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プレゼンス―母親面接からの一検討

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プレゼンス―母親面接からの一検討

その他のタイトル Presence‑examination of psychotherapy for a mother

著者 矢野 キエ

雑誌名 文学部心理学論集

巻 1

ページ 51‑57

発行年 2007‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/7937

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Ⅰ はじめに

  フ ォ ー カ シ ン グ を 考 案 し た ジ ェ ン ド リ ン

(Gendlin,  E.  T.)は、「人とワークすることの 本質は、生きている存在としてそこにいること

(to be present)」(ジェンドリン,1999a)であ ると、プレゼンスの重要性を強調している。ま た、池見は、ジェンドリンの述べるプレゼンス を「クライエントに感じられてくるべきものが 感じられてくるような治療者の存在の在り方」

(池見,2005)と表現した。つまりプレゼンス であるということは、クライエントが感じてい ることが十分に感じられるという状態であり、

逆にプレゼンスでない状態というのは、クライ エントに感じられていることが十分に感じられ ない状態と言えよう。

 ところで、ロジャーズ(Rogers,C.R.)は、

自らの体験からプレゼンスについて語り、プレ ゼンスは何か重要なものであるようだと晩年に 述べている(ロジャーズ,2001;Baldwin,  M.  

1987)。これを受けて、近年はプレゼンスの重 要性について様々に述べられている(メァーン ズ,2000;ソーン,2003;岡村,2004)。これ らパーソン・センタード・アプローチ、フォー カシング以外にも、「そこにいること」或いは、

セラピストの存在の重要性は多く述べられてい るのである(例えば、村瀬,2006;河合,2006)。

 さて、人は生きている存在として、およそ

「自分自身に成りたい」(ジェンドリン,1999b)

と願っているのではないだろうか。ジェンドリ ンはクライエントと共にあるときに「ひとみの

奥のあなた」(ジェンドリン,1999b)という 表現をしている。クライエントの問題の解決や 除去を第一義とするのではなく、どのようにそ の人が生きたいのか、生きようとするのかを共 に見つけようとしている。これは、プレゼンス につながる重要なあり方のひとつであると考え られる。

 以上プレゼンスについて、ごく大まかに述べ たが、このようなプレゼンスについて、筆者は こ れ ま で 探 っ て き た( 矢 野,2005,2006a,

2006b)。それは、様々に重要であると述べら れているプレゼンスではあるが、具体的にセラ ピストのどのようなあり方なのか、さらにセラ ピストはどのような体験をしているのかが明ら かにされていないからである。このような理由 から、セラピストプレゼンス(セラピストのプ レゼンスをこのように称した)を探っていくと、

わかったことは、プレゼンスには様々な側面が あるということである。ここでは詳細は省略す るが、一つの重要な側面として、セラピストプ レゼンスには、セラピストの「クライエントや 場を見守り支える」という側面と、「セラピス トとクライエントとの相互の影響の中で生まれ 出る」という側面があった。

 そこで本稿では、このセラピストプレゼンス の一側面を母親面接において検討し、セラピス トプレゼンスが母親面接においては、どのよう に重要であるか、考察することを目的とする。

ここで母親面接を取り上げるのは、母親面接に ついては後で述べるように様々な見解があり、

また近年子育て支援としても求められ、幅広い

プレゼンス 母親面接からの一検討

矢 野 キ エ 

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領域で模索されつつ実践されているからである。

以下にまず母親面接についての概観を示し、母 親面接の特徴的なところ(母親が語る物語とい う側面)や例を上げながらプレゼンスについて 考察したい。

Ⅱ 母親面接について

 母親が相談に訪れるときは、子どもの何らか の問題を抱えてやってくる。そして、子どもの 問題は自らの子育ての失敗と思い、また周囲か ら評価され、傷ついたり、自信を失った状態で あることが多い。そのようなときに、たとえば、

橋本は、自分の話を責められずに聴いてくれる 人がいるのだと知るだけで、母親はずいぶん救 われると述べている(橋本,2000)。また渡辺 は母親を支えることの重要性を述べている(渡 辺,2006)。心理相談においては、多くが母子 並行面接であり、治療者が母親と子どもをどの ように担当するかの治療様式は様々であるが、

