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(事務局)長崎市富士見町18の7〔岡村進]TELO958614564
(1) 長 崎 の 証 言 ニ ュ ー ス N Q 2 3 (8)
する﹁長崎の証言﹂第6集の原稿
募集開始の日だからである︒
当日︑私たち証言の会員十五名
は︑長崎公会堂や浜の町アーケー ドで︑メガホン片手に三千枚のチ ラシを︑帰路を急ぐ市民に配りな がら︑ご協力を訴えた︒また同時 に﹁ビキニの証人︑第五福竜丸の
保存記念会館設置﹂の資金カンパ
を行なった・
想えば昨年もこの日を期して私
たちは一斉に反原爆の運動に立ち あがり︑第一に被爆体験記の公募
と聞き書きへの取組み︑第二に︑
﹁原爆戦災誌﹂刊行促進の署名運動
へ先頭を切って取組んだ︒
そして︑それぞれの目的が達成
した十一月には︑日本被団協主催の﹁もう私たちは待てない﹂とい
う﹁被爆者援護法制定﹂要求の中
央大行動に参加し︑一定の成果を 三月一日はビキニ水爆被災二十周年の日として忘れがたい日であ
る
◎
この日を待っていた・いなる怒りをこめて唐
画【ⅡIエリォBIMIIOU』lI1IIQDpB1IMMI・MIMdD』IUEⅢ111『叩Ⅱ【『ⅧⅢ『BIIB皿ImRI肥RlmUIn】'UI0MBIリル『qdO1ロ皿R1RmIIIlIllllllml 毒 …
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長 崎 の 証 言 の 会
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長 崎 の 証 言
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二.可.一ス
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■﹄呂目呂呂呂弓畠呂目呂呂二男邑二畠弓差邑二邑呂塁弓胃二言二弓三豊胃.﹄ニコニニニ雪二言二二二二冨屡■
Ⅱ川
I11
Ⅱ1
111 君よ︑泣け︑怒れ/フクダサンガシンダフクダスマコガシンダ詰然︑実感の伴なわぬ衝撃信じたくはないこの重い事実小野田少尉生還の記事がマスコミを占領し爆心地に酔客が群れている春四月二日夜半︑突然フクダサンガシンダフクダスマコガシンダその最後の生命の火の消えなんとする瞬間何が彼女をおそったのかああ君よ︑胸を裂き︑泣け予定調和などでは断じてないむりやり彼女を位し去った死神たち︑核権力者ども何よりぼくら自身の怯儒に君よ︑怒れ/反撃せよ/
ビキニデーに想う
今長崎の証言の会では年頭より ︵証言の会事務局︶山本和 I市長発言と証言の会I
めて原水爆を告発
三 三 三
言1974年4月20日発行NQ23
三
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この日
考える集い企画昨年8月6日︵造大︶︑8日︵長大︶での原爆問題シンポジウムにひきつづき︑ヒロシマ・ナガサキの意味︑原爆体験の思想化︑科学化︑核時代の生き方等をめぐっての研究者や教師︑文化人の集いを7月7日︑ 新年度にはいって証言の会の活動は一歩々々着実に進んでいます︒1月咽日︑秋月代表委員宅での運営委員会で提案された今年度の方針案は︑さらに3月の例会と総会︑広島での二回にわたる協議を重ね︑次のようにその大綱を確認しました︒一﹁長崎の証言﹂第6集の刊行ビキニ被災加年︑ヒロシマ︒ナガサキ朗年に焦点を合わせつつ︑特に底辺被爆者の生まの声を収録し︑歴史の深部からの告発を誌面へ反映させたい︒そのためのアンケートやルポ︑座談記事など多角的構成に努め︑例年通り職場や学校の被災記録︑二世問題や児童作品︑平和教育実践︑文学作品や証言の科学化をめざす研究論文なども収録する︒︵4月週日の編集会議で︑故福田須磨子氏追悼の小特集を追加することを確認︶
