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市場と組織のインタフェイスのマネジメント--松下電器の流通系列化政策の歴史的展開---香川大学学術情報リポジトリ

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和 │ 香 川 大 学 経 済 論 叢 第 71 巻第 1 号 1998 年 6 月 79~131

市場と組織のインタフェイスのマネジメント

-ー松下電器の流通系列化政策の歴史的展開一一

相 餓

1.問 題 提 起 消費財分野における日本の寡占メーカーの流通系列化政策が,日本経済のパ フォーマンスと正の相関関係をもつものとして議論されてすでに久しい。日本 的商慣行の透明化というスローガンの下で最近、に入って内外から否定的な評価 が高まっているものの,各々の消費財分野の代表的な企業の流通系列化政策は, 相変わらず市場戦略の中核としてアカデミズムに多くの研究課題を投げかけて いる。 とりわけ,家電産業の最大手の松下電器産業(以下,松下と略する)の流通 系列化政策に関する研究はすでに数多い。家電産業がもっている日本の経済・ 産業・貿易構造上の比重の大きさと,そして家電産業における松下という超巨 大企業の不動の地位を考慮すれば,家電産業の最大手としての松下が,研究の 対象として頻繁に取り上げられてきたことは当然であろう。長い間,松下の流 通系列化政策に関する研究が旺盛に行われてきたのは,経営・マーケティング 戦略論などの領域で,そのような松下の今日の比重と地位を可能にした要因と して「はじめに松下の流通系列化ありき」という命題がほぽ定説として確立さ れているからであろう。 さて,長号│く不況と再三の流通革命の時代の到来と相まって,日本の流通系 列化の根幹が揺れ動いている昨今の状況において,日本の流通系列化の定型を いち早く築き上げた先駆者としての松下が,取り組んでいる流通革新措置が新 たに注目を集めている。本稿では,このように伝統的でありながら今日的な研

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-80- 香川大学経済論議 80 究 課 題 と し て の 松 下 の 流 通 系 列 化 政 策 を 改 め て 取 り 上 げ よ う と す る 。 本 稿 で は , 従 来 の 諸 研 究 の イ ン プ リ ケ ー シ ョ ン を 踏 ま え る と 同 時 に , 各 々 の 研究とは異なるスタンスと方法論, そ し て 主 眼 点 を も っ て 松 下 の 流 通 系 列 化 に 取 り 組 み た い と 思 う 。 す な わ ち , 研 究 の ス タ ン ス と し て , 以 下 の 記 述 で 明 ら か に な る だ ろ う が , 所 与 の 理 論 仮 説 の 妥 当 性 を 分 析 す る こ と で は な く , - 現 実 の 実 証 的 な デ ー タ と 理 論 的 考 察 と の ア ク チ ュ ア ル な 緊 張 関 係J(吉見, 1993, 79頁) を 共 感 的 に 理 解 す る こ と に ひ と ま ず 重 点 を 置 き な が ら , 方 法 論 と し て は , 新 た な 理 論 仮 説 ( 研 究 課 題 ) の 「 拾 得 」 を 目 指 す た め に , 松 下 に 関 す る 様 々 な 内 外 の 資 料 ・ 史 料 と 従 来 の 研 究 を 通 じ て , 松 下 の 流 通 系 列 化 の 形 成 ・ 展 開 ・ 変 化 の プ ロ セ ス を 歴 史 記 述 的 に 眺 め よ う と す る 。 そ レ て , と く に 強 調 し た い 本 稿 の 主 眼 点 と し て , 松 下 と い う 「 内 部 組 織 」 とそれを取り巻く 「市場」の間の「イン タフェイス」を巧みに管理しようとする「松下流」流通系列化政策の仕組みを, か か わ る チ ャ ネ ル 研 究 の 論 理 的 延 長 に よ っ て , い わ ば マ ー ケ テ ィ ン グ に お け る イ ン タ フ ェ イ ス ・ マ ネ ジ メ ン ト 論 と い う 視 角 で 捉 え 直 す や り 方 で 議 論 を 進 め て (1 ) 流通におけるヘゲモニーを巡って,消費財分野における寡占メーカーと大手流通業者 の聞の相互関係の変化とそれがチャネル研究に問いかけている課題については,前稿 (雀, 1997) を参照のこと。 (2 ) すなわち,第1,松下の流通系列化こそが,松下の今日のパフォーマンスに決定的な影 響を及ぼしたというポジティブな評価を下す,マーケティング戦略論的研究がある。たと えば,尾崎 (1989)および田島 (1991)が挙げられるだろう。そこでは主に信頼に基づく 共存共栄精神が強調されていると言ってよいだろう。第2は,それとは逆に市場の公正性 と寡占競争の問題点という見地で,松下の流通系列化が自社の発展には貢献したかもし れないが,市場全体の健全たる発展という面からは,少なからず逆機能を保っているとい うネガティブな評価をも下す独禁政策論的研究がある。たとえば,小宮・竹内・北原 (1973),新飯田・三島 (1991),中野 (1974) などの研究が考えられる。そこでは排他的 権力による市場支配意図への懸念が現れていると言える。第3,あらかじめ理論仮説を持 たず,松下の流通系列化の歴史を記述しようとする経営史学的研究がある。たとえば,下 谷 (1994),孫 (1992),岡本 (1979) が代表的である。 (3 ) ある社会現象の変容を見るにおいて,吉見 (1993)は,社会史とエスノグラフィーの手 法を使えば,疑似参加観察の効果があると考え,その方法をヒストリカルエスノグラ フィーと呼んでいる。とりわけ,その心構えとして「理論をはじめから完成させてしまっ て,既存のデータで正当化するのではなく,自分たちが置かれている現代の状況のなかか ら問いを発し,現実のデータをとおして理論を構想していくJ(吉見, 1993, 79頁)ことを 求めている。本稿でも,できる限り,そのような方法論的スタンスを採ろうとしている。

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-81-市場と組織のインタフェイスのマネジメント 81 いこうとする。 要するに,本稿では市場と組織の聞のきわどいグレイゾーンとしての流通系 列化とそれを動かす巧みな仕組みを,ある時点での静止した像としてではなく, 歴史的展開の動態的プロセスとして捉えながら議論を進めて行きたいと思う。 松下という寡占企業の行動パターンを長期的な観点を通じて眺望することが, 現代の流通系列化の動揺を見る視角においても貴重なパースペクティブを与え るかもしれないのである。

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-まず,松下の流通系列化がいち早く形成され今日に至るまでの歴 以下では, つぎに松下の流通系列システムの構成員の具体的な行動バ 史的プロセスが, さらに松下を巡って行われてきたいくつかの出来事や事 ターンが述べられる。 柄を分析することによって,松下の流通系列化が優れた経営・マーケティング 戦略として「共存共栄精神」の理念を経時的に徹してきたという理解とか, るいは最初から寡占企業の「市場支配意図」の現れに過ぎないという理解とか の従来の研究におけるステレオタイプが, あ いささか一面的過ぎるかを浮き彫り それから,松下の高度なチャネノレ政策としてのインタフェイス・マネ ジメントの手段とその巧みなダイナミクスの内容について記述される。最後に, にする。 (4 ) 本稿における研究方法論は最近流行の経路依存性を重視する比較取引制度研究と似た 側面がある。とりわけ,日本においての比較取引制度研究は r日本的」経済制度の特性 が日本の文化特殊性に帰属させられ経済合理性には欠けているという諸外国からの理解 に対する反論として注目を集めているようにj思われる。すなわち,それは,従来の欧米の 主流経済学の考え方とは違って,異なる制度環境(すなわち日本的制度環境)のもとでも, その歴史的経緯を辿っていけば,特定の経済制度(たとえば日本企業の商慣習や商取引制 度)は合理的経済主体行動の斉合状態として認識できるという経路依存的理解に基づい ている。本稿との関わりでいえば,今日の日本企業の流通系列化は,日本の制度環境から 見た際,その展開経路を辿れば非常に経済合理的な産物だと考えられるだろう。ただし, 本稿では,このアプローチと異なる考えをベースとしている。すなわち,このアプローチ が r法制度・政府規制・社会構造・価値観などの制度環境を外生事象(変数)として, 取引主体聞の経済合理的相互作用という内生事象としての取引関係,さらにその相互作 用の斉合的かつ安定的様態としての取引制度を生み出すJ(小島.1996 a ; 1996 b)と標 務していることとは違って,本稿では取引主体がかえって制度環境を創り出す側面こそ が震要だと考えている。すなわち,外生事象と内生事象の区別を行わず,寡占メーカーが 創り出した現実としての流通系列化と制度環境との相互作用に注目しようとする。 (5 ) これについてより詳しい議論およびケース研究は,石井・石原 (1998)を参照のこと。

