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行 政 過 程 へ の 司 法 関 与

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   同志社法学 六七巻二号四四九八〇三

           

一  問題状況   行政過程への司法関与の適正なあり方があらためて問われている。従来この問題が主に論じられてきた行政調査についていえば、これまで立法において司法関与の定めが置かれていたのは、国税犯則取締法二条、独占禁止法一〇二条、金融商品取引法二一一条、出入国管理及び難民認定法三一条等の定める臨検・捜索(=強制的立入調査)のように刑事手続との実質的結び付きが強い場合に限られており、判例においても最大判昭和四七年一一月二二日刑集二六巻九号五五四頁(川崎民商事件)を中心に、主として刑事手続との関係という視点から問題が捉えられてきた。これに対して、二〇〇七年児童虐待防止法改正により導入された臨検捜索手続(九条の三)における裁判官関与は、刑事手続というよりもむしろ子どもを虐待から保護することを目的とする手続の一環として、従来の立法・判例の枠組みからは一歩踏み

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   同志社法学 六七巻二号四五〇八〇四

出す面を有するものであった。しかしながら、同手続において裁判官関与が定められた点に対しては少なからず批判的な見解が示されており 1

、そもそも司法関与が求められる行政過程とはいかなる場合か、あらためて検討する必要が生じているように思われる。本稿では、上記手続にとどまらず様々な行政過程において司法関与が求められるのは如何なる場合か、なぜ司法関与が求められるのか、具体的な行政過程を素材に考え直してみることとしたい 2

  まず従来の議論の中心であった上記最大判の判旨を再確認することから出発しよう。旧所得税法七〇条一〇号、六三条の規定において裁判所の令状なくして強制的に検査することが認められている点が憲法三五条違反にあたるかにつき、同判決は次のようにいう。①﹁もっぱら、所得税の公平確実な賦課徴収のために必要な資料を収集することを目的とする手続であって、その性質上、刑事責任の追及を目的とする手続ではない﹂、②﹁右検査が、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものと認めるべきことにはならない。けだし、この場合の検査の範囲は、前記の目的のため必要な所得税に関する事項にかぎられており、また、その検査は、同条各号に列挙されているように、所得税の賦課徴収手続上一定の関係にある者につき、その者の事業に関する帳簿その他の物件のみを対象としているのであって、所得税の逋脱その他の刑事責任の嫌疑を基準に右の範囲が定められているのではないからである。﹂③﹁この場合の強制の態様は、収税官吏の検査を正当な理由がなく拒む者に対し、同法七〇条所定の刑罰を加えることによって、間接的心理的に右検査の受忍を強制しようとするものであり、かつ、右の刑罰が行政上の義務違反に対する制裁として必ずしも軽微なものとはいえないにしても、その作用する強制の度合いは、それが検査の相手方の自由な意思をいちじるしく拘束して、実質上、直接的物理的な強制と同視すべき程度にまで達しているものとは、いまだ認めがたいところである。﹂④﹁国家財政の基本となる徴税権の適正な運用を確保し、所得税の公平確実な賦課徴収を図るという公益上の目的を実現するために収税官吏による実効性のある検査制度が欠くべからざるものであるこ

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   同志社法学 六七巻二号四五一八〇五 とは、何人も否定しがたいものであるところ、その目的、必要性にかんがみれば、右の程度の強制は、実効性確保の手段として、あながち不均衡、不合理なものとはいえないのである。﹂以上のように述べた上で、同判決は﹁前に述べた諸点を総合して判断すれば﹂憲法三五条の法意に反しないとの結論を導いている。

  同判決が掲げる上記四点が結論にどのように関わっているかについては必ずしも明らかではないが 3

、有力な学説は﹁この判決を前提とすると、たとえ行政調査手続であっても、実力の行使にわたる限りでは、裁判官の令状を要するとする趣旨に読め﹂るとする 4

。上記③の観点、直接的物理的な強制と同視しうる程度の強制であれば、それだけで令状主義が妥当するとの見解といえよう。この見解からすると、強制的立入調査に係る児童虐待防止法九条の三以下の定めは令状主義の当然の要請と理解されることとなろう。このように刑事手続との関係とは別の観点から司法関与を求める見解は、同判決以前から学説上主張されてきたところでもある 5

  もっとも行政調査が情報収集という行政活動の目的に着目した制度分類であり、行為形式による分類とは視点を異にするものであるとすると 6

、そのように実力の行使に着目する見解の射程は行政調査にとどまらないこととなろう。制度目的によって行政調査と区別される﹁即時強制(即時執行)﹂についても、実力の行使といいうる場合には令状主義が及ぶか問われることとなろう 7

