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ルカ文書におけるマカリズム――幸いの宣言と物語 的文脈――

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(1)

ルカ文書におけるマカリズム――幸いの宣言と物語 的文脈――

著者 原口 尚彰

雑誌名 教会と神学

号 46

ページ 1‑34

発行年 2008‑03‑10

URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024321/

(2)

ル力文書における マ 力  リ  ズム *

幸い の宣言と物語的文脈

原  口  尚 彰

間題の所在

新約聖書において幸いの宣言は

,  へ

プ ラ イ 語 の

n

をµ

a x d p

t

o

j ・/オ aK

, a p

t

o

iと訳した七十人訳の用語法に倣いµ

a x a p

l ,

o

f

l

m

dl

p

t

o

t定 式の形式をとる

幸いの宣言は

福音書や使徒言行録等の物語文学に も ( マ タ 5 : 4 , 5 , 6 , 7 , 8 , 9 , 1 0 , 1 1 ; l 1 : 6 ; 1 3 : 1 6 ; 1 6 : 1 7 ; 2 4 : 4 6 ; ル カ l : 4 5 ; 6 : 2 0 , 2 1 , 2 2 ; 7 : 2 3 ; l 0 : 2 3 ; 1 l : 2 7 , 2 8 ; l 2 : 3 7 , 3 8 , 4 3 ; 1 4 : 1 4 , l 5 ; 2 3 : 2 9 ; ヨ ハ l 3 : 1 7 ; 2 0 : 2 9 ; 使 2 0 : 3 5 )

,

書簡文 学 に も ( ロ マ 4 : 7 , 8 ; 1 4 : 2 2 ; I コ リ 7 : 4 0 ; ヤコ l : 1 2 , 2 5 ; I ぺ ト 3 : l 4 ; 4 : l 4 )

,

黙 示 文 学 に も 見 ら れ る が ( 黙 l : 3 ; 1 4 : l 3 ; l 6 : l 5 ; 1 9 : 9 ; 2 0 : 6 ; 2 2 : 7 , l 4 )

,

使用頻度の点で言えば

,

物語文学における この文学形式の使用が圧倒的に多い

' 。

黙示文学に属する黙示録も物語 的な要素を含んでおり

,

そこでも物語的文脈に幸いの宣言が置かれ

, -

定の機能を果たしている

。 

本論考はルカ文書(ルカによる福音書/使徒

本論考は, 平成19年度科学研究費補助金基盤研究(C)による研究の

部であ

o

'

使 2 6 : 2 ; I テ モ l : 1 1 ; 6 : l 5 ; テ ト 2 : l 3に も 形 容 詞µm dlp o ;は 使 用 さ れ て い る が, 華 いの宣言という文学形式を採つていない

-

1

-

(3)

2

言行録)  における華いの宣言の使用例の文献学的

修辞学的分析を通 して

幸 いの宣言と物語的文脈との間に存在する有機的関係を明らか に す る こ と を 日 指 す

l .  幸いの宣言と物語的文脈

l

.

l  旧約聖書

旧約聖書において幸いの宣言 (

-

l1

a

t定式) 

文頭に

, n

と い う 言

葉が置かれ

その後に幸いとされる人を描写する句が統く表現形式で

あ り

例外的に物語的文脈に置かれていることもあるが(申33:29;

王 上 l 0 : 8 ; 代 下 9 : 7 ; ヨ プ 5 : l 7 ; ダ ニ l 2 : l 2 )

,

物語以外のジャン ルの文学に用いられることの方が圧倒的に多い

。 

幸いの宣言は

詩文 集 や ( 詩 l : 1

-

2 ; 2 : l 2 ; 3 2 : l

-

2 ; 3 3 : 1 2 ; 3 4 : 9 ; 4 0 : 5 ; 4 l : 2 ; 6 5 : 5 ; 8 4 : 5

-

6 ; 9 4 : l 2 ; l 0 6 : 3 ; 1 1 2 : 1 ; l 1 9 : 1

-

2 ; 1 2 7 : 5 ; l 2 8 : 1

-

2 ; l 3 7 : 8

-

9 ; 1 4 4 : l 5 ; 1 4 6 : 5 )

,

預 言 集 や ( イ ザ 3 0 : 1 8 ; 3 2 : 2 0 ; 5 6 : 2 )

,

格 言 集 ( 蔵 3 : l 3 ; 8 : 3 2

-

3 4 ; l 6 : 2 0 ; 2 0 : 7 ; 2 8 : l 4 ; コ へ 1 0 : l 7 ) に 多 用 さ れ る の で あ る

従つて

,

旧約聖書の幸いの宣言に関 して物語的文脈は必ずしも不可欠な要素ではないと言える

。  l

日約聖書 の幸いの宣言については

,

祭 儀 的 セ ッ テ ィ ン グ や ( 詩 1 : l

-

2 ; 2 : l 2 ; 3 2 : l

-

2 ; 3 3 : l 2 ; 3 4 : 9 ; 4 0 : 5 ; 4 1 : 2 ; 6 5 : 5 ; 8 4 : 5

-

6 ; 9 4 : l 2 ; l 0 6 : 3 ; 1 l 2 : l ; l l 9 : l

-

2 ; 1 2 7 : 5 ; l 2 8 : l

-

2 ; 1 3 7 : 8

-

9 ; l 4 4 : 1 5 ; l 4 6 : 5 ) 倫 理 的 勧 告 の セ ッ テ ィ ン グ ( 歳 3 : l 3 ; 8 : 3 2

-

3 4 ; l 4 : 2 l ; 1 6 : 2 0 ; 2 0 : 7 ; 2 8 : l 4 ) の 方 が 優 越 し て い る と 言 え る2

-

2

-

(4)

ルカ文書におけるマカリズム  3 l

.

2  新約聖書

共観福音書に

いて言えば

幸 いの宣言はマル

による福音書には

度 も 出 て こ な い が

マ タ イ に よ る 福 音 書 と ル カ に よ る 福 音 書 に は 度

使 用 さ れ て い る ( マ タ 5 : 3

-

l 2 ; 1 1 : 6 ; 1 3 : 1 6 ; l 6 : l 7 ; 2 4 : 4 6 ; ル カ l : 4 5 ; 6 : 2 0 , 2 l , 2 2 ; 7 : 2 3 ; 1 0 : 2 3 ; 1 1 : 2 7 , 2 8 ; 1 2 : 3 7 , 3 8 , 4 3 ; 1 4 : 1 4 , 1 5 ; 2 3 : 2 9 )

マ タ イ に よ る 福 音 書 と ル カ に よ る 福 音 書に収録されているQ資料には

この文学形式を好んで用いる傾向が あ る ( Q 6 : 2 0 , 2 1 , 2 2 ; 7 : 2 3 ; l 0 : 2 3 ; 1 2 : 4 3 )3

。 

Q資料に含まれて い る 伝

:

承群には大まかな主題的まとまりはあるが

文書全体に明確な ス ト ーリーラインは認められず

幸いの宣言も物語的文脈に置かれて いるとは言えない

。 

しかし

マタイによる福音書とルカによる福音書 は,Q資料やそれぞれの特殊資料に含まれていた個々の幸いの宣言を

,

新たな物語的文脈に置くことによって文学的効果と新たな意味付けを 創り出している

。 

ヨハネによる福音書では

幸 いの宣言は二箇所に使 用 さ れ

スの発言の結びの部分に結論として提示されている  ( ヨ ハ 1 3 : 1 7 ; 2 0 : 2 9 )

福音書中の幸いの宣言にとり

,

物語的文脈は構成

的意義を持つている

物語的文脈において幸いの宣言を行うのは大概の場合はイ

スであ り

,

その場合は祝福

,

或いは

,

勧めの言葉として宣言がなされる

他 方

他の登場人物が行う例外的事例では

幸いの宣言は設辞として機 能 し て い る ( ル カ l : 4 5 ; 1 1 : 2 7 ; l 4 : 1 5 )

ェ ス

がこの宣言を行う

W

.