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-82- 香川大学経済論叢 82 松下の流通系列化政策の歴史的展開と変容のプロセスが,市場と組織のインタ フェイスとしての流通系列化を研究すべきマーケティング・チャネル論に問い かけるものは何かが語られる。 II“松下の流通系列化政策の歴史的展開 松下の流通系列化政策を分析するにおいては,様々な切り口があるだろうが, 本稿では,松下の流通系列システムの構成員, すなわち,流通系列化を図ろう としての寡占メーカーの松下の行動と,能動的であるにしろ と試みる「主体」 受動的であるにしろ松下の系列網に編入されてしまった「客体」 としての諸販 売組織の行動を,共に歴史的に記述するところから,議論を進めることにした い。そのために本節では,とりあえず,家電産業全体の歴史的展開を考慮しつ つ,松下の流通系列化政策の生成と展開,変容の経緯を行為主体としての松下 を中心として,戦前から最近までのいくつかの時代区分を通じて記述し,次節 では,松下の流通系列システムに関わる諸販売組織(具体的には,社内の営業 販売会社を含む卸売業者,量販店と系列小売庖などの小売業者等々) の 組織, 動向を紹介することにしたい。 十基盤整備期:創業から終戦直後まで 松下の流通系列化行動を見る前に,ひとまず,戦前の家電産業における流通 システムの様態について述べよう。尾崎(1989)は,当時の家電流通の状況が, 現在のそれと異なる点として,第1に,全体として流通のリーダーシツプを卸 売商(問屋)が握っていたこと,第

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に,家電製品専門の却売商や小売商が少 なかったので,家電産業が未だ一つのまとまった産業として社会的に認知され なかったこと,第3に,戦後の家電産業の流通構造を決める小売レベルの系列 化である連鎖庖制度が見られ始めたことを挙げている。さらに, その当時の代 表的製品として電球,電池,ラジオ,扇風機,配線器具等々があったが,注目 すべきこととして,取扱いに危険が伴う電気製品の特性のため,製品自体の情 報に加えて,製品設置に伴うサービスとアフターサービスの提供が求められる

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83 市場と組織のインタフェイスのマネジメント 83-という意味でメーカーと流通業者と消費者との聞には早くから信頼感に基づく 結びつきが自然に生まれてきたという特徴をもっていた(新飯田・三島, 1991)。 このような家電産業の状況の下で,松下は, 1918年に創業者の松下幸之助氏 によって松下電気器具製作所として設立される。松下は,絶えざる技術革新を 通じて,こまたソケットをはじめ数多くの新製品を短期間に市場に出すことに よって,当時の家電ブームと相まって飛躍的な発展を遂げていた。流通との関 連でいえば,尾崎 (1989)が述べたように,松下は,まずは代理屈制度の原型 を確立することから力を入れ,次はそのような流通チャネルの優位性という面 から支えられ多角化と規模拡大を急速に進め,さらに乱売競争を防ぐために推 し進めた連盟庖制度という小売系列化にも着手することによって,短期間に中 堅メーカーの地位につき,来るビッグ・ビジネスへの橋頭宣を確保することが できた。 このような松下の急成長は, 1938年の戦時総動員法による戦時体制への突入 によって,松下もいちおう市場経済から撤退させられ,軍需品の生産を強いら れるようになるまで続いた。ただし,たとえ松下が他メーカーと同様に戦時体 制によって市場から隠されるにしても,戦中の配給経済のなかで,松下は販売・ 流通問題からいちおう解放され生産に専念できたために,来る戦後の流通系列 化の完成と相まって生産と販売両面において,世界の松下としての飛躍を準備 できたかもしれない。 2.再建および初期拡大期:戦後から 60:年代中盤まで 自ら社史で戦後しばらくの期聞を「戦後苦難期」と命名したように,松下は (6 ) 松下の戦前期を諮る時には,市場経済から遊離される前までの,すなわち 1918~1937 年の20年間が対象となる場合が多い。ただし,風呂 (1995)で指摘されたように,戦時 の流通を「空白の歴史」と見るのは誤りで,戦前と戦後を架橋する有意味なものとして見 るべきだと思う。本稿で,松下の基盤獲備期を戦中までを入れてとらえるのは,そのため である。 (7) これが戦時の流通の存在を否定するわけではない。「通史的観点、からすれば,縦型特約 庖制は,戦前はもちろん,そして戦時においても機能するJ(風呂, 1995, 409頁)ので, 松下の系列網もこの時期において暗に機能していたと推測できるだろう。

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-84ー 香川大学経済論叢 84 一時的な創業者の強制退陣が象徴するように経営危機に直面する。しかし,こ の時期は,戦後の混乱の中でも基本的に物不足の時代,すなわち供給過小時代 であった。作ればすぐ売れる時代でもあったために,松下はすぐ再建期に突入 できた。 1953年の,いわば三種の神器の登場と朝鮮戦争特需による景気回復過 程で,松下をはじめとする大手メーカーは次第に生産体制を整備できた。 民放ラジオ局の開局とテレビ放送の開始による広告・宣伝の活発化によって, 家電製品需要が急速に伸び始めるが,従来の弱電系メーカー(家電専門メー カー,すなわち松下,三洋,シャープなど)だけではなく,重電系メーカー(総 合電機メーカー,すなわち目立,東芝,三菱電機,富士電機など)も積極的に 家電製品の生産に取り組むことになったので,市場におけるメーカー聞のシェ ア競争は次第に激しくなる。さらに,これら家電総合メーカーの他にも,通信 や音響関連の専門メーカーも市場に参入した。こうして,1955年以降,家電メー カー各社は,専用生産ラインの新増設,下請生産系列企業との関係強化などを 通して,低コストの量産体制を確立し,新製品を続々と市場に出しながら,市 場競争に臨んだ。 寡占企業聞の競争パターンの典型として,このような生産段階での競争と同 時に,販売体制の整備が新たな競争の次元になることは容易に想像できるだろ う。ただし,この時期までには,家電メーカーの販売段階における競争は,あ くまでも卸売段階での販売店の確保にあった。これを裏を返していえば,家電 メーカーの大量生産と消費者の旺盛な消費に対応すべき流通業者は,卸売商に しろ小売商にしろ充分な販売力をもっていなかったので,大量生産と大量消費 を結ぶ流通経路を開拓するためにも,寡占メーカーは自ら「流通系列化」戦略 を採用しなければならないと悟ることを意味する。さらに,主要家電メーカー は,アメリカのメーカーが先に経験したように,まもなく台頭しつつあるマー ケティングの時代の先決課題として自社のブランド名を確立するためにも,自 前の流通系列網の構築の緊急性に追われた。 松下は,とりわけ流通系列化に力を入れ,戦時中に機能麻痔に陥っていた自 前の流通系列網の再建に取り組んだ。まず,小売段階において,松下はすでに

