学習指導要領 の法的性格 と拘束力
社会科教育研究室 細 ――. `まじ
め
に 文部省が「文部省設置法」27条に根拠 をもつ教育課程審議会の答申を受 け
,小
。中・ 高等学校の それぞれの現行学習指導要領 を改訂 し,小
学校 においては昭和55年度,中
学校 においては昭和56年 度,高
等学校 においては昭和57年度 よ り,新
学習指導要領 の新 しい基準 による新教育課程が全面実 施 され るに至 った ことは,す
でに周知の ことである。 ところで,こ
の学習指導要領 が,教
育課程 の国家基準 として如何 なる性格 と法的拘束力を有する かの問題 は,憲
法・教育基本法・ 学校教育法等の教育関係法令の解釈運用 をめ ぐり,ま
た,国
家 と 教育 。国の教育行政権 の性格 と限界 とい う基本問題 をふ まえ,今
日の教育法学 における大 きな研究 課題 として多 くの論議のあるところである。 学習指導要領の現行法制下 における法的根拠 としては,小
学校 については学校教育法20条および 同法施行規則25条,中
学校 については学校教育法38条および同法施行規則54条の2,高
等学校 につ いては学校教育法43条および同法施行規則57条の2が
ある。 これを便宣上小学校 を中心 にみれば, 「小学校 の教科 に関す る事項 は,17条
及 び18条の規定 に したがい,監
督庁が これ を定める。」(学校 教育法20条)と
ある。 ここにいう17条は小学校 の目的,18条
は小学校教育 の目標 を規定 した もので あ り,本
条でいう「監督庁」は,「当分の間,
これを文部大臣 とす る」(同法106条1項
)と規定 され, 中学校・高等学校 について も,同
趣 旨の規定 がおかれている。 この学校教育法20条の規定 を受 けて, 学校教育法施行規貝J25条は「小学校 の教育課程 についてはこの節に定めるもののほか,教
育課程の 基準 として文部大臣が別 に公示する小学校学習指導要領によるもの とする」 としている。 か くして,学
習指導要領 が法的根拠 を有することは明 らかであるが,そ
の根拠法令である学校教 育法・ 同施行規則の解釈,そ
れ に基づ く学習指導要領の性格,
とりわ けその法的拘束力の有無 と程 度 については,学
習指導要領 をめ ぐる法律問題 の中心的課題 である。 およそ国家が,そ
の国の教育,特
に義務教育 を中心 とす る公教育 について一定の政策 をもち,そ
れを実現 しようとすることは,近
代国家成立以後,い
ずれの国家において も程度の差 こそあれ,見
られる現象であ り,(特
に共産圏にあってはこの傾向 は強いのであるが,)教
育 と国家・教育 と政治 の基本的関係 を考察すれば,
この ことは,一
定の範囲において是認 しうるところと考 える。 すなわ ち教育 は,本
来,価
値的存在 を創造する被教育者個人 に向 けられた内面的文化的活動 とし て,内
面性 。人格性・ 文化性 。専門性・創造性等の諸特性 を有する非権力的・非政治的なものであ るが,そ
の対象者 としての被教育者 は,単
に個人 として存在 するのみでな く,同
時 に社会的国家的 存在 である。 したが って教育 は,そ
のような人々 に働 きかける作用ではあるけれ ども,同
時 にそれ 哲108 細川 哲 :学 習指導要領の法的性格 と拘束力 は
,国
家社会 に対 して も無関係 ではあ り得ず,結
果的には,必
ず何 らかの形 でそれ らに影響 を及 ぼ すことにな り,教
育が個人の問題 であると同時 に社会的国家的関心事 となる。特 に国家が,自
由主 義的夜警国家理念か ら積極的発展的国家理念 として,文
化国家・平和国家・福祉国家の実現 を企図 している現代 においては,国
家の教育 に対す る関心 と要請 は,大
なるものが あるといい得 る。 この ことは,教
育基本法前文 冒頭 に「われ らは,さ
きに,日
本国憲法 を制定 し,民
主的で文化的 な国家 を建設 し,世
界の平和 と人類の福祉 に貢献 しようとす る決意 を示 した。 この理想の実現 は, 根本において教育 にまつべ きものである。」(傍点筆者)と
して,国
の政治理想の実現 は,基
本的に は教育の力によるとして教育 に期待 し,「教育立国」の理念 をかかげてい るところか らも明 らかであ る。 これ は,現
在わが国が民主国家・ 民主政治 として,一
人一人の政治的社会的教養・判断の集積 がその国の政治の方向 を左右す るものであ り,そ
の国民一人一人の政治的社会的教養・判断は,教
育 によって養成 され るところが大 きいだけに,当然の ことといわなければな らない。また,「善良で す ぐれた国家公民の育成」 は,社
会的人格形成 の必要な一部 として,教
育 の 目標 の一 つで もあ り, 同時 に国家にとっても必要な資質 として,国
家的要請のあるところである。 か くして教育 と国家 は,本
来,次
元 を異 にしなが ら,他
面 において関係 しあい協力する一面 を有 するところか ら,両
者の関係 を如何 に考えるかによって,ま
た,現
在の国民主権 による議会制民主 国家 と国民 との関係 を如何 に把握するかによって,先
に掲げた学習指導要領 の根拠法令 の解釈 にも 相違 をきたし,学
習指導要領の法的性格,拘
束力 について も多 くの論争のあ るところと考 え られ る が,
これ らの点について若千の考察 を試みるものである。 二.学
習指導要領の法的拘束力に関する学説 まず,学
習指導要領 の法的性格,
とりわ けその法的拘束力 について考察す る前提 として,こ
れ ら に関す る現在の学説 を筆者 な りに整理 。概観 してみることにす る。1.法
的拘束力全面肯定説 かかる学説名称 は,筆
者が便宜上用いる表現であるが,従
来,文
部省 当局 の行政解釈 を中心に示 され る見解である。文部省当局 は1958(昭
和33)年
の第二次学習指導要領改訂の頃か ら,学
習指導 要領 の法規性 と法的基準性,拘
束性 を唱え始め,以
後一貫 して今 日までその基本的立場 は変 ってい ないようである。 すなわち,前
記学習指導要領改訂 による教育課程改訂 をひか えて,文
部省 が「学習指導要領 は, 学校教育法施行規則25条によって,法
的に基準の意味 をもってお り,単
なる参考ではない。……・教 育的基準は,通
常の場合 これによるべ きものであって,… …・ゆえな くしてそれに従わない ことは許 されない。」という見解 を示 し,今
まで学習指導要領 は指導書であ り教師の仕事 を補助す る手引書で ある,と考えられていたのに,「単 なる参考ではない」「 それに従わない ことは許 されない」)とい う法 規説 を唱 え始 めた。 学習指導要領 は,戦
後,ア
メ リカのコース・ オブ・スタディ (CourSe Of Study)に ならって編集 された ものであるが,
もともと学習指導について述べ るものを目的 として作 られた,教
師のための 手引書・ 指導書であ り,教
師 はそれに縛 られるのではなく,創
意 と工夫 をはた らかせ,そ