目原爆と科学︒教育︒文化を
は大﹁長崎の証言﹂新企画進む
たりして愛嬬をふりまいていた︒ スカートはいたり︑︲フラダンスし で飲み︑半裸体にイレズミを画き︑ ているかと思えば︑ビールを路上 し︑ピリッとした軍楽隊が行進し 万トン級以上の軍艦の将兵が出場 これには入港したアメリカの一 な仮装行列でねり歩いてきた︒ 市内の目抜き通りを国際色ゆたか 末︑長崎では﹁港祭り﹂と称して の問題を考えてみると︑例年四月 した︒だが︑第一の艦船寄港拒否 これを視聴した私は大いに感動 表したのである︒ の禁止を訴えたい﹂という構想を発 し︑全世界に核爆弾の製造︒実験 長崎と広島が姉妹都市の縁組みを さらに﹁同じ悲しみと怒りをもつ 明艦船の寄港をことわる﹂と発言し ﹁今後核実験をするあらゆる国の 追及事件に関連して︑長崎市長は 時間に︑国会での放射能調査汚職 HKテレビ﹁今日の話題の窓﹂の ところで去る二月二十八日︑N おさめたのだった︒市民はそれを見物して︑﹁アメリカって陽気な国だなあ︑昔の日本軍でば考えられないことをする﹂と思ったり︑これも日米親善の一
役になると喜んだものである︒
また︑この日はアメリカの軍艦を開放したので︑親子連れで長蛇の列をつくって見にいったものだった︒そしてとの日ばかりは不思
● ●
一九七四年度の方針具体化I
' 1
︵仮題︶の編集出版これは﹁証言運動の今後の課題i被爆体験の再検討と思想化﹂︵ニュース恥別︑9月妬日︶で提起された課題を具体化しようとする試みで︑被爆釦年に照準しながら反原爆の国民的思想の形成と運動の質的前進をはかることをめざすものである︒︵長崎1月岨日︑3月8日︑広島2月吻日︑3月把日の四回にわたる協議をもとに︑目下この企画は進行中である︒細部は別掲の通り︶四﹁明日に生きる﹂︵高校平和教育読本︶編集への参加1月の運営委員会で提案された広島・長崎共同による原爆読本︵高校大学のサブテキスト︶は︑2月の鎌田編集委員の広島訪問をきっかけに︑広島高教組平和教材編集委員会で企画中の高校生テキスト﹁明日に生きる﹂︵仮題︶への参加・協力と八う 岨月8日を目途に実施すする︒科学者会議︑被爆文化サークルとの共同主これはとくに次の日の企保障する共同研究の一環ヨ﹁ヒロシマ・ナガサ
ことで具体化し︑ 議と戦争の道具だとか人殺しの軍艦だとは一度も考えなかった︒こんなことを考えて今回の市長発言をかみしめると︑あらためて私たち被爆者は原爆落下の原点に戻って考え直さねばならぬ時だ︑としみじみと思った︒
第二の姉妹都市の問題はその後どうなったのであろうか︒聞くところによると︑話がうまくいっていないようである︒・まったくがっかりする︒たとへどんな事情があろうと︑一刻もはやくそれらを乗り越えて︑被爆国日本の二都市が結束して原水爆禁止を世界に訴え
てもらいたいものだ︒
最後にもっとも重大な第三点︑核爆弾の製造のみならずその実験にも断固として反対するという市長の決意とは裏腹に︑第二次大戦中︑世界最優秀といわれる艦載魚雷を作っていて︑原爆でペチャンコになった三菱長崎造船所茂里町工場で︑再び核兵器装備可能の対潜水艦攻撃用魚雷︵アスロック︑ランチャー︶を作っているという
ことである︒
この事実を摘発した新聞記事を見た私は﹁アシ﹂と驚き︑﹁これじゃまた長崎に第三の原爆が落ちるぞ﹂と思い︑﹁ゾッ﹂とした︒これについては︑市長も被爆者団体も驚いたようだが︑その後どうなったのだろうか︒民主団体の
I
ナガサキの証言﹂
参虹︒協力という3月の広島再訪問 被爆教師の会︑
主催とする︒
● ●
画の成功を
としたい︒ るよう準備
:1,
3舳識詞前肌鴫帥敗鳩侭梱似卵企綱
崎︑大牟田諺藤枝︑古浦孝彦氏︶
3月鉦日証言の会一九七四年度総
会︑正文社にて岡正治代表委員ほか別名参加︒︵報告別掲︶
4月315日福田須磨子さんのお
通夜︑告別式参加︵鎌田︑葉山︶4月週日運営委員会︑事務局異動
