"Resolution and independence"についての一考察 : 転換期のWordsworth
著者 安田 良子
雑誌名 主流
号 47
ページ 35‑53
発行年 1986‑02‑20
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014973
R e s o l u t i o n and I n d e p e n d e n c e " についての一考察
一一転換期のWordsworth一 一
安 田 良 子
A. C. Bradleyは,Oxford Lectures on Poetryの中で本詩は,
‑ 町 themost Wordsworthian of Wordsworth's poems, and the best test of旦bilityto understand him.1
だと語っている .W. Wordsworthに批判的だったT.S. Eliotでさえも,玉 石混請の移しいWordsworthの作品群の中にあって,この Resolutionand lndependence"は 最 上 の 出 来 だ と 言 っ た2 1つ の stanzaが7行で,
20stanzasから構成されている本詩は,危機的状況に陥ったWordsworthが, Wordsworth的な方法でその危機よりの脱出を試みた詩であると同時に,自 然詩人Wordsworthを端的に物語った TinternAbbey"勺こ代表される汎神 論的世界とは異なった世界に入りかけたことを示す秀作である.
本稿の目的は,本詩を創作した1802年にWordsworthが直面した危機とは いかなるものであったか,またいかにしてその危機を克服したかを,この作 品の分析を通して考察し,当時のWordsworthカf転換期に立たされていたこ
とを明らかにすることである.
Wordsworthは,
‑岨.my voice. proclaims How exquisitely the individual Mind
36 Resolution and Independence"についての一考察 (And the progressive powers perhaps no less
Of the whole species) to the. external world [Nature] Is fitted:‑and how exquisitely, too‑
Theme this but little heard of among men‑
The巴xternalW orld is fitted to the Mind4
と,自然と人間の精神に相互適合の原理を信じていた.この信念を裏付けた のが,自然との合ーの喜びの体験を彊った TinternAbbey"である. Tin‑ tern Abbey"は自然という外の世界と人の精神の内なる世界の相互作用に よって,自然と人の精神に共通して宿る OneLifeを知覚するという上昇運 動を示した.
And 1 have felt A presence that disturbs me with the joy Of elevated thoughts: a sense sub1ime Of something far more deeply interfused, Whose dwel1ing is the light of setting suns, And the round ocean and the living air, And the blue sky,丘ndin the mind of man: A motion and a spirit, that impels
Al1 thinking things, all objects of all thought, And rolls through all things.5
この TinternAbbey"より 4年後に書かれた Resolutionand Independ‑ ence"における基本的な型も外の世界と内なる世界の相互作用による上昇運 動である.外へ向かおうとする遠心運動と内へ向かおうとする求心運動が繰 り返され,最終的には人間的に成長した自己を発見する. しかしながら,
Tintern Abbey"においては,外界とは森や野原といった人間の五官によっ
てとらえられる世界, allthe mighty world of eye, and ear,,6であったが,
Resolution and Independence"では,その自然とそれに加えて老人が登場 する.
さて,本詩中の詩人 1"の世界を内なる世界とすると,詩人以外の世界は 外なる世界となる.従って,本詩をみる視点のーっとして,外界と内なる世 界の往復運動の考察があるが,その場合外界に含まれている老人が問題とな る.いま一つの視点は, JoyとDistressというこつの相反する感情の動きか ら作品の展開をみるものがある.両視点による stanzaの動きを示してみょ
っ .
Stanza 1 一面ー→ N~ 唖ー→珊~XVl ‑→x¥!][ ~
x x
外・内の世界 外(自然)ー→内(詩人)ー→外(老人)ー→内(詩人) 喜・苦の世界 喜 一一令 苦 ー→ 苦 ー→ 喜
但し,第3stanza,第7stanza,第17st叩 zaは,外から内へ,内から外へ,
外から内への転換を各各示すstanzaとなっていて,切れ目はない.また第 8 ~ 16 stanzasの外の世界である老人は,第 1~ 3 stanzasの外界である自 然と内の世界の詩人の両方と密接な繋がりをもった存在であることは,詩人 が自然と老人の両方と関わり合っていることを意味する.各世界を支配する 中心感情の動きは,それ故,一つの流れとみなされなければならない.二つ の視点は別別の読みを与えるのではなく,一つの目的に向かっている.以上 のことを,具体的にstanzaを追って検討してゆく.