こに示唆 されているものを活用することが大切 であると考えてきた協この ことを学習指導要領の文語で見 ると, 〔学習指導要領 の目的〕「学習指導要領 は,児
童や生徒の学習の指導 にあたる教師 を助 けるために書 かれた書物であって,教
師が各学校 において指導計画 をたて,教
育課程 を展開する場合 に,教
師の 手引 き として,教
師の仕事 を補助 する もの として,役
立つ ものでな くてはな らない。」(昭和26年改鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第34巻
109
訂版 『学習指 導要領一般 篇』1ペー ジ) 〔学習指導要領の使 い方〕「学習指導要領 は,学
校が指導計画 をたて,これを展開す る際 に参考にす べ き重要な事項 を示唆 しようとす るものである。 したがって,指
導計画の全部 を示す ものではない し,ま
たその通 りの ことを詳細 に実行す ることを求めているもので もない。教師は常に創意 と工夫 とをもって,… …・これ を創造的に用いねばならない。」(同書2ペ
ージ)と
している。 しか し,文
部省 は,昭
和31年度改訂高等学校学習指導要領一般篇について,「現行学習指導要領が 示唆であ り,参
考 とすべ きもの と述べていることは,そ
の基準性 をあい まいな もの とし,混
乱 をお こした大 きな原因の一つである。」ので「今回,改
訂 された高等学校学習指導要領一般篇では,示
唆, 参考指導書,手
引書等の言葉 は,い
っさい用 い られていない。」「学習指導要領 に示 され る事項 は, すべて基準 となるものである,
との前提 にたって」その書 き方 も,法
令 の規定 に準 じて,「しなけれ ばな らない。」「する もの とす る。J「することがで きる。」 という表現 を とった と説明°)している。 すなわち,学
習指導要領か ら指導書的性格 をな くしその法的性格 を強調 しはじめ,近
年では,学
習指導要領 は教育課 程の法的基準であって,事
項 によ り強弱の差 はあるに して も法的拘束力 を有す るものであるとして,そ
の法的拘束力 について次のように説明 している。 「 まず第一 に,教
育委員会 はもとよ り学校 において も,授
業 を行 う個々 の教員 も,
これに従わな けれ ばならないということであ り,第
二 に,違
反の事実があれば,是
正 のための措置 が とられなけ ればな らない ということである。 また,裁
判所で争われ る場合 には,他
の法令 と同様,裁
判の規範 となる。 この意味では,学
習指導要領 は,他
の法令 と同様 に考 えられ るが,そ
の規定 の内容が弾力 性に富んだものである点 に特徴がある。甲としている。 また,指
導助言のみ をもって しては適切 な教育 は確保 しがたい といぅ立場か ら,伝
習館高校事件 の判決について,時
の文部省初等中等教育局長 は,次
のように批判 している。すなわち「 しかし, 学習指導要領の法的性質 については,指
導要領の条頂中には強行規定 に相当する部分があ り,こ
れ については法的拘束力があ り法的制裁が及ぶが,そ
の余の条頂 は,訓
示規定 として法的制裁が及 ば ないとする。そ して指導要領 中,法
的拘束力がある条頂 として,教
育課程 の構成要素,各
教科,科
目及びその単位数,卒
業 に必要 な単位数及 び授業時数,単
位修得の認定 をあげるが,指
導要領 に示 す各教科・科 目の「 目標」「内容」については,法
的拘束力がない とする。判決は,そ
の理由 として, 各教科・科 目の「 目標」 については,『教師が当該科 目を教育する際の大 まかな指針 を列挙 したもの であるが,抽
象的かつ多義的であって,こ
れ を教師に法的拘束力 をもって強制することは適切でな い』 とし,ま
た各教科・科 目の「内容」 については,『その全てにわた って,必
ず生徒 に履習 させ る ことを要求 している もの と解するならば,他
面教師の教育 の自主性 との間に矛盾,衝
突 をきたす こ とがあるのを避 けられない (から)… …・名教科の内容の実現 は,法
的拘束力 をもって教師 を強制す るには適 しない し,望
ましい もので もない』 とし,こ
れ らは訓示規定 と解 するのが相 当であるとい う。本判決は,国
の教育内容 の基準の設定の必要性 を認めなが らも,そ
れを教科・科 目名や単位数, 授業時間数な ど教育課程の外枠程度 に限定 しているわけだが,国
の基準立法の範囲を このような狭 い部分 に限るのは,全
く理 由がない と考 える。 むしろ,公
教育 にお ける基準立法の必要性が,教
育 の機会均等の保障,適
切な教育 内容の確保,教
育水準の維持向上の要請 に基づ くものであることか らいえば,こ
のように狭 い基準立法では国の責務 は十分に果 し得ない といわねばならない。教科・ 科 目名 や単位数等 は,教
育課程 の重要な要素 として勿論大切である。 しか しそれ以上 に,実
際の授 業の適正 を確保 する各教科・ 科 目の 目標 と内容の大枠の規定 は,重
要である。指導要領 に定 める目 標や内容 に法的拘束性がな く,そ
れに反する場合 も法的責任 を追及 しえない とするならば,仮
に国細川 哲:学習指導要領 の法的性格 と拘束力 語 とか数学の授業 と称 して
,全
くこれ と異 る指導 を行 って も何 ら法的に是正 をな し得 ない ことにな る。 これでは,
もはや公教育 とはいえないであろう。学習指導要領 は,本
判決 も認 めるように,法
律の委任 に基づいて定 められ るものである。換言すれば,そ
れは法律の定 める教育 の目的 。目標 を 具体 的に実現する基準である。教育基本法や学校教育法の定める教育の目的 。目標 は,極
めて拍象 的であるので,そ
の ままでは各学校段階での教育 の基準 としては不十分である。 そこで,こ
れ らの 法律上 の目的・ 目標 を具体化するもの として学習指導要領 を定めているのである。本判決のい うよ うに指導要領 に定める目標が抽象的・ 多義的であるか ら法的拘束力 を持ち得 ない とするな らば,当
然その上位 にある教育基本法や学校教育法 は,そ
れ以上 に抽象的 。多義的規定であるか ら,そ
の法 的規範性 を否定せ ざるを得 ない こととなろう。7と して公教育 における教育 の機会均等の保 障・適切 な教育内容の確保・教育水準の維持向上 の立場か ら,学
習指導要領の法的拘束力 は単 に教育課程の 外的構成要素 としての各教科・科 目の名称・ 単位数・ 授業時数等のみな らず,各
教科・科 目の「 目 標」「内容」 について も及ぶべ きであるとして,本
判決 を批判 し,指
導要領 に定 める各教科 。科 目の 「 目標」や「内容」 も決 して指導助言的な ものでな く,法
的拘束力 を有するものであ り,ま
たそう でなければ,公
教育 における適切 な国の教育責務 を果 し得 ない としている。 この学習指導要領の法的性格 と法的拘束力 は,今
回の小学校 。中学校及 び高等学校 の一連の指導 要領 の改訂において も変 っていない と,文部省の行政解釈 を中心 とする説 は説明0し ているのである。2.大