と﹁証言6集﹂の編集分担確認o朝鮮人強制連行調査団︵中薗英助︑
佐々木秀典氏ほか︶と懇談︒
3月Ⅳl岨日日本キリスト教女子
青年会被爆者訪問団来崎︑懇談︒事務局日誌︵1月4月︶ 1月吻日証言の会運営委員会︑秋
月代表委員宅にてn名参加︒
1月別日証言ニュース記号発行︒
2月吻日広島にて共同企画協議
︵栗原︑文沢︑古浦︑森下︑鎌田︶3月1日ビキニ被災加周年目で︑
長崎市繁華街にてビラまき︒広瀬︑山本︑鎌田ほか十数名が参加︒﹁今こそ反原爆の証言と告発を/﹂と原稿募集を合わせ行なう︒
3月8日証言の会3月例会︑正文
社にてn名参加︒総会提案審議︒﹁原爆と科学︒教育︒文化を考える﹂集会記録の原稿印刷所渡し︒ に際してはさっそく長崎造船大学グループのモ︸一ター本への具体的意見や注文を提出し︑6月頃までには完成へこぎつける予定である︒編集室から
桜の頃も過ぎ︑もう初夏のにおいさえします︒証言ニュース路号は大変な難産でした︒一カ月も発行が遅れたことをお詑びします︒公務が山積したうえに福田さんの突然のご逝去が重なり︑三日間の深夜作業のすえ︑やっと最後の仕
上げにはいりました︒
編集部は読者や会員の皆様のお便りと寄稿を確首しています︒国会での放射能検査問題の究明︑小野田さんの帰国︑被爆者援護法の国会上提︑靖国神社法案強行採決
etc︑私たちの日常には原爆と
かかわる驚くべき事件がみちみちており︑福田さんはじめ︑かけがえのない被爆証人たちの悲痛な生と死があります︒皆様︑どうぞお便りをお寄せください︒ 抗議にもかかわらず三菱当局は言を左右して態度あいまいである︒口では平和を唱えながら︑行為では反対の行動をとっている︒そんな人間ほど恐ろしい動物はいないものだ︑と改めて思った︒そして︑この時ほど﹁長崎の証言の会﹂の今年度の活動の重大さを感じとったことはなかった︒たて前と本音の矛盾を突き破るところに反原爆証言の決定的な意味があるのだ︑と思う︒
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一一一
|
(5) 長 崎 の 証 言 ニ ュ ー ス N Q 2 3 (41
■お別れの言葉
去る四月二日夜半︑突然電話が 鳴り︑福田さんの逝去を知らされ た︒息をひきとってから一時間と
たたない頃だった︒翌三日︑私は自動車と汽車と飛行機をのりついで大阪の実姉豊後レイコさん宅へ
かけつけた︒すでにお通夜が始ま
ろうとしていた︒対面した彼女の
死顔は安らかで何の苦しみもとど めていないようだった︒だが︑納 棺のとき持った骨と皮ばかりの遺
体は細い鶴のように軽かった︒ この地上に﹁美しい国﹂をきずき さようなら 須磨子さん
あげるために
わたしたちのたたかいぶりを日々の脱皮と飛躍をきびしく見守
ってください
やがて会う︑その日まで︑さようなら・
一九七四年四月三日︑通夜の席にて
長崎の仲間たちに代って
鎌田定夫
去年︑おくんちのころ︑ 福田さん/﹁われなお生きてあり﹂と﹁やあ︑また戻ってきたとよ﹂とそんな元気なあなたの声をもういちど聞きたかった︒たとえ杖にすがり穂おんぶされてでも︑もういちど長崎に帰ってきてほしかった︒
福田さん︑須磨子さん/
いくら呼んでも︑もうあなたは帰 ってこない・
あなたは︑もうなつかしいご両親 や松尾のおばあちゃんたちの所
へ行ってしまったのだろうか︒ながい生涯のたたかいを終えて︑あなたは今やっと肩の荷をおろし
ているのだろうか︒
そのやせこけた小さいからだに︑
戦争と原爆という業深い人間たち
の一切の責めをひき受けるよう
に︑あなたは必死にもがき︑耐え︑た
たかいぬいて︑
とうとう息たえてしまった︒
それはくだらぬ思慮だ心を蝕ばむ悪魔なんだだからものの見事に跳躍するのだそこに私の住む世界がある
︵詩集﹁原子野﹂より︶
さようなら福田さん/
福田さん弔問記
一一■
