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平 城 宮 発 掘 調 査 出 土 木 簡 概 報 関

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(1)

昭和五十八年五月

平城宮発掘調査出土木簡概報関

奈良国立文化財研究所

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(4)

図 版 二

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 この概報には︑さきに公刊した﹃平城宮発掘調査出土木

簡概報十五﹄ ︵昭和57年5月︶以後︑平城宮跡および平城

京跡内から出土した木簡の主要なものを収録する︒以下︑

木簡の出土地域ごとの状況を述べ︑木簡の形態分類︑凡例

と釈文をかかげる︒

一︑木簡出土の地点と状況

 第一三九次調査︵6AAA・B区︶

       昭和57年3月〜7月

 発掘区は平城宮内裏の東北方で内裏北外郭の東北隅をふ

くんでいる︒発見した遺構は掘立柱建物八棟︑溝一三条︑

塀三条︑築地二条︑土墳などである︒木簡は南北大溝SD

二七〇〇と東西溝SD一〇五五〇︑および時代のくだる南

北溝SD一〇五四五とから総計二五八点出土した︒

 南北溝SD二七〇〇  SD二七〇〇は上幅二・〇m︑

底幅〇・九m︑深さI・四mの規模で人頭大の玉石を六〜

七個積んで護岸をした石組溝である︒溝の築成の順序とし

ては︑まず断面V次形の素掘りの溝を掘り︑三〇四の最下

層の疎まじり灰色砂の堆積がなされたのち︑粘質土を裏ご めとしながら玉石を積みあげていったものである︒SD二七〇〇の堆積層は石組の底から五層にわけられる︒その最下層から養老七年〜天平四年︑下から二層めに神亀三年〜天平九年︑四層めに天平宝字四年〜六年の紀年銘をもつ木簡が出土しており︑また︑最上層からは天応の銘をもつ墨書土器が出土した︒SD二七〇〇から出土した木簡は計一九四点てあった︒なお︑SD二七〇〇については︑古くはT几二八年︑三二年の奈良県技師岸熊吉氏による調査や︑当研究所の第二I次調査︑第二一九次調査においても検出し︑後の二者では木簡を検出している︵平城宮発掘調査出土木簡概報三︑十五︶︒ 出土した木簡のうち内容として注目されることは︑貢進物の荷札が多数ふくまれていることである︒なかでも︑隠岐国の荷札が一五点ふくまれていることが特に注目される︒ 東西溝SD一〇五五〇  SD一〇五五〇はSD二七〇〇の東に接続するもので上幅二・七m︑底幅一・〇m︑深さI・七mの素掘りの溝である︒堆積はSD二七〇〇とほぼ同じであり︑最上層から天応元年の銘の墨書土器が出土した︒木簡は計六三点である︒SD一〇五五〇が西になが

れてSD二七〇〇にそそいでいたものか︑あるいはSD二

(6)

七〇〇がSD一〇五五〇へながれこんでいたものかについ

ては明確には判断できなかった︒出土遺物については両溝

に相違はみとめられない︒木簡についても同様である︒

 第一四〇次調査︵6ABH・I・J・U・V︶

      昭和57年8月〜58年1月

 発掘区は平城宮推定第一次朝堂院の南部にあたり︑木簡

は平城宮推定第一次朝堂院の外側で北から南にながれる溝

︵SD三七一五︶︑同溝から西へ枝わかれする東西溝︵SD

一〇七〇五a︶︑さらにSD一〇七〇五aが南にまがった

溝︵SD一〇七〇六︶︑および︑SD一〇七〇六をさらに西

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つけかえた南北溝︵SD一〇三二五b︶とから出土して

る︒木簡の出土総点数は七五七点てある︒

南北溝SD三七一五  SD三七一五からは計四一六点

出土している︒SD三七一五は平城宮の基幹排水路でSD

三七六五のつけかえである︒二回の改修のあとがあり︑上︑

中︑下の三層にわかれる︒木簡は下層溝からすべて出土し

た︒下層溝の深さは約〇・六m︒中層の溝は下層溝をうめ

たのちにくっさくしている︒深さは約〇・四m︒上層溝は

中層溝をうめたあとくっさくしている︒  東西溝SD一〇七〇五a  SD一〇七〇五aは上下二層にわかれ木簡は下層から一点出土した︒幅二圭二m︑深さ約〇・五mを計る︒ 南北溝SD一〇七〇六  SD一〇七〇六からは木簡は三五点出土している︒SD一〇七〇六は幅約二・二m︑深さ〇・九mを計る︒ 南北溝SD一〇三二五b  木簡は二九七点出土している︒SD一〇三二五bは幅約二・四〜五m︑深さ〇・五mを計る︒この溝は本発掘区の南側の第一三六次調査区で東へまがりSD三七一五の中層溝を切っている︒ 第一四一−二三次調査︵6AHN︶    東市堀川跡︵SD一三〇〇︶      昭和57年10月 東市堀川跡︵SD一三〇〇︶は左京九条三坊の五坪にあたる地点で堀川にかかる橋の遺構などとともに検出した︒SD一三〇〇は幅約一一m︑深さI・三mを計る︒木簡は総計五点出土している︒また伴出した遺物には多量の土器︑瓦︑木器などとともに合計三一点の墨書土器がある︒墨書

