理論と実際』(明治の家庭社)を著した.
子どもに語るための理論と実際を探求して,具体的に記 した日本で初めての理論書であるといわれている.
本書は,〈はしがき〉〈総論〉〈話方の実際〉〈要言一 束〉で構成されている.岸辺は幼児教育者に必要な技術
として,「音楽」「絵画」「談話」をあげている.その中 でも先ず幼児が好むのは,岸辺の経験によれば「談話」
で1あるが,「三技術の中にて最も軽視されて居るは,幼 児教育の為に,大に遺憾である」と述べ,自分が日々経 験したことから導き出した我流の談話術を著した旨が記 3)
.〈はしがき〉に続くく総論〉には,お伽 されている 噺を幼児に話すのは何故か,如何に話したらよいのかと いうことが,88ページにわたって書かれている,参考 のために総論の項目を以下に挙げる.
一 お伽噺は催眠術的の育児法,二 何故に子供はお 伽噺を好むか,三 同じ話を幾度も聴きたがるは何故 か,四子供はいかなるお伽噺を好むか,五日本の お伽噺と西洋のお伽噺六教育上如何なるお伽噺を とるべきか,七お伽噺を話すものの下稽古,八お 伽弁士の服装は如何,九 演壇に上る前の注意,一〇
演壇に上った一瞬時,一一 聴衆が飽きて騒々しい 時の登壇は如何にするか,一二 お伽噺の言葉と声,
一三 潭の中の人物の位置は如何にして定めるか,一 四 物の売り声と身振りの真似,一五 お伽噺の身振
りの十四種
上記のように総論の項目一から六までがく幼児の特質 とお話にっいての概論〉,項目七から一五までが〈口演 する者の心構えや準備を述べた口演技術〉にっいて書か れ,それに続くく話方の実際〉には,「新桃太郎」,「犬 少将」,「勇ましき姉妹」,「あはれな金二郎」の四話が紹 介されている.この他に,語りに関する諸注意が〈要言 一束〉としてミニコラム的に総論各項目の最後に記され ている.本書の前半は,親や保育者が子どもに語るとき にも共通する理論といえるが,後半の談話術は,主に広 い会場で話す男性口演童話家に向けて発信された方法論
となっている.②岸辺の我流一「子どもになる」ということ
子どもに話す場合に,演説術や雄弁法などはあまり参 考にならないので,岸辺は談話術を学ぶための研究所も 書物もない中で児童心理を基礎として落語家や講談師に っき,その秘訣を研究しながら「終に,我流をっくり出 した」という.その我流とは「全く児童になって話せ」
ということであった.っまり,顔っき,身振り,言葉な どを子どもらしくすることが,「お伽噺弁士の最も大切 なる点」であると力説している.
出版されているお伽噺は,十二,三歳の子どもが読め ば意味は分かるが,これを書いてある言葉通りに話すと 意味の通じないところが出てくる.また,文学的趣味を 養うためといって難しい言葉で話す人がいる.「今日の お伽弁士等の言葉は,まだまだ子供化して居ない」と言 い,子どもにわかる言い回しを具体的に示して見せてい る.例えば,「桃太郎が,犬,猿,維子を引率して,鬼 ヶ島の征伐に出発した」という言い方では,幼児には分 からないが,「桃太郎が,犬,猿,維子を引き連れて,
鬼ヶ島の征伐にでかけた」と言えば少しは分かる.さら に「桃太郎さんが,犬,猿,維子の三人をおともにっれ て,鬼をまかしにゆきました」と言えば,幼い子どもに も更によく分かる.言葉を易しく言ったために分かりす ぎて失敗することは決してないので,幼い子どもにも分 かる言葉と表現を大切にすることを説いている4).
但し「子どもになる」という考え方は,1司時代の幼児
教育者たちも口にしていた.例えば,和田実は雑誌『婦 人と子ども』(1906)紙上で,「子供へ話しをする人は
「半分子供になれ』」という理由を,幼児が「説話者の意 気をしっかり察知する」ため,話す人の「言語の種類が,
子供の範囲を脱してはならぬことを戒める」ためと言う .また,東基吉は,『保育法教科書』(1910)の中でお
5)話の方法にっいて,幼児を物語に引き込むような「巧妙 なる談話の秘訣は談話する者先ず自ら談話中の人物と同 化するに在り」と述べている6).
