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解説★★ (1)
★★★★ (2)
★★★ (3)
★★ (4)
★★★★ (5)
★★★ (6) ムッソリーニ率いるファシスト党が、1922年に政権を握り、独裁を行った。また、1936年にエチオピアを併合した。
★★★ (7)
★★ (8) ナチスはドイツ民族の優秀さを強調する宣伝を行い、ユダヤ人を迫害し、共産主義者や自由主義者を攻撃した。
★★★ (9)
★★★★ (10)
アは答え、イは1973年の第四次中東戦争をきっかけにおこった、ウは開国直後の貨幣改鋳の説明、エの秩父事 件は1882年から1886年にかけてのできごとである。
世界恐慌の対策として、アメリアでは、ルーズベルト大統領のもとニューディール政策(新規まき直し)という政策 をとった。これにより、国内の結束が強まり、少しずつ国民の購買意欲が上向き、デモクラシーへの信頼も回復に向かっ た。
イギリスとフランスのブロック経済に対して、植民地の少ないイタリア、ドイツ、日本などは、反発しながらも、それ ぞれの対策を探っていった。
好況から不況へと急激に変わる恐慌は、周期的におこるといわれている。この世界恐慌によって、それぞれ自国 第一の政策を追求したので、国際協調の体制は大きくゆらいだ。
ソ連は、以前から「五か年計画」を推進していたので、世界恐慌の影響を受けることなく、成長をとげ、アメリカに 次ぐ工業国となった。
ヒトラー率いるナチスは、支持を集め、世界恐慌の混乱に応じて、19
33年に政権をにぎった。民主主義を無視し、ほかの政党を解散させ、独裁を行った。また、国際連盟から脱退し、国際世 論を無視して軍備を増強し、東方に領土を拡大させた。公共事業と軍需産業によって、ドイツは軍事大国となった。
民主主義や自由主義を否定する全体主義の体制を「ファシズム」といい、1930年代には、イタリア、ドイツ以外に も各地で勢力をのばした。
1923年の関東大震災で経済に大きな打撃を受け、その後の混乱から。1927年に取り付けさわぎがおき、多くの
銀行が休業、倒産する金融恐慌に見舞われた。さらに、生糸の最大の輸出先であるアメリカで1929年に始まった世界恐 慌によって、日本の経済も大きな打撃を受け、深刻な不況におそわれた。
(2)
(9)
ファシズム
(10)
関東大震災
(7)
F G
ヒトラー (国民社会主義ドイツ労働者党)ナチス
(8)
ユダヤ人
(4)
ブロック経済
(5)
(例1)ソ連は社会主義の経済だったから。
(例2)ソ連は計画経済を行っていたから。
(6)
ムッソリーニ
(1)
世界恐慌 ア
(3)
B C
ルーズベルト ニューディール政策
目標時間
30
分★・・・簡単 ★★・・・少し簡単 ★★★・・・標準 ★★★★・・・少し難しい ★★★★★・・・難しい ★★★★★★・・・かなり難しい
2節 世界恐慌と日本の中国侵略(解答)
第5章 二度の世界大戦と日本
1
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解説★★★★ (1) 1927年,(A蒋(蔣)介石 )の率いる中国国民党が、南京に国民政府を樹立して、翌年には中国をほぼ統一した。
★★ (2)
★★★★ (3) 関東軍は、1932年3月、清の最後の皇帝溥儀を元首とする満州国の建国を宣言し、実質的に支配した。
★★★ (4)
★★★ (5) 軍需と政府の保護によって重化学工業が大きく発展し、軽工業の生産を上回った。
★★★ (6)
★★★★ (7)
★★★★ (8)
★★★ (9)
★★★★ (10)
★★★ (11)
★★★★ (12)
★★★★ (13)
★★★ (14)
1938年に近衛文麿内閣が国家総動員法を公布し、国の産業や経済から、国民の生活のすべてにわたって、戦争に動 員できる権限をもった。
1940年に近衛が「挙国一致」の体制をつくる運動を始め、ほとんどの政党や団体は解散し、国民を戦争に動員する機関 として新たに大政翼賛会が結成され合流した。
朝鮮では(皇民化)の名のもとに、日本語の使用や姓名のあらわし方を日本式に改めさせる創始改名が推し進められ、
労働力として動員したり、志願兵制度を実施するなど、戦争に動員した。
南京事件は、南京大虐殺として国際的に非難されたが、日本の国民には知らされず、戦後の極東国際軍事裁判で明ら かにされた。
日本の軍部(関東軍)は、1931年9月18日、奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路を爆破し、それを機に軍事行動を開 始した(満州事変)。
満州国の承認に対する反対の態度をとっていた犬養毅は、1932年5月15日、海軍の将校によって暗殺された(五
・一五事件)、後継の斎藤実(さいとうまこと)内閣は満州国を承認した。
1936年2月26日,陸軍の将校が,軍事政権をつくり政治改革を実現しようとして,首相検定や警視庁などを襲撃をしたが 失敗に終わった。これを(D二・二六事件)という。以後,軍部は政治的発言を強め,軍備拡張をいっそう進めていった。
日本が満州国を承認したことに対し、国際連盟のリットン調査団を派遣して、調査を行い、1933年に総会で満州国を認め ず、日本軍の満鉄沿線への撤廃を求める勧告を採択した。これに反発しした日本は国際連盟を脱退した。
1937年7月7日北京郊外の盧溝橋付近で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、日中戦争がおこ った。
このころ,中国では国民党と共産党の内戦が続いていたが,日本の侵入に対する抗日運動が広がる中,共産党の指導 者であった(F毛沢東)が協力を呼びかけ,国民党もこれに応じ,1937年に協力体制が実現し、抗日民族統一戦線が結成 された。
2
(7)
記号 エ
(1)
蒋(蔣)介石
(2) (3)
満州事変 溥儀
(4)
B C
犬養毅 五・一五事件
イ
(8)
下線部③ E
盧溝橋事件 日中戦争
(9)
毛沢東
(10)
抗日民族統一戦線
(5)
ア イ
軽 重化学
(11)
南京事件
(13)
大政翼賛会
(14)
皇民化
法律名 国家総動員法
(12)
(6)
二・二六事件