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母親の社会関係資本とジェンダー階層再生産

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(1)

博士論文

母親の社会関係資本とジェンダー階層再生産

石川 由香里

(2)

母親の社会関係資本とジェンダー階層再生産

目次

序章 問題の所在・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1-9

1

日本の母親の置かれている状況・・・・・・・・・・・・・・・10-16

2

母親役割としての子どものセクシュアリティ管理 ・・・・・・・・・17-29

3

階層と母親像―育児雑誌の比較分析を通じて-・・・・・・・・29-44

4

子育て資本形態からみる階層とジェンダー秩序 ・・・・・・・・・45-56

5

子育てと社会関係資本・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57-69

6

女性の就労と社会関係資本が子育てに及ぼす影響 ・・・・・・・70-77

7

非定型家族の社会関係資本・・・・・・・・・・・・・・・・・77-89 終章 社会関係資本はジェンダー秩序を変えうるのか・・・・・・・・・90-94 謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・95

参考文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・96-102

(3)

附録

調査票

(4)

序章 問題の所在

この論文は、女性の担う母親役割がジェンダー秩序の階層的再生産にどのように組み込まれ ているのかを明らかにすることを目的としている

1

。ジェンダー秩序の階層的再生産とは、ジェンダ ー秩序によって女性に振り分けられている役割を遂行するにあたり、女性間の差異が階層と結び ついていることの認識が中流層に属する女性たちの間にみられ、さらにその世代間継承性が意 識されることによって、まずは下降移動を避けたい彼女たちが、その役割を積極的に遂行すること によって生じる現象である。なおかつ彼女たちによって下位に位置づけられることになった当該女 性たちの間にも、同役割への強いコミットメントが存在し、そのことが結果的にジェンダー秩序の維 持へとつながってしまう、そういった循環関係を指す。

階層の世代間再生産をテーマとする研究には、これまで多くの蓄積がある。古くはブラ ウとダンカンによる、社会経済的背景が子どもの地位達成に結び付く上では教育アスピレ ーションの介在が重要であることを指摘した研究をあげることができる

(Blau, Duncan 1967)。日本においては、メリトクラシーからペアレントクラシーへの移行が指摘される

状況下にあって、とくに近年教育する母親に焦点をあてた研究が目につく(片岡

2001,本

2008,天童編 2004)。そこにおいて重視されているのが、中流家庭の文化資本である 2

そして一方の労働者階級の貧困の再生産に焦点をあてた研究においても同じく注目されて きたのが、階級文化の存在であった

(Lewis 1966=1996,Willis1987=1996)。

文化資本を概念化した

P.ブルデューは、

何を正当な文化であるとみなすかということは、

支配階級の恣意性に基づいていると主張する。そのとき文化資本は象徴的暴力となり、他 の階級がそれを否定しあるいは無視しようとしても、上昇移動を果たそうとすれば正当と される手続きが要求されることにより、結果として正統文化を受け入れざるを得ない

(Bourdieu 1979=1989,1990)。ジェンダーの再生産にかかわる文化、それは母親を女性の

第一義的役割とみなすことなのだが、それは社会のあらゆる人々に広く受け入れられる共 有文化となっている。ところが母親役割の遂行は、女性を周辺的労働市場に追いやること の正当化へとつながり、男女間のジェンダーの階級化を維持する大きな要因となっている。

文化資本による象徴的暴力の支配から抜け出すためには他の形態の資本、つまり経済資 本または社会関係資本を強める必要があるだろう。母親役割を女性の第一義的役割とみな すことによって成り立っているジェンダー秩序の再生産から逃れる際にも、そのどちらか を女性が保持していくことが必要と考えられる。しかし経済資本は、女性労働が周辺化さ れた状況下では世帯単位に読み替えられ、女性自身のエンパワメントを示すものとはなり にくい。そこで本論文では文化資本や経済資本ではなく、主に社会関係資本が子育てにも たらす影響に注目していく。なぜなら例えば志水(2014)は、全国学力試験の地域差の要 因を分析し、「つながり格差」という表現を使って、文化資本の差よりむしろ社会関係資本 が学力格差を生むと主張しており、社会関係資本への着目には意味があると考えるからで ある

3

とはいうものの、資本は形を転換したがいに結びつくため、文化資本が低いものは経済 資本も低く、社会関係資本にも恵まれない傾向にある。女性の社会関係資本は男性よりも 豊かといわれるにもかかわらず女性の地位が低いままであるのは、女性の持つ社会関係資 本が本人自身のためであるよりむしろ、家族のために消費される傾向があり、豊かであり

(5)

ながら搾取されている資本だからだと考えられる(O’Neill. & Gidengil 2006)。

こうした幾重にも張り巡らされた垣根を超え、はたして社会関係資本の取得を通じ、ジ ェンダー秩序の変容は可能なのか、ということがこの論文の問いである。

1.ジェンダー秩序を支えるもの

ジェンダー秩序とはジェンダー化された主体に適用される相互行為上の規則や慣習の違 いであり、ジェンダー化された主体の合理的な選択が性支配を再生産するような構造的再 生産を行うモデルである(江原

2001)。ここではジェンダー秩序の再生産を下支えする根

幹には、母親アイデンティティと中流による階層再生産戦略の

2

つが存在し、しかもこの

2

つが分かちがたく結びついていることを指摘したい。

(1)母親アイデンティティ

ジェンダー化された主体である女性のうち、少なからぬ人々がその生涯において体験す るのが、母親という役割である。N.チョドロウが女性のアイデンティティの中核として設 定したのが、まさにこの母親業であった(Chodorow 1978=1981)。彼女はフロイト理論の 中でもとくにエディプス・コンプレックスの重要性を批判的に継承し、息子と娘とでは母 親からの分離が促される時期が異なることによって、同性間の再生産システムが生じてお り、その過程で母親業が母から娘へと受け継がれると説明する。

なぜ女性たちは、母親というアイデンティティの選択に合理性を見出してきたのだろう か。石川准(1992)はアイデンティティの

3

項目として、「所属」「関係」「能力」の

3

を掲げているが、母親アイデンティティは、この

3

つの項目すべてにまたがる性質を持っ ている。

まず母親は関係アイデンティティとして規定される。それは母親が子どもあるいは父親 との対カテゴリーとして存在していることから明らかである。ただし子どもを得て以降、

母親同士の間では得てして「○○ママ」と子どもの名前をつけて呼びあうことが多く、そ れによって彼女たちは持っていた個別の名前を失う。そのことで個人的アイデンティティ 喪失の感覚を味わうと述べる女性たちは少なくない。