﹁さようなら﹂を云わねばならな わたしたちはいま︑ 灼けるようなメスを入れながら︑ わたしたち自身の恥部に︑ 長崎の︑日本の︑もっとも脆弱な 倣岸な権力者たち︑ 旅へと追いたててしまった︑ ﹁冷雨降りつづく﹂その長い長い そんなあなたをい◎昨秋︑おくんちのとき︑久しぶりに帰郷した彼女をおぶって私は駅のホームを歩いた︒小学二年の次男のような軽さだった︒彼女は生活をつづる会の仲間である私の義母のところに三週間滞在した︒それで私たちは朝夕顔を合わせたが︑お互の胸の中のすべてを語りつくせないままに別れた︒そして︑﹁組織の中の須磨子を書かんばならん﹂と未完の記録を仕上げるために燃えつづけたその生命の火も
ついに消えた︒
彼女には﹃ひとりごと﹄﹃原子野﹄﹃烙印﹄という三冊の詩集と﹃生きる﹄﹃われなお生きてあり﹄︵田村俊子賞受賞︶その他の生活記録があり︑毎年私たちの﹃長崎の証言﹄へも寄稿していた︒だが昨年だけは体調がすぐれず原稿がおくれた︒あとでそれは﹁冷雨降りつづく﹂︵﹃女の系譜﹄太平出版に収録︶と題して発表された︒
この作品は被爆後邪年の時点で
書かれた被爆者の一証言としてだけでなく︑文学的にもすぐれた結晶度を示す力作であり︑その続編
が期待されていた︒一シ橋大学の
石田忠教授は彼女の戦後史を﹃反原爆﹄︵未来社︶のなかで詳細に分析し︑その反原爆思想の形成過程を適確に論理化されたが︑﹁美しい国﹂の実現をめざして彼女が理不尽な﹁核権力﹂やたえざる死 あなたは︑四︑五カ月くらいは居候するつもりで帰省して.きた︒だが︑いったい何がわたしたちを狂わせたのか︑ひき裂いたのか︒あなたがくつろいでペンをとれる場所を︑どうしてわたしたちは保障できなかったのか︒
あなたが求めてやまなかった
その﹁美しい国﹂とは︑いったい
どこにあったのか︒なんとつれなかったわたしたち︑狭量な長崎︑不感症のニッポンノ
もっともっと長生きしてほしかっ
た︒もっともっと﹁ナガサキの証言﹂を書いてほしかった︒
● ●
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の恐怖と格闘しながら︑﹁書くことこそ自分の残された唯一の闘い﹂として死の直前まで奮闘しつづけたことは︑残された私たちにとって重大な意味をもっている︒彼女のすさまじいまでの核告発の証言は︑これまでつねに私たちへの大きな励ましであったが︑日本の記録や文学運動にたずさわる者にとって︑また反原爆運動者たちにとって︑今後とも不滅の里程
標として刻印されねばなるまい︒
お通夜の席で︑彼女の最後をみとった姉のレイコさんは︑悲しみと自責と怒りにふるえ︑むせびながら︑繰返し語りつづけた︒﹁あの娘︵こ︶は必死になって抵抗してもがくのに︑死が押し流していくとです︒小野田少尉に与えられた千分の一の救援でもさしのべられたら︑あの娘はもっと生きられたとに︒もうすこしお金があってあの娘を生かしてやれたら︑あの娘はもうすこし文章書いて平和を訴えられたとに︒あの娘は何の責任もないのに︑むりやり殺されてしもうた︒殺させてしまうた
んです︑私たちが⁝⁝﹂と︒
朝方︑私はペンをとって福田さ
んへの﹁お別れの言葉﹂を走り書きし︑甥の豊後君に代読をたのん
だ︒そして昼近くかけつけた長崎 被災協の葉山事務局長に後事を託
して大阪をはなれた︒︵鎌田︶ 思い浮かべる︒ あなたが残した証言の数々を わたしはいま︑ あなたを前に︑ や・さしく横たわっている︒ きよらかな白い鶴のように黙し︑ ちに見守られながら︑ やさしい肉親や駆けつけた仲間た の一室諺小さな祭壇の前で︑ 故郷を遠くはなれた大都会のビル でいくことを誓いたい︒ 怒り︑それらすべてをひきつい 事︑すべての希い︑そして重い ていた一切の無念︑し残した仕 わたしたちは︑あなたがかみしめ ください/ わたしたちの非力と怠惰を許して ほんとうにご苦労さん︑ 福田須磨子さん/ 告発者︒旗手であった︑ 反原爆︒人間復権のもっとも鋭い 最良の娘であり︑ ヒロシマ︒ナガサキの お礼をいわねばならぬことか︒ どんなに詑び︑どんなに感謝と いま︑あなたの前に頭をたれ︑ 証言の会︑憲法会議の仲間たちは 生活をつづる会や原水協︑ 被災協蕊青年乙女の会 ふるさと長崎のすべての仲間たち その先頭に立って呼びかけた かつてあなたが共にスクラム組み
