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使徒教父における幸いの宣言

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使徒教父における幸いの宣言

著者 原口 尚彰

雑誌名 東北学院大学キリスト教文化研究所紀要

号 25

ページ 33‑47

発行年 2007‑06‑01

URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024333/

(2)

使徒教父における幸いの宣言

原口尚彰

1. 問題の所在

幸いの宣言は旧約聖書の知恵文学に由来する文学形式である(詩l : 12; 2:

12; 32: 1‑2; 33: 12; 34; 9; 4() : 5; 41 : 2; 65: 5; 84: 56; 94: 12; 106:

3; 119: 1‑2; 127: 5; 128: 1 2; 137: 89; 144: 15; 146: 5;筬3: 13; 8:

32‑34; 16: 20; 20: 7; 28: 14; ヨプ5: 17; コヘ10: 17) 1. この文学形式は 徳を持つ人物を質賛する機能を持つ。文体に関して言えば, 、可 (幸い) とい う言葉が文頭に置かれ, その後に幸いとされる理由や幸いとされる状態の描写 が続いている。

へプライ譜司宙拭は七十人訳において通例,"dx""rと訳されている2.古典ギ リシア語において"x"(or/"xapは, 6/l&"JPe')3q"①〃と共に幸いを表す形 容詞である。なかでも,"fx""rdr (または鍬jaofぴぐ) という文学形式は主 として詩文に使われ,非常に高揚した調子の讃辞となっている(ホメロス「デー メーテール讃歌」480‑483; l.オデュッセイア」24.192; ピンダロスIオリンピア 頌歌」 7.11 ;エウリピデス「アルケーステイス」915)3. この幸いの宣言の文学 形式は苦しみや労苦や死を超越した神々の形容に用いられた(ホメロス『イリ

DCH1.437‑438;H.CazeIIcs, ##,司り臆'''TIII'WlT1.481 485;F.Hauck/G.Bertram,

"αx pfDr jM‑EA,'' 77jⅡ'WVT4.365373;W.Janzen, ""'Asre intheOldTestament,'、

〃TR58 (1965) 215221W.KMser、 、、BeobaChtungenzumaltteStament]ichen Makarismus,''ZI4W82 (197()) 225250.

G.Bertram, , 江aXdpfOrxrA.,''TIIIMV7, 4.367‑369.

H.DBetz,ENs"sO〃〃i(FS(J""{ノ〃 〃妬〃0""i (Philadelphia:Fortress, 1985) 3033; idem, ,勅FSEF"m〃イノ〃〃JEAツ0""i (Min'1eapolis:FoItress, 1995) 9397.

1

(3)

アス」 1.339; 『オデュッセイア」5 7;ヘシオドス「労働と日々.1 136; ピンダロ スiオリンピア頌歌』1.52他)│。次に,幸いの宣言は卓越した業績を挙げた人間 に適用された(ホメロスIイリアスj3.192; 11.68; 24.377; I オデュッセイア」

5.7;ヘシオドス「神統記」954‑955リ ピンタ‐ロス「ピトニア頌歌15.59; 5.11 ;プ ラトン「法律」 2.660e)5.

旧約聖詳の影響の下に,初期ユダヤ教文書や(エチ・エノ58: 2; 81 : 4; 82:

4リスラ・エノ42: 6‑14; 52: 1‑15リモーセ昇10: 8; トビ13: 15 16; シラ 14: 1‑2, 20; 25: 8; 48: 11 ; Ps.So1. 6: 1 ; 10: 1 7 17; 44 ; 18: 6),新約聖 書に(マタ5: 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11 ; 11 : 61 13: 16; 16: 17; 24: 46;ルカ l : 45; 6: 20, 21, 22; 7: 23; 10: 23; 1l : 27, 28; 12: 37, 38; 14: 14, 15;

23: 29; ヨハ13: 17; 20: 29;使20: 35; ロマ4: 7, 8; 14: 22; Iコリ7:

40ラヤコl : 12, 25; Iペト3: 14; 4: 14;黙1 : 3; 14: 13; 16: 15; 19: 9;