和田と東は岸辺と同様に,語られる物語を子どもが理 解するためには,談話者が「子供化」して物語の人物に 同化することが大切であると説いている.当時の幼児教 育者たちは,子どもが物語を楽しむには,語り手が物語 や子どもを理解する姿勢が重要であると考えていた.
③幼児に適したお話
岸辺は幼児に聞かせる童話を,①寓話,②民族的童話,
③仮作話,④歴史伝記物,⑤庶物談の五っにわけ,子ど もの喜ぶ話にっいて次のように言う7).
庶物の話は,幼児には歓ばれない.歴史伝記物は,
関係するところが広くて,談話中の役者がどうして も多くなりやすいから,幼児にはわかりにくいもの が多い.寓話イソップの如きも,巧みに比喩はして あるが,幼児にはまだわからないから歓ばれない.…
残るものはわつかに,桃太郎,舌切り雀の如き民族 的童話と,近来西洋の童話を骨子として,著された
る所の文学趣味のある仮作的のものである.
さらに,子どもが好む話の要素を以下のように述べて
いる.
1.総てのものを人格化して,犬でも馬でも,石でも 木でも,人間同様に口をきいて,話をするような ものに多く興味を持っ,
2.子供が中心となって居るものがよい.桃太郎の話 が歓迎せらるSには,尚他にも種々理由があるが,
子供が中心としてあるところが,幼児に喜ばれる 点の一っである.
3.諜の中に出てくる役者はなるべく少ないがよい.
対話する場合に,三人以上一時に話すと幼児には 混雑して全く分からなくなる.
4,よしや教育的のものでも,余りに,その矛先が知
れては潭が窮屈になっていけない.丁度,セメン 菓子のように,甘い菓子だと歓んで食べさせて,
そして回虫を下すやり方がよい.
5,一口噺,落語のような尚説明を加えなければ分か らぬようなものでないのがよい.
6.いぢめられたとか,殺されたと云うような,幼児 が恐がるのはさけるがよい.あくまで楽天的のが
よい.
お話は教育上の感化力が大きいので取捨精選が必要で あるが,子どもは面白くて意味のわかる話でなければ聞 かない.子どもに適した話とは,子どもが理解しやすく・
共感しやすく・楽しい話.反対に,悲しい・怖い・残酷 な話は好ましくないと,岸辺は考えていた.教育的とい うことにっいては,「教育的と云う言葉は,実は広い意 味でなければならぬ」,「四角四面の教訓のみが児童の教 育」ではないと言い切る.例えば,勧善懲悪の意味を含 んではいない滑稽な話は教訓的ではないが,滑稽趣味と 文学趣味とを味はせることができ,広い意味から言えば 教育的価値を認められる.子どもの教育のために修身教 科書のような教訓的な話を小学校で聴かせるよりも,低 学年の子どもにはお伽噺の方が適切ではないかと疑問を 投げかけ,教育を広く捉えようと提言した.
新しいものに興味を抱きやすい子どもが,同じ話を何 度も聞きたがることは,その性質と矛盾しているように 見える.このことについて岸辺は自らの体験をもとに,
次のように理由を説明している8).①幼い子どもは記 憶力が不十分なので,同じ話を何度か聞いても全く新し い話を聞くのと同じことである.②繰り返し聴くことで 想像の材料が増え,イメージを膨らませることができる ようになるのが面白い.③子どもは一度話を聞くと,登 場人物に親しみを感じ「友達」になってしまうので,聞
いたことがある話を喜ぶ.
だからこそ幼い子どもには数多く話して聞かせるより も,数は少なくしてたびたび聞かせる方が子どが喜び,
また教育的であると判断している.
3.岸辺の導き出したロ演方法の特徴
先に挙げた総論の項目を見ても分かるように,本書の
口演理論には,下稽古の大切さ,声の使い方,物語に引
きっけるための細やかな工夫など,現代の語り手たちが
読んでも参考になる記述が随所にある.当時の口演童話
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は大会場で催されていたため,技術面に関してはr演壇 に上る前の注意」「演壇に上った一瞬時」「聴衆が飽きて 騒々しい時の登壇は如何にするか」など,広い会場に集 まった大勢の子どもたちに向けて,壇上から口演する技 術を中心に書いている.
岸辺の談話術を特徴づけているのは「身振り」や「声」
による表現の重視であろう.また,絵を用いることもあ るという,これは,語の内容を描いた絵を子どもに示す ことで,子どもの興味を惹き面白がらせることができ,
心により深く刻みっけることができるからだと述べてい
る.