● ●
福田さんの死を悼んで
︵大村国立病院北四階︶今田末雄
本日︑福田須磨子さんが遂に他界なされた︑という報道を耳に致し︑一瞬耳を疑い︑私は改めてがく然とせざるを得ませんでした︒被爆以来今日まで生きることに懸命であった福田さん︑死線をさまよいながら︑重傷の身の苦痛をも耐えながら︑未来に生きのびる同胞の身を案じて苛酷な原爆の証
言を今日まで積み重ねて来られた︑
その苦闘いかばかりか知れず︑長崎市民のすべてに訴えつつとうとうこの日を迎えられたのでした・ほんとうに同情にたえません︒数年前︑私の被爆記事から一面識を得て以来︑一日たりとも忘却することはなかったのですが︑何分ただ大阪在住と知るだけで文通も致しかね︑なおこの日に臨み︑お悔み申し上げるすべもなく全く途方に暮れ︑陰ながら御冥福を祈りつつペンを走らせました︒
私も年中風邪に悩まされがちで
弱体化する一方です︒今春以来また肺炎で入院してこのベッドに横
たわっています︒呪いの原爆︑ガ
ンマー線の直射を浴びたこの体は
あの一瞬の閃光によって体内の熱 を余すところなく奪い去られたよ
うに味気ない日を送っています︒
I
己れの心が弦をはなれた矢の様に きおい立ち飛び行くのを
須磨子よ不自然にとめるな 須磨子よ善は無ではない
十年の沈黙を破れすべてのモラルに眼をふさぐその卑屈さを取り除くのだひるんではいけない 靴獅謹紳洲椀棒雄電癖鋪蝿蝿だ一おのれに
須磨子よ脱皮せよ
蛇や蝉が脱けがらに執着せぬ様にあざやかな飛躍ものの見事に跳躍するのだ
ひるむのではない それらをわが胸に刻み︑反鍔する︒ わたしたちはいま かつてあなたが刻み︑歌ったように それらの言葉⁝.: 長崎にこそもっとも必要だった︑ 炎のような海鳴りのような言葉︑ 巻き返し︑砕け︑叩きつける怒り 肉をそぎ︑骨をけずる反逆︑ おし迫る死神︑核権力者たちへの 青春を奪い︑五体をむしばみ︑ ﹁ひとりごと﹂の呪文︑ 炎天の丘の巨像に吐きかけた 偽りの平和のシンボル 被爆十年目の夏
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(6) 長 崎 の 証 言 ニ ュ ー ス N q 2 3
(7) |思想の第
作品としての特異性 私は哲学を反省的思考としてと らえているので︑その立場から文 学の営みに対して重大な関心をい だいてきた︒文学という創造的営 為に︑哲学に優るとも劣らぬ意義 をみとめてきたのである︒文学が 思想の第一次的行為として︑反省 的思考としての哲学に先行するの
に対応して︑現代思想をきり拓いてゆく働きにおいても︑文学者は哲学者に先んじてきたと言えるのではないだろうか︒ここに私は︑
文学を自由な創造的知性の第一次 的行為とみる立場から︑片山昌造
作﹃脱走者たち﹄︵理論社︶の手短かな批評を試みることとしたい︒
﹃脱走者たち﹄はすこぶる特異
な作品である︒それは︑自由の原
ノ
野をもとめて脱走してゆく犬たち
の物語であるが︑その犬たちの前に被爆者の小部落を配置すること
によって︑読者の眼前に︑世界史 的広がりを有すると同時に︑緊急
の国民的課題でもある原爆と原爆に灼かれた被爆者の群れを呈示するのである︒それは終始一貫して
ここでひるがえって︑われわれ
の現実の父と子の間柄を反省する
なら︑それぞれの生き方の確執や 父の支配から独立するためのたた かい︑反逆等が存在することは事
実である︒しかし︑それらの確執
と葛藤をこえて父と子の間には打 ち消すことのできない情愛もまた 存在するのである︒したがって︑
