タイトル
明治前期鋳造活字の平仮名書体における濁音表示と仮
名字体意識
著者
岡田, 一祐; OKADA, Kazuhiro
引用
年報新人文学(17): 10-49
発行日
2020-12-25
一 .はじめに 活 字 印 刷 技 術 は、 合 理 性 と 結 び つ け ら れ て 理 解 さ れ る こ と が し ば し ば あ る。 同 時 に、 合 理 性 は、 活 字 印 刷 技 術 が な に か の 変 化 を 齎 す と き の 枕 詞 で あ る。 活 字 印 刷 技 術 が、 文 字 や 綴 り 字 の ゆ れ を 統 一 し た と き、 そ れ は 合 理 性 の 精 神 が 働 い た と 言 わ れ る。 鈴 木 ( 二 〇 一 五 ) は、 そ れ を 合 理 と い う こ と ば に よ っ て で は な く、 ス ペ イ ン 語 の レ ド ゥ シ ー ル red uci r と い う こ と ば に よ っ て 言 い 表 そ う と す る。 鈴 木 ( 二 〇 一五 、一 〇)が 言 うには、それは、
明
治
前
期
鋳
造
活
字
の
平
仮
名
書
体
に
お
け
る
濁音表示
と
仮名字体意識
岡田
一
祐
[論文]数 の 多 いものを 減 らし、 多様 なものを 統一 し、 混沌 の 状態 を 規則 に 従 わせること、などを 意味 する。 それらの 意味用法 に 通底 するのは、 複雑 かつ 多様 な 現実世界 を 均質化 、 単純化 し、 本来的 かつ 理想 的 なありかたに 引 き 戻 そうとする︱︱ re du cir の 語源 はラテン 語 re du ce re ( 引 き 戻 すこと、 返 すこと) である︱︱ 文字通 り〈 還元 〉の 論理 である。 そのような 論理 が 齎 されるのは、 活字 、とくにグーテンベルクの 発明 といわれるものに 連 なる 近代西洋 活字 というものが 持 つ 存在性 そのものにあるという。いわく、 一回性 を 有 ち、そのつどごとに 現 れの 異 る 手書 きの 文字 と 比較 して、 複製可能性 を 有 する 活字 は、どこまでも 同一 のものと 括 ってしまえる 現 れ しか 有 たず、あくまでも 他 の 記号的単位 との 差異 が 表 されるのであって、 存在 そのものにレドゥシール の 概念 が 組 み 込 まれているのであると。 活字 がレドゥシールの 原理 に 沿 って 文字体系 を 表現 するものであるならば、 文字研究 からの 活字研究 における 課題 として、 活字 で 示 された 文字 の 体系 がいかなるものか 考 えることが 挙 げられよう。ここで は、 活字 というものが 体系 を 求 めるそのひとつの 例 として、 明治時代初期 の 活字 における「 濁音 」 表示 の 体系性 について 考 えることとしたい。 濁音 の 表記 は、 現代 の 日本語表記 ではもはや 悩 むことはなくなっ たもののひとつである。しかしながら、 濁音 をどのように 文字 に 表 すか 定 まったのは 日本語 の 文字 ・ 表 記 の 歴史 のなかでは 比較的最近 のことがらに 属 する。そして、それはまさに 江戸期 から 明治初期 にかけ て 起 ったできごとであった。すなわち、 明治初期 に 日本 で 普及 の 兆 しを 見 せはじめた 金属活字 では、 濁 音 はさほど 自明 なものではなかったのである。また、まだ 一九 〇〇 年 の 平仮名 の 公的 な 字体整理 が 行 わ
れるまえの 平仮名 には、 ほとんど 等価 に 見 える、 いくつもの 字 のかたちがあった。いまでは 変体仮名 (あ るいは 異体仮名 )と 呼 ばれるそれらは、とうぜん 活字 にもさまざまなかたちで 製作 されているが、 濁音 を 表 すという 点 で、それらの 文字 に 完全 には 等価性 を 認 めることができない。そのゆえにこそ、どのよ うに 濁音 の 表現 が 進展 していったかを、 明治初期 の 活字 に 見 てゆくことは 意義 のあることであろう。 明治期 の 活字 における 濁音 の 書 き 表 しかたには、ふたつのものがある。ひとつは、いまもそうするよ うに、 濁点 を 附 して 表 すことである。もうひとつには、 濁音 を 表 す 仮名文字 を 用 いることである。 濁音 を 表 す 仮名文字 とは、 聞 き 慣 れないものであろうし、じじつ、 国学徒 の 尚古 の 風 がたまたま 活字製作 の 場 において 発露 したものにすぎないものではある。さりながら、それが 体系 を 冀 める 精神 から 生 まれた ものであるならば、 濁音 の 表記 の 歴史 の 問題 からはいささか 些事 に 属 しつつ、 日本語 の 文字 をどのよう に 活字 によって 表現 したか 考 えるうえでは、むしろ 恰好 の 材料 であると 言 える。 