綱的基準説 国の教育課程の基準 は,「大綱的基準」にとどまるべ きであ り,そ
の限 りで は法的拘束力 を認 める 説である。 かって,兼
子仁教授 は(その後改説 してお られるが)「教育課程 の基準設定 は,公
立学校 の場合 は地方の固有事務 として教育委員会の権限 にも属 しているものであるか ら……,文
部大臣に よる基準立法 は,少
くともこの地方の権限,及
び各私立学校の教育 の自由 を侵害 しない程度 の もの でなければならない。 さらに,教
育権 の独立説 においては,各
学校の教員の組織教育課程編成権 を 不当に支配 しない程度でなければならない。 とす るな らば,学
校教育法の委任 による教育課程 に関 する国の法規命令事項 は,ご
く大綱的な基準すなわ ち『小・ 中学校の教科 と時間配 当,高
等学校 に おいては教科・科 目・授業時数・単位数 など』 に限 られている,
という見解 もな りたつ。」 とし,現
行の学習指導要領 の告示 は,各
教科等の教育 内容方法・教材について まで詳細 を きわめ,「大部分 が 委任の限界 を逸脱 してお り,法
規命令 として法的拘束力 をもち得ない。」 としている。ただ,「法規 命令 として効力 を もち得ない ものであって も,そ
の沿革 との関係で,指
導助 言行為 として適法 とみ る余地が多分 にある。告示形式 をとることは,右
の ことを左右す るものではない?と し,さ らに,右
の「 ご く大綱的な基準 とは,第
一 に性質上,全
国的画一性 を要す る度合が強 く,指
導助言行政 その 他国家立法以外の手段で まかない きれ ないような事項 に限 られ」,「第二 に,当
該事項 の広狭 は,基
準立法の立案制定手続 きに,教
員代表 をはじめ教育関係者の代表が,ど
の程度 自主的に参加 を保 障 され るかに関連 して くるPと
述べている。 したが って教授によれ ば,学
習指導要領 はその うちの「ごく大綱的 な基準」のみが法規命令 とし て拘束力 を有することになる。 しか し,大
綱的基準 を現時点で,静
的 。一義的 に決定づける という ことは難 か しく,そ
の範囲を,兼
子仁教授の言われ る如 く,教
科・ 科 目 。時間配当・授業時数 。単 位数等に限 ることは,教
育 の内的事項への国家介入 を排除す る見地 とはいえ,や
や狭 いので はなか ろうか。「教育課程」 を如何 に考 えるかであるが,児
童。生徒がその発達段階 に応 じて学習す る教材 内容が大 きな要素を占めるものである限 りは,そ
れについての基準 は当然,教
材・ 教育 内容 につい ての基準であることになる。 したがって大綱的基準の範囲は,教
育内容 に関する もの を除外す るこ鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第34巻
Hl
とは不 当である。 また,か
かる基準 を全面的に否定す ることも妥当でない。要は,教
育課程 (教育 内容)に
関する基準は必要ではあるが,問
題 はその基準の性格 であ り,範
囲であ り,拘
束力 を教育 の本質 との関係で如何 に考えるかである。 また,大
綱的基準については「 どのような ものが これに含 まれるべ きかを総合的に検討 し,そ
の 範囲 を確定する必要があるし,ま
た大綱的基準の内容 は,教
育行政が一方的 に決めるとい うのでは な く,教
育行政 か ら一定の独立 を保 った審議会ない し協議会 (現在の審議会な どを大幅に変 えた も の)の作成に求めるな ど,新
しい工夫が なければな らない。要 は,国
民教育 の理念や 目的 にそった, 国民の教育権 の保障 を実現する為の大綱的基準 を創造する新 しい制度構想 と,そ
れを支 える運動の 中で決め られるべ きであ り,そ
の為の作業が急がれ なければならないPとの見解 もみ られ る。3.一
部法的拘束力肯定説 1976年の北海道学カテス ト事件 に関する最高裁の判決にみ られる見解であるが,同判決 は,「国の 教育行政機関が,法
律の授権 に基いて義務教育 に属する普通教育 の内容お よび方法について遵守す べ き基準 を設定する場合 には,教
師の創意工夫の尊重等,教
基法10条に関 して,さ
きに述べた とこ ろのほか,後
述する教育 に関する地方 自治の原則 をも考慮 し,右
の教育 における機会均等の確保 と 全国的な一定の水準の維持 という目的の為に,必
要かつ合理的 と認 め られる大綱的なそれに とどめ られるべ きもの と解 しなけれ ばな らない」 としている。 しか し,原
判決が「教育課程 の編成 要素, 教科名,授
業時数等のほか……ご く大綱的な事項」を大綱的基準 としたのは,「狭 きに失 し,
これ を 採用することはできない と考 える。」 として,「大綱的基準の範囲」 を特に限定することな く,む
し ろ「大綱的基準の範囲を広 く解 し,膨
大細密な当時 の学習指導要領 をもってなお大綱 的基準 とみて, その法的拘束力 を認めるものであ り」「教育内容 に対 する行政の権力的介入がいっさい排除 されてい る との結論 は導 きだせ ない」として,「許容 され る目的のために必要かつ合理的 と認 め られ るそれ は, た とえ教育の内容および方法に関するものであっても,必
ず しも同条の禁止するところではない」 として,当
時の学習指導要領 を「少 くとも法的見地か らは……必要かつ合理的な基準の設定 として 是認することがで きるJと
し,学
習指導要領 が法的拘束力 を予定 しない部分,法
的拘束力 を持 つべ きでない部分があることを認める一方,教
育内容 に関する部分 について も,法
的拘束力 を有 す るこ とを間接的に認める見解 を示 している。4.外
的教育条件説 本説 は,「大綱的基準説」立論 の前提への疑間 と,教
育行政権の教育内容不介入の原則 を厳守す る 立場か らの説 といえよう。 すなわち,「大綱的基準説」 は,大
綱 と細 目 との限界の不明確性等,そ
の表現・観念のあい まいさ か ら,教育 内容 自体 の基準設定へ踏 みこむ余地 を残 し,「ひ とたび,教
科教育内容 を定 める法規 を認 め る時 は,教
育内容の流動性 と有機的関連性か らして,そ
の法的意味,内
容があいまいなままに,そ
の法的限界 を明確 に画することが不可能にな らざるを得ない」。との反省 にたって,教
育内容 にかか わ る法的規制 を明確に排除 し,法
的規制 は教育 の外的条件のみに限定する説である。 しか も「監督庁が,
これ を定 める」 という学校教育法20条の文言自体 か ら,た
だちに監督庁=文
部大臣が「拘束力ある法規命令制定権=行
政立法権 を授権 されていると解す る必要 は,論
理上必ず しもないのであるよザとしている。か くして文部大臣が,学
校教育法20条によって定 めることは,教
育の本質 をふまえ,憲
法・ 教育基本法の原理 との矛盾のない体系的解釈によって決め られねばなら ぬ とし,「憲法・教育基本法の規定する教育内容 に対する教育行政の不介入の原則および教育 におけ る,…
…地方自治の原理 を基礎 として,学