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85 市場と組織のインタフェイスのマネジメント -85-戦前に発足させていた(後述する)連盟庖制度を強力に推進し,ナショナノレ・ ショップ制を導入した。一方,卸売段階の流通系列化の切り札として他社より 早く「販売会社」の設立に取り組むことによって,販売会社を通して系列小売 商の管理までを可能にさせる流通系列システムを作り上げた。ただし,この時 期においては,いまだ松下と,系列化された地区販売会社と系列小売商の関係 は緩やかな形であったことを断っておきたい。 結果的に,松下を先駆者として,他の主要家電メーカーも急いで自前の流通 系列網の整備に取り組み,この時期までに,ほぽ系列販売網組織としての流通 系列化の原型が出来上がった(新飯田・三島,

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1)。 3 "本格的拡大期:オリンピック不況からオイル・ショック期まで

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年代に入って,それまでの花形製品であったテレビや洗濯機市場が成熟 期を迎え,さらに

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年の金融引き締め政策によっていわゆるオリンピック構造 不況が到来した。 不況で消費が停滞すると,系列販売網の不備が一気に表面化することになっ た。具体的にみると,家電業界全体にわたっての需要停滞を打開するため,各 メーカーは,自前の販売系列網に対して各種リベートの提供による過度の売り 込み販売を強要するが,それがリベートを原資とする卸売商による過度の値引 き販売を助長したため,結局はすべての流通系列構成員が,利益率の低下,決 済期日の長期化,資金繰りのための大量値引き販売,採算悪化に苦しみ,まも なく卸売商と小売商の倒産といった連鎖的な悪循環の事態が発生した(新飯 田・三島,

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;

加藤,

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)

。 このような業界全体の危機への対策として,まずは,テリトリー制(1地域

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販社制)の採用と資本参加あるいは役員派遣を内容とする販社や総代理屈の 整備が行われ,次に,へルパー派遣や庖舗補修などの各種の助成策を自社製品 の取扱い高と専売率によって差別化したり,実績によってリベート支給率に格 差をつけたりする系列小売商への差別化が図られた。 以上の流通系列網再構築の試みが効果を発揮して,ほぽ

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年頃までに,

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-86- 香川大学経済論叢 86 メーカー・系列卸売商・系列小売商を結ぶ家電の流通系列チャネlレは,大量生 産を可能にする安定的・継続的な製品供給システムとしての機能を果たせるよ うになった(新飯田・三島,

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1)。特記すべきは,系列以外の大型庄がこの時 期に家電流通に参加したことである。スーパーや百貨店が急成長を遂げ,大型 家電専門量販庖がパイイング・パワーを増していた。

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年には,

NEBA

(日 本電気専門大型j吉協会)が誕生する。しかし,このような非系列販売ルートの 登場は,後に説明するように決して家電メーカーにはマイナス要因だけではな しかえって販売ノレートの多様化をもたらしたために,メーカーにはプラス要 因として働いた側面もある。とにかく,現在見られる家電の流通は,

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年代中 盤以降に顕著になるディスカウンターをのぞけば,ほぼこの時代に成立したと いえる。 言うまでもなく,松下は,上記の販社整備や系列小売商への差別化の先頭に 立っていた。松下は,

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年より実施された製品別地域別販売会社制を

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年か ら各社全製品販社制に切り替えるが,それが同一地域内で数社の販社が混在す ることから,混乱が加速するという思わぬ事態を起こしたため,素早く自前の 流通系列網改革に取り組んだ。とくに,乱売,在庫増加,手形債務の膨張等々 の流通段階の極端な混乱状態が続いていた

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月に全国の販社,代理屈

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社を招いて熱海会談を開催するが,これについては後述する。 松下は,独禁法違反やニ重価格などの問題のため,激しい不買運動に直面す る場合もあったが,概ね,この時期の松下の流通系列化戦略は,連盟庖から専 売庖へ,製品別・地域別の取引から全社的取引へと次第に深化していったとい える。この時期までには,松下の流通系列化がほぼ完成され,雄大な管理シス テム的チャネルが作り上げられた。 4.. 流通戦略転換期:70年代中盤からバブル終息期まで 二度にわたるオイルショックと

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年以降の急速な円高などの環境変化に よって,日本の経済構造も,消費多様化,経済ソフト化,グローパ1レ化,情報 化の波に乗っており,それに伴って流通インフラの革命も進展するようになっ

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87 市場と組織のインタフェイスのマネジメント 87 -た(田村,

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とりわけ,プラザ合意を契機にして,製品輸入の拡大と家電メーカーの内需 への戦略シフトの影響で,家電流通の分野において,大きな転機が訪れる。大 型家電専門庖を筆頭として,ディスカウンター,ホームセンターなどの非系列 大型小売屈の成長が目立ち,系列小売庖のシェアは明らかに低下しつつある。

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年代に

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割を切った系列屈の比重は減少し続け

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年代に入っては

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割台 を維持している。とりわけ,量販庖と系列庄の地位が逆転しつつ,家電メーカー にとっても,対量販庖戦略が従来の敵対的取引関係から長期的パートナーシッ プ関係として認識せざるを得なくなっている。 このような量販庖との関係の変化に伴い,メーカーの販社戦略も概して統合 化・大型化・広域化の方向に向かっている。さらに量販庖専門販社の設立も目 立つようになった。家電メーカーが,本格的に系列網の機能の垂直統合と委譲 に取り組んでいた(尾崎,

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。 一方,松下のチャネノレ戦略は,他メーカーの全面的な戦略転換とは違って, 極めて慎重に行われていた。それは,松下が抱え込んでいる販社や小売系列庖 の数が他社より圧倒的に多いということによる身動きの鈍さに基づくだろう。 共存共栄精神をスロ」ガンとして先駆的に流通系列網を構築してきたチャネル 戦略のリーダーとしての松下も,ここにきてはむしろフォロワー的行動を採っ ている(尾崎,

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, 246頁)ようにみえる。表向きでは,信頼に基づいた長期 継続的取引関係を強調し,流通系列網を維持するスタンスを辞さないが,まも なく流通価格革命を迎えることになる。 (8 ) 尾崎(1

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1)は,この時期の松下のチャネル戦略の特徴として,第1に,業界に先駆砂 て積極的な系列庖活性化運動を推進していること,第2に,専門量販庖の流通支配に対す る対決姿勢が他メーカーよりは鮮明であること,第3に,他社とは違ってディスカウン ターとはいまだに正式取引を拒否していること,第4に,販社統合がかなり遅れているこ と,第5に,商物一致を維持させながら配送業務だけを販社から分離する「商配分離」を 進めていること,第6に,販社と系列庖間の情報ネットワークは先行しているものの,調 達から生産・販売までのトータルなオンライン化が立ち後れていること,等を挙げてい る。

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88 香川大学経済論叢 88 5 流通革命の嵐の中の新調整期・ 90年代以降 平成不況が長期化することによって家電業界においてもいわゆる「家電不況」 が長期化している。家電流通において,まさに「淘汰の時代」が到来している。 相変わらず,共存共栄精神を唱え,これまで苦労を共にしてきた系列庖に厚 く報いてきた松下も,いよいよ「販売量に見合った報酬を」というリベートの 原点に立ち返った(日本経済新聞社, 1993)0 1992年 3月に松下は系列小売組織 の再編を表明し,ナショナ1レ庖会を解散した。その代わりに松下の商品をよく 売る 19,

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屈に絞った販促集団マスト (MAST;マーケット・オリエンテッ ド・エース・ショップ・チーム)を発足させる。そして, 95年 9月には,松下 が

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年前に経営危機に陥った時,起死回生のきっかけを掴んだと評価される 64年の「熱海会談」が開催された同じ場所で「新熱海会談」を開催する。 松下電器の流通系列化政策には慎重さが見える。端的に 1996年には松下の従 来の流通系列メンバーとのパートナーシップを改めて強調するために rあなた の街のでんきやさん」キャンペーンを中心内容とする「地域電器専門庖復活宣 言」を行って今日に至っている。一方, 97年に入ってからは,営業本部の極小 化と販社の自主責任経営の実現のために,流通系列網の大手術を匂わせる「発 展

