八代宮地における伝統工芸
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(2) デザイン学研究特集号 Vol.28-2 No.104. まり紙漉きを続けてきた。紙漉きを始めたのは手っ取り早く儲かるからで、 裏山でみかんを作りながら冬場に紙を漉くことで家族を養ってきた。しか し、みかんが値崩れを起こし、紙漉きの需要も減ってくると、日雇いの肉体 労働も掛け持ちし、苦労しながら生計を維持してきた。宮地でも紙漉きを続 ける人は減り、最後の一人になっても夫婦二人三脚で紙漉きを続けてきた が、持病の腰痛の悪化もあり廃業を決めた。子息は公務員として働いてお り、紙漉きの後継者はいない。冬場に冷たい水を扱う紙漉きを継いでほしい とは思わなかったし、自身が紙漉きを辞める直前は子供からも早く辞めてく 図3 紙漉きを指導する宮田寛さん. れと言われていた。 宮田さんが漉く紙はもともと障子紙やちり紙などの雑紙であったが、県の 伝統工芸として認められ、博物館などで展示販売されるようになってからは 色紙や紅葉を漉き込んだ装飾紙、封筒やハガキなども作っていた。近年はレ トロブームで和紙の小紙に活版印刷で印刷する名刺が人気となり、特殊な型 枠で小さな名刺サイズの和紙も漉いており、密かに人気があった。 紙漉きを辞めたもう一つの理由は水路の存在がある。多くの紙漉き職屋に 水を供給するため、宮地の町内には水路が張り巡らされている。水無川の取 水口から水を取り、下流にあたるエリアに住居兼職屋のある宮田さんは上流. 図4 宮田さんの職屋. の清掃なども行なっていたが、近隣からは不満の声も上がる。細い路地に水 路があると自動車の走行が難しく、脱輪事故なども多いため、多くの水路は 暗渠化され水量も少なくなっている。宮田さんは自宅前の水路横に釜を設置 して和紙材料のコウゾを炊き、水路で晒す作業をしていたが、廃業と共に釜 を撤去した。紙漉きのためには水路が必要であるが、一人では守りきれなく なった。 水路を守るために行政と掛け合ったこともあるが、個人的に水路を使うこ とは既得権的に黙認されていても、保証されるものではなかった。地域文化 を守るという誇りを持って紙漉きを続けてきたが、結局、行政は守ってくれ. 図5 道具を説明する矢壁さん. なかったという諦めの気持ちも強いと語る。 紙漉きの文化を伝えるため、地元の小学校で子供達が卒業証書用の和紙を 漉く活動の指導も続けてきたが、現在は矢壁さんが引き継いている。矢壁政 幸さんは紙漉きを宮地に伝えたとされる矢箇部新左衛門の子孫にあたり、現 在自宅の工房で紙漉きを行なっている。企業を退職してから祖先の技術を継 承するために試行錯誤しながら紙漉きを続けているが、販路があるわけでも なく紙漉きは生業ではない。大量生産や販売を主目的とせず、古典技法の水 玉紙や、打雲紙、墨流しなどの技法で美術品的な装飾紙を作ることに力を入 れている。. 図6 狭い道路に残る水路. 4.八代妙見祭と和紙 妙見祭の出し物の一つ白和幣(しらにぎて)は、妙見宮周辺の老若男女が 白い御幣(ごへい)を持って行列に加わっていたもので、かつては、女性が 唯一奉納者として参加できる出し物と言われる。しらにぎての「にぎて」 は、神に供える麻の布のことであるが、後に絹または紙に変わった。およそ 250年前の記録には、すでに行列に参加していたと記されている[注3]。 妙見祭神幸行列は宮地の妙見宮で行われる行事であるが、笠鉾を始め、多 くの出し物は八代市中心部の町衆の出し物で、商人町の町衆の出し物は豪華 3)妙見祭公式ホームページ https://myouken.com/ 参照. であるが白和幣は紙が主役である。当時はあたりまえのように地元宮地の和 紙が使用されていたと考えられる。1998年に絵巻を元に行列が復元される. 79.