。その場合、行政調査においてみられたような実力の行使だけが問題となるわけではなく、強制の態様は様々であり得る。

  こう考えてくると、さらに、﹁即時強制(即時執行)﹂との弁別が問題となる直接強制にとどまらず、行政上の強制執行一般についてまで、およそ実力の行使といいうる事実行為が問題となる限りで令状主義の射程が及ぶか広く問われうることとなるのではないだろうか。こうして国税徴収法一四二条に定める徴収職員の捜索についても、執行官の共助等、なんらかの手当てが必要との見解が主張されることとなる 8

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   同志社法学 六七巻二号四五二八〇六

  もっとも議論の射程が国税徴収法はじめ行政上の強制執行一般にまで及んでくると、今度は日本国憲法の下でも英米法の司法的執行の原理が採用されず、行政執行法が廃止されながらも司法によらない行政上の強制執行制度が限定的ながら存続したこととの関係が問題となってくる。この点を強調すると、逆に同じく干渉的な事実行為として行政上の強制執行にとどまらず即時強制についても令状主義が一般的に妥当するわけではないとの見解が導かれることとなる 9

。この場合には、令状主義は刑事手続との関係を中心に理解されることとなろう。

  以上のように、行政調査において問題とされてきた刑事手続との関係を離れ、干渉的な事実行為について令状主義が妥当するかといった広い射程で問題を設定した場合、二つの対照的な基本的思考が存在するのであるが、両者を踏まえた上で問題をどのように捉えるべきであろうか。

  まず行政的執行システムの存在を理由に司法関与に慎重な立場については、日本国憲法の下で行政的執行システムが存続しつつも大幅に縮減され、かつ行政的執行に固有の法律の根拠が求められるなどドイツ法とは袂を分かった点、そしてとりわけドイツ法にあっても基本法一三条、一〇四条において刑事手続に限らず住居不可侵、人身の自由の制限について司法関与が求められている点をどう考えるか検討の必要があろう。一方、実力の行使あるいは直接的物理的な強制であれば司法関与が必要とする立場についても、強制の態様の多様性に鑑み、司法関与を必要とする実力の行使につき、より具体的な分析が求められよう。

  従来、行政過程への司法関与の問題については、日本国憲法三五条の母法といわれるアメリカ合衆国憲法修正四条などアメリカ法を素材とした研究が積み重ねられてきた ₁₀

。これに対し、上記のような日本法の理論状況を踏まえるなら、司法的執行システムとは対照的なドイツ法を参照することにも意味がありそうである。日本法における具体的な司法関与のあり方が、アメリカ法だけでなくドイツ法に鑑みても問題があるようにみえる場合にはより正当化が困難となり、

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   同志社法学 六七巻二号四五三八〇七 正当化が果たして可能であるのか、個々の具体的な論点ごとに立入った検討が求められることとなるのではないか。   本稿ではこのような見通しのもとに適宜ドイツ法を参照しつつ行政過程への司法関与のあり方をあらためて見直すこととするが ₁₁

、考察にあたってはドイツ基本法一三条、一〇四条を参照する関係上、また、日本法においても行政調査の令状主義を論ずる際にプライバシー利益への着目を強調する見解 ₁₂

が主張されてきた点からも、当該事実行為によって制限される法的利益、具体的には住居不可侵と人身の自由に分けて検討する方法をとることとする。

二  住居不可侵   本稿冒頭で確認したように、臨検・捜索=強制的立入調査については、刑事手続との実質的結びつきが強い場合につき司法関与の定めが置かれてきた。川崎民商最大判の掲げる上記四点に照らしてあらためて説明すれば、国税犯則取締法、独占禁止法、金融商品取引法等については、それぞれ臨検・捜索の後に告発の手続が連動する形で定められており、①最終的には刑事責任の追及を目的とする手続といえよう。一方、出入国管理及び難民認定法についてはそれらに相当する定めは置かれていないものの、同手続において該当性が調査される退去強制事由(二四条)と刑事処罰の事由(七〇条)は実質的に重なっており、②刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するといって差し支えないだろう。退去強制手続と刑事手続との関係を調整する定め(六三~六五条)が置かれていることにも留意したい。

  このように刑事手続との実質的結びつきが強い場合には、刑事手続における適正手続の要請を潜脱することのないよう、刑事手続に準じた司法関与は憲法の刑事手続保障の当然のコロラリーともいえよう。

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   同志社法学 六七巻二号四五四八〇八

  これに対し、児童虐待防止法における臨検・捜索については、確かに虐待に対する刑事手続も並行しうるものの、それ自体は子どもの保護を目的として刑事手続とは分節された手続であり、もっぱら③直接的物理的な強制といった強制の態様に鑑み司法関与が定められたものと理解される。さらに強制の態様を具体化していうなら、同手続は住居不可侵というプライバシー利益に対する直接的物理的な一回的事実行為による侵害である。そもそも憲法三五条が保障する法益がプライバシー利益であるとすると、刑事手続保障自体この観点から理解すべきものであって、結局のところプライバシー利益に対する侵害が事後的救済になじまないことが刑事手続を含めた司法関与の根拠とみることもできよう ₁₃