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年計画」を発表した。松下電器の今後の系列庖への基本的考え方は,穏 健策と強硬策の同時的実施になることが窺える。 III..松下の流通系列システムの構成員の行動 前節では,松下の創業から現在に至るまでの歴史的プロセスを,家電業界全 体のそれに照らして見てみた。本節では,より具体的に,松下の社内関連部門 をも含めての松下の流通系列システムの構成員の具体的な行動ノfターンを,ひ とまず戦前におげる「初期的系列化の時期」と戦後から高度成長期へ至るまで の「本格的系列化の時期」を中心として見ることにしたい(最近の松下の流通 系列化政策の動向については節を変えて述べる)。松下の流通系列化がほぼ完成 されるまでの流通チャネルの状況を表すく表1>を参照しながら議論を進めた しユ。

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89 市場と組織のインタフェイスのマネジメント -89-〈表1>松下の流通チャネル ー一ーー一 販 社 代理底1) 営業所 出張所2) 連盟庖 1949.12 240 6 4 6,000 51. 5 3 420 7 4 31,150 52. 7 5 不明 8 20 33,000 53. 11 不明 250 8 27 30,000 54.. 11 不明 560 8 36 30,000 55. 11 不明 580 13 39 30,000 56. 11 不明 580 13 44 40,000 57. 11 不明 550 13 42 40,000 58. 5 72 381 13 26 40,000 58. 11 88 367 13 18 40,000 59. 11 106 226 13 40,000 60. 11 106 210 15 40,000 6l. 11 112 222 17 40,000 62. 11 178 210 17 40,000 63. 11 198 221 21 33,000 64. 11 221 220 22 33,000 65. 5 206 30 22 34,000 65. 11 174 21 32,000 66. 11 176 22 32,000 67. 11 188 22 33,000 68. 11 197 22 34,000 69. 11 210 24 36,000 70. 11 228 24 38,000 71. 11 234 24 38,000 72. 11 234 24 38,000 出所:孫 (1992)よ れ 注 1) 1965年以降販社に吸収される。 2) 1959年以降販社にその機能が移転され廃止される。 1 ..社内の営業部門と前期的系列化 松下の流通系列化政策の展開は,最初は,基本的には松下の社内の地域別の 営業所(支庖)によって,社外の卸売商と小売商を徐々に管理されたシステム に近い形で再編していくプロセスで捉えられる。 (1 ) 営業部門の整備 まず,松下の社内の営業部門について述べよう。松下は,

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年の東京出張

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- 90-ー 香川!大学経済論叢 90 所の設立からはじめ,本担の営業部による総括の下に数多くの支庖(営業所) を設け,積極的に販路を拡張していった。販売担当地域を分け合った各々の支 店が,外部の卸・小売商を通じて全国的な販売網を構築したのである。しかし,

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年に抜本的な組織再編による製品別事業部制が導入され,まもなく

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年か らは分社化への移行が行われる。それによって,新設の事業部や分社などの個 別単位ごとに独自の営業課が設置されたため,本社の営業部は廃止され,支庖 網の管轄はそれぞれの事業部や分社に移管される。自主責任経営単位としての 事業部や分社によるそれぞれの「製販一致」の体制を整えて,マーケットのニー ズをより直接的に伝達する組織体制が構築されたわけであるが(下谷,

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, 9頁),戦時の統制経済の時代への突入によって中断されてしまう。 戦後,中断された営業網の再建にあたって,

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月に営業部を設置し,

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年から

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大都市に営業所(支庖)を復活させる。

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年には,さらにその下に 出張所を設けるが, 50年に松下は再び事業部制を再開させ,営業部を廃止する (当然,営業所は各事業部に配属された)0 50年代後半,全国的な販社体制に突 入する前の

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年の時点で,<.表

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>から分かるように全国

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ヶ所の営業所と

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ヶ所の出張所を通じて, 580庖にものぽる代理庖(専売代理屈・混売代理屈・ 製品別特約庖などで構成)に卸された(孫,

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)

。販社の設立が本格化される ことによって出張所は次第に廃止され販社に吸収されていく。

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)

初期的系列化 次に,初期の外部の卸売商・小売商の系列化について見てみよう。上記の全 国的な支庖網の形成とともに,松下は外部の卸売商や小売商の系列化にも力を 入れる。とはいえ,創業期の数年間は各地の卸売商や小売商へ直接に売り込む しかなかった。 却売商の系列化 まず,代理屈について。松下は,

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年の自転車電池式ラ ンプの販売にあたって,初めて新聞広告で代理屈を募集するが,続く新製品の 発売に伴い,代理屈制度を次第に定着させていた。最初は,あくまでも口頭契 約の形にすぎなかったが,

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年以降になってからは書類契約を交わすことにな

(13)

91 市場と組織のインタフェイスのマネジメント 91-る。 30年代初めのラジオ,乾電池の製造によって,松下には,多くの卸売商か らの代理屈申請の申し込みが殺到する。当時までは代理屈契約を結んでも他 メーカーの製品も並行的に扱う仕組みとなっていたので,松下は32年,松下製 品の販売に専念させるために,特定の製品においては松下のものしか扱わない という製品別の専売代理屈制(部分専売)を推し進めた(下谷, 1994, 10頁)。 その代わりに松下がその専売代理庖に特恵を与えたことは容易に予想できる。 この代理庖制度も戦時経済体制の突入によって中断されるが, 1946年になっ て復活する。戦後の代理屈制度の行方については,次項の「本格的な卸売段階 の系列化」における「販社の展開」との関連で,再度言及する。 小売商の系列化 次に初期的な小売商の系列化について。上記のように,松 下は卸売商に対して代理屈制度を通じての初期的系列化を図っていたが,それ とともに,当初から代理屈を通り越して小売庖と直接接触する試みを行った。 1935年から始まった小売商系列化の試みとしての「連盟庖」制度の創設は,そ の典型的な現れである。 既述した通り,家電業界では,すでに1930年代初めから蟻烈な乱売競争によ る顧客争奪戦が繰り返されていた。とりわけ,松下は33年にラジオ受信機とい う革新的商品を発売するが,代理屈レベlレから激しい価格競争が行われたこと が,連盟屈制度導入のきっかけとなった。この連盟庖制度こそ r乱売合戦に疲 弊していた代理屈や小売庖を救済し,メーカー・代理屈・小売届三者の共存共 栄を図ろうとする目的J(下谷, 1994, 11頁)をもって創設されたと長らく人口 に脂表されてきたものにほかならない。しかし,やはり本格的な小売商の系列 化は戦後を待たなければならない。それについては後述しよう。 (9 ) 代表的には,1933年から配当金付積立金制度が開始されたことが挙げられるだろう。具 体的には,松下からの毎月仕入額の3%分をそれぞれの専売代理底名義で松下が積み立 て,年2回の決算期に松下の当期の業績を勘案して配当金として与える形をとっている (下谷, 1994, 10-11頁)。 (10) 例えば,松下は, 1927年から小売販売庖向けの機関誌・松下電気月報を発刊するが,そ の創刊号でこれまで双方接する機会なし充分の認識理解も得られなかったが今後は 親密な連絡のもとに棺互の理解を深めたいJ(松下,1979, 62頁)と書かれている。これに ついてより具体的な内容は,下谷 (1994)と岡本 (1979下)を参照のこと。

(14)

