を剥奪するのであるから,この者をその国境内で法律の保護外におくのと 同様の意義がある」(775)。 ( )公法・公権が最終目標とすべき国家のあり方 (a)三様の国家形態について 国家における三つの権力も元首も,経験的に存在するものを指すのでは なく,あくまでもア・プリオリに理性によって,個人の場合と並行して国 家に関し─だから結合された人民の意思という理念に基づいて─推論され た純粋理念であり(前掲( )・(c)参照),それゆえ実際に経験的世界でそ れらを担っている(それら諸理念に現実性を与えている)と認められる権 力機構や自然人は,あくまでもかかる純粋理念に従って,任務を遂行しな ければならないことになる。カントはそのような確認の後に,最高の国家 権力の人民意思に対する関係の点から,ありうる三様の国家形態について 論証する。そしてその内で,国家の法・権利の執行では最も単純な専制的 国家形態は,しかしその執行の単純さにより圧政を招く,人民にとって最 も危険なものであると警告する。
序論 : カントの演繹的行為規範学(15)
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