本稿 では、これらの 文字 の 体系 をめぐる 検討 を 通 じて、 最終的 に、どのような 文字 を 用 いるべきであ るかという 仮名字体意識 の 検討 を 行 おうとするものである。 仮名字体意識 とは、 岡田 ( 二 〇 二一 )に 示 される 概念 で、 漢字 の 新旧字体 ・ 異体字 などにも 言 いうることではあるが、 複数 の 選択肢 があるなかで、 どの 仮名字体 を 用 いるべきであるかについての 反省的意識 を 謂 う。 濁音 の 仮名 をめぐる 様相 に、どのよ うな 文字 を 用 いるべきかという 観念 の 発展 を 見出 したいということである。
二 .レドゥシールの 原理 鈴木 ( 二 〇 一五 、二九八 )は、レドゥシールの 原理 と 日本語活字 のかかわりをつぎのように 概観 する : 写本 や 板本 では、 複数 の 異体仮名 を 紙面 、 版面 に 配置 することによって 文字遣 いの 単調 さを 避 けて 美 的 効 果 を 狙 っ た り、 文 や 句 の 切 れ 続 き を 明 示 し た り と い っ た 工 夫 を 行 っ て き た。 非 和 様 系 ( 1) の 仮名 が 活字書体 として 選択 された 後 も、しばらくの 間 はいくつかの 異体仮名活字 が 作 られ、 使用 さ れている。その 使用 は、 明治三三年 ( 一九 〇〇)の 小学校令施行規則 によって 規制 され、 仮名字体 は 現行 の 一音一文字 に 統一 される。だが、 文字 を 少数 の 要素 に 還元 することを 指向 する 活版印刷術 のもとでは、 遅 かれ 早 かれ、 字体 の 収斂 を 免 れ 得 なかったはずである。 そのように 述 べる 鈴木 ( 二 〇 一五 )じしんは、 近代 のそれについて 語 らないわけではないにしても、レ ドゥシールの 原理 の 現 れの 差 から、むしろ 嵯峨版 や 烏丸本徒然草 のような 優美 な 印刷面 が 生 みだされて ゆ く さ ま を 克 明 に 示 す ( 2) 。 規 則 へ の 還 元 を 意 味 す る レ ド ゥ シ ー ル の 原 理 が こ こ で 現 れ た の は、 活 字 の しくみにおいてであった。 活字 のしくみを、 日本語 に 当 てはめられた 近代西洋活字 のごとく、 正方形 の 文字 の 組合 せのみに 限 ってしまえば、そこでレドゥシールの 原理 が 働 くのは 文字 のほうにしかありえな い。そのような 技術的制約 が 与 えられてはじめて、 文字 を 技術 に 従 わせる 機運 も 生 じる。 嵯峨版 の 組版 が 技術的制約 から 無縁 なのではない。しかしながら、 印刷面 を 等間隔 に 切 り 分 けたその 枡目 を 基準 に 三
倍角 の 齣 まで 作 り、そこに 彫 り 込 まれるべき 文字 の 数 を 自在 のものとしたとき、 活字 の 齣 は 合理的 に 文 字 の 美 の 要請 に 従 うことができたのである。 もちろん、ある 現象 がレドゥシールの 原理 の 現 れかいなかを 原理的 に 決 することはできない。その 意 味 において、 鈴木 ( 二 〇 一五 )が、 この 道具立 てによってなにかを 説明 できたものはない。しかしながら、 活字印刷 というしくみは、あらかじめ(あるていどまでは) 用 いるべき 文字 の 準備 をしておかなければ 手書 きにも 効率 が 劣 ってしまうものである。そのような 予期 を 抱 くことは、あらかじめどんな 内容 にも 耐 えられる 活字 の 蓄 えなしに 行 いえない。そのために 一六 〇〇 年前後 に 日本 に 活字印刷 を 齎 し(すぐに 追放 され)たイエズス 会 は『 落 らくよう 葉集 』という 名 の 漢字字書 を 作 って 表記 の 手引 きとし、 上海 の 美華書館 で 活字 を 製作 していたウィリアム・ギャンブルは、 聖書 を 中心 に 漢字 の 頻度調査 を 行 って 製作 すべき 漢 字 を 決 めようとしたのである。そこには、 最小限 の 文字 によって 最大限 の 差異 を 取 り 込 もうとする 共通 の 狙 いがたしかにあった(イエズス 会 における 取 り 組 みについては、 豊島 、 二 〇〇 二 、 ウィリアム ・ ギャ ンブルについては 鈴木 、 二 〇 一五 、 第四章 および 小宮山 、 二 〇 二 〇) 。 現代 においても、わたしたちは、 コンピューターを 用 いるとき、 文字 コードという 取 り 決 めのなかで 文字 の 情報 を 遣 り 取 りしている。