子どものプレイセラピーや面接と共に母親面接 が行われる。子どもが何らかの理由で来談しな い場合は、親面接のみになることもある。しか し、この場合も親面接をしながら、子ども支え るということが自ずと行われている。

 ところで、親面接については、次のように 様々な見解がある。それは、子どもの治療のた めの補助的なものとして、或いは、親を心理療 法の対象とするものとして(河合,1986)、ま た「子どもの問題を軸としながら、いかに親を 支え、親の持っている力を引き出し、それを子 どもの成長に結びつけていくかということ」

(弘中,2004)などである。

 さらに近年は、乳幼児と母親(養育者)の間 の相互交流の重要性から、親−乳幼児心理療法 という親子が同席する形での治療の報告が示さ れている(田中,1997;河﨑,2005)。河﨑は、

「セラピストが、困難な育児を母親と分かち合

いながら、ほどよい導き手として忍耐強くとも にあることによって、母親は情緒的な支持を体 験し、心的なエネルギーを得ることができる」

と述べている。また訪問面接の成果を示しなが ら、子育て支援への展開を示唆している(河﨑、

2005)。田中は、親子同席治療を進め、発達の 早期における援助では、親育てのために発達的、

教育的要素も加わること、その意味でも同席治 療においては、「治療者の子どもとの関わりを 母親は目の前で見ることができるため、そのま まモデルとしてとり入れてもらうことができや すい。口で語らず目で見て上手に盗ませるこの 方法は、親としての自尊心を守る工夫でもあ る」と述べている(田中,1997)。治療者が母 親と子の関係をつないだり、母親を支え、子ど もを支え、母親と子どもの関係を支えているの である。

 以上のように、親面接においては、親の面接 を子どもの治療の補助として、親が適切に子ど もに関われるように援助していくものという考 えや、母親自身のための母親面接であるという もの、その両者を含めたものなどがある。近年 母親への支援の必要性と相まって、様々なあり 方を検討しつつ、形態は母親のニーズやケース によるものでもあると思われる。たとえば、弘 中は次のように、様々な場合に応じて親面接の あり方を述べている。まず、子どもが障害を持 っている場合は、子どもを巡っての具体的で多 様な問題をひとつひとつ検討しながら「子 親 が本当はどのように生きたいのかを模索するこ とが親面接の究極の役割となる」と述べている。

二つ目は、親が自分の気持ちで子どもを育てて いない場合である。他者や情報に影響され、子 どもをどのように育てたいのか自分に自信がな く、自分の本当の気持ちが何であるのかわから なくなっている場合である。そのようなときの 親面接の役割は「親が自分の本当の気持ちが何 であるのかをあらためて知り、それを表現し、

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それを大事にしながら子育てができるように、

親を援助すること」と述べている。三つ目は親 自身の問題が育児に反映する場合である。親が 自分のネガティブな面を子どもに見てしまうと か、自身の親との関係が背景となって、子ども にどう関わればいいのか分からなくなるなどの 場合である。こうしたときは、「親自身の育ち 直しへと通じる問題を抱えている」のであるが、

そのことを引き受けようする親もいれば、回避 しようとする親もいる。引き受ける場合はとも かく、そうでない場合も「子どもの成長、変容 を通じて、またそれを扱うことを通じて、親が どこかで自身の傷ついた 内なる子ども を癒 し、育て直すプロセスが生じる可能性を考えた い」と述べている。四つ目は育児というストレ スの中で自分を見失っている場合である。この 場合は、「親を支えることを通じて、親がやが て新しい認識や生活を作り出すことを目指して いる」と述べている(弘中,2004)。これらは、

それぞれのケースによってあり方も変わるとい うことの参考になるであろう。さてここで筆者 は、母親面接について、基本的には、子どもへ の問題の具体的な助言も必要に応じて含みつつ、

母親自身が一人の人間として、自分の感じを大 事にしながら、本来的に生きるということを重 要視したいと考える。

Ⅲ 物語としての母親の話

 ところで、親が相談に訪れるときは、子ども の具体的な困った行動、状態、それにどう対応 したらいいのかわからないこと、子どもについ ての様々な悩みについて、相談する。しかし、