。児童虐待防止法における臨検・捜索については、プライバシー侵害といった強制の具体的態様に着目して理解すべきであろう ₁₄

。加えて同法と同時期に少年法に導入された触法少年の調査手続において、司法警察職員の行う捜索等に関し刑事訴訟法上の規定が準用されることによって司法関与が定められた点(六条の五)についても、触法少年は刑事手続とは切り離されていることから、同様に理解すべきであろう。

  このように刑事手続を離れて強制の態様に焦点が当てられると、両手続と類似の強制の態様でありながら司法関与の定めが置かれていない場合が視野に入ってくることとなる。警察官職務執行法六条一項に基づく立入であり、上記国税徴収法一四二条に基づく捜索 ₁₅

である。これら強制的立入と、主に児童虐待防止法における臨検・捜索を対比しつつ、強制の具体的態様に着目した司法関与のあり方について検討することとしよう。

  まず警職法六条一項の立入から考えてみよう。これは﹁人の生命、身体又は財産に対し危害が切迫した場合において、その危害を予防し、損害の拡大を防ぎ、又は被害者を救助するため、已むを得ない﹂限りにおいて認められるものであり、司法関与の定めが置かれていないのは、緊急性の要素によるものと理解されている ₁₆

  一般に即時強制(即時執行)については緊急の場合等に限って例外的に認められる法的仕組みとして、司法関与に限

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   同志社法学 六七巻二号四五五八〇九 らず事前手続の整備を語ることが容易でない面があることは否定できない。しかし、事前の司法関与が難しいとしても、何らかの事後的な関与の余地はないだろうか。刑事手続上の緊急逮捕における逮捕状の意義とは同列に語れないとしても、例えば警職法三条の保護につき簡易裁判所への事後通知 ₁₇

が定められている点に目を向けるなら、同じく警察官による自由制限を規律する警職法六条一項につき緊急性のみで十分な説明といえるかは検討の必要があるように思われる。緊急性とは別の観点からも警職法六条一項を捉えることはできないだろうか。

  考察の手がかりとして、ここでドイツ法についてみてみることとしよう。住居不可侵を保障するドイツ基本法一三条は、二項において﹁捜索(

D ur ch su ch un ge n

)は裁判官によってのみ命じられ、遅滞の危険がある場合には、法律に定められる他の機関によっても命じられ、そこに規定された形式でのみ執行されうる﹂と定める。遅滞の危険とは要するに緊急の場合であり、この場合に裁判官の関与が求められないとする点は日本法と同様であるが、ここではもう一点、﹁捜索﹂概念に注目したい。すなわち捜索に該当しない場合には裁判官の命令は求められないが、同概念は刑事手続上の捜索に限られないとされ ₁₈

、判例上﹁住居所有者が自ら明らかにしたり引渡そうとしたりしないものを計画的に探し出すために、明らかにされていないもの、場合によっては隠されたものを明るみに出すために、あるいは秘密を暴くために、国家機関が目的を持って住居の中を捜すこと(

Su ch en

)﹂と理解されてきた ₁₉

。単に住居へ立入るだけでは﹁捜索﹂にあたらないとして、﹁捜査(

Su ch en

)﹂性が必要であるとされるのである ₂₀

。この点、より具体的な説明はなされていないようであるが、確かに嫌疑が不確実な状況での﹁捜査﹂は濫用の危険が高いとみることができるし、住居不可侵への制限の態様としても、立入ってあれこれ探すことと単なる立入ではプライバシー侵害の程度に違いがあるともいえよう。

  翻って日本国憲法三五条をみるに、刑事手続か否かとは別に、﹁捜索する場所及び押収する物を明示する令状﹂を要

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   同志社法学 六七巻二号四五六八一〇

求する点は一般令状を否定する趣旨と説明される ₂₁

一方、他面において、単なる立入のみでは手続保障の対象とされていないようにもみえる。住居不可侵に関する日本国憲法以前の学説 ₂₂

においても捜索と立入を区別し、前者につきより厳しい制限に服せしめる視点が見られたところであり、ドイツ法の影響が指摘されている ₂₃

。加えて国税犯則取締法二条ほか令状主義がとられる場合には身体の捜索まで認められている点も無視できない。しかし他方で、行政執行法を廃止した日本国憲法の下では、ドイツ法よりも行政の実力行使に厳格な立場がとられているとの解釈もありうるように思われる ₂₄

