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「本多秋五のことなどー渡辺綱雄さんに聞くー」(『

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﹁本多秋五のことなどー渡辺綱雄さんに聞くー﹂

(『

i徳国文﹄第三十四号掲載︶における誤記の訂正について

小 倉

淑徳国文35

 ﹃淑徳国文﹂第三十四号︵一九九三・二・五発行︶掲載の

﹁本多秋五のことなどー渡辺綱雄さんに聞くー﹂をお読みい

ただいた本多秋五氏よりお手紙を頂戴し︑渡辺綱雄さんの記

憶違いや私自身の誤記についてご指摘いただきました︒お手

紙のなかの指摘をご披露することで訂正とさせていただきま

す︒①七四頁下段一七行目〜二〇行目﹁だが︑彼は堅実にね︑

 その時分に円タクなんかに乗っておってもねえ︑チェルヌ

 イシェフスキーの創作を読んでたり︑それから﹁戦争と平

 和﹄をずーっと読んでるんですよ︒﹂

  ︿私は東大時代にチェルヌイシェフスキーの創作も﹁戦

  争と平和﹂も読んでいません︵44ページ︶︒チェルヌイ

  シェフスキーの﹁何をなすべきか﹂︵神近市子訳︶はず

  っと後年︑平野謙から借りて読みました︒﹁戦争と平和﹂   は︑何度も書きましたが︑逓信省時代︑たしか昭和一ニ  ー=二年の歳末首の休暇に初めて読みました︒﹀②七七頁上段二三行目〜下段六行目﹁当時︑第八高等学校 から︑わたくしどもの﹃朱雀﹂とほとんど平行的に︑﹃バ クヨウ﹄という文学雑誌を出しておりました︒ポプラです︒ 白い﹁白楊﹄︒わたくしもちょっと書いておりますが︑そ の後ろのところに︑校長の大塚末雄︵?︶さんを留任させ るためにストライキをやったことがあるんですが︑そのス トライキに対する本多君の述懐が出ています︒雑誌部員本 多秋五の﹁大塚校長を送る﹂という文章︒﹂  ︿﹁白楊﹂という雑誌︵77ぺージ︶は︑名前はいつの時  代か見た覚えがありますが︑私が直接関係したことはあ  りません︒﹁大塚校長を送る﹂という文章の引用︑どう  も私が書いた覚えのある文章のような気がするので︑熱

  田中学の校友会誌﹁瑞穂﹂第16号を探してみたら︑たし

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(2)

淑徳国文35

 かにそういう題の︑そういう内容の文章がありました︒

 だからこれは﹁白楊﹂とは関係ありません︒﹁瑞穂﹂に

 は一年生の都留重人と野々村一雄が︑五年生でも書けぬ

 ような文章を書いているのを発見しておどろきました︒

  大塚校長がクビになったのは︑われわれ五年生がスト

 ライキをやったからで︑校長を留任させるためのストラ

 イキではありませんでした︒

  あのストライキの理由は︑今でも私にはわかっていま

 せん︒  多分六月中のことか︑暑い日にテニスをしていて︑左

  隅に打ちこまれたボールをとるために走って行って︑ラ

  インキーパーの腰かける低い足台みたいなものに右の向

  う脛をぶっつけて︑あくる日からそれが化膿して動けな

  くなり︑三週間ほど学校を休んで︑人力車で登校した︑

  その日にストライキが勃発して︑わけわからずそれに巻

  きこまれたのでした︒

   一部の教師を排斥するというのが名目でしたが︑その

  首謀者は学業成績のあまりよくない︑多少不良がかった

  生徒たちで︑先生方の受けのよくない生徒であったよう

  に思われ︑とにかく︑私の見たかぎりでは︑大義名分の

  はっきりせぬストライキでした︒﹀

③七七頁下段一五行目〜一六行目﹁とにかく︑晩︵?︶僧

 房へ立てこもって抵抗したわけですから︑お寺でねえ︒﹂   ︿﹁晩︵?︶僧房﹂とあるのは︑八事の半僧房です︒私  もストライキの第一日︑そこに立てこもって一泊したき  りで︑あとにもさきにも行ったことがありませんが︑今  でも勿論あるでしょう︒﹀④八〇頁上段二〇行目〜下段一行目﹁本多君の卒業論文に ついてはですねえ︑森鴎外の翻訳も︑評論や難しい理論的 な部分についても︑平野謙君がかなり代筆しましたがねえ︒ 小説についてのところは︑わたくしも少し︑代筆してあげ たりしました︒彼が書きとばした︑彼独特のねえ︑癖のあ る文字を写すんです︒﹂  ︿卒業論文を平野と渡辺が﹁代筆﹂したように書いてあ  ります︵80ページ︶が︑これは﹁代筆﹂という言葉の誤  用で︑半分は渡辺︑半分は平野に清書してもらったので  す︒ヤクザな論文でしたが︑代筆のできるものではあり  ません︒それにしても私は友人にえらい迷惑をかけたも  のです︒   卒論は二百枚ちょっとあり︑﹁はしがき﹂だけが私の  自筆でした︒﹁私に恵まれた二人のよき友達﹂は百枚つ  つ清書してくれたわけです︒私はそのお礼をした覚えが  ありません︒ひどいものです︒﹀⑤八三頁下段三行目〜九行目﹁﹃続戦後文学の批判と確認 近代文学の軌跡﹄には︑︿北川静男という男がいて︑高等 学校の卒業前にチフスで死んだ︒藤枝君や僕なども手伝っ

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(3)

て遺稿集を出したが︑典型的な白樺派でした︒名古屋の厚

生館という大きな病院の末っ子で︑親父が森鴎外の友だち

で︑伝説によると﹁雁﹄の主人公とかなんとかで⁝⁝﹀と

いう平野謙の発言がある︒﹂

 ︿北川静男は本来は藤枝静男の友人で︑私は間接の友人

 でした︒彼の父親が創設した病院は﹁好生館﹂でした︒﹀

 末筆ながら︑いろいろご指摘いただいた本多秋五氏に感謝

申し上げるとともに︑ご迷惑をおかけしたことを心よりお詫

び申し上げます︒

一九九三年五月

淑徳国文35

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