92 香川大学経済論叢 92 2 .本格的な却売段階の系列化 戦時中,機能麻揮に陥った流通系列網の再建のため,松下はいち早く代理屈 制度を1946年から復活させた。そして, 49年には既存の代理屈を会員とする 「ナショナル共栄会」を結成し,松下本社の営業所単位ごとにそれぞれ地区分 会を編成し, 50年に第1回全国大会を聞いた(下谷, 1994, 15頁)。前記のく表 1)から分かるように,代理屈は当時240庖からはじまれ 55年には580屈ま で増えたが,しかし,販社制度の導入とともに減少していった。最初は,多く が他メーカー製品をも扱う混売代理屈であったが,次第に専売代理店に移行し た。 このように,松下は,戦後早くも代理屈を組織化するなど,もっとも強力な 販売網を抱えていたが,さらに本格的に系列化を進めていた。すなわち,各地 方の有力卸売商との合弁形式(松下の出資比率は30---50%)により,専売のナ ショナル製品販売会社を50年代はじめから設立していた。 1951年の京都ナ ショナル製品販売会社が,松下の販売会社の晴矢(中野, 1974, 6頁)として 知られているが,しかし,販売会社が全国的規模で本格的に設立されるのは, 50年代中盤を過ぎてからであった。 1950年代中盤以来,高度経済成長期への突入と重電機メーカーの家電業界へ の参入などによって,家電業界における競争が激化し,再び乱売と値号│き競争 によって市場の秩序が乱れるようになる。松下は,その打開策として, 56年に 「五ヶ年計画」を発表したが,その中核が流通網の再編であったことは言うま (11) 具体的に三者間の相互関係を見てみよう(下谷, 1994, 11-12頁)。松下は,各代理底毎 に主要な取扱小売商をリストアップしてもらって,連盟f苫として登録させる。登録小売商 は1代理屈だけから仕入れることになり,代理庖ごとの小売商の系列化が試みられる。こ れによって,代理底は安定した需要を確保でき,連盟庖も代理屈との安定した取引のた め,顧客サービスと販促に遁進できた。一方,松下は,代理庖からの報告によって,各連 盟庖に対してその仕入れ成績に基づき年2回の感謝配当金を渡すことになっていた。 (12)松下の流通系列システムの基本はすでに戦前、で出来上がったが,戦後の新たな流通系 列化行動としての松下販社の登場とそれに追従した他メーカーの販社設立への使乗こそ が,日本の家電業界の流通系列化の中軸的な部分を構成している(松下,1980;孫,1992; 新飯田・三島, 1991;下谷, 1994)ことはよく知られている。

(15)

93 市場と組織のインタフェイスのマネジメント -98 でもない。松下幸之助氏が,かねてから「メーカーは代理屈の工場であり,代 理屈はメーカーの支屈であるJ(松下,

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頁)と強調した通り,松下に とっては,その当時まであいかわらず個人企業的,問屋的色彩が強く I単なる 物流の取次庄の域を出ず,マーケティングに精通しているとはいえなかった」 (新飯田・三島,

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頁)代理店へメスを入れざるをえなかった。松下の 本格的な販社制の導入は,このような時代背景の下で,代理府への資本参加と いう形で

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年から行われた。その際,

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地域

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販社制のいわゆるテリトリー制 で,松下と代理店の共同出資が原則で,販社の経営者は主に旧代理屈の経営者 であったが,一部は松下から出向する場合もあった。松下の積極的な販社制の 導入に刺激され,他の主要家電メーカーもそれぞれの販売会社網を作り上げて いった。 松下の場合,その形成が早かったので,優秀な代理屈を取り込むのに成功し た(下谷,

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買)。ちなみに,その当時の優良問屋はすべてのメーカーが 自社の販社に編入することを望んだ、。したがって経営基盤の強い都市圏の一部 大手問屋の中には複数メーカーの販社になったため,わざと特定メーカーの専 売販社になって特定メーカーの系列統制を受けなかった例も散見された。一部 ではあるが,問屋あるいは代理屈が,かならずしも松下あるいは他メーカー専 属の内部組織化を望んだとは言えず,自ら商人の社会性・独立性(風呂,

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を貫くしたたかさを呈していたと言える。 松下の販社制度は,その後,様々な試行錯誤を経てきたが,松下の高度成長 を支えてきたことは疑う余地がない。しかし,

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年以降,革新的な新製品を 欠いたまま失速した家電市場の状況の下で,着実に販売実績を増してきた量販 庄の成長は,他メーカーもそうであるが,とりわけ業界最大の流通系列網を抱 え込んでいる松下にとって,従来の系列化の考え方を変えずにはいられなかっ た。

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年代はじめ,松下を含めて,すべてのメーカーが,流通系列化の改革に 急いで取り組んだのが,他ならぬ販社の改革,すなわち販社の大型化と広域化 (13) これについては,孫 (1992: 1994)が詳しい。

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94- 香川大学経済論叢 94 であった(尾崎, 1991)。 く表

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で示しているように,松下を筆頭にすべてのメーカーが販社の統合 に転じている。量販庖の成長と系列小売店のシェア低下,それに応えての販社 合理化が目下展開されている。松下においても 72年に234社,80年に239社も あった販社が,販社再編が本格化した 83年には101社に減少し,さらに90年 には58柾,

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年現在には

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社にまで減っている。 〈表

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家電メーカー別販売会社数の推移 ¥ ¥ ¥ 松 下 東 芝 目 立 三 菱 三 洋 シャープ ソニー 1980年 239 101 86 71 89 12 35 1990年 58 8 17 14 7 1 19 1996年 26 14 9 1 1 2 l 出所:尾崎 (1991)及び日経流通新聞各号 3川本格的な小売段階の系列化 松下は戦前まで存在した製品別連盟庖制度を1949年に復活するが,まもなく 52年に総合連盟庖制度に変えた。 49年の主要商品はラジオ・乾電池などであっ たが, 50年から 50年代中盤までは,洗濯機・テレビ・冷蔵庫などの新製品の登 場で,既存の製品別連盟庄では多様化した製品構成に対応できなかったため, 総合連盟庖に改められたのである(下谷, 1994)。前記のく表1>でも示された ように,連盟屈の数は1949年当初には6,000庖ほどであったのが,50年代中盤 以降には約40,000屈にまで増加した。この連盟庖制度は,個々の加入小売商に とっては,販売製品の拡大や事務の効率化という利点が,松下にとっては商品 に貼付されている「共益券」や「共栄券」の返送状況から製品別・地域別販売 (14) 販社統合による大型化と広域化の狙いとして,尾崎(1991)によれば,第1,量販庄の 多底舗化と広域化に対応するために,第2.販社の管理部門の集約化・合理化によって浮 いた人員を営業とくに系列庖援助に回すために,第3.物流拠点を大型化し効率的な物流 体制を構築するために,などが挙げられる。

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95 市場と組織のインタフェイスのマネジメント -95-状況などの市場情報の獲得という利点があった(下谷, 1994, 16頁)。 連盟庖制度の復活と前後して地域単位および代理屈単位に,これらの小売商 を結集して「ナショナル会」が結成されるが, 1957年には「ナショナノレ庖会」 に改造され,優秀な連盟庖だけを選別した。さらに,同じ 57年から松下製品の 取扱い量が多い専売店・準専売庖を選んで,ナショナル・ショップと命名する 「ナショナノレ・ショップ制度」を始める。ナショナノレ・ショップは,概して松 下製品の専売を基本原則としており,その返しとしてのきめ細かな小売商援助 と,安売り防止のための管理対策(たとえば,庖舗改装への援助,車両購入へ の援助,拡販行事への援助,リベートおよびボーナスの支給,経営相談,従業 員教育など)を講じた。このように松下は数多くの連盟庖を組織するに加えて, さらにそれらを専売率によって,ナショナル会(専売率 30~49%) ,ナショナノレ 庖会(同 50~79%) ,ナショナル・ショップ(同 80%以上)などの段階に格付、 けし,強固な流通販売網を作り上げた(岡本, 1979;下谷, 1994)。 〈表 3>主要家電メーカーの系列小売腐の数 ¥ ¥ 系列庖の名称 60年代 70年代 80年代 90年代初 1996年1) 松下 ナショナルショップ 10,000 17,000 26,000 25,000 21,000 (58%) 東芝 東 芝 ス ト ア 5,500 7,600 12,000 10,500 8,000(40%) 日立 日立チェーンストール 3,400 5,800 10,500 9,000 7,500(35%) 三菱 三 菱 電 機 ス ト ア 3,300 3,700 4,300 4,000 3,800(30%) 三洋 三洋ばらチェーン 4,100 4,400 4,550 4,600(40%) 出所家電流通データ総覧'97~ 等。ただしいずれも推定値。 注 1 )括弧の中は、系列小売j苫での販売比率の推測値を表す。 前述の販社と同様に,松下の対小売系列化行動も,他のメ‘ーカーによって引 き続き追従された(く表