第1,2 stanzasは,自然描写で,一夜の嵐が去った翌朝の爽やかで明る い自然の表情が描かれている.遠くの森からは,さまざまな鳥たちの歌声が 聞こえてくる.自分の声に聞き惚れているかのような鳩の鳴く声,加えて賑 やかなカササギとカケスのハーモニー,辺りには水の心地よく流れる音が充 ちている.続く stanzaも万物が明るい穏やかな日射しの中で歓ぴに浸って いる.雨の雫が輝く中,水
i
留りの道を楽しげに駆けまわるウサギが,水溜り38 Resolution and Independence"についての一考察
の水を次次と跳ね上げては,跳ね上げられたその水が霧状となって,太陽の 光にきらめくさまは,実に美しい.
このような自然のうちにあっては,物思いに沈んでいた詩人も,いつしか 喜ぴの世界へと招かれる.明るい自然に誘われて,詩人は喜びの中で自然に 没入する.
1 saw the hare that raced about with joy; 1 heard the woods and distant waters roar; Or heard them not, as happy as a boy: The pleasant season did my heart employ: My old remembrances went from me wholly; And all the ways of them, so vain and melancholy7
詩人は,自然に没入している自分の姿を, ahappy boy"だと言う.そして 自然とともに喜びに浸ることは,現実の人間世界の辛さを完全に忘れさせて くれると言う.だが,この苦からの解放は一時的なものでしかすぎない.詩 人が陽気な自然に引き込まれる前に,詩人を悩ましていた漠然たる不安が 戻ってくる8 Fears,"fancies,"dimsadness,"blind thought"が,詩人の
おしひし
心を圧投ごうとする.
第5stanzaにおいて,第3stanzaの boy"と同類の語 child"が再ぴ同 じく happy"という形容詞とともに登場する.自然と同化した自分は a happy child"であると繰り返す.この happychild"としての自分の生き方 は, Far from the world 1 walk, and from all care"(1.33)であり,更に第6 stanzaでは, Mywhole life 1 have lived in pleasant thought,/ As if life's business were a summer mood"(ll. 36‑7)としている.この第6stanzaの2 行ではっきり示されているように, ahappy child"の状態に対してかげり をみせてくる.その理由は,自然から得られる喜びが煩しい現実から逃避し て得られたものであることによる.気を重くさせ味気ない現実の人間世界か
ら逃避して喜びを得ていた.だが,これは大人の生き方としては認められな いものだ.たとえ sovain and melancholy"(.120)であろうとも,人間は自 然の世界のみに閉じこもって生きられるものではなし他の人人と交わりを
もち,社会への義務を呆たしつつ生きるべきものだからなのである.
2
ところで, W ordsworthにとって,
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子供」またはf
子供時代」とは,あの 虹"の詩で TheChild is father of Man"gと断言されているように,尊 重されるべきものである.詩作するためのかけがえのない泉でもある.自然 との交流を通して詩魂の成長を綴った ThePreludeで子供時代を次のように 語っている.
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Of life. The hiding‑placωof man' s power Open; 1 would approach them, but they close 1 see by glimpses now; when age comes on, May scarcely see at all; and 1 would give, While yet we may, as far as worlds can give, Substance and life to what 1 feel, enshrining Such is my hope, the spirit of the Past F or future restoration10
子供時代は,詩作する力の hiding‑places"なのだ.子供時代において子供 の持つ純粋な感性,精神故に自然との融合が容易にでき,この融合が成し遂 げられた瞬間は spotsof time"(The Prelude XI, 1.258)とよばれて,人の精 神を豊かにしてくれる.
40 R巴solutionand lndependence"についての一考察
There are in our existence spots of tim巴
Which with distinct pre‑eminence retain A renovating virtue, whence . . . our minds Are nourished and invisibly repaired.ll
従って,自然との融合を可能にしてくれる子供の要素をできるだけ持ち続け ることが望ましい.