20: 61 223 7, 14) この文学形式が頻繁に使用されている。

幸いの宣言という文学形式は,使徒教父文菩にも広範に使用されている(デイ ダケーl : 5;バルナバ10.10; 11.8; Iクレ35.1 ; 44.5; 47.1 ; 48.4; 50.5, 6;

56.6;Ⅱクレ16.4; 19 3; イグ・フイラ10.2;ポリュ・フイラ2.3; 3.2; 9.1 ; 11.3; 12.1 ;ヘルマス「幻」1.1.2; 2.2.7; 「戒め」8.1.9; 「哺え」2 10; 5.3.9; 6.1.1 ; 9.29‑3; 9.30.3)。特に,クレメンスの第一の手紙やヘルマスの牧者はこの文学形 式を頻繁に用いている (Iクレ35.1 ; 40.4; 43.1 ; 44.5; 47.1 ; 48.4; 50.5, 6;

56.6;ヘルマス「幻」1.1.2; 2.2.7; 「戒め」8.9; 「喰え」2.10; 5.3.9; 6.1.1 ; 9.24.2;

9.29.3; 9。30.3)。研究者たちの関心はこれまで専ら,旧約聖書中の幸いの宣言67

F.Hauck, │ !""xIfP[DFJrrA. ,"7ソIIIWT4.365367;PGL、 821.

F.Hauck, '、皿αxdp"ぐxT71. ,''TIJIIWT4‑365‑367.

E.PueCh, 4Q525et lesp6riCopesdesBEalitUdesenBenSiraetMatlhieu,'、RB 98(1991)80 106;GJBrooke, "TheWisdom()fMatthew'sBeatitudes (4QBeat andMt.5: 3 12), ' ' S(、'秒""てB""ど"〃 19 (1989) 3541 i JA.Fitzmyer, ''A l>alesitillianJewishCDllectionofBeatitudes,'、 idem.,T/J(7D(J"fIS(wScm//S"J[/

C〃た坤即OP琴"S (GrandRapids:EerdmanS,I992) lllll8; J.HCharleswDrth, ,.TheQumranBeatitudes (4Q525)andthENew'1、estament (Mt5: 311,Lk6:

4

6

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または,新約聖響中の幸いの宣言の分析に向けられて来た7.しかし,使徒教父 中の幸いの宣言についての本格的な研究はなされていない。本研究は使徒教父 文書における幸いの宣言の文学的・神学的特色を検証することを通して,研究 史上の欠落を補うことを目指している。

2. 個々の幸いの宣言の分析

2.1 ディダケーとバルナバの手紙における幸いの宣言

ディダケー1−6章は, 「命の道」と「死の道」という人生における二つの対照 的な生活態度を読者に提示している(1 : 1)。読者は命に到るために,勿論,前 者の道を選び,後者の道を避けることが期待されている (1.24.14)。

デイダケー1.2は, キリスト者の行動原理として神の愛と (申6: 5)隣人愛 (レビ19: 8)という二重の愛の戒めを引き,否定表現の黄金律を付け加えてい る (トビ4 : 15;アリステアス15.5;バビロニア・タルムード「シャバート」

31a)8.読者は愛の戒めを実践するよう勧められる (ディダケー1.3a)。ディダ ケー1.3bは, EI)池γEfTE r"frdmp4J礫 りぐj""x"7rp。dEjXEd3E L)7r"rのり ざx此の〃雌の'ノ, 〃"ぴ唾IjErE"""r(DIJ&"""mj""dr (あなたを呪う者たちを

2()‑261'' jilノガ'"8(1 (2()00) 1335iH.J.Fabry, ' 'DieSeligpreisungen inderBibel und inQUmran、 ' ' in7ソ"'Wis㎡(),〃亜Lr応〃・ノ〃QJ"", Iα" 〃r(」Z)c"/""J(w/ q/

SYzpん"地/ 77"ノIIg/j/ (eds C.Hempel/A.Large/H.LiChtenberger ;LeLIven :UI'i.

versityPress,20()2) 189200;原口尚彰「4Q185/4Q525における幸いの堂言」 「教会 と神学」第 12号(2006年) 41 68頁。