コ ンピューターに 依存 すればするほど、 収載 すべき 字数 は 際限 なく 増 えてゆく。 現在 もっとも 支配的 な 文 字 コ ー ド で あ る ユ ニ コ ー ド は、 二 〇 二 〇 年 三 月 に 公 表 さ れ た ヴ ァ ー ジ ョ ン 一 三 ・ 〇 に お い て、 十 四 万 文 字 を 超 え、なおその 数 を 増 そうとしているのである。しかも、 際限 なく 増 えてゆくそれらは、これだけ の 数 を 数 えてもなお、 ひとつひとつが 区別 される 文字 でなければならない。 それは 人類 がコンピューター 上 で 遣 り 取 りする 文字情報 をひとつの 文字 コードで 賄 おうというユニコードのある 種 の 合理性 の 発露 で
ある。 その 点 で、 活字 を 作 る、 あるいはその 寄 せ 集 めによって 印刷 をするという 表現 が、 体系 をどのように ・ どのていど 志 したものかがそれぞれ 異 ることは 注目 に 値 する。 濁音 の 表現 は、 明治初期 の 活字制作者 た ちによって、どのように 体系化 されたのであろうか。 三 . 濁音 を 書 き 表 すということ 濁音表記 の 問題 は、それがそもそも 日本語 の 文字 の 体系 にとって 余剰 である、あるいは 余剰 であるか のように 作 られたところから 起 る。それを 現在 のわたしたちがごく 自然 のものと 受 け 入 れるのは、 烏丸 本徒然草 が 句読清濁 を 糺 したように( 注二参照 )、ただされた 本文 と 係 わるからである。 濁 音 お よ び 濁 音 ( 表 記 ) 史 に つ い て は、 さ ま ざ ま な 理 解 が あ り、 い ま こ こ で 立 ち 入 っ た 議 論 を す る こ と は で き な い が、 以 下 の 行 論 に 係 わ る こ と が ら で も あ り、 沼 本 ( 一 九 九 七 )、 豊 島 ( 二 〇 〇 三 )、 Fr ell es vig( 二 〇 一 〇 )、 屋 名 池 ( 二 〇 一 一 )、 高 山 ( 二 〇 一 二 )、 肥 爪 ( 二 〇 一 九 )、 澤 崎 ( 二 〇 一 九 ) などに 導 かれつつ、かんたんに 概略 を 示 しておきたい。 日本語 における 濁音 とは、 変音現象 に 注目 した 音韻 の 組 のことである。もと 清濁 は 古典漢語 の 等韻学 における 用語 で、 声 せい vo iceと 気 asp irat io n の 有無 から 声母 を 整理 したものを 謂 ったのを 転 じたのである。 現 代 日 本 語 に お い て は、 /k /-/g / 、 /s /-/z / 、 /t/ -/d / 、 /h /-/b / に 見 ら れ る 変 音 関 係 を 敷 衍 し て 清 濁 の 関 係 と い う ( 3) 。 こ れ が 上 代 語 に お い て ど う で あ っ た か は、 根 強 い 保 留 も あ る も の の、 近 年 は、 古 典 漢 語
と 異 り、 鼻 音 性 na sa lityの 有 無 に 帰 す る 説 が 有 力 で あ る。 す な わ ち、 声 の 対 立 が な か っ た か わ り に( 母 音 間 、 上 代 語 に お い て は す な わ ち 語 頭 以 外 で は 無 声 音 も 有 声 化 し て い た と 見 る )、 前 鼻 音 の 有 無 に よ っ て 清 濁 が 表 現 さ れ て い た と い う の で あ る。 す な わ ち、 タ ナ バ タ と い う 語 は、 上 代 語 で は [t an am ba da] と いう 発音 であったというように 考 える。 現代 の 東北方言 などに 見 られる 音韻体系 に 近 いものと 捉 えると いうことである。 濁音 は、したがって、 清音 よりも 稀 なものである。 濁音 には、 語頭 に 立 たない・ 語 に 複数現 れないな どの 理由 によって、 語彙的 かつ 形態統語的 に 予測性 が 高 い。 濁音 を 性質 によって 分 けると、がんらい 濁 音 である 本濁 と 形態統語的現象 によって 濁 る 新濁 ( 連濁 )とに 大分 することができるが、 濁音 の 大半 は 新濁 、すなわち、 連濁現象 によってほんらいは 清音 であったものが 濁音 へと 転 じたものである。 本濁 の ほとんどを 漢字音 が 占 めるから、 漢字音 のすくなかった 上代 においては、 新濁 の 比率 の 多 さはなおのこ と で あ っ た ( 4) 。 こ の よ う な 濁 音 の 性 質 の 由 来 を 連 濁 に 求 め る 議 論 が あ る。 そ れ に よ れ ば、 連 濁 は 助 詞 ノの 縮約 によって 生 じたのだという。