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預金通貨と其の實體-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

今日の控臍祀合に於て、表的なる交換手段又は購買手段として廣く用ひられてゐる通貨又は貸簡には、鋳

貸・政府紙幣・銀行券の如き諸形態の現金通貨の外に預金通貨又は預金貸衛︵depOSit cu3nC句Or dのpOSit

mOney︶と科せられるものが布衣する。預金を最も早く貨幣と看倣したのは、ダンパーであると富はれてゐる

が、叫預金通貨なる名稲は主として小切手或は振替請求書を振出し得る基礎たる銀行の要求彿預金即ち常座預金

に封しで附せられたものであることは明かである。之れがために銀行貨幣︵bankm。ney︶、或は帳滞貨幣又は記 帳貨幣︵浮chg色合mOnnaiesc思1u邑e︶、或は更に振替貨幣・︵G首g監︶といふ如き名群が輿へられてゐる。

而して常慮預金は今日に於ても預金通貨の主要なるものであるが、小切手或は振替請求腎其他の支彿指閲雷を振

出し得る要求挽預金は必しも首座預金に限られてゐないかち、︰振替郵便貯金や其他之れに僻する預金藩含め得る

ものである。只以下に於ては便宜上首座預金を中心として鱒ペる。

高松高等商業拳校紀元二千六百年記念論文集

預金通貨ミ其の賓髄

小 川 感 太 郎

一国六

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借て、甥金通貨の中、銀行券に就小ては之れを貨幣と見るか届かに閲しで曾っ七論争が盛んであ.つたが、最近 に於ては、其の藷事は未だ賂結したとは雷へないにじても、それを貨幣とする見解が支配的である。去れに封し て預金通貨に就いては、之れを貨幣と見るか否かに就いて肯定簸と否定説とが封宜してゐるのみならす、骨定説 の立場に於ても、何を以て預金通貨と見るか、即ち預金憩貨の鸞鰹に就いて定説が舶⋮いC謂はヾ銀行券に戯いて それが貨幣な‘りや否やの論率は﹂今日では預金通貨の方入移動した感があり、共の質餞如何の開祖と共に未だ意 見の叫致を見てゐないと富ふことが出来る。 此の小篇は、職能主義的立場に於て、先づ預金通貨の否定説中の有力なる訟と見られるものに就いて其の論壕 を批評して、預金通貨の肯定し得る理由を述べ、次に預金通貨流通の根接に就いて少しく述べ、最後に預金通貨 の葦髄如何に関する諸櫨の見解の中、最も安富であると考へられるものは何れの詮であるかを瞼討するため、此 の賛鰻の間儲を主としで取扱った滝のであるカ m 山崎兜次郎 若干の他見鮮問題 二〇入京。 預金通貨の肯定詮と香定説との分岐する所以は、主としては貨幣本質槻の蘭速、或は貨幣の潜む多くの職能の 中最も盈要なるもの如何に就いての見解の相達であつで、特に預金通貨否定説は、或は金願主義的立場に於て預 金通貨は他財の底値測定の意味に於ける慣値尺度の鵜能を営み得ざるが故に之れを否定する。或は同じく余慶主 預金通貨と其の賛鰭

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いては認められ得ないといふ詮である。即もそれは其の否定の主にる理由を、預金通貨は之れを小切手と見る場 る理由を兜づ述べ、偶因金遡贋は貨幣論求樵に過ぎないとする見解に就いでも後に述べることとする。 ︵註こ 貨幣の本質親より見たる肯定説及び否定説の詳細セる研究に就い七は、中谷貸氏の﹁新金融理論j特に一七−四 〇真金照。 ︵註二︶例へば、牧野博士は﹁所謂預金箆衛視を肯定しかねる爵忘理由は、化見解の範囲を無闇物忙まで及ぼすとと軋、 箆俸の本性に反するからである。多くの預金貨幣論者が、斑衛たる ら、而して此の性能あるが琴に、斑衝は財貨交換の媒介具たるの職能を仝シナることが出来ると解しながら、銀行預金の やうK無條件忙流通することの出来ない無形醍を貨幣として承認することは、如何にも了解し得ないととで思る。﹂と雷 高松高称商業掛校紀元二千六官牢記念論文集 一四八

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はれる。︵﹁鑑簡単の蟹託的研究﹂叫〓二寛︶。倍、間藤ここ五貰1〓叫八東。高垣寅次郎﹁銀行論﹂六三貫参照。 T 私は、貨幣の本質は貨幣としでの職能の中に求むべ′きものであるといふ立場に於て、貨幣の営む多くの職能の 申に於ても、財貨を獲得或は購買し得る手段だる定時に於ける仙般的交換手段たる職能が、貨幣の最も根本的或 は本質的ぢる職能であると思ふ。貨幣は此の職能を営むが敬に、慣低を持ち仙般的購買力となり得るものである と考へる。傭、之れに封して﹁般的支梯手段たることが貨幣の根本的職能なりとする見解があら、叫般的文細字段 と冨ふ義弘に伐つで、物との交換の場合と資本の移植■貸借・返臍針如き場合とに於ける貨幣の職能を包括して 示すことが安富であると見られてゐる。山之れに就て 的玄孫手段たる職能をも営み得かと考へる品 薇つで後述する桝に於で、預金通貨が支排決癖の手段と成ると昔 ふことがぁつても、それは二軍交換手段たる職能ょりも根本的或はそれと封等的な職能と見てゐないのである。 惰て一般的交換手段たる職能が貨幣の本質的職能であるといふ場合に.、其の凧般的といふ意味を明かに・廿ねば ならぬ▼いそれは又不特定的と・皇日ひ得るものであつて、先づ第こ貨幣空文領する者が﹁般的不特定的であり、 何人臥之れ哲受領し、貨幣の所有者は何人に期しても之れを諜渡し得ること、次には貨幣に伐って購買せられ或 は之れ主父換せられる財貨が山股的不特定的であり、如何なる物と雄も購眉或は交換せられ得ること、更に貨幣 頓金通貨と其の畑山惚 ︼四九