一方で母親としてなすべきとされていること、つまり母親役割の遂行そのものは能力ア イデンティティにかかわる事柄である。様々な場面における子どもの達成によって評価さ れるのは、子ども自身の能力としてだけではなく、母親の「子育て」能力でもある。前掲 書において石川は、人が存在証明(アイデンティティ)に夢中になるのは、社会がそれを 要求するからであると述べているが、近代社会が母親に課してきた役割とは、まさに賢母 となり国民の育成に携わること、つまり国家を支える健康基盤づくりと能力開発に邁進す ることであったといえる。

そのように社会が母親の存在証明を求めているからこそ、責任を果たさないことへのバ ッシングは強い。母親であることよりも自身の職業、まして恋愛・性といった自己実現欲 求を優先することは、母親アイデンティティと矛盾する許されざる事態と考えられてきた。

したがって母親の婚姻外の恋愛・性関係は父親の場合以上に婚姻関係の解消という事態を 招きやすく、所属アイデンティティの揺らぎにつながることがらと言える。そのようにし て母親アイデンティティは婚姻制度の中で所属アイデンティティとしてもからめとられて いるのである。

(6)

以上のようにアイデンティティの

3

つの側面すべてに関わる形で、社会構造の中に埋め 込まれているからこそ、母親アイデンティティは強固なものであり続けてきたといえる。

対置されるはずの父親アイデンティティについて考えてみると、婚姻の際に

9

割以上男性 側の姓が選択されているように、家という彼の「所属」先は、戦後の新戸籍制度の下にあ っても本来的に備わった生得的なものと受け取られ、新たに獲得したものという意識を生 まない。父親としての「能力」が要求されることも母親に比すればさほど多くはないし、

「関係」においても家族より職場で過ごす時間が長く、そこでのコミュニケーションのほ うが重視される。したがって男性にとって個人のアイデンティティ構成上における父親の 位置づけは低い。むしろ男性が自らを語るときに「所属」先として示されるのは企業名や 同職組合の名称であり、「関係」は仕事上でのオフィシャルな人とのつながりであり、「能 力」は仕事を通じて発揮されるものだと考えられている。つまり職業こそが男性アイデン ティティの中核にあり、その地位は女性の無償労働によって支えられているにもかかわら ず、妻の地位は夫によって保全されているように見えるパラドックスが生じている。

脱近代化社会の特徴は、社会の複雑性に対応したアイデンティティの流動化現象である と言われるが(Bauman 2000=2001)、アイデンティティの流動化は他方でその不安定さ ゆえに「真の自己」を指し示す中核的アイデンティティを希求させる。ロマンティック・

ラブの理念に基づき婚姻・出産・子育てがワンセットとしてライフイベントに組み込まれ る中で、母親業はとくに専業主婦にとってアイデンティティの中核として位置し続けてき たのである。

(2)中流の階層再生産戦略

江原はジェンダーの再生産について、再生産論の「同じようなものを算出している」と 主張しているように思わせる効果を循環論として説明している(同上:403)。江原が再生産 される秩序について、常に流動的な

1

1

つの実践の積み重ねによって作られている側面 を強調しているのに対し、社会学における再生産というタームは、次世代の子どもに対す る教育の末に実現される「未来」における社会的秩序の継承を表すものとしても使用され る。その世代間プロセスを強調したのが

T.パーソンズであった。彼は社会的秩序維持のた

めに価値の内面化を重視し、子どもの社会化を通じてそれが次世代に継承される場として 家族を規定した(Parsons1955=1970)。子どもの社会化は親との同一化、とくに同性の 親とのそれを通じて達成されると説明される。

チョドロウ自身は近代社会のシステムが母親業を作り出していることを強調している。

しかし母親という役割が女性に限定的に使用され、担わされ、また次世代を「再生産」す る役割として規定されていることは、ジェンダーが再生産され、変動を拒むかのように見 える要石となっている。合理的な選択が価値合理性と目的合理性に結び付いた行為である ならば、現在の性別分業システムに則った行為こそが合理的とみなされる。つまり女性が 母親であることをアイデンティティの中核に据え、同性である娘との間の同一視を強め、

同時に異性である息子との分離を実践することを通じて、ジェンダー秩序は再生産されて いく。

片岡は階層再生産戦略において母親たちが文化資本の蓄積において重要な役割を果たし ていることを指摘する(片岡

2001)。女性の高学歴化は、娘に対しての階層再生産を重視

させ、そこに母・娘間での文化資本の受け渡しが重要な役割を果たすという。つまり母親

(7)

役割は階層再生産戦略と結びつくことによって、女性のアイデンティティとしてより強く 規定され、娘へと受け継がれてきたのである。

そして近年、母親たちへの期待とその責任はむしろ強まっていることを先行研究は示し ている。本田由紀はハイパー・メリトクラシー化する社会において、コミュニケーション 力や社会人基礎力と呼ばれるまさに文化資本を子どもに身に着けさせるために、高学歴専 業主婦ほど邁進する傾向にあることを指摘する(本田

2005)。そして階層上層がもはや見

込めない低成長時代においては、下降移動を食い止めるほうに力が傾けられているためだ からなのである(吉川

2009)。

2.ジェンダー秩序を揺るがすもの

このように母親アイデンティティと階層再生産戦略にからめとられてきたジェンダー秩 序は、しかし盤石というわけではない。これまでジェンダー秩序は、女性が婚姻外の性関 係を結ぶこと、並びに子どもを持ちながら職業生活に邁進することを逸脱とレッテル張り することによって保たれてきた。これらの行為はこれまでの歴史の中で立ち上がるたびに 繰り返し抑圧されてきたわけだが

4

、グローバリズムの流れはそれに変更を促している。

(1)セクシュアリティの解放

階層再生産からの脱落を招く事柄として忌避されることの1つが、子どもの性的行動で ある。娘の積極的な性的行動は、家庭教育の失敗の結果とみなされる。また実際に家族と の会話が少ない、家庭が面白くないと回答する女子には、性的に活発な行動をとる割合が 高いのも事実である(石川

2013)。これは家族からの心理的距離が、家族外に親密な関係

性を求めさせるためだと考えられる

5

女子の性行動のほうが問題視されがちなのは、性のダブル・スタンダードの存在に加え、

妊娠が学業への邁進を困難にするためでもある。もし人工妊娠中絶ではなく出産を選ぶな らば、そのときは生まれて来る子どもが非嫡出子となるのを避けるため、結婚という形が とられる。その時点で相手の男子は稼得責任を負うことになり、彼の学業達成の道も閉ざ される。したがって女子を持つ母親には娘のセクシュアリティ管理の責任と、それ負うこ とによって男子への誘惑を食い止めるという二重の役割が課され、それに失敗した場合に は、母親失格の烙印が押される。