7 j.Dupont, L('SB"/"""(3vols#Paris:Gabalda, 1958‑73) ;H.Frankm611c、

" 'DieMakarismen,'' BZ15 (1971) 5455; S.SChulz,Q.D/(』助jwrノ""//f イノ EI'""gc/芯〃〃 (ZUrich:The()10gischerVerlag, 1972) 7684;RGueliCh, ' 'The MattheanBeatitiudes: EntranceRequiremeTlts↑oTEschatolGgicaIBlessings?, , ノBL95 (1976) 415‑434iG Strecker,DjFふり郡' E"? 〔Lx零c/おrノ"1'KI"〃

'"""・ (Giittingen:Vandenhoeck&Ruprecht, 1984) 2849; 1.BrDer,"/ESc/ig /J"""照 ぱどノ′B"""f/Jg/ (Kijnigstein/B()nn:Hallstein, 1986) ;M・Sato, Q Jイ" ノンPTゆ/Jf'"(4 (WUNT2/29; 'rUbingen:Mohr, 1988)247‑254 ; J.KI()ppenborg, 7ソ肥戯""7α""〃q/Q (Philadelphia: Fortress, 1988) I72 173i U.Luz# ""s E"押鯉/I./"〃〃 ル〃""A"『" ("/ 1 7) (2.Auil;Neukirchen‑Vluyn;NELIkir‑

chenerVerlag' 2002) 267294.

8 マタ7: 12とルカ6¥ 3では黄金律を肯定的表現で引用している。

(5)

祝福し,あなたの敵のために祈り,あなたを迫害する者たちのために断食をし なさい) となっている。最初の部分はEDAD7'EfreroI)r"""""""Fりぽ〃 (あ なたを呪う者たちを祝福し)は,ルカ6: 28EDAo7EfてEて ぐX"rtrp"""oUr雌dr (あなたを呪っている者たちを祝福し)と一致している(ロマ12: 14)'。しかし,

第二,第三の部分はx"JrjGooEljX"8ED汀"Z・の〃叡伽の〃 の〃xaZ z"7dTEjETE"

j7r"rの〃&qjxd"T(Ij"""ぐ (あなたの敵のために祈り, あなたを迫害する者た ちのために断食をしなさい)となっており,マタ5: 44c: d,γα元drETDL)f戟助0[>r 雌の〃"Z 7rpOoELjXEdeE l)Jr"での〃6Z"xdIJm』〃'M「 (あなたの敵を愛し, あなた を迫害する者たちのために祈りなさい)に平行している10。但し,ディダケー版 本文は, 「敵」や「断食しなさい」という言葉が付け加えられ,マタイ版本文よ

りも長くなっているllC

ディダケー1.3b‑2.1は,二つの道の教えの中に後から挿入された付加である と考えられる(1.3a; 2.24.14) 1塾。挿入部分には共観福音書に影響がはっきりと 認められる。ディダケーl 4は,"〃認roof""""frEJrr加6Eadりααγd"

d""""rのx"功〃鍬/177"x""I7raE"r (もし,誰かがあなたの右の頬を 打ったら, もう一つの側も差し出しなさい。そうすれば,あなたは完全になる であろう。)となっている。 この語録の最初の部分は,マタ5: 39に一致してい る(ディダケー6.2;マタ5: 39‑42, 48;ルカ6: 29) ]3.さらに,デイダケー1.5c

9 CM,TLIckett, "SynopticTradition intheDidache," 77Jどα"(J/Jc"J"0f/E"J ltlfw"ノで/』 (ed.JADraper; Leiden, 1996) 114,

10 H. Kiist"Sy"""S(、ルE"6""(2/t"!"g6fi r/(,〃〃)0siO/fgcノ"〃 し1" }』 (Ber]in:

Akademie, 1957) 117, 121 ;Massaux,3.149 182;W.DKOhler,DIERfzゆ抑〃f/"

M""/J"Ⅳ ア唱ど""加芯かr""‑垂〃 〃ルrアr"Ⅳs (WUNT2.24;TUbingen:Mohr, 1987) 43‑47iK・Niederwimmer,刀iEDiil"(、ノjf' ..ACo"""IJ"/f"gl! (Hermeneia;

Philadelphia: FcTtress,1998) 68;Tuckett,ll6.