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高松高等商業畢校撃空言六百年籠企論文集 ■ .′ ﹁五〇 は其の流通の時及び場桝に於て劇般的不特定的であり、如何なる時・虎に於ても受領し講渡せられることを意味 してゐる。約言すれば人・物。時・虚に封しでの〓鱒櫻或は不特定性である。川然し、斯くの如く表性・不酪 定作を説明しても、それは絶判的のものでは無く、輿へられたる範園内に於て張韓せられるものである。酢.即ち 場所に関する表怯も、或は図境の内部に於て或は市場の存する範園に於てゞあり、物に関する表情も財貨が 手に入れ得る範陶に於てゞあり、人に就いての叫股怯も凡ての階級或は職発を通じでといふ意味に於てではな くして、慣習の相違の制約を受けることを認禦仏ければならぬと思ふ。拗 従つで﹁小切手と難も、これを以て取 引する慣習の範毎について云へば叫股的に授受せられる﹂的 と晋ひ得るものである。 右の如く、貨幣の人・物・時・虚に閲する刷般性が絶封的のものでは無く、′或る範囲内に於てのものであるこ とが承認を得るならば、預金通貸が、それを小切手とする場合に於て、傍命こ部の人々に依って受領が蹄まれ、 或は現金通貨が欲せられることがあつでも、之れを以て今日の辟臍敢昏に於ける取引の大部分が小切手に依っで 決済せられて慮ら、叉玉髄の取引に放て=は現金過貨よりも小切手の方が安全且つ便利なるものとして好んで授受 せられでゐるといふ事驚をの蔽ふことは出猟ないと思ふ。叉預金通貨を常慮預金とする場合に於てもそれは無形 のものであるから、移相性或は流通性を快くといふのは、形態に捉はれたる考へ方であって、帳終上の数字であ っても、﹁其の賓在は疑なく、其の絶えず増減移帽することが、明かに之里且許する﹂。刷 従って之れを叫般的購 買力の所在の指槙としで、祀愈の多数の人々が意識しで猟認してゐるものと考へ得られるのである。朝 ヽ

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葡、貨簡の流通といふことを以て、それが人の手から手へ移されなければ、流通するとは冨へぬといふ様に執 し解する必罫はないと思ふ。斯かる解繹は、小切手の方を預金通貨と鬼、常座預金を預金通貨とせざる論者に依 っても、自説を耕護するために時として探られる伊であるが、﹁流通とは長く仙人に魔せす頻に所有者を攣へるこ と﹂叫 であると解く解すべきである。従って手交貸簡︵Handge−dいmOnnaiemanueロe︶の流通と同様に、記帳 貨幣と雌も∵瞑簡上の数字が一般的購買力の所在の精機として濁られて居り、卑の数字の振熔に依って人から人 への移樽が行はれる以上、之れを流通と見滞るものである。 川 小島畠太郎 金融論 三〇四寛。 拘高田保馬 緯臍撃新講仙聖二巻、五六頁参毘。中谷蟹 新金融理論 二求煮参照。 拘 高田保馬 前偽書 七四貫象鷹。L謬udin︸訂mOnn乳eeニP︼ぎ臼註0芦despl■i六二器∽い巧い望∽. ︰卜︰l、〓・三こご一〓ニ↑ t.﹂.・二 −、∴こ・ 拘 高田保馬 ぬ∵意志保馬 7 8 勘 0 預金邁放と其の賛鰭 山崎党次郎 高田保馬 山崎盤次郎 井上準之助 前掲香 七六−七七貫参照。P謬已︼nⅦIbi丸増−望ゆ 参照。 節税番 七七貫。 戦後に於ける故国の店番及金融\﹂ ニー互参照。 改訂貨幣惑本、入京。 節税雷.五山葺参照。 前抱蕃 山五夢。