K

a

ser, Beobachtungen zum alttestamentlichen Makarismus, ZAl l

'

82 (l970)229を参照。

S 詳 し < は

原口尚彰「Q資料における幸いの宣言」 

新約学研究

第36号(2008

年)所収予定を参照。

-

3

-

(5)

4

のは

,

発 言 の 冒 頭 に お い て で あ る こ と も ( マ タ 5 : 3

-

l 2 ; 1 6 : 1 7 ; 2 4 : 4 6 ; ル カ 6 : 2 0

-

23),発言の結びの部分においてであることもある(マ タ 1 1 : 6 ; l 3 : l 6 ; ル カ 7 : 2 3 ; l 0 : 2 3 )

ル カ l 2 : 3 7

-

38では

,

発言

の初めと終わりに使用されて枠構造を形成している

華 いの宣言は大概の場合は

,  一

重であるが

多重構造をとる場合も あ る ( マ タ 5 : 3

-

l 2 ; ル カ 6 : 2 0

-

23)

この点は旧約聖書の使用例より も

,

中間時代の

ダヤ教文書における幸いの 宣 言 ( ス ラ

・ エ

ノ 4 2 : 6

-

l 4 ; 5 2 : l

-

l5;4Ql85;4Q525)に並行している

幸 い と さ れ る 根 拠 を 示す帰結文は来るべき神の国において与えられる終末的報い (マタ 5 : 3

-

l 2 ; ル カ 6 : 2 0

-

23)を語つてぉり

,

旧約聖書の知意文学が述べるよ う な 現 世 的 幸 福 ( 蔵 3 : 1 3 ; 8 : 3 2

-

3 4 ; l 4 : 2 1 ; l 6 : 2 0 ; 2 0 : 7 ; 2 8 : 1 4 ; 2 9 : l 8 ; 3 l : 2 8 他 を 参 照 ) と は 異 な る

こうした特色は中間時代 の

ダヤ教文書における

部の幸いの宣言(エチ・ エ ノ 5 8 : 2 ; 8 1 : 4 ; 8 2 : 4 ; ス ラ

・エ

ノ 4 2 : 6

-

l 4 ; 5 2 : 1

-

l 5 ; モー セ 昇 l 0 : 8 を 参 照 ) に も 見 ら れ る4

幸いの宣言の修辞的機能に

いて言えば

特定の状態や態度を幸い と 宣 言 す る こ と は

基本的には

定の徳を称資することを通して共同

体の価値観を確認する演示的機能を果たしている(アリストテレス

論術

l 3 5 8 b ; キ ケ ロ

発想論

1.5.7;

弁論家について

l.6.22;1.31.

l 4 1 ; 偽 キ ケ ロ

「へ

レ ン ニ ウスに与える修辞学書

」 l.2.

2 ; ク ウ ィ ン テ ィ リ ア ヌ ス

弁論家の教育

3

.

4.l

-

l6)

しかし, 特定の状態または態度

を 称 資 す る こ と は , 聴 衆 が そ う し た 状 態 に 達 す る こ と や 態 度 を と る こ

原口l1lli影「4Ql85/4Q525における幸いの宣言」「教会と神学」第 4 2 号  (2006年) 52-55買を参照。

-

4

-

(6)

ルカ文書におけるマ力リズム  5 と勧める助言的機能を結果として黙示的に持つのであるから

演示的 機能は助言的機能を排除しない5

場合によっては

,

幸いの宣言の助言 的機能が強化されることもある。

2 .  ル

文書における幸いの宣言

2

.

l Q資料における幸いの宣言の継承と拡張

Q資料はこの文学形式を4箇所に用いている (Q6:20

-

2 3 ; 7 : 2 3 ; l 0 : 2 3 ; l 2 : 4 3 )

マル

による福音書が神の国の近接の説教をイ

ス の宣教の中心と考えたのに対して(マル

コ 1 :  

14

-

15),Q資料は幸い

宣言をイ

スの宣教の冒頭に置き (Q6:20

-

23)

綱領的意義を与えて

い るo

ルカによる福音書は,Q資料中の幸いの宣言を継承すると共に(Q6:

2 0 , 2 1 , 2 2 ; 7 : 2 3 ; 1 0 : 2 3 ; 1 2 : 4 3 )

,

ルカ特殊資料より新たな幸いの 宣 言 を 付 加 し ( ル カ 1 : 4 5 ; l 2 : 3 7 , 3 8 ; l 4 : l 4 , l 5 ; 2 3 : 2 9 )

,

さ ら に は

,

他の幸いの宣言を編集句として挿入したため(ルカl4:14,  15;

23: 29)

,

物語の初めから終わりまで広汎にこの文学形式が用いられる

こ と と な っ た 。

2

.

2  ルカ福音書の物語的文脈における幸いの宣言

a. 

ル カ l : 5

-

4 : 1 3に お け る 幸 いの宣言

ル カ に よ る イ

スの誕生

幼 少 物 語 ( ル カ l : 5

-

52)の中には

,

5K.Berger,Formgeschilcht

e

des

N

euenTestam en1ts (Heidelberg:Quelle&

Meyer,l984)188

-

194は, 幸いの宣言を助言的類型に分類している

-

5

-

(7)

だけ幸いの宣言が出て来る(1: 42)

。 

マ リ ア に対する受胎告知(l: 26

-

38) に続く

エリザべト訪問の出来事の中で

エ リ ザ べ ト が マ リ ア を 祝福する言葉の中で幸いの宣言をする

彼女は

,

t

o

i

o y

l

aµ e

l

,, ,

71ll

v

γ

t

n , a ; 1

il

, m i

,

e - 0 a

1ll1l,l

:

l

'

lo ;'

,

0K

a p '

r0;' 'rijf'Kot

M a

f

o

1

o

t

'

(祝福され

ています

あなたは女性たちの間で

。 

祝福されています

あなたの胎 に宿る実は) という大変高揚した祝福表現によって言葉を始め ( 1 : 42)

, m i µm a pta , ll, m o n v o

l

a

;,

c a

O n

e c

l・,i

m

n lL

ei

o

o

lt

t

:

n t f

1

, e1

l

.

,a 1l

., e

l

,

otf

a vrjj nap a

K t

, p e

ot

,

(幸いです

,

自分に語られたこと が主にあって実現すると信じる者は)  と い う 幸 いの宣言によって締め 括る  ( l : 4 5 )

冒頭の祝福の宣言と末尾の幸いの宣言は相互に呼応し て枠構造を形造つているe

福音書記者ルカは

祝 福 と 幸 い と い う 起 源 の上で異なる概念相互の区別を維持しながら

両者を結び付ける神学 的努力を行つている

。 

即 ち

人間の幸いの基礎は神によって祝福され て い る と い う こ と に あ り

幸いの究極的根拠は神の祝福である

E

o a o y , aµ , e

vo

; ,

l ( 祝 福 さ れ て い る )   と い う 表 現 に 含 ま れ て い る 動 詞 e〇λ

oy, e o

, 「

祝福する

こ と を 意 味 す る が ( マ タ l 4 : 1 9 ; 2 6 : 2 9 ; マ コ 6 : 4 1 ; 8 : 7 ; 1 4 : 2 2 ; ル カ 2 : 3 4 ; 6 : 2 8 ; 9 : l 6 ; 2 4 : 3 0 ,   50, 4 1 ; ロ マ l 2 : 1 4 ; ガ ラ 3 : 9 他 )

,

目的語が神の場合は

, 「

設美する

と い う 意 味 に な る ( ル カ l : 6 4 ; 2 : 2 8 ; 2 4 : 5 3 ; ヤ コ 3 : 9 他 )7

E

a

o y

, a ,tv

o,

(

祝福されている

)  という受動表現は

旧約聖書や旧

6W.Radl, Dla s Et

,

angelium nachLukas (l.Teil;Freiburg: Herder,2003) l

.