①身振り
「お伽噺の成功と否とは,話其物の良否よりも,寧ろ 話し方の上手下手が主なる原因である,話し方の巧拙は,
一に身振りの如何による」と言い,身振り如何で聞き手 の目の前に物語の世界をいきいきと映し出すことができ ると考えた岸辺は,「お伽噺の身振りの十四種」の項で,
短いお話を例に挙げ,悲哀・失望・恐怖・驚愕・懇願・
思案・決断・感謝・憤怒・禁止・嘲笑・喜悦・戯虐・感 嘆を表すための身振りを例示している9).
例えば「感謝の身振り」は,「声)小さく,調子低く して,緩く重く.顔)頭を下げる.目)頭を下げる前ちょっ と左上を見る.後は伏目になる.口)軽く閉る.体)腰 から前方に折り曲げる.手)左右共指を揃え,右手で左 手の指4本を持ち,左の親指で右の親指を持ち,甲を上
ら サ
v
図ユ.感謝(左)・憤怒の身振り
にして,膝の前に置く.足)両足を揃える」,「憤怒の身 振り」は,「声)大きくして調子高くして,早く強く.
顔)頭を少し左に傾ける.目)砒を引き上げ,目玉を中 央に寄せて,視線を下にする.口)軽く閉る,体)反り 身になる.手)右手を軽く握って急に突き出す.足)踏 みならす」と,声・顔・目・口・体・手・足等の使い方 を細かく示している.(図1)
また,たとえ同じ感情でも,時と場合・男と女・大人 と子ども,老人によって表現が異なり,心情表現の所作 は種々多様であり,「総て身振りは,自然でなくてはな らぬ」,「弁士自身が其身を其話の中の境遇に置けば,自 然に泣きもし笑いもして,聴衆に真の感動を与えるので
ある」と述べるユo).②声
声にっいては,面白い話で話し方が上手であっても,
活気のない声では聴いていて眠くなってしまうので,引 き締まって活気のある,生き生きした声であることが大 切であると考えていた.そこで先ず,「高低,大小,緩 急の他に,活気」を忘れず「はっきりと,澄みきって居 ること」.次にいくらでも大きな声が続けて出せて,「自 分の音量を計り,会場の模様で,最初から声の使い方を 加減」できることが大切であると言う.また,物売りの 声を採譜して載せるなど,その者らしい雰囲気をだすこ とを勧めながらも,声色を使うか否かにっいては,「無 論声色を使わない方である」と言い切る.声色は稽古も 難しく「あまりに専業的に流れすぎる」ので,子どもの 教育に携わっている人は,「語気と幾らかの身振りを以 て,談話中の各種の人物を,躍如せしむるがよい.」と,
話芸を生業とする人との違いを述べている11).
さらに岸辺は,歌や楽器演奏の活用を推奨した,物語 を話す時に,唱歌や詩吟や謡曲や朗吟やハーモニカの吹 奏などを入れると,上手下手に関係なく大歓迎される.
また,唱歌を歌うなら必ず子どもの知っているものがよ い.「児童己知のものを歌えば,如何に乱れかかった会 合でも,一時は静粛にすることが出来る」12)ので,唱歌 や楽器演奏を話の所々に取りいれることを勧あている.
4.「子供化」の行方
ここで岸辺の口演童話の台本「新桃太郎」から,「子 供化」の意識がどのように表れているかを探る.岸辺の 得意とする桃太郎話「新桃太郎」のストーリー展開は,
①お婆さんが川で桃を広い家に持ち帰る/②桃を切ろう
とすると,中から元気な男の子は誕生する/③桃太郎と 名づけて育てる/④人々を苦しめる鬼を退治するために,
黍団子を持って鬼が島に向かう/⑤途中,犬・猿・錐が お供になる/⑥鬼を退治する/⑦鬼が奪っていったもの を取り返す/という,一般的に知られている流れである.
物語の発端部分を以下に示す13).
おばあさんがおじいさんのよごれたおべべを,裏の 川で,じゃぶじゃぶじゃぶじゃぶ(身振 両手を握っ て擦って洗濯物の真似をする)と洗って居ます.と,
向ふから(身振 左を向く目は少し高くつける)赤 い圓いものが(身振 両手の指を軽く内側に屈して,
相対して圓い形を作る)ごろごろどぶんどぶんと流 れてきます.おばあさんは,
婆「おやおやまあ大きな毬が流れてくる,(身振 左を向いて云ふ)どこかのお嬢さんがおっことした のでせう,拾って置いてあげませう.
