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紹介される 本人の努力と 医療スタッフの熱意によってリハビリテーション訓練をしても 社会復帰どころか家庭復帰さえままならない状況があり 建物の改善が急務であると 建築界へアプローチされたのである この頃は 大学の研究室などでの研究の時代で 徐々にその成果は報告書になって紹介されていくのであるが まだ

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Academic year: 2021

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バリアフリーの変遷に関する一考察

-歴史をとおして-

北九州支部 後藤 武重1)

1)日本建築学会・日本福祉のまちづくり学会会員:徐州設計建築士事務所 西南女学院大学 非常勤講師 ※2006 年 2 月 20 日「福岡県人にやさしいまちづくり講演会」福岡県建築指導課主催の抄 録

現在、ハートビル法、交通バリアフリー法などの法整備が進み、1973 年政令 7 都市

が福祉モデル都市宣言をした当時のまちを思い出すと隔世の感がある。2001 年WH

O総会での国際障害分類 ICIDH(1980 年定義)の改定が正式決定され、国際障害分

類改訂版 ICF として承認された。今や世界は、個人の尊厳を第一とし、生活面でもユ

ニバーサルデザインへと移行しようとしている。この状況の中で、バリアフリーからユ

ニバーサルデザインへの歴史を報告する。

キーワード:ケネディ大統領・ゴールドスミス・バリアフリー・ユニバーサルデザイン・

ICIDH から ICF へ・施行例

1.バリアフリーの起源

1950 年代初め北欧から提唱されたノーマライゼーションの波にのり 1961 年 1 月 21 日ア メリカ合衆国 35 代大統領 J・F ケネディは就任演説の翌日、朝鮮戦争の傷痍軍人に対して の政策としてバリアフリー法案(米国建築基準法 ASA)を制定する。 この ASA を基にして、イギリスは 1963 年同様の法規を制定する。この法の制定に関わ ったゴールドスミス氏はその年に「Designing for the Disabled」を出版している。

この本が日本のバリアフリーのきっかけとなるのである。(1974 年 2 版 翻訳。1981 年 日本建築学会の招聘で来日

2.日本において

64 年リハビリテーション学会が設立した東京オリンピックの後のパラリンピックでは大 きなショックを受けた。外国選手の車イスと日本選手のそれとが全然違うのだ。まるでス ポーツカーと軽トラックのように。 70 年ゴールド・スミス氏前掲の著書がわが国のリハビリテーションのメッカである九州 労災病院の当時の院長天児民和先生によって一部翻訳され、日本にバリアフリーが初めて

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紹介される。 本人の努力と、医療スタッフの熱意によってリハビリテーション訓練をしても、社会復 帰どころか家庭復帰さえままならない状況があり、建物の改善が急務であると、建築界へ アプローチされたのである。 この頃は、大学の研究室などでの研究の時代で、徐々にその成果は報告書になって紹介 されていくのであるが、まだバリアフリーという言葉は一般社会には知られてなかった。 研究の報告として 72 年日本肢体不自由児協会は、「障害者の生活環境の研究Ⅰ、車イス 使用者の生活環境」を発行する。 73 年福祉元年とよばれたことは周知の通りである。この年北九州市を含む政令 7 都市が 「福祉モデル都市」宣言をする。この頃から「高齢化社会」という言葉が専門家の中で用 いられた。住宅都市整備公団はこの年に公営住宅の設備等を高齢者配慮とするとともに、 それによって増額となる工事費分に関しては補助の対象とする等、バリアフリーの対象が 身体障害者から高齢者へと広がる兆しを見ることができる。 74 年町田市は全国に先駆けて「福祉都市整備基準」を作成する。 75 年都立身障センターに住宅改造相談窓口が開設され日大建築学科の野村歓先生が担当 された。 この頃から建設省の身体障害者の利用を考慮した設計資料や、鉄道建築協会の「旅客駅 における身障設備の研究」等各省庁のバリアフリーに関する委託研究レポート等が学会を 始め、世に出てくるようになり、バリアフリーの考え方が研究室の中から一般市民の生活 へと活用され始める。 熊本には車イス使用者向けのハウスメーカーによるモデル住宅が建てられた。 各地方自治体は福祉都市を目指し、諸制度の見直しを含めて「福祉都市環境整備基準」 を作成し、刊行し始め 81 年の国際障害者年に北九州市が刊行した時点では 40 数都市が刊 行するまでになっていた。 80 年日本建築学会において、ハンディキャップ特別委員会が設けられると共に、同学会 による「建築設計資料集成」の単位空間の項に車イス等身障関係の資料が集成され、刊行 される。(浴室の項に施工例を寄稿。) 81 年建築学会はゴールドスミス氏を招き「専門家のためのバリアフリーセミナー」を開 催する。 82 年通産省の委託を受けた日本肢体不自由児協会は、高齢者、身体障害者ケアシステム の開発について報告書を提出。高齢者が身体障害者に加えて一般建築の中に位置づけられ るようになったのはこの頃からである。 86 年厚生省と建設省の連携により打ち出された 「地域高齢者住宅計画(住みよい街づくり) 推進事業」が創設される。 89 年(平成元年) 厚生省は大蔵省及び自治省の合意の下に「高齢者保健福祉推進十ヵ年戦 略(ゴールドプラン)」を作成する。