72もこの点に注日する。

7 Bauer

-

Aland,651

-

652;W.Beyer

.

ThWNT2.75l

-

763;H.Patsch,EWNT 2.l98

-

2 0 l ;  J . A

.

Fitzmyer, T he Gospe1t according to Luke (AB28

-

28A;New

York:Doubleday,l970

-

l 9 8 5 ) l

.

633;W

.

Wiefel

.

D a s Et

,

angelium nachLukas (ThHKNT3;Berlin:Evangelische Verlagsanstalt,l988)55.

-

6

-

(8)

ルカ文書におけるマ力リズム  7 約外典文書において

,

イ ス ラ

ル や ( 申 2 8 : 4

-

6)

,

民族の危機を救つ

ダヤ人女性のヤ

ル ( 士 5 : 2 4 ) や, ユ デ ィ ト ( ユ デ ィ l 3 : l 8 ) に 対 し て 用 い ら れ て い る

新約聖書においてこの表現は

マ タ 2 l : 9 ; 2 3 : 3 9 ; マ コ 1 1 : 9 , l 0 ; ル カ 1 3 : 3 5 ; 1 9 : 3 8 ; ヨ ハ l 2 : 1 3に お い て

,  エ

ルサレム入城の際のキリストに対して使用されている

同根の 形容調

e

n oy , r r

6 f( 設 美 さ れ る べ き ) は

,  へ

プライ語◆l1l

a

の訳語とし

て旧約

l

發書・ユダヤ教の祭儀的用語法の伝統に従つて(詩l8[l7]:47;

2 8 [ 2 7 ] : 6 ; 4 l [ 4 0 ] : 1 4 ; 6 6 [ 6 6 ] 1 9 ; ユ デ ィ l 3 : 1 7 他 を 参 照 )

,

神 の 形 容 と し て 使 用 さ れ る ( ル カ 1 : 6 8 ; ロ マ l : 2 5 ; 9 : 5 ; I I コ リ l : 3 ; 1 l : 3 l ; エ フ ェ l : 3 ; I ぺ ト l : 3 )8

ル カ 1 : 4 2 a で

, e a

o

m

l:

,t

lnl

, c

li

,

,

e

1

,

γuva

;

1i1

,

(祝福されています

,

あなたは女性たちの間で)  と祝福されているのは聞き手のマリアであ る

その理由は

天使ガプリ

ルの言葉にあるように

彼女が聖靈に よ っ て 身 ご も り

,

神 の 子 キ リ ス ト を 生 む こ と に あ る ( ル 力 l : 3 0

-

37)

l : 4 2 b で

,

x a i

e

a o y

i

a

l

,e v o

f

6 x a p n

Of 'rij f x o ,l

M a

f 01

o

t

'

(祝福さ

れています

あなたの胎に宿る実は)  と祝福されているのは

彼女が 胎 内 に 宿 す こ と に な る イ

スである9

ルカによる福音書の主人公であ る イ

ェ ス

が胎内にある時から神の祝福を受け

誕生後も祝福の担い手 に な る よ う に 運 命 付 け ら れ て い る

l:45に あ る

m

axdp

t

a

力 nl

m v

0l

a

tfl

a

n

9

m a

t

e

A

et o

01l

t

'

n t

Ae

a

え?µ

tv o

tf

a v

r n n a

p,de

m p e o

t

,

(幸いです

,

自分に語られた

° 

I

-

I.Patsch, EWN72

.

20l

.

9H.Sch

u

rma n n , 加

s

L!kaseo

a

ttgelium (HThKNT3/l

-

2 ; 2 v o l s ; 4 . A ufl.

.

Freiburg:Herder,l990)1.62を参照。

̲

7

-

(9)

8

ことが主にあって実現すると信じる者は) という文章において

,

幸 い の宣言は三人称単数女性形で書かれているが

念頭に置いているのは 言葉の聞き手であるマリアであるから

二人称単数形と同様に聞き手 に語り掛ける機能を果たしている

。 

天使ガブリ

ルによって語られた ことを受容し

,

語られた通りになるようにと述べたマリアに対して(1:

38)

,

語られたことが実現すると信じる者の幸いを語ることは

,

修辞的 に言えば

天使を通して語られた神の約束の言葉

のマリアの信仰を 賞賛する演示的機能を持つている

'° 。

b

ル カ 4 : 1 4

-

9 : 5 0 における幸いの宣言

福音書記者ルカはQ資料から継承した幸いの宣言の多くを

,

のガ リ ラ ヤ 宣 教 を 描 く ル カ 4 : 1 4

-

9 : 5 0 の 部 分 に 挿 入 し て い る ( 6 :

20,2l,22;7:23)

ルカによれば

,

ナザレの会堂説教(ルカ4:l6

-

30)

において

,

スはその宣教の中心目的をイザヤ61:l

-

2に従つて

,

し い 者 た ち に 福 音 を 伝 え る こ と と し て い る ( 特 に

,

ル カ 4 : 1 8

-

l 9 を 参

照)

ル カ 4 : l 4

-

9 : 5 0 における

連の幸いの宣言は(6:20,2l,22;

7 : 2 3 )

ルカによる福音書の文脈の中では

ナ ザ レの会堂説教におい

て提示された貧しい者

の福音の使命が

スの言葉と業において

l

° 

Sch

u

rma n n , l . 6 9 ; R a d l , l

.

80;D.L.Bock,L!he (2vols;Grand Rapids:

Baker,l994

-

9 6 ) l

.

l38

-

l39;F.Bovon

.

i)asEt

,

ange

n

u mnachL

,

tkas (EKK3/l

-

3 ; Z

u

rich:Benzinger/Neukirchen

-

Vluyn:Neukirchener  Verlag,  1989

-

200l)l.86,92;I.H.Marsha1l, T heGospe1 o

f

Luke (NIGTC;Grand Rapids:

Eerdmans,1978)82;G

.

Schneider, i ;lla s Et langl1,l itmnach lthas (

0

TKNT3/

1

-

2 ; 3

.

durchgesehe und erweiterte Aulll.;G

u

tersloh:Gerd Mohn,l992)1.56;

R.Tannehill,Luke (Nashville,TN:Abingdon,l996)53;H.Klein

.

H.Das 1

.

ukaseoalgelium (KEK1/3;Git;ttingen:Vandenhoeck&Ruprecht,2006)1ll.

-

8

-

(10)

ルカ文iliに お け る マ 力 リ ズ ム   9

成 就 し て い る こ  とを具体的に提示する機能を果たしている

''。 

つま り

,

幸 いの宣言とは,  福音の光の下に人々が 幸 い で あ る こ と を イ

スが告 知 す る こ と を 意 味 す る 。

ル カ 6 :  20-23における幸いの宣言

( 幸 い で あ る

貧 し い 者 た ち

神の国はあなた方のものである

'' 

Fitzmyer,1.629;Tannehi11,115に 資 成

-

(11)

l 0

幸いである

,

今飢えている者たち

あなた方は満腹するであろう

幸いである

今泣いている者たち

あ な た 方 は 笑 う で あ ろ う

幸いである

あなた方は

人の子のために

,

があなた方を憎むとき

,

また

,

あなた方を 追放し

, 「

!路り

あなた方の名を邪悪なものとして捨て去るとき

その日には喜び,  躍り上がれ

。 

見よ

天におけるあなた方の報いは多 い か ら で あ る

。 

同様のことを彼らの父組たちも預言者たちに対して 行つたからである

)