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上述の如き解樺及び理由に依って、預金通貨が今日Ⅵ経済酷合に於て山隈的なる授受件及び譲渡性を持つこと が認められるならば、次には此の二駁的授受性及び叫般的譲渡性の生やる原因は何鹿に求めらるべきであるか。 此の原因を、金魔的素材の償倍と見るか、法制の力と見るか、配合的信認と見るか。或は叉、其の配合的信認と いふことも、金尾的素材の償値或は洪制の力を主たる棟接とするか、或は之等のものに殆んど依存せぎるものと 見るか。之等㊥見方の神速に依り、皆簡撃説は分岐し、貨幣として認められるものの範固は異らざるを待ないで あらう。 預金通貨に就いて考へるに、之れを首座預金或は小切手の何れと見るにしても、それは金巌を素材とせす叉本 棟貨幣との免換の約束もなく、叉旗制に俵つで強制通用力も輿へられてゐない。只現金通貨の欲せられる場合に 今日に於ては主として銀行券を以て引渡されでゐる。そこで共の銀行券が允換の可能なるものであるならば、預 金油貸にも本位貸簡に迄換へ得る迫が通じ′て隠り、其の流通性は幾分本位貨幣に依存する腹症あるとも考へらわ 得かであらう。然し兜換の停止せられてゐる時に於ては其の依存閥係は断にれてゐる。しかも今日大部分の取引 が預金通貨に依っで決済せられ、それが現金通貨にての引渡を要求される部分は小部分に過ぎないのである。斯 くの如き状態を見るならば、預金通貨の一般的なる授受性及び譲渡性の生やる原閃は、金魔的素材や法制のカに 高松高等商葉拳校紀元二千六百年記念論文集 三 一繁二

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殆んど保たぎる祓禽的信認であると富ふことが出来るであらう。而して其の祀倉的信認とは、之れを別の言葉で 表現すれば、貨幣が一般に、一般的受領性或は流通性を持つに至る最大の原因は、﹁其の流通に封するせ人の信 尉﹂⋮ト或は﹁鵬股的受領の信頼又は期待﹂物 であると冨はれてゐるものに相督する。然し、佃少しく考へると、 預金通貨に封する敢愈的信認を成立せしめるに就いて、其の主たる保誰となつでゐるものは、預金振替及び手形 交換の制度並びに最後の決済銀行とレての中央銀行の布衣といふ組織の成立と、豪ハの故障無き運行であると言ひ 得ないであらうか。而して此の組紡の故障簸き遊行に依って、預金通貨の′一般的授受倖及び議涯性の保謹が輿へ られ、女の保琵の確篭なることが十畷の銀行に封す各億認を成立せしめるものであう、此の銀行に封する信認 が、預金通貸流通の根陳としての政令的信認の盈要なる構成要素となつてaると考へられるのである。 の 山崎俊次郎 前輪啓 〓ハ貰。 め一.高甲保馬 前梅香 七五官。

野金通貨の蜜鰭に就いては、最初に述べたるが如く其の肯定設の立場に於ても定説が無く、預金通貨と見るペ

きものは首座預金そのものか、或は小切手又は振替請求雷の如き支梯指囲啓を指すか、或は又首座預金と小切手

とを合せて、或は叉両者を共に通貨と見るか、ゞ問題となる。此の問題に就いて我問の単著の見解は多岐であつ

預金温蟹と其の巽髄

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高松高等商業準校紀元二千六百年記念論文集 ︼五四 て、常座預金を預金通貨と見るもの︵此の見解を採る輩者は比較的に多い︶⋮、小切手を預金通貨とするもゐ囲、 首座預金と小切手とを共に貨幣と見るむの拘、といふが如くに諸訟が存し、偽他方に於ては預金通貨を雷慮預金 其他の要求彿換金に限ること無く、如何なる種類の預金にても、﹁銀行預金が暫金のよゝで移譲せらるることに ょり、文殊決癖の手段となる場合に於ける、その預金﹂をば預金通貨とするといふ見解が存する伸。 以上の如く預金通貨の驚慣に関しては数多の見解が存するのであるが、其中、毅後のもの即ち預金通貨を常産 額金共他の要求彿預金に限らす、如何なる種類の預金にても、それが其億移譲せられることに依り支彿決済の手 段となる場合に於ける其の預金を、預金通貨とするといふ小島博士の見解は、二つの鮎に於て他の諸説に比し て飴梓異れる解鐸となつてゐるので、免づ之れに就いて述べる。其の山つは首座預金其他の要求彿筋金のみなら や如何なる預余にても、預金通貨となり得るといふ拭張的解繹であり、今﹁つは如何なる種類の預金でも英機 移話せられることに依り安彿決済の手段として働いてゐる場合に於てのみ、預金通貨と見るといふ制限的解繹で ある。而して注意すべきことは、此の制限的解鐸わためた、預金が預金の億で銀行に待機して居って克梯決済に 働かない間は預金通貨とは冨はれゃして、之れに潜在通貨仕る名構が興へられ、此の潜在通貨が現金通貨及び預 金増貸の母髄と見られてゐる。周而して此の母鰭から預金が預金の億で移譲せられて朗有宥を摘換することに依 り、文殊決済手段として働く間に就いてのみ、預金通貨といふ名稲が輿へられてゐるのである。 前述の二鮎の中、預金通貨の制限的解樺に就いでは、其の意味の預金通貨と叫方の潜在通貨とを概念上瞳別す