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を参照)。それは,不毛な乱売競争を止揚しプラン (15) これについては r連盟底制度は,いわば松下電器と全国の販売底を直接に結ぶ制度と して,ナショナノレ会は,地域市場において代理底を紬に販売庖との交流・緊密化をはかる 組j織J(松下, 1980, 58頁)という社史の言及が参考になる。

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-96~ 香川大学経済論叢 96 ド忠誠を確保できるものとして高度成長期の家電メーカーのマーケティング戦 略の基本軸となっていた。ただし,松下と系列小売庖の堅い結束関係は,一方 では消費者の利益とは必ずしも合致せず,消費者運動の原因となっており,量 販庖やスーパーなどの非系列小売庖の登場によって徐々に消費者から背を向け られるようになっていく。 4わ量販届の台頭 松下の流通系列化政策を語るにおいて,量販庖1レートをどう扱うべきかは論 争の余地がある。一般に量販屈は,松下の流通系列化行動を妨害する,いわば 外たる敵として認識されていた。確かに,前節で概略したように, 1972年の

NEBA

の設置から始まる量販庄の躍進とそれによる自前の系列構成員の動揺 は,松下の流通系列網の最大の障害要因であった。 しかし,量販庖と松下(あるいは一部の他メーカー)の関係は量販庖の起源 と成長の諸段階において決して敵としてだけでは捉えきれないものがある。量 販屈の前身として,第

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に,メーカーの系列化を嫌って小売業に転業したかつ ての卸売商,第

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に,従来,衣料,食料品の分野で強力な販売技術を蓄えたスー ノfー・マーケット,第3は,一般小売商から急成長したグループで,東京の神 田・秋葉原,大阪の日本橋で営業した量販庖が取り上げられる(通産省, 1971; 中野, 1974;孫, 1992) ことをみれば,その側面は推測できるが,これについ ては後述することにしよう。 1970年代以降には各家電メーカーも量販庖専門の販売会社を設立せざるを 得なくなっていた。松下も 79年には量販庖向けの専門販売会社を新設した。松 下をはじめ各々のメーカーが系列小売庖優先主義に揺らぎはないと強調してい たものの,自前の流通系列網の再編はすでに避けられない課題となっていた。 その基本戦略は明らかである。優良系列庖の選び出しと系列外ルートの拡大で (16) ヤミ・カルテJレ事件や消費者f不買運動などとそれに基づく松下の流通系列網の再編に は,ほぽE量販庖と松下の相互(非協調的)関係が絡んでいる。これについては次節で改め て言及する。

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97 市場と組織のインタフェイスのマネジメント 9界一 ある。 量販屈は,まず,上位メーカーにとってはまだ取扱い量の比重は微々たるも のの,ライフサイクノレをすぎた旧型商品を売り切るアウトレットとして大きな 魅力をもっ流通経路であり,つぎに後発の下位メーカーにとっては自前の流通 系列網が未だ、不備だ、ったからこそ自社商品の有力な販売経路であった(通産省, 1971)。量販j吉のパイイング・パワーの増大によって家電業界においては,徐々 に量販庖を自前の流通経路にいかに取り組むかが重要課題になっており,その ため系列小売庄中心の庖舗リベート体系が販売数量中心の数量リベートに変わ りつつあった。この構図は基本的に高度成長期を通じて変わらなかったが,高 度成長期以降は,上位メーカーにとっても量販庖中心の流通経路戦略を組まざ るを得なくなっているほど,量販屈の躍進が目立っている。量販庖の急成長と それに反比例したような系列庖の比重低下の傾向が,く表4>で鮮明に現れてい る。 長い間,議論されてきた「量販庄がメーカーの系列網を崩すほどの勢力にな れるかJ (小宮・竹内・北原, 1973, 63貰)への答えは,どうやら見えてきたよ うだ。とりわけ,最大の系列小売屈を抱えている松下の量販底戦略はどうなる かは,注目に値する。これについても後述することにしよう。 〈表4>家電製品の販売額とチャネル別シェア(%)

¥ ¥

販売額1) 系列応 1982年 42,000 57..0 1986年 53,200 45..8 1990年 65,404 38..5 1994年 60,100 32..0 出所 1'95家電流通年鑑』 注 1)単位は億円。 2 )日本橋を含む。 NEBA 秋葉原2) スーノfー 百貨庖 15..0 4..0 9..

2..1 20.2 5..3 8..9 2..

25.0 4..0 9..3 2..0 26..5 3.1 9..0 L3 その他 12..9 17..8 2L2 28..0

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98 香川大学経済論叢 98 N.. 松下の流通系列化政策のニ面性:信頼に基づく共存共栄か パワ一行使による市場支配か 冒頭でも述べたように,松下の流通系列化についての従来の研究には極端な 評価の違いが覗かれる。端的にいえば,松下の流通系列化は,戦略論的立場に 立つ研究からは,メーカー・卸し・小売の聞の強固なパートナーシップを築き 上げ結果的に松下の今日の優れたパフォーマンスをもたらしたと極めて積極的 に評価されるのに対して,独禁政策的見地を強調する研究からは,松下の流通 系列化が,排他的市場支配力を行使して流通業者や消費者を抑えようとするた めに高い超過利潤をあげていたとされ否定的な評価が下される。流通系列網の 構成員に限って言い直すならば,前者がメーカーと流通業者間の信頼に基づい た共存共栄構造を称賛すれば,後者は寡占メーカーと流通業者の支配・搾取関 係への懸念を表す。 前節での議論の行聞からも分かるように,本節でのわれわれの基本的なスタ ンスは,松下の流通系列化を,そのように「共存共栄構造」かそれとも「支配・ 被支配構造」かの一方的な視角からだけで分析することは短見的すぎるという ことである。松下の流通系列化の中身は,共存共栄精神と市場支配意図が漉在 しており, さらに両者がダイナミックに相互に影響しつつあるということが, 松下の

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年の歴史が教える教訓なのである。 rはじめに共存共栄精神ありき」の松下の流通系列化 松下幸之助氏は,かねてから「小売庖・代理屈・松下の三者が今後さらにそ の関係を緊密にし,相互信頼の念を厚くしてゆかねばならないJ (松下,

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頁)と強調していた。まさに「松下の営業の基本理念となる『共存共栄の精 神 ~J (松下,

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頁)は,前節の松下の流通系列化政策の歴史的展開にお いて,遺憾なく発揮されたと言えるだろう。 松下の創業期に展開された織烈な乱売競争に疲弊していた代理屈や小売商を 救済するため,創業者の松下幸之助氏が抱いたメーカー・代理屈・小売商三者

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99 市場と組織のインタフェイスのマネジメント 9チー の聞の共存共栄精神は,その後の松下の事業展開の羅針盤として強調され,ほ ぼ