作者がここに提出した父子像は︑
その対立と抗争の局面を一方的に
強調したきらいがあり︑このよう
な作者の父子像がわれわれの現実 の父子関係を積睡的にきり拓いて ゆくことができるかどうかはいさ
さか疑問である︒ところで︑父と子の闘争は︑被
爆者であるたかえもと三人の息子 たちの関係において︑ふたたびす るどい形をとって立ち現われる︒
公害をまき散らしながらどぎつい
金もうけをしている食肉製造業者のたか・えもは︑戦争中︑︵香焼︶
島で補虜たちの監視兵をしていた︒
監視兵としてかれは白人の補虜を
銃床でなぐり殺したこともある︒原爆がおとされたつぎの日︑かれ
は市内に入ったために原爆の第二
次放射能をう︾けていた︒しかし︑
かれはそういうことをいっさい口 にしない︒弱肉強食の世の中だ︒
他人をどんなに儀牲にしてでも自
分だけは肥えてゆくのだ︒これが
たかえもの戦後の生き方だった︒
情 愛
当と 堅相 童剋
÷
こ と
簔堂E劃
高 評 ・ 橋
一
具 司
犬たちの物語でありながら︑しかも同時に原爆被爆者といわゆる被爆二世の問題をまつこうから主題とした作品と言ってよいのである︒
ここに作者の構想の卓抜たる所以 がある︒読者は脱走した犬たちの 物語をよみすすむうちに︑唐突に︑
しかし反感をいだくことなしに︑
物語の展開にそってきわめて自然
に原爆被爆者問題に逢着せしめら
れるのである︒児童用の図書とし
て刊行されながら︑それが﹁大人
のためのメールヘン﹂として軽々
にとり扱うことのできないおもい
意義を有するのは︑まさにこの故にである︒このように︑﹃脱走者たち﹄という作品は恥児童文学としても︑また﹁原爆文学﹂としても︑従来の類型になじまないかなり特異な作品だと言ってよい︒
愛の描写をめぐって しかしながら︑作品を展開する
作者の叙述と主題についての思索
には一定の限界があることもまた
指摘されねばならないであろう︒一読して︑作者は物語の展開を一
方的に︑男性の側からしか描いて
たかえもは人間ぎらいとなり︑人間不信におちいっている︒妻はおろか︑自分の息子たちでさえ信じ
ていない︒物語の終章︑キルンと
ランの巻族にたいする乱射のさなか︑たかえもは﹁子に銃をむけ﹂
て︑じろとさぶとを撃ち殺してし
まう︒そして︑たかえも自身は発狂してしまうのである︒ここで作者は︑戦争や原爆の非人道的な悪に灼かれて自ら非人間的な悪をも
って生き抜こうとする人間の運命
は発狂にほかならないことを告げているかのようである︒では︑原爆に灼かれた人間はどのように生きればよいか︒この問いに対して︑作者はただしんたとるいの愛をさししめすだけである︒
●●●●●
しんたとるいの愛の可能性﹃脱走者たち﹄の全編をつうじて︑作者がもっともふかい愛情と共感力とをもって描いているのは︑被爆二世の世代に属するしんたとるいである︒しんたとるいの関係は︑感覚的︒官能的な恋愛観や偏
頗な女性観から免れている︒だが︑
しんたにとって︑父と子の相剋の問題は決して解決していない︒また︑しんたとるいが将来生活を共にしつつ夫婦の愛を築き上げてゆくことができるという見通しも必
らずしも明らかでない︒
しんたとるいは︑この作品のな
● ●
いないという印象をうける︒たとえば︑ロンの登場において︑ロン
の内面はぜんぜん描かれていない︒
ロン自身のうちにも︑自由と独立
をもとめるつよい憧慢があるはずだが︑作者はロンの主体性を無視しているかのように思われる︒総じて︑この作品においては︑女性の位置づけがよわく︑女性自身の主体性がほとんど描かれていないという偏頗さを指摘することができるであろう︒女性の主体的な生き方と役割が描けていないのは︑作者が女性を男性の恋愛の審
美的対象としているからではある まいか︒あるいはまた︑作者が愛