と,柄杓で,毬やこちにこちにと,水をかき寄せま すと,(身振 右手で水をかき寄るようにす)其の赤 い圓いものが,おばあさんの前に流れてきて(身振 目を前方梢下にっける)ドンブラコッコ,ドンブラ コッコ コリャドンブラコッコ(身振 頭を左右に 振って調子を附ける)と拍子を取って躍りだしまし たから,おばあさんは,
婆「こりゃ面白いものだ.早く上げてやりませう.
両方のおて・(身振 両手の指を伸ばしたまま相対 して前方に出す,掌と掌の距離は一尺二三寸)を伸 ばして抱きあげますと,おや,(身振 目を見開い て驚いた風をする)毬ではなくて,大きな,赤いお いしさうな桃であります. (中略)
「ねんねんやおころりや」(身振 左手で足の方を,
右手で首の方を抱く状をする.ねんねんやの節は必 ず子守唄を歌ふ)と歌ってお守りをしますと,ずん 塑大きくなりますから,叢薫さノレ.もお婆さ!を査喜
ん,で一く注意_⊆.⊆、で二人1蓋喜6∠で点話すと,_幼児起.1劃2か.ら.な.《一.な一る⊇.桃から生まれたのだから,桃太
郎と云ふ名をっけて可愛がりました.(以下略.括 弧は原文のまま.下線,波線,点線は引用者による)
先ず気付くのは,身振りの多さである.「新桃太郎」
の台本全体で,83か所に身振りをつけている.大方が 状況を演じる身振りである.また,「おべべ」「おてて」
のような幼い子ども向けの言葉づかいと,擬音語,擬態 語を多用している(波線,下線部分).さらに,子ども が憧れと親近感を抱くような桃太郎像を作り出している.
例えば,犬・猿・維は,かって窮地を桃太郎に助けられ ことがあり,そのお礼に駆け付けたという描写で,桃太 郎の優しさが強調される.兵隊ごっこが好きで自分より 小さい子どもにやさしい桃太郎は,子どもの理想的な友 達として語られる.
慎重に言葉を選んでいることも,「注意」(点線部分)
を見ると分かる.桃太郎とお爺さん,おばあさんの三人 が登場する場面で「二人」と言うと,誰が喜んだのかが 分かりにくい.そこで,「お爺さんもお婆さんも」と具 体的に表現している.
このように,岸辺のロ演台本は子どもに分かるように 言葉を選び,興味を引くような描写を工夫している.し かし,子どもに分かりやすく伝えたいという岸辺の配慮 ゆえに,桃太郎のセリフが幼さを帯びている.例えば,
鬼が赤ん坊をいじめたり,おばさんを蹴ったりするから
「鬼と戦争をしにゆくの,早くお弁当をこしらえて下さ いな」とお爺さんに頼んでいる.心優しく勇敢な桃太郎 ではあるが,鬼たちと一戦を交え降参させるほどの強く 逞しいイメージをこの桃太郎に抱くことは難しい.
本来昔話の語り口は,簡潔な文体で詳しい描写を殆ど 抜きにして組み立てられているが,岸辺が幼児に分かる 言葉と話し方に心を配った結果,岸辺版桃太郎は幼さを
も纏うようになった.
5.岸部への評価
山内秋生は,岸辺福男を「教壇童話口演の開祖」であ ると言い,「(『お伽噺仕方の理論と実際』は)悉く氏の 体験による独創によって説かれたもので,斯界に於ける 貴重な文献である.唱歌を話の中に入れる演じ方も氏に よって始められた.常に研究と工夫に意を込められ,後 進の為にもよき範を示される事は敬すべき」と,岸辺の 取り組みを称えている14).幼児教育者としての岸辺に っいて,東洋幼稚園の園児であった藤田圭雄(童謡詩人)
は「五十年の年月がたったいまでも,『それでナ,羊が ナ,おじぎをしましてナ』とか,『そうでありましたヨ』
とかいった福雄のお伽噺の話しぐせが,耳の底に残って 15)
という.内山憲尚は岸辺の語り方を「非常に繊
いる」細で神経質すぎるほどていねい」と言い,久留島武彦と
比べて次のように評している.