(3) 80. 特集:人口減少時代の環境デザインを考える. と、白和幣では地元の白百合学園同窓会が奉納母体となっているが、復元当 初は宮地の和紙を使用してはいなかった。これは手漉き和紙が祭り当日に消 耗品として使うには高価になりすぎていることや、行列で使用するため、破 れにくい紙が良いと考えられてきたためであるが、2018年の妙見祭で宮地産 の和紙が使用され、妙見祭と地産の和紙の関係をつなぎ直すこととなった。 実際、和紙は洋紙に比べて繊維が長く破れにくいため、神幸行列で一日使っ ても破れることはなかった。この和紙は「紙漉きの里を次世代につなぐ研究 会」が矢壁氏の漉いた和紙を購入し提供することで実現したものである。 図7 ガメポストカード. また、白百合学園は白和幣の活動費を賄うため、八代神社に印をもらった ミニ白和幣を販売している。これにも宮地の和紙は使用されていないが、今 後は宮地の和紙を使用し、八代神社で認められたミニ白和幣を販売すること で、宮地和紙の活用と妙見祭および白和幣の継続を進めることができると考 えられる。. 5.宮地紙漉きの里を次世代につなぐ研究会の活動 宮地紙漉きの里を次世代につなぐ研究会は国立熊本高専八代キャンパスの 建築社会デザイン学科の磯田節子教授を中心として2015年に始まった。学生 図8 和紙マグネット. の地域研究として、高専の所在地である地元八代の地域研究をはじめたとこ ろ、宮地には魅力的な水路景観が残っているものの地域の紙漉きが衰退する につれ水路の暗渠化が進んでいること、暗渠になっていない水路も管理が悪 く、ドブ川のような状況になりつつあることが指摘された。良好な景観を守 るためには紙漉き文化をなくしてはならないということで、地元の工芸関係 者らを含めて紙漉きを残していくための勉強会が始まった。 構成メンバーはまちづくり系の設計者やライター、工芸品を扱う雑貨店 主、歴史案内ボランティアを行なっている地元住民、工芸作家、学系は八代 高専森山研究室に加え、デザイン開発の協力者として筆者も参加している. 図9 ミニ白和幣. が、紙漉き職人がメンバーに入っていない。職人(宮田さんや矢壁さん) は、イベントの際には紙漉きの実演を行い、自宅の職屋(作業場)を公開す るなど、協力的ではあるが、主導的なメンバーではなく、市役所なども主体 的な参加はない。よそ者の押しかけメンバーが中心である。 研究会は八代市の「がまだしもん応援事業」の採択を受け、2015年より3 カ年は補助金を受けた。「がまだしもん」とは地元の方言で「頑張る者」と いう意味で、地域活性化に繋がる活動を支援する補助制度である。補助期間 は3年が限度となっているため、2018年からは他の補助金も活動費としてお り、自主財源は妙見祭での和紙グッズの売り上げ、ワークショップの参加費. 図10 ポチ袋. など、微々たるもので、活動はほぼ手弁当で行われているのが現状で、会自 体の運営も難しい状況にある。 1年目の目標は和紙と観光まちづくりをつなげることで、デザイン学生に より和紙を使った商品のデザイン開発を行い、妙見祭当日に空き店舗を活用 した仮設店舗「宮地和紙と暮らす店」を開店し和紙製品、和紙を使った土産 物を販売している。商品は加工、生産についても学生が行うため、準備数が 限られた状態ではあったが、出品したポチ袋、ポストカードなどの商品は人 気があり完売状態であった。 2年目2016年は1年目の活動に加え、紙漉きと地域の歴史をめぐるまちあ るきイベントの開催を行っている。宮田さんがまだ紙漉きを行なっていたた. 図11 和紙 LED ランプ. め、紙漉き体験を含めたツアーを企画した。地元の名跡を巡ったのちに紙漉.