校教育法20条を解す るな ら,同
条 は,二
般的 に何 ら教育細川 哲 :学 習指導要領の法的性格 と拘束カ 内容 についての法規命令制定権
=行
政立法権 を文部大臣に授権 した もの とい うことはで きず,
まず 文部大臣 に『教科 に関する事項』 についての何 らかの裁量権 を与 えた ということが確認 され るのみ である。 そしてその裁量権 とい うこと自体,行
政立法権 の行使 または何 らかの権力行為 をなすに当 っての もの とは,当
然 にはな らない。」°としている。 特 に,「教科 に関する事項」という文言については当然 に「教育課程」を含 むものでない とす る論 者 もあ り,「教科 に関す る事項」は教育の「内容」なので はな く,教
育基本法10条 2項にい う「教育 の目的を遂行するに必要 な諸条件」(外的教育条件)のことであるとしている。 また,文
部大臣 に法 規命令制定権がある として も,そ
の内容 はこの「外的教育条件」に限定 され るとして,学
習指導要 領 に法的拘束力のある部分 とい うのは,大
綱的部分 とい う不明確 な ものでな く,こ
の外的教育条件 部分 であるとす る。 この外 的教育条件説 と類似 した ものに「学校制度 的基準」説 といわれ るものが ある。兼子仁教授 は,「学校教育法が『教科 に関す る事項』の立法化 を予定 しているのは,『学校制度法定主義』の一 環 として『学校制度的基準』 を成す,各
学校段階の教育編成単位である教科科 目等の法定 にほかな らない」とされる。すなわち「 日本国憲法26条1頂
Fすべての国民 は,法
律の定めるところによ り, ……・教育 を受 ける権利 を有する』 との規定 にいう『法律 の定 めるところによ り』 とは,教
育 の外的 事項 に関す る法律主義 をさし,そ
こに『学校制度法定主義』の原理が含 まれているもの と解 され る。 ……ここには,学
校種 別や教科 目な ど学校 の教育内容 に密接す る事項 (・……混合事項)も
含 まれて いるが,そ
れ らが学校制度の一部 として法定 され るか ぎ りでは,国
民 と教師の教育 の自由に反 しな いもの と,近
代 の欧米教育法制史いらい観念 されて きている。 しか し,…
…教育 内容 に密接す る学 校制度の部面の法定 については,そ
の限界の見定 めが肝要であろう。」とし「同法施行規則が法定 し ている教科・科 目名,そ
れ以外の教育課程構成要素,標
準授業時数 までは,一
応 は立法事項 たる『教 科 に関する事項』 に当ると解 され るが,立
法可能な学校制度的基準 は,前
述の通 り,施
設設備 か ら 学校組織規模 (学校 。学校規模・ 教職員数)を
経て学校教育組織編制 (入学・卒業資格・ 教育編制 単位)に
及び,そ
れ は,右
の教科 目等 に終 るのであ る。 したがって,い
わゆる『大綱的基準』説 は, 右の教科 目等の学校制度的基準 を越 えて,教
科教育 内容 にわたる法規的基準 をも容認す る余地 を含 むかぎり,疑
間 としなけれがならない。学習指導要領が,各
教科 をは じめ学校教育活動の内容 にわ たる基準 を記 している以上,そ
の法規性 は,
もはや学校教育法による学校制度法定主義の域 を越 え るもので,教
育法制上,当
然 に認 められ うるところではない」うとして,大
綱的基準説の批判の上 に たち,教
育内容 に関す る教育行政権 の権力的介入 を全 く排除す ると共 に「学校制度的基準」事項 に ついての立法化 は許容 してい るのである。 5。 法的拘束力否定説 学習指導要領が「教育課程 の基準」 として,各
教科 の学校教育内容 に関す るものである以上,教
育基本法10条 1項の原理 に照 らし,「学習指導要領が,大
綱性 と弾力性 を失 う限 りにお いては」教育 基本法違反 として,そ
の拘束力 を否定する見解がある。すなわち,有
倉遼吉教授 は,「教育課程の基 準 を何れかの形で適 当な機関が作成することを,義
務教育 において全面的に否定することは妥 当で はない。 しか し現在の ように,国
の行政権力が法規 の形式で定めることは,決
して妥当 とはいえな い。教育課程 の基準 を強制す ることは,そ
の作成主体 がいかなるものであるとを問わず,教
育 の本 質 と相容 れない。教育基本法 の本質を価値判断の基準 として考 えた場合,こ
のように論断せざるを 得 ないのである。」りとして,教
育課程の基準を「適 当な機関」が作成す ること自体 は否定 しないが, 国の行政権力が法規の形式で作成することは妥当でない とし,
しか もその教育課程の基準 となる内鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第34巻
■3 容が強制 され ることは
,教
育 の本質 と相容れない もの として,「弾力性 のない運用 は,違
法性 をおび る」としている。か くして有倉遼吉教授は,「したが って法律 に根拠があ りさえすれば,す
べて『不 当な支配』に当 らない とすれ ば,法
律 に根拠のある学習指導要領 の作成が,本
条違反 になる可能性 は全 くないといわなけれ ばな らぬ。 しか し,何
が『不当な支配』であるか とい う基準 を,法
律上の 権限の有無に求めることは妥当ではない。 このような解釈 は,国
会や政府の行為 を全て正当 とし, 逆 に民間団体の行為 を全て不当 とす る危険 な官僚的発想である。国会の定める法律であって も,憲
法や教育基本法の精神 に違反 するものは,『不当な支配』にな りうるし,政
府や各省の定 める命令や 告示であって も,そ
の内容が憲法や法律 に違反するものは同 じく『不当な支配』にな りうるもので ある。」°として,学
校教育法に法的根拠 を有する学習指導要領 も,憲
法・教育基本法 に反する時 は違 法 としてその効力 を否定 され るとし,教
育基本法違反の有無 は,学
習指導要領 の拘束力の有無 によ るとして,学
習指導要領 が教育 の内容 と方法 をどのように拘束す るか,も
しそれが参考書程度の も のであるならば,そ
の内容が如何 なるものであるにせ よ,教
育基本法10条違反 をそれほ どやか まし く論ず る必要はな く,こ
れに反 して,教
育の内容や方法 を強 く拘束す るものであれば,違
法 として その効力 を否定 されるとしている。 しか も,昭
和33年学校教育法施行規則の改正 に伴 い,学
習指導 要領が文部省告示の形式 をとるに至 った ことについて「告示の形式にきりかえたことは,ゃ
は り拘 束力の有無 に何 らかの影響 を与 えたもの といわなければならない と思 う。告示 (国家行政組織法14 条1項)は
,一
般性 を もつ国家行為の公示の形式であって,官
報の告示欄 に掲載 さる。 それは,公
示せ られない文部省著作物 と異 り,少
くとも法的拘束力 をもつ可能性 をもつ とい うべ きである。 し かし,問
題 は法的拘束力の実質であ り強弱である。 そして,そ
の実質・ 強弱は,学
習指導要領 にお ける表現によって定 まる。 きわめて概括的にいえば,従
来の学習指導要領の表現 は,一