出産する前に結婚という形がとられるのは、未婚の母であることや、離婚をすることが 社会的ペナルティとして扱われてきたためだ。日本では婚姻内出産をスタンダードとする 規範が強い。それはまた、戸籍に結び付ける形で所属アイデンティティを強く規定するも のである。父親の名前のない戸籍は、子どもを社会の中の異分子として徴づけられ、不利 益な扱いを受ける。そのようにして子どもの所属先を明確にすることにより、家族が責任 をもって子どもの教育に携わり、その結果人的資本から経済資本への効果的な転換が実現 されてきたといえる。

しかし婚前性交はもはや常識となり、妊娠先行型結婚は増加している。これは戦後を通 じて広がった恋愛結婚の主流化により、性愛がカップル成立の重要な要素と考えられるよ うになった結果である。内閣府の調査によれば、第

1

子出生のうち結婚期間が妊娠期間よ り短い出産の割合は、1980年には

12.6%だったのに対し、2000

年には

26.4%とおよそ 2

倍に増えている。とくに

20

未満では

81.7%、 20~24

歳で

58.3%を占め、若い層に顕著で

(8)

ある。しかし同時に夫婦の関係が性愛に基づいていることは、関係が壊れた時に離婚に陥 りやすいという側面も持つ

6

ところが性別分業システムの下では、子育てと両立する形で女性が主たる稼ぎ手となる ことは難しい。男女の賃金格差は大きく、また職業生活は私生活に優先すると考えられて いるため、養育責任を果たしながら十分な収入を得るだけの仕事をし続けることは困難で ある。その結果、離婚母子世帯の貧困率は高く、社会問題ともなっている(村上

2011)。

(2)母親の就労

離別母子家庭の貧困の遠因ともなっている、男性を主たる稼ぎ手とみなす性別分業家族 モデルは、いまだ根強い。けれどもグローバリゼーションの影響もあって経済成長が見込 めないことから、もはや男性片働きモデルが成り立たなくなってきた。そのことは経済力 の低い男性の未婚率が高いという結果を生んでいる(雇用政策研究会

2012)。学歴におい

ても経済力においても夫婦間において男性が上位であるべきだとする規範は、いまや結婚 することの難しさを生じさせているのである(山田

2001,2005)。若年女性の専業主婦志

向が強まっていると指摘されるが、それも実際には手に入れるのが困難な希少性ゆえの理 想モデルといえる。

増え続ける既婚女性の就労は、不況により男性の勤労収入が伸び悩む中で、子育てのた めに必要な経済資本の不足を補うために選択されている側面が大きい。出生動向調査にお いて理想の子ども数を持たない理由として「子育てや教育にお金がかかりすぎる」は最も 高い割合を占める。そしてこの回答を選択するカップルは、とくに

30

歳未満に多い。他 の先進国に比しても高い日本の子どもの貧困率は格差社会の現れであり、階層を下降させ ないために親たちはなおさら産む子どもの数を制限してわが子の教育に力を注いでいるの が現状である(柏木

2001)。したがって家族に子育ての経済的責任をゆだねるシステムに

は限界が見えている。

子どもという社会の新しいメンバーの育成を家族にどの程度ゆだねるのか、その度合い は国によって異なる。先進国の中でも

GDP

比における公的教育支出額が低い状況が示し ているように、日本社会は子育て責任を個々の家族に依存する度合いが高い

7

。かつてダ ラ・コスタはイタリアの戦後から女性たちが進めてきた、結婚制度を利用している家庭と いう存在に対するあらゆる戦いの中軸に、出産の拒否があるとの見解を示したが(Dalla

Costa 1981=1986)、日本とイタリアとはともに社会福祉政策が家族依存型であり、母親へ

の社会的価値づけが強いことで知られている(Daly & Rake 2003=2009、岩間

2009)。こ

れまでは仕事と育児のいずれを優先すべきという選択の中で、後者が優先される規範が存 在してきた。女性たちが母親としての責任をこれまでのように果たそうとし、周りもそれ を求め続ける限り、状況は変わらない。少子化は大きな社会問題となっているが、それを 解決するためには家族内に閉じられた子育てのシステムを変える必要が出てきている。

その結果、専業主婦に代わる輝かしいモデルとして今日提示されることになったのが、

「活躍する女性像」なのだといえる

8

「男女平等」意識は、女性の高学歴化を生んだ。し かし、日本の女性の高学歴が人的資本に転換しないことについては、国際的にも批判を受 けている。母親たちの中には女子の生き残り戦略として高学歴をつけさせ、それを職業的 地位の獲得につなげようとする動きが出てきても不思議ではない。もしそうなれば、これ までのジェンダー役割のありかたが、次世代に単純再生産されにくくなる可能性は期待で

(9)

きる。

3.社会関係資本と子育て

以上、これまでのジェンダー秩序を突き崩すことにつながる変化としてセクシュアリテ ィの解放と女性の就労の拡大とが挙げられるものの、しかしいずれも母親役割を盾とする ことで、なかなか変化しづらい現状を指摘した。セクシュアリティの在り方は文化資本と、

就労は経済資本と関わるものといえる。それらと同様にこれまでのジェンダー秩序を支え てきたもう

1

つの資本形態として本稿が注目するのが、社会関係資本である。他の

2

つの 資本形態の世代間継承が目につきやすいのに対し、社会関係資本はより個人的・後天的に 取得可能と考えられている。とくに社会関係資本が人的資本に転換されることへの期待感 は高く、OECDによる政策的奨励は、近隣の相互扶助のもたらす教育面の効果や途上国の 開発可能性への期待がある(Healy and Cote 2001)。また中東や北アフリカで

SNS

の普 及による人々のつながりが長期政権の崩壊へと突き動かした政治的影響力の強さから、現 状を打破し、新たなシステムを生み出すものとして、社会関係資本にはますます期待が集 まることになった。

ただしブルデューは、社会関係資本へのアクセスをめぐる不平等が再度、文化資本や経 済資本に転換され、むしろ階級閉鎖性を強めていると指摘する(Bourdieu 1986)。中流階 層は子どもの学歴達成を通じた階層再生産に特に熱心な階層として知られている。したが って中流階層の母親による高い社会関係資本の利用と子どもへの学歴期待及び学歴取得と が結びつくことは、階層再生産戦略に寄与している可能性もまた高いことになる。