。警職法六条一項がそのままでよいのか、憲法三五条の保護法益につき、単に住居不可侵というにとどまらず、より具体的に検討する必要があるように思われる。

  もっとも警職法六条一項が令状主義の対象とならないとしても、他方で立入の要件については厳格に吟味する必要がある。ドイツ基本法一三条においても捜索に該当しない場合につき、他方で同条七項が住居への侵害・制限を﹁公の危険もしくは個々人の生命の危険を防御する場合﹂など限定的に列挙した場合に限って認めている。上記のような警職法六条一項の要件は比例原則の要請に応えるものといいうるが、この要件が実際に守られているかが問題となろう。

  この点、とりわけ警職法六条一項の立入については、上記児童虐待防止法の臨検捜索との関係に注意する必要がある。生命、身体、財産に対する危害に対処するための立入は、子どもの虐待をも対象として、子どもを保護するための臨検捜索と密接な関係にあり、とりわけ後者についてのみ令状主義がとられたことから、両手続の関係を整理する必要性は極めて高いといえる ₂₅

  一方で、警職法六条一項の立入の要件は厳格に遵守される必要があり、要件を充たさないにもかかわらず児童虐待防止法の臨検捜索の対象となるような場合に立入を実施することは、後者の司法関与手続を潜脱することとなる点に鑑みても問題が大きい。この点で疑問のある警察実務が実際に警察庁自身によって報告されている ₂₆

。そして要件を充たす場

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   同志社法学 六七巻二号四五七八一一 合にも、司法関与のない立入に際して認められるのは、警職法六条一項が定めるように同法四条、五条の権限のみであり、捜索は認められない。問題となるのは、立入によって保護される子どもの兄弟の虐待の疑いに関する捜索などであるが、この観点からも児童虐待防止法の司法関与手続の潜脱が問題となろう。

  他方で、児童虐待防止法の臨検捜索については、緊急性の点に加え、警職法六条一項の立入とは異なり、行政調査として﹁捜索﹂がなされうる点にも着目する必要があろう。緊急性を判断するにもさらなる情報が必要な場合に司法関与によって強制的な権限を認められるものであり、緊急性が認められる場合の立入とは役割が異なる点が強調されなければならない。子どもに危険が迫っていると判断される場合には司法関与なく警職法六条一項の立入がなされるのであり、これに対し、児童虐待防止法の臨検捜索は、そのような危険の判断がなされる前の段階でなされるべきものである。早い段階で強制的な権限を認めるからこそ司法関与が求められるのであり、むしろ早くから手続を遵守して権限を適切に行使しなければならない ₂₇

。ドイツ法の﹁捜索﹂概念に鑑みても、同法における司法関与の定めは当然の要請であったといえるのではないか。

  つぎに国税徴収法一四二条に基づく捜索についてみてみよう。この場合、緊急性という点でも、立入にとどまらない捜索という点でも警職法六条一項とは区別されることから、司法関与の定めがない点については別途あらためて考察が求められるところである。

  この点について、かつての学説は、川崎民商大法廷判決を踏まえて、①刑事責任の追及を目的とする手続でないこと、②捜索の範囲についても、滞納の事実は客観的に明白で、その滞納処分のために必要があるときに限られ、刑事責任の追及を目的とする手続に直接結びつくものではないこと、③租税債権の実現を図ることを目的とするに過ぎないから、

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   同志社法学 六七巻二号四五八八一二

基本的人権の侵害の度合いは比較的少ないといえることを挙げ、私法上の強制執行の場合も執行官の捜索につき令状を必要としない点を指摘して、憲法三五条に抵触しないとしていた ₂₈

。先にみたように司法的執行の原理が採用されなかった点を重視する立場からも、まさに強制執行手続の一環として令状主義に対して消極的な立場が導かれるように思われる。﹁強制執行行為そのもの﹂として﹁予め﹃捜索﹄の目的や対象物を限定明示するという令状主義にはなじまない﹂とする見解もある ₂₉

  これに対し、上述のように執行官の共助等、何らかの手当てが必要とする見解は、国税徴収手続が(民事執行とは異なり)国家債権の自力救済手続であることを問題視する ₃₀

。司法関与の意義として司法機関の第三者性を重視することによって、民事執行法において捜索につき令状主義がとられていないこととの平仄をとりつつ、執行官の共助等、強制執行の特性を踏まえた司法関与のあり方を探るものといえよう。

  要するに、いずれの立場からしても強制執行の性格に立入った検討が必要であるように思われる。この点についてもドイツ法を参考とすることとしよう。ドイツ法においては、そもそも民事執行に関し、連邦憲法裁判所一九七九年四月三日決定 ₃₁

によって、当初の立場 ₃₂

が覆され、動産の差押えを目的とする債務者の住居の捜索につき基本法一三条二項に基づき裁判官の命令が必要との判断が示されるに至っている。そして同決定をうけ、租税通則法(