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彼(岸辺福男)は,童話は一人一人の子どもに話す べきであるとしてこの点,武彦とちがっていた.子 どもが何千人いようと全部の子どもの心をしっかり っかんで,大きな声でハッキリと話す雄弁術的な武 彦の話しぶりは,街頭演説から出発した童話であり,
軍隊生活によって馴らされたのが性格になったので あろう.これに引きかえ福雄の話しは,一人一人の 子どもによりそって,ささやくように話した.祖父 が孫に対するようであった.16)
藤田と内山の記述から,一人ひとりの子どもに届く語 り方を意識する岸辺の姿が見えてくる.幼稚園園長とし て子どもと過ごす生活経験が,岸辺の語り方を規定する よりどころになっていったのではあるまいか.さて,児 童文学研究者であった瀬田貞二は,三大口演童話家につ いて次のように評している17).
…小波,武彦のかずかずの口演童話集を見て察せら れますのは,この派は,講釈ばりのイディオムをっ なぎにした口頭芸が主で,ストーリーの分析やくみ たてがなかったのです.また,この派としばしば同 調実演した幼稚園の岸辺福雄は,ストーリーテリン グ鼓吹の事実上のli萬矢となった『お伽噺仕方の理論 と実際』(明治四十二年,明治の家庭社)によって世 をみちびきました.…その談話を『全く児童になっ て話せ』といって,身振り手振りに至る技術を開陳 しましたが,こちらはまた子どもに『わかる技術』
が中心になって,ストーリーのっまらなさが目立ち
して,瀬田の岸辺評のうちで「わかる技術が中心」になっ たという点に関しては,本稿の検証から再考しても的を 射た評価といえる.しかし,果たして物語を聞く子ども にとって岸辺の語る話が「っまらない」ものであったの かどうか.瀬田の言う「ストーリーのっまらなさ」は,
文学的な立場から口演童話の台本を評した言葉ではない のだろうか.言い換えると,「文章を読んで感じる」ス トーリーの面白さと,「耳から聞いた」ストーリーの面 白さは同等ではないと言うことを念頭に検討する姿勢が 求められると筆者は考える.
久留島武彦は,『童話術講話』の中で,言葉の響きが 人の心を捉えることとっながっていると説き,「ことに 岸辺君はこの点において長所を有している」と岸辺の言 葉の響きを誉めている.「長い間子供を扱っているため に岸辺君の言葉には響きを伴う…本当に尋常一,二年生 に親切に話してくれる人らしく感ぜられる.あの人の持っ ている言葉の響きが端的に直載に,常に子供の心に触れ ている,その扱いが自ら出て来るものだと思う」19)とい う久留島の弁からも,岸辺の語りが幼児との生活で磨か れ,また,幼児の心に届く語り口であったことが推察さ
れる.
言葉を記録し文字に残しても,声の響きや表情から感 じられるニュアンスは記録できない.ここに先人たちの 語りの実践を研究する難しさがある.
ました.(括弧は原文のまま)
瀬田のこの言説に対して児童文化研究家である冨田博 之は,瀬田の見方は「日本の口演童話の成立事情を,まっ たく無視した暴論というほかない」と言い,「口演童話 の台本を活字にしている当時の口演童話集とはどういう 性格のものかということを考えれば右(上記)のような 批判は当たらない」と,反論している.さらに「ストー リーの組立てがなかったというが,あまり多くを読んで いないのではないか」と,瀬田の研究姿勢を糾弾し,明 治大正期の「口演童話の遺産から学ぶものは実に大きい」
と述べている18).
口演童話の成立と展開,口演童話集の分析は未だ研究 途上の領域である.これらの検討は別稿で論じることと
おわりに
本稿は,幼稚園の園長として幼児教育に携わりながら,
子どもたちに童話の口演を行った岸辺福男に注目した論 考である.岸辺は当時の幼児教育において「談話」の技 術が軽視されていることを嘆き,自身の実践から方法論 を導き出した.それは,「童話口演者は全く児童になっ て話せ(子供化)」ということであった.
岸辺は経験上,幼児が「談話」を好んでおり,空想の 世界を楽しみ,好奇心や探究心を満たし,知識が豊かに なる「談話」が,子どもの世界を広げ心的影響を与える と考えていた.子どもに物語を語る意義は,物話の内容 を伝えることにとどまらない.聴き手である子どもたち の気持ちを惹きっけながら深い感動を与えるには,子ど もに分かるように表現することが大切であると,岸辺は
考えた.明治30年代以降,巌谷小波や久留島武彦等によって
口演童話は全国的な展開を見せた.マイクのない時代に,
数百人,時には千人を超える子どもを対象に大会場で催 されることが多かった童話の口演は,子どもたち,殊に 幼児が集中して聞くには困難な環境であった.会場にひ しめく子どもたちに物語の面白さを届けるには,語り手 の工夫と技術が必要になる.