また、 前後 の 鼻音 の 同化 があったことも 想定 される。これらの 要 因 によって、 濁音 が 現 れる 語彙 が、 語彙的 ・ 形態統語的 に 限定 されるというのである。 そのような 濁音 を 書 き 表 すことには、いくつかの 試 みが 歴史的 になされてきた。 漢字 を 借 りての 日本 語表記 が 試 みられた 当初 、すなわち 万葉仮名 では、 渡来人 を 中心 に 清濁 を 書 き 分 ける 表記 がなされもし た が ( 5) 、 平 安 時 代 に は、 濁 音 を 書 き 分 け な い 表 記 体 系 が 成 立 す る。 現 代 に 行 わ れ て い る よ う な 濁 点 に よる 表記 は、 漢籍仏典 の 読誦 の 場面 での 濁音漢字注記 の 記号 から 派生 して、しだいに 仮名 にも 用 いられ るようになったところから 来 ている。 屋名池 ( 二 〇 一一 、五九 )は、それらの 歴史 を 評 して、
現在行 われている、 濁点 を 用 いる 表記法 は、 漢字音 のための 濁声点 をたまたま 転用 したものにすぎ ず、 考 えぬかれた 方法 として 採用 されたものではないし、 清濁 を 書 き 分 ける 点 では 万葉仮名時代 に もどったようにもみえる。しかし、 実 は 現代 のシステムは、 「 連濁音 」の 表示 を 犠牲 にし 清濁 で 仮名 字母 を 異 にする 万葉仮名 のシステムとも、 「 語彙的濁音 」の 表示 を 犠牲 にし 清濁 を 書 き 分 けない 初期 のひらがな・カタカナのシステムとも 異 なり、 一方 で、 清濁 のちがいを 超 えて 共通 の 字母 を 用 いる ことで、 連濁 という 形態音韻現象 の 表示 にも 役立 ち、 他方 で、 濁点 という 補助記号 の 付加 ・ 非付加 によって 濁音対清音 の 語彙的対立 も 表示 できるという、 両面性 を 兼 ね 備 えた、よりすぐれたシステ ムなのである とする。 濁音 が 表記上 の 余剰物 として 作 られたとはこの 意味 においてである。 屋名池 ( 二 〇 一一 )の 言 う、 「よりすぐれたシステム」というのは 結果論 のことで、 屋名池 ( 二 〇 一一 ) が 最初 に 述 べるように、 「たまたま 転用 」されたもので、ただしい 本文 を 示 す 努力 の 増加 によってようや く 広 まったものであった。 一般 の 表記 でも、 確実 に 濁音 を 表示 するようになったのが 具体的 にいつかに ついては、 研究 が 乏 しいが、 雑誌 『 太陽 』 に 基 づく 経時的研究 では、 一九一七年前後 にようやくほぼ 百 パー セントに 達 するとの 結果 が 出 ているし( 近藤 、 二 〇〇 五 )、 他方 、 時代 は 下 るが、 いわゆる 終戦 の 詔書 など、 濁点 を 附 さないものが 確乎 として 存 した。したがって、 今回問題 にするような、 明治初期 の 活字 におい ては、それはまだ 見落 としてはならないようなものではなかったということができるのである。
四 .「 和様 」 活字 のばあい これから、 具体的 に、 明治期 の 活字 における 濁音表示 について 見 ていきたい。 活字 においては、 書体 ・ 書風 という 概念 が 係 わっているのでかんたんに 説明 しておく。 書体 とは、 文字史 の 文脈 においては、 文 字 のある 発展段階 における 共通 した 様式 と 字体 の 統一 を 謂 い、 書 の 観点 からは、 筆画 の 実現 についての 表現様式 を 謂 うが、 活字 の 文脈 においては、さらに、なんらかの 書風 で 統一 された 箇々 の 活字 の 販売単 位 をも 謂 う。 鋳造活字 においては、 文字 の 大 きさの 違 い( 号数 という。 初号 を 最大 のものとして、 一号 か ら 八 号 へ と 小 さ く な っ て ゆ く。 五 号 活 字 が 現 代 の 一 〇 ・ 五 ポ イ ン ト に 相 当 す る ) は、 販 売 単 位 と し て 別 であり、また、 用途 も 異 なることから、 形状 がおおきく 異 ることが 多 い。そのなかで、 共通 する 書風 を 有 つ 活字書体 や、 原型 の 製作者 をおなじくする 活字書体 をも、やはり 書体 と 呼 ぶことがある。 複数 の 観点 の 混在 は 好 ましいとは 言 えないものの、ここでは 慣習 に 従 っておく。 明朝体 などは、 書 の 観点 であ り、 以下 に 謂 う「 和様 」であるとか「 平野系書体 」などは、 活字 における 書風 や 原型 の 製作者 にまつわ るそれである。 