話をしていくうちに(聴いてもらっているうち に)、いつの間にか、嫁姑の問題や、自身の母 親との関係、夫のこと、そして自身の子どもの 頃の話になっていくことが多い。また、子ども についての悩みを話しているようで、どこか母

親自身を語っているように感じられることもあ る。これについては、橋本が「母親が語る子ど もの話は文字どおり子どもの事実を語っている ほかに、「子どもの話」を通して、母親自身が 語られている」と述べている(橋本,2000)。

そして橋本は、子どもの話に、母親自身の内面 が重ねられているという視点が重要であり、か りに子どものことしか話題に上らなくても、そ れは母親自身の語りであるという視点が治療的 アプローチとして有効であると述べている(橋 本,2000)。橋本は、母親の話を一つの物語と して考え、「語りの始まり」と「中間の語り」、

「語りの終わり」というプロセスがあると述べ ている。「語りの始まり」では、問題となって いる「子どもの話」が話され、「中間の語り」

では、「『子ども』の話」、つまり実際の子ども と母親の内なる子ども(母親自身の子どもの頃 の体験)が重なった話[( )内は筆者による 補足]、「語りの終わり」では「母親自身の話」

となる。そして、治療者は、「子どもの話」が 話される「語りの始まり」のときは、「子ども の話として聴く」。次の「『子ども』の話」が話 されるときは、「子どもと母親を分けず、両者 の話を重ねて聴く」。「母親自身の話」が話され るときは、「母親自身の話として聴く」のであ る(橋本,2000)。

 実際には、このようなプロセスがスムーズに 進むとは限らず、行きつ戻りつしながらなど、

様々であることも多いと考えられる。しかし、

橋本はとくに「中間の語り」が重要であること を示し、治療者は「母のことか子のことかと決 めつけず、治療者の想像力のなかで「子どもの 物語」と「母親の物語」をからませながら聴く ことが大切なのではないだろうか」と述べてい る(橋本,2000)。筆者はこのように、母親の 話を物語として聴くことは重要であると考える。

なぜなら、物語は、過去を含んだ現在の、母親 の生きている過程であり、これから生きられる

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方向性を創っていくものであると考えるからで ある。さらに物語ることは、相互作用の中で感 じられているものを言葉にしていく過程である と考えるからである。

 実際、母親の話には、初めは子どもについて の話が多い。子どもについての相談に来たのだ から当然である。故に、子どもの話の中に、母 親のまだ明らかになっていない何かが重なって いるかもしれないという視点は重要であると考 える。セラピストにとっては、子どもの問題を 話すことを繰り返す母親には、得てして、子ど もの視点に立てない親、子どもを理解できない 親、と考えがちなのではないだろうか。しかし、

子どもの話の中にも、母親の何かが重なってお り、たとえ子どもの話だけでも、母親自身の語 りであるという視点は、次の何かにつながって いくのではないかと思われる。多くの母親が、

家庭を維持することや子どもとの具体的な日々 のやり取りで、息つく間もないほど慌しく過ご しており、自分のことをじっくりと語る場もな ければ、どう感じているか少し留まって見つめ ることもない。そのような母親に面接の場は、

ある意味では、与えられた特別な時間でもある。

いろいろな状況を生きている母親の、その生き られた側面としての物語を大事にしながら居合 わせる気持ちでいたいと考える。

Ⅳ 母親面接の一つの例から

 では、ここで筆者の行った母親面接の一例を 上げ、プレゼンスについて考察したい。Aさん は初め、言葉が遅く、落ち着きのないB(長女)

への不満や、なぜできないのかという視点で訴 えるように話していた。セラピスト(筆者)は、

それを否定せず、Aさんの思いを聴いていった。

そして、育児書を頼りにAさんなりに一生懸命 行っていたことを尊重したいと思っていた。ま た、話すことが苦手であると言うAさんの話は、

事柄が断片的に並ぶので、理解しにくく、言葉 を添えたり、どう思い、どう感じたのかをとき どき聞いていった。しかし、どう感じたのかと のセラピストの問いかけには、戸惑う表情を見 せることが多かったため、時々尋ねるものの、