11 j.S.KloppcnbDrg, '、TheUseofSynopticsurQinDid.l : 3b2: 1, '' inルノα"/I('I{' α"ifD/fftzr内E (ed.HvandeSandt ;Assen: R()yalVanGorcum;Minneapolis;

Fortress. 2005) 117 121.

12 K6ster, 2172181Kijhler, 22‑23;KIoppenh()rgll3;Niederwimmer, 68;C TuCkettt,ll() lll;C.Jefford,"花SIzy""(ゾノ""s i" //Jc挽"(アル/"gq/ //J(J

TI"/['(JA/)(ノs"(Js (Leiden: Bril1, 1989) 38‑39.

13 Koster, 226230; Jefford, 42.

(6)

は, ααx""rjaZ601)r"載T加を" 入加"。""""ml,"""Aa'""""TY (幸いである,戒めに従って与える者は。彼は罪から免れるからである。災いで ある,受ける者は。) となっている。 この幸いの宣言には, γ卸に導かれ るd"0rγ""rr"(彼は罪から免れるからである。)という文節が続き,幸いの 宣言の根拠付けを与えている(Iクレ39 4; 44.5; 56.6; I1クレ16.4を参照)。こ の幸いの宣言は,施しをする者を幸いとする一方で,施しを受ける者に災いを 宣言している。ディダケーの著者は恐らく初期の教会に流布していた主の言葉 伝承を引用していると思われる (使20: 35; Iコリ2.1 ;ヘルマス「戒め」2.4‑

6) 4.

バルナバの手紙は幸いの宣言の定型を2度用いている。バルナバ10.10は詩 l : 1を引用して, "dx""r""","r"x造兀0β β〃 βGUA"dEβの似 (幸いであ る,不敬度な者たちの粟いに赴かなかった者は。) と述べる (詩l : 1)。 この幸 いの宣言には倫理的勧めの調子が強い'5.文体的には,他の七十人訳中の幸いの 宣言と同様に三人称で書かれている。他方,バルナバはよりキリスト教化が進 んだ, 江αx""z, 0Jと元ZTdりぴ U 〃凱超。α"r xarさβ"ぴαJEirrd""p, ぴてrで。〃

"さ〃鯉ぴ8.〃姥γEf こりx"pf@αひてoprdrE,""","0""' (「幸いである,十字架 に希望を置きつつ水の中に入る者たちは」, 「その時,私は報いるであろう」 と 彼は言う。)のような幸いの宣言も引用している(バルナバ11.8b)。文体の点か

らすると, この幸いの宣言は三人称複数形で書かれている (マタ5: 3‑10を参 照)。幸いであるとする理由を与える副詞節は, によって導入されている(バ ルナバ11.8b;ヘルマス「幻」 3.8.4;マタ5: 3, 5, 6, 7, 8,9;ルカ6: 20, 21)。

この幸いの宣言は, キリストの十字架を信じて洗礼を受ける者に幸いを約束し ている。 この語録は恐らく初期の教会の口頭伝承を引用しているのであると思 われるが,他の初期キリスト教文献には平行例がない。

14 Jefford, 4951 15 1bid. 222225.

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2.2 クレメンスの第一,第二の手紙とイグナテイオス書簡における幸いの

冑=一Fコ

クレメンスの第一の手紙の著者は,幸いの宣言を用いるにあたり,様々な文 体を自由に用いている。Iクレ35.1.では,信徒に付与される神の恵みの賜物,つ まり,永遠の命,義における輝き,大胆な真実,確信を持った信仰,聖なる自 己抑制が, 「幸いであり,素晴らしい」とされる。 この幸いの宣言は,三人称複 数形で書かれている。他方, Iクレ50 5における幸いの宣言は,一人称複数形で 書かれている: 〃αx""イさo"E", "γαr77z・""てd7rp0"rff浮上αr008EOO台汀0[OO"E"