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ることが、金融現象を理解する上に於て、袋に通貨と物慣との榊係を見る場合等に於て意義を持つことが認め られるが、私は、預金通貨を以で、礎乗の用淡の如くに解樺し、常座預金が文殊決済の手段と成つに場合もそれ に成 次に域張的僻繹に戯いでは、要求彿預金を初め簸他如何なる砥類の預金にても、其の儲移話せられることに依 り支払決酪の手段となることは、雷驚上有ることゝして認め得られることである。経つで﹁定期預金の如きもの も、その期限の到来に常り、預金者が銀行に対して、それを以て例へば株金の鋳込に蒐1んとするなら.ば、やは り預金適鹿として働くことにな各﹂拘といふことは、否定し得ないが、定期預金の如きは時として前掲の如く支 彿決済の手段に用ひられることが透るにしても、′∴般の人々が定期預金を文殊決済の手段と認めて、之れを預金 の健で其の手段に用ふることを本来の目的として、預金としてゐないと考へられる。同様のことが特別首座預金 や普通貯金の如き革求梯預金に就いても雷か得るであらう。之れに反しで首座預金は支沸決済を行はしめること を本来の目的として設けむれた預金であると冨ふことが出来るから、の 私は銀行預金の種類の中では、首座預金 のみに預金通貨の名稀を保留するのが安富であらうと児ふ。而して常慮預金勘定を有する者が、同じ銀行に定期 預金或は叉特別尊慮預金を有してゐるならば、其の満期に際し或は叉必要に應じて、之等を首慮預金に振替へる ことに依って、r間接俄に支梯決済の目的に充でることが出乗るが、定期預金或は特別首座唐金として存置せしめ てゐる限りは、普通は、之れを支線決済の手段とすることを目的としてゐないものと考へる。 預金邁崖と其の蟹鰭

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高撃偽琴南薬学校紀元〓王ハ甘牢記念論文集

山空ハ

侍、小島博士が預金通貨と見られるものは前述の如くであるが、綴りに其の解終が、預金適簡と見るペきもの

は雷座預金か小切手かといふ鮎に於て岐れでゐる二つの詮の中の何れに近いかを見る撃つば、それは首座預金詮

に近いと冨ひ得るであらう。此のことは既述の如く、﹁銀行預金が遍金のま∼で、移譲せらるることにより、姦 雄決臍の手段となる場合に於ける、1その預金﹂が預金通貨であると見られてゐること∼、妄には小切手なるち

のが元来、﹁その使用の最初よサ、預金を預金のまゝで、通貨として通用せしむる造兵として用ひられたのであ

る﹂?1≦首はれてゐることに依っても明かであり、男に叉、小切手に依って﹁預金が預金のま∼で支彿の決臍た る役目一バすなはち通貨たる役目をつくすことになるのであ丘⋮・1﹂勒 と首はれてゐることに依っても明かであ

る。此の考へ方に就いては、備後に述べることゝする。

の∴中 谷、賽 物 土方成実 例 山崎党次郎 拘′小息高大郡 内 小島昌太郎 何 小島昌太郎 の 中 谷 矯 拘 小島昌太郎 嘲 小鳥昌太郎 前掲番∵由玉東。椿爪明男∵伊藤蒸一九四頁。田中金司 鑑怖論、銀行論 言衰。 経野撃総論 二七七宮詣 前梅香 仙○貫。 前抱葦 三l一五貫。 前抱啓 三三〇貰卜≡≡︼貰。 前掬啓 三二八貫。 前抱署 五四質券照。 前抱葦 ≡二六−三二七寛。 前掲番 三二七貢。

(12)

五 前掲の小島博士の見解を除けば、先に由げギる諸説は、預金通貨骨定説の立場に於で、常座預金を預金通貨と 見るか■或は小切手を預金廼貨と見ノるか、或は又弼者を合して預金通貨と見るか、或は更に両者を共に通貨と見 るかの四つの見方の中の何れかである。今、之等の見方¢申、先づ、首座預金或は小切手の何れか一方を預金通 貨と見る訟に於て、他方の立場を排する理由奇異阜ことゝする■′。 鹿㌫に∵首座預金よりむ小切手を以て預金通貨と昇る冷宥が常座預金設営排する蛭由の主なるものは、︵.こ預 金に.は譲渡性が無いが、小切手には譲渡性があj。︵二し預金は抽象的の数字であつて、仙般的購買力を有し得な い。︵三志匝慮貸越約定の範囲内に於て振出される所謂過振小切手は、常塵預金訟に於ては詮明し得ない一之いふこ とが挙げられ各。∽ ︵之等の理由は亦、預金通貨香定諭の論掠であることを注意すべきである︶。 次に小切手よ♭も首座預金を以て預金通貨と見る論者が小切手詮を擁する理由の主なるものは、首座預金を以 て血︰般的購買力の所在を示す指額と見ろがために.、小切手は其の秒縛め用具又は手段或は支沸命令育と鬼るべき であるといふ見解が比較的多いが、伺其他の理由とし七は=﹁小切手を以て預金適償と見る時には預金通督の数盈 及び其の流通速度といふ概念が精々不明確せ写る﹂川 といふことが奉げられてゐるや ∵石の如く頚金通貨を首座預金或は小切手の何れか二々であるとする時、何れの側に於ても他方の詮に満足し得 預金通放と其の寛恕

(13)