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年頃までには Iメーカー→販売会社→系列小売商」という一本化した チャネ/レが出来上がった。松下の流通系列化の根本には,まさに「はじめに共 存共栄精神ありき」というわけである。だからこそ,松下の系列網の構成員同 士は自然に家族的信頼関係に結ぼれて,堅い結束力を誇る協調関係を産み出し, それが排他的競争力の源泉の一つになったと言われてきたのだろう。 さらに,松下の流通系列化の共存共栄精神を称賛する論者は,単にそれが自 社のチャネル・メンバ一同士に留まるだけではなく,結局は外部にまで拡大し ていくと主張する。その例証としてよく取り上げられるのが,創業者の水道哲 学である。創業早々

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年の恐慌の到来の際,全庖員を集めて「産業人の使命 は社会全体より貧を救って,これを富ましめることであり,富の増大は生産に つぐ生産をもって,これをなすことができる……水道の水のこどく安価にして 無尽蔵な物資の供給とが相まって,はじめて人生の幸福が安定するJ (松下,

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頁)と訴えて以来,松下の経営理念となったのが,水道哲学である。 この水道哲学の理念こそが,共存共栄精神が決してメーカー・代理屈・小売商 だけの閉鎖的なものではなく,消費者さらに一般国民すべての福利福祉のため のものだと言われる由縁である。 しかし,果たして,松下の流通系列化のほとんどを,創業者の共存共栄精神 の重視という経営理念に還元させて語られるのだろうか。 2 共存共栄精神への反論:市場支配と競争排除のための試み 松下の流通系列化を上記のように創業者の共存共栄精神あるいは水道哲学, さらに自社のチャネル・メンバー同士の相互信頼に還元させて説明することの 妥当性は納得できないわけではない。しかし,松下の流通系列化には,共存共 栄精神,あるいは相互信頼の話だけで言い切れない点,言い換えれば,松下の 流通系列化を説明するにおいてはかえって排他的市場地位を利用した「市場支 配意図」が適している点をも指摘すべきである。以下,その側面を述べてみよ フ。

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-100-ー 香川大学経済論叢 100 第1,松下の歴史を共存共栄精神の歴史として書き下ろそうとする『社史』 の中でも,松下の流通系列化には共存共栄精神だけではなく,むき出しの市場 支配意図を表すところが散見されるという点である。松下幸之助氏は rこれか らは,メーカーが市場を左右する時代である…。 ω市場はいかにあるべきか,ま た市場において販売網をいかに築いていくか,そレていかなる姿において販売 するか,これらは,今後メーカーが決定すべき仕事であるJ (松下, 1979, 121 頁)と市場とメーカーとの相互関係においてメーカーが絶対的な優位性をもつ べきだと強調している。だからこそメーカー・代理店・小売商三者の共存共栄 のためとは言え,あくまでも松下の勘定に基づいた適正利潤を保証するような 「正価」が提案され,それをきちんと守ってもらうためにいち早く連盟庖制度 が創設されたのである。ここでは松下が系列網の構成員に対しても消費者に対 しても,認識の優位に置かれており,結局,共存共栄構図が構成員の平等な立 場のそれというより,松下の意図と思惑によるそれだということが暗示されて いる。そして,上記の水道哲学のもう一つの断固としてしばしば取り上げられ る「ダム経営」においては r最初から余裕設備をもっていれば,経済的に少々 の変動があったり,需要の変化があったとしても物が足りなくなったり,値段 が上がったりすることはないJ (松下, 1992, 72-73頁)とされ,これは資金, 在庫,人材面でも同じだと言われている。 われわれは,この文面によって, 結局のところは,水道哲学が,川下の流通系列網構成員のための共存共栄精神 の現れというより,川上の生産設備・資金・在庫・人材の余剰から求められた 不可避な戦略代案である側面も覗けるのである。 第

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,松下幸之助氏が共存共栄精神を訴える背景には,創業早々から起きた 乱売による共倒れへの危慎があったという通説への異説がありうるという点で ある。既述したとおり乱売が松下の代理屈や連盟屈を共に破滅の途へもたらす かもしれないという危慎があったことは確かである。しかし,果たしてそれを もって,共存共栄精神が乱売を防止したという仮説を一般化することができる か。実際に,創業期の乱売を克服するには共存共栄精神は有効であったかもし れない。しかし,たとえば東京オリンピック以降の景気後退期に直面しては,

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101 市場と組織のインタフェイスのマネジメント -101ー 市場シェアを維持するためにプッシュ型の代理屈や販社,系列小売j吉への押し 込み販売が行われ,そのための各種のリベートが支給されるが,需要低迷によ る流通諸段階における価格競争の激化,過剰在庫に悩んでいた販売業者は,そ のリベートを原資としてかえって乱売戦線に加担したのである。このように共 存共栄精神の名目で与えられたリベートや諸援助が,流通系列網の構成員の乱 売意欲をそそったことは今日まで続く慣行でもある。となると,流通系列化に よる共存共栄精神がかえって乱売を煽る逆転のロジックもありうる。 第3,家電という製品特性と共存共栄的チャネルの正当性を関連させる動き があるが,その試みが明らかな根拠をもっていない点である。確かに, 1950年 代以来の三種の神器をはじめとする新しい家電製品の販売とアフターサービス の提供のためには,従来より高度な技術や商品知識,そして安全面での知識が 必要であった。そのため,松下が流通業者に新製品の知識を熟知させ,消費者 が安心して新製品に接するようにするために松下の流通系列化が出来上がった という見解は説得力がある。しかし,この見解には反論の余地がある。「家電製 品は最初から海外からの技術導入から成り立っており,生産技術面ではほぼ参 入障壁はないJ (小宮・竹内・北原, 1973, 48頁)ほど,-全く新しい製品」は, 最初からなかったとも言えるのである。そして,松下の品質管理の徹底化によ る安全性の高揚,松下内部でのアフターサービス遂行センターの設立の動きな ども考慮しなければならない。革新的新製品という製品特性のために,自前の チャネノレが必要であり,それからサービスや安全の提供を軸とする共存共栄の チャネル構造が出来上がったという説は説得力に欠けている。 (17) 家電製品の特性に着眼して,田島 (1991)は家庭電器という全く新しいタイプの商 品については,利用すべき流通経路が歴史的に成立しておらず,メーカーによって,新し いチャネルが創設されねばならなかった」し,従って「このチャネルは単にマーケティン グりレートとしてではなく,アフター・サービスや割賦信用の提供lレートでもあるという 消費者志向の視点から構築されたJ(410頁)と述べ,だからこそ技術者出身の松下幸之助 氏の共存共栄精神と融合できたと主張する。 (18) さらに家電大手メーカーのフルライン体制との関わりでいえば,松下などの家電大手 があらゆる製品を供給できたのは,もう一つの系列,すなわち生産商での系列会社があっ たから(新飯田・三島, 1991, 107頁)にすぎない。

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-102ー 香川大学経済論議 102 第

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,松下の流通系列化が不当な参入障壁の役割を果たしているという点で ある。すなわち,松下の共存共栄精神は自社の流通系列ネットワークの中の構 成員に限つてのものであり,外部の者にとっては不当な差別化に過ぎないとい う反論があり得る。たとえば,小宮・竹内・北原 (1973)は,松下などの大手 家電メーカーの系列販売網こそが最大の参入障壁であると言い切っており,最 初から家電産業は,-生産技術の面で参入障壁はほとんど存在せず,しかもアセ ンブリ一部門の規模の経済性が顕著ではないため,あらゆる製品をそろえても, 生産コストの面で不利にならないJ(50頁)と主張する。その反面,流通系列化 を機軸とするメーカーのマーケティングが排他的市場支配の要素だと語ってい る。 第

