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2006年 4月 17日

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Academic year: 2021

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1 2014 年 2 月 10 日

「博士学位請求論文」審査報告書

審査委員 (主査) 文学部 専任教授 萩原 芳子 (副査) 文学部 専任教授 田母神 顯二郎 (副査) 筑波大学 人文社会科学研究科 文芸・言語専攻准教授 小川 美登里 1 論文提出者 氏名 森 真太郎 2 論文題名 (邦文題) M.ユルスナールの創作原理と初期作品 ― 『キマイラの庭』から『アレクシス』まで

(欧文訳) Marguerite Yourcenar's Creative Stance and Her Early Works: From Le Jardin des Chimères to Alexis ou le traité du vain combat

3 論文の構成 序 第一部:形成と最初期の著作活動 第一章:初期略伝のこころみ 第一節:「私」というもの 第二節:裔す えの藝術家 第三節:父ミシェルとジャンヌ・ド・ヴィタンゴフ 第四節:ヨーロッパ、ロンドン、パリ——教養の涵養時代 第二章:初期作品『キマイラの庭』——末期の眼の作家 第一節:処女作と初期作品 第二節:作家の後年の評価 第三節:書誌的な事項 第四節:構成と展開 第五節:末期の眼の作家 第二部:ユルスナールの創作観 はじめに

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2 第一章:フローベールと 「化身」métensomatose の思考 第一節:『姉アンナ‥‥』とフローベールの創作書簡 第二節:小説家と作中人物 第三節:実体と放棄 第二章:現実レアリテと 幻ル・ファンタスティック想 第一節:現実レアリテについて——シャルル・デュ・ボスへの書簡 第二節:リルケとジッド 第三節:リルケ —— 事物と聞き取りデ ィ ク テの詩人 第四節:現実レアリテと 幻ル・ファンタスティック想 第三部:『アレクシスあるいは空しい戦い』と「声の肖像」 はじめに 第一章:『アレクシスあるいは空しい戦い』における構成と主題 第一節:啓示révélation による教養小説 第二節:官能と藝術 第二章:『アレクシスあるいは空しい戦い』の表現 第一節:『アレクシス』と物語 レ シ ——『アドルフ』との比較を通じて 第二節:声の優位 第三節:散文と 詩ポエジー 第四節:『アレクシス』の一人称文体について 結論 参考文献 4 論文の概要 本論文はマルグリット・ユルスナールの初期作品や初期のエッセー、後年の記述やイン タービューなどをとおして初期に現れる創作姿勢を検討するものである。 第一部の第一章では、この早熟な作家の初期作品に大きく影響する特異な養育課程と古 今東西にわたる広範な教養の形成、『キマイラの庭』(1921)の迷宮のテーマや『アレクシ ス』(1929)以降の複数の作品に素材を提供するジャンヌ・ド・ヴィタンゴフとユルスナ ールおよび父親との関係、ジャンヌを取り巻く環境について紹介している。 第2 章で扱われるユルスナールの最初の出版作である『キマイラの庭』は、作者が再版 を拒んできた作品である。しかし、この章の分析が示すのは、当時 19 歳の作家がギリシ ャ神話を駆使し、多くの人物を登場させ、神話に独自の変更を加えて複数の対立項を配し たこの作品の構成が非凡な才能を暗示しているということである。論文はとくに主要登場 人物である迷宮からの脱出を夢見るイカロスと、自ら構築した迷宮からの脱出を断念した、 諦観の境地の父親ダイダロスに注目し、イカロスとダイダロスが後年のユルスナール作品 に出てくる主要人物の原型であると見なしうることを示している。とくに死神と対話する