ぎる若干の反封理由が翠げられるのである。 そこで免づ〓野草座魔金詮の立場を探りY、此訟が小切手誼の反駁に耐へ得るかを見ることゝする。 小切手訟を探る論者が首座預金詮を排する前掲の三理由の中∵二︶預金濫は譲渡性が無い、︵二︶預金は抽靡約 数字であつて仙疲的購買力を持たぬといふ鮎に就いでは、私は既に預金通貨否定設に封する批評の節に於て、其 の首骨し難いことを述べたのである。そこで残るところの、常座貸越約定の場合の過振小切手を如何に見るかに 裁いて述べなければならぬが、之れに就いては常座預金説を探る論者に依って其の説明が輿へられてゐるので.︶ 先づそれを次に掲げ肯ことノゝする。即ち或は﹁常座貸越の預約に従って硯賓に一定額の借入をなし、かもて創設 された首座預金に封して小切手を菰親すものである。たゞ銀行の記帳事績の上では省略が行はれる・∴=﹂甲とい ふ説明があり、叉﹁過般小切手は常座貸越限度内に於て預金美無闘係に振出やれしものと見ずに、斯かる小切手 が振出された竃瞬間に小切手金額だけの預金が成立し此の預金に封して振崩されたものと見る蕃が出来る﹂伸と いふ詮明が輿へちれてゐるが、双方共に﹂應預金が成立しにものと解す.竃翫に於で同株である。 私は此の過瀕小切手の詮明が出来なければ、√之れがために、首座預金を預金通貨と見る訟が其の否定誼に依っ て全く覆されるとい.ふ程、盛大克るものとは考へてゐない。然し前端の簡明め如く、未だ預金が成立してゐない のに、二嘩預金が成立したと見ることも無理であると思ふ。 私は過振小切手に就いて次の如く解繹する。常鹿貸毯契約は銀行と首座預金者との間の特殊の契約であつて、 高松高等南条撃校紀元二千六首年記念論文集

(14)

其の契約に基き庶越限度内に於て過振小切手金胡だけの通貨が造出せられ、それと同時に預金者の同覇の債務が

確定するものでぁる。それ故に過振小切手は常座預金の存在を前痩として振出される小切手と典り、預金の布衣

といふ段階を経やして生じたものである。、従って此の過般小切手は、小切手を通貨と見ることに依って詮明が出

来るのではないかと思ふ。然し斯くの如く小切手を通貨と見ると、常座預金を預金通貨と見て小切手は其の移時

の用具又は手段と見る立場と相反する結過と甘る。

そこで、次には首座預金詮に於て、小切手が其の移柏の用具又は手段と見られてゐることが安常であるかを考

へなければならぬが、之れを考へるに兜ち筒賀干述べなければならぬので、今此魔では述べない。

血慶に附託すべきことは、首座預金と小切手とを合して預金藩貨と見るといふ考へ方㈹ に就いでゞある。此

跡見解は結局に於て、或は箇塵預金は移特性の無いものであるから、之れを動かすものは小切手であるといふ解

繹の下に、、小切手を通貨と見る説か、或は叉、盛儀預金を預金通貨と見て小切手を其の移縛の手段と見る説か、

其の何れかに膵着するものでは・吼

川 中谷.巽 の 中谷貨 例 日申金司 囲 中谷袈 預金通貨と共あ繁髄 節税書 四八卜由九貫参慣。 前掲寄 四六1四七貫。 前掲寄 小四貰。 前摘草 嵐.〓彗

(15)

凡そ、預金通貨の賛鰻を首座預金と見るか小切手と見るか、或は此の両者を合して、或は叉両者共に通貨と見

るかの尚越は、有力なる革者の問に於ても考へ方の欒化があつて、デリケートなる問題である。例へば、高田将

士は以前には、貨幣と見るペきは箇座預金ではなしして小切手で雪と考へられたのであるが、後には諒解が

祀倉の移動財流に封する診動的蓼輿能力の所在の指標であると見るが故に、何が貨幣であるかは、敢愈意識が何

をか、る指槙と見てゐるかといふことに膵著する:・・⊥との考ペに基き、﹁此の指棲としで見らるべきものは今 のところ、記帳の数字ではないかと思ふ?この意味に於て預金を■貸簡と見ながら論を進め王い﹂∽と述べられて ゐる0 然し私は、′博士が其の葡縞のT節として述べられてゐる次の箇所は、常慮預金訟を採る者が考慮せねばならぬ

鮎であると考へる。

﹁若し、預金のみが貨幣であるとしよう。をれを振りあてに数行せられたる小切手がAより革ODE等へ嘱輔 として流通す雪而も帳魔の記耽は改まらサ1Aの預金として記入せられてゐる。此際かの蓉輿能力は移植して ゐない筈である。小切手を貸衛と見る土とによりて、そのAよりEへの動きを知ることが出来る﹂の 高松高額商米軍校紀元二千六有年記念論文集 勒 高田保馬 前掬番一.七五貫参堀。 ︼六〇

(16)

前掲の如く小切手が流通する限りに於ては貨簡と見られ得ることを認めながら、預金を貨簡と見るものとして シュムペニク7が車げられてゐる朝が一葡之れと同様め見解でぁると想像せられるものとして、次にベトリツヂ の富ふところ智掲げる。 彼れは、原則としでは、常鹿沼金敦曾探るところのアンシヲウの意見囚に同意したる後に、次の如く述べてゐ る。﹁劇般的には、流通するものは小切手ではなくしで﹂ ナウの故意より他の勘定に移植せられる預金でぁる。 然し乍ら、限られたる範幽に放ては、貨際、小切手の塑偶の流通が等しく存する。小切手が姦啓に依って次々の 権利者に譲渡された期尚の問に、一つの助走に振込まれるために銀行に躍るに兜立って、依権謀波の方法に依っ て潜†数の債権の講渡と債務の消滅とが有った。其れ故に、小切手は比較的に短い期間ではあるが流通した。英 れ故に帳線骨髄に於ては、先づ第叫に預金の流通といふ主たる漁通があり、預金が娠恕の方法に伐り或は小切手 の仲介に依って、撤衰から勒定へ移柏せられる。而して山方には、小切手が数人の所持人に次々に譲渡された時 に生じたる小切手の岡有の流通がぁる。各々の小切手個別的には、此の派生的流通は恐らく飴り重要なるもので はない。然し小切手の金憾に取っては、此の流通は或る盈の支彿を硯はす、其の文沸は鬼秩が非常に困撫であり 且叉銀行の記帳の中には勿論見出されない、ものである﹂。槻 ペ 下リツヂの述べるが如く、小切手が柚々流通する場合が事賢止有ることは充分認められることである。然し 彼の見解は、小切手は原則として首座預金移輪の手段又は造兵であるといふ考へ方に杓兼されてゐると言ひ得る 預金温化且と其の異性