A bg ab en or dn un g

)に基づく財務局の執行官による強制執行に関しても連邦憲法裁判所一九八一年六月一六日決定 ₃₃

が同様の判断を示して続いている。一九七九年決定の述べるところをみると、まず﹁裁判官による判決に依拠しうるあらゆる執行行為は裁判官によって命じられたものとみなされうる﹂との従来の見解に対し、﹁裁判所による給付義務の確認は、決して必然的に差押え目的の住居捜索を伴うものではない。債務者は、非常にしばしばそうであるように、判決を受け入れて任意に支払いを行うことができる。債権者も勝ち取った権原で何をしようとするかは自由に任されている。債権者の執行官への申

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   同志社法学 六七巻二号四五九八一三 立てによって初めて執行手続が開始されるのである。そして、このような手続において裁判官は通常はもう介入することはない﹂として、判決手続における裁判官の判断に、執行捜索における判断をも読み取ろうとする考え方を否定した。そして、﹁抗告人の異議についての区裁判官の決定によって執行官の措置が事後的に承認されることによっても、基本法一三条二項の意味での裁判官の命令の効果は与えられない。というのは、そこで予定されている裁判官の介入とは、すでに基本法一九条四項によって保障されているような事後的な法的コントロールに係るものではなく、﹃私的空間領域﹄を効果的に保護するために予防的な裁判官コントロールを確保する物だからである﹂と述べる。要するに、﹃私的空間領域﹄の効果的な保護のため、捜索自体に固有の事前判断を裁判官に求める意義が述べられているといえよう。

  その一方で、同決定は、﹁裁判官は何も審査することがないし、決定の余地も有していない﹂との見解に対しても、﹁捜索命令は、民法上の権原の執行においても

事手続におけるのと同様 - 刑

。こ想定れているさと窺われようが 形て特定のと式が提さついとに令命、にもとてるれさ示れ前い性る方りあの令命たじ応にが特くのではなの、制執行強 のを令命裁官判に行め執求的ることの実質意義の存在が強制。のれる質的要件の下でみ行わ得るいてし示を解見のと﹂ 審査にはも執や服さな体法続実は容内の原権はていおにとい、し可実び及的式形の定一て能なが索も、査捜行は事後審 に性の一般法原則例服する。・・・執行手 - 比

  ここで日本法に戻ると、命令のあり方につき明示的に定めていない基本法一三条二項とは異なり、﹁捜索する場所及び押収する物を明示する令状﹂を求める日本国憲法三五条は、確かにその本来の趣旨において﹁物﹂を特定できない民事上、行政上の強制執行を対象としていないようにもみえる。しかし、﹁行政手続については、三五条とは別になお憲法一三条ないし三一条との関係で問題とさるべき余地がある﹂として、﹁行政目的のための立入・検査について、刑事手続(およびかかるものとみるべき手続)の場合とは違った要件の下で発せられる許可状が必要とされる場合がありう

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   同志社法学 六七巻二号四六〇八一四

る﹂とする見解もある ₃₄

。ドイツ法の状況を参考にすれば、上述のように捜索、押収がそもそも認められない警職法六条一項の立入とは異なり、捜索、押収が認められながら﹁明示する﹂ことができない強制執行については、その特性に対応した形での司法関与の必要性がより高いようにも思われる。

  どのような形での司法関与か具体的に想定しつつ考察をすすめていこう。一つには、ドイツ法にならって裁判官の関与を求める方法が考えられる。ほかならぬ裁判官の判断こそが司法関与の意義であるとする立場である。この場合、ドイツ法におけるように民事執行を含めて令状主義の導入が求められることとなろう ₃₅

。ただ、他方で裁判官の関与のあり方は強制執行の特性に応じて限定されざるをえない ₃₆

。ドイツ法は比例原則審査の余地を指摘するが、判例において比例原則が厳格に適用されているとはいいがたい日本国憲法の下で ₃₇

そうした限定的な関与にどれほどの意義があるか問われることとなろう。

  これに対し、滞納処分に執行官の関与を求める考え方は、実際の執行過程における対象物の特定などに際し強制執行の特性に応じた統制の余地があるとみるのであろう。司法機関全体としての第三者性にも司法関与の意義を見出す立場といえよう。もっとも執行官に果たしてそのような役割を期待し得るのか ₃₈

、国税徴収法一四四条にいう立会人との関係についても整理する必要があろう。さらに、裁判官、執行官の関与をともに求める考え方もありえないではないが、その行き着く先は行政的執行システムの根本的再検討である。その限りでは行政的執行システムも無視することができないが、しかし、基本的には民事執行も含め強制執行における捜索に関しては、むしろ強制執行の特性に着目しつつ司法関与の必要性につき慎重な考察が求められよう。