この幸いの宣言は

平野の説教 ( ル カ 6 : 2 0

-

49) の導入部を構成し

て お り

聴衆に神の国での幸いを4重に宣言して

演説の基調を提示 している

。 

マリアの胎内の祝福された実であるとされたイ

ス が ( ル

カ 1 : 4 2 ),30年を経て開始した公の生程において人

に幸いを厳粛に

宣言するのである

。 

ルカによる福音書の物語的文脈の中では

ナ ザ レ の 会 堂 説 教 ( ル 力 4 : l 6

-

30)において提示されたl貧しい者

の福音の 内容が

4つの幸いの宣言によって具体的に示されることになってい

l 2 0

平野の説教(ルカ6:20

-

49)に含まれている4つの幸いの宣言は

,

配 列順が

部異なっているものの,  山上の説教中の幸いの宣言にも含ま れ て い る の で ( マ タ 5 : 3

-

12), Q 資 料 に 通 る と 考 え ら れ る

初めの3

'

ル力 6 :  20

-

26全体の釈義については

原口尚彰

新約理密釈義入門」教文館,

2006年

97

-

l03買を参照。

-

l 0

-

(12)

ルカ文商におけるマ力リズム  li

つの幸いの宣言  ( 6 :  20,21,22) の方が伝承の古層であり

4番目の幸

いの宣言(6:22

-

23)は伝承の新層であるからであるl 3

。 

最初の3つは

お そ ら く 史 的 イ

ス自身に遡り

,

貧しい者たち

,

飢える者たち

,

泣い て い る 者 た ちの幸いを宣言していた(トマ福54,69bも参照)l 4

こ れ

に対して, 4番日の宣言は宣教者たちがキリスト教の宣教活動におい

て経験する悪口雑言や迫害を受けるのは幸いであると宣言している

(トマ福68,69a も参照)

第4の幸いの宣言には伝承の担い手である

初代教会の宣教者たちの自身の体験が反映している

'

S

Q原本段階において初めの3つの幸いの 宣 言 (

Q 6 : 2 0 -

2 l )  は三人

称で書かれ

,

4番目の幸いの宣言(

Q 6 : 2 2 -

23)は二人称で書かれて い た と 推 定 さ れ る

。  Q

ルカは第4の幸いの宣言の文体に合わせて

初の3つの幸いの宣言の後半の部分を二人称複数形に変えて語り掛け

の性格を強めた

'

6

ルカによる福音書の著者は

,

幸いの宣言全体が平野 の説教の聴衆である弟子たちと群衆に直接に語り掛けられ

彼らを通 して福音書の読者にも語り掛けられていると考え

ルカ版

Q

資料  (

Q

ルカ) が伝える二人称複数形を維持したのであった

Qルカは平野の説教中の4つの幸いの宣言(ルカ6:20

-

2 3 ) に 災 い

'

Fitzmyer,1.63l; Klein,245; Radl,l.374;Sch

u

rmann,l

.

326; Wiefel

.

l30;

M.Sato,Q u n d P r o phetie ( W U N T 2 / 2 9 ; Tllibingen:Mohr, 1 9 8 8 ) 2 5 4 ; U . Luz Dla s Etlm g,elium n

ac

hMatth

a

us (M t l

-

7)(Neukirchen

-

Vluyn;Neukir

-

chener Verlag,2002)27l

-

272;S.Schulz,

Q

. DieS

p

rtch

q

ll

u e

derEt

'

angelisten

(Z

u

rich:Theologischer Verlag

.

l972)76

-

84.

''

Bovon

.

1.295;Sato

.

2 5 4 ; K l e i n , 2 4 6 ; L u z , 2 7 1

-

2 7 2 ; R a d l ,  l.374;

Schneider

.

l . l 5 1 S c h

u

rmann,1

.

328

.

335.

'

Klein,245;Nolland,l.283;Schneider,1.l52

-

l 5 3 ; 原

ロ f

釈義入門

100頁

を参照

'

Bovon,l.297;Fitzmyer,l.632を参照。これに対し,Sato,255;Luz,270は

,

より珍しぃ形の方がオリジナルであるという本文批評の原則から類推して,  むし

ろ, ルカ版の二人称の形の方が原初的であるとしている。

-

l l

-

(13)

l 2

の宣言 ( 6 : 2 4

-

26)  を付け加えてぉり

その結果

Q

ルカの伝える幸

いの宣言には預言的

黙示的性格が強まっている ( ス ラ

・エ

ノ 5 2 : l

-

l5を参照)

'

7

ルカによる福音書は

,

幸いの宣言(ルカ6:20

-

23)に災

いの 宣 言 ( 6 : 2 4

-

26)の組み合わせをQ ルカより継承して

物語的文 脈の中に置いた

その結果

,

マリアの識歌に登場し

,

福音書全体を買 く

,

貧しい者

,

弱い者を擁護し

,

富める者,力ある者を批判する主張 の

環 を 形 成 す る こ と と な る ( ル カ l : 4 6

-

5 5 ; 4 : 1 8

-

l 9 ; 6 : 2 0

-

23;

7 : 2 3 ; 8 : l 4 ; 1 2 : l 3

-

2 l ; l 4 : l 5

-

2 4 ; l 6 : l 9

-

3 l ; 1 8 : 2 4

-

24)

'

8

ル カ が 伝 え る 第 l の 幸 いの宣言においては

幸いと宣言する理由を 与える後半部に

,

神の国の付与という終末的概念が提示されている(ル

カ 6 : 2 0 )

さ ら に

,

平野の説教中の他の3つの幸いの宣言の後半部に

動詞の未来形が使用されてぉり (6:21,22,23)

終末時における 連命の逆転が幸いの根拠とされている

。 

この事情は

これらの幸いの 宣言が

,

終末論的な幸いを語ることを示している

'

9

言葉を換えて言え ば

,

平野の説教中の幸いの宣言は

,

知恵文学的な性格ばかりでなく

,

黙 示文学的な性格も併せ持つていることを示している

。 

黙示文学におけ る幸いの宣言は

現世的な幸福ではなく

来るべき世における幸いを 宣言するからである(エチ

・エ

ノ 5 8 : 2 ; 8 l : 4 ; ス ラ

・ エ

ノ 4 2 : 6 ; 5 8 : 2 ; 8 2 : 4 ; 黙 l 4 : l 3 ; l 9 : 9 ; 2 0 : 6 を 参 照 )2

°。

しかし

,

聴衆は将来に

'

Wiefel

.

l30に置成

'

Schtlrmann

.

l328を参照。

''

こ の 点 を, Bock

.

l . 5 7 2 ; B o v o n , l

.

30l;Fitzmyer, l . 6 3 3 ; R a d l

.

l.376;

Sch

u

m

ann

.

l

.

326,328

-

3 3 l ;  J.Nolland, L!dte (WBC35A-C;I1)aIlas:Word

.

l989

-

l993) l

.

283が強調する

2

°

Berger,l89;原口

4Q185/4Q525」l6

-

l9

lii

,

燃示録における幸いの宣 言 J 「新約学研究」第 3 5 号 ( 2 0 0 7 年 ) 5 2

-

55買を參照。

-

l 2

-

(14)

ルカ文書におけるマカリズム  13 約束されている運命の故に

地上で生活している今既に幸いであると 宣 言 さ れ て お り

死後の世界における幸いを語つているのではない2

'

この点では

平野の説教中の幸 いの宣言は

死者の幸いを宣言する通 常の黙示文学の幸いの宣言とは決定的に異なる独自な性格を示してい

o

ル力7 :  23に お け る 幸 いの宣言

ル カ 7 : 2 3 ( マ タ 1 l : 6 ) に お け る 幸 い の 宣 言 は

,

獄中の洗礼者ヨハ ネが使者をイ

スの下に造わして

ス が メ シ ア で あ る か ど う か を 尋 ね る 物 語 の 中 に 置 か れ て い る ( 7 : l 8

-

35)

物 語 の 前 半 は ( ル カ 7 : 18

-

23)

,

ヨハネの使者とイ

スとの対話であり

,

後 半 は ( ル カ 7 : 2 4

-

35)

ヨ ハ ネ についてイ

スが群衆に語る講話である

。 

この対話におい

て, 

スは自らのメシア性に

いて命題をもって直接に答えること をせず

病人を1

應し, 

悪聽を追放し

貧しい者に福音を語る自らの活 動 を ( 7 : 2 l )