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,共存共栄精神は単に松下の競争阻害的価格維持政策に過ぎないという 見解もありうる点である。 1956年 9月,松下幸之助氏は,会社幹部の前で「松 下は,松下自体の経営を進めると同時に,業界の安定と繁栄ということを絶え ず念頭において仕事を進めてきた。われわれの業界の将来は,とどまるところ を知らないといってよい発展をする情勢である。業界を挙げてお互いに,この 『共同の畑』を肥やすような仕事をして行かねばならないJ (松下, 1968, 278 頁)と語っていた。ただしかし「共同の畑を肥やすための仕事」が価格維持政 策であることは言うまでもない。岡本 (1979下)も,松下の価格維持政策につ いて「多数の企業の自由な参入と消費者の意思による製品選択に裏打ちされた 市場・競争メカニズムによって製品価格が決定される過程が,無意識にではあ れメーカーの価格政策によってチェックされ,その系列販売網によって再販価 格を事実上維持する動きがあらわれかねないJ(31頁)と警告している。いわば, ブランド内価格競争の制限とブランド間価格競争の回避が,流通系列化の意図 にもなりうることが窺われる。 3ゎ共存共栄精神と市場支配主義の不思議な共存:パワーと信頼の併用 による巧みな流通系列化政策 以上から,松下の流通系列化における共存共栄精神がはじめから存在したと

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103 市場と組織のインタフェイスのマネジメント -103 いう通説が,社史などの内部資料からも,価格競争の因果関係からも,そして 技術的環境要因からも検証され難く,かえって参入障壁として作用して,ブラ ンド内競争やブランド間競争を阻害するという逆説さえも成り立つことがあり 得ることが分かる。だからといって,われわれが,松下の流通系列化には共存 共栄精神は最初からあり得ず,あったのは寡占メーカーによる市場支配意図で しかないと言い返すつもりではない。 とりあえず,強調すべきは,まずは,松下の流通系列化という同じ事象をみ るにおいても,家族的信頼関係による「共存共栄精神」とも寡占メーカーの圧 倒的パワーによる「市場支配意図」とも読みとれること,次は,共栄構造精神 であれ市場支配意図であれ,いずれにしても,一つの視角だけでは松下の流通 系列化全部を説明しきれないということである。さらに何よりも重要なのは, 松下の流通系列政策の実施において,時代状況や経営状態に応じて,共存共栄 精神と市場支配意図とを適切に使い分けるために,そのマネジメント手段とし てのアメ(報酬と誘因)とムチ(懲罰と切り捨て)を交互に行使してきた点で ある。以下ではそれらの側面を詳しく述べたい。 (1 ) 系列底の取捨選択と思わぬ慣れ親しみ化 既述したとおり,松下の流通系列化における共存共栄精神が,外部の者に排 他的だとしても,システム的行動による共同利潤の増大は確かなものであるた めに,チャネJレ・システム内部の構成員には疑う余地のないものであるという 見解は根強いものがある。にもかかわらず,われわれは,それが信頼に基づく 共存共栄的協調関係というより,パワーの行使による不可抗力的協調行動にす ぎないという側面も無視できないと考えている。 松下の価格政策 とりあえず,松下の価格政策について考えてみよう。松下 幸之助氏が,メーカー・代理屈・小売商三者の各段階において,それぞれの存 続と成長に必要な適正利潤を得ることがすべてのチャネル・メンバーの発展に 繋がり,それこそが共存共栄精神だと思っていたことは既述したとおりである。 氏はその適正利潤を実現する価格を「正価」とよび,松下の価格政策の基本と

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104 香川大学経済論叢 104 した。ここで見抜かれるのは,-卸売一小売段階の値崩れは,結局はメーカー自 身の適正利潤の実現をつきくずすと考え,メーカーと販売庖との関係を,適正 利潤の実現を媒介にしながら,運命共同体として捉えたJ(岡本, 1979下, 29-30 貰)ことに過ぎないという点である。 これが後に独禁法違反として取り沙汰される再販制度の原型であることはす ぐ推測できるだろう。特記すべきは,松下の価格政策からのぞき見た共存共栄 精神は,自由市場の論理とは離れて,あくまでも「松下市場主義」に従い,松 下の利潤の最大化に基づく系列網の適正利潤の分配に端を発していることであ る。松下の価格政策に不満を持った代理屈は多かったが,彼らは,松下を去る か,それとも黙って従うかの二者択一の選択を強いられた。松下の価格政策に 従った,すなわち強制的なパワーに屈して協調的態度をとった代理屈には,応 分の代価が与えられた。 本格的なパワー・ベースの行使松下の創業初期のこのような強引なパワー 行使行為は,信頼に基づいた共布共栄精神とは異なるように思われる。類似の 事態は,その後の本格的な流通系列化の展開において,数多く見られる。 とりあえず,戦後の流通系列体制復活の後に見せた松下の基本的系列方針を 覗いてみよう。松下は,代理屈との契約更改にあたっては,-販売力旺盛にして わが社に対する協力度の強い代理屈のみを厳選J(松下, 1980, 53頁)した。販 社網構築を急いでいた松下は,決して利害打算を考慮せずの温情主義には走ら なかった。ただし,系列小売屈については,自社への忠誠度によって厳しくラ 目 的 ンクづけられた手厚い思典が与えられた。 しかし, 1962年の金融引き締めに始まる経済全般の抑制措置が家電業界にも 影響を及ぽし, 63年には松下の販売網も相対的に弱体化されつつあっ主。経営 (19) 1933年のラジオ受信機の乱売状況を見て,正価を守るために35年に導入したのが連盟 底制度であったことを思い出されたい。 (20) 例えば,系列小売庖への援助状況(製品販売費ないし販売助成費)をみると, 1956年度 の2億3,200万円から59年には26億2,900万円に跳ね上がった(岡本, 1979下,50頁)。 (21) 孫(1992)によれば,松下の連盟庖数は1962年の40,000庖から63年には33,000底へ と一挙に減少した。前記のく表1>を参照せよ。

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105 市場と組織のインタフェイスのマネジメント -105-未熟で自然淘汰された唐もあろうが,貧弱な販売庄は容赦なく連盟庖脱退が強 いられ,他のメーカーに移ったと伝えられる。 厳しい対応策は系列卸売屈にも適用された。松下幸之助氏は, 1961年1月の 経営方針発表会で,-これらの販売会社は,その自主的な経営意欲によって販売 の正常化を推進し,適正利潤を得て経営の安定が実現するはずであったが,現 実には自主性が弱く,松下に頼ろうとする販売会社が少なくない」と経営不振 の責任の一端を販売会社に転嫁している。中野 (1974)は,松下の対卸対策の 冷静さを,-この時期(筆者注;1960年代)の卸系列化には……既存の独立卸商 の系列化(ないしその強化)に対してはとうぜ、ん強弱の差はあれ何らかの抵抗 が生まれた。それを威嚇と慰撫によって排しつつ系列化していったJ (9貰)と 証言している。 思わぬ慣れ親しみの落とし穴 以上から,松下の内向的な共存共栄精神にも, まずはムチが振るわれ,それに従った系列庖に限って,アメが与えられたとい う側面が見抜かれる。もちろん,アメに自足する系列屈はそれなりに共存共栄 精神の傘で収まったことに安堵したであろう。 しかし,このように内部組織化された系列庖と松下の関係がず、っと共存共栄 を謡歌できるはずがない。すでに松下の意図によって, 100%近くの松下製品を 扱っている出張所化した販社と各種の援助とリベートに浸かつて慣れ親しみの 体質に安住する系列小売庖に対して,多数のメーカーから無作為的に仕入れて 流通業者としての市場リスクを背負うという「流通業者の社会性」を求めるこ とは容易ではない。系列庖の「自主性の喪失は,むしろ販売網を系列化しよう とする意向が強ければ強いほど,客観的にはより強まるはずJ(岡本, 1979下, 62頁)だからである。それについて,松下が自ら共存共栄精神が誤った途を歩 んでいると悟ることは当然で、あろう。ムチとアメによる閉ざされた共存共栄精 神への改革が,新販売体制で試みられることになる。

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信頼回復のための販売体制の革新:ニつの熱海会談 好況期に有効であった信頼に基づいた共存共栄精神構造としての流通系列化

参照

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