J.コールマンは同様に次世代再生産に対する社会関係資本の重要性を指摘し、子どもの

教育にとって家族こそが社会関係資本であり、きょうだい数の多い家族、母親が就労する 家族、またひとり親家庭は家族内の社会関係資本が希薄になることにより、また転居は家 族外の社会関係資本を失わせることにより、ともに子どもの学業継続にマイナスの効果を もたらすと説明した

(Coleman1988)。それはこれまでの母親役割にまさに合致した見解で

ある

9

このように社会関係資本の蓄積は、社会的不平等を是正する方向性に働くという見解と、

逆に格差を広げるという理論とに

2

分されている。この論文では、はたしてそのどちらが 正しいのか、検証していく。母親たちのアイデンティティの強化に強い影響力をもたらす のは、周囲の人々との関係性である。子育てに際しどのような人々と交流することによっ て、母親アイデンティティは強化され、あるいは逆に弱まるのだろうか。しかもその交流 の中には単なるネットワーク形成だけではなく、規範の共有が含まれる。母親の社会関係 資本を利用する際、階層再生産だけでなく階層移動への効果が果たして存在するのか考察 することを通じ、ジェンダー秩序もまた社会関係資本によって突き動かされる可能性があ るのかを検討することが、この論文の最終的な目的である。

4.論文の構成

この論文の前半では、女性たちが母親役割を受け入れる理由が、近代社会における主に 専業主婦を中心とした中流の合理的選択による階層再生産戦略であることを明らかにした

(10)

うえで、母親役割の重視が社会全体に容認されたイデオロギーであることによって、資本 を剥奪されている側であるはずの非中流の母親たちにもまた受容され、それによってジェ ンダー秩序と階層とが同時に再生産されていく様相を描き出す。そしてそれが格差社会と 言われる今日の状況を生んでいることを明らかにする。

1

章では、現在の日本の母親たちが置かれている状況について概観し、母親責任と就 労の相克の存在と、その原因がとくに教育責任が家族に重くのしかかっていることにある のを確認する。近年、子育て支援という形で社会関係資本を広げようとする動きが盛んで あるが、現在の公的な支援体制の在り方では、必ずしも女性を母親役割の重圧から解放す る方向にはないことに注意を喚起したい。

2

章では、母親役割に含まれる教育責任の中身には、子どもの教育以上に社会規範の 習得が含まれ、特に女子に対するセクシュアリティ管理が重視されていることを示す。な ぜならセクシュアリティの顕在化は、階層の下位性を示すものとみなされるためからであ る(Skeggs 2002)。そのことが中流の母親には管理者として子どもを常に注視するという 役割強化を行わせ、同時にセクシュアリティからの疎外を生み、母親役割の枠内に強くと どめる効果を持つことを示す。そして母親のネットワークという社会関係資本がその規範 を強めることを通じ、ジェンダー秩序が維持・強化される様相を提示する。

3

章では、中流の母親たちからは忌避の対象とされていた、セクシュアルであるとみ なされる母親たちを取り上げる。若くして出産した女性たちは、その外見から母親らしく ないと判断されがちである。ところが実際には強く母親役割にコミットしており、そのこ とによって彼女たちもまたジェンダー秩序の再生産に寄与していることを明らかにする。

4

章ではそれまでの内容を受け、育児期の母親たちの経済資本、文化資本、社会関係 資本の有り様がグループ化されている様相を示す。それによりそれらの資本の少なさが階 層再生産ももたらしている可能性が示唆される。

後半は調査データの解析をもとに前半の内容を検証しつつ、そこに変化の兆しが見られ ないのか、とくに社会関係資本という要素との関わりから考察する。

5

章では、子育てにおける社会関係資本と階層との関係について計量分析を行い、前 章までの仮説の裏付けをおこなう。階級・階層論もまた、男性の職業や所得を中心に議論 され、女性をその射程に含んでこなかった、その男性中心主義への批判がかねてからなさ れ、近年では女性独自の階層がいかに規定されるべきかという議論も行われつつある。た だしこれまでは当の女性自身が就労していてもほとんどの場合、自らの職業、収入、学歴 よりも夫のそれを基準に自己の位置づけを行ってきた。そこには男性の社会的地位を選択 したほうが自らに高い位置づけをもたらすという理由ばかりでなく、あまりにも母親が女 性の最重要アイデンティティであると強く規定されているがゆえに、そのほかの役割を優 先して考えること自体が逸脱とみなされるからであると言えよう。

それを受けて第

6

章では、母親のフルタイム就労に注目する。近代社会のジェンダー秩 序が性別分業システムを前提としているため、女性のフルタイム就労そのものがジェンダ ー秩序に揺らぎを引き起こす行為といえる。ただし妻のフルタイム就労が夫婦間役割分業 に何の影響も与えないとすれば、女性の二重役割負担となり、性別分業そのものを変える ものとはならない。したがって女性の就労状況と夫の家事・育児への関与とをセットで考 える必要がある。そして次世代への効果については、フルタイム母親の社会関係資本が子

(11)

育てにどのように援用され、分業システムの継承へとつながるのかを検証することを通じ て検討する。

7

章では、母子世帯並びに出産年齢が平均から外れるケースを取り上げ、その場合の 社会関係資本の影響について考察する。すでに述べたように若い層ほど妊娠先行型結婚の 割合は高く、また離婚率が高い。しかし性別役割分業システムによって子どもを持つ女性 のフルタイム就労は難しい。その結果、低賃金の女性就労が子どもの貧困という事態を惹 起させている現状がある。一般的にはそうした母親たちは社会関係資本に恵まれていない。

ところが逆に社会関係資本に恵まれている場合には、次世代の社会的達成にマイナスとな らない可能性が示唆される。

最後に終章ではそれまでの議論を受け、ジェンダー秩序の変容に向けての展望を図る。

なおこの論文で扱うデータのうち前半第

2

章で使用したものは、

JSPS

科研費

17530408

の助成を受け、

2002

年に行った質問紙調査とその対象者の中から応じてくださった方へ

2006

年に行ったインタビュー調査をもとにしている。第

5

章から

7

章までは

JSPS

科研

24520688

の助成を受けて

2014

年に行った質問紙調査のデータを、また終章ではそこ からインフォーマントを得て行ったインタビュー調査のデータを使用している。それぞれ の調査の概要については各章において説明を行う。