できるだけAさんの表現したところを理解して いこうと思ったのである。

 そのようなAさんが、徐々にBの立場で考え たり、よく考えてみると小さい頃には〜という こともあったと振り返り、Bに対する見方が少 し変わってくる。またAさんは、時々自分のこ とを話し、今までになくじっくりと話すように なる。少しずつ感じられているものの縁に触れ ながら、話しているようであった。その他のこ とについても、あーかな、こーかなと考えなが ら話すようになる。そして、「(Bは)自分で抱 え込んでいるようで、本当に思っていることは 言えなかったのだと思う」などBのことを言っ ているのだが、どこかでAさんが語られている ような話が続く。

 そうしながら、次第にAさんは、言葉をかみ 締めるように話すようになる。なんて言ったら いいんだろう、〜かもしれない、でも〜かも、

とBに対する自らの思いを、ゆっくりと考えな がら話していく。そして、なぜ、言えないの、

なぜ〜なの、とBの行為について、もどかしく 腹立たしく思っていたAさんが、「私もそうで したから」と言って、自身の子ども時代を語る。

当時のAさんはあまりに小さく、傷ついたこと を言葉にすることもできなかった。誰にもわか ってもらえず、訴えることもできずに、必死で 耐えていたと思われた。Bのことをあれこれ話 していくうちに、やがて自分自身の体験と重ね、

話せなかった出来事、言えなかった思いを語っ ていった。Aさんは、何かを感じながら一生懸 命言葉にしようとした。時々、「うーん」と考 え込むように。セラピストはAさんのプロセス を見守るようにじっと待って聴いていた。また、

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Aさんは、言葉にしては、セラピストが返す言 葉を聞き、またじっと考えて言葉にするという ことを繰り返すときもあった。さらに、Aさん の話に、セラピストが何かを感じ、ゆっくりと、

やっと言葉になったところを伝えるということ もあった。

 やがて、Aさんは、生活の中でもBに伝わる ように一生懸命言葉で説明したりしていた。そ してAさんが伝えようとすることが、Bにしっ かり伝わっているという実感を語る。Aさんは Bと気持ちが通い合うことを感じるのであった。

自分とは違うBを見つめ、同時にBとは違う自 分や、自分の人生を振り返り始めたのであった。

自分に自信がないと言っていたAさんが、自信 をつけつつ、自分でも何かできるのではないか と思い始めたのである。

Ⅴ 考察

 ここでは、最初に示したプレゼンスの一側面、

「クライエントや場を見守り支える」ことと

「セラピストとクライエントとの相互の影響の 中で生まれ出る」という二つの側面において、

上記の母親面接の例より検討したい。一つ目の 側面「クライエントや場を見守り支える」は、

母親面接の特徴の一つであると考える「物語」

としての見方に添ってみたい。すなわち、過去 を含んだ現在の、生きている過程であり、これ から生きていく方向性を創る「物語」を語る母 親を、見守り支えることを「物語に居合わせる プレゼンス」として検討する。

1.物語に居合わせるプレゼンス

 Aさんが、今まで言葉にすることのできなか った子どもの頃の思いや出来事を語り始めたの は、何か自分の感じの周辺にあるものに触れ始 めてからであった。それまで、話すことが苦手 というAさんの話は、事柄が断片的に並び、聴 き手にとってはわかりにくい話であった。それ

が、何かを探るようにぽつりぽつりと話し始め たのである。そうしてAさんは、物語を語り始 めたのであった。筆者は、物語は、相互作用の 中で、自分の感じに触れながら言葉にすること であると考えていることは、先に述べた。Aさ んの物語は、セラピストと一緒にいる場の中で、

自分の感じに触れ始め、言葉にし、さらに感じ に触れながら言葉にするということを重ねてい ったのではないかと考える。そうした物語に居 合わせるような感じで、セラピストはいる、と も言える。このように、今まで言い表すことの できなかったことが、ある人と一緒にいる場で 現 れ て く る の は、 そ こ に 聴 き 手 の 存 在

(presence)があったからであると考えられる

(池見,2006)。

 それでは、Aさんの物語をもう少し詳細にみ てみよう。Aさんの話は、Bに対する訴えから 始まる。そしてBの立場で考えるようになって から、Bのことを言っているのだが、何かが含 まれているような、どこかでAさんが語られて いるような話になっていく。それは、ただ訴え るだけでなく、何かに触れながら話すというあ り方になっているのである。さらにAさんは言 葉をかみ締めるように話し始め、やがて自分の 子どもの頃の様々なことを語っていくのであっ た。