Thou little Child, yet glorious in the might Of heaven‑born freedom on thy being's height Why with such earnest pains dost thou provoke Th巳y巴arsto bring the inevitable yoke, Thus blindly with thy blessedness at strife? Full soon thy Soul have her earthly freight, And custom lie upon thee with a weight, Heavy as frost, and deep almost as life!12
といったことになる. しかしながら,そうした子供の段階に留まり続けるこ とは,この Resolutionand Independenc巴"では asif 1ife's business were a summer mood"とあるように,人生を summermood"と考えていること になる.時制が仮定法過去であることからわかるように,本当の人生とはそ のようなものではないのだ.実際,人生にはsummerばかりでなく, Wlllter
もあるはずだ.ではどのようにして, W ordsworthはこの冬の季節を知覚す るようになったのか.子供時代が hiding‑placesof man's power"であると 言った時,もう既に Wordsworthは,先の引用にあったように, 1would approach them th巴hiding‑places,but they close/ 1 see by glimpses now"
の段階のところにきていた.これは Resolutionand Independence"が書か
れた1802年のことである.また 1mmortalityOde"で,かつて目にする自然 物すべてが天上の光で包まれていたのに,今はもうそのようには見えない.
Whither is fled the visionary gleam?
Where is it now, the glory and the dream?13
と嘆いたのも1802年だ14 1798年にParadiseは来世ではなく,この現世に おいてこそ求められるべきだと言った.Paradiseとは,この世に存在する 自然と人聞の合一 (Wordsworthはこの合ーを次の引用で見られるように結 婚のイメージで表わした)によって創られる,自然と人間の精神が力を合わ せて成す
Paradise, and groves Elysian, Fortunate Fields‑like those of old Sought in the Atlantic Main‑why should they be A history only of departed things,
Or a mere fiction of what never was?
For the discerning intellect of Man, When wedded to this goodly universe 1n love and holy passion, shall find these A simple produce of the common day
‑1, long before the blissful hour arrives, Would chant, in lonely peace, the spousal verse Of this gre呂tconsummation.15
人間の至福を人間の力で創り出す.まさに自らが神となっての業である.
その当時のWordsworthにはこの世以外の世界からの助けは必要で、はなかっ た. しかし,その創造が成就し得るのは,感性と精神が生き生きと活動でき
42 Resolution and lndependence"についての一考察
ることが条件であった.自己の神格化は,第7stanzaに Byour own spir‑ its are we deified/ We Poets in our youth begin in gladness" (11. 48‑49) とあるように,若い時代においてのみ可能なのである.ところが, 1802年の Wordsworthが将来の自身の詩人生活を思った時,先達として思いうかべた のカえ Chatt巴rtonであり Burnsであった.
H. Bloomは, W ordsworthが Chattertonを語るのに themarvelous Boy"と言っていることに注目している16 W ordsworthにとって少年時代は
the hiding‑places of his power"である故,まさに marvelousboyhood"で あった.豊かな詩心を示したmarvelousChatterton はmarvelousな少年時 代から次の大人の時代に入る前に,少年のまま毒をあおって死んだ̲Chat‑
tertonは,少年時代から大人の詩人になるのに失敗したのだ. marv巴lous boy"がmarvelousでなくなった時,その後どのような人生を歩まねばなら ないのだろうか.人生を summermood"であるかのように生きてきたと 語った Wordsworthは, Chattertonに次の段階の詩人になるにあたって,
自己の姿を投影させていたのではないか.W ordsworthが尊敬してやまな かったBurnsも, glory"と joy"の中を歩いたが,結局37才の若さで詩人 であったが為に破滅し,悲しみのうちに生涯を終えでいる.詩人Burnsの 最盛期を象徴的に語る語勾, glory"と joy"は,詩人Wordsworthにとっ ても keywordsである.本詩と同時期に書き始められたあの,想像力の枯 渇を嘆いた ImmortalityOde"に語られているように, glory"と joy"は自 然との霊交のうちに詩人にOneLifeを知覚させる想像力の特質を表すこと ばでもある.想像力の豊かな時代は,確かに Wordsworthは glory"と
joy"に包まれていた. By our own spirits are we deified" (1. 47)とある が,精神が glorious"で joyful"であり続ける限りにおいて詩人は神とされ るのである.言い換えれば,想像力が活発に働いている若き詩人は, We Poets in our youth begin in gladness" (1. 48)と言うように,喜び、のうちに ある.