を主として感覚的︒官能的なものとしてしか捉えていないからではあるまいか︒ランがじんべえ牧場に近ずいていったとき︑作者は︑﹁ミンとはくつの牡犬の強烈なにおいが︑ピンの鼻をしげきした︒ピンには初めてのつよい︑むせるようなにおいだ︒そのにおいに吸いよせられるように︑ピンの体じゅうの血がわき立つ思いがした︒﹂と書いている︒他方︑ピンの﹁ほそく形のととのった顔︒ゆったりと︑いかにも女らしいしなやかな体の線﹂を見て︑ランは﹁叫びだしたいようなよろこびが︑心の底からこみ
りたちの重要なモメントとなっている黒についての被爆者の迷信︑
砿舜紳峰一纒罐池詳〃罎姫醗唖一
体にくいこんだ悪魔の精︑黒犬どもは悪魔の化身といった迷信に染まってはいない︒しかし︑﹁子から孫に伝わる﹂という﹁ホウシャノウ﹂の影響を免れているという保障はどこにもない︒にもかかわらず︑作者が︑﹁るいは元気になった︒.:⁝しんたの体も︑すこしずつ仕事ができるようにかわっていった︒﹂と述べてこの作品を結ぶとき︑われわれは︑しんたとるいの世代にたいする作者の父としての生身の情愛がいかに切実なものであるかを知るのである︒しんたとるいにとって︑結婚愛︑|
父子の相剋︑被爆二世・三世にお一
よぼす原爆の後遺症といった問題は何一つ片付いていない︒にもかかわらず︑作者は︑しんたとるいの間に芽生えた愛に一楼の望みをつなごうとする︒しんたとるいに対する作者の情愛と苦悩のふかさは︑読む者をしてこの国における
被爆二世の運命について真剣に考
えさせずにはおかない︒この作品の現代的意義は︑他のいかなる点よりも︑ほかならぬこの点に存するように思われるのである︒
︵筆者は長崎造船大学講師︶
作者はこのように︑出会いにお一 上げて﹂くるのを感じる︒
11
● ●
描くが︑生活の中での愛はいっこ ける感官の刺戟をかなりこまかに
I
うに描かれていない︒作者自身の
生活信条と軌を一にすると思われる︑ごへえとその妻とのいたわり合いをのぞけば︑夫婦の愛情とい
ったものはほとんど猫かれていな
い︒それどころか︑性の牽引力と官能のよろこびとが薄らいだ夫婦
の間には﹃たかえもとその妻との
関係のように︑もはや相互不信と嫌悪しか介在しないようにすら思われる︒いずれにせよ︑作者の関
心は︑専ら恋愛に注がれていて︑
生活の中で育まれ︑生活を通して確認されるといった夫婦の愛を描くことにはないのである︒
父と子の葛藤をめぐって
恋愛とならんで︑作者がいきいきとした関心をよせているもう一つの関係︑父と子の関係についての作者の思索は︑特色のあるものである︒作者はこのテーマをキル
ンとランの﹁死闘﹂というかたち で提示する︒ランは︑たたかいに おいて優勢に立ちながら︑キルン
を思いきって攻めることができなかった︒父犬キルンのもつ﹁底力﹂を﹁たたきつぶさなければ︑自分が倒されてしまうだろう﹂というランのことばのうちには︑父と子
の相剋にかんする作者のぺシミス
ティックな考え方が示されている︒
長崎の証言の会発足以来五年のあいだ事務局長をつとめてきた広瀬方人さんが健康がすぐれず︵腰椎障害︶︑岡村進さんと更代することになりました︒これまでの献身的なご活躍と家族の皆様の暖いご協力に心より感謝を申しあげ︑
一日もはやい回復を祈ります︒
新事務所は岡村さんのお宅に移
りますので︑どうぞよろしく︒四月十三日の運営委員会で確認された新事務局三役は次の通り︒
事務局長岡村進︵総務︶
なお事務局としては︑三役のほか広瀬︑岩永︑清水︑末永︑鎌田︵信︶の六名が参加し︑運営委員会は従来通り︑秋月辰一郎︑山田かん︑山口仙二︑葉山利行︑築城昭平︑村里栄︑鎌田定夫の七名の
ほか事務局が参加します︒
︵編集部連絡先︶証言や通信編集に関する連絡は従来通りです︒
長崎市春日町一三六鎌田定夫
昂八五一○一︑鬮鯛三五四二
■証言の会事務局異動
︵事務所︶長崎市富士見町肥の7吊八五二︑閏長崎局剛四五六四〃 〃
次長次長 今田斐男︵渉外︶山本和明︵実務︶
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