  なお以上の考察を踏まえると、行政代執行法上の行政代執行につき立入も含めて抵抗の排除を認める見解 ₃₉

に立つ場合についても、司法関与を要しない理由は必ずしも行政的執行システムに求められるわけではなく、捜索を伴わないとい

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   同志社法学 六七巻二号四六一八一五 う立入の態様に手がかりを見出すこともできよう。その観点から、強制の態様につきどこまで認められるか、その限界についても検討する必要があろう ₄₀

  憲法三五条か否かを問わず、住居不可侵に関する令状主義の実質的意義について、より立入った検討が必要ではあるが、少なくとも単に立入るにとどまらない強制調査については、プライバシー侵害の態様に鑑み、緊急性や強制の特性などの事情がない限り、原則として司法関与が求められるといいうるのではないか。

三  人身の自由   行政による実力行使のうち住居不可侵が問題となる場合とは異なり、人身の自由が問題となる場合においては刑事手続との関係が問題となる局面が少なく、刑事手続との関係を中心に論じられてきた司法関与について十分な検討が加えられてこなかったことは、立法状況が示すとおりである。例えば上述のように臨検捜索の一環としての身体の捜索については一般的に司法関与の対象とされる一方で、出入国管理及び難民認定法三九条、五一条に定める退去強制のための収容、及び退去強制の実行、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)二九条に定める措置入院および同法三三条に定める医療保護入院 ₄₁

、麻薬及び向精神薬取締法(麻薬取締法)五八条の二以下に定める診察・入院、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)一七条以下に定める健康診断・入院、児童福祉法三三条に定める一時保護など司法関与の定めは置かれていない。

  この点、人身の自由の制限への司法関与については、権限濫用による冤罪の防止という刑事手続に固有の理由を挙げることができるかもしれない。しかしながら、住居不可侵につき考察したところに加え、刑事手続とは分節された児童

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   同志社法学 六七巻二号四六二八一六

虐待防止法九条の三にいう児童の捜索、少年法六条の五に基づく身体の捜索についても司法関与の対象とされる一方、司法関与のない警職法六条一項、国税徴収法一四二条においては身体の捜索が認められていない点にも鑑みるなら、列挙した規定における人身の自由の制約に対して司法関与の定めが置かれていない点につき憲法的観点からの慎重な検討が求められるように思われる。

  もっとも臨検捜索の一環としての身体の捜索以外においても司法関与の定めが置かれる場合がある。警職法三条三項により警察官が二四時間をこえて引き続き保護する場合であり、児童福祉法二七条の三、少年法六条の七に基づき児童、少年の行動の自由を制限し、その自由を奪うような強制的措置を必要とする場合である。ここでは逆に、これらの場合にはなぜ司法関与が定められているのかを確認することから始めよう。

  警職法三条三項は、同条一項に基づく保護につき、二四時間をこえて引き続き警察官が保護する場合には簡易裁判所の裁判官の許可状を必要とする。警職法三条四項が﹁裁判官において已むを得ない事情があると認めた場合に限り、これを発する﹂と定め、また、警職法を補充する ₄₂

﹁酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律(酩酊防止法)﹂が、警察官による保護を二四時間を超えない範囲内に限定し、その後の保護の定めを置いていない点からも明らかなように、警察官の保護は原則として二四時間を超えることができないとの基本的立場に立った上で、例外的な場合に限って裁判官の承認を条件として引き続き保護することができるとするものといえる。この司法関与の定めの趣旨は、戦前の保護検束が行政執行法一条二項の定める時間的制限を潜脱して濫用され、本人の保護以外の目的で何日も検束が続けられることがあったという反省によるものとされ、また、警察は継続的な保護を行うには適切でないと説明されるところである ₄₃

。例えば保護の名のもとになされた事実上の逮捕であって違法であるとした上で違法収集証拠の証拠能力を否定した刑事裁判例 ₄₄

に鑑みても、刑事手続保障の潜脱を防止する意味を有するものであり、むしろ刑事訴訟法上の被

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   同志社法学 六七巻二号四六三八一七 疑者に対する勾留状の手続と対比しうる司法関与といえよう。警察官による実力行使である点を重視し、人身の拘束の継続を制約する司法関与である。

  なおドイツ法においては、基本法一〇四条二項が﹁自由剥奪の許容及びその継続については、裁判官のみがこれを決定する。裁判官の命令に基づかないあらゆる自由剥奪においては、遅滞なく裁判官の決定がなされなければならない。警察は、何人についても、捕まえた日の翌日の終了後を超えて、独断で自己の留置所に留置することができない。﹂と定めるが、日本法と同様の考え方に基づいて、特にナチス期の警察に対する反省から憲法上の保障として定められたものである ₄₅