書風 とは、ほんらい、 個人 や 流派 において 美的 に 統一 された 様式 のことを 謂 うが、 活字 においては、 書体 における 統一 を 指 している。 こ の 節 で は、 「 和 様 」 と 称 さ れ る 平 仮 名 活 字 に つ い て 検 討 し て ゆ く わ け で あ る が、 そ の ま え に、 「 和 様 」 と 並行 して 存 した 平仮名活字 についてかんたんにでも 触 れておくべきであろう。そもそも、ほとんどが 鋳造 ではなく 木活字 によるものではありつつ、 活字印刷 じたいは 安土桃山時代末期 から 行 われていたと ころで、 幕末 から 明治初期 になると、 西洋 に 鋳造活字 による 活版印刷 のあることを 承 けて 幾多 の 試 みが
なされている。 国内 での 試 みはすべて 上海 からの 輸入品 に 取 って 代 わられ、いまわたしたちはその 多 く を 知 ることもできないし、 片仮名活字 の 例 が 少 なくない( 片仮名 では、 濁音仮名 はいまのところ 知 られ ていない) 。ここでは 大鳥圭介 ( 一八三三 ( 天保四 ) 年 −一九一一 ( 明治四十四 ) 年 ) の 活字 を 見 ておく。 圭介 は、 幕臣 を 経 て 明治新政府 に 出仕 しているが、 幕臣時代 に 陸軍所 の 出版物 のために 活字 を 製作 して いる。そのなかには、 平仮名活字 があるが、 全面的 に 用 いているのは『 歩兵制律 』( 川本清一訳 、 陸軍所 、 一八六五 )のみである。 本書 にしたしく 接 する 機会 をえないが、 目睹 しえた 図版類 では、 「べ」にのみ 濁 点 が あ る よ う で、 そ の ほ か は 濁 点 を 表 示 せ ず に 用 い ら れ て い る ( 6) 。 一 音 あ た り の 仮 名 字 体 の 種 類 は お おくはなく、 濁音表示 の 機構 をたんに 欠 いていると 言 える。 「 和様 」 前後 の 活字 はこのようなものが 一般 的 であった。 さて、 「 和様 」 活字 ではどうであろうか。 「 和様 」 活字 とは、 池原香稚 の 手 になるとされる 書風 で、 新町 活版所 が 製作 した 平仮名活字書体 に 対 する 近代活字書体史研究 における 用語 である。 「 和様 」 活字 を 用 い た 印刷物 の 例 を 図一 に 示 す。ここに 用 いられるのは、 四号活字 である。 府川 ( 二 〇〇 四 、 巻二 、一六八 ) では、 「 和様 」という 名称 が 当時 に りえないことを 指摘 しつつ、これに 代 る 名称 が 見当 たらないとして 「 和 様 」 の 名 を 維 持 す る ( 7) 。 議 論 の 詳 細 は 注 七 に 譲 る が、 本 稿 で は、 括 弧 付 き で こ の 名 称 を 使 用 す る も のである。 この「 和様 」 活字 は、 日本 で 定着 することとなった 活字書体 の 源流 である、 新町活版所 の 製 にかかる 書体 に 付 け 合 わせて 作 られたものでありながら、ながくは 用 いられなかった。 府川 ( 二 〇〇 四 )が 示 す ように、この 活字 が 主流 の 座 にいたのはわずかに 数年 のことである。 新町活版所 は、 日本 の 活字 の 祖 と
図一 福羽美静「習志野原地名の記」(国立国会図書館蔵宍戸璣関係文書その二・ 三四四)
称 される 本木昌造 の 開 いた 私塾 における 印刷所 である。 本木昌造 ( 一八二四 ( 文政七 ) 年 −一八七五 ( 明 治八 ) 年 )は、 それまでも 西洋 に 倣 って 鋳造活字製造 に 取 り 組 んではみたが、 大規模化 にはいたらなかっ たところ、 一八六九年 、 上海 の 美華書館 において 漢文 の 印刷 のために 整 いつつあった 活字 の 一 いと 印 刷機 、そして 印刷術 を、ウィリアム・ギャンブル( 一八三 〇 年 −一八八六年 )を 長崎鉄工所 に 設 けた 活 版伝習所 に 招 じて 手 にしたのち、 昌造 の 新街私塾 ( 崎陽新塾 )に、 浪人武士 への 授産施設 としての 役割 を 期待 して 印刷所 を 開設 したのであった。ギャンブルの 将来 した 活字 には、おそらく 仮名 を 欠 いていた とみられる。 『 和英語林集成 』の 初版 を 印刷 した 美華書館 であり、 仮名活字 がまったくなかったこともな いとは 思 われるものの、それが 日本 で 用 いられている 例 を 見 ないのである。この 新町活版所 における 仮 名文字 を 作成 したのは、 同時代 の 証言 を 得 られないものの、 後世 の 種々 の 証言 から 池原香稚 とみられて いる。 