0"p々 γd汀叩E・j Eirrd"E""4"""&'d)'d汀"r鍼rd"a'p認αぐ (幸いである,

私たちは,愛する者たちよ。私たちの罪が愛を通して赦されるように,愛の一 致のうちに神の戒めを実行するのならば)。しかし, この最後の部分(私たちの 罪が愛を通して赦されるように) には,解釈上の問題がある。一体誰の愛を通 して私たちの罪は赦されるのであろうか? それは,私たちに対する神の愛を 通してであろうか, それとも,私たち自身の愛を通してであろうか? パウロ であれば,私たちの罪は神の愛によって赦されると言うであろう(ロマ5: 5,6−

11 ; 8: 3139)。しかし, ここでクレメンスが念頭に置いているのはむしろ人間 の愛のように思われる。 この幸いの宣言の前半部では, 色〃 。"0匁 兀"ぐ (愛 の一致のうちに) という表現があり人間の愛を指している。同様に鋤' [b'"7T"r (愛を通して) という表現は, 「私たちの愛を通して」 ということを含意してい

〆DC

それに続く節において(Iクレ50.6), クレメンスは詩32: 1‑2に出て来る有 名な幸いの宣言を引用して, "dJfrfp"E, fb"""77"" """"f jY"必〃

色冗Exa'/l"877"""""zZ"・〃αx""r オβ"""AG7'f"zmxIjp4"""zrmノ 錠範泣〃せ〃""rd"α立αjr006d加ぐ (幸いである, その科が赦され,その罪 が覆われた者たちは。幸いである, その罪を主が勘定に入れず, その口には悪 意がない者は) 6. この文節は, γ α汀"Eydp(というのは,次のように書かれ

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ているからである) という旧約引用の定型によって導入されている。 この二重 の幸いの宣言は,前半が三人称複数形,後半が三人称単数形で書かれている。幸 いの宣言の本文は七十人訳聖書から採られている。詩32: 1‑2は, ロマ4: 7 8でも引用され,律法の業ではなく信仰によって義とされることの根拠とされ ている(ロマ4: 6を参照)。 この箇所はパウロ書簡において形容詞〃αx""fが 出て来る数少ない例の一つである(ロマ4: 78; 14: 22; Iコリ7: 40)。パウ ロは名詞 β も使用し,神学的幸福論を展開している(ロマ4: 6,9;ガ ラ4: 15)。パウロの理解によれば,詩32: 12の発言は,信仰によって義とさ れた者にも妥当する。従って, この宣言は旧約時代の人々のみならず,パウロ と同時代のキリスト教徒にも当てはめることが出来る。同様に, クレメンスは 詩32: 1−2を同時代の信徒に対して直接に適用している(Iクレ50.7)」7.クレメ ンスの聖書解釈法は,パウロのそれに類似しており,旧約箇所をキリスト教徒 が幸いであることを証明する根拠として引用している。 ロマ4: 7−8とIクレ 50.6の間に存在する相違は, クレメンスがパウpのように信仰義認の教理に関 心を持っておらず,むしろ,愛を通して得られる罪の赦しということに力点を 置いていることである。 クレメンスは信仰義認の教理の反対者と戦う必要はな く,分裂し内紛状態の中にあるコリント教会の信徒たちに倫理的教えを与える 必要があったのである18・

死後の幸いは, 12世紀のキリスト者が直面していた困難な状況の中で重要 性を帯びた'9.使徒教父文書の多くは,信徒が迫害下にあることを前提としてい

16EMassaux, 7ソjU歴"?"""q/‑"1cGDsjfJノ。/Str/"rA伽"内 ! 。〃C"た"α〃L"ヒノ翅.

r"γf 6g/b"S(7/"/ j'r"""s (tranS.NJ.Belvat/S.Hecht i 3vols;MaC",GA:

MercerUniversitl'Press, 1990) 1.52 iA.Lindemann、D/EC/""E"s6"("(HBNT 17;Tubingen:Mohr, 1992) 14Z