,

イ ザ ヤ 書 の 引 用 ( ル カ 7 : 2 2 ; イ ザ2 9 : l 8 ; 3 5 : 5

-

6 ;

2 6 : 1 9 ; 6 l : 1 ) に よ っ て

,

救いのメシアのしるしとして提示した後に

,

幸 い で あ る

,

私に量質かない者は

。」

と 告 げ る

この引用文は

,

ナ ザ レ の会堂説教の時に朗読された箇所であり(4:18を参照)

,

福音宣教の 使命が

,

負しい者

福 音 を 語 る こ と で あ る こ と を 示 し て い る

また

,

イ エスが

自らのメシア性の説明としてのイザヤ書の引用していること は

自らの宣教活動を通してイザヤ書の預言が実際に成就し

つある こ と を 示 唆 し て ぉ り ,  救いの現在性を強調する結果となっている2 2

Tanneh加,1l5;原口「燃示録」55買を参照。

2 2 Fitzmyer,l.665;Tanneh川,l31もこの点を強調する。

-

13

-

(15)

l4

幸 いの宣言は(ルカ7: 23)

スの発言の前半部を締め括る言葉 と し て 出 て 来 る

幸 いの 宣 言 の 文 言 は ル カ 版 も マ タ イ 版 も

,

M

mオ

l

m

d:

p

t

6

f

e

(l

n

l

'

0 f i

a vµ

1

ll

l1

m v

lli

a

]lL t 0

θ? i v eµ

t

(幸いである

, 私

に 蘭 か な い 者 は ) で

致 し て い る ( ル カ 7 : 2 3 ; マ タ 1 l : 6 )

この言 葉は

,「

あなたは来るべき方ですか?  それとも私たちは他の方を待つ のですか?

と い う

ハネの 使 者 の 言 葉 ( ル カ 7 : l 9

-

2 0 ) に 答 え る イ エ ス の 言 葉 ( ル カ 7 : 2 2

-

23)の結びとなっている

この宣言は

,

言葉 を聞く者がその真意を理解し受容すると幸いに到ることを約束してお り

,

言葉を受け入れるように勧める機能を持つ2 3

同様な文学的効果 は

,

黙示録の冒頭に置かれた幸いの宣言にも認められる(黙1:3)2

'。

かし

この幸いの宣言が

否定表現を用いてイ

スに顯かない者の幸 いを宣言している点は特殊であり

聴衆に警告を発してイ

スの言葉 に 顯 か な い よ う に 勧 め て い る2S

ル力による福音書の文脈では

,

ナ ザ レ の会堂説教においてイ

スがイザヤ書の箇所を朗読してその成就を宣 言したのに 対 し て ( ル カ 4 :  l 6

-

2 l )

,

会衆がその言葉に

旦は感嘆した

ものの, 

結局のところ願いて

イェスを受け入れなかった出来事が思 い 起 こ さ れ る で あ ろ う ( 4 : 2 2

-

30)

スのメシア性の主張に対して

,

ユダヤ人社会の多数は受け入れないことが予想される中で

それを受 け入れる少数者の行動は

,  「

l鼠か ないこ と

」 

と形容されるのである

:a Klein,282; Mar

s

hall,292; Radl,465を参照。

2

'

原口「黙示録における幸いの宣言」48

-

52頁を参照

nこの幸いの宣言の醫告としての性格については

,

NolIand,l.33l

.

333;Tanne

-

l:lill

.

1 3 l ;  J.Dupont, L'ambaadede Jean

-

Baptiste (Matthieu1l,2

-

6 ; L u c 7 , l 8

-

23)

.

N R T8 3 ( l 9 6 l ) 9 4 3

-

959を参照

-

14

-

(16)

ル力文書におけるマ力リズム  l 5

c. 

ル カ 9 : 5 1

-

1 9 : 2 7に お け る 幸 いの宣言

こ の 部 分 に お い て ( ル カ 9 : 5 1

-

l 9 : 2 7 )

,

福音書記者ルカはQ資料 から継承した幸いの宣言を挿入した上に(ルカ10:23;l2:43)

,

他の 幸 いの宣言を要所に編集的に挿入し

物語における幸いの基調を強化 し て い る ( l 1 : 2 7 , 2 8 ; 1 2 : 3 7 , 3 8 ; l 4 : l 4 , 1 5 ; 2 3 : 2 9 )

幸いの宣言 がこの部分に頻出する結果

幸 いの主題が

ルサレム

の旅の記事の 主要な主題の

となっている

ル カ 1 0 :  23における幸いの宣言

ル カ l 0 : 2 3 ( マ タ 1 3 : 1 6 ) に お け る 幸 いの宣言は

,

神 よ り 与 え ら れ た特別な知恵に

いてイ

スが感謝の祈りを捧げる物語の中に出て来 る ( ル カ 1 0 : 2 1

-

24)

ル カ 1 0 : 2 l

-

22はマタ11:25

-

27に平行し,

カ l l : 2 3

-

2 4 は マ タ l 3 : 1 6

-

17に平行しているので, ル カ 1 0 : 2 l

-

22 と ル カ 1 1 : 2 3

-

24は元

独立の伝承であり

,

福音書記者ルカが両者を 結びつけたのであると考えられる26

幸いの宣言を含む語録は

,

ル カ l 0 : 2 3

-

2 4 と マ タ 1 3 : l 6

-

17に保存

さ れ て い る

。 

幸 いの宣言の語り手はイ

ス で あ り

聞き手は弟子たち である

ルカ版のテキストは

o ucdp

t

o

t

o

i

6 0 0a

o

i

o :

,l

P a t m v

t

ef

, a

,β

ae

nfe(幸いである

,

あなた方が見ていることを見る日は

) と な っ て い る

。 

この文章は三人称複数形で書かれているが

主語は二人称で 語り掛けられている聞き手の目であり (o

t 0 0 0a

入µ

o

i

o :

,lβ

a e m

l

, n

f

a

β

ae

mfe

, 「

あなた方が見ていることを見る日

)

,

二人称の文体に近

2Fitzmyer,2.865.

-

15

-

(17)

l 6

い効果を持つている。 つ ま り

,

この幸いの宣言は

,

証人である弟子た ちに語り掛けているのである2 7

弟子たちの目が幸いとされる理由は

多くの預言者や王たちが見た

い と 願 つ て も 見 る こ と が 出 来 な か っ た こ と を 彼 ら の 目 が 見 て い る か ら で あ る ( ル 力 l 0 : 2 3

-

24)

弟子たちの目が目撃しているのは

,

ス の言葉と業やそれを継承した彼ら自身の宣教において救いが成就して い る こ と で あ る。 つ ま り

,

ここで彼らは救いの証人として

,

幸いを宣 言 さ れ

,

称えられてぃる2 8

。 

この伝承は,Q教団の宣教者たちの自己理 解を反映しているものであるが

,

ルカ福音書の物語の文脈の中では

,

イ エスの言1集と業の 

初めより目撃者であり

御言葉の奉仕者である者 たちの

証言を順序正しく物語るという

第4福音書の執筆目的に合 致 し ( ル カ l : 1

-

4を参照)

,

ひいては

,

スの宣教における旧約預 言の成就と救いの現在性を示す

連の箇所の

つ と な っ て い る  ( 4 : 18

-

l 9 : 6 : 2 0

-

2 3 ; 7 : 2 3 ; 1 0 : 2 3 を 参 照 )

ル カ l l : 2 7 , 2 8に お け る 幸 いの宣言

この幸いの宣言の組は

群衆の中のある女性とイ

スとの間の短い 言葉の造り取りの中に出て来ている(ルカl1:27

-

28)

。 

これらの言葉

は他の福音書には出て来てぉらず

ルカ特殊資料に由来する

。 

この過 り 取 り は

,

ぺ ル ゼ プ ル 論 争 と ( l 1 : l 4

-

23)

,

悪1盤の帰選の危険に つい て の 普 告 の ( 1 l : 2 4

-

26)

,

直ぐ後に出て来る

群衆に対してイ

スが

話 を し て い る と

,

突然

,

群衆の中の

人の女性が

al K

apta

KotlLia

2

I;ock,2.1023; Klein, 3 8 6 ; S c h

u

mann,2.l2l: Wiefel,206

a

Fitzmyer,2

.