池原香稚 ( 一八三 〇( 天保元 ) 年 −一八八四 ( 明治一七 ) 年 )は、 昌造 とも 親交 のあった 眼科医 であり、 国学者 であった。 後日談 になるが、 長崎鉄工所 の 活版伝習所 は 紆余曲折 のすえに 大蔵省印刷局 となり、 新町活版所 は、 京都 ・ 大阪 ・ 横浜 ・ 東京 に 出張所 を 設 け、とくに 最後 のものは、 平野活版製造 所 を 経 て 東京築地活版製造所 となり、 明治 から 大正 にかけての 活字製造 を 牽引 する 一大事業者 となる。 資 料 の 制 約 か ら、 「 和 様 」 活 字 の 文 字 の 全 容 に は ま だ 知 ら れ て い な い と こ ろ も あ る も の の、 板 倉 ( 二 〇 〇 二 ) お よ び〈 本 木 昌 造 ・ 活 字 復 元 プ ロ ジ ェ ク ト 〉 調 査 グ ル ー プ( 二 〇 〇 三 ) に 纏 め ら れ た も の が 現時点 で 把握 されたほぼ 全容 と 言 えよう。 板倉 ( 二 〇〇 二 )は、 後年 の 印字見本 ( 見本帖 )と 印刷物 から 摘記 されたものであり、 〈 本木昌造 ・ 活字復元 プロジェクト〉 調査 グループ( 二 〇〇 三 )には、 板倉 ( 二 〇 〇 二 ) と 一 部 重 な り つ つ、 見 本 帖 や 印 刷 物 と、 種 字 ( 活 字 複 製 の も と と す る 木 齣 ) の み あ っ て 活
字 として 用 いられた 例 が 確認 されていないものを 含 んでいる。 作 られながらも 使用例 も 種字 も 見 つかっ ていない 仮名 もなかにはあろうが、いま、それらの 一覧 を 眺 めていて 気付 くことのひとつは、 片仮名 で あれば 濁点 のある 活字 もあるのに、 平仮名 には、 濁点 を 有 つ 活字 がひとつもないことである。そのよう な 違和感 は、 濁音 を 表 す 仮名 を 刻 した 活字 によってさらに 強 められる。 濁音仮名 とは、 濁音 を 表 すに 仮名 そのものを 清音 のものと 違 えて 表 したものをいう。それは、 由来 と な る 漢 字 の 音 読 み と し て の 清 濁 と、 仮 名 と し て の 用 い ざ ま と を え よ う と す る も の で あ る。 あ る い は、 清濁両用 に 亙 る 仮名 があっても、 濁音 のみをもっぱら 表 す 仮名 を 用 いる 活字 があるならば、 同 じように 呼 ぶことができる。こちらは、 清濁 を 仮名 で 截然 と 分 けるわけではないが、 散発的 に 仮名 そのものによっ て 濁音 と 明示 されるものを 謂 う。このような 実践 は、 活字 に 固有 のものではない。もともとは、 記紀万 葉 に 見 られる 清濁 によって 仮名 を 使 い 分 けるがごとき 現象 を 尚古 のために 現代 に 再現 したのが 起 りであ る。これは、 訓読 みに 基 づく 万葉仮名 ( 訓仮名 と 謂 う)を 不純 なものとし、 音読 みに 基 づく 仮名 を 正用 と 見 て、 訓仮名 (あるいは 訓仮名 の「 疑 い」を 懸 けられた 仮名 、 以下訓仮名 に 一括 する)を 忌避 するこ との 一部 であった( 内田 、二 〇〇 六 、矢田 、二 〇 一二 )。 訓仮名忌避 ががいして 徹底 されることと 比 べれば、 濁 音 仮 名 使 用 が 徹 底 さ れ る と い う こ と は な く、 お お く 散 発 的 な も の に 留 ま る。 そ の 動 機 と し て、 内 田 ( 二 〇〇 六 、一一 〇、 注一 )は、 「 古代 の 音仮名表記 に 則 った 仮名字体 の 使用 を 実践 するということが 第一 にあり、 濁音専用仮名字体 はその 反映 として 使用 されたものと 捉 え」ている。 本居宣長 の 賀茂真淵入門 宣誓書 などに 見 られるように、 国学者 は、ときとして 万葉仮名 で 表現 することに 価値 を 置 くようであり、 そのような 実践 はある 種 の 実益 を 備 えたものであったかもしれない。