(4) デザイン学研究特集号 Vol.28-2 No.104. き体験を行うため、行程管理が難しい。その他、和紙を使ったうちわづくり や一閑張の工作ワークショップも行なった。 3年目2017年以降は後継者の育成が当初の目的であった。補助金を使って 後継者の公募を行うことも議論されたが、技術的な後継者の一人である矢壁 さんから将来性が保証されないのに広く希望者を募ることは早急すぎるとい う意見もあがり、和紙と観光(妙見祭)を結びつける活動(和紙グッズ販売 とワークショップ)を継続的に行なっている。生業として紙漉きを継続させ 図12 和紙グッズ販売ブース. ること(産業化)の難しさを知ると同時に、いよいよ宮田さんが廃業を決意 することとなり、宮地和紙の継続が難しくなった。. 6.和水町の和紙復活 熊本では和水町(旧三加和町)においても紙漉きが継承されている。和水 町では1962年に紙漉きが途絶えているが、1992年、地元の南関高校(現岱志 高校)の体験学習として、紙漉きが行われたことがきっかけで復活した。当 時は役場の裏手にテントを張り、紙漉きの経験がある地域住民がボランティ ア指導者として参加したが、中心となったのは町の教育委員会で、全国各地 図13 うちわづくりワークショップ. の紙漉きの里を調査するなど、紙漉きの研究を進めた結果、1998年に手漉き 和紙制作技術の復活と保護・保存をめざした「和水町みかわ手漉き和紙の 館」が完成し、誰でも手軽に紙漉きの体験ができるようになった。 紙漉きの復活にあたっては地域で楮やトロロアオイの栽培なども行い、材料 を自給自足できる体制を整えている。現在は高齢者施設の余暇活動や、小中 学校の卒業証書づくりなどに活用され、観光客向けにも紙漉き体験を提供して いるが、他の観光施設と連携していないのため、観光地としての認知度は低い のが現状である。産業としての復活ではなく、社会教育活動の一環として、手 漉き和紙の製作を行う選択をした和水町であるが、指導者の高齢化など、課 題も多く抱えている。しかし、町のサポートもあり八代市よりは継続性がある。. 7.人口減少時代における伝統工芸の継続に向けて 手漉き和紙の技術はユネスコの無形文化遺産にも登録されているが、産地 は「石州半紙」(島根県浜田市)と「本美濃紙」(岐阜県美濃市)、「細川紙」 (埼玉県小川町、東秩父村)に限られている。これら本格和紙は国産楮の使 用、塩素漂白を行わないなど、伝統技術を守っているが、宮田さんの和紙は 図14 和紙シンポジウムチラシ. 塩素晒しを行い、材料も外国産を八女の業者に頼って仕入れていた。 安定した生産のために機械化を取り入れ得ている産地も多いが、宮地にお いては生産能力を高めることも難しく、家内手工業として続けられていた手 漉き和紙は生産を終えることになった。産地として共同体が形成されていな いと材料の確保や技術の継承、本格和紙を目指すことは困難である。 伝統工芸は産業としての継続よりも、和水町のような社会教育の一環とし ての継続を目指し、観光や教育に結びつけることしか、生き残りは難しい。 八代では妙見祭の笠鉾を常設展示する施設が計画されているが、和紙につい ては展示や販売の計画がない。行政や地元とのコンセンサスを深めることが できなければ紙漉きの文化は廃れることになる。近年、観光はインバウンド に期待した対応を中心に考えていたが、コロナ禍で観光客が激減する状況で はインバウンド向けの対応のみでは継続が難しい。近郊客向けの近場観光で の需要拡大、魅力づくりを考えれば、手漉き和紙の体験などの伝統工芸の活 用は再度検討の余地があると考える。. 81.
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