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3 ダイダロスは、『ハドリアヌス帝の回想』では老いた皇帝の語りや『黒の課程』でのゼノ ンの死の意識と密接にかかわることを指摘している。 第二部はユルスナールが若いころから読んでいたというフローベールの書簡集につい ての記述や自らの創作姿勢について語った文章を検討している。まず第一章では、ユルス ナ ー ル が 登 場 人 物 の な か に 自 ら を 喪 失 し 尽 く し て し ま う 初 期 の 体 験 や 「 化 身 」 métensomatose という言葉で表現する小説家が自分の経験や自身の本性の本質的な要素 を、他者に通じる未分化な「実体」へと濾過したうえで、登場人物の創造に活かす作業に ついて語った文章を取り上げている。これは登場人物に直接的な自己投影を行うものでは なく、「ハドリアヌス帝はあなただ」という批評家による作者と作中人物の同化を拒むと 同時に、作者の自我の放棄を意味することを、引用をとおして示している。 第二章では、ユルスナールの世界観における現実や事物の重要性を探っている。1937 年の書簡で「諸現実」は宗教に代わるほど重みがあると述べている。この現実を知的な概 念のように把握するのではなく、心的なヴィジョンによって捉えなければならないとする。 論文はこの視点をさらにユルスナール自身が影響を認めている同時代の文学者リルケと ジッドとの関係をとおして検討している。作者はまた、われわれが現実と呼ぶものは事物 の実用的な曲解にすぎず、より総合的な現実を捉えるまなざしが求められることを示唆し ているが、そのまなざしはわれわれが惰性で閉じこもる習慣的な見方を逸脱するという意 味で幻想的なものに通じるとしている。論文は人物が立ち現れるのと同様に事物について も、対象を受肉する姿勢がもはや現実と幻視との境界が消え失せるまで深いものであると いう点でリルケとの共通性を持っていると結論づけている。 第三部はまず第一章で『アレクシスあるいは空しい戦い』の構成と主題を検討し、この 作品の周到な構成をまず三つの「啓示」の場面をもとに分析している。音楽との根源的な 出逢いの場面、そして病床における外界と自分の肉体の決定的な発見、さらに自分の手を 通じて肉体が音楽と結びつきやがて芸術の道を選択する展開。これらの啓示は音楽や事物、 肉体の世界が向こうからやってくる場面として、主人公の肉体と霊の葛藤からの解放への 道程として機能している。 この葛藤は、アレクシスに同性愛者としての特徴が与えられていることに由来する。初 の性愛体験と思しき少年との出逢いは美との出逢い、事物のなかに拡散していく感受性の 芽生えとして描かれる。だが、すぐさま社会的倫理観から彼は罪悪感に陥り、ここに「空 しい戦い」が始まる。論文はここで、主人公がその深刻な苦悶や都会で体験する生活のな かで、魂に支配されない肉体、精神よりも肉体を通じた事物や外界との接触の課程が描か れていることを強調する。これは、第二部で確認したユルスナールの事物と現実(レアリ テ)との交わりに信を置く思想と密接に結びついている。また第一部のキマイラあるいは 幻想を打ち砕いて飛び立っていくイカロスとも重なる。 第二章「『アレクシスあるいは空しい戦い』の表現」においてはまず、B.コンスタン の『アドルフ』と比較して、伝統的な一人称の「物語(レシ)」の形態を取りながら、因 果関係よりもトーンを重視するような口調がアレクシスという人物の未分化の素質を表 出させる効果があることを説明している。つまりユルスナールはリズムや音声によって支 えられている詩にたいして、散文のポエジーを創出するのはまさに「声」の表現であると

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4 主張する。その「声」は躊躇い、論理的なほころびや曲折などをとおして表現されるが、 過去に「声」の肉感を感じさせた作家や芸術家は稀であると述べている。論文はその「声」 を生かした『アレクシス』の一人称の文体について、先行研究を踏まえながら、音楽的な 効果を生む繰り返しの技法などを考察する。さらに声の受け手である妻モニクの位相につ いて検討し、『アレクシス』に特徴的な話者と不在の受け手の関係から生み出される親密 な語りかけの文体の独自性に光を当てている。ここでもまた、ダイダロスとの類似が浮か び上がるのである。 最後の章ではユルスナール作品の特徴は、三島由紀夫が指摘するように、まず様々な 「声」を創出する能力であったとする。だが、この「声」の創出はユルスナールに特徴的 な様々な思考、つまり「私」の解体と濾過作業を通した「化身」や「諸現実」との交わり などと密接に結びついており、作者の思想と表現が結合したユルスナール文学の「核」で あるとしている。また、「声」の作家という観点から、処女出版『キマイラの庭』の重要 性を強調する。複数の声を描き出すこの作品の特徴、なかでもキマイラあるいは幻想を打 ち砕いて飛び立つイカロスと迷宮のなかで死に際に親密な声を得るダイダロス、この二人 の人物はアレクシスの葛藤のなかにともに継承されているだけでなく、ユルスナール文学 全体と繋がりを持っていると結論付けている。