いま、 「 和様 」 活字 において 濁音 を 表 すと 目 しうる 仮名 を、 記紀万葉 におけ る 濁音仮名 にしたがって 示 すと 表一 の よ う で あ る ( 8) 。 こ れ を 見 る と、 濁 音 仮名活字 は、 五号活字 に 多 く、 三号 と 四 号 に は ま ば ら に 見 ら れ、 二 号 に は、 濁音仮名活字 とはっきり 認 められる 例 が な い こ と が 分 る( 「 だ 」 は、 万 葉 仮 名 として 濁音仮名 であるが、 当時通用 の 仮名 として 濁音仮名 というわけでは も ち ろ ん な い )。 ま た、 依 拠 文 献 の 偏 りについても、 古事記 において 用 いら れる 濁音仮名 にしたがうものが 多 いが、 それに 限 られるわけではない。 分布 を 見 ると、 「ど」 「べ」を 除 いて、ひとつの 音 に 対 して、ひとつの 濁音仮名 がある も の が ほ と ん ど で あ る ( 9) 。 濁 音 仮 名 を 欠 くのは、 「ご」 「じ」 「ず」 「づ」 「ぼ」の 音類 仮名 記紀万葉 二号 三号 四号 五号 が 我 記紀万 × × × ○ ぎ 藝 記紀万 × ○ × ○ ぎ ? げ ? 宜 万 × × × ○ ぐ 具 記紀万 × ○ × ○ ざ 邪 記万 × ○ × ○ ぜ 是 記万 × × × ○ ぞ 叙 記紀万 × × ○ ○ だ 太 記紀万 ○ ○ ○ ○ ぢ 遅 記紀万 × ○ ○ ○ で 泥 紀万 × × × ○ ど 杼 記万 × ○ × ○ ど 騰 記紀万 × × ○ ○ ど 怒 紀 × × × ○ ば 婆 記紀万 × × × ○ び 備 記紀万 × × ○ ○ べ 辨 記万 × × × ○ べ 倍 記紀万 × × ○ ○ 表 一 「 和 様 」 活 字 に お け る 濁 音 仮 名 の 製 作 状 況。 音 類 と は、 同 音 の 仮 名 の 類 の 意 で あ る。 記 紀 万 葉 は、 用 い ら れ る 文 献 を 略記する。
五 つのみということとなる 。 これらの 仮名 はかなり 特殊 な 仮名 であるため 、 濁音 を 示 すことを 目的 として「 和様 」 活字 に 含 め られたものであり、それによって 濁点 を 用 いないある 種 の 理想的 な 状況 が 整理 されたものと 見 ることが 許 されよう。 濁音仮名 は、 国学者 の 実践 としても 厳密 に 用 いられるものではなく、 欠 けることが 体系 と して 不備 を 齎 すとは 言 い 切 れないからである。とはいえ、 真淵 や 宣長 、平田篤胤 などが 用 いる「 受 (ず) 」 などの 例 を 欠 くのは、 香稚 の 正統意識 によるものかいなかは 分 らない。なんらかの 理由 で、 現存 する 資 料 に 漏 れ 落 ちた 可能性 そのものは 否 めない。 国学者 における 濁音仮名使用 の 動機 についてはさきにも 述 べたが、 同 じところに 発 する 訓仮名 の 忌避 については、 徹底 されるところはない。 内田 ( 二 〇〇 一 )に よれば、 宣長 は、 『 古事記伝 』の 版下 を 作 る 際 、「 訓仮名 」 由来 の 仮名字体 を 避 け、 音仮名 を 用 いるよう 指 示 しているとのことで、 具体的 には「 者 (は) ・ へ ・ と ・ 止 (と) ・ つ ・ 徒 (つ) ・ 江 (え) ・ め ・ 三 (み) 」 を 避 けよということである 。これらの 文字 を「 和様 」 活字 に 欠 くということはまったくない。とは いえ、 「 弊 (へ) 」や「 母 (も) 」などの 国学者 に 顕著 に 用 いられる 仮名字体 があるのは、 繫 がりというこ とができよう。 しかしながら、このような 濁音仮名活字 の 整備状況 は、じっさいの 活字 の 使用傾向 からすると、いさ さか 不審 な 分布 ではある。 府川 ( 二 〇〇 四 、 第三巻 、 一八 〇 −八八 )や 鈴木 ( 二 〇 一五 、 第五章 )で 述 べられるように、 新町活版所 の 活字字体 としてもっとも 用 いられたのは 三号 と 四号 であり、 五号活字 は、 〈 本 木 昌 造 ・ 活 字 復 元 プ ロ ジ ェ ク ト 〉 調 査 グ ル ー プ( 二 〇 〇 三 ) に 述 べ ら れ る よ う に、 見 本 帖 か ら 復 元 されるところがほとんどで、 実例 がほとんど 見 られないのである。また、 府川 ( 二 〇〇 四 、 巻三 、六六 ) ( 12) ( 10) ( 11)
は 関東 に 渡 った「 和様 」 活字 が 二号 と 四号 に 限 られると 推定 する。すなわち、 平野活版製造所 において 五 号 「 和 様 」 活 字 の 準 備 が な い と い う こ と は 、 五 号 「 和 様 」 活 字 が そ れ 以 降 の 作 で あ る こ と を 窺 わ せ る。 じ っ さ い、 現 在 知 ら れ る 五 号 「 和 様 」 活 字 印 刷 物 の 例 は、 『 改 正 小 児 養 育 心 得 』( 京 都 : 点 林 堂 、 一八七六年 )の 広告 に 一部 が 用 いられるほかに、 一八八二年 の 大阪 の 見本帖 があるのみなのである。 平 野活版製造所 が 分離 したのは、その 四年前 の 一八七二年 のことであるから、その 間 に 作成 されたと、ひ とまずは 考 えられるのではなかろうか。 