Wordsworthが,この世ではなくて一体何処に楽園を見い出すというのか,
自然と人間の精神のみで地上の楽園は創れるのだと主張し得た時, Word‑
sworthは神の如き詩人であった.従って,天上よりの超自然的な助けを必 要としなかった.が, しかし,精神が glorious"で joyful"でなくなればど
うなるのか.感覚もいつまでも瑞瑞しくはない.
第4stanzaの最初の2行のこれ以上行くことのできない喜ぴの頂点とは,
この世で得られる最高の喜び?と解すると,人間がこの地上において agod"
となる gloriousjoy"ではないか. しかしながら,通常人は歳月の経過とと もに肉体のみならず精神の衰えもいかんともしがたい.いかに,
1 could wish my d旦ysto be
Bound each to each七ynatural piety17
と切望していても,既に引用した詩行にあったように, glory"と joy"に 充ちた子供時代から遠ざかる運命にある.上昇から下降への道は避けられな い.昇りつめた高さが高いほど,その高さにあった喜びを喪失する時,もし くは,するのを予知できる時,その悲しみ,苦しみは, Inour dejection do we sink as low" (1. 25)と今度は同じ程度まで下降することになるのでは ないか.第7stanzaの表現を使えば, despondencyand madness" (1. 49) へと沈むのだ¥神のような状態から狂気に逢着してしまうのだ.但し,この ことを書いていた Wordsworthは,神に救いを求める祈りで、終っている最終 stanzaではっきりと示されているように,もはや deified"される詩人では ないが,まだこの第7stanzaの段階では madness"の窮地にも追いつめら れていない.先輩詩人達の辿った運命を考え,自分も同様に悲惨な最期を遂 げるのでは,と予想しておそれている段階にいる.神のような経験は既にもっ たが,狂気にはまだ、至っていないという,謂わば中間のところで立ちすくん でいる.
さて, stanza構成から見た場合,表向きには第7stanzaは詩人一般の運
44 Resolution and lndependence"についての一考察
命を述べており,
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詩人」のstanzaとしては焦点をぼかされた形になってい る.そうすることで,第3stanzaから始まった詩人の,自己の内面への運 動は外の世界へと方向転換するのを容易にしていると思われる. 1"がこれ まで述べた内面の不安をかかえこんだまま外の世界へと目を向けた時, I saw a Man before me unawares" (1. 55)となり,外の世界が展開される.3
第8stanzaから第16stanz丘まではこの aMan"である老人を扱ってい る.老人についてのstanzaは,詩人の内の世界と対応させた時,詩人の自 我の世界に対する他の自我の世界 外の世界である.初めの外の世界は自然 であったが,今度は老人となっている. しかし,この老人の世界は最初の自 然の世界とは無関係ではない.老人が自然といかに密接な繋がりをもってい
るかを,まずみてみよう.
Wordsworthは,老人を描写するにあたって,老人が自然と極めて密接な 関係にあることを, もしくは,自然の一部で、あるかのような印象を与える巧 みな表現方法をとっている.たとえば,老人が,足ではないが杖で足元の沼 をかき混ぜ、る行為,
. stirring thus about his feet the waters of the pools where they [leach巴s]abide18
は,第2stanzaのウサギが足で前夜の嵐雨でできた水溜りをかき蹴散らす さま,
The hare is running races in her mirth, And with her feet she from the plashy earth Raises a mist.18
を思い出させる. plashy"という言葉には[水
i
留りの多いJ
と「泥だらけJ
の二つの意がある.ウサギは道の水溜りをかき回し 老人は沼地の泥をかき混 ぜ、る.また pool"には smallpond"の他に, puddle(水溜り) "の意味も あって,水のイメージでも繋がりがもてる.ただ,ウサギの方はきらめく日 射しの中,陽気な喜びの中で動いているのに対して,老人は theweary moors" (1. 130)の辺りを,たった一人で静かにゆっくり歩む,といったよう な動きをする.背景となっている moor"については,第2stanzaでは明る い感じを与えているが,老人が登場する場としては, lonelyplace" (1. 52)
とか apool bare" (1.54)と表わされて,暗い感じを与えている.同じ moor"でも自然の明・暗の両方のイメージを与えている.また weary moors"の we丘ry"という形容調は,ここでは自然の風景に用いられて,暗 のイメージを演出するのに一役かっているのだが,全く同じ形では会いが同 意の形容詞 wearisome"(1. 101)が,老人の職業につけられている.しかし,
いずれも直接老人に weary"が用いられていないことに注意したい.共通の 形容調を用いて老人と自然を描写することによって,両者の繋がりは強まっ ているように思える19 吏に自然と老人を繋ぐイメージとして,もう一つ明 確な水のイメージがある.第15stanzaの tothese waters he had come" (1 99)と第16stanza his voice to me was like a stream" (l. 107)である.