867;Wiefel,206を参照。

-

l 6

-

(18)

ル力文書におけるマカリズム  l 7 力

P

l

a

l

rr

dl

c

l

a

(:;dl

c ,

;tK

a i µ a o n i

oOfi的入

a o a f

(幸いです

あなたを

宿した胎や

あなたが吸つた胸は)  ( 1 1 : 2 7 ) と い う 言 葉 を イェスに掛 け た ( ト マ 福 7 9 も 参 照 )

この幸いの宣言は

,

スを産み

,

育んだ マリアに対する讚辞であり

,

e o a o y , a

l

, e

v

, t o v

1lll

, γ

t

,

t

, a

i

;

h

,

(祝福され ています

あなたは女性たちの間で)という (1:42a)

,

エ リ ザ べ ト が マ リ ア

語つた幸いの宣言に呼応している

修辞的に言えば

この幸 いの宣言には演示的機能が優越している

。 

さ ら に

マリアの幸いはイ エスを生み

育 ん だ こ と に あ る の な ら ば

ェ ス

が幸いな存在である ことが大前提となっている。つまり

マ リ ア

の讃辞は同時にイ

ェ ス

の議辞である2 9

これに対して

,

スは

,µ e

l

'

o 01

o

Mdl

p

t

o

t

o

1 ,dM

o

o

l

'

n f' ,rO

v

λ6γol

,

r

o〇

Oe o

Mi

O v

M

ooo

l

,

rt f (むしろ

,

幸いである

, 神 の 言

葉を聞き

守 る 者 た ち は ) と い う 幸 いの宣言によって応える(1:42b)

スは自分の肉親や自分自身

の讃辞を肯定せず

よ り

般的な幸 いの宣言を対置した3

° 。

即ち

,

スは自分と血縁関係にあることによ る 幸 い よ り も

,

自身の口から語られる神の言葉を聞き

,

守 る こ と の 幸 いの方の方が重要であることを示した

。 

こ の こ と は

先にイ

スの肉 親が会いに来て, 人を介して呼ばせたときに

,

スが

, 「

私の母, 兄 弟 た ち と は

,

神の言葉を聞いて守る人々である

( 8 : 2 1 )  と語つたこ

とに呼応している3

' 。 

血縁関係よりも神の言葉の受容と実践の方が幸

2 Berger,l92;Bock,2.1094;Schtirmann,2.253;Tannehiii, l 9 4 ; H . Z i m

-

mermann, Selig,die das Wort  horen und es bewahren:eine exegetische Studiezu Lkll,27f., Catholica2 9 ( l 9 7 5 ) 1 1 6.

3Tanneh加

.

l94もこの点に注目する

3

'

Fitzmyer,2.927;Klein,413;Nolland,2.648Schiirmann,2.256;Zimmer

-

m ann,l17.

-

17

-

(19)

l 8

い で あ る と 強 調 す る こ と は

修辞的に言えば

賞費または非難の言葉 によって

定の価値観を表明する演示的機能のみ な ら ず

聴衆に対し て神の言葉を聞いて実践するように勧める助言的機能も内包してい る32o

ルカ12: 37,38に お け る 幸 いの宣言

こ れ ら2つの幸いの宣言は

,

終末の時の主の来臨を待つことを

,

婚 礼から帰つて来る主人の到着を待つ召使いに喩える講話の中に出て来 て い る ( ル カ 1 1 : 3 5

-

40を参照)

この講話はイ

スが終末の到来に備

える勧めを語る喩え話しの伝承と(マタ24:45

-

5 1 ; ル カ l 2 : 4 l

-

48)

主題的には近いが

細部において大きく異なるので独立の並行伝承で あ ろ う3 3

第1の幸いの宣言の語り手はイ

スであり,µ lncdl

p

t

o

t

. o

l1

,

l

; o

1

o a o ,

i

n ε v o , , o o

f

a e o v

6K

o p ,

o ;

e a p ? ae , yp , n ,

opo o

v'

m

f (幸い である

主人が帰つて来て日を覚ましているのを見出す

それらの僕 た ち は ) と い う 内 容 で あ る

第2の幸いの宣言は

, x a ,,

,

e

l

,

a a

3t

,

'

e e p e

x a v , e , ,

r

j j ?

e

a i ,

l

,, 1L a x j i a e a

m i

a o p a

o

o

fof ,

µ m

d

, p , o i e i a , ,

i

, eetvo

t

.

( 第 2 の 刻 で あ ろ う と

,

第 3 の 刻 で あ ろ う と, [ 主 人 が ] 帰 つ て来て, そ の よ う に [目を覚まして]いるのを見出すならば

,

幸いで あ る

それらの者たちは)  と い う 内 容 で あ り

第1の幸いの宣言と同 様の内容を踏まえて

幸 い と さ れ る 付 帯 状 況 を さ ら に 詳 し く 述 べ た も のである

この幸いの宣言において

幸いである状態は主人の帰還にll

a t

え ら れ

3 2Sch

u

rmann,2.256.

3 3 Fitzmyer

.

2

.

984;Wiefel

.

242に費成。

-

l 8

-

(20)

ル力文書におけるマカリズム  l9 る終末の時に判明するのであり

聞き手は幸いに達するためには

, 「

日 覚 め て い る こ と

が必要であると告げられている。つまり

,

単 な る

定の状態ではなく

終末を迎えるに相応しい姿勢を維持する

意志的 努力が勧められている

。 

この幸いの宣言は演示的機能だけでなく

き手

定の行動を勧める助言的機能を内包している

ル カ l 2 : 4 3に お け る 幸 いの宣言

ル カ 1 2 : 4 3 ( マ タ 2 4 : 4 6 ) に お け る 幸 いの宣言は

,

ェ ス

が終末の 到来に備える勧めを語る喩え話しの中に出て来る ( マ タ 2 4 : 4 5

-

51;

ル カ 1 2 : 4 1

-

48)

ルカの現在の文脈では

,

先に語られた喩えの意味を i9

;

ねる弟子たちの問いの 答 え と し て ( l 2 : 3 5

-

40を参照)

スはこ

の喩え話しを語つている

。 

この結合は福音書記者ルカが編集作業に よ っ て 創 り 出 し た も の で あ ろ う3

'

この説話はマタイ版もルカ版もほぼ

致 し て お り

Q資料に由来す る と 推 定 さ れ る

。 

説話の主題は終末を迎える者の姿勢であり

主人の 帰りが遅いときに言いつけを守つて相応しい備えをしている忠実で賢 い 僕 と

主人の帰りが運いのをいいことに非倫理的な振る舞いをする 不忠実な僕が対比されている

。 

幸いとされるのは勿論前者である

。 

こ の幸いの宣言の本文は

,µ a

Kd

p

to

; ,

l

6 ,

ll1

o

?o,

r e n t v o

,

r

,

t

l

;v a

θ

o

l

,

lll

Ku

p

o,

alllro0 ,

e

0l1o:1jl

o

1a moOym oo f  (幸いである

,

主人がやっ て来た時にそのようにしていると判明する僕は)  と なっており

,

最後 の 2 語

m

to 01

, m

o0・t1

o r 

の語順の他はルカ版とマタイ版の間に相違

3◆ Wiefel,244に費成。

-

l 9

-

(21)

20

はない

。 

この幸いの宣言において

幸いである状態は主人の帰還に喩 えられる終末の時に判明するのであり

聞き手は幸いに達するために は

終末を迎えるに相応しい倫理的態度を維持し続けなければならな い

。 

この幸いの宣言も演示的機能ばかりでなく

聞き手

の勧告とし ての助言的機能を内包している

ル カ l 4 :  l4における幸いの宣言

この幸いの宣言は

祝宴を開くときに招く客の選択について語るイ エスの言葉の結びとな っ て い る ( ル カ l 4 : 7

-

l4)

資料的にはこの部分

はルカ特殊資料に由来する

幸いの宣言の文言は

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f

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,

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,

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K

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l

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Ma f

̲ .