そこで岸辺は次のことを重視した。先ず,語り手が日 常から子どもを観察し,子どもが理解できる言葉や話し 方をっかみ,それを語るときに応用すること.次に,語 り手が十分に下稽古をして,登場人物の感情を「声の使 い方」と「身振り」で表現する必要性である.彼は,
「読む童話」と「聞く童話」の違いを理解したうえで,
語って聞かせる「お話」の技術として「声の使い方」と
「身振り」に細やかな注意を払った.口演童話の台本で 見る限り,岸辺の語りには「身振り」と「唱歌」が必要 不可欠であった.幼児に理解できる言葉を選び,歌や身 振りをっけた口演技術で子どもを惹きっけ,物語の世界 をより深く感じられるように工夫を凝らした.
童話の教育的価値の大さを感じていた岸辺は「幼児に わかるように話す」ことを重視したため,瀬田が批評す
るように「わかりやすさ」の追求が中核になっていた.
殊に身振りの多さによって,方法論の技巧的な面が強調 された感は否めない.しかし,読むと単調に見える台本 は,岸辺が語ることで物語の面白さや登場人物の魅力を 子どもの心に生き生きと印象づけていたであろうことも,
当時の聞き手たちの回想から十分に推察される.
子どもの気持ちや状態に合わせて話すことを,岸辺が 最重視していたことは確かである.その姿勢に,幼児教 育者として口演に取り組む岸辺の意識が表れている.
注
1)拙稿「幼稚園教育におけるくお話〉の位置づけに関 する研究 その1」『東京家政大学研究紀要』第39 集(1),「幼稚園教育における〈お話〉の位置づけに 関する研究 その2」「東京家政大学研究紀要』第 40集(1),「明治後期の家庭教育におけるくお話〉観 に関する一考察」『東京家政大学研究紀要』第42集 を参照されたい.
2)山内秋生(1890〜1966)は「童話史」(1937)の中で,
岸辺福男を「教壇童話口演の開祖」である位置づけ,
『お伽噺仕方の理論と実際』を「童話口演に関する 本としてはおそらく日本最初のものであらう」と述
べている.また,児童文学者であり児童文学研究者 でもある瀬田貞二(1916〜1979)も,本書を「ストー リー・テリングの事実上の嗜矢」(『落穂ひろい』)
と述べている.
3)岸辺福雄 『お伽噺仕方の理論と実際』
明治の家庭社 1909 「はしがき」pp.]−3 4)岸辺福雄 同上書 p.58
5)和田実 「幼児への談話の仕方」『婦人と子ども』
第6巻第1号 明治39年 1906p.56
和田(1876〜1954)は1906年から東京女子高等師範 学校に勤務し,1909年から『婦人と子ども』の編集 に携わった.家庭教育を含めた幼児期の教育の必要性
を説いた.6)東基吉 「保育法教科書』 東京目黒書店 1910
pp.49−50
東(1872〜1958)は,1900年から東京女子高等師範学 校助教授兼同校付属幼稚園批評係を務めた.恩物中心 の形式主義保育を批判し,幼児の自己活動を重視した.
7)前掲書3に同じ pp,19−20
8)岸辺の十八番「桃太郎」を幼稚園で話す回数は,
1ヵ月に5回は下らないので「都合百五六十遍」は 聞いているのだが,小学生になってからも幼稚園に 遊びにきて園児と一緒に面白がって聞いている子ど もがいるという例を挙げている.
9)前掲書3に同じ pp.74−87
感情表現にっいて,それぞれに図を示し,細かい動作 を14ページにわたって丁寧に解説している。
10)同上書 p.88 11)同上書 p.63 12)同上書 p.39
桃太郎の口演台本には,桃太郎のお守りをする場面で 子守歌を,桃太郎が鬼が島から帰還してくる場面で唱 歌を歌うよう示している.
13)同上書 pp.90−93
14)山内秋生 「童話史』 家の教育社 1937 p.30 山内は巌谷小波の書生を務め,その後田山花袋に小説
を学んだ.15)藤田圭雄の回想は,『日本の幼稚園』(理論社 1965)に紹介されている.
16)内Ll」憲尚 『日本口演童話史』 1972 p.29
17)瀬田貞二 『落ち穂ひろい(下)』 福音館書店
1982 p.292
是澤 優子
18)野村純一他編 『ストーリーテリング』 弘文堂
1985 pp.47−48