I
水J
のイメージは場所を示すとともに老人の声の調子の比倫にも使われている.
そして後者の stream"は astream/ Scarce heard"とされることで,第3 stanzaの 1heard the woods and distant waters ro呂r"(1. 16)と「かすかに 聞こえてくる音」として重なっている.視覚的イメージはもっとはっきりと 第8stanzaで老人が無生物の巨大な石に,そして生物の sea‑beast"(海獣) (l. 62)にと師会えられている. また,何よりも自然を相手に,すなわち沼の蛭 を取ることで生計をたてている老人は 自然を生命の源としている.このよ うに,老人をさまざまなものと繋がりをもたせて,老人と自然との融合感を かもし出す.
更に,直接老人自身と自然との繋がりを第10stanzaの rage"という単語
46 "Resolution and Independence"についての一考察
を通して考えてみたい. rageという語は,嵐のような激しい自然現象を表 わす場合にも,病気や感情の激しさを言う場合にも用いられる.冒頭の2行 の自然が前夜荒れ狂った状態、は,一語で言うならば rage"の状態であろう.
一方,老人は遠い過去に rageof sickness" (11. 68‑69)を味わったかのよう な人だという.両方とも rage"の状態を経験している.が,いずれも過去 のこととなっている.つまり,自然も老人も "distress"を経た後の存在とし て描かれている.が,自然の方は第1‑ 3 stanzおで明らかなように joy"
の状態にあるのに,老人の方は, joy"の状態にあるとは簡単にはいいきれ ない.この点については指摘しておくだけにとどめておこう.
4
Tint巴rnAbbey"のテーマは,自然のうちに OneLifeを直感することで あった. 自然は自然を愛する者の心を裏切らず(N丘turenever did betray / τhe heart that loved her)20,人間の世界で疲れた魂に安らぎを与えてくれ
た.だが, "Resolution and Independence"においては,自然との合ーによ る喜びは束の間しか続かず,詩人はおそろしい不安から救い出されてはいな い.この時点から TinternAbbev"の世界のWordsworthとは違った,新し い側面をもっWordsworthが,老人が中心となる世界において示されること になる.このことを最も端的に示しているのが,第8stanzaの最初の詩行 にある grace"という言葉である.M.日oorm呂n[土,この言葉について,次 のように語っている.
hεre we m巴etfor the first time with丘wordnew in Wordsworth's vocabulary‑one which was to play an increasingly important part in the poetry of the years to come. It is the word 'grace,Zl
老人との出会いは, peculiargr呂ce"(1. 50)によるもののように思えるとい う@仮定法を用いて慎重に表現してはいるが,同意の語句, A leading
from above" (1. 51),a something given" (1. 51)と連続させることで仮定法 の意味を減じて少しでも確定的な方向へ近づ、けようとしているようだ.この ようなやり方は,既に TinternAbbey"にも用いられている. Tintern Abbey"においては自然との交歓成就を伝える時,If節(1.49と1.113)仮定 法から始めているにもかかわらず最後には各各断定的な表現で終ることに よって,説得力をもたせている.本詩においても同じ方法が用いられている のが,読み進むにつれて明らかになる.
老人に戻ろう.この老人は,詩人である「私
J
が執効におそってくる不安 に苦しんでいる時に,現われてくれたのである.老人が普通の人ではなく,不思議な存在であることを,詩人だけでなく,読み手の我々にもそう感じら れるように描かれている.第10stanzaをみてみると,老人は全く生きてい るわけでもなく,かと言って死んでいるのでも眠っているのでもないのが分 かる.境界線が非常にほんやりとした世界の人として描かれている.第12 stanzaにて,やっと老人は動き出し,詩人と関わり始める.このstanzaで の老人像を,動調 con"(1. 80)と readin" (1. 81)から探ってみよう.いず れの動調も,沼地に大切な生計のもととなる蛭の有無を知るために,真剣に 沼の面をみつめている動作を表わすのに使われている. しかしながら,
con"も readin"も「学ぶ,研究する」といった学究的な意味の言葉である.