義的義務づ けの場合 は少いのであって,幅
や弾力があるのが通常であった。 ところが,昭
和43年6月30日に発 表された新学習指導要領 によれ ば,右
の実質 は変化 したようである。特記すべ きことは,総
則の部 分で『各教科,道
徳な らびに特別活動の内容 に関する事項 は,特
に示す場合 を除 き,い
ずれの学校 において も取 り扱わなけれ ばな らない』 と定めていることである。 このような義務づけの規定が増 えれ ば増 えるほど,学
習指導要領の法的拘束力 は強 まり,ま
たそれ に比例 して教育基本法10条に違 反する危険性 も大 きくなるのであるよザとして,教
授 は学習指導要領 の法規性 を認 め られた上で,こ
れが法的拘束力 を強める限 り教育基本法10条違反 として,そ
の効力 を否定 され るようである。 さら に,学
習指導要領 を根拠 とす る学校教育法は,教
育基本法 と同 じ法形式の効力でな く,学
校教育法 より教育基本法の方が法形式 として上位の効力 を有すると説かれている。 6。 指導助言文書説 これは,学
習指導要領 その ものの法規性 を否定するものである。文部省当局のイ子政解釈に示 され る如 く,「学習指導要領 に含 まれ る『事項 ごとの表現に応 じて』その拘束力の強弱があるとしても , 一般 に学習指導要領 は,学
校教育法の委任を受 けて,文
部大臣が作成 し公示 した ものであるか ら, 法規命令 として法的拘束力が ある」 とする見解に対 し「学習指導要領が文部省告示の形式 をとった ことから,当
然 にそれが一般的全部的に法規命令 として法的拘束力 を有するとはいえず,実
際に学 習指導要領 に書かれている事項の一つ一つが全 て法規命令たる性格 をもつかどうかは,実
体 に即 し て具体的な検討 を経なければ断言でき」9ず,「要するに,単
に形式面か らのみ迫 るとすれば ,『学習 指導要領』の法的性格 は,『法規命令た る性格 をもつ ことがで きる』とい う限度 にとどめておかなけ ればならない」。としてい る。告示の形式をとった場合 において も,非
拘束的な性質の ものであるこ ともあ りうるとし,学
校教育法の規定 をうけた文部省告示 とい う形式のみによって学習指導要領の細川 哲:学習指導要領の法的性格 と拘束力 法的拘束力の有無 を論ずべ きでない というところか ら出発 している。 さらに「文部省告示」の形 を とっていることは
,文
部省作成 の指導助言文書 を全国の教育界 に一般的に周知 させ ようとする行政 措置の「公示の形式」にす ぎず,「学習指導要領の告示 は,学
校教育 内容 に関す る国 (中央教育行政 機関)の指導助言的基準が公示 された ものであ り,全体 として 法的拘束力 を有する法規ではないざP
とす るものである。 この学習指導要領 の法規性否定 の実質的理 由は,学
習指導要領が「教育課程の基準」 として,各
教科の学習内容に関する ものである以上,教
育基本法10条 1項の教育への「不 当な支配 の禁止」の 原理 にて らして,国
家が教育 内容 に権力的 に介入することを一切排除 しようとす るものであると 以上,学
習指導要領 の法的拘束力 に関す る学説 を筆者な りに概観整理 してみたが,そ
れぞれの学 説の細部の内容 については,種
々ニュアンスの異 った ところがあ り,ま
た複数の説 を混合 して主張 され る論者 もあ り,説
自体が いまだ流動的な もの もあるが,強
いて分類 してみれば,以
上 のように な り得 る と考えるものである。 筆者の見解は,分
類 としては指導助言文書説 に入 るものであるが,そ
の根拠・ 理 由等 は,従
来 い われてい るところとは異 るものである。筆者 としては,法
的拘束力否定説や指導助言文書説の論者 の如 く,国
(文部省)が
学校教育 の外的条件のみな らず,そ
の教育内容 に関与介入す ることを全 く 排除する ものではない。 に もかかわ らず,筆
者が学習指導要領の法規性 を否定 し,そ
の法的拘束力 を否定するのは,学
習指導要領 自体が,各
教科・科 目の各学年 にお ける学習 目標や学習内容の指針 を記 した文書が中心であ り,そ
の文書 自体が法的構成 を備 えた法規 としての実質 を欠 いているか ら である。 また,一
部 あるいは大綱的部分 に法規 として法的拘束力 を認 めることは,法
的安定性の面 か らこれを是認することには問題 があ り,学習指導要領 自体 の形式・ 内容 か ら考 えて,全体 としてそ の法規性 を否定せ ざるを得ない とする ものである。 しか も筆者 は,法
的拘束力 を否定 する論者の如 く,教
育の本質か ら考 えて法的拘束力 を持つべ きでない とす るの に対 し,それ 自体,法的拘束力 を持 つ必要 はないとする点等が異 るようであ る。 これ らの点 については,あ
とで項 を改めて述べ ることにす る。 三。法的拘束力に関する判例の動向 学習指導要領の法的拘束力 に関す る判例 は,教
科書裁判,全
国一斉学カテス ト裁判等の教育裁判 において示 されているものであるが,ま
ず,法
的拘束力 を肯定す る判例 として教科書裁判の第一次 訴訟 (国家賠償請求訴訟)の
第一審・ 高津判決 と学カテス ト盛岡地裁判決 をあげることができる。 教科書裁判 。第一次訴訟 。東京地裁判決 (昭和49年 7月16日) 「,……しか しなが ら,さ
れば といって公教育の場 における教育方法や教育 内容 に対す る国の教育 行政が原則 として排除 され,た
だ全国的な大綱的基準の設定や指導助言 をな しうるに とどまるとす るほど,右
教師の教育の自由ない し独立が,排
他的,絶
対的であ りうるはず はないのである。」とし て,教
育の方法 と内容 に関す る文部省の公示する学習指導要領 に,間
接的にその法的拘束力 を認 め ている。 学カ テス ト裁判・ 盛岡地裁判決 (昭和41年7月22日) 「学校教育法38条,106条
1項によれば,文
部大臣は,中
学校 の教育課程 の国家基準 を設定で きる とされているので,教
育課程編成権 は,第
一次的 には文部大臣に包括授権 されていると解 され るか鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第34巻 ら
,本
件学力調査の試験問題作成権 は,同
法38条によ り,文
部大臣に存するもの と解 され」,「なお この点か ら,学
習指導要領 は法規命令 としての効力 をもち,学
校及び教員に対 し,事
項 によ り強弱 はあるが法的拘束力があるといわなければな らない」つと述べ,文
部大臣が公示する学習指導要領の 法規性 を肯定 し,「事項 により強弱は」あるとして も一定 の条件の下にその法的拘束力 を認 め,文
部 省 を中心 とする行政解釈 とほぼ一致する見解 を示 している。 これに対 して,学
習指導要領の法的拘束力 を否定するもの として,教
科書裁判・第二次訴訟 (検 定不合格処分取消請求訴訟)の
東京地裁判決 (杉本判決)・学カ テス ト事件 に関す る福 岡高裁判決・ 大阪地裁半J決等が考 えられ る。 教科書裁判 。第二次訴訟 。東京地裁判決 (昭和45年7月17日) 「ここにいう教育の本質は,こ