17 Lindemann, 147に賛成, H、E‑Lona,正ルγ"s/f7C/""E"sbノfc/(Gbttinge,1 :Vanden‑

hDEck&Ruprecht, 1998) 538に反対。

180NwaChukwu、B"0"IJVIwg""""'dPJTJIEs/ r 4Rfl""""rD〃rルヒル伽 〃s"?s

/灯況 ヒルz"D〃 (NewYork: PeterLang, 2005) 53も同趣旨。

19 DE.Aune、R"(J/""(ノ〃 (3VOISWWBC52ACIWaco,TX:WDrdl99798)2.838 839.

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る (Iクレ1.1 ; 7.1 ; 45.1‑5; イグ・ロマ2.1‑3.5;ポリュ・フイラ2.3;ヘルマス

「幻」2.2 1 7)。そのような環境の中では,神への信仰は迫害や苦難にめげずに 信実を貫くことを意味した。JTZロ配fとは,神への信仰であると同時に信実である (ロマ2: 10,13; 3: 10; 14: 12)20. 1クレ44.5では,責められることのないよ うな生涯を終えて,天における地位を確かなものとした長老が幸いとされてい る。 この幸いの宣言は,忠実な信徒へ与えられる天上の幸いを告げている。

天上の幸いの主題は,初期ユダヤ教黙示文学や初期キリスト教黙示文学にし ばしば見られる主題である。エチ・エノ58# 2と81 : 4に出て来る幸いの宣言 は,天において義人を待っている幸いに言及している。エチ・エノ81 : 4にお いてエノクは, 「幸いなるかな,義人また善人として死におもむき,不義を責め る書を書かれたことがなく,答を見いだされない人。」と述べる21. この幸いの 宣言の関心は義人として模範的な人生を送った者の幸福に向けられている。 さ

らに, スラブ語のエノク書42爵 67は,次のように述べる。

「幸いである,主の名を敬い,常に御前にあって仕え,畏れをもって贈り 物をなし,命を献げ,生涯において義しく生きて死んだ人は。

幸いである,金のためではなく,正義のために, どのような見返りも期 待せず,義しい裁きを下す人は。品眉のない裁きが彼に下される結果

となるであろう」22。

この幸いの宣言は正義を行い,公平な判断を下し,社会的に弱い立場の人々 に対して憐れみを示した人々に与えられている死後の幸いを語っている。

原口尚彰「パウロにおける汀"rdrd8Edr/堀ぴ瓦rro08EOO」 「パウロの宣教」教文館,

1998年, 196‑2(10頁。

「│日約外典偽典」第4巻(教文館, 1975年) 25()頁より引用。

J.C1'a'・lesW・rth,7yjどO/J典S曲"zEJzIRs""銅憩ノ ルr (2V()Is;GardcnCity,NY:

I)oubleday, 1983) 1.168に提示されている英訳からの重訳。この本文は,短本文では なく,長本文に基づいている。

20

(10)

黙14: 13では天からの声が, 「幸いである,主にあってこれ以後に死を迎え る死者は。」と語る。 この幸いの宣言は信仰のうちに世を去る者の幸いのことを 言っている。同様に,黙20: 6は死後の幸いを差して, 「幸いであり,聖である,

最初の復活に与る者は。」 と述べる。

イグナティオスは幸いの宣言の文学形式を唯一度しか用いていない。イグナ ティオスは,牧会の職務を託された献身的な教会指導者は幸いであると述べる (イグ・フィラ10.2; Iクレ44.5)。教会指導者が主によって祝福されているとい う考えは,教会の秩序や指導者への服従の要求と表裏一体をなしている。

他方,一部の教父文書では,形容詞"d'xdp"fを人の呼称の前に称号のように 用いて,パウロを, 「幸いな使徒パウロ」と呼んだり(Iクレ47.1),モーセを「幸 いなモーセ」と呼んでいる(Iクレ43.1 ; さらに,ユスティノス「トリュフォン との対話」56.1を参照)23. こうした用例は, 2世紀の教会において"d'""[orの 称号的用法が始まりつつあることを示している (Iクレ44.5;ポュ・フイラ3.2

も参照)2』。

2.3ポリュカルポスの手紙における幸いの宣言

ポュカルポスは"dx""rという単語を頻繁には用いていない。しかし,使徒 教父の中でこの著者だけが共観福音書の幸いの宣言を明示的に引用している点 は注目に値する。ポリュ・フィラ2.34は, "qxdp[O20IJrmJXOix"0f&(IJ""E""