<注>

1

ジェンダー秩序の再生産を論じるにあたって、階級と階層のいずれの語を用いるべきで あるのかは、考慮を要する問題であった。生産関係により階級が規定されるというマルク ス主義の考えに則れば、近代社会の中で市場領域を担う男性階級の下に家内領域に押し込 められた女性階級が存在するというのも立論の1つとして存在するが(上野 1990)、ここ で扱いたいのは女性間に存在する差異の問題である。またその差異を序列づけるものとし て社会的資源を想定しているのであるから、社会的成層理論に基づくとするのが適合的だ と判断し、表題には階層の語を用いることとした。しかし、ここで扱う女性間の差異が「わ れわれ意識」に関わっている点を考えると、階級の語を用いるほうがふさわしいという指 摘もまた妥当な批判であると考えている。

2

非中流の子育てについては、とくに子どもの貧困が社会問題化される中で、貧困家庭や 同和地区出身の子どもたちに焦点をあてた研究も積み重ねられてきている(久富

1993、青

2003)。

3

ただし志水が社会関係資本としている項目の中には、むしろ文化資本にあたるものも含 まれている。

近年で言えば、2000年代初頭の「ジェンダー・フリー」教育・性教育バッシングが記 憶に新しい(木村

2005)。

ただし調査結果からは、母親が専業主婦であることによって性交経験率が有意に低くな るのは男子であり、母親の目があることによる実際の抑止力は、男子に向けて働いている。

平成

27

年度厚生労働省人口動態調査によれば、平成

14

年をピークに離婚件数は減少 傾向にあり、平成

26

年度の離婚率は

1.80

で前年より

0.03

上昇した。2010年度と少し古 い統計になるが、妻の同居をやめた年齢別離婚率は、30~34

8.8%、25~29

8.3%、

35~39

7.5%、20~24

4.5%となっている。その時の女性の平均初婚年齢が 28.8

であることを考えると、やはり若い世代で離婚率が高いといえる。

家族関係社会支出の対

GDP

比は日本

1.32%(6

2166

億円)に対し、ドイツ

2.18%

(12)

(569

6330

万ユーロ)、スウェーデン

3.64%(1265

8160

万クローネ)、イギリス

3.97%

(612

2540

万ポンド)である(OECD 2005)。

「活躍する女性像」を括弧書きにしているのは、安倍政権下におけるスローガンとなっ ているためである。確かにこの論文で女性の正規就労の拡大をジェンダー秩序の変化につ ながる契機とみなしているが、それは男女の平等性を目的としたものであって、「配偶者控 除」の拡大や維持に象徴される、家族システムの維持と労働力確保を同時に実現しようと する現政権下における女性労働力活用の意図とは根本的に異なることを強調しておきたい。

ただしコールマンの見解にはそれを裏付ける結果も異論も、ともに存在する。例えばき ょうだい数が多いほど子ども一人に費やされる親の資源が少なくなり、教育達成に負の影 響があることについては(Blake 1986,平沢

2004)などで検証されている。一方、吉本

らは、母親がフルタイム就労である場合に子どもの成績は低下しないが、パートタイムの 場合には低下するという調査結果を示している(吉本他

1996)。また松岡(2015)は、

階層的基盤を有する父母の学校活動関与で示される社会関係資本が子どもの学校適応を促 していることを示している。

(13)

第1章 日本の母親の置かれている状況~母親責任と継続就労の相克

この章では、実際に共働き世帯が増加し、また少子高齢化社会の中で女性の就労に対する社 会的期待は高まっているにもかかわらず、子育ての役割が専ら母親に委ねられることによって、性 別分業システムには変化が見られない現状について述べる。

1. 女性就労の推進

女性労働力の積極的活用は、21 世紀の日本の最重要課題の 1 つとして位置づけられている。

1985 年成立の男女雇用機会均等法(雇均法)、1999 年施行の男女共同参画社会基本法(参画 法)は、男性と女性とが共に働く社会の実現を旗印に掲げている。雇均法の制定時には女性の働 く権利擁護の色彩が強かったのに対し、15 年後の参画法になると就労する(させる)ことに対する 義務のにおいさえ感じさせる。たとえば基本理念について均等法第 2 条では「この法律において は労働者が性別により差別されることなく、また女性労働者にあっては母性を尊重されつつ、充 実した職業生活を送ることができるようにすることをその基本理念とする」とあり、労働者の権利が 守られるために、義務を負わせられるのは事業主の側であると読み取れる。それに対し参画法第 2 条には「男女共同参画社会の形成に関し、基本理念を定め並びに国、地方公共団体及び国民 の責務を明らかにするとともに」とされており、国民も実現へ向けて義務を負うことが明記されてい る。

ただし、日本の女性就労率自体は先進各国と比べ、決して低くはない。25~54 歳までの女性の 就労率は、OECD 諸国の平均を上回っている(OECD 2012)。問題とされているのは育児期間に 就労率が落ち込むいわゆるM字型就労であり、その後の再就職が非正規雇用に限定されている ことにある。総務省「労働力調査」によれば、年齢階級別非正規雇用者の推移については、男女 ともいずれの年齢層でもおしなべて非正規雇用化が進んでいるとはいうものの、女性では 25~34 歳で 4 割に過ぎない数値が 35~44 歳では 5 割を超え、45 歳以上になると 6 割近くを占めている。

男性のほうは 25~34 歳で 15.3%、35~44 歳は 8.6%であることを考えると、その差は歴然として いる。

非正規雇用の平均収入は正規雇用に比べ、極端に低い。厚生労働省「賃金構造基本統計調 査」では、労働者の 1 時間当たり平均所定内賃金格差について、男性一般労働者を 100 とした場 合の女性短時間労働者の給与水準は、その半分である。さらに短時間雇用を重ねることで、フル タイムとの収入の差は大きくなる。給与階級別給与所得者の構成割合では、女性は 300 万以下が 66.1%と多数を占め、しかも 100 万円未満が 17.1%に達する。男性の 300 万円以下は 23.9%、

100 万円未満は 2.9%に過ぎない。

M字型就労の背景には性別役割意識があると言われるが、内閣府による調査報告において

「男は外で働き、女は家庭を守る」という考えを支持する人の割合は全体的には一貫して減少傾 向にある

。それと連動するようにM字の底は上がり、女性就労率も上昇しているわけだが、問題 はそれを単純に男女共同参画の進行とみることができない点にある。

第 1 に、出産を機に退職する女性の割合は減っていない。国立社会保障・人口問題研究所「第 14 回出生動向基本調査(夫婦調査)」から子どもの出生年別第一子出産前後の妻の職業経歴を みると、昭和 60 年から平成 21 年に至るまで、第一子出産後に有職である割合は 3 割に届かず、