(幸いである

彼らはあなたを招き返す

力はないのだから

。 

あなたには義人の復活の際に報いが与えられるで

あ ろ う )  と な っ て い る

。 

この幸いの宣言は招き返す資力がない負しい 者を祝宴に招く者を幸いであるとしているのであるから

福音書全体 を貫く

,

貧しい者,弱い者を擁護し

,

富める者

,

力ある者を批判する 主 張 に 共 鳴 し て い る ( ル カ l : 4 6

-

5 5 ; 4 : l 8

-

l 9 ; 6 : 2 0

-

2 3 ; 7 : 2 3 ; l 6 : l 9

-

3 l )

しかし, 祝宴を開き

,

客を招くことが出来るのは或る程 度の資力がある社会層に属する者である3 S

。 

ス の 通 る と さ れ る 平 野の説教冒頭の幸いの宣言は

貧しい者自身に対して語り掛け

彼ら が幸いであると宣言しているのに対して

ここでは返礼を期待せず費

しい者を祝宴に招くことは富者に対して語られた幸いの宣言であり

,

3 S  Tannehill,230もこの点に注日する。

-

20

-

(22)

ルカ文書におけるマカリズム  2 l 全く異なった聴衆の状況を前提に している

幸いである根拠は

終末時の審判の際に相応しい評価が与えられる こ と で あ り

, a m a m

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;

Ma

: ,

,

. (あなたには義人の復活の際に報いが与えられるであろう) と述べられている (14:14b)

。 

この幸いの宣言は

特定の行動が幸い で あ る と し て い る の で あ る か ら

演示的機能だけでなく

聞き手

定の行動を勧める助言的機能を内包している

。 

費しい者に施しをす る こ と は

,

初期ユダヤ教においても実践すぺき徳日とされていた(ト

ビ 4 : 6

-

8)

新約聖書もそのことを前提にして

,

施しをする内的動機を

間 題 に し て い る ( マ タ 6 : 1

-

4 ; ル カ l 1 : 4 l )

ルカ14: l 5における幸いの宣言

ル カ l 4 : 1 4 の 言 葉 を 聞 い て い た 客 の

人は

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p

t

o , r O m

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,

l

l ,

d

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a

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l

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a

,

p a a

lL

e e , g

l

n

e e o

〇. ( 幸 い で す

,

神の国で食 事をする者は)  と語つた

。 

この言葉は

イェスが語つた幸いの宣言

の肯定的応答であると共に

大宴会のl驗え話が語られる誘因を与える ( 1 4 : 1 6

-

24)

この言葉は

,

先にイ

スが語つた幸いの宣言が

,

終末時

の義人の復活に言及したので(14:  l4を参照)

,

終末的表象である神の 国 で の 食 事 に 与 る こ と を 連 想 し ( l 3 : 2 8

-

29)

その幸いを語つている

のである

。 

この幸いの宣言は

感嘆や理想状態に対する究極的願望を 表 し て お り

演示的機能が優先している

ル カ 1 9 : 2 8

-

2 4 : 5 3における幸いの宣言

ル カ l 9 : 2 8

-

24:53の部分では

,

ルカ23:29だけに幸いの宣言が出

-

21

-

(23)

22

て来る

。 

M

m : , a

1

p

i

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o

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i

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l

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加 1

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,

i

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a

t

,

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産んだことのない胎やiµ

a

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K

,

9

,  0pe

乳を飲ませたことのない胸は) 

t - .

(幸いである

,

不妊の者たちやと い う イ

,

子を

ス の言葉は ( イ ザ 5 4 : l )

,

幸 い と い う 言 葉 を 用 い て い て も

,

子を産んだ こ と も 育 て た こ と が な く

その結果

,  エ

ルサレムの住民であるその子 供 た ち が 過 酷 な 運 命 に 会 う こ と が な い 女 性 た ちの幸いを語つている

子 の 誕 生 と い う こ と は

,

本来, 喜ばしい出来事の筈であり(創21:1

-

8 ; ル カ l : 5 7

-

5 8 ; 2 : l 0

-

l1),子供が生まれない女性は通常なら引け 日 を 感 じ な け れ ば な ら な か っ た ( サ ム 上 l : l

-

8 ; ル カ l : 7 , 2 4

-

25;

ガ ラ 4 : 2 7 )

ェ ス

が子を産まない女性の幸いを語ることは

,

子を産 み育てたが故に

,

ユダヤ戦争において

, エ

ルサレムにおいて

,

その子 らが未曾有の銀難に遭わなければならない者たちの不幸を語ることが 目的である。つまり

,

この幸いの宣言はアイロニカルであり

,

子を産 まない女性の幸いを語ること自体よりも

,

子を産み育てる女性の不幸 を強調する意味を持つ3 6。同様な誕生に関するアイロニー は

自分の生 まれた日を呪う

プ の 言 葉 や ( ヨ プ 3 : 1

-

26)

旧約の預言者エレ ミ ヤ

の 言 葉 ( エレ2 0 : l 4

-

l 8 ) に 見 ら れ る

3 .  使徒言行録における幸いの宣言

パ ウ ロ は ミ レ ト ス 演 説 ( 使 2 0 : l 8

-

35)の結びで, 主イ

スの言葉と

3Nolland,3.l137;Tannehill,339を参照

。 

これに対して

,

R.E.Brown, The Deatho

f

theMes

s

i,ah (2vols;New York:Doubleday,l993

-

94)2.923;Wiefel, 395はこの幸いの宣言を「逆説的」と 呼 ぶ。

-

22

-

(24)

ル カ 文 科 に お け る マ カ リ11l、ム  23 して

,

M

a

Kdl

p

t6l

'

,

e

l

m

t

'µ a

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'

11l.

,

li16l

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Ll

p

l

a

l

' a

l

' .

(幸いであ る, 与 え る 方 が

,

受 け る よ り も

) と い う 格 言 を 引 用 し て い る3 7

この 言葉は

共観福音書には言及されてぉらず

史的イ

スに通る可能性 は低い

。 

スは最貧の状態にある人々に対して

,  「

幸いである

,

貧し い者たちは

と 語 つ た の で あ る か ら ( ル カ 6 : 2 0 を 参 照 )

,

聴衆に対し て他人に与える程の資力を持つことを予想していない

。 

他に施す経済 的余裕を持つ人々が会員の中に生じて来た時代の教会で流布した格言 が 引 用 さ れ て い る の で あ ろ う

。 

最初期は非常に貧しい人々が会員の中 心であったのに (

I コ

リ l : 2 6

-

3 l )

,

次第により富裕な信徒が增えて来

て会員間に経済的格差が生じる現象は

既にパウロが伝道した初期の

リ ン ト の 教 会 に 見 ら れ る ( I コリ l l : 1 7

-

22を参照)

パウロは会員

た ちの中に或る程度の経済的負担力がある者がいることを前提に

済的に因窮する

ルサレムの教会のために献金のアピールを度々行つ

た の で あ る ( I I コリ 8 : l

-

1 5 ; 9 : 1

-

l5を参照)

ルカ文書の教会になるとパウロ書簡の時代の教会よりも

資力のあ

る信徒たちの割合はさらに増えていたと推測される

。 

貧しい者

の福

音 と い う 史 的 イ

ス以来の思想的姿勢を維持してはいるが  ( ル カ l : 46

-

5 5 ; 4 : l 8

-

l 9 ; 6 : 2 0

-

2 3 ; 7 : 2 3 ; 1 6 : l 9

-

3 l )