のように子 どもの学習する権利 を充足 し,そ
の人間性 を開発 して 人格 の完成 をめざす とともに,こ
のことを通 じて,国
民が今 日まで築 きあげられた文化 を次の世代 に継承 し,民
主的・ 平和的な国家の発展ひいては世界の平和 をになう国民 を育成する精神的文化的 な営みである というべ きである。 してみれ ば,国
家は右のような国民の教育責務の遂行 を助成 する 為 に もっぱら責任 を負 うものであって,そ
の責任 を果す為 に国家に与 えられる権能 は,教
育内容 に 対す る介入 を必然的 に要請するものでな く,教
育 を育成す るための諸条件 を整備することであると 考 えられ,国
家が教育 内容 に介入す ることは,基
本的には許 されない というべ きである。」 として, 国家が教育内容 に介入することを原則的に禁止す る考 えを示 し,「
国が教師に対 し一方的 に教科書 の使用 を義務づけた り,教
科書の採択 に当 って教師の関与 を制限 した り,あ
るいは学習指導要領 に して も,その細 目にわたって これを法的拘束力あるもの として現場の教師に強制 した りす ることは, 叙上の教育 の自由にて らし,妥
当ではない といわなければならない。」として学習指導要領 の法的拘 束力 を「妥当ではない」 という表現で間接的に否定 していると解 され る。 福岡高裁判決 (昭和39年5月 4日) 「本件学習指導要領 は,教
育課程 につき大綱 を示すに止 まらず,各
教科の教育 内容方法,教
材等 につき詳細に定 めてお り,文
部大臣による国の基準立法の限界 を逸脱 しているものがあ り,こ
れ ら は実際の運用上 の取扱 いのいかんにかかわ らず,法
規命令 としての法的拘束力 を持 ち得 ない。」働 大阪地裁判決 (昭和41年4月 13日) 「文部大臣の『教科 に関する事項』を定 める権限は,『中等初等教育 における全国的画一性 を維持 するに必要な極めて大綱的な教育行政の国家的基準の設定 (高等学校 については,教
科,科
目,授
業時間数,標
準単位教 など)に
限 られ るべ きもの』 であるとしつつ,右
の『極 めて大綱的基準』の 枠外の事項 については,文
部省の定 める学習指導要領 も法的拘束力 をもたず,単
に助言 。指導の意 味 をもつにすぎないのである。」9と して,福
岡高裁 。大阪地裁 ともに「教育課程 についての大綱」な いしは「極 めて大綱的」な部分については,法
的拘束力を認 めると読み とり得る面 も考 え られ るが, これについては明確な表現を避 けるとともに,こ
の「極 めて大綱的」の中味 についての特別 な吟味 がなされ ないまま,法
規命令 としての法的拘束力 を否定 している。 学習指導要領の各条項 を強行規定 と訓示規定 に分 け,強
行規定 に相当する部分 について は法的拘 束力があ りとす る ものに,伝
習館高校事件 の第一審・ 福岡地裁判決がある。伝習館高校事件 は,同
高校 の二人の教諭がその教育活動のなかで,「所定の教科書 を使用 しなか った」「学習指導要領 に定細川 哲:学習指導要領 の法的性格 と拘束力 め られた当該科 目の目標及び内容 を逸脱 した指導 を行 った」「生徒 に対 し,特定思想の鼓吹 を図 った」 な どの理由で
,福
岡県教育委員会か ら地方公務員法29条1項各号 による懲戒免職処分 を受 けたのに 対 し,そ
の処分取消 と処分の執行停止 を請求する民事訴訟 を提起 した事件であるが,判
決 では学習 指導要領の法的性格が正面か ら取 り上 げられている。 伝習館高校事件・ 福 岡地裁判決 (昭和53年7月28日) 「 まず,『教育課程の基準 として文部大臣が別 に公示す る学習指導要領』(学校法施行規則57条の 2)と いう場合の『教育課程の』基準 とは,教
育課程 の編成及 び実施の両方の基準であると解 され る が右 の『基準』の意味 は必ず しも明瞭ではない。 そこで,本
件学習指導要領 は,果
た して どのよう な法的性格 を有するかを確定する必要 にせ まられ る。 この際,三
通 りの解釈が可能であるように思 われる。その一 つは,学
習指導要領のすべての条項が,法
的規範のないものO旨導助言文書),そ
の 二 は,す
べての条項が法的規範 を有するもの(法的拘束力ある規定),そ
の三 は,法
的拘束力 のある 条項 と指導助言文書 たる条項 とに分 けるものである。前述の憲法及 び教育基本法 の解釈 において示 した,教
育内容及び方法に対する規制の限界 を再度要約 すると,そ
れは,教
育基本法10条による教 師の教育 の自主性 を尊重 し,教
育現場で教 師が,創
意 と工夫 を発揮 し,生
徒の個性 に応 じた弾力性 ある教育 を損わない範囲内において,教
育 における機会均等の確保 と全国的な一定の教育水準の維 持の必要性 を充足す る基準であるべ きと抽象的に言 い得 るが,「現行教育制度 は,地
方分権 の原則 が採用 されている ところか ら,教
育 に関する地方 自治の原則 を考慮 しこれを侵害することは許 され ない。右 の規制原理 を調和的に解釈 し,本
件学習指導要領の基準性 に照 らして考慮する時,右
の『基 準』 とは,さ
きに示 したその三の解釈 を正当 と考 える。即 ち,本
件学習指導要領の条項中には強行 規定 に相 当する部分があ り、これについては法的拘束力があ り,前記 の趣 旨での法的制裁が及ぶが, その余の条頂 は訓示規定 として法的制裁が及 ばない と解 され る。」とし,そ
の法的拘束力の無 い訓示 規定 に該当するもの として,学
習指導要領 に定 める各教科 目の「 目標」および「内容」 の項 目を掲 げている。 すなわ ち,「次に各教科,科
目に掲 げられた目標 は,概
して当該科 目について教育運営の指針 を定 めた規定 であると解 され る。今,こ
れを社会科 の各科 目の 『目標』 について通覧するに,そ
の内容 自体 は教師の自主制や地方 自治の原則 を侵害するようなものは含 まれていない と考 えられ るが,そ
れ らの規定 は,教
師が当該科 目を教育する際の大 まかな指針 を列挙 した ものであ り,抽
象的かつ多 義的であって,こ
れ を教師に法的拘束力 をもって強制することは適切 でない。 したがって これ らの 指針 に適合 しない行為 があった場合,た
だちに法令違反 とすることはで きない。……・『内容』 に関 する規定 は,教
育の機会均等の確保並びに高校 における一定の教育水準の維持の見地 か ら規定 され たものであるが,そ
の金てにわたってかならず生徒 に履習 させ ることを要求 しているもの と解す る ならば,他
面,教
師の教育 の自主性 との間に矛盾,衝
突 をきたすのを避 けられない。……・教師 は, 当該教科 について資格 を有する専門家であるか ら,こ
れ ら教科の『教育』内容 について学習指導要 領 を参考 に しつつ,各
学校,各
生徒の能力等 を考慮 しなが ら現実に即 した適切な教育 をす るほかな い。換言するな らば各教科の『内容』 の実現 は,法