新町活版所 において、 上海 に 倣 い、 五号活字 を 本文用活字 の 主 力 として 考 えていたとするならば、 仮名活字 の 整備 が 遅 くなったことは 不審 ではあるけれども、どうじ に、 濁音仮名 の 整 えられ 方 は、 見出 しに 用 いる 二号 のそれと 比較 すればなお、 本文用活字 としての 意 の 入 れられ 方 を 示 しているように 思 われる。 いずれにせよ、 「 和様 」 活字 の 用例 のほとんどは、 濁音仮名活字 の 整 わない 号数 の 活字 なのだから、 じっ さいの 印刷物 において 濁音仮名活字 として 用 いられることは 期待 しがたい。そもそも、 「 和様 」 活字 のな かの 濁音仮名活字 を、じっさいに 濁音仮名活字 としても、そうでない 仮名 としても 用 いることはさほど 多 くない 点 も 問題 である。 三号活字 における 濁音仮名 の 例 は、すくなくない 数 が 種字 のみ 現存 して 印字 例 が 見出 されていないものである。また、 五号活字 にしても、 濁音仮名活字 の 存在 が 知 られるのは、 見 本帖 によってであって、 『 改正小児養育心得 』に 現 れるわけでもなかった。そもそも、 当 の 香稚 が 濁音仮 名 についてはっきりしない。 本木昌造 の『 西洋古史略 』( 長崎 : 点林堂 、 一八七四年 )に 寄 せた 香稚 の 序 が 諏訪神社 に 草稿 を 蔵 するという( 春田 、 二 〇 一六 、一六 −一七 )。 草稿 に 用 いられた 仮名字体 には、 「 都 ( つ )」「 弊 ( へ )」「 無 ( む )」「 舞 ( む )」 な ど、 特 徴 的 な 仮 名 字 体 の 使 用 が 見 ら れ は す る も の の、 す べ て 清 ( 13)
音 であり、 「と」 「 者(は) 」「め」 のごとき 「 訓仮名 」もすくなからず 用 いられている 。そういえば、 「 和様 」 活 字 に 特 徴 的 な、 行 草 体 の 雰 囲 気 を 色 濃 く 残 す「 惠 ( ゑ )」 も、 こ こ で は よ く あ る「 ゑ 」 で あ る。 刊 行 されたものを、 図二 に 示 すが、ここでは、 字体 がほとんど 変 ってしまっている。 右 に 挙 げた 稀用字体 す ら、そもそも「 舞 」しか 用 いられないのである。 国学者 たちは、 「 和様 」 活字 の 世界観 をどのように 見 たのであろうか。 平田篤胤派 ( 気 い ぶ き の や 吹舎 )の 印刷物 からすこし 見 てみよう。 製版 ( 木版 ) 印刷 で 筆耕 の 思 うがままに 文字 を 彫 って、 特異 な 字体 で 目 を 驚 か せていた 平田派国学者 たちであったが、 活版印刷 になると、とたんに 鳴 りを 潜 めてしまう。 図三 は、 製 版印刷 による 出版物 で、ここでは、 「 都 (つ) 」「 閉 (へ) 」「 倍 (べ) 」の 使用 を 指摘 できる。それに 対 して、 図四 と 図五 は 明治 に 入 ってからの 刊行物 で、 図四 が 塾 の 経営 を 引 き 継 いだ 平田胤雄 による 版 、 図五 がそ れを 大阪 で 再版 したものである。 気吹舎 では、ながらく 版下 を 書 いていた、 第二代 の 平田鉄胤在世中 は ついに 活版印刷 は 行 われず、ようやく 死後一八八二年 の『 祝詞略解 』において 活版印刷 が 試 みられたよ うである 。 図四 は、 平野活版製造所 の 作 った 四号仮名書体 を 用 い、 図五 では、それにくわえて、 「 和 様 」 活 字 を 交 え た 版 面 と な っ て い る。 こ れ は、 胤 雄 の か か わ る の ち の 印 刷 物 で も 同 様 で、 平 田 派 で は、 明確 に「 和様 」 活字 を 用 いた 例 はないことになる( 平田派 でとくに 重要 な『 古史伝 』は、 最後 まで 整版 で 刊 行 さ れ た )。 そ れ だ け で は な く、 整 版 で あ れ ば 期 待 さ れ る 仮 名 字 体 へ の 注 意 も、 こ こ で は 見 ら れ な い。 四号 「 和様 」の 字体 が 限 られていたためかもしれないが、 大阪版 でとくべつ 字体 への 注意 が 現 れる わけではない。 香稚 の 原稿 と『 祝詞略解 』ともに、 草稿 では 用 いるべき 仮名 への 注意 が 働 いていたもの が、いざ 印刷 されたものでは 反映 されない。 香稚 のものは、 印刷 できない 文字 でもなかったはずである ( 15) ( 14)
図二 本木昌造『西洋古史略』(点林堂、一八七四。国立教育政策研究所 教育図書館所蔵)