験的占有・支配の概念に適用されえず,まず初めにある占有・支配一般の 純粋悟性概念に適用されなければならない(601)。そのようにして,占有・
方面的な恣意選択上の行動によるのか(事実による,契約による 法律に よる facto, pacto, lege),のどれかである(612)」(613)。
( )物権について (a) 物権とは何か カントは,外的なものの法的占有・支配の先頭に,客物に対する物権を 選び,まずこの権利に経験的(感性的)要素が完全に捨象された,純粋に ア・プリオリな(叡知的な)定義を与える。そのためにまず,この権利を 人と物(有体物)との関係として考える通常的(形象的)定義を次のよう に説いて排斥する。
み私があらゆる他の占有者・支配者をその客物の私的使用から排除するこ とを可能とする唯一の条件(この物のどんな占有者にも対抗する権利・ ius contra quemlibet huius rei possesorem)だからである(615)。あるそのよ
全な所有権者─ある共同的な私のものおよび君のものなのではなく,彼の ものとしては一人の者にだけ帰属するものの共同的占有者・支配者として だけの─が存しうる。それはいわゆる並立所有権者(Miteigentümer)達 の内で,一人の者には使用のない全占有・支配が,他の者にはその占有・ 支配とともにその客物のすべての使用が,帰属する場合である。それゆえ に前者(上級所有権・dominus directus)は後者(下級所有権・dominus utilis)を,持続的な給付の条件にだけ制限し,その際には彼の使用を限 定することはないのである(632)」(633)。 * * * カントの物権理論を通読した我々は,いまやそれに対してこう問わなけ ればならない。我々の現前にある「社会的分業とその帰結としての取引の 飛躍的増大」を内包する共同社会で,その基礎とされるべき物権理論とし て,また我々が創設・維持すべき市民制的体制を支える役割が課されるこ の権利の根源的・原始的取得の理論として,カントがア・プリオリな思惟 により到達した以上のものはありうるだろうかと。我々はこの問いに,よ り完全な理論はないとしか答えようがないけれども,逆にこの哲学者によ る理論の方から,二世紀以上の時代を超えてこう問いかけられているに違 いない。21世紀の諸君の世界で,ようやく「法の支配」は頻繁にいわれる ようになっているようだが,その意義を真に理解しているというためには, 経験的占有・支配と完全に区別された法的占有・支配の概念こそ,明確に 確立されているべきものではないかと。我々は遅まきながらいまからでも, (632) 近代市民社会成立期以前に行われていた,領主が土地を封(Fief)としてよ り広い土地から誠実と臣従の負担において分割して与える場合の,領主が有した上 級所有権(dominus directus)と,封臣が有した下級所有権(dominus utilis)を指 しているものと思われる(フランス民法典に大きな影響を与えたポティエの同様な 記述につき坂本武憲「フランスにおける建築請負契約と所有権(一)」(専修大学法 学研究所紀要 ・民事法の諸問題Ⅱ)159頁以下参照)。