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一六こ 高埜日印琴南来襲校紀元二千六昔年記念論文集 であらう。此の考へ方が根本にあるため、例外的に小切手をも通貨と認め得る場合があるといふに過ぎない。従 って此の見方よりすれば、小切手の中に、単に富産額金移植の手段或は要具になつたに過ぎない小切手1従っ てそれは通貨とは見られてゐない ー と、仙方には通貨としに働いた小切手とを直別して見ることになる。︵話こ 然し斯かる直別は理論上全く無用のことと考へられる。 M 高田保馬. 前掲啓一七五菜。 の 高出保馬 前掲審 仙七五克。 鞘 高田保馬 前潟脊 ︼九七賞。 拘 芦A−邑岩ボブ乳芯d密。ぎ邑epO≡ique∴冒白eN二冨〇.吋・P・N望−忙の脚 引.∴翠A・憎etri−乳﹀訂mOnn計ese︻iptu邑e二¢窒.増.笥nOte ︵註こ 勿論宥の如き鑑別は出雅ないこと.は無い。即ちそれほ振出されたる小切手が銀行忙戻って後、茶番の数忙依って 区別が出水る。然し之れは今間超としてゐることは触銅係のことである。而して其の茶番の歎は、常座預金の流通速度 を正確に測定する泌恰忙は小切手の相聞度数として欺へられねばならぬものである。 七 上述の如く考へで来ると、預金通貨と見るべきものは、常座損金か小切手かの何れか仙方に限らすして、雨着 を共に通貨と見ることが許されないかといふこと・ぜ、問題となし得るであらう。

(18)

そこで私は此應に、山崎博士が龍飛の考へ方を攣へて、常座預金と小切手と霊ハに貨幣と見るといふ考へ方に

移られたことに就いて見ることとする感士は﹁倉慮謹券が倉慮に在る貨物、例へば米を代表して流通する如く、

小切手は銀行の金庫内又は瞳恋上に存する預金哲代表して之れを移柏する用兵と見るべきであるから、小切手は

貨幣でない主云ふ見解を碓釆有って居ったが、今や奉文の如き解鐸を取ることにした。倉庫詮索は如何なる場合

でも米の如き貨物白鷺でないから、之を同軸硯することは招来ない。然るに預金と小切手とは、表文に述べた理

由で、何れも貨幣と看倣すのが受賞でぁらう﹂川と富はれ、其の本文に於ては、﹁せ上に流通する銀行朱と其の●

準備として銀行に保管せられる金貨とは、後に述べるように、其職能を典にするが、共に貨幣である。之と同じ

理由で、預金と之を基礎として振出される小切手とは共に貨幣であると云はねばならぬ﹂鞘と述べられてゐる。

右の引用文に於ては博士の挽明は簡単であるので、私は、博士が預金と小切手と霊ハに貨幣とせられる理由の

説明を、琴“博士の著討より求めて、私の解鐸しにるところに従って次に述べることとする。

○ 恰も金貨が銀行券の允鞠準備となつてゐるが如く拘︵而して允換準備の必要なるは、金をしで団際的職能を鼓 舞せしめることが、北へ主たるものである︶刷、小切手振出の基礎たる常産額金は、小切手の玄孫準傭となつてゐ

る。斯くの如く允換準備又は支挑準備となることは、換言すれば戎棍類の貨幣が他種の貨幣の基礎となることで

ぁり、之れも貨幣の職能の山つである。伸﹁而しで此等の準備に供せられる蜃幣は外朋上、・︰∴⋮・何等の活動を

なさぬやうであ・るが、箕際は大いに之と興る﹂㈹。ところ一で、鋭術券息遠因金も経済上の笛賞に琴づいて貨幣と

預金通貨と乱ハの砕封髄

(19)