の内容には﹁佐太﹂﹁竹田﹂﹁林﹂などがある︒

(7)

 第一四一−二八次調査︵6AFH︶

    左京三条三坊七坪

      昭和57年12月

 南北溝︵SD二三二五︶は幅四m以上︑深さI・五mを

計る︒木簡は瓦︑木器などとともに一点出土している︒

 第一四一−三五次調査︵6AFI︶

    左京三条二坊七坪

      昭和58年3月

 調査は駐車場の建設にともなうものとしておこなわれ掘

立柱建物一〇棟︑流路八条がみつかった︒流路の中にうが

たれた土墳︵SK一七︶から木簡が一点みつかっている︒

土埃SK一七は径約四mの不整形のものである︒

 第一四三次調査︵6ABY︶

       昭和57年7月〜8月

 朱雀大路西側溝SD一〇九五〇を朱雀門西方で検出した︒

SD一〇九五〇は当初幅二・五m︑深さ〇・四mの素掘り

溝であり︑のち東岸をしがらみで護岸していた︒木簡は計

二点出土した︒ 二︑凡  例ド 釈文は出土遺構ごとに掲げ︑同一遺構の中では︑内容分類によって︑文書︑付札︑その他の順に配列するのを原則とした︒口 最上段に出土地点︵アルファベット・数字︶︑次の段に形態を示す型式番号を記した︒型式番号は次の通りである︒なお本概報では千位の6を省き三桁の数字で表わした︒呂に型式 長方形の材︒呂ぶ型式 長方形の材の側面に孔を穿ったもの︒目芯型式 一端が方頭で︑他端は折損・腐蝕などによって     原形の失われたもの︒原形は6011 ・ 6032 ・ 6051     型式のいずれかと推定される︒呂巴型式 小形矩形のもの︒目旨型式 小形矩形の材の一端を圭頭にしたもの︒呂31型式 長方形の材の両端の左右に切り込みをいれたも     の︒方頭・圭頭など種々の作り方がある︒目脂型式 長方形の材の一端の左右に切り込みをいれたも     の︒

(8)

呂器型式 長方形の材の一端の左右に切り込みをいれ︑他

     端を尖らせたもの︒

目脂型式 長方形の材の一端の左右に切り込みがあるが︑

     他端は折損・腐蝕などによって原形の失われた

     もの︒原形は目31 ・呂32 ・ 6033型式のいずれか

     と推定される︒

呂に型式 長方形の材の一端を尖らせたもの︒

呂留型式 長方形の材の一端を尖らせているが︑他端は折

     損・腐蝕などによって原形の失われたもの︒

     原形は目33 ・ 6051形式のいずれかと推定される︒

呂回型式 用途の明瞭な木製品に墨書のあるもの︒

呂呂型式 用途未詳の木製品に墨書のあるもの︒

呂回型式 折損・割截・腐蝕その他によって原形の判明し

     ないもの︒

目2型式 削屑︒

I 釈文に加えた符号はつぎの通りである︒

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−−ロロロ 抹消した字画のあきらかな場合に限り原字の左傍に付した︒抹消により判読困難なもの︒

欠損文字のうち字数の確認できるもの︒ 口zm口口口 ﹇目

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欠損文字のうち字数が推定できるもの︒

欠損文字のうち字数の数えられないもの︒

記載内容からみて上または下に少くとも一字以上

の文字を推定したもの︒

異筆︑追筆︒

合 点︒木簡の表裏に文字のある場合︑その区別を示す︒

編者が加えた注で疑問の残るもの︒

文字に疑問はないが意味の通じ難いもの︒

校訂に関する注のうち︑本文に置き換わるべき文

字を含むもの︒

右以外の校訂注および説明注︒

四 釈文の出土地点の上に付した米印は︑口絵図版に写真

を掲げた木簡を示す︒米は図版一に︑︵は図版二に掲げた︒

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三九次調査︵6AAA・B地区︶

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第一四一−二八次調査︵6AFH︶

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第一四一−三五次調査︵6AFI︶

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第一四三次調査︵6ABY︶

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(19)

第1図 平城宮木簡出土地点略図

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図ヨ1982年度発掘地

木簡出上地

1982年度木簡出土地

東大寺

●木簡出土地

▼1982年度木簡出土地

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第2図 平城京木簡出土地点略図

参照

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