的拘束力 をもって教師 を強制するには適 しない し,望
ましい もので もない。 このような訳で,右
『内容』は訓示規定 と解す るのが相 当で ある。」と の判断を示 し,学
習指導要領の法規性 は肯定 した うえで,訓
示規定 に該当するものについては法的 拘束力 を否定 し,強
行規定 に該当するものについては法的拘束力 を認 めているのである。 以上 の下級審判決 に対 して,最
高裁判所 の判決で学習指導要領の問題 に論及 しているもの は極 め鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第34巻
117
て少いが,学
カテス ト事件 のうちの北海道旭川学 テ事件 と岩手県教組学 テ事件 に対する最高裁判決 と教科書裁判 。第二次訴訟 についての最高裁判決がある。 北海道・岩手県学 テ事件最高裁判決 (昭和51年 5月21日) 「一般 に,社
会公共的な問題 について国民全体 の意思 を組織的に決定,実
現すべ き立場 にある国 は,国
政の一部 として広 く適切 な教育政策 を樹立,実
施 すべ くまた しうる者 として,憲
法上 は,あ
るいは子 ども自身の利益の擁護 のため,あ
るいは子 どもの成長 に対 する社会公共の利益 と関心にこ たえるため,必
要かつ相当 と認 め られ る範囲において,教
育内容 についてもこれ を決定する権能 を 有するもの と解せ ざるを得ず,
これ を否決すべ き理 由ない し根拠 は,ど
こにも見 い出せない。」とし て,国
が教育内容 について も関与,介
入する権能があることを認 めた うえ,さ らに,「思 うに,国
の 行政機関が法律の授権 に基 づいて,義
務教育 に属する普通教育 の内容,及
び方法 について遵守すべ き基準 を設定する場合 には,教
師の創意工夫の尊重等教基法10条に関 してさきに述べたほか,後
述 する教育 に関する地方 自治の原則 をも考慮 し,右
教育 における機会均等の確保 と全国的な一定の水 準の維持 とい う目的のために,必
要かつ合理的 と認め られ る大綱的 なそれに とどめられ るべ きもの と解 しなければな らないけれ ども,右
の大綱的基準の範囲に関す る原判決の見解 は,狭
きに失 しこ れ を採用することはで きないと考える。」としてい る。 これ を前記学習指導要領 についていえば,文
部大臣は学校教育法38条,106条による中学校の教科 に関す る事項 を定 める権限 に基づ き,普
通教育 に属する中学校 における教育 内容及 び方法 につ き,上
述のような教育の機会均等の確保等の目的の ために,必要かつ合理 的な基準 を設定することがで きるもの と解すべ きところ,「本件 当時の中学校 学習指導要領の内容 を通覧す るのに,お
おむね,中
学校 において地域差,学
校差 を超 えて,全
国的 に共通な もの として教授 されることが必要な最少限度の基準 と考 えて も必ず しも不合理 とはいえな い事項が,そ
の根拠 をな していると認め られ るのである。 その中には,あ
る程度細 目にわた りかつ 詳細 にす ぎ,ま
た必 ず しも法的拘束力 を もって地方公共団体 を制約 し,又
は教師 を強制するのに適 切でな く,ま
た,は
た してその ように制約 し,な
いしは強制す る趣 旨であるか どうか疑わ しい もの が幾分含 まれている として も,右
指導要領の下における教師 による創造的かつ弾力的な教育 の余地 や,地
方 ごとの特殊性 を反映 した個別化 の余地が十分 に残 されている。全体 としては,な
お全国的 な大綱的基準 としての性格 をもつ もの と認め られ るし,ま
た,そ
の内容 において も,教
師の一方的 な一定の価値 ない しは観念 を生徒 に教 えこむ ことを強制す るような点 は全 く含 まれないのである。 それ故,上
記指導要領 は,全
体 として見た場合,教
育政策上の当否 はともか くとして,少
くとも法 的見地か らは,上
記 目的のために必要かつ合理的な基準の設定 として是認 す ることがで きるもの と 解す るのが相当である。」との法的判断 を示 し,学
習指導要領 を「必要かつ合理的 と認 められる大綱 的基準」の設定 として これを認 めてはいるが,大
綱的基準の範囲 については,「原判決の見解 は,狭
きに失 し,こ
れを採用す ることはで きない」 といっているのみで,こ
れに関する明確な判断 は避 け ているし,学
習指導要領 に法的拘束力があるのか,あ
るとすれ ば どの範囲で法的拘束力を もつのか, 明確な判断を避 けてお り9° 全体 として玉虫色の判決 と考 え られ る。 また,15年
間にわたって争われて きた教科書裁判,第
二次訴訟 の上告審判決が昭和57年4月 8日 最高裁 (中村治朗裁判長)で
言いわたされたが,判
決は「家永教科書」の不合格検定処分 を違法 と した二審判決を破棄 し,東
京高裁 に審理のや り直 しを命 じている。最高裁が6年
余 りの歳月 をかけ なが ら,
これ について明確 な判断を示す ことな く高裁 に差 し戻 した ことは,訴
訟 の解決 をいたず ら に引 きのぼす もので遺憾 な面 はあるが,学
習指導要領の性格・拘束力や教科書検定 との関係 につい細川 哲 :学 習指導要領の法的性格 と拘束力 ては
,改
めて高裁で論 ぜ られ ることにな り,家
永二郎元東京教育大教授が主張す る教科書検定制度 の違憲・違法性 も,教
科書検定の審査基準である学習指導要領の性格 との関連 において検討 される ことになると考 えるが,い
ずれ にして も最高裁 は,学
習指導要領の法的拘束力についての明確な判 断は,い
まだ示 していない といえる。 四.教
育の自由 と学習指導要領 学習指導要領の性格・法的拘束力 について判断する際の,一
つの論点 である教師の「教育 の自由」 との関連 について若干の検討 を加 えてみ る。 一般 に,教
育 において「教育 の自由」が一定限度要請 され ることは,西
独の法学者ハ ンス・ヘ ッ ケル(Heckel)が ,「
教師 は,み
ずか ら自由であるときのみ,自
由への教育 をな しう/pl哲)として教師の「教育権の独立」 (Padagogische Freiheit)を 主張 し
,カ
ンデル(Kandel)が
「教育行政の目 的は,教
師による専門的自由 (PrOfesSiOnal freedom)の 行使 を奨励す るような状況 をつ くりだす ことであるyりと言 っている如 く,ま
た,実
際 にイギ リスではカ リキュラム と教授方法 を決定する教 師の専門的自由が最大限に尊重 されているのをみて も甲 また,戦
後来 日した第一次米国教育使節団 報告書が「教師の最善の能力 は,自
由の空気の中においてのみ充分現 され る。 この空気 を作 り出す ことが行政官の仕事であって,そ
の反対の空気 を作 り出す ことではない。」と述べている点などか ら もうかがわれ ることである。学校教育 が,教
師の生 きた人間 としての活動 によって成 り立 つもので あ り,教