看倣すべきものである。拘 明方、小切手は、貨幣と窟倣し得る預金を代表するものであるから、之れを貨幣と看 倣し得るものである。之れを以て、預金致移植する用具と見るべきではない。他方に於て、倉席詮弁も貨物を代 表して流通するが、之れは貨物そのものと同仙親し得ないものである。 大腰、以上の如き理由に伐つで、博士は、関金と之れを基礎として振出される小切手とを共に貨幣と見られた 此の山崎博士の新見解は、今迄述べ乗ったところの、償金通貨は常魔笛金か小切手かの何れか〓カに限るべき であるとの窄へ方及び首座預金詮を原則とし乍ら、何例外的に小切手にも通億として作用する場合を認めるとい ふ見解に比べて、防って屠り、それ等の諸説の場合に存したる著†の矛屑は之れに依って取除かれるものと私は 考へる。即ち常座間金訟を探る場合に、過振小切手の詮明が充分に出来ないことを救ひ得ると共に、小切手が綿 々流通する場合の存することも何等の問題とならないのである。 更に、∵万の小切手訟を掘る場合に、預金通貨の数畳及び流邁速度といふ概念が梢々不明樅になるといふこと が轟げられてゐる釦に就いても、抽其の概念が不明確となる廃れは細いのである。只だ常座預金訟に於て小切手 が其の移柑の手段又は用具と見られにものが、通貨と見られるに至ったといふ差があるのみである。︵然t、預金 通貨の流通速度の概念乃至構想に就いで.は、何問題が存し得ると児はれるが、此鮎に就いては今偶れない︶。 何故に小切手を笛座預金の移植の手段又は用兵と見すして、それを代表す、るものとしで通償盲見るかの理由 ものであらうと牧ふ。 高松.碕等商業墜校紀光二千六有年記念論文集

(20)

は∵既に繭戻せるところに於て示されてゐるのでぁるが、葡次に少しく述べることゝする。

兎水、小切手は共の形式上の文言或は淡枠上よト見たる解鐸としては、共券面記載の金額の立挽を銀行に委託

するものとなつて腐り、之れが寓に貨幣の請求楷或は貨幣の代用物であ・るとしで、貨幣に非やとする見解があ

る。然し形式上或は法律上の解鐸としては正にそうであつてもJ方艇臍上に於ては之れが流感してゐる限り貨

幣の職能を潜んでゐると言ふことが出釆る。従って形式上貸聖簑倍を硯はすものであるにしでも、それが貨幣

化するに誉。之れは銀行券の場合で息還欝金の場合でも同株である。︵反之、米を代表する倉席詮穿や砂糖

の配給切符の如きものは、請求樺を硯はすもので雪といふ鮎に於ては同様であるが、之れを以て米或は砂晒

そのものと同志し得ないものである︶。其れ故に職能、表の立場に立つ以上、小切手を以って常座預金を代表

するものとして之れを通貨と見るべきであらう。然るに小切手蟹首座瞥金の移晒の用兵又は手段と見るのみで

は、椴令、之れに依って、小切手は現金通貨の文雄を要求するために用ひられてゐないといふことを示し得るに

しても、移時の用兵と見る以上は、それは恰も運搬用の軍器の如きものであつて、通貨として見られてゐないと

いふことになる。轟こ勿論、小切手の流通親臨は、法律上蓋示期間の制限があるじめに、銀行券のそれに比べ

で短く、叉流通の範掛に於ても銀行券よりも狭い︵強制通庸力箸こと、金瑚の棉敬、分別に不便空こと、使 用の習慣の程度の差等に図る。又時として不渡小切手の出る成れあることも闘係する︶が、兎に角流通する限り に於では通貨としての働きをなした警於て、銀行券と攣りは無い︵小切手が不渡となつた場合は、鍔竿銀行 預金道心風と其の賞牌

(21)

券に就いて悔追や那通が敬礼された場合と同株に、通貨としては無数と成る︶。 以上の如き埋由に依って、常座視金を基礎として振出される小切手は、常座預金を代表して通貨として流感す るが故に、両者共に通貨と見ることが出来る。経っで常座預金を預金通鷲と柄するならば、小切手を小切手通貨 と言ふべきであらう。 ところで、右の如き桝耕七射しては、問題となト得る郡が残存する。それは、右の如き解膵は、毀余通貨として 常塵翫金と小切手とを二鼻に貨幣としで数へるものであつで、之れは許されないとの意見の存することである。㈹ 私は之れは、‡として通貨と物慣との耕係に就いて起る問題と考へるが、此釦に就いて次に述べる。 小切手が振田されて流通してゐる問は、乏れに代表せられてゐる常座預金は未ぼ動いてゐない。預金の振替に 依って預金が動くのは、小切手が銀行に戻って流通を止めた時である。従って物惜との圃偵に於ては、小切手の流 通繍︵小切手の金繊に、それが支彿決済手段として川ひられた晒回度数を東じたるもの︶のみが紙質力として作川 し得る。此の意味に放て、東山された小切手の命頗とそれに代表せられる首座預金顧とを二弦に購褒力として作 用したものとして数へることは出奔ないであらう。然らば叫方に於て、小切手に代表せられてゐる常座預金は其 の閑職買力として働かぬ以上、之れを通貨ではないとしで通貨の中から除去し得るかと言へば、それを認めるこ とは出来ないと考へる。何となれば代表せられてゐる常産預金は、元釆小切手の振机される基礎として、叉必要 に應じて現金が引出される源泉として、山崎博士の冨はれる支挽準備王る撤能を紫んでゐる。従ってそれは決し 高聡嵩軍閥栄華校紀元二千六甘牢記念論文簾

(22)