ざ"ExE"6fJrd'd""l"7C6zY"rの〃 面〃オβα呪入E"rOO8EOO (幸いである,貧しい 者,義のために迫害されている者,神の国は彼らのものだからである) となっ ている。 この引用文には, 座"""OlJEJOIJTEr碇の〃E"E"dx""r&""["〃 (主が 教えて語ったことを思い起こしつつ) という導入句が付けられ,主の言葉であ ることを明示されている (2.3a)。ポリュ・フィラ2.3においてポリュカルポス

恥砲

(11)

は山上の説教の非常に簡潔な要約を与えている(マタ5: 17: 27)25.彼はこの 語録の語順を自由に変更し,言い換えている(ポリュ・フィラ2.3bとマタ7: 1, ポリュ・フィラ2.3cとマタ6: 14,ポリュ・フイラ2.3dとマタ5: 7,ポリュ・

フイラ2.3eとマタ7: 2を比較せよ)。ポリュ・フイラ2.34は実際のところ,山 上の説教の最初と8番目の幸いの宣言を組み合わせており (マタ5: 3, 10), そ の間に6つの幸いの宣言を省略している。文言はマタイ5章に用いられている 文言と僅かに異なっている。マタイ5: 3に出て来る台〃での汀リ な(霊におい て) という句はポリュ・フィラ2.3には出てこないし, ポリュカルポスは,マタ 5: 10に出て来るオβαα入 αでの〃。 α""(天国)ではなく,ルカに出て来る オβtmz/le"rO68EcO (神の国)の方を用いている26.信徒は, 0i7rm)x"(貧し い者), もしくは, 0ZSMUJrd"Eリαど"ExEJJOZだα"""r (義のために迫害される者)

と呼ばれている。』 "〃(義)は, ポリュカルポスが倫理的教えに用いる鍵 概念であり,後続する文節でその具体的内容について詳述する (ポリュ・フィ ラ3.1 3; 4.1 3)。ポリュカルポスの実践的な視点からは, 6fxa'"""〃(義)は,

信仰,希望,愛という主要な徳目より構成されている (ポリュ・フィラ3.1‑3;

さらに,Iコリ13: 13; Iテサ1: 3; 5: 8; コロ1: 45他を参照)。こうした徳 目を実践する者はさ"rO/l""&xd'""""仁 (義の戒め)を成就していると宣言され る (ポリュ・フィラ3.3)。

2.4へルマスの牧者における幸いの宣言

この黙示的文書においてヘルマスは屡々天に挙げられて新しい啓示や教示を 受ける。 「幻の害」の第2章において彼は信徒に対して彼らの罪を指摘するとと もに,救いの展望を語るようにと命じられる(ヘルマス「幻」2̲2.17)。彼らは 予想される顛難の中でも信仰を捨てなければ,幸いであるとされる○ヘルマス

25Massaux, 32831.

26Ki)ster, 118:Kohler, 99 100

(12)

「幻」2.2.7は, ""xdp20z"err6"z jJrO""ETE z‑"〃鍬鎧pで加"XO"さ""〃て和 γd入"〃x""020"""加。"rα 功リ働加frdrの〃 (幸いである,到来する大き な銀難を耐え,命を否定することの無い者は) となっている。

ヘルマスの牧者「戒めの害」では,倫理的教訓の要素が強くなる。信仰,神 を畏れること,義しい言葉,真実,忍耐等の徳目を守る者は幸いであるとされ る (ヘルマス「戒め」8.1.9)。 「瞼えの害」では,読者に対して主の戒めを実行 するように勧めるために幸いの宣言が援用されている(ヘルマス「噛え」6.1.1)。

ヘルマスは自問自答して"dwdpfor"0"", "〃釦融産さ"rDAaZr rqjmiff 汀0βEU8(D,x"6r"似兀0""d77Td'zを〃αdrα産"j<""r""E (幸いである, もし私 がこれらの戒めに従って歩むならば。 また, これらの戒めのうちに歩む者は幸 いである。) と述べる (ヘルマス「嚥え」6.1.1)。忠実な信徒は幸いであるとさ れる (9.24.2)。ヘルマス「職え」9.29.3は, "qx""f"""E妬 dO("〃"〃でE

"'""z・[D"z・加汀0"77β麺叫ざ"鋤 ぴβE槌T加傘αx紅〃 (幸いである, あなた方は,

悪を自分から取り去り,善を身にまとう者は) と述べる(ヘルマス「職え」9.30.