師 と子 どもとの人間的人格的接触 によって発展するものであ る限 りは,教
師が 自由や自主 性 を認め られない状況下で,子
どもが自由で自主的人間 になるような教育 を行 ない得 ないのは当然 である。 この教師の教育の自由について,我
が国では憲法・ 教育基本法・ 学校教育法等によって実定法上 保障されている とする説がある。筆者 は,か
かる説 には賛同 し得ない者であ るが,ま
ず この点につ いて槻略 を述べ ることにする。「教育の自由」は
,憲
法23条の学問の 自由 (Academic freedom,Academic tteiheit)に よって 小・ 中・ 高等学校教員 にも大学教員 と同様 に保障 され るものであるとす る説1241が ぁる。 しか し,筆
者 としては「教育の自由」 を「学問の自由」 と同一内容 とした り,そ
れか ら演繹 して くるのには同 調 しえないところである。 すなわち,学
問の自由は思想の自由の一種であって,沿
革的 には主 として大学の研究の自由を意 味 した。その内容 は,真
理の探求 を目指す「研究の自由」を中心 とし,そ
の外部 に対 する表現 を も 保障する意味で,「研究結果発表の自由」を含 む。 したがって学生 に対 する教授が,研
究結果発表の 一つの態様 であると目され る限度 では,教
授の自由 も学問の自由の中味 となる。しか し,「深 く専門 の学芸 を教授研究」する ことを目的 とす る大学 におけるもの とは異 り,「ザい身の発達 に広 じて,基
礎 的普通教育 を施すことを目的 とす る」初等中等の学校 は,
この ような研究結果 を発表 する機関 とし ては適当でな く,ま
た,批
判力・ 思想力・ 理解力の まだ低い下級教育機関の児童 。生徒に対 して新 しい「学問的見解」を発表 してみて も,そ
の「学問的見解」が充分検討吟味 され ることにはならず, ひいてはその「学問的見解」 の科学性・ 真理性 。客観性 も担保 され得 ない ことになる。 む しろ,学
問研究の結果 としての新 しい「学問的見解」の発表の場 としては,学
会・ 研究会・ 学会誌 。学術書 等が適切 である。 た しかに,子
どもの学習権 を正 しく充足 してい くためには,「真理の教育が必然的 に要請」 され, そのためには,教
員一般 に「学問の自由で精力的な研究一一学 問の自由―― が要請」 され ることは鳥取大学教育 学部研究報告 人文・ 社会科学 第34巻
119
当然である。しか し,真理 (Trttth,Wahrheit,Veritё)は主観 でな く,客観性 。法則性・科学性 を持 つ ていなけれ ばな らない。真理 のために,「学問の自由な研究」│ま絶対必要であるが,学
問研究の結果 が,い
つ も絶 えず「真理」であることにはならない。 まして学問研究 に値 しない ものが,学
問研究 の成果であるか らとの理由によって,教
員の主観や偏見や独断が,教
育の場で「教育 の 自由」の名 の下 に,批
判力の少い児童・ 生徒 に注入せ られ るようなことは,子
どもの学習権 の保 障の立場か ら 許 され るものではない。か くして,憲
法の「学問の 自由」か ら「教育 の自由」を導 き出す ことは妥 当ではない と考 える。 次に,教
員の教育の 自由の根拠 を,教
育基本法10条 1項「教育 は不当な支配 に服 す ることな く, 国民全体 に対 して直接 に責任 を負って行なわれ るべ きである」 とする点 に求 め,教
育 は,職
務上の 専門性 を有する教員が指揮監督 を受 けることな く,「自由」 に児童・生徒 に対 して教育 を行 なう権限 を有する とす る説9°とこついて検討 してみ る。 教員の教育権 の根拠 とされ る教育基本法10条は,戦前における教育行政 による教育支配 を反省 し, 学校教員の教育権の,教育行政権 に対 する独立 を保障する立法者意思をもって定 められた とされるV° そして ここに,教
育基本法 と日本国憲法 との密接 な関連が問題 となるが,教
育基本法が憲法制定審 議過程 において,憲
法の教育条頂 に代わ る定 めとして予定 された事実,お
よび憲法26条 1項が教育 を受 ける権利 を具体的に保障する「法律」 として直接委任 した「憲法の付属法律」であることな ど か ら,教
育基本法 は「準憲法的法律写つとして一般法律 に優越す るとしている。 また,本
条1項が教 育への「不当な支配」 を禁ずるのは,教
育活動の自主性 を保 障するためであ り,
したが って政治勢 力な どが教育 を支配することは全てよろしくないが,
とりわ け教育行政が法的拘束力 をもって教育 活動 を統制することは,明
らか に「不 当な支配」 になるとい う子°しか し筆者 は,教
育基本法の成立 過程 か らみて も,ま
た憲法 と教育本法の規定上の関連性か らみて も,教
育基本法 を準憲法 と解する ことには反対である。教育基本法 と他の教育法 とは一般法 と特別法の関係 にあると解 する とともに, 教育行政権 の行使 が,た
えず「不当な支配」 となるものではない と解する。 すなわち,国
民主権主義 。議会制民主主義の下,国
会において立法上認めた範囲内 にお ける行政 上の支配 は「不当な支配」 とはならないであろう。 もちろん法的根拠 を持つ行政的支配 ならば,常
に適法であるというものではない。憲法 に反す る場合 に無効 となるのは勿論であるが,法
的根拠 を もつ行政支配 をすべて「不 当な支配」 とすることはで きないのであ り,同
項 は,決
して教育 に対す る教育行政当局 の正当な支配 を否定す る ものではない と解す る。 また同項 を「教育 の 自由」の根拠 とする論者 は,同
頂の「直接 に」を根拠 として,間
接 に文部大臣 。内閣 。国会 を通 じて国民 に責任 を負 うのではな く,教
育職員が国民全体 に直接 に責任 を負 うべ きと主張 している子9しか しなが ら, 同項 に「国民全体 に対 し直接 に責任 を負 う」とい うのは,民
主主義の原理 に基づ く教育 についての, 国民に対 する責任 という根本原則 を宣言 しているのであって,同
項の「直接 に」 とい う文言 は,教
育行政関係者・ 教育者 を含 む教育関係者のすべてに対 し,
この民主政治における国民 に対 す る責任 を強調 した もの と解すべ きものなのである。 しか も,同
項のいう「国民全体 に対す る責任」 を重視 する限 りは,国
会で成立 した法的根拠 を有する行政管理 に月艮す ることによって,国
民全体 に対 して も責任 を負 い得 ることになるのであろう。 さらに,教
員の「教育 の自由」の根拠 として,教
育基本法10条2項
と学校教育法28条4項
の規定 をあげるものがある。すなわち,10条 2頂
をもって,教
育行政の任務が教育の物的条件 の整備 (い わゆる外的事項)に
限 られ,教
育の内容・ 方法 (いわゆる内的事項)に
は及 ばない趣 旨 と解 し学0ま た学校教育法28条4項によ り児童・ 生徒の教育 は教師の専権 であ り,同
3頂
にいう校長 の校務掌理細川 哲:学習指導要領 の法的性格 と拘束力 権 の中には教育 は含 まれず