,

福音を間き

,

回心

する人々の中には経済的に豐かな人

がいたのである3

°。 

ル カ に よ る 福音書は

!け産によってイ

ス 運 動 を 支 え た 女 性 た ち や ( ル カ 8 : 3 )

,

回心してから財産の

部を貧しい人々のために施そうとする人物が登

3

ミレトス演説金体の修辞的分析については, 拙著 「ロゴス

ト ス

パ ト ス 使徒言行録の演説の研究

新教出版社,2005年, 1 3 2

-

l48i1l

1

を参照。

:u;荒并献「理念としての

貧者」

福音書

死と行伝記者ル力の「3

n

.人」理解 をめぐって」 「荒1ll:献著作集3

岩波密店, 2 0 0 l 年, 2 5 9

-

286貢を参照

-

23

-

(25)

24

場 す る ( l 9 : 8 )

使徒言行録には

,

その資力によって宣教を支えた家 の 教 会 の リ ー ダ ー や ( 使 l 6 : l 4

-

15)

身分の高い回心者も登場する (17:  l2)

。 

ここでは金銭や物資は何も持たず

ただ神を信じて巡回説 教をするイ

ス運動の

トスは背景に退き

持つている資力を負し い者を助けるために分け与えることがキリスト者の倫理的行動として 称 揚 さ れ る こ と と な っ た の で あ る ( I ク レ 2 : l ; デ ィ ダ ケ

l : 5 を 参 照)

M

a

K

a p

tl

6

l

'

,

e

l

m

l

lli

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t

' ;

lltllll

6 v a

l

? ? aµ p dve - .

(幸いである

,

える方が

,

受 け る よ り も ) と 同 様 な 格 言 は

,

ギ リ シ ア

ローマ世界に も ( ツ キ デ ィ デ ス

戦史

2.97.4;セネカ

倫理論集

81.17)

,

旧約外 典 に も ( シ ラ 4 : 3 l )

,

使 徒 教 父 文 書 に も ( I ク レ 2 : 1 ; デ ィ ダ ケ

1 : 5)見られるので特に新規なものではない3 9。しかし

,

この格言がミレ トス演説というパウロが教会指導者たちに残した遭言の結びの句とし て 用 い ら れ る こ と に よ っ て

その重要性が強く強調されて聴衆と使徒 言行録の読者の心に 残 る こ と と な っ た

使 2 6 : 2に お い て パ ウ ロ は

アグリッパ王の面前でなした弁明の冒

頭で,「

アグリッパ王様

,

ユダヤ人たちから責められていることすべて について

,

今日

,

御前で弁明出来るので

自分を幸いな者であると考 えます

」 

と述べる

。 

この文章は幸いの宣言の文学形式は用いていない が

,

i

i γ , aµ a

a

t

,

0

1

,µ a

K

d p

t

o

t

,

( 自 分 を 幸 い で あ る と 考 え ま す ) と い う 部 分 に

,µ axdp

to i(幸い)  という形容詞を使用している

被告人で あるパウロがアグリッパ王の前で弁明出来ることが幸いであると述べ

n

ロ 「

ロゴス・エー ト ス

パ ト ス

」 

148頁を参照

-

24

-

(26)

ル力文ifに お け る マ 力 リ ズ ム   25 る こ と は

裁判官の役割をする王に対する誠辞であり

弁明演説の導 入 に あ た り

間き手であるアグリッパの好意的な反応を引き出す効果 が あ る

'°。

パ ウ ロ が こ う 述 べ る の は

,

ア グ リ ッ パ が

ダヤ人の王である か ら,ユダヤ教の教理や習

t

質につい て 心 得 て い る こ と が 期 待 さ れ る

パ ウロはそのことを念頭において,自分が幸いであると述べるのである

使徒言行録において

主要な登場人物であるパウロは

演説の中にオ

, ,

m dpo,

(華い)という言來、を

修辞的に極めて効果的に用いている こ と が 分 か る 。

4 .  結 

(1)  ルカによる福音書は,Q資料中の幸いの宣言を継承すると共に

(Q 6 : 2 0 , 2 l

.

2 2 ; 7 : 2 3 ; l 0 : 2 3 ; 1 2 : 4 3 )

,

ルカ特殊資料より新たな 幸 いの宣言を付加する

方 で ( ル カ l : 4 5 ; l 2 : 3 7 , 3 8 ; 1 4 : l 4 , l 5 ; 23:29)

,

編 集 に よ っ て 挿 入 し た た め ( ル 力 l 4 : l 4 , l 5 ; 2 3 : 2 9 )

,

物 語の初めから終わりまで広汎にこの文学形式が用いられることとなっ た ( ル カ 1 : 4 5 ; 6 : 2 0 , 2 1 , 2 2 ; 7 : 2 3 ; l 0 : 2 3 ; 1 1 : 2 7 , 2 8 ; 1 2 : 3 7 , 3 8 , 4 3 ; l 4 : l 4 , l 5 ; 2 3 : 2 9 )

福音書記者ルカは物語作者として

幸いの宣言の持つ神学的意味と

文学的効果を意識しながら

,

効果的にこの文学形式を使用している

カによる福音常は, Q 資 料 や (Q 6 : 2 0 , 2 l , 2 2 ; 7 : 2 3 ; l 0 : 2 3 ; l 2 : 43), ル カ 特 殊 資 料 に 含 ま れ て い た ( ル カ 1 : 4 5 ; l 2 : 3 7 , 3 8 ; 1 4 : l 4 ,

'° 

同163買を参照

-

25

-

(27)

26

1 5 ; 2 3 : 2 9 ) 個々の幸いの宣言を

,

新たな物語的文脈に置くことによっ

て新たな意味付けを創り出している

。 

物語的文脈において幸いの宣言 を行うのは大概の場合はイ

スであり

,

その場合は負しい者たちや(ル カ 6 : 2 0

-

23)

,

或いは

, 一

定 の 姿 勢 を 示 す 者 た ち が ( 7 : 2 3 ; l 0 : 2 3 ; 1 2 : 4 3 ) 幸 い で あ る と 宣 言 が さ れ る

他の登場人物が行う例外的事例 では

,

幸いの宣言はイ

スやその母に対する讚辞として用いられる(ル カ l : 4 5 ; l l : 2 7 ; l 4 : l 5 )

(2)  修辞的機能について言えば

,

幸いの宣言は基本的には演示的機 能を果たす文学形式である

幸 いの宣言の多用は

ルカによる福音書 のもたらす演示的効果を高めている4

' 。

しかし

,

演示的機能は助言的機 能を排除せず

幸いの宣言は幸いな状態

の招きを暗示している

。 

ル カ に お け る 幸 いの 宣 言 も ( 6 : 2 0

-

2 3 ; 7 : 2 3 ; 1 0 : 2 3 ; 1 2 : 3 7 ,   38, 43)

,

肋言的機能を結果として内包する

特に

,

ルカ12:37,38,43の 場合は

相応しい備えをして来るべき終末を迎える者の幸いを語つて お り

助言的

勧告的要素を強く帯びている

(3)  福音書記者ルカは

冒頭の祝福の宣言(1:42)  と末尾の幸い の宣言(1: 45)  を呼応させて枠構造を形成しているが

祝福と幸いは 意味の上でも起源の上でも異なる概念である

。 

ルカは概念上の区別を 維持しながら

両者を結び付ける神学的努力をしている

。 

即 ち

人間 の 祝 福 は 神 に よ っ て 祝 福 さ れ て い る と い う こ と で あ り ,  祝福の起源は

''

ル力文書全体のもつ演示的性格については,山田耕太「ル力文書の演示的スタ イル」 「敬和学園大学紀要

第 7 号 ( 1 9 9 8 年 ) 1

-

26買を参照

-

26

-

参照

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