しかも readin"は abook"を伴っている.老人が何か知恵ある人であるか のような印象を与える.
次の第13stanzaでは,先に示唆された老人が知恵ある人であるとの印象 を強める形容詞が重ねられている.話じ始めた老人の言葉は gentle"で courteoUs"である.肉体はいかにも弱弱しく枯れた感があるが,その日は 非常な高齢にもかかわらずいまだに生き生きと澄んでいる.外観に反して内 面をのぞかせる話しぶりの立派さは,更に第14stanzaに受け継がれる.
solemn,"lofty,"choice word,"measured"といった語句によって老人が 威厳があり,思膚
48 Resolution and lndependence"についての一考察 人の精神面で、の特徴を如実に語っているのが次の詩行である.
a stately speech Such as grave Livers do in Scotland use
Religious men who give to God and man their dues.22
老人の話しぶりは,スコットランドの信仰心の篤い,社会人としての責任を 果たしている真面目な生活人のものに聡えられている.スコットランドの信 仰心の篤い人とは,言うまでもなく,長老派の厳格なキリスト教信者をさし ているのであって, TinternAbb句"に示されたような汎神論的な信仰の持 ち主ではない.
また,老人は自然と密接な繋がりをもってはいるが,それのみの存在では ない. in this way he gained an honest maintenance" (1. 105)とあるよう に,老人は現実の生活人で、あることを示す. maintenance"(1. 105)だけで なく,現実生活ときり離せない経済に関する語, dues"や poverty"がある.
この詩を書いていた頃のWordsworthには幼なじみのMaryH utchinsonと の結婚話が進んでいた.一方, W ordsworthには若い時に愛L合って,正式 な夫婦にこそならなかったが子供までもうけた女性がフランスにいた.
Maryとの新しい生活をするための資金のこともあり,またフランスの母娘 に対しても,補償と言ってしまうと冷たい感じがするが,ある程度の責任を 果たす必要もあった.だが, W ordsworthには確とした財産や収入の道はな かった.ただ¥父親が他人に貸したお金が戻ってくれば,何とかなるといっ た事情があった. ImmortalityOde"は,詩人生活を左右する想像力のみ問 題にしているが, Resolutionand Independence"はその問題に加えて,社 会人として考えなければならない経済問題も「私」を不安にしている.理想 の世界のみに浸ってはいられない.現実の世界から目をそらすわけにはゆか ないのだ.こうした問題をのぞかせるのは,それだけ現実の問題を自分の問
題としてとらえるようになったことの表れであろう.このように老人は現実 生活としての面でも詩人と繋がる.
「苦しみ」の世界に沈潜してゆく詩人にとって,老人は,
like呂manfrom some far region sent,
To give me human strength, by apt admonishment.23
となる. somefar region"は何処か,と敢えて考えるならば,第8stanza で先に老人の出現を A leading from abov君"としているところから, the upper regions,すなわち「天上
J
,神のみもと,ともとれる.老人は,神が 私に aptadmonishment"を与えるために天上より私のもとへっかわされた 人のようだ¥この「天上」的なイメージは,すぐ近くにある divine"と対 をなしている human"で際立つ.こうしたことは, Paradiseは,この地上 において他から与えられるものではなく,感覚でとらえられる自然と力を合 わせて自分が創るのだ,という強烈な自我主張の考えからはでてこない.本詩の初稿原稿を読んで感想をよせたSaraHutchinsonへの返事の手紙 の中で, W ordsworthはこう語っている.
1 consider the manner in which 1 was rescued from my dejection and despair almost as an interposition of Providence戸
Wordsworthは aptadmonishment"を almostas an interposition of Pro‑ vidence"と考えた.こうした態度にはこれまでの自己充足的な生き方と違っ て,自己以外の外の世界に謙虚に心を聞いてみようとするWordsworthが見
られる.