で所動を全く中止したものセはない。只小切手が流通してゐる問は、之れに代表せられてゐる預金は購買力とし

て働いでゐないと冨ひ得るのみである○

伺、右に述べ誉ところと糾聯して活動を中止してゐる貨幣は貸簡と見られぬといふ考入方が時として存す

るのであるが、それに就いて、私は退蔵せられてゐる貨幣も、それを全く流通せしめることを断念した様な場合

︵例へば挿物館の蒐集の目的物と甘つた場含を除いては、央張貨幣であると見るものである。従って小切手が

流通してゐる聞はそれと首座預金とを二重に饉塵として見ることになるのであるが、之れは二重になつても美文

へないと恩はれる。斯かる二重幽係は、iE貨準備と其れを基礎として智行せられたる銀行券との間に於ても、亦銀

行券を以て立彿準備とする場合にそれと預金との問に於ても存するものである。ロハ小切手は他の諸形態の通貨に 澤

.∵

比べで、通貨として持糖的に流通することが最も短いだけ、流通を止めて消滅することも敢も早いものである。

円 山崎螢次郎 改訂貨幣認本 ∵Tト二〓た

の 山崎党次郎 前払苔 剛○貴。

拘 同 番 二六貫。

川 山崎盤次郎 貨幣問題雑観 ⋮○−一≡煮。

拘 山崎俊次郎 改訂食滞縛本 二先茸。

の 同 書 〓六夢。

の 間 欝 八−一〇貰。 汚金遺賢と北ハの貨鰻

(23)

命 中谷賓 前祝雷 四六−四七貫参照。 動 高揖保馬 前抱番 仙四山東。一九大貫。 ︵まこ 小島博士は、小切手なるものは、形式上に於ては、常座預金者が銀行に劃して典の券面記澱の金叡の現金支排を 疫託する各面になつてゐるが、元来はイギリスに於て個人銀行が、英蘭銀存銀行券の適役としての優越の地位を奪はん がため忙、﹁その印刷形式によるものを使用し初めたことにより、劇般に普及するに至ったものであるから、その使用の n帰朝より、預金を預金のまゝで、過払として通用せしむるの漁具として用ひられたのであ乙こと富はれてゐる︵小島良 太郎閉路青主二大−三二七貰︶。之れに就いて、私は次の如く考へる。博士の富はれるが如く、小切手は形式上現金 の支排を求める寄廊となつて周る、徒って現金引出の要求がある以上、銀行は勿論之れに應じなければならぬのであ る。然し元琴小切手が考へ出されたのは、常座預金の儀で移略せしめる法具としてといふよりも、寧ろ銀行券と圃様 に通貨の如くに依田させて、小切手を流速せしめんとするためではなかったかと思ふものである。 倫、小島博士ほ、我国の銀行的用語として﹁現金﹂といふ雷光が甚だ瞳瞳である脚例として、翌日の交換に於て入金せ られる小切手を現金と見徹してゐることを、傘げられてゐる。之れに就いては、其他の例と共に︵前抱苔 ミニ函−≡ ニ孟賞金照︶、私托博士の注意せられる如く、﹁銀行舶用欝に於ては、現金な皇日粟は、甚だ麗く用ひらるゝことが奉る から、昏々が、銀行忙於て作成せらるゝ諦統計を、利用計る暴食忙は、この鮎忙ついて、相常の浅海を排はなければ、 現数を誤ることとなるであらう﹂といふことを軍屈するものであり、狭義の現金箪貨と常掩鹿金及び小切手との区別を する必吏があると恩ふものである。貝だ、私は翌日の手形交換所に持甘される小切手を受入銀行が現金と肴徹し、叉簿記 に於て受入小切手を現金と看倣して記帳するといふ習慣が行はれてゐることは、首座預金を代表するものとして小切手 が過食として見られてゐることを物語るものではな∧いかと息ふ。而して此鮎ほ、預金適役否定論者の考ふべき鮎′と思ふ 高聡高等蘭薬袋校紀元二千六有年記念論文集

(24)

ものである。

以上、私は巌初に序ぎ於て述べたるが如晶序に於て、関金通貨の有力甘る膏鹿痴夢批評し∵関金通貨青史

の理由及び其の流通の根棟を述べ富後、其の賓岱に攣る問題に入つにのである。而して之れ笹押する諸節の

見御姦討したる結兼、預金通皆の驚警羞賢か小讐か濡れかの妄に限る訟に於ても、叉其の驚警

笛座預金と見、従って小切手を其の移柏の手段と見乍ら、倍或る場合には小切手を通貨と認める詭に於ても、反

駁せらるべき鮎が著干存することを知ったのである。そこで其等の鮎が如何にして除かれ、叉如何に説明すべき

かを考へたる結盛、結局魂されてゐる考へ方としではJ苫慮預金と小切手とを共に通貨と見る外は無いといふ方

向に進ん忘で芝。然し乍ら此の見方牽探る時に於て、問題として起り得るものが宋†換想せられる︰蒜に、

之等の問題に裁いて私の解柊を故後に述べたものである。斯くして、従来預金適警笛塵預金か小切手かの何れ

か〓カに限る時に生する矛眉は殆んと取除かれたのでは鋤いかと忍ふ。

然し或は尚、反封論の讐飴地及び私が見落してゐる鋸があるやも知れサ、2等の鮎に就いてほ警を仰ぎた

いと讐てゐる。叉私の詑述に於て不充分に見える鮎が雪と恩はれる。特に貨幣の本質的職能と其他の諸機能

との闘係、貸簡と信用との組係、曙簡と見るべ㌢も妙義箇、預金通貨の流通速度等囁れるべくして、述べなか

った事柄も存するのであるが、此虎で叫兜づ打切ること>する。 預金通放と此︵の蟹憾 〓ハ九

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