。以上の考察からして、日本法においても警察官による保護の継続の制限、及び例外的な延長の場合の司法関与は憲法上の要請と考えるべきではないだろうか。上記のほか精神保健福祉法三九条二項に定める警察官の保護、医療観察法九九条四項、もしくは七五条二項に定める警察官の保護においても二四時間の制限が定められており、また、児童福祉法上の一時保護を警察に委託する場合については、警察庁通知により﹁原則として児童に一時保護を加えたときから二四時間を超えないこと﹂とされているが ₄₆

、憲法上の要請であるとすれば、児童福祉法上、明文の定めを置くべきであろう。

  他方で、このように警職法三条三項の司法関与の定めが警察官による実力行使であるがゆえの規定であるとすると、警察官によらない人身の自由の制約に関しては、あらためて考察が求められることとなる。そこで次に児童福祉法二七条の三、少年法六条の七に定める司法関与についてみてみよう。この場合、たまたま児童、少年の行動の自由を制限し、又はその自由を奪うような強制的措置を必要とするときに家庭裁判所送致が求められる一方で、児童福祉法上の一時保護、及び児童福祉施設における親権の行使、もしくは監護、教育及び懲戒に関し児童の福祉のため必要な措置について例外が定められている点が注目される。ここで司法関与が問題となっているのは主として一時保護、児童福祉施設の下

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   同志社法学 六七巻二号四六四八一八

にある児童の自由であることからして、行動の自由の制限、自由を奪うような強制的措置とは、それら親権の行使等においては認められない程度の強度の自由制限を意味するものと理解される。実務においては、一時保護、親権の行使に関して、逃走しつつある児童を連れ戻したり、十分な監視を以ってしても逃走を防止できないような場合に、窓に格子を用い、扉に鍵をかけることの出来る特別な部屋で保護することはできるものの、鍵をかけないことが望ましく、また、児童を一人ずつ鍵をかけた個室におくことはできないとされている ₄₇

。つまり児童を一人で鍵をかけた個室におくことで初めて強制的措置として司法関与の対象とされるのである ₄₈

。これに対して、一時保護においてそのような強度の自由制限に至らない場合には少なくとも子どもの自由制限の観点からは必ずしも司法関与は求められないこととなるのであろうか ₄₉

  果たしてこれで良いのか、ここでも再びドイツ法を参考とすることとしよう。上述のように基本法一〇四条二項は自由の剥奪を裁判官の決定に服せしめており、自由の剥奪と、剥奪に至らない自由制限とが区別され、その境界が議論されてきた。まず人身の自由は市民の一般的法的地位及び展開可能性の基礎である点に特別の価値があり ₅₀

、行動の自由を保障するだけでなく他のほとんどの基本権の行使の基礎をも生ぜしめ、その侵害は他の基本権侵害以上に人の生活状況全体に不利な影響を与えるものであること ₅₁

が議論の前提である。その上で、自由の剥奪とは、行動の自由の包括的な空間的制限であり ₅₂

、より具体的にいえば人を拘禁すること ₅₃

、例えば刑務所や病院の閉鎖病棟のような﹁狭く限定された空間﹂に、当事者の意思に反して、もしくは意思によらずに拘留することとされており ₅₄

、個別の事例においては自由制限の手段や空間的範囲のほか、継続期間によっても判断されうる ₅₅

。一方、裁判官の決定に際しては、裁判官自らが事実を審理することが必要とされ、基本法一〇三条一項あるいは一〇四条二項に基づき、自由を剥奪される本人の審尋が必要とされる ₅₆

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   同志社法学 六七巻二号四六五八一九   日本法に戻ると、川崎民商判決が令状主義に関して③﹁直接的物理的強制﹂を掲げる点からしても、ドイツ法と同様、少なくとも個室に一人で閉じ込めることは行動の自由の最大限の制限であり、人身の自由の基底的価値に鑑みても強制的立入調査に劣らない直接的物理的強制による自由制限として司法関与を必要とすべきであるように思われる。このあたりが日独両法の基本的な違いを超えて最低限の憲法上の要請といえるのではないか。これに対して、司法関与が必要とされる理由として本人自身による救済の困難性に着目するなら、一定の場所を離れることができない限り、より緩やかな自由制限についても司法関与の必要性が問われうるが、ドイツ法はそこまで司法関与を求めるものではないようである。いずれにせよ、司法関与の必要性につき定めのない上記諸法律につき、児童福祉法二七条の三等が司法関与を求める場合と同程度の自由制限であって、ドイツ法における自由剥奪に該当するような場合を含むとすれば、それぞれ憲法適合性を慎重に判断すべきであろう。

  まず精神保健福祉法における措置入院からみていくと、この点については﹁心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)﹂(二〇〇三年)に基づく入退院等との比較も求められるところである。医療観察法における裁判制度の趣旨として、一方で本人の重大な他害行為を契機とするものであって社会の安全の要求に応える制度であるとの説明 ₅₇