3)。ヘルマスの牧者に用いられている幸いの宣言には,他の新約文言には平行 例がない。著者が幸いの宣言を用いる際に, 口頭伝承を引用しているのか, そ の場で臨機応変に幸いの宣言を創り出しているのかは資料不足で判断出来な い。ヘルマスの牧者において幸いの宣言が多用されているということは, この 文学形式が当時の教会用語の一つとなっている自由に援用出来るものであった

ことを示している。

3. 結論

(1) 使徒教父文書は幸いの宣言の文学形式を用いる際には大変柔軟な態度を 示している。使徒教父文書の幸いの宣言には,旧約聖書や新約聖書の例と同様 に三人称が用いられるのみでなく (ディダケーl.5;バルナバ1.2; 10.10; Iク レ40.4; 48.4),二人称や(ヘルマス「幻」2 2.7; 「哺え」9.29 3),一人称が用い

(13)

られている(Iクレ50.5リヘルマス「幻」1.1.2; 「職え」6.1.1)。一部の文書にお いて(バルナバ11.8;ヘルマス「幻」3.8.4),幸いとされる根拠を与える副詞節 は共観福音書におけると同様に によって導入されている(マタ5: 3,5,6, 7,

8, 9;ルカ6: 20, 21)。しかし,他の文書では,幸いの宣言の後に,"" (ヘル マス「職え」5.1.3; 6.1.4), または, EJ (Iクレ50.5)によって導かれる条件節が 続いている。さらに,幸いの宣言の直ぐ後に,γdpで導かれる文が続く場合もあ る (デイダケー1.5; Iクレ39.4; 44.5; 56.6)。

(2)使徒教父文書における幸いの宣言の背景には,旧約聖書,新約聖書,教 会の口頭伝承等様々な可能性がある。第一に,知恵の詩編中の幸いの宣言が(詩 l : 1 ; 32: 1 2),バル10: 10とIクレ50.5に引用されている。第二に,共観福 音書の幸いの宣言がポリュ・フィラ2.3に用いられている。第三に,他の幸いの 宣言は(Iクレ35.1; 44.51 47.1; 48.4; 50.5, 6; 56.6; I1クレ16.4; 19.3; /f グ・フイラ10.2;ポリュ・フイラ3.2; 9.1; 11.3; 12.1 ;ヘルマス「幻」 1.1.2;

2.2.7; 「戒め」8.1.9; 「哺え」2.10; 5.3.9; 6.1.1 ; 9.29.3; 9.30.3),教会の口頭伝 承の引用もしくは,著者による臨機応変な創作であるが, そのどちらであるか

を判断するのは平行例がない限り困難である。

(3) 共観福音書において,幸いの宣言は演示的機能を果たしている。それら は特定の人々に対して,彼らの置かれた経済的または精神的状態の故に(マタ 5: 36;ルカ6: 20‑22),或いは,彼らの姿勢の故に(マタ5: 79), さらには,

義のために迫害されている故に(マタ5: 10, 11‑12;ルカ6: 23),幸いである と告げている。 これに対して,使徒教父文書の幸いの宣言は,幸いな状態に達 するためには,示されている倫理的基準を満たすように読者に促している(ディ ダケー1.5;バルナバ1.2; 10.10; I1 : 8; Iクレ40 4; 48.4;Ⅱクレ16: 4 ; 19§ 3,4;イグ・フィラ10.2;ポリュ・フイラ2.3; 11.3; 12.1 ;ヘルマス「幻」

3.3.3; 3.8.4ラ 「戒め」 8.1.9; 「哺え」2.10; 5.1 3; 5.3.9; 6 1.1 ; 9.24.2; 9.29.3;

9.30.3)。使徒教父文書の幸いの宣言は,全体的に見て倫理的勧告の機能を強く

(14)

持っていると言える。

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参照

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