有職者のうちの 6 割が出産退職に至っている。

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第 2 に、再就職の際の労働形態がパートタイムに大きく偏ったままであることだ。新卒一括採用 の枠組みが維持されている一方で、男性に対してとられてきた終身雇用や年功序列を特徴とする 日本型雇用慣行は崩れつつある。その日本型雇用慣行の崩れとは、非正規雇用への代替を意 味している。それと並行してサービス労働化が進む中、女性労働力はそれに適合した労働力とし て重宝され、その職域が広がっているに過ぎない(江原 2015)。したがって、男女の賃金格差が 縮まったとはいっても、男女の雇用形態の違いとそれによる処遇差はなかなか解消しない。

しかし非正規雇用という就労形態は、女性自身によって「選ばれて」もいる。特に既婚者におい ては自ら非正規雇用の継続を希望する割合は非常に高い。厚生労働省が平成 22 年度に行った

「就業形態の多様化に対する総合実態調査(個人調査)」によれば、現在の労働時間を「そのまま でよい」とする非正規雇用の女性の割合は 7 割に上る。現在の就労形態を選んだ理由としてパー トタイム労働者では「自分の都合の良い時間に働けるから」が 50.2%、「家計の補助、学費を得た いから」が 39.6%、「家庭の事情(家事・育児・介護等)や他の活動(趣味・学習等)と両立しやす いから」が 39.6%を占め、「正社員として働ける会社がなかったから」の 18.6%を大きく上回ってい る。大和礼子は、性別役割分業には「性による役割振り分け」と「愛による再生産役割」の 2 つの次 元があると主張した(大和 1995)。「男は外で働き、女は家庭を守る」は前者にあたり、「子どもが小 さなうちは、母親が家にいたほうが良い」は後者にあたる。鄭楊はNFR05 の分析結果から、乳幼 児を持つ女性の就業の規定要因として、「伝統的な性別役割規範」「母親規範(3 歳児神話)」へ の否定意識が高いほど就業率が高まることを明らかにしているが(鄭 2006)、とくに女性に就労中 断と中断後のパート労働化を推し進めているのは、「伝統的な性別役割規範」以上に「母親規範

(3 歳児神話)」ではないだろうか。3 歳児神話への賛意は、性別役割分業への賛意よりずっと高 いからである。なぜ 3 歳児神話はそれほどまで支持され続けるのか、それについてみていこう。

2. 根強い 3 歳児神話

日本で 3 歳児神話が広く信奉されるようになった背景には、1948 年に WHO の委託を受けて始 まったボウルビイらによるホスピタリズム研究によって提唱されることになった母性剥奪論の流入に、

1965 年に始まる 3 歳児健康診査の開始とが結び付いたことがある。そこにさらにオイルショック後 の国の財政引き締めによって福祉政策全体が施設型福祉から家族に依存する日本型福祉へ政 策転換されたことが追い風になって、広まったと言われている。

大日向雅美(2001)は、3 歳児神話の内容を、①子どもの成長にとって特に 3 歳までの時期が 重要であり、②重要な時期だからこそ、生みの母親が養育に専念すべきで、③もし母親が育児に 専念しなければ、将来にわたって子どもの発達に悪影響を及ぼす、とまとめている。この 3 歳児神 話の是非については、これまでに数々の議論と検証が行われてきた。その結果まず①に関しては、

人間の成長にとって確かに幼少期の時期が大切なことは動かしがたい事実であるものの、その年 齢を 3 歳とするべきかついては諸説あること、②については、母親と何らかの理由により離死別し たケースに対して差別的であるばかりでなく、児童虐待の加害者に母親が多いことからも、生みの 母親が最適であるとは必ずしも言えないとの認識は一般に広がりつつある。また③については、

アメリカで組の親子に対し追跡調査を行った結果、母親の就労の有無による子どもの発達には差 がないという結論が導き出されている(Gottfried et al. 1988=2002)。

日本においても菅原ますみらによる 11 年間にわたる縦断的研究の結果、子どもの問題行動は もともと母親の子どもに対する否定的感情が強かったことから出現したという順序にはなっておら

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ず、母親の子どもに対する否定的感情は乳幼児期ではむしろ、対象児の問題行動傾向に引きず られる形で深化していくことを明らかにした(菅原 1999)。つまり、母親の愛情不足から子どもの問 題行動が生じるという通説は証明されなかったことになる。一方(柏木・若松 1994)では、親の発 達の面においても母親の就労によるネガティブな影響はみられないことを明らかにしている。

そして 1998 年度版『厚生白書』に「3 歳児神話には合理的根拠がない」と明記されるに至り、以 後 20 年近くが経過していることになる。OECD の調査結果から、女性就業率と合計特殊出生率と は相関しているとの調査結果が示されたことが、そうした厚生省(当時)の対応変化の背景にはあ る。しかしその後、3 歳児神話が衰えたとは言えない。2008 年に行われた第 4 回全国家庭動向調 査によれば、3 歳児神話への賛成率は 85.9%であり、1993 年の第 1 回の 89.1%からそれほど変 化してはいない。第 5 回の 2013 年にはその数値は 77.3%と少し下がってはいるものの、むしろ

「自分たちのことを多少犠牲にしても子どものことを優先する」という子ども中心主義は、第 1 回の 72.8%から前回 2008 年には 81.5%へと 10 ポイントほど増加し、第 5 回には 86.9%とさらに 5 ポイ ント上昇していることが目を引く。3 歳児神話と母親の就労形態の関係は専業主婦の支持率が 84.6%であるのに対し、フルタイム就労では 59.0%と、3 歳児神話を信じるがゆえの合理的な選択 が、子どもの幼少期における女性の職場撤退に結びついていることがわかる。

人が育つ過程は複雑であり、何が決定的な影響を及ぼすのかは定めにくい。それだけに子ども への悪影響の有無についての検証は難しい。先に挙げたような調査結果から、いくら母親の就労 による明確な影響は見られないとの結果が導き出されても、人々はなかなか納得しない。江原

(2014)は、母親が就労を選択することで自己実現を成し遂げようと考えること自体が母親失格、

女性失格と受け取られる傾向があることを指摘する。

冒頭に述べたように、少子高齢化に伴う労働力不足、税収の落ち込み、社会保障費の増大を 前にし、それをカバーするべく女性の継続就労を推進する方向で政策は立てられている。また経 済不況に直面して女性の就労意欲も高まっており、そのための保育所待機児童の解消が喫緊の 課題と言われてきたことは周知の事実である。ただし実際には、子ども関連の福祉予算額は少な く、新たな保育所の設置は進まないうえ、責任の割に給与が低いという待遇の悪さもあって保育 士の確保は難しく、特に大都市部を中心に待機児童の解消は実現していない。消費税率 10%を 見込んで『子ども・子育て支援新プラン』が打ち出され、幼稚園を認定こども園へと衣替えし、小規 模保育や家庭的保育を導入することによって待機児童を解消することがもくろまれているが、自治 体により対応状況には大きな差がある。