ところで,何故, W ordsworthはこの老人に Howis it that you live, and what is it you do?" (1. 119)と同じ質問を繰り返して慰めを得ょうとしたの か.老人は自然物のイメージや地上的な人ではないような描かれ方をされて
50 Resolution and lndependence"についての一考察
いるが,詩人が出会った現実の人としては,非常な高齢にもかかわらず生活 のために沼から沼へと渡り歩く樫貧の人である.家族もいない孤独の身の上 で, hehad many hardships to endure" (1. 102)とあるように過去において 人生のさまざまな苦しみを味わった人であるお.請わば社会において殆んど 人々からかえりみられることのない下積みの暮らしをしている人だ.けれど も,老人は詩人の同じような質問に苛立ったり,怒った素振りをみせない.
それどころか,静かに微笑んで親切にも同じ答えを繰り返す.そして生計の もとである蛭は年々減ってきている(それだけ生活は一層厳しくなってきて いる)が,それで、も自分は屈することなく生きてゆくのだ,と語る.老人の この言葉に,過去においても現在においても,また未来においてもいかなる 国難・苦難に虐げられようとも,生きてゆく,という人生に対する不捷不屈 の精神をもった毅然とした人間性をかいま見る患いがする.失うものが何も ないような生活をおくる人間のうちに,こうした人間性を卑屈で、はなく,他 人へのやさしさ,快活さ.礼儀正しさまでも合わせもって見い出せることは,
一つの発見ではないだろうか.老人を通してのこの発見は,詩人にどんな苦 難に人間が虐げられようとも,さながらあの泥沼の蓮の花のように芳しい燦 たる光輝を放っ人間がし、ることの証明を与える.老人が詩人に請われるまま に同じ話をしている関,その話に耳を傾けつつ,詩人は将来に暗い影を投げ かけていた不安を反努する.やがて老人が話し終えた時,詩人は, 1could have laughed myself to scorn to find/ In that decrepit Man 50 firm a mind" (1 .1137‑138)と述べる.、cornmyself"とは,神の御心のまま謙虚に,
不屈の精神で生きている老人に比して,自らカキ中であり続けようとしたがた めの不安と,また,まだ努力して生きもしない実人生に過度のおそれをいだ いている自分に対して恥ずかしい という思いである.詩人は失意の状態を 脱したのだ.一つの発見をして.これは喜びである.第1‑ 3 5tanzasの最 初の喜ぴが一時的で、,どちらかと言えば感覚的であったのに対し,この発見 の喜びは精神的なものであるe もはや 詩人は最初に登場した時の詩人では
ない.L. Tri11ingの言葉を借りれば, growingup"したのだ26 再生され た喜ぴは,第1‑ 3 stanzasで、示された喜びよりも深い.詩人は,この発見 を彼の人生の糧として生きてゆこう,という決意の言葉,
God," said 1,be my help and stay secure;
1'11 think of the Leech‑gatherer on the lonely moor幻
で本詩を締めくくっている.神への祈りと人間の不捷不屈の精神への思いで、
締めくくっている.
本作品は完全にキリスト教への傾きを示しているわけではないが,少なく とも humilityの姿勢をみせていること,一種のストイシズムへの傾きをみ せていること,といった点でこれまでのWordsworthとは違った側面を示し ている. しかしながら,かつて魂の拠りどころであった自然は否定されては いない.自然界の絶えざる詩人への影響はしばしの安らぎを与えはするが持 続せず,詩人は挫折しかかるが,自然界の一部とも思われる老人によって失 意の状態から救い出され,最終的には詩人は本詩の出発点より上昇した段階 に到達している.宇宙のumtyへのWordsworthの信頼は維持されたままで ある.本詩は,従来の特離を残しながら新しい変化をも示したもので,これ 以後の作品28の傾向を示唆する非常に興味深い作品であると言えよう29
注
1 A. C. Bradley, Oxford Lecture on Poetry (London: Macmillan, 1909), p. 130 2 T. S. Eliot, The Use of Poetrツandthe Use of Criticism(London: Faber and Fa‑
ber, 1980), p. 73.
3 本詩の正式名は, LinesComposed a Few Miles above Tintern Abbey, on Re‑ visiting the Banks of the Wye during a Tour, July 13, 1798. "以後,同詩を Tin‑ tern Abbey"と略して言及する.