 橋本は、母親の話を物語として考えると、

「語りの始まり」「中間の語り」「語りの終わり」

という展開があると述べている(橋本,2000)

が、Aさんの語りもこのように考えると、訴え るという「始まり」から、Bのことを話しつつ、

何かAさんが含まれている「中間」から、自分 の子どもの頃、そして現在の自分のことという

「終わり」の展開であると考えられる。橋本が 中間の語りを重視しているように、Bのことだ けど、何かAさんのことも、という語りに、B かAさんかを区別せず、含んだままで聴いてい ることが、次の語りへとつながっていったもの

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と考えられる。そして、さらに言えば、Aさん のぼんやりしている感じをそのまま大事にしな がら聴いていくことで、Aさんは安心してぼん やりしたところに留まり、「内的に分化可能」

(ジェンドリン,1999)である感じられている ことが、Aさんの子どもの頃が現れてくること につながったのではないかと考えられる。物語 は、人との相互作用の中で、感じに触れながら 言葉にすることであると考えると、この物語は 次のようになる。Aさんがセラピスト(聴き手)

との安心の関係の中で、セラピストとのやり取 りや、相互に影響を受け合う中で、感じの周辺、

縁に触れ始め、言葉にし、感じながらさらに言 葉にすることを重ねていったプロセスであると 考えられる。そして、そのプロセスは、セラピ ストの存在、そこにいること(presence)によ って、起こったものであると考えられる。

2.二人が影響し合って、現れ出てくるプレゼ ンス

 ここでは、さらにセラピストとAさんが、影 響し合ったところを検討したい。プレゼンスの 一側面として、プレゼンスはセラピストから一 方的に与えるようなものではなく、二人の関係 の中で、影響し合い、生み出されてくるもので あるという側面がある。

 Aさんは、語っては返ってくるセラピストの 言葉を聞き、頷いたり、じっと考えたりしなが ら、言葉にしていった。そして、感じの縁を感 じていくようになった。Aさんにとっては、自 分の感じに触れることは、ある意味、 恐る恐る でもあったと思われる。うまく言葉にならない 言葉を発し、また感じに触れていく。それをセ ラピストはじっと待ちながら、聴いていった。

 また、Aさんの話から、何か伝わってくるも のがあり、セラピストに何かが感じられる。A さんの話を聴きながら、その何かは、何であろ うかとセラピスト自身のからだの感じに触れ、

確かめてみる。まだ、明らかにこれだ!という のはわからないが、少しわかったところを淀み ながらゆっくりと伝えてみる。するとAさんは、

それまで話していた感じ、表情や全体の様子が 変わって、ほっとした、安心したと言う。これ は、Aさんの話している内容に対してセラピス トが何か答えになるような内容を返したのでは ない。Aさんの何かにセラピストは影響され、

それを、全て明らかに言葉にはなっていないが、

感じられたものを少し言葉にして伝えるという ことを通して起こったのである。こういったや り取りのプロセスの中で、セラピストの存在と Aさんの存在が出会い、そこにしっかりといる、

という場になっているのではないかと思われる。

 以上のように、セラピストとAさんが相互に 影響し合う中で、そこにしっかりといる、とい う場になっていったことにより、Aさんは、B を客観的に見始め、Bとは違うAさんの人生を 振り返り、自分自身として歩み始める一歩とな っていったのではないかと考えられる。

Ⅵ まとめ

 プレゼンスを母親面接を通して、検討してみ た。プレゼンスは様々な側面を持つが、母親面 接においても、重要なものであると考えられる。

それは、母親面接を、母親自身が自分の在り方 で本来的に生きていく方向性を見つけられるよ うな場であることを願い、そのように考えるか らである。子どもの様々な問題を抱えつつも、

子どもは子どもの人生を生き、母親は母親の人 生を生きる。安心の中で、母親が自分に触れな がら、自分の感じを大事にしながら、自分自身 を生きること、そこにセラピストがいること、

セラピストのプレゼンスが、全体を支えること になるのではないかと考えるのである。

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参照

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