とはいうものの保育所整備が進まない裏には財政面だけでなく、それを媒介する 3 歳児神話の 存在が大きい。これは子どもを持つ親にだけでなく、社会一般に信奉されているだけでなく、行政 もまたその価値から自由であるとはいえない。事実、高山(2002)は、保育所よりも幼稚園の割合 の高い県において 3 歳児神話を支持する割合が高いことを調査結果から明らかにし、制度との関 連性について指摘している。

保育所に子どもを預ける母親へのバッシングには今でも根強いものがある。保育の在り方を定 めた保育所保育指針においても、子育ての主役は親であり、保育士は親と一体となって子育てを 進める立場にあると明記されている。次に掲げるのは、厚生労働省の母子保健事業である『健や か親子 21』について第 1 回審議会議事録における委員の発言である。

「現在、子供は保育園の集団の中に入れられております。これは母親の労働その他が関係す る訳ですが、中には自分で育てたくないという気持ちがあって、形をつくって保育園に入れている

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ようなお母さん方もいらっしゃるようです。それに対して保育園の方ではそれこそ我が子のように 保育士さん方が一生懸命やっておりまして、恐らくお母さん以上の保育をしていると思います。そ れでもお母さんが夕方迎えに来ますと子供はお母さんの方に飛んで帰ってしまいます。どんなに いい保育園が出来ても親のかわりにはならない、これは私たちだけではなくて働いている保育士 さん、職員の方々が言っている言葉でございます。」(巻野委員 2013 年 7 月 29 日議事録)

つまり、保育所とはあくまで子どもの最善の利益が守られるための福祉施設であって、親の都 合が優先されてはならない、その存在によって親の責任感を低減させることにつながってはなら ないとの規範が強く働いているといえる。実際、星(2011)は『第 4 回家庭動向調査(2008)』の結 果分析から、専業主婦以外の何らかの形で就業している回答者は、いずれも子育ての担い手とし て公共機関等を選択する傾向にあった一方で、3 歳児神話に賛同しているケースほどサポートの 担い手として友人・知人・近隣関係をあげることが多く、公共機関等の選択に対しては有意な負の 効果を示す知見を導き出している。もっともこれは、幼少期に限定されることではなく、2007 年改 正の教育基本法に新たに組み入れられたのもまた、子どもの教育における家族責任であったこと は、子どもの養育の社会化が推進される一方で、家族に係留しようとする力とのせめぎあいがある ことを示している。

子育てをめぐる制度改革のむずかしさは、認定こども園の普及が進まないことを見ても明らかで ある。保育所と幼稚園は厚生労働省と文部科学省と管轄が異なり、それぞれに全保連、全国私 立保育連盟、日本保育協会、全日本私立幼稚園連合会、全国私立幼稚園連盟などの関係団体 が連なる。認定こども園に関しては平成 25 年の認定こども園法の改正により、財源措置は「施設 型給付」で一本化するとしているが、施設体系は現行通りのままとされている。一本化が進まない 背景には、幼稚園=教育施設/保育所=「保育に欠ける子」のための児童福祉施設という設置 目的の違いがあり、幼稚園側は保育所では十分な教育ができない、保育所側は幼稚園では特に 乳幼児期の子どもにとって必要な福祉基準を満たしていないとして、一緒にすればそれぞれが本 来の在り方が損なわれると主張し、幼保一元化には抵抗してきた。

実際の 3 歳未満児の保育所入所率は平成 25 年度で 26.2%と、75%近くの子どもは家庭にお いて養育されている状況にある。ただし 3 歳以上児では保育所入所率 43.7%に対し幼稚園就園 率 54.8%と、幼稚園の入所率が昭和 50~60 年代のピーク時より 10 ポイント近く減少している。こ のことから、子どもの幼少期であっても就労する母親の割合が増えている様子がわかる。認定こど も園も平成 24 年度の統計によれば、幼稚園と保育所と両方の機能を併せ持つ幼保連携型が 486 件とが最も多いものの、保育所に幼稚園機能を付加した保育所型の 122 件に対し、もともとは幼 稚園だったところに保育所機能を付加した幼稚園型は 273 件と 2 倍以上に上り、ニーズが保育所 に集まることによって幼稚園の方が転換を余儀なくされている状況が推察できる。しかしそもそも 認定こども園制度の創設自体が、保育所のままでは教育が不十分であるという危惧に応える意味 を伴っていることを看過すべきではないだろう

2

3. 子育て支援の陥穽

認定こども園で必須の事業と位置付けられているのが「地域の子育て支援」である。出生動向調 査において、理想の子ども数を持たない理由として最も高い割合を示すのが、「子育てや教育に お金がかかりすぎる」であり、教育費負担は少子化の大きな要因と認識されている。これは幼少期 よりむしろ義務教育後の学費の大部分が親負担であることと、より上級の学校への進学のために

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は学校外教育費がかかる現状を指している。この回答を選択するカップルはとくに 30 歳未満に多 い。一方 30 歳以上では「欲しいけれどできないから」とならんで「これ以上、育児の心理的・肉体 的負担に耐えられないから」という理由も 2 割程度に選択されている。よって日本が「子育てしにく い社会」であることがしばしば指摘され、そのために子育て支援の拡充が打ち出されてきた。

平成 11 年の少子化対策推進基本方針では、出生率の低下は晩婚化の進行等による未婚率の 上昇によるものであるが、その背景に仕事と子育ての両立の負担、子育ての負担感の増大がある とされている。2005 年から 10 年間の時限立法として成立し、その後改定されて今日に至る「次世 代育成支援対策推進法」では「次世代を担う子どもが健やかに生まれ、かつ、育成される社会の 形成に資する子育ての意義についての理解が深められ、子育てに伴う喜びが実感できるように配 慮されなければならない」とされ、国民の理解と協力・責務として、地域における家庭支援が打ち 出されていた。

確かに子どもは地域で育つのであるから地域の支援は重要であるのは事実だが、地縁関係が 強固であることと子育てしやすいこととがイコールで結べるのかについては、一考の余地がある。

むしろ地域とのつながりは逆に公共機関の利用を遠ざけさせる可能性が指摘できる。佐々井

(2013)は第 14 回までの出生動向調査の結果から、近年、妻または夫の母親による援助が最大の 子育て支援となっていることを示している。そうした地縁・血縁といった結束型の社会関係資本が、