4 The Recluse, 11. 815‑821 Wordsworthの詩作品からの引用はすべて ThePoetical Works of William Wordsworth 5 vols, ed. E. de Selincourt and Helen Darbishire, 2nd ed. (Oxford: The Clarendon Press, 1954)に依る.
52 Reso1ution and Independence"についての一考察 5 Tint巴rnAbbey," 11. 93‑102.
6 Tintern Abbey," 11. 104‑105
7 Resolution and Independence," 11. 16‑21.
8 W ordsworthは,第4stanza,及ぴその他のstanzaで自分の体験を記述する場合,
TとWe'を用いているが,彼がそれを人間共通,もしくは詩人共通の心理として 理解していたからであろう.
9 My heart 1eaps up when 1 beho1d"で始まる詩.以後,同詩を TheRaindow"
と記す.
10 The Prelu必,XI, 1 1.334‑347.本詩は1805年版を使用す.以後もこの版に依る.
11 The Prelude, X1, 11. 258‑265.
12 lntimations of Irnmorta1ity from Reco11ections of Early Chi1dhood," 11. 127ー
132.以後,本詩を略して lmmortalityOde"とする.
13 Immorta1ity Ode," 11. 56‑57.
14 Both the lmmortality Ode" and Reso1utlOn and lndependence" are part of a poetic dia10gue on despair that took place between the two poets ear1y in 1802
. the first v巴rsionof Dejection: An Ode," as a response to Wordsworth's 1m. morta1ity Ode" ; and R. eso1ution and lndependence,". . is in turn answered by Co1eridge's revised Dejection." Jared R. Curtis, Wor.ゐworth'sExperimeηお 包ith Tradition (lthaca: Corne11 Univ. Press, 1971), p. 25
15 The Recluse, 1. 1810‑824
16 H. Bloom, The Visionary Company : A Reading of English Romantic Poetry (Lon‑ don: Faber and Faber, 1961), p. 166.
17 The Rainbow," 1. 17‑8.
18 Reso1ution and lndependence," 1 .1122‑123これに続く引用は同詩の1.111ー
13.
19 同じような効果を,第 8stanzaの th巴o1destman he seemed that ever wore grey hairs"と第9stanzaの upona 10ng grey staff of shavenwood"の grey"に 感じる.木が10ngで杖代わりできるほどまっすぐであるのを除けば,ぜい肉をそ
ぎおとした灰色に枯れたイメージは共通している.
20 Tintern Abbey," 1. 1122‑123
21 Mary Moorman, William Word同Jorth,A Biography : The Ear~シ Years 1770‑1803 (Oxford: The C1arendon Press, 1957), p. 540.
22 Reso1ution and lndependence," 1. 196‑98.
23 Ibid.. 11. 111‑112
24 Ernest de Selincourt, The Letters of William and Dorothy Wordsworth : The Earか
Years 1787‑1805. Revised by Chester L. Shaver. (Oxford: The Clarendon Press, c1967), p. 366,
25 4年前の AnimalTranquility and Dec句 " や 寸he01d Cumberland Beggar"中 の老人が最初から人生を受容し自然に融けこんでしまっているのに対し,蛭取り老 人は人生の試練を経た後心の平安を得た人として描かれている.
26 Lionel Trilling, The Liberal Imdgination (Nex Y ork: The Viking Press, 1950), p 127.
27 Resolution and Iodependence," 1 .1139ー140.
28 不屈の精神をたたえたソネット ToToussant L'Ouvreture,"ストイシズム傾向の 強い TheWhite Doe of Rylstone ,,,130余りのEcclesiasticalsonnetsがある.
29 多くの場合, W ordsworthは実際の経験を題材としたが,生のままではなく,時 聞の経過の中で意味の取捨選択,追加,強化が行われ,変容させる.本詩の有機的 統一の要となっている老人も例外ではない.蛭取りの老人は,実際に出会った老人 そのままの人ではない(MaryMoorman, 0.ρ. cit., p. 538).出会ってから経過した数 年間が老人に本詩に示されたような重要性を付加させた.すなわち, 1802年の Wordsworth は,それほどまでに将来の不安を克服できる不接不屈の精神を必要と したのである.そして,このようごと老人を創造することができたのは, "I believe God has given me a strong imagination"だと Wordsworthは語っている (Ernest de Se1incourt, op. cit., p. 366)