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この頃より民間企業による「家づくり講座」の中に、車イス使用者や高齢者に対する住 宅として段差のない床面、引き戸や手摺等、バリアフリーの考えが取り入れられるように なってくる。 東西ドイツ統一の 90 年、米国でADA法(米国障害者法)が制定された年、「高齢者の住宅 改築相談マニュアル」が全国社会福祉協議会から全国の社会福祉協議会に配布された。同 じく住宅金融公庫は「高齢化対応住宅リフォームマニュアル」を作成。翌年、高齢者対応 構造工事割増融資制度を制定する。 94 年ゴールドプラン中間年見直しの年ハートビル法が制定される。 翌 95 年九州初のハートビル法適用建物‘モール’がオープンした。 同年、PL法が制定され、 米国では、ロンメイスらがユニバーサルデザインを提唱する。 96 年住宅金融公庫は、 融資の対象に高齢者対応構造工事 (バリアフリー) を付け加える。 この時期から、マニュアルやガイドラインの整備が進み、全体の底上げが計られたが、こ の後数年、作り手がマニュアル頼りに陥って利用者不在になっているという指摘が出た。 同時に、想定利用者層が広がって多様なニーズが出てきたことで従来のような定石どおり の作り方の限界を窺わせた。しかしながら、バリアフリーという言葉は市民権を得つつあ った。 98 年介護保険導入にむけて、ケアマネジャーの新設。 2000 年介護保険導入の年、交通バリアフリー法が制定される。さらに、「住宅の品質確保 の促進等に関する法律」が施行され、それに基づき「住宅性能表示」が制度化される。 04 年障害者基本法が改正され、差別禁止条項が追加された。 そして 05 の昨年障害者自立支援法が改正され、介護保険が改正された。 今年は、交通バリアフリー法とハートビル法の現行 2 法を統合した「高齢者・障害者の 移動円滑化促進法案(仮称)」なる新法案を、国交省は年内施行を目指している。

3.ICIDH から ICF へ

01 年ボランティア国際年の年、WHO が「国際障害分類改訂版」を決定。ICF の概念に おいては、建物とこれを利用する人々が直接かかわってくる部分は第2部の背景因子に該 当する。 建物と介助する側とは、環境因子になり、介助されて利用する側の人々は個人因子に分 類されるとしている。 ICF の概念を表1に示す。 この表が意味することは、社会がバリアフリーになることによって障害者が参加してく るか、障害者が社会に出てバリアを指摘し、バリアフリー社会ができるのか、いわれて久 しい“社会が先か当事者が先か”の、古い問題の新しい解決方法のてがかりとなるのである。 注 1)ここで、ICF の個人因子での分類としては含まれていないが、この因子の関与は、さ まざまな介入の結果にも影響しうる。

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4.施行例から学ぶバリアフリー

中途障害者が自己の障害を現実的に受容できるか否かは、社会復帰に大きな影

響を及ぼす。

障害受容の概念は、身体的、社会的、心理的の 3 つの側面に適用されるという。身

体的には本人が障害の性質やその原因、併発症、予後についてよく知ることであり、

社会的には自己の職業や住居や家族その他に関して現実的であることを意味し、心

理的には自己の障害に関してひどい情緒的な症状を示さないことを意味するという。

その段階は 4 つの過程があるとされている。(スライド参照)

医療の進歩により入院期間が以前と比べかなり短縮され、患者の社会的、心理的

側面が追いつかないのが現状である。

住宅改造に関しても、当事者の意見を聞くにも本人にとって何が良くて何が悪いの

かが判断できないのが通常である。そのためにも、通常の設計

与条件リストに、付加すべき与条件リストがある。(スライド参照)

当事者ができることとできないことを引き出すもので、できないことに関して建築的

提案を試みるためのリストの一例であり、障害進行後のフォローと次のクライアントへ

の資料として参考にしている。

冒頭に述べたように今日と 30 年前と比べると隔世の感がある。

多くの障害者が利用できる建物が増えてきたことは、本当に喜ばしい。今後も、障

害者、高齢者のみならず、オストメイトや子どもへの配慮など、現段階からさらに飛躍

し、あらゆる人々にやさしく使いやすいものを、より多くの知恵を集めて創造し続けて

ほしいと思う。

3 年前木造在来工法でお寺を竣工したが、設計にあたっては本堂・納骨堂・門徒会

館・庫裏までバリアフリーにして欲しいとご住職から依頼された。バリアフリー、そして

ユニバーサルデザインがまちに広まっていく中で、ついに寺院までその波が来たかと

感慨深い今日この頃である。すべての人に対して、人間としての活動を妨げないユニ

バーサリズムは、ここまで広がってきているのである。

補足資料 TOTO通信別冊 2001 冬 28 頁ドキュメント

後藤武重

東陶機器(株)広告宣伝部

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参照

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