5 論文の特質 1.ユルスナールの初期作品のうち、詩集を除いて物語性をもった最初の二つの出版作品 を取り上げているが、戯曲風の『キマイラの庭』と小説『アレクシスあるいは空しい戦い』 は一見かなり異なる2作品でありながら、それぞれの構成やテーマの対比、「声」へのこ だわりなどを丹念に検討し、いくつかの重要な共通項が見出され、後期の作品にもつなが ることを解明している。 2.この時期の作風の模索を浮き彫りにするため、伝記や初期のエッセーや書簡、初期作 品に言及した後期の記述やインタービューなどを参照し、作家としての初期の問題意識を 検討している。ユルスナールが自己と登場人物との関係および外界や事物に対する作家の 姿勢について、フローベールや同時代のジッドやリルケなどの作品やエッセーを早くから 熟読し、自らの創作姿勢を導き出していることを示している。さらに詩から散文に挑んで いく時期にすでに人物の「声」の陰翳の再現を散文の詩的な要素として重視していること を明らかにしている。 3.さらに、こうしたエッセーの多くに先立つかたちで、『アレクシス』において肉体を 介したある種の啓示によって感知される「現実」やアレクシスの肉と霊の葛藤といったテ ーマとそれらを表現する「声」が上記の創作観と密接に結びつくことを説き明かしている。 これらをユルスナールの一貫した態度の表現として分析している。 6 論文の評価 作家ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想録』以前の初期の時代に、作品やエッセー に現れる作者の創作姿勢の重要な要素に焦点を当てたたいへん意欲的な論文である。 まず最近まで取り上げられなかったマルグリット・ユルスナールの最初の出版作『キマ

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5 イラの庭』について、早熟な作者の教養や構成力を浮き彫りにしただけでなく、初期作品 の『アレクシスあるいは空しい戦い』やその後の大作に通じる要素、とくに死や諦観の境 地から発せられる「声」や現世の迷宮、幻想の世界からの脱出といったテーマがすでに模 索されていることを示したことは重要な成果である。 また、ユルスナールの創作姿勢については、先行研究に登場人物の創作に関する考え方 や『アレクシス』における「声」や語りについての分析的研究はあるが、本論文は『アレ クシス』出版の前後の時代に作者の登場人物や物質的「現実」に対する姿勢、散文に対す る考え方を総合的に検討し、その立場の一貫性を浮かび上がらせている点、そして、『ア レクシス』において、これらが肉体のテーマと結びつき、二元論に収まらない肉体と霊の 関係が描かれていることを解明した意義は大きい。古典的なレシの形態をとりながら、感 じる世界の表出としての文学、人物の肉感がそなわった声を伝達するエクリチュールを目 指したという点で新しい文学であったことを示している。 ただ、作品と伝記やエッセー等から抽出している創作観がそれぞれにおいて論じられ、 その相互関係も示されているものの、後者については不十分な面もある。また、「声」の 問題について、サロートなどの他の作者との比較や身体とのかかわりを掘り下げることで、 ユルスナールの特殊性をさらに浮き彫りにできたはずである。しかし、これらの点は今後 の研究で発展させることが期待されるものであって、こうした課題が残されていることが この学位請求論文の価値を損なうものではない。 7 論文の判定 本学位請求論文は,文学研究科において必要な研究指導を受けたうえで提出されたもの であり,本学学位規定の手続きに従い,審査委員全員による所定の審査及び最終試験に合 格したので,博士(文学)の学位を授与するに値するものと判定する。 以 上

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