があるが、あくまでも本人のための制度であるとの立場 ₅₈

からは、入退院にとどまらず長期にわたり監視の目が強く、自由制限の程度が極めて大きいことに焦点が当てられ ₅₉

、にもかかわらず本人に代わって後見的判断が求められる点が挙げられよう ₆₀

。しかし、いずれにしても、精神保健福祉法上の措置入院もまた﹁他人に害を及ぼすおそれ﹂(二九条一項)に着目するものであり、また、入院中の処遇として患者の隔離や身体的拘束といった相当な自由制限が認められ ₆₁

、極めて長期の入院もありうるといった実態が指摘されてきた ₆₂

。同法二九条二項は措置入院につき二人以上の指定医の診察の結果が一致した場合でなければならないとの要件を定めるが、司法関与に代替しう

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   同志社法学 六七巻二号四六六八二〇

るかは疑問であり、行政手続それ自体としても十分であるか慎重な検討が求められるように思われる。第一次的には司法関与が必要であると考えられるが ₆₃

、医療観察法と比べて柔軟な対応が評価される面 ₆₄

があるとしても、せめて医師の診察の重要性に鑑みて本人毎に裁判官による医師の指定を求めるべきではないか。にもかかわらず現行法を維持するのであれば、解釈論としては司法関与のない自由制限には限界があり、個室に一人で閉じ込めるといった隔離、さらには身体的拘束はドイツ法でいう﹁自由剥奪﹂に相当するものとして許されないのではないか。以上は医療保護入院についても基本的に同様であろう。

  一方、感染症法の健康診断・入院の場合には行政手続法の適用除外の一方で書面による理由の通知(一七条三項)などの手続が用意され、また、必要な最小限度の措置のみが認められるとの定め(二二条の二)が置かれているが、ドイツ法にならえば健康診断については緊急性あるいは自由制限の態様、継続期間に鑑み司法関与を求めえないとの立場がありうるかもしれない ₆₅

。七二時間を限度とする最初の入院(一九条四項)についても、先に警職法三条三項ほかについて考察したところからすると、警察との差異、継続期間に鑑みて正当化の余地があるかもしれない。しかし、閉鎖病棟への収容である限り、入院の延長(二〇条)については司法関与が求められるのではないだろうか ₆₆

。こうした司法関与の要請に応えられないなら、この場合もそうした過度の自由制限は認められないだろう。

  麻薬取締法の診察・入院についても以上二法と基本的に同様である。   警職法三条三項が戦前の自由制限の濫用に対する反省に基づくものであるとすれば、三法の入院措置に隣接する領域においても、らい予防法のように苛酷な歴史 ₆₇

があり、こうした自由剥奪の濫用の経験に鑑み、強く司法関与が求められるように思われる。

  さらに出入国管理法上の退去強制手続については特別審理官の口頭審理を含む慎重な手続が整備されているが ₆₈

、この

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   同志社法学 六七巻二号四六七八二一 場合も収容令書による収容と退去強制令書による収容・送還を区別する必要があるだろう。

  まず前者については特別審理官の口頭審理といった手続が用意されていない点からしても ₆₉

、上記三法の入院措置の場合と同様に司法関与が求められよう。その際には、後者における口頭審理の存在に鑑み、本人の陳述聴取を否定できないように思われる。ドイツ法における本人の審尋の保障等も参考にしつつ刑事訴訟法における被告人の勾留(六一条)に準じた手続が保障されるべきではないだろうか。そのような手続的整備がなされない限りは、ドイツ法における﹁自由剥奪﹂のような過度の自由制限を認めるべきではないといえよう。

  一方、後者についても、仮に現行手続に代えて司法関与が導入されたとして、口頭審理のない令状審査に止まるとすれば、現行手続と比べてどちらが手続保障の観点から望ましいかは一概にいえないため ₇₀

、本人の陳述聴取を前提とした司法関与が求められることとなろう。先に考察した強制執行の場合と同様、司法関与の要否を問う際には、どのような関与が求められるかをも合わせて論じるべきである。

  人身の自由に関する令状主義についても憲法三三条、三四条に止まらず実質的意義を問い直す必要があるが、少なくとも一定期間以上にわたり鍵のかかった個室に閉じ込めたり、身体的拘束を行ったりするには司法関与が求められるといえるのではないだろうか。

  以上、ドイツ法を最小限度で参照しつつ簡単な考察を行ったが、住居不可侵、人身の自由それぞれについて司法関与の実質的意義を問い直しつつ、個々の法令の下での自由制限のあり方をさらに具体的に検討し、相互に比較しながら司法関与の具体的あり方について問うていく必要があるだろう。

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