従来の規範を維持・強化させる側面があることについては後述する。

また子育て支援に携わる人々のなかにも、「本来は母親が育てるべき」あるいは「親に勝るもの はない」といった意識は根強い。松木(2013)は支援施設スタッフや保育ママなど支援者へのイン タビューを通して、子育ての家族への囲い込みと社会化という二項対立図式が支援の実践や経 験とどのように関連しているのかを分析している。その結果、「育児の社会化」の一部をなし、支援 の論理を前提に成立している子育て支援の提供そのものが、子育ての責任を家族に帰属する子 育て私事論、抑制の論理の参照を通じて実践、経験されていることを明らかにした。

つまり、子育て支援策が打ち出されても、人々は母親の子育て責任を軽減したり免除したりす ることに同意していない。井上(2013)は、「母性愛」を母親の生理的特性とみなし、母親の手によ るケアが子どもにとって最も望ましいとする規範を近代的母親規範と規定し、子育て支援政策の 中で望ましい母親像が「専業母」から、仕事と子育てを両立する「働く母」へと移行することによる

「専業母」の葛藤について、ファミリー・サポート事業を利用する母親たちのインタビューを通じて 描き出している

3

。そこでは近代的母親規範は自己アイデンティティの間に生じる葛藤に対処する ための有効な言説資源となることもあれば、それとの間に距離を操作するために状況に応じて戦 略的に利用されることもあるものの、結局のところ近代的母親規範の維持が母親たちのアイデン ティティを相変わらず支えていることに変わりはないことがわかる。

また宮坂靖子は中国の「専業母」と日本の「3 歳児神話」とを比較し、中国では母親単独で育児 を担当するのではなく、親族からの育児サポート、市場の家政サービスを活用しながら母親役割 を遂行している点に違いがあることを指摘し、「日本の社会が家族の親密性に価値を付与すること を先行し続けるのであれば、育児行為、さらには広くケア行為に愛情の意味を付与する情緒的意 味付与メカニズムそのものの再考が必須となる。さもなければ、家族の親密性そのものが破たん の危機にさらされることになるであろう」(宮坂 2014:64)と結んでいる。つまり子育て支援策が少子 化対策に有効でない理由は、育児に愛情の意味を付与するメカニズムをあくまで前提としたうえ での機能しか発揮していないからだといえる。

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4.教育する母親

母親の就労が与える影響が憂慮されているのは、何も乳幼児期に限定されない。多くの女性 がパートタイム就労を選好するのは子どもの生活リズムに合わせるためである。母親たちは子ども たちを学校に送り出してから仕事に出かけ、下校時前には家へ戻るという就労パターンが理想的 だと考えられている。それは子どもから目を離さないことが、母親役割の重要な部分とされている ためだ。またパートタイムであることによって、学校行事への参加など子どもの予定に合わせて休 みを取れることも期待されている。

では実際に、母親の就労は学齢期の子どもにマイナスの影響を与えているのだろう。菅(2009)

は思春期の子どもの行動や成績に与える影響について分析し、授業のサボタージュ、学校での 喫煙などの逸脱行動について、おそらく子どもの監督にかけられる時間の制約などから母親の就 労状態が一定の影響を及ぼしている一方で、成績・教育年数との関連についてはむしろ「成績が 悪い」確率を下げ、フルタイム就労は女子の教育年数に正の効果を及ぼすという、アンビバレンツ な結果を示している。つまり、母親の就労が「生活のため」に行われる場合と「母親の高い人的資 本」に起因する場合で、異なった結果を生むことが示唆されている。

さらに末盛(2011)は母親の就労の有無という単純な 2 分法での分析には限界があり、欧米の 研究の焦点はすでに就業特性の与える影響についての分析へと移行しているとして、その動向 についてまとめている。その結果、①職業とパーソナリティを援用した研究は米国等では一定支 持されるが、日本では明確な支持は得られていない、②職業ストレスの視点を援用した研究は、

米国と日本共に仮説を支持する研究は多い、③多重役割理論に基づいた検証では、就業特性 が親子関係に与える影響を複雑であり、複数の仮説や視点から見ていくことが必要であることが 導き出されている。

ただしこのように常に女性の就労が子育てにいかなる影響を与えるかという観点から語られるこ と自体、ジェンダーの観点からすれば不平等なことだといえる。ホックシールドは『タイム・バインド』

において家事・育児よりも自己実現できる場として職場へと逃げ込みたがる傾向はなにも男性の 特許ではなく、女性もまた同じである姿を描き出した(Hochschild 1997=2012)。仕事へのやりが いを見出せば見出すほど、その傾向は強まる。万全のワークライフバランス対策をとっているはず の企業においてもそれを利用する従業者の割合がわずかであるのは、仕事により大きな価値を見 出しているからだというのである。そのしわ寄せは当然子どもに行き、そのことに対して彼女は警 鐘を鳴らしている。しかし解決の道筋として女性を家庭に回帰させ、そこに縛り付けることには無 理があり、ジェンダー不平等でもある点は明記されている。ワークライフバランスは男性に浸透しな ければ意味がない。

けれども日本はこれまでアメリカ以上に性別分業に固執し、母性を女性固有のものとする本質 主義で解決を図ろうとしてきた経緯がある。広井多鶴子と小玉亮子は、親が子育てに関して戦後 いかに批判されてきたのかをまとめ、その理由について考察している(広井・小玉 2010)。そして 親を責める「風潮」の強さの要因に政策が関与していると主張する。政策が大々的に親を批判す るようになった 1970 年代が、福祉国家的な教育・福祉制度から自助努力と自己責任を基盤とした 政策への転換期であったことを指摘する。

広井・小玉の分析によれば、1970 年代と 1990 年代の共通性とは、福祉国家からリベラリズムへ の転換期にあたり、実態以上に子どもの問題がクローズアップされ、親の教育責任が問われてい

図 3-1 『I Love mama』クラスター分析      図表 3-2 『Baby-mo』クラスター分析
表 5-6 には道具的な互酬性の規範についての結果を示した。PTA 活動は今日、ほぼ強制の形 になっていると言われるが、学歴と年収両方において差がみられる。子どもが 18 歳未満のケース に限定しても、収入階層差はないものの学歴階層差はみられる。趣味やスポーツについては、生 活に余裕がなければ余暇的活動への参加は難しいと推察されるとおりに、学歴、年収の両方に 関連がみられる。ボランティアと学校支援活動については、収入には関連しないが、学歴には関 連し、高学歴である